2012-07-28 11:04 | カテゴリ:イングランド
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
近代オリンピック発祥後第30回目の記念大会であり、ロンドンで開催されるのも3回目と言う数字で見てもシンボリックな大会となっています。
シンボルが豊富にアピールされているのでそれぞれ目についたものについて説明していきます。

まず最も目につくのが以前にも触れましたがメインスタジアムのピラミッド、All Seeing Eyeの形の照明かと思われます。
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あとはやはりヘッダーにも使いましたが、マスコットやロゴは陰謀論などでも挙げられている通りAll Seeing EyeのモチーフやZION(シオン:約束の地、エルサレムの意味、元々は神殿の丘を意味した。)と読めるという事で良いかと思います。(中央の四角はパーフェクトアシュラーになるのだと思います。小文字のiにしたら大文字か小文字か意味がわからなくなります。まあそういうのが陰謀論ではないでしょうか。)
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さてまあこの辺りまでは陰謀論のページでも盛んに陰謀陰謀と言われていて誰もが知っているレベルかと思われるのですが、この先はいわゆるフリーメイスンリーの謎というやつでしょうか。
先ほどから開会式の録画を見ていたのでその中でフリーメイスンリーを象徴する、一般人にはなかなか分かりづらいものを解説します。
まず会場全体の芝を敷いて象徴となる樹木を丘の上に植えた形ですが、これは少しフリーメイスンリーについて知っている人であればすぐわかるかと思いますが、フランス革命ジャコバン派絶頂期に執り行われた「最高存在の祭典」を模したものとなっています。
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この祭典はブラザーロベスピエールを中心として、ブラザージャック・ダビッドが演出したそうです。またこの祭典のフィナーレは有名なブラザージョセフ・ギヨタンが開発したとされる200人のギロチンであったそうですが、実はギロチンはフランス大東社の創設メンバーであったブラザーギヨタンが開発したわけではなく、理性的で残酷で無い死刑執行法として会議で提案しただけだそうです。皮肉にもその後にこの死刑法にブラザーギヨタンの名前が冠せられたわけですが、実際には彼個人は究極的には死刑廃止の考えを持った予防接種などを普及した医師であったそうです。

さて開会式の方ですが、こちらは良くわかるかと思いますが青を強調しており、これもまたフリーメイスンリーの象徴であります。青は理性を強める働きがある色とされ、マスターメイスンの象徴でもあります。青赤白の三色はフランス、イギリス、アメリカのそれぞれの国旗の色であり、また五芒星と同じく、赤がフランス大東社系、青が英米系正統派フリーメイスンリーの傾向であるようです。青と赤が一緒に重ねられるのはそれら世界全体のフリーメイスンリーの協調をうたった象徴かと思われます。特にフランス大東社の最大の象徴であるその最高存在の祭典を模した形は、英王室のエリザベス女王やグランドマスターであるブラザーケント公が出席する開会式においてまさに両フリーメイスンリーの融和を象徴するようなセレモニーとなっているかと思われます。
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さてこのくらいまでは少し知っていればわかるレベルだと思うのですが、後は細かい演出の中にフリーメイスンにわかるような動作や小道具で特徴的なものがありました。
芝の上で牧歌的なスポーツに親しんでいる象徴から一気に産業革命を経て工業を象徴する踊りとなったのですが、その際にシルクハットを着た明らかにフリーメイスンをモチーフとした人々を中心として変わった踊りをするのですが、その際の振り付けの右手で首のあたりを横に手刀を切る形の動作が、これが入会儀礼の象徴的な動きであり、いわゆる喉を掻っ切る、Cutting throatの象徴であり、秘密を守ることを象徴する動作です。またオリンピックの輪を鉄鋼の鍛造に例えて黒い眼鏡をして叩いている動作がありましたが、この際のサングラスのような遮蔽眼鏡はこれはフリーメイスンリーの入会儀式で象徴的に使用された、闇から光へと移る象徴となる小道具です。元々はただの布で目隠しする形であったようですが、特にアメリカを中心として入会儀式でこの遮蔽眼鏡が使われたようで、この眼鏡の中でメッセージなど小さな文字や画像が本人だけに認められる、いわゆるマイクロフィルムのようなトリックもあったようです。
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結局全体としてみると、フリーメイスンリーの入会儀式を模した形の開会式セレモニーとなっており、参加者および出席者、テレビでの全世界の見守る人々にフリーメイスンリーのイニシエーション(入会儀礼)を行うような意味づけとなっているものかと思われます。

鳩のモチーフによる象徴性はもう十分に説明されてきたかと思いますので割愛します。
最後にサー・ポール・マッカートニーが「Hey Jude」を歌いましたが、この歌も柔道にかけているなどと言う話もありますが、歌詞の内容を読んでいただければユダヤ人を意味するJewにかけた意味だという事が十分わかるかと思います。フリーメイスンリーとユダヤ教については私自身が十分勉強してから後々にまた取り上げたいかと思います。
最近のオリンピックに毎回登場する元プロボクシングヘビー級チャンピオンモハメド・アリ氏は名前がこの前の回に登場したエジプト近代化に貢献したエジプト太守のブラザームハンマド・アリーと同じ名前と言う事で、そのままシンボルとなっているようです。

(追記:もちろん聖火リレーはベルリンオリンピックから始まった有名な拝火教、ゾロアスター教の伝統を引き継ぐものかと思われます。フリーメイスンではありませんが、哲学者ニーチェの著作「ツァラトゥストラはかく語りき」は有名かと思います。東方の異教、ヤキンとボアズの柱に象徴されるような有名な二元論の教えの最も古い宗教ではないかとされています。東芝の電球の商品名や、車メーカーのマツダの社名とも関係しているようです。)
(追記:ピースマークの人文字もあったようですね。直接フリーメイスンリーと関係しているかどうかはわかりません。アンチキリストなど様々に説明されています。ヒッピー文化で多用されてきたようですが、ヒッピー文化で使われていたのであれば元ネタは恐らくフリーメイスンリーだと思われます。なかなかこの辺のからくりは複雑かと思いますが、ほとんどのフリーメイスンリーの秘密は目の前でありながら見えていないものなのです。最初の教えを忘れないでください。)
2012-08-07 10:51 | カテゴリ:イングランド
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
連日オリンピックで盛り上がっているロンドンですが、このブログもロンドンオリンピックのグーグル検索で多くの人が訪れるようになったりもしていますので、今後またロンドン・パリを実地で探索する予定ですが、それ以前に様々な話題でフリーメイスンリーの故郷とも言えるロンドン・パリの様々な話題について触れていきたいかと思います。
さて連日テレビ報道などで映される数多くのロンドンやイギリスの観光地の風景が目に留まるかと思いますが、私はかつて一度だけロンドンを訪れた事があり、その際に抱いた印象は、皆さんがテレビを通して見た光景から抱かれる印象と同じかもしれませんが、「石の都、石でできた都市」と言う印象でした。
実はこの光景は作られたもので、皇居の回で江戸城天守閣がなぜないかというところで触れましたが、1666年のロンドン大火で木造建築が全て新たに石造建築に変えられたためでした。
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もちろん1666年と言われれば、それが聖書のヨハネの黙示録で触れられる666、獣の数字と一緒であり、陰謀論者にかかればそれはフリーメイスンリーの陰謀であるという話になるものかと思います。
聖書のヨハネの黙示録を読めば666がネロ帝を意味するところはすぐにわかるわけですが皇帝ネロ(Nero Caesar)のギリシア語表記(Νέρων Καίσαρ, Nerōn Kaisar)をヘブライ文字に置き換え(נרון קסר, Nrwn Ksr)、これを数値化し(ゲマトリア)、その和が666になるというものです。このネロ帝はローマ大火を故意に起こしたのではないかと噂され、その根拠としてローマ大火の跡地に彼自身が芸術家としてローマ芸術の集大成としてコロッセオの近くに黄金宮殿を作り、その悪趣味具合から歴史から抹殺されかけましたが、近年になり発掘が進みその芸術性の高さが再評価されているといういわくつきの出来事があります。ルネッサンスのラファエロの芸術などに影響を与えており、カトリック教会が代々秘密の芸術の源として保存していた可能性があります。
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ネロ帝はキリスト教にとっても非常に重要な存在であり、ローマ大火をきっかけとして、民衆の不満の矛先をキリスト教徒に向けようとして、その結果としてキリスト教が普及したという効果もあったようです。
そういうわけで1666年というのはフリーメイスンリー、イギリス国家にとっても革命的な年であり、その復興のシンボルとなったのがいわゆるセント・ポール大聖堂であり、この大火をきっかけとしてペストの大流行が止んだとされています。ペストの流行には当時隆盛を極めたユダヤ教徒への偏見や弾圧と相まって、ユダヤ教徒による陰謀説や魔女狩りのきっかけともなったりしていました。日本ではハーメルンの笛吹きの逸話などがペスト流行などと絡めて語られる事もあったりします。ブラザーゲーテもこの逸話に触れた詩を残しているそうです。(ハーメルンの笛吹き男は伝説では6月26日の聖ヨハネの日の話(2013/5/6追記:6月24日が洗礼者ヨハネの日ですね。誤りです。)のようですが、最近ではこれは当時数多くあった東方への移民の話ではないかという事です。聖ゲオルギオスの逸話とともにモンゴル帝国成立後の東西の交流が極めて盛んだった時代であり、そういった十字軍からさらに時代の下った時代のものかと思われます。いわゆる改宗ユダヤ人、ハザール王国の話と絡めて極めて象徴的な話かもしれません。)
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さてロンドン大火ですが、この影響として実はニュートンの発見に影響を与えたという事になっているそうです。ニュートンの発見にはフックとの確執やその当時の王立科学協会の様々な人間関係が影響しているそうで、ニュートンの発見は時間をおいてフックなどライバルが王立科学協会からいなくなった後に発表されたのですが、それらを支援したのがまさにアンダーソン憲章の本文を書いたとされるブラザーデサグリエであったそうです。ブラザーデサグリエはニュートンの紹介を受けて王立協会に入会したそうで、そういう意味ではニュートンは元々近代思索的フリーメイスンリーが成立する以前の薔薇十字団などのメンバーで、彼らの活躍を原動力として、まさに近代フリーメイスンリーは発足したと考えられるのかと思われます。(追記9/1:薔薇十字団の存在は近代の幻想であり作り話であるとの話も有力なようです。いずれにしてもピタゴラス学派や錬金術などの流れをくむ、カトリック教会とは異なる中世ヨーロッパの科学の歴史が必ずあるのは確かで、それらが秘密結社という形であったかどうかはわかりませんが、それらの有力な流れが実務的メイスンリーと結びつき近代思索的メイスンリーとなったのは確かであるようです。それらは常にテンプル騎士団や薔薇十字団、グノーシス思想やイルミナティなど、様々な伝説と相混じり合ってフリーメイスンリーの源流として語られるのは定番であるかと思われます。)
ブラザーデサグリエはプラネタリウムの発明者とされるそうで、現在家庭用でも使えるプラネタリウムが数多くあったりしますが、以前は渋谷のプラネタリウムを代表として、多くの科学博物館の名物であったかと思います。(10/25追記:10/25現在ウィキペディアではこの項目が削除されています。プラネタリウムの最初の製作者としてオランダ人のアイゼ・アイジンガーという方が挙げられています。)
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アンダーソン憲章の内表紙の版画には歴代のグランドマスターが憲章を渡している図と、一番右端に憲章を発行した際の第三代グランドマスターであるブラザーデサグリエの姿があります。

1666年には清教徒革命後のオランダのイギリスへの政治介入を終わらせる英蘭戦争を決する海戦で英国軍が勝利し、世界の海の覇権を手にする年でもあるのだそうです。後のイングランド王ににあたるカトリック教徒のヨーク公ジェームズを司令官とする英国海軍はオランダ海軍と死闘を繰り広げ、結局ペストの流行やロンドン大火で疲弊しつつも最終的にオランダ海軍に勝利し、新大陸のニューアムステルダム改めニューヨークなどのオランダ植民地を割譲したそうです。恐らくフリーメイスンリーのヨークライトの起源もこの辺りにあるのではないでしょうか。(2013/5/6追記:ヨークライトの起源はイングランドのヨークそのものにあるようです。)結局その後の名誉革命でカトリック教徒のヨーク公ジェームズ、ジェームズ二世はオランダから来た新国王に国を追われるわけですが、これらカトリック教徒のジェームズ二世支持派はジャコバイトと呼ばれその後のフランスフリーメイスンリーの源流となったともされます。007の主人公ジェームズ・ボンドの名前などもこの国王と関係しているかもしれませんね。ジェームズは一般にヤコブに由来する名前です。
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さてそういう非常にややこしい欧州の歴史ではありますが、そういうややこしい争いと平和の中でフリーメイスンリーは成熟し1717年のグランドロッジ創設へと繋がるわけです。

2012年の現代にその石の都ロンドンで平和の祭典オリンピックは様々ないわくを残しながら現在までのところ成功裡に進行しています。

さてついでと言っては何ですが、ロンドンオリンピックのシンボルタワーとなるアルセロール・ミッタル・オービットという変な形の塔についてフリーメイスンリーのシンボルと絡めて解説をしておきます。
一応アルセロール・ミッタルというのはスポンサーの名前のようで、イギリスの鉄鋼会社の名前のようです。オービットというのがこの塔の名前のようで、一応軌道とかそういう説明がなされていますが、要するにOrbitのラテン語の原語の意味である眼になるのかと思います。また螺旋階段があり、それもフリーメイスンリーの象徴になります。ロンドンアイのように恒久的なシンボルとなるかどうかは現在のところ不明のようですが、ロンドンを代表する新たなシンボルとなる可能性があります。
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さて盛り上がっているロンドンオリンピックですが、開会式のフリーメイスンリーのシンボリズムについては一度触れましたが、それ以外にもたくさんあるようです。最初にシルクハットの集団が握手するのはフリーメイスンリーを象徴すると思われます。ケシの花と思われるものがあったりしましたが、ケシの花も英語でポピーと言いシンボルとなるようです。ダンスを主導するシルクハットの男性達は明らかにフリーメイスンリーを象徴していますし、手に持った本はアンダーソン憲章を象徴していると思われます。ダンスで横向きに両手を天に向けて仰ぐ形はフリーメイスンが仲間に助けを求める時のサインで、モルモン教の教祖であるブラザージョセフ・スミスが民衆に殺される際にそのポーズをしていたとして有名です。
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それらのサインをまとめたような動画がありました。
また工業化の象徴として太い煙突が現れますが、これはイングランドグランドロッジの紋章にあるグランドロッジの元となる三つのロッジを象徴する3つの塔のシンボルを表しているものと思われ、煙突は7本ほどあるようですが、恐らくロッジの連合を象徴すると同時に、Entered Apprenticeで習得する事を求められる7つの美徳を象徴する7本の列柱の意味もあるものかと思われます。写真で見ると煙突の下から3段はやや広めで菱形が入っているものがあり、さらに段数は全体として皆大体11段のようです。三笠公園や平成町のピラミッド型の照明も11段を認めていて、ユダヤ教を象徴する11なのかどうか良くわかりませんが、こういった形があるようです。下の三段は象徴的なブルーロッジの階級を象徴しているのかもしれませんが、相変わらず全体の11段の象徴は良くわかりません。
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煙突には象徴的に菱形模様が描かれていますが、いかにもフリーメイスンリーのシンボルのように描かれています。ブラザーワットの発明した蒸気機関も現れ、その後に出てくるイエローサブマリンを象徴した船もシンボルとなるかと思います。会場自体もロストシンボルでも何度も強調された二重の丸になっているようで、シルクハットの人物は鉄道設計者の大西洋横断ケーブルを可能にした特殊船の製作者であり恐らくフリーメイスンのイザムバード・キングダム・ブルネルであるそうで、これはロスト・シンボルでも触れられていた、米英を繋ぐ電信回線であり、議事堂のロタンダの頂点に描かれた神格化されたワシントンの周囲にあったネプチューンとケーブルを記念するものとかけたものかと思います。ブラザーブルネルが作ったグレートイースタン号は当時最大の客船で、当時ゴールドラッシュに沸いていたオーストラリア航路に向けたものであったそうですが、建設当初から様々な問題があり、またスエズ運河の建設などもあり結局大西洋航路に使われたようです。タイタニック号よりも強靭であったとされ、商業的には全く成功しなかったようですが、タイタニック号の事故はこの船などの建設も遠因になっているのかもしれません。日本のいわゆる小栗上野介が帯同した万延遣米使節団がニューヨークで見物しているそうです。
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高精細画像のものは無料動画になっていないようですが、荒い画像のものがYouTubeにありましたのでご覧ください。
London 2012 Olympics Opening Ceremony 1
London 2012 Olympics Opening Ceremony 2
(2の方は国際オリンピック委員会から止められているようです。やはりフリーメイスンリーの重要なところは茶道の一期一会のようにその機会にその場にいて体験を分かち合うというところなのかと思います。そういう体験を分かち合おうという心持、志が重要だというものかと思います。あとはざっとこの日に作ったブログを読んでみましたが非常に読みづらいですね。これもそういうものとしてお読みください。)
2012-08-16 23:49 | カテゴリ:イングランド
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
これも時間帯で平日朝と言う事もあり見られなかったのでコメントしませんでしたが、今動画でちょっと見て一つシンボルがわかりましたのでコメントします。
最初にロンドンアイとビッグベンの模型がイギリス国旗の中心で並べられる形になっていましたが、その際の並びがいわゆる円と中心点、二本の線で象徴される、いわゆる洗礼者ヨハネと使徒ヨハネのシンボルとなっていました。
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後は誰もが興味を持つものかと思いますが、いわゆるPhoenix、不死鳥のシンボルですが、これは実は1666年の話で取り上げたセントポール大聖堂の入り口に掲げられたブラザークリストファー・レンが刻んだPhoenixのシンボルにかけているものと思われます。ロンドン大火から復活する象徴として再建されたセントポール大聖堂のシンボルと出来るかと思われます。
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ロンドンのフリーメイスンホールにロッジを持つかなり古いロッジの名前もPhoenix Lodgeというそうで、その他にもPhoenix Lodgeの名前はアメリカの各州や南アフリカ、ルーマニアを始めとして世界中にあるようです。(追記:フェニックスの名前のロッジをまとめたホームページによれば116あるそうです。ルーマニアのロッジなどはその後増えたようなので現在の数は正確にはわかりません。)
都市の名前ではアリゾナ州の州都がPhoenixですが、これもやはりアリゾナ州の最初の州知事がフリーメイスンで丘の上に大きなピラミッドの33度の角度を持ったお墓があるそうです。
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もともとギリシア神話にルーツがあるようですが、そのさらにルーツにはエジプト神話の青鷺の神様があるようです。中国の鳳凰や朱雀とは直接のつながりはないとされるようですが、ペルシアにも同様のサラマンダーという象徴があり、東と西に共通とされるような、エジプト起源のフリーメイスン好みのシンボルのようです。(All Seeing Eyeの原型となるホルスの目のホルスが猛禽類のハヤブサの神様ですが、その原型であったとか、ホルスの父親になるオシリスの魂であるとか、そのあたりのまさにエジプト神話の最初の最初の重要な神様のようです。結局ナイル川の氾濫を予測する青鷺の行動観察がそういったエジプト文明の端緒である事の象徴なのかと思われます。日本で言うと鶴とかカラスとかそういう賢い動物の神様の象徴でしょうか。)
さらに第三階級の儀式の象徴である復活と再生の象徴でもあり、まさに開会式で入会儀礼を経験し、閉会式で復活と再生のMaster Masonの儀礼を体験するという、まさにフリーメイスンリーの儀式尽くしのオリンピックであったと言えるのではないでしょうか。

Phoenixでフリーメイスンリーで忘れてはならないものがありました。
Phoenix Freemasonryで検索すればすぐ出てくるのですが、いわゆるフリーメイスンリーの通信教育とも言えるPhoenixmasonryです。フリーメイスンリー関連の英語の本は著作権が消失しているものはほとんど網羅しているようです。その他非常に豊富な内容となっていて、アメリカやヨーロッパのグランドロッジなどと比べても恐らくフリーメイスンリー関連のインターネットのホームページで最大の内容となっているかと思われます。英語の得意な方はこちらの内容を読まれる事をお勧めします。
2012-10-13 23:38 | カテゴリ:イングランド
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
さてさて実は去年ロンドン・パリに行こうと思っていたわけですが、なんともイングランド連合グランドロッジ(United Grand Lodge of England、UGLE)とフランス大東社(Grand Orient de France、GOF)はフランス革命後スコティッシュライトのブルーロッジへの管轄権を巡ってアメリカ国内で対立となり、フリーメイスンリー憲章で無神論者や共産主義者も加入を許した事によりお互いの認証を取り消すという歴史があるそうで、その影響というかなんというか、旅行の計画しているところでアキレス腱を切る怪我をしてしまい1年待ってのロンドン・パリ旅行という事になったわけです。その間Freemasons For Dummiesなどのホームページではフランス大東社とは異なるUGLE系のフランスのフランス国民グランドロッジGrande Loge Nationale Francaise(GLNF)が破産するなど色々あったようで、いずれかのロッジは失火で焼失するなどもあったようです。そんな事もアキレス腱を切って初めて色々知ったわけですが、まあいずれにしてもフランス自体一度も行った事が無く、イギリスですら20年以上前にわずか1週間程度滞在しただけのほぼ見知らぬ国であり、フリーメイスンリーの発祥の地であり、多くの現在の日本や自分の周囲の知恵を生み出した母国とも言える国であり、フリーメイスンリーについてさらに多くを学ぼうとするならば一度は訪れなければならない国と考え、一年待ってやっと取れた夏休みで憧れの地でありまた同時に未知の国である両国をフリーメイスンリーの視点から巡ってみようと考え、ロンドン・パリ周辺を結果としては単なる観光で巡ったわけです。

というわけで妙な前書きの旅行となるわけですが、まあ「フランス革命の省察」もまだ半分も読み終えていない状況であり、それでいながらも行きの飛行機でエコノミープラスがビジネスに格上げしてもらって、緊張して「ユダヤ古代誌」を必死に読んだりしながら行くという、まあどこからどう考えてもみょうちくりんな一人旅という、ワシントンD.C.の3.11前のスコティッシュライト、フリーメイスンリー巡りという旅と並んで、楽しみなのか勉強なのか仕事なのかという良くわからない貴重な体験でありました。

一応事前に世界の歩き方のガイドブックをアマゾンで買って一応読んでおくという事はしたのですが、なんせもう十分仕事をしている身である以上、英会話やフランス語会話など十分に勉強する暇などなく、またフリーメイスンリー関連ではeBayなどを通してロンドンのフリーメイスンリー関連の施設を巡るガイドブックなどを買いチラチラと目を通したりはしましたが、いかんせんそれほど一人旅に慣れているわけでもなくまた夏休みというよりも研修旅行に近いそういう自腹の旅行で一体全体自分にとって価値はあるのかという大問題もありながら、なんともフリーメイスンリーの魅力と、このブログも動機づけとなっているものかと思いますが、恐ろしく疲れて恐ろしく濃密な一週間を再び過ごすこととしたわけです。

まあワシントンD.C.に行った頃はまだフリーメイスンリーそのものに対する強烈な憧れや様々なロッジでの体験が強くあったころであり、その他それらに関する勉強もまだブログも始めていないころでありほとんど系統だっていなかったころであって、本当にフワフワした留学のようなものであった感じでした。それから横須賀に転居して色々と日米の文化対立、東西の日常的な接触を身近なものとする地で過ごして、まさにフリーメイスンリーが生活に溶け込んでフリーメイスンリーというものが頭で考えるものから体に染み込んでいくものであったかと思います。まあそこまで言うほどではないと思うのですが、いずれにしても勉強するとか仕事に行くとか遊びに行くとかそういうのをひっくるめて意味があるのかないのかともかくとしてロンドンとパリとその近くにいってやろうという、まさに未成熟な大人そのものの行動で旅行に出てこのブログで報告するという快挙に出たわけです。

「フリーメイスンとは旅人だ」とはあるフリーメイスンの言葉ですが、まあそういう事を言いながら遊び歩いてる人は何人もいて特にフリーメイスンリーとは関係ない学生や落ち着かない大人が多いわけですが、夏休みに一人で海外に行くなんて言うのは言うほど優雅なものではなく勉強してるとかなんか理由を付けて時間を無駄に過ごしてるのと同じようなものですが、かといってそれ以上に簡単な有益そうな時間の過ごし方というのもそう簡単にあるわけではなく、またインターネットや海外との物のやり取りも週単位で可能な時代ですので、実際には行ってわかる事とインターネットで調べてわかる事との差異がそれほどあるわけでもなく、本当は本でも読む方がよっぽどわかった気になるというか納得がいく事が多い、情報収集の手段としてはそれほど重要でもない方法が実際に現地に行くという方法である時代なのかもしれません。まあブラザージョセフ・キップリングではないですが、ユダヤの預言者よろしく、見たもの、聞いたものをそのまま伝えるメディアとしての役割は一つのフリーメイスンの課せられた使命とも言えますし、また実際にフリーメイスンリーについてまとまったブログという意味でこのブログの意味もあるものかと思いますので、長々と恥ずかしい内幕話を書きましたが、そういうわけでロンドン・パリに夏休みに一週間行ってきたのでワシントンD.C.・ニューヨーク編と同じかもしくはもう少しくだけた感じで写真とともに展開していきたいと思います。

まあ色々書かねばならない事と、書きたくはない事、どうせなら嘘でも付きたい事と色々あるわけですが、前回のワシントン編と出来るだけ同じ心持で書きすすめようと順を追って記憶をたどって書いていこうかと思います。前回ワシントン編は旅行後約1年半後に大地震や転勤転居、横須賀というフリーメイスンリーの影響が色濃い地でさらに今回のロンドン・パリ旅行を計画してアキレス腱を切るという挫折の中で様々な必要と必然に駆られて世に出した内容であり、今回はかなり夏休みに行ってみたいヨーロッパに行って浮かれた気分で旅行して見せびらかしたい気持ちのようなそういう心持ともいう状況であり、なかなか醸し出す空気は前回のものとは異なるかと思いますが、その心持と反比例するように旅行中の現地での天気は主に雨か曇りであり、なかなかフリーメイスンの仕事というか楽しみというのも複雑なような単純なような、まあ良く言うように余暇の楽しみなのだなという理解なのかと思います。

あまり前書きが長くなると不評と思いますので前回と同じく旅行前の日本の光景から流れていく事になります。前回はユナイテッドエアラインのエコノミークラス(プラスでもない)で、CEOになりたいらしいベトナム人の隣という設定であったわけですが、今回は羽田空港発着のブリティッシュエアウェイズで、エコノミープラスから事前にビジネスクラスに格上げされ、まあアキレス腱を切ったのでその時にキャンセル料でその分くらい取られたわけですが、そういう行きになって12時間の長旅で欧州の正反対の時差もありすっかり時差ぼけになるという、まさにイニシエーションの状態でありました。

さてまあ色々詰め込み過ぎると反響も大きくなりすぎ色々な混乱を巻き起こしかねませんのでこの辺りから通常の写真ブログの流れとなって行こうかと思います。
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早朝5時の羽田空港、東京国際空港の様子ですね。いやあ驚きました。日本人がこれだけベンチで横になってるところもここ位でしょうか。いきなり写真でパチパチ撮ったので帰ってきたら警備員に排除されちゃったみたいでした。まあ現在どうなっているかは知りません。HISが若者の強行旅行をせっせと促した結果かもしれません。行きの空港でこの状態だと現地でどうかはまあ大概想像がつきます。空港の作り自体も色々と改善の余地があるのかもしれません。いずれにしても羽田空港は成田空港よりはるかに便利ですが、海外に行く事でもないと成田に行く事が無いのもまた当然です。なんともこういうのはフリーメイスンリーが足りないんだなとか今の私は思ってしまいます。どっちがいいとも言えませんが、こういうのはまさに日本的なんだと思いました。24時間営業の店もほとんど実際には営業していなかったりと、なんだか海外の悪いところと日本の悪いところを折衷したような、まさに横須賀で慣れている日本と海外が接する地域といった感じでしょうか。女性連れが多いですね。海外旅行の内容の傾向も相当変化しているのではないでしょうか。(追記:羽田空港のコンビニはなぜか中国人の従業員でした。あれも何なんでしょうか。全体になんだかこなれていない変な感じでした。早く全体的に落ち着いた感じになってほしいものです。ブリティッシュエアウェイズの羽田発ロンドン直行便というのは売りたい路線という感じでした。)
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これはみっともない私の姿が大分入り込んでいますが、待合ロビーであったブランドショップのショーウィンドウにAll Seeing Eyeの形が相当わずかに置いてあったからです。わかりづらい写真ですね。しかし変なところで写真を撮っていてああそういう人なんだとわかる人以外は変だなと思うだけでしょうか。
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これはビジネスクラスの写真ですね。足が伸ばせるようにできているのですが、こっちは当然12時間くらい座っているつもりでしたから完全に調子がおかしくなって周りが全員時差を考えて必死で寝ている中で、必死で「ユダヤ古代誌」を読んでしまいました。ヘロデ大王が息子達の謀反を疑ってカエサルの前で弁明させるというところまで読んでいました。途中ブラックアンドホワイトといういかにもな邦題が付けられたCIAを舞台としたコメディを見てしまいました。前回の旧約聖書を必死で読みながら行ったアメリカ旅行とはずいぶん異なります。まあビジネスクラスでどんな良い食事が来るのかと思いましたがそれほど良くはありません。後はまあ相変わらずのエコノミーと同じ変な競い合いとキャビンアテンダントの仕事の憂さ晴らしや暇つぶしが色々とあり、それほど素晴らしく快適というほどではありません。どっちにしろ慣れている方が楽だというのが実際かと思います。羽田発という事もあってか必ず行きも帰りもおしぼりサービスがありました。好評なのか良くわかりませんが、無いよりはあったほうがいいという事なのかもしれません。ビジネスクラスで一番ありがたかったのは歯ブラシがポシェットに入っていて、ホテルにあるものと思っていて一切なかったので歯ブラシが使えた事でしょうか。そこまで計算されていたのかもしれません。飛行機はやはりiPhoneで自分の好きな音楽を聴くのと、BoseのQuietComfortなのでしょうかね。バージョンが15まで行っていると知って時代の流れを感じました。空港の中の免税店でヘッドフォンを買おうかと思いましたが足元見られて高かったので付属のものを使いましたね。まあそういう要求が一番高くて誰もがBoseに流れるようです。なんともかんとも。いわゆる旅慣れた優秀なビジネスマンが常に海外を移動するという時代ではないようですので、旅慣れている様子というのも浮浪者のようでどうかという時代のようです。
まあそんなわけで徹夜で勉強したような形で午前中のロンドンヒースローに到着します。20年前の経験でホントに気持ちが落ち込む黒い空を想像しているわけですが、完全に想像を裏切られ雲ひとつない快晴です。(雲はありますね。)
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まあ大歓迎の意図なんだろうなとは解釈しますが、とりあえず20年前に感じたイギリスの空気の匂いが同じだと感じて同じ土地に降りたと感じます。ワシントンD.C.のように降り立つといかにもフリーメイスンリーの土地という感じはありませんが、以前よりかなり新しくきれいになっていてとにかく世界中から来る人に対応できるように便利に簡潔に簡単になっていて、汚いとか不便とか対応が悪いとかそういう事は一切ない簡潔さと簡便さ、なんというかアメリカ的な影響を感じるそういう感じでした。事前に日本のテレビで聞いていたようなオリンピック後に日本人の入国手続きが特別で待たせなくなるというような特別待遇は一切なく普通に10分くらい待っての入国手続きで、いかにも決まっているようにターバンを巻いたインド人と思われる男性の入管で余計な話は一切なくコンピューターが止まるような事もありませんでした。
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まあウッディ・アレンの「マッチポイント」の世界ではありませんが、情報化社会の頂点に位置する欧州英国の貴族的対応という感じでしょうか。
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こちらはまた映り込んでいますが地下鉄の中ですね。まあこちらもヒースローから20年前に泊まったのと同じラッセルホテルのあるラッセルスクエアまで地下鉄ピカデリー線一本で35分くらいなんですが、その間どれだけ携帯電話、ほとんどスマートフォンですが、それで喋る主におばちゃんの多い事。どこ行ってもこればっかりです。まあiPhoneが無いとまともに海外を歩けないのも現実なのですが。地下鉄の中ですぐに現地の電波から海外ローミング設定が要求されます。20年前に来た時は黒人が多くてびっくりしましたが、今回はインド人が多くてびっくりという感じです。景気の影響もあるのでしょうがほとんどの人が良い恰好をして裕福そうでロンドンには物乞いはほとんどいませんでした。いても白人のちょっと変わったおじさんという感じで、ほとんどの有色人種は忙しそうに働いていて、白人はビジネスの話というよりも生活の話をやたら喋りまくっている感じでしょうか。もちろん地下鉄も20年前とは全く異なっていて、日本人の一人旅という事でじろじろ見られる事もありませんし、座席は非常にきれいになっていますし、赤青白の三色で極めて美しくシンボルカラーを強調しています。地下鉄はUndergroundでそれもまたフリーメイスンリーを象徴しているものかと思います。ロンドンに入るといわゆる海外旅行客やいかにも大学生という人以外は黒い服を着た人、要するにフリーメイスンだと思いますがそういうファッションが非常に多いです。ユダヤ人も一回だけ近くになりましたがiPodで音楽を聴いていて、じろじろ興味深く見たら間に白人が入ってきました。まあそんな感じみたいです。
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地下鉄ラッセルスクエア駅は後々出ますがフリーメイスンホールのあるホルボーン駅の一つ先で、基本的にエレベーターでの上下動になります。途中ホルボーン駅の床の白黒パターンでロンドン地下鉄のフリーメイスンリーっぷりに時差ぼけながらも感動します。ロンドン地下鉄の移動は海外旅行客は基本一日その路線乗り放題のチケットを買う事になるかと思いますが、明らかにJRのSuicaと同じOysterが安価であり、ワシントンD.C.と比べて観光客対象に高い移動賃を取るシステムになっているようでした。それだけ海外旅行客が多く、定住者を優遇するシステムを取る傾向となっているのかと思いました。ラッセルスクエア駅を出るとちょうど昼ごろですがあまりの天気と、自由に借りる事が出来る自転車が置いてあったり、近代的なマンションが出来ていたりと、ビジネスクラスの格上げから始まる連続的な変化に旅というよりビジネスの雰囲気が濃厚となり完全に睡眠モードです。とりあえず駅からすぐのホテルまでの間に以前は無かったコンビニがある事を確認してホテルに到着です。
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こんなに人がいたかなあとか、こんなに街がきれいだったかなあとか色々ボケた頭で考えながらホテルに着くとその当時の印象より普通のホテルでそれほど豪華ではないのがどうも色々年を取ったせいか、フリーメイスンリーの影響かどっちだろうと考えてしまいました。
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入るとすぐにこれがあって、ああこんなだったけかと、やっぱりそうかフリーメイスンリーだったかと思います。これが日本ならロータリークラブですがロンドンではもちろんフリーメイスンです。12星座を書いているのですね。横須賀でいうとメルキューレホテルでしょうか。良かった良かったとこの20年間が報われたと、まあそれほどではありませんがそれがフリーメイスンリーというものです。
ラッセルホテルは歴史や詳しい事は知りませんが、場所はラッセルスクエアのすぐ横で大英博物館の反対側にあり、また小泉純一郎氏の留学でも有名なロンドン大学の反対側でもあります。地元の評価はどうか知りませんが良いところだと思います。よっぽど良い部屋に通されるかなと思ったら普通に三階の八号室でそのまんまフリーメイスンリーだなと思い、特に景色が良い事も無く広くもなくビジネスホテルのようでした。
ベッドは非常に快適で眠っている間に色々やられちゃったんじゃないかと思いましたが、そういうものは特になかったようです。部屋にある額は下のもので、ちょうどヨーロッパのオランダのブラザーと色々金銭を絡めたやり取りをしていたのでその絡みだなと想像しました。
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まあワシントンと同じく歓迎してくれているのだなと。なかなかヨーロッパはアメリカとは違うなという感じでしょうか。また20年前の印象とも違う感じでしょうか。20年前は最初に車で一周して銅像ばかりを見て圧倒された印象でした。でまあ時差ぼけと緊張で疲れ切ってしまって、予想外の快晴であっても恐らく予想通りの睡魔に襲われそのまま昼食も食べずに寝込んでしまいます。夕方腹が減って起き出すというしょうもない豪華旅行です。客室が広く迷ってしまって、その中で撮った写真が下の一枚です。ロンドンシティーの象徴のドラゴンだと思います。結構空室が多い感じでしたが、その後はホテルのホールで会合などもやっていて最終日にかけて人が増えていく感じでした。なんか出来過ぎな位展開が準備されてる感じでしょうか。まあ日本人には来やすいホテルなんだと思います。
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でさすがに夕食は食べようと近所のコンビニを確認しに行きます。
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ホテルの明日の朝食の場所も確認すると20年前は広いホールだったと思いますが、奥の普通のレストランのスペースの方で、案の定店のシンボルもフリーメイスンリーのシンボルの砂時計です。やはりそうか、その当時感じたこのホテルのあのイメージはやはりそういうものであったかと思いつつ、やる事は日本と同じコンビニでの買い出しです。
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とりあえず時差ぼけ解消にラッセルスクエアを一周したのですかね。とにかく良くできた公園です。以前は恐れ多くて天気も暗くて道はゴミが落ちていて重い気持ちになったものでしたが、道は非常にきれいになっていてほとんどゴミが落ちておらず、天気はやたら快晴の後ですからむしろ乾き気味で、なんだかというかアメリカに近くなった印象でしょうか。
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コンビニも街の様子もどうもワシントンD.C.が印象は一番良いようです。
ロンドンのコンビニは品ぞろえも豊富でロンドンのかつての印象からはかけ離れた生鮮食品や飲料の豊富さと安さですが、やはり利用者も従業員も有色人種に偏っているようでした。寿司が売っていたのでかなり拍子抜けの感じでしたが、それなら日本茶も置いてほしいと思う感じでした。(追記:寿司は米が若干固く作ってるピラフの系統です。いわゆる寿司とは違うものと考えてください。それはしょうがありません。)あとはパック入りの果物やこの時はイチゴが2ポンドかなんかで売っていて、普通においしくて安かったです。なぜかコンビニには野菜や果物が大量に売っているんですが、レストランの料理にはあまり新鮮野菜や果物は無いんですよね。あれは何なんでしょう。
この時は日本でポンドへの換金を忘れていて、ユーロしか持っておらずクレジットカード利用でした。10ポンド以下は受け付けないとかいうのがあったりしますが、基本的に固定の店であれば大体クレジットカードは使えました。機械が読み取れないとかいうのもあったりしますがコンビニは大丈夫です。
まあなかなか海外初日はペースの立て直しが難しいですね。コンビニはロンドンで日本人が生きるための生命線になりそうなのでとりあえず店員さんに日本からきてあそこのホテルに泊まってるからよろしくみたいな感じにします。

あとはこの後はフロントで勧められた部屋でのインターネットの接続を試みますが、どうも持ちこんだパナソニックのパソコンが完全にイカレてしまい接続料だけ払う結果となりました。iPhoneだけだとこの後も何度も同じ事がありますが、250Vだとすぐに電池が切れてくる傾向があり、写真をたくさんとると途中で切れてくるようになり、やはり部屋ではパソコンでのインターネット接続があったほうが良いようでした。美術館などの情報もやはりパソコンがあったほうが良かったでしょうか。まあもちろんそのパナソニックのパソコンはかつて郵政選挙の前後に致命的なクラッシュをした以外にあまり壊れた事はありません。

一体何のブログなんでしょうか。
2012-10-14 22:06 | カテゴリ:イングランド
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
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二日目の朝です。砂時計の形のTempusというレストランの様子です。いわゆるイングリッシュブレックファーストのビュッフェ形式のものです。今は世界中同じ形式のようです。ここは20年前はお粥とクロワッサンの二択だったのですが、現在は最初にコーヒーと紅茶を聞かれるだけで、後は何でもおいしかったです。コーヒーか紅茶かの選択はしつこく聞かれましたがどっちでも良いと言って、お茶かと思ってアップルジュースを入れてしまったら結構それがおいしかったりしました。ベーコンもソーセージも全然塩辛くなく、紅茶は全然ニシンの臭いがしなくて残念なような当然のような気持ちでした。紅茶に関しては相当意識改革があるようです。以前はアールグレイの臭いで一日終わってしまうような感じでしたが、現在は日本で高級なアールグレイを買う方が匂いがきついのではないでしょうか。グリーンティーも売っていたりします。フルーツはあるのですが、サラダは無く、その辺はまだやっぱりそうかという感じではありましたが、目玉焼きが普通においしい卵であったり、見た目がおぞましい感じの真っ黒の血詰めの大きなソーセージの輪切りのスコットランドのハギスが一番おいしかったりしました。(追記:ハギスではなくブラッドソーセージのブラックプディングというもののようです。ハギスはソーセージというよりは中身だけのようです。)フレークも普通においしかったし、牛乳も日本のものと変わらなかったです。本当に難点はサラダが無いというところだけでしたが、焼きトマトは非常においしかったです。フルーツはやっぱりアメリカや東南アジアの方が良いと思います。
まあホテルの朝食にそれほど細かく難癖を付けてもいい事はありません。
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さてとにかく一日歩き回るために腹いっぱい食べてとりあえず半日潰してしまった分を取り戻さないといけないという事で、歩いて20分くらいでいけそうなFreemasons' Hallに行きます。到着したのが土曜だったので、予約したりついてすぐに行けば見学できたのですが、そうはしなかったので、日曜は休みであり外から眺めるだけですが、とりあえず場所を知っておかないといけません。
出るといきなり物乞いが近寄ってきますが、町のご挨拶みたいなもので適当にあしらいますが、それ以外はほとんど何もありません。その後パリから再びロンドンに来た時も物乞いが寄ってきましたが、町の挨拶の役割は同様のようです。
ラッセルホテルからテムズ川に向けて南下すると10分も歩くとホルボーン駅の交差点になります。
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これはホメオパシーの病院が表示されていたのでさすがと思い撮りました。ホメオパシーは日本では疑似科学の代表のようなものですが、確か創始者がフリーメイスンだそうで、それでヨーロッパでは生き残っているようです。その他には磁気ネックレスのような磁気の血行効果の理論やトルマリンの血行促進効果のようなものもフリーメイスンが関わるようです。なかなかフリーメイスンリーの歴史を知らないと混乱のもとです。
さてこの辺で右かなと西側に入っていくとニュートンストリートといういかにもな名前の通りがあります。
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基本的に日曜の朝なので歩いている人はほとんどいません。平日の昼はすごい人でしたが、最初はわかりません。
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Freemasons' Hallの裏の通りに出るのですが、そこにもホテルがあります。直接このホテルに宿泊するのも良いかもしれませんね。宿泊料はけっこうするのだと思います。
さてこの横が目的のFreemasons' Hallです。すでにホームページの通販などでDVDも買ったりしていて一応一通り目を通しているので、130以上のロッジが共同で利用している事や、地下に空調などの設備がある事など、戦前からあって何度も改築している事などは説明で一応理解していました。
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画像の解像度を落としてしまっているので彫刻のシンボルが見づらいと思いますが、そのホールの紹介のDVDなどで詳しく見てください。やはりイングランドのグランドロッジは見ると紋章、三つの塔とコンパスとシェブロン、ライオンと王様と牛と鷲と八頭のライオン、AUDI VIDE TACEのモットーが大事なようです。
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実は写真は撮っていませんが、裏手の方は自転車の車輪だけ鍵のついた鎖とともに残っていたり、結構以前はもっと荒れていた様子が感じられます。ロンドンは主要なところは大体CCTV activeとの表示があり、ステンドグラスの外側から金網が保護してあったりとまあそれはそれは色々あった感じがわかります。ただ現在は監視カメラの影響もあってか何かあったような後は見られませんでした。
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Freemasons' Hallの周辺の様子です。日曜に写真をパチパチ撮っていたら犬の散歩などしている人や恐らくフリーメイスンなんだと思いますが、やってるやってるという感じで見ていきました。その他の人はいかにも見ないように歩いて行っていました。周辺のパブもほとんどフリーメイスンが常連か店主なんだと思います。店の名前がそのままロッジの名前なのも伝統的にあるようです。
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ロンドンはスターバックスよりもこのネロというカフェが多いです。私は利用しませんでしたが、内容はスターバックスと同じようです。恐らくヨーロッパ資本なのでしょう。ローマ大火のネロと1666年のロンドン大火に対するこだわりは、そういえばワシントンD.C.でもHouse of the Templeの近くで1666という住所の番号を強調したいかにもな黒を強調した建物があり、あの辺が米英の協調であったようです。まあ実際1666年を境にして石の建造物を増やし、それと一致してイギリスが大英帝国となったという歴史もその通りであるようで、またそれが21世紀の現代に伝統としての保持と、近代化の足枷となっている部分での緩やかな革新との調和がまさに現在のテーマのようで、それがそのままロンドンオリンピックやロンドンの観光のアピールとなっているようです。フリーメイスンズアームズのパブは非常に親切な感じでしたが、あまり普通の人は使っていない様子でした。中にあのどの分野でも有名なフリーメイスンの店みたいな反語的なジョークが書いてありました。Freemasons' Hallの中の見学後に昼食を食べました。この時はまだやっていません。
2012-10-16 08:32 | カテゴリ:イングランド
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
ワシントンD.C.やニューヨークの場合は都市名 副題 その番号だったんですね。
変えようかと思いましたが語呂が良いので先に副題の形で続けます。
ちなみにパリは「神なき街」とするつもりです。実はまあ旅行しながらも副題ばっかり考えていたんです。
まあしょうもない打ち明け話です。
前回のアメリカ紀行の反応は具体的にはわかりませんが、相当のものがあったかと思います。
ナショナルジオグラフィックでも、ヒストリーチャンネルでもワシントンD.C.の建築物でそこまでフリーメイスンリーを特定して追っていったものは無いかと思いますし、それが日本語でブログという形で書かれたものは無かったかと思います。ただしもちろんアメリカでフリーメイスンリーがフリーメイスンリーのために書いたものであればいくらでもそれ以上のものがあるかと思います。
まあ石工というともちろん実務的メイスンリーと思索的メイスンリーの両方を指すわけですが、ロンドンの場合はロンドン大火を頂点として実務的メイスンリーの歴史が極めて長く深くあるという事もあり、そういう表現としました。要はフリーメイスンリーのみにとどまらない長い石工組合の歴史があり、それがいわゆる紳士クラブや友愛結社としての歴史の前に存在し、それを最も象徴するのは今回のロンドン訪問で最大の目的地でもあったセント・ポール大聖堂という事になるのだと思います。実際にロンドンの石工組合や、その後の思索的メイスンリーの時代にもいわゆる現代のフリーメイスンホールの役割として使用していたのは今回は訪問しなかったギルドホールのようです。
あまり詳しくは読んでいませんが、今回の訪問前には一応Brother Yasha Beresinerの書いたTHE CITY OF LONDON A Masonic Guideを一部参照しました。

The City of London: A Masonic GuideThe City of London: A Masonic Guide
(2007/07/26)
Yasha Beresiner

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まあギルドホールとか、Masons Avenueとか周りたかったとかありますが、色々下準備の段階でなんせ20年前の記憶で色々強烈であった事もあり、ロンドンを自分の好きに周ってみたかったというのがまず最初にあり、それに加えて実際には現地に行って思い出しましたが、セント・ポール大聖堂は当時あまり深い印象を刻んでいなくて行った事が無いと思っていたのですね。まあそんなわけで家族旅行と一人旅で自分の興味で周る旅とは全く異なるわけで、色々と行ってみてまた新たに行きたくなるところとか興味が出てくるというのはごく自然な事なのだと思います。いわゆる観光旅行では周れないところを周っているというのがこの旅のコンセプトなのでしょうが、それはまた相当準備して勉強しないとうまくいかないというところでもあるのかと思います。ワシントンとニューヨークはやはり現地ツアーなどを絡ませて色々うまく行った方だと思いますが、今回のロンドンとパリはやはり様々な事情もあり、アメリカと比較して旅としての出来具合は50点くらい、その最大の理由はやはりヨーロッパに対する憧れが強い事と、ロスト・シンボルのような記憶に残る形のガイドブックのようなフリーメイスンリーの紹介を読んでいなかった事、もちろん上記の本はそれに該当したのですが全文翻訳して読んでいないので、明らかに理解度が低かったという事だと思います。まあそれだけ何度も訪問するような欲求を生み出した事も確かだと思います。
そういう欲求を生み出すのは、ロンドン行きの前にロンドン大火や漱石の倫敦塔の文章を取り上げましたが、何より文学だと思います。テレビやブログのような情報は現地で実際に動きまわる際には非常に便利ですが、実際に現地に行ってより深い感慨やより深い印象を残すのはやはり文学が最良のスパイスかと思います。イギリスの文学といえば私の読んだものはシェイクスピアやシャーロック・ホームズが良いところですが、イギリスの光景というと思い浮かべるのはその20年前の光景かというとそうではなく、またテレビで見る例えばバッキンガム宮殿の前やダウニング街の光景かというとそういう事も無く、結局そういう文学作品の挿絵とともにあるイメージや、最も強烈なのはやはりシャーロック・ホームズの最初の「Study in Scarlet」(緋色の研究)の原文を全部翻訳した事で想像したイメージであったりという、実物というよりもイメージなのだと思います。そしてそれはまさにフリーメイスンホールやセントポール大聖堂で感じたイメージと一致するという感じなのです。まあ結局視覚的イメージや感覚的イメージよりより残る最高のイメージは想像と印象のいわゆるシンボリズムとしての文字が作り出すイメージなのだと思います。

とまあ結局何が言いたいのかというと、ロンドンを歩く際には上に挙げたフリーメイスンのユダヤ人の方ですが、その書いた本を詳しく読んで行かれると良いという事と、まあこのブログの価値もその文学的価値にあるという事なのだと思います。文学ということはフィクションであれ、まあノンフィクションであれいずれにしても主観に基づいた個人の一つの芸術的表現であり、基本的には様々な意見が含まれていたとしても究極的には単なる個人の趣味嗜好の範囲でしかないという事かと思います。そういうわけで、前回アメリカ紀行はフリーメイスンリーの紹介と現地の巡り方の紹介という面がありましたが、今回ロンドン・パリではそういう事は比較的おいておいて、個人の趣味嗜好、文学的というところに重点を置いて、極めて個人的なかなり露出趣味ではありますが、単なるフリーメイスンリーの紹介にとどまらないいわゆる個人旅行の見せびらかし的な要素が強い、それでいて文学としての昇華を目指した方向性を持ちたいと思います。これは後々出てくるパリ編のやはりフランスを訪問した強い動機がそれこそ最初のロンドン訪問以降ですが、スタンダール文学を読んで、未だにこれはその当時の印象で大岡信氏の翻訳で読んだのですが、一番最高の文学作品はスタンダールの「パルムの僧院」であると思っており、まあそれも一種の体験なのだと思いますがそういう印象でパリを見たという事に繋がるのかと思います。

まあここまで書くといかに偏っているか、スタンダールを読んでいる人は少数だと思いますし、それでいわゆるスタンダリアンになる人もまた少数だと思いますので、多数の賛同を得るのが難しくなるのかもしれませんが、それがまあ実際フリーメイスンリーの世界なのだと思います。もちろんスタンダールもフリーメイスンであり、ブラザースタンダールであります。

さてまあ情熱の前書きは置いておいて、前回のフリーメイスンホールの外観と位置の内容からその近辺の移動になります。どうも街並みをパチパチiPhoneで撮りまくっていて一応世界のフリーメイスンホールの街のフリーメイスンリー発祥の街のAUDI VIDE TACEの方針から言ってもあまりフリーメイスンリー関連といえどもブログでやたら公開するのは筋が違うのかと思いますが、そういう事もあってインターネットがパソコンで使えなかったりといった事もあり、またちょうどこの後のインドの施設のスワスティカを撮ろうとしたあたりでiPhoneの反応がやたら遅くなって、メモリを減らして再起動するなどの処置が必要となる事がありました。まあこの辺はアメリカとイギリスのフリーメイスンリーの方針の違い、それはまたフランスのものも絡むのだと思いますが、それぞれの歴史上の役割の違い、もちろんそれは表面上のものかと思いますが、そういうものが一応あるという事なのだと思います。いずれにしても郷に入らば郷に従えで、多少のやり方の違いはあったとしても認容しなければ何も得る事は出来ません。でまあそういうのもありながら結局パチパチ撮ってブログに載せるという行為をし続けるわけです。
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何か女性の銅像があります。この後ロンドンの銅像を写真にたくさんとりましたが、ほとんどフリーメイスンのようです。この女性も何かしら関係があるのかと思いますが、詳しくはわかりません。英語版ウィキペディアなどで全て検索できると思います。ロイヤルオペラの前なので、恐らく有名なバレエダンサーの像だと思います。
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ロイヤルオペラハウスの前です。なにやらロンドンの最高のステータスはこのオペラハウスの前に豪華なハイヤーで乗り付けて最高のおしゃれをしていく事だそうです。なかなか日本人ではまだ少ないのでしょうか。そろそろブラザーチャイコフスキーの白鳥の湖をやっているようです。
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現在やっている演目はこれのようです。なにやら黒魔術のようです。
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ちょっと調べていませんが有名なパブのようです。
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コベントガーデンです。屋根つきのマーケットなのでしょうか。日曜の朝なのでまだ営業前です。
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見た事のあるスタバがあると少し安心します。
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コベントガーデンの内景です。
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コーヒーハウスです。チャールズ・ディケンズは作家で二都物語を書いています。フリーメイスンかどうかはわかりませんがそういう事でしょう。
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この写真を撮る前にiPhoneが一旦ハングアップしました。インドの建物の隣になるのですが、初代首相ネルーの像ですね。ガンジーがフリーメイスンであったのかどうかはわかりませんが、ネルーは恐らくフリーメイスンだったのだと思います。なかなか評価は分かれるかもしれません。いずれにしてもUGLEの評価というところになるのだと思います。
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実はこの建物がフリーメイスンホールとそっくりに作ってあって、その中に目立つ形でスワスティカ、卍が書いてあってその写真を撮ろうとしてiPhoneがハングアップしたのでした。この辺の作りはワシントンD.C.のスミソニアン博物館のブラザーリンドバーグのスピリッツオブセントルイスの先頭にあったスワスティカと似ています。恐らくインドのグランドロッジが全面的に支援して作られた建物だと思いますが、端っこに英語で書いてあった説明によるとYMCAが関わっているとかあるようです。この建物があるのがロンドンにインド人が増えている理由かもしれません。
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なかなかこういのは現地に行かないとわからない情報かもしれませんね。インドではフリーメイスンリーが爆発的に広がっているとは聞いていました。そのうち中国が体制が変わってそういう時代になるのではないかと思われます。
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王立裁判所の近くです。銅像がたくさんあります。それぞれ良くわかりませんがフリーメイスンだと思います。
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サミュエル・ジョンソンはブラザーエドマンド・バーグの友人であったそうです。ウィキペディアを引用します。
ジョンソンは "Clubbable man"(クラブ向きの男)と呼ばれ、クラブでの談論風発を好んだ。生涯にいくつかのクラブに加入しているが、特に有名なのは1764年にジョシュア・レノルズの呼びかけで創設された文学クラブ(The Literary Club)である。創立メンバーはレノルズ、ジョンソン、エドマンド・バーク、オリヴァー・ゴールドスミスら9人で、後にギャリックen:David Garrick(俳優)、ギボン、アダム・スミス、ボズウェルらが加わり、ジョンソンの晩年には35人程になった。週1回の夜、居酒屋(tavern)で食事の後に文学談義などを楽しむ集まりで、機知に富んだ話の得意なジョンソンが会話の中心だった。
そうです。軍人さんで銅像に残るような高位の人は皆フリーメイスンなんでしょうね。
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王立裁判所はブラザー林董の話で日本の最初のイギリス公使が大使に格上げされる際に認証したのが王立裁判所であったと思います。
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シティ・オブ・ロンドンの象徴のドラゴンです。異教の神なのでしょうね。まあ中国の皇帝の象徴です。
聖ゲルギオスが退治した東の象徴であり、モンゴルの襲来後なのでモンゴロイドを象徴しているのかもしれません。イングランドの国旗の象徴ともなっている部分でしょうか。シティはギルドホールでの民主制で自治権を持ち、それぞれの清教徒革命、名誉革命でのジェントリの勢力として活躍したようです。まさにフリーメイスンリーの城というところでしょうか。もちろんそれら金融業の中心としてのシティ・オブ・ロンドンで活躍したのは改宗ユダヤ人などのシェイクスピアでいうところのベニスの商人のイメージのユダヤ人だったのだと思います。
さて徐々にセントポール大聖堂に近づいてきます。
シティ・オブ・ロンドンのその他の教会などもブラザークリストファー・レンの作だそうです。ギルドホールも行っていませんし、また何度も行きたいものです。
2012-10-16 18:38 | カテゴリ:イングランド
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
さてさてほとんどの人には興味が無い話題かもしれませんが、ロンドンの観光案内です。
しかもおいしい紅茶の販売とか、アフタヌーンティーの紹介とかではなくそのまんまフリーメイスンリー関連の観光地案内です。
まあそんなブログがあってもいいのではないでしょうか。

そういうわけでロンドン到着二日目でフリーメイスンホールからセントポール大聖堂へ歩いて向かっているところです。普通に歩くと1時間くらいかもしれません。
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これは携帯会社ですね。タウ十字と思って出しました。まあロンドン市内はネロの喫茶店はたくさんありますが、基本的にGやTのシンボルや3とか33とかそういうフリーメイスンリーを意識するシンボルはほとんどありません。基本的にロンドンパリでフリーメイスンリーを示すやり方はゴシック教会の白黒のシンボルか、あとはロンドンでは基本的にロッジの形のコーヒーハウス、パブなのだと思います。あとは街を歩いていてちょっとちゃんとした格好している人は大概フリーメイスンじゃないでしょうか。
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こういう歴史的記念物みたいな表示があります。もちろん私が探しているのは1717年の最初のグランドロッジを結成したという表示の看板です。
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鉄道の駅があります。
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教会跡のようです。
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セントポール大聖堂の目の前に来るとローマの遺跡みたいな頭像があります。説明が無いのでなんだかわかりませんが、フリーメイスンリー関連のようです。
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正面にビクトリア女王の像があります。(11/4追記:明らかな間違いですね。再建当時の君主であるアン女王です。)あまり感動はありませんでしたね。前日が快晴で、翌日の曇天でiPhoneがハングアップしたり、パソコンが壊れたりした後だったからかもしれません。まあそれよりも時差ぼけのせいだったのだと思います。そもそも基本的にパリ・ロンドンは観光地はキリスト教の寺院なのであまり日本人の非キリスト教徒で何か感じろというのが無理かもしれません。まあ私の場合は一応旧約聖書も新約聖書も一通り読んでいるので、パウロがどの辺で登場したとかそれくらいは知っているんですが、そもそもセントポール大聖堂はインターネットでブラザークリストファー・レンが建築したとか、最もロンドンで美しい建築とか、ダイアナ妃が結婚式を行ったとかそういう知識で、その中で床に白黒のフリーメイスンリーのシンボルがあるという事で知って訪問しようと思った建築な訳で、外から見て何かあるとかそういうのはフェニックスの形以外あまり想像していないわけです。
要するにドームを兼ね備えたゴシック建築なのだなと。まあやはり33階級という話で盛り上がっていたHouse of the Templeの場合とはちょっと意識が違ったのでしょうね。それがまたUGLEのブルーロッジの感じなのだと思います。
この時はほとんど20年前に訪問したのを覚えていなかったですね。
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こういう列柱の建築で最も印象深かったのは私の中では20年前の大英博物館でしたかね。それ以来やはり博物館には興味があるようになったのだと思います。今回はあとで大英博物館に行きますが、どうもそれほどの印象は抱かなかったです。酸性雨でかなり傷んだ影響もあるのかもしれません。ワシントンのリンカーン記念堂やジェファーソン記念堂はかなりきれいでそれでいて人も少ないので感慨も深い感じですが、どうもロンドンのものはやはり酸性雨の影響でしょうか。
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入口に白黒のタイルがあってまあほぼ目的を達した気持ちです。
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結構教会らしい表示があり、ちょっとアレみたいな感じを持ちますが、これはこれで貴重な日本で言うと神社に入っていく感じでしょうか。この時は日曜で日曜礼拝で奥の方を巡るのは出来ず、ドームに上るのも出来ませんでした。その分入場料は無料でした。
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内部は写真撮影禁止でしたが、入口から入ってすぐのところで撮りました。ホームページでバーチャルツアーがありますので参考にしてください。十字の形で白黒のモザイクが美しく、ステンドグラスが極めて美しいですが、教会としてきちんとできていて真摯な信仰を感じられるものです。
(追記:ここまで書くとあれですが、ここに入った際にちょっと物乞いっぽいワイルドな褐色の男性にYou are a good man, pray together.と突然話しかけられました。まあそういうのが挨拶であったのだと思います。まあこういうのがフリーメイスンリーでしょうか。)
ガイドの女性がいたのでフェニックスのsculptureはどこにあるか知ってますかと聞くと、sculptureの意味を知っているか、こういう篆刻を意味するんだと完全に英単語の知識を馬鹿にした感じですかされました。どうも英国の中年女性とはウマがあった事がありません。しょうがないので結局フェニックスの彫刻はインターネットで日本語で検索して場所を調べました。なかなかイギリスでも色々と大変なようです。
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再び外です。曇天ですが、フェニックスはどこだろうと探しに出ます。どうも外側にあるらしいと。
2012-10-17 21:04 | カテゴリ:イングランド
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
さてさて目的地のセントポール大聖堂に来たわけですが、ブログにも出してるフェニックスの彫刻が見つかりません。本当は無いのか?なんて思ったりもします。また最初のグランドロッジを記念した看板も見当たりません。どうもやっぱり現地にいきなり来てもわからないなとまあしょうがないから一周してみるかと周りをぐるりと一周します。
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裏の方に小さなバラ園があります。ヴェルニー公園ほどの豪華さはありませんが、きちんときれいに手入れされていて、フリーメイスンリーの象徴と言って良いのだと思います。
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MWの重ね合わせはパリでもよく見かけましたが意味は知りません。手塚治虫のMWなどにもありますが、恐らく∧∨の組み合わせと同じく対称性の構成であり、フリーメイスンリーのシンボルと同じく、基本的な接合を意味するシンボルなのだと思います。手塚治虫もそういえば11月3日の明治節の生まれで、かなりフリーメイスンに近かったのですね。また二枚目のペリカンが雛に餌を与えるシンボルはスコティッシュライト18階級で認められるでキリストを意味するシンボルです。三枚目はブドウと鳩が認められこれがキリスト教のシンボルになっているかと思います。基本的にフリーメイスンリーのシンボルを踏襲しながらも極めてキリスト教に配慮した、英国国教会を代表する大聖堂なのだと思いました。
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聖パウロの像です。パウロは十二使徒の一人でなく、イエスの生前は信徒ではなく、熱心なユダヤ教徒でキリスト教徒を迫害する立場でしたが、目からうろこが落ちる事があり、その後伝道に生き新約聖書のパウロ書簡、それぞれの地の信徒への手紙という形でキリスト教の教義を説いた人です。十二使徒のリーダーであったペテロがローマでネロ帝に逆さ磔にされた最初の教皇ですが、パウロも伝道の後にネロ帝の時代にローマで処刑されたそうです。なかなか新約聖書の内容についてはキリスト教の教義とも関わるところなので内容については深くは触れませんが、フリーメイスンリーでは福音書記者のヨハネを洗礼者ヨハネとともに尊びますが、パウロが選択されているのはどうもやはり聖書記者として唯一確実な初期キリスト教の使徒であるからかもしれません。
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これは北側の入り口ですね。
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これは3人の天使の象徴でしょうか。フリーメイスンリーのポスターにもデザインが認められたりします。三位一体の象徴かわかりませんが、いずれにしても3を強調しているものかと思われます。

フェニックスはありませんね。
2012-10-18 18:38 | カテゴリ:イングランド
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
さてさて結局フェニックスはどこにあるんだと。
誰もわかりそうもないのでしょうがないので結局iPhoneでネット検索です。
そうするとどうもテムズ川側、南側の面にあるそうです。
そいで歩いていくとすぐにあったあったと。なかなか感動がありますが、結局ネット頼りかよと。
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これが手塚治虫の火の鳥の題名ともなり、ロンドンオリンピックの閉会式のシンボルともなったのだなと。まあそういう目でロンドンの大聖堂を見た事は無かったのでなかなか感慨深いです。特にまあフリーメイスンリーの視点というほどではないですが、ブログに書いたものが実際あったという、なんというかインターネットってすごいなというところが強いかもしれません。まあ現地に行かないとわからないのがこの後です。
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反対のテムズ川を向くとミレニアムブリッジとテートモダンが一直線になっているのですね。
うーん良くできてると。やっぱりシンボルを見ると写真も良くなってきてる感じがします。
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前の通りですね。結構交通量が多いので横断に気を付けないといけません。
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おやおや変な銅像がある。この時はなんだか意味がわかりませんでしたが、ネット検索で出てきたものを参考にするとロンドン大火の時の消防士を記念した銅像のようです。どうも両手で指さして強調しているのはフェニックスのようですね。まあそれだけ実際はセントポール大聖堂はフェニックスを強調したいのです。
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フェニックスと銅像とこんな位置関係です。これは結構感じ入りましたね。それで同時にアメリカからのツアーの団体が来てフェニックスの前で説明していました。やはりアメリカはそういう感じなんですね。あらためてアメリカとイギリスの違いを感じました。うーんアメリカはこの感じこの感じ。学校でフリーメイスンリーを勉強する感じですね。
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で、これもどこかで検索して場所を調べたのでしたね。フェニックスと反対側のビクトリア女王の像がある左手の方のこれもやはりちょっと隠れた探さないとわからないところにあります。
そのちょっとした宝探しの感じ、これがフリーメイスンリーのドキドキですね。ほとんどの人が注目もしませんし素通りします。写真を撮ってる人も全くいません。
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左手の門の奥の広場ですね。グーグルアースでも何か名前も書いてありました。ギルドホールがこの先にあるようです。羊の群れを追う人の像があったりするようです。いやあ実はこの先がフリーメイスン的には醍醐味のところであったようです。次に訪問した時には必ずこっち側ですね。
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再びセントポール大聖堂です。やはり写真の切れも良くなっているようです。
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グランドロッジの記念の看板の反対側にはまた記念の看板があります。内容を読むとほぼ同じ場所でYMCAが発足したそうです。つまりそういう事です。
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これは案内版です。この左後ろにグランドロッジの記念する看板があります。ポールというオープンエアのカフェがあり人気のようです。この先には馬車か馬のなんか記念するモニュメントがありました。
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さてまあ大体この時は見た事にしてミレニアムブリッジ、テートモダンの方へ歩いていきます。
2012-10-20 02:01 | カテゴリ:イングランド
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
さてまあセントポール大聖堂周囲を歩いているわけですが、この後の話題はなかなかちょっと暗くてダークサイドな訳ですが、フリーメイスンリーにも色々な面があるという事で、ワシントンD.C.のアーリントン墓地の話とはまた違う、日本人があまり知らないリアルなフリーメイスンリーのダークサイドといえるかもしれません。

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ミレニアムブリッジからシャードの方面を望みます。テムズ川の広さと周辺の建物の概要がわかるかと思います。遠くに見えるロンドン橋がかつてはあれしかテムズ川にかかる橋が無かったそうです。右側の半球体のいわゆるvesica piscisの形の建物がGreater Londonの市庁舎であるそうで、中には美しい螺旋階段があるそうです。
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ミレニアムブリッジからテートモダンを望む光景です。なかなか美しい橋です。
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ロンドン橋を望む方向です。なかなか美しい光景です。実はこの時は全く気にしていませんがこの正反対の後ろ側の橋がかの有名なP2ロッジ事件で教皇の銀行家とされるロベルト・カルヴィが首をつって他殺体で発見されたブラックフライアーズ橋があるのです。P2事件を知らない人はナショナルジオグラフィックのフリーメイスンリーの特集VTRを見るかウィキペディアで勉強していただきたいですが、発端となった事件として就任直後のイタリア出身のヨハネ・パウロ1世が教皇就任から33日後に死亡して発見されるという事がありました。まあなかなか日本人には遠い世界ですが、基本的にキリスト教社会である欧米においてはカトリックとプロテスタント、フリーメイスンリーの関係はフリーメイスンリーの成立とも関係するような深い歴史があるものであり、現代におけるそれらを象徴するような重要な事件かと思われます。このブログで特にこれ以上取り上げるような事はしませんが、フリーメイスンリーにおける常識として概要は理解しておく事をお勧めします。
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シティオブロンドンの方向です。スウェーデンの保険会社の本社である、いわゆるvesica piscisの形である30セント・メリー・アクスというビルが目立ちます。新宿のモード学園のビルでシンボリズムを理解していればすぐにわかるかと思います。まあさすがにこれはフクロウがどうとかいう事は無いでしょう。実はこの後に出ますが、ロンドンには明らかにフクロウの形のビルもあります。
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セントポール大聖堂の方向です。実はこの時小さく映っていますが顔なしのパフォーマーが歩いてきています。匿名の掲示板のちょっとした揶揄かと思われます。なかなかご挨拶な感じです。
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さてまあとりあえず色々あるのだなという事は感じながらモニュメントというロンドン大火の記念碑があるという事でそっちのほうに歩いていきます。途中そのフクロウの形のビルを通りに映るところで写しました。strata SE1というマンションのようで、上部の三つの穴は風力発電のようです。まあUGLEが北欧の言葉でフクロウの意味があることから、知恵の象徴として、All Seeing Eyeと同様に大きな目を持った見つめる監視カメラのような印象から、シンボルとされているのかと思います。やりすぎコージーで強調していたようなイルミナティのシンボルではありません。
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モニュメントに到達します。周辺に高層ビルが立ち並んでいますので1600年代当時にロンドン大火の後に建築された時は相当の高みの印象であったものかと思われます。ウィキペディアによると高さ202フィートで62メートルあるそうです。設計はブラザークリストファー・レンとこちらもブラザーと思われますが、フックの法則で有名なブラザーロバート・フックによるそうです。ブラザーロバート・フックはフリーメイスンリーの関連ではニュートンとの確執が有名であり、王立協会で事務長などを務めていたフックはゼンマイ時計の発明や毛細管現象の発見、静脈と動脈の発見や、世界で最初に顕微鏡で植物の細胞を確認してcellの名前を命名したなど、幅広い分野にわたる万能の天才であり、同時に建築家でもあり、セントポール大聖堂の建築の重要な部分に関わっているそうです。ウィキペディアを読んでいただくとブラザーロバート・フックの多彩な業績と波乱の人生が垣間見えると思うのですが、その中で最もフリーメイスンリーに関係していそうなのはその死亡年月かと思われます。1703年3月3日であり、英語で検索すると死因は糖尿病と出ていますが、なかなか悲惨な死に方であったようです。かなり王立協会で権力をふるっていてニュートンなどとは手紙のやり取りを繰り返していたようですが、アイディアを取ってしまう傾向のようなものもあったようで、さまざまに恨まれていたというのもあるのかもしれません。死後にニュートンが王立協会で会長に選ばれ、王立協会の移転に伴ってブラザーロバート・フックの肖像が全て失われてしまうという事があったそうです。ニュートンがフリーメイスンであったかどうかという点はそれについて英語の本が出ている話で興味深いですが、基本的にはブラザークリストファー・レンにしても、ブラザーロバート・フックにしてもイングランドグランドロッジの成立前の話であり、象徴的にブラザーと呼んでいますが、いずれも現代からみてフリーメイスンと考えられるかどうかの話であり、実際に儀式を行っていたり、そういう思索的メイスンリーの活動があったかどうかは推測でしかないと思われます。要するに実際に建築を行い、実務的メイスンリーの活動を行っていた場合にはフリーメイスンであったと考えられ、ニュートンのような自然科学と錬金術などその後の思索的メイスンリーの活動の基礎を築く活動であった場合には、そのままフリーメイスンリーの基礎を築いた活動をした人という事になるのかと思われます。それらニュートンの活動のきっかけとなったのがロンドン大火であり、またブラザーロバート・フックやブラザーデザギュリエであったというのは言うまでもない事かと思われます。ちなみにウィキペディアによるとアイザック・ニュートンの誕生日はユリウス歴では12月25日のクリスマスに当たるそうです。ニュートンが神学や哲学について熱心に研究したのもそういう誕生日や名前の影響もあるかもしれませんし、万有引力の発見の逸話がリンゴという知恵の実を表す象徴で語られるのもそれら聖書のアダムとイブの逸話から反映されているのかもしれません。ニュートンのウェストミンスター寺院の墓を見る限り、フリーメイスンとして認識されてはなさそうです。
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モニュメントの交差点からやはりシャードが見えました。
この時はポンドを換金し忘れていて、現金を持っておらずモニュメントの中を登る事が出来ませんでした。
2012-10-20 07:48 | カテゴリ:イングランド
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
さてまあモニュメントを越えて歩いていくと本当はギルドホールを見てくれば良かったのでしょうが、この時は夏目漱石の倫敦塔の影響もありロンドン塔に向けて歩いていました。以前に訪問した際もあまり深い印象は無くただただダイヤモンドがたくさんあったという印象しかないわけですが、振り返ってみると今回はどうも以前に来た時よりも相当訪問の人が増えていました。積極的に観光客を増やしているというところなのだと思います。入場料も自分で全て払っているせいかどこも高いなあという印象でした。
あとはガイドツアーの音声機器がどこも各国語に対応してあって、恐らくそれらを付加する事で入場料も高値になっていて、さらに雇用も生んでいるような感じでした。
まあ観光地の事情はともかくとりあえず撮ってきた写真をもとに私が覚えている事をお伝えします。
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これはロンドン塔のすぐ手前の教会のトリニティの形の窓枠です。
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ロンドン塔の全景です。チケットが2000円くらいだったと思いますが、その購入窓口の近くから撮りました。
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どうも新しく設置されたようなライオンの銅像がありました。この他にはヒヒの銅像もありました。意味はわかりません。何となく芸術家が場所に合わせて作ったといった感じでしょうか。(王立動物園であった過去を意味しているのかもしれません。)
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古い城壁ですかね。入口の道が大渋滞です。日曜日の曇天で観光客も比較的多いのだと思います。この見学途中から本降りになってきた感じでした。この道の上で衛兵のカッコをしたおじさんの独演会があります。途中まで聞いていましたが歴史を喋っているようなのですが、妙な抑揚を付けた英語で全然分からず途中で抜けました。音声ガイドもこの時は急いでいて利用しなかったので、ここの見学は全体に良くわかりません。ダイヤモンドなどの王室の貴金属類も写真撮影禁止なので特に画像はありません。一つだけ明らかに床がモザイク模様を示した装飾品があったので隠れて写真を撮ったら監視役が寄ってきて消せと言われて仕方なく消しました。どうも同じような事が鎌倉の県立近代美術館でもあったような思い出がありました。まあ写真ブログなので写真が無いところは基本的にスルーする事になるのは致し方ありません。イギリス王室関係は非常に写真禁止が多かったです。フランスはオルセー美術館のみでしたが、イギリスではこの他にもバッキンガム宮殿や国立美術館など長い事見学しても写真がゼロだとどうしてもブログには反映されません。しょうがありません。経営の方針という事であまり公開の理念とは関係ないかと思います。
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日本で言うとそれこそ江戸城跡、東御苑といった感じでしょうか。もしくは京都御所、二条城といったところでしょうか。
漱石の倫敦塔にも詳しく書かれていましたが、英国史的にはヘンリー8世とかアンブーリン(エリザベス女王の母親)の処刑とかが重要なのでしょうか。結局ワタリガラスの伝説も含めて、王制の限界をヘンリー8世の挙動が示してフリーメイスンリーの運動とともに英国に議会制民主主義の伝統が生まれていくきっかけとなったその王の愚行の象徴なのだと思います。どうも何度行ってもロンドン塔は好きになれません。やはりそれがフリーメイスンリーと反対の象徴なのからかもしれません。
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倫敦塔に書かれていたワタリガラスです。結構大きくて1羽だけいました。わざわざ衛兵に聞いたらこれだと教えてくれました。
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これが衛兵さんの写真です。この奥がアンブーリンなどの囚人の部屋とか、なんかここで幽閉された王が暗殺されたかどうかどっちと思うかとかアンケート形式のリアルタイムで投票数がデジタル表示されたものがある狭い部屋がありました。何となくフランスの鉄仮面伝説や最近読んだナポレオン3世の脱獄のイメージでしょうか。そういうのはイギリスの方が実際は数は多いのかもしれませんが、現代にあまり壮絶なイメージを残さないように処理しているのかもしれません。ワタリガラスのロンドン大火の伝説にしても腐肉を食べて数が増えたとありますので、そういう操作は実際あるのだと思います。ロベルト・カルヴィの話もそうですが、ロンドンの実際の陰鬱さはそういった世界の裏側の話とも無関係とも思われません。それがまた日本の江戸城や京都のイメージともぴったりあう部分もあり、良く言うようにやはり島国の特性なのかもしれません。まあそれらの対比として王室のダイヤモンドなど貴金属類をおいてあるのでしょうが、あれは本当に毎回見ても意味がわかりません。ガラスケースの中でダイヤモンドを見る鑑賞方法に問題があるのでしょうが、恐らくダイヤモンドの本質的な価値に由来するのかと思われます。どうも観光客へのサービスと、デヴィアス社の意向もあるのでしょうが、以前より展示の数が増えている印象でした。そして以前もそうだったと思うのですが、特に王室関連のダイヤモンドは写真が駄目なのですね。まあそういうところだと思います。
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さてまあ人が増えた位で以前と一緒だなと考えて早々にロンドン橋のほうに向かいます。この辺は行った、見たという確認のようなもので、意味はよくわかりません。今考えるとギルドホールに行った方が何倍も面白かったでしょうが、まあしょうがありませんね。
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ロンドン橋ですね。イングランドの旗とユニオンジャックが2つかかっていたかと思います。内部の見学もできましたが雨が本降り状態となっていて、ポンドを持っていませんのでカードで見学は無理そうだったのでしませんでした。ロンドン橋は川幅の広いテムズ川にかかる過去の恒久的な唯一の橋であったという事で、石工の技術が生活や政治の大部分を規定したロンドンという都市のロンドン大火と同等レベルの象徴であるかと思われます。要するに石工の技術が認められ、地位を向上するいくつものきっかけの重要な一つであった事は間違いないかと思われます。現代的にはそういう象徴としての価値の他はあまりないのだと思います。
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ロンドン橋からロンドン塔を望んだ図とミレニアムブリッジ、ウェストミンスター方面です。ブラック・フライアーズ橋も写っているかと思います。
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ロンドン橋の全景です。跳ね橋になっていたり当時の技術の粋を込めた感じがします。確かにテムズ川は下水も何でもかつては流したロンドンの防衛や物流、都市の構造の中枢を成したものであった感じがします。
もちろん現代の生活での重要性は極めて当時に比べて低くなったものかと思われます。東京で言うと東京湾のような感じでしょうか。
雨が本降りとなってきて傘を買う人が増えてきました。ちょうど午前も中頃となりカフェは大混雑のようです。気楽な一人旅ですがまあこういうときも移動しないわけにはいきません。時間が限られていますので

そういうわけでこの後はロンドン橋のたもとの船着き場から以前に行かなかったグリニッジへ向かう事とします。もちろんアンダーソン憲章やこのブログでも触れたブラザーイニゴー・ジョーンズの建築というものを確認しにです。
2012-10-20 11:00 | カテゴリ:イングランド
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
さてさてやさてまあという書き出しが多いようです。
さてまあテムズ川の川遊びです。この後のテムズ川の周遊はやはりロンドンで一番良いところのようで、この内容をさっき書いていてFC2ブログがちょうどハングアップしてしまいました。まあそれだけ良いところなので慎重に書けよという事かと思います。
観光客で乗る人は比較的少ないのでしょうか。この日は雨であった事もあり少ない印象でした。
また乗客はほぼ高齢者の地元のイギリス人が多いようで、実際ロンドンで料金もそれほど高くなく、気分転換にも良い気持ちも落ち着く穏やかな良い楽しみなのかと思います。
横須賀でも軍港めぐりは人気のようですし、短い時間の舟遊びというのは江戸時代から変わらぬ穏やかな落ち着いた庶民も貴族も問わぬ人類共通の高級な遊びのようです。
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船着き場の表示です。ロンドン橋のたもととグリニッジとウェストミンスターのロンドンアイの反対側の三か所が船着き場のようで、それらの往復を利用して1500円程度であったと思います。まあ正直このロンドン・パリの旅の間で一番心地よい時間であったかもしれません。
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乗客はこんな感じで高齢者の現地のイギリス人と思われる夫婦が多いようでした。もしかするとほとんどフリーメイスンであったかもしれません。帰り道ではほぼフリーメイスンと思われる年上の男性とマンツーマンで会話も無くそばにいてなんだか変な感じでした。変なブラザーが日本から来たぞと大分問題になっていたのかもしれません。
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河岸は住宅地や船着き場など大都市とは思えない落ち着いた雰囲気で、景観の決まりがあるのかと思いますが、一部の土地以外は高層建築は無く高さ制限があるようです。住宅地の河岸の中央にいきなりオベリスクがあり得した気分です。何の建物の集合なのでしょうか。やはりクレオパトラの針の影響は大きいのかと思います。
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グリニッジの船着き場が近づいてきます。中には帆船が置いてあり、ノアの箱舟のシンボルとなるなかなかロンドンに来て白黒のチェッカー以外でほぼ最初かもしれないフリーメイスンリーの定型とも言えるお決まりのシンボリズムです。期待が高まります。
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さて上陸です。
2012-10-21 07:38 | カテゴリ:イングランド
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
さて題名をちょっといじりました。
グリニッジに上陸しますが、まず目につくのがやっぱりオベリスクです。
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ニュージーランドの海軍を顕彰した記念碑のようです。グリニッジのこの施設が海軍大学であるという事もわかります。まあ日本の横須賀の防衛大学校みたいな感じでしょうか。要は歴史を学ぶ場のようです。実は私もニュージーランドは行った事があるのですね。島国で南半球で日本やイギリスとちょうど対称の配置という事なのかもしれません。地理学は大事なのですね。
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恐らく海軍の人を顕彰しているんでしょうが、ちょっとこの写真ではわからないですね。どこかで調べてみてください。恐らくほとんど全てフリーメイスンだと思います。
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これも恐らくフリーメイスンを顕彰したオベリスクのようです。まあどうもオベリスクだけで3本もいきなり見てしまったのでちょっとクレオパトラの針の期待がちょっと減ったような。実は帰ってきてから確認したのですが、横須賀にもさらに巨大なオベリスクがありました。やっぱり海軍ですね。後ろに見える高層建築のユダヤ教の帽子キッパーの形をした建物が印象的です。ニューヨークにもありましたがユダヤ教を象徴する建築かと思われます。なかなか建築も面白いですね。
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キーストーン、要石を強調した美しい建築ですね。キーストーンはフリーメイスンリーのシンボルです。ヨークライトの第7階級のロイヤルアーチの象徴です。シンボルのローマ字の意味は調べてみてください。
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フリッカーのこの対称形の画像を見て美しいので訪問しようと思ったのでした。ただ実際には天気が悪くて、さらにオリンピックの馬術競技の会場であったらしく、その後片づけをしていました。まあ色々しようがありません。美しい映像はフリッカーで検索してください。出来れば現地に行かれる事をお勧めします。
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この地の重要性を物語る記念碑です。ヘンリー八世、メアリー女王、エリザベス女王の生誕地なのですね。まあ色々逸話があり、名前の混乱などあるかと思いますが、大英帝国の最も基本的な歴史かもしれませんので、日本で言うと関ヶ原の戦いとかその辺の逸話のようなものでしょうか。
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これは何の像でしょうねえ。中央に置かれているので意味があるのかと思います。
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十字の形をして左正面右後ろを順に撮ったのですね。美しい完全な対称形をしています。
美しい建築ですが、後で知ったのですがブラザーイニゴー・ジョーンズの建築ではないそうです。
極めて美しい建築ですが、ここで写真を撮っている人は少ないです。バチカン市国のサンピエトロ広場に匹敵する構成をイメージしている感じでしょうか。
2012-10-23 20:21 | カテゴリ:イングランド
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
さて間があくと忘れてしまうかもしれないロンドン・パリのフリーメイスンリー旅行記です。
ロンドンのテムズ川を川下りしてグリニッジに到着してクイーンズハウス、クイーンメアリーとクイーンエリザベスが生まれた土地を巡っています。前回出した対称の建物の向かって右側の建物の中に入っていきます。海軍大学の講堂として使われているようです。実際に中に入るとフリーメイスンリーの会堂かなという感じです。
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なにやら素晴らしい天井画と壁画ですが、どうも絵の意味は全くわかりません。床は白黒の幾何学模様です。一応海軍大学の講堂という形になっています。ワシントンD.C.の合衆国議事堂の原型のような感じでしょうか。
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とにかくはっきりした解説が無いので何が書いてあるか全然わかりません。ブラザーイニゴー・ジョーンズの絵がどこかにないかと入口にいた人に聞いたら、この建物はブラザーイニゴー・ジョーンズが建築していないのでその像は無いとの事でした。なかなか難しいですね。(10/24追記:ブラザークリストファー・レンによる設計のようです。海軍の戦傷者の為の病院であったようです。)結局壁画や天井画の図案や誰が書いたかも良くわからないままでした。(10/25追記:ブラザージェームズ・ソーンヒルという晩年のニュートンの肖像を描いたフリーメイスンが描いたようです。英語版ウィキペディアにありました。)この建物の反対側の向かって左側は教会になっていて、日曜の礼拝中であり写真撮影は禁止でした。日曜はどこも礼拝をやっていましたね。
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完全に対称性の配置なのですね。まあ是非一度訪問する事をお勧めします。そして上陸した側の右手の方に戻ると国立海事博物館があります。入口にはフリーメイスンリーのシンボルの碇があります。
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中はなんだか遊園地のような博物館というよりもデパートの屋上のような作りです。どうもおかしいなあと。クイーンズハウスはどこだろうと探します。途中いかにもフリーメイスンの像のようなものがありますが、詳しくはわかりません。旧邸をガラスと金属の覆いで覆ったような構造になっています。クイーンズハウスは保存されているのかなあとか色々考えます。どうも子供向けの展示のようで何やらおかしな感じです。食べるところがあってそこで食べて満足みたいな雰囲気になっていました。
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奥の方のあまり人が来ないところに突然四元徳のステンドグラスがありました。おー完全にフリーメイスンリーの聖地だと思いましたがどうも妙な展示で解説を読むと何やらテロで爆発があって完全にステンドグラスが破壊されたのを完璧に修復したのだと。ホンマかいなと。何やらちょっと複雑なイギリスの様々な現代のフリーメイスンリー事情がある感じでした。

しかしなかなかクイーンズハウスに行き着きません。どこにあるんだろう。やっぱり結局iPhoneの地図で見たんでしたかね。
2012-10-25 00:01 | カテゴリ:イングランド
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
さてちょっと無理やりですが3回でクイーンズハウスは終わりにします。
先ほどの国立海事博物館の左隣にクイーンズハウスはありました。
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おー見つけたと。やはりインターネットで見る景色は正確というか印象に強いですね。まさにそのままという感じでした。すぐに白黒の傘をさしたかなり女性が若い感じのカップルが来ます。どうだという感じのまさにフリーメイスンという感じです。なかなかおしゃれな傘でどこかで売っていたら買おうと思いましたがどこにも売っていませんでした。まあホントに英仏ではフリーメイスンリーといえばこの白黒の感じでしたね。
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ロンドンオリンピックでの馬術の会場であったそうです。ここで法華津選手や武田製薬の社長の娘さんが馬術の競技を行ったのですね。どうも武田製薬はその後ライオンズクラブ関連のシンボルを商標でアピールしているようです。国内一位の製薬会社ですが、三角のピラミッドのシンボルマークは国内でしか使っていません。
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この辺は天気も悪いので正直フリッカーの写真の方がきれいです。まあそれと同じ光景という事で目的地だと確認されます。
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この対称性の美、機能性、実用性というものは是非英国の美意識、思想、フリーメイスンリーの思想の源流を理解するためにも多くの方にお勧めする光景かと思います。それほどこういう完全な対称形の建築物というのは多くないと思うのですが違和感が無いのですね。
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建物の正面地下の入り口に立派な要石のあるアーチがあり、ちょっと狭くなっています。左手の方に納屋のような塗り壁の場所があり、ここはちょっと古い感じの部屋です。そこから有名な螺旋階段があります。そして登るとすぐにフリッカーで出てくるチェッカー模様の大理石の床面の中央の吹き抜けの部屋です。
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天井や床の模様ですね。有名なチューリップ階段と呼ばれる螺旋階段の光景です。ブログのヘッダー画像にも使っています。是非一度行かれる事をお勧めします。
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やはり今回のロンドン・パリで見たチェッカー模様の中で一番美しいものかと思います。ここの床を見るとその当時この模様が最新の流行であり、この模様を次々に石工達が最も重要な模様として取り入れて真似ていったのが理解される気がします。美しい幾何学模様で単純でいて世界を表現していて、普遍的であるかと思われますし、視覚そのものに最大の刺激を喚起するような合理的なものなのだと思います。
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美しい天井画があり、グリニッジ宮殿の一部として建てられたこの建築が、当時敬虔なカトリックの王国であった際に王家の屋敷そのものがカトリックの教会と同じ建築で作られているという、信仰の証として、また子女のキリスト教の教育の端緒として存在した事が伺われるものかと思います。壁画も王室関連のものと海軍関連のものがありました。上のものはカトリックの司祭たちの会議の様子でしょうか。
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王室関連の絵画の見学をしているとさすがにヘンリー8世はわかるようになるかと思います。
ヘンリー8世の時代に英国国教会が成立するわけですが、ヘンリー8世は稀に見る賢い君主であったそうで、結婚しては離婚して処刑してしまうという事を繰り返しましたが、それは絶対王政の限界であったというのが実際のようです。この後フランスでヴェルサイユ宮殿で同じ絶対君主のルイ14世の作った庭園を見学しますが、いずれにしても独裁君主の近代国家における限界、そういうものをそれぞれの国のそれぞれの絶対王政は示す事でフリーメイスンリーの基本思想である民主主義、参加者による合議制というシステムの優越性が示されていったのかと思われます。まあそもそもそういう絶対王制を支える帝王学とも言うべき、絶対君主の生育環境や君主のキリスト教の教育そのものに現代のフリーメイスンリーの原型が含まれていて、それらが具体的に君主が人間的な限界を示した際や、外国勢力との武力闘争や外交交渉の間で、様々なシステム的な経験や蓄積を重ねていき、最終的に組織としてのフリーメイスンリーとして結実していったのかと思われました。クイーンズハウスはそれらの実務的メイスンリーの時代の根幹を成す合理性、規則性、対称性という科学的思想の萌芽とも言うべき数々の法則性を見事に具現化した、まさにイギリス絶対王政を支えた実存する帝王学であるかと思われます。
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まさに神と人間を結び付ける旧約聖書のユダヤ民族最大の繁栄の象徴であるソロモン宮殿の建築と同じく、建築によって住む人間の全ての感覚を磨きあげ、五感に訴えかけ、この世の神が司る法則性、規則性を体感するための目的を達成しえた建築かと思われます。
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大英帝国の繁栄もこれらブラザーイニゴー・ジョーンズやブラザークリストファー・レンの建築から始まったと言っても過言ではないのではないでしょうか。それほど彼らの建築が与えた影響というのは大きなものがあったかと思いますし、そういったものが大きな象徴となり、ニュートンや王立協会を中心とした科学の発展に繋がったものかと思います。
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実際にこういう極めて厳密な対称形の建築物が重要な場所にあるかないかという事だけでも、科学的思想や自然法則の完全性という基本的な考え方や物の見方が出来るかできないかという事で違ってくるのかと思います。
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国立海事博物館の入り口の王室の紋章です。博物館の裏にあったバラです。フリーメイスンリーの象徴ですね。イギリスでは王室の象徴そのものでもあります。

この後はグリニッジ天文台に向けて丘を登っていきます。
2012-10-25 20:27 | カテゴリ:イングランド
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
さて世の中は日本の選挙も近い事もあって色々騒がしいようですが、当ブログは当分浮世離れしたフリーメイスンリーのロンドン・パリ巡りです。
日にちの話題が好評だったのでしょうかねえ。あまりエキセントリックに反応しないようにするにはフリーメイスンリーに慣れるという事が最も重要な事かもしれませんね。聖書の文言に慣れるみたいなところも似ている感じがします。

本編の方は色々考えた渾身の副題です。東と西の邂逅にかけたダジャレですが、常に東と西が接している場所、子午線の地という事で、実は東と西に地を分けるものはここにあるのだという比喩も入っているわけです。それはワシントンD.C.のホワイトハウスとHouse of the Templeを結ぶ線の北にあるメリディアンヒルパーク(子午線の丘公園)とフランスの象徴であるジャンヌ・ダルク像を結ぶ線とも関係していると思います。

グリニッジはクイーンズハウスのついでに行ったわけですが、想像以上にフリーメイスンリーの地でありました。ニュートンやブラザーフックなどの王立協会のメンバーが常に望遠鏡で星星を観察し、それらから世界の動きや成り立ちを想像し具体的に検討していった様子はまさにフリーメイスンリー最大の象徴でもある星星のシンボルや、太陽と月のシンボル、十二星座や天球儀、地球儀といった基本的なシンボルのルーツとなっているものかと思われます。アメリカ系フリーメイスンリーの重要なシンボルであるGのシンボルもGod, Great Architect of the Universe, Geometryの頭文字の他に、Geography(地理)やGravity(重力)の意味もあるとされ(天球儀も一つの地理であったかと思います。)、それらの元になるニュートンのプリンシパルの元となる天体観測(実際には理論と異なっていてニュートンは怒ったそうです。)やそれらの観測に基づいた仮説を議論し合ったであろう地がこのロンドンから少し離れたグリニッジです。元々ロンドン塔に観測所が設けられた時代もあったそうですが、ロンドンから少し離れたこの地の丘が観測にもまた観測結果を持ってシティーのギルドホールに持ち帰るにも良い場所であったものかと思われます。

まあいずれにしてもクイーンズハウスのついでという事で、まあグリニッジに来た人が全員訪れるのだと思いますが、結構な丘で繰り返しになりますがポンドに換金するのを忘れていて飲み物も買えず、脱水で倒れたりしないだろうかと時差ぼけも加わりつつ丘を登ることとなりました。
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これは国立海事博物館の裏にあったグリニッジの地図ですね。子午線が書かれています。この地図だとすぐに着きそうですが実際には15分から20分ほど丘を登る事になります。
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これも国立海事博物館の裏にあるモニュメントですね。かなりオシャレな感じです。一応フリーメイスンリーのノアの箱舟のシンボルになるのかと思います。
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これは海軍の将軍みたいな人の石像です。恐らくフリーメイスンでしょう。
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いかにもな感じのパブがあります。グリニッジの町並みはロンドンとはちょっと違って落ち着いていて、観光地っぽい観光客向けのパブやレストラン、お土産屋さんがあります。非常に落ち着いていて、明るい感じで良い場所です。ゆっくり歩いて見たい感じもありますが、恐らくフリーメイスンリーのロッジが多くあるそういう影響かと思われます。
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この地図はかなりリアルな感じです。山一つが天文台という感じです。オリンピックの馬術競技の会場であったそうで道路もその名残の金網や色々な仕切りがそのまま大量においてありました。なかなかリサイクルのオリンピックといっても、会場の撤去や再利用は実際には時間のかかる厄介な仕事であるようです。
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結構な坂でしたが自転車で登る人もいたりなんかします。まあイギリスの地元の人が多いのかもしれません。歩いて登るしかないようなので高齢者は結構難しいかもしれません。それでもそれだけの価値はある場所かと思います。
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ブラザークリストファー・レンによる建築と思われます。天文台の中央はいかにもAll Seeing Eyeのシンボルの形をしています。
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現在ロンドンで唯一のプラネタリウムがあったりします。一日いても良いようにできている土地ですが、まあ外国からきている人はなかなかそうもゆっくり滞在はしないかと思います。ブログを検索するとどこのブログでもグリニッジの評判は良いようです。ただフリーメイスンリーについて書かれたものはなさそうですね。是非そういう目で科学の萌芽と大英帝国の帝王学を学び伝えた地としてフリーメイスンリーの聖地とも言えるグリニッジを訪問してはいかがでしょうか。

次回はグリニッジの子午線と望遠鏡、65億円をかけて焼失から復元したカティー・サーク号の帆船を見ていきます。まあ普通の観光案内ですが、それらがただ単にフリーメイスンリーのシンボルというだけです。

カティー・サーク号とかそういうのも今ブログを調べて知りました。
訪問した時はシンボルかどうかとしてしか見ていません。
2012-10-27 14:41 | カテゴリ:イングランド
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
ああ、東は東、西は西、二つが共に出会うことはない、/大地と空とが神の大いなる審判の座の前に立つに到るまでは。/しかし、東も西も、境も、人種も、生まれもない、/地のそれぞれの果てから来た二人の強者が顔を合わせるそのときには。--ラドヤード・キップリング「東と西のバラード」

Oh, East is East, and West is West, and never the twain shall meet,
Till Earth and Sky stand presently at God's great Judgment Seat;
But there is neither East nor West, border, nor breed, nor birth,
When two strong men stand face to face, though they come from the ends of the earth!

ああ、東は東、西は西、二つが共に出会うことはない、/あなたが天文学者が扱った子午線の地を訪れるまで、
/しかし、東も西も、境も、人種も、生まれもない/少数の旅人が真のシンボルの意味を知り、それらが地上で最も価値があると考えるときには。

Oh, East is East, and West is West, and never the twain shall meet,
Till you visit the place of the meridian that astronomers treat;
But there is neither East nor West, border, nor breed, nor birth,
When a few travelers recognize true symbol meaning, so they value them the best on the earth!

完全なダジャレですがブラザーキップリングの詩の意訳とも改変ともとれるものを作ってみました。
子午線のシンボルというのは実物を目にするとなんとも非常に象徴的で、感慨深いものでした。東西冷戦の終結や西洋や東洋といった言葉が当たり前になった現代で、そのまさに厳密な意味での地球を東と西に世界を分けている線というのは、それが持つ地理学的な意味だけでなく、それらが世界を分けている、東か西か、敵か味方か、勝者か敗者かと分けているというそういう事も含めて分けている線、分ける判定をするのがこのロンドンの地にあるという感慨を持つものでありました。それは言い換えればそういう物事を分ける線、判断基準というものが常に象徴であって、自分の中にあり、その線というものを自分の中に持てるという意味にもなろうかと思います。シンボルというものは偶像ではなくあくまで教訓を象徴するものであり、そのシンボルの意味するものが常に自らに存在する事を確認するための道具であり、大事なのはそれらシンボルの意味する事を理解しその中で自分自身をコントロールして高めていくのだという事だと思います。

さてまあややこしい話はさておき、それくらい誰でも感慨を持てる象徴的な地であり、それくらいそういう天文学者、フリーメイスン達の歴史を簡単に感じられる地というのがグリニッジ天文台であったのだと思います。
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プラネタリウムがあるのですね。面白そうですが、時間が無いのとお金を持っていないのとがあるのでちょっと立ち寄れません。
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クイーンズハウスと海軍大学を見下ろす光景です。完全に馬術の会場が邪魔になってしまっています。美しい光景はフリッカーの画像でお楽しみください。こういう中途半端な感じが実際の旅です。
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ジェームズ・ウルフという陸軍の軍人のようですが、七年戦争や、カナダでの戦争で活躍した方のようです。恐らくフリーメイスンだと思われます。
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子午線があります。実はこれは入場料を払う前に柵の間から撮ったもので、入場料が1000円くらいだったかと思います。皆単に子午線の上をまたいだ写真を撮りたいがためだけに入場料を払う感じでした。
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で、まあカードで入場料を払ってこんな感じです。
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風見鶏が変わった形をしています。
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初期の望遠鏡でしょうか。
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ブログのヘッダーにも使っていますが、わざわざ子午線上に望遠鏡が存在します。ここの観測所の結果が世界最良最高のものであり、世界の基準であるという象徴なのでしょうが、そういう時代があったのでしょうね。しかし子午線上で観測する意味というのはちょっと良くわかりません。単純に当時最も良い望遠鏡がある場所を子午線にしたというのが実際なのかもしれません。
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懐中時計や砂時計の展示があります。ほとんどの人は中を見ていません。イギリス人のリピーターが多いのでしょうか。かなり貴重な展示と思われました。私もだいぶフリーメイスンリーのシンボルが入った時計を持っていますので、非常に興味深かったですが、じっくりと見る時間も無く大急ぎで周りました。フリーメイスンリー関連のグッズではやはり過去において懐中時計の類が最も好まれた歴史もあるようです。Dudleyの時計などがワシントンの展示ではありました。天文観測や気象観測において正確な時間の記録というものは重要であり、またそういうブラザーフックのねじまき時計から始まるフリーメイスンの時間に対する嗜好というものも反映されているものかと思います。砂時計はそのままフリーメイスンリーのシンボルであり、それは転じて時計の意味というところにも反映されるかと思います。グリニッジ標準時が時間の基準であり、それに関する展示であると思われます。
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たしか螺旋階段を上るとこの28インチ望遠鏡がありました。床がチェッカー模様になっていてまあそれだけ最初の王立天文台として最近まで観測を続けた、力を入れた象徴なのだと思います。恐らくテレビ画像が現在この望遠鏡で観測できる図というものなのだと思います。ウィキペディアによれば1990年まで観測していたそうです。
2012-10-27 15:10 | カテゴリ:イングランド
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
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まあちょっと感動して曇天ながらユニオンジャックがあったので撮りました。
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グリニッジ標準時の表示と、長さのヤードやフィートの基準でしょうか。こういうのも国の長さや重さの基準とフリーメイスンリーの組織と関係しているのかもしれませんね。
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下るときは早かったですね。
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いかにもフリーメイスンリーのシンボルという天球儀と地球儀のようなものがありました。どちらも地球儀なのか、経線の数が違うのかわかりませんが、まあどう見てもフリーメイスンリーのシンボルですね。
さてグリニッジは大体終わりでしょうか。ちょうど昼頃になってきてレストランが混雑する時間となっていましたが、なにせポンドを持っていないのでなんとかカードでやりくりしたいのと、ウェストミンスターの方も一日で周っておきたいと思っていたので食事もとらないで水とガムだけカードで買って行く事にします。
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なんだかよくわかりませんが記念艦を元にしたレストランでした。カティー・サーク号という有名な帆船であったようです。恐らくスピードを競った時代の最速の船であったのではないでしょうか。失火で焼失して65億円をかけて再建したそうで、良くわかりませんが相当の裏事情があった事は想像できるんではないでしょうか。立派なシンボルです。(ウィキペディアに詳しく書いてありました。なかなか面白い逸話です。以前から私は自説で紅茶はお茶が輸送中に劣化してしょうがないから皆紅茶なのではないかと思っていましたがそれに近い内容かと思います。中国とヨーロッパとの関係もあるのでしょうが、おいしい緑茶や烏龍茶がヨーロッパでも飲める時代が来るのは良いのではないでしょうか。カティー・サークの名前はブラザーロバート・バーンズの詩に由来するようです。なんとも良い町です。)
さてまたもや川下りの船に再乗船します。歩かないせいかこの船の中が一番落ち着いていた印象です。買ったガムもフリーメイスンリーのシンボルで驚きました。
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グリニッジはロンドンとはまたちょっと趣の異なった、フリーメイスンリー尽くしの街でありました。

さてこの後はウェストミンスター周辺でロンドンアイに向かいます。
2012-10-28 06:54 | カテゴリ:イングランド
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
まあちょっと大分間延びした感じになってきましたね。
今回の旅行は写真を見ても全体的に枚数が多いけど曇り空が多いせいもあってあまり良い写真が多くないですね。どうも前回のワシントンD.C.と比べるとiPhoneの写真機能自体が劣化したような気もします。あまりに情報量が多いのも困りものなのかもしれませんね。ワシントンD.C.の写真はブログで見せるつもりはなくて撮っていたので枚数も少ない代わりに証拠写真みたいにピンポイントで撮っていた感じだったと思います。いわゆるスマートフォンで変わった事の一番は実はこのブログに載せる写真が世の中増えたという事かもしれません。後は地図機能だと思われます。

さてまあ2日目のロンドンですがとにかく良く雨が降りました。確かに多く雨に降られましたがまた行きたいという思いは現在感じています。20年前はもっと冷たい雹にストーンヘンジで降られて、あまり何度も行きたいと思いませんでした。今回はそれほど寒くなかったのと、食べ物も比較的おいしくなっていて、何よりフリーメイスンリーがそこらじゅうにあるので何度も行きたいという思いはします。それもこれも時差ボケを忘れてきたからだと思います。また20年前と比べてフリーメイスンリーやキリスト教について大分自分が理解したというところもあるかと思います。20年前は圧倒的な文化文明の差に息がつまるといった感じであったと思います。現在はやはり核のところで差を感じる事は当然ですが、インターネットにしてもフリーメイスンリーにしても、マスメディアにしても世界中あらゆるところと繋がっている感覚があると思いますので、人間社会の差をそれほど強くは感じなくなったのかと思います。

まあいずれにしても旅行は知らない土地であればなおさら予習復習が大事かと思います。ブログに載せる事は非常に良い復習になるかと思います。まだ行った事が無い人にとっては予習、行った事がある人にとっては復習、自身にとっては復習と良い訓練かと思いますので、ちょっと間延びした感じでも随時写真に応じて解説を加えていく形にします。

というわけで3回シリーズの枠になるようにちょっと間延びした写真の構成です。
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テムズ川から撮った雨のロンドン橋とシャードですね。まだ色々建築中な感じなので、新しい建物がどんどん増えるみたいです。
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記念艦のベルファストです。なんだか検索すると内部を詳しく写真を載せているブログがあってなかなかおもしろかったですが、完全に軍事オタの人のブログでした。蝋人形があって展示が良くできているのですね。こういうプレゼンが出来るのが海軍がフリーメイスンリーのイギリスでしょうか。まあ世界の海軍関係の人の訪問が多かった時代に支障の少ない艦を公開していたというところなのかと思います。戦艦三笠もイギリス製ですからね。博物館は基本的にはネットショッピングの写真と同じで販売用のカタログです。
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まあ日本も皇居前のかつてGHQに接収された明治生命館なんかも石造りでありますが、石造りの建築だと基本的にITに対応できないんですね。配線がどうしてもそこらじゅうに露出しますから。近代的な空調と配線が可能な建築が早急にたくさん必要なんだと思います。それらとフリーメイスンリーの伝統との兼ね合いがありますから、高層建築がいずれもシンボルの形になるのだと思われます。まあなんだか興味深いところです。
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ホントにうまい事ブラックフライアーズ橋は撮っていませんでしたね。橋脚だけ横に並んでいて印象的な橋でしたが、当時は事件の事は全く頭にありませんでした。まあグーグルアースでもブログでも見られるので見られると良いかもしれません。一番詳しいのはナショナルジオグラフィックの動画であるかと思います。そういう知識を持って「天使と悪魔」や「ゴッドファーザー」などの映画も見ると興味深いかもしれませんね。むしろそういう映画というのが正しいのかと思います。
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王室のかつての一族の写真がありました。もちろんダイアナ妃の結婚前ですね。ダイアナ妃もパリで亡くなっていますしウィンザー城の火事もその前のようですし、相当背景があるのでしょうね。新しいウィリアム王子の奥さんのキャサリン妃もフランスでヌードを撮られたりしていますし、ブラザーエドマンド・バーグの「フランス革命の省察」ではないですが、英仏海峡の間には様々な駆け引きが常態なようです。ナポレオン3世の話などでも色々あったようですし、ブラザーディケンスの「二都物語」も基本的にはそういう陰謀の話ばかりのようです。すごい海峡です。
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まあえらい雨に降られましたが川下りはお勧めですね。まあいずれにしてもロンドンは良い街です。

あと船の中では明らかにフリーメイスンのブラザーと会話もせずほぼマンツーマンで一緒に座っていました。グリニッジの反応とか見られていたのかもしれませんが、やっぱり色々再開発していてその反応が気になったのかと思います。明らかに高層ビルが増えてかつてのロンドンの街の印象とは変わっていましたからね。かつてであれば川下りの遊覧船に簡単に乗れない雰囲気であったかと思います。
2012-10-28 08:16 | カテゴリ:イングランド
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
さてまあこのブログが日英同盟、日欧友好、世界平和に貢献できればという志でやっていますが、実際には単なる観光案内ですね。ロンドンは雨が多いのかと思いますので、雨の写真もまた良いのかもしれません。
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さてわかりますでしょうか。
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クレオパトラの針ですね。これは見たかったんですねえ。以前に来た時はそんなものがあるとは一切知りませんでしたから。大英博物館のエジプトのミイラを見るよりはこっちの方が良いですね。まあ基本は同じ持ってきちゃったものですが、その思想というか太陽信仰とかキリスト教の象徴となりますからね。まあ曇天というか雨天です。まあこれだけ雨雲だと感動はさすがにありません。
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手前の窓ガラスに焦点が合っちゃうんですねえ。しょうもない写真です。
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ロンドンアイです。美しい正円形です。ロンドンオリンピックでもシンボルとして閉会式でミニチュアが認められました。子午線のシンボルとなっていたようです。開会式閉会式の動画はきれいな画像でYouTubeで見られるようです。いろいろ詳しく見られると新しい発見があるかもしれません。恐らくこれまでのオリンピックで最良のものであった事は間違いないかと思います。日本で出来たら最高ですが、お金もかかるし、何より東京はスポーツをするには空気が汚すぎます。
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すごい雨の写真です。そういえばこの後通るトラファルガースクエアの後ろの方の歌劇場ではSing in the Rainを公演していましたね。まあ基本雨が多いロンドンです。(実際には降雨量は少ないようです。にわか雨が多いのでしょうね。)お出かけの際には折り畳み傘をお忘れなく。
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さて上陸です。この目の看板が公共交通機関のところに結構あります。結構シンプルな感じで出す感じですね。やっぱり国によってシンボルの感じも違います。
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なんでこんなもの作ったんだろうと思いましたが、まあ色々再開発の流れや経緯があるようです。乗ってみて場所の理由はわかりました。
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かつてはすさまじく感動して眺めたビッグベンでしたがねえ。アメリカの議事堂を見たときよりはるかに感動はありませんでしたねえ。二度目だからでしょうか。雨天のせいもあるかもしれません。周囲の観光客の感動具合は大体すごいですけどねえ。オベリスクとして見ちゃう気になるとさすがに感動は無いですかねえ。何か神様をモチーフとした銅像だと思いますが、戦勝記念かなんかでしょうかねえ。イギリスは大概戦勝記念ですね。(ブーディカの銅像というそうです。ローマ時代AD60頃のケルト人の女王だそうです。ヴィクトリア女王と同じ意味だという事で象徴のようです。本当でしょうか。)
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こっちの方が感動しましたね。どう見てもフリーメイスンリーのシンボルの紋章と3の強調ですねえ。うーんやっぱりウェストミンスターはフリーメイスンリーに操られていたかと。まあ当たり前ですね。(2013/4/7追記:これはAとMの組み合わせでAuspice Maria、聖母マリアの保護という意味で聖母マリアを礼讃しているシンボルとなるようです。もちろんカトリックに対してそう説明するだけで∧∨の組み合わせのシンボルであることは間違いありません。)
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内部の見学ツアーもあるようですね。ワシントンD.C.の議事堂の見学ツアーもありますし、是非今度は内部の見学ツアーを回りたいですね。美術品も良いですが、政治の場の見学も面白いかもしれません。
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trinityの模様ですね。信仰深い形をしているのですね。まあイギリスで信仰深いってのもちょっとどうなのかわかりませんが。フリーメイスンリーのシンボルというのが合っているかと思います。ロンドンアイのふもとは水族館なのですね。イギリスで水族館の意味は良くわかりませんが、水族館が非常にフリーメイスンリーのシンボルと関係している事を考えると、この水族館は非常に成功したのだという事が良くわかります。恐らくイギリスでも長生きで頭の良い人は魚食だったのでしょうか。いずれ見学したいですが、魚は海で見た方が美しいかと思います。
2012-10-28 10:06 | カテゴリ:イングランド
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
さてまあブログも大変ですねえ。
こんなに大変なのを無料でやるっていうのもおかしな話ですが、まあそういう時代みたいですね。
さて本日は日本も雨みたいですが、ブログと連動しているのかわかりませんが、ブログの写真も雨ばかりです。
さてそんなロンドンのバーチャルツアーではないですが、ロンドンアイのふもとにもチケットを買ったところで4Dツアーというのがあってですね、3Dならぬ4Dという事で、どうという事は無い万博でのパビリオンというところですが、3Dメガネでロンドンの風景のバーチャルツアーなのですが、水しぶきや匂いの出るしかけがあったりして、最後に圧巻のシャボン玉の効果があって、まさに子供だましですがなかなかおもしろかったです。あれは良かった。

というところで目的のロンドンアイの乗車です。2000円くらいしましたかね。もちろんカード払いです。みんな観光地の受付は楽な仕事で対応も丁寧です。まったくこっちは横浜ドリームランドの観覧車が最初の観覧車デビューなんで観覧車に乗るのにドキドキは一切ありません。
ロンドンアイはなんか早い乗車のチケットもありますが、基本的に皆20分位並んで乗車します。わざわざシャンパンを買って貸し切り状態で乗るグループもありましたが、基本的には大家族で2組位ずつ乗る感じが多いみたいでした。20人位乗れるのでしょうか。あっちの家庭の中に入ったみたいな感じで微妙な家族関係が認められたりして妙な雰囲気です。基本的にはほとんど外の景色よりも周っている間の30分ほどの間の人間関係がほとんどの大人たちの興味の対象のようでした。子供は表示のIT機器を使う事の優越感以外に興味は無いようでした。後は写真にもありますが、iPadを使っているのを見せるのが壮年以降の男性の義務のようでした。iPad miniが出るのも当然のようです。内部は非常に落ち着いた雰囲気で、実はロンドンを見ているようで見られているのが実際なのでしょうが、私が乗った時は落ち着いた若干高齢の夫婦3組連れと一緒でしたが、多分フリーメイスンたちなのだと思いますが、下りる途中で記念写真の枠に一緒になってしまって恐縮しました。もちろん記念写真を買いませんでしたが訪問の記録は現地に残ったかもしれませんね。監視カメラのロンドンで無粋な話かもしれません。

まあそういうわけで新しいロンドンの通過儀礼ともいうのがこのロンドンアイの乗車になるようで、実はその際の閉鎖空間での人間関係が実際には最も見られている面白いものという事のようです。なんせGoogle Earthの時代ですからね。まあそういう事で実際にはAll Seeing Eyeはロンドンを見ているのではなく、個々人の心の中を見る目、見て見つめられるお互いの目という事なのだと思います。

雨であったという事もありますが、ロンドンの街自体はそれほど上から見て面白い街という事は無いと思います。では実際ロンドンアイの上から見る目的は何なのでしょう。
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雨ですねえ。何か遊園地のようなものがあるのでしょうかね。八景島のオベリスク状のものとよく似ています。
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ブラックフライアーズ橋はきれいに見えないようになっていますね。
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実はこの写真二枚に全てが含まれているのですね。ロンドンアイがこの場所にあって作られた理由がわかります。
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シャードは本当に良く目立ちます。北朝鮮の柳京ホテルも似た形のようです。いずれ完成すると上から見るのが観光地になるのでしょうね。
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フクロウの形の建物ですね。下の水族館の裏はホテルのようですがどうもヘブライ文字のような形をしています。
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ウェストミンスター宮殿ですね。やはりこれを見るためにもあるのだと思います。
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バッキンガム宮殿の方向です。
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駅と塔がありますね。色々ありますねえ。都市の規模としては東京は大きいのでしょうが、石造建築の多さではロンドンがもちろんはっきり異なると思います。まあテムズ下りが良いです。
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さてこれはわざと意識して撮ったんですが、これは非常に大きなヒントです。
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ユニオンフラッグが際立ちますねえ。
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どうもヘブライ文字のように見えるのですが、どうでしょうかねえ。
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さて終了ですね。わかりましたでしょうか。ロンドンアイが作られた理由。
このブログはそれをいちいち説明するブログです。無粋ですねえ。

クレオパトラの針の指し示す延長線上にグランドロッジがあるのですね。シャードもフクロウ(UGLE)の形のビルもゴシック建築のウェストミンスターもブラザークリストファー・レンによるセントポール大聖堂もMI-6もオベリスクの形のビッグベンも全てフリーメイスンリーのシンボルですね。もちろん足元の橋も水族館もロンドンアイも全てフリーメイスンリーのシンボルです。気付いた人はすぐにグランドロッジに行きましょう。

ちなみに最初の青色の八景島のものと似たオベリスク状のものはセントポール大聖堂を指し示すようです。なんとも念のいったシンボルの見せ方です。役に立つブログですねえ。

さてまあそういうわけでウェストミンスター周辺を歩きます。結構降っていましたね。
2012-10-29 21:46 | カテゴリ:イングランド
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
さてさて拙い文章と恵まれない環境と写真ですが、フリーメイスンリーの世界としてのロンドンの旅情が味わっていただければ幸いです。

それこそ酷い雨でしかも日曜日でウェストミンスター寺院などにも入る事も出来ず、写真も撮り過ぎて途中トラファルガー広場のあたりでiPhoneの電池が切れてしまって、時間的にもナショナルギャラリーも閉館してしまってロンドン到着二日目が終了するわけですが、それまでとりあえずウェストミンスター宮殿(英国議会)周辺を周りましたのでそれを記事とします。一応テートブリテンやその周辺、最後はトラファルガー広場を周って電池が切れて終了となります。この日は何の夕食を食べたか忘れましたが、昼は川下りの船でカードで買ったホットドッグを二つ食べたので、確か夕食は一日目のコンビニで買った食事の残りのおかしくらいしか食べなかったと思います。まあその位朝しっかり食べたんだと思います。
なんともバランスの悪い食事と思うかもしれませんが、海外の一人旅はそんなもんです。そういうわけでホテルの朝食は大体一番大事な食事だし、そこでちゃんと食べられないとろくな旅になりません。

さてまあ2日目は写真でも良くわかるとおり雨に降られたわけですが、それほど風が強いとか、寒いとかいう事は無いので傘がいるとか、写真の写りが悪いとか、靴が濡れるとかそういう事以外はそれほどの支障はありませんでした。まあロンドンで雨に濡れる事は良くある事かと思いますし、雲が立ち込める天気というのは当たり前だと思います。むしろロンドンの雨といえば紳士の傘やステッキ、コートやシルクハットよろしく、折り畳み傘でどんなおしゃれをするかとかそういうのがロンドンではないでしょうか。まさにクイーンズハウスの白黒の傘はフリーメイスンとしての最高のお洒落であるというこういう感じが旅の楽しみかもしれません。

まあ反響の大きな小理屈は置いておいて、旅の写真に移ります。
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ビッグベンの写真ですね。時間を見ると16時10分前ですね。うーん移動距離を考えてもこれだけのロンドンでの移動と観光ができる人もいないでしょうねえ。まあ何より一日目の時差ボケで寝てしまったのを取り返すべく動き回っているわけですが、これだけ動くと確かに追跡している人もiPhoneの電源を消耗させたくなる気持ちもわからなくもないです。そりゃ動き過ぎです。
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うーんこれがオベリスクの意味なのかと見上げるとまあワシントン記念塔を見上げる気持ちと一緒ですね。石工のそういうシンボルにかける情熱というものはすごいなという事でしょうか。実際はまあ二度目のビッグベンなのでやっとまた来たなあみたいな気持ちかもしれません。まあロンドンに来たという実感はどうしてもこの界隈は感じます。すごい観光地ですから。
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ブラザーチャーチルの銅像です。こういう銅像を全部撮ろうとするところが以前とは違います。なんせほぼ全員がフリーメイスンに違いないと思っていますから、撮らなきゃ損という感覚でしょうか。
そういえばYouTubeの動画にもブラザーチャーチルの演説と特集を2つ入れました。その分ディズニーの動画白雪姫やブラザーデューク・エリントンのサテンドール、TangoFraternalの一つやブラザーリストのラ・カンパネラ、ブラザールイ・アームストロングの聖者が街にやってくるの一つ、ブラザーディズニーのシークレットライフと題された特集を削除しました。またブラザーチャーチルの動画以外にブラザーホルスト、ブラザードビュッシー、ブラザーヘンデルの曲を一つずつ加えました。ブラザーリムスキー・コルサコフは二つ加えました。いずれ音楽家のフリーメイスンであるかどうかについても総説を加える事があるかと思います。フリーメイソンと音楽家たちを全て読んで、後はもう少し色々手持ちの資料で考察を加えたり、ウィキペディアも含めて考察してになるかと思います。まあこれも壮大なテーマなのでそれぞれの作曲家で個別にちょいちょい触れる位が可能なところかと思っています。

まあそういうわけで、ロンドンのこういうウェストミンスター周辺などにあるような銅像はほぼ全てフリーメイスンだと思って差し支えないと思います。
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ロンドンオリンピック開会式の動画でもコンピューターグラフィックスでこの銅像が動いていたりしました。演説などは良い英語の演説の基本とされるようです。帰国後の最近見た「英国王のスピーチ」の映画の中でもブラザーとしての役回りでブラザージョージ6世をサポートする台詞があったりしました。ノーベル文学賞を受賞していたりとなかなかフリーメイスンの人生として見ても興味深いところがありますので、英国を代表する人物としていずれそれなりに文章と出来そうであれば書きたいかと思います。
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とまあブラザーチャーチル位が顔と名前が一致して、大体いつごろの人でどんな業績があるかわかる人で、後は英国の政治家といってもいつごろの人とか大体想像できるくらいで、業績がどうとか顔がどうとかわからないのが実際です。ロイド・ジョージと言っても名前は聞いたことあっても何をやった人かわかりません。もちろんフリーメイスンなのだと思います。ウィキペディアによると晩年にナチスドイツのヒトラーの別荘を訪問して本国で絶賛したなどあります。この逸話は何か聞いた事があります。
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ヤン・クリスティアン・スマッツという方のようです。南アフリカの首相として活躍された方のようです。南アフリカなどの植民地を開発されたローデシアの名前の由来となったブラザーセシル・ローズ卿はフリーメイスンであり、南アフリカの関係者もほぼフリーメイスンかと思われます。
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第3代パーマストン子爵というそうで、最もイギリスが繁栄した時代の首相であるそうです。ウェストミンスター寺院に埋葬されているそうです。ウィキペディアをちょっと読むと逸話が面白そうです。もちろんフリーメイスンでしょう。任期中に風邪で亡くなられたそうです。クロムウェルもそうですが、そういうのが当たり前のようにあるのがイギリス政界の伝統のようです。日本人のあまり知らない民主主義の真実でしょうか。
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第14代ダービー伯爵のようです。やはり首相経験者のようです。
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初代ビーコンズフィールド伯だそうで、ユダヤ人の首相経験者のようです。小説家でもあったようです。なかなかウィキペディアの内容が豊富で興味深い人物であった事が想像されます。
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ロバート・ピールだそうです。やはり首相経験者のようです。ブラザーナポレオンをワーテルローで打ち破った初代ウェリントン公のもとで働きその後組閣したようです。以前に触れたハイドパークで落馬して亡くなった方のようです。
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まだ健在のネルソン・マンデラの銅像がいきなりあります。こういうのがイギリスなんでしょうね。恐らくフリーメイスンなのでしょうが、まだ生きてる人をいきなり置いてあるのがすごいところです。
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ピースマークの虹の旗を出した活動家みたいな人がいました。まあこれも一つのシンボルなのでしょう。
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ジョージ・カニングです。やはり首相経験者です。やはり在任中に亡くなったそうです。
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またなぜかアブラハム・リンカーンの銅像があります。まあフリーメイスンとして置かれているのかと思いますが、南北戦争の終戦直後に暗殺されたアメリカの大統領の銅像がここにあるのがイギリスなのでしょうね。非常に興味深いです。
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ウェストミンスター寺院の塀ですね。オベリスクになっています。この道は結構車が多いので信号を見て渡らないと危ないです。
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ちょっとずつオベリスクの形になっています。どぶ板通りの入り口みたいなもんでしょうか。
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ウェストミンスター寺院の横側の入り口です。日曜で礼拝をしていて見学不可でした。
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とがった三角が象徴的な構成でしょうか。あまり建築自体でフリーメイスンリー的な感じはありませんね。
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昔は圧倒的な建築に唸ったもんでしたが、今はシンボルしか探さない感じです。まあ意味を知るというのが一番重要でしょうかね。聖人のそれぞれがわかりませんが、それほど古い方でなければイギリスは聖公会のフリーメイスンが多いのだと思います。「20世紀の殉教者」10人の像というそうです。
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ウェストミンスター寺院の前の像がある塔です。どうもフリッカーの写真などから聖ゲオルギオスがドラゴンを退治してる像のようです。結局大陸続きでモンゴルが攻めてきたときにも最後の砦になりうるのがブリテン島だったのだと思います。神風で蒙古襲来を撃退した日本みたいな話でしょうか。
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まあとにかく開いていないので時間も遅いですがギリギリでテートブリテンの見学に向かいます。

いやあしかし教育的なブログですね。
2012-10-30 08:57 | カテゴリ:イングランド
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
まあちょっとロンドンはブログに書かれている事が多いみたいでテートブリテンで検索して見ると似たようなブログがたくさん出てくるわけですが、そういうわけでこのブログでは美術館の美術品中心ではなく、そこまでの移動中のフリーメイスンリーのシンボルや、美術品の中のフリーメイスンリーのシンボルを中心に見ていくこととします。そうすれば他に例のない唯一のブログになりますからね。
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ランベス橋というそうです。橋脚のオベリスクと遠景のシャードが映画のセットのようですね。荒天な訳ですが、何やらバットマンのゴッサムシティのようです。テムズ川のこの川沿いはテートブリテンに向けて歩いている人以外いませんが、あまり雰囲気がいかつすぎて写真を撮ったりしている人は少なく、ただ黙々と歩いている人が多い感じでした。まあミルバンクというこの通りの辺りはかつてはオーストラリアへ送られる囚人の収容所があったそうで、現在も官庁街の一部で監視カメラがそこらじゅうにある感じはしました。
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これはたまたまアーチがきれいで写真を撮ったのでしたが、どうも後で確認するとMI-5、アメリカでのFBIに相当する要するにロンドンの監視カメラを総括する国内諜報組織の本部であったそうです。まあブラザーエドガー・フーバーの話と同様にフリーメイスンがたくさんいるのかと思われます。ブラザーエドガー・フーバーの映画も観ましたが、その他何か参考資料を加えられたら記事にしようかと思います。以前ナショナルジオグラフィックでロンドンの監視カメラの特集をしていましたが、その記録を管理する担当者の名前がメイスンさんで面白かった事もありましたが、ロンドン警察の名前がブラザークリストファー・レンの建物のそばでスコットランド大使の泊まるところでスコットランドヤードという名前となったなどという逸話などと同じで興味深い話でしょうか。まあそのまんまというのが正しい印象かと思います。有名なユダヤ人監督のウッディー・アレンの映画「マッチ・ポイント」など参考になるのではないでしょうか。

まさにそのロンドンの紹介のナショナル・ジオグラフィックの動画です。

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さてテートブリテンは改装中で外観の景色はそれほど美しくなかったようで写真に撮らなかったようです。
とりあえずウェストミンスター側から来た際に近い方のターナーの展示があるクロア・ギャラリーから入りました。名前もジョセフ・ターナーというそうで、絵画を全体に見て、またウェストミンスター宮殿が炎上した際の絵もあるそうで、この人はフリーメイスンだとわかりました。というか英国で高名な画家と言えば皆フリーメイスンなのは当たり前のようです。
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クロア・ギャラリーの入り口にあった美しい三角形です。これまで見た建築の三角形の中で最も美しい三角形ではないでしょうか。入口の係員に「Beautiful Triangle」と言いましたがボンヤリしていました。まあそういう事です。こういう表示はフランス大東社のグランドロッジにあるようですが、まあ英国美術界はフランス大東社の影響があるのかもしれません。
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ブラザーターナーの作品は100近くあったのですが印象派と日本画の風景画のようであまり印象深くなかったので写真を撮りませんでした。いくつかシンボルが含まれていそうなものを撮りました。これはサンピエトロ広場なのでしょうか、オベリスクが入っていたので撮りました。
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これは自画像です。
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これはグリニッジの様子でしょうか。
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ブラザーホガースの自画像です。
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いかにもフリーメイスンリーの会合という感じの絵です。ブラザーホガースの筆でしょうか。
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こんないかにもな絵もありました。ちょっといまいちでしょうか。
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石工の結婚といったところでしょうか。いずれもテートブリテンの公式ホームページで探す事が出来るようです。ちょっと作者や題名はわかりません。
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これは有名なミレーのオフィーリアです。日本だと夏目漱石の草枕で有名でしょうか。やはり日本人だと思われる男性が凝視していました。銅像もあるようでミレーもフリーメイスンだと思われます。
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こちらもヨセフの夢占いの項で取り上げたブラザーミレーの両親の家のキリストです。大工のキリストというのは実務的ではなくもちろん思索的メイスンリーの象徴だと思われます。つまりフリーメイスンリーの起源が聖書の中にあるというのは当然なのでしょう。
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これも象徴画なのだと思いますが、ブラザーミレーのものではないようです。下の題名から検索したところウィリアム・ホルマン・ハントの作品のようです。パレスチナを三度も訪問しているそうです。恐らくフリーメイスンでしょう。
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作者の名前がちょっと写真にうまく写りませんでしたが、この絵の作者の方のこの作品の手前のファンタジーな人魚か妖怪のような絵がなかなか印象深かったです。興味のある方はホームページで探してみてください。
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再びランベス橋ですね。急ぎ足でテートブリテンも駆け抜けます。全体にテートブリテンは写実的な絵画がほとんどで、イギリスの絵画に求める写実性、その実用性でしょうか、まあ絵画の歴史があまりないのかもしれませんが、そういうものが感じられるものでした。予想したほどシンボルの含まれた絵画は無く、ただただ写真のごとき絵、写真に近づく絵、写真の実現後は写真を模写した絵という一般的な絵画の展示とは異なる、イギリス独自の絵画の歴史を示したものではないでしょうか。
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なにやら調べると電気と石油を供給する担当省でしょうかOfgemという官庁の扉でした。恐らく戦時下の物資の供給を担当した省なのではないでしょうか。この写真を撮ったら歩いている人に怪訝な顔をされました。面白い扉だと思いますが。
2012-10-31 22:12 | カテゴリ:イングランド
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
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ウェストミンスター宮殿ですね。代表的なゴシック建築かと思われます。1834年に焼失してゴシック建築で作られたそうです。この尖塔部分はビクトリアタワーというそうです。
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ジョージ五世の像です。海軍軍人で日本で龍の刺青を入れたりしているそうです。有名な切手収集家であるようです。X脚の話とヘビースモーカーであった話は「英国王のスピーチ」でも重要な伏線として描かれています。
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旧約聖書の伝道の書(コヘレトの言葉)の1章6節が書いてあります。細かく読み取れませんが、気象観測の話が書いてあるのでしょうか。謎です。
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オリバー・クロムウェルの像ですね。これは以前来た際にも印象がありました。ライオンと一緒なのは意味があるのでしょうね。清教徒革命でのフリーメイスンリーの活躍がイングランドでのフリーメイスンリーの成立の端緒であるという説は有力です。実際水平派など理想主義の活動はこの革命で様々に勃興したようです。オリバー・クロムウェルの死は諸説あるようですが、現在のウィキペディアではマラリアと書いてあります。英語版はさらに面白くsuffered by "stone"と書いてあります。尿路結石を意味するようです。まあそのままです。結局ブラザーナポレオンのモデルなのでしょうね。
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バーナード・モントゴメリー卿です。ロンメル将軍を打ち破った陸軍元帥のようです。
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アラン・ブルック卿です。陸軍元帥ですが、ブラザーチャーチルやブラザーマッカーサーと多くの接点があったようです。
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ウィリアム・スリム卿です。陸軍元帥です。ウィキペディアの写真では後方にクレオパトラの針があります。オーストラリアの総督を務めたそうです。脇に六芒星がある意味は良くわかりませんが恐らくフリーメイスンである事を示しているのではないでしょうか。ガーター勲章を受章しているそうです。この3つの銅像は1990年に出来たそうで、国防省の前のようです。国防省の後ろに首相官邸ダウニング街があるようです。
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ダグラス・へイグ卿です。第一次世界大戦時の陸軍元帥のようです。
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スペンサー・キャベンディッシュ卿です。首相経験者のようです。フリッカーの画像で見ると蛇が友愛の結び目の形をしています。
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ホースガードと言って騎馬兵詰所でしょうか。実際には軍司令官が居る軍司令部のようです。
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トラファルガースクエアを望みます。この通りをホワイトホールと言い、かつてホワイトホール宮殿があったそうです。
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ケンブリッジ公です。職業軍人を貫き軍司令官であったそうです。妻が愛人であった女優であったそうです。
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王立海軍部隊記念碑だそうです。ブラザーチャーチルが建築し、グリニッジにあったものがこちらに移されたようです。オベリスクですね。
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近衛師団戦争記念碑だそうです。オベリスク状ですね。
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ルイス・マウントバッテン卿です。79歳でIRAのテロで亡くなったそうです。ビルマ戦線で痛めつけられたため葬儀には日本人の参列を拒否したそうです。道理で柵に囲まれて近づけないようにできています。
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ホレイショ・キッチナー卿です。ボーア戦争を指揮した陸軍軍人です。第一次世界大戦中に船が機雷に接触して戦死したそうです。この銅像の前にマシンガンを装備した兵士が一人雨の中警備していました。もちろん私しか周りにいませんでしたが、恐らくルイス・マウントバッテン卿の銅像を守っていたのでしょうね。柵を越えたら銃殺だったのでしょうか。まあその死に日本が関与していた事はあったのかもしれません。
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フレデリック・ロバート卿です。インド生まれでアフガンやボーア戦争を戦った陸軍軍人のようです。セントポール大聖堂に葬られているそうです。
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ガーネット・ウォルセリー卿です。第一次世界大戦前の世界各地の英国植民地で戦った陸軍軍人で、全てサーガーネットの通りにという英語の言い回しがあり、全てが整っているという意味だそうです。
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ちょうど私専用というわけでは無いですが、ホースガードの衛兵が交代をやってくれました。道の反対側の建物がブラザーイニゴー・ジョーンズが建築したホワイトホールの一部のバンケティングハウスです。この手前で清教徒革命の際にチャールズ一世は斬首刑にされたそうです。

さてここから有名なトラファルガースクエアに向かうわけですが、途中やっとの事でユーロをポンドに換金できました。500ユーロを換金したのですが、交換してやたら額が少ないのでレートを聞いたら150対100といった程でビックリしました。トラファルガースクエアからラッセルスクエアに戻る際に見たユーロ専用の交換所では120対100位が普通でしたので、とんでもなくぼったくられて痛い思い出です。まあ斬首や死刑よりは痛くないでしょうか。
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ネルソン記念柱です。ネルソン将軍は日本人に最も有名なイギリスの軍人だと思われますが、フランス軍との戦いで隻眼隻腕の将軍となり、いわゆるネルソンタッチでトラファルガー海戦でフランスに壊滅的な打撃を与えました。フック船長のモデルともなったようで、もちろん日露戦争のT字戦法の元ネタなんでしょうが、接舷作戦と砲撃戦の違いがあり全く動きは逆です。こういう戦いやテロで障害を持った指揮官を尊んだり尊重する傾向はその後テロで傷付いた大隈重信や降伏文書に調印した重光葵の評価などに関係しているかもしれません。ネルソン将軍自体は公然と三角関係を行っていて社交界では問題とされていたそうで、トラファルガーの海戦でフランス軍の射撃にあい死亡しています。セントポール大聖堂で最も大きな石棺で埋葬されています。
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ヘンリー・ハブロック卿です。インドやアフガニスタンで活躍した陸軍軍人のようです。
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海軍門の前のブラザーサークリストファー・レン作によるチャールズ一世像です。台座を作ったのでしょうかね。
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ジョージ四世です。ウィキペディアを読むとナポレオン戦争に勝利した際の国王であるようですが、逸話がとても面白いです。父親のジョージ三世は81歳まで生きたそうですが、アメリカ独立戦争を招き、相次ぐ子どもたちのスキャンダルで晩年は認知症を患い元来精神疾患があったとされポルフィリン症で発狂して亡くなったとされるようです。子のジョージ四世は大量の借金を抱えいいなりの結婚と引き換えに借金を棒引きしたそうですが、一生不仲であったそうです。英国万歳!という映画に描かれているようです。
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ブラザーネルソンの戦った4つの海戦を表現しているそうです。
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チャールズ・ジェームズ・ナピア卿です。インドの陸軍司令官でパキスタンを占領したようです。
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なにやら芸術作品のようですが、要するにこの像以外は全てフリーメイスンだよという事ではないでしょうか。まあロンドンで銅像を残すという事はそういう名誉なことなのだと思います。

この後ナショナルギャラリーの前のブラザーワシントン像を撮ろうとしてiPhoneの電池が切れてしまいました。そのままナショナルギャラリーの裏側の通りを大英博物館に向かって進みホテルに戻りました。途中パレスシアターで雨に歌えばを公演していました。二日目はこれで終了です。疲れきってホテルでBBCでも見ながら眠った気がします。
2012-11-01 07:43 | カテゴリ:イングランド
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
さてさて3日目の朝です。大分疲れていますので起床から活動までもゆっくりです。
もちろんホテルの朝食だけはちゃんと食べます。
給仕のおばちゃんとの挨拶のやり取りやらカフェオティーのやり取りやらがありますがどうってことありません。
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ラッセルスクエアを一応巡ります。この日もやはり小雨の天気でした。ラッセルホテルには二度目の宿泊なんですがわざわざラッセルスクエアを巡った事は無いので一応見て回りました。非常に美しい公園でスクエアになってる事からもフリーメイスンリーの象徴なんだと思います。2005年7月7日のロンドン同時多発テロの現場の一つのようです。

さてまあ本日は題名の通りグランドロッジを訪問するわけですが、10時に始まりガイドツアーが11時からという事で、その前に近くにある大英博物館が一応9時から開いているという事でそちらに先に行く事にします。またその後のバッキンガム宮殿訪問のためにチケットをピカデリーサーカスにあるHISロンドン支店に取りにいかないといけません。そういうわけで大英博物館に向かいます。
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大分大英博物館は薄汚れていました。ちょうど20年前に来た頃はそういう酸性雨による大理石建築の汚れが問題となり始めている頃でした。それから特に対策はもうけられなかったのでしょうかね。なんだか一番薄汚れていました。ロンドンで最も多くの観光客が訪問し、その評判がどうも盗品でしかないとかそういうものであった事と関係しているのかもしれません。実際10時前は主要な展示はまだ見られず一周して出てきました。どうも20年前の印象とは全く違いましたね。リニューアルしたのでしょうが、展示も減ったようでした。入り口と食堂やカフェの広いスペースがやたら豪華になっていました。オベリスクとライオンのオブジェがありますが明らかにボロボロに欠けていて貧相です。(11/10追記:オベリスクはネクタネボ二世のものだそうです。エジプト人による古代エジプト最後の王のようです。この後アケメネス朝ペルシアのアルタクセルクセス王に征服されます。ライオンはトルコのハリカナッソスのものだそうで、マウソロス霊廟を模して作られたギリシア時代のものだそうです。要するにHouse of the Templeの前にあるスフィンクスと同様の筋の良いものという事だそうです。)もちろん大英博物館は収蔵品の数は世界一でしょうから色々時期を見て変更するのだと思います。まあそういうのがフリーメイスンリーです。20年前にはここで最初のロンドンの昼食をとってサラダの腐ったようなオリーブを食べて驚いたものでした。まあでも今では日本のどのスーパーでもオリーブが置いてある時代になりました。(11/10追記:20年前に比べて展示が色々変わったのは、その収蔵物と展示方法に批判があったのは確かのようです。それらによって相当展示方法が変わったようです。収蔵品自体は変わっていないようですし、公開の原則もインターネットも含めて変わっていないようです。ぜひ現地で自分の目で確かめる事をお勧めします。)
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チャールズ・ジェームス・フォックス卿です。ラディカルな政治家であったそうでブラザーワシントンを支援などしていたそうです。
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グランドロッジに最も近い駅のホルボーン駅まで歩いてそこからピカデリーサーカス駅に地下鉄を使うこととします。その途中にあったスーパーです。こういう情報も良いかなととりました。
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まあ実はこれが撮りたかったのですね。ラッセルスクエア駅に来る途中でホルボーン駅を見てそれを確認したのでした。ロンドンの地下鉄は駅ごとにそれぞれ装飾や階段やエレベーターの構造が異なって特徴を出しているのですが、ホルボーン駅を見るとUndergroundという名前が付けられている理由がわかりますね。
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ピカデリーサーカスですね。百貨店などが集まっているのでしょうか。まあ私はHISがあるという事だけの目的です。Fortnum and Masonなどがあるのでしょうか。足の位置などが儀式の立ち位置であるとかあるみたいですが以前に触れたような気がします。
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むしろ驚いたのが日本関連の建物が並んでいるんですが、わざわざシンボルの形になっていました。フリーメイスンなんでしょうかね。また三越があったりするとちょっとタイムスリップしたような感覚になります。ちょうどこういう感じは20年前の感じそのままで行くとこんな感じです。
HISロンドンはHIS横須賀とほとんど変わらない感じでした。あんまり旅行会社の現地支店というのは情報は多くなさそうな感じでした。
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ロイヤルオペラハウスではちょうどブラザーチャイコフスキーの白鳥の湖を公演する予定でした。
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ホルボーン駅に戻るとなんだかFusion Japaneseという先に言い訳が立つような日本食の店がありました。さすがに先に日本食もどきと言われているようでわざわざ入る気はしません。こういうのも現地でやっていくのは大変ですね。
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スターバックスとカフェネロがあったので撮りました。結局カフェネロは入りませんでしたがロンドンではこちらの方が多かったです。

さてやっとこ今回の旅の主要な目的地であるUGLE, United Grand Lodge of EnglandのFreemasons' Hallです。

(追記:全くロンドンと関係ありませんが本日11/1はカトリックの記念日万聖節だそうです。アメリカではハロウィンとなるようですが、そういう記念日のようです。もちろん11の数字にまつわる話ではないでしょうか。)
2012-11-01 20:18 | カテゴリ:イングランド
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
さてさて昨日も来たところですから直ぐです。入口は近い面の側すぐで、正面の門は閉めていました。
入口付近にSPの腕章を付けた私服警官?がいました。(拳銃を持っていたかもしれません。)ちょっとしたジョークでしょうか。
まあ中で見学したい旨を言うと上に登って二回右に曲がったところ(図書館、博物館)で待っていろとの事でした。見学者入館章をもらってとりあえず半地下の正面のお土産屋さん(Letchworth's)で物色します。まあ実はこの旅の主な目的がこのFreemasons' Hallのお土産屋さんでチョコレートを買う事であったりします。その他のめぼしいお土産品はUGLEのホームページから入れるお土産屋さんで購入していたりします。
UGLE以外でもGrand Lodge of Scotlandのホームページでもインターネット通販でお土産が購入できたりします。もちろん基本的にフリーメイスン向けの品々でありそうじゃなければ購入を拒否される事はないと思いますがあまりお勧めはしません。その他にもヨーロッパの恐らくスイスだと思いますが、お勧めのフリーメイスン向けグッズのインターネットショップがあります。いずれも登録すればクレジットカードで支払って航空便で送ってくれますが、あまり興味本位だけの取引は控えた方が良さそうです。
まあそんな動機で来る人もいるという事で、実際フリーメイスンリーのグッズというのは日本ではなかなか手に入りませんのでこういうところで探すのが最も手っ取り早いという事になるかと思います。実際問題フリーメイスンの笑い話か何かでしたが、フリーメイスンがフリーメイスンである事を証明するものはこうした小さなシンボルの飾りでしかないというものがありました。アメリカにスコティッシュライトをもたらした有名なフリーメイスンであり、独立戦争において「真夜中の騎行」でも有名なアメリカボストンの愛国者であるブラザーポール・リビアの職業は銀細工師でありました。アメリカ系のシンボルにGの文字が加わっているのはシンボルとして部分が増えるという動機もあり、これら貴金属の加工業者がデザインとして取り入れたという話もあるほどです。その他にもフランスのフリーメイスンでも有名な銀細工師がいたかと思います。eBayやヨーロッパやアメリカ国内でのオークションでも様々なアンティーク類が様々に取引されています。日本では流通量は極端に少ないようですが定期的に業者が異常な高値で販売しているものもあるようです。まあ単なる好奇心から商売目的と色々あるでしょうが、フリーメイスンが単純にそれらシンボルの入った小道具を身近に置きたいとか、自分で作ってみたいと思うのは自然なようで、大概各国のフリーメイスンリーのグランドロッジはそういった各年代の品々であふれています。
そういうわけで純粋に個人の使用目的や興味で購入したい人に向けてアピールする目的で紹介します。
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半地下の店の前の廊下ですね。
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店の様子です。
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まあ大学生協みたいな感じでしょうか。
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販売しているブラザーです。名前は聴き損ないましたが、「笑ったほうがいいか」とか気を使ってくれました。手前にあるベルギーチョコレートを購入しました。以前はミントチョコレートがあったのですが、この時はミントとチョコレートが別々に売っていました。チョコレートは非常においしかったです。もちろんミントも特別な味がしました。奥にあるのがワインですが、これもなかなかです。
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ロッジで使うエプロンやネクタイが売っています。あんまりアンティーク以外でロッジで共同購入する以外に買う用途がわかりません。興味がある人は購入しても問題ないと思います。
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この辺のいかにもお土産グッズというものはインターネット通販でも購入できます。
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ロッジで使うためのツールが売っています。それ以外に使い道はないと思われます。
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ここで道具を買えばそれなりにロッジが開設できるという事かもしれません。もちろん各国のグランドロッジと最終的にはUGLEの認証ときちんとレギュレーションやフリーメイスンリー憲章を守る事も必要ですし、何より複数のフリーメイスンと既存のロッジに認めてもらわないと新しいロッジを開設するなど出来ません。
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結構グッズは充実しています。ほとんど通販で買えます。それほど高くはないので興味のある人にはお勧めです。
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レガリアは基本的にはロッジで共同購入するものなのでしょうね。
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寄付などの宣伝でしょうか。
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ネクタイや靴下もあります。様々なネット上のショップがあるのでこれは特にここしか売っていないというものではないかと思います。
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レガリアやエプロンもなかなか古いものになると貴重で値段が高くなったりします。
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まさにロッジで使うためのグッズです。写真では良く写りませんでしたがバロットボールの白と黒の表示が反対になっていてこれまた面白かったです。
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書籍が非常に充実しています。ほとんどネットで買えるかと思います。私もいくつかこことeBayで購入しましたがやはり英文の本は買ってもなかなか進みません。いずれアンダーソン憲章の和訳から初めて読み進めていこうと思っております。日本で秘密とされるような事もほとんど世界で出版されている書籍に書かれている事ばかりかと思います。
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この後訪問するフランス大東社の近くの本屋もこれ以上に大量の関連書籍があり、それらの出版書籍の数はそのままそれぞれの国のフリーメイスンリーの深さや歴史そのものを反映しているものかと思いました。アメリカはアメリカで関連の本や雑誌がこれまたたくさんあります。これらはまた下手に翻訳するとニュアンスも本当の意味も失われてしまうような専門用語や言葉の歴史がたくさんありますので理解するのが非常に難しいかと思います。私もブラザーマンリー・P・ホールのThe Secret Teachings of ALL AGESの吉村正和氏の翻訳を中古で購入しましたが一見してそれらのニュアンスの変容を感じました。ロストシンボルでもやはり原文で読まないといけないと思いました。まあ実際翻訳があるとそちらを読んでしまうのが常です。聖書であってもフリーメイスンリーの標準の翻訳は欽定訳と決まっています。シェイクスピアが翻訳に参加したとかいう話もあるそうです。聖書の解釈についてはそれこそヘブライ語かギリシア語で読む事が勧められるようです。それについても有名なモーゼの角についての誤訳の話がロストシンボルにはありました。
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フリーメイスンリー関連のCDやDVD、フリーメイスンホール紹介のDVDやクリスマスツリーの飾りなどの置物、テディベアは王室関連の土産物屋にも必ずある定番のお土産物となっています。変わった所では左下には折りたたみ傘もあります。期待した白黒のものではなくごく普通の黒いものでシンボルはほとんど目立ちません。シンボルの刻印が入ったペンがお勧めかもしれません。

まあここでチョコレートなどを現金で購入し、見学の間預けるかと言われましたが持ったまま二階の博物館、図書館に移動します。

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これは半地下のお店の反対側の奥の廊下でしょうか。何もなかったか会議室みたいな部屋がたくさんあったのでしょうか。やたら色々写真を撮ろうとしたのでしょうかね。
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これは二階に上がる途中のステンドグラスですね。
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ジョージ五世の肖像画でしょうか。はっきりとはわかりません。見学の際もこれと同様の王族や貴族のブラザーの肖像画が大量にありました。当時はその場ではほとんど誰だかわかりませんでした。
この絵が二階に上がった所の正面にあり、このつきあたりを右に曲がってさらにつきあたりを右に曲がるとコート掛けと傘立てとコインロッカーがあって奥が図書館、博物館となっています。一応その辺から撮影禁止です。図書館の手前には豪華なトイレもあります。図書館では何人もの若い人が本を読んだりしていました。無料のパンフレットなども置いてありました。名前と所属ロッジを記入する紙が置いてあり、一緒に来た人たちのロッジを見るとスイスとアメリカであったようでした。合計10人程度で11時から解説する70代位のブラザーに解説されて博物館の右手の方の扉から入って周ります。英語もジョークを交えたりしながらなんですがなんとも全然わかりません。一応なんとか聞き取れた、というか多分そういうところだけは私にわかるように話しているのかと思いますが、そういうところ、私が受け取ったニュアンスや内容を次回お伝えします。基本的に見学中は撮影禁止でYouTubeの動画や紹介DVDが非常に参考になるかと思います。というかそこでほとんど全て出しているようです。
2012-11-03 08:38 | カテゴリ:イングランド
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
さてまあ本日は11月3日文化の日、明治節という事で、明治天皇の新暦での誕生日という事です。旧暦では9月22日生まれという事です。偶然なのか後であわせたのかわかりませんが、いずれにしても当時の皇室の状況などから言っても天皇や皇太子の存在を把握しているのは限られた数の貴族や侍従のみでしょうからすり替えたりしたと言っても誰も確認できない状況であった事は確かでしょう。父親の孝明天皇は強烈な攘夷派で旧暦のクリスマスに亡くなるわけですが、この辺の詳しい事情を知っていた人物は後の明治政府の中枢に残った岩倉具視や三条実美といったその場にいた公卿達だけではないでしょうか。まあもちろん私は全く読んでいないのですがブラザー加治将一の「幕末 維新の暗号」の伝えられた概要の受け売りな訳です。そもそも大隈重信公の出身地で教育したフルベッキが改宗ユダヤ人であり、天皇すり替え説はともかくとして生年から始まって素行から容姿まで一般国民が知る由も無かった時代の未開国の君主制を単純に反映した陰謀論ではないでしょうか。

まあそんな時節に合わせた陰謀論から始まるフリーメイスンリーの総本部とも言えるイングランド連合グランドロッジの見学のその3なのですが、まあ日にちを合わせたわけですね。前日に急遽放送されたようなテレビ東京のやりすぎコージーの内容などもあって、閲覧者は増えてるようですが、内容をまたFC2ブログの動画で確認したりして大変です。内容的にはシアトルの観光案内のようですが、いずれこのブログでもアメリカの州章でシンボルについてと各州についてわかる限り触れていくなどやろうかと思っています。イルミナティは少しこだわっていましたが、基本的には日本だとライオンズクラブやロータリークラブはあまり系統だった知識は得られないようで、その辺に関連したいわゆる陰謀論としてのキーワードになるのではないかと思います。このブログでのフリーメイソンとフリーメイスンリーやフリーメイスンといった表記の話と一緒ではないでしょうか。一つのいわゆる暗号や合言葉のようなものです。

本日はまた横浜ロッジの定例会の日でもあります。曇り空なんでしょうか。観音崎では観音崎フェスタを開催する予定のようです。

さてそれでは長い前置きになりましたが本編です。
UGLEの見学で理解した要旨です。
まず最初にグランドマスター用というとてつもなく大きな椅子、ガリバーの椅子のようなものを見せられます。グランドマスターの権力がとてつもなく大きいという一種のカリカチュアのようですが、細かい事はわかりません。ふんふんと聞いていました。その後大量のエモン掛けがあるところ、恐らくグランドロッジの控室なのだと思いますが、そこの肖像画を一人ずつ説明されていきますが代々のグランドマスターか王族で、基本的に国王はグランドマスターにならないそうで、そのいとことかがなるのが通例のようです。国王も男は基本的にフリーメイスンであるという説明であったと思います。とにかく全てのフリーメイスンリーのグランドロッジの認証はこのUGLEが行うというところを強調していましたがもちろん慣例でという事です。後はその肖像画の説明で面白かったのがガーター勲章受章者で非メイスンであるが肖像があるという事で、ガーター勲章受章者もフリーメイスンに準ずるという説明を行っていました。もちろん日本の天皇陛下を意識した説明なのだと思いますが、厳密にはガーター勲章受章者はマスターメイスンよりは格下という事になるのだと思います。
後はグランドマスターの部屋が必ず空けてもうけられているという事、もちろん儀式のとき以外はほとんど使わないそうですが、その後はグランドロッジのホールに移動します。ホールに入る前にYouTubeの動画の通りにソロモン宮殿を模して造られていて、ドアの彫刻の説明で、フリーメイスンリーに例えて押して入るのは簡単だが早々は出られないと言っていました。実際は出る事はほとんど不可能なのではないでしょうか。最大の秘密はそこかもしれません。グランドロッジのホールは色々壁画の説明、四元徳の表現などの説明をしましたが、何よりも強調していたのは席が1720、つまりグランドロッジ結成の1717に近い数字であって、それらが1930年のホール建設当時の最新のテクノロジーで席の下に全て空調が整えられていて快適な空間を保っているという事だと思います。扉の内側の彫刻も一つ一つ丁寧に説明してくれましたが、四元徳にプラスしたいくつもの美徳の説明であったかと思います。
後は質疑応答になって、アメリカから来たブラザーがアメリカでのインターネットを中心とした若い人へのアピールをイギリスはやらないのかという事で、イギリスは基本的にモットーであるAudi, Vide, Tace: hear, see, be silent.であると。この基本方針は一切変えないのでFacebookのようなやり方はとらないという事でした。そこはアメリカのブラザーは異論があるようでした。と同時に一緒に来ていた奥さんらしき女性が若い人がフリーメイスンになるのはどうかと思うという言葉もありました。スイスから来たブラザーは何やら扉の重さを聞いていました。2トンとかそういう話であったと思います。先ほどのフリーメイスンリーを止めるのは難しいという話と絡めているのだと思います。まあ以上で解説は終わりで後は博物館に戻るか自由行動というところで写真を撮りました。
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YouTubeの動画でも詳しく触れられているかと思いますが、メインホールの扉です。基本的に以前にヤキン、ボアズの柱のシンボルで触れたソロモン宮殿建築の旧約聖書の項目部分の図案化なのではないでしょうか。ロックフェラーセンタービルの一階の壁画と共通のモチーフでしょうか。オリエントやギリシア、エジプトなど様々な傾向が混じり合っている様式のようです。内側の扉のノックがなんか変わった形であったと思います。まあ興味のある方は一度訪問してみてはいかがでしょうか。内部は一応撮影禁止でしたが、DVDやYouTube映像で確認できるのではないでしょうか。
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天井の装飾などの画像です。まあ美しい装飾というのみで秘密っぽいのはなさそうですね。まあ秘密というのは実際は教訓、心の問題という事です。
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メインホールの入口の扉の前の広間の反対側の向かって正面のステンドグラスですね。美しいですね。天使のモチーフでしょうか。下にあるのは十戒の入っていた聖櫃のようです。オリエント、エジプト、ギリシア、ローマ、ユダヤ教、キリスト教といった考えられる様々なフリーメイスンリーを構成する要素が融合したイメージでしょうか。ブログのヘッダーに使用しています。
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これはうまく撮れていませんがイングランドのロッジの名前と番号のようです。
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このシンボルのステンドグラスはFreemasons' Hallの紹介のDVDで印象的であったものです。なかなか美しいです。日本グランドロッジの入り口付近のステンドグラスもこれらのステンドグラスを参考として作られたのではないかと思われます。
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床ですね。
この後はちょっと導かれるままというかどこまでいけるかというところでステンドグラスの前の階段を下に降りて行って何やら下の広い空間に出て周ってきたブラザーに連れられて元の博物館の見学場所の方に戻されました。まあ基本的に迷路みたいになっていますが、アメリカほどオープンというわけではないようです。現在は様々にレンタルでのホールとして使用可能なようですので興味のある方は申し込まれてはいかがでしょうか。
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さて再びジョージ五世でしょうか。「英国王のスピーチ」はアカデミー賞を多数取りましたが、その発端とも言えるシンプソン夫人との王冠をかけた恋とされるエドワード八世のそのあたりの話がマドンナ監督で「ウォリスとエドワード 英国王冠をかけた恋」として本日公開されるようです。物事にはそれぞれの立場での見方があるという象徴でしょうか。かつて日本も映画と言えば「羅生門」などがそういったテーマだったでしょうか。芥川龍之介の小説でしたね。
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さて図書館、博物館の入り口にこれまたワシントンD.C.のアレクサンドリアのワシントン記念石塔の地下にあった博物館にもあった初期のロッジの表のポスターが貼ってありました。本物ではないと思いました。
まあ全てはここロンドンで始まったのでした。
博物館は撮影禁止でしたがロッジで使ったと思われる家具や装飾類など数と量、コレクションの質などもちろん圧倒的でした。時計のようなものは少なかったと思いますが、いわゆる歴史的なロッジで使用されたものが価値があるというものなのだと思います。写真が撮れると後で検討できるのですが、見学時間も決まっていてだったのでそれぞれの展示で細かい内容までは全くわかりませんでした。印象に残ったのがミルクジャー、陶器製なのですが、これの大きな完品が多数あったのがやはりコレクターだなという感じを持ちました。かつて欧米が日本や中国の陶器を大量に買ったその反対でしょうか。

2017年6月にはイングランドグランドロッジ結成300年の記念式典が開かれるようです。どうでしょうか。

さて見学を終えて大量のお土産を持ちながらグランドロッジのすぐ前にあるFreemasons armsというパブ、レストランに入りました。
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あまり一般の人は利用していないのか客は少なかったです。フィッシュアンドチップスとギネスビールを頼みました。フィッシュアンドチップスは現地のものは初めて食べたと思いますが、下味がついていない巨大なタラという事だと思いますが、それが素揚げになっているというもので、量的に言うと日本の4人分くらいでしょうか。ちょっと苦しかったです。塩と胡椒とケチャップをかけながら食べるわけですが、下味は重要だなという事を考えながら食べました。ワシントンD.C.でもサーモンを食べましたが、やはり素材は非常においしいのですが、下味を付けないのがあっちの決まりみたいなのですね。ちょっと素材や素揚げの感じは非常においしかったので、ステーキとサラダとかメニューによって相当印象が違うだろうなと今も後悔しています。その後で他で食べたステーキは非常においしかったので、やはり肉だなという感想でしょうか。

まあ一人で入ったのに店員さんの対応も丁寧でまた行ってみたい店だと思います。
店内にどの分野でも有名なあのフリーメイスンという内容がジョークで書いてあって面白かったです。
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入り口のところから店内を撮ったのですね。そのキャッチフレーズを撮ろうとしたのですがあまり写っていないようです。まあロンドンのパブは英語が相当喋れないと日本人にはなかなか難しいでしょうか。まさにフリーメイスンリーのロッジの原点というものかと思います。食べ物や飲み物は重要な演出なのでここのものは良いものなのだと思います。

さてまあ任務を終えたというような感じでしょうか。雨は相変わらず降っていました。
Freemasons' Hallのお土産袋を持ちながらテムズ川方向に向かいます。
2012-11-03 16:56 | カテゴリ:イングランド
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
親切なブログなのでこの辺りでグーグルアースで見たそれぞれの建物の配置を確認します。
Freemasons Hall周辺地図
まずラッセルスクエアとFreemasons' Hall周辺です。
セントポール大聖堂周辺地図
その後セントポール大聖堂周辺です。
ロンドン塔周辺地図
そしてロンドン塔周辺です。
テムズ川グリニッジ周辺地図
ロンドン塔からグリニッジまでのテムズ川周辺です。
グリニッジ周辺地図
グリニッジの周辺地図です。
ウェストミンスター周辺地図
ウェストミンスター周辺です。
クレオパトラの針周辺地図
そしてクレオパトラの針周辺です。
地球の歩き方など買われればロンドン市内の地図や説明を読む事も出来るかと思いますが、やはり風景と地図で一番詳しいものはグーグルアースになるかと思います。ストリートビューなどで同じ道を見ていくと旅の雰囲気が味わえるかもしれません。

さてまあFreemasons' Hallからクレオパトラの針まで小雨の降る中お土産袋を抱えたまま傘を差して歩いていきます。靴もちょっと水浸しな感じでしょうか。
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まあこういうのはほとんど天気なんでしょうかね。ネットの写真で見ていたのより暗い天気で実物は数段劣りました。もちろん雰囲気というかそういうのははるかに良くわかります。違和感なくという事はなく、写真にもあるとおり雨の中でも異常なほどに頑張って周りをランニングしていました。ワシントンD.C.のワシントン記念塔のオベリスクの周りの雰囲気とも似ているかもしれません。やはり同じ建築物は同じ効果を周りにもたらすのではないかと思われます。エジプトから持ってきた古代の建造物でこれ位だけが現地の政府から正式に寄贈されたものなのではないでしょうか。まあそういう意味でもそういったエジプト関連の建築物やシンボルの中で実は最も価値のある正当性を持ったものと言えるのだと思います。
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テムズ川沿いにウェストミンスター方面に歩き続けると銅像や碑があります。サージョセフ・バザルゲッティーの顕彰碑です。ロンドンの下水道システムを設計してコレラの発生を減少させたそうです。フリーメイスンリーのシンボルが入ったロンドンでは珍しいものでした。
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サージェームズ・ウートレム卿の銅像です。インドやアフガニスタンで現地民との戦闘で活躍した英雄だそうです。なんだかフリーメイスンなんでしょうが、大英帝国時代の軍人の逸話は帝国主義の権化みたいな話ばかりです。
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サーヘンリー・バートル・フレーレ卿です。インドやアフリカで活躍した現地司令官のようです。
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ウィリアム・ティンデールという16世紀の人で、聖書を最初に英訳した人だそうです。宗教改革への弾圧の中で聖書の翻訳を続けましたが最後は捕まって焚刑に処せられたそうです。彼の翻訳が元となっていわゆるフリーメイスンリーで標準とされる欽定訳聖書がシェイクスピアらの協力で作られたそうです。聖書の翻訳、読むことすら中世のカトリックでは禁止されていたという事なのでしょうね。まさに啓蒙の時代です。
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チャールズ・ジョージ・ゴードンです。太平天国の乱を鎮圧した司令官のようです。最後はスーダンで反乱軍に囲まれて戦死したそうです。
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チャールズ・ポータル卿です。第一次世界大戦と第二次世界大戦を戦った空軍の元帥のようです。ヤルタ会談の記念撮影でブラザーチャーチルの後ろに写っているそうです。
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イギリス海軍航空隊の記念碑です。後に第一次世界大戦中にイギリス空軍となったそうです。
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こちらがイギリス空軍の記念碑です。戦死者に捧げられているそうです。
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ヒュー・トレンチャード卿です。イギリス空軍の父とされる人のようです。紋章のモットーがKnow thyselfだそうです。
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第二次世界大戦のビルマ戦線で戦ったChindits部隊を顕彰した碑のようです。相当の犠牲と長い行軍で伝説の部隊のようです。

写真を撮ったのは上のものだけですが、その他にもブラザーロバート・バーンズの像など上記の倍くらいは周辺にあったようです。ウィキペディアの該当ページを参照してください。UGLEで売っていたロンドンの銅像に関する本もあるようなので興味があれば購入してみてください。イギリスにおける基本的なフリーメイスンリーの知識として必要なものかと思われます。

さてでは前日日曜で入場できなかったロンドン観光の定番ウェストミンスター寺院に向かいます。
2012-11-06 14:15 | カテゴリ:イングランド
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
ウェストミンスター寺院はロンドンを訪れた旅行者が全員一度は訪れる場所かと思います。
最も単純にイギリス、イングランドの歴史を君主たちと科学者、文学者、音楽家の墓を通して知る場所ではないかと思います。私も20年前に訪れた時は最も印象深くイギリスの圧倒的な歴史の深さとそれらを全て旅行者と国民の前に曝け出すやり方に深い感銘とともにそれら示された表の歴史の裏の部分の深さに極めて沈痛な重いものを感じたような思い出があります。まさにロンドンの象徴と言って過言のない場所ではないかと思われます。日本で言うと皇居と京都御所と金閣寺と広島の原爆ドームと国会議事堂と東大寺を合わせたような場所でしょうか。20年前に来た時は今回ほど騒然とはしていませんでしたが、特にアメリカや中国を始めとした新興国、その他あらゆる世界中の国からロンドンを訪れる人々が多い現状ではウェストミンスター寺院が教会といえどもニューヨークマンハッタンのような騒然とした雰囲気をかもせざるを得ないのはしようが無い事なのだと思われます。鎌倉なども旅行者の数が増えれば増えるほどそうした雰囲気は必然なのだと思われ、その最たるものがこの地であるかもしれません。少なくともこの20年の変化は確実にこの寺院とこの国そのものに圧倒的な変化をもたらしているという事をここでは感じる事が出来たと思います。それはもしかするとこの国の象徴ともいえるこの寺院をもたらした隣国フランスがかつて通ったその騒然としたもの、それがこの国を揺り動かしているその変化の元であるのではないか、そんな気がするものです。

さてまあウェストミンスター寺院の内部はフリッカーやその他画像検索して見ていただきたいのですが、なんせ写真撮影禁止ですので仕方ありません。この辺はやはり英国です。最も有名な墓はヘンリー八世、エリザベス女王、ブラッディ・メアリーになるのだと思いますが、もちろんそれ以前の代々の君主とその妃たちがほぼ全てここに集まっているというのがウェストミンスター寺院の権威なのではないかと思われます。

それぞれの王について触れていくと何のブログだかわからなくなるので、基本的にフリーメイスンと思われる人やフリーメイスンの墓についてFind A Graveという墓を探すサイトから持ってきた画像を元にコメントしていくこととします。基本的には1717年のグランドロッジ結成以後にこの英国で最も権威ある墓地とも言えるウェストミンスター寺院に葬られた方はほぼ全てフリーメイスンかその関連だと思われますが、一応何かしら根拠というものが無いとブログとなりませんので、それらについてそれなりに触れながらそれぞれ触れていこうかと思います。まあ要するにその辺は極めて曖昧でありながら、そういうのがフリーメイスンリー発祥の地のフリーメイスンリーというものであるという、まあそういう感じも含めて曖昧である事が最も厳密であるという事を感じていただければ良いのではないかと思います。

とりあえず画像検索して出てきた雰囲気のわかる画像を置きます。
Lady_Chapel-WA-BAR.jpgNave-WA-BAR.jpg
ブログのヘッダーでもモザイクの床面の礼拝堂部分の画像を使用しています。

さてまあ一応私が撮った撮影可能であった場所での写真を載せます。墓に関してはあとでまとめて解説する事とします。基本的に中に入るとすぐに修道士に勧められる解説のオーディオサービスは利用しなかったので、説明などに関してはウィキペディアを全面的に参照しています。
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中庭を望む回廊ですね。
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Chapter Houseというそうです。基本的に撮影禁止ですが、皆さん撮影していたのでついでに撮りました。議会と教会の代表者の会議場であったようで、恐らくそれら参加者の紋章を示したステンドグラスなのではないかと思われます。パリのサント・シャペルを模した造りになっているようです。
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Chapter Houseの出口でしょうか。
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美しい中庭です。
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pyx chamberというところのようです。聖体保存室でしょうか。静かなお祈りの部屋のようです。
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繋がって隣にある聖キャサリン教会の庭です。ウェストミンスター宮殿のヴィクトリアタワーを望みます。
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司祭を記念したステンドグラスのようです。シェブロンがあったので撮りました。紋章学におけるシェブロンは、「保護」と「信頼できる働きを成した建築家その他の者」を意味するとあります。まあ司祭も皆フリーメイスンなのでしょう。
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もう一度中庭ですかね。

さてまあお墓の説明に移りましょう。
お墓の説明がなぜ重要なのかというともちろんフリーメイスンかどうかという証拠がシンボルとして現れている事があるという事になるのだと思いますが、実際には特にここウェストミンスター寺院ではそれほどフリーメイスンかどうかを示すシンボルは明らかではありません。それはなぜかというとイギリスでは特に王族や貴族など名誉ある地位や、それを示す銅像や記念碑などが設けられる人物はほとんどがフリーメイスンであるという慣習、それが当り前であるという前提があるからだと思われます。つまりグランドロッジ結成以降にこのウェストミンスター寺院のような王族がかつて葬られていた地のようなイギリスを代表する墓地に葬られる人物は基本的にフリーメイスンであるという前提が成り立つのだと思います。これに関しては色々ご意見がある方も多いかと思いますが、ヨーロッパで基本的にフリーメイスンリーの歴史が深いところは皆そういう状況なのだと思います。

ではとりあえず有名なフリーメイスンのお墓について見ていきます。
George Friederic Handel
ブラザーヘンデルですね。ブラザーヘンデルはドイツ生まれでイギリスに帰化しました。同時代の大バッハと並び称される日本では音楽の母と呼ばれるバロック音楽の巨匠です。YouTubeの動画にも有名なハレルヤの合唱を含む聖書の内容を題材としたメサイアを入れました。晩年に大バッハと同じく恐らく白内障でしょうが同じ眼科医に手術を受け同じに失敗して失明しているそうです。フリーメイスンリーに関しての大バッハとの違いは恐らくロッジが多くあったイギリスに移住したかしないかの違いだけではないでしょうか。ブラザーヘンデルは一生独身であったそうです。お墓の方は壁面に彫像もあるそうですがシンボルの片鱗も全く認めません。フリーメイスンかどうか確認するにはUGLEに加入してロッジの文章を調べる他ないかもしれません。(あえて言うと四元徳の下がFortitude堅忍不抜、上がPrudence思慮分別を示す一般的な女性の像の形かもしれません。また上の方には転倒したGの形を認めるかもしれません。)
Rudyard Kipling
ブラザーラドヤード・キップリングのお墓です。これもまた一切シンボルは認めません。ただしこのお墓は面白い謎を含んでいます。日付の表示で30THや18THなどTHの序数詞が付けられていますが、このTHの表示が重ねられています。これはそれほど英語で一般的な表示ではないというかあまりないと思います。ではなぜこんな記号を使うのでしょうか。ヒントはブラザーキップリングの宗教にあると思われます。THが重なった字を見て気付く人は気付くと思います。彼はインドで育ちキリスト教を基本的に信仰しながらも、アジアのヒンドゥー教や仏教、イスラム教やユダヤ教など多くの他宗教が存在する環境で育ち、自らも無神論的なキリスト教信者と表現するに至っています。そういう宗教的環境を考えた際に、このTHの重なるシンボルは実はある団体のシンボルと極めて似通っています。それは以下の通りです。
IHS.png
これはイエズス会のシンボルですね。ブラザーキップリングがイエズス会と接点があったのかどうか、イエズス会に所属していたのか、死後にイエズス会がシンボルとして挿入したのか不明ですが、少なくともこのTHのシンボルはイエズス会のシンボルを連想させるものである事は良いかと思います。基本的にウェストミンスター寺院もイギリス自体もヘンリー八世の国教会成立まではカトリック教国であり、イエズス会自体も宗教改革によってカトリックの内部から生じた組織であり、教皇から弾圧されたりした歴史もありますが、日本でも有名な通りアフリカやアジアなど世界中に宣教師を派遣し、教育を行った事で有名であり、現在も数多くの教育機関を持っています。イエズス会の思想はフリーメイスンリーとも共通する部分が多く、カトリックの中では比較的イエズス会はフリーメイスンリーと近い思想の組織と考えられるかと思います。ブラザーキップリングがイエズス会信者であったなどというのは恐らく研究者からも否定されるかと思いますが、少なくとも墓標に記されたシンボルからはそういう推測が成り立つものかと思います。
(2013/8/6追記:トリプルタウでもあるようです。恐らくロイヤルアーチメイスンリーに加入していたのでしょう。イエズス会よりもそちらの方が近いようです。)

Sir Isaac Newton
これはフリーメイスンとしては恐らく含まれない有名なニュートンの墓です。ニュートンの墓にはシンボルとしても認められる天球儀やオベリスク状の背景の構成、さらにこの写真には写っていませんがさらに上には三角形の印も認められます。ブラザーウィリアム・ブレイクもニュートンを題材として象徴的なコンパスを持たせた絵を描いていますが、極めてフリーメイスンに近い人物であっても、最終的には彼は極めて偉大な科学者であっても実務的メイスンリーではもちろんなく、1717年のグランドロッジ結成後の極めて思索的メイスンリーに近い存在ではあるが、彼のブラザーフックとの確執や一生独身であった事、人生後半の錬金術師としてや聖書研究の過程などからもフリーメイスンとは認められなかったのではないかと思われます。

さて次からは私が写真を撮ったいわゆるオベリスク状の表示を持つ墓です。
Edward TufnellIMG_2588.jpg
同じものですが右が私が撮ったものです。回廊の場所にあるのですね。ブラザーエドワード・タフネルです。オーストラリアのブリスベーン教区の国教会の司教のようです。
Thomas Sanders DupuisIMG_2590.jpg
ブラザートーマス・サンダース・ドゥピュイスです。教会の作曲家、オルガン奏者のようです。フランス出身のようです。
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ブラザーダニエル・プルテニーです。政治家で大臣であったそうです。
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ブラザーピーター・メイスンだそうです。検索しても出てきません。82歳で1738年9月1日に亡くなったそうです。ジェントリーであったそうで有名人ではないのかもしれません。
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ブラザーウィリアム・バカンです。スコットランド出身の医師で「ドメスティックメディスン」を執筆したそうです。隣の名前の表示から検索していますが、オベリスクの上の部分が剥落してしまっているのでしょうか。オベリスクの墓とは別かもしれません。

この後はFind A Graveで見つけたオベリスクやシンボルを含んだ墓です。
Henry Priestman
ブラザーヘンリー・プリーストマンです。第二・三次英蘭戦争を戦った指揮官のようです。1712年に亡くなっています。グランドロッジ結成前のフリーメイスンのようです。
John Stanhope
ブラザージョン・スタンホープ卿です。軍人としてスペイン継承戦争でフランス軍に捕虜となった後に政治家となったそうです。1721年に亡くなっているそうです。
Thomas Shadwell
ブラザートーマス・シャドウェルです。詩人で劇作家のようです。1692年に亡くなっています。グランドロッジ結成前の思索的メイスンリーでしょうか。
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ブラザーエドモンド・ハレーです。これは記念碑で墓ではないようです。彼はハレー彗星の発見で有名なグリニッジ天文台長でした。星自体シンボルですし、彗星の尾がAll Seeing EyeのGloryのようです。
Christopher Monck
ブラザークリストファー・モンク卿です。軍人で政治家であったそうで、ケンブリッジ大学の学長も務めています。軍事的には能力はなく1688年に35歳でジャマイカで亡くなったそうです。碇のシンボルを認めます。
GEORGE HOWE
ブラザージョージ・ホー卿です。墓ではなく記念碑のようです。ブラザージェームズ・ウルフらとともに七年戦争やフレンチインディアン戦争を戦い1758年に33歳で戦死したそうです。
HENRY CAREY, LORD HUNSDONTomb_Westminster_Abbey.jpg
ブラザーヘンリー・ケアリー卿です。四つのオベリスクと白黒のモザイク床で表現されるかなり目立つものです。1526-1596に生きた方で、ヘンリー八世の二度目の妻でエリザベス一世の母親であり、ヘンリー八世に処刑されたアン・ブーリンの姉であるメアリー・ブーリンの子供ですが、恐らく父親がヘンリー八世ではないかと思われているいわくつきの人物です。軍人、政治家として働き、シェイクスピアのパトロンとなった人物だそうです。どうもこの墓といい逸話といい、ヘンリー八世の治世、エリザベス一世の治世がイングランドの思索的フリーメイスンリーの起源であるという発想はこの地では根強いようです。
Jonas Hanway
ブラザージョナス・ハンウェイです。やはり記念碑のようです。冒険家で篤志家であり、カスピ海周辺まで探検したそうです。様々な逸話があるようです。The Marine Societyを設立したそうです。
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ブラザー大ピットです。有名な政治家で首相を務め演説中に亡くなっています。子供の小ピットもフリーメイスンだと思われますが、墓にシンボルは認めませんでした。こちらは蜂の巣を認めています。
Christopher Marlowe
こちらは記念碑だと思われますが、ブラザーオスカー・ワイルドと並んで、何やらシンボルのような形に対称形にクリストファー・マーロウの名前が刻まれています。このクリストファー・マーロウはまたいわくつきの人物で、エリザベス朝時代のどうも秘密結社の構成員だとかスパイだとか言われているそうで、シェイクスピア以前の詩人、劇作家であったようですが、29歳で恐らく陰謀で刺されて殺されているそうです。ブラザーオスカー・ワイルドも有名な同性愛者でしたが、このクリストファー・マーロウも同性愛者であったようです。恐らく思索的メイスンリー以前のいわゆるテンプル騎士団などの流れを汲む英仏を股にかけた国家間のやり取りに使われた秘密結社に属していたのではないかと推測されるそうです。ちなみに葉山にあるプリンで有名なマーロウは40年ほど前の探偵物語の主人公の名前のようです。もちろんこちらのクリストファー・マーロウの名前を借りた話だと思われます。こういう話をみるとウェストミンスター寺院がなぜ撮影禁止なのかがわかる気がしますね。フリーメイスンリーに関する秘密がいっぱいというかそれしかないというところなのかもしれません。
David Lloyd George
ロイド・ジョージ首相の墓です。恐らくフリーメイスンでしょうがはっきりとしたものはわかりません。恐らくこの墓標の周囲の輪はグノーシスの蛇をかたどっているものかと思います。友愛の結び目よりもそちらに近そうです。
Andrew Bonar Law
ここからはすごいシリーズになります。なんと墓標の表記が対角線の向きに記されているものをフリーメイスンとしています。もちろんフリーメイスンリーのシンボルと近い菱形となりますが、それだけでフリーメイスンと出来るでしょうか。まあ結局ほとんどがフリーメイスンであるに違いないのですが、それを示すような形をとるかどうかは本人次第や状況次第で、その一つの示し方がその正方形を斜めに使うという事だと推測したわけです。うーんどうでしょう。ただの正方形でもパーフェクトアシュラーを示すとも言えなくないわけですが、ブラザーキップリングやブラザーヘンデルのものを見ても微妙でしょうね。(書いていて思い出しましたが、20年前に日本人ガイドの方と一緒に解説されて周った時は、どうもそういう向きが色々意味があるとか、墓の彫刻の意味があるとかそういう解説を受けた気がします。現在でもオーディオを聞きながら回れば色々とそういう示唆が含まれているかもしれません。私は時間の関係でオーディオサービスを受けなかったのでわかりません。)上のものはブラザーアンドルー・ボナー・ローのものです。首相経験者です。
Charles Villiers Stanford
ブラザーサーチャールズ・ヴィリアーズ・スタンフォードです。アイルランド出身の作曲家です。ブルーバードやアイルランド狂詩曲などを作っています。いきものがかりが同じ題名の曲を作っているようです。
George Green
ブラザージョージ・グリーンです。家業のパン屋を手伝いながら数学や科学の論文を出したそうです。これは記念碑のようです。
George II
ブラザージョージ二世です。白黒のタイルであり、グランドロッジ結成後であり間違いないと思います。ブラザーヘンデルのメサイアを聞いてスタンディングオベーションしたとの逸話があるそうです。
Herbert Charles Onslow Plumer
ブラザーヘルベルト・チャールズ・オンスロー・プルマー卿です。陸軍元帥のようです。第一次世界大戦を指揮したようです。
John Smeaton
ブラザージョン・スミートンです。土木工学の設計者であったようで、Lunar Societyというブラザーベンジャミン・フランクリンも所属していたバーミンガムでの科学者の夕食会クラブの会員であったようです。要するにフリーメイスンリーです。ブラザーライト兄弟の使用した揚力方程式を作ったそうです。脳梗塞で歩行中に亡くなったそうです。
Laurence Olivier
ブラザーローレンス・オリヴィエ卿です。シェイクスピア俳優でヴィヴィアン・リーと結婚しています。彼の出演作は一見して全てフリーメイスンリー関連の作品ばかりです。
Michael Faraday
ブラザーマイケル・ファラデーです。記念銘盤のようです。
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ブラザーファラデーのお墓です。ハイゲイト墓地にあるそうです。
ブラザーファラデーは科学史上でも最も偉大な発見をしている人物の一人で、全く高等教育を受けていない青年期に本屋で働いていた人物です。ベンゼンを発見し、電気分解の法則を発見し、最初のモーターを作り電磁誘導の法則を発見しました。光に対する磁場の影響のファラデー効果を発見しています。ファラデーのクリスマスレクチャーの「ロウソクの科学」は有名です。ウェストミンスター寺院への埋葬を拒否していたそうです。
Neville Chamberlain
ブラザーネヴィル・チェンバレンです。ブラザーチャーチルの直前の首相でナチスドイツへの宥和政策で有名です。バーミンガム大学の前身のメイソン科学大学を卒業しているそうです。異母兄のオースティン・チェンバレンがノーベル平和賞を受賞しています。恐らくこちらもフリーメイスンでしょう。1940年11月9日に71歳で胃癌で亡くなっています。
Paul Adrian Maurice Dirac
ブラザーポール・ディラックです。量子物理学者でエルヴィン・シュレーディンガーとともに1933年にノーベル物理学賞を受賞しています。ディラック方程式を考案し、これから陽電子の存在を予言したようです。
Prince George of Denmark
ブラザープリンス・ジョージオブデンマークです。アン女王の夫だそうです。
Sir Rowland Hill
ブラザーサーローランド・ヒルです。イギリスの郵便制度を改革して初めて郵便切手を作った人のようです。
Sir William Walton
ブラザーサーウィリアム・ウォルトンです。20世紀を代表するイギリスの音楽家だそうです。シェイクスピア作品の映画化で音楽を作っているようです。
Sydney Webb
ブラザーシドニー・ウェッブとその妻ビアトリス・ウェッブです。イギリス労働党の元となるフェビアン協会の中心的な社会主義者だそうです。ソ連の大飢饉を報告させないように圧力をかけたそうです。
William Blakeney
ブラザーウィリアム・ブレイクです。記念碑のようです。有名なフリーメイスンとしてブラザーヘンデルとブラザーキップリングと一緒にしても良いですが、対角線の名前という事でこちらで良いと思います。対角線の名前の形、菱形の象徴はフリーメイスンを意味するとして良いのだと思います。
William Herschel
ブラザーウィリアム・ハーシェルです。元々音楽家であったようですが、ドイツからイギリスに移住してその後天文学者になったそうです。天王星を発見しその他にも重要な天文学上の発見をしているそうです。その他最初に赤外線放射の存在を証明しています。
William of Orange
ブラザーウィリアム三世です。オランダ総督を務め、名誉革命の際に妻メアリー2世とともに共同統治する形でイギリス王となりました。名誉革命後はオランダ人の貴族を政府の高官として迎え入れたそうです。子供で成人したものはおらず、女王の死後に1702年にヨハネ騎士団の荘園であったハンプトン・コート宮殿で乗馬中、モグラの穴に馬が脚を踏み入れたために落馬して重体となり、ケンジントン宮殿で51歳で死去したそうです。ハンプトン・コート宮殿には有名な迷路の庭園とブラザークリストファーレンによる建築、およびメアリー女王の幽霊の伝説があるそうです。その後スコットランド人のジャコバイトの間で、穴を掘ったモグラを賞賛する歌が流行したそうです。名誉革命でイギリスはフランスのルイ14世の衛星国的存在から反フランスのプロテスタント的立場を明確にした転換点であったようです。その後オランダ海軍はイギリス海軍に勢力を奪われていくようです。
Frank Whittle
ブラザーサーフランク・フィットルです。イギリス空軍の技術者でターボジェットエンジンを実用化するのに尽力したそうです。対角線の菱形ではなくヘキサゴンですね。良いのではないでしょうか。

さてウェストミンスター寺院にはこの他にもサミュエル・ジョンソンやジェフリー・チョーサー、ジョン・ゲイ、アルフレッド・テニスンなどの詩人、チャールズ・ディケンズなどの小説家も埋葬されているのですが、明らかにフリーメイスンとはわからなかったので取り上げていません。サミュエル・ジョンソンやディケンズやゲイやテニスンなど1717年以降に亡くなった方はフリーメイスンではないかと思います。

ウェストミンスター寺院については以上で終わりにします。また何度も訪れればそのたびに新しい事がわかるかもしれません。まあ基本的にグランドロッジ結成以降に亡くなってウェストミンスター寺院に埋葬されたり記念碑がある方はフリーメイスンで良いと思います。すなわちほとんどフリーメイスンの墓という事です。
2012-11-06 20:27 | カテゴリ:イングランド
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
ウェストミンスター寺院を出てからバッキンガム宮殿に向かいます。こちらは20年前はもちろん開放などされていなかったところであり、現在でも7月から9月の期間だけ公開しているようです。
良くはわかりませんがウィンザー城で火事があったためその修復費の為に一般公開して入場料を充当しているという名目のようです。その割には一生懸命お土産を売っていたのでついたくさん買ってしまいました。
ウェストミンスターからバッキンガム宮殿には途中バードケージウォークというセントジョージ公園の脇を通るいかにも感じの良い通りがあり、その名の通りこの通りの公園沿いには鴨や白鳥などの水鳥がうろうろしていました。その雰囲気がわかる動画や写真がありましたので転載します。私は前日のiPhoneの電池切れもあり、あまりたくさん写真を撮るのに用心深くなっていてこの通りは全く撮っていません。雨は相変わらず降っていました。徒歩20分位でしょうか。前日の歩行もあり足はかなり疲れています。
640px-Birdcage_Walk,_Westminsterバッキンガム宮殿周囲地図



バードケージウォークマーチという行進曲もあるそうです。参考に置きました。
まあバッキンガム宮殿の旗はユニオンフラッグがはためいていました。
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なんだか若い育ちの良さそうな少年や少女たちが入り口で楽な入場客への説明をしていました。他に仕事はないのでしょう。
中は非常に後で訪れるルーヴル美術館と作りが似ています。というか、結局王室の宮殿というのは同じ作りになるのではないでしょうか。まあ広すぎて良いという事もないという当たり前のことだと思います。内部の参考になる動画はオリンピックの際のエリザベス女王が会場に訪れるまでの動画だと思います。訪問客は非常にイギリス人と思われる高齢者が多く、王室人気が高い事を示していましたが、あれほどダイヤモンドに興味があるとは思われませんでした。門番をやっている孫を見に来たのかもしれません。展示物ではサーアンソニー・ヴァン・ダイクの筆によるチャールズ一世関連の肖像画が印象的でした。まあ王室というものは常に革命を恐れる存在なのだと思います。ここでもイギリス共通のオーディオサービスがあるのですが、日本語のものは非常に変でした。テレビに出る皇室関連の説明する高齢女性のような解説で、これらオーディオサービスのものでそもそもきちんと説明する気があると思われたのはセントポール大聖堂のもののみでした。そもそもそういうシステムを主導するのがフリーメイスンリーであるという事だと思われます。
Charles_I_with_M._de_St_Antoine_(1633);_Anthony_Van_DyckThe_Assumption_of_the_Virgin_(1612-17);_Peter_Paul_RubensDE-BEERS_2219087a.jpgqueen-elizabeth-diamond-jubilee.jpg
さてまあ相変わらず王室関連は写真撮影禁止で、なんだかやたら混んでいて特殊な観光地です。以前は入れなかったところと言っても入れたからと言ってどうという事はありません。(11/12追記:BBCの紹介動画がありましたのでリンクします。)最後のところでお決まりのカフェがあって全員がすべからくそこでお茶を飲んでいくわけですが、珍しくグリーンティーがあったので注文してしまいましたが、いずれにしろティーバッグでどうも公開している事が王室が好んで行っているわけではない姿勢が垣間見えます。グリーンティーはちょっとあまり良くありません。全般的にロンドンで飲んだ紅茶はあまり良くありませんでしたが、ここやウィンザー城でお土産で買った紅茶はなかなかおいしいです。そんなもんではないでしょうか。おいしい抹茶なら鎌倉の紀伊国屋で買えばよいのだと思います。最近は日本で売っている紅茶の方が日本人には美味しく感じられるものも多いようです。そもそもアジアはお茶文化は欧米より古いですからね。
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メニューを写すために撮ったのですが店員さんがバッチリ映っていますね。あまりメニューは見えなさそうです。ケーキもいまいちでした。まああまり公開する事に乗り気ではないようです。こういうので良かったのは葉山のしおさい公園、旧御用邸とか三渓園でしょうか。博物館も大体大したことはありません。入場客が少ないところが大体感じが良いです。
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おっとしょうもない観光客の文句になってしまいました。一応英国王室はフリーメイスンリーの頂点に位置する象徴です。どうもここを見学した後から天気が晴れてきたようです。やはりグランドロッジとその国の権威への訪問はどの場合も大切です。
さてバッキンガム宮殿を出るとハイドパークコーナーという地下鉄の駅がある広場まで歩きます。
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ウェリントンアーチという凱旋門があります。ジョージ四世の時代にナポレオン戦争の勝利を記念して造られたそうです。
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ブラザーウェリントン卿の銅像です。Iron Dukeと呼ばれるようです。ブラザーナポレオンをワーテルローの戦いで打ち破り後に首相となっています。
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イギリス砲兵連隊の第一次大戦の戦死者の記念碑のようです。
ここから地下鉄に乗ってピカデリーサーカスへ行き、そこから歩いてトラファルガースクエアへ行きナショナルギャラリーに向かいます。
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途中王立劇場の前を通ります。オペラ座の怪人を公演している事で有名です。アンドリュー・リロイド・ウェーバー監督と結婚していたサラ・ブライトマンが宇宙へ行くなど話題がありました。ウェーバー監督はフリーメイスンではないでしょうか。

やっと雨があがってきたようです。
2012-11-10 16:14 | カテゴリ:イングランド
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
さてロンドンの旅に戻りましょう。
再びトラファルガースクエアです。
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ジョージ三世の銅像です。アメリカ独立戦争や対ナポレオン戦争の時代を治めた王でイギリスの王の中でヴィクトリア女王に次いで二番目に長い60年の治世でした。晩年は息子たちのスキャンダルから認知症を患って息子のジョージ四世を摂政としました。ブラザー小ピットを首相としてブラザージェームズ・ワットの蒸気機関の発明などで産業革命がおこった時期です。トラファルガースクエアの西側にあります。
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ナショナルギャラリーです。
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ジェームズ二世です。名誉革命で追われたイングランド最後のカトリックの王です。チャールズ一世の子供で清教徒革命の際にはフランスに亡命します。その後クロムウェルの死去に伴って帰国し、兄チャールズ二世が亡くなると王となりましたが、カトリックの信仰を公にして反発を受け、最終的に名誉革命によってフランスに再亡命しました。死ぬまでジャコバイトの運動を続けました。ジェームズ二世の庶子の家系がスペンサー家と婚姻しダイアナ元妃の家系となるそうです。ダイアナ妃の結婚がセントポール大聖堂で行われたのももしかするとこうした家系によるのかもしれません。
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ネルソン記念柱も少し天気が良くなったとは言え、思いっきり工事中でしたね。
トラファルガースクエアも良く見ると床面がモザイク状になっています。
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撮影当時銅像の人物が最も良くわかったものでした。ブラザーワシントンですね。ファスケスを持っています。最もホッとした銅像でしたでしょうか。

ナショナルギャラリーに入ります。
入場は無料なのですが、入口には大英博物館と同じくポンド硬貨を投与するような募金箱があります。
写真撮影禁止なのでここでも実際何が展示されていたのかほぼ忘れてしまっています。結局ウィキペディアに出されているものをあらためて見て、こんなものあったかなあという感じになってしまいます。是非こういう写真撮影不可は止めてほしいものです。まあそうしないとアジア人の無粋なフラッシュ写真で気分を害されるというのもあるのでしょうが、やはりあとで写真を確認できないとほぼ記憶に残りません。

全体の印象は日本の国立西洋美術館と似た感じでやはり中世の宗教画から、ルネッサンスの画法となり、印象派で終わるという美術の教科書のような流れで、やはり結局ゴッホのひまわりが一番印象に残る感じで、美術の成績でいうと100点満点だけど実際そんな美術に興味はないみたいなそういう感じでしょうか。まあそれがイギリスなのだと思います。
ウィキペディアにある展示物の写真を転載します。
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キリストの洗礼、ピエロ・デラ・フランチェスカ
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チャールズ1世騎馬像、アンソニー・ヴァン・ダイク、ロイヤルコレクションとの違いが面白いかもしれません。
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ひまわり、フィンセント・ファン・ゴッホ
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海港 シバの女王の船出、クロード・ロラン、船の図はグリニッジにも多数ありましたがシンボルを描いた絵となります。
1280px-Paul_Cézanne_048
女性大水浴図、ポール・セザンヌ
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サン・ヴィダルの石工工房、カナレット、ありし日の実務的メイスンリーの姿ですね。
Hans_Holbein_the_Younger_-_The_Ambassadors_-_Google_Art_Project.jpg
大使たち、ハンス・ホルバイン、良く見ると直角定規や地球儀などのシンボルが描かれています。また斜め下から見るとわかるような髑髏が描かれていて、これもシンボルとなります。
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国会議事堂 - 日没、クロード・モネ、その後の睡蓮の連作に繋がる重要な作品です。
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雨、蒸気、スピード-グレート・ウェスタン鉄道、ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー
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アルノルフィーニ夫妻像、ヤン・ファン・エイク
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岩窟の聖母、レオナルド・ダ・ヴィンチ
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アニエールの水浴、ジョルジュ・スーラ、スーラも早世していますが点描画の作家として興味深い人生です。
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空気ポンプと鳥の実験、ジョセフ・ライト・オブ・ダービー
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洗礼者の首を持つサロメ、カラヴァッジョ
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当世風の結婚、ウィリアム・ホガース、フリーメイスンです。

まあこうやって並べるとすごい作品があるのだなあと思うかもしれませんが、実際他にもたくさんの作品が並べられているとどれがすごいのか全然わからないかと思いますし、宗教画が非常に多くなかなかポイントがわかりづらいかと思います。国立西洋美術館と良く配置が似ていますが、やはりこういう見せ方ではルーヴル美術館が秀逸であったと思います。

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ナショナルギャラリーの入り口はやっぱり白黒のモザイクでした。石工のコレクションなのですね。
ウィキペディアの該当項目を読むとなかなか開設までには相当の経緯があるようです。テートブリテンで感じた絵画美術不毛の地のイギリスで絵画美術振興の必要があったというのは当たり前であったようです。

さてでは大英博物館に向かいます。
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ナショナルギャラリーの東側に第一次世界大戦中にベルギーでイギリス人捕虜の脱出を手助けしてドイツに捕まり銃殺された看護婦のエディス・キャベルを記念した像があります。最初の看護婦とも言われるナイチンゲールを記念してフリーメイスンリーでもその名を冠したロッジがあったりします。こういう活動とフリーメイスンリーは強く関係しているのだと思われます。
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またちょっと行ったところでサーヘンリー・アービングの銅像があります。小説ドラキュラのモデルとなったような舞台俳優だそうです。
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さてこの旅で二度目の大英博物館です。内部が20年前の印象と劇的に異なるのは1997年に併設されていた大英図書館がセントパンクラスに移り、正面入り口からすぐのホール部分にあった図書館の閲覧室がレストランや回廊となったからのようです。午後4時頃ついたので閉館の1時間位前でしたでしょうか。
英語版ウィキペディアに一部収蔵品の写真があります。公式ページにも収蔵品のHighlight5000点の写真と解説がありますが一部だと思われます。一応サーチエンジンでは200万点の収蔵品から検索できるようです。
上の写真は手前がアメンホテプ3世の胸像だそうです。アマルナの宗教改革を行ったアメンホテプ4世の父親です。ルクソール神殿を建設した王で、そこにあったオベリスク2本のうち1本がパリのコンコルド広場にあります。
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アッシリアのシャルマネセル3世の戦勝を記念したオベリスクのようです。アッシリアの属国であったイスラエル王国が贈り物を送る様子も描かれているようです。
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アッシリアのアッシュールナツィルパル2世がイラク北部のカルフに首都を置いた、現在ニムルドと呼ばれる考古学史上重要な都市の宮殿の入り口にあった人頭有翼獣(ラマッス、顔は人で翼をもち獅子や雄牛の体をしている)の像です。10組以上あったそうでニューヨークのメトロポリタン美術館にも同様のものがあります。スフィンクスと同じ意味なのだと思います。こういうものがイラク戦争の原因の一部であるかもしれません。現地の遺跡は危機的な状況のようです。メソポタミアの歴史は旧約聖書にも一部ありますが、Grand Orientの東方の地であり、まさに人類の文明史でのエジプトと双璧の秘密になるのだと思います。
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アッシリアのシャルマネセル3世の関連のもので上記のニムルドのもののようです。聖書関連の遺物として大英博物館の主要な研究対象であったようです。同様のものがギルガメッシュ叙事詩の粘土板でノアの箱舟の逸話に繋がる大洪水の話などがあり、それらもこの大英博物館で研究されわかったそうです。
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最も有名なロゼッタストーンです。完全にガラス張りになっていました。ロゼッタストーンについてはエジプトがやはり返還請求をしているそうですが、現在の2011年のエジプト革命後のエジプトはどうなのでしょうか。ロゼッタストーンの内容については異常に長いウィキペディアの解説を参照としてください。この後訪問するルーヴル美術館のブラザーシャンポリオン監修によるエジプトコレクションの膨大な量を考えるとそちらにあったほうがブラザーシャンポリオン(彼の墓の写真)の成果もありぴったりかもしれませんが、実際には研究の中心はやはりこちらの大英博物館でという事のようです。この辺りはいわゆるイギリスフリーメイスンリーとフランスフリーメイスンリーのエジプト学や人類の草創に関する学究の競い合いがあるものかと思われます。

YouTubeで解説付きのツアーがありました。もちろん英語ですが興味のある方は参考にしてください。
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再び大英博物館の正面入り口です。サーリチャード・ウェストマコットによる文明化の進展という彫刻だそうです。天球儀があるのでしょうか。ギリシアのパルテノン神殿を模しているようです。パルテノン神殿に関してはかつてはごく極彩色に彩られていたものがイギリスが輸送する際にはほとんど禿げていて、ここ大英博物館で積極的に白くするために1930年代に磨いたという逸話が最近公表されています。
大英博物館はそもそもサーアイザック・ニュートンの後を継いで王立協会会長を務めた医師のハンス・スローン卿のコレクションを元にして1753年に設立されたそうです。王立協会の現在の会長は2001年のノーベル生理学・医学賞を受賞したポール・ナースです。
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いろいろ逸話には事欠かない大英博物館の夕陽です。また翌日に訪問し収蔵品を写真に収めています。
これでロンドン3日目もおしまいです。

昨日は東京シンフォニアのイタリアセレナーデがありました。イタリアオペラの作曲家を中心とした非常にマニアックな構成となっていました。なかなか複雑な世の中です。オペラは非常な楽しみですが、フランス革命以降のほとんどのオペラ作曲家はフリーメイスンのようです。近代の有名音楽家もほとんどがフリーメイスンのようです。フリーメイスンリーについて学ぶことと、音楽について学ぶこと、科学について学ぶこと、政治について学ぶこと、これらはほとんど同義かもしれません。興味のある方は是非調べてみて行動してください。

ロンドンは翌日はウィンザー城に出かけます。
2012-11-11 11:23 | カテゴリ:イングランド
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
さてまあウェストミンスターや大英博物館は内容が濃密過ぎて実際行っても疲れてしまうわけですが、それをきちんと把握して咀嚼するためにも王室やフリーメイスンリーの知識は必須な訳です。こうしてブログにするとやはりそれぞれの撮ってきた写真について説明するためにも勉強するわけですが、実際行って見るだけだとそのまますごいなあというだけで理解する事にはなかなかならないかと思われます。それでいいとおっしゃる方もいるかもしれませんが、それでは進歩はありませんし、それら銅像や絵画、お墓などが示すシンボルの意味は自らが向上したいと思う人にとっての材料であり道具であるのです。まさにそれがフリーメイスンリーだと思います。

さてロンドンも3日目を終わって、夕食はほとんど食べなかったと思います。毎回歩き疲れて寝てる状態です。それで面白いのかと言われるとあれですが、まあ勉強のため来ているようなところです。

そして4日目です。まあ結局1週間位の旅行ですからやっとゆったりしてくるのは時差ボケも含めてこの位からで、ゆったりしたければ家にいるか近所のホテルに泊まればいいわけで、勉強するに如くはなしだと思います。相変わらず朝食はちゃんと食べたと思います。

ウィンザー城はなぜ行こうかと思ったかというともちろんウィキペディアなどでフリーメイスンリーの最初の会合が1360年に開かれたという内容があったからであり、かつてロンドンに旅行に来た際にはストーン・ヘンジを訪問し、雹に降られてあまり良い印象も無かった事でもう一度同じところに行こうと思わなかった事もありました。20年前は途中バースとソールズベリー大聖堂も訪問したのですが、バースは入浴施設も無く、現在は水着で入るものもあるそうですが、またカンタベリー大聖堂も石の建築に飽き始めてその独特のかびの臭いに疲れていたころで、再び訪問したいとは思いませんでした。またその当時は特にキリスト教教会の雰囲気に飽き始めていたというのもありました。ウィキペディアのフリーメイソンの項目も改変が常にあり、かつては起源説でこのウィンザー城での石工の会合が最初に書かれていたのですが、その後明らかにブラザー片桐三郎関係と思われる改変があり、ウィンザー城に関する項目は消えていましたが、また最近起源説として加えられたようです。

ウィンザー城自体は訪問して感じた事はフリーメイスンリーというよりも現王室がウィンザー朝という名前を付けた通り王室関係としての落ち着いた印象が強く、高齢者にお勧めの観光地という感じ以上の印象は受けませんでした。まあ後で火事の話も出てきますが、王室の象徴という場所なのだと思います。

そういうわけでロンドン4日目のウィンザー城訪問ですが、通常の旅ブログのように薄い内容となりそうなのを先に断っておきます。内容的には少ないですが写真の数の関係などで相変わらず三分割して解説する事とします。旅の雰囲気をお楽しみ頂き旅行の参考としていただければ幸いです。
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4日目はそれまでの2日間と異なって恐ろしいほどの快晴です。やはりグランドロッジとバッキンガム宮殿は早めに周ったほうが良さそうです。まあホント旅行は天気次第です。
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ウィンザー城にはワーテルロー駅、英語だとウォータールー駅だと思いますが、ナポレオン戦争決戦の地の名前ですが、ロンドンアイのすぐ南にある鉄道の駅から電車に乗って30分位な訳ですが、その駅まで地下鉄で移動します。ラッセルホテルのすぐ近くのラッセルスクエア駅から乗るわけですが、ウィークデイという事もあり人の流れと逆方向に動くのでなぜか間違えて通常エレベーターに乗るところを非常階段と同じような恐らく最も長い螺旋階段を降りてしまいました。エレベーターに乗れないで急いで登ってくる出勤の方々に大変な迷惑をかけてしまったのですが、こちらは珍しいものを見つけた気持ちでちょっとラッキーみたいな感じです。ロンドンの地下鉄は非常に面白いですが、恐らくその中でもフリーメイスンリー関連で最も特色あるのがホルボーン駅とこのラッセルスクエア駅なのだと思います。この後登るセントポール大聖堂の螺旋階段も非常に長かったですが、継ぎ目のない連続した螺旋階段としてはこのラッセルスクエア駅の螺旋階段が恐らく最も長いのではないでしょうか。螺旋階段に興味のある方は是非一度行って見てください。
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ウォータールーステーションです。チケットを買うのがちょっと面倒で、実は間違えて往復分を二回分買ってしまいました。1000円くらいの損失です。ウィンザー城のチケットと一緒に頼むと割引もあるそうなのでそれがお勧めです。どうもロンドンに来てから両替といい地下鉄のチケットといいどうもボッタくられている感じがしますが気にしないようにしましょう。まさにフリーメイスンリーといったところです。ロンドンの鉄道は時刻表はありません。ウィンザー城に行くにはどのホームで待ってれば良いのかと係員に聞くとこのホームだと言い何分に来るかはわからないからそれ以上聞くなと言われます。鉄道の常識はだいぶ異なります。10分ほど待っているとすぐにウィンザー・イートン行きの鉄道が来ます。鉄道の印象はとにかく静かという事です。座席も改良されていて、とにかく乗り心地はアメリカと言いイギリスと言い日本より良いですね。山手線のようなつもりで待っていたのですが、完全に観光列車で箱根登山鉄道のような印象です。
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天気が良いと気持ちも良いですね。
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ヴィクトリアタワーのユニオンフラッグも映えます。
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実はこの他にも帰りの飛行機や空港までの地下鉄の車窓などロンドン郊外の普通の民家の様子を興味深く眺めて、写真に撮る機会もあったのですがあまり撮らないようにしていました。まあちょっと無遠慮かなと思ったわけですが、このウィンザー訪問の際は天気が良くて気持ちも高まっていた事もあり撮影しています。
基本的にレンガ造りの古い建物が多いですが、比較的均一な作りになっていて二階建てで煙突が付いた100年くらいは経ってそうなものが多いです。集合住宅のようなものもありますがあまり一般的ではありません。こういうレンガ建ての100年前からの建物に住んでいる人々がイギリスの一般的な住人なのだなあと感慨があります。非常に緑が多く、ゴルフ場などもそのまま緑の中に平らな所にある感じで、山はほとんどありません。緑も針葉樹はほとんどない感じで広葉樹で常緑樹が比較的多いのでしょうか。色々な植生が混じってる感じでした。公園などが充実している感じでしょうか。ロンドン近郊では工場などの環境に影響の出る施設はほぼ活動を停止しているような印象でした。恐らくですがほぼ公害や環境汚染となる建築物は大都市の近郊では徹底して絶滅しているという印象だったと思います。
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MI-6の裏側です。イランやイラクなどのメソポタミア文明の大神殿であるジッグラドを模した造りとなっているようです。007シリーズのテムズ河畔でのアクションなどで有名でしょうか。それよりも近くの近代的な高層建築が気になってしまいますが、もちろんマンションではないでしょうね。IT企業などが入っているのではないかと想像します。
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もう5分もするとこんな光景で、日本で言うと宇都宮や甲府辺りまで来たような印象でしょうか。まあ都市計画なんでしょうが、山手線がすぐに郊外に直結しているような印象でしょうか。
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20分も乗ると羊や牛の放牧が認められます。軽井沢か千葉のマザー牧場まで来た感じでしょうか。まあかつては日本でも東海道線で牛小屋が見られたりしました。ああいう環境が実は一番大事という当たり前の事を維持しているのがヨーロッパなのですね。本当に悪いと言えば悪いですが、文明がどうとか小理屈は実はふりかけのようなものです。
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さてまあ30分弱でしょうか。乗り心地もいいので印象としては日本の電車で10分位な感じです。気取って行くほどのところではありません。箱根かそんなところの感じでしょうか。箱根湯本の感じが近いかもしれませんね。まあとにかく乗客は少なくて落ち着いています。都心から10分で箱根湯本みたいなロマンスカーのような感じでしょうか。女王お気に入りのウィンザー城に到着です。前に歩いているのは日本人観光客であったかもしれません。箱根の方が安いよ~ってな感じでしょうか。

確かドアがボタン開閉だったと思います。そんなところもそんな感じです。乗降客はイートン校もあり栄光学園の生徒みたいな生意気そうな学生や暇そうないかにもフリーメイスンっぽいおじさんや忙しそうに買い物してる感じの有色人種のおばさんなど、まあ観光地にありがちの雰囲気です。まあロンドンから離れてすぐに異常に落ち着いていますのでそこを旅行者が移動する違和感は傍目には相当だと思います。乗降客の数なんかは私の記憶では日本では小海線に近いのではないかと思います。近所のバスみたいな利用だと思いますが、まあ完全に観光路線なのだと思います。ITって儲かるんだなあ。そんな印象でしょうか。優雅と言えば優雅なせせこましいと言えばせせこましい、植民地やITでこれを維持していると言えばその通りのなかなか悲しい英国の現実です。
2012-11-11 23:24 | カテゴリ:イングランド
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
さてさてウィンザー城につきました。どうもウィンザー城は枯れた観光地のようでオイスターのタッチ式のキップの確認も無ければ駅員が確認する事もありません。監視カメラがあるから良いようです。確か帰りには車掌がいちいち確認したんじゃないでしょうか。とりあえず移動する前にペットボトルの水を買っておきます。駅でチケットが買えるかと思って聞くとウィンザー城はすぐそこだ歩けと。イートンに行く人はバスに乗るのでしょうか。良くわかりませんが非常に枯れた観光地の印象です。
駅の横に噴水があり、Christian Victorという王族の方の銅像を横にして永田町の坂のような坂を石垣を左手にして登っていきます。銅像があるから恐らくフリーメイスンなのでしょうね。ウィンザー城周辺にも検索するとオベリスクがいくつかあるようです。
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銅像はグーグルアースにあったものです。石垣は仕事が非常に丁寧ですね。福岡城や皇居のものとは比べ物になりません。実際に戦闘で使われた事が無いとかいう事も重要であるかもしれません。威圧感はほとんどありません。Age Of Empireそのままの世界でしょうか。私個人としては福岡城の石積みが好きなのですが、やはり戦闘のない時代の石積みというのはたとえ戦争に向けた形であっても優美さというか美しさを意識したものが強く住居として魅力的ですね。
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ヴィクトリア女王の銅像の後ろ姿です。天気が良いと写真も映えますが、だからどうという事もありません。ウィンザー城周辺は非常に観光都市という雰囲気が強くお祭りみたいな状況です。なぜかウィンザー城へとつながる登り坂のベンチに高齢者が異常に多数座っています。銭湯に入る前のベンチみたいな感じでしょうか。
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入り口にあるウィンザー城の全景の写真です。どの部分が増築部分とか色々あるようです。英語版のウィンザー城の項目を見ると非常に多く書いてあります。気になるのは中国語版が英国の観光名所に関しては必ずと言って程英語版の逐語訳のようで大量の情報があるのですが、日本語版は明らかに五分の一から十分の一の内容となっています。ブラザーペリーの写真じゃないですが、日本の情報産業はまだこういうので稼いでいるのが多いのでしょうか。ウィンザー城は中国人はそれほど多くなかった気がします。(多かったかもしれません。)
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入り口で2000円位でしょうか。入場料を払って防犯ゲートを抜けて、ここはオーディオシステムを使って、中に入ります。常連さんもいるのでしょうかね。公式動画がありましたのでリンクします。BBCの動画もありました。
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良くわかりませんが色々計算されているのかもしれませんが、とにかく周辺に高い建物が一切ありませんので、それほど高くないこの城の塔が映える形になっています。威圧感無くそれでいて厳重な防備の印象と石の調和が非常に計算されているのかもしれませんが、姫路城や大阪城、皇居で慣らされている日本人にはあまり感慨をもたらさないかもしれません。かといってそれほど具体的に防備に厳重なイメージもありません。実際見た事はありませんが、万里の長城などと似た感じであるかもしれません。実際攻められたら逃げる他ないが、時間を稼ぐにはちょうどいい感じで籠城戦なんてありえないという戦闘スタイルを反映しているものかと思われます。まあ結局実際には戦闘ではなく交渉で物事を決める時代のそういう石工の技術を見せるモデルキャッスルというところなのだと思います。
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セントジョージ門でしょうか。そのまま聖ゲオルギオスが龍退治をしている様子が描かれています。まあ蒙古襲来の伝説なんでしょうがすごかったのでしょうね。
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銃眼が非常に姫路城などと同じ作りで面白いですね。ロングボウではなくてクロスボウなのでしょうが、実際に矢が放たれたら攻城器が無いと攻められませんね。まあでも実際に戦闘を意識させる構造はこの銃眼だけくらいじゃないでしょうか。
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この円塔が最も古いものであるようです。石工が集まったというのもこの塔なのだと思います。恐らく当時のイングランドで最も美しい建築であったのではないでしょうか。要は丘の上の塔であり、遠方の兵隊の動きを監視する監視小屋であったのではないでしょうか。まあ規模なんか見てもどう見てもフリーメイスンリーの原点という表現は言い過ぎなんだと思います。女王お気に入りの王室の城という事と、観光資源という事でフリーメイスンリーの起源説はあるのではないでしょうか。まあ塔だけだとグリニッジの天文台みたいに観測所として無駄のない美しい形をしています。この円塔に昇るツアーもあり、入口でオプションで1000円位追加すると1時間に一回くらい主塔の麓に集合して登れる事が出来るようです。
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エドワード三世塔になるのでしょうか。プランタジネット朝の1350年頃の王でガーター勲章を始めたり、百年戦争を始めたりしたようです。フランスの領地を失いますが同時に王家の紋章にフランス王の象徴であるユリの花を入れたそうです。英仏の長い長い関係を象徴する出来事なのでしょうね。
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右手がガーター騎士団の総本山でもあるセントジョージ教会です。ちょいちょい車が写っていますが、住居であることからも住人が多数いてその人たちの駐車スペースがあるようです。どうも高級マンションか駐車場を拡張した老舗の温泉旅館のようでもあります。馬車であればカッコイイのですが、どうも普通の車が置いてあると興ざめします。かといって地下駐車場がすぐに作れるような状況ではなさそうな事は同時に遺跡や現実の城であり抜け道や地下室がたくさんありそうな事を考えても容易に想像されます。
ガーター騎士団の関連でか、日本の天皇陛下が訪英してエリザベス女王の即位60周年で晩さん会が行われたのもこのウィンザー城であったそうです。
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またこのセントジョージ教会にはガーター騎士団の紋章を示す旗があるのですが、訪問時には全く吊るしていなかったと思いますが、吊るしている時は菊の御紋があるそうです。色々あるのだと思いますが、オリンピック期間中は吊るしている事もあったようです。
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これは菊の御紋ですね。
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オランダ王家のようです。
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スウェーデン王家のようです。
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ルクセンブルク王家のようです。
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ノルウェー王家のようです。
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スペイン王家のようです。
ほぼフリーメイスンリーと重なるのでしょうが、日本とヨーロッパとは異なるかと思われます。
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英国名物衛兵の交代ですね。実際多人数のものの本物を見たのはここが初めてだったと思いますが、衛兵の交代で一番感心したのは台湾のものであった気がします。緊張感があったせいでしょうか。ここのものはなかなか豪華で音も華やかで皆さんビデオを回していましたが、テレビでマン島のものなど見たことなどもありますが、未だに直に見ても意味が全くわかりません。観光用という事はわかるのですが、それにしては本物のライフル銃を持っていてあの動きで感心するほどの緊張感でも無くなんだかよくわかりません。一種の儀式なのでしょうが、観光資源という位置づけなのだと思います。観光客も結構長い事見ていて飽きてしまって途中でツアー客が多数動き出すといった反応で、池の鯉か水鳥に反応でもするような感じです。スタンリー・キューブリック監督のバリー・リンドンを思い出すのですが、果たしてあんな動きが戦闘で実際あったとは考えられません。まあ敵を油断させるためのお遊戯というと一番しっくりくるところでしょうか。
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ウィンザー城のお土産屋もバッキンガム宮殿と同様に充実しています。売っているものはほぼ同じですが、テディーベアとライオンのぬいぐるみが売っていて、一番シンボルのようで感心して撮りました。後で解説しますが、ここウィンザー城での火事が原因で、これらの城や宮殿を開放して修復費を稼がなくてはならなくなったそうで、まさにそういう象徴のお土産なのだと思われます。
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チャールズ2世の銅像と中庭です。この手前の円塔のふもとに待合場所があり、円塔に上るツアーが待っていました。また動画がありました。中庭については確かオーディオシステムでは空堀の形態とかなんかそういう説明があった気がします。空堀はないだろと思いますが、多分適当な説明であったかもしくは私の記憶違いでしょうか。実際にはポロでもやるための広場じゃないかと想像します。
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こちらの建物がミニチュアのドールハウスのコレクションや内部の住居のツアーの部分です。
入り口は北側のテラス部分にありました。写真部分は出口になるでしょうか。
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入り口の写真です。ここ以降はほぼネットで検索した写真です。
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ドールハウスのコレクションの写真のようです。ジョージ5世の王妃であったメアリー妃が国民から贈られたりして集めたコレクションだそうで、子供の教育に使ったのでしょうか。何やら上下水道が使えるようになっているとか火も使えるとか、完全に生活できるようなミニチュアになっているそうで、本当に何に使ったのか意味がわかりませんが、王室は色々あるという事という代表的な事ではないでしょうか。ジョージ5世の王妃であるメアリー妃も結婚以前にジョージ5世の兄であり婚約者であったクラレンス公と婚約して6週後に肺炎で亡くし、その弟である即位前のジョージ5世と結婚したという方です。クラレンス公はイギリスのフリーメイスンリーというと必ず出てくる切り裂きジャックの逸話で出てくるバイセクシャルを噂される人物だそうで、バイセクシャルの噂のもみ消しのために切り裂きジャック事件が起きたという説もあるそうです。当時の特にイギリス、ドイツでは王室や貴族などでバイセクシャルのスキャンダルが盛んにあり、実際そうした逸話もありそれが戦争や政治のきっかけとなる事も多々あったようです。(2/8追記:吉村正和著図説フリーメイソンでは映画「フロムヘル」のストーリーとして皇太子であったクラレンス公の長男であるアルバート・ヴィクターが密かに平民と結婚し、さらに梅毒に罹患していて、この事をゆすりのネタにした売春婦への王室付きの医師の復讐という解説がされています。私は「フロムヘル」も観ましたがそこまでのストーリーではなかったと思いますが、この映画は良く切り裂きジャックの真相についての映画として紹介されますので、詳細を解説するとこちらの話なのだと思われます。結局関係者はみな死んでしまって当時の時代に醜聞として世の中には出ずにヴィクトリア女王は天寿を全うしたという事になるのだと思われます。)ドールハウスはそうした王室に対する精神安定作用をもたらす象徴であったのかもしれません。
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これはドールハウスの写真のようです。なんだか訳が分からなくなってきますね。
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夜会のシミュレーションなどする目的なんでしょうか。まあとにかく精密にできていますが遊び用ではなさそうです。
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こちらは本物のウィンザー城の部屋ですね。この部屋が開放されていたかどうかは記憶が定かではないですが、ウィンザー城はとにかく火事の事と修復の事を何度も解説で言っておりました。
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日本語のものはあまり出てきませんが、日本でも報道されたようですが、英語版ウィキペディアに詳しいようです。1992年11月20日金曜日午前11:33に照明の漏電で発火したそうですが、消防警報が切ってあって被害が拡大したそうです。見学した際には発火場所は八角形の行き止まりのホールの場所でヘンリー8世の鎧が置いてあったと思います。プライベートチャペルという事で礼拝所だったのでしょうか。
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被害の状況のようです。解説ではここまでの状況とは説明していませんでしたが、かなりの被害であった事がわかります。王室はちょうどダイアナ妃の不倫騒動で揉めていたころで、ちょうど火事の20日後の12月9日に別居したそうです。泣きっ面に蜂とはこういう状況だと思われます。もちろんその後1996年8月28日に離婚が成立し、皆さんご存じの通りダイアナ妃は1997年8月31日パリで不慮の事故で亡くなりました。ちょうど切り裂きジャックの最初の殺人が起きた日であるそうです。ロンドン大火の前日ですね。大正天皇の誕生日です。
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現在はこんな感じでした。床の焼け焦げた板を裏返して使ったので修繕費が倹約できたとの逸話が涙ぐましかったですが、まあ実際すごい費用なんだと思います。
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ありし日のヴィクトリア女王の様子です。ウィキペディアによるとフリーメイスンリーのシンボルの入った装飾などもあるようです。解説を参考に探してみてください。
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北側のテラスからのテムズ川、イートン校側の景色です。素晴らしい景色です。マウントバーノンのような感じでしょうか。あまり例えが良くないかもしれません。
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東側でしょうか。
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ウィンザー城の東の端です。美しい噴水のあるバラ園があります。
2012-11-12 00:13 | カテゴリ:イングランド
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
さてその2がやたら長くなってしまったので後は写真をお出しするのみです。
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天気が良いので良い写真が撮れたと思いましたが、若干左右が切れていますね。
ここのバラ園がきれいでしたが下には降りられませんでしたね。
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美しいバラ園ですね。ウィンザー城が美しく見えるアングルでした。バラ園にある銅像はちょっと由来は良くわかりませんでした。公開区域ではないのかもしれません。
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なかなか写真が難しいところでした。
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ちょうどこちらも衛兵の交代するところでした。
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円塔の周りのバラです。花の季節にそれぞれ美しいのだと思います。まあ日本人だと余計なお世話ですが梅や桜が欲しくなります。菊はやり過ぎでしょうけどね。
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再び外です。このベンチに座っているのは恐らく見学の時間を潰しているのでしょうね。
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ウィンザー城の前のピザ屋で昼食としました。普通のチェーン店のイタリアンで楽しそうに店をやっていました。特別おいしいというわけではありませんが、普通においしかったです。以前にロンドンに来た時は本当に中華料理以外でおいしかったのはピザだけでしたが、その当時と比べてピザの値段も上がったのでしょうか。カトリックのイタリアの料理ですから相当色々あったのではないでしょうか。
そういえば写真を見ても旗がはっきりしませんね。王室旗を見た記憶はありませんし、恐らく午前中に周ったので正午に掲げるのではないでしょうか。ウィークデイであったので恐らくユニオンフラッグかと思われます。
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帰りはロンドンに近づくとまた降ってきました。ウィンザー城だけの特別の天気だったのでしょうか。

この後はウォータールー駅からタクシーで移動して再びシティー周辺をうろつきます。
2012-11-13 15:27 | カテゴリ:イングランド
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
ウォータールー駅からタクシーでモニュメントまで移動します。1000円位で10分位でしょうか。
ロンドンでの移動はタクシーは一番便利ですが高いです。東京と同じだと思いますが、地下鉄やバスは便利ですがなかなか難しいです。インターネット検索が必須だと思いますが、ご存じの通りパソコンが壊れては元も子もありません。

モニュメントはトラヤヌス記念柱をモデルとしているわけですが、フランスにもナポレオンの戦勝を記念した同様の記念柱があります。実際に登れる記念柱としてはこれだけかもしれません。
セントポール大聖堂に二日目に行った際の写真を参考にしてください。
入場が3ポンド、500円位でしょうか。
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店番をしていたのはアラブ人の人のようでした。
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中はこんな感じで鎌倉の大仏みたいに狭いので10人も入ったら大変な混雑です。街中にあるトンネルといった感じでしょうか。
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頂上はこんな感じです。完全に曇ってしまいましたね。ウィンザー城の晴天は幻のようです。周囲は比較的抑えた感じの建築ですがやはり300年前の建築ですから驚くほど高いとかそういう事はありません。
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まだ小雨は降っていなかったと思いますが、まあ雨に降られ続けていたので、それに比べればましかなという景色です。金網に接写して写したのですね。
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これはヘッダーの画像に使っていますね。上から下を覗いたところです。高さ62mで狭いので結構な怖さです。ぜひ登られる事をお勧めしますが高齢者には勧めません。
さてこの観光地としても優れたモニュメントの秘密です。
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なんと外に出る際に証明書をもらえます。そこには311段の階段が強調されています。

もちろんその数字がフリーメイスンリーを象徴する数字である事はご存知ですね。
奇しくも本日は11月13日でしたね。
2012-11-13 20:48 | カテゴリ:イングランド
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
奇跡と一概に言っても、人間が起こしえない神の奇跡から、一般に自然現象を例えて奇跡という場合まで様々ですが、今回の奇跡は主に後者の方です。そもそも聖書に現れる奇跡というのも様々で私が面白いなと思ったのは士師記6章37節~40節の湿った羊の毛を一晩おいてその下の土が乾いているという奇跡ですが、なんでそれが奇跡なのかなと思ったりもしましたが、三笠公園の回にも取り上げましたが、旧約新約聖書を通じて神の存在を証明する物事として奇跡、しるしは様々に描かれ、それらは神を信じる人々にとっての福音とされ同時にそれはそれを目撃する人々にとって理解しえない自然現象でもあったであろうという事なのだと思います。

とここまで言うとヘッダーの写真にも出している通り虹を見たという事になるのがわかってしまうわけですが、まあ虹も最近の大気汚染が進行した状況では水滴が空中にとどまっている事も少ないせいかほとんど見る機会も無いかと思いますが、空気がきれいであったかつては良く雨が降った後は虹が出たものでした。それが大洪水の後に出たものが特別なものであったかどうかはさておき、大体において雨が降ってそれが晴れた後の虹は自然現象としてほとんどの人の心に安堵感、活動への意欲を与えるのではないかと思われます。それはすなわち生命に必須の水分が補給され、その後に日照があって気温が上昇し生物の活動に最も適した環境が生じた事を意味するシンボル、まさに科学的なシンボル、ナイル川の氾濫が終息する事を告げる青鷺のシンボルのごとき、生命の波動の転換期を象徴するシンボルなのだと思います。
かつては光の波長が虹を作るなどわからない時代には、自然現象はそのまますなわち神の行いそのものであり、自然現象の中そのものに神の存在を感じる事が出来たわけですが、自然現象を解明しそれをコントロールする時代においてもなおそれらがシンボルとして我々自身に変わらぬ作用をもたらす事、神の存在霊的な事象について自身が究極的には不可知である存在、全知全能とは成りえない限られた自身を深く自覚し、神の存在、自然現象のありのままの中で日々生き続ける他ないというところになるのかと思われます。
とまあ無理やり高尚な内容に持っていこうとしていますが、要するに恐らく色々相当複雑なバックグラウンドがあって奇跡は起こるわけですが、それを目にする人はそれ自体の複雑な背景は理解しえなくとも、それが起きたという事で何かしら生活態度を改めるなり行動を変えるなりそういう事をするようになるという事なのではないでしょうか。まあ虹を見て感激して生活態度を変えるってのもおかしな話ですが、シンボルというものが表す教訓、フリーメイスンリーでの儀式の教訓、そうしたものは結局それを自分にどう生かしていくかというところになるのかと思いますし、それの目的はすなわちそうしたより良い人間を作るための道具という事につきるのだと思います。

とまあ訳の分からない前置きが相当長くなりましたが、結局その虹を見る事になるセントポール大聖堂を再び巡る事とします。
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モニュメントからセントポール大聖堂に歩いて移動する途中にイングランド銀行があります。ウェリントン卿の馬上の銅像とジェームズ・ヘンリー・グレートヘッドの銅像があります。ウェリントン卿はワーテルローの戦いの立役者ですが、ロスチャイルドのナポレオン勝利の誤報での株買い占めは有名な話かと思います。またジェームズ・ヘンリー・グレートヘッドはロンドン地下鉄を建設した技術者だそうです。フリーメイスンだと思われます。イングランド銀行の博物館もあるそうです。
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セントマリー・ル・ボウという英国国教会の古い教会のようです。なにやら鐘が有名のようです。
この辺りの北側にすぐギルドホールがあったのですが、この時は全く寄っていません。
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ワンニューチェンジという高級ショッピングモールがあります。時計など売っていますがどうも売れるのでしょうか。
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そのショッピングモールからのセントポール大聖堂です。明らかにロンドンのイメージを変えるための観光地っぽい高級雑貨売り場のモールですがなかなか昨今の状況では難しそうです。シンボルとなる巨大な釘がありますが、もちろん私には釘ではなく鑿に見えました。鑿は英語でChiselと言い、特に英国の実務的メイスンリーの歴史を引き継いだグランドロッジでの象徴的なシンボルになります。UGLEではEntered Apprenticeのシンボルとなり、アメリカ系ではMark Masterのシンボルとなり、York Rite、Royal Arch Masonryのシンボルとなります。PhoenixmasonryでChiselについて説明がありました。どうも説明にダイアモンドの輝きが内面の光とも重ねて説明されるようで、それでダイヤモンドジュビリーで盛んにダイヤモンドを展示している可能性があることがわかりました。あまりダイヤモンド批判するのはよろしくないわけですね。
まあそれだけ鑿は実務的メイスンリーの象徴でもあるセントポール大聖堂とも密接に関連したイギリスらしいシンボルなのです。もちろんこれらを知らないと釘に見えるでしょうが、石の建材にあまり釘は普遍的ではありません。
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天気が良いと写真も映えますね。
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隣の広場に通じる門とグランドロッジ結成を記念する表札です。
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ブログのヘッダーに利用しています。
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こちらも南面のフェニックスです。ブログのヘッダーに利用しています。
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この後はセントポール大聖堂に入場して中を上がります。
2012-11-18 23:41 | カテゴリ:イングランド
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
さてまあセントポール大聖堂に入場するわけですが、ミサをやっていない日には普通に入場ゲートがあって支払いがカードでも可能です。この辺は非常に興ざめですが、一人2000円位の入場料はかなりの収入になるのではないでしょうか。維持費を考えればその位必要なのかと思います。入口でiPodminiのオーディオシステムを渡されます。これが非常に使いやすくてわかりやすかったです。どの施設もこの方式でやってほしいものですが、おそらくそれらは単価が高いし儲けが少なくなるという事もあるのだと思います。
内部は再び撮影禁止ですが、ネット検索で出てきた画像を貼ります。また公式ホームページの3D画像が非常に美しいので参考にしてください。また公式ホームページにネット上のお土産屋もあるので買ってみてはいかがでしょうか。
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とまあ完全に宣伝してるわけですが、その位感じが良かったというか、まあほぼイングランドグランドロッジの公式の付属教会という位置づけなのだと思います。見学した感想はまあとにかく良い印象でここで飲んだアールグレイもおいしく感じました。奥の方にはアメリカ人に感謝する記念碑とかブラザーフランクリン・ルーズベルトに感謝する記念碑とかフリーメイスンリー関連っぽい記念碑もあったかと思います。地下がクリプトになっていてブラザーサークリストファー・レンやブラザーサーアレクサンダー・フレミング、ブラザーホレーショ・ネルソン卿などの墓があります。
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ブラザーホレーショ・ネルソン卿の墓です。グランドロッジにも彼についての本がありましたので興味がある方は調べてください。
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ブラザーサークリストファー・レンの墓です。湯浅慎一氏の著書「秘密結社フリーメイソンリー」によると連合グランドロッジ結成時に名誉職で立ち会ったそうです。91歳まで長生きしたので1717年には85歳の計算になります。すさまじい人生ですね。
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ブラザーサークリストファー・レンの記念碑です。動画にもナショナルジオグラフィックのセントポール大聖堂の建築についての特集がありましたが、積極的に木造建築部分も見せていました。目に見える部分はもちろん大理石がほとんどですが、もちろん全てが大理石で構築できるほど資金的に潤沢であるわけがありません。維持や補修に毎年相当の努力が必要なのだと思われます。床の白と黒の大理石の美しい建築も日本ではどこにもありません。ただただ驚嘆するのみです。まさにフリーメイスンという人物です。
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ブラザーアーサー・ウェズリー卿です。銅像で何度も出ているブラザーナポレオンを破った初代ウェリントン卿です。ウェストミンスター寺院が基本的にフランスからの建築家で作られた建築に対して、まさに純正にイングランドの力を結集して作ったのがこのセントポール大聖堂だとすると、その大陸に対する劣勢を完全に越えたのがこのブラザーアーサー・ウェズリー卿によるワーテルローの戦いであったのだと思います。イングランド連合グランドロッジを作る事により初めて組織化されたフリーメイスンリーが成立し、それらが大陸のフリーメイスンリーを巻き込んで二つのイギリスの清教徒革命と名誉革命という社会改革を肯定し維持する事でヨーロッパ大陸に対するイングランドの社会組織としての優越性を保持し、英仏戦争での勝利、アメリカ独立戦争へと繋がり、今日の第一次世界大戦、第二次世界大戦後の世界を構築しているものと思われます。海のブラザーネルソンに対して陸のブラザーウェリントン卿となるのだと思われます。
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ペニシリンを発見したブラザーサーアレキサンダー・フレミングの墓です。近代医学の進歩は彼の抗生剤の発見から始まったと言っても過言ではありません。ブラザーエドワード・ジェンナーとブラザーサーアレキサンダー・フレミングの発見、発明は近代医学の金字塔です。
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ブラザーサージョン・エヴァレット・ミレーの墓です。テートブリテンにある、漱石の草枕で有名なオフィーリアの絵で日本人にも有名なブラザーミレーです。死の直前にロイヤルアカデミーの会長に選出されたそうです。単純に日本人が見てうまいなと思うイギリスの画家なんだと思われます。ヨセフ物語の回で取り上げた大工のヨセフを描いた象徴画はシンボルを含む絵画としてそのキリスト教の特に新約聖書に関するエッセンスを極めた作品として秀逸と思われます。
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ブラザージョセフ・マロード・ウィリアム・ターナーの墓です。テートブリテンに展示が多数ありました。自画像がありますが、ウィキペディアには恐らく実物に近い他の作家による彼の肖像画があります。名前にジョセフがあり、イタリアで絵画を学んだりと英才教育を受けた様子がうかがわれます。日本人からすると彼のぼかした感じは水墨画に普遍的なアジアで良くある風景画の手法であり、あまり特筆すべきものではないようですが、恐らく印象派以前のヨーロッパでは珍しいものであったのではないでしょうか。まあ画家や芸術家が自尊心が強いのは良くある当たり前の話ではないかと思われます。
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ブラザーサーアーサー・サリヴァンの墓です。作曲家でオペラ「ミカド」の作曲をしています。代表的なジャポニズムを象徴するオペラです。

動画がありましたので置きます。(1/22/2013追記:ミカドの動画も削除されていましたので他のものに変更しています。)どうでしょうか。蝶々夫人より衝撃的かもしれません。今年新たに京都に再興された日本グランドロッジ管轄下のロッジはそのもの通りのミカドロッジと言います。
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ブラザージョシュア・レイノルズの墓です。初代ロイヤルアカデミー会長を務めた画家です。イタリアで絵画の勉強中に難聴になってしまったそうです。まあなんというか絵画文化とイングランド、フリーメイスンリーを象徴するような逸話ですね。ウィキペディアの作品を見てもあまりぱっとしませんが、写真の無かった当時としては十分絵画としての役割を満たしたものであるようです。ウィキペディアに書いてある評価もまさにその通りのようです。
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ブラザーヘンリー・ムーアの墓です。20世紀を代表するイギリスの彫刻家で抽象彫刻を広めたそうです。関東では箱根彫刻の森美術館でコレクションがあるそうです。非常に芸術家として富を築いたそうですが本人は質素な暮らしをして財団を作って残したそうです。まさにフリーメイスン的な逸話だと思われます。まあファン・ゴッホの話ではないですが、芸術とフリーメイスンリーの逸話はなかなか複雑です。
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ブラザーサーエドウィン・ランドシーアの墓です。犬のペットの絵を多数描いた画家のようで、特にニューファンドランド犬を好んだそうです。トラファルガー広場のライオンの彫刻を作ったそうです。ロイヤルアカデミーの会長職を固辞したそうで、晩年はアルコールと薬物で狂気に陥ったそうです。まさにフリーメイスンリー的な逸話でしょうか。ファン・ゴッホなどとも近いものを感じさせます。
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ブラザーベンジャミン・ウェストの墓です。ペンシルベニア植民地で生まれウィキペディアにある絵を見ると植民地での戦争やインディアンの様子を描いた絵を描いたようです。王室に雇われてイギリスで死んだそうです。写真のない時代の一種の写真家かスパイの役割なのでしょうね。
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ブラザーカスバート・コリングウッド卿の墓です。ブラザーホレーショ・ネルソンの副官としてトラファルガーの海戦を戦いネルソンタッチの先頭の艦を指揮していました。
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ブラザーサージョージ・ウィリアムズの墓です。記念のプレートでも掲示されていたYMCAの創設者ですね。結婚した人がヒッチコックというそうです。

さてここからはFind A GraveでSt. Paul Cathedralで検索したものです。異常に多いのですがグランドロッジ結成以後の方は全てフリーメイスンとしてご紹介します。お墓の画像が無いものについては省略しています。
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ブラザーローレンス・アルマ=タデマの墓です。オランダからイギリスに移住した画家で、ウィキペディアで作品を見ると明らかに色彩感覚は異なりますが、写実的な画法はやはりイギリス人好みなのだと思います。一見するとセントポール大聖堂はイギリスの画家が多いのでしょうか。
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ブラザージェームズ・バリーの墓です。独自に勉強した画家でブラザーウィリアム・ブレイクに影響を与えたようです。
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ブラザーデビッド・ベティー卿の墓です。マフディー戦争と第一次世界大戦のユトラント海戦に参加した海軍提督でワシントン軍縮条約にも参加したそうです。トラファルガー広場に銅像があるそうです。
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ブラザーサーヘンリー・マキシミリアム・ビアボーンの墓です。風刺画家のようです。
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ブラザーウィリアム・ブレイクの墓です。
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ブラザーチャールズ・ジョージ・ゴードンの墓です。軍人で太平天国の乱で鎮圧軍を指揮し、スーダンの内乱で死にました。テムズ川沿いに銅像があったかと思います。
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ブラザーウィリアム・カーネギー卿の墓です。イギリス海軍の提督でアメリカ独立戦争、ナポレオン戦争で活躍しました。
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ブラザージョン・コンスタブルの記念碑です。風景画の画家でブラザーターナーに匹敵すると評価されるようです。
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ブラザーチャールズ・コーンウォリス卿の墓です。アメリカ独立戦争でイギリス軍の総司令官として活躍し、ラファイエット将軍と戦いながら最終的にブラザーワシントンが指揮するアメリカ大陸軍とフランス軍に降伏し、チャールズ・オハラ准将を敗軍の使いとし、ベンジャミン・リンカーン副将がその剣を受け取ったそうです。なかなか名前が色々ありそうな名前ばかりです。その後もインド総督やアイルランド総督などを務め順調に出世したそうで、独立戦争での敗北はあまり不名誉ではなかったようです。ブラザーナポレオンとのアミアンの和約も行ったそうです。どうも役者が皆一緒のようです。
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ブラザージョージ・クルックシャンクの墓です。風刺画家、挿絵画家で色々逸話があるようです。
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ブラザー小ジョージ・ヤングの墓です。ギルドホールやマンションハウス(イングランド銀行の反対側にある建物、エジプト風ホールというフリーメイスンリーのバンケットを行うホールがある。)を建築した建築家です。やはりセントポール大聖堂はなかなか大物揃いです。
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ブラザーウォルター・デ・ラ・メアの墓です。ジャックと豆の木の童話などを書いた児童文学作家です。
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ジョン・コレットの墓です。14世紀のルネッサンス時代の司祭でトマス・モアやエラスムスにキリスト教的ヒューマニズムを教えた人だそうです。まさにフリーメイスンリーにまつわる偉大な影響を与えた人物です。
Robert III de Artois
ロベール3世・ダルトワの墓です。フランス貴族でイギリスに亡命後女系継承をエドワード三世に勧めて百年戦争のきっかけを作ったそうです。女系継承などフリーメイスンリーのポイントのようです。
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ジョン・ダンの墓です。カトリックから国教会に改宗してセントポール大聖堂の司祭になり数多くの詩を残したそうです。ヘミングウェイの誰がために鐘は鳴るは彼の詩の一節だそうです。二人の離れ離れの恋人をコンパスのそれぞれの足に例えた詩もあるそうです。
Dudley Pound
ブラザーアルフレッド・ダドリー・ピックマン・ロジャーズ・パウンドの墓です。海軍元帥でユトラント海戦で活躍しその後第一海軍卿になったそうですが脳腫瘍で56歳で亡くなったそうです。母親がアメリカ人であったそうです。
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ブラザーサージョージ・ジェームズ・フランプトンの墓です。元々石工の子供であったらしく、その後有名な彫刻家となったようです。宇都宮にある妖精ミュージアムに作品があるそうです。
Gen Evelyn Wood
ブラザーサーヘンリー・エブリン・ウッドの墓です。陸軍元帥でマフディー戦争や第一次ボーア戦争で活躍したそうです。
George Duff
ブラザージョージ・ダフの墓です。アメリカ独立戦争、フランス革命戦争、ナポレオン戦争で活躍した海軍の艦長でトラファルガー海戦で戦死したそうです。
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ブラザーサージョージ・グレイの墓です。陸軍軍人で南オーストラリア、南アフリカ、ニュージーランドの総督を務め、ニュージーランドの首相も務めたそうです。
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ブラザーゴードン・ハミルトン・フェアリーの墓です。父親も熱帯医学の専門家であったそうで、本人は血液内科の教授であったそうです。IRAのテロで犬の散歩をしていて亡くなったそうです。
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ブラザーウォルター・リチャード・ポロック・ハミルトンの記念碑です。陸軍軍人で第一次アフガニスタン戦争で戦死したそうです。
Hubert Parry
ブラザーサーチャールズ・ヒューバート・ヘイスティングス・パリーの墓です。第二のイギリス国歌とも言われるエルサレムを作曲した作曲家です。
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ブラザージョン・ラッシュワース・ジェリコー卿の墓です。第一次世界大戦のユトランド沖海戦で戦艦の艦長であった海軍元帥です。トラファルガー広場に銅像があるそうです。
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ブラザーエドモンド・ジョージ・ヴァルピー・ノックスの墓です。雑誌パンチを編集したそうです。風刺作家とされるようです。
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ブラザーフレデリック・レイトン卿の墓です。歴史や聖書などの古典的題材に基づく画家です。フレイミング・ジューンが有名なようです。
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ブラザーサーウィリアム・レウェリンの墓です。ロイヤルアカデミーの会長を務めた画家です。
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ブラザーサーエドウィン・ランドシーア・ラッチェンスの墓です。ロイヤルアカデミーの会長を務めた建築家で、デリーのインド門を建築しました。
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ブラザーウィリアム・ラム卿です。ヴィクトリア女王時代のホイッグ党の首相です。ジョージ4世の放蕩仲間で数々の醜聞にまみれたそうですが、首相としての信任は厚かったようです。
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ブラザーロバート・ミルンの墓です。スコットランドの石工の家系に生まれた実務的メイスンです。スコットランドの多くの建築や城の補修や拡張などを行ったそうです。
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フローレンス・ナイチンゲールの墓です。クリミア戦争に従軍し看護師の職業を確立した女性です。クリミア戦争以降は慢性疲労症候群によりほぼ病床にあったそうです。
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ブラザーアイヴァー・ノヴェロの記念碑です。作曲家であり俳優であり同性愛者であったそうです。
Philip Louis Vian
ブラザーサーフィリップ・ルイス・ビアンの墓です。海軍元帥で二つの世界大戦に従軍しました。
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ブラザーサーエドワード・ジョン・ポインターの墓です。画家でエジプトのイスラエル人がこのブログでも取り上げたでしょうか。シバの女王の訪問やソロモン王といったいかにもな題材を描いています。ブラザーミレーの死後にロイヤルアカデミーの会長に就任しています。孫にブラザーキップリングとスタンリー・ボールドウィン首相がいます。
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ブラザージョン・レニーの墓です。スコットランドの技術者で運河や橋を数多く設計したそうです。
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ブラザーフレデリック・スレイ・ロバーツ卿の墓です。インド大反乱や第二次アフガン戦争、第二次ボーア戦争で活躍した陸軍元帥です。
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ブラザージョージ・ブリッジス・ロドニーの記念碑です。海軍提督でアメリカ独立戦争で活躍したそうです。
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ブラザーサーウィリアム・ジョセフ・スリム卿の記念碑です。陸軍軍人でオーストラリアの総督を務めた方です。ウェストミンスターに銅像がありました。ビルマ戦線で活躍したそうです。
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サーフィリップ・シドニーの墓です。エリザベス女王の元で詩人であり軍人であったそうです。
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アンソニー・ヴァン・ダイクの記念碑です。スペイン領ネーデルランドからイングランドに渡ったルーベンスの弟子の画家です。数々の肖像画で有名です。
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ブラザージョージ・ワシントンの胸像があるそうです。セントポール大聖堂ならではだと思います。
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ブラザーウィリアム・ホルマン・ハントの墓です。ブラザーミレーらとともにラファエル前派を結成した画家です。このブログでもキリストの象徴画として死の影を取り上げています。
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ブラザーサーヘンリー・ヒューズ・ウィルソン卿の墓です。第一次世界大戦で活躍した陸軍元帥で北アイルランドの大臣となってIRAのテロで亡くなったそうです。
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ブラザーガーネット・ジョセフ・ウォルスリー卿の墓です。世界各地の英領植民地で活躍した陸軍元帥です。ホースガードに銅像があったかと思います。
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ジョン・ウィクリフの記念碑です。14世紀のイングランドの宗教改革の先駆けであった神学者でカトリックからは異端とされましたが化体説を批判したり、聖書の翻訳をしたそうです。12月28日に脳卒中を起こして31日に亡くなったそうです。

以上で地下の聖堂、クリプトにある墓所の説明は終了です。実際には螺旋階段を上って囁きの間などの空間を見学し、ドームの外からシティーを眺望した後に見学した場所です。
次回その螺旋階段や囁きの間、シティーの眺めなどの解説です。
ぜひこのブログでの解説を参照として訪問してください。
2012-11-19 23:32 | カテゴリ:イングランド
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
さてさて肝心の奇跡になるわけですが、まあもちろんセントポール大聖堂に上ると毎回虹が見えるわけではない事はあしからず。
ドームの上に登るには入って右側のテムズ川側のフェニックスの裏側の部分で30分から1時間に一回くらいのペースでツアーをやっていて、もちろん追加料金はいらないわけですが、20-30人位一組で連れだって待ってから歩きだします。
最初まずいきなり豪華な螺旋階段でいやあ素晴らしいと、ロックフェラーセンタービルに似ている感じですが、もちろん最初の最初はこちらなのだと思います。
基本的に内部は撮影禁止な訳ですが、ネットで検索するとたくさん出てくるので転載します。
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降り口と重なっているのですが、石の螺旋階段で10分位、その後囁きの回廊とか通りつつ舞台の裏のセットみたいな鉄製の螺旋階段を通って20分位でしょうか。途中詰まったりして5分くらいづつ停まるところがあるとしても基本的に登りっぱなしですので体力的に自信が無い人は止めた方が良いでしょう。階段で千段以上はあるのだと思います。私の場合は一緒にロシアから来たような中学生の修学旅行の集団みたいなのと一緒になってなんだか勢いで上まで連れて行かれたような感じでした。何しゃべってんだか全くわかりませんが、大したことではないのでしょうが、一緒に中学生の修学旅行に来たような気分で歩きました。
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こんな螺旋階段を登ったり止まったりしながら10分位行くと囁きの回廊に到達します。
1280px-St_Pauls_Cathedral_Whispering_Gallery.jpgThe Whispering Gallery, St Pauls Cathedral, London, 1963WhisperingGallery01.jpg
囁きの回廊も基本的には撮影禁止なのですが、ネットで出てきますので転載します。
ここで大分休むわけですが、まあ人が多くて騒然としているので遠くの人の会話が聞こえるとかそういうのは良くわかりませんが、音響が水族館とかなんかそういうところに来たように神秘的な響きがある事は確かで下を見れば白黒の壮観であり、上を見れば光の取り込みがあるドームで回廊自体は300年以上前の石造りですしなかなかです。300年前に来たら圧巻の光景で、日本の東大寺などの巨大木造建築を見た時のような壮観です。まあローマ帝国時代の建築など見たら同じ感動かと思います。まあちょっと景色よりも中学生みたいな修学旅行のじゃれ合ってるのが気になったりします。
まあこの囁きの回廊で終わらないのがやはりフリーメイスンリーのサービス精神旺盛なところで、東京タワーのように二階から頂上へとステップがあるのがまあお決まりというか階位というかそういう精神的な3拍子のリズムな訳です。囁きの回廊からまた鉄製の螺旋階段を登って外に出るのが結局二段階あったと思います。で、写真を撮ったのはその最頂上のところです。YouTubeのビデオにあるかと思いますが要するにドームの頂上部分まで登る事が出来ます。なかなかここまでサービスの良い聖堂はないのではないでしょうか。日本で言うとかつての大仏の頭の中にまで登る事が出来るとかそういう感じだと思います。
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ロシアのお兄ちゃんみたいなのが写り込んでいますがまあしょうがありません。グーグルアースのある時代にそれほど絶景という事はありませんが、30分位螺旋階段を登ってみる景色は心拍数の上がり具合も重なって誰もが絶景と感じる景色になっているかと思います。
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まあ後で見られるようにパノラマ写真よろしくちょっとずつずらして景色を撮ったのですが、色々シンボルも入っているようですが、それほどなんかすごいという印象を与える景色ではないですかね。
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まあ大体雨がやんでいたんですね。まあ一通り写真を撮ってさっき下から撮ったビルなんかも確認で撮って、位置関係を確認したりしてまあこんなもんかって感じのところでおっと気付く訳ですね。あれ虹かなって。まあ後で写真を見てわかるわけですがちょうどまさにギルドホールの方角でギルドホールが写っているんですね。まあすごい奇跡な訳ですが、とてもじゃないがどういう計算するかはわかりません。
それではセントポール大聖堂の頂上からの虹の光景をお楽しみください。
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まあ頂上まで登って少し心拍数も上がってそこで見たので、いいもん見たなあという感じで、雨もやんだしすごい偶然だなあみたいな感じで良かった良かったみたいな感じで下に降りたわけですが、一段下のまた外に出たところでさらにまた虹が強く大きくなっていたのでおいおいこれはもしかして偶然じゃない奇跡かなと思ったりします。
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まあ最近これだけきれいなしっかりした虹を街中で見た事も無いので、記憶の中では小学生くらいの頃に見た夏頃の虹位しか思い浮かばないのではっきり言って感動します。しかも場所が場所なだけに、それが訪問に対する挨拶と取られますのでさすがにフリーメイスンとして大概の事にはそれほど驚きませんが、これには感動しました。一緒にいたロシアの中学生みたいなのはやっぱりキリスト教の信仰と絡めるのでしょうが、大分今の子はすれているのでしょうが変な笑いをしながらちょっと混乱して冷静な感じを作ってる感じでしたでしょうか。まあ私は単純に感動していました。
この後感動の勢いのままクリプトに降りてブラザーネルソンのお墓を見て、20年前にも来た事があるなとここで初めて思い出しました。勢いで大分お土産も買いましたが、一人でアールグレイを飲みながらなかなかそれなりに良い事もあるなと確認して大聖堂を離れます。来て良かったと。正直ちょっと怖かった位な感じはありましたでしょうか。キリスト教に改宗しようとまでは思いませんでしたが、なんか式くらいで利用出来たらいいなとか思いましたが、ちょうどダイアナ妃が結婚式をして別れたジンクスがあるところなんですね。まあもちろん一般人がそんな簡単に利用できる教会ではないと思います。
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まあ感動してそのまままたグランドロッジ結成の看板を撮影したのですね。子供騙しみたいなもんですが、こんな感じがフリーメイスンリーではないでしょうか。また何度も行きたいなと思うのが素直な感想だと思います。契約の虹というとあれですが、まあまさに契約の虹かと思います。

それで地下鉄に乗ってホルボーン駅から降りて大英博物館に行きますが、途中降りてすぐのところにグランドロッジそっくりな建物があったのでわざわざ撮りました。余計な事ですが訪問の際には間違えないでくださいね。
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というわけで第一の奇跡終了です。

この後は大英博物館の収蔵品の写真です。
2012-11-20 13:08 | カテゴリ:イングランド
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
さてこの日はウィンザー城を巡ってその後シティーを巡って最後にやっぱり大英博物館に行き着いたのですね。展示物についての説明はもう大変なのでそれぞれ個別にウィキペディアや公式ホームページを調べてください。ガイドブックやカタログを購入してみるのが一番良いかもしれません。
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これはラムセス二世胸像ですかね。
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これも有名な神殿のようです。
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これが噂のパルテノン神殿の色を削ったものですかね。
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ポンペイの壁画のようですが、同時代のローマ帝国領内のものなのだと思います。トルコあたりでしょうか。
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ギリシア・ローマの壺や彫像でしょうか。
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この像が最も目立っていました。ローマ帝国時代のミトラス神がフリジア帽をかぶった姿です。その他にも色々シンボルが入っているようです。七つの位階があったり入信の儀式があったりとフリーメイスンリーの原型のようです。仏教の弥勒信仰の元とか、クリスマスは元々ミトラ教の祝日であったとか逸話には事欠かないようです。ローマ帝国最盛期の宗教であるそうなので実際にローマ帝国に与えた影響は最も大きかったのかもしれません。牛を屠っているスタイルなのですが、牛を神とあがめる宗教との差異が強調されるのかもしれません。
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ギリシア・ローマ時代の彫像でしょうか。
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どこも懐中時計などの機械時計がたくさんコレクションで置いてありました。まあ手に取ってみないとちょっと良くわかりません。
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車輪の化石でしょうか。最古の車輪とかそういうのだと思われます。
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ハヤブサの神様のホルス神でしょうか。
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手前がスフィンクスで奥にオベリスクでしょうか。
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骨壷のカノプスではなさそうですが、副葬品でしょうか。
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大英博物館名物のミイラです。20年前は性別のわかるような裸のミイラが大量に展示してあって、野蛮人の風習みたいな印象でしたが、エジプトを取り巻く政治的状況も変化したせいか現在はほとんど裸のミイラはありませんでした。
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これも相変わらずかわいい猫と鳥のミイラです。愛玩動物で飼い主に愛されたのですね。
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エジプトの碑文のようです。
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アフリカ辺りの墓地の復元でしょうか。こういうのもどうなのかと思いますが、恐らく現実の政治情勢なんかが反映されているのでしょう。とにかく大英博物館のコレクションは膨大ですから展示法は毎回異なるのだと思います。結局研究者以外の一般人の観覧者に残るものは印象でしかありませんから。
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骨壷でしょうか。
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オリエントの遺物でしょうか。エジプトとその他のミックスのような感じでしょうか。
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お坊さんのような形です。恐らく王様など権力者の形なのだと思いますが、こんなもの持ってきて良いのでしょうか。もちろん植民地時代はそれを持ってくる事が支配の象徴であったのだと思います。
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オリエントの太陽神信仰でしょうか。いずれにしても大英博物館は特にかつては植民地支配の象徴といった意味づけが強かったでしたが、最近は批判が多いせいかなんかまばらなコレクションの展示になってしまって、ちょっとテーマがぶれてしまった印象があります。まあそれだけフリーメイスンリーが普及し、大英帝国といった時代は過去のものになってしまったのだと思います。
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どこのものでしょうか。エジプトかオリエントでしょうかね。
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これはなんかオリエントの有名な王様のレリーフのような気がします。
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これはエジプトの副葬品でしょうか。いずれにしても大英博物館に収蔵されていれば現地にあるより保存状態が良いであろうことは確かだと思います。
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アユタヤ文明とか中南米のものでしょうか。とにかく世界中から持ってきてごっちゃになっていますのでわかりません。いちいち説明を見ている時間も無かったのでとにかく写真だけ撮ったという感じでなんだかよくわかりません。詳しくは調べてください。
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細かいものは本当にどこのものかわかりません。
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この辺は中国の玉の文鎮でしょうか。この辺りから中国・インドの展示になるようです。これは20年前もこんな感じであった気がします。
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中国インドの展示は仏像が主な展示になります。後は陶器などでしょうか。
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かつてはこれら東アジアの展示の片隅に異常なほどに根付が置いてあったのが日本の展示でしたがそれが無くなり特別に部屋が設けられていました。偏見や誤解を取り除く目的の博物館の展示で、収集者の個人的興味や偏見や誤解が見えるのがまた博物館の展示の面白いところなのですが、過度に他人が干渉して矯正するのも面白みが失われてしまいます。インターネットもそうですが、まさにその辺が実はフリーメイスンリーの醍醐味でもあったりします。
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大英博物館のは大体手足が欠けてしまっているんですね。輸送した時代の美術品に対する意識や輸送技術の問題なんだと思いますがこれも特徴だと思います。
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日本人注目の日本コーナーですがわざわざ特別室がありました。
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なぜか敬愛です。西郷さんの筆ではなく全く知らない人のですが、恐らく鹿児島関連の人が展示に関わっているのでしょう。
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まあなんだかとってもまとまっている展示でとにかく偏らないようにという意識がはっきりしていて、面白みには欠けると思います。東京国立博物館の展示を見るようでまさに訪問した日本人に向けた展示という感じでした。実際見学者も日本人が多かったです。
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根付の展示もありましたがごく控えめで目立たないようになっていました。以前の日本にもないほどの根付のコレクションの展示の方がはるかに面白かったのですが、国の紹介としては体裁がこちらの方が良いようです。三菱商事が寄付をしているなどの掲示がありました。まあバブル期以降の日本が国際的な外の目を気にするようになった象徴であるかもしれませんし、またそれが現在の世界の中での停滞をしていると評価される原因かもしれません。
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なんと驚いた事に韓国の展示もまた日本の特別室と同じ程度のスペースでなされていました。この辺はもう完全に外交政策そのものです。内容もまさに日本の展示と全く同じ様相を呈していて、双子の文化のようです。全くなんというか大英帝国から脈々と流れるこういう外国に対する政策のしたたかさにはあきれ返るばかりです。
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まあ西から見ればまさに日本と朝鮮半島は双子の文化であるという事でしょうし、中国文化の一部が日本であったというのがかつての展示でもありました。日本にとってもイングランド、スコットランドやフランスとの違いなども似たものであるかもしれません。
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後はなんか展示者の興味なのか売りたいのかわかりませんが日本だか朝鮮だか中国のだかわからない陶磁器が大量に置いてありました。あまり特別良いものとは思えませんでした。
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これも韓国のブースでしたでしょうか。キリスト教関連の展示のようです。恐らくキリスト教団体が寄付して展示に関与しているのでしょう。儒教の儒の字も無いというのがまあ外面というところでしょうか。まあかつての日本の似たようなところを感じるところではないでしょうか。
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まあ大体展示品は見た、写真に撮ったというところでかつての図書館のホールに出ます。ちょうど食堂では地元の学生みたいな集団が豪勢に3000円位のアフタヌーンティーセットを馬鹿騒ぎしながら食べていました。おかしな話ですが、恐らく観光資源として売りたいのだと思います。かつては大英博物館で食事をとった世界中の観光客を驚かせたのだと思いますが、現在は逆手にとって豪華なアフタヌーンティーを名物としたいようでした。まあその辺がイングランドかもしれません。上の写真は置いてある像の一つで、空間が広いのでレストランやカフェ以外は閑散としています。

全体の感想としてはやはり大英博物館は世界の博物館の中でもその収集物やイギリスの歴史などから、また世界の博物館が必ず参考とする意味で他とは異なる際立った博物館なのだと思います。そうした意味で観光と学術、研究、教育などと、外交や世論との兼ね合いなど様々な要素がひっきりなしにあってそうした外部要因が非常に強い状況なのだと推測されました。鎌倉などもそうですが、そうした場所は単に観光などだけではなく、世界の世論や情勢を見る上で非常に参考になるような場所であるかと思います。またこのブログのようにインターネットによるバーチャルや教育や文字の文化がこうした博物館や図書館の存在を脅かしているのも相当あるかと思います。そうした中でこの博物館が見せる動きは全体を見据える上で参考になるものかと思いました。もちろん収蔵物の学術的な価値や研究の成果はこれからももっと勉強していきたいものです。
(追記:British Museumのウィキペディアの項目で展示物で面白いものがありました。
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夜の女王のレリーフというそうで、足元にライオンを従えた3本指の鳥の爪をしていて、左右にフクロウを二羽従えています。イシュタルという古代オリエントの女神で性愛や戦、豊穣の神であったそうです。金星(ヴィーナス)の女神です。同様にフクロウを従えた女神としてローマのカピトリーノ三柱神の一人ミネルヴァとよく似ており繋がりがありそうです。ちなみにローマのカピトリーノ三柱神の主神ユピテルはジュピター(木星)です。この夜の女王は両手にわっかを持っていてこれが女王などを示すシンボルのようです。スターバックスのシンボルマークにあるギリシア神話のセイレーンの元になったとも考えられます。
その他ギルガメッシュ叙事詩の粘土板などがあるようです。)
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さてまあやっとこそれなりの天気でホテルに帰ってきて、写真も撮れるような感じになります。結構立派な建築なのですね。
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本日はロンドン最後の夜という事でラッセルホテルのすぐ裏にあるパブ、いかにもロッジである感じのフレンドアットハンドに行きます。番号は支店の番号だと思いますが、ロッジの番号のようでもあります。床はちゃんと白黒になっていてフリーメイスンリー御用達である事がわかるようになっています。ここで2000円位のステーキとギネスビールを食べましたが、これは非常においしかったです。まあ周りが英語で話しまくっている中高年の男女様々な格好の人々の中で食べたので雰囲気が落ち着いているという事はありませんが、食事もサービスも問題なく、特に肉は美味しかったです。値段にしたら5000円分くらいの価値はあるという肉の感じでした。味付けはもちろん自分でやります。横須賀だとステーショングリルの感じでしょうか。あれの半額くらいの値段でパブの形式です。とりあえず英語がペラペラになって周りの会話に参加できるくらいの形になるとパブが楽しいのかもしれませんが、単純に英語がわからない、話題に入れないとなかなか難しそうです。
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ラッセルスクエアの様子です。リスがいます。
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月ですね。
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部屋番号は308です。この後のパリへの移動のユーロスターも8番ホームで8号車で席も24番とかであったと思います。随分三笠公園の市章の話の影響でか仏教の象徴としての8にこだわったところがあったようです。
まあキリスト教、ユダヤ教とフリーメイスンリーの繋がりは否定しえません。

そのあたりの宗教とフリーメイスンリーは次のフランス、パリのフリーメイスンリーの重要なテーマでもあります。
2013-03-05 17:37 | カテゴリ:イングランド
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
まったくもって哲学的な問題です。
フリーメイスンとは何かという根源的な問題とともに、女性はフリーメイスンとなれるのかどうか、女性の入会を基本的に認めない英国フリーメイスンリーの時代の源ともとれる、清教徒革命、名誉革命のそもそもの根本を築いたとも言える女王がフリーメイスンと認められるのかどうかという矛盾的な議論を含んだ問題です。

まあそもそも普通に考えて1717年のグランドロッジ結成以前という事でいわゆるフリーメイスンに入会するという事はありません。ではエリザベス女王はフリーメイスンではないのかというと、彼女の人生、治世が結果として清教徒革命、名誉革命を経てイングランドグランドロッジ結成に繋がるフリーメイスンリー結成の基礎となった事は間違いないわけで、横須賀における三浦按針の存在のように、フリーメイスンリーを語る上でエリザベス女王の存在は避けて通れないものであるというところは異論のないところなのではないでしょうか。

まあグランドロッジ結成以前から女性の入会はあったそうですが、少なくとも16世紀のエリザベス女王の時代に女性の君主が当時の秘密結社であり基本的に男性優位社会であったイングランドでフリーメイスンに入会する事はありえないと思うわけですが、そうかといってクイーンズハウスで認めるような初期のフリーメイスンリーの明確な思想や概念を表した帝王学のもとで教育を受け、まかりなりにもその後の大英帝国の基礎を築きあげ、またカトリックと明確に決別し独自の外交や海軍を育てて実質的なフリーメイスンリー国家としての出発点を築いた女王であり、その周辺の人物はフランシス・ベーコンやウィリアム・シェイクスピアを始めとしてフリーメイスンリーとの関わりが良く言われる人物であり、またこのブログのウェストミンスター寺院の墓で認めたエリザベス女王と同時代のブラザーヘンリー・ケアリー初代ハドソン卿の経歴やその後の子孫など、どうもこの辺りにフリーメイスンリーと大英帝国の中枢との重要な接点があるような印象です。詳しい史料や情報が無いのでなんとも言えず、結局ウィキペディアの情報で推測するしかないわけですが、良く言われるようにフリーメイスンリーがイングランドの歴史上に重要な役割をおって出現し始めるのはその後の清教徒革命、名誉革命の時代であり、明確に恐らくフリーメイスンの君主として認められるのはエリザベス女王の次代のジェームズ一世であると思われます。その時代はまさに欽定訳聖書の時代であり、ジェームズ一世が実質的なフリーメイスンの君主であったという考えには恐らく多くが異論ないところであるかと思われますが、女性のフリーメイスン加入が困難であった時代のイングランドの象徴的なエリザベス女王を形式的であれ何であれフリーメイスンと考えるかどうかはかなり異論のあるところだと思われます。少なくともそれらの時代を築いた前代のヘンリー八世は数多くの結婚歴や異常な性格などからフリーメイスンと認める論は少ないかと思われます。

まあこういう話は雲を掴むような話で、想像や定義などまさに机上の空論の最たるものなのですが、なぜ今この話題に触れなければならないかというとやはり現在の英国君主エリザベス女王の関心ともリンクしているのだと思われます。もちろん現在のエリザベス女王が直接的にフリーメイスンであるかどうかはあまり問題にならないと思われますが、少なくとも現在のイングランドグランドロッジのグランドマスターはエリザベス女王の従弟であるケント公であり、奥さんや子供たちが皆カトリックに改宗してしまったそうですが、それはともかく王室の男性がほぼフリーメイスンで構成されているのは現代英国王室の伝統と思われます。

さてまあ一方のイタリアの政界やカトリックの教皇の退位やエリザベス女王のイタリア訪問の延期など様々にあり、それらは女性のフリーメイスン参加やカトリックとフリーメイスンリーの形而上的な対立など様々に進行中の急速に解決に向けて進展するような歴史的な諸問題となるかと思いますが、いずれにしても以下のニュース映像が一つのイングランドグランドロッジのメッセージのようです。
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まあ相変わらずフェイスブックでもらったネタで書くように勧められた体な訳です。もちろん看護師が付けていたのがたまたまフリーメイスンリーのしかもイースタンスターと似たシンボルな訳ですが、イングランドにはイースタンスターはありませんので、女性フリーメイスンリーの団体になるのだと思いますが、まあ色々諸事情があってイタリア訪問するのに適した時期ではないということなのだと思います。
まあしかし青と赤とその他女王の髪や他の人の服の白と三色でまとめていたりと、何となくこの一日の胃腸炎の入院をもってエリザベス女王はフリーメイスンになったという事になるのだと思われます。

こんな感じがイングランドフリーメイスンリーの感じではないでしょうか。
2013-05-06 12:00 | カテゴリ:イングランド
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
本編は終わりで長かった旅の余韻という事です。実際には約1週間で駆け足でロンドン・パリを巡った旅でした。反省点は天気が悪かったことでしょうか。
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ユーロスターから帰って来たところのラッセルスクエア駅のエレベーターにあった広告です。なかなか神なき街から帰って来た感じがすごいする感じでしょうか。まあフランスのカトリックも言うほど破戒的ではないようです。
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翌日のヒースロー空港です。
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えらい快晴です。全くお天気次第ですね。イギリス、ヨーロッパ上空の写真はちょっと遠慮して撮っていません。
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飛行機から見る月です。
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東京湾上空です。まあ朝から大忙しのようです。やっぱり空気が濁ってるんですね。そこが一番気になったところでしょうか。ワシントンD.C.とロンドンともに大気汚染には相当気を使っているようでした。日本はアジアの一環でシンガポールなんかの方が進んでそうです。

さていかがなものでしょうか。日本人のヨーロッパ訪問といえば天正・慶長使節団や万延元年遣米使節団、文久遣欧使節団、岩倉使節団などが歴史的には有名ですが、その後は官費留学生や外交官らが多くあり、第二次世界大戦後はハワイを始めとして海外旅行や留学は一般人にも普通のものとなりました。世界が一体化する中で日本人がフリーメイスンリーと接する機会も増えてきているのではないかと思います。有名な観光地や多くの人が集まる場所は必然的にフリーメイスンリーとの関わりがあるかと思いますので、より深い知識や学習を求める方は出発前に現地のフリーメイスンリーについてネットなどで下調べをして行かれると良いかもしれません。
2013-05-21 11:51 | カテゴリ:イングランド
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー

前回から一年足らずで再びロンドンです。今回は霧の濃い曇天です。

ブラザーダン・ブラウンのロストシンボルと新作のインフェルノが並んでいました。私が読むのは翻訳が出てからですかね。
2013-12-20 20:32 | カテゴリ:イングランド
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
いろいろと私事で忙しくブログ専従というわけにはいかないのでなかなか進まない感じになっていますが皆さんいかがお過ごしでしょうか。年末も近くなってきて2013年という激動の時代も終わりに近づいていますが、まあ13というアメリカ独立州の数であり、テンプル騎士団がフランス王フィリップ4世に滅ぼされたのが1307年10月13日の金曜日という事で、どうもそれ以来13という数字はキリスト教の中で不吉な数字とされる習慣ができたようですが、今年2013年は第265代法皇ベネディクト16世からイエズス会、アルゼンチン出身の第266代法皇フランシスコに3月13日に生前退位により就任するというキリスト教、フリーメイスンリー的にはかなり重大な出来事もあり、日本でも前年の再度の自公政権への政権交代から始まり、東京オリンピック招致が決定し、経済的には様々な動きが出てきた年でありました。
当ブログ的にはスコットランドで始まり、スコットランドで終わりそうですが、やはり13の数字に合わせた新約聖書の内容についてなど、前年に比べてより深い内容でありながら一般性が強い充実した内容であったかと思います。13を象徴するアメリカ建国の経緯とイルミナティの関連、テンプル騎士団の故郷のスコットランドエディンバラの内容など全体として見ても2013年を象徴しうる内容を充足しえたのではないかと考えます。
横須賀的にはベースの開放日で大雨であったことやヴェルニー公園の薔薇が台風の襲来でかなり傷んでしまったことなどがあり、私自身も2011年以来様々な公共施設や職場や住居で滞在したこの横須賀を去ることになりそうで、非常に貴重な体験が味わえた時間でもあったわけですが、年越し後の花火の後に転居となりそうでフリーメイスンリーが定着する事だけを期待しますが、まあなかなか今後も色々波乱がありそうな予感です。
来年2014年は7×2という事で数秘術的にはユダヤ教と日本の接点について触れるような日猶同祖論的な内容となるのかもしれませんが、恐らくアンダーソン憲章の翻訳とモラルアンドドグマの翻訳に忙殺されそうです。ユダヤ古代誌もやっと読了しそうで、その後のユダヤ戦記やブラザーペリーの日本滞在記やブラザーマンリー・P・ホールの著書やその他貯まっている積読の本を消化していきたいところでありますが、まあそれもこれも頭の働き次第というところでもあります。

そういうわけでちょっと早い事はあるのですが、今年の総決算というところになってきて、ブログの本文としてはスコットランド、エディンバラのフリーメイスンリー歴史学会の旅の内容についての終わりというところで、この後には学会の内容についても全て出来るだけ挙げていこうと思っているのですが、以前のものの翻訳も全て行っていない状況でもありなかなかの大仕事になりそうですが、まあ旅の方は終わりという事で写真をあげていきます。
エディンバラからグレートブリテン島の東海岸を経由したロンドンまでの列車の旅の車窓の光景です。
検索すると最もイギリスでは代表する列車の旅であるようで、景色も洗練されていて最もポピュラーな鉄道線であるようです。一等車で予約すると二万円ほどで、二等車で四千円ほどで圧倒的に二等車が良いようです。一等車は時々スナック菓子や水や紅茶が客室乗務員の巡回で振る舞われるという程度で、昼食のようなものもありましたがさすがに一万円以上の差を感じるものは無いと思います。非常に一等車は空いているのでそういうのが良いと感じる人には良いかもしれません。
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本場の灯台がありました。なかなか美しい光景です。
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非常に海岸線も美しいんですが、実際座っているだけの鉄道よりも歩こう会のようなハイキング姿の現地の中高年のグループが集団で歩いているのを多く見かけ、世界的なウォーキングの健康ブームがこういうところでもあるのかと思われました。まあ鉄道で一瞬で移動するよりも近所から歩いて綺麗な景色を見る方がはるかに豊かである事は間違いありません。
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これはヨークの手前であったと思うんですが、非常に美しい良く構成された街でした。灯台から橋まで建築した時から今日まで良く景色と利便性を計算されたまさにイギリスの合理主義というなかなか日本では難しそうな街の建築でしょうか。教会と橋と灯台といったまさに石工の建築のシンボルの調和そのものを見るものかと思われます。
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これはちょっと途中から乗って来た意味深な思春期の少女とその父親のような複雑な雰囲気の親子を挟んだヨークの大聖堂だと思います。まるでヨーロッパの映画のような親子の微妙な雰囲気でわざわざ一等車に乗って終始無言で途中でまた降りて行きました。まああれだけ恵まれていても色々問題は日本と変わらずあるのでしょうね。
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海岸線を離れてくると牧草地でしょうか。黄色い花が非常に多く認められましたが、ミツバチの採蜜用なんでしょうか。羊や馬や牛も多く認めました。日本でいうと夏の北海道みたいな感じなんでしょうね。
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原子力発電所もきちんと景色の中におさまって稼働していました。
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6時過ぎであったと思いますがキングズクロス駅から今回はイングランドグランドロッジの横にあるキングスウェイホールホテルに泊まりました。入り口の植木もらせん状にねじれています。螺旋階段がエントランスホールに象徴的にあります。隣にあったよりイングランドグランドロッジに近いPHホテルグループの貸しホールの床が綺麗な白黒のモザイクタイルになっていました。日本でも芝公園の辺りにそういうホールが増えたり横浜や横須賀でもそういうのが増えたりしませんかねえ。

次回はわずかなロンドンでの滞在時間に巡ったギルドホールの外観やテンプル寺院の外観などで終わりです。
今年もあとわずかです。来年もよろしくお願いします。
2013-12-24 18:00 | カテゴリ:イングランド
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
クリスマスプレゼントというわけではありませんがクリスマスイブの記事は帰りにわずかに滞在したロンドンの前回回れなかったギルドホールとセントポール大聖堂周辺の写真です。
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これはグランドロッジすぐそばの地理学会の設立を記念する碑です。11月13日でやはりシンボリズムを認めます。アメリカのナショナルジオグラフィックに相当するのでしょうかね。
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これはちょうどあちらで英語版のインフェルノが出版されていたころだと思います。店の名前かもしれませんが、インフェルノの名前が掲揚されていました。ちょうどブラザーダン・ブラウンがグランドロッジで会見していたのもこのちょっと前あたりだと思います。
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これはいわゆるテンプルバーのマーカーというそうですが、テンプル寺院の前にあるロンドンシティーの境界を示すかつて門があったところの上にこのブログでも使用したドラゴンの彫像があるものです。ヴィクトリア女王とその息子のエドワード7世の像が左右に彫られていますが、その左右に科学と芸術のモチーフとして描かれたシンボルにフリーメイスンリーのシンボルがあります。七分儀やコンパスや地図、天球儀や垂直儀や髑髏、カルケドゥスの杖、ハンマー、ルイス(吊り具)などが認められます。上部にはファスケスや王権を示す王杖や剣のクロス、バラの紋章なども認められます。
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ヴィクトリア女王の像の周りも同じ彫刻があります。テンプル騎士団=フリーメイスンリーが明確に示されているのですね。
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この時は夕刻でしたがかなり晴天のロンドンでした。ブラザークリストファー・レンによるセントポール大聖堂です。やはり世界のフリーメイスンリーの中心がここにあるようです。
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セントポール大聖堂の横にある広場の羊飼いの彫像です。
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Entered Apprenticeで学習する24インチ定規の教訓を連想させる言葉です。8時間ごとに生業とフリーメイスンリーの活動と余暇に振り分けるという、まあ実際そういう生活をするとどれだけ大変かとフリーメイスンが良く分かる教訓の言葉です。8時間の睡眠ではないところがポイントでしょうか。
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これはギルドホールの近くの教会でしょうか。セントローレンスジュワリーという教会のようです。ジュワリーというのはユダヤ人街、ゲットーという意味だそうで、ブラザークリストファー・レンによってロンドン大火後に再建されたようです。
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ギルドホールの前の広場ですね。時間が遅く変なカップルが一組いただけでその他には誰もいませんでした。
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ギルドホールの全景です。中も検索で見ると相当きれいなようですね。この訪問の直後に安倍首相が首脳会談後に巡って演説をしていたようです。あまりその映像は日本の報道で見かけませんでしたが、かなりな栄誉のようです。前後で安倍首相の様子は変わったでしょうか?日本でも天皇陛下も一致協力してこういうフリーメイスンリーホールやオベリスクのシンボルを建築できないでしょうかねえ。
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ブラザークリストファー・レンの胸像です。
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シェイクスピアの胸像です。
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これはクロムウェルの胸像です。
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サミュエル・ピープスの胸像です。庶民からイギリス海軍の長官まで上り詰めた人だそうです。王立協会の会長も務めたそうです。ブラザークリストファー・レンと同時代の恐らくグランドロッジ結成前のフリーメイスンなんでしょうね。
その他にリチャード・フィッティングトン卿という14世紀にロンドン市長を長く務め、ギルドホールの建設にも多くの寄付をした貴族の胸像もあるそうです。
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セントメアリー市会議員埋葬所というところのシェイクスピアを記念した胸像です。
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再びセントポール大聖堂です。
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以前は無かった紫のチューリップが並んでいました。こういうのも意味があるんでしょうね。
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ブラザークリストファー・レンの傑作と称されるセントポール大聖堂です。フェニックス以外にも胸像にもそれぞれ意味が込められているのだと思います。
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これは前回見過ごしてしまったP2事件で有名になったブラザーロベルト・カルヴィが吊るされていたというブラック・フライアーズ橋です。P2の主要メンバーであったブラザーリーチオ・ジェッリはまだご健在のようです。元ナチスのムッソリーニ救出作戦に関わったオットー・スコルツェニーなども関わっていたようです。鷲は舞い降りたという映画の元ネタとして有名だと思われます。アポロ11号の月面着陸時にもこの言葉が使われました。そういえばヘリコプターのシーホークが三浦に不時着する事件が最近ありましたね。
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様々な現代建築ラッシュであるロンドンでありました。2013年に集中していたのでしょうね。
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テムズ川越しのロンドンアイです。天気が良いと写真も良いです。
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これはテンプル教会のインナーテンプルだと思います。テンプル教会は教会とともに法曹院として弁護士や裁判官の育成を行っているようです。日本の弁護士会のような組織のようです。4つある法曹院のうち2つはここのインナーテンプルとミドルテンプルにあるそうで、すなわちイングランドの法曹界の半分はテンプル騎士団の系譜を引いているという事でしょうか。
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これはアウターテンプルのところでしょうか。ちょうどセントポール大聖堂の前の通りのフリートストリートに面した門の上の紋章です。ロイズ保険組合と法曹院が同居しているのでしょうかね。ロイズ保険組合というのは日本では漫画のマスターキートンというもので有名かもしれません。もちろんマスターメイスンをもじっている漫画なんですね。もちろん中心の蜂の巣はフリーメイスンリーのシンボルで工業や集団で協働して作業する事のシンボルです。
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アウターテンプルの住所だと思われます。222のシンボリズムのようです。スコットランドの王立協会もこのシンボリズムでしたので、2.11とは異なる222のシンボリズムも666のシンボリズムと同様に重要な意味があるようです。
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テンプル騎士団のシンボルの羊が十字架を背負っているシンボルです。フリーメイスンリーのシンボルの中では一二を競うかわいいシンボルだと思われます。神の子羊として騎士団以前よりキリスト教のシンボルとして良く認められているようです。騎士団の印章として使用されていたようです。
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悪魔の食堂という名前の有名なパブがあったそうです。詳細はウィキペディアを参照してください。
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再びグランドロッジの光景です。この日は夕食は食べませんでしたかね。確か休日で混んでいたせいと、あまりロンドンでどこがおいしいのか分からなかったためでしょうか。なかなか旅行というよりは出張といった感じのイギリス旅行でした。
2013-12-25 06:28 | カテゴリ:イングランド
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クリスマスに合わせただけの完全にスコットランドの旅の余韻の内容です。
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地下鉄ホルボーン駅にあったと思われる日本旅行の特に沖縄をフューチャーしたポスターがありました。日本旅行も色々言われていますがやはり日本人でも行きたいと思うのは観光地として整っていて、なおかつ外国人からすると米軍基地もある沖縄が良いという事なのでしょうね。なかなかまあ分かりやすいというか、沖縄戦にしても見方が変わるそういうものかと思われます。
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これは解説が無いと分からない写真かと思いますが、ポスターの単語がSTONEなんですね。なんか演劇かなんかだと思いますが、モーツァルトの準遺作となっているThe Philosopher's Stoneのように単なるSTONEというのも結構なシンボリズムなんですね。日本でも石のつく名字は多いですが、有名なところはブリジストンの石橋家でしょうか。
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飛行機からの光景です。シンボリズムでしょうか。
2014-06-21 18:55 | カテゴリ:イングランド
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長らく間を空けていて色々とそれはそれで変化を生じていそうな最近ですが、どうもイングランドグランドロッジ、UGLEが公式に紹介動画を作ったようなのでここで紹介します。
FREEMASONRY TODAYというUGLEの公式の雑誌のページなのですが、そこに紹介動画が上がっていました。

これは実はフリーメイスンリーの歴史から言うと画期的な事と思われます。
かつてもナショナルジオグラフィックやヒストリーチャンネルでほぼ公的な紹介動画を作成する事はありましたが、いずれもアメリカのHouse of the Templeが主導であったりすることが多く、今回のようにUGLE単独で個々の会員の紹介や活動がアメリカの州単位のグランドロッジと同じように紹介されるのは画期的な動きだと思われます。ホームページ内には2011年からのこの雑誌の内容が全て無料で読める形になっているようです。雑誌の内容自体も基本的にこのブログを読んでいるような方には非常に興味深いものかと思われますのでお勧めです。ヨーロッパのハイソサエティー雑誌として読んでも十分興味深いものかもしれません。

今年ももうすぐ6月24日のフリーメイスンリーの結成日の洗礼者ヨハネの日が近づいて来ました。このブログも地道な活動を心がけて少しずつでも前に進むようにしていこうかと思っています。
2014-07-06 09:40 | カテゴリ:イングランド
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さてどうもTPPではないですが、商売チックになってきた当ブログですがいかがお過ごしでしょうか。
今回のお題のJAGUARですが、どうもSecret of Japanなどの後で当ブログらしい形而上的な歴史的で文学的な内容ではなく、当初に多かったようないかにも世俗的なTVコマーシャルに基づく直感的なものとなりそうです。
要するにJAGUAR JAPANの新しいコマーシャルなんですが、ブラザーイニゴー・ジョーンズによるクイーンズハウスが象徴的に映っていました。

いかにも世の中のフリーメイスンリーのイメージそのままといった感じを逆手にとったようなCMでしょうか。またその続編もいかにもジェームズ・ボンドといったような内容となっています。

まあそんな今更ジャガーの宣伝というのもあれなわけですが、まあそういう企業のCMが一番楽でもあるのですね。
実際まあフリーメイスンリーというのは商売としてはなかなかメリットは無いというのが常識でもあるわけで、そういうのは過去にこのブログで取り上げた企業というのについて見ていくと御理解されるのではないでしょうか。
私個人としてはやはり自動車メーカーでは最もフリーメイスンリーらしい車としてシトロエンのカクタスについて注目しています。

まあもちろんジャガーとは購入層が異なるのかと思います。ポルシェやアウディ、ベンツや、BMWなど外国車でも様々なものがありますが、デザインや新技術などフリーメイスンリーを意識したものも多いかと思われます。もちろんアメリカのフォードなども創業者が有名なフリーメイスンであり、その他の自動車メーカーも多数フリーメイスンリー関連があるかと思います。

7月4日のアメリカの独立記念日も人々の意識はかつてのものとは異なった受け取り方であったかもしれません。戦後日本の基幹産業である自動車産業ではありますが、今後どのような形になって行くのでしょうか。
2014-12-27 12:27 | カテゴリ:イングランド
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ヨハネによる福音書 1章1節から18節 新共同訳
初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は、初めに神と共にあった。万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。神から遣わされた一人の人がいた。その名はヨハネである。彼は証しをするために来た。光について証しをするため、また、すべての人が彼によって信じるようになるためである。彼は光ではなく、光について証しをするために来た。その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである。言は世にあった。世は言によって成ったが、世は言を認めなかった。言は、自分の民のところへ来たが、民は受け入れなかった。しかし、言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた。この人々は、血によってではなく、肉の欲によってではなく、人の欲によってでもなく、神によって生まれたのである。言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。ヨハネは、この方について証しをし、声を張り上げて言った。「『わたしの後から来られる方は、わたしより優れている。わたしよりも先におられたからである』とわたしが言ったのは、この方のことである。」わたしたちは皆、この方の満ちあふれる豊かさの中から、恵みの上に、更に恵みを受けた。律法はモーセを通して与えられたが、恵みと真理はイエス・キリストを通して現れたからである。いまだかつて、神を見た者はいない。父のふところにいる独り子である神、この方が神を示されたのである。

再びフリーメイスンリーでの金科玉条であるヨハネの福音書第1章の冒頭部分です。本日2014年12月27日はいわゆるUGLE United Grand Lodge of Englandが結成されて201年目ということで、まあもちろん去年が200年目の記念日であったわけですが、去年はGパンの秘密なんて記事を書いていたころで、まあ一応ロンドンからの帰国の途を書いていたりしたのでそういう感じでもあったわけですが、そういうささやかな古代派と現代派で分裂したものがふたたび統合して現代に繋がった日という事で、Wikipediaでもその日については諸説入り乱れていて表記が異なるのですが、確かUGLEの公式ホームページはこの日になっていたと思うので、いわゆる近代フリーメイスンリー結成の洗礼者ヨハネの日に対応する、福音記者ヨハネの日という事でフリーメイスンリーのシンボルとなるのだと思います。

あらためてヨハネの福音書冒頭を読んでみると、すなわちここで言う言(ことば)とは文字、もしくはフリーメイスンリーではすなわちシンボルであり、シンボルが神であり人間の神性の表現であり、知性の光であるという事になるのだと思います。それがヨハネ、まあこのブログの流れで行くと洗礼者ヨハネに行き着くわけであり、混沌としたローマ帝国時代のユダヤ王国では知恵の結集が洗礼者ヨハネであったという事であり、それがその後のラビアキバの実際的なユダヤ教の大成に繋がったのだという表現なのだと思われます。またそれは同時にキリスト教の成立とローマ帝国での国教化への流れと表裏一体であり、それらはカトリックとプロテスタント、フリーメイスンリーの流れへと繋がるわけです。
法律も人間性も個人の関係も集団の関係も全て言葉において成立するという近代社会の源を表現したのがまたこのヨハネの福音書の言葉であり、それはそのままユダヤ教の知恵であり、キリスト教の知恵でもあります。

フリーメイスンリーにおいてシンボルが重要となり、またそのシンボルについてきちんとした歴史的考察と徹底したユダヤ教、キリスト教の教えの歴史が裏打ちされるのがシンボリズムでもあり、それらにインドなどを経由して日本の仏教などの教えと共有されるものがあるというのがまた日本におけるフリーメイスンリーでもあります。

シンボリズムについてはこのブログで一貫して解説してきたものでありますが、全体があって個があり、個があって全体があるというのがまさにグノーシスの教えそのものでもありますが、それはまたシンボリズムの要諦でもあり、福音記者ヨハネの日にあってヨハネの福音書の冒頭を読みシンボリズム全体を俯瞰するというのもまたフリーメイスンリーではないかと思われます。
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2015-03-04 20:26 | カテゴリ:イングランド
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
まあ色々あってのイングランドネタです。
ヴォーン・ウィリアムズという作曲家を知っている人は少ないかと思いますが、イングランドの作曲家としては有名だそうです。
その代表作で「揚げ雲雀」という作品があります。

まあこれが相変わらずの東京シンフォニアのイングリッシュセレナーデで演奏されたわけですが、まあUGLEの命題ともいえるセントポール大聖堂のフェニックスにかかってると個人的には思ったわけですが、まあロンドンシティーの象徴がドラゴンであったり東洋趣味が聖ゲオルグの伝統からも顕著であるフリーメイスンリーの総本山のUGLEではあるわけですが、その一押しの音楽がこのブラザーヴォーン・ウィリアムズのこの「揚げ雲雀」The Lark Ascendingということで、ご堪能いただければ幸いというところでしょうか。
非常に興味深いのがブラザーヴォーン・ウィリアムズのウィキペディアでもあるわけですが、妻の語る宗教感のエピソードなどがまさにフリーメイスンという感じで興味深いところでしょうか。
まあ私も初めてイングリッシュセレナーデで知った作曲家であったわけですが、ブラザーメンデルスゾーン、ブラザーモーツァルト、ブラザーシベリウスに続いて交響曲の心地よい作曲家として非常にイングランド押しの作曲家であるブラザーヴォーン・ウィリアムズがあるというところでまあなかなかやや強引なイングランドびいきの記事ではありますが記事とすることとします。
ちなみに日本がらみで面白かったのはやはり戦後の日本の象徴でもある美空ひばりの復活コンサートのフェニックスの衣装であり、これはやはり「揚げ雲雀」がセントポール大聖堂のフェニックスを焦点とした東と西の「愛燦燦」であるということなのだと思われます。

現在来日中のウィリアム王子と合わせて、william「意志を守る」という名誉革命のオランダ総督の名前に由来するフリーメイスンのヨゼフに続く有名な名前として、日本人にはビル・ゲイツ,William Gatesが有名ですが、こちらも札束と門という、スティーブ・ジョブズ 仕事という名前と一緒でまさに日本のバブル崩壊後のアメリカの象徴のような名前の方に共通するフリーメイスンでよく認める名前ということで、まあいずれブラザーウィリアム・ホガースの「美の解析」についてもこのブログで触れようと思っていますが、まあ色々公私にわたって忙しすぎるので今年のブログのペースはこんな感じにならざるを得ませんね。
(ちなみにこの記事も日本酒を3合ほど飲んだ勢いで書いていますのでフリーメイスンらしくはありますが文責はありません。)
(昭和の歌姫美空ひばりも命日が洗礼者ヨハネの日ということもあるそうで、滝頭の商店街もよく近くを通ったこともある場所ではありますが、平成の名宰相小泉純一郎の人生には間坂の場所ではあるところですが、このブログでもよく出す、三渓園、根岸森林公園の梅林の近くでもあります。要するに横浜ロッジの歴史の場所であります。)
2015-03-15 16:38 | カテゴリ:イングランド
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
「緋色の研究」そういうと何となくシャーロック・ホームズの世界が少しわかった気がしますが、果たしてどうでしょうか。
ブラザーサーアーサー・コナン・ドイルのシャーロック・ホームズシリーズの最初のこの小説はシリーズの他のものとは相当内容的に異なるものであることかと思います。もちろんフリーメイスンリーについて相当詳しくなったであろうこのブログの読者の方々は皆それが十分フリーメイスンリーに関わる秘密の部分が大きいからだということにすぐに気が付くのではないでしょうか。原文と日本語訳が読めるサイトがありましたのでリンクしておきます。
私もこの大英帝国華やかなりし時代のいわゆるイギリス英語にあこがれて、あろうことか大学入試の前に翻訳したりしましたが、もちろん日本のアメリカ英語ともつかない受験英語の前では一切の意味をなさなかった事がよく思い出されますが、このようなフリーメイスンリーのブログを書くための勉強であったこととはさすがに今まで思いもよりませんでした。

「緋色の研究」の内容については上記の対訳で読まれることがよいかと思いますが、決定的に他のシリーズと異なるのはワトソンとホームズの紹介があることと、話のほとんどがアメリカ大陸でのモルモン教徒の話であり、そして最大の違いはその表題が全く本文の内容と関係していないことかと思われます。確かホームズが赤い糸を手繰っていくという比喩をわざわざ話したところがあったかと思いますが、基本的に赤はその他は復讐という意味のドイツ語のRacheという走り書きの文字くらいしかなかったかと思われ、とても原文のA Study in Scarletと合わない内容になっています。

もちろんこのブログを読んでいる方は表題だけでわかるかと思いますが、このScarletは緋色という意味だけではなく、その他にいくつもの意味を帯びているということがわかるのではないでしょうか。Secret, Scottish, Scarcest(極めてまれな)そういう意味がとれるでしょうか?もちろん赤はこのブログの今年の壁紙の色であり、ブルーロッジと対照的な上位位階、Scottish Rite、York Riteの象徴的な色でもあります。つまりフリーメイスンリーの象徴の色として考えるとA Study in Scarletは上位位階での勉強と翻訳されるのでしょうか。すなわち当時の独立戦争、南北戦争後の西部開拓時代におけるアメリカ大陸におけるフリーメイスンリーの活動、そして同時にそれは各種の付随団体や上位位階と呼ばれるScottish Rite、York Riteの活動でもあったわけで、それらについて知ることはすなわちフリーメイスンリーについてさらに知識を深めることであり、そういう勉強を促すという意味でつけられた名前なのかもしれません。
ちなみに途中で突然出てくるRacheという復讐の意味のドイツ語ですが、出版された1887年当時のドイツ、プロイセンは普仏戦争後のブラザービスマルク体制の状況であり、1887年に独露再保障条約の締結があったそうですが、その後の1890年にブラザービスマルクが辞任して、ブラザーヴィルヘルム2世による親政が開始された時期ということで、さらにその後には数々のドイツ国内のスキャンダラスな醜聞とも併せて、有名なオーストリア皇太子の暗殺をもって、当時のヴィクトリア女王の出身であるハノーヴァー朝のもとであるドイツ帝国は第1次大戦に突入し、ロシア革命、ドイツ革命を経て敗北し民主ドイツとなり、その後のナチスドイツの台頭となるわけです。ちなみにブラザーヴィルヘルム2世(もちろん英語読みはウィリアム2世です。)は有名な黄禍論者であったということで、日露戦争とその後のロシア革命、そして第1次世界大戦での日本の青島占領などフリーメイスンリーは当時の日本の政治状況ともブラザー林董の日英同盟を基礎として極めて深く結びついていたのです。

まあほぼ歴史的な名著になるであろう文学をこうしてフリーメイスンリー的解釈で読み解くことはまた分かりやすくはありますが、同時にいたずらに誤解を招くことにもなりうるかと思い、全てのことにあることではありますが、功罪両面があるとは思います。いずれにしても、謎の多いフリーメイスンリーの具体的な活動の一端をとらえる話としては、非常に象徴的なものではないでしょうか。
Beeton’s-Christmas-Annual
初版本の表紙にはランプに火をともす様子が描かれています。まさにScottish Riteの象徴ということで、南北戦争後のブラザーアルバート・パイクによって大成したアメリカ大陸の上位位階が翻ってロンドンのブラザーサーアーサー・コナン・ドイルにも関わってきたというところなのでしょう。
ちなみにScarletというと、やはり風と共に去りぬGone With the Windのスカーレット・オハラScarlett O’Haraでしょうか。オハラというのも出版されたのが1936年でその後の太平洋戦争での日本の名前を意識したような感じであり、主人公はアイルランド系移民ということですが、Scottish RiteとSecretにかかる象徴的な名前とされているのだと思いますし、南北戦争というものがまさにScottish Riteをテーマとしたアメリカの歴史であるというところなのだと思います。相手となるレット・バトラーRhett ButlerもまたRedを意識させる名前となっており、赤を共通点としてスコティッシュライトを象徴的に意識させる設定なのではないでしょうか。
ハリウッド女優でもScarlett Johanssonスカーレット・ヨハンソンという女優の方がいますが、この方もデンマーク系のユダヤ系の方で、11月22日生まれということもあり、以前に挙げた「マッチ・ポイント」というロンドンを舞台とした映画にも出演されていましたが、そもそもスカーレット・オハラの名前に由来するということだそうで、まあそういうハリウッド俳優にありがちなフリーメイスンリーの象徴的存在なのだと思われます。