2013-01-01 11:19 | カテゴリ:スコットランド
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
明けましておめでとうございます。
YouTubeの音楽をいじっていたんですが、どうもやはりフリーメイスンリーの新年としてはAuld Lang Syneが好ましいという事でそうなりました。
ウィキペディアの項目をコピペします。

オールド・ラング・サイン Auld Lang Syne はスコットランド語で、英訳すると逐語訳ではold long since、意訳ではtimes gone byとなる。

日本では「久しき昔」などと訳す。

「オールド・ラング・サイン」(もしくは「オールド・ラング・ザイン」、Auld Lang Syne)はスコットランド民謡、非公式な準国歌である。日本では「蛍の光」の原曲として知られる。

古くからスコットランドに伝わっていた歌で、現在に至るまで、特に年始、披露宴、誕生日 などで歌われる。

歌詞を現在伝わる形にしたのは、スコットランドの詩人のロバート・バーンズである。

従来からの歌詞を下敷きにしつつ、事実上彼が一から書き直している。この歌詞は、旧友と再会し、思い出話をしつつ酒を酌み交わすといった内容である。

こうして採譜された「オールド・ラング・サイン」には、ハイドンやベートーヴェン、シューマンといった著名な作曲家たちも伴奏を付けたり編曲したりしている。

1
Should auld acquaintance be forgot,   
and never brought to mind ?       旧友は忘れていくものなのだろうか、
Should auld acquaintance be forgot,   古き昔も心から消え果てるものなのだろうか。
and auld lang syne ?

Chorus
For auld lang syne, my dear,
for auld lang syne,                 友よ、古き昔のために、
we'll tak a cup o' kindness yet,        親愛のこの一杯を飲み干そうではないか。
for auld lang syne.

2
And surely ye'll be your pint-stoup !
And surely I'll be mine !                       我らは互いに杯を手にし、いままさに、
And we'll tak a cup o' kindness yet,     古き昔のため、親愛のこの一杯を飲まんとしている。
for auld lang syne.

Chorus

3
We twa hae run about the braes,
and pou'd the gowans fine ;                   我ら二人は丘を駈け、可憐な雛菊を折ったものだ。
But we've wander'd mony a weary fit,     だが古き昔より時は去り、
sin' auld lang syne.              我らはよろめくばかりの距離を隔て彷徨っていた

Chorus

4
We twa hae paidl'd in the burn,
frae morning sun till dine ;                        我ら二人は日がら瀬に遊んだものだ。
But seas between us braid hae roar'd      だが古き昔より二人を隔てた荒海は広かった。
sin' auld lang syne.

Chorus

5
And there's a hand my trusty fiere !        いまここに、我が親友の手がある。
And gies a hand o' thine !                       いまここに、我らは手をとる。
And we'll tak a right gude-willie waught,   いま我らは、良き友情の杯を飲み干すのだ。
for auld lang syne.                                   古き昔のために。

Chorus

日本では、独自性の高い訳詞が付けられ、「蛍の光」として卒業式などで歌われる。

「オールド・ラング・サイン」のメロディーのみの使用例には以下のようなものがある。

大日本帝国海軍では「告別行進曲」もしくは「ロングサイン」という題で海軍兵学校の卒業式典曲として使われた。現在でも日本全国で卒業式の定番唱歌であるなど、別れの曲としてよく知られている。他にも各種の式典や商店の閉店時に古関裕而が編曲した「別れのワルツ」を使用するケースが多いが、多くの人は別れのワルツであるとの認識を持っていない。
図書館・博物館などの公共施設や、商業施設で、閉館・閉店時間直前のBGMとして鳴らす。暗黙に客の退出を促している。また、自衛隊の駐屯地祭や航空祭などでも終了時間に同様の理由でBGMとして流されることが多い。
東京ディズニーランドのカウントダウン・パーティにおいて、カウントダウンセレモニーの一環として3分前から2分から2分半の時間演奏される。
NHKのNHK紅白歌合戦において、優勝チームが決まると「○組 優勝!!」の字幕スーパーが画面いっぱいに出る。また天井から大量の紙吹雪がステージいっぱいに降る(風船、紙テープは入っていない。優勝チームの司会者(つまり、キャプテン)に優勝旗が手渡される。紙吹雪は放送終了(『蛍の光』の場面)「蛍の光」まで降り続く。
プロ野球においてはその年限りで現役を引退する選手の引退セレモニーの際などに演奏される場合がある。
長嶋茂雄(巨人、1974年10月14日後楽園球場での対中日戦)
原辰徳(巨人、1995年10月8日東京ドームでの対広島戦)。「巨人の星」(作曲:渡辺岳夫)に 「オールド・ラング・サイン」をコラージュした演奏曲に編曲されていた。
阪神タイガースの私設応援団では相手投手の降板時に嘲弄の意を込めて演奏され、その直後に「六甲おろし」の大合唱となるのが恒例の応援スタイルである。
鉄道路線の廃線の際、最終列車出発時に演奏される(しかし、近年では鳴らされない場合もあったり、最終列車始発駅ではなく途中駅で演奏されることも多い。例:三木鉄道三木線石野駅)。また、1996年(平成8年)までは阪急梅田駅の終電の合図として使われていた。青函連絡船では、出港の際に放送された。
離島航路においては、異動する教員や公務員が乗船する便が出港するときに流される場合がある。

日本では年始に蛍の光はパチンコ屋で聞くくらいかもしれませんが、スコットランド、イングランドでは年始の曲のようです。なかなか定着しづらい習慣かもしれませんがどうでしょう。個人的には日本のフリーメイスンリーのロッジではあまりなじみがないかと思いますが、特にスコットランド系ロッジでは普遍的なのだと思います。横浜ロッジもスコットランド系ロッジLodge Star in the East No.640と同じ場所ですので関連があるかと思います。

ブラザーロバート・バーンズについてはいずれまとまってから書く事があるかと思います。

今年もよろしくお願いします。
2013-05-31 21:41 | カテゴリ:スコットランド
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
INTERNATIONAL CONFERENCE ON THE HISTORY OF FREEMASONRY

ORGAN & PIPES RECITAL BY SIMON NIEMINSKI AND DAVID OGILVIE

THURSDAY, 23RD MAY, 2013 18:45

THE GRAND LODGE OF SCOTLAND FREEMASONS' HALL 96 GEORGE STREET EDINBURGH

BAGPIPES AND ORGAN:
I vow to thee my country (from Jupiter - The Planets)      Gustav Holst(1874-1934)
Amazing Grace                                                                  Trad.

BAGPIPE SET:

Slow Airs:
The Cliffs of Doneen                                                          Trad. Irish
Stonny's Mazurka                                                               Trad. Bulgarian

Hornpipes:
Hazel Thompson                                                                George McIntyre
Una MacIntyre                                                                     George McIntyre

6/8 Marches:
The Glendaroul Highlanders                                                Trad.
The Cock o' the North                                                          Trad.

ORGAN SOLO:
Scotch Fantasia: on National Airs and Folk-Songs              Will Macfarlane(1870-1945)

BAGPIPES AND ORGAN:
Slow Air - Highland Cathedral                                                Michael Korb/ Ulrich Roever

BAGPIPE SET:

Jigs:
Gerry Tuphugh                                                                       David Ogilvie
Mrs Murphy                                                                             David Ogilvie
The Spanish Piper                                                                 David Ogilvie
The Celtic Matador                                                                 David Ogilvie

Hornpipes:
The Kopper Kettle                                                                   David Ogilvie
The Big Birl                                                                              Robert Mathieson

Marches:
Scotland the Brave                                                                  Trad.
Green Hills of Tyrol                                                                  Trad.
The Highland Laddie                                                                Trad.
Bonnie Dundee                                                                         Trad.

BAGPIPES AND ORGAN:
Grand March: The Garb of old Gaul                                          Gen. John Reid

pre conference concert program

pre conference concert Scotland Grand Lodge Pipe Organ

4th International Conference on the History of Freemasonry Pre Conference Concert
2013-06-02 12:27 | カテゴリ:スコットランド
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
イギリスははっきり言って観光として日本人が何度も行って満足できるものではないと思います。
一口に観光といってもその中の要素としてはだいたい食事、宿泊施設、景色や文化や移動の手段の三つに分けられると思い、そのうちの全てが揃っているところがやはり観光地としてベストなわけであって、イギリスにおいてはやはり店を選んでお金を出せばよい食事が食べられるとは言っても、旅行で重要な食事が日本人が満足できることは少ないかと思いますので、その他の要素が非常に優れていて実際世界の観光都市としてもベスト3に必ず入る都市な訳ですが、満足度という点においてはそれほど高くないのだと思われます。
ではなぜそんな満足度の低い観光地に一年も置かずに再び行くことになったのかというとこれはもちろんフリーメイスンとしての公務みたいなもので、前回ロンドン・パリの旅を終えたところで差出人不明の国際フリーメイスンリー歴史学会のプログラムがeメールで届いたからで、これは行かねばなるまいと覚悟を決めて、果たしてちょうど時差8時間で、飛行機の所要時間が12時間とちょうど朝に出ると眠くなった頃に昼につくという最も時差の影響が大きいヨーロッパに再び1週間の弾丸旅行を行ってきました。
前回ロンドン・パリの旅がかなりの雨天で、同時に地元横須賀もかなりの雨で京急線が止まるなどあり色々心配をしていましたが、今回は稀に見るイギリスの好天続きで旅としては非常に良かったわけですが、まあアベノミクスに水を差すような株価の下落やブリティッシュエアウェイズの飛行機がヒースローで火を噴いたなどのニュースがありましたが、全体として前回ほどの波乱は無かったかと思われます。
まあ今回はとにかく観光の要素は少なく、国際フリーメイスンリー歴史学会なるものがいったい何なのかというところがメインテーマでありまして、そもそも国際学会というもので海外に行くのが初めてでありましたので、英語のプレゼンテーションの内容をどれだけ理解できるかとか、参加者や発表者がいったいどんな人たちなのかというところで非常に興味があり、またまあ上述のきっかけからあまり行かないでやり過ごそうという考えは無かったという事もあり、とにかく参加することに意義があると納得させて、分からないであろう英語のプレゼンテーションは今回から動画を活用して記録する事としてそれを後で分析して理解しようという事にして対応していったわけです。
そもそもスコットランドの予備知識としては、ブラザー片桐三郎の入門フリーメイスン全史偏見と真実にも詳しく語られるように実務的メイスンリーの発祥の地として最も有力な記録に残った土地であり、清教徒革命や名誉革命を通じて様々な王権や議会の背後で確実な勢力としてフリーメイスンリーが存在した根拠地であり、またジャコバイトや古くはテンプル騎士団などヨーロッパの歴史の底流の部分をフォローしてきた土地であるとされ、一般的知識としてはショーン・コネリーやユアン・マクレガーといった有名映画俳優がスコットランド出身者にいて、ブラザージェームズ・ワットや、ブラザーアレクサンダー・グラハム・ベルや、ブラザーエドワード・ジェンナー、ブラザーアレクサンダー・フレミング、ブラザーサー・アーサー・コナン・ドイル、ブラザージョゼフ・リスター、アダム・スミス、ブラザートーマス・ブレーク・グラバー、ブラザーウィリアム・ジャーディン、ブラザージェームス・マセソンといったイギリスと言って思いつく科学や医学や文学や経済の超有名人達の出身地であり、湖水地方などで言われるように美しい場所であり、またネス湖のネッシーで有名なようにちょっとミステリアスで世界をあっと驚かすようなトリックを行う土地柄もあるようなイメージであったでしょうか。私はフリーメイスンリーについて詳しく知る前にはブラザーロバート・バーンズについてはほとんど知らなかったので、スコットランドで思われるのは再びカッレ君に出てくるような緑の丘の古い修道院跡があるようなイギリス映画のような光景で、それのさらに寒くて羊が多い場所なのだろうなというイメージでした。実際行ってみて思ったのはかつて行ったことがあるニュージーランドの光景が非常によく似ているという事であったでしょうか。
まあいずれにしても自分で行こうと思ったきっかけではなく、様々な働きかけの中で突如湧いてきた旅行な訳で推測するに横浜ロッジFar East Lodge No.1と同じ場所を共有するスコットランドグランドロッジ管轄の東洋の星ロッジLodge Star in the East No.640との関連になるのだと思われました。そもそも日本のフリーメイスンリーはアイルランド系の軍隊ロッジであるスフィンクスロッジから始まり、その後のイングランド系とスコットランド系のロッジと、上述したブラザーグラバーやジャーディン・マセソン商会などイングランド人、スコットランド人のそれぞれの関わりや競い合いがあり、戦後にはスコットランド系のブラザーマッカーサーを始めとしたアメリカ人による関わりがあるわけですが、その中で横浜ロッジはそのスコットランド系の影響の中で戦後に日本人に門戸を開いていった歴史となるわけです。
一概にイギリスのイングランド、ウェールズ、スコットランド、アイルランドの四つの地域の歴史は日本人にはそれほどなじみがあるわけではないわけですが、それぞれ固有の言語をもち、特にローマ帝国やフランスや北方異民族の襲来やカトリックの伝来、その後の宗教改革の歴史の中でそれぞれの地域で微妙に異なる歴史を持っていて、そもそも日本の神道のように固有に持っていたドルイド教のような太陽信仰を中心とした土着の文化と相混じり合ってそれぞれ特有の文化をもつ地域、国を形成して現在のイギリス、連合王国を形成している歴史な訳です。
そういうわけでそこから1717年にイングランドグランドロッジとして発祥したフリーメイスンリーはその後の1725年にアイルランドグランドロッジを設立し、1736年にスコットランドグランドロッジを設立しそれらがさらに当時のイギリスの植民地であったアメリカ大陸やアフリカ、インド、アジアの居留地に積極的にロッジを形成し、それらが特にアメリカでは一定の条件を果たしたところでそれぞれの地域の国や州をひとまとまりとした新たなグランドロッジを形成する事となって行くのです。日本でも横浜と神戸の居留地にそれぞれ数多くのロッジが形成され、グランドロッジをどちらとするかなどの問題が明治から大正にかけて盛んに議論されていたそうですが、特に関東大震災の横浜ロッジの崩壊をもって多くが神戸に移るという結果になっていったようです。戦後の日本のグランドロッジは数多くのロッジがブラザーマッカーサーの手によって再興されたり新規に基地内ロッジとして開設された後に国会でのフィリピン政府への戦後補償や謝罪決議などをもって、マサチューセッツグランドロッジやその他のアメリカの州のグランドロッジの複雑な相互承認関係を経たフィリピングランドロッジの承認をもって認められる形となったそうです。
そういうわけで伝統的に正統派と呼ばれるいわゆるアングロ・サクソン系のフリーメイスンリーでは最初にイングランド系、スコットランド系、アイルランド系のいずれかのロッジが設立され、その上である一定の条件を満たしたところで国や地域を管轄としたグランドロッジが設立されその他のグランドロッジと相互承認関係をもつというのがフリーメイスンリーの一般的なやり方という事になります。これとはまた別にグランドロッジが無い時点で様々なグランドロッジの系列の例えばグラントリアンなどの系列が並行して存在する事もあり、アメリカの州に数多くのグランドロッジが並列して存在する状況などもこう言った様々なフリーメイスンリーの慣例の中で生じるロッジ設立の競い合いといった中から生じた過程かと思われます。

まあそんなわけで、イギリスと一口に言ってもその中では3国鼎立ともいえるようなスコットランド、アイルランド、イングランドという緩い緊張関係があり、それがかつてはIRAのようなテロまで発展したり、また宗教戦争の時代にはカトリックと国教会の対立や、クロムウェルのアイルランド占領など都市や地域を主体として容易に血塗られた歴史となるイギリスの歴史があり、それはまたオランダやフランス、イギリスといった他の国との関係においても様々な三国関係が同様に存在し続けるという延々と繰り返される歴史の3の関係な訳ですが、要するに前回回ったイングランドグランドロッジ、フランスグラントリアンと間をもつような存在が今回の舞台であるスコットランドグランドロッジという事になるのだと思われ、その前座のような話が国立新美術館にあったフランスのユニコーンとライオンのタペストリーであったわけではないでしょうか。まあ様々な知識としては知っていて、このブログでも何度も触れて来たスコットランドという国、地域なわけですが、実際この様な機会で訪問する事になるとは思ってもいなかったわけで、様々なきっかけの中で物事が動き出している事を感じるような一連の旅であったという所でしょうか。
まあ大分長い書き出しとなりましたが私自身把握できているところがこの程度というところで、実際にはその他に膨大な人と物事の書きとめられない流れというのが歴史には存在しその流れの中で人は動かされ日々過ごしていくというその中の数日の記録をまたブログとしていこうかと思います。以前のように時系列を追った形にとらわれずに様々に変則的な形で構成していくことになるかと思いますし、また間に他の話や学会の個別の発表の内容を追加していく形になるかと思います。頭がこんがらがったり付いていけなくなる人もいるかと思いますが、まあそれはそれでドストエフスキーの小説ではないですが事実は小説よりも奇なりと言いまして、現実は常に想像よりは面白く複雑で興味深いという当たり前のことを伝えていければと考える次第であります。

それでは写真を数枚示して旅の始まりとしていこうと思います。
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飛行機からの写真ですが、これは非常にわかりづらいかと思います。日本上空で眼下に日本アルプスが見えるのだと思いますが、先に小さく綺麗に富士山が見えるのですね。恐らくそういうきれいに見えるようなコース取りであったのだと思います。
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もうすぐにイギリス上空です。実際は前回のようにビジネスクラスになる事も無く、時差ボケ対策で食事のとき以外ずーっとアイマスクに耳栓ヘッドホンで寝ています。前回から1年足らずという事で遠慮も無くヒースロー空港周辺を撮っています。かなり濃い霧でした。
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ヒースロー空港では恐ろしくブラザーダン・ブラウンの新作をアピールしていました。また旧作も全て一緒に売っていました。グランドロッジでのアメリカ人ブラザーのアピールが影響したのでしょうか。日本でも前回は成田空港でこんな感じでした。いやまあ新作は楽しみです。機会があればロストシンボル以前の旧作も読んでみたいと思います。
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ヒースロー空港から乗り継ぎで約一時間でエディンバラ空港です。途中はいわゆる国内便ですがほぼ満席の状況でした。日本の東京大阪便のような感じかもしれません。学生やビジネスの方が多いようです。景色は明らかに綺麗な感じでしたね。ほぼ自然のゴルフコースのような感じでしょうか。日本ではあの景色は保存できないのでしょう。
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エディンバラはいかにも地方の空港という感じですが綺麗でおかしなところは全くありません。空港からすぐに中心部への直通バスが出ていて3ポンド位だと思います。レンタカーなどもありました。車も比較的多くなく左車線なので海外で運転経験のある方はお勧めかもしれません。ロータリーが非常に多く信号無視の歩行者が非常に多いのが特徴でしょうか。まあなんとも言えない快晴でした。
2013-06-02 15:36 | カテゴリ:スコットランド
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
またセンセーショナルな副題ですが、まあもちろんフリーメイスンリーにそれら全体を管轄する本部も無ければ中枢も無いという事を逆手に取ったエディンバラの街とそこでのフリーメイスンリーの活動を見た上での感想のようなものです。エディンバラに来ればすぐに目に入るのが天空に浮かぶがごときエディンバラ城であって、それを中心として整然と並ぶ市街はまさにフリーメイスンリーの本部というのにふさわしい街並みであり、また同時に旧市街を中心に多数のフリーメイスンリーの実務的メイスンリーからの歴史あるロッジが存在し、そうした歴史や政治、地政学的要素、品格や民主主義や自治の雰囲気など全てを組み合わせてまさにフリーメイスンリーの本部と言うにふさわしい場所だと思ったわけです。

さて空港からバスで移動してホテルのあるエディンバラ中心部へ移動します。
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まあとにかく綺麗なところです。高い木が育たないのでしょうかね。日本から見ると考えられない地形ですがあちらの自然はこの様です。降水量が違うのでしょうか。
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St. Mary's Cathedralというそうです。バスの窓からなので半分しか写っていません。
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ウェイバリー駅からエディンバラ城を望む方向ですね。ウェイバリー駅にバスは降ろしてくれました。ホテルは新市街の方なのですがまあそこがバスの終点なのだと思います。
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ちょうど目立つ所にジェンナーデパートがあります。新市街はそれぞれポイントのところにフリーメイスンの名前を冠した建物や銅像があります。
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アダム・ブラックという人の像のようです。出版業と政治家でエディンバラ市の市長をされていたようです。恐らくフリーメイスンなんだと思われます。ブリタニカ百科事典を出版されたそうです。
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ジョージ四世の像です。父親がポルフィリン症の認知症で亡くなった、王太子時代に放蕩して父親を困らせた王で、ナポレオン時代の後に即位しています。スコットランド出身のスチュアート朝の流れをくむハノーヴァー朝の王として初めてスコットランドを行幸し、その地でキルトのスカートをはいて接見して大いに人気が出たそうです。同行した作家のブラザーウォルター・スコットの発案であったそうです。
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左手の旗のあるのがジョージホテルです。奥のセントアンドリュースクエアにある塔は第一代メルヴィル卿のブラザーヘンリー・デュンダスの銅像が載っているようです。東インド会社の経営などにも関わった絶大な権力を手にした政治家だそうで、スコットランドグランドロッジのグランドマスターであったそうです。(2013/11/2追記:パストグランドマスターではないようです。ウィキペディアにグランドマスターのようであったという意味の文章があるだけです。フリーメイスンではあったのだと思われます。)
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新市街は高台の稜線に沿って並んでいて北海が見えます。フォース湾というそうです。
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ロイヤルスコティッシュアカデミーという非常に目立つ建物なのですが、どうもスコットランド国立美術館の分館であるとか企画展をやるとかで、まあいわゆるフリーメイスンリーのソロモン宮殿に当たるのでしょうが、常時開いているわけではないようです。町の中心にあり、その横に広場があって何か毎日やっていました。上にスフィンクスが並んでいてとにかく目立ちます。
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これもその辺りから撮ったエディンバラ城ですね。
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これもどの角度かはよくわかりませんがロイヤルスコティッシュアカデミーを撮っているのだと思います。上部のスフィンクスが非常に特徴的です。エディンバラは路面電車の線路はあるようですが、路面電車は廃止になっているようです。2014年に再開予定だそうです。

別の日に朝のエディンバラ市街を動画で撮ったので参考としてください。YouTubeでも日本人が撮ったものも多いようですが、天気が良いので参考とできるかと思います。

ジョージストリート→セントアンドリュースクエア→ジェンナーデパート→プリンスィズストリート→ノースブリッジ
2013-06-04 20:03 | カテゴリ:スコットランド
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
さてでは写真だけ羅列していったわけですが、ちょうどブラザーデッカー司令長官の回想録を読み終えたところでどのような記事にしていこうかと考えているところで、少しずつ写真の解説を加えつつ記事を考えていこうかと思っています。日本の天気も梅雨が来ない相変わらずの異常気象でお出かけ日和となっていますが、このブログでは良い天気のイギリスの観光地の様子をのんびりとお楽しみください。
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プリンスィズストリートの横にある公園のスペースから撮ったアングルです。かつては沼があって新市街を造る際に水を抜いて公園としたそうです。
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ちょうど八重桜が満開でした。日本から移植したのかと思ってしまいましたが、どうも同じような気候で自生しているようでした。八重桜の時期に合わせて訪問するのも一興かなと思います。
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あっちの人は天気が良くて芝生があるとみな寝転んでいる人が多いですね。しかし一人でいたり微妙な感じの集まりというのがないのがあちらの特徴でしょうかね。まあいわゆる分別が付いた年齢の方はいないのが特徴でもあります。楽しそうに見えるというやつでしょうか。
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到着したばかりでとりあえず色々な角度で撮っているのですね。
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ウィキペディアに解説がありましたが、第二次大戦中にノルウェーの連隊が訓練のため滞在した記念だそうです。ノルウェーもナチスに占領されていた歴史があるかと思います。実質亡命政権があったのだと思います。
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ロスの噴水というそうです。ロンドン万国博覧会の際にジャン・バプティスト・クラグナンという方が作った鋳鉄製の彫刻で、上部の4人の女性が科学と芸術と詩作と工業を意味しているそうです。まあ四人の女性というとフリーメイスンリーの四元徳を思い出しますが、恐らく四元徳と対応する形にこの噴水もなっているのかもしれません。ロスという銃器製造会社の経営者の方がこの地に移築して寄贈したそうです。いずれもフリーメイスンであるのだと思われます。まあ結局エディンバラ城の写真はこの学会のプログラムの表紙のアングルが最もきれいという事だと思います。ちょっと興ざめですがまあフリーメイスンリーです。ヘッダーにもプログラムからコピペしたものを使用しています。
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崖はやはり崩落の可能性があるためにネットが掛けてあります。日本の城のようで実用的であり城構えも一見の価値ありです。
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やはり墓地があり一見してオベリスクが目立ちます。
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道の左右にオベリスクがあります。やはり特別な場所なんでしょうね。
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やはり崖が壮観です。日本の岩とは違います。まあこんな感じで岩がそこらじゅうにあるんですね。結局その資源に則った生活がフリーメイスンリーの基本であったわけですね。
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結局攻められるのがロイヤルマイルからの一方向しかないのですね。門に近い方になると焦げ跡が多くなっていくように見えます。まあ実戦を戦ってきた城そのものなのでしょうね。その辺りにフリーメイスンリーの本部ともいえる都市の象徴の誇りがあるものかと思われます。まさに武田信玄、孫子の兵法いわく、人は石垣人は城でしょうか。
2013-06-04 21:13 | カテゴリ:スコットランド
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
過去の2回目、3回目のプログラムもネット上にありました。今回のものもホームページに当たれば見られるかと思います。今回のものについてはアブストラクトが配布されましたのでそれについては書き写してコメントしていければと思います。一応個人名は全て伏せていくこととします。動画で撮れたものについてはその部分だけアップしますが、それ以降の音声で記録したものについてはちょっと転載が厳しそうです。また転載したとしてもあまり聞き取れる形にならないかもしれません。

それではプログラムの後援や会の目的について書き写していきます。全体発表の発表者については個別に人物紹介がされているので転載していこうかと思っています。

4th INTERNATIONAL CONFERENCE ON THE HISTORY OF FREEMASONRY
FREEMASONS' HALL, 96 GEORGE STREET, EDINBURGH, SCOTLAND
24 MAY-26 MAY 2013
第4回フリーメイスンリー歴史国際学会
フリーメイスンホール スコットランド エジンバラ ジョージ通り96番地
2013年5月24日~26日

Held under the Patronage of:-- Grand Master Mason

-- The Sovereign Grand Commander of The Supreme Council for Scotland of the Ancient and Accepted Scottish Rite

-- The Deputy Grand Master and Governor of the Royal Order of Scotland

with the special Patronage of: IIth Earl of Elgin and 15th Earl of Kincardine, KT

and with the support of:--(please access www.ichfonline.org)

後援 --グランドマスターメイスン
    --古代認証スコティッシュライト位階最高会議のスコットランドのソヴリングランドコマンダー
    --スコットランドのロイヤルオーダーの代理グランドマスターおよび長官
特別後援 第11代エルジン伯爵、第15代キンカーダイン伯爵、騎士
--の後援による(www.ichfonline.orgにアクセスしてください。)

STATEMENT OF PURPOSE

By holding a biennial conference open to the public, the main purpose of the ICHF is:
*to promote Freemasonry as a subject for academic study.
*to present and debate relevant contributions in this area of research.
*to create a forum for interactions between researchers, experts and a wider audience.
*to encourage individuals to take an interest and participate in an active exchange of knowledge in the area.

会議の趣旨

二年に一度の一般公開された会議を開くことに当たって、ICHFの主要な目的は:
*学術研究の対象としてのフリーメイスンリーを促進する。
*発表して議論する事でこの分野の研究に関して貢献する。
*研究者、専門家や幅広い聴衆の間での相互の交流のための空間を作る。
*個々人がこの分野での活発な知識のやり取りに参加する機会を得たり、興味をもつように動機づける。

The ICHF is a non-profit making, privately owned event and brand, sponsored by Supersonic Events Ltd. with no formal affiliation to any masonic or academic body. On each occasion a leading academic is appointed to convene a specialist committee responsible for the selection of suitable presentations. Any surplus generated by the ICHF will go to support young researchers and academics pursuing research in the topic.

ICHFは非営利目的で、私的なイベントであり、商標であり、スーパーソニックイベント株式会社の提供によっていて、いかなるフリーメイスンリー団体や学術団体とも正式な提携をしていません。
2013-06-04 21:48 | カテゴリ:スコットランド
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
さてでは背景も三笠公園となり、動画も横須賀と戦争関連のものとなり日本人視聴者の関心が高いものとなったかと思いますが、恐らくブラザーデッカーの本の内容はそれほど日本人にとって面白い話ではないかと思われますが、スコットランドの記事に加筆する作業は進めたいかと思います。まあフリーメイスンリーにとっては非常に重要な土地ですが、基本的に観光ですので気楽に読めるかと思います。
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なかなか八重桜が美しかったですねえ。女性も特別美しい人ばかりでしたが、桜も自然も空気もみな美しかったです。
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ちょっと変則的なわき道から上がって来たのですね。箱根湯本や伊香保など日本の温泉街を思わせるような作りでしょうか。お城といっても機能的な行政上の中心も果たしていたわけで、日本の江戸時代の姫路城のような少し迷路構造になっているが本丸までいくのにそれほど時間はかからない構造になっています。
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スコットランドの動画に入っていましたが、エディンバラのミリタリータトゥーをやる会場がこのエディンバラ城前広場なのですね。基本的に8月中に様々なフェスティバルの一部として行われるようです。日本からもそれにポイントを絞ったツアーがあって、二泊三日で10万円以内というのが相場のようです。動画で見るとなかなか壮麗な見世物ですが、訓練の意味も一部はあるのでしょうね。色々それに向けた会場づくりの過程であったのだと思いますが、ケルト十字とオベリスクがあるのはなかなかすごいものです。オベリスクも近くまでいけなかったので何の記念かはわかりません。(第72ハイランド連隊の記念碑のようです。)ちょうどこの時は衛兵の交代をやっていました。結構緊張感があるタイプでしたかね。
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これは門をくぐった後の坂道と壁ですかね。ここは恐らく実戦で使用された感じの後という焦げた跡がある場所で、まあどこまでの戦闘かわかりませんが、恐らく実際の戦闘、恐らく宗教改革絡みの争いで使用された場所なのだと思いました。焦げた感じからブラザーロバート・バーンズのBurnsはこの焼け焦げた跡なんじゃないかと想像してしまったりしました。この日はもう遅かったので入場しません。
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ロバート・ザ・ブルース(ロバート1世)の像です。像自体は20世紀に作られたものだそうですが、王は13世紀から14世紀の時代のスコットランドの偉大な王でイングランドから独立をしたそうです。
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ウィリアム・ウォレスの像です。ロバート・ザ・ブルースと同時代の騎士だそうで、出身はウェールズだそうですが、スコットランドの勢力とともにイングランドと戦い最後は破れて八つ裂きにされたそうです。メル・ギブソンの映画「ブレイブハート」の主人公だそうです。
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イングランドのガーター勲章に次ぐシッスル勲章というスコットランドの騎士団勲章のモットーだそうです。アザミ勲章とも言うそうです。”Nemo me impune lacessit”(何人も咎無く我を害せず)だそうで、シッスル勲章はスコットランド人の血をひく人以外には授与されないそうです。赤いライオンはスコットランド王家の紋章で、それはそのまま現在のエリザベス女王のウィンザー朝に繋がるのだと思われます。イギリスの国章にも四分割した右上に赤いライオンの姿が認められます。またイギリスの国章にあるモットーは一つはガーター勲章で、フランス語で "HONI SOIT QUI MAL Y PENSE"("Evil to him who evil thinks", "Spurned be the one who evil thinks", or "Shame upon him who thinks evil upon it"、思い邪なる者災いあれ)で、もう一つが "DIEU ET MON DROIT"(God and my right、神と我が権利)という標語でこれはスコティッシュライト33階級の標語と一緒であり、ガーター勲章とスコティッシュライトが表裏一体の関係にあることが示唆されます。
2013-06-04 22:02 | カテゴリ:スコットランド
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
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ロイヤルマイルはエディンバラ城前広場から前の通りを下ったところの通り全体を言うようです。この建物がゴシック建築の一見教会のようですが、ハブというそうで、フェスティバルなどのインフォメーションセンターとなっています。かつては教会であったそうです。
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この右手も教会でしょうかね。聖コロンバスコットランド自由教会というそうです。ジョン・ノックスによってつくられたのが国教会からも独立した自由教会だそうで、日本にあるプロテスタントは主に自由教会によって伝えられたものだそうです。(追記訂正2013/6/23:これはウィキペディアの項目をそのまま写したのですが色々派閥があってその主張が入っていて、客観的には間違いのようです。ジョン・ノックスが作ったのがスコットランドの長老派教会であり、また1843年のスコットランドの教会分裂の後にスコットランド自由教会ができたようです。日本にプロテスタントを伝えたのは主にヘボンに代表されるような長老派教会のようです。)
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これはいかにもな金のフクロウがあったので撮りました。恐らくロッジの象徴なんかなんだと思われます。
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ブラザーディーコン・ブロディーはこのロイヤルマイルで最も目立つ看板や人形である歴史上の人物で、いわゆる「ジキル博士とハイド氏」という「宝島」の作者としても知られるブラザーロバート・ルイス・スティーブンスの作品としてして知られる、二重人格の代表例として知られる物語の元となった人物です。本名がブラザーウィリアム・ブロディーといい、ディーコンはエディンバラの商人組合の組合長を意味するそうです。昼は名士で通っていた人物が実は夜は窃盗団の頭であったという事で、1768年から1788年まで約20年間に渡ってそういう生活を続けていたそうで、フリーメイスンとしてはブラザーロバート・バーンズやブラザーサーヘンリー・レーバンとも知りあいであったそうです。まあ恐らくディーコンという役職から言って、エディンバラの顔役みたいなフリーメイスンリーで言うところのグランドマスターに近い状況であったのかと思われます。もしかするとロッジでの役職のシニアディーコンやジュニアディーコンを意味するのかもしれません。英語版ウィキペディアによると仲間が捕まった際に僻地に追放されるのを拒否していわゆる司法取引でブラザーブロディーの共犯を自白し、ブラザーブロディーがオランダからアメリカに高跳びしようとしていたところ逮捕されたそうです。当初証拠はなかったらしいのですが、自宅から合い鍵や変装の道具やピストルが出てきて絞首刑となったそうです。絞首刑の際にも鉄のカラーなどで抵抗したそうですが失敗して亡くなったそうです。果たして本当に犯罪を行っていたのでしょうか。店の看板によると1420年よりキッチンのアーチがあるそうでエディンバラでも最も古い建物で、現在でもケルティックメイソニックロッジが定例会を開いているとあります。そういえばブラザーブロディーの顔つきも典型的なスコットランド系とは異なるでしょうか。ブラザーディーコン・ブロディーが紫の服を着て、看板も紫なのは、どうもこの紫色がスコットランドでは最も王室やスコットランド自体を象徴する色とされているようで、恐らくカバラの色の象徴とも関係するのでしょうが、背景のメイソニックケルトの色もそうですが、女性が紫色の服を着ている姿を良く見かけました。ビールはギネスが無かったのでこれになりましたが、スコットランドの地ビールのようでした。サンドイッチはまあそこそこでした。10ポンド位でしょうか。(6/18追記:紫色については実際に町でも多く見かけましたが、ウィキペディアのかつてのブラザーブロディーの人形や看板を見るとそういう様子は一切ありません。ここ最近のキャンペーンのようです。カバラの紫色とかけた東と西の共通のキャンペーンであるのではないでしょうか。まあ結局は好みでしょう。色の流行はそれこそ循環であると認識されています。)
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で、ブラザーディーコン・ブロディーの名前を冠した店は真向かいにもう一軒あるのですね。
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ブラザーロバート・バーンズの写真があります。どうもその後の解説によるとブラザーディーコン・ブロディーの逮捕などとも深くかかわりがあるようです。
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北極クジラというそうです。恐らく一階の面積で税金が決められていたので二階以上を大きく作ったのではないでしょうか。書いていませんが恐らく地震がない土地の税金対策の建築法だったのでしょうね。
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この解説ではブラザーディーコン・ブロディーが住んだ通りを描いているそうですが、どうも行政長官として名声を得ていたのに秘密の浪費のために困窮してブラザーロバート・バーンズがエディンバラに来た1786年より盗みを始めて1788年に発覚したと書かれています。どうも英語版ウィキペディアとは話が違いますが、正確なところはエディンバラのロッジで入会しないと教えてもらえないのではないでしょうか。ブラザーロバート・バーンズの詩に秘密があるかもしれません。清教徒革命や名誉革命、ジャコバイトの話などもあり実際は相当複雑なんじゃないでしょうか。
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これはほとんど鏡になっていますが、裁判所の建築の解説のようですね。まあ恐らくフリーメイスンリーのロッジの関連の解説でしょうから歴史的に重要な舞台の建築なのだと思われます。
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まあこの解説を読むとブラザーブロディーはエディンバラのまさにこのロイヤルマイルの職人の家に生まれて行政長官まで上り詰めたが、ギャンブルで身を持ち崩し盗賊になって捕まって、セントジャイルズ大聖堂の近くで絞首刑になったという事でしょうか。まあなんだかよくわかりません。事実は小説よりも奇なりなのでしょう。いずれにしてもケルト系のフリーメイスンリーロッジというのはヒントかもしれません。この後のブラザーロバート・バーンズの名前を冠したレストランの店主もフリーメイスンでありましたが明らかにケルト系でした。
この店でもハギスを食べたと思います。結構上品であったようでした。
2013-06-04 22:11 | カテゴリ:スコットランド
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
随分色々といじくったんで相当見づらいブログとなってしまったかもしれませんが、それもこれも秘密の範疇という事で、まあ非常にスコットランドらしい感じになったという事で雰囲気を味わっていただけると光栄かもしれません。まあブログの内容の方は観光なだけで大したものではありません。
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ロイヤルマイルのランドマークであるハブを下の方から撮ったところですね。
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ブラザーデイヴィッド・ヒュームの銅像です。イギリス経験論の代表的な哲学者の一人で、イギリス経験論といえばフランシス・ベーコンの「知は力なりknowledge is power」が有名ですが、その完成者としてこのブラザーヒュームが挙げられるそうです。私も詳しくはわかりませんが、アメリカ建国の父のブラザートマス・ジェファーソンやブラザーベンジャミン・フランクリンに影響を与えたそうです。エディンバラ大学に学びその後はほぼ独力で著作を行い、カントなどに影響を与えたそうです。無神論に近い考え方であったことからアカデミックポストに就くことができなかったそうですが、極めて現代的な哲学を確立したものと考えられます。フリーメイスンにはパリに滞在中になったそうで、その後にブラザールソーとも会ったりしており、その当時フリーメイスンのイギリスと大陸との交流が極めて盛んであった事が想像されます。神学から独立した哲学という学問がこの時代に成り立つには背景としてフリーメイスンリーによる科学的観察や思考という概念が極めて重要なのだと痛感させられます。1711年に生まれ1776年に亡くなっています。
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セント・ジャイルズ大聖堂です。正面にあるのがブラザーサーウォルター・スコットの銅像だそうです。セント・ジャイルズ大聖堂は日本ではそれほど有名ではありませんが、プロテスタントの一派である長老派教会の母教会とみられるそうで、いわゆる予定説のカルヴァンに学んだスコットランドの代表的な宗教改革者であるジョン・ノックスが庭に埋葬されたそうです。後でこの教会の中のステンドグラスを撮影しますが、この教会にこのスコットランド最大の秘密が隠されています。ここで明かしてしまうと要するに一番高い所にフリーメイスンリーのシンボルマークがはっきりと示されていました。上の冠型の尖塔はいわゆる王冠を象徴しているのですね。国教会の国家の元に宗教がありそこにはフリーメイスンリーがあるという考え方を建築によって示しているものかと思われます。ブラザースコットについてはブラザースコット記念塔のところで触れようかと思います。この辺りの歩道にハートのマークがあるそうです。もちろんフリーメイスンリーのシンボルです。そのまま中心となる場所を示しているのでしょうね。
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こちらはもう少し下側のスコットランドの象徴の一角獣がいる塔です。ブラザースコットもスコットランドの象徴そのもので、一角獣もそれに対比的なスコットランドの象徴そのものなのでしょうね。
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完全に逆光ですが、こちらがアダム・スミスの銅像です。アダム・スミスはブラザーロバート・バーンズと会っていただとかだそうですが、一応フリーメイスンではないことになっています。むしろなぜフリーメイスンでないことになっているかが興味深いかもしれません。有名な神の見えざる手はそのままキリスト教やフリーメイスンリーのシンボルとなります。アダム・スミスの国富論は1776年3月9日に発行されたそうです。まあ要するにフリーメイスンなんでしょうね。この辺りの話は横浜ロッジFar East No.1 Lodgeのホームページに以前も取り上げましたが、ROBERT BURNS AND ADAM SMITHと題してブラザー寺澤廣一の文章がありましたので再びリンクを置きます。非常に面白いのでスコットランドの回のどこかで翻訳をしても良いかと思います。
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トロン教会というそうで、ハブと同じくかつての教会であったのが一時観光案内所とされていたのですが現在は閉鎖されているそうです。スコットランドは打ち捨てられたり廃墟となった教会が多いのですが、要するに宗教改革の結果、長老派教会や自由教会以外のカトリック系の教会が閉鎖されてしまったものが多いのでしょうね。
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北橋の方に曲がって来たのですね。一番左のオベリスクからカールトン墓地の政治的殉教者の記念碑、ドゥガルド・スチュワート記念碑、エディンバラ市長の家、スコットランド政府庁舎、その上にブラザーネルソン記念塔があります。手前がウェイバリー駅で、鉄道と道路に挟まれる緑地の海のラインの左に見えるのがブラザーロバート・バーンズ記念碑だと思われます。今回はそこには行っていません。全てフリーメイスンリーゆかりの建物だと思われますが、なんせ日本では有名ではないので全然意識はしていません。ドゥガルド・スチュワートもフリーメイスンだと思われますが何をやった人だか全く知りません。
2013-06-04 22:22 | カテゴリ:スコットランド
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
しかしまあ日本も政治や経済的な色々な問題が差し迫っているというのがあるのか、なんとも気忙しい感じになっていて、その影響かこのブログも色々と模様替えが著しいわけですが、基本的にフリーメイスンリーは完全に一致結束した組織というものではなく、最終的には個人の信条、生き方や理念であり、その歴史の中で数多くの対立や争いの歴史を負っているわけであり、逆に言うと友愛の精神とはそういう現実の争いや闘争との二律背反であるという事にもなるかと思われます。英仏のフリーメイスンリーの雌雄を決したワーテルローの戦いの1815年6月18日から今年でおよそ200年になるわけですが、ブログの音楽を整理していたりしていてふとその時代のことが思われました。いずれブラザーエドマンド・バーグの「フランス革命の省察」を読み終えたらその時代について概観しようかと思います。
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これは北橋からの逆光のエディンバラ城方向ですね。あまりうまくは撮れていませんが、まあスマートフォンでの逆光の撮影はちょっとした話題になっているようですが、カメラ撮影での逆光の撮影は一つの基本ともいえるものかと思います。レンズが小さいのでうまく映らないのですね。まあブラザーターナーかモネの絵画の感覚で見てもらえれば喜ばしいでしょうか。
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スコッツマンホテルというそうです。老舗なのでしょうね。
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まあ結局エディンバラの町並みは同じく世界遺産の富士山みたいなもので、条件やら場所やら美しく撮れるところが決まっているのでしょうが、現地について一日目で撮った写真という事で言わんとするところはわかるという写真でしょうか。
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スコットランド国立公文書館だそうです。その前の騎馬像が最初に触れたワーテルローの戦いで勝利したブラザーウェリントン公です。ロンドンでもブラザーネルソン提督とともに何度も騎馬像の銅像がありましたがやはりイギリスの歴史で最も重要な戦いであったことは間違いないのでしょう。後ろの公文書館にそこに至るまでのイギリス、スコットランドの貴重な歴史文書がスコットランドフリーメイスンリーの歴史文書とともにイングランド、スコットランドの歴史、キリスト教の歴史、宗教改革、清教徒革命、名誉革命、英仏関係の歴史と全て記述された文章として残されているものと思われます。またそうした文章での歴史の確実な記録の積み重ねが歴史を決する戦いでの勝利につながるという象徴でもあるかと思われます。
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ブラザーデュガルド・スチュワート記念碑です。ブラザーデュガルド・スチュワートはスコットランド啓蒙運動の時代の数学者であり哲学者であったそうです。父親もエディンバラ大学の数学の教授であったそうで、恐らくフリーメイスンなんだと思われます。この後もこのブログで取り上げるスコットランドの人物はほとんどがこのスコットランド啓蒙運動の時代の人で、要するにイングランドグランドロッジ結成以降の思索的フリーメイスンリーの時代のフリーメイスン達な訳で、フリーメイスンリー発祥の地であり、事実上の総本部の役割を負うこのエディンバラの地が知の集積の土地となったわけで、そこからヨーロッパ大陸の啓蒙運動、アメリカ大陸での啓蒙運動、アジア・アフリカへの啓蒙運動と世界に広がっていったという事かと思われます。ブラザーデュガルド・スチュワートは数学の教授となった後に道徳哲学について著作を書き、独立期のアメリカやフランスに招かれたりしたそうです。ウィキペディアにはイマヌエル・カントが私には理解できないと言ったとありますがどうなんでしょうか。ブラザーアダム・ヴァイスハウプトのように一般人には理解不能なレベルの哲学者なのかもしれません。もちろんイマヌエル・カントは一般人ではありません。
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カールトン墓地にあるオベリスクです。
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これはちょっとどこか正確にわかりません。カールトンヒルに登る途中なんだと思います。ストリートビューで見てもカールトン墓地の下でも無いようです。是非その辺りはグーグルアースの写真やストリートビューを参考として頂きたいかと思います。私の写真よりはるかに良い世界中から投稿された写真が数多く楽しめるかと思います。
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こちらは比較的有名だと思いますが、カールトンヒルにある国立記念碑です。ナポレオン戦争の勝利を祝ってアテネのパルテノン神殿を模して造られたそうですが一応公称では未完成で終わってしまったことになっています。もちろん柱が12本あり完成しているものと思われます。まあブラザーエドマンド・バーグだけでなく、前述のブラザーデュガルド・スチュワートなどもフランス革命後の混沌を予想し、革命が英国連合国の勝利になることを予想していたという事を象徴するものかもしれません。どことなく横須賀汐入のベイウォークとも似てなくもないというところでしょうか。公称である未完成がラフアシュラーのシンボルともなり、12本の列柱が完成の象徴ともなり、隠されたシンボリズムとなる印象でしょうか。もちろんアテネのパルテノン神殿はキリスト教以前の万神殿であり、ネオプラトニズムの象徴ともなり、哲学そのものの象徴になるかと思います。(追記2013/6/22:これらのエディンバラの象徴的な建築の多くがこの写真の左に写っているブラザージョン・プレイフェア記念碑も建築したブラザージョン・プレイフェアの甥になるブラザーウィリアム・ヘンリー・プレイフェアだそうです。ブラザージョン・プレイフェアはやはりエディンバラ大学の数学の教授であるようで、ブラザージェームズ・ハットンの地質学的な斉一説をわかりやすく世の中に紹介した本の出版と、ユークリッド幾何学の第5公理と絶対幾何学において同値な「平面上に直線と、直線上に存在しない点が与えられたとき、点を通り直線に平行な直線は与えられた平面に高々1本しか引くことができない(プレイフェアの公理)」という公理を発見したそうです。ブラザーウィリアム・ヘンリー・プレイフェアの墓はエディンバラの新市街を挟んでちょうどカールトンヒルの反対側のディーン墓地にあるそうです。国立記念碑、ブラザーデュガルド・スチュワート記念碑、王立スコットランドアカデミー、スコットランド国立美術館などエディンバラの新市街で目立つ建物はほとんどブラザーウィリアム・ヘンリー・プレイフェアによるものだそうです。)
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こちらはブラザーネルソン記念塔です。カールトンヒルで最も目立つ建物ですが、ややいかつい印象があるのはやはりブラザーネルソン提督の人柄を表しているのでしょうか。上部に十字のシンボルと時刻を示すタイムボールというのがあるそうで、実際にはほとんど見ませんでしたが、時刻に応じて上がったり下がったりするようです。丸と十字で太陽十字のシンボルになるのでしょうかね。大砲や船のマストをイメージさせるような建築ですが、後のワシントン記念塔などのアイディアに繋がるものであるかもしれません。ウィキペディアではパゴダ(仏塔)に似たデザインは高価すぎるので望遠鏡に似た形にされたと書いてあります。建築に関係したのは皆フリーメイスンかと思われますが、建築家はロバート・バーンというこの後のカールトン墓地にお墓がある人のようです。32メートル(105フィート)で143段の階段という事で32階級と13×11なのでしょうかね。色々意味があるのだと思いますが、まあワシントン記念塔などとも対比して考えると面白いかもしれません。海抜171メートル(561フィート)というのにも色々意味があるのだと思われます。まあ謎は尽きませんが、それはもちろんフリーメイスンリーの本部ですから。数学者で哲学者のカントが理解不能なフリーメイスンの記念碑をはじめとして謎がないと考えることは不可能でしょう。よほど調べないとわからないかと思います。
2013-06-05 18:36 | カテゴリ:スコットランド
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
日本も日本独特のこの時期の梅雨前線が認められず熱中症で高齢者には厳しいいい天気が続きそうですがいかがでしょうか。フリーメイスンリーにもアメリカ軍の気象予報官がいるのですが、彼は喜々として自家製酒の製造に勤しんでいます。彼らには特に日本の梅雨はきついのでしょうが、自分たちがなんとかしていると思われると耐えられるのだと思われます。ブログはいい天気のスコットランドです。
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確かこれであちらの7時位だったと思われます。高緯度なのですね。
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植生が違いますね。あちらは年中芝だらけですが、今の日本のこの暑さと日照りでは日本の芝は皆枯れてしまいます。
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アーサーズシートですね。ホリールード公園の山頂です。250.5mだそうです。
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エディンバラ市街方面ですね。エディンバラ大学の方ですかね。セントジャイルズ大聖堂の形が良く目立ちます。黄色い花は棘がある植物でハリエニシダというそうです。
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手前の四角い箱が何なのか気になりますが、どうもパーフェクトアシュラーっぽいですね。謎の箱ですがやたら目立ちます。気持ち良さそうですが時間は夜の7時過ぎで暑くも無く寒くも無くですが、日陰になると微妙に寒い感じでしょうか。ほとんどがエディンバラの地元の人ではなく観光客かイギリス国内からの学生か短期滞在者だと思われます。一種異様な感じもありまあなんというか心が非常に落ち着きますがメンタルの病院のような感じでしょうか。
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エディンバラの北側ですね。新市街から海寄りになります。フォース湾の離島が気になりますが、インクキース島というそうです。ウィキペディアによると軍事要塞であったそうですが、現在では灯台があるだけで個人の所有だそうです。手前の綺麗な菱形の建物も気になりますが、どうもグーグルアースでは綺麗な菱形ではなく平行四辺形の形で視点の高さで綺麗な菱形に見えるようです。もちろん計算されているものかと思いますが、ただのアパートのようです。そういえば皇后さまが菱形を強調したお着物を着られていたような。
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天文台のドームですね。この前の回でどこか分からなかったいかつい石でできた扉は市立天文台の入り口の門であったようです。フリーメイスンリーの象徴なのですね。
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国立記念碑ですね。まあいわゆる観光客のたまり場といった感じでしょうか。何の意味があるかは分からないけど景色は良いしなんか価値がありそうだから長いこといると言った感じです。
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国立記念碑にも登れるのですがあまり景色は変わり映えしません。
2013-06-05 18:42 | カテゴリ:スコットランド
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
エディンバラの写真も現地で実際回ったのが2日なので、予備知識が非常に少ないもので、写真についてコメントするのが非常に大変なので、先に写真のアップロードだけして後から書き込む現在のような形になったのですが、大丈夫でしょうか。学会の方の内容やアンダーソン憲章の邦訳、アメリカの州章、ブラザーデッカーの回想録などテーマは溜まっているのですが周辺の勉強が多くていかんせん進行は遅くなりそうです。
特に学会の内容についてはビデオもアップしていますが、いかんせんオーラルの英語の内容はスコットランド訛りもありほとんど聞き取れていません。このブログでは要約をもとにして記事を構成しようと思っていますが、アップした内容について解説できる方は是非コメントをください。
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まあそんなわけでアベノミクスやら選挙やら世の中は色々ありますが、このブログはフリーメイスンリーの紹介というところでフリーメイスンリーの本部と思われるらしきエディンバラのシンボルについてです。
ブラザーネルソン記念塔は有料です。3ポンドかかるようです。内部にフランスやらトラファルガーの戦いの解説があったかと思います。螺旋階段が143段であるようです。ロンドンのロンドン大火の記念塔が311段であったと思いますので、まあ11×13で意味があるのでしょうね。いわゆる三層構造もあまり意識していない形なので(追記:よく見ると実は三層構造になっていますね。いずれにしてもエディンバラのシンボリズムは全体に応用編のようです。)、やはりエディンバラのシンボリズムは他とは若干異なる傾向なのかと思われました。
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やはりここは有料であるだけあってカールトンヒルの中でも絶景でした。頂上はかなり狭い場所であったと思いますが、混んでなければ非常にお勧めの場所だと思います。
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ブラザーネルソン記念塔の近くに古い大砲があります。恐らく空砲を鳴らして礼砲とするためなのだと思われます。奥に市立天文台の石の門が写っています。
2013-06-05 19:26 | カテゴリ:スコットランド
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
動画もだいぶ変更して現在はショーンザシープとウォレスアンドグルミットとなっていますがいかがでしょうか。フリーメイスンリーと直接関係あるわけではないでしょうが、イギリスを代表するアニメという事で良いのかと思います。(さらにオールドカールトン墓地の動画に変更しました。)背景はイギリスを代表する世界遺産であるストーンヘンジの俯瞰図です。もちろんストーンヘンジは古代エジプト時代に匹敵する時代に遡る時代に作られた古代遺跡であり、その建築目的は実際には不明のままのいわゆる巨石文明を代表する遺跡です。ブラザーイニゴー・ジョーンズがそれについて語った事があったそうですが、いわゆるフリーメイスンリーやキリスト教・ユダヤ教の旧約聖書を主とする歴史の流れからは全く無視された存在でありますが、明らかに石の建築を扱っていた古代ブリトン人のかつての偉業を代表する主要な建築かと思われます。果たしてストーンヘンジをフリーメイスンリーの建築とするか否かは恐らくイギリス本国でも議論があるものかと思われますが、明らかに石を用いた古代の建築でありその伝統文化が失われたのか受け継がれたのかは不明ですが、実物が半永久的に存在する巨石であったため建築自体が残り現在に至ります。
さてではまあブログ自体はブリテン島北部のスコットランドの首都エディンバラの観光案内です。カールトンヒルから降りたところにその前に通過したオールドカールトン墓地があります。道を挟んで反対側にも墓地がありますが、見ることができるのはこちら側だけだったと思います。(ニューカールトン墓地であるそうです。見学もできるようです。灯台の設計者などこちらもフリーメイスンの墓が多いようですが、オールドカールトン墓地の方がほとんどがフリーメイスンのようです。英語版ウィキペディアのニューカールトン墓地の埋葬者のリストをあげておきます。道路整備で間にあった墓が移築されたそうです。色々ありそうですね。実際オールドカールトン墓地は明らかに火事の後と思われる焼け焦げた跡があったりします。)(追記訂正:ニューカールトン墓地はカールトンヒルの南側のブラザーロバート・バーンズ記念碑の横にあるそうです。道路の整備で完全に移転されたのですね。オールドカールトン墓地の反対側にあるのは残った墓地の一部であるようです。どうやって入るかはわかりません。)
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オールドカールトン墓地の外観です。オベリスクがエディンバラの象徴となるのでしょうが、意識しないとそうでもないのでしょうね。ところで書き途中で公開してしまっているのでまた背景を変更しました。ストーンヘンジも非常に眼には良かったのですが、現在はフリーメイスンリーの象徴中の象徴となるソロモン宮殿のヘロデ大王が建築したいわゆるエルサレム神殿の西壁、嘆きの壁としています。もちろんユダヤ教の聖地であり、ユダヤ教の象徴ともなります。キリストの時代に建築されたパーフェクトアシュラーの積み重ねはまさにフリーメイスンリーの象徴という形でしょうか。
とまあブログ作成も色々変遷があるわけですが、今回の内容は特に英語版ウィキペディアのOld Calton Cemeteryの項目が参考になるかと思います。ブログの写真はオベリスクを中心に撮っていますが、ウィキペディアにはその他のフリーメイスンリーのシンボルが刻まれた石碑も示してあります。内容を読むとオールドカールトン墓地は基本的にキリスト教から離れた墓地という事で、ほぼこの墓地に入った人は全てフリーメイスンという事になるのだと思われます。もちろんそれはニューカールトン墓地についてもそういうことなのだと思われます。いずれ横浜外国人墓地のフリーメイスン達についても本に基づいて記事にしようかと思っていますが、まあこの墓地の重要性が理解されるかと思われます。オールドカールトン墓地の埋葬者と写真が出ているサイトがありましたのでこちらもリンクしておきます。Find A Graveのオールドカールトン墓地の内容もリンクしておきます。
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一応解説みたいなのがありますが、まあそれなりに名前が有名なのはこのブログでも出て来たブラザーデイヴィッド・ヒューム位だけでしょうが、結局ほぼ全員がフリーメイスンだと思われますので、どんな関連があるかはわかりません。それぞれ名前が挙がっている人について触れていきます。

ブラザーデイヴィッド・アラン スコットランドのブラザーホガースとも呼ばれる画家だそうです。現在の墓は死後に王立アカデミーによって建てられたそうです。ブラザーロバート・バーンズの作品を題材にしたりしているそうです。
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ブラザーウィリアム・ウッズ ブラザーロバート・バーンズやブラザーロバート・ファーグッソンらと同じキャノンゲートキルウィングロッジに所属していたそうで、ブラザーウィリアム・ウッズはシェイクスピアなどの演目を演じる俳優でブラザーロバート・ファーグッソンのために劇場に席を確保したり前口上をブラザーロバート・バーンズが書いたりしたそうです。

ブラザーダニエル・スチュワート 書いてある通りダニエル・スチュワートホスピタルの開設者であるそうです。その後大学となり、現在は合併してスチュワート・メルビル大学となっているそうです。

ブラザージョン・プレイフェア 彼についてはカールトンヒルのところで追記しました。

ブラザーアーキボルト・コンステイブル ブリタニカ百科事典の出版で成功した出版者であるそうですが、その後破産して事業を再開して、その後の会社が現在も残っているそうです。
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ブラザートマス・リード 同名の哲学者は非常に有名でスコットランド常識学派の創始者とされるそうで、ブラザーデヴィッド・ヒュームの考えを否定した人だそうです。後にカントとミルによって批判されたそうですが、プラグマティズムなどの元になったともされるようです。ショーペンハウエルによって賞賛もされているそうです。結局ここでは一種の英雄であるブラザーデヴィッド・ヒュームの活躍を阻害した人物として、同名の時計修理人のフリーメイスンが葬られている事を示しているものかと思われます。有名な哲学者の方のブラザートマス・リードはアバディーンの出身でワイズクラブなどのいわゆる哲学についてのクラブをいくつも作った方で、ブラザーアダム・スミスの後のグラスゴー大学の道徳哲学の教授となったそうです。詳しくはウィキペディアのスコットランド常識学派のページを参照してください。その後を受け継いだのがブラザーデュガルト・スチュワートであるそうです。カントが理解できないとコメントした方のようです。哲学者のブラザートマス・リードの墓はどこにあるかはわかりません。牧師でもあったそうなので、恐らく最後は教区の教会に葬られたのだと思われます。
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哲学者のブラザートマス・リードの肖像です。もちろん時計修理人のブラザートマス・リードではありません。

ブラザーウィリアム・ブラックウッド やはり出版者、本屋の経営を行っていた人だそうですが、スコットランドのトーリー党の形成のもとになるマガジン、週刊誌を発行したり、やはり百科事典を発行した人だそうです。行政長官もしていて、ブラザースコットの主な出版人であったそうです。一族経営の出版社は1980年まで続いたそうです。
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ブラザーチャールズ・マッケイ 主にブラザースコットが描いた人物を演じることが多かった俳優だそうです。The real McCoyという慣用句、熟語があり、意味は"the real thing" または"the genuine article"だそうですが、その元となったThe real McCayの語源となったそうです。

ブラザートマス・ハミルトン この墓地の最大のオベリスクである政治的殉教者の記念碑を建築した建築家です。その他にもこの墓地のすぐ隣にあるスコットランド政府庁舎やエディンバラのスコットランド銀行の建築を行っているそうです。ウィキペディアでは墓の前におもしろいフリーメイスンリーの象徴画のある石があるとありますが、その画像はわかりませんでした。
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ブラザーロバート・キャンディッシュ 1843年のスコットランド教会分裂においてブラザートマス・チャルマースとともにスコットランド自由教会を作ったそうです。父親がブラザーロバート・バーンズと同郷であって、ブラザーロバート・キャンディッシュの母親がブラザーロバート・バーンズの母親とともにその村の美人の代表であったそうです。
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ブラザーロード・ギフォード 元々何の役職も無いスコットランドの代弁者として活動していたそうですが、殺人事件の提訴などをきっかけとして保安官になった人だそうです。その後スピノザについての講義を受けて裁判官になったそうですが、その際には脳卒中で麻痺があったそうです。やはりこの人も同名のギフォード男爵という人がちょうどブラザーロード・ギフォードの生まれた頃に裁判官となっていて、ギフォード卿、すなわちロードギフォードな訳ですが、こちらの方もフリーメイスンなのだと思いますが、こちらの方は本名はロバート・ギフォードだそうです。ダジャレのようなフリーメイスンの名前の一致は良くある話なのです。日本人の名前の東や三やTOGOの話のようなのは別に日本に限った話ではないという事です。
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ブラザージェームズ・ラムスデン ウィキペディアには歌手とあります。検索ではエディンバラの詩と歌という著作がちょうど亡くなった1899年発行で出てきます。同名の人がかつてスウェーデンのスコットランド人部隊を率いていたとか、2013年3月31日に98歳で亡くなった有名な法律家で実業家の方とか出てきます。

さてまあフリーメイスンリーにとって重要な墓地のブログで時間がかかってしまい、近代フリーメイスンリー創立記念日の聖ヨハネの日の6月24日をはさんで、空母ジョージワシントンが出て帰ってくるまでに渡ってしまっていますがどうでしょうか。ここからは一応実際に撮って来た写真をもとにコメントしていこうかと思いますが、その前にウィキペディアのこの墓地の項目について触れます。入り口の看板に挙げられた名前の方以外にもウィキペディアには挙げられていますが個別には自分で読んでください。中でも面白いのはやはりフリーメイスンリーのシンボリズムが刻まれた墓標の写真でそれはこちらに貼っておきます。
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商売人の記念碑というそうですが、どの辺りにあるのかわかりません。実際に見ていないので何とも言えませんが、これから訪問される方は注目して見られると良いかと思います。
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こちらはブラザージョン・グレイ船長のお墓だそうです。左右の骸骨がそれぞれ父親と母親を示しているそうですが、一見して海賊船のイメージでしょうか。恐らく海賊だったのだと思われます。まあなんともやくざな感じでしょうが、スカルのシンボリズムが一般化した起源としてこういうところにあるのではないでしょうか。

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タンポポと白い花、芝が絶妙のコントラストで美しい墓地です。まあ普通に観光客はフリーメイスンリーの特別な墓地なのだとは考えません。
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政治的殉教者の記念碑が目立ちます。やはりこれだけ大きなオベリスクがあるとまあ普通の墓地ではないという雰囲気はわかるのではないでしょうか。この政治的殉教者の記念碑は特にスコットランドでの普通選挙法の成立に関わった活動家であったブラザートマス・ミューアを代表として建てられたそうです。フランス革命に呼応して普通選挙運動などを活発に行ったそうですが、結局オーストラリアに追放され、その後アメリカからヨーロッパにもどったのですが、イギリスには戻れずフランスで亡くなったそうです。スコットランドの民主主義の父ともされるようです。彼と友達になれるサイトがありましたのでリンクを置きます。ブラザーロバート・バーンズとも繋がりがあり、ブラザートマス・ペインともパリで会っていたそうです。
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名前で検索しても出てきません。フリーメイスンが全て有名人というわけではありません。
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オベリスクがフリーメイスンの墓のシンボルだという事で撮っているわけですが、どうもこのスコットランドのこの墓地ではそんなわけではないようです。要するに全員すべからくフリーメイスンのようです。検索してもほとんど有名人ではないようです。まさにフリーメイスンといった感じです。
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有翼日輪から発展した翼のある天使の顔もフリーメイスンリーのシンボルかと思われます。いずれにしても有名人ではなさそうです。
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リンカーン像はイギリスでのアメリカのフリーメイスンリーを顕彰する際にお決まりのパターンです。何というか黒人奴隷の歴史はフリーメイスンリーの黒歴史とでもいうのでしょうか。まあ当時の人々はキリストやユダヤ人、古代エジプト人は黒人により近かったという科学的考察を知ったらびっくりするでしょう。アダムとイブは間違いなく黒人であったと知ったらフリーメイスンリーを拒絶するかもしれません。
この記念碑はスコットランド系アメリカ人戦士記念碑で、アメリカ南北戦争に参加して死亡したスコットランド系アメリカ人を顕彰する記念碑だそうです。主に南軍で多かったようですが、北軍にもいたようです。いずれもフリーメイスンなのだと思います。ウィキペディアを参照してください。
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さてまあ危険な冗談はともかくスコットランドの墓地は抒情的ですが、何やら明らかに壊された跡や放置されている状況、放火と思われる焼け焦げた跡などがあるのがなんともフリーメイスンリー的といえるかと思われます。
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オベリスクの数が多いのがスコットランドの墓地の特徴だと思われます。人生を濃密に生きたフリーメイスンは死後も毀誉褒貶が激しいものかと思われます。
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ブラザーロバート・バーンはブラザーネルソン記念塔の建築者です。いわゆるブラザーロバート・バーンズと同時代を生きたほとんど同じ名前の建築者ですが、ブラザーロバート・バーンズが尊敬し、敬愛した詩人のブラザーロバート・ファーガソンの記念碑を建築するようブラザーロバート・バーンに委託したそうです。ウィキペディアによるとその際のエピソードを物語る手紙の内容が書いてあります。どうもこの後のブログの題名とした二人のロバートではなく実際には三人のロバートであったようです。まあこういう話はいくらもいくらもあるのがフリーメイスンリーであり、実社会です。
ところでブラザーネルソン記念塔は仏塔のデザインとか望遠鏡のデザインとありましたが、実際はワシントン記念塔と同じく男性性器を模倣したデザインなんでしょうね。なんともフリーメイスンリーらしい下世話なスコットランド最大の秘密でしょうか。まあ酒場の男のクラブの最大の話題なんてそんなもんです。
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ブラザーデイヴィッド・ヒュームのお墓です。彼はフランスでフリーメイスンとなった無神論者であったそうですが、その後姪が同じ墓に入って、キリストに捧げる銘板が追加されたそうです。生前に無神論者を公言したため死後に公衆に敵視され墓が死後9日間掘り返されないよう守られたそうです。ヨーロッパでの無神論が歴史上認められるのは1717年のフリーメイスンリー結成後であり、無神論者を公言したブラザーポール=アンリ・ティリ・ドルバック男爵は1723年12月8日生まれだそうです。それ以前に記録が残る無神論の記述はジャン・メリエによるそうですが、もちろん生前は公表されず死後も封印されたそうです。もちろんキリスト教伝播以前は素朴な多神教が占める世界であったわけで、無神論という考え方はキリスト教社会を通過した後の理神論に基づく無神論という事です。
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これは道を挟んだ反対側の残った墓ですね。やはりオベリスクが認められます。

まあなかなか難しかったですがご理解いただけたでしょうか。イギリス英語は表現も難しいですし、内容も非常にごく狭い世界で世界最先端の情報の世界なので非常に難解で何度もイギリスに行かないと理解しえない部分がありますが、まあなんといっても異文化でありあくまで自らの周囲に置き換えてその世界を豊かに深く掘り下げるのが目的であり、人間関係やその当時の社会情勢などあまりに違いすぎる大陸の東と西でありますが、その中で共通点を導き出すのがフリーメイスンリーであるかと思います。いずれ横浜の外国人墓地について細かくブログでやろうかと思っていますが、結局日本人にも誰にでもそのルーツとなる祖先の墓はやはり石であるかと思われ、墓銘碑があり記録があるかと思われ、先祖の業績の積み重ねが現在のわれわれを作り上げているのであることは変わりなく、それを知り現在に活かしてさらに積み重ねていくのが我々の使命でありフリーメイスンとしての人間としての生き方なのだと思われます。
2013-06-06 06:06 | カテゴリ:スコットランド
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2013-06-06 19:01 | カテゴリ:スコットランド
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
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さて日付も変わって翌日朝です。ジョージストリートの逆光です。どうもこの旅行では逆光にこだわっているようですね。なんででしょう。
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ブラザースコット記念塔があります。
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ブラザーメルヴィル記念塔の解説です。海軍によって建てられた事になっているようです。
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セントアンドリュースクエアにはカフェがあります。ライオンの像があったかと思います。多分ライオンズクラブではないと思いますがどうなんでしょう。ウィキペディアを読むとスコットランドの象徴のライオンのようです。2010年にホリールード公園から移されたとあります。
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ブラザーメルヴィル記念塔を下から見るとこんな感じです。
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セントアンドリュースクエアに面した建物です。スコットランド王立銀行の本店のようです。
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北橋から見たエディンバラ城です。何度も同じ構図ですが、要するにそこからの構図が一番多いということなのだと思います。緑のドームの建物があちらもスコットランド王立銀行のようです。その右側のエディンバラ城の手前のゴシック建築の建物が図書館のようです。
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ブラザーロバート・バーンズの名前を冠したパブもロイヤルマイルにはあります。このお店には後で訪問してハギスを頂きました。ちょうどいたマスターがフリーメイスンで少し話をすると、このロイヤルマイルでロッジが20以上あるがメンバーが減って休眠しているロッジもあるという事でした。フリーメイスンリー自体がスコットランドの特にエディンバラでは住民の伝統と習俗であり、世界的には既得権的な部分もあるような印象でした。まあ日本人のフリーメイスンは多くないのかという感じでした。
店名のラビ―・バーンズはロバートの愛称のようで、ラビ―そのもので知性があって、カリスマ性があって、面白くて、ユーモアがあり、セクシーな人物という意味にもなると現代英語では意味するそうです。まさにブラザーロバート・バーンズを意味する言葉なのでしょうね。(追記:もちろんRobbieやRabbieには、Robber(泥棒)の意味もかかっているのではないでしょうか。ブラザーロバート・ファーガソンの詩を盗んだというのもあるのかもしれません。こういうのはフリーメイスンリーのWorshipful Master(尊崇すべきマスター)という表現にもあるようです。Worse Master(最も良くないマスター)にも通じるダジャレにかかっているのですね。最高の栄誉は最低の不名誉にも通じるという人間社会の教訓なのでしょうね。)
ブラザーロバート・バーンズについては非常にわかりやすい日本語の紹介サイトがありましたので参照してください。英語の公式サイトもあります。エンサクロペディアやショップもあります。ブラザーロバート・バーンズの詩(このサイトにはブラザーウィリアム・ブレイクの詩の翻訳もあります。面白いですね。)とその評価、ブラザーロバート・ファーガソンの詩との比較などについて日本語の論文がありましたので参照してください。
私自身はブラザーロバート・バーンズについては横浜ロッジで東方の星ロッジNo.640とのデュアルメンバーのスコットランド出身のメンバーに教わったのですが、そのブラザーは最初に私がロッジに訪問した際にラフアシュラーとパーフェクトアシュラー、Gのシンボルについて教えてもらったメンバーでもありました。
そういうわけでまあ一応ブラザーロバート・バーンズについても知ろうと思い日本語訳の本は買っていたのですが、このブログを機会としてやっと読み始めました。

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まあなかなか当時のインターネット掲示板のようで、当時の普通の人々の実名がたくさん出てきて犯罪の告発があったり、ほのぼのとした場面が描かれたりと確かにこれで私生児を作りまくって飲み歩いていて好きなこと書いてそれを詩集として売っていれば37歳で死んでもおかしくないわなあという内容ではありますが、かなり現代のインターネット掲示板の初期のようにタブーの無いかなり衝撃的な詩の内容となっていました。ブラザーロバート・バーンズは22歳で1781年7月4日にターボルトンのセント・デヴィッド・ロッジ№.174に入会したそうですが、その後も6つほどのロッジを掛けもちしたりしていて(詳細は公式サイトのエンサイクロペディアを参照して下さい。)、28歳のときにブラザーロバート・ファーガソンの記念碑を建設するように市会に申請したりしていて、恐らくそれがフリーメイスンとしての仕事であったのだと思われます。ブラザーロバート・ファーガソンはエディンバラの現在の北橋周辺で生まれ育った生粋のエディンバラの人で、セントアンドリュー大学で学んだそうですが、ボヘミアンライフ(自由な生活、フーテン)の暮らしをしていて、最後は原因不明の頭部打撲の数週間後に精神病院で24歳で亡くなったそうです。
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お墓がキャノンゲートカークに作られ、オールドカールトン墓地に葬られていたブラザーロバート・バーンによって設計され、ブラザーロバート・バーンズの私費で賄われたそうです。
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その後ジキル博士とハイド氏を書いたブラザーロバート・スティーブンソンもブラザーロバート・ファーガソンの墓を新しくしようと考えたそうです。ブラザーロバート・ファーガソンについてはウィキペディア検索で出て来たサイトのBBCのサイトのリンクを参照としてください。ブラザーロバート・バーンズの詩は過去のスコットランドの伝承の詩やブラザーロバート・ファーガソンの詩からインスピレーションを受けたものも多いそうですが、上述のようにユーモアと、風刺の精神が際立つなんともおかしく複雑でそれでいて農民の生活をうたった面白いもので、彼を賞賛する評価は世界中にあり、特に英連邦の地域で彼の銅像が非常に多く認められるようです。ウィキペディアに項目もありました。
一応ブラザーロバート・バーンズの読んだ詩の中で面白かったものを一つ挙げておきます。
上に挙げたブラザーロバート・バーンズ詩集には140篇の詩が含まれているのですが、現在まで18篇までしか読んでいないのでその中から面白かったものを一つ挙げることとします。著作権の問題があるかと思いますので、是非本を買ってください。その他でもちょくちょく引用していくこととします。また面白い詩についてはブログで取り上げて感想や解説を加えていこうかと思います。

ネズミに寄せて、巣の中のネズミを鋤で掘り起こした際に、1785年11月

びくつき、おどおどする、光沢(つや)のある小動物よ、
おまえの胸は恐怖でどんなに震えていることか。
そんなにあわてふためいて、急いで跳び下がる必要はない。
おまえを鋤(すき)の土落としで殺そうと、追いかけ回すなんてごめんこうむる。

本当に残念だ、人間の支配が
自然の社会的結びつきを壊すなんて、
しかも、その悪評を当然のことと考える、だから私を見ておまえはびっくりするんだ。
私はお前と同じく土から生まれた哀れな仲間、同じ死ぬべき運命なのに。

おまえだって盗みをするだろうと、私は時折思うのだ。
それが何だっていうのだ、かわいそうな小動物よ、おまえだって生きねばならない。
24束の中からたまの一穂くらい、ほんのささやかな要求だ。
私は残りで十分やっていけるのだから、惜しいとは思わない。

おまえの小さな家も壊され、もろい壁を風がまき散らしている。
そして今では新居を建てる緑の草が一本もない。
さらに寒々とした師走の風が、身を刺すほどに鋭く吹きすさぶ。

田畑が荒涼とむき出しになっているのを、うんざりする冬がどんどんやって来るのを、おまえは目にした。
この突風のもとでは、この中でも住み心地がよいとおまえは思った。
ところがぐさり、おまえの住まいを無情な鋤先が貫いた。

葉や切り株のあの小さな山を作り上げるのに、おまえは幾度となくかじりまわり、いかに疲れ果てたことか。
ところが今やその骨折りもむなしく、住む家もなく追い出され、冬のみぞれ混じりの霧雨や冷たい白霜に耐えなければならない。

だがネズミよ、おまえ一人だけではない、見込みどおりにならないことを身をもって知る者は。
ネズミや人間の用意周到な計画もうまくいかないことが多く、約束された喜びの代わりに、悲しみと苦しみの中に放り出されるのだ。

でも私に比べればおまえは幸せだ。
おまえに触れるのは現在だけ。
しかし、おお、私の後を振り返れば、寒々とした光景のみ。
先は見えないけれども、恐れのみと察する。

To A Mouse

Wee, sleekit, cow'rin, tim'rous beastie,
O, what a panic's in thy breastie!
Thou need na start awa sae hasty,
Wi' bickering brattle!
I wad be laith to rin an' chase thee,
Wi' murd'ring pattle!

I'm truly sorry man's dominion,
Has broken nature's social union,
An' justifies that ill opinion,
Which makes thee startle
At me, thy poor, earth-born companion,
An' fellow-mortal!

I doubt na, whiles, but thou may thieve;
What then? poor beastie, thou maun live!
A daimen icker in a thrave
'S a sma' request;
I'll get a blessin wi' the lave,
An' never miss't!

Thy wee bit housie, too, in ruin!
It's silly wa's the win's are strewin!
An' bleak December's winds ensuin,
Baith snell an' keen!

Thou saw the fields laid bare an' waste,
An' weary winter comin fast,
An' cozie here, beneath the blast,
Thou thought to dwell-
Till crash! the cruel coulter past
Out thro' thy cell.

That wee bit heap o' leaves an' stibble,
Has cost thee mony a weary nibble!
Now thou's turn'd out, for a' thy trouble,
But house or hald,
To thole the winter's sleety dribble,
An' cranreuch cauld!

But Mousie, thou art no thy lane,
In proving foresight may be vain;
The best-laid schemes o' mice an 'men
Gang aft agley,
An'lea'e us nought but grief an' pain,
For promis'd joy!

Still thou art blest, compar'd wi' me
The present only toucheth thee:
But, Och! I backward cast my e'e.
On prospects drear!
An' forward, tho' I canna see,
I guess an' fear!

まあこれはこれで動画にも採用していたりそれなりに有名な詩だと思うのですが、普通の日本人にはなじみは無いかと思います。また本文の方のスコットランド英語の表記や、やたらと略が多い表記にも違和感を感じるかと思います。スコットランド英語はAuld Lang Syneでも認められる通り、いわゆるスコットランド独特の綴りと表現であり、これはそれぞれ辞書を対照するしかないと思います。また’アポストロフィーで表現される略は特にフリーメイスンリーでは∴で略されたりもしますが、特に英文の慣れた書き手ではそれらを使う事がむしろ勧められていて、ほとんど暗号のような文章になるのもフリーメイスンリーでは良くあります。リチュアルなどでもそのようになる事が多いです。で、一番大事な内容なのですが、詩集の研究会による解説では、弟が語ったこととして、畑で下男がネズミを掘り出した光景を目にしたブラザーバーンズがその夜に書いた詩という事ですが、そのまま受け取るとふーん詩人は想像力豊かなんだなで終わりですが、この1785年は既にブラザーバーンズはフリーメイスンリーに加入している時なのです。そんなわけがあるでしょうか?この翌年の1786年にジャマイカ移民を断念したブラザーバーンズはエディンバラに移動しています。さてこの詩の意味は何でしょうか。

恐らくロイヤルマイルズの章で触れたブラザーディーコン・ブロディーやそれに類する話の前哨戦ではないでしょうか。まあそんな感じで、要するにブラザーロバート・バーンズの詩はそもそもスコットランドのフリーメイスンの間でお互いに理解しうる暗号に近いもの、さらにその当時の正確な記録、そうした価値があるという事だと思います。そしてそれは恐らく全ての詩がそういうものなのだということなのだと思います。だから普通の人は評価できないのだと思われます。上の詩でも原文でsocial unionやfellow-mortalという単語やthieveという言葉はそれぞれフリーメイスンリーやフリーメイスンのお互いの呼びかけに通じますし、盗みという単語をはっきりと出したりするのはネズミの表現としてあまり普通ではありません。24束の一穂など何やら実際の盗みの証拠を握っているような表現もあり、これが盗みをやっている本人に示されたとしたら本人は気が気じゃないのではないでしょうか。まあつまりその位の内容であると考えて読んで初めて理解される内容という事だと思います。まあまさにフリーメイスンですね。同時期の夭逝した音楽の天才ブラザーモーツァルトの作品も全てそういう表現であるという事でした。
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世界の終りというパブですね。なかなか過激な表現のパブですがエバンゲリオンかハルマゲドンでしょうか。何か意味があるのだと思います。恐らくフリーメイスンリーロッジの一つではないでしょうか。
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トロン教会を下から見ている形です。
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エディンバラ大学の方向です。南橋のさらに下の通りでしょうか。セントマリーズストリートというそうです。
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カールトンヒル方面です。ジェフリーストリートというようです。政治的殉教者の記念碑とエディンバラ市長の家がきれいに見えます。
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そこを国会議事堂、ホリールード宮殿の方にさらに下っていくとあるのがこれです。キャノンゲートカーク、すなわちキャノンゲート教会です。この時は当然この銅像はブラザーロバート・バーンズだと思って撮っていますが、もちろんブラザーロバート・ファーガソンですね。ブラザーロバート・ファーガソンの詩はやはりスコットランド英語で書かれたもので、3つほどこのサイトでは認めます。こちらのサイトではその他に3篇があるでしょうか。恐らくその詩集でそう言った様々な暗喩や諧謔と友愛の表現のアイディアをブラザーロバート・バーンズは学んだのではないでしょうか。ブラザーロバート・ファーガソンの精神病や早すぎる死の原因もその表現にあったのかもしれません。キャノンゲートカークはエリザベス女王がホリールード宮殿に来た際に礼拝に訪れる教会だそうです。色々内部の解説なども日本語でありますので検索してみてください。アダム・スミスの墓もあるそうです。もちろん上に挙げたブラザーロバート・ファーガソンのお墓もあるそうです。私は全くその時は知りませんのでお墓参りもしていませんし、内部も見ていません。

また別の機会に動画も撮りましたが、まあおざなりな撮り方です。フリーメイスンやその関連の墓も多いのかもしれません。

ブラザーロバート・バーンズの詩についてはその他のものについても個別に取り上げようと思っています。また横浜ロッジのホームページにあるブラザーロバート・バーンズとアダム・スミスについても訳していければと思います。なかなか英語翻訳を中心としたブログのネタはたまって来た感じでしょうか。
後はとりあえず市長選も終わったので、ブラザーデッカー司令長官の回想録も追っていくつもりです。

後は全くの余談ですが日本のもう一人のブラザーロバートの演奏会が7月18日と7月26日と予定されています。興味のある方は是非どうぞ。

ロバートという名前はここスコットランドでは結局ロバートドブルース、ロバート一世から始まるスコットランド王家の由緒正しい名前なのですね。
2013-06-11 11:24 | カテゴリ:スコットランド
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
完全に景色の写真の羅列なんですが、雰囲気はよくわかるものかと思います。
ホリーヒル公園、アーサーズシートはロイヤルマイルを下ったところから行けます。
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スコットランド国会議事堂です。日中は見学で入れるようです。まあ非常に優雅な感じですが、実際にどの程度の議決をしているのでしょうか。実質フリーメイスンリーの会議場なのでしょうね。
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まあちょうど八重桜がどこも綺麗でした。
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アーサーズシートは近くで見るとなかなか壮観です。
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登り口がいくつかあるわけですが、かなり整備されていて主な道は決まっています。ちょうど放し飼いの犬の散歩をしていました。まああちらでも基本的に勧められてはいないのでしょうが、放し飼いの犬の散歩はこのホリーヒル公園では良く認められました。まあ見る限りでは問題になっている様子はありませんでした。
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景色は絶品ですが、日本のどの景色とも異なる感じでしょうか。あえて表現するとまさにゴルフ場そのものがずーっと広がっている感じだと思います。芝の生え方が全く違うのですね。まあこの景色に似せるために日本の山を切り崩して芝を植えているのですね。全く馬鹿らしい話です。全く合理性に欠けるわけですが、スコットランドから見れば全く合理的で郷愁的でありまあ自己中心的ですが、日本人からすれば倒錯的な訳です。
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エディンバラ人の心象風景となるのでしょうか。ホリーヒル公園自体は歩いて1時間で帰れる場所なので、エディンバラに住んでいる人の格好の散歩コースのようです。基本的にゴミなどが捨てられていないのが民度の高さなんでしょうかね。
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まああんま晴れの天気が少ない地方でしょうから、こういういい天気は特別なんでしょうね。
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途中から結構な急勾配になってきます。基本的に手すりもありませんので、ちょっと道を外せば容易に数十メートル落ちることもできる場所です。あぶない感じのところでは私の登山を見守るように人がいました。最初は教わって登ると良いのだと思います。靴はやはり運動靴必須でしょうね。私は革靴でしたが。

また違うときに動画も国会議事堂周辺で撮影しました。参照してください。

あとは題名の説明ですが、もちろんスコティッシュライトにかけたダジャレです。ダジャレにして面白い事もないのですが、スコットランドの高みという意味になるでしょうか。まあ気分は良いという事です。是非エディンバラにお越しの際はアーサーズシート登頂も考えてください。
2013-06-12 23:52 | カテゴリ:スコットランド
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
さてまあ最初のアーサーズシートの登頂の3分割の2つ目ですが、基本的にもう少し高揚感を前面に出したかったのですが、旅行から大分期間が経つと忘れてしまうので、ノルマ的な感じになっています。
ブラザーロバート・バーンズの詩などを織り込んでいこうかと思ったのですが、実際詩を読んでみるとほとんどがいわゆるフリーメイスン的な政治的であったり、思想的であったり、宗教的である内容がほとんどであって、単純な景色の称揚のような詩はほとんどなかったのでブラザーロバート・バーンズの詩は個別に面白いものを解説しながら取り上げることとしました。
そういうわけで日本列島もいい天気のようですが、この時のエディンバラも良い天気でした。良い景色を適当にお楽しみください。
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ちょうどパノラマ写真のように撮っているのでしょうかね。フォース湾があるわけですが、そのさらに東側の岬のところに久里浜の東京電力発電所の3本の煙突のような格好で、2本の煙突が建っていました。恐らく発電所のような施設なのだと思いますが、久里浜の発電所もスコットランドの景色をまねして作られたのかもしれません。
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まあこれだけきれいと分かっていればiPhoneではなくもう少し良いカメラをもって行った方が良かったと思いますが、そういうわけにはいきません。iPhoneの手軽さがあるからまたこういう写真がたくさんとれるわけでもあるのです。
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こちらが山頂のいわゆるアーサーズシートと呼ばれる場所です。なぜかここだけ突然手すりがありますが、まあ意味がよくわかりません。まあ事故は長い歴史で数多くあったんだと思います。
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ほぼ山頂からですかね。解説していませんが、どちらの方向を撮っているか理解して見られると少し意味があるかもしれません。
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何の写真かと思ったらオナガみたいな白黒の鳥を連写しているのですね。まあちょっとお伝えできませんが、このホリーヒル公園は鳥が多くて鳴き声が気持ちよく聞こえて本当に楽園のようでした。鳥や動物も人に比較的慣れているのでそれほど怖がることはありません。
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山頂は二か所碑が建っています。特にメッセージはありませんでしたが、とにかく走って登ってタッチして帰る人が数多くいてその為にあるような感じです。落書きはありませんが、恐らく祝杯のビールを飲んだ後の瓶の蓋と割れたビール瓶のクズがありました。風が強いんでまあはっきり言ってかなり危険な場所です。
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眺めは絶景ですが、とにかくあぶないんで写真を撮るには一つ下の綺麗な崖の上のところの方がエディンバラ城は綺麗に見えます。こちらはとにかく高いという事でしょうか。本当に岩でできていてエアーズロックみたいな印象でしょうか。
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まあ景色はこんな感じです。朝5時くらいに登って日の出を見たり、夕方に登って夕景を見たりするのが良いようです。まあ慣れないで登ると危険ですが、何度か登ればすぐ慣れます。

しかしアーサーズシートで検索すると日本人の方も結構登ってブログにアップしていますね。日本人の嗜好は同じなのでしょうか。まあその中でも一番天気が良いと思いますし、写真の数も多いので良いのではないでしょうか。内容的にはゼロですね。
2013-06-13 18:44 | カテゴリ:スコットランド
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
一応3rd degreeという事はフリーメイスンリーではマスターという事になるのですが、スコットランドの山登りの場合には何になるのでしょうか。もちろん山登りのマスターということなのでしょうが、所詮200メートルの丘です。そういうわけでフリーメイスンとしては普通とは異なるちょっとプラスアルファを求めることとなります。
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まあ景色の続きです。飽きてきますね。
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カラスでしょうかね。小ぶりの時々白いのが入ったカラスが多くいました。まあさすがにスコットランドのカラスは日本のとは直接の繋がりは無いでしょうね。
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犬も良く散歩しています。
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タンポポがちょうど3つ咲いていました。やはり解説しないとわからない写真でしょうね。
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あ~あ~という感じで無粋な石で並べた個人名があります。韓国人の名前でしょうか。
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ちょうど同じ宿にテキサスからのお客も来ていましたが、その人達ではないと思います。アメリカ人は外見ではわかりませんから。Texas was HERE.と書いてありました。なかなか深い意味です。スコティッシュライトを考えるとですが、もちろんそういう意味かどうかは不明です。一緒にカナダのシンボルマークもありました。これまた意味深いです。もちろんスコティッシュライトとしてですが。
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隣にいかにも写真用に作ったScotLand '13とありました。うーんこれは誘っていますね。
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一面緑の芝です。下からアーサーズシートの山頂を撮った形です。この画面に写っている女性がカリフォルニアから来たらしく、写真を撮ってあげたのですが、まあ英語で一応あの13を33に変えていいかって言ったら、OKと言われて変えてしまいました。まあフリーメイスンリーですね。
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というわけでテキサスとカナダとカリフォルニアとコリアとジャパンの合作のScotLand 33°でしょうか。
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さて皆さんポカーンかもしれませんが、一仕事終えた感じで帰路です。ゴルフ場の八重桜と黄色い花が対照的で非常に美しいです。そのまま突っ切る感じで下に降りて来たのですね。
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かなり険しい崖になっていましたが、横須賀のしょうもない山道でも慣れているのでどうという事はありません。一応手すりなんかもあったりしました。
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登りとルートも違うので大分景色も違います。こちら側の方が景色は綺麗ですが、登りがあまりないので道が長いです。
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景色も色々楽しめます。
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これは明らかに野兎の巣のようなところを撮っているのでしょうかね。何匹か出て来たのですが写真には写っていないかもしれません。基本的にかつては王室の狩猟場であったので野兎がそこらじゅうにいます。それをねらったトンビだと思いますがそういうのも飛んでいます。
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景色のいいところは必ず地元の人がいますが、ただ観光客のようにいることはなく、大体ダイエット目的の運動したり何かしています。しかしまああっちの人はあの食事であれだけ太ってまた運動してすごいですねえ。アメリカの方がはるかにその辺は顕著ですがまあ文化の違いです。しかしまあ町並みはフリーメイスンリーのシンボルに描かれる通りのゴシックの尖塔の景色です。
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でまあ大体普通の公道に出てアーサーズヒル最初の登頂は終わりです。まあなかなか気持ちの良い場所だぞという事でその後も登り、この旅の間中に計3回登ります。
2013-06-26 19:18 | カテゴリ:スコットランド
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
しかしまあロイヤルマイルズから二人のブラザーロバートのところは大変でした。そもそもスコットランド英語の詩なんて相当遠い世界ですが、まあそれがマスメディアの中心にあった時代であったのだと思いますし、それだけその時代のエディンバラ周辺のスコットランドは知的に豊かであったのでしょうね。それはやはり羊毛の織物の需要が高かったのと、石炭による暖房とやはり羊肉による栄養が高かったせいではないでしょうか。まあしかしこのブログは疲れます。
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ホリーヒル公園からエディンバラ大学の方面に上がったところの道です。
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これはなんかその辺りにあった古そうな建物です。
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印刷屋さんであるようです。Gのシンボルがあったので撮りました。
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その辺りにあった公園では八重桜が満開でした。まあ綺麗なんですがなんとも感情移入しづらい感じなんでしょうか。まあ桜は日本のものだけではないということなのでしょうか。
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エディンバラ大学の辺りは大学の構内に入ったりはしていません。本当に近くを歩いただけです。その辺りにあったパブにやはりブラザーサーアーサー・コナン・ドイルの写真がありました。ショーン・コネリーの写真もありました。彼もフリーメイスンなのでしょうかね。
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いきなり素朴なフリーメイスンリーのシンボルです。パーフェクトアシュラーですね。トロン教会の後ろにありました。恐らくエディンバラ大学との関連で作られたシンボルかと思います。エディンバラ大学はラッセルグループというラッセルホテルに由来する英国の名門大学のグループの一つだそうです。ウィキペディアを参照してください。場所としては南橋のところになるようです。まあかなりはっきりした大きなシンボルなのですが、シンボルの風格というかそういうのが欠けるのか、ビラをたくさん貼られた跡が無残にも認められている状況です。まあでもこれだけの大きさのはっきりしたパーフェクトアシュラーはここだけだと思います。
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隣にスターバックスがあります。トロン教会の写真でしょうね。
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アダム・スミスの銅像とセントジャイルズ大聖堂です。どうでしょう大分なじんだ感じでしょうか。後ろに写っているスコットランドの象徴であるユニコーンの像ですが、やんぬるかな当ブログのあるFC2ブログのシンボルマークでもあるのですね。FC2ブログの表現の自由もこのセントジャイルズ大聖堂で培われた宗教改革の考え方の元に成り立っているということなのでしょうね。
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さらに良い天気になったところでエディンバラ城に向かいます。
2013-07-02 14:27 | カテゴリ:スコットランド
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
まあ観光案内の体が色濃くなってきて、なおかつエディンバラの場合はまあそういうフリーメイスンリーの本部なんでどうも一人旅でやたらあちこちいって写真を撮るアクティブなブロガーが多いようで、どうもそういう内容と差別化できない今日この頃のこのブログです。
エディンバラに真面目に旅行するフリーメイスンも日本に限らずそんなにいないと思われますし、なおかつそれをブログでいちいち報告する真面目なフリーメイスンもそんなにいないと思います。エディンバラの町は真面目に歩けば確実にフリーメイスンリーの本部然としていますし、そういう場所なのですが、その要素を消してしまえば世界遺産の観光地という事になります。観光なんてのは近所の山でも川でも海でも観光と思っていけば観光ですし、それは寺でも神社でも教会でもそういうものな訳です。で、フリーメイスンリーについての観光といっても、そもそもフリーメイスンリーとはキリスト教でもあり仏教でもあり神道でもありユダヤ教でもありイスラム教でもあり、宗教でもあり道徳でもあり数学でもあり科学でもあり、町であり人であり組織であり建築であり何でもありな訳です。まあいわゆるグノーシスとも関わるわけですが、そういうわけでフリーメイスンリーについての観光や学習といっても結局バックパッカーのブログと大差ないというところがまあ現実な訳で、それをなんとか差別化できないかと色々シンボリズムやら豆知識やら変わったイベントやら考えて入れ込んでいるわけですが、まあどうもフリーメイスンリーの本部だけあってそうは問屋が卸さないというところで頑張ってブラザーロバート・バーンズの詩といったところでしょうか。まあ以前は聖書を良く紹介したりしていたのですが、あれも本来は聖書の部分の引用はご法度な訳ですが、そういうところをあまり考えないでとにかく触れてほしいという考えで紹介しているわけですが、この後のブラザーロバート・バーンズの詩も訳の著作権など問題があるわけですが、こちらもなんとかお見逃しいただけるようお願いいたします。ブラザースコットなどについてもいずれ読む機会があればと思っていますが、なんとも今は色々読書は手一杯でありとりあえずブラザーロバート・バーンズについて噛みしめながら、スコッチウイスキーの味わい方を学んでいこうなんて思っています
さてまあエディンバラの観光的には折り返し位に入って来たわけですが、学会の方の記事としては全く触れていないわけで、そちらの方も少しずつ入れていこうかと思います。まあブログの形態を採っていますが、内容的には人文系の大学の講義よりさらに難しくしたくらいの内容だと思いますし、対象も一応フリーメイスンとしていますが、実際には小学生から老人まで誰でも読めて楽しめる内容を目指していますので、なかなかメディアとしては軽業師なのかと思っています。
でまあ内容としてはかなり陳腐になりそうなエディンバラのメインであるエディンバラ城の観光です。
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まあ好天なので非常にきれいですねえ。宮崎駿のアニメに出てきそうですが、そういうと拍子抜けでしょうか。まあ大砲の無い時代には有効だったんでしょうね。
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山登りして時間が経ったせいかちょうど人が混む時間で1時間くらい待ちました。入場料は1500円くらいだったと思います。なんかアンケートみたいなのを積極的にとっている感じで、観光にITのフィードバックを入れている感じでした。まあいずれにしてもエディンバラ市の奥の院の感じは醸し出していました。
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まあ市街が一望できる感じはウィンザー城ともよく似ています。塔としての役割がお城にはまずあるのですね。
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内部は実用的な城の雰囲気が強く、一種の城内市の様子でしょうか。実用的な住居が並んでいます。まあ実際のそういう戦闘や戦争で役に立つものってのは酷く陳腐で面白みのないものなんですよね。
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また逆光で撮っていますね。スコットランドの旗が気に入ったようです。
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イギリスの小学生か中学生の修学旅行生もいました。ちょうど思春期の女の子は壁沿いの一番目立つ場所を占拠して大声で笑っていましたがまあどこの国も人は変わらないという印象でしょうか。
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まあやっぱり実用的なんで良くできています。姫路城なんかもそうですが、やはりそういうのから遠い時代に生きる人間としては感心します。
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昔は確実に落とし穴でも掘ったところなんでしょうね。そういうのがないと型なしです。
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中は完全に住居になっています。
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アーチが古そうです。まあ要所の構成は結局変わらないのでしょうね。
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また逆光ですが、城の中心部に緑があるのは結局畑なんでしょうね。
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まあまた逆光ですが、あまり大した建物の仕組みはありません。ここまでこられたら戦争的にはジエンドなんでしょう。日本の城でも実用的であればある程本丸は陳腐なはずです。
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ガーゴイルがあって完全に礼拝堂になっています。確か世界大戦の戦士の慰霊碑とかであったと思います。そういうわけで撮影禁止だったと思います。現代の城の中枢は反戦の精神ではないでしょうか。
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ここからエディンバラ城の城の歴史の展示です。なかなか面白い展示でした。
2013-07-04 14:27 | カテゴリ:スコットランド
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー

肌寒い11月のこと、
 一吹きの突風が
野や森を落葉させるころ、
 私はある日の夕べ、エア川の堤をぶらついていると、
一人の老人の姿に気がついた。
 その歩みは労苦で疲れはて
顔は老齢でしわができ、
 しかも髪の毛は白かった。


「そこのお若いの、どちらへいらっしゃる。」
 その老賢者が私に声をかける、
「あなたの足を急がせるのは富を求める心かね、
 それとも若者の快楽の嵐かね?
たぶん気苦労と災いに後押しされて、
 あなたは既に歩みを始めたのだね。
私といっしょに、人の惨めさを
 悲しむことにしよう」。


果てしなく、遠く広く、
 彼方の荒野にかかる太陽、
不遜な地主の誇りを支えるために、
 何百人の若者が労苦に汗する。
彼方に、疲れ切った冬の太陽が四十倍のさらに倍の数ほど
 行きつ戻りつする姿を私は目にしてきた、
その度ごとにその証しを立てる。
 人の運命(さだめ)はただ嘆くこと。


人よ! 若い時期には
 なんとまあ時間を浪費するのだろうか!
君の貴重な時間を、
 輝く青春を浪費するのか!
それに代わる愚行が権力をふるい、
 放縦な情熱が燃え盛る。
これが十倍の力で「自然」の法則を示す、
 人の運命はただ嘆くこと。


青春の盛り、また、壮年の旺盛な力、
 それだけを見てはならない、
仲間たちの役に立ち、人は権利に支えられる。
 だが、心労と悲哀で疲れ切った
人生の崖に立つ彼の姿を見よ。
 「老齢」と「欠乏」とは、なんという不似合いな組み合わせだ!
これが教えるのは、
 人の運命はただ嘆くこと。


快楽の安らかな膝元に憩う
 運命の寵児の数は少ない。
だが思ってはならない、
 富める者、偉大なる者、
すべて等しく真に祝福されたる者であると。
 あらゆる国の惨めで孤独な人々はみな、
疲れ切った人生を送り、教訓を学ぶ、
 人の運命はただ嘆くこと!


人の体に組み込まれているのは、
 辛い病のかずかず、
後悔・悔恨・恥辱の念を感じて、
 私たちの痛みはますます鋭くなる。
人の顔は天によって造られたもの、
 愛に満ちた微笑を飾る。
人の人への無情は
 無数の人を悲しませる原因なのだ!


見てご覧、彼方の哀れで、労苦に苛まれた、
 惨めで卑しい汚れた人を、
彼の地上の兄弟に、
 耕す許しを乞い願う。
さらに見よ、虫けらのような高慢な主人が
 この哀れな願いをけり飛ばすのを、
悲しみに泣く妻や、か弱い子供たちの嘆きにも
 全く気にとめていない。


自然の法則によって計画され、
 殿の奴隷になるのが私の運命ならば、
私の心の中に独立心が
 植えつけられたのはなぜか。
そうでなければ、殿の残虐や侮蔑に
 さらされるのはなぜなのか。
なぜ人はその仲間を悲しみに落とす
 意志と力を持っているのか。

10
若者よ、しかし、これを聴いて
 君の若い胸をあまり動揺させてはならない。
これは人間性のただ一側面であり
 最終のものではない。
嘆く人を慰めてくれる
 償いがなければ、
貧しく圧しひしがれた正直な人は
 決して生まれてくるはずはない!

11
「死よ! 哀れな人の最愛の友よ、
 心優しい最善の友よ、
年老いた私の四肢がおまえといっしょに
 休息するその時よ、来たれ!
偉人と富者は、華美と快楽から引き裂く
 おまえの一撃におののく。
だが、疲れの重荷に悲しむ者には
 なんと祝福あふれる安息であることか!」

Man Was Made to Mourn

A DIRGE.

[The origin of this fine poem is alluded to by Burns in one of his letters to Mrs. Dunlop:"I had an old grand-uncle with whom my mother lived in her girlish years: the good old man was long blind ere he died, during which time his highest enjoyment was to sit and cry, while my mother would sing the simple old song of 'The Life an Age of Man.'"From that truly venerable woman, long after the death of her distinguished son, Cromek, in collecting the Reliques, obtained a copy by recitation of the older strain. Though the tone and sentiment coincide closely with "Man was made to Mourn," I agree with Lockhart, that Burns wrote it in obedience to his own habitual feelings.]

When chill November's surly blast
Made fields and forests bare,
One ev'ning as I wandered forth
Along the banks of Ayr,
I spy'd a man whose aged step
Seem'd weary, worn with care;
His face was furrow'd o'er with years,
And hoary was his hair.

"Young stranger, whither wand'rest thou?"
Began the rev'rend sage;
"Does thirst of wealth thy step constrain,
Or youthful pleasure's rage?
Or haply, prest with cares and woes,
Too soon thou hast began
To wander forth, with me to mourn
The miseries of man.

"The sun that overhangs yon moors,
Out-spreading far and wide,
Where hundreds labour to support
A haughty lordling's pride:
I've seen yon weary winter-sun
Twice forty times return,
And ev'ry time had added proofs
That man was made to mourn.

"O man! while in thy early years,
How prodigal of time!
Misspending all thy precious hours,
Thy glorious youthful prime!
ALternate follies take the sway;
Licentious passions burn;
Which tenfold force gives nature's law,
That man was made to mourn.

"Look not alone on youthful prime,
Or manhood's active might;
Man then is useful to his kind,
Supported in his right:
But see him on the edge of life,
With cares and sorrows worn;
Then age and want--oh! ill-match'd pair!--
Show man was made to mourn.

"A few seem favorites of fate,
In pleasure's lap carest:
Yet, think not all the rich and great
Are likewise truly blest.
But, oh! what crowds in every land,
All wretched and forlorn!
Thro' weary life this lesson learn--
That man was made to mourn.

"Many and sharp the num'rous ills
Inwoven with our frame!
More pointed still we make ourselves,
Regret, remorse, and shame!
And man, whose heaven-erected face
The smiles of love adorn,
Man's inhumanity to man
Makes countless thousands mourn!

"See yonder poor, o'erlabour'd wight,
So abject, mean, and vile,
Who begs a brother of the earth
To give him leave to toil;
And see his lordly fellow-worm
The poor petition spurn,
Unmindful, though a weeping wife
And helpless offspring mourn.

"If I'm design'd yon lordling's slave--
By Nature's law design'd--
Why was an independent wish
E'er planted in my mind?
If not, why am I subject to
His cruelty or scorn?
Or why has man the will and power
To make his fellow mourn?

"Yet, let not this too much, my son,
Disturb thy youthful breast;
This partial view of human-kind
Is surely not the best!
The poor, oppressed, honest man
Had never, sure, been born,
Had there not been some recompense
To comfort those that mourn!

"O Death! the poor man's dearest friend--
The kindest and the best!
Welcome the hour, my aged limbs
Are laid with thee at rest!
The great, the wealthy, fear thy blow,
From pomp and pleasure torn!
But, oh! a blest relief to those
That weary-laden mourn."

感想:感想がいるのかどうかというところですが、一応入れておきます。無常観を描いた詩ですが、そもそもスコットランドの古くから伝わる詩をアレンジしたようです。仏教の生老病死の四苦八苦に繋がる普遍的な真理が表現されたものかと考えます。死の平等性はフリーメイスンリーでもメメントモリで挙げられる大事な教訓です。
2013-07-06 22:20 | カテゴリ:スコットランド
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
おお、支配者よ、おお、多くの位高き天使たちの長よ、
戦列をしいた天使の軍隊を戦へと導いた天使たちの―
                      (ミルトン)

おお、おまえ、どんな呼び名がおまえにふさわしいか、
老角魔王か、サタンか、ニックか、それとも偶蹄魔王か、
向こうの汚い煤だらけの洞窟に
     おまえは閉じ込められて、
桶一杯の硫黄の火をまき散らし、
     亡者どもに焦熱地獄を味わわせる。

ちょっと聞け、老絞首魔王よ、
地獄に落ちた者どもはほっとけ。
私のような畜生どもをたたいて焦熱地獄を味わわせ、
     私どもがひいひいいうのを聞くのは、
悪魔にとっても、
     あまり楽しいことではあるまい。

おまえの力は強く、その名は高い、
おまえの名はあまねく知れ渡る。
向こうの炎立つ穴がおまえの住まいだが、
     おまえは遠くまで出かける。
本当に、遅れることも足を引きずることもなく、
     気後れすることもなく怖がることもない。

時にはほえるライオンのようにうろつきまわり、
餌を求めてくまなく巣穴や隅々を探るが、
時には強い翼を持つ嵐にのり
     教会の屋根を引きはがすが、
時には人の胸の内をのぞくが、
     おまえは潜んで姿を見せようとはしない。

私の敬う祖母(ばば)さまが言うのを聞いた、
おまえは人気のない谷間をさまようのが好きだと、
また、灰色の古城の廃墟が
     月にうなずく所で、
薄気味悪いうなり声で
    夜ごと道行く人をおびやかすと。

まじめで正直な女性祖母さまが
たそがれ時お祈りを捧げるとき、
境の石垣の向こうでよく聞いた、
     不気味な声でおまえがうなっているのを、
また、低いうなり声をあげてニワトコの茂みを
     おまえがざわざわとやって来るのを。

あるわびしい風のある冬の夜、
星の光が斜めに降り注ぐとき、
湖の向こうのおまえの姿に
     恐れおののいた。
すさまじい風のような音をたてて揺れながら、
     おまえはイグサの茂みのように立っていた。

私の握るこん棒は震え、
髪の毛はみな杭のように逆立った。
がーがーと泉の中を、
     けたたましい不気味な声を出して、
雄鴨のように鋭い羽音を立てて
     おまえが飛び去るとき。

恐ろしい魔法使いやしわくちゃな鬼婆どもに語らせよ、
彼らがおまえとともにサワギクの子馬に乗って、
荒地や目もくらむ絶壁をものすごいスピードで
     すれすれに飛ぶ様を、
掘り返した死体をさかなに
     墓場で結束を強める様を。

だから無駄かもしれない、
農婦がいくらがんばって攪乳器(かくにゅうき)をかき回しても、
おお、魔法を巧みに使って、
     黄色い宝物が取られてしまうのだから。
また、乳を7リットルも出す大事な乳牛も、
     雄牛のように乳を出さないのだから。

だから、好き者で、はやり、張り切る新婚の婿殿に、
まじないの結び玉を沢山付けておくのだ。
されど家一番のお道具は、
     魔法の働きで
たちまちまったくの役立たず、
     ここ一番という時に。

雪解けで吹きだまりが解けだし、
高い音を立てて氷の板が浮かぶとき、
おまえの命令で水馬がしばしば
     浅瀬に出没し、
行き暮れた旅人を
     破滅へとおびき出す。

よく泥炭地を横切るおまえの手先の鬼火は、
夜遅く帰る酔っ払いを誘いだす。
赤々と燃えるいまいましいいたずら者は、
     相手の目をたぶらかし、
ついに酔っ払いはぬかるみに沈み、
     もはや立ちあがることはできない。

フリーメーソンの秘儀の言葉や力が
おまえを烈火のごとく怒らせたとき、
雄鶏か猫でおまえの怒りを鎮めなければならない。
     さもなければ言うのも変だが、
一番年若い会員をすぐさま
     地獄に送りたがるだろう。

大昔美しいエデンの園で、
愛し合う若い二人がはじめてカップルとなり、
芳しい花咲く芝生や
     日をさえぎる木陰でうっとりと、
あらゆる愛の心を分かち合い、
     うっとりとした一時を過ごしたとき、

その時、おまえ悪知恵にたけた犬め、
こっそりと楽園にやってきて、
悪だくみで人間をだまし、
     (さても憎いやつめ)
始まったばかりの世界にショックを与え、
     破滅寸前にした。

おまえはあの日を覚えているかい、あわてて
くすぶった衣服を着て、すすけたかつらをつけ、
善良な人々の間に
     おまえの汚い顔を出し、
おまえの意地悪いからかいを、ウズの人ヨブに
     横合いから投げかけた日を。

おまえはヨブを自分の支配下において、
いかに住まいから追い出したかを、
疥癬(かいせん)と腫(は)れ物でヨブを苦しめ、
     かきむしらせ、
神へのののしりの言葉をいかに彼から引き出したかを、
     それがどんなに最悪であったかを。

でも大天使ミカエルが、おまえを刺したあの日から今日までの、
おまえの悪賢い誘惑や激しい争いといった
     おまえの行為すべてを並べ立てるには、
スコットランド語やゲール語を全部使っても無理なこと、
     散文にせよ韻文にせよ。

さて老偶蹄魔王よ、おまえが考えていることは知っているよ、
あるへぼ詩人は飲み浮かれているが、
つきはそいつを見離し、おまえの黒い穴に
     早ばやと追い込むことを。
だがどっこい、そいつはさっと角を曲がって
     おまえの鼻をあかすのだ。

じゃあ、あばよ、ニックさん、
少し考え、悔い改めてくれればいいんだが。
私は知らないが、多分おまえには
     まだそのチャンスはあるだろうよ。
向こうの洞窟を思うと、
     おまえのためでさえも悲しいや。

Address To The Devil

O Prince! O chief of many throned Pow'rs
That led th' embattl'd Seraphim to war-
Milton

O Thou! whatever title suit thee-
Auld Hornie, Satan, Nick, or Clootie,
Wha in yon cavern grim an' sootie,
Clos'd under hatches,
Spairges about the brunstane cootie,
To scaud poor wretches!

Hear me, auld Hangie, for a wee,
An' let poor damned bodies be;
I'm sure sma' pleasure it can gie,
Ev'n to a deil,
To skelp an' scaud poor dogs like me,
An' hear us squeel!

Great is thy pow'r an' great thy fame;
Far ken'd an' noted is thy name;
An' tho' yon lowin' heuch's thy hame,
Thou travels far;
An' faith! thou's neither lag nor lame,
Nor blate, nor scaur.

Whiles, ranging like a roarin lion,
For prey, a' holes and corners tryin;
Whiles, on the strong-wind'd tempest flyin,
Tirlin the kirks;
Whiles, in the human bosom pryin,
Unseen thou lurks.

I've heard my rev'rend graunie say,
In lanely glens ye like to stray;
Or where auld ruin'd castles grey
Nor to the moon,
Ye fright the nightly wand'rer's way,
Wi' eldritch croon.

When twilight did my graunie summon,
To say her pray'rs, douse, honest woman!
Aft'yont the dyke she's heard you bummin,
Wi' eerie drone;
Or, rustlin, thro' the boortrees comin,
Wi' heavy groan.

Ae dreary, windy, winter night,
The stars shot down wi' sklentin light,
Wi' you, mysel' I gat a fright,
Ayont the lough;
Ye, like a rash-buss, stood in sight,
Wi' wavin' sough.

The cudgel in my nieve did shake,
Each brist'ld hair stood like a stake,
When wi' an eldritch, stoor "quaick, quaick,"
Amang the springs,
Awa ye wquatter'd like a drake,
On whistlin' wings.

Let warlocks grim, an' wither'd hags,
Tell how wi' you, on ragweed nags,
They skim the muirs an' dizzy crags,
Wi' wicked speed;
And in kirk-yards renew their leagues,
Owre howkit dead.

Thence countra wives, wi' toil and pain,
May plunge an' plunge the kirn in vain;
For oh! the yellow treasure's ta'en
By witchin' skill;
An' dawtit, twal-pint hawkie's gane
As yell's the bill.

Thence mystic knots mak great abuse
On young guidmen, fond keen an' abuse
On young guidmen, fon, keen an' crouse,
When the best wark-lume i' the house,
By cantrip wit,
Is instant made no worth a louse,
Just at the bit.

When thowes dissolve the snawy hoord,
An' float the jinglin' icy boord,
Then water-kelpies haunt the foord,
By your direction,
And 'nighted trav'llers are allur'd
To their destruction.

And aft your moss-traversin
Spunkies
Decoy the wight that late an' drunk is:
The bleezin, curst, mischievous monkies
Delude his eyes,
Till in some miry slough he sunk is,
Ne'er mair to rise.

When masons' mystic word an' grip
In storms an' tempests raise you up,
Some cock or cat your rage maun stop,
Or, strange to tell!
The youngest brither ye wad whip
Aff straught to hell.

Lang syne in Eden's bonie yard,
When youthfu' lovers first were pair'd,
An' all the soul of love they shar'd,
The raptur'd hour,
Sweet on the fragrant flow'ry swaird,
In shady bower;

Then you, ye auld, snick-drawing dog!
Ye cam to Paradise incog,
An' play'd on man a cursed brogue,
(Black be your fa'!)
An' gied the infant warld a shog,
'Maist rui'd a'.

D'ye mind that day when in a biss
Wi' reekit duds, an' reestit gizz,
Ye did present your smoutie phiz
'Mang better folk,
An' sklented on the man of Uzz
Your spitefu' joke?

An' how ye gat him i' your thrall,
An' brak him out o' house an hal',
While sacbas and botches did him gall,
Wi' bitter claw;
An' lows'd his ill-tongu'd wicked scaul',
Was warst ava?

But a' your doings to rehearse,
Your wily snares an' fechtin fierce,
Sin' that day Michael^2 did you pierce,
Down to this time,
Wad ding a Lallan tounge, or Erse,
In prose or rhyme.

An' now, auld Cloots, I ken ye're thinkin,
A certain bardie's rantin, drinkin,
Some luckless hour will send him linkin
To your black pit;
But faith! he'll turn a corner jinkin,
An' cheat you yet.

But fare-you-weel, auld Nickie-ben!
O wad ye tak a thought an' men'!
Ye aiblins might-I dinna ken-
Stil hae a stake:
I'm wae to think up' yon den,
Ev'n for your sake!

感想:フリーメーソンの秘儀や言葉という単語があり、一番年若い会員をすぐさま地獄に送りたがるだろうなどと続き、なにやらフリーメイスンリーロッジに関連ある詩として挙げました。何でも味わえばよいのだと思いますが私の感想を書きます。恐らく悪魔はTo A Mouseのようにブラザーディーコン・ブロディーなど誰かフリーメイスンリーに関連あるかもしれない人を考えてのことなのかもしれません。様々な聖書の奇跡のような事が挙げられているのも面白いです。人間は錯覚や誤解でそこに悪魔を認めたりするものなのですね。ヨブの話も誰かモデルがいるのかもしれません。洞窟はすみかの洞窟と牢屋の洞窟と二つの意味があるのかもしれません。ブラザーディーコン・ブロディーの人形のあったケルティックロッジのアーチのあるパブが洞窟のように思われてきたでしょうか。ロイヤルマイルズではいまだにロッジ同士の競い合いがかつてと同じであるのかもしれません。
2013-07-09 13:24 | カテゴリ:スコットランド
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
さて皆さんいかがお過ごしでしょうか。盛りだくさんで経過してる当ブログですが、時間が経過するごとにその内容も膨大となり話題は等比級数的に増えていくのはこれは知識と科学の臨界点のようなもので、啓蒙運動の最大の目的はその生命活動には必ず限界点があるが、知識や科学技術の集積には限界点がないように無限に広がっていくという一種の科学万能主義の思想に基づいていて、その基本となるのが知ることによる無知からの脱出であり、その体験がまさに奇跡そのものであり理神論を形成する基本となったと考えられます。まあこのブログで少しでも新しい知識を獲得された方はそういう啓蒙主義、知性の信奉という近代科学万能主義の第一歩を踏み出した事になるのかと思われます。また聖書や宗教の話を通して、そうした近代科学の萌芽に当たって過去のキリスト教やユダヤ教、仏教やその他多くの宗教に共通する人が幸福に生きるためにはどうすればいいかという経験と知恵の集積があり、それらは常に同時進行で一体となっていたときにまさに世界の創造主の差配によってそこに光という進歩が生じるという一連の流れなのだと思われます。科学的知識や進歩はすぐに我々の生活を豊かにはしませんが、それらが真摯な宗教的態度や信仰と結びついたときには確実な豊穣を約束するというのがフリーメイスンリーで教えられるシンボリズムの中心的な概念であり、フリーメイスンリーで繰り返し求められる実践であるのかと思われます。今後もこのブログを中心として様々な情報発信や活動が続けられるかと思いますが、どうか皆さんにおいても継続したそうした啓蒙の活動、知的関心の喚起と実践を続けられて、実りある成果を確実なものとされることを期待します。
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さて前置きが長くなりましたが写真の方はエディンバラ城の中の展示です。実際は写真撮影禁止なのですが、私にとってあまりに興味深く撮影を止める係員もいなかったので撮影してしまいました。これは王の装身具を職人が作っている様子の蝋人形なのですが、Craft made Crown.と書いてあって、う~ん、なるほどな~という感じでしょうか。周りにはフリーメイスンリーのシンボルとなる道具がたくさん置いてありました。
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これは展示の額縁のデザインが菊の文様になっていたので撮ったのでした。ところどころこういうのが入っているのがイギリスの展示です。
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チャールズ1世の戴冠です。1633年6月18日となっています。まあシンボリズムなわけですがどうでしょう。英語版ウィキペディアではイングランド王の戴冠が1626年2月2日、スコットランド王が1633年6月18日となっています。洗礼者ヨハネの日の6日前ですね。チャールズ1世の誕生日は1600年11月19日亡くなったのが1649年1月30日です。日本語のウィキペディアではどうも誕生日や戴冠日が微妙にずれたりしています。面白いですね。父親がいわゆるジェームズ1世版聖書で知られるスコットランド女王メアリーの子供であるジェームズ1世です。ジェームズ1世はエリザベス1世の死去後にスコットランド王ジェームズ6世からイングランド王ジェームズ1世として戴冠しました。以後イングランドとスコットランドは連合王国となり、現在のウィンザー朝に繋がるスチュワート朝が始まります。チャールズ1世の時代に権利の請願があり、清教徒革命が始まりチャールズ1世は捕えられエディンバラ城に囚われます。最後はロンドンのブラザーイニゴー・ジョーンズが建設したバンケティング・ハウス前で処刑されました。
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チャールズ2世はチャールズ1世の子供で清教徒革命の間はフランスに亡命していて、清教徒革命に反対したスコットランドに上陸して1651年1月1日にいわゆる運命の石の上で戴冠しました。その後護国卿オリバー・クロムウェルに敗れ再びフランスに亡命します。クロムウェルの急死後に帰国を要請されイングランド王チャールズ2世として戴冠しました。この際にはオリバー・クロムウェルの遺体は掘り起こされ斬首され晒し首にされたそうです。その後カトリックのポルトガルの王女と結婚しインドのボンベイなどの植民地を得たそうです。チャールズ2世の時代には騎士議会が開かれていたそうですが、基本的には王に賛成する立場で、チャールズ2世は非常に艶福家で愛人が多数いたそうです。シティーや議会との対立が後の名誉革命の発端となったそうです。1666年はいわゆる驚異の年であり、第二次英蘭戦争のさなかにコレラの流行とロンドン大火があり、政権交替で政権を担っていた貴族が亡命し、その後の政権を担った5人の貴族の頭文字をとってCABAL政権(陰謀政権)と呼ばれたそうです。王はカトリック(臨終で改宗)で王位継承者のジェームズもカトリックであったので、国教会が優勢であったイギリス国内においてカトリックに寛容なチャールズ2世の政策は反対をもたらすようになります。チャールズ2世はスコットランドの長老派教会などを積極的に抑圧し大殺戮をもたらしますが、1685年に亡くなり、その後国王となったジェームズ2世はカトリック王として専制をしきますがわずか3年で名誉革命をもたらしフランスに亡命し、娘が結婚していたオランダ総督ウィリアム3世がイギリスに上陸し戴冠します。スチュワート朝はその後ジャコバイトの反乱などを制圧したりしながら、子供が出来なかったウィリアム3世夫妻の共同統治後に、やはりジェームズ2世の娘であるアン女王の死去後、ドイツからジョージ1世を招きハノーヴァー朝となります。名誉革命によって権利の章典が定められ王権の制限が確立され、国教会を中心としたプロテスタントによる統治が確立されます。オランダ総督が英国王となった事によって新教国としてのオランダの世界貿易の覇権がイギリスに移行していくこととなり、その後のハノーヴァー朝の下での議会制民主主義の発達のもとでの大英帝国の躍進がさらにアメリカ独立戦争や近代の植民地戦争や世界大戦へと繋がっていきます。
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これはスチュワート朝で同君連合となった後のスコットランド王国の象徴である王冠などがエディンバラ城の中に封印されたことを示しているのだと思います。ジャコバイトなど様々な不安定要素をもたらす可能性があったためそうされたのだと思います。それだけスコットランド王の地位はイギリス全体の重要なポジションを占めていたのですね。1707年だそうです。
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封印から111年後の1818年にブラザーサーウォルター・スコットがその封印を解いてスコットランド王冠を再発見したそうです。シンボリズムが踏襲されていますね。
honours-stone-destiny.jpgstone of scone
そしてそれが展示されているわけですが、これは係員がいて写真は撮れませんがネット上に写真がありました。いかにもブラザースコット好みの時代がかった歴史劇であり、まさにスコットランドフリーメイスンリーの真髄といったところでしょうか。
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そしてその伝説の王冠とともに展示されているのがいわゆる運命の石、スクーンの石とも言われるウェストミンスター寺院の戴冠式の椅子に格納されていたスコットランド伝統の石ですね。1296年にイングランド王のエドワード1世によってウェストミンスター寺院の椅子の下に持ち去られて以来700年間そこにあったのですが、1996年のトニー・ブレア政権時代にエディンバラ城に移されて展示されるようになったそうです。トニー・ブレアももちろんフリーメイスンなのでしょうね。
westminster stone
聖ヤコブとの関連も伝承されているそうなので、恐らくフリーメイスンリーでも螺旋階段で象徴されるヤコブの梯子の夢を見た際の石の枕のイメージなのではないでしょうか。アイルランドからもたらされたそうなので、その当時のアイルランドへの聖パトリックのカトリックの伝道のその後の影響なのでしょうね。
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エリザベス1世の跡を継いだジェームズ1世がスコットランド女王メアリーから生まれた場所です。1566年6月19日だそうです。亡くなったのが1625年3月27日だそうです。ジェームズ1世の父親は彼が1歳の時に不審な死を遂げ、母親はイングランドに亡命しその後19年軟禁状態で最後は処刑され亡くなったそうです。
スコットランド女王メアリーは生後6日でスコットランド女王となり、その後フランスの王太子と結婚して夫が14歳で即位後フランス王妃となりますが子供は出来ず夫が16歳で亡くなり、スコットランドに帰国しスチュワート家のダーンリーと再婚しますが、すぐに夫婦仲が冷め愛人に秘書のリッチオがなりますが、息子のジェームズ1世を妊娠中であった1566年3月9日にホリールード宮殿の夫の部屋の横のメアリー女王の目の前で愛人が貴族によって惨殺されたそうです。子供のジェームズ1世の父親もダーンリーであるかどうか疑われたそうですが、その後ダーンリーも新たな愛人となったボスウェル伯とメアリー女王によって謀殺されたそうで、メアリー女王はボスウェル伯と再婚しますが最後はイングランドに亡命し、軟禁状態ではあったものの自由な生活をしていましたが、たびたびエリザベス1世に対してイングランドの王位継承権を主張して反乱を画策し、最後は処刑されたそうです。
ジェームズ1世は13歳からホモセクシュアルであったそうで、愛人が出来た後に摂政を処刑し、またその後再び軟禁されますが脱走し、軟禁の首謀者を処刑し18歳で実権を握ったそうです。その後23歳で女性と結婚しますが、その直後に船で遭難しそうになり陰謀を疑って魔女狩りが行われたりしたそうです。1603年3月14日にエリザベス1世が無くなると37歳で後継者に指名され戴冠しスコットランド王ジェームズ6世からイングランド王ジェームズ1世となります。1605年には爆殺未遂事件もあったそうです。1611年にいわゆる欽定訳聖書を作成します。ユニオンフラッグもこの時代に出来たそうです。子供は3人が成人しますが、長男は18歳で死亡し、次男がチャールズ1世となり、長女がドイツに嫁ぎ、その孫が後のハノーヴァー朝のジョージ1世となります。
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ヘンリー8世、メアリー1世、エリザベス1世の三人が生まれたクイーンズハウスとはまた趣が異なりますが、これだけの因縁がある場所と知るとなかなかすさまじいですね。フリーメイスンリーのシンボリズムははっきりとは認めませんが、オベリスクのような装飾や3本のロウソクの光などを認めます。まあ解説しなくてもフリーメイスンリーの歴史上重要な場所であることは雰囲気でわかるかと思います。
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スコットランド王ジェームズ6世の紋章だそうです。
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なんだか変なデザインです。
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近くの小部屋の床は白黒になっていました。
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これはまた別の部屋で大ホールという名だそうです。
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そのステンドグラスです。シェブロンや碇、ライオン、星のシンボルなどがフリーメイスンリー関連で認められますが、もちろん貴族のシンボルでありみなフリーメイスンを輩出していると思われます。
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正面のところの床が少しモザイクになっています。Sの形にもなっているような感じでしょうか。
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武具が並べられているのはいざという時の武具庫という意味の騎士道精神なのでしょうね。
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誰を描いた絵かはわかりませんが、恐らくワーテルローの戦いを戦ったブラザーアーサー・ウェルズリーなのでしょうね。
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エディンバラ城の代々の責任者ですね。城主というべきなのかどうかなんでしょうが、恐らく責任者で良いのではないでしょうか。
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ここでいったん外に出ます。前にあるのがセントマーガレット教会堂でエディンバラ城の中で一番古い建物です。
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捕虜の牢獄として使われた部分の展示です。後で解説が出ますが、アメリカ独立戦争やフランス革命戦争などでのいわゆるイギリス軍に対抗する側の捕虜が捕えられ収容された場所として利用されたと説明されています。まあフリーメイスンも多く含まれていたということなのでしょうね。国際法やジュネーヴ条約もない時代の捕虜の取り決めは紳士協定に頼るしかなかったのでしょうが、まあそれらがその後の捕虜の取り扱いに関する世界的な取り決めの基本になったのだと思います。ドミノもチェスなどのようにフリーメイスンリーのシンボリズムが関係しているのでしょうか。
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収容された捕虜となる原因となる戦争が説明されています。まあ上官や重要な人物だけが収容されたのでしょうね。それ以外はまあ現地で殺されるか解放されたのでしょうね。
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非常にきれいです。
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第一次世界大戦で後に愚将と非難されたヘイグ将軍の像です。もちろんフリーメイスンでしょう。生前は国民的人気であったそうです。ちょうど戦法戦術が大幅に変わる時代であったのでしょうね。
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この後巡るイギリスのスコットランド連隊を称える展示があるのですが、その売店で売っていたチェスセットです。チェスももちろん白黒のチェッカー柄のチェス盤でフリーメイスンリーのシンボリズムがあるフリーメイスンリーの影響が色濃い知的ゲームです。チェスの駒はそれほどフリーメイスンリーのシンボリズムを反映していませんが、こういう場所で売っていることも一つのそういうアピールというか象徴であるかと思われます。フリーメイスンリーのシンボリズムをアピールしたチェスセットというのは実はなかなか無く、レア物のようです。ここで売られていたのは単に古い様式のチェスの駒の形をしたセットでした。チェスの特にチェッカーボードとフリーメイスンリーのシンボリズムとの関連について書かれた論文がありましたのでリンクしておきますが、ちょっとこじつけのような感じでしょうか。恐らくどこかの時点で正式にチェッカーボードをチェス盤として採用したのはフリーメイスンリーの影響があったものかと思われます。代表的なのがヘッダー画像でも利用しているサンクトペテルブルク近郊のピョートル大帝の離宮にあるチェス盤の山でしょうか。ちなみにmasonic chessで検索するとレンガ積みのようにチェスのマスが半分ずつずれた形の軍人将棋のような変則的なチェスの種類が出てきます。なかなかチェスとフリーメイスンリーの歴史も深そうです。
2013-07-14 08:04 | カテゴリ:スコットランド
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
さて今日はまあブラザーペリー祭ということで比較的直射日光の少ない動き易い天気であったわけですが、私も初めてペリー公園での式典を見学してまあなんか再選した久里浜出身の吉田市長が御満悦であったわけですが、つつがなく終わりその後の続きは横須賀総合高校ホールで関係者のみでの会ということで私は戦艦三笠でビールでも飲みながらペリーアイランド(猿島)を見て良い気持ちで帰って来た所でノルマと化したエディンバラの観光案内を継続することとします。戦艦三笠の艦橋で飲むビールはなかなか気持ち良いので是非艦内で生ビールを販売してはどうかと提案して帰って来たのですがまあなかなか横須賀にも旧軍にも色々な考えがあることかと思いますので簡単にそうはいかないとは思いますが、まあ珍しくこのブログの提案という形としておきます。まあちょっとブログも段々大胆になってきて後々には横須賀にオベリスクを建てようという提案もしていこうかと思っています。またお世話になった出身大学の大学病院についてもフリーメイスンリーとのつながりについても後々で紹介していければと思っています。まあ一応匿名の形のブログとしていますが、関係者の方にはかなり紹介していますし、ある程度インターネットに習熟していればすぐに私の事がわかるかと思いますので、まあいろいろ単なるフリーメイスンリーの紹介や教育に留まらずご紹介していければと思っています。後は観音崎のイタリアンレストランマテリアも少し飲み物だけ飲んできましたが、良いお店のようです。(書き出しは7月13日であったのでした。)

さてかなりいい加減な導入となりましたが記事のメインはエディンバラの観光案内の方です。
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イギリス軍のスコットランド連隊を顕彰する所にあった兵装の将校の写真です。なんで撮ったかというとシュライナーズのフェズ帽に似ていたからなんですね。多分フリーメイスンなんだと思いますが、スコティッシュライトの32階級で構成されるアメリカでもっとも有名なフリーメイスンリーの団体であるシュライナーズの象徴であるフェズ帽の元のデザインがスコットランド連隊の帽子であったというのはありそうな話です。赤色の意味はキリスト教徒の血であるそうですが、デザインはもしかするとスコットランド連隊の帽子であるかもしれません。
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これは恐らく連隊旗でしょうね。スコットランドの国の花のアザミとエディンバラ城が象徴的に描かれています。聖アンドリュー十字が描かれていないのはやはりイギリス軍として気を使っているのだと思われます。やはりシンボリズムは心が出ますね。
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これは何で撮っているかというと単にコンパスがあったからなんですね。何に使うコンパスかも不明ですが単にコンパスを展示してあるということだけです。恐らく展示している方も意識して出しているのだと思われます。まあしかし本当に単なるコンパスです。
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これは何の展示か良くわかりませんが、連隊のバッチかベルトのバックルでしょうか。良くわかりませんが、ブラザーバーンズと、ブラザースコットの肖像があったので撮っただけです。恐らく軍隊ロッジが全てあって、それぞれ象徴としてブラザーバーンズやブラザースコットが選ばれていたのではないでしょうか。
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愛国心を奮い立たせるのにブラザーバーンズの詩は非常に役に立ったようです。
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EMクラブのenlisted manのENLISTの単語があったので撮りました。まあ志願兵とも言うのでしょうが、いずれにしても下士官となるようです。
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まあフリーメイスンリー以外の展示では主に愛国心を喚起する意味くらいしかないようでした。外は相変わらずいい天気で景色は最高でした。
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エディンバラ大学の方向でしょうかね。ちょっと建物は良くわかりません。
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やっぱりお墓がありますね。オベリスクも見えます。
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南西の方でしょうかね。北側の新市街とは反対だと思います。
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防衛用の大砲が恰好だけなので車止めになっているのですね。非常に面白い利用です。
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これまたiPhoneでの逆光撮りですね。カメラが良ければ綺麗に写るんでしょうが、iPhoneでは無理があります。IMG_5878.jpg
国旗が綺麗に映えます。
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実際の空砲を撃つ大砲です。ワンオクロックガンと言って午後1時を知らせる空砲を日曜以外の毎日鳴らしているそうです。
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これは新市街の方面です。
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カールトンヒルの方向です。スコット記念塔やロイヤルアカデミーなどがわかります。
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カールトンヒルとの位置がわかります。
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新市街の建設中の図ですね。周りに何もなかったことが良くわかります。
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ウィンザー城もそうでしたがイギリスの城は基本的に町の全貌が把握できるようになっているのですね。この辺は日本の戦国~江戸時代の城と同じなんでしょうね。
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これはまた場所が変わって上に登って下の写真を撮っていたところを見下ろしているのですね。セント・マーガレット教会堂の横だと思います。壁際に立っている石碑はお墓でしょうか。
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風でよく旗がはためいているんですが、なかなか広がった瞬間を撮るのは難しいです。
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モンス・メグという15世紀からある巨砲だそうです。最終兵器なのでしょうね。最後に撃たれたのがジェームズ1世を産んだメアリー1世の後のフランス国王フランソワ2世との結婚の時だそうです。砲丸は150㎏だそうです。3つ並んだところがポイントでしょうか。セント・マーガレット教会堂の真横にあります。一応最後に守るのは教会堂という形になっています。宗教改革時には破棄されたそうです。そういえばヴェルニー公園の3つの照明は相変わらず点きませんね。
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セント・マーガレット教会堂は写真撮影禁止なのですが、その横に日本と同じように松があったので撮りました。
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エディンバラ城の全体図です。
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微妙に焦げてるエディンバラ城の城壁を写しつつエディンバラ城は終わりです。

少し内容が薄くなったのでここでちょうどあってそうなエディンバラ城についてのブラザーロバート・バーンズの詩を挙げておきます。

エディンバラに寄せる言葉

1
イダイナよ、スコットランドの最愛の首都よ、
 幸いあれ、君の宮殿たちと塔たち、
そこではかつて、一人の君主の足もとに、
 立法の主権者たちがすわっていた。
エア川の堤をさまようとき
 咲き乱れる花を眺めることから、
また去りかねている時を一人歌うことからはなれて、
 君の尊い陰に私は身を置くのだ。

2
こちらでは、忙しい商いが自分の仕事に精出すとき、
 富は黄金の潮をもりあげ、
あちらでは建築の高貴な誇りが、
 優美と輝きそびえ立つことを命ずる。
こちらでは正義が生まれ故郷の空から、
 はかりと権威の杖を高く振りかざし、
あちらでは学問がワシの眼をして、
 人目につかない住まいで学問を探求している。

3
イダイナよ、君の息子たちは社交的で親切で、
 両手を開いて見知らぬ人を迎える。
彼らの広い見識、彼らの寛大な心は、
 狭い、田舎の谷間にまさる。
悲しみの嘆きに、控えめな真価の
 物言わぬ要求に常に耳を傾ける。
そして彼らの水源がかれることのないように、
 ねたみが彼らの名を汚さないように。

4
君の晴れやかな娘たちは君の歩道を飾っている、
 金色の夏空のように華やかに、
露にぬれた乳白色のサンザシのように美しく、
 歓喜の絶頂の震えのようにいとおしく。
美しいバーネットは敬愛する者の目に焼き付けられ、
 天の美女たちは私の想像の上に輝く。
天上の愛の父を見て、
 父のなせる業は本当に神々しいと思う。

5
そこでは、どんなささいな警報にも注意を向けて、
 君のごつごつした、荒々しい要塞が遠くに光っている。
多くの切り傷がある、
 灰色に武装した古つわもののようだ。
どっしりした城壁と重々しい鉄格子は、
 ごつごつした岩の上にいかめしくそびえたち、
攻めたてる戦にしばしば耐え、
 侵入者の衝撃をしばしばはね返してきたのだ。

6
敬服の念に打たれた思いと哀れみの涙で、
 あの気高い堂々としたドームを見る。
そこでは過去のスコットランドの王たちが、
 名高き英雄たちが、居城を持っていた。
悲しいかな、その後の時代がいかに変わったことか、
 彼らの王の名は低く塵の中に埋もれ、
厳しい法律は「それは正しかった」と叫んでいるが、
 彼らの不運な一族はあてどなくさまよっている。

7
その君たちの足跡をたどり私の心は激しく打つ、
 昔、その祖先たちは
敵の戦列や破壊された城壁の割れ目を通って、
 いにしえのスコットランド王家の紋章真紅のライオンを運んだのだ。
田舎の伝承の中で歌う私でさえ、
 おそらく私の祖先たちもその小屋を出て、
君たちの祖先が導くところに大胆にしたがって、
 恐ろしい危険の、この上なく大きな吠え声に立ち向かったのだ。

8
イダイナよ、スコットランドの最愛の首都よ、
 幸いあれ、君の宮殿たちと塔たち、
そこではかつて、一人の君主の足もとに、
 立法の主権者たちがすわっていた。
エア川の堤をさまようとき
 咲き乱れる花を眺めることから、
また去りかねている時をひとり歌うことからはなれて、
 君の尊い陰に私は身を置くのだ。

Address to Edinburgh

Ⅰ.
Edina! Scotia's darling seat!
All hail thy palaces and tow'rs,
Where once beneath a monarch's feet
Sat Legislation's sov'reign pow'rs!
From Marking wildly-scatter'd flow'rs,
As on the banks of Ayr I stray'd,
And singing, lone, the ling'ring hours,
I shelter in thy honour'd shade.

Ⅱ.
Here wealth still swells the golden tide,
As busy Trade his labour plies;
There Architecuture's noble pride
Bids elegance and splendour rise;
Here Justice, from her native skies,
High wields her balance and her rod;
There learning, with his eagle eyes,
Seeks science in her coy abode.

Ⅲ.
Thy sons, Edina! social, kind,
With open arms the stranger hail;
Their views enlarg'd, their liberal mind,
Above the narrow, rural vale;
Attentive still to sorrow's wail,
Or modest merit's silent claim;
And never may their sources fail!
And never envy blot their name!

Ⅳ.
Thy daughters bright thy walks adorn,
Gay as the gilded summer sky,
Sweet as the dewy milk-white thorn,
Dear as the raptur'd thrill of joy!
Fair Burnet strikes th' adoring eye,
Heav'n's beauties on my fancy shine;
I see the Sire of Love on high,
And own his work indeed divine!

Ⅴ.
There, watching high the least alarms,
Thy rough, rude fortress gleams afar,
Like some bold vet'ran, gray in arms,
And mark'd with many a seamy scar:
The pond'rous wall and massy bar,
Grim-rising o'er the rugged rock,
Have oft withstood assailing war,
And oft repell'd th' invader's shock.

Ⅵ.
With awe-struck thought, and pitying tears,
I view that noble, stately dome,
Where Scotia's kings of other years,
Fam'd heroes! had their royal home:
Alas, how chang'd the times to come!
Their royal name low in the dust!
Their hapless race wild-wand'ring roam,
Tho' rigid law cries out, 'twas jus!

Ⅶ.
Wild beats my heart to trace your steps,
Whose ancestors, in days of yore,
Thro' hostile ranks and ruin'd gaps
Old Scotia's bloody lion bore:
Ev'n I who sing in rustic lore,
Haply, my sires have left their shed,
And fac'd grim danger's loudest roar,
Bold-following where your fathers led!

Ⅷ.
Edina! Scotia's darling seat!
All hail thy palaces and tow'rs,
Where once beneath a monarch's feet
Sat Legislation's sov'reign pow'rs!
From marking wildly-scatter'd flow'rs,
As on the hanks of Ayr I stray'd,
And singing, lone, the ling'ring hours,
I shelter in thy honour'd shade.

感想:ブラザーバーンズがジャマイカ移住を断念してモスギールからエディンバラに移り住んだ際に詠まれたものかと思います。エディンバラの描写とやはり女性が美しい事、建築や商売が非常に盛んな事が描かれわかりやすいかと思います。彼はこのエディンバラ移住後に様々な波乱を経て約10年でリウマチ熱で亡くなります。かつてより美しさと同時に棘を持つアザミの花のような街であり続けたのかもしれません。
2013-07-14 10:06 | カテゴリ:スコットランド
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
まあ行った人はわかるかと思いますが、エディンバラ城の眼の前にある二つの名物の博物館風の観光地の一つです。ウィキペディアではカメラ・オブスクラという日本語の項目で解説されていますので一部転載します。

カメラ・オブスクラ(英語:camera obscura、camerae obscurae、ラテン語で「暗い部屋」の意味。カメラ・オブスキュラ、カメラ・オブスクーラとも)は、素描を描くために使われた光学装置のこと。写真術発明にあたり重要な役割を果たした装置で、写真撮影用の機械を「カメラ」と呼ぶのはカメラ・オブスクラに由来する。最初に「カメラ・オブスクラ」という言葉を用いたのはヨハネス・ケプラー(1571年–1630年)とされる。
カメラ・オブスクラの原理は、ちょうどピンホールカメラと同じようなものである。原始的なタイプのカメラ・オブスクラは、部屋と同じくらいのサイズの大きな箱を用意し、片方に小さな針穴(ピンホール)を開けると外の光景の一部分からの光が穴を通り、穴と反対側の黒い内壁に像を結ぶというものであった。画家がこの箱の中に入り、壁に映った像を紙の上に描き移すことで、実際の光景とそっくりの下絵をつくるという使い方がされた。

遠近法の精密な風景画の種明かしがこれなのですね。昔はよく学研なんかの付録付き雑誌の特典でピンホールカメラの原理を利用したものがあったりしましたが、このエディンバラのカメラオブスキュラはそれの拡大版でエディンバラの光景を鏡で反転して地面に写して皆でその光景を見るという形のものです。レンズも利用しているのかと思いますが(確か解説では当初からのピンホールカメラの原理のみでレンズは利用していなかったと思います。)、ピンホールカメラのように光の屈折の技術を利用しているのだと思います。現代版の監視カメラの画像のような役割があるわけですが、一応民会の人で集まって十数人で周りで確認しながら物事を目撃できるというところなのでしょうか。1788年からあるそうでその頃には恐らくこの監視カメラとしての機能は非常に有効に機能したのではないでしょうか。実際にその画像を見ると非常に鮮明で細密な風景画のようでそれでいて人々が動いていて映写機やテレビとは異なる光の加減で非常に魅惑的でありました。
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ホームページがありましたがレビューしかありません。スコットランド観光局のカメラオブスキュラの歴史解説のページもありました。入場料は6.5ポンドのようです。日本円にすると1000円くらいで、要は双眼鏡でのぞくのと変わらないという話なので少し考えるところだと思いますが、実際はその他の映像技術のアミューズメントの数々の展示が非常に面白いので格安なんだと思われます。
実は私もこの明らかな観光地らしいアミューズメントに少し引き気味で行こうかどうか迷っていたのですが、どうも明らかにAll Seeing Eyeの形をしたシンボルマークに恐らくフリーメイスンが経営しているのだとは想像できていて、かなり様子を探ってから行くこととしました。
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日本の市章でありそうですね。
では実際に撮った写真を挙げていきます。
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カメラオブスキュラのドームとハブの尖塔です。ブラザーバーンズの詩にうたわれたドームはこのドームでしょうか。ロイヤルマイルズのドームはこのくらいだと思います。
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足元にはやはりパーフェクトアシュラーのシンボルがあります。W↑D NeIXとあります。何かの記号だとは思いますが、どういう意味なんでしょう。ぜひ皆さん考えてみてください。
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これは何なんでしょうね。アーサー王なのかロバートドゥブルースなのかというと恐らくロバート1世の方なんだと思いますが、ウィリアム・ウォレスなのかもしれません。映画ブレイブハートの衣装の事を考えるとウィリアム・ウォレスのようです。まあ良くはわかりませんが観光客向けのサービスだと思われます。
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これはカメラオブスキュラの売店のところの写真です。床が白黒になっているのを確認しています。特にフリーメイスンリー関連のお土産はありませんでしたが、へんてこなおもちゃみたいなのがたくさん売っていました。店員も別にそれほどの雰囲気はありませんでしたが、入場しないで売店だけ来るといまいちな雰囲気でした。入場しようかどうか迷っていたのですが、一旦下に下ることとしました。
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ブラザーロバート・バーンズの名前を冠したパブに行って昼ごはんのハギスを食べました。なかなかおいしかったのですが、その後変なおならが続いて困りました。店主が以前に話したフリーメイスンでした。店はあまり繁盛しておらず主にサッカー応援に力を入れている様子でした。兄弟か親戚がグランドロッジの学会のプレコンサートかその後かに出席すると言っていましたが、会うことはありませんでした。そこでロイヤルマイルズに20ほどのロッジがあり、カメラオブスキュラもそうだと聞いてやっぱり行っとこうと引き返します。
ここでもやはりブラザーロバート・バーンズの有名な詩を紹介することとします。

ハギスのために

正直なおまえの笑顔に幸いあれ!
腸詰一族の偉大な王よ、
おまえはその連中の上にどっかと腰をおろしている、
     胃袋や腸や内臓の上に。
おまえはおれの長い腕くらい
     長ったらしい食前の祈りにふさわしい立派な食べ物だ。

皿せましとどっさり山のように盛られているおまえ、
おまえの尻はまるで遠くに見える山のようだ。
おまえの焼き串、まさかのときには、
     粉挽機の修繕に大活躍だ。
やがて、おまえの毛穴から滴がしたたり落ちる、
     琥珀色の玉のような滴が。

見ろ! 田舎者労働者がナイフをぬぐい、
器用におまえを切り刻んでいく。
切り込みを入れるたんびに、
     鮮やかな中身がどっとあふれ出る、まるでどこかの溝のように。
そして、その時、おお、なんという神々しい姿か、
     もうもうと湯気が立ちのぼり、なんと豪勢なことか。

それから、一さじ一さじ手を伸ばし、せっせせっせと大奮闘。
遅れた者には見向きもせず、むさぼり食らいつく。
とうとうやつらの胃袋は
     はちきれんばかりの太鼓腹。
それから亭主、今にも爆発しそうな腹を抱えて、
     食後の祈りをぶつぶつと口にする。

フランス風煮込みや
雌豚さえも見向きもしないごった煮や
吐き気を催す蒸し焼き料理を食らいつき、
     こんな立派なご馳走を
軽蔑の目つきであざ笑い、
     見下すやつはどこにもいやしない。

哀れなやつを見ろ! つまらぬものばかり食べているやつめ。
しなびた草のように弱々しい。
脚はクモのように細長く、お上品な鞭みたいだ。
     握り拳はせいぜいクルミの大きさ。
血なまぐさい戦場に突進するなんて
     どだい無理なこと。

それにひきかえ、ハギスで育った田舎者を見ろ。
歩むたんびに大地は震え、こだまする。
その大きな握りこぶしに剣を持たせてみろ。
     ぐるぐる振ってひゅーひゅー風を起こし、
敵の脚も腕も頭もスパリスパリと切りまくる、
     まるでアザミの穂先を切るように。

ああ、天使様。あなたは人類を庇護したまい、
献立表を見せてくださる。
古き良きスコットランドには水っぽい食べ物など用はない、
     器の中でじゃぼじゃぼ音のするような。
しかし、天使様、あなたが感謝の祈りをお望みなら、
     スコットランドに、与えたまえ、ハギスを!

To a Haggis

[The vehement nationality of this poem is but a small part of its merit. The haggis of the north is the minced pie of the south; both are characteristic of the people: the ingredients which compose the former are all of Scottish growth, including the bag which contains them; the ingredients of the latter are gathered chiefly from the four quarters of the globe: the haggis is the triumph of poverty, the minced pie the triumph of wealth.]

Fair fa' your honest, sonsie face,
Great chieftain o' the pudding-race!
Aboon them a' ye tak your place,
Painch, tripe, or thairm:
Weel are ye wordy o' a grace
As lang's my arm.

The groaning trencher there ye fill,
Your hurdies like a distant hill,
Your pin wad help to mend a mill
In time o' need,
While thro' your pores the dews distil
Like amber bead.

His knife see rustic-labour dight,
An'cut you up wi' ready slight,
Trenching your gushing entrails bright
Like onie ditch;
And then, O what a glorious sight,
Warm-reekin, rich!

Then horn for horn they stretch an' strive,
Deil tak the hindmost, on they drive,
'Till a'their weel-swall'd kytes belyve
Are bent like drums;
Then auld Guidma, maist like to rive,
Bethankit hums.

Is there that o'er his French ragout,
Or olio that wad staw a sow,
Or fricassee wad mak her spew
Wi' perfect sconner,
Looks down wi' sneering, scornfu' view
On sic a dinner?

Poor devil! see him owre his trash,
As feckless as a wither'd rash,
His spindle snank a guid whip-lash,
His nieve a nit;
Thro' bloody flood or field to dash,
O how unfit!

But mark the rustic, haggis-fed,
The trembling earth resounds his tread,
Clap in his walie nieve a blade,
He'll mak it whissle;
An'legs, an' arms, an' heads will sned,
Like taps o' thrissle.

Ye pow'rs wha mak mankind your care,
And dish them out heir bill o' fare,
Auld Scotland wants nae stinking ware
That jaups in luggies;
But, if ye wish her gratefu' pray'r,
Gie her a Haggis!

感想:実際に食べてみてブラザーロバート・バーンズの詩を読んでみてください。ハギス自体は羊のいわゆる日本で言うホルモンでお肉の一番おいしい部分だと思われます。味付けが大体いわゆる胡椒と塩とウィスキーでいわゆる肉肉しい肉です。まあいわゆるソウルフードなのだと思います。日本で言うと豆腐や納豆、味噌汁や米といった植物系ですがあちらは狩猟民族で肉なのですね。ちなみにフリーメイスンリー歴史学会では昼食でハギス入りのパイがありました。同時にステーキ入りのパイもありましたがほとんどの人はステーキ入りのパイを選んでいました。ハギスはいわゆるミンチなので何か入っていてもわからないのですね。パイ包みになっていると見た目が気にならないので良い食べ方だと思いました。
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ハギスの作り方のホームページをリンクしておきます。ハギスの輸入は現在狂牛病の関係だと思いますが輸入が制限されているそうです。ベジタリアンハギスというなんだか意味がわからないものが売っています。こういうところもフリーメイスンリーなんですね。毎年1月25日のブラザーロバート・バーンズの誕生日にはバーンズナイトと言って、皆でハギスを食べるバーンズサパーを行うそうです。その際には上記のハギスの詩を朗読するそうです。最後はAuld Lang Syneで締めるそうです。

ちなみに1月24日~1月31日にかけては有名なフリーメイスンの生誕日、忌日が続きます。どうもユダヤ教のTu B'Shvatトゥビシュヴァット樹木の新年の祝日と関係があるようです。解説をコピペします。(このリンクページはセキュリティーソフトがアラートします。注意してください。)

シュヴァットの月の15日がこの樹木の新年にあたります。木を植えて最初の3年は果実を採ってはいけません。 樹齢を数えるために木に新年を設け、この日が来たら1年経ったということになります。 ちなみに4年目の果実は神への捧げ物となり、5年目にやっと食べる事ができるのです。
この日は植林の日でもあり、子供たちが野山に木を植える習慣があります。
レビ記 19章 23-25節 「あなたたちが入ろうとしている土地で、果樹を植えるときは、その実は無割礼のものと見なさねばならない。それは三年の間、無割礼のものであるから、それを食べてはならない。四年目にすべての実は聖なるものとなり、主への賛美の献げ者となる。五年目にあなたたちはその実を食べることができる。こうすれば収穫は増し加えられる。わたしはあなたたちの神、主である。」

ユダヤ暦のウィキペディアをリンクします。参照してください。
9月後半から10月前半がスコット、仮庵の祭りといい、モーゼが出エジプトした際の仮の神殿を作ったことを記憶する祭りな訳で、ちょうど12星座のてんびん座の時期です。私もてんびん座なのですが、どうもスコットランドの記事をこう長々と書いているのもそういうご縁から来るようです。どうにもこうにもです。(ちなみに私の生まれ年のユダヤ暦では新年3日目だそうです。あまり直接的に関係あるわけではなさそうです。まあ仮庵の祭りの象徴であるテントもフリーメイスンリーの象徴となり、ライオンとユニコーンのタペストリーなどでも認めたりします。スコットということでダジャレなんでしょうね。)

では続きです。
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まあ要するにみんなロッジなんですね。この変な看板もフリーメイスンが作ってると思うと少し違います。かな。
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これはハブの尖塔でしょうか。しかしキリスト教で建てたものを観光案内所にするってのも激しいですね。
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原理が良くわかるわかりやすい看板です。
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最初に屋上のところにあるカメラオブスキュラを30分ごとの解説の時間を待って見学します。終始英語でほとんどわかりませんが、まあ一人一人の様子を解説の人が反応を見ていると言った感じで内容はあまり難しくないようです。まあ観光客がその仕組みに関心があるというよりも、管理人の方が観光客に関心があるという感じではないでしょうか。その後一番上の5階から下に徐々に降りていく感じですが、最近は日本では少なくなっただまし絵やトリックアートを見ていく感じでしょうか。ところどころフリーメイスンリーのシンボルがあります。これはだまし絵では有名なブラザーマウリッツ・エッシャーの絵です。
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これはわかりやすいAll Seeing Eyeの形でしょうか。その他も非常に面白いトリックアートや視覚を利用した体験型の展示がたくさんあって、子供連れであれば2~3時間は過ごせるのではないでしょうか。大人の見学者は少なかったですが恐らくフリーメイスンリーなどの関連の展示の博物館よりはこちらの方が大概の人は面白いのではないでしょうか。
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こういうのもあります。フリーメイスンリー嫌いの人には辛そうです。
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これは自動オルガンでしたかね。白黒の床があり芸が細かいです。
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これはなんか古い写真の展示かでしたかね。わざわざ大鎌のシンボルであります。多分若いフリーメイスンが一生懸命なんでしょうね。
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その他楽しい展示がたくさんありました。最後はなんだか夢から覚めたみたいな感じで、手軽なフリーメイスンリー体験な感じでもありました。何かお土産を買っていこうかと思いましたが、あくまで子供向けの商品しか認めませんでした。まあかなり力を入れた展示ということでした。外から写真を撮ったのですが、明らかにフリーメイスンリーという表示はありませんでしたね。紋章が多少そういうのがあるのでしょうかね。この後はこのすぐ前にあるウィスキーエクスペリエンスに行きます。

(カメラオブスキュラのフリーメイスンリー的な重要性はなかなか普通には理解しがたいかもしれません。民会が発達したエディンバラでは現代の監視カメラに代わる科学設備が18世紀から存在したということなのです。ブラザーディーコン・ブロディーの犯罪の立証にしても科学的証拠や多くの人の立ち会いが必要になるということかと思います。現代日本で警察が取り調べの記録を拒むなどエディンバラではありえない考えということです。)
2013-07-14 23:36 | カテゴリ:スコットランド
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
どうも記事は沢山書いているのですがなかなか皆さんが期待するような秘密の話になっていないのか、読者が増えない今日この頃ですが、なんだかこちらが期待しないようなマスコミ関係の方の固定の読者の方は多いようであまり面白くないあれですが、まあ色々フリーメイスンリーが浸透している成果と考えてどんどん書き進めることとします。

この項目もあれなんですが、個人的にスコットランドではほとんどお酒を飲むこともなくフリーメイスンリー歴史学会とエディンバラ周辺の観光に動きまわっていて、ウィスキーエクスペリエンスでたった一杯ウィスキーを飲んだのだけがほぼ味わったお酒であったわけですが、これがまあほぼ人生で最初に飲んだシングルモルトであったのだと思いますが、非常においしかったわけです。それで一応帰国後に近所でシングルモルトウィスキーを買ってきて味わって、非常においしいと味わっていたわけですが、同時にブラザーロバート・バーンズの詩を読んでいてまた非常に面白いウィスキーについて詠んだ詩があったわけで、ウィスキーエクスペリエンスと関係なくその詩を紹介しようかと考えていたのですが、結局エディンバラの観光案内も書きすすめてここまできたのでここでその詩も紹介することとします。

まあこのブログも特にテレビで都市伝説とかそういうので紹介されて見る若年層が多いようで、検索ワードなどを見てもほとんどがこれは10代から20代でまああまり知的レベルが高くないかなという感じが多かったわけですが、やはり専従でマスコミ関係の方が御覧になっているようで、その方々はやはり一応日本の文系の知性を持っているわけですが、いかんせんブラザー西周やブラザー津田真道が導いた日本の文科系大学の知性も戦後の特にアメリカ系フリーメイスンリーが主に軍人系が多かったこともあり、戦前のようにデカンショ節とはいかないなかなかフリーメイスンリーについて帝都物語の作者で知るような方が中心という知識階層となってしまうのかもしれませんが、いずれにしてもシングルモルトウィスキーの味がわかるようになるのはかなりの知的レベルが必要かと思い、是非ブラザーロバート・バーンズの詩集を買い求められてシングルモルトウィスキーを味わうのを手始めに哲学書でも読破する知的リフレッシュをこの猛暑にチャレンジされて、フリーメイスンリーの求める高み(低み?)に挑んでみてはいかがでしょうか。

まあ下らない前書きはさておきスコットランド観光案内です。
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逆光写真の中では比較的うまく撮れている方でしょうか。監視カメラがロッジっぽいですかね。
あまりウィスキーについて知識もなく興味もなかったのでいかないつもりであったのですが、前述の通り下の方のブラザーロバート・バーンズの名前のパブのマスターからロイヤルマイルズのロッジの話を聞いたので、恐らく一番目立つところにあるこちらのウィスキーエクスペリエンスもフリーメイスンリーの関係であろうということで、この後ロスリン礼拝堂になんとか巡ろうと考えていたその前の時間になんとか回ろうと並ぶこととします。どうも他のブログを読むとウィスキーの全てを味見するセットとか色々チケットの値段も違ったようですが、よくわからなかったので普通のチケットを買って20分ほど待ったでしょうか。30分ごとのツアーだったと思います。日本語の解説ページがありました。通常の入場料は11.5ポンドだそうですが、19.5ポンドでお土産のモルトウィスキー付きのようです。いろいろ口コミサイトに書いてあるので参考にしていただけると幸いですが、どうも日本人観光客で口コミサイトやブログを書くような方には大好評のようで、非常に多くの記事が出てきます。まあ色々スコットランド観光もストレスが多いのでしょう。確かにあれだけ大っぴらに日本で言うと焼酎みたいな酒を丹念に飲める場所は他にありません。ウィスキーの樽の形をした乗り物に乗ってアトラクションのようにウィスキーの歴史と作り方を教わるのですが、口コミサイトにも書いてある通りディズニーランドのアトラクション、イッツアスモールワールドのような形でしょうか、10数カ国語に対応しているというので、エディンバラで日本語が聞けるのはこことエディンバラ城位しかないのではないでしょうか。スコットランド訛りの英語はほとんど聞き取れないかと思いますので、じっくりとウィスキーの作り方とウィスキーの味わい方を学んで試飲すればほとんどの人がウィスキーが好きになるかと思います。良くできたアトラクションです。さすが飲み屋で生まれた飲兵衛のクラブであるフリーメイスンリーの本場の飲兵衛教育機関です。まあ日本でウィスキーといえばもちろんサントリーであったりするわけですがもちろん三鳥居とかスコットランド人が皆教えたとか、まあサントリーといえばクラシック音楽でもかなり貢献している企業で、日本で現在最も清涼飲料水で売り上げているようです。もちろんスコットランド人ブラザーグラバーがビールの製法を教えたという、坂本龍馬から名前が付いたと言われるキリンもそういう関連ということになるかと思います。
さてウィスキーエクスペリエンスの方ですが、ウィスキーの製法や歴史を聞くわけですが、どうも覚えている限りではウィスキーの独自のフレーバーというのはそもそも蒸留酒でほぼ純粋アルコールに近い形の原酒の段階では香りがほとんどないようで、酒税の関係で作った蒸留酒を樽に入れて隠して保存していた結果その樽の匂いが移ったのが現在のウィスキーのフレーバーの元だそうです。要するに樽についている木のにおいが移るのでしょうね。わかりやすいブログがありましたのでリンクしておきます。他にもありました。どうも皆さん非常に好印象で皆さんブログに書いているようです。恐ろしい酒の神です。
ここではアトラクションで一通り教育を終えた後にテイスティングがあります。テイスティング用のグラスを渡されてフレーバーの匂いのする紙を渡されて好みのフレーバーのウィスキーを入れてもらってテイスティングの仕方を教わって飲みます。その紙は捨ててしまったのですが、他のブログで検索した内容によると、ローランドは柑橘系の果物の香り、ハイランドはバニラとかスパイスの香り、スペイサイドはバナナやアプリコットなんかのフルーティーな香り、アイラは土のような漢方薬のような香りがするとのことでした。まあそれもこれもシングルモルトの場合であって、それもスコットランド限定なわけですが、普通大体のウィスキーというやつはブレンディッドと言って、それらシングルモルトを元にして何種類もの年数の違うものを混ぜて味を作るそうです。どうもブレンディッドに悪印象を持ってしまうのがこのウィスキーエクスペリエンスの副作用のようですが、ブレンディッドにも色々仕組みがあって、混ぜたシングルモルトで最も新しい年数のものの年数を表示するとか色々ルールがあるようです。スコッチウィスキーについてのウィキペディアがありますので参照してください。
テイスティング用のグラスは上記の他の方のブログを参照していただきたいのですが、日本でも購入できるようです。

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これがそのままウィスキーエクスペリエンスで配られるテイスティンググラスと同じだと思います。ほぼ入場料はグラスとウィスキーの実費なのですね。フリーメイスンリーですねえ。これはもちろんストレートで味わうようなのですが、これに入れて、色と香りをテイスティングするわけです。クルクルと回してその際に匂いと垂れる様子を見て評価するそうです。
後は個人で集めたコレクション、恐らくフリーメイスンのウィスキーのプロの方なんだと思いますが、ディアジオ・クレイブ・ビディズという方が集めたコレクションを見ながら味わいます。
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MacやMcという接頭詞はスコットランド特有の名前で~の子供という意味だそうですが、マクドナルドやマッカーサー、マクダネル、マッキンリー、マッキントッシュ、マッカートニー、マクガヴァン、マグワイヤ、マクナマラ、マクベス、マクラ―レンなど皆さんよく知った有名人や会社や商品の名前であるかと思います。
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そういえばマクドナルドも何かキャンペーンをやっていたかと思います。スコッチウィスキーを飲みながら味わうとまた違った感慨があるかもしれません。
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色々な瓶がありますがあからさまにフリーメイスンリーというものはありませんね。飲兵衛を刺激してはいけません。
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というわけでエディンバラ城と同じくチェスのチェッカーボードがあるわけですね。やはりこの辺はエディンバラ独特という感じでしょうか。どうもスコットランドグランドロッジにはチェスクラブもあるそうです。チェスもそういえばAppleのコンピューターには全てChess gameが載っているかと思います。現在のWindowsXP後のOSにも皆チェスが載っているようです。こんなところにもシンボリズムの教訓がありましたね。
さて皆さんが飲兵衛になるようにというわけではないですが、フリーメイスンリーらしいウィスキーを紹介しておきます。
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Old Master - Freemason Whiskyというそうです。どうも日本には輸入はされていないようです。
日本でも買えるウィスキーとしてはこちらがあります。
RB_Blend-BottleVisual_20.pngRB_Malt BottleVisual copy_1
ROBERT BURNS BLEND THE ROBERT BURNS

さてでは本題ともいえるブラザーロバート・バーンズの詩です。

スコットランドの酒よ

絶望に打ちひしがれている者に
 もうろうとするほど強い酒を与えよ。
悲しみと不安で踏みにじられている者に
 血を燃やす良い酒を与えよ。
溢れ出る満杯の杯を与え、
 痛飲泥酔させよ、
そうすれば、人は恋も借金も忘れ去り、
 もはや自分の悲しみで苦しむことはない。
(『ソロモンの箴言』、31章6-7節)

あんな詩人どもには大騒ぎさせてやれ、
フランスのぶどう、ぶどう酒、酔いどれバッカスども、
七面倒くさい名前、わしらを苦しめ耳をけがす戯言で、
     あんな詩人どもには大騒ぎさせてやれ、
わしのほうは、グラスやジョッキを傾け、
     スコットランドの大麦が造る酒をたたえよう。

おお、おまえ、わしの詩神よ! 古きスコットランドの名酒よ!
虫のように曲がりくねったわしの五体を、おまえがものの見事に駆け巡り、
濃い褐色の液体が見事に泡だち、
     器のふちから溢れだし、
ついには、舌ももつれもうろうとするほど、わしに霊感を与えよ、
     おまえの名前をたたえさせよ!

殻ばかりの小麦に川辺を飾らせ、
オートムギには穂の先を立たせ、
エンドウマメとインゲンマメには朝に夕べに、
     広野を芳香で満たさせろ、
おまえ、ジョン・バーレイコーンよ、今後ともよろしくな、
     おまえ、穀類の王よ、よろしくな!

柔らかな麦粉のパンケーキとして選び抜かれたおまえよ、
スコットランドでは、おまえはよく、もぐもぐ食べられている!
また、キャベツや牛肉と一緒に煮えたぎる大汁の中にも
     流し込まれる。
だが、強い心臓の血液(ウイスキー)が注ぎ込まれると、
     そこでおまえは光り輝く。

食物が胃袋を満たし、わしらは生き続けられる。
しかし、苦痛と悲痛とで無残にのた打ち回る時、
この生命(いのち)の賜物も、授かるだけの値打ちのない物に堕してしまう。
          だが、おまえが油を注いでくれたら、
生命の車輪は、ころころ丘を下り、
     歓喜にあふれ駆け抜ける。

おまえは、老いぼれ学者の頭を研ぎ澄ましてくれる。
おまえは、打ち沈む不安な心を勇気づけてくれる。
おまえは、疲れ果ててつらいときでも、
     苦しい仕事の中で神経を緊張させてくれる。
おまえは、陰気な中に微笑を浮かべ、
     暗い絶望を明るく輝かしてくれる。

時々おまえは、銀色の衣で重々しく装い、
上流紳士たちの中で、毅然と立っている。
だが、まさかの時には身を屈して優しくなり、
     貧者のぶどう酒となってくれる。
おまえは、貧乏人の僅かなパンにもオートミールのおかゆにも、
     見事に味付けをしてくれる。

おまえは、大衆居酒屋の生命。
おまえがいなければ、わしらの祭りやばか騒ぎもどうなることやら。
聖者が集まる神聖な会のときも、
     おまえは霊感を与え、
信者が野外の説教壇を囲んで、ぽかんと口を開けているときも、
     二重に霊感を与えて燃やしてくれる。

オートムギを収穫するあの楽しい夜、
おまえは角製の杯の中でうまそうに泡立つ!
また新年の朝、湯気を立てている
     木製の椀(わん)や杯のなかでも泡立ち、
そしてほんの数滴、その中に火酒(スピリッツ)をたらし、
     うまい砂糖を入れるのだ!

鍛冶屋の神様がふいごに息を与え、
農夫が農具を持って鍛冶屋に集まるとき、
本当に素晴らしい! おまえが耳つき杯の中で
     シューシューと泡立つのを見るのは!
そのときの一杯、鍛冶屋は舌鼓一つ打つごとに
     息絶えるばかりに火と燃えあがる。

そのとき、鉄やはがねに情けは無用。
若い節くれだった骨太農夫が
鍛冶屋と相槌(あいづち)打つために、力まかせにぐるぐると、
     頑丈な大槌を振りかざし、
ついには台盤と鉄床(かなどこ)を鳴り響き踊らせる、
     耳つんざく轟音たてながら。

赤ん坊が泣きながら生まれるとき、
おまえは近所隣りの口さがない連中をべらべらしゃべらせる、
ばか亭主どもが本当に不器用で、恋女房を粗末にしているのに、
     恋女房と呼んでいるのを聞くとあきれるのだ!
産婆は一夜の饗宴に招かれることもなく、
     わずかの報酬を亭主どもから貰うこともない。

近所の連中が訴訟起こして、
いがみ合い狂い回るとき、
大麦の蒸留酒が、なんと見事簡単に
     争いを和解させ、友情を固めてくれることか!
酒樽を味わえば
     それがいつも最低の弁護士費用となるのだ。

ああ、悲しい! わしの詩神には
同郷人を裏切り者としてとがめるだけの理由があるのだ!
それなのに、毎日大勢の喉を潤させて頂けるのは
     この見事なお酒のおかげ、
まして冬の季節には、
     その値段を問うのも愚かだ。

呪われよ、あのブランデーなど、燃えるにせものの酒よ!
みんなに苦痛と病気をもたらす憎々しい元凶よ!
大勢の貧しい、愚かな飲んだくれのばか連中から
     寿命の半分を奪い取っていやがる。
あげくの果てに、愛すべきスコットランドのお金が
やつら最悪の仇敵に渡ってしまうとは。

スコットランド人よ、古きスコットランドの栄光を願う者よ、
きみたち長たる者よ、哀れな文なしろくでなしのわしではあるが、
わしはおまえたちに言おう、
     おまえたちには似合わんぞ、
苦くて高いぶどう酒や異国の情婦に、
     手を出すなんて。

腎石があいつの膀胱の中でねじ曲がってしまえ、
痛風があいつをずきんずきんと苦しめろ、
そうすれば、あいつは顔をしかめうめき出し
     むかつき、あからさまに軽蔑顔をするだろう、
わしが一杯のウイスキー・パンチを正直連中と
     酌み交わすときにだ!

おお、ウイスキーよ! 遊びと戯れの真髄よ!
吟遊詩人の心からの感謝を受けとめてくれ!
おまえが居ないと、わしの哀れな詩は
     調子外れて、絶叫に堕してしまう!
おまえさえ居てくれれば―わしの詩は配列順序見事に、
     それぞれ、位置を整然と占めてくれるのだ!

おまえ、名高きフェリントッシュ蒸留所よ! ああ、特権奪われた悲しい所よ!
スコットランドよ、国じゅう津々浦々でそのために嘆き悲しめ!
今や、腹が激しく差し込み、空咳(からぜき)で苦しめられ、
     わしらはみんな殺されるかもしれない。
忠義の士フォーブスに認められていた蒸留所特許の誇りが
     奪い取られてしまったからだ!

あの呪われた収税役人のくそ豚野郎どもめ、
あいつらがウイスキー蒸留器を戦利品として略奪していきやがる!
魔王よ、おまえの手を貸してくれ! それ1、2の、3だ!
     それ、あの密告野郎を捕まえろ!
地獄に落とされてしまった哀れなわしの酒飲み仲間のために、
     あいつらを硫黄づけのパイに焼き上げてしまえ。

幸運の女神よ、もしおまえがいつでも
丈夫なズボン一つと、麦粉のパンケーキ一個と、一杯の酒と、
思いっきり歓喜を歌いあげる詩を沢山くれさえすれば、
     ほかの物など何もいらん、
そこでは、おまえの優れた技が夢想の中で自由奔放に振る舞い
     おまえを最高にもって行ってくれるのだ。

Scotch Drink

"Gie him strong drink, until he wink,
That's sinking indespair;
An' liquor guid to fire his bluid,
That's prest wi' grief an' care;
There let him bouse, an' deep carouse,
Wi' bumpers flowing o'er,
Till he forgets his loves or debts,
An' minds his griefs no more."--SOLOMON'S PROVERB, xxxi. 6, 7.

["I here enclose you," said Burns, 20 March, 1786, to his friend Kennedy, "my Scotch Drink; I hope some time before we hear the gowk,
to have the pleasure of seeing you at Kilmarnock: when I intend we shall have a gill between us, in a mutchkin stoup."]

Let other poets raise a fracas
'Bout vines, an' wines, an' dru'ken Bacchus,
An' crabbit names and stories wrack us,
An' grate our lug,
I sing the juice Scotch bear can mak us,
In glass or jug.

O, thou, my Muse! guid auld Scotch drink;
Whether thro' wimplin' worms thou jink,
Or, richly brown, ream o'er the brink,
In glorious faem,
Inspire me, till I lisp an' wink,
To sing thy name!

Let husky wheat the haughs adorn,
An' aits set up their awnie horn,
An' pease an' beans, at e'en or morn,
Perfume the plain,
Leeze me on thee, John Barleycorn,
Thou king o' grain!

On thee aft Scotland chows her cood,
In souple scones, the wale o' food!
Or tumblin' in the boilin' flood
Wi' kail an' beef;
But when thou pours thy strong heart's blood,
There thou shines chief.

Food fills the wame an' keeps us livin';
Tho' life's a gift no worth receivin'
When heavy dragg'd wi' pine an' grievin';
But, oil'd by thee,
The wheels o' life gae down-hill, scrievin',
Wi' rattlin' glee.

Thou clears the head o' doited Lear;
Thou cheers the heart o' drooping Care;
Thou strings the nerves o' Labour sair,
At's weary toil;
Thou even brightens dark Despair
Wi' gloomy smile.

Aft, clad in massy, siller weed,
Wi' gentles thou erects thy head;
Yet humbly kind in time o' need,
The poor man's wine,
His wee drap parritch, or his bread,
Thou kitchens fine.

Thou art the life o' public haunts;
But thee, what were our fairs an' rants?
Ev'n godly meetings o' the saunts,
By thee inspir'd,
When gaping they besiege the tents,
Are doubly fir'd.

That merry night we get the corn in,
O sweetly then thou reams the horn in!
Or reekin' on a new-year morning
In cog or dicker,
An' just a wee drap sp'ritual burn in,
An' gusty sucker!

When Vulcan gies his bellows breath,
An' ploughmen gather wi' their graith,
O rare! to see thee fizz an' freath
I' th'lugget caup!
Then Burnewin comes on like Death
At ev'ry chap.

Nae Mercy, then, for airn or steel;
The brawnie, bainie, ploughman chiel,
Brings hard owrehip, wi' sturdy wheel,
The strong forehammer,
Till block an' studdie ring an' reel
Wi' dinsome clamour.

When skirlin' weanies see the light,
Thou maks the gossips clatter bright,
How fumblin' cuifs their dearies slight;
Wae worth the name!
Nae howdie gets a social night,
Or plack frae them.

When neibors anger at a plea,
An' just as wud as wud can be,
How easy can the barley-bree
Cement the quarrel!
It's aye the cheapest lawyer's fee,
To taste the barrel.

Alake! that e'er my muse has reason
To wyte her countrymen wi' treason!
But monie daily weet their weason
Wi' liquors nice,
An' hardly, in a winter's season,
E'er spier her price.

Wae worth that brandy, burning trash!
Fell source o' monie a pain an' brash!
Twins monie a poor, doylt, druken hash,
O' half his days;
An' sends, beside, auld Scotland's cash
To her warst faes.

Ye Scots, wha wish auld Scotland well,
Ye chief, to you my tale I tell,
Poor plackless devils like mysel',
It sets you ill,
Wi' bitter, dearthfu' wines to mell,
Or foreign gill.

May gravels round his blather wrench,
An' gouts torment him inch by inch,
Wha twists his gruntle wi' a glunch
O' sour disdain,
Out owre a glass o' whiskey punch
Wi' honest men;

O whisky! soul o' plays an' pranks!
Accept a Bardie's gratefu' thanks!
When wanting thee, what tuneless cranks
Are my poor verses!
Thou comes--they rattle i' their ranks
At ither's a----s!

Thee, Ferintosh! O sadly lost!
Scotland lament frae coast to coast!
Now colic grips, an' barkin' hoast,
May kill us a';
For loyal Forbes' charter'd boast,
Is ta'en awa.

Thae curst horse-leeches o' th' Excise,
Wha mak the whiskey stells their prize!
Haud up thy han', Deil! ance, twice, thrice!
There, seize the blinkers!
An' bake them up in brunstane pies
For poor d--n'd drinkers.

Fortune! if thou'll but gie me still
Hale breeks, a scone, an' whiskey gill,
An' rowth o' rhyme to rave at will,
Tak' a' the rest,
An' deal't about as thy blind skill
Directs thee best.

感想:表現が消されている横線があるのですが、恐らくブラザーロバート・バーンズはウィスキーを飲みながらこの詩を作ったものかと思います。飲酒は適量で成人になってから。
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2013-07-27 15:20 | カテゴリ:スコットランド
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
 スコットランドの片田舎、
コイル王の名をいただいた土地で、
六月のある晴れた日に、
午後の陽ざしもしだいに陰るころ、
家ではひまな二匹の犬が
外で出会ったことがあった。

 まず一匹は、シーザーと名を呼ばれ、
「ご領主さま」のお慰めに飼われていた。
毛並み、大きさ、口や耳は
スコットランド犬のものではない。
生まれは、はるか海のかなた、
船乗りたちがタラ漁に行く他国だ。

 錠前が付いた文字入りの、立派な真鍮の首輪から
彼が紳士、学者であるとすぐ分かる。
身分が高いにもかかわらず、
それを少しも鼻にかけなかった。
いやむしろ、うろつきまわる雑種犬とでも、
じゃれて一時間ほど過ごすのがつねだった。
教会や市場で、水車小屋や鍛冶屋で、
どんなに汚らしい、もじゃもじゃ毛の犬でも、
見かければ喜んで立ち上がり、
石や小山に、一緒に小便をひっかけた。

 もう一匹は、農夫の牧羊犬、主人の農夫は
詩を作る、賑やかな、威勢のいいやつで、
その犬を親しい友達、仲間にしていた。
気まぐれから、ルーアスと呼んでいた、
その名前は遠い昔、誰も知らない遠い昔に作られた、
ハイランドの歌に出てくる犬にならってつけたもの。

 彼は利口で、忠実な田舎犬で、
いつも溝や石垣を跳び越えた。
正直で、楽しげな、白い筋のある顔の魅力で
いつでも、どこでも友達が出来た。
胸は真っ白だが、背中は黒く、
豊かな毛なみはつやつやしていた。
愛想のある尻尾は、上向きにくるりと
渦巻いて、お尻の上に突き出ていた。

 この二匹が互いに出会いを喜んだこと、
大の仲良しであったことは疑いない。
お付き合いに、鼻をクンクン鳴らして嗅ぎあい、
ネズミやモグラを掘り起こし、
遠出して獲物を探しまわり、
また、気晴らしに咬み合ったりした。
ついにはふざけるのにも疲れ果て、
彼らはお尻をついて腰をおろし、
そこで「万物の霊長」について
長い世間話をし始めた。

   シーザー
 正直者のルーアス君、ぼくはしばしば不思議に思うのだ、
君のような貧乏な犬は、どんな暮らしをしているのかと。
そしてまた、上流階級の生活ぶりを見るにつけ、
貧乏な人はいったいどんな風に暮らしているのかと。

 うちの主人の地主などは、しぼり取れるだけの地代、
石炭、小作料、それにあらゆる使用料を取り立てる。
朝ねぼうして勝手な時間に起きる。
鈴を鳴らして使用人どもを呼びつける。
馬車を言いつける、馬を言いつける。
ぼくの尻尾ほどもある、美しい絹の財布を引っぱり出すと、
その縫い目のすきまから、
王様の顔を打ち出した、ぴかぴかの金貨がのぞいている。

 朝から晩まで、つらい仕事ばかり、
焼いたり、あぶったり、揚げたり、煮たり。
主人たちがまず腹一杯に詰めこむが、
召使たちまでもが彼らの胃袋を
ソース、シチューやくずもので一杯にする。
それは全くの浪費と言うものだ。
猟犬係め、あのちっちゃな、いまいましい偏屈者、
あわれな、下司野郎、あいつでさえ
うちの主人のご領地内に住むどの小作人よりも
もっとうまい料理をしっかり食べている。
それで、貧乏な小屋住みの百姓たちが、何を胃袋に詰めこむのか、
実は、ぼくには見当がつかんのだ。

   ルーアス
 そのとおりだ、シーザーさん、彼らはときに本当につらいのだ。
小屋住みの百姓は、溝を掘ったり、
泥んこの石で垣根を造ったり、
石切場を片づけたり、そんな仕事をする。
自分と妻、ちっちゃな、ぼろ着物を着たたくさんの子供たちを
こういうふうにして彼は養っているのだ。
身を粉にして精一杯働いているおかげで、
彼らはわら葺きの家にちゃんと住んでいられるのだ。

 また彼らが病気になるとか、失業するとか、
ひどい災難に出くわしたときは、
あなたはこう思うだろう、それがもうちょっと長引けば、
彼らはきっと寒さと飢えで死んでしまうと。
ところが、そうじゃない、私にはわけが分からないが、
彼らは、たいがい驚くほど満足している。
それで丈夫な若者たちと、賢い娘たちが、
こんなところから育っていく。

   シーザー
 だけど、それじゃ、見てごらん、君たちがどんなにおろそかにされ、
どなられ、殴られ、ばかにされるかを!
ねぇ、君、お偉いひとたちは、百姓や溝掘り人夫とかいった
そんな人間どもを、ほとんど気にしてはいない。
彼らは、貧乏人たちのそばを、目もくれずに通り過ぎる、
まるでぼくが臭い穴熊に振る舞うような仕打ちをする。

 ぼくは見てきた、うちの主人の地代納金日に、
金の足りない、あわれな小作人たちが、
どれほど土地差配(さはい)人の暴言に耐えしのばなければならなかったかを、
ぼくの胸はいつもえぐられた。
彼は足踏みならして脅し、悪口雑言を浴びせ、
彼らを捕まえるぞ、財産を差し押さえるぞとどなる。
だが彼らは、神妙な顔をして、そこに立ち、
耳を傾け、恐れ、震えていなければならない。

 ぼくには分かる、金持ち連中がどんな暮らしをしているか、
だが、貧乏人という者はきっと惨めな存在にちがいない!

   ルーアス
 彼らは人が思うほど惨めじゃない。
いつも貧乏の瀬戸際で困って暮らしているけれど、
彼らはそんなことにはすっかり慣れっこで、
ちっともそうなることが怖くない。

 それから機会や運のめぐりがとてもよかったりして、
彼らは、多少の貯えを持ち合わせている。
そして余裕のない仕事に疲れていても、
一瞬の休息は快い楽しみなのだ。

 彼らの生活のこよなき慰めは、
その育ち盛りの子供たちと貞淑な妻。
片言を話す幼児たちはほんに自慢の種、
炉辺をすっかり楽しくする。

 そしてときに飲む十二ペニー分のビールは、
その人たちの身体をとても愉快な気分にしてくれる。
彼らは、自分自身の心配事は忘れ去り、
教会や国家の問題を考える。
彼らは、聖職叙任権や牧師たちのことを、
胸に燃える怒りをこめて語るだろう。
さもなければ、新しい課税がどんなものか噂をし、
さらにロンドンの人たちを不思議がる。

 寒々とした万聖節がまわってくると、
彼らは、陽気な刈上げ祝いのばか騒ぎをする。
そのときは、田舎の人たちは、身分にかかわりなく、
みんな一緒になってともに気晴らしに興じる。
「恋」の目くばせ、「頓知」の合戦、「社交」の楽しみは
浮き世の憂さを晴らすのだ。

 年の始まるその楽しい日には、
彼らは戸口を閉めて寒風を防ぐ。
ビールはもくもく泡立って、
心を励ます蒸気を放つ。
煙の立ち登るパイプと、嗅ぎたばこ入れは、
上機嫌で振る舞われる。
元気な年寄りたちは、楽しそうに話し、
子供たちは家の中を騒いでまわる――
そんな子供たちを見ると、私はとてもいい気持ちになって、
嬉しさのあまり子供たちと一緒に吠えたてた。

 だが、あなたの言ったことは全く当たっている。
そういった悪巧みは今どきあまりにしばしば行なわれる。
上品で、正直で、礼儀正しい、
信頼するにたる幹はたくさんあるが、
それらは根っこも、枝ももぎとられてしまう。
ある悪者の傲慢な貪欲を満足させるために、
そいつは、ある生まれのいい主人に取り入って、
ますますひいきにされるのをたくらんでいる。
その主人は、たぶん議員の職を狙って活動に忙しく、
英国のために、その生命まで賭けて――

   シーザー
 いや、なに、君はそのことを何も知らんのだ。
英国のためだと! そんなことは信じられない。
むしろこう言いたまえ、大臣たちの思うまま操られ、
言いなりしだいに、賛成、反対を決めるのだと。
オペラや芝居を観てまわり、
抵当を入れ、ばくちをし、仮装をし、
あるいは、おそらくばか騒ぎして、
ハーグやカレーにふわりと飛んで行き、
漫遊し、一回りして、
「上品趣味」を身につけ、世間を知る。

 また、ウィーンやヴェルサイユでは、
父親の代々の財産を食いつぶし、
マドリードでは大夜会を開き、
ギターを鳴らし、闘牛に挑む。
さらに下っては、イタリアの街並を驚かす、
ギンバイカの茂みで売笑婦の尻を追って。
それからドイツの濁った鉱泉水を飲む、
自分を美しく太って見せようと。
またカーニバルの貴婦人たちの愛のおみやげ、
例の因果な病気を清めるために。
英国のためだと! 遊蕩と不和と党争による
英国の破滅のためだぞ!

   ルーアス
 いゃー、それは意外。旦那がた。そんなやりくちで、
たくさんの立派な財産を使い尽くしてしまうのか!
そして私らは、結局、そんな事に使われる金のために、
こんなに悩まされ、苦しまされるのか!

 おお、あの人たちが政治から手を引いて、
田舎で狩猟でも楽しんでいてくれたら、
地主、小作人、小屋住みの百姓たち
みんなにとって、もっとよくなるだろう。
決して悪い心を持った人には思えない
あの率直で、元気のいい、ぶらつき歩く旦那がたは。
貧乏人たちの家の垣根を破ったり、
そのかみさんたちのことで軽口たたいたり、
野ウサギやライチョウを鉄砲で射ったりする以外、
彼らは貧乏人には少しも悪くはないのだから。

 だけど、教えてください、シーザーさん、
きっとお偉い人たちの生活は、楽しいことづくめなんでしょう?
寒さも、飢えも、あの人たちを襲うことはない、
そのことを考えて恐れる必要も全くない。

   シーザー
 おい、冗談じゃない、君がぼくのところにちょっと来たら、
上流の人たちを羨む気にならないだろう!

 なるほど、冬の寒いときも、夏の暑いときも、
あの人たちは飢えたり、汗を流したりする必要がない。
あの人たちは骨身を砕く辛い仕事を持ってないし、
老後を腹痛とうなり声で満たすこともない。
だが、人間どもはこんなにもばか者なのだ、
大学や学校と関係なく、
それで本当の不幸に悩まされなければ、
自分で不幸を作り出して悩む。
苦しむことが少なければ少ないほど、
その分だけ、少ないことで苦しむ。

 鍬(くわ)を手にする田舎の人は、
畑を耕し終われば、それで全く結構だし、
糸車を操る田舎娘は、
糸を巻き終えれば、それで十分満足だ。
だが、紳士、淑女ときたら最悪だ、
仕事がないことで呪われている。
彼らは、ぶらぶら、ふらふら、ふにゃふにゃ、怠けている。
彼らを悩ますものは何もないが、それでいて不安なのだ。
昼は、けだるく、退屈で、味気ない。
夜は、落ち着かず、長くて、眠れない。

 そして、彼らの狩猟、舞踏会、競馬さえ、
彼らが人前で馬を走らせることでさえ、
大層な見せびらかし、物々しさ、わざとらしさがある。
心の底まで喜べないのだ。

 男たちは、徒党を組んでけんかをし、
それからひどい乱痴気騒ぎをして仲直りする。
ある晩、酒と女に狂って騒げば、
次の日、その生活は耐えきれないものになる。

 女たちは、腕を組み合って群れをなし、
姉妹のように、親しく、仲睦まじくなる。
だが、彼女らの交わす陰口を聞けば、
揃いも揃っていっぱしの悪魔、すれっからしだ。
ときには小さな茶わんや皿をはさんで、
ひどい世間の悪評をすすっている。
あるいは長い、長い夜、目の下にくまを作って、
トランプ遊びに興じて過ごす。
農夫の一年の収穫物を運に賭け、
首吊り刑を免れている悪党みたいに騙し合う。

 男にも、女にも、幾つか例外はある。
だけど、これが普通一般の上流の人たちの生活だ。

 このときまでに、すでに陽は落ちていて、
夕闇暗く、夜が訪れていた。
黄金虫はものうい羽音をたてて飛びかい、
牛の群れは小道に立ってモーと啼いた。
二匹の犬は立ち上がり、耳を振り、
たがいに人間でなく、犬でよかったと喜びあった。
そして、いつの日かまた会うことを約束し、
別々に立ち去った。

The Twa Dogs

A TALE

[Cromek, an anxious and curious inquirer, informed me, that the Twa Dogs was in a half-finished state, when the poet consulted John Wilson, the printer, about the Kilmarnock edition. On looking over the manuscripts, the printer, with a sagacity common to his profession, said, "The Address to the Deil" and "The Holy Fair" were grand things, but it would be as well to have a calmer and sedater strain, to put at the front of the volume. Burns was struck with the remark, and on his way home to Mossgiel, completed the Poem, and took it next day to Kilmarnock, much to the satisfaction of "Wee Johnnie." On the 17th February Burns says to John Richmond, of Mauchline, "I have completed my Poem of the Twa Dogs, but have not shown it to the world." It is difficult to fix the dates with anything like accuracy, to compositions which are not struck off at one heat of the fancy. "Luath was one of the poet's dogs, which some person had wantonly killed," say Gilbert Burns; "but Caesar was merely the creature of the imagination." The Ettrick Shepherd, a judge of collies, says that Luath is true to the life, and that many a hundred times he has seen the dogs bark for very joy, when the cottage children were merry.]

Twas in that place o' Scotland's isle
That bears the name o' auld King Coil,
Upon a bonie day in June,
When wearin' thro' the afternoon,
Twa dogs, that were na thrang at hame,
Forgather'd ance upon a time.

The first I'll name, they ca'd him Caesar,
Was keepit for His Honor's pleasure:
His hair, his size, his mouth, his lugs,
Shew'd he was nane o' Scotland's dogs;
But whalpit some place far abroad,
Whare sailors gang to fish for cod.

His locked, letter'd, braw brass collar
Shew'd him the gentleman an' scholar;
But though he was o' high degree,
The fient a pride, nae pride had he;
But wad hae spent an hour caressin,
Ev'n wi' al tinkler-gipsy's messin:
At kirk or market, mill or smiddie,
Nae tawted tyke, tho' e'er sae duddie,
But he wad stan't, as glad to see him,
An' stroan't on stanes an' hillocks wi' him.

The tither was a ploughman's collie,
A rhyming, ranting, raving billie,
Wha for his friend an' comrade had him,
And in freak had Luath ca'd him,
After some dog in Highland Sang,^2
Was made lang syne,-Lord knows how lang.

He was a gash an' faithfu' tyke,
As ever lap a sheugh or dyke.
His honest, sonsie, baws'nt face
Aye gat him friends in ilka place;
His breast was white, his touzie back
Weel clad wi' coat o' glossy black;
His gawsie tail, wi' upward curl,
Hung owre his hurdie's wi' a swirl.

Nae doubt but they were fain o' ither,
And unco pack an' thick thegither;
Wi' social nose whiles snuff'd an' snowkit;
Whiles mice an' moudieworts they howkit;
Whiles scour'd awa' in lang excursion,
An' worry'd ither in diversion;
Until wi' daffin' weary grown
Upon a knowe they set them down.
An' there began a lang digression.
About the "lords o' the creation."

Caesar

I've aften wonder'd, honest Luath,
What sort o' life poor dogs like you have;
An' when the gentry's life I saw,
What way poor bodies liv'd ava.

Our laird gets in his racked rents,
His coals, his kane, an' a' his stents:
He rises when he likes himsel';
His flunkies answer at the bell;
He ca's his coach; he ca's his horse;
He draws a bonie silken purse,
As lang's my tail, where, thro' the steeks,
The yellow letter'd Geordie keeks.

Frae morn to e'en, it's nought but toiling
At baking, roasting, frying, boiling;
An' tho' the gentry first are stechin,
Yet ev'n the ha' folk fill their pechan
Wi' sauce, ragouts, an' sic like trashtrie,
That's little short o' downright wastrie.
Our whipper-in, wee, blasted wonner,
Poor, worthless elf, it eats a dinner,
Better than ony tenant-man
His Honour has in a' the lan':
An' what poor cot-folk pit their painch in,
I own it's past my comprehension.

Luath

Trowth, Caesar, whiles they're fash't eneugh:
A cottar howkin in a sheugh,
Wi' dirty stanes biggin a dyke,
Baring a quarry, an' sic like;
Himsel', a wife, he thus sustains,
A smytrie o' wee duddie weans,
An' nought but his han'-daurk, to keep
Them right an' tight in thack an' rape.

An' when they meet wi' sair disasters,
Like loss o' health or want o' masters,
Ye maist wad think, a wee touch langer,
An' they maun starve o' cauld an' hunger:
But how it comes, I never kent yet,
They're maistly wonderfu' contented;
An' buirdly chiels, an' clever hizzies,
Are bred in sic a way as this is.

Caesar

But then to see how ye're negleckit,
How huff'd, an' cuff'd, an' disrespeckit!
Lord man, our gentry care as little
For delvers, ditchers, an' sic cattle;
They gang as saucy by poor folk,
As I wad by a stinkin brock.

I've notic'd, on our laird's court-day, -
An' mony a time my heart's been wae, -
Poor tenant bodies, scant o'cash,
How they maun thole a factor's snash;
He'll stamp an' threaten, curse an' swear
He'll apprehend them, poind their gear;
While they maun stan', wi' aspect humble,
An' hear it a', an' fear an' tremble!

I see how folk live that hae riches;
But surely poor-folk maun be wretches!

Luath

They're no sae wretched's ane wad think.
Tho' constantly on poortith's brink,
They're sae accustom'd wi' the sight,
The view o't gives them little fright.

Then chance and fortune are sae guided,
They're aye in less or mair provided:
An' tho' fatigued wi' close employment,
A blink o' rest's a sweet enjoyment.

The dearest comfort o' their lives,
Their grushie weans an' faithfu' wives;
The prattling things are just their pride,
That sweetens a' their fire-side.

An' whiles twalpennie worth o' nappy
Can mak the bodies unco happy:
They lay aside their private cares,
To mind the Kirk and State affairs;
They'll talk o' patronage an' priests,
Wi' kindling fury i' their breasts,
Or tell what new taxation's comin,
An' ferlie at the folk in Lon'on.

As bleak-fac'd Hallowmass returns,
They get the jovial, rantin kirns,
When rural life, of ev'ry station,
Unite in common recreation;
Love blinks, Wit slaps, an' social Mirth
Forgets there's Care upo' the earth.

That merry day the year begins,
They bar the door on frosty win's;
The nappy reeks wi' mantling ream,
An' sheds a heart-inspiring steam;
The luntin pipe, an' sneeshin mill,
Are handed round wi' right guid will;
The cantie auld folks crackin crouse,
The young anes rantin thro' the house-
My heart has been sae fain to see them,
That I for joy hae barkit wi' them.

Still it's owre true that ye hae said,
Sic game is now owre aften play'd;
There's mony a creditable stock
O' decent, honest, fawsont folk,
Are riven out baith root an' branch,
Some rascal's pridefu' greed to quench,
Wha thinks to knit himsel the faster
In favour wi' some gentle master,
Wha, aiblins, thrang a parliamentin,
For Britain's guid his saul indentin-

Caesar

Haith, lad, ye little ken about it:
For Britain's guid! guid faith! I doubt it.
Say rather, gaun as Premiers lead him:
An' saying ay or no's they bid him:
At operas an' plays parading,
Mortgaging, gambling, masquerading:
Or maybe, in a frolic daft,
To Hague or Calais takes a waft,
To mak a tour an' tak a whirl,
To learn bon ton, an' see the worl'.

There, at Vienna, or Versailles,
He rives his father's auld entails;
Or by Madrid he takes the rout,
To thrum guitars an' fecht wi' nowt;
Or down Italian vista startles,

Whore-hunting amang groves o' myrtles:
Then bowses drumlie German-water,
To mak himsel look fair an' fatter,
An' clear the consequential sorrows,
Love-gifts of Carnival signoras.

For Britain's guid! for her destruction!
Wi' dissipation, feud, an' faction.

Luath

Hech, man! dear sirs! is that the gate
They waste sae mony a braw estate!
Are we sae foughten an' harass'd
For gear to gang that gate at last?

O would they stay aback frae courts,
An' please themsels wi' country sports,
It wad for ev'ry ane be better,
The laird, the tenant, an' the cotter!
For thae frank, rantin, ramblin billies,
Feint haet o' them's ill-hearted fellows;
Except for breakin o' their timmer,
Or speakin lightly o' their limmer,
Or shootin of a hare or moor-cock,
The ne'er-a-bit they're ill to poor folk,

But will ye tell me, Master Caesar,
Sure great folk's life's a life o' pleasure?
Nae cauld nor hunger e'er can steer them,
The very thought o't need na fear them.

Caesar

Lord, man, were ye but whiles whare I am,
The gentles, ye wad ne'er envy them!

It's true, they need na starve or sweat,
Thro' winter's cauld, or simmer's heat:
They've nae sair wark to craze their banes,
An' fill auld age wi' grips an' granes:
But human bodies are sic fools,
For a' their colleges an' schools,
That when nae real ills perplex them,
They mak enow themsel's to vex them;
An' aye the less they hae to sturt them,
In like proportion, less will hurt them.

A country fellow at the pleugh,
His acre's till'd, he's right eneugh;
A country girl at her wheel,
Her dizzen's dune, she's unco weel;
But gentlemen, an' ladies warst,
Wi' ev'n-down want o' wark are curst.
They loiter, lounging, lank an' lazy;
Tho' deil-haet ails them, yet uneasy;
Their days insipid, dull, an' tasteless;
Their nights unquiet, lang, an' restless.

An'ev'n their sports, their balls an' races,
Their galloping through public places,
There's sic parade, sic pomp, an' art,
The joy can scarcely reach the heart.

The men cast out in party-matches,
Then sowther a' in deep debauches.
Ae night they're mad wi' drink an' whoring,
Niest day their life is past enduring.

The ladies arm-in-arm in clusters,
As great an' gracious a' as sisters;
But hear their absent thoughts o' ither,
They're a' run-deils an' jads thegither.
Whiles, owre the wee bit cup an' platie,
They sip the scandal-potion pretty;
Or lee-lang nights, wi' crabbit leuks
Pore owre the devil's pictur'd beuks;
Stake on a chance a farmer's stackyard,
An' cheat like ony unhanged blackguard.

There's some exceptions, man an' woman;
But this is gentry's life in common.

By this, the sun was out of sight,
An' darker gloamin brought the night;
The bum-clock humm'd wi' lazy drone;
The kye stood rowtin i' the loan;
When up they gat an' shook their lugs,
Rejoic'd they werena men but dogs;
An' each took aff his several way,
Resolv'd to meet some ither day.

Luath_dog_food.jpgTwa dogs2259414958_40c1bc15d0.jpg

感想:英語の解説を読むとなかなか面白いですが、スコットランドの民主主義の揺籃を感じさせるものではないでしょうか。民主主義の成立にフリーメイスンリーの活動が影響を与えた話として読むと面白いですが、詩人の完全なイマジネーションと普通の人はとらえるようです。
2013-07-28 10:22 | カテゴリ:スコットランド
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
おまえたちよ、ジャコバイトという名の者たちよ、よく聞け、心して聞け。
 おまえたちよ、ジャコバイトという名の者たちよ、よく聞くのだぞ。
  おまえたちよ、ジャコバイトという名の者たちよ、
   おまえたちの過ちをわたしは明らかに示し、
    おまえたちの信条をわたしは非難しなければならない、
     さあ、聞かせてやろう。

法とは、法とはだな、何が正しくって、何が間違っているかだ。
 法とは、何が正しくって、何が間違っているかだ。
  何が正しくって、何が間違っているかだ。
   短い剣と長い剣、
    弱い腕と強い腕、
     戦うためさ。

遠くで名高く、遠くで名高い英雄の戦いを何が引き起こすのか。
 遠くで名高く、英雄の戦いを何が引き起こすのか。
  英雄の戦いを何が引き起こすのか。
   暗殺者の短剣を研いだり、
    あるいは親の命を狙う、
     血まみれの戦争だ。

それからおまえたたちの計画を放棄せよ、そのままで、そのままで、
 それからおまえたちの計画を放棄せよ、そのままで、
  それからおまえたちの計画を放棄せよ、
   昇りゆく太陽をあがめて、
    そして一人の男は落ちぶれたままにしておけ、
     彼の運命に従って。

Ye Jacobites By Name

Tune--" Ye Jacobites by name. "

["Ye Jacobites by name." appeared for the first time in the Museum: it was sent in the handwriting of Burns.]

Ye Jacobites by name, give an ear, give an ear,
Ye Jacobites by name, give an ear,
Ye Jacobites by name,
Your fautes I will proclaim,
Your doctrines I maun blame,
You shall hear.

What is Right, and What is Wrang, by the law, by
the law?
What is Right and what is Wrang by the law?
What is Right, and what is Wrang?
A short sword, and a lang,
A weak arm and a strang,
For to draw.

What makes heroic strife, famed afar, famed afar?
What makes heroic strife famed afar?
What makes heroic strife?
To whet th' assassin's knife,
Or hunt a Parent's life,
Wi' bluidy war?

Then let your schemes alone, in the state, in the state,
Then let your schemes alone in the state.
Then let your schemes alone,
Adore the rising sun,
And leave a man undone,
To his fate.

感想:詩というよりは檄文に近い印象ですが、ジャコバイトという勢力がスコットランドで最も過激な政治活動勢力であり、スコットランドのフリーメイスンリーのテンプル騎士団と同じく根底の勢力となり続けたという話を知っているとなかなかすさまじい詩のようであります。現代マスコミとは違い小部数の詩集や口伝えの詩であってもわずかな短文で一国の運命や政治外交を影響しえた時代に、この様な詩は精強な軍隊による奇襲やテロ行為よりも強力な力を持ち得たのではないでしょうか。

参考にウィキペディアのジャコバイトによる1745年の反乱の項目のコピペを置きます。

1745年の反乱

1745年の反乱は、一面においてはジャコバイトの最後の挑戦であったが、むしろ主要な側面は、当時イギリスと交戦していたフランスによる、ジャコバイトとジェームズ老僣王の息子チャールズ若僭王を利用した工作であったという点である。この反乱の失敗によって、ステュアート家とそれを支持するジャコバイトは完全に政治的命脈を絶たれ、以降ジャコバイトは歴史の表舞台から姿を消すことになった。
「ウォルポールの平和」が1739年のジェンキンスの耳の戦争(オーストリア継承戦争、1740年)で破られ、ウォルポール自身も1742年に辞任に追い込まれた。政権はウィルミントン伯スペンサー・コンプトン(病気のため実質的指導者はジョン・カートレット)に移ったが、翌1743年にコンプトンが死去してヘンリー・ペラムに移行、ペラムを支持するウォルポールの政治的影響力は健在であり、国王ジョージ2世の信任は篤くなかったがなんとか政権運営を可能にしていた。ところが1745年3月18日、ウォルポールが死亡してペラムの政治的地位が危うくなったところに、この反乱が起こった。

ルイ15世の助力を得て同年7月にチャールズ・エドワードはスコットランドに上陸すると、ハイランドの氏族を糾合し「the 'Forty-Five」と呼ばれる内戦を起こした。いまだジャコバイトの多いスコットランドでこそチャールズの軍は優勢だったが、イングランドでは民衆の支持を得られず、12月6日に至り、反乱軍はスコットランドに退いた。それ以降も政府軍とジャコバイト反乱軍との戦いは続いたが、1746年4月16日、カロデンの戦いで反乱軍は致命的敗北を喫し、チャールズもフランスへ逃走した。この戦いにおいて、負傷して動けない者まで皆殺しにした指揮官のカンバーランド公ウィリアム・オーガスタス(ジョージ2世の3男)は「屠殺業者」(Butcher)との異名を得た。
イギリス政府はこの反乱を重く見て、諸立法によってスコットランドの氏族(クラン)制度を解体した。またチャールズはフランスを追われて、放蕩生活に身をやつしていった。この評判が広まって、ジャコバイトの支持は失われていった。ジャコバイトのステュアート朝再興の夢は、その核を失って完全に絶たれた。
Jacobite.jpgjacobite-1.jpgthe_battle_of_culloden3.jpgCulloden456.jpg

それらはそのまま反対にフランス革命へと繋がっていくようであります。
2013-07-28 18:58 | カテゴリ:スコットランド
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
古い友達づき合いの思い出が忘れられようか、
 心によみがえらぬはずがあろうか。
古い友達づき合いの思い出が忘れられようか、
 長い長い付き合いの思い出が!

  コーラス
君、長い付き合いだったね、
 本当に長い年月(としつき)だった。
変わらぬ間柄を祝って一杯いこう、
 長く長く付き合ってきたのだから。

いいか、その大コップは干さなきゃいけない!
 こちらも絶対に干すつもりだ!
こうして親しいつき合いだったことをお祝いしよう、
 遠い遠い昔のために。
  (コーラス)

なあ、覚えているか、二人で丘を駆けめぐり、
 きれいなヒナギクをどっさり摘んだのはよかったけれど、
おかげでふらふらに疲れ切り、あちこちさまよい歩いたのを。
 遠い遠い昔の出来事を。
  (コーラス)

二人は小川でもぼちゃぼちゃやったじゃないか、
 朝日が昇りかけた頃からお昼時まで。
だが、とどろく大海原が二人の間を遠ざけてしまった、
 かなり遠い以前から。
  (コーラス)

さあ君、握手をしよう!
 しっかりと握ってくれ!
そして、思いっ切り、ぐうっと飲もうよ、
 われらの長いつきあいを記念して。
  (コーラス)

Auld Lang Syne

["Is not the Scotch phrase," Burns writes to Mrs. Dunlop, "Auld lang syne, exceedingly expressive? There is an old song and tune which has often thrilled through my soul: I shall give you the verses on the other sheet. Light be the turf on the breast of the heaven-inspired poet who composed this glorious fragment." "The following song," says the poet, when he communicated it to George Thomson, "an old song of the olden times, and which has never been in print, nor even in manuscript, until I took it down from an old man's singing, is enough to recommend any air." These are strong words, but there can be no doubt that, save for a line or two, we owe the song to no other minstrel than "minstrel Burns."]

Should auld acquaintance be forgot,
And never brought to mind?
Should auld acquaintance be forgot,
And auld lang syne!

Chorus.-For auld lang syne, my dear,
For auld lang syne.
We'll tak a cup o' kindness yet,
For auld lang syne.

And surely ye'll be your pint stowp!
And surely I'll be mine!
And we'll tak a cup o'kindness yet,
For auld lang syne.
(Chorus.)

We twa hae run about the braes,
And pou'd the gowans fine;
But we've wander'd mony a weary fit,
Sin' auld lang syne.
(Chorus.)

We twa hae paidl'd in the burn,
Frae morning sun till dine;
But seas between us braid hae roar'd
Sin' auld lang syne.
(Chorus.)

And there's a hand, my trusty fere!
And gie's a hand o' thine!
And we'll tak a right gude-willie waught,
For auld lang syne.
(Chorus.)

感想:今年の1月2日にAuld Lang Syneの題名でウィキペディアのコピペで紹介したのですが、ロバート・バーンズ研究会編訳のものの方が非常に分かりやすい訳であったので再掲しました。ヒナギクを摘むくだりはどう考えても男同士だと変ですが、恐らく伝承された歌の想定では幼馴染の男女なのではないでしょうか。大海原が隔てたなどの部分はどうも英仏のフリーメイスンリーの関係などを思わせるような部分ですが果たしてブラザーロバート・バーンズの付け加えたものかどうかは定かではありません。島育ちの男女が成人して離れた状況が想定されているのかもしれません。フリーメイスンリーでは特別な会の終わりに皆で合唱することもありますので、何度か歌って覚えるか、少なくともそれぞれの部分の意味を理解しておくと感情をこめて歌いやすいかと思います。内容としては一気飲みと日本で言う一本締めのような感じでしょうか。古いところだと同期の桜と同じ意味合いになるのでしょうか。日本の歌詞の蛍の光はどうも原詩の意味を持っていませんし、戦前の学校の卒業の際に歌われることを考えて作ったのでしょうが、平成時代の現在の状況に全く合っていないかと思いますので、是非英語の原詩を皆で覚えてそちらが歌えるようになるとより良いのではないでしょうか。英語歌詞のAuld Lang Syneが日本で数多く歌われる状況が好ましいかと思います。
(追記:小川の意味でスコットランド語のburnが使われています。これは明らかにブラザーロバート・バーンズの名前と同じ単語を挿入したものかと思われます。ブラザーロバート・バーンズを介した海を挟んだ関係というのも意味深です。まさにそういう時代ですしそういう英仏フリーメイスンリーの関係を詠った詩であるととらえるのは自然であるかもしれません。ヒナギクgowan=daisyも何かの隠喩かもしれません。フランスの無辜の貴族とかだとえらいことです。最初に現れたのがダンロップ夫人あてで1788年だそうですが、再び書かれたのは1794年にジョージ・トムソンあてでフランス革命ですでにルイ16世も断頭台に送られた後です。手紙の年代など後世には正確なことは分からないのが普通です。恐らくそういう詩なのだと思われます。)
(追記:ヒナギクgowan=daisyはフランスの女性名Margueriteマルグリットの愛称だそうです。フランス革命で活躍した男性で同名の方もいるようですが、ジャコバン派のかなりな過激派ですがブラザーロベスピエールが断頭台に送られる約一か月前にギロチンで亡くなっています。ジャコバン派自体がブルターニュ地方出身者で構成されているなど、イングランドとの繋がりやいわゆるジャコバイトとの関係もあるようです。フランスフリーメイスンリーが当初ジャコバイトがもたらしたものであるというところも含めて、ブラザーロバート・バーンズがそれらの連絡役であったという想定はかなり分かりやすい話なのではないでしょうか。やはりブラザーロバート・バーンズの詩は極めて歴史的な暗号文ととらえるのが正しい解釈なのではないかと思われてきます。)
2013-07-29 21:40 | カテゴリ:スコットランド
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
さて背景も動くGIFで引き締まったところで今回のスコットランド訪問のメインテーマである学会の内容について細かく取り上げていくこととします。
基本的にはアブストラクトをコピペして内容の訳を書いて感想という事になるのですが、いかんせん実際の発表の際にはプレゼンテーションがパワーポイントがほとんどなくオーラルが多いのですが、まあ英語力がとてもじゃないが足りないのでチンプンカンプンに近い状態な訳です。そういうわけでここでアブストラクトを取り上げて翻訳するのも一つの訓練な訳ですが、実際は重要なポイントはもちろんオーラルで触れたり、そのニュアンスになったりするのがいわゆるフリーメイスンリーのポイントな訳で、しかも発表後にやはり直接聞いたり話したりすることでやり取りするのがまあいわゆる普通の学術集会以上にフリーメイスンリーが真正な学会の集まりな訳で、それはそのままロッジの集まりにも繋がるものな訳です。
というわけであえてアブストラクトを解説したところでそれで何か理解するというのはかなり難しいというところを先に挙げてしまって、まあ学会の紹介というところで書き写すことを行うこととしていきます。

今回はビデオも途中まで撮影できた最初の演題です。plenary speakersについては人物紹介もありますのでそれも転記します。

FRIDAY 24 MAY 2013
HALL I 10.00-11.00
The Rise and Fall of Empires: Britain's and the UGLE's Compared
J.W.DANIEL,UK,
帝国の繁栄と没落:大英帝国とイングランド連合グランドロッジの比較

Jim Daniel was born in Cornwall in 1941 and educated at Truro School, then Brasenose College in Oxford where he read Modern Languages. He left university after four years. He was employed by the British Council for 25 years, serving in Spain, Germany, Cambodia, Sri Lanka, Venezuala and finally as Cultural Attache at the British Embassy in Washington DC. On retiring from the British Council, in 1989 he became Grand Secretary General to the Supreme Council of the Ancient and Accepted Rite for England and Wales(the 'Rose Croix'). In April 1998 he was appointed Deputy Grand Secretary of the United Grand Lodge of England, and then served as Grand Secretary from June 1998 to February 2001 when, in his 60th year, he retired from full-time employment and returned to his native Cornwall.
ジム・ダニエルは1941年にコーンウォールに生まれて、トゥルロー学校で教育を受け、オックスフォード大学のブラセノーズ校で現代英語について学んだ。大学を四年で離れた。ブリティッシュ・カウンシル(英国の公的な国際文化交流機関)に就職して25年務め、スペイン、ドイツ、カンボジア、スリランカ、ベネズエラで働き、最後はワシントンD.C.の英国大使館の大使館員となった。ブリティッシュ・カウンシルを辞めた後は、1989年にイングランドとウェールズの古代認証位階最高評議会(薔薇十字)のグランドセクレタリーとなった。1998年4月にイングランド連合グランドロッジのグランドセクレタリー代理に任命され、1998年6月から2001年2月までグランドセクレタリーとして務め、60歳になってフルタイム勤務を辞めて引退し故郷のコーンウォールに戻った。

In his retirement, Jim successfully completed on PhD thesis at the University of Sheffield on 'The 4th Earl of Carnarvon (1831-90): Statesman and Freemason' and received his doctorate in 2009. Jim has also published a History of the Royal Alpha Lodge, No. 16(2006). Jim has contributed to many masonic and scholarly journals and a collection of his papers was published in 2007 as Masonic Networks and Connections. Jim is a Fellow of the Royal Historical Society.
引退後ジムはシェフィールド大学で「第4代カーナボン卿(1831-90):政治家でありフリーメイスン」という論文で2009年に博士号を取得した。ジムはまた「ロイヤルアルファロッジNo.16の歴史」という本を2006年に出版している。ジムは多くのフリーメイスンリーの雑誌や学術誌に貢献し、彼の論文集が2007年に「フリーメイスンリーのネットワークと繋がり」として出版された。ジムは王立歴史学会の学会員である。

Few historians have examined Freemasonry in the context of the British Empire and its successors between the 1850s and today. The most important published work touching on this topic is still Jessica Harland-Jacobs' Builders of Empire: Freemasonry and British Imperialism, 1717-1927, though, as the title indicates, her study stops in 1927, after the Balfour Declaration of 1926 (which she calls 'a turning point in Anglo- Dominion relations') and the transformation of the British Empire into the 'British Commonwealth of Nations'. In her conclusion Harland-Jacobs comments that 'As the age of late empire gave way to the era of decolonization, British Freemasons were left with several unresolved issues' and states that it is clear 'that the same ideology that had long been used to build and maintain the empire could also be used to destroy the foundations up which it rested.'
ほとんどの歴史家は1850年代と今日の間のフリーメイスンリーを大英帝国の後継者やその流れの中で検討する事は無かった。この事柄に触れた最も重要な出版されている著作は未だにジェシカ・ハーランド・ヤコブスの帝国の建築者たち、フリーメイスンリーとイギリスの帝国主義、1717-1927であるが、この題名が示す通り、彼女の研究は1927年で止まっており、1926年のバルフォア宣言(彼女が英国と自治領との関係における転換点と呼ぶもの)の後に、大英帝国は主権国家による英連邦へと変化した。彼女の結論の中でハーランド・ヤコブは「帝国の後期においては植民地からの独立の時代となり帝国は崩壊するが、イギリスのフリーメイスン達はいくつかの未解決の問題と共に残された」と述べていて、また「長きに渡って帝国を作り上げ維持してきたのと同じ理念でもってその基礎を破壊し、帝国を終焉させた」という事は明白であると述べている。

Until 1855 the only Grand Lodges in the British Empire were those of England, Ireland and Scotland. In his paper 'Grand Lodges in British Colonies' James W Daniel concentrates on the period from 1850 to 1890 and therefore on the additional Grand Lodges formed in Canada, Australia and New Zealand during that time. He concluded that these were neither imperial consolidators nor Commonwealth seedlings' and that 'their independence foreshadowed the disintegration of the British Empire.' Since 1927, however, nine more Grand Lodges have been formed in 'the Commonwealth' (as the residue of the British Empire is now called) in Africa, Australia, Canada, Europe and India. Others may yet follow.

This paper investigates the disintegration of what the prince of Wales described in the 1880s as England's 'Masonic Empire' from 1855 to the present, compares and contrasts it with disintegration of the British Empire, and considers the relations, post-independence, between London and its progeny.



さて動画が途中まであるのがこの講演だけなのですが付いてこられるでしょうか。とりあえず翻訳は後々付け加えていくこととします。

貴重な動画を見ていただくとかなり雰囲気が分かるかと思うのですが、基本的に撮影禁止な状況です。あとはスコットランド訛りの英語であったりかなり通常のプレゼンの英語は聞き取りづらいです。この最初の発表やアメリカ人の発表が聞き取りやすい英語であったと思います。また基本的に演者は読み原稿を一語一句そのまま読む形で発表して余計なアドリブは一切付け加えません。恐らく発表原稿はそのままグランドロッジに保存されるものかと思われます。またアブストラクトと発表の半分ほどを比較されると分かるかと思いますが、ほとんどアブストラクトの内容と発表の内容は一致しません。この最初の発表に関してはアブストラクトはほぼ本を読んで勉強して下さいという内容になっているかと思います。また発表そのものは撮影禁止の状況からもほぼフリーメイスンリーの秘密の暴露の内容を常に含んだ内容となっているかと思われます。もちろん興味があるかないかは個人によるかと思いますが、各グランドロッジの保管している歴史的な文書を元に構成した発表となっているかと思います。
2013-07-30 07:02 | カテゴリ:スコットランド
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
   一
私の若い友よ、君に何か書きおくろうと
 長い間考えてきた、
ほんの一つの思い出草としか
 役に立ちそうにもないが。
けれどそのテーマがいかようになるかは
 時と機会次第、
歌となるかもしれないし、
 お説教となるかもしれない。

   二
君はまもなく世間に出ようとしている、
 それでアンドルー君、本当のことだが、
人間っていうのはきてれつな代物で、
 君は人間に大いに嘆くことになるよ。
君の目的がかなえられても
 心配や苦労に君の思いはかき乱され、
神経を極度に緊張させても
 君の意図はすべて無に帰してしまうかもしれない。

   三
人間はみな悪者だとは言うまい、
 法律以外は何の歯止めもない、
どうしようもない本当の悪(わる)は
 ごくわずかだ。
だが、おお、人間はすこぶる弱い者、
 ほとんど信用がおけない、
善悪に上下するはかり自体がゆれ動くなら、
 正しく量れることはめったにない。

   四
運命の戦いに倒れても、
 その人の定めを非難すべきではない。
彼らだって人生の重要な目的に、
 同じように尽くすことができるのだから。
貧乏が絶えずじろじろ見つめようと、
 人は正直な心を持ちうるのだ。
蓄えるだけのお金がなくとも、
 人は隣人を助けることができる。

   五
親友といるときは、
 いつも自由にすぐに話したまえ。
だが誰にも明かしたくないことは、
 常に胸にしまっておくこと。
ウの目タカの目からは
 できるだけ身を隠し、
鋭い巧みな観察で
 他人の思いを探られよ。

   六
正当な恋の聖なる炎には
 心置きなくふけるとよい。
でも、あばかれることがたとえなくとも、
 道ならぬそぞろ歩きは決してなさるな。
罪の分け前もそれを隠す危険も
 私はごめんこうむる。
でも、おお、そうすれば心のすべては硬化し、
 感情は石と化す。

   七
運命の女神がもらす黄金の微笑をとらえるために、
 怠ることなく彼女にはべりたまえ。
名誉が認めるお金なら、
 どんなことをしても集めなされ。
それを生垣に隠すためでなく、
 供を後ろに従えるためでもなく、
独立独歩という
 栄光ある特権のために。

   八
地獄の恐怖は絞首刑執行人のむち、
 亡者どもを正すのだ。
だが良心の責め苦の感ずるところを
 君の行動の境としたまえ。
少しでも感ずればすぐにやめ、
 わき道への口実を避けなされ。
結果など考えずに、
   断固名誉のおきてを守りたまえ。

   九
偉大な創造主を敬うことは
 被創造物に似つかわしい振る舞い、
されど、説教じみた言葉遣いも
 まじめくさったしかめっ面も控えなされ。
卑俗な機知をろうするのは
 ほどほどに、
無神論者の笑いを引き出しても
 神を怒らせては割が合わない。

   十
快楽の輪の中でじゃれまわるとき、
 宗教は盲目となっていよう、
宗教が手当たりしだいに刺したとしても
 ほとんど気にならない。
しかしこの世で暴風雨に追い立てられるとき、
 良心なんて害毒に過ぎない。
天とのかたい音信こそ
 確かに高貴な錨(いかり)。

   十一
さようなら、愛すべき若者よ、
 失望落胆召さるな、
慎重と剛勇と真実が
 君の不屈の額をあげますように。
日毎さらに賢くなるために、
 農夫の言葉で言うなら「どうかよかことありやすように」。
忠告者が気に留めたよりも、
 さらによくこの忠告を気に留めますように。

Epistle To A Young Friend

I Lang hae thought, my youthfu' friend,
A something to have sent you,
Tho' it should serve nae ither end
Than just a kind memento:
But how the subject-theme may gang,
Let time and chance determine;
Perhaps it may turn out a sang:
Perhaps turn out a sermon.

Ye'll try the world soon, my lad;
And, Andrew dear, believe me,
Ye'll find mankind an unco squad,
And muckle they may grieve ye:
For care and trouble set your thought,
Ev'n when your end's attained;
And a' your views may come to nought,
Where ev'ry nerve is strained.

I'll no say, men are villains a';
The real, harden'd wicked,
Wha hae nae check but human law,
Are to a few restricked;
But, Och! mankind are unco weak,
An' little to be trusted;
If self the wavering balance shake,
It's rarely right adjusted!

Yet they wha fa' in fortune's strife,
Their fate we shouldna censure;
For still, th' important end of life
They equally may answer;
A man may hae an honest heart,
Tho' poortith hourly stare him;
A man may tak a neibor's part,
Yet hae nae cash to spare him.

Aye free, aff-han', your story tell,
When wi' a bosom crony;
But still keep something to yoursel',
Ye scarcely tell to ony:
Conceal yoursel' as weel's ye can
Frae critical dissection;
But keek thro' ev'ry other man,
Wi' sharpen'd, sly inspection.

The sacred lowe o' weel-plac'd love,
Luxuriantly indulge it;
But never tempt th' illicit rove,
Tho' naething should divulge it:
I waive the quantum o' the sin,
The hazard of concealing;
But, Och! it hardens a' within,
And petrifies the feeling!

To catch dame Fortune's golden smile,
Assiduous wait upon her;
And gather gear by ev'ry wile
That's justified by honour;
Not for to hide it in a hedge,
Nor for a train attendant;
But for the glorious privilege
Of being independent.

The fear o' hell's a hangman's whip,
To haud the wretch in order;
But where ye feel your honour grip,
Let that aye be your border;
Its slightest touches, instant pause-
Debar a' side-pretences;
And resolutely keep its laws,
Uncaring consequences.

The great Creator to revere,
Must sure become the creature;
But still the preaching cant forbear,
And ev'n the rigid feature:
Yet ne'er with wits profane to range,
Be complaisance extended;
An atheist-laugh's a poor exchange
For Deity offended!

When ranting round in pleasure's ring,
Religion may be blinded;
Or if she gie a random sting,
It may be little minded;
But when on life we're tempest driv'n-
A conscience but a canker-
A correspondence fix'd wi' Heav'n,
Is sure a noble anchor!

Adieu, dear, amiable youth!
Your heart can ne'er be wanting!
May prudence, fortitude, and truth,
Erect your brow undaunting!
In ploughman phrase, "God send you speed,"
Still daily to grow wiser;
And may ye better reck the rede,
Then ever did th' adviser!

感想:若いフリーメイスンにあてた、フリーメイスンリーの教えそのものを詩としたものかと思われます。特に信仰を表す錨の表現や、四元徳、七元徳の表現はフリーメイスンリーの基本の三階級で習得すべき教訓として強調しているところが印象的です。全体が11節で構成されているのもポイントかと思います。11はマスターの数字というところなのでしょう。最後が結局God Speed!成功を祈る!というところが、要するに最後は結局自分次第というところなのでしょう。
2013-07-31 20:32 | カテゴリ:スコットランド
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
まあ色々と難しい内容が続くかと思いますが、その中ではスコットランドの旅の内容は息抜きになるのかと思います。今回のロスリン礼拝堂なのですが、なぜか私はダヴィンチコードも読んでいなければほとんどロスリン礼拝堂の予備知識も持っておらず、まあエディンバラにせっかく来たしロスリン礼拝堂とセントアンドリュースには近いし行っとかないと、学会といっても英語だけでチンプンカンプンだろうしもったいないから行っとこうという感じであったわけです。
それでまあブログにしないといけないと思って写真だけはたくさん撮ったのですが、いかんせん予備知識がほとんどなくて、ダヴィンチコードの映画で最後のシーンがここだったなという事だけと、その後の何か映像の特集でマスターの柱だとか徒弟の柱だとかそういうのをぼんやりと聞いていただけなので、実際マスターの柱の方は写真を撮り損ねてしまいました。
そういうわけで現在ロスリン礼拝堂で検索して他の方のブログや旅の記録などを見させていただいて、基本的なところを勉強しているわけですが、どうもほとんどの方が熱心なダヴィンチコードファンでその関連の知識をお持ちのようで、どうもそういう流行ものと一線を画すのを常としてきた私としてはなんとも感心するやら自分の欠点を確認したようで反省の一つとなっているようであります。
そういうわけで今更ながらダヴィンチコードの概要をたどるわけですが、どうもその元ネタとなった本がテンプル騎士団関連で手にしたこの本のようです。(追記:元ネタとなったレンヌ・ル・シャトーの謎という本を1980年代に書いた方によるその後を色々整理した本のようです。最新の研究知見をくわえて、フィクションの要素を排除したものかと思われます。詳しいことは分かりませんが、色々フリーメイスンリーの関連の話も流行があるのだと思います。研究などと一緒です。主著のブラザーマイケル・ベイジェントはイングランドグランドロッジの役員を務めていたそうですが、2013年6月13日に65歳で亡くなったそうです。また第二著者のリチャード・リーという方も2007年11月21日に64歳で亡くなられているそうです。下記の本は1989年に出版された本の訳本だそうです。まだ私も一部しか読んでいませんが、テンプル騎士団とフリーメイスンリーをなんとか結びつけようという熱意に満ちたフリーメイスンリーの紹介本です。ダヴィンチコードもそうですがその過程で様々なセンセーショナルなフィクションが多くあり物議を醸していたようです。明治天皇すり替え説や日猶同祖論、フルベッキ写真、熊沢天皇や果てはイスキリの墓など日本でもこう言った話は枚挙に暇がありませんし、それらがベストセラーの出版やセンセーショナルな町おこしと結びつくと話がおかしな方向に行ってしまいます。)

テンプル騎士団とフリーメーソン―アメリカ建国に到る西欧秘儀結社の知られざる系譜テンプル騎士団とフリーメーソン―アメリカ建国に到る西欧秘儀結社の知られざる系譜
(2006/05)
マイケル ベイジェント、リチャード リー 他

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テンプル騎士団=フリーメイスンリー起源説はよく言われる近代フリーメイスンリーの数多くあるオカルト的な起源説の一つではありますが、テンプル騎士団の最後の団長のジャック・デモレーはその名前をフリーメイスンリーの青少年育成組織の名前に残しており、何らかの関連はあるのではないかとは考えていましたが、ブラザーナポレオンがマルタ島で儀式に参加してフリーメイスンとなったとか、ロンドンのテンプル教会がセントポール大聖堂のすぐ前にあって、いわゆるフリーメイスンリーのシンボリズムが認められるなどそれぞれぽつりぽつりと知識が増えてくると、何となくそれらがもぞもぞと関連づいてきて、どうもオカルトで言われるようなそういう謎めいた飛躍ではなく当時の中世からルネサンスの時代にかけて生きた人々の考え、思考の中で十字軍やその後のネットワークと宗教改革や石造建築が繋がっていくのではないかと思われるようになってきましたが、上述の本にそれらについて非常に詳しく、イギリス人の目線でテンプル騎士団とフリーメイスンリーとの関連が解説されていました。
ほとんどの日本人にとってはフリーメイスンリーとはどこから始まったかよりも、いったい何をやっているのかというところが興味の対象になるのだと思いますが、イギリスやフランスなどのかつてフリーメイスンリーが数多く革命や政治活動や経済活動に盛んに関わって現在では王室や政府も含めて当たり前の存在になってしまったところでは、興味の対象が宗教や信仰心とも関わって起源がどこにあるのかとか、どの時点でフリーメイスンリーの源流が認められるかというところになっているようです。
ナショナルジオグラフィックの動画もあったと思いますが、テンプル騎士団からフリーメイスンリーへと繋がる流れは、いわゆる石工のギルドや宗教改革の流れの中からの近代フリーメイスンリーの成立という定説とされるようなものよりもはるかにキリスト教徒的にロマンチックで受け入れやすいものであるようです。非キリスト教徒である我々日本人から通常に考えて、宗教的な理想や情熱に駆られて行動してかなり無益な戦いや冒険を行った人々、またはそれらを継承した人々がその後さらにカトリック教会や様々な政治的組織の弾圧を受けて、逃れ逃れて地方の貴族や郷士となって石工組織をまとめてシンボルとなる教会を建てるなどというのはなかなか想像しがたいわけですが、現実に日々キリスト教の様々な宗派や民族、イスラム教やその他の異民族の宗教と接しながら世界の最先端の科学や哲学の世界に接してそれらの伝統をまた保持している社会からすると、そういう宗教的情熱や異端と正統の入れ替わりのような展開は極めて受け入れやすくまたありがちな話であるのかもしれません。まあ少なくとも人の移動が制限されていた中世において聖書に書かれた土地がどのようなものであるのか、神とされるキリストの存在がその地で感じ取れるのかという事は信じる者にとっては重大な問題であったのだと思われますし、それを現地で確認して帰ってきたものが、それを体験してない文字や伝聞の知識だけのものとは、信仰や宗教観そのものも異なることが容易に想像できますし、またそうした体験することで得られた知識や信念はそれ以前の想像して保持していた慣習や生活などとは質の違う確固たるものであったのではないかと思われます。

ナショナルジオグラフィックのテンプル騎士団の最新の動画のようです。
テンプル騎士団が直接的にフリーメイスンリーと繋がったとか、イルミナティのように並列した組織であったとかそういう内容は読んだことがありませんが、少なくとも今回訪れるロスリン礼拝堂のような中世のスコットランド、イングランド、北方ドイツなどのその後の宗教改革で中心となるキリスト教社会の辺縁となる地域では、断絶したテンプル騎士団のような異端派の末裔がシンクレア家のような貴族や郷士との血縁で継続して、カトリック中心の社会とは一線を画し、その後のフリーメイスンリーの教えに継承されるような様々な秘儀や幾何学の継承を行い、その中にはテンプル騎士団の十字軍の遠征で得られた数々の中世ヨーロッパではありえない常識外の知識が数多くあった事はありうるのではないかと思われます。それら知識の継承がそもそもフリーメイスンリーの核であるとすればエジプト社会の宗教から続くユダヤ教、キリスト教、ミトラ教、ゾロアスター教などそういうすべてがフリーメイスンリーの核であると言えるわけで、一つのその表現がこのロスリン礼拝堂における二本の柱のような表現に現れていると考えられるのかもしれませんが、そうした考えが特別なものではなく普遍的なものであると考えれば必ずしもフリーメイスンリーとつなげる必要はないのだと考えられます。いずれにしてもこのロスリン礼拝堂が、恐らく近代フリーメイスンリーの発祥の原点となったいわゆるオペレイティブメイスンリー、石工職人の組織の組合の盛んであったスコットランド、エディンバラの近郊であり、例えばストーンヘンジとウィンザー城の建築を直接結びつけることはナンセンスだとしても、さらに時代の近いロスリン礼拝堂とエディンバラ城の建築を結びつける事はそれほど困難ではなく、そこにテンプル騎士団とフリーメイスンリーとの関連性を見いだすことはそれほど飛躍ではないのだと思われます。ちなみにシンクレアの語源となるセントクレアはアッシジの聖フランチェスコ修道会の修道女で、アッシジの聖フランチェスコといえばタウ十字を象徴とした聖人で、いわゆる清貧や奉仕を旨として現代に繋がる修道会を創設した方でありイエズス会などと同じく規律を旨として今なお全世界で活動する団体であるようです。ダヴィンチコードでも出てきたオブスデイもそういうカトリック系の団体という事で名前が挙がっているのかもしれません。
ちなみにダヴィンチコードはヨーロッパ大陸の特にカトリック全盛の時代のルネッサンスから宗教改革前夜の様々な科学的知識に繋がる異端思想のような様々なオカルトチックな知識をちりばめて、それらを繋げるような示唆を与える展開であったかと思うのですが、その中でも中核となるレオナルド・ダヴィンチが最後の晩餐に込めたメッセージについて、四福音書の解説なども行っていますので私個人の意見というところをそれほど熱心に知識を集めたわけではないのですが、絵画の印象から述べてみようかと思います。私はレオナルド・ダヴィンチがどの程度聖書の知識を持っていたとか、その他聖書時代や考古学の知識を持っていた、科学的知識を持っていたかについて正確なところを持ち合わせていないのですが、ルーヴル美術館などで実物に触れたり、その他の様々な展覧会や昨今のいわゆるダヴィンチブームの中での情報に触れた内容を総合すると、恐らくダヴィンチ自身は旧約聖書を読んではいなかったし、もちろんユダヤ古代誌なども知ってはいなかったが、絵画を制作する上で十分にカトリックの最新の研究の知識を得ていたであろうと考えられ、また同時に解剖学や建築学、数学などの知識を様々な機会で得ることでそれらをまた宗教的表現に反映していたと考えられます。そこで題名のダヴィンチコードとなるわけですが、小説では聖杯聖杯として、キリストの末裔の話にされていたようですが、恐らく私が考える最後の晩餐の絵画のダヴィンチコードはこうではないかと思います。
最後の晩餐
まあ聖アンドリューの磔の話ではないですが、新約聖書の登場人物の様々なシンボリズムや込められた謎、そういうものすべてを恐らく研究した中世のカトリックの僧侶たちが出した結論を絵としたものなのではないでしょうか。∨と∧の結びつきで六芒星となる、ヨハネは女性として描かれているのでしょうし、ヨハネ福音書と繋がるのが女性というのも一つ象徴的なシンボルなのでしょうし、男性と女性の結びつきで六芒星のユダヤの星となるのも一つのシンボリズムの中心の教えとなるのだと思われます。その他やはりダヴィンチは洗礼者ヨハネや聖母子像が有名ですが、これもやはりユダヤ古代誌や当時のユダヤ王国の記録やローマ帝国の記録に丹念に触れることができたカトリックの僧侶たちの要請で一方でキリストのモデルとなったであろう洗礼者ヨハネの姿とカトリックの教えの真髄であるマリア信仰を両立するよう描いたのだと思われます。恐らく洗礼者ヨハネが結婚して子供がいたとしても当時のユダヤ社会の事ですからヨハネとともに処刑されるか無残な処置をされて歴史からは抹消されるのが当然で、そこに神の末裔であるなどとの発想は意味を成さないものかと思われます。ダヴィンチコード自体そういう意味を敷衍した小説であったと理解しています。

さてまあ相変わらずの単なる旅のブログではないフリーメイスンリーのブログな訳ですが、まあこの辺りまではロスト・シンボルの前作の世界的大ヒットとなったダヴィンチ・コードの話からほぼ常識に近いところであるかもしれないのでこの後は実際のロスリン礼拝堂の写真とフリーメイスンリー的視点からの文章としたいのですが、どうも事前に検索した他の方のロスリン礼拝堂見学のブログの方が細かくて内容も豊富であり、明らかにダヴィンチ・コードブームに乗り遅れた私としては拍子抜けで未だに消化不良の感が否めないわけです。それでまあ一部では挙げられていましたが副題にも挙げたとおりロスリン礼拝堂の主要な建築である螺旋の柱と、礼拝堂に行く途中にあるエディンバラ大学のロスリン研究所の世界的に有名なクローン羊のドリーの話と絡めて、DNAの二重らせんと建築の絶妙な一致の話をいわゆるクローン人間など生命科学の倫理の問題としてこのロスリン礼拝堂のブログの回の秘密としたいと思います。と言っても何が秘密というわけではなく、それらが単に絶妙な一致を見せたというだけの話であって、私は専門的には免疫学、医学であり、クローンやiPSなどの再生医学はまた少し分野が異なるわけですが、まあ基本的にはそれらに関しても一応かじっているわけでして、そういうところでまああまりフリーメイスンリーと関係あるかというとなかなか難しいところなのですが、まあ現代ではロスリン礼拝堂はテンプル騎士団のシンボルというよりもクローン羊のドリーの誕生から、DNAの二重らせんのシンボルではないかという想像の飛躍ができるのではないかというところでした。

では写真です。
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これはロスリン礼拝堂へ行く途中でスコットランド国立銀行があってなぜか撮ったのですね。シンボルが印象的であったのかもしれません。他のブログでもよく書かれていますが、ロスリン礼拝堂へ行くには15番のバスに乗るのですが、地球の歩き方に書いてあるセントアンドリュースクエアのバスステーションからは発車していません。プリンスィズストリートの乗車場で待つしかありませんが、そこで乗っても40分近くかかって、いったいどこが降り場なのか全くわかりません。iPhoneのGPSもあてになりませんので、バスの運転手に教えてもらうか、誰かに聞くのが一番だと思います。とにかく世界的な観光地で後で出ますがあまりに人が来すぎて有名になって観光地化が激しいのでそこに来る人は一種のキリスト教、フリーメイスンリーの巡礼者みたいなもので、近所の人も皆慣れて自然に注目している感じなので、そんなに準備しなくて周りに聞きまくってたどり着くのが一番いいようです。バスの中でエディンバラ近郊の普通の人の暮らしを観るのもまたワシントンD.C.のバスのようで興味深いかと思います。
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よく見ると看板にROSSLYNと書いてあったりしますが、ほとんど良くわかりません。とにかく主要なT字路です。他がほとんどロータリーになっているところで、唯一ロスリン礼拝堂のバス停留所だけT字路のところです。恐らくタウ十字にかけているのではないかと思いますが、その他にもいわゆるVesica Piscisの形のCrescentと呼ばれる地形がたくさんありますが、T字路のところと覚えておけば間違いありません。ちょうど行った時は閉館となる直前の午後5時近くであったので周囲には地元の人以外は人っ子一人いない状態で、降りたのも私一人でした。基本的に市街を離れると残りはエディンバラ大学の学生くらいしか利用しないバス路線で、通常の昼間に行くと恐らく海外からのロスリン礼拝堂に向かう観光客ばかりなのではないでしょうか。
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まあいい天気でした。訪問後に一雨降ったりしました。キリスト教の寺院はやはり気を使います。
若干雲の形が文字のようでもあったりしますが、まださすがにそこまでのは見たことありません。
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エディンバラから離れたところにあるので開館時間の情報は重要です。土日もやっているというところが、それだけ世の中に沢山見せたいというところなのだと思われます。また世界中からやってきて見れない日があったりして色々問題があったせいかもしれません。
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入場料は大人8ポンドのようです。1200円位でしょうか。まあとにかくびっくりするのがテレビやダヴィンチコードの映画で見たような礼拝堂がポツンとあるようなところではなく、とんでもないスターバックスの繁盛店みたいな立派なチケット売り場とカフェとおみやげ屋を兼ねた現代建築の建物が隣にあるというところでしょうか。後で写真が出ますが、それが一番びっくりします。周りにそんな雰囲気が一切ない所で、これだけの現代建築を観ると正直びっくりします。帰ろうかと思っちゃうくらいです。あとは中に入るとウィンザー城とかバッキンガム宮殿と一緒でいわゆるイギリスの観光地のシステムが同じにあるところでしょうか。おみやげもあきれるほど大量に売っていましたし、結構いい値段なのです。まあ運よく見られた勢いで見学後に5000円くらい購入してしまったわけですが、そういう人が多いのではないでしょうか。ダヴィンチコードバブルが実感できる場所だと思います。
外から見るとどうなんでしょう。セントポール大聖堂やウェストミンスター寺院で慣らされてしまったイギリスの観光客からするとかなり拍子外れなんだと思います。ガーゴイルが象徴的なんですが、さすがに革命を経過したノートルダム寺院とはそのインパクトが異なります。とにかく私の印象としてはまさにドルイド教とキリスト教のミックスであり、日本人にとっては極めて自然な神仏習合や、インドの神や中国の神や日本の神やアイヌの神のミックスした本当によくある日本的な折衷宗教の形だと思います。恐らく純粋なカトリック的キリスト教を当たり前だと思っている欧米人にとっては目新しいのだと思います。フリーメイスンリー的という印象はほぼ無いですね。インドの寺院や東南アジアの寺院、日本の仏像がたくさん並ぶ百羅漢とかそういう印象でしょうか。まあ要は宗教的寛容、キリスト教以外の宗教の認容、表現の利用なのだと思います。
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まあこのガーゴイルが後にノートルダム寺院に付け加えられたのだと思いますが、まあ色々修復やら後世の付加やらとにかく色々あるでしょうからよくわかりませんが、とにかく雰囲気がいわゆるキリスト教の礼拝堂のシンプルさがなく、ゴテゴテと付け加えられていて、要するにドルイド教の影響なんだと思います。それがテンプル騎士団の末裔であるこの礼拝堂の建築を支援したシンクレア家の方針なのか何なのかよくわかりませんが、宗教改革の過程を観ても、そもそもキリスト教が伝道した過程を観ても、まあそもそもそういうドルイド教のようなものが元からあって、それはそもそも土地柄石造建築とも関係していて、それがそもそもそういう形で発露したというのが正直なところなのだと思います。結果としてフリーメイスンリーという組織化されたり目に見える形で成立した時にあああれはそういうモノの原型であったのだねと注目される結果となったのだという事だと思います。
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恐らく石の材質やら加工の仕方とか技術的な面で色々あるのだと思いますが、浸食しているのだと思います。だから一見して素晴らしい建築だという感じよりもとにかくなんだかはっきりとしっかりと彫刻してあるというよりもとにかくできるだけ限られた資源と面積の中でやたらと削りたいだけ削っているという感じでしょうか。それがキリスト教的情熱という感じよりもいわゆるドルイド教的土着宗教の表現の自由という印象で作り上げられているという印象でしょうか。まあそれだけいわゆるスコットランドの宗教改革やフリーメイスンリーの成立の過程にはそういう土着宗教から起因する自然観、自然崇拝の背景が強くあるという事なのではないでしょうか。とにかく私は日本の神仏習合と非常によく似た印象を持ち、理屈抜きでああこれはこっちでは珍しいのだろうけど、日本だとお恥ずかしながら当たり前なんだなというまあいわゆる東と西の違いを感じました。
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だから日本の地元の神社や寺の立派な鬼瓦とガーゴイルは完全に一致なんですね。まあそりゃそうだって事になってしまうわけです。
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これは何でしょうね。印象的に撮ろうとしたのでしょうか。太陽信仰と十字を重ねたのでしょうかね。
まあ逆光にこだわった写真の一環と思われます。まあこれだけ立派な建物は日本の神社や寺には無いですが、敷地や地域の規模から言うと走水神社や横須賀の諏訪神社と変わらないと思います。まあそれを世界的観光地に変えてしまうのですからフリーメイスンリーの謎は魅力的な訳です。
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謎の改修を続けていますが、どのような改修、補修かは見当もつきません。少なくとも隣の建物は立派でした。
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まあノートルダム寺院のガーゴイルよりもここのガーゴイルの方が結局信仰がこもっているのでしょうね。理性的な反キリストなのではないのだと思います。最も印象的な最もかわいい感じのいわゆるまあ何度も繰り返しになりますが日本の神仏習合のああいうやつです。愛嬌のある布袋様とかマリアと観音がくっついた申し訳なさそうなそれでいて堂々としたそういうやつです。かわいければいい、造型として製作者が満足できればいい、そういう日本の最近のゆるキャラにも近いものがあるのかもしれません。
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まあダヴィンチコードブームがないとあんま見に来ないでしょうね。
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インドとかだと似たような寺院とか沢山ありそうです。日本だとやはり木造になってしまうかと思います。
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これはその立派な施設の出口のところでしょうかね。とにかくその立派な施設の方が目立ちます。
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まあとにかく一生懸命撮影するのですがポイントがぼやけるのですね。大谷石みたいな素材なんでしょうか。いわゆる大理石のカチッとした彫刻とは異なります。
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まあ要するに費用がそれほど高くないのだと思います。基本的にはそういう独立貴族がキリスト教のカトリックとは異なる独自のドルイド教を混ぜたような解釈のほぼ異端の教会を建築できた環境風土がその後のフリーメイスンリーの宗教とは異なる科学や理性の崇拝に繋がっていくのだと思われます。
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これだけ見るとインドの寺みたいですね。
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まあ結果としてフリーメイスンリーは世界的に広がり、これだけ世界から人を呼び寄せる力を持ったわけで、そういう土着の異端とされるような文化を保護するために少し利用しようというのがロスリン礼拝堂の謎であったのだと思われます。

とそんなこと言っては身も蓋もないわけで、この後もロスリン礼拝堂の秘密を探ります。やはり3つに構成する予定です。
2013-08-03 01:36 | カテゴリ:スコットランド
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
さてさてブログ管理画面にアクセスできなくなり、少しそれ以前の内容があまり良くなかったかなとこのブログには珍しく反省したりなんかしているところですが、まあ修正する事はなくそのまま経過するところがまたフリーメイスンリーのブログといったところでしょうか。
どうもこのロスリン礼拝堂が実務的メイスンリーから思索的メイスンリーへと移行するきっかけとなった中心であった実際に残る礼拝堂であることは確かであるようで、それらの庇護者がテンプル騎士団の系譜を受け継ぐシンクレア家であったこともまた確実なものであるようです。私自身はあまり予備知識を持たず感傷も入らずにこのロスリン礼拝堂を幸運にも見学してしまって、結局キリスト教とドルイド教の融合した表現であるのだなと考えてしまっていましたが、どうもやはり予感はあった通りフリーメイスンリーの起源とされるスコットランドでの最重要なフリーメイスンリーの施設であるようで、この見学後に驟雨に見舞われたりしたのですが、キリスト教から確実にフリーメイスンリーへと進化を遂げたその歴史的な場がまさにこのロスリン礼拝堂であり、それを伝えるような気候の変化であったようです。
どうしてまたダヴィンチコードの元ネタとなるレンヌシャトーの謎の作者がまた私が訪問した後の2013年6月に突然亡くなられたのかよく分からないのですが、まあ想像したところではダヴィンチコードで原作も売れすぎて色々と何か問題が生じたのではないかと思われます。少なくともその種本とされる前回挙げた訳本については内容は一部を斜め読みしただけですがテンプル騎士団とフリーメイスンリーをこのロスリン礼拝堂をポイントとして接続するものであり、それはシンクレア家に保存されていた文書が消失してしまったという謎に包まれてはいますが、いわゆる自由な石工というその名の通り自由な表現がシンクレア家の保護の元の礼拝堂全体の壁面を覆っており、まさに自由な実務的な石工という意味で実務的メイスンリーと思索的メイスンリーを繋ぐ点であるかと思われます。
まあロスリン礼拝堂は観光地化していますが、そこではフリーメイスンリーに関わるお土産もたくさん売っていて、見学してお土産を買ってくれば少なくとも儀式を通過したりロッジに所属したりしたという意味とは異なりますが、いわゆるフリーメイスンリーのシンボルを示す物を携える人、いわゆるフリーメイスンと人からは思われる人になりうると思います。そのお土産屋さんはなんとインターネットの通販でも購入可能だそうです。ほとんどシャレとしか思われないフリーメイスンリーのシンボルが入った聖杯の形の木製のグラスなども売っていたりとこのブログを読むような方やダヴィンチコードのファンにとっては購入必須のグッズのようです。公式ホームページはこちらで、ショップはこちらです。フリーメイスンリーのシンボルのキーホルダーやコルク栓はこちらです。フリーメイスンリーのシンボルが入った聖杯の形の木製グラスはこちらです。木製のフリーメイスンリーのシンボルマークの入った箱もあるようです。また特製のウイスキーと以前紹介したテイスティング用のグラスのセットもあるようです。私はキーホルダーのほかに徒弟の柱の模型を買いましたが、これの師匠の柱の模型もあるようです。なかなかグッズコレクターは全部買ってしまうと数万円になってしまうのかもしれません。
どうもこのホームページは彫刻の解説も詳しく載っていますし、歴史も詳しく載っていて、さらにシンクレア家の代々の当主の略歴も載っていました。それによるとどうもシンクレア家の源流はノルウェーにあるそうで、そういうわけでこの間の外国人特派員協会のコンサートでノルウェー人と一緒になったというわけのようです。また第7代目のロスリン男爵はブルースザロバートの心臓をエルサレムに運ぶべく十字軍と一緒にスペインでムーア人と戦い亡くなったそうです。スコットランド人は勇敢であったそうですが、遺体とロバートザブルースの心臓は持ち帰られたそうです。第11代のロスリン男爵が1446年にロスリン礼拝堂を建築しその頃が一番勢力が大きかったようです。第16代のロスリン男爵の項目のところで1630年にフリーメイスンになった許認状が認められるとあります。また1441年からスコットランドのグランドマスターであったとのジェームズ2世の許認可状があったが火事で焼けてしまったと書かれています。なかなか興味深いホームページです。第19代ロスリン男爵が1736年のスコットランドグランドロッジの結成時に非世襲での初代グランドマスターに就任したそうです。その次の代からロスリン伯爵になっています。第2代ロスリン伯爵はやはりスコットランドグランドロッジのグランドマスターを務めています。第4代ロスリン伯爵も第69代スコットランドグランドロッジグランドマスターとなっているそうです。94歳まで生きたそうです。その後の方はかなり波乱万丈であるそうですが、現在は第7代のロスリン伯爵が礼拝堂を管理していて写真も載っています。フリーメイスンであるとの記述はありませんが恐らくフリーメイスンなのでしょう。まあ是非英文を読んでいただき、その英国貴族の血脈の執念というか、その中でのフリーメイスンリーがいかに名誉や栄光と結びついているか、その中でロスリン礼拝堂がその象徴であるかが感じられるとロスリン礼拝堂に興味がわくのではないでしょうか。別にキリストの血脈などはそもそも関係ないようです。セントクレアがサングレア、聖杯と発音が似ているというダジャレではないでしょうか。サンガリアなんてメーカーもあったかと思います。
結局1441年のジェームズ二世の許認可状というのはブラザー片桐三郎の本にもあった実務的メイスンリーの組織に対する許認可状の話であるのだと思います。恐らくロスリン礼拝堂を建築する際にそういうカトリックから離れた形での教会の建築の許可という、イギリス、スコットランドのそもそものカトリックから離れた王権の形を誇示する意味合いのものであったのだと思われます。結局その結果ロスリン礼拝堂のようなドルイド教とキリスト教が融合し、またエルサレム遠征の過程でテンプル騎士団などの知識から得た旧約聖書のヤキンとボアズの柱や二元性の象徴、イスラムからの対称性の建築やアラビア以南の建築の様式の導入があったのかと思われます。要はそれらの伝承があって、イングランドグランドロッジの結成に呼応したスコットランドグランドロッジの結成の際にロスリン男爵のシンクレア家から名誉職としてグランドマスターを迎えたのだと思われます。まさにロスリン礼拝堂はテンプル騎士団の歴史というよりはその傍流の流れをくみますが、本質的にはシンクレア家の象徴として成立し、それがまさにカトリックから独立したスコットランドのキリスト教の歴史を象徴し、そしてテンプル騎士団との接触で得られた旧約聖書の断片の知識から現代のフリーメイスンリーの象徴となっているヤキン、ボアズの柱に一致する徒弟と師匠の柱の様子となるのだと思われます。
まさに自由の石工が自由に表現したのがロスリン礼拝堂だとすると、その象徴である二重らせんからクローン羊のドリーが繋がるとすると、まあ現代の自由の石工は自由にクローンを作っているのだという事になるのでしょうか。まあそれはそれですごいことですが、まあそれが現実なのでしょうね。
1441年の許認可状が焼けて消えてしまったというのはなかなか惜しい話ではありますが、まあ代々これだけの因襲を背負った貴族の家系があるとするとそういうやり方もフリーメイスンリーとしてあるのかもしれません。まあだからそういう貴族の家系はそもそもそういうのをある程度自覚しているわけで、そういうのを掘り起こして改めて世間に広めるという作業も大事なものではなるのでしょうが、ブームや商業的成功に結び付くとその一方でブームとは無縁で代々と営んできた多くの人々を様々に巻き込む形になったりすることで、多くの負の効果を生むこともあって主要な著者の早くての死に繋がったのかもしれません。
いずれにしてもクローンにしても何にしても一族の血脈、そうしたDNAの表現がスコットランドの誉れ高い一族の象徴的な礼拝堂の象徴的な表現として認められ、そしてその礼拝堂の近くの研究所で世界初のDNAを利用した技術であるクローン動物が生み出されたのはやはり美と様式の世界の創造主の差配による必然であったのかもしれません。
まあ上記のような様々な情報や内容や伝聞や一つ一つの建築、彫刻や空間がそれぞれ意味を持って繋がり何事か次の新しい人間の行動、ひらめきといった新しい歴史に繋がっていければこのブログとしては幸いというところではないでしょうか。

ではまあこういう予備知識を持たずに訪問してとにかく目立った彫刻を全部撮ってこようと暗い条件でシャッター音を消して撮影した見づらいPNG画像を御覧下さい。
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PNG画像でシャッター音を消すアプリで撮っているので順番がめちゃくちゃになっているのですね。現地で御確認下さい。なんかの解説のようです。先頭でよいのでしょうか。
IMG_5981.png
これもなんでしょうか。シンクレア家の紋章が入っているのでしょうか。ウィキペディアでシンクレア家を検索すると紋章は啓蒙の鶏と同じデザインの鶏のようです。
IMG_5986.png
これはこんな感じという写真でしょうか。植物が描かれていると書いてありますが、日本だとよくある蔦やその他の蔓植物や松の木や植物や動物の絵を天井や桟に配置するというのはよくあるのですが、キリスト教の教会ではあまり一般的ではないのでしょうね。自由に石工が作るとこんな感じになるのではないでしょうか。どうもシンクレア家で検索するとシンクレア家はテンプル騎士団を庇護したと盛んに出てきます。テンプル騎士団とも結びつくのでしょうね。
IMG_5988.png
これはまさかお決まりのフクロウの形とかいうのでしょうか。まあそういう解説は認めませんがそうなのかもしれません。
IMG_5990.png
これはまた別の窓ですかね。同じような形をしていますね。
IMG_5993.png
天井はこんな感じですね。シンクレア家の象徴の薔薇が彫られているとかなんかあったと思います。パイプオルガンもあったりしますが、創建当時からあるのでしょうか。だとすると15世紀からのものという事で相当古いものになるのではないでしょうか。
IMG_5995.png
ステンドグラスも全部撮って来たんですが、基本的にフリーメイスンリーのシンボルや旧約聖書の話のようなものは認められませんでした。いわゆる新約聖書の世界とグリーンマンなどのドルイド教の表現がミックスしただけのもののようにしか認識できませんでしたが、石工がカトリックの制約にとらわれず自由に表現しているのはみてとれました。
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パイプオルガンの全景ですが、ウィキペディアによると15世紀には十分教会の楽器として一般的であったようで、創建当時からのものかと思われます。
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窓枠の彫刻を撮っているのですが逆光になっていますね。詳細は上述のチャペルのホームページや他のブログを参照してください。
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この辺はいわゆるキリスト教の教会っぽさが強い所でしょうか。代々の当主の付け加えや改修によってそれぞれ部分で異なるのかもしれません。
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これはいわゆるロバートザブルースの心臓を持つ天使とは異なるようですが、それと似たデザインの天使です。そういうロバートザブルースの心臓に関わる伝承はあるようですが、果たして冷凍保存もない時代に心臓だけミイラにでもしたようにしてエルサレムに運ぶような事を中世にしてしかも失敗して途中で帰るなどという事があってそれを教会に刻むでしょうか。どうもこの写真がいわゆる天使が単にハートを持っているデザインであるという事を考えるとそういう意味は考え過ぎのような気がします。まさに自由な石工による現代のゆるキャラのような刻みたいデザインなのではないでしょうか。
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これは天使がたすき掛けでもしているようです。下の方には古代メソポタミアのフクロウの彫像のようなやはりフクロウが三羽いるのでしょうか。どうもやはり自由な石工が自分の彫りたいデザインをキリスト教の教訓めいたバックグラウンドに拘らないで好きに彫っているという印象がぬぐえません。
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これも天使が何かやっているようですが、解説はありません。彫像の解説によれば外には農婦が狐に咬まれたアヒルが助けられている像があるそうで、全く聖書と関係ない単なる当時の礼拝堂の周囲の生活模様を描いていると解説されており、どうも何でもキリスト教やテンプル騎士団と結びつけるのは無理があり、そういう素養は低い当時の自由な特権を与えられた石工が自らの鑿の赴くままにその地域の様々な伝承や文化を表現したというものなのではないでしょうか。
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こちらも逆光で見づらいですが、マリアか天使なのでしょうか。
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こちらも天使でしょうかね。一見して旧約聖書の関連した話はほとんどなく聖書の知識は伝聞であると見てとれる表現内容かと思われます。
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これなんかはそれこそ聖杯で何か飲んでいそうですが、単なる印象で言うとドルイド教の僧侶が魔法のエリクサーみたいなのを飲んでいる様子のようです。実際そんな感じで彫っているのではないでしょうか。
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これが徒弟の柱のようですが、どう見ても一番目立っていました。どう考えても徒弟の話や師匠の話、ヒラムアビフの話と似た伝承は後付けのようです。聖杯が中に埋まっているなんてのはちょっとどうかという話なのでしょう。ヤキンとボアズの柱の対称性ともあまり関係なく、単に礼拝堂の前方の目立つ部分の柱に美しいと思われる表現の柱を自由に彫ってその右側の螺旋の柱の装飾が非常に美しかったので評判になったというのが事実なのではないでしょうか。師匠の柱、マスターの柱がまっすぐなモノのそうですが、写真を撮る事はしないほど目立たないものであったのだと思います。後で他のブログのものをお借りして示します。
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これは石板があるのでいわゆる誤訳である頭に角のあるモーゼでしょうか。ドルイド教の司祭のようでもあります。聖書の内容を面白おかしく表現している風ではないでしょうか。実際約束の地へ行こうとしたとするとその聖書の記述と現実とのギャップにこう言う表現が許されたのかもしれません。
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これもやはり天使がハートを抱えている図でしょうか。どうもロバートザブルースの心臓にしてはいくつもあり過ぎるようです。森永製菓のエンゼルマークではないですが、ここの自由な石工はこの天使がハートを抱えている意匠が気に入っていたのではないでしょうか。
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これは天使が聖書を抱えているのでしょうか。なんかイメージで特に意味はないようです。
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みんな基本的に天使が刻まれているようです。右は穀物を持っているのでしょうか。もちろん聖書にそんなシーンは思い当たりません。周りが農村だからではないでしょうか。
ステンドグラス1
ステンドグラスも何やら剣を持った聖人やら赤子を抱いた聖人やらどうも地元の英雄とか有名人ではないでしょうか。
ステンドグラス2
どう見てもユダヤ教やら古代エジプトの幾何学を伝承した石工の作とは思えません。これだけ天使を刻むのは教会でカトリックの神父の天使に関する説教を厳かに聞きながら実際は農夫の生活を送る、ドルイド教の素地を持ったスコットランドの自由な石工の作という事ではないでしょうか。
ステンドグラス3
上の部分の出っ張った装飾部分の記号的な装飾が音楽を意味すると解釈して音楽を作成してしまっているようです。どうも私が確認しないで買ったロスリンチャペルのお土産のCDはその奇天烈な楽譜から作成された音楽のようです。神妙に聞いてしまっていました。
ステンドグラス4
天使も色々な物を持っていたりして、ステンドグラスの人物も何やら色々な小道具を持っていて、どうもドルイド教のお話を語っているのかもしれません。
ステンドグラス5
天使も微妙に態勢が違いますが、あまり深い意味は付加されていなさそうです。手作り感が満載なんですね。こんな天使の表現は他の教会には無いものかと思われます。画一的であったり均一さが通常のキリスト教教会はあるのですがここにはありません。製作者のガーゴイルと同じく天使への愛着が感じられます。恐らくドルイド教の妖精的なイメージで作られているのではないでしょうか。
ステンドグラス6
これなんかは頭に十字がありますが、ブラザーダン・ブラウンのかつての作品の天使と悪魔ではないですが、天使か悪魔かどっちか判別付かないような造型です。そういう意味なのかもしれません。
ステンドグラス7
グリーンマンという事になっていますが、顔だけある部分をみるとほとんどアンコールワットかアユタヤ遺跡のようで、仏像にしか見えない感じです。
ステンドグラス8
十字架を持った天使なんてなんか明らかにキリスト教っぽいですがどうも不自然な感じです。普通は十字架に架けられたイエスの周囲を天使が飛んでいるというのが一般だと思うのですが、十字架を持っていると日本の森永製菓のエンゼルのような異教徒のイメージするキリスト教という感じでしょうか。
ステンドグラス9
何を持っているんでしょうね。どうも鋤などの農機具のようです。周囲が農村ですから豊かな収穫を願う農機具や小麦を持った天使というのが信仰の対象として適切なのでしょうね。まあ要はその他の植物の表現も極めて集う信者層に応じた適切な表現であったのではないでしょうか。恐らくその後のフリーメイスンリーの象徴に祭り上げられた関係でトウモロコシが認められるとか様々な妄想を膨らましてしまったのではないでしょうか。
ステンドグラス10
これが正面のステンドグラスだと思いますが、普通だと大体十字架のイエスだと思いますが、ここではイエスっぽいですが堂々と手を広げて立っています。しかもその足元には三人も良く分からない感じの人々がかしいづいています。復活したイエスをマリアや弟子が拝んでいる様子ともとられますが、カトリックで通常の信仰の対象になるマリアがすでに拝んでいる図になりますし、イエスが復活後手を広げて宙に浮いている表現になってしまっています。もう大分イメージの世界なんでしょうか。カトリックのいわゆる定型的な表現とは異なるかと思います。
ステンドグラス11
たすきなんでしょうか。良くわかりませんが天使が何か持っている様子が認められます。
内装1
天井は星や薔薇、モザイク模様もあったりして、後のフリーメイスンリーのシンボリズムの原型を沢山含んだ形となっています。まさに自由な石工の表現のシンボリズムの原型でしょうか。本当に教訓的な意味は後付けで単なるデザインの面白さで繰り返しているというのが良く分かる図案だと思います。
内装2
全体的なデザインはキリスト教というよりもドルイド教的なんですが、石工のデザインの新規性として非常に革新的で独創的なんだと思います。面白い斬新な型破りな表現を宗教の枠組みにとらわれずパトロンの庇護のもと実現したというのがこのロスリン礼拝堂の面白さなのだと思います。
内装3
だからその中で言うとマリアの聖母子像のカトリックを象徴するこの像は逆に違和感があります。付け足したのではないかと思われます。
内装4
こういう幾何学的な構成部分も面白いです。
内装5
こういう装飾をみると果たして左の柱はマスターの柱というほど注目すべき柱なのかというところだと思われます。ただ右側の弟子の柱は弟子が作ったわけではなく、本当に単純に一番綺麗な柱をその一点に持って来たかったという事なのではないでしょうか。対称性になったのは単に造型的なバランスであったのかと思われます。
内装6
ロスリン礼拝堂の全体から感じる制作意図はそういう思想や表現、思索的フリーメイスンリーのシンボリズムの概念の表現ではなく、職業としての石工の手が自由に削っていく表現の発露、教会や権力者という表現を制限する思想や権力からの離脱というところなのだと思われます。
内装7
こうして見るとイスラム様式やインドの様式に近いように感じられます。
内装8
これはまた再びフクロウのような窓です。ドラえもんのようでもありますが、単なる意匠であって恐らくフクロウの形を意図していないように見えます。日本の土偶や豊穣のシンボルである女性の乳房のようでもあります。恐らくこの制作した石工さんの意図を私が解釈するならフクロウではなく後者ではないでしょうか。
内装9
ここも良く出てくる部分ですが、グリーンマンでしょうか。豚のようでもあります。上の部分が石板を持つモーゼです。
内装10
これがホームページにも出ているロバートザブルースの心臓を持つ天使でしょうか。木箱か何かに心臓を詰めたのでしょうかね。
内装11
こちらも何かたすきのようなものを持った天使ですね。トーラーとかだと意味が出るのでしょうが、トーラーを巻き取る天使というのも図案がなかなか珍しいのではないでしょうか。
内装12
何でしょう。大刀とかなんでしょうか。トーラーのような感じはしません。装飾のような羽衣のような感じでしょうか。天女のイメージに近いかもしれません。そうなるとアラビアやインドどころではなく中国や日本となってしまいますが本当でしょうか。聞き伝えで新しい表現を入れているのかもしれませんね。
内装13
これはもう削れてしまったのか分かりませんが、よくわかりません。あまりに新規すぎて後の表現の制限が入ったのかもしれません。
内装14
よろいを被った騎士という事で、シンクレア一族の最初にスコットランドにやって来たウィリアム・シンクレアとされるそうです。まあロスリン礼拝堂建設以前の騎士全てがモデルとなりうるのでしょうね。
内装15
聖マタイがロスリン礼拝堂の守護聖人となるようです。新約聖書の福音書からきているのでしょうね。
内装16
農夫の様子でしょうか。(飛行士であるシンクレア家の末裔を称えて新しく作られたもののようです。)
内装17
両脇の彫刻は逆光で見えません。
内装18
やっぱりまた天使ですかね。
内装19
天使だけで相当な数いるのではないでしょうか。偽ディオニシウス・アレオパギタという5世紀のシリアの神学者の作による天上位階論というので天使の位階について語られ、それは知識や活動によって人間が神に近づく過程とされ、9つの天使が決められているそうです。それぞれ父と子と聖霊に対応する三つの階級がありさらに階級ごとに3つの段階があり上位から熾天使(セラフ)、智天使(ケルビム)、座天使(トロノス)、主天使(キュリオーテス)、力天使(デュナミス)、能天使(エクスーシス)、権天使(アルコーン)、大天使(アルカンゲロス)、天使(アンゲロス)とあるそうです。ネオプラトニズムの考え方の影響もあり、まさにヨークライトの10階級やスウェーデンライトなどキリスト教系のフリーメイスンリーの上位位階とよく似ています。ケルビムを象徴ととらえるところも似ているかもしれません。そういう部分で後の基本3位階などにも影響を与えたのかもしれません。
内装20
これは悪魔でしょうかね。
内装21
これはやっぱりトーラーを持っているのでしょうかね。有名な堕天使の表現は写っていませんでした。他のブログや公式ホームページで見てください。まあ直接フリーメイスンリーの後の上位位階に繋がるかどうかは微妙ですが、そういう天使の表現はネオプラトニズムの考え方を反映したものかもしれません。全体として見て後のフリーメイスンリーの考え方の基本になったものがこの礼拝堂の彫刻や建築に反映されている事は間違いないようです。こういうドルイド教の土着宗教のバックグラウンドと十字軍運動からの経験、カトリックから遠いという自由独立の環境と石材が豊富で石工の仕事が様々に存在した環境などがその後の聖書の普及とルターやカルバンやジョン・ノックスによる精緻な聖書の解釈の普及による宗教改革によって、思索的メイスンリーが確立していくものかと思います。明らかにロスリン礼拝堂はそういう実務的メイスンリーが思索的メイスンリーへ移行していく全く初期の段階を反映した礼拝堂という事でカトリックから独立した勢力を形成した始まりとして間違いないかと思います。ぜひブログの内容やロスリン礼拝堂の公式ホームページの解説などに満足していただけましたらグッズなど購入したり寄付を行ってみてください。

次回その3で弟子の柱の螺旋とその他地下の小部屋などです。
2013-08-11 14:48 | カテゴリ:スコットランド
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
結論から言うとロスリン礼拝堂はフリーメイスンリーのいわゆる歴史的建築物の中で最も重要な建築であるようです。これまで見てきたセントポール大聖堂やギルドホール、クイーンズハウス、エッフェル塔やヴェルサイユ宮殿、ノートルダム寺院、ホワイトハウスやハウスオブザテンプル、アメリカ合衆国議事堂やワシントン記念塔、自由の女神などといったいわゆるフリーメイスンリーの建築物の中で最も重要な建築といえるのがこのロスリン礼拝堂であるという事が分かってきました。
ダヴィンチコードはそういう内容であったと思いますし、それを示した映画であったためあれだけの大ヒットとなったようです。
つまりこのロスリン礼拝堂の建築自体が実務的メイスンリーの思索的メイスンリーへの大きな転換の象徴であり、また当時の実務的メイスンリーが総力を結集して建築した建物であり、それらを統括した貴族のシンクレア家はテンプル騎士団の系譜を引く由緒正しい家系であり、スコットランド国王にも実務的メイスンリーのグランドマスターと認証されており、その書類も私がいくことができなかったエディンバラのNo.1ロッジ、セイントメアリーズチャペルロッジにきちんと残されており、それはそのまま1717年のイングランドグランドロッジの結成後の1736年のスコットランドグランドロッジの結成の際にもシンクレア家からグランドマスターが選出されるという形で引き継がれているという事のようです。
確かに内部の印象はドルイド教とキリスト教の融合であるようでしたが、それはまだ十分に練られていなかった実務的メイスンリーの時代のフリーメイスンリーのロッジの表現であり、確実にこの礼拝堂の建築意図は思索的メイスンリーにおけるソロモン宮殿の象徴となるフリーメイスンリーロッジの建築であり、現存する最古のフリーメイスンリーロッジがこのロスリン礼拝堂という事でした。
直接的にこの礼拝堂がフリーメイスンリーロッジとして設計されているという確信を得たのは他の日本語のロスリン礼拝堂の謎に関するブログで認められた以下の図からでした。
ロスリン礼拝堂トリプルタウ
いわゆるダヴィンチコードのローズラインといった際物の流れからこじつけだよと考えてしまっていましたが、どうもトリプルタウの表記にしても三笠公園のアーチもそうですが、やはりスコットランドでキリスト教の宗教改革から思索的メイスンリーに繋がる歴史と、この印象的な漢字の円の形の配置が様々に繋がり、また20世紀に定義されたそうですが黄金比の記号であるφとτの表記からのこのタウ十字のシンボル、またトリプルタウのTHの意味がTemplum Hierosolym, the Temple of Jerusalemエルサレム神殿を意味するというシンボリズムの定義などからも、徒弟と親方の柱のヤキンとボアズの柱との一致、十字に建設する設計であったのが途中で西の壁を象徴的に残していわゆるロッジの形の長方形、ソロモン宮殿の形に仕上げていること、六芒星の配置ははっきりとはわかりませんが恐らくあるのではないかと思いますが、いずれにしても礼拝堂全体がそのままタウ十字の形となり、半分完成された残りが形而上的に建設を予期させる構成となっている意図が読み取れる、まさに実務的メイスンリーから思索的メイスンリーへの転換をそのまま象徴する象徴的ロッジの構成となっているのは間違いないかと思います。
この形を考えると通常は二本の柱がある東側が礼拝堂の正面という構成になっていますが、どうもヤキンとボアズの柱と考えると入口がそちらであり、そこから広い空間とパイプオルガンのある方が正面であり、十字で言えば中心の方角となるようです。そういう位置関係が対称の反転する構成になっているのも徒弟と親方の柱の教訓と似ていて、教訓的な意味がありそうです。また建築途中の形になっている象徴的な西の壁は明らかにエルサレムのソロモン宮殿の残された嘆きの壁を象徴しているものと思われます。全体を十字ではなくタウ十字の構成にしたのもそういう意味だと思われ、そのために柱の配置の円の形のトリプルタウの配置の信ぴょう性が増すかと思われます。トリプルタウについてはSymbolDictionaryの解説が分かりやすいかと思います。
円の配置のトリプルタウの形についてはあとで日銀本店の建物の形との関連で触れようかと思っています。

まあというわけで現地に行った際にはいっさいそんな事を思わなかったロスリン礼拝堂でしたが、日本の賢明なダヴィンチコードからロスリン礼拝堂に興味を持たれた方々のブログの解説のおかげと、前述のダヴィンチコードの元ネタとなった本を書かれたイングランドグランドロッジの役員を務められていたブラザーの書いたテンプル騎士団とフリーメイスンリーを繋ぐ解説をした本との重ね合わせでようやくロスリン礼拝堂の真の意味が理解されてきました。たんなるドルイド教とキリスト教の折衷ではなく、宗教的寛容を含んだエルサレム神殿としての建築を隠された真の目的とした明らかに最初のフリーメイスンリーのロッジの建築であったという事だと思われます。
(どうもローズラインというのも子午線を象徴的にそう語っているだけのようで、いわゆるフリーメイスンリーの子午線のシンボリズムを象徴しているようです。基本的にはダヴィンチコードの内容はヨーロッパの英仏フリーメイスンリーの協力で作成されている、フリーメイスンリーの教えや考え方に則った話の流れのものであるようです。ダヴィンチコードとロスリン礼拝堂について非常に参考になったブログがありました。ローズラインというのはロスリンの語源のようです。ルーズベルトやロスチャイルドの薔薇の野原や薔薇の楯といった語源と同じく、ロスリンの語源が薔薇の線、すなわち薔薇十字や薔薇戦争に認める貴族、王族の血統という事のようです。つまりダヴィンチコードで語られるローズラインやキリストの血筋というのはそういう貴族や王族の血統、一族の誇りというようなものの象徴かと思われます。)
なかなか検索しても良い写真が見つからなかったのですが、YouTubeの方の動画に加えているロスリン礼拝堂とカバラの生命の樹を重ね合わせる動画があると思うのですが、その動画でロスリン礼拝堂の外の彫刻で四福音書のそれぞれ福音書記マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの像とそれぞれの動物が対応してあるようです。
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これももちろんこのブログでも取り上げたイングランドグランドロッジの紋章と同じく、新約聖書のそれぞれの解釈を意味しているのかと思いますし、むしろこれがそののちの紋章となったと考えられます。またこの礼拝堂のメインのステンドグラスのキリストの像も違和感があったのですが、どうも上の参考にしたブログによると最後のテンプル騎士団団長のジャックデモレーの火あぶりの状況を写しているのではないかという事でしたが、どうも整合性がとれますのでそのようです。(地下の聖具室のステンドグラスのようで、1954年に新しく入れられたそうです。)イエスの磔はそういうわけですが、ジャックデモレーの火あぶりは史実とされていますから。フリーメイスンリーの青少年の育成機関の名前がデモレーというのはそういうロスリン礼拝堂の建築に繋がる実務的メイスンリーの源流がそうしたテンプル騎士団にあるという事を象徴しているのですね。まだ思索的メイスンリーになる前の実務的メイスンリーのさらに前のテンプル騎士団から後に繋がるという事なのですね。

とまあほとんど他のブログの内容や本のままな訳ですが、いずれにしてもこの礼拝堂が単なる地域の礼拝堂として建てられたわけではなく、そういう後々に世界に広がる近代フリーメイスンリーの発祥の象徴となる建築という事が間違いないというわけなのです。まあ実感としていわゆるフリーメイスンリーの建築というのが恐らく思索的フリーメイスンリーの時代のものと異なるのでしょう、そういうものが無かったので未だに頭では分かっていてもそこまで腑に落ちた感じにはなりませんでしたが、未完成であるとされる意味と西の壁の印象、その外側にまたスコットランドの美しい桜があったことなどが何となく500年前の本当に最初のロッジの教訓として少し感じられた気がしました。

それでは実際に撮って来た地下の部屋や徒弟の柱の写真、他のブログから持ってきた親方の柱の写真、その他の実際に撮った写真を混ぜて解説していきましょう。しかし副題の二重らせんもさえませんね。明らかにエルサレム神殿が適当であったと今は思っています。
柱地下2
納骨堂と呼ばれている地下室への入り口ですね。様々に言われていて地下調査が何度も行われたそうですが、特に他の謎の地下室はないようです。
柱地下3
暗くて写真がとりづらい状況であるわけですが、とにかく天使が聖書を持っているのですね。聖書を読んで天使のようになろうと、天使とは神の使いですね。フリーメイスンリー的に訳すと勉強してフリーメイスンになろうだと思います。
柱地下4
何を持っているんでしょうね。全ての像に意味が込められているのだと思います。
柱地下5
これも良く出てきますがどういう意味なんでしょうね。大鎌とドクロは死の象徴でしょうが、不安定な輪か樽の上に乗った人間は生命の不安定さの象徴なんでしょうか。人生のカリカチュアといった感じでしょうか。
柱地下6
建材のようなものがあります。補修用でしょうか。
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この辺はなかなか写真が厳しいですね。フラッシュはたけない状況だしなかなか厳しいです。ちゃんとしたカメラで絞りを最大にしないと駄目でしょうね。
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階段を下から見るとこんな感じです。
柱地下1
それでこれがメインとなっている徒弟の柱、アプレンティスピラーです。これは立派ですねえ。正直現地ではこれ以外見る価値があるとは思えないと思うほどでした。
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まあ端的に言って四重らせんなんですね。二重らせんの副題は何にも掛っていないことになります。
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徒弟が作ったという事はないのでしょうが、この柱が異常に立派で目立つことは明らかですね。調和を壊していると言えるかもしれませんが、造形美という点ではこの柱が素晴らしいですね。やはり私はこの礼拝堂の象徴はこの螺旋の柱であるかと思いました。それはまた自由の象徴でもあるのでしょうね。
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これは他のブログから頂いてきた親方の柱、メイスンズピラーですね。弟子と親方の経緯についてはそれを彫刻したものがオルガンの側の右手に彫られているそうです。このブログを参考としました。
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これも他のブログのものです。徒弟の柱の方が存在感があるのですね。なかなかフリーメイスンというものの本質に関わる彫刻かもしれません。目立っちゃうのはもうフリーメイスンとして駄目なんですね。ヤキンとボアズの柱の意味もあるのでしょうね。実は通常のこう言う見方ではなく反対から見るのが正しいエルサレム神殿としての通路になるのだと思われます。
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メイスンズピラーです。四つの柱を強調しているのでしょうか。四元徳に繋がるのかと思われます。
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これも他のブログからのものです。こうして見るとねじれた心をまっすぐにするとかそういう意味もあるのでしょうね。真ん中の柱は他の柱と同じ形です。3本という概念はこの時代あまりなかったのかもしれません。ピラミッドの形やAll Seeing Eyeのような象徴はむしろフランス系カトリックの内部から伝達されたのかもしれません。4の数が四元徳や四元素などから聖数とする発想は実はギリシア時代からあり古いのですね。恐らくこの礼拝堂はそちらのネオプラトニズムの系統の多神教的なギリシアの影響が強いのかと思われます。四福音書記者の像や天使の配列などがそれらの象徴だと思われます。
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ロスリン礼拝堂の検索で最初に出てくるブログからお借りしています。このロスリン礼拝堂の検索で出てくるブログも非常に個性的なものが多いのですが、まあダヴィンチコードの流行った時代というかそういうのがとても良く反映されていてなんというかどのブログも読んでしまうというか、明らかにフリーメイスンであったりフリーメイスンリーを強く意識したものはビジネス系の方が多いようですが、やはりロンドンやニューヨークといった英米の大都市でビジネスや生活をしているのが長い方はフリーメイスンリーを意識する事が非常に普通であるようです。で、上記の写真は七つの大罪と七つの徳を一つ取り違えて表記しているというものなのですが、意味はどうなんでしょう。CharityとGreedが取り違えているという事で、まあ良くあることなんじゃないでしょうか。強欲と慈悲は裏腹であるという教訓なんじゃないでしょうか。ロスリン礼拝堂にわざわざ礼拝に来るようなお金持ちのビジネスマンには非常に印象的なものとなるのではないでしょうか。美徳と罪は分かち難しみたいなもんで、あれは誤訳でしたか美徳と死は分かち難しなんてのもそういう意味もあるのかもしれません。
さて良い写真が他のブログに多いのでそれを利用させて頂いていますが、この後は外側です。
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これも他のブログのものです。私が訪問した時はこちら側を補修していました。中心がシンクレア家のギザギザのついた十字のようです。周囲が四福音書の聖書記者とその他はちょっとわかりません。良く見ると三段重ねのピラミッドがありました。ここが唯一フリーメイスンリーっぽい所でしょうか。この部分は西側なのですが恐らく増設部分なんだと思われます。
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以前はこうして外構部分を見学するように足場が据えられていたのですね。まあそれほど貴重な感じではなく地方の大事なおらが村の礼拝堂であったというところでその補修保存のために一生懸命開放して見えるように公開していたのですね。ダヴィンチコードブーム前後の推移が分かります。全体を見ると明らかに東側から旧約聖書部分のエルサレム神殿となっていて、その最後が西壁の嘆きの壁になっていて、増築部分に四福音書記者とフリーメイスンリーを示すピラミッドとまさに聖書そのものの構成になっていることが印象されるのではないでしょうか。
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嘆きの壁を模したような形が非常に良く分かるかと思います。そこに十字と四福音書とピラミッドがあるというまさにフリーメイスンリーの教えをそのまま聖書の通読に求める建物自体が聖書のストーリーそのものを象徴的に示している、テンプル騎士団と宗教改革の源流となるスコットランドの独立貴族の守り伝えた精神の核を象徴した建築なのだと思われます。
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これは外構ではなく内部の写真で、英語版ウィキペディアのロスリン礼拝堂にある写真で、いわゆるテンプル騎士団がコロンブスの新大陸発見前にアメリカ大陸に行きついてトウモロコシを発見していたという証拠とされる、maizeとイギリス英語では表現されるようですがそういう植物の形をした装飾です。まあどうなんでしょうね。恐らくシンクレア家がそういうのであればそうなのでしょう。テンプル騎士団とフリーメイスンリーについて書いた本によればシンクレア家の血気あふれる相続者がグリーンランドまで冒険した記録はあるそうですし、それ以上にメキシコ辺りまで行ったという伝承もあるそうです。もしかすると冒険者の中心的な貴族は途中で引き返してもそれ以外の元気な随行者がアメリカ大陸までいってその後ジョン万次郎のように密かに帰国して概要を貴族や司祭を通してカトリックのネットワークなどで情報を伝達していたという事実はあるかもしれません。大航海時代とはそういう時代であったのだと思います。そもそもコロンブスもポーランドなどの王族の御落胤であったこともかなり信ぴょう性があるようですし、コロンブスの行動自体も月探査や日本の開国のように相当のバックグラウンドの情報を持っていて行われたと考えるのは当然なのだと思われます。まあその後のアメリカの歴史を考えても、まさにフリーメイスンリーの発祥の地にふさわしい彫刻であるかもしれません。
外構1
これは私が写真を撮って来たものですね。良い天気ですね。桜を配置しているんですが、まあいまいちですね。
外構2
外構のピラミッドが強調されているのですね。足場があるときはそれを強調していたのだと思われます。まあなかなか難しいですね。
外構3
これは西側の壁でしょうか。見るからに嘆きの壁の形ですね。十字にする途中でタウ十字の形で終わる教会は他にないでしょうし、西側に壁をこれだけもつものもそれだけないでしょうね。
外構4
これも桜と芝ですが、まあちょっといまいちですね。十字の半分がこちらになるわけです。自然主義でしょうかねえ。思索的メイスンリーです。
外構5
まあ桜も芝も綺麗でした。このロスリン礼拝堂のすぐ近くにロスリン城の跡があるそうですが、私は行きそびれてしまいました。ちょうど高齢者の集団が恐らくそのロスリン城の方向から来たのですが、私は結局バス停の場所を聞いてバス停の方に戻ってしまいました。シンクレア家の関係の管理者が住んでいるそうですが、そういう色々なあれもあるのかもしれません。シンクレア家も3人ほどスコットランドグランドロッジのグランドマスターを務めているそうですし、それだけの名家ですからなかなか色々あるようです。エリザベス女王でも最近になってフリーメイスンリーの女性団体の看護を受けた位な訳ですしまあイングランドフリーメイスンリーはまさに清教徒革命、名誉革命の成果を現代に引き継いでいるわけですので深いです。
外構6
シンクレア家の記念碑だそうです。
外構7
この部分を補修しているのも意味があるのでしょうね。
外構8
まあ十字の足りない部分に樹木があるのもまさにユダヤ教そのものかと思われます。樹木の記念日もそういう意味です。
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これだけ勉強してからこの解説も読むと面白いのでしょうが、この当時はとにかく閉館間際で写真だけさっさと撮っていこうと撮ったのですね。スコットランドグランドロッジでもロスリン礼拝堂の設計図を売っていたのですが、今なら欲しいですね。
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面白いですねえ。これだけ勉強してからこう言う解説を読むと非常に面白いです。
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いいですねえ。ミニチュアが欲しくなります。
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石の形で音響が生じる波紋と同じなどとして音楽を作ったりしたようです。良く分からずにイメージソングかと思ってCDを買ったりしてしまいましたが、解説した動画がありました。参照してください。この写真とは直接関係はありませんね。
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完全にピンボケで読めませんね。
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何度も同じ解説を写真に撮っているのですね。
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資金難かどうかはわかりませんが、確かに十字に建築しようとしていたようです。しかしなかなか大した建築ですねえ。十字の規模になっていたらセントポール大聖堂以上の建築かもしれませんね。
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これは外の写真ですね。もしかすると入館前に撮ったのかもしれません。
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この横の建物がかつての巡礼者の宿であったようです。通路を撮っているのですかね。
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外から撮ったロスリン礼拝堂です。そんなに重要なもんじゃないですよね。
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これは他のブログにもたくさん出てますが、最新の状況のチケット売り場とお土産屋、カフェの併設した建物です。まさにスタバみたいですが、パーフェクトアシュラーの形の植木鉢や三段の形になった壁、直角定規の形の屋根などシンボリズムは踏襲しているようです。まあとにかく天気でよかったというところでしょうか。このお土産屋さんは前回触れたように沢山のお土産が売っているのですが、一番驚いたのがフリーメイスンリーのシンボルのキーホルダーを売っているところでした。インターネットでも買えますが、古今東西で教会で観光地の場所でフリーメイスンリーのシンボルのキーホルダーを売っているところはここだけかと思います。実質的なスコットランド、イギリス、世界中のフリーメイスンリーの最初のロッジであり、最初のグランドロッジである場所かと思い、恐らくそういう場所はここだけなのだと思われます。キーホルダーを買えたらフリーメイスンの認証かもしれませんね。
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3が消えて4が出ているところがこの時代の実務的メイスンリーを象徴しているのかもしれません。これだけだといわゆる実務的メイスンリーの認証は出来るが思索的メイスンリーの認証ではないと。まあそんな感じじゃないでしょうか。
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かつての旅人の宿舎であったらしい小屋です。1660だと微妙にそれっぽくないですが、恐らく番地なんでしょうね。
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宿舎の解説ですが、ブラザーロバート・バーンズやブラザーウォルター・スコットの名前も出ているようです。スコットランドのフリーメイスンが必ず訪問する隠れグランドロッジのような存在なのではないでしょうか。
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どうもこの先にあるのがロスリン城のようですが、この時はもう帰る事ばかり考えていて城を見る時間はあったのですが見損なってしまいました。なかなか一日以上は掛けてゆっくりと堪能するのがロスリンの正しい訪問の仕方のようです。
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こちらはほとんどバス停のT字路にある休業中のホテルです。恐らくダヴィンチコードバブルの時は繁盛したのでしょうね。何ともさびしい感じですが、大ヒットの余波は大体こういうものです。
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ここから後がこのブログの真骨頂でしょうかね。T字路のところに二軒ホテルがありますが一軒しか営業していません。
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バス停のところに貼ってあった告知です。何やらロスリンの文化が感じられます。
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これはちょっとT字路から離れた教会近くの売家です。なかなか良いお宅です。管理が大変そうです。
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コンドミニアムみたいな感じなんでしょうか。横須賀で言うと馬堀海岸の連なった家のようです。
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そしてこれが注目のカトリック教会です。ロスリン礼拝堂より明らかに立派で人々が日曜礼拝に参列する姿が目に浮かぶ地域の信頼厚い教会という感じです。どうもロスリン礼拝堂でダヴィンチコードで町おこししたお金はカトリック教会の整備に使われていそうな雰囲気です。三位一体の形やピラミッドの形など明らかにロスリン礼拝堂を意識していながらそれよりもキリスト教的な整然とした対称的な形が印象的です。
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ここは十字架が何のケレンミもなく象徴としてあります。実際英王室も半分くらいはカトリックに改宗していたりと、英国王にしても英国国教会の首長であってもやはりキリスト教界の序列ではカトリックの教皇がトップでありやはりキリスト教といえばカトリックなのですね。こういうところが宗教とは異なるフリーメイスンリーで宗教的な寛容が特徴であっても、キリスト教カトリックの例えばイエズス会に象徴されるような宗教としての信仰心の篤さや組織の固さはやはりカトリックなのだと思わされます。前教皇のベネディクト16世はヒトラーユーゲント出身でありましたが、現在の教皇フランシスコはフリーメイスンリーの盛んなアルゼンチンの出身であり、フリーメイスンリーロッジを訪問する姿もフェイスブックの写真であったりとカトリックとしてもフリーメイスンリーの活動に寛容であるようですがまた一方ではこうしたフリーメイスンリーの本場のスコットランドでもこうした教会の人気があったりします。なかなか時代は変わっていきます。
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バス停の近くのお土産屋さんはロスリン礼拝堂の観光客を目当てにしているのか、様々な石や六芒星のようなシンボル、仏像のような様々な印象的なお土産を置いていました。
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バス停のすぐ先にフリーメイスンリーのロッジがありました。
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こちらにもやはりイベントの告知がありました。誰も人がいなかったのでフリーメイスンと直接会う事はありませんでした。
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バスは30分に一本くらいだったでしょうか。これは帰りにバスから撮ったエディンバラ大学のロスリン研究所です。クローン羊のドリーを作成して世界的に話題になった場所です。副題ともしましたが人類の遺伝子の二重らせんを引き継ぐ永劫の取り組みは現代でも変わることなく行われ、それを象徴するのがこのロスリンの地、ローズラインの地という事で良いのかと思います。生命科学の研究者や臨床医学、基礎医学に携わる人は是非一度訪問して生命倫理、我々が引き継いで受け渡していく生命の繋がりを今一度考える機会の場としたら良いのではないかと思ったりしました。科学と宗教が一致した中心、GodとGeometryのGを中心に据えたフリーメイスンリーのシンボルの土地はそんな現代の諸問題の原点に立ち戻ることができる土地かもしれません。
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クローンではない羊も沢山いました。実はクローンかもしれませんね。やはりハギスは日本ではなかなか食べられなさそうです。
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帰りに驟雨がひとしきりありました。ノアの洪水なのかもしれませんが、もちろんその後また虹を三度見ることになります。
2013-08-17 17:50 | カテゴリ:スコットランド
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
さあ全面的に有料化して激動のブログですが読者が保てるでしょうか。
内容自体は淡々と継続していきます。
フリーメイスンリーの発祥の地であるロスリン礼拝堂を後にして夕景のエディンバラのプリンスィズストリートです。プリンスィズストリートは旧市街と新市街の間で旧市街が主に観光客向けの店やパブが並ぶのに対して、こちらの新市街になるプリンスィズストリートはブティックやオシャレな店が並び、基本的には観光客を意識していますが、マンションのような建物もあり住人にとってのメインストリートとなるようです。後で出てくるフリーメイスンリー歴史学会とセットであったガラディナーの場所であるニュークラブのある通りもここでした。
エディンバラ市街
今回は主にジョージホテルのある新市街側周辺と旧市街の一部、ホリールード公園などを主に回りましたが、その他にも旧市街のエディンバラ大学側にはジョン・ノックスの住んだ家やエディンバラ博物館、忠犬ハチ公のモデルになったようなボビーという犬が埋葬されているグレーフライヤーズ教会墓地、ハリーポッターが書かれたというパブ、エレファントハウスという場所もあるそうです。どうもハリーポッターの内容も簡単なデモレーかボーイスカウトの話のような物語のようです。新市街の方も国立肖像画博物館や私が結局行かれなかった聖メアリー教会ロッジといったなかなかフリーメイスンリー的に重要な場所が多数あるそうです。また再びいく機会があればこれらすべて巡ってきたいかと思っています。また衛星写真を見ると分かるかと思いますが、エディンバラの西側には教会が多いのですが、その部分にはスコットランド国教会のシンボルともなっているクレシェントClescent、このブログではヴェシカ・パイシーズVesica piscisとして紹介している形が認められます。女性器の象徴としてあり、その一方でカールトンヒルの塔などが男性器の象徴として対応して、それぞれ対になっている構成かと思われます。横浜のランドマークタワーなどもそれに対応しているのかと思われますが、それと同じように主要な通りの名前もジョージストリートの北側にクイーンズストリートがあり、プリンスィズストリートは元は守護聖人のセントジャイルズストリートであったそうですが、ジョージ三世の意向で王子を意味するプリンスィズストリートとなったそうです。
1768_James_Craig_Map_of_New_Town,_Edinburgh,_Scotland_(First_Plan_of_New_Town)_-_Geographicus_-_Edinburgh-craig-1768
ウィキペディアにあった新市街の設計図を載せておきます。
それでは写真です。
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これはプリンスィズストリートの西の端に位置する福音記者聖ヨハネ教会です。スコットランド聖公会になるそうです。ウェストミンスター宮殿と良く似た形となっています。ある程度似せているなどあるのかもしれません。
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これはまあ完全な逆光ですがブラザージェームズ・シンプソンという産科医でクロロホルムによる麻酔の医学への応用を初めて行った方だそうです。エディンバラ大学の産科の教授でヴィクトリア女王の出産にクロロホルムによる麻酔を使用したそうです。クロロホルム自体は毒性があるためその後は使用されなくなりました。恐らくフリーメイスンなのだと思われます。
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これはまあ完全に逆光ですがエディンバラ城のショットです。
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ブラザートマス・ガスリーの銅像です。篤志家でそもそもエディンバラ大学で外科学と神学を勉強したそうですが、後に牧師となりRagged School慈善学校を建設したそうです。やはりスコットランド自由教会の重要な指導者であったそうです。
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散りかけの桜となんとか重ね合わせようとしているのですが、どうも完全な逆光にiPhoneのカメラは弱いようです。今回の旅行ではやたらと逆光で撮っていますが、まあiPhoneのカメラの限界なのでしょうね。どうも逆光で必死で撮るような刷り込みがあったようです。
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王立スコットランド竜騎兵、第二竜騎兵またはその後合併して王立スコットランド近衛竜騎兵となった部隊を記念した騎馬像です。いわゆるバグパイプを鳴らす騎兵連隊です。騎馬から銃を射撃したそうです。特にワーテルローの戦いで活躍して、フランス軍の象徴である鷲のシンボルを奪ったためそれを部隊のシンボルとしているようです。ジャコバイトの反乱でも活躍したそうで、第二次世界大戦時には戦車部隊となったようですが参加し、その後騎兵部隊として合併されたようです。
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完全に逆光ですが頭の形からブラザーアラン・ラムゼーという詩人、鬘職人の銅像と思われます。詩人として1712年のEasy Clubというクラブの創設メンバーであり、桂冠されているそうです。15・16世紀の詩人たちとその後のブラザーロバート・ファーガソンやブラザーロバート・バーンズの時代を繋ぐ詩人とされているそうです。ウィキペディアに詩がありましたので参照してください。
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王立スコットランドアカデミーのスフィンクスです。スコットランドでは珍しくユニオンフラッグがはためいていたので撮ったのだと思います。
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ブラザージョン・ウィルソンの銅像です。ブラックウッドエディンバラマガジンという雑誌で執筆されていたそうで、クリストファー・ノースというペンネームでホイッグ党を支持したエディンバラレビューという雑誌のライバルとして支持されたそうです。ホイッグ党とトーリー党という派閥自体がその後の名誉革命の引き金となるカトリックのチャールズ二世の即位をきっかけに生まれたそうです。王権神授説と国教会支持で王権に対して保守的であったのがトーリー党で、現在の保守党となり、国教会以外に宗教的に寛容で王権に対して議会が制限する姿勢であったのがホイッグ党で後に自由党、自由民主党となり、現在は保守党と連立政権を組んでいるそうですが、二大政党制からは労働党にその勢力を奪われてしまっているようです。
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これは唯一逆光にならずにとれた花壇ですね。まあ非常に綺麗でしたが、カメラが悪かったようです。
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これは以前も触れたブラザーアダム・ブラックの銅像です。
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これはやはりブラザースコット記念塔です。後々に中に上がって解説します。
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これはジョージホテルの隣にある聖アンドリューと聖ジョージの西教会というスコットランド長老派教会の教会です。やはり新市街が建設された際に建設されたそうです。ホームページによるとお茶会やコンサートなどを盛んに開いているそうです。写真はセントアンドリュースクエア近くの聖アンドリュー教会の方です。もう一方の聖ジョージの西教会はシャルロット広場の近くにあるようです。とにかく新市街は街が対称形に一致して作られているのですね。そして長老派教会と自由教会とバプティストとカトリックがそれぞれ様々に連携して存在しているようです。最近でも教会を閉じたり連携したりと様々に組織が変更しているようです。牧師がやはりフリーメイスンなのだと思われます。

次は日付が変わって翌日です。
2013-08-24 21:44 | カテゴリ:スコットランド
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
さて課金制となって読者がゼロになってしまったわけですが、最初の訪問者を待ち受けんとすべく書きすすめる事とします。

到着後3日目の朝になるのでしょうか。確か夕からフリーメイスンリーの歴史学会のプレコンサートがあってディナーが行われた日だと思います。一通りエディンバラを周って、ロスリン礼拝堂まで見ていますので予定としては午前中にセントアンドリュースを訪問して観光してこようと計画したのだと思います。

まあそんな緊張感の高まって来たエディンバラの朝ですが再びホリールード公園のアーサーズヒルを目指します。そりゃフリーメイスンリーの世界大会に参加するとなれば誰だってテンションは上がるものと思います。そういう気分でお読みください。
表題のScottish Lightですが、もちろんScottish Riteのダジャレですが、スコットランド啓蒙時代、Scottish Enlightenmentと、朝日の光の写真をかけたものとなっています。スコットランド啓蒙時代、またはスコットランド啓蒙についてはウィキペディアの英語版もしくは日本語の解説ページを参照してください。いわゆるヨーロッパ全体の啓蒙思想としてウィキペディアの解説ページもあります。もちろんこのブログをここまで読んできている方であれば、啓蒙=フリーメイスンリーと理解することができるし、その本質を理解して実践しているのではないかと思っています。

ホリールード公園のホリールードの由来についてはウィキペディアのホリールード寺院を参照してください。

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再びジョージストリートのブラザージェームズ・クラーク・マクスウェルの銅像です。ブラザーマイケル・ファラデーによる電磁場理論をもとに、1864年にマクスウェルの方程式を導いて古典電磁気学を確立し、さらに電磁波の存在を理論的に予想しその伝播速度が光の速度と同じであること、および横波であることを示し、これらの業績から電磁気学の最も偉大な学者の一人とされる方です。確かブラザーマイケル・ファラデーはウェストミンスター寺院に顕彰する記念碑があったかと思いますが、どちらもフリーメイスン、王立協会フェローとなっているようです。ブラザーファラデーが現在のモーターや発電機の原理を発見し、ブラザーマクスウェルがそれらを応用したマクスウェルの方程式でそうした電磁波の法則を方程式に還元し、現在では電磁波、電波の通信や光の通信に応用され、それがさらにアインシュタインの特殊相対性理論によって光と電磁場と時空の理論として統一されるようです。
ちなみにウェストミンスター寺院で最も目立つお墓であるやはりブラザーニュートンがフリーメイスンかどうかについては、いずれIsaac Newton's FREEMASONRYという本を読んでこのブログで検討したいかと思います。

Isaac Newton's Freemasonry: The Alchemy of Science and MysticismIsaac Newton's Freemasonry: The Alchemy of Science and Mysticism
(2007/03/22)
Alain Bauer

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以前のウェストミンスター寺院の回では業績はフリーメイスンに値するが結婚しない女性を寄せ付けなかった一生がフリーメイスンとは認められないという表現をとりましたが、一般的には王立協会会長を務めブラザークリストファー・レンやブラザーデサグリエなどと交流があったブラザーニュートンはフリーメイスンと考えられるようです。上述の本にはイングランドグランドロッジの歴代の空想的なグランドマスターやまたスコットランドグランドロッジについてもそうした記述があり、またイングランドグランドロッジのかつてのリチュアルが載っていたりしますのでそれを検討したいかと思います。
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ブラザーマクスウェルの銅像の下にある浮き彫りです。理論物理学を人間の動きで表現しているのでしょうか。現在の電気に囲まれた生活の元が彼の理論と業績に基づいているのは明らかなので、そうした彼の業績を数多くの人間の動きで示しているのかもしれません。三角形がいわゆるフリーメイスンリーの幾何学の象徴となっているかと思われます。
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こちらは銘板です。ブラザーマクスウェルの詳細についてはウィキペディアを参照してください。
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こちらは同じくブラザーメルヴィル記念塔です。朝5時くらいだったでしょうか。スコットランドの光な感じが見えてきているでしょうか。
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スコット記念塔とエディンバラ城も上の方が明るくなっています。
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明らかに作ったような光線の加減なわけですが、カメラが悪いですねえ。スコットランドの光の感じは出てるかと思います。
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スコットランドの啓蒙の光です。カールトンヒルに輝いています。
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セントジャイルズ大聖堂の頂部を照らしています。
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ロイヤルマイルズを照らしています。
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キャノンゲートカークのブラザーファーガソンにはまだ届いていません。
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ロイヤルマイルズとスコットランド国会議事堂は十分照らされています。
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ホリールード宮殿の向こうに光が見えてきます。
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これがホリールード公園のガイド小屋ですね。
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ホリールード宮殿の入り口です。ホリールード宮殿も幾多のスコットランド王室、大英帝国王室のドラマの舞台となった場所です。
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ホールを見たり景色を見ながらアーサーズシートを目指します。
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前回はこの道をまっすぐ行って山頂を目指したのですね。今回は反対の後ろ側を行きます。
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右側の道というところでしょうか。
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ロイヤルマイルズ、エディンバラ城、エディンバラ大学の方向の景色が良く見えます。
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こちらの道は昇りも緩やかで景色も綺麗でしたかね。しかしなかなか登らないので山頂になかなかつかない感じでしょうか。迂回している感じです。
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少しのぼって湾側の景色が見えてきたのですね。雲の感じがこの光の加減がそれほど普段の感じではないことが分かると面白いのですが。
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道はこんな感じでちょっと迷いそうなあぶない感じですね。観光客でできたけもの道みたいな感じです。がけもすぐ近くでまあ普通は大丈夫ですが最初は怖い感じです。
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アーサーズシートは一番高い所でこちらは見栄えの良い崖の方でアーサーズシートではありません。左手の道が通って来たところです。
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景色はこちら側が良いですが、まあ迂回してますし登りにくいです。
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これはまた違うアーサーズシートの横の山です。
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雲の感じがわかりますかね。スコットランドの光のスコティッシュライトはそういう現代科学の粋の光なのです。
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美しい小山です。
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大体四人ぐらいで並列で歩くのでこういう跡になるのでしょうか。お父さん、お母さん、お姉さん、弟みたいな並びになっていそうでまるで鯉のぼりの並びのようです。青々とした草の大地を歩く感じはまさにブラザーウィリアム・ブレイクの聖歌エルサレムの感じです。
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こちら側は非常にエディンバラ城が綺麗に見えます。恐らく一番綺麗に見える場所じゃないでしょうか。一度はここから見られることをお勧めします。
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一番綺麗にとれたスコットランドの光のショットでしょうか。まさに天から見つめる目All Seeing Eyeをモチーフとしたエディンバラの朝日です。啓蒙の光は心の底まで届いているでしょうか。
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朝日に包まれたエディンバラ城の美しい光景です。
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光は徐々に強くなってきます。
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自らの影を写しながら。
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天からの光に包まれながらAll Seeing Eyeに見つめられて徐々に啓蒙の時代の朝が明けていきます。
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カールトンヒルとホリールード寺院とホリールード宮殿です。
2013-08-26 21:56 | カテゴリ:スコットランド
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
ウォレスとともに血を流したスコットランド人よ、
ブルースがしばしば率いたスコットランド人よ、
よくぞ来てくれた、血染めの床か、――
 勝利の戦場に。――

今がその日、今がその時、
見よ、戦いの機が熟すのを、
見よ、迫り来る得意顔のエドワード軍を、
 鎖と屈従をもたらすやつら。――

誰が裏切り者の悪党になろうというのか。
誰が臆病者の墓に入ろうというのか。
誰が卑しい奴隷になろうというのか。
 ――そんな奴は逃げるがよい。――

スコットランドの王と法のために、誰が
自由の剣を雄々しく抜いてくれるか、
自由人として立ち上がり、倒れるか、
 そういう者はわれと一緒に戦おう。――

あの圧政の悲しみと苦しみを思え、
隷属の鎖に縛られた息子たちを思え、
われわれはかけがえのない血を流す、
 だがそれが息子たちを自由にさせるのだ。

あの高慢な強奪者を打倒せ、
敵が一人倒れるごとに暴君は倒れる、
敵に一撃加えるごとに自由は生まれる、
 戦って勝利を、――さもなくば死を!

Robert Bruce's March To Bannockburn

Scots, wha hae wi' Wallace bled,
Scots, wham Bruce has aften led,
Welcome to your gory bed,
Or to Victorie!

Now's the day, and now's the hour;
See the front o' battle lour;
See approach proud Edward's power-
Chains and Slaverie!

Wha will be a traitor knave?
Wha can fill a coward's grave?
Wha sae base as be a Slave?
Let him turn and flee!

Wha, for Scotland's King and Law,
Freedom's sword will strongly draw,
Free-man stand, or Free-man fa',
Let him on wi' me!

By Oppression's woes and pains!
By your Sons in servile chains!
We will drain our dearest veins,
But they shall be free!

Lay the proud Usurpers low!
Tyrants fall in every foe!
Liberty's in every blow!-
Let us Do or Die!

感想:なぜこの詩を取り上げたかというとブラザーロバート・バーンズの詩を代表的な曲にのせた楽曲というのがあり、それらを聞いている中でこの曲のFree-manという部分の歌詞がどう聞いてもFreemasonを意味しているようにしか聞こえず、まあそういう意味なのでしょうが準国歌の歌詞の中にフリーメイスンの意味にかかった言葉が出てくるというのもなかなかすごい事なので取り上げました。情景はいわゆるスコットランドの英雄であるロバート・ドゥ・ブルースが一旦はイングランドに従属しながらも継続したゲリラ戦術で徐々に勢力を回復し、ついにはバノックバーンの戦いで決定的な勝利を収めてその後の治世でイングランドに軍事的優位を保ったという、スコットランドのイングランドからの独立の歴史的な経過の最も重要な場面です。ロバート・ドゥ・ブルースの死後は再びイングランド軍が優位に立ちますが、結果的にイングランド、スコットランドの恒常的な対立関係はその間の戦術や権謀術数の駆け引きの向上ややがては宗教的な独立性の確保、騎士階級や独立貴族の自立を促していったようです。すなわちそうした継続した実力主義社会が後のフリーメイスンリーの発展にも繋がったと考えられるかと思われます。ちなみにこの時代の反逆者はウィリアム・ウォレスを始めとして四つ裂きの刑が当たり前であったようです。最後の有名なものはジャコバイトの反乱の際に認められたそうです。そうした歴史からその後のフランス革命ではギロチンが流行したという事もあるのですね。日本では豊臣秀吉の時代の石川五右衛門の釜ゆでの刑や火あぶりの刑などが有名かと思います。フリーメイスンリーでも入会のリチュアルでこれに似た表現や記憶抹消の話などがあったりします。こういう時代の名残の表現であるかと思われます。
まあブラザーロバート・バーンズはその後の有名なロバートとして、セカンドネームのバーンズが含まれるバノックバーンの戦い、やはり小川という意味のようですが、その戦いを情景として詩にしたかったものかと思われます。ブラザーロバート・バーンズの名前自体がスコットランドの歴史を象徴しているものであったのですね。
2013-08-30 21:42 | カテゴリ:スコットランド
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
さて理論的には誰も見る事は無いスコットランドの旅編ブログですが、皆さんの興味を喚起する意味でも持続的に継続する事とします。
前回再びホリールード公園に登ったわけですが、今回は前に登ったところと同じアーサーズシートという最も高い山頂を目指します。
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途中にある古い教会の廃墟の壁です。
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前も出したと思いますが池に白鳥がいます。
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途中の道と山頂です。山頂の形がモコっとしています。
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途中はこんな感じです。実際に登るのに参考になるかと思います。
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木が一本だけ立っていたりします。もちろんフリーメイスンリーのシンボルになります。
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フォース湾の方向です。
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山頂部分の最後の道です。
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再び山頂からの光景です。この手前の崖の上の部分からの方がエディンバラ城は近くて綺麗に見えます。
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山頂のコンクリの目印と朝日です。なかなか光の加減が難しいです。
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前日に作った石の文字のScotland '13を変えて作ったScotland 33°が残っているか確認します。
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拡大です。ありゃあ13に戻されちゃっています。これは一大事ですね。
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その他は個人の名前でしょうかねえ。中国人や韓国人が多いようです。まあ毎日変更されているみたいです。
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分かりやすいようにここまで変えておきました。これだとさすがに元に戻すことはできないでしょう。
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うーん出来栄えに満足といったところでしょうか。
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何度も撮っているのですがちょっとわかりませんね。
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名残惜しく何度も撮っています。
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こちらも光の加減を撮っています。湾の突端に久里浜の東電の煙突のような建物がありやはり同じように煙突が二本ありました。
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また光の加減の異なるエディンバラ城です。
IMG_6164.jpgIMG_6165.jpgIMG_6166.jpg
それぞれ同じアングルを違う光の加減で何度も撮っています。
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これなんかはいい写真ですね。気持ちのいい山頂の雰囲気が良く出ていると思います。
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All Seeing Eyeの形にはなっていませんが、写真を撮るには良い加減の光です。
IMG_6169.jpgIMG_6170.jpgIMG_6171.jpgIMG_6172.jpgIMG_6173.jpg
やたらと撮っていますね。久里浜の景色に似ていると思ってたくさん撮ったんですね。煙突はあまり見えませんが、まあそういう事にしてください。
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あとはさらに明るくなってきたところを撮っています。
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明るくなってきたところで何度もScottishRite 33°square&compassを確認します。まあ拡大しないと分かりません。
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まあ光が強くなっておしまいです。

なんのこっちゃというブログですね。
2013-09-22 09:48 | カテゴリ:スコットランド
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
さてのんびりとしたスコットランドエディンバラの旅です。最近の日本も台風後は涼しくなって良い感じです。
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朝日をアーサーズシートで感じて降りてくるところですね。この日は天気も良く光の加減も良く良い景色です。
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野ウサギがいましたねえ。
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こっちは鳥を撮っているんでしょうかね。オナガのようなカラスのような白黒の鳥がいます。スズメもいますが日本とは柄が違います。
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これもカラスを撮っているんでしょうかね。
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オナガみたいな鳥を撮っているんでしょうかね。鳴き声はちょっと良く分からなかったですかね。
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なかなか難しい写真ですね。オナガのような鳥を撮っているんだと思います。
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もう少し下って来たところで教会跡の廃墟を撮っているのですね。
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多分野ウサギがいて撮っているのだと思いますが良くわかりませんね。
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野ウサギですね。この日は良く見られました。糞もそこらじゅうにあったりします。
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古い教会跡ですね。日本だとこれくらい古い石造のものがあると皆国宝級でしょうね。まあ宗教改革でみんな壊されちゃったカトリックのチェーン店みたいな感じでしょうか。
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これは野ウサギの糞でも撮ってるんですかね。
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1581年と言うと日本だと戦国時代でしょうかね。まあユダヤ教、キリスト教、新教旧教の争いはその時代から常にあったという象徴なんでしょうね。
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まあスコットランドはとにかく教会の廃墟が多いですね。そこに価値を見いだしているのでしょうね。
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これも野ウサギを撮っているんでしょうかね。遠くにエディンバラ城が見えます。
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こんな建物の感じと言うところでしょうか。
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何を撮っているんでしょうかねえ。緑の芝でしょうか。
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これはスコットランド国会議事堂の壁にある諺のプレートですね。なんでこれかはちょっと良くわかりませんが、約束する事と約束を果たす守ることは別であるという意味のようです。その他についてはこちらを参照してください。
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再びキャノンゲートカークです。
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なかなか美しいです。
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その反対側の屋根のピラミッドです。
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そのちょっと上のところにあるモザイクの床です。まあこれがフリーメイスンリーのシンボルとはちょっと言い難いですが、そういうデザインの床と言うところです。ジョン・ノックスの住居もこのロイヤルマイル沿いでキャノンゲートカークのちょっと上にあったようです。また訪問する事があれば行く場所でしょうか。まあ確実にアーサーズシートは行くのでしょうね。

スコットランドの光は届いたでしょうか?有料化したので届きませんかね。
2013-09-29 19:40 | カテゴリ:スコットランド
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
まあ大分空いて有料にしてから誰も見ていないわけですが、定期更新と言う事でスコットランドの旅行記の部分の記事を作っていこうと思います。なかなか本を読んだり英語を訳したりしないといけないわけですが、有料にしてこれだけ反応が無いとモチベーションも落ちるのはやんぬるかなというところでしょうか。
この部分にしてもブラザーサーウォルター・スコットの作品について一つくらい読んでおかないとなかなか記事も書きづらいのですが、読者も現在のところゼロというところでとりあえず作る形とします。
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朝にアーサーズシートを登った後なのですね。一旦ホテルに戻るのだと思います。プリンスィズストリートのスコット記念塔ですね。遠くに見えるのがスコットランド国立銀行か図書館の建物だと思います。
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ブラザーサーウォルター・スコットの像です。アイヴァンホーと湖上の美人について読んだら記事としようかと思います。(10/26追記:ジョン・スチールという方による彫刻だそうです。恐らくフリーメイスンなのだと思われます。その他にはエディンバラ国立公文書館前のブラザーウェリントン公の騎馬像や、ロイヤルマイルズの馬を引くアレクサンダー大王などがあるそうです。)
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エディンバラで最も目立つ塔ですが、なかなか中に入っている人は少ないようです。入場料は3ポンド位取ったんではないでしょうか。あとで内部の写真も出しますが、まああまり入場している人はいません。英語版のウィキペディアの解説がありますが、高さや階段の数など色々謎が含まれているようです。
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これはジョージホテルの近くのブラザーメルヴィル卿記念塔でしょうか。珍しく綺麗な雲が出ていたのですね。
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これが題名になっているウェイバリー駅です。ウェイバリー橋から入るようです。地下にあるような形になっていますが勾配はそれほどきつくはありません。まあセントアンドリュースに行こうと思って一旦確認したんですが、どうも列車の出発まで一時間以上間があるのでその辺を巡る事としました。
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またまたスコット記念塔です。ゴシックロケットと称されるようです。
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ナショナルアカデミーの横で撮影のような事をやっていました。毎日イベントみたいなことをやっているエディンバラの中央広場のようなところです。良く見ると監督みたいな人が六芒星の付いた帽子をかぶっています。恐らくフリーメイスンなのでしょうね。
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この広場には分かりやすいエディンバラの旧市街と新市街のジオラマ模型がありました。最初に見ておくとエディンバラの立体構成が分かりやすいかもしれません。
2013-10-13 08:06 | カテゴリ:スコットランド
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
本日は横須賀で3回目となる魔笛の記念すべき公演日で恐ろしいほどの天気となっているわけですが、また恐ろしいほどの台風で葉を痛めつけられたヴェルニー公園の薔薇は手入れの甲斐あってなんとか一度は満開になりそうな気配ではありますが、去年の今頃はちょうど秋薔薇のローズフェスタが行われていた時期で、恐らくこのままいくとちょうど10月20日頃の秋のベース開放であるみこしパレードの頃に薔薇もいい見ごろになるのではないかと思われる、大きなマンションも立ち、これから人が増えそうな雰囲気があるここ横須賀です。(書き出しが10月12日だったのですね。)

というわけで何やかやでまたもやボランティアブログとなった当ブログですが、スコットランドの旅はまだまだ中盤で、メインであるフリーメイスンリー歴史学会のアブストラクトの翻訳や解説はまだまだ到達しておらず、長い夏休みから明けた如くブログ作成を進めなければならない状況のようです。

で今回の場所はロイヤルマイルズでもっとも目立つ建物であるセント・ジャイルズ大聖堂なわけですが、前々から言っていた通りこの建築が恐らくスコットランドエディンバラの最大の謎、まあ要するにフリーメイスンリーのシンボルが教会の一番上に示されているという事なわけですが、まあそうなるといわゆる長老派教会、プロテスタントというのは結局全部がフリーメイスンリーと一緒なのという話になるわけですが、まあ実際はそういう事なのでしょう。そうすると結局フリーメイスンリーがカトリックと対立関係があるとか、アメリカはフリーメイスンリーが作った国であるとか、イギリスはフリーメイスンリーの発祥の国だとか、ドイツも実はそういうフリーメイスンリーが盛んな国だとか、フランス革命はフリーメイスンリーが関わっているだとかそういう話も非常に分かりやすくなるのではないかと思われます。またフリーメイスンリーはユダヤ教であるとか、フリーメイスンリーは友愛団体であるとか、実は組織ではないとか、規則や罰則は無く個人の信条だとかそういう話も非常に理解しやすくなるのかもしれません。プロテスタントの方々が素朴に感じた、どうも聖書の神は沢山いたり一神教になったり性格が変わったり、どうも聖書は書き手がたくさんいそうだったり、歴史書だったり創作話のようであったりといった、いわゆる自由な読み手の読後感がそのまま宗教的寛容やそれでいて聖書の統一したテーマである、この世の運命論やいわゆる予定説といわれる神と人間の存在の関係性が感じられ、それらはまたユダヤ教徒が長年かけて培ってきたユダヤ教の教えともまた非常にリンクするものであり、それらがまた旧約聖書や新約聖書に隠されたあからさまに語られない知恵や真実の探求へといざなうものでもあったのかと思われます。

フリーメイスンリーの教えや勉強法はそのほとんどがキリスト教とユダヤ教からとられていて、最終的には聖書の引用や解釈と密接に関わっています。日本では今年は伊勢神宮の式年遷宮や、出雲大社の遷宮などもありましたが、古来からの伝統宗教である仏教や神道が宗教的基盤のほとんどでありながら、実際には明治時代以降日本にやって来たこれらフリーメイスンリーの知恵によってもたらされた科学技術や民主主義社会の考え方に基づいてほとんどの生活が行われるというまさに和魂洋才を体現した形となっているかと思われます。仏教や神道の考え方も確実に内包するのが聖書の知恵やキリスト教、ユダヤ教の知恵であり、それらがまた宗教的寛容としてフリーメイスンリーに表されているものであり、真の文明化、日本人自身が真似ごとではなく作っていく文明化社会を築くにはやはりこうした旧約聖書、新約聖書の知恵を自らのものとしていかなければならないと私は考えています。
宗教的寛容とはすなわち自由だと思います。自由とは自ら選択する自由であり、何かをしない自由とともに選択するために十分に理解したうえで選択する事ができる自由であるかと思います。日本人は西洋文明の根幹にあるキリスト教やユダヤ教について無知であります。無知でありながらその表層にある科学技術や社会制度を否応なく取り込み、自らそれを自由と称してそれでありながら伝統宗教に固執しキリスト教やユダヤ教について無知であろうとしています。これは要するに真の自由ではなく無知に囚われた精神的な囚われ人であるのだと思われます。やはりフリーメイスンリーの教えを正しく理解するには聖書に触れる事は必要であり、それら宗教についての自由度が日本は圧倒的に低いものかと思われます。いわゆる日本教と呼ばれるような全体主義的発想は未だにこの国を覆っているものがあるかと思われます。伝統や既存の社会と調和して個人の倫理観や社会性を高める宗教的価値観がフリーメイスンリーで求められる無神論者でないことの条件であり、それはまたどの社会においても人間個人を評価する上での大前提となる倫理観や行動の規範であり、今日の日本においてそうしたユダヤ教やキリスト教から得られた科学文明の生活と神道や仏教における宗教的価値観の矛盾のひずみは相当なものがあるかと思われ、それらを修正する大きな鍵となる知恵がこれらフリーメイスンリーの知恵と呼ばれる、聖書に基づいた教えなのだと思われます。

とまあ能書きを垂れましたがこのブログを書き始めて最初から一貫して同じことを書いていますが、恐らくほとんどの人はそのままだと思われます。ロスト・シンボルが日本で売られ始めたときに新書が山積みに売られていて、その後古本屋で驚くほどの安い値段で大量に売られていた事を思い出します。日本におけるルネサンスとも言える聖書文学とも言える聖書を読む事の普及にはまだまだ時間がかかるのかと思われます。それと恐らくリンクするのがロスト・シンボルの映画化の話であると思われ、これは結局古の知恵とされるものがどのようなものかという理解が浸透した度合いを測っているところなのではないかと思われます。前作のダヴィンチ・コードの本も読みましたが、あれだけでも10年前ほどなのですが隔世の感がありました。日本でも急速に変化は始まっていると思われます。知は力なりというのは知識についても知恵についても言っているわけで、フリーメイスンリーが本読みの愛好家団体というのも確実なものであって、インターネットはその為の強力なツールであり、こうしたブログもそれらのためのものであり、世界で最高のベストセラーである聖書はまず必読の書である事は間違いないでしょう。

ではその宗教改革の聖地であるエディンバラのセント・ジャイルズ大聖堂の様子を見ていきます。(追記:セント・ジャイルズ大聖堂は宗教改革で重要な役割を果たし、カルバンに師事したジョン・ノックスの遺骨が埋められた場所だそうです。A級戦犯の骨じゃないですが、お墓の場所というのも大事なことです。)
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入り口の写真ですね。3つの三角形が認められます。
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内部の全景です。12世紀ころに最初に建築され、現在のものは15世紀の火事の後の改築したものだそうです。12世紀というと日本では鎌倉時代となるのでそのころから残った建築というと日本では鎌倉大仏位でしょうか。手前の天使は寄付金受けの形をしています。ブルーの天井なのも印象的でしょうか。
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確か内部の写真を撮るのに2ポンド程かかったかと思います。こちら側はスコットランドの聖人や歴史上の人物、美の女神や正義の女神などの像のステンドグラスでしょうか。
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これは聖ジャイルズの銅像かと思われます。フランスを中心に活動した聖人で、やはりライ病の治療を行っていたそうです。まあ当時隔離しか対策が無かった時代の治療かと思われます。
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正面部分のステンドグラスでしょうか。図柄は良く分かりませんが、比較的新しいもののようです。
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大聖堂の中心にある祭壇です。明らかにパーフェクトアシュラーの形をしています。ロウソクが二本ありますが、これが三本あったら完全にフリーメイスンリーの3つの小さな光になりますね。どこかから三本目を出してくることもありそうです。
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新約聖書のイエスの宣教の過程を表したステンドグラスでしょうか。
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ユニコーンが左右に配置された紋章があります。スコットランド王室の紋章でしょうか。
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これも新約聖書のシーンでしょうか。
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シンボルとしての太陽が目立つ、三人の聖人を賞讃した碑でしょうか。
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最後の晩餐とゴルゴダの丘へ向かうキリスト、磔にされたのちに復活する様子が描かれているようです。
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これも全てのステンドグラスを撮ろうとしたんですが、やはりカメラが駄目ですね。
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これもキリストの宣教の様子のようですが、ほかの聖人の様子かもしれません。
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パイプオルガンが非常に立派です。
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アーサー王伝説みたいなのを描いているのでしょうか。これだけフリーメイスンリーが集まっているところの大聖堂のステンドグラスですから、様々な寓意が相当に込められたものかと思われます。良く知っている人や解説書に教わると非常に面白いのでしょうね。
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パーフェクトアシュラーと青天井は非常に素晴らしい構成となっています。
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All Seeing Eyeのような円蓋でしょうか。この上に王冠の形をした屋根があるようです。
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この後のセントアンドリュースの教会もそうですが、長老派教会は良く六芒星が目立つようにあるのが普通であるようです。カトリックだとそれだけでカトリックと反対になるようですが、プロテスタントではやはり六芒星がポイントなのですね。まあいずれにしてもみなさん旧約聖書を読んでください。内部にはΧΡとアルファオメガのシンボルがあるようです。
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これもシンボリズムですね。ロバート・ドゥ・ブルースの心臓とは限定されないのだと思われます。信仰や良心、心性の象徴なのでしょうね。
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(追記:検索するとフリッカーに2010年8月のアップロードでありました。そのままステンドグラスの枠内で読むとIn corporation of Wrights. Waru's chapel Masons.でしょうか。職人の協力の元に。Waru'sは恐らく世界中の教会のメイスンの元に。という意味かと思われます。つまりプロテスタント長老派教会の中のフリーメイスン達の協力の元に作られたという事かと思われます。宗教改革以前はカトリックの教会であったことを考えれば、そこにフリーメイスンリーのシンボルがある事はそういう宗教改革の血の歴史を乗り越えた人類の啓蒙の歴史そのものを示しているのかもしれません。)
これがそのセント・ジャイルズ大聖堂の高みに位置するフリーメイスンリーのシンボルですね。あまりフェロークラフトだとかエンタードアプレンティスとか関係ないのだと思われます。シェブロンに三つの塔、青字もイングランドグランドロッジの紋章かと思われます。教会とフリーメイスンリーが協力して王冠を支えるという構成がこのセント・ジャイルズ大聖堂の構成なのですね。
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大天使がホタテの貝をもった恐らく募金用の像なのだと思います。洗礼盤とかではないかと思われます。かつては洗礼盤であったのかもしれません。
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天井が素晴らしいですね。青天井に五芒星の星は完全にフリーメイスンリーのシンボリズムに則っています。
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再びロイヤルマイルズです。369の番号もロッジの場所のようです。
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これもシンボリズムがありそうでとったのだと思います。少なくともドクロはそうですね。
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ジェイムズ・ブレイドウッドという1800-1861の方で、エディンバラで世界最初の消防団を組織した方のようです。(追記:もちろんフリーメイスンなのだと思います。あまりに当たり前になり過ぎたためでしょうか。一応このブログの存在意義なので追記しておきます。)
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大聖堂の裏側のユニコーンの像の下のところですね。三匹のライオンを撮っているのですね。良く見ると小さなガーゴイルもあるようです。
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アダム・スミス像の後ろの鋤です。まあ要するにヨークライトのシンボルのようです。ヨークという場所も興味深いです。
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アレクサンダー大王が馬を引いている像だと思われます。新しい王子の名前にも入っていましたね。
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これはウェイバリー駅の男性用トイレですね。非常に用がたしやすかったのでつい写真に撮ってしまいました。こういうのが英国でしょうか。
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ウェイバリー駅は大規模改修中でした。恐らくそういう感じになるんでしょうね。
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一番上の鉄道でセント・アンドルーズに向かいます。

さて横須賀でも魔笛が上演され文化都市として面目を躍如した感じかと思われますが、実際満席というわけには行きませんし、オペラを幼児に見せようというのはかなりチンプンカンプンなんではないでしょうか。閉幕後に拍手が10分もあるのは素晴らしいですが、なんとも横須賀の歴史の成すが故のようで、以前横浜で見たときとは意味合いが異なり過ぎてなんとも複雑な心持にさせられました。帰っていく出演者のバスも心持ち複雑そうな雰囲気でしたでしょうか。このブログでも書いた魔笛の意味合いの説明の3の強調を日本語で出演者がやっていましたが、オペラ全般の意味合いというところで、なかなか実際に芸術劇場とオペラ自体が横須賀に馴染むようになるのは相当時間がかかるかと思われました。やはり是非個人的には横須賀で蝶々夫人のオペラが見たいものだと思いました。かつての衣笠病院、市民病院、聖母の園の火事の際には、聖母の園で蝶々夫人のオペラの制作に協力した駐イタリア大使の奥さまが亡くなられたそうで、さらに火事になった日が蝶々夫人のオペラの初演日であったという事もあるそうです。まあ未だに偏見と無知と浅慮が街を覆っているような横須賀ですが、失敗は失敗と認め、それができないようであれば黙っているというのが必要なのではないでしょうか。小泉さんの訳の分からない発言もありますが、郵政民営化も含めて失敗が認められないようであれば黙るか去るかしかないのではないでしょうか。

(追記:魔笛の映画バージョンが2006年にイギリスで作られたそうです。戦争と平和をテーマに第一次世界大戦を舞台に英語版に改変したもののようで、なかなか面白そうなのでYouTubeにあったものをリンクしておきます。

2013-10-13 23:04 | カテゴリ:スコットランド
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
さてのんきな旅ブログなんですが、回るのは主に教会が多く、それも日本人には縁遠い宗教改革やら何やらという事で、まあ日本の神社や寺めぐりとはちょっと若干異なる、西欧の血塗られたキリスト教の歴史の実地見学であり、特に生活の中でキリスト教を感じたことが無かった典型的日本人としてはフリーメイスンリーの眼鏡を通してキリスト教を見てみても、どうもまたなかなか腑に落ちないというか人ごとというかそういう感じの、いわゆる日本人の観光でしょうか。
日本でもキリスト教布教の最大の死没地である島原や、その後の原爆投下もあった長崎などはそういう因襲を感じる土地となるのかもしれませんが、日本において本質的な意味での宗教改革は本格的にプロテスタントが伝わって来た明治維新後という事になるかと思い、結果的にその後の最大の戦役による死は東京大空襲を始めとした第二次世界大戦の死であり、戦後にフリーメイスンリーが普及するわけですが、それが真に日本人に宗教改革の波として捉えられてきたかは疑問であります。
まあおよそ500年前に主に北ドイツのルターやカルバンを始祖として始まったプロテスタント運動なわけですが、そのバックグラウンドとしてもちろん十字軍運動やイスラム教との接触、モンゴル人の襲来などがあるわけで、それにプラス大航海時代のマルコポーロやスペインやポルトガルのバスコ・ダ・ガマやイエズス会の活動、コロンブスの新大陸の発見などがあるわけで、これにはテンプル騎士団なども関係あるという事も言われていたりなど、とにかくキリスト教会のネットワークを中心として様々ないわゆる異教徒世界との接触を通して信仰における聖書解釈の自然回帰が図られた結果であるわけです。ルターも生年月日がもちろんユリウス歴ですが1483年11月10日 - 1546年2月18日という事で、その後各地で数多くの宗教対立による死者を出した宗教改革であってもその始原からカトリックによる明確なシンボリズムが存在する事になるのだと思われます。ロスト・シンボルでも扱われていたデューラーのメランコリアにしてもまさにこの時期の北ドイツのルネサンスを代表する作品であり、フリーメイスンリーで現在扱われる数多くのシンボリズムが描かれたものであり、またダ・ヴィンチ・コードでも出てくるダ・ヴィンチの作品の多くもまさにこの宗教改革の前提となる時代のカトリック中枢の司教達の依頼で描かれた作品ばかりであり、当時のカトリック中枢でのイエス・キリスト、ローマカトリック信仰の理解を示したものであるかと思われます。
この様に例え表面上は新しい思想と古い思想の対立のように思われる宗教対立であっても、本質的には情報の伝播、当時の情報の中心地であるローマカトリックからの情報の分散化、真実の拡散というのが宗教改革と呼ばれるものの実体であり、それはまさに現在も進行中である情報革命と同じ情報の共有化、真実の拡散であるのかと思われます。
日本においても明治維新において廃仏毀釈のような出来事があり、また戦前戦後においては神道の改革や上述の長崎への原爆投下のような事がありましたが、実際には横須賀のような重点地域を別としてキリスト教の布教のような形はそれほど浸透せず、むしろ情報革命に認められるようなマスメディアを中心とした宗教的影響の排除を表面上の動きとしたフリーメイスンリーの浸透という政策が取られたものかと思われます。そして真空状態となった日本人の心の中に上述のような情報化社会の糧としてダ・ヴィンチ・コードやロスト・シンボルのような西欧の宗教改革を瞬時にもたらすエッセンスがもたらされているのかと思います。日本人にとってキリスト教の伝播やフリーメイスンリーを体感する事は地理的要素からも飛行機で一日で変わる世界を見聞きしてすぐに体に理解できる類のものではないものかと思われます。1000年以上に渡って日本人が育んできた宗教観、神道や仏教に基づいた生活は建国以来の災禍があったとしても依然日本人の生活の基盤を成すものであり、どんなにテレビや新聞が新しい考えを普及させる事に熱心だとしても実際にキリスト教が生活に影響する事は多くなく、それはまさに英語が日本に浸透しないことに近いかと思われます。しかしながら特にインターネットを中心とした双方向メディアの出現は急速に今日の国際化社会を醸し出し、フリーメイスンリーの考え方の広がりと、その根底にあるユダヤ教とキリスト教の考え方の接近を可能にしている事かと考えます。それはまた同時に旧来の日本的生活や社会との齟齬を明らかに生じるものでもあるわけですが、それをどのように可能にするかというのがまさにこのブログの命題といえるところであるかと思います。情報が十分に与えられたとしてそれをどのように生活に活かすかというのはまさに個々人の判断であり、個々人の資質になるのかと思います。誰もがフリーメイスンになる可能性がありながらも誰もが成れるわけではないというのはまさにこのことを示していると思います。
聖書はキリスト教、ユダヤ教における聖典であり、それは仏教においては仏典、神道においては祝詞やその他の宗教行事等全てとなるわけですが、そうした宗教的教えを生活の中で知恵として活かしていくことそのものがフリーメイスンリーの教えであり、知恵となるわけです。宗教改革はまさにこの聖書を読んで原典に触れ、そこに書かれた意味をそれぞれの個人の解釈に委ねるというのがまさにカトリックが火を付けた宗教改革の原点であり、それは本質的な意味での今日における情報の開示、秘密の暴露というものかと思われ、今日の日本においてこうした情報の開示、秘密の暴露というものが十分に行われているかというと相当な疑問であるかと思います。まさに今年のブームであった伊勢神宮の遷宮にしても、今日の日本の行政府にしても、仏典や宗教団体に関する活動にしても日本においてこうした宗教改革に匹敵する情報の公開や秘密の暴露といったものが行われているとは思われません。そういうわけで日本に500年前の西欧でルネサンスを巻き起こし、その後の科学思考の発達を促した宗教改革の精神はまだ到達していないと思われます。それはこうしたインターネットを中心とした情報革命が可能にするかもしれませんが、第一には単純に西欧の宗教改革と同じく聖書を通読してそれを体験して同じ勉強法を行うという事が最大の近道であるのだと思われます。
まさにフリーメイスンリーとはそうした勉強法であり、そうしたキリスト教やユダヤ教の知恵であるのだと思われます。

さてではまたまた能書きが長くなりましたが旅ブログのセント・アンドルーズの訪問記です。
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鉄道はその後のロンドンへの移動でも乗ったような同じような車両でしょうか。ウィンザー城に移動で使ったものとは異なるかと思います。日本で日立が作っていると宣伝しているような形であったと思います。日本で言うと成田エクスプレスみたいな感じでしょうか。この写真は沿線にあった運動用のスタジアムのようで、地図で調べるとラグビー用のスタジアムのようです。エディンバラからルーカス駅までは片道13.10ポンドとイギリス国立鉄道のホームページは出ていました。ちょうど1時間3分となっています。
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これはあんまり考えていなかったのですが、エディンバラ近郊のかなり有名な絶景スポットであるフォースブリッジの上を列車で通過したのですね。他の場所からこの橋を見るのが美しいとされる風景であるそうです。参考にいくつか写真をおきます。
The Forth Bridges with South Queensferry far left, North Queensferry at the Fife landfall of the bridges on the north shore of the Firth of -1761234Wfm_db_forth_bridges.jpgSample.jpgForthBridge.jpgflat,550x550,075,f
まあなかなか美しい橋のようですが、いきなり列車で越えてしまうと見る事は出来ませんね。Wikipediaの該当ページをリンクしておきます。もちろん設計者はそれぞれフリーメイスンかと思われます。
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美しい海岸線です。日本で特に神奈川県にいるとこういう美しい海岸線があると誰も人がいないのが不思議でなりません。明らかに旅客船が優雅に北海を移動しています。なかなか悲しい習性というところでしょうか。誰も人がいないのが不思議でなりません。
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家も綺麗に並んでいます。気候は冬なんかは厳しいんでしょうが、いったいどんな家族が暮らしているのか想像もできないような感じでしょうか。
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馬や羊がのんびりと草を食べています。まさに英国という感じでしょうかねえ。
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一時間ほどで着きましたが、なんとセント・アンドルーズに最も近い駅のルーカスは予想外に無人駅でした。観光客もほとんどいないような雰囲気で、地元の人が普通に使っている感じでしょうか。バスが確かエディンバラより高く4-5ポンドだったと思いますが、タクシーだったら10ポンド以上かかると言われてバスにします。オールドコースに行くバスに乗ると皆同じセント・アンドルーズのバスターミナルに行きます。バスは20‐30分でしょうか。ちょっと不安ですが、景色が非常にのんびりしているのでまあなごみます。まさにあのミステリーサークルの舞台な感じでしょうか。
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バスターミナルのすぐ近くにある教会はちょうど改修中でした。どうもなんかイギリスの建物は皆一斉に改修中のような印象でしょうか。ロンドン五輪から引き続いたダヴィンチ・コードバブルやこのブログのような影響で観光による資本が一斉に充実している感じでしょうか。まあ街の中心にある教会なのでプロテスタント系で六芒星が認められるようです。ピラミッドと六芒星が特徴でしょうか。
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あまりにぎわっているとは言い難い商店街のようなメインロードを抜けるとセント・アンドルーズ聖堂、正確には聖堂跡があります。この時に雹のようなものがわずかに降ったりしましたが、すぐに晴れてきました。なかなか北海沿岸という事でゴルフコースとしても難易度が高いことが有名ですが、いわゆるロンドンの天気なんかよりもさらに天候が変わりやすく、通り雨が多い気候であるようです。町並みは地中海のイタリアの古い町のように歴史を感じさせるのですが、とにかく車社会なのか駐車してある車が多い印象です。また古本屋とカフェが大学があるせいか多い印象でした。普通に生活がしやすそうな感じは全くない感じでしょうか。大学とゴルフだけの町というのが実際だと思います。それ以外は漁業と農業くらいしかないのだと思われます。街中にも明らかなフリーメイスンリーのシンボリズムは認めませんでした。この長老派教会の太陽十字のシンボルがそれというところでしょうか。
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残念ながらというか、ウィキペディアの写真そのものの光景が広がっています。天気も良く、海沿いという事もあって風もそれなりに強く、まあなんというか期待通りというかそのままというか、まさに廃墟という感じでした。かつての司教座があったスコットランド最大の教会であったのが宗教改革の過程でプロテスタントの指導者を司教が火あぶりの刑にした結果その後破壊されたというまさに宗教改革の象徴の廃墟であるためか、その後墓地として利用されてもフリーメイスンリーを象徴するオベリスクなどのシンボリズムは少ないようです。
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海もビックリするほどきれいというわけではなく、岸壁沿いは潮の関係か濁っています。波はそれほど強くありませんが、風が強いので飛沫が強く、海を見て落ち着くという感じではありません。魚や鳥がいて活動しているという感じでもありません。海の感じも違うんですね。
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かつての教会の内部なんですが、青空の墓地となっています。まあそもそもウェストミンスター寺院でもほぼ墓地となっているので、あちらの宗教観としても教会が廃墟となっていても墓地が一緒になっているのは特に大きな齟齬は無いようです。単に教会が廃墟となっているのは宗教改革の象徴なのでしょうね。
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まあカトリックの教会というわけではないんですが、実際フリーメイスンリーのシンボルは少ないのでわずかにあるオベリスクの墓を撮っていきます。
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建物はまあこんな感じです。
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薔薇ですかね。
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夭逝を表す折れた石柱でしょうか。ロスリン礼拝堂の螺旋の柱のようなデザインでしょうか。恐らくフリーメイスンなんでしょうね。
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オールドカールトン墓地とはだいぶ雰囲気が違いますね。完全にフリーメイスンの方が少数派の感じでしょうか。
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オベリスクもいくつかありますが非常に申し訳なさそうな感じであります。
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ざっと見てもオベリスクや太陽十字は少ない印象でしょうか。なかなか宗教改革の実際というところでしょうか。
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折れた石柱も何個かありました。ブラザーモーツァルトの墓もそうですが、カトリックのフリーメイスンの象徴なのかもしれません。
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大天使の形の墓もありますが、やはりカトリックなのでしょうね。ちょうどカモメが飛んできたので撮りました。
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こちらはゴルフプレイヤーで近代ゴルフの父とも称されるトム・モリス親子の墓だそうです。シンボリズムが無いのでフリーメイスンではなさそうですが、栄光の後に数奇な人生をたどったそうで、フリーメイスンリーとは近かったことは確かなようです。
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塔を色々な角度からとっています。
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フリーメイスンらしい墓はこれ位でしょうか。
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カモメが飛んだり歩いたりしていました。回廊の様子がかつての教会の威容を現していましたが、それだけの建築を破壊して放置してしまうとはすごいエネルギーであったのでしょうね。しかしフリーメイスンリーの墓がそれほどなく、恐らくカトリックの方の墓が多いことはその宗教改革の反動も大きかったという事なのでしょう。後の清教徒革命や名誉革命に生かされ、結果としてフランス革命の際のブラザーエドマンド・バーグによる「フランス革命の省察」へと繋がるのかと思われます。宗教改革と教会による布教や影響力は表裏一体であり、それは現代のフリーメイスンリーの影響とも関係しているのだと思われます。宗教的自由と宗教による影響は表裏一体であり、無宗教と宗教的生活も実は非常に密接なものだという事が感じ取れるようなものでしょうか。いわゆるフリーメイスンリーでは白黒のモザイクや二元論のヤキンとボアズで示されるものかと思われます。

一応分割して3つに構成しようかと思っていますが、2つになるかもしれません。まあいずれにしてもゴルフにしても大学にしても宗教改革にしても聖地である事は確かなのだと思われます。
2013-10-15 06:35 | カテゴリ:スコットランド
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
どうもまあ再び台風が近寄ってきそうな横須賀なわけですが、直撃するとすると今年はヴェルニー公園の薔薇はほぼ壊滅状態でしょうかね。2004年の台風と同じような被害が予想されるという事で、なかなか9年前という事でどうも前回のダ・ヴィンチ・コードの時代と同じという感じでしょうか。
まあなかなか様々なデジャヴという感じかもしれませんが、どうにもいわゆる自然現象という事で防ぎようがないのかもしれません。

さてまあ現実世界の事は置いておいてブログはのんびりとした旅行記です。
セント・アンドルーズ聖堂のチケット売り場のところでは何やら面白そうな展示がしてありました。
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こちらは見どころをまとめたパンフレットでしょうか。色々町の歴史に誇りを持っているという感じだと思われます。
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そのパンフレットの展示がこちらに置いてあります。まあ廃墟となった教会の部分を集めたのだと思われます。石工の秘密という事でこれは完全に狙った感じでしょうか。
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しかしまあギリシアなんかもそうですが石が多いんでしょうねえ。
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これはほとんどがVesica Piscisの形をしたシール、紋章ですね。封蝋に使ったものかと思われます。
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とにかく大量にありましたね。ルーヴル美術館のエジプト展示のように写真に撮られることを意識していたのかもしれません。というか意識していたのでしょうね。
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上のパンフレットにもある髑髏のシンボルです。結局棺桶の装飾なので、エジプトの副葬品ではないですが、髑髏と大鎌と砂時計とMe Mento Moriのシンボルになるわけです。
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二重の白バラと赤バラでしょうか。イギリス王家の紋章になるのだと思いますが、こういう場合はイギリス国家そのものを意味するのかもしれません。ダ・ヴィンチ・コードであったユリとバラの重ね合わせはフランスとイギリス王家の重ね合わせだと思います。
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シェブロンもメイスンを示すシンボルかと思います。この場合は貴族を意味する事になるんでしょうね。フリーメイスンなのかもしれません。三つの薔薇も認めます。飛翔天使も見えます。
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五芒星三つですね。
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髑髏と骨のクロスは棺桶のシンボルとして好まれるデザインのようです。砂時計もあります。スコットランドではこの聖アンドリュークロスに繋がるクロスは好まれるのでしょうね。
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AMSCの意味は良く分かりませんが、恐らくマリアとキリストの意味かと思われます。
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IAMDは良く分かりませんが、やはりマリアとキリストでギリシア語のイエスの略なのかもしれません。
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手袋と砂時計と碇があります。フリーメイスンなんでしょうね。
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砂時計と髑髏とスコップと鶴嘴のクロスです。ME MENTO MORIの言葉も見えます。
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髑髏とスコップと鶴嘴と骨のクロスと砂時計が重ね合わせたデザインです。
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紋章でしょうか。
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これはピンボケですね。ADの意味は分かりませんが、西暦でしょうか。
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後は色々なデザインの組み合わせでしょうか。
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こういうのもあります。
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魚のデザインのようなものも認めます。
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ピンボケですね。
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シェブロンは分かりやすいですね。
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非常にたくさん置いてあります。一応大体写真は撮ったんだと思います。
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死を忘れない、死者を悼むと同時に生きていた事を忘れないこと、自らも死すべき運命であることを忘れないという事だと思われます。
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まあ沢山部分がありますが、実際には自然崩壊したのと破壊したのが両方なんでしょうね。
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レンガに石工のマークが付けてあります。これは新しく作ったものでしょうが、要するにマークマスター、ヨークライトの最初の階級を意味するものなんですね。いわゆるフリーメイスンの個人を認証するためのその人唯一のシンボルというものです。かつての実務的メイスンリーから思索的メイスンリーへの移行の際にはこれらのシンボルが引き継がれ、このマークを持っているのがフリーメイスンの証明であったようです。
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現代においてはヨークライトのマークマスターのシンボルという事になります。

この後はこのセント・アンドルーズ聖堂の謎でしょうか。
2013-10-15 19:37 | カテゴリ:スコットランド
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
さてまあ謎だなんて大それたことをブチあげましたが、実際謎でも何でもないんですね。
セント・アンドルーズ聖堂の入場券を売っているお土産屋さんにこんなものがあったというだけの話です。
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こちらはロスリン礼拝堂で沢山あったドルイド教のグリーンマンの彫刻ですね。非常に細かい作りなんですが、ちょっと怖い感じでしょうか。
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で、これがその謎か秘密かというところなんですが、今年の夏に六本木の国立新美術館で展示してあったタペストリーの部分のレプリカですね。貴婦人と一角獣展という名前だったそうですが、五感を表すタペストリーと最後が幕屋の前で我が唯一の望みにといった謎めいた題名が付いたタペストリーで、ブラザージョルジュ・サンドがかつて見て感動したとかいう逸話があるフランス貴族が作らせたものであったかと思います。まあ一角獣なんでスコットランドにあって全然おかしくないわけですが、こんなところでそういう日本の美術展とリンクしていたかという感じでしょうか。3つの虹で三笠公園というのもあったわけですが、まあ世界は繋がっているんだなというのを強く感じる時でしょうか。検索するとまだ大阪で開催中のようです。まあフリーメイスンリーのシンボリズムなのだというところで貴重な機会に見学されると良いのではないでしょうか。
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もう一枚お土産用の小さいのは他のタペストリーの複製で周りを塀に囲まれたものもあります。何か寓意なんでしょうがちょっと分かりませんね。お土産に食指が伸びたんですが、荷物が多いんでやめておきました。
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こちらはスコットランドの古地図ですね。お土産用です。
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色々専門書が売っています。セント・アンドルーズまで調べ出すと、イギリスの主要な各都市の歴史やフリーメイスンリーの歴史全てが対象となって来るかと思います。まあ実際そのロッジの歴史全てがまた実際のフリーメイスンリーの歴史そのものであるのが、実際のフリーメイスンリーであるわけですが、それはさすがに歴史学会のアブストラクト位で今のところはやめておきましょう。それすら難作業ですから。
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ピクト人という言葉やグリーンマンがあったりと、ロスリン礼拝堂もそうですがやはりキリスト教伝播以前のドルイド教や太陽信仰の影響が大きいのだと思われます。それらの背景と宗教改革の土壌はリンクするのだと思われます。やはりアニミズムとユダヤ教は親和性が高く、そういうのが日本での神道とユダヤ教の親和性から日猶同祖論みたいな展開にもなっていることもあるのかなと思われます。まあそうは言ってもユダヤ教のエジプトから引き継いだ文字の文明文化を知るとそういった単純なアニミズムとは異なることが分かるわけですが、そういう小さな神々をひきつける作用が同時にキリスト教との強力な表裏一体関係で世界宗教へとなったというのもあるのだと思われます。
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こちらが通常の展示のような雰囲気でした。ロスリン礼拝堂のようにやはりそういうドルイド教から繋がる元々ある石工の自然の象徴の細工が色々と彩っていたようでした。
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こちらはまああまりフリーメイスンリーのシンボリズムみたいな感じはあまり強調していない感じでしょうか。
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やはり司教が一番偉かったのだと思われます。
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基本的に石棺の蓋なので先ほどと展示してあるものは一緒で、髑髏や鶴嘴とスコップのクロスなどのようないわゆるフリーメイスンリーを連想させるシンボリズムもあるようなのですが、展示の仕方次第でそういうシンボリズムを強調したものではないものとなっている感じでしょうか。このブログの市章の話と同じようなもので、同じようなものをいくつも並べて見ていくと、そういうシンボリズムが強調されていく結局は見せ方なんだという教訓のような展示かと思われます。
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まあこういう地図を見ると、教会の建物部分と墓地の部分は昔から別になっているようです。カトリックの司教がいたスコットランドで一番大きな教会であったようですが、結局ドルイド教の神に当てられたんでしょうかね。神々の戦いというのは旧約聖書の時代から延々と続いているのが現実であるようです。
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司教の蝋人形がありました。
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塔に入れるコインを貰って行ったんですが、ちょうど出てくる人と同時になってしまってタイミング悪く登れないことになってしまいました。説明して再びコインを貰っても良かったんですが、面倒だったので登りませんでした。次の機会があれば登ってみたいと思います。
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これはまあオベリスクみたいだったので撮ったのでしょうかね。
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教会の内部部分でしょうかね。しかしいったいどんな経緯でこれだけの建築を破壊してしまったんでしょうね。日本でも仏教の寺は争いで消失してしまう事が多いですが、再建する事も非常に多いんですが、石造のものでこれだけ見事に破壊した建築というのもなかなか珍しいかと思われます。まさに戦争と宗教の請負人である石工職人が大活躍した土地であるという事なのでしょうね。

次はすぐ隣にあるセント・アンドルーズ城です。こちらも廃墟となっていますが、かつてはセント・アンドルーズ聖堂の司教が住んでいたそうです。幼い王を司教が養育したりしていたそうで、まさに王権と教会権力の象徴であったために、その後宗教改革によって廃墟となったものであるようです。
2013-10-17 20:04 | カテゴリ:スコットランド
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
さてどうもまた再び台風が来そうな日本列島ですが、今年は秋の台風の当たり年といえるかと思います。ヴェルニー公園の薔薇はかわいそうなことに潮で激しく痛めつけられていますが、わずかに咲いた状態で10月20日頃に秋のローズフェスタはなんとか行われるようです。同時にベースの開放でもあるみこしパレードも行われる予定であり、興味のある方は是非台風来襲前の横須賀におこしになってみてください。

ブログの方は再び合言葉で視聴制限中ですが、スコットランドのセント・アンドルーズの旅を続けています。
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セント・アンドルーズ聖堂から歩いて5分ほどのところにセント・アンドルーズ城跡があります。王権の象徴かと思いきやセント・アンドルーズ聖堂の司教の住まいであったというから驚きます。ウィキペディアの該当する項目をコピペします。

セント・アンドルーズ城は現在廃墟となっており、海に浸食された岩だらけの岬の上にある。ロジャー司教は13世紀初め、司教の住居として強固に要塞化した最初の石造りの城を立てた。イングランドから侵攻した軍にしばしば占領され、1336年にスコットランド摂政を務めていたアンドリュー・マレーによって再度取り替えされ、彼は二度と敵の手に城が落ちぬよう破壊を命じた。トレイル司教の代に南と西の堀がめぐらされ、その中にどっしりとした建物が再建された。ジェームズ1世は幼年時代をウォードロー司教のもとでこの城で暮らし、1445年にジェームズ3世はこの城で誕生した。 城の窓から、ビートン枢機卿は、醜聞の罪で1546年にプロテスタント改革者ジョージ・ウィシャートが火炙りにされるのを目撃し、同年にビートンはプロテスタント改革者の一派に城内で殺害された。

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城と聖堂の位置関係を表した模式図が途中に置かれています。ウィキペディアの内容と同じような内容が書いてあるものと思われます。
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これは城の門のところですね。堀がある形になっています。ロスリン城もあったらしいのでそれも行くとこんな感じであったのだと思われます。
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城の道を挟んだ反対側には別荘ではないと思われますが、この様に蔦をまとった雰囲気のある石造りの家が並んでいます。さすがに城よりは新しいのだと思いますが、100年ほどは歴史を感じさせる様子でしょうか。
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城を意識してか城のような家もあります。本当に住んでいるんでしょうか。
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入場料は城と聖堂セットで7ポンド20ペンスだそうです。展示は相変わらずのフリーメイスンリーのシンボリズムです。まあ石工の仕事を見せているわけだから当たり前なわけです。鶴嘴と鑿と木槌と鏝になります。柱頭はコリント式か複合式ですかね。パーフェクトアシュラーからの切り出しになります。
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まあ上述のように司教が依頼して石工職人が設計して作られた事が書いてあるのだと思われます。
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司教が住んでいた事を示しているのでしょうか。
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悪そうなカトリックの司教な感じですね。
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これは過激な蝋人形でした。地名ともなっている最初にカトリックの司教が聖遺物を持ちこんだという十二使徒の聖アンデレの斜め磔の像を頭に来た宗教改革の時の民衆が破壊する瞬間の像です。そういうもの壊しちゃいかんだろうと思いますが、実際壊し途中でさらしものにしたのがこの城と前回の聖堂なわけです。聖アンデレの聖遺物も聖書の伝道の話も作り話と知ったからという事なんでしょうが、一種の催眠術が解けたときの効果みたいなものでしょうかね。フリーメイスンリーに対する幻想も似たようなものだと思われます。しかしまあ十字架の磔や斜め十字の磔といった話を作った人はまさにシンボリズムの達人としか思われません。
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展示を抜けると先ほどの堀の先の門の部分です。
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まあしかしエディンバラ城にしてもこのセント・アンドルーズ城にしても本格的な石造りの城がいくつもある位イングランドとスコットランドの宗教と王権の争いはすさまじかったのですね。日本で約100年続いた戦国時代を1000年近く行っていた感じでしょうか。
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門を抜けた先に突端があります。

再びブログは三分割です。
2013-10-19 12:35 | カテゴリ:スコットランド
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
さて大きな台風の災害が続いている日本列島ですが横須賀は秋の恒例のイベントが続く季節のようです。
残念ながら本日と明日のヴェルニー公園の秋のローズフェスタは秋薔薇はかなり少ないようですが、逆に希少性が高いとも思われ天気も微妙に晴れたり曇ったりと貴重な休日となるかもしれません。
明日のベースの開放日ともなっているみこしパレードは雨天のようですがまあそれも逆に貴重な機会かもしれません。様々な表情を見せる街横須賀を是非様々な興味を持って訪問してみてください。

さてブログの方は相変わらず横須賀紹介と本質的には変わらないスコットランドの田舎町セント・アンドルーズの紹介です。宗教改革の象徴である破壊された石造建築の二つであるセント・アンドルーズ聖堂とセント・アンドルーズ城の城跡巡りです。まあ日本でも城跡巡りなんてめったにしたことがありませんし、そもそも日本の場合は大体コンクリートの城が小田原城みたいに建てられるか、あとは大船近辺の玉縄城や長尾台城、鎌倉近辺のかつての古戦場や城跡は単なる住宅地やハイキングコースとなっていることがほとんどですので、あえて城跡をかつての城を意識して巡るという事はほとんどないかと思われます。日本でこのセント・アンドルーズの破壊された建築跡に匹敵するのは恐らく世界遺産の広島の原爆ドームになるのかと思われます。またもちろん完全に撤去されてしまいましたが、長崎の旧浦上天主堂になるのかと思われます。広島の原爆ドームを建築したヤン・レッツェルはその建築物のほとんどが関東大震災で崩壊した事でその後非業の内にチェコに帰国したそうです。最近チェコの本国にヤン・レッツェルが作った墓が鳥居の形をとりいれた形をしていると話題になっていたかと思います。ご本人は公共墓地に埋葬されたそうですが、亡くなった日は12月26日とクリスマスの翌日であったそうです。
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日本における宗教改革の精神は到達していないという話を書きましたが、バラの咲かないヴェルニー公園や何度も迫りくる台風の猛威や今年の式年遷宮の盛り上がりなどを見るにつけフリーメイスンリーとは何かを考えさせられているところかと思われます。次に来る猛烈な台風27号は3の3乗の数字に名前は現教皇のフランシスコというそうです。

さて何やら災害続きで暗い話題の書き始めとなりましたが、ブログの本文の方もそれほど盛り上がりはありません。滝廉太郎の「荒城の月」ではありませんが、なにゆえにこの荒城は存在するのかというところが考えさせられるというところがこの荒城の存在意義なのだとは思いますが、それはまた聖書の通読と同じく、それを感じた個々人の感性次第というところなのかと思われます。

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訪問した時は隠れて籠る場所かと思っていましたが、司教の住みかと知っている今となっては、井戸もあるこの場所は明らかに食糧貯蔵庫なんだと思われます。
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非常に厳重な砦となっていますが、それだけカトリックの司教が命の危険を感じながら布教活動を行っていた事の裏返しなのでしょうね。
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大きな井戸が中央にあるのはやはりこの場所が修道士たちの生活の場でもあったという事の象徴なのではないでしょうか。宗教改革によるカトリックとプロテスタントの対立がある以前から、そもそもドルイド教などの存在したグレートブリテン島ではキリスト教自体が十分な防衛拠点を持っていないと布教がままならないという状況であったことを象徴するものなのだと思われます。
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まあ好天で非常にのんびりしているんですが、荒城の雰囲気がなかなか荒々しい感じでしょうか。
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井戸も残っているんですがなんだかどういう意味なんでしょうか。修道士の生活も大変だったんでしょうねえ。
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どうもカトリックや王室関連は晴天なんでしょうかね。
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これはトイレの下水でしょうか。
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これはいかにも警戒している感じの矢が打てる狭間ですね。
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別荘でしょうかね。
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こんな感じです。もちろん天然に生えてきている芝でしょうね。葺いたわけではないでしょう。
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建物の内部はこんな感じです。結局交易路で出島なんかと同じく海路でヨーロッパ大陸のそれこそヴェネチアなんかと繋がれるという事なのでしょうね。なかなかキリスト教はシステマティックです。
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まあなんとも言えないというのが率直な感想でしょうか。
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カトリックの司教が火あぶりになるプロテスタント改革者を窓から見ていたという事だそうです。なんとも言えませんがそういう悲劇が後のフリーメイスンリーに繋がった事は確かなんでしょうね。結局それを見ていた司教も殺されてしまったそうです。
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こういう形で廃墟を残すことに決めたのもフリーメイスンリーなのでしょうね。宗教というもの、フリーメイスンリーというものがそういうツールであるという事を知らしめる事が目的なのだと思われます。
2013-10-20 07:06 | カテゴリ:スコットランド
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
セント・アンドルーズ城も写真の関係で3つに分割したわけですが、前回で分かる通りそれほどの内容はありません。単なる壊れた城跡が残っているというだけと言ってしまえばそれまでなんですが、まあそれなりに有名ですし、それなりに重要な場所という事で撮った写真の分だけ記事を割いているわけですが、まあいずれにしても聖書を読んだりするきっかけになりえないとすれば何の意味もないという事になってしまうかと思われます。

本日は横須賀の最重要イベントであるベースの開放日であるみこしパレードとヴェルニー公園の秋のローズフェスタの日ですが猛烈な台風27号フランシスコが接近中という事で秋雨前線発達中のため朝からかなりの降雨となっています。イベントが行われるのかどうか怪しいところですが、行われるようであればブラザーベニー・デッカー映画館で行われる第七艦隊音楽隊の演奏会を観に行きたいかと思っています。横須賀に来てそうした大きなイベントが天候により中止になる状況は初めてなのですが、ブログはよほどのことが無い限り中止になりえませんので、パスワード入力によりtokyotowerの入力を拒否する人ばかりで選ばれた人のためのブログとなっていますが、粛々と続けていくこととします。

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さてまあ実際には城の見学は終えてしまったわけですね。城の敷地内から外を見るとこの様に芝が綺麗で建物も綺麗なまるでおとぎの国いるような景色といったところでしょうか。やはり海岸沿いで木が風の影響で傾いています。
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城からオールド・コースの方に向かって歩くと途中にセント・アンドルーズ大学の経済・金融学部があります。スコットランドのフリーメイスンやイギリスの政治家や貴族の系譜を見ていくとこのセント・アンドルーズ大学は必ずと言っていいほど活躍する方には出てくる虎の穴のような大学なわけですが、1410年設立の先ほどのセント・アンドルーズ聖堂の聖アウグスチノ修道会によって設立された大学で、英語圏で3番目に古い、スコットランドで最も古い大学だそうです。1410年というと室町時代でしょうか。創立が1410-1413年で少し幅があるという事で、2013年のちょうど私が訪問した際には一応創立600年の記念行事を行っていたそうで、創立600年というと大体日本だと寺か神社でしょうかね。ウィキペディアによるとウィリアム王子やキャサリン妃も卒業生だそうです。アメリカ独立宣言署名者のうち、ブラザーベンジャミン・フランクリン、ジェイムズ・ウィルソン、ジョン・ウィザースプーンがここの卒業生であるようです。皆フリーメイスンでしょうね。ジョン・ウィザースプーンは11月15日に亡くなっているそうです。ジェイムズ・ウィルソンは最初の最高裁判事の一人であり、ジョン・ウィザースプーンはプリンストン大学の学長であったそうです。宗教改革者のジョン・ノックスも卒業生だそうです。
ノーベル賞受賞者は5人いて、ビタミンCを合成したウォルター・ハースの1937年の化学賞、導電性高分子の研究でアラン・マクダイアミッドの2000年の化学賞、難民救済で難民の父と呼ばれるフリチョフ・ナンセンの1922年の平和賞、ブラザーラドヤード・キップリングの1907年の文学賞、プロプラノロール(心臓の交感神経β遮断薬)とシメチジン(胃薬であるガスター)の生合成のジェームス・ブラックの1988年の生理学・医学賞となっていて、その内容を見るだけでもすさまじくそれぞれの分野で礎石となる業績であり、まさに虎の穴という表現になる場所ではないかと思われます。その他にも多数のきら星のごとき人材を輩出しています。ウィキペディアを参照してください。
というわけで少なくともイギリスにはオックスフォード、ケンブリッジ、エディンバラ、セント・アンドルーズと有名大学があるという事で記憶されたのではないかと思われます。今年のノーベル物理学賞ではエディンバラ大学教授のヒッグス粒子のピーター・ヒッグス博士が受賞されていましたが、実際出身校はキングス・カレッジ・ロンドン、ロンドン大学というところで、まあとにかくアメリカなんかとも同じく世界には超有名大学がいくつもあり特に出身校は関係ないという事なんでしょうかね。それだとこの話も何の意味もないわけですが。各地に伝統のある大学がいくつもあるという事で良いのかと思われます。実際こういった場所で世界経済の動きが決まっていたりすることもあるんではないでしょうか。
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これは本当に意味はありません。シトロエンを見かけたので撮っただけです。車がたくさん置いてあるんですが、本当にシトロエンが良く目についたんです。やはりそれだけ住民も学生もフリーメイスンリーを意識しているという事なんでしょうかね。
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これは大学のキャンパスでしょうかね。ハリー・ポッターの世界のごとき建物で本当に世界の最先端の研究がおこなわれていそうです。
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なかなか英国の知の城といった感じでしょうか。知識と知恵に対して最大の敬意と尊重を置いているそんな地域と国と政府の姿勢が自ずと感じられる地、それが宗教改革の聖地、イギリスにおけるキリスト教の聖地であるセント・アンドルーズの重要な教訓なんだと思われます。
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またまたシトロエンです。奥はミニ・クーパーですが、やはりシトロエン人気が高いです。
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こちらはそういった宗教改革からまた拍子抜けするようなロスリン礼拝堂の近くの立派なカトリック教会のごとき、立派なカトリックのセント・ジェームズ教会です。ヤコブのシンボルの帆立貝の貝殻だと思われます。この地が巡礼の地であるという事を示しているかと思われます。まあ結局なんだかんだ言ってもやはりキリスト教はカトリックであり、最初はカトリックであり、最後もカトリックなのですね。
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これは雰囲気のあるゴルファーのためのホテルでしょうか。まあゴルフの聖地とされるセント・アンドルーズですが、実際にはキリスト教の聖地であり、ゴルファーは巡礼者でもあったのですね。
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オールド・コースが近づいてきて駐車場がありましたのでシトロエンを中心に撮っています。ざっとこんな感じですが、やはりこの町ではシトロエンが目立ちます。芝が増えてきてゴルフの聖地セント・アンドルーズ・オールド・コースが近づいて来た感じでしょうか。

本日10月20日はSquare and Compass dayということで、由来は恐らく完全数の10とその二倍の20という事なのだと思いますが、イギリスのかつての植民地である英連邦のフリーメイスンリーのロッジは多くが本日を一般への開放日としているそうです。また同時に日本ではプリンセス美智子、皇后美智子妃陛下の誕生日となっています。上述の通り横須賀では基地開放日であるみこしパレードと秋のローズフェスタの日ですがあいにくの台風到来前の雨となっています。やっぱり雨にしても色々意味があるんですね。
2013-10-22 09:07 | カテゴリ:スコットランド
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
さてゴルファーの人にするとお待ちかねというところなのだと思いますが、セント・アンドルーズといえばゴルフの聖地ということで、オールド・コースと呼ばれる海岸沿いの世界最初のゴルフ場を見学していきます。

私自身は全くゴルフをしないので、日本では環境破壊の代表みたいに考えているところなのですが、スコットランドに来るとアーサーズシートを始めとしてそこらじゅうがゴルフコースやグリーンのような芝や低い茂みばかりなので、要するに日本での缶蹴りか石蹴りのような自然を生かした遊びがゴルフなのであるなと良く理解できたわけでしたが、まあそれが結局世界中に広まり、富裕層の遊びといえばゴルフという公式ができたのがここセント・アンドルーズでのゴルフ場の開設にあったわけで、それは結局ここまで説明してきた、グレートブリテン島におけるキリスト教の聖地、宗教改革の聖地、キリスト教に基づく大学の聖地であるという理由に付随するものなのだなと分かり、結局それらは結果としてフリーメイスンリーに行き着くわけで、まあ戦後の日本のゴルフ開発や戦前の日本の皇室や上流階級のゴルフへの執着ともいえる状況の理由が良く理解できたところなのだと思われます。

最近の日本でも国会答弁で安倍総理がゴルフを引用して野党党首が批判したり、またアメリカツアーで不調であった石川遼が久々に好成績をあげたりと微妙な話題がいくつか出ていますが、まあそうした話題にも押されてゴルフ自体に及び腰である私自身としてはあまり乗り気ではないのですが、聖地セント・アンドルーズでは見過ごしておくことはできないオールド・コースの様子について見ていくこととします。

それでまた石川遼の話なのですが、宿敵の松山英樹が体調不良で棄権といったところでアメリカツアー最高の-18で2位という好成績を残したわけですが、その時の様子はテレビで何度も放映されていますが、要するにCallawayなわけですね。日本語ではキャロウェイというそうです。かつてはゴルフのウェアといえばダンロップやアーノルド・パーマーといったいわゆるフリーメイスンの名前を冠したものが多かったわけですが、このキャロウェイというのもアメリカの実業家であるそうですがフリーメイスンなんだと思われます。
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まあ向きは逆ですが直角定規かコンパスの形になっているのですね。シトロエンではないですが、フリーメイスンやフリーメイスンリーを好む人々に選ばれるウェアという広告戦略の一つになるのだと思われます。こういうのは最近のラルフ・ローレンの3の番号を強調したものとも共通するものでしょうか。ラルフ・ローレンも故人ですがフリーメイスンであったのでしょうね。ファッション界はバイセクシャルの方が多いそうなのでそうした中では珍しい存在であったのかもしれません。
(追記10/23:石川遼が好成績を挙げたゴルフ大会はPGAツアーのシュライナーズ・ホスピタルズ・フォー・チルドレンオープンだそうです。まあなんというかそういう事であったそうです。)

さてではセント・アンドルーズの様子です。
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まあ駐車場から歩くと圧倒されるオベリスクです。聖堂と城とそれぞれ解説のところは明らかにフリーメイスンリーの雰囲気があったわけですが、建築自体はカトリックからの宗教改革の象徴であったわけで、明らかにフリーメイスンリーという建築は無かったので、ここでやっとああセント・アンドルーズはフリーメイスンリーの聖地なのだなと理解されます。ああこのオベリスクがあるからゴルフの聖地であり、ゴルファーを世界中からこのオールド・コースに向かわせるのだなと分かりました。横須賀でもこの規模のオベリスクはあるのですが、やはり見せ方が違います。横須賀もやはり見せ方を考えれば聖地たりうるのでしょうね。
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台座部分は古いのですが、上部部分は改修してあります。いわゆる先ほどから見てきたセント・アンドルーズ城の外で火あぶりにされたというプロテスタント宗教改革者のジョージ・ウィシャートと同じく殉教したパトリック・ハミルトンらのプロテスタントの殉教者を記念した殉教者記念碑であるそうです。1533-1543の間と書かれていますが、記念碑が建築されたのは200年くらい前のようでしょうか。結局カトリックが建築した大学でプロテスタントと呼ばれる聖書研究が進められ、それによって近代哲学や近代思想、科学研究が進められ、結果としてフリーメイスンリーに繋がったという事なのでしょうね。その過程でカトリックとプロテスタントという対立が存在したという証左なのだと思われます。日本でもやはり科学を行うにはキリスト教の世界を理解しないとならないという実証が必要なのでしょうね。
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クラブハウスや博物館でしょうかね。芝の感じはどこからがゴルフ場か分からない感じです。ベンチがたくさんあるのが良いですが、本当に海とゴルフ場の場所です。
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まあ立派なオベリスクなんですが、横須賀の衣笠山に第三海堡の記念碑が同じくらいの大きさであるんですが、違いますねえ。
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水族館やゴルフ博物館があります。フリーメイスンリーロッジもいくつもあるのだと思われます。
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見学やコース移動用の道があります。
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こちらがクラブハウスでしょうか。
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パター練習用のスペースとオールド・コースの1番ホール、18番ホールでしょうか。見学用の道は特に入場に制限もないようでしたが、どんどん歩いて行くとコースの奥深くまで行ってしまうので途中で引き返します。天気は曇りから晴れとなってまたみぞれ混じりの雨が降ってくる感じで、強風は常に吹いていますしとてもじゃないがゴルフやるような場所じゃないなと思いました。まああそこでゴルフやるのはまさに聖書の世界でしょうか。予定説ですね。
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遠くに有名な石橋が見えます。神が作りたもうコースでしたっけか。私はゴルフをやらないので全くわかりませんが、まあそれでも芝は整備して増やしたのでしょうね。海岸線の砂浜でそれなりに芝が広がる場所であったのだと思います。まあ元は石蹴りや石ころがしで精神修養の営みであったのだと思われます。修道士の宗教的行為であったのだと思われます。占いみたいなものでしょうかね。
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絵にかいたようなペットがいる光景があります。
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風が強いのでカラスが多いですが、日本とは関係なさそうです。
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急に晴れてきたりしますが、とにかく傍から見ていても相当うまい人じゃないとまともにプレイできないなというのは良く分かりました。
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ライオンの銅像でしょうか。イギリス王家の象徴とライオンズクラブの象徴になるんでしょうか。オベリスクと合わせればスフィンクスでしょうがまあそういうものでしょうね。
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まあ遠目にオベリスクになりますが、結局ゴルフの聖地はそういうフリーメイスンリーの地であったのですね。
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まあ日本のゴルフも訳が分からない部分がありますが、彼の地のゴルフも良くは分かりません。要は歩くための方便なんだと思われます。
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これで一応セント・アンドルーズの訪問はおしまいです。バスで再びルーカス駅に向かいます。同じバスターミナルから同じ循環バスに乗ります。非常にきれいな牧草地か農地でしょうか。
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黄色い花が良く咲いていましたが菜の花でしょうか。ミツバチの花かもしれません。
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これは湾でしょうか川でしょうか。
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これはUFOを撮ろうとしたのでしょうか?黒いのはガラスの汚れですね。飛行物体を撮ろうとしたのですが撮れなかったようです。
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爆音を轟かせてやってきます。UFOではないでしょう。
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どうもユーロファイターの訓練基地が近くにあるようです。歓迎か凱旋か単なる通常の訓練か分かりませんが、EU各国でパーツを作って組み合わせる欧州連合の名前を冠した戦闘機が飛行していました。
(追記10/24:ちょうど台風接近にあう時期でしたね。別名タイフーンでした。英王子の洗礼などもあり時期的に色々合わさっているのかもしれませんし、ただの偶然かもしれませんね。)
2013-10-25 23:13 | カテゴリ:スコットランド
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
何度も何度もエディンバラの風景で写真に撮っているのがブラザースコット記念塔なわけですが、実際中を登る人はそれほど多くはないようです。エディンバラでエディンバラ城の次に目立つのがこのスコット記念塔なのですが、実際中に石像もあるブラザーサーウォルター・スコットですが、作家であるというのを日本人で知っている人も少ないと思われますし、また作品を読んだことがある人も少ないかと思われます。ただしエディンバラやスコットランドを旅行すると必ずスコットランド国立銀行発行の紙幣で目にするのがこのブラザーサーウォルター・スコットの肖像という事になります。
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でまあここまでくれば相当偉い人にちがいないと思うわけですが、どうもウィキペディアを読んでも日本語ではほとんど内容が書いておらず、その作品の項目を見ても唯一アイヴァンホーだけが概要が書かれているという形になっています。いずれにしてもイギリスの作家としては存命中に国外に名前を知られた唯一の作家という事になるそうです。恐らく日本人にとって一番有名なのはこのブログでも以前取り上げたシューベルトのアヴェ・マリアの原作の歌詞の元になった詩を作ったというところでしょうか。

まあちょっと色々と心もとないですが、実際アイヴァンホーの日本語訳までは買ったのですが、色々と読む時間が無く、一応人生について一通り書いてあるのがwikipediaの英語版という事で、それを参考にしてブラザーサーウォルター・スコットについて見ていくこととします。
まず生年月日と忌日ですがやはりフリーメイスンリーの本場のスコットランドの恐らく現地では一番の有名人であるブラザースコットという事で、1771年8月15日 - 1832年9月21日という事であり、いわゆる1717年のイングランド連合グランドロッジの結成の11と77の数字の並びを変えた回文数の年のさらにカトリックの記念日である聖母降誕祭、これはまたイエズス会にとっても特別な日でありましたが、その日の生まれという事でそれはなかなか特別な意味があるという事になるのだと思われます。また名前もまた同名のウォルター・スコット (バクルー伯爵・公爵)で検索され、結局ブラザーサーウォルター・スコット自身もこの公爵家のスコット家の末裔であり、またこの初代バクルー公爵自体が清教徒革命後の王政復古で王位に返り咲いたチャールズ二世の庶子であるという事で、要するに貴族ではないがイギリス王の末裔であるという事のようです。
バクルー伯爵がそれ以前に存在し、初代スコット・オブ・バクルー卿ウォルター・スコット1565年– 1611年12月15日、ウォルター・スコット (初代バクルー伯爵)1603年 - 1633年11月20日、フランシス・スコット (第2代バクルー伯爵)1626年12月21日 - 1651年11月22日という事でどうもグランドロッジ結成以前の時代ではありますが、明らかに生年月日と忌日の様々なシンボリズムを認める貴族の系統という事で、ローズラインではありませんがイングランド、スコットランドの貴族社会の様々な因襲を伺わせる由緒正しい血統という事は間違いないように思われます。バクルー公爵は現在まで継続しているそうです。もちろんスコットランドの名前と同じスコットという事と、これがユダヤ教の仮庵の祭りを意味するスコットとも恐らく音が一緒という事でかかっているところもあるのかと思われます。
英語版ウィキペディアを読むとブラザーサーウォルター・スコットは小児まひの後遺症で明らかに足に障害を持っていたそうです。父親は弁護士であってエディンバラ大学の門前に住み、本人はいわゆる神童であったそうで、12歳からエディンバラ大学で古典の勉強をしていたそうです。後にブラザー寺澤廣一によるアダム・スミスとブラザーロバート・バーンズについて解説した英文についてブログの記事とする予定ですが、それにも書かれているとおり15歳でサロンでブラザーロバート・バーンズと会っているそうです。その後弁護士になるためにエディンバラ大学で道徳哲学と国際史についてちょうどフランス革命の時期に受講しているそうです。その頃に結局貴族の友達に奪われてしまう失恋を経験しているそうです。結婚したのはフランス人の大工の娘だそうです。ウィキペディアにはフリーメイスンリーについては一切触れていませんが、Highland Societyのメンバーであったのと、Royal Society of Edinburghの会長を務めていたとあり、これがそれを意味する事になるのかと思います。詩作や小説で成功する事になるわけですが、その代表作であるアイヴァンホーはブラザーヒュームの英国史の歴史観に基づいているそうです。歴史小説という日本で言うと司馬遼太郎や吉川英治のような作家の作品だと思われますが、そういう分野を最初に作った作家とされるようです。ロビン・フッドやテンプル騎士団が活躍し、さらに当時はまだ差別されることが多かったユダヤ人女性がヒロインとして描かれるなどを認めるそうです。当地での評価はかつてより低下し、現代では主に子供向けの歴史小説として考えられているそうです。
以前にブログでも触れたブラザージョージ四世のスコットランド訪問時の演出やそれ以前の封印されたスコットランド王冠の再発見などは、これら歴史小説で名声を博した後の事であるそうです。
その後は観光地ともなっている彼が作らせた城のような住居に住んでいたのですが、投資で破産して健康を害するようになり、ブラザーナポレオンの伝記などを作ったそうですが、最後は死因不明の状況で61歳で自宅で亡くなったそうです。

とまあなかなかの時代的にも背景的にもフリーメイスンらしさを満々とたたえた偉人というところであるかと思いますが、同時に複雑な時代背景や人間関係を鑑みなければ理解しがたい人物、まさにフリーメイスンという、シンボリックな人物という事なのだと思われます。私もアイヴァンホーや湖上の美人については日本語訳があるのでいずれ読もうと思っていますが、そうやってフリーメイスンの文学者の作品について読んでいくとその他の有名なイギリスの作家であるブラザーチャールズ・ディケンズやブラザーロバート・ルイス・スティーブンソン、ブラザージョージ・ゴードン・バイロンなどについても読まざるを得なくなるというところで、そうなるとその他にもいくらでもシェイクスピアから何から英文学について検討しないといけないという夏目漱石の世界になってしまうところなのだと思われますが、実際ほとんどがフリーメイスンだと思われ、いずれはそういうのも必要なのだと思われますが、原文で読むほどの英語力が付くとは思われずなかなか大変そうです。文学についてはもちろんフランスもドイツもイタリアもアメリカもあるわけで、その多くがアダムヴァイスハウプトの作品ではないですが、古典そのものが全てフリーメイスンリーに通じると言っても過言ではないわけで、なかなかまあまとまって紹介するような事は難しそうです。

フリーメイスンリーと文学については色々とアンダーソン憲章やモラルアンドドグマやヨセフスの著作など主要なところを終えたところで展開する事にしていくとして、今回の内容としてはブラザーサーウォルター・スコットの紹介と記念塔の紹介で終える事とします。
それで写真です。
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確か3ポンド位であったと思いますが、まあ基本的にあまり人気が無いようでした。もちろん登りはお決まりの螺旋階段ですが、287段あるそうで、やはり何か数字に意味があるのだと思われますが全くわかりません。高さも200.6フィートで61.11メートルという事で意味がありそうです。ウィキペディアを参照してください。
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眺めはまああまり変わりません。
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内部はステンドグラスがあるのですが、スコットランド、エディンバラを象徴するものなのだと思われます。セント・アンドリューとスコットランド王室の赤いライオン、セント・ジャイルズになっています。明らかにフリーメイスンリーを思わせるものはありません。ウィキペディアを読んでいて分かりましたが、ウェイバリー駅の駅名はブラザースコットの作品名なのですね。いやあ難しいですね。ブラザーロバート・バーンズの話もありましたが、英文学の世界もまさに暗号と暗喩と謎の伝達の世界なのでしょうね。ブラザーサーウォルター・スコットの処女作のようです。まあちょっといくらか作品を読んでからブラザーサーウォルター・スコットについてはまた記事とする必要があるかと思われます。
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この記念塔の設計者はジョージ・メイクル・ケンプというエディンバラの自分一人でゴシック建築を学んだ建築家によるものだそうで、偽名で応募してコンペで選ばれ、建築途中で霧の中で運河に落ちて亡くなったそうです。フリーメイスンではなさそうですがなかなか壮絶です。そういえば全く関係ありませんがイギリス関連といえば最近ビートルズのサーポール・マッカートニーが元気なようですね。
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まあなかなかすごい人間関係なわけですが、そういうわけでこの建物はエディンバラで目立つ建物でありながらゴシックの尖塔という他にいわゆるフリーメイスンリーを象徴するものが無いのですね。なかなかゴシックというものの意味も色々あるようですが、実務的メイスンリーと思索的メイスンリーという垣根がほとんどないここスコットランドではそういうようなパターンもあるという事なのでしょうか。バルセロナのガウディの建築なども背景が様々にあるようですし、日本の辰野金吾氏や丹下健三氏の建築なども色々あるようですし、また最近の新国立競技場の建築なども色々あるようですが、建築家の世界におけるフリーメイスンリーというのも実務的メイスンリーとはまた異なって様々な展開があるかと思われます。
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ブラザージェンナーデパートの方角ですね。ブラザージェンナーについても色々掘り下げると面白そうです。
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いやああっという間の数日でしたが色々色々写真に撮っているんですねえ。
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これは魔法使いの導師みたいに思ったんですが、ウェイバリーというハイランドの住人をイメージしているのでしょうか。まあ何となく最近のエディンバラから生み出されたハリーポッターシリーズや指輪物語の世界に共通するようなものでしょうか。
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ウェイバリー駅ですね。町中が全部謎になっていて繋がって楽しめるようになっているんですね。
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ガーゴイルなんでしょうか。ドラゴンみたいですが独特ですね。
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大きなカモメが歩いています。
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ブラザーアダム・ブラックの銅像の後ろ姿です。ウェイバリー駅についてブラザースコットの作品をスルーしたのはブログの有料化にこだわっていたときだったのですね。なかなかフリーメイスンリーも厳しいものです。ブラザーアダム・ブラックはブラザースコットのウェイバリー名義の作品を出版する際の権利を購入したそうです。

まあどうもこのスコットランドの内容とは関係ありませんが、聖書の通読に対比してか日本の古事記や日本書紀について読むことが一部で流行っているようですが、私もかつて古事記は少し読もうと思ったことがあったのですが、数ページでやめてしまった事があるので、今度読んだらまたここに書いてみようかと思います。論語についても数字のシンボリズムだけでこのブログに載せましたがもう少し補足しようかと思っています。基本的にはフリーメイスンリーの幹はほぼ聖書やキリスト教、ユダヤ教社会の伝統や歴史に依存しますが、日本のフリーメイスンリーに限って言えば、日本の伝統や歴史の中からフリーメイスンリーに共通する部分を汲み上げる作業は今後にとっても現実としてもかつてのスコットランドでのブラザースコットの作業などと同じく重要になるものかと思われます。フリーメイスンリーが何かを理解するのに聖書やキリスト教ユダヤ教の知識は重要ですが、フリーメイスンリーの知識をもって応用していくには自らの社会の伝統や歴史を顧みる必要があるかと思われます。決して内に籠ることなくまた扇情的な傾向に囚われる事なく緻密に内外のフリーメイスンリーの知識の広がりを行っていければと思っています。

(動画を見るとブラザースコット記念塔はさらに4階層になっているようです。記憶では2階層位まで登った記憶があるのですが、そこまで高いところまで登れるとは知りませんでした。3階層ではなく4階層なんですね。なんとも不思議な魅力ある塔なのですね。ぜひ次回訪問時は4階層まで登ってみたいかと思います。)
(287という数字ですがウィキペディアで見ると約数が7×41という事で素数同士を掛け合わせる半素数という数と、五角形ペンタゴンを作っていって得られる数字五角数であるそうです。いずれも暗号の鍵となる数字として使われるなどがあるそうで、何らかの暗号なのでしょうね。)
(ブラザースコットのフリーメイスンとしての活動についてはGrand Lodge of British Columbia and Yukonのホームページにありました。参照してください。Phoenixmasonryにもありました。ブラザーサーウォルター・スコットの名前を冠したロッジも世界各地にあるようです。本もあるようですが、現在日本のアマゾンでは取り扱いできないようです。Sir Walter Scott as a Freemasonいずれ知名度が上がって来たら読めるようになるかもしれません。スコットランドグランドロッジのホームページの著名なフリーメイスンの名前のところにももちろん認められます。エディンバラのフリーメイスンリー歴史学会でも基調講演のところで強調していてTake Home Messageのようであったかと思われます。)
2013-10-27 14:22 | カテゴリ:スコットランド
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
さてまあ今年3つめの台風の大接近を過ごして台風一過の日本列島ですが、3の3乗の号数で教皇の名前のフランシスコ台風という事で、3つの低気圧がくっついて三位一体なんて悪い冗談の天気図であったわけですが、本日10月27日はこちらフリーメイスンリーブログもタイフーンが過ぎ去った後の台風一過の3つの虹というところで、ロンドン・パリと同じく3つの虹というところが見られたのがこの題名のスコットランド国立美術館でした。
スコットランド王立アカデミーはスフィンクスがある目立った建物ですが、その奥にこじんまりとあるのがスコットランド国立美術館で、ロンドンの英国国立美術館やパリのルーヴル美術館のようには有名ではないと思いますが、実際その分私はいろんな意味でインパクトが大きい美術館でした。入場料も無料で、特にこれといった有名な作品があるわけではなく、どうもフリーメイスンらしい画家のスコットランドの愛国心に満ちあふれた作品があるという印象でもって、入場料も無料だしルーヴル美術館も英国国立美術館も見て回ったし、どうせブラザーターナーだろと軽んじていた部分もあり、本当に横須賀美術館を周る位の気持ちで観に行った美術館でありました。

英国国立美術館と一緒で入場料は無料で寄付金受けが入口にあったと思います。入場者はかなり少なかったと思います。ゆったりと時間をかけて2-3時間は巡れる感じであり、まあ作品の濃密さからいくと世界最高の美術館であるかと思われます。基本的に写真撮影は可能で、作品ごとに写真撮影不可が決められているシステムでしたがついそのまま勢いで撮ってしまう事が多くありました。現在はホームページもなぜか閉じられていて作品の検索などもできないようです。先に言ってしまうと美術館の質としては確実に世界最高だと思われます。とにかくその衝撃たるやなんとも言えないもので、この台風のごときまさに石工の妙技、スコットランド英国の至宝というものでした。wikipediaを参考としてください。
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これがまあ大体スコットランド国立美術館というとこの作品かスケートで滑っている写真という事で、ブラザーサーヘンリー・レーバンの作品という事で、私は今回の訪問では行きませんでしたがスコットランド国立肖像画美術館というのが新市街の方にありそこに多く所蔵されているらしい肖像画画家という事だそうです。ブラザーサーウォルター・スコットの肖像画を描いたのものこの方だそうです。まあとにかく写真が出始めたかその頃ですが、きちんと肖像画を写真のように残そうという、英国、スコットランドの恐らくグランドロッジの方針というところで、実はブラザーターナーのぼかした風景画や印象派の絵画は決してあれが絵画として素晴らしいという事ではなく、きちんとした技術としてはとにかくこうした写真的な記録の絵画が大事であり、フリーメイスンリーとしてはその技術に価値を見いだすというのが、まあこの英国スコットランド国立美術館でまざまざと感じさせられた絵画の価値基準であり、それを決めているのは我々であるという強い自負が感じられる、そんな美術館でありました。
モデルはブラザーサーウォルター・スコットの処女作ウェイバリーのモデルとなったハイランド氏族の長である人物である恐らくフリーメイスンのアレクサンダー・ラナルドソン・マクドネルという方で、恐らくだからスコットランドフリーメイスンリーを全て差配した方で、フランス革命にしろアメリカ独立戦争にしろそういうのをまあ見守り続けて判断をしていた人なんではないでしょうか。私も結局スコットランド旅行でこのハイランド氏族の伝統衣装というこう言うタータンチェックのキルト地のスカート姿というのに慣らされて、ちょっとカッコイイと思いつつある状況であり、一度はこういう格好をしたいと思ってきてしまっています。実物は迫力があります。
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これは新市街の方向から望むエディンバラ城ですかね。とにかく写真のような風景画が多いですが、写真の目的であったのでしょうね。実際見ている場所なので非常に分かりやすく、美しく書かれているという印象です。恐らく同じような建築中の新市街などの作品があるブラザーアレクサンダー・ネイスミスの作品ではないでしょうか。ブラザーロバート・バーンズの肖像画なども書いているそうです。まあちょっとスコットランド国立美術館のホームページにアクセスできないので分かりません。
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これも誰の作品か分かりませんね。これがそのいわゆる虹です。右下にはフリジア帽をかぶった像もありますね。しかし良いコレクションです。下の作品はエディンバラ城からの眺めでしょうか。まあしかし改めて今見ると良い作品良いコレクションですね。これが近所に住んでいれば散歩コースで毎日見られるんだからたまりません。スコットランドエディンバラ住民の特権ですね。
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恐らくブラザーターナーの風景画でしょうかね。まあコンセプトとしては結局ルーヴル美術館と英国国立美術館とテートブリテンのターナーコレクションの良い所でそこに置いていないものを全てスコットランド国立美術館で見られるというところでしょうかね。規模としては明らかに小さいのですが、置いてあるものの一点一点の選んだ眼力がすごすぎて、全体としてとんでもない美術館になっているという感じだと思われます。
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これはヴェネチアの風景画でしょうか。ガイドを読んでも出てこないので誰の作品か全くわかりません。ホームページも止まっていますし。まあとにかく見に来てくださいというところだと思われます。
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これがまあブラザーロダンの接吻なんですが、なんとも艶めかしいですね。とりあえず誰もが欲しくなる像であるかと思われます。確実にブラザーロダンの最高傑作であるかと思われます。いやまあすごい。
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これがフェルメールらしいですね。真珠の首飾りの少女のフェルメールなわけですが、実は一番良いのがここにあるのですね。もうなんというか飽きれちゃいますね。マルタとマリアの家のキリストだそうです。
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これが第二の虹ですね。おやっと見学したときは思うわけですが、虹が好きでたくさん出したのかなとか思いましたが、まあねえと。展示はいろいろ変わるのでそういう見る人に向けて並べているのだという事でしょう。フレデリック・エドウィン・チャーチという方の作品でアメリカ側から見たナイアガラ滝だそうです。もちろんフリーメイスンでしょうね。まあ虹ですよね。しかしきれいな作品でした。写真のようなのですね。現代アメリカ絵画という感じでしょうか。
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これが実はサーピーター・ルーベンスなんですね。聖母被昇天やキリスト教の宗教絵画で有名なサーピーター・ルーベンスですが、恐らくこれは最高傑作でしょうね。いわゆるブラザーオスカー・ワイルドによるサロメで有名な洗礼者ヨハネの首を差し出す場面です。新約聖書の話ですが、恐らくヘロデ大王の時代にでもユダヤ古代誌にも書かれなかった裏話としてあったのでしょうね。画中のやりがクロスしているのが何か意味しているのではないかと思われます。しかしまあ傑作です。サーピーター・ルーベンスもナイトを受爵しているそうです
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これも明らかにここにあるものが一番良いのですね。サーアンソニー・ファン・ダイクのロメリーニ家だそうです。まあ基本的に最高傑作が全部ここにあるという感覚でしょうかね。今まで見てきたものは何だったのでしょうか。しかしまあそれが集められるここスコットランドの力というか権力というかそれは何なんでしょうね。まあそれはフリーメイスンリーです。
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これもサーアンソニー・ファン・ダイクでしょうかね。結局王様の前ではないのでリラックスして描いているのでしょうね。しかしまあこの美術館の収蔵品を一点でも貰えないでしょうかね。価値は計り知れないでしょうが換金はできないでしょう。
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これもサーピーター・ルーベンスでしょうかね。サーピーター・ルーベンスの作品もキリスト教的福音に満ちた絵画なので非常にキリスト教徒に好まれるのでしょうね。
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これもサーピーター・ルーベンスの頭部の習作(聖アンブローズ)です。まあダヴィンチの作品のようですね。まあなんというかなんというかですね。
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こちらはレンブラント・ファン・レインの作品ですね。ベッドの中の女だそうです。レンブラントと言えば夜警が有名ですが、あの辺の群像画は全てオランダにあるんですね。その辺り完全にフリーメイスンリーの力関係でしょうかね。しかしこの艶めかしい女性像はスコットランドにあるんですね。完全に大事なところを掴まれている感じでしょうか。
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レンブラントの自画像です。確かルーヴル美術館には螺旋階段を描いたものがあったと思います。まあ確実に最高傑作はここにあるのでしょうね。
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これは何でしょうね。画題もちょっと分かりませんが、キリスト教関係である事は間違いなさそうです。ニコラ・プッサンのようでもありますがちょっと分かりません。ところで背景の色が変わってきていることに気づくでしょうか。絵画が掛けてある壁面の色が最初の赤から徐々に対立色に変化してきているのですね。こういう見せ方も科学的なのですね。徐々に宗教画が増えてくるのも一種の演出かと思われます。
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これもなんでしょう。非常にカラフルです。古典を模倣した作品のようです。たった麦わらを抱えているのもシンボリズムですね。ユダヤ教のシンボルです。
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これも画題は分かりませんが、3つめの虹ですね。セント・アンドルーズを思わせる城の光景です。これがスコットランド、エディンバラの3つの虹でした。しかしまあ今日は日本は久しぶりの好天です。魔笛の日と同じでしょうか。虹は出なかったようですが、スコットランドの虹をお楽しみください。
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ブラザーウィリアム・ダイスのフランチェスカ・ダ・リミーニだそうです。チュッチュと言った感じでしょうか。星や月、白黒の床などシンボリズムも認めます。ギターがあったりします。
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画題は分かりませんが何か大きな本を読む修道士のようです。髑髏などシンボリズムを認めます。
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こちらもパンフレットにも使われていたと思いますが、ブラザーサーヘンリー・レバーンのダッディングストン湖でのスケートです。気持ち良さそうですね。
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これもコンパスを認める象徴画でしょうか。誰の作品かはわかりません。
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これは二階かで特別な展示室があったニコラ・プッサンの7つの秘蹟です。キリスト教のカトリックの教えを画題としたもので、解説にあるとおり新約聖書に描かれたキリストの伝道の様子や初期キリスト教徒の活動の様子を画題として、それらを個室に暗幕を掲げて一人ずつ見せる形で人々の信仰を高める目的で描かれたようです。ここは厳密に写真撮影禁止でしたが勢いで撮影してしまってとがめられました。上のものは聖餐というそうです。最後の晩餐のイメージかと思われます。毎日の食事での祈りが大事という事かと思われます。
その他にもあり全体で7つセットでありました。二つ組あるそうで、詳しくはwikipediaを参照してください。
ネット上にあった上記のものとその他のものを置いておきます。
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これは結婚だそうです。二本の柱や球を上に置いた柱など微妙にフリーメイスンリーのシンボルが一つ程入っている感じでしょうか。まあ男と女とヤキン、ボアズの柱と教訓が入っているのでしょうね。
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これは上記にもある聖餐です。三つの小さな光や四本の柱などいかにもシンボリズムという形でしょうか。四本の柱は四つの美徳を意味するものかと思われます。正義、剛勇、節制、思慮分別です。後ろの幕も幕屋の比喩なのだと思われます。右奥にある大鉢も友愛のシンボルになるものかと思います。実際飲み物を入れるのに使っていたのかと思われます。
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堅信礼ですね。キリスト教徒の幼児洗礼後の成人してからの信仰告白の儀式だそうです。恐らく後ろのロウソクの火を移している形がコンパスの形になっているのだと思われます。同時に聖火リレーのような意味もあるのだと思われます。
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これは苦行ですね。新教皇が孤児院の孤児の足を綺麗にするという様子が報道されていましたが、あの様子だと思われます。恐らく養老院の老病者の足を綺麗にする奉仕活動の様子なのだと思われます。やはり四本の柱と中の二本の柱の対比でしょうか。前の香の壺の形がユダヤ教の象徴のようでもあります。同時に洗礼を授けるという意味もあるのかと思われます。
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叙階だそうです。聖職叙任だそうで、司教や司祭を任命するという意味なのだと思われます。後ろの部分がピラミッドや物見の塔や橋という建築のオーダーという意味も掛けているのだと思われます。左手で鍵をもっているのもそういう言葉の意味の鍵が渡されるという意味なのだと思われます。右手の形やその他の人の天を指す指や中心の人物を指さす様子が全てキリスト教に共通の一つのシンボルなのだと思われます。All Seeing Eyeのデザインが組み込まれているようです。洋服も多色になっていて意味があるようです。左手後方にあるのは明らかにソロモン宮殿だと思われます。まあほぼフリーメイスンリーの教えの図に近いかと思われます。そういう時代のそういう画家なのですね。

その他には終油の秘蹟と洗礼があるそうですが、ネット上ではここに展示してあった第二セットのものはありませんので第一セットのロンドンの英国国立美術館とワシントンの米国国立美術館にあるものを出しておきます。
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これはロンドンにあるそうです。後ろの円が象徴なのでしょうかね。
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これはワシントンにある洗礼ですね。いわゆるヨハネによる洗礼に形が近い鳩が飛んでいる形となっていますが、有翼日輪に近い形となっています。後ろにある丘の上の木々が自然のシンボルになるのだと思われます。

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まあそういうわけでそういうすごい美術館という事でよろしいでしょうか。こちらはポール・ゴーギャンの説教のあとの幻影(ヤコブと天使の闘い)です。教会での説教の後で旧約聖書のヤコブと天使の格闘を皆で認めたという事でしょうか。まあ旧約聖書を読むと分かるのですが、明らかに夜間にヤコブが格闘するのは人間だよなあという話を題材としたものなのでしょうね。教会から出たところで格闘している人々を見て、それが人間の話であるという教訓なのだと思われます。株式仲買人であったゴーギャンらしい人間的な絵画ではないでしょうか。まあ最高傑作でしょうね。
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これは明らかにヴィンセント・ファン・ゴッホですね。農婦の画題のものはかなり沢山あるようですが、この人は色々な角度で何度もモデルになっていて恐らくファン・ゴッホのお気に入りであったのでしょうね。しかもその他の検索で出てきたものと比べると明らかにここにあるものが一番美人に良くできています。ファン・ゴッホの好みまで分かってしまうスコットランド国立美術館でしょうか。
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これは何でしょう。チェスをやっているようです。誰の作品かは全くわかりませんが、スコットランドではとにかくチェスが良く目につきました。かつてチェスの世界王者がアメリカを批判して亡命した事がありました。どうも画風はブラザーウジェーヌ・ドラクロワのもののようです。[チェスをするアラブ人」のようです。
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これはシンボリズムを認める絵でしょうか。砂時計と剣を認めるようです。作者や画題は分かりません。
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これは上に繋がる階段です。確か三階構造であったかと思われます。ホームページを見ると地下と一階と二階が二つに分かれた構造のようです。かなり複雑な作りではありました。まあロッジには成るのでしょうね。ブラザーウィリアム・ヘンリー・プレイフェアによる設計・建築です。
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サンドロ・ボッティチェリの聖母とおさな子です。ボッティチェリといえばヴィーナスの誕生や春が有名ですが、こういう薔薇を後ろに描いたものもあるのですね。一重の薔薇だそうですが、右下にイチゴがあり、左下にスミレがあったりと様々な寓意画であるようです。解説したものがあったのでリンクしておきます。どうも描き始め当初アクセスできなかったスコットランド国立美術館のホームページが回復したようですので、これ以降参照していきますが、どうもちょっと見ると展示作品はかなり毎回異なるようですし、オンラインギャラリーにもここに挙げたような主要作品はあまり出ていないようでした。なかなか複雑です。(この作品はかなり大きく修復しているようです。ブルーがかなり鮮烈になっています。)
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パブロ・ピカソの母と子です。いわゆる典型的な青の時代でしょうね。ピカソもモナ・リザの窃盗犯の疑いで拘留されたり色々あったようですが、とにかくルーヴル美術館で盛んに模写をしていた人ではあったようです。青の時代は明らかにブルーロッジの時代という事なのでしょうね。まあこれが最高傑作なんだと思われます。聖母子像なのでしょうね。
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これは驚きましたね。ラファエロはわたしはそれほど好きではありませんでしたが、明らかに他では見た事のない明らかに傑作が集まっているラファエロでした。聖母子像です。これは明らかに傑作です。恐らく教皇庁から何らかの算段をして手に入れられたものかと思われます。これを見るとダ・ヴィンチよりラファエロが上に来るのが分かります。
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これもラファエロですね。まあとにかくびっくりしちゃってビックリです。ヤシの木の下の聖家族です。色々な象徴が込められているようです。まあとにかくどう見てもラファエロの最高傑作です。
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これもラファエロです。一枚欲しいです。幼い洗礼者ヨハネとであった聖家族です。まあはっきりした人種差別傾向が認められるかもしれませんが、しかしまあこんな絵もあったのですね。
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これは恐らくダ・ヴィンチ作品なのでしょうね。糸車の聖母というそうです。弟子のものとされるのかもしれません。この辺で完敗ですね。(この作品は2003年のちょうどダヴィンチ・コードが流行したころに盗難騒動があったようです。所有者は83歳で亡くなってしまったそうですが、その後作品も見つかり犯人も逮捕されたそうです。そういえばそんな騒ぎがあった記憶があります。色々激動のミレニアムでした。その後公開されるようになりここスコットランド国立美術館に貸し出されるようになったようです。そういう経緯を考えるとかなりダヴィンチによる真作の可能性が高いのでしょうね。)
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クエンティン・マサイスによる肖像画です。バラのつぼみと十字架と羽ペンをもつ形です。薔薇十字団になるのでしょうか。北方ルネッサンスの画家でルーヴル美術館にも両替商の絵があったそうです。なかなかこの人の作品は他にも変わった画題が多いようで、恐らくこの薔薇と十字架の組み合わせは当時に流行した秘密結社としての薔薇十字団の象徴であったのでしょうね。
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ヨース・ファン・クレーフェの三連祭壇画というそうです。日本の国立西洋美術館にもキリストが磔になっている状態のものがあるそうです。ここには磔から降ろされた状態のキリストの後ろにタウ十字の磔板の形が大きく認められるものとなっています。なんとも象徴画としては最も大事なのがやはりここスコットランドではクロスになるのでしょうね。アッシジのフランシスコから始まるフランシスコ修道会が使用したというタウ十字ですね。キリスト教のこうしたシンボリズムの流れは結局ヘブライのユダヤ教のシンボリズムから生じ、その元がもちろんエジプトやオリエントの文字やシンボリズムの源流に行き着くという事なのですね。
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これは一階から二階に繋がる曲がり階段のところにある恐らくローマやギリシアの哲学者や思想家の胸像だと思いましたがどうもまさにユダヤ古代誌とユダヤ戦記の時代のローマ皇帝たちの胸像であるようです。ローマ皇帝ガルバ、ローマ皇帝ウェスパシアヌス、ローマ皇帝ティトゥス、ローマ皇帝ドミティアヌス、ローマ皇帝アントニヌス・ピウスが確認できました。
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一階から地下の売店の場所へはやはり螺旋階段です。売店とカフェとトイレがあったかと思います。極めてシンプルな感じであったかと思いますが、売店の美術の本は充実していました。
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ブラザーデイヴィッド・リヴィングストンの銅像です。アフリカを探検してヴィクトリアの滝を命名したことで有名です。フリーメイスンかどうかは微妙のようですが、業績や足跡、5月1日に亡くなっていてこうして銅像があることなどからもフリーメイスンと考えられるようです。まあ生きる石ですからね。最後は60歳で白ナイル、ナイル川の源流の西側でヴィクトリア湖から流れる地域を探索していてマラリア等で亡くなったそうです。遺骸はウェストミンスター寺院に送られたそうです。まあ生前にロッジに関心は無く純粋なキリスト者であった方なのだと思われます。

さてこの後は展示はされていなかったがカタログなどからも明らかに名作と思われるスコットランド国立美術館の収蔵作品のインターネットにあった画像を載せていきます。
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これがブラザーロダンの非常に艶めかしいキスと交互に置かれているらしいブラザーアントニオ・カノーヴァの三美神です。イタリアの人で11月1日生まれだそうです。これはすごいですねえ。同じものがエルミタージュ美術館にあるそうでこの写真はそちらのようです。ルーヴル美術館にも作品があるそうです。すごいですねえ。ヘッダー画像に入れています。
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お墓がこの様な形だそうです。サンタ・マリア・グロリオーザ・デイ・フラーリ聖堂にあり、心臓だけ入っているそうです。自らのデザインだそうです。
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これはエル・グレコの祝福するキリストです。私もこれが来ていたらちょっとエル・グレコ展も観に行ったでしょうね。
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アルブレヒト・デューラーの黙示録の四騎士です。ヨハネの黙示録に出てくる四騎士でそれぞれ疫病や飢饉、戦争、勝利などを意味しているという事です。
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ブラザーウィリアム・ブレイクの契約の石板に描き示す神の図です。なかなかその選択がすさまじいですね。
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ティツィアーノ・ヴェチェッリオの海からあがったビーナスです。ヴェネチアの人で長生きしたそうです。
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