2013-12-05 14:09 | カテゴリ:高知
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
突然なんですがまあ日本で人気の高い話題だと思います。
2010年のやりすぎコージーのやりすぎ都市伝説の内容を見ていて、どうもあの当時の方がフリーメイスンリー的にはやはり良い時代であったのだなあとヴェルニー公園の薔薇なんかを思いながらも回顧していたわけですが、まあブラザー加治将一の操られた龍馬の影響もあって、坂本龍馬の評価も極めて冷静なところに落ち着いて最近ほとんど評判も聞かないさみしい状況でもあるわけですが、それは良くないと再再評価ではないですが坂本龍馬の謎というところで一席打ちたいかと思います。

まあ詳しくはブラザー加治将一の本を読むのが良いわけで、実際の歴史はほぼその通りであったのだと思われますが、現在書いているお雇い外国人や明治大正の日本人の様子を想像しても、またちょっと前までの平成時代の日本人や自分自身を考えてもそこからさほど大きく変わってはいない、むしろこの情報化社会で聖書の内容を吟味するようになるまでの日本人の方がよほど変化したという状況であるかと思われますが、そういう変化の時代に坂本龍馬は極めて平均的な人物でありながらたまたま様々な運と巡り合わせで歴史に名を残す人物となり日本という国と文化の歴史に重要な役割を果たしたわけで、これからも誰もが自由に情報を操り発信していくことが可能な時代にあっては誰もがいつ何時坂本龍馬のように世界や日本やアジアの命運を左右するような大役を任されることがあってもおかしくない状況が訪れているのだと思います。
坂本龍馬は最後は不幸なことに暗殺をされて文明開化の明治を見る事はなかったわけですが、そういった志士は数多く幕府軍側にも官軍側にもいたわけで、むしろ坂本龍馬の存在が無かったのであればあれ以上の不幸な状況が拡大し長引いたこともありえたというのはまあ歴史の仮定な訳ですが、そうした坂本龍馬がフリーメイスンで無かったとしても死後にフリーメイスンリーについて何らかの評価を認めるのがフリーメイスンリーであるのはここまでこのブログを読んでいれば分かる事かと思います。

まあ展開を考えれば名前と誕生日と忌日か作品か銅像かとそういう事に大概なるわけで、結局フリーメイスンリーというのはセオリーを絶対とする確実な考え方みたいなところなので、そういう事になるわけです。
誕生日と忌日を見るとまず明らかにシンボリズムを認めます。
天保6年11月15日(1836年1月3日)-慶応3年11月15日(1867年12月10日)
一応西暦がありますが、孝明天皇なんかと一緒でまだ明治にも入っていないので完全に旧暦の時代の人なのですね。111と5のシンボリズムという事になるとキリスト教になるわけですが、慶応3年なんてのも恐らくこのブログで初めての和暦の明治以前の元号のシンボリズムになるのだと思いますがあるのだと思われます。そういうのでも最初の人なんでしょうねと思いましたが、どうもやはり孝明天皇天保2年6月14日(1831年7月11日)-慶応2年12月25日(1867年1月30日)もそうですが、桜田門外の変安政7年3月3日(1860年3月24日)もあり、さかのぼればペリー来航後の安政の大地震もほぼシンボリズムに則って起こっているようで、まあどういう仕組みなのかは分かりませんが、地震大国日本の真骨頂と言った感じのいわゆる神の御業なのでしょうね。特に嘉永7年の西暦でのクリスマス周辺の伊勢神宮周辺の大地震と安政2年のこれまた西暦での11月11日の江戸の大地震はやはりこれは特筆すべきものなのだと思います。特に明治維新前のキリスト教禁教時代のクリスマス周辺の頃へのシンボリズムのこだわりとその事による心理的効果と明治維新への流れは日本の歴史としてやはり重要なのだと思われます。地震研究ってのは大変なんですね。
あとは坂本龍馬ではもちろん龍というアジアの象徴がフリーメイスンリー発祥の地イギリスでは聖グレゴリウスの龍退治という事でもちろん退治される側に回るという事があるわけで、そういう意味ではもちろん最初からそういう機会を考えていたという事になるのかと思われます。このシンボリズムに合わせて暗殺するとなると確かに確実なのは常に一緒にいる中岡慎太郎に殺させるわけですが酷い話ですね。このすぐ後にはブラザーハリー・パークス襲撃事件もありまさに明治維新とは戦争であったのですね。あとは数え年、まあそういうのも文明開化以前な訳ですが、数え年で33歳であったという事もキリストが33歳で磔になったとか、ソロモン宮殿が33年間保ったとかどちらも儚い哀れな話ですが、まあ諸行無常の意味でもあるのだと思いますが、そういう33という数字を確実に認めるものでもあるのですね。要するにどう考えてもフリーメイスンリーのシンボリズムに合わせたヨハネ・パウロ1世の死みたいな暗殺なわけですね。
もちろんブラザーハリー・パークスとブラザーアーネスト・メイソン・サトウとブラザートーマス・グラバーの仕事なんでしょうね。それだけ重要な役を坂本龍馬は担っていたというところになるのかと思われます。この当時はまだ南北戦争以前でスコティッシュライトも確立はされてはいませんでしたが、33階級保持者自体はアメリカを中心に認定されていて、その大元はオランダ人のアメリカ移住者であったそうですが、そもそもスコティッシュライト自体もフランス、ボルドー周辺でジェームズ二世を支持するジャコバイト達のフランス亡命生活の中から始まったそうなので、1666年のロンドン大火ではないですが、ユーラシア大陸の東と西で常にネットワークを張り巡らして物事を進めていくのがこのスコティッシュライトのやり方であるのですね。ボルドーワインはフリーメイスンリーのグランドロッジでも注文できますが、最近日本でも普通においしいワインが飲める時代であるかと思います。スコティッシュライトに加入して飲むとより一層おいしいかもしれませんね。ロスト・シンボルみたいになってはいけませんね。

まあその年齢とシンボリズムから言うとキリストになぞらえた子羊のシンボルと同じ明治維新という近代革命のために捧げられた生贄、犠牲という意味もあるのだと思われます。

ええとまあ大概の謎は出てしまったようですが、後は銅像です。
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高知土佐の英雄と言えばこの龍馬像の龍馬という事になるのでしょうが、私はこの真言宗が盛んという四国も高知も行ったことが無いのでなんとも言えませんが、長宗我部元親や蜂須賀小六、山内一豊や山内容堂の評価はどうなんでしょうかね。まあこの銅像もいわゆる右手を差し込んでいる、ブラザーナポレオンや、スターリン、ブラザーワシントンにも認める形であったでしょうか。カール・マルクスでも認めるとか陰謀論でもあったと思いますが、どうも検索するとThe Hidden Hand that Shaped Historyというページがあり、いわゆる陰謀論なんですが、もちろんフリーメイスンリーとそういうポーズを直結するわけではありませんが、そういうスタイルが一つのシンボリズムとして特に権力者や有力者では流行っていたというところがあるようです。英文を読んでいくとどうも根拠となる聖書の原典は出エジプト記の第4章で神がモーセに数々の奇跡を見させて信用させて、その後にファラオに説得に行かせる前段階のところでモーセに懐の中に手を入れさせて皮膚病になってすぐに治るという奇跡を見せさせる動作がそれなのだと解説しています。一応その部分を引用します。

出エジプト記4章 使命に伴うしるし
モーセは逆らって、「それでも彼らは、『主がお前などに現れるはずがない』と言って、信用せず、わたしの言うことを聞かないでしょう」と言うと、主は彼に、「あなたが手に持っているものは何か」と言われた。彼が、「杖です」と答えると、主は、「それを地面に投げよ」と言われた。彼が杖を地面に投げると、それが蛇になったのでモーセは飛びのいた。主はモーセに、「手を伸ばして、尾をつかめ」と言われた。モーセが手を伸ばしてつかむと、それは手の中で杖に戻った。「こうすれば、彼らは先祖の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神、主があなたに現れたことを信じる。」主はさらに、「あなたの手をふところに入れなさい」と言われた。モーセは手をふところに入れ、それから出してみると、驚いたことには、手は重い皮膚病にかかり、雪のように白くなっていた。主が、「手をふところに戻すがよい」と言われたので、ふところに戻し、それから出してみると、元の肌になっていた。「たとえ、彼らがあなたを信用せず、最初のしるしが告げることを聞かないとしても、後のしるしが告げることは信じる。しかし、この二つのしるしのどちらも信ぜず、またあなたの言うことも聞かないならば、ナイル川の水をくんできて乾いた地面にまくがよい。川からくんできた水は地面で血に変わるであろう。」それでもなお、モーセは主に言った。「ああ、主よ。わたしはもともと弁が立つ方ではありません。あなたが僕にお言葉をかけてくださった今でもやはりそうです。全くわたしは口が重く、舌の重いものなのです。」主は彼に言われた。「一体、誰が人間に口を与えたのか。一体、誰が口を利けないようにし、耳を聞こえないようにし、目を見えるようにし、また見えなくするのか。主なるわたしではないか。さあ、行くがよい。このわたしがあなたの口と共にあって、あなたが語るべきことを教えよう。」モーセは、なおも言った。「ああ主よ。どうぞ、だれかほかの人を見つけてお遣わしください。」主はついに、モーセに向かって怒りを発して言われた。「あなたにはレビ人アロンという兄弟がいるではないか。わたしは彼が雄弁なことを知っている。その彼が今、あなたに会おうとして、こちらに向かっている。あなたに会ったら、心から喜ぶであろう。彼によく話し、語るべき言葉を彼の口に託すがよい。わたしはあなたの口と共にあり、また彼の口と共にあって、あなたたちのなすべきことを教えよう。彼はあなたに代わって民に語る。彼はあなたの口となり、あなたは彼に対して神の代わりとなる。あなたはこの杖を手に取って、しるしを行うがよい。」

モーセ、エジプトに戻る
モーセがしゅうとのエトロのもとに帰って、「エジプトにいる親族のもとへ帰らせてください。まだ元気でいるかどうか見届けたいのです」と言うと、エトロは言った。「無事で行きなさい。」主はミディアンでモーセに言われた。「さあ、エジプトに帰るがよい、あなたの命をねらっていた者は皆、死んでしまった。」モーセは、妻子をろばに乗せ、手には神の杖を携えて、エジプトの国を指して帰って行った。主はモーセに言われた。「エジプトに帰ったら、わたしがあなたの手に授けたすべての奇跡を、心してファラオの前で行うがよい。しかし、わたしが彼の心をかたくなにするので、王は民を去らせないであろう。あなたはファラオに言うがよい。主はこう言われた。『イスラエルはわたしの子、わたしの長子である。わたしの子を去らせてわたしに仕えさせよと命じたのに、お前はそれを断った。それゆえ、わたしはお前の子、おまえの長子を殺すであろう』と。」途中、ある所に泊まったとき、主はモーセと出会い、彼を殺そうとされた。ツィポラは、とっさに石刀を手にして息子の包皮を切り取り、それをモーセの両足に付け、「わたしにとって、あなたは血の花婿です」と叫んだので、主は彼を放された。彼女は、そのとき、割礼のゆえに「血の花婿」と言ったのである。主はアロンに向かって、「さあ、荒れ野へ行って、モーセに会いなさい」と命じられたので、彼は出かけて行き、神の山でモーセと会い、口づけした。モーセは自分を遣わされた主の言葉と、命じられたしるしをすべてアロンに告げた。モーセはアロンを伴って出かけ、イスラエルの人々の長老を全員集めた。アロンは主がモーセに語られた言葉をことごとく語り、民の面前でしるしを行ったので、民は信じた。また、主が親しくイスラエルの人々を顧み、彼らの苦しみを御覧になったということを聞き、ひれ伏して礼拝した。


まあこのブログの最初の方以来の久々の旧約聖書引用な訳ですが大丈夫でしょうか。旧約聖書も久々に読むと全く心に響きます。なんと言うか基本的な説得法と言うか演説術のようなものを懇切丁寧に分かりやすく説明してくれるところがあるまさに知恵の書です。それで、まあこの文を読むと手をふところに入れるシンボリズムも非常に分かりやすいわけですが、一方でロスト・シンボルでも認めていた右手や左手のシンボリズムでの意味もあり、また神の手と言うシンボリズムもあり、それぞれそういう意味が含まれるのだと思われます。いずれにしてもちょっと分からない人が見てもどうもこのポーズは意味がありそうだと思わせるいわゆるカッコイイ様子であり、そういうのが肖像画の一つのポーズとして流行ったという事なのだと思われます。坂本龍馬の銅像でもそういうブラザーナポレオンやブラザーワシントンが肖像画に書かせたシンボリズムを真似させたのでしょうね。神の手の使い、フリーメイスンリーの手となって動いたという意味も当然重ね合わせられているものかと思われます。まあどうも左手も隠してますし、そもそも坂本龍馬は手を出さない肖像画を取っていますし、そういうスタイルが粋だというちょっと不良少年のような感じもあるようです。さてまあそれだけだといわゆるほぼ陰謀論のページと変わらなくなってしまうのでここから先はいわゆる本格的なフリーメイスンリーのシンボリズムです。
その他の坂本龍馬像のシンボリズムは何でしょう?まあ家紋もあるのですが、これは良く分からないので家紋好きの人にまかせましょう。
後はまあこのブログを良く読んできた人はもう分かるかもしれませんが、右ひじをついている台がファスケス、束桿の形にぼんやりとなっているというところでしょうか。昭和3年作成の銅像と言う事で、シンボリズムもあるのだと思われますが、時代的にはその翌年が世界大恐慌でその後ファシズムが出てくるわけですが、まだ日本は関東大震災から立ち直りつつあったころで大正天皇の死から昭和天皇へと代替わりして満州ではその後の満州事変から満州国設立に繋がる端緒となる張作霖爆殺事件などがあった年でもあり、まあ作った方がファスケスやその後のファシズムを予知していたとは到底思われませんが、そういう形が既にこの像には認められるという事なのだと思われます。そもそも坂本龍馬の再評価も日露戦争の際に明治天皇の妃の皇后美子(後の昭憲皇太后)の夢枕に現れたという話からであり、坂本龍馬にまつわる評価や日本人の認識と言うところで一定のものはないというところが実際であるかもしれません。それで、まあ銅像にフリーメイスンリーによるその後の世界を占うシンボリズムが入っていたとしても不思議ではないわけです。
このファスケスに関しては明らかに元ネタと言うか由来となったものがあり、それはこのブログでも以前にトラファルガー広場のブラザーワシントン像で紹介したファスケスを元にしたものかと思われます。
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これは同じものがローマやワシントンD.C.のワシントン記念塔にもあるそうです。元々はヴァージニア州の州都の州知事庁舎にあるものでフランス人のブラザージャン=アントワーヌ・ウードンによるものだそうです。その他のブラザーワシントンの銅像についてもウィキペディアにページがありました。
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ブラザーウードンはその他の同時期のフリーメイスンの銅像を多数制作しているそうです。土佐の坂本龍馬像の制作者は日本人の高村光雲の弟子の本山白雲という方の作品で、主要な作品の多くが戦争で供出されてしまって原型も破壊してしまったエピソードがあるそうです。代表作がこの坂本龍馬像だそうですが、他にも国会議事堂の伊藤博文の像などあるようです。高村光雲の西郷像を手伝ったりとかなり優秀な銅像作家であったようです。
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その他にも有名なファスケスの像はこのブログでも触れたワシントンD.C.のブラザーリンカーン像のものでしょうか。こちらはピシリーリ兄弟ダニエル・チェスター・フレンチの監督のもとで作成したそうです。どちらもフリーメイスンなんだと思われます。碑文の彫り間違いやその他の謎についてはちょっと分かりません。アメリカの統合を守ったという意味でブラザーワシントン像にもブラザーリンカーン像にもファスケスが使われ、それは坂本龍馬像にも同じ意味で入れたのではないかと思われます。

さて高知にはその他にも有名なフリーメイスンリー関連の銅像があり、このブログでも横須賀唯一のパーフェクトアシュラーの回で無理やり触れたりしました。
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直角定規とコンパスは良く見ると折りたたんだものを持っている、中浜万次郎の銅像ですね。かなりはっきりしたシンボリズムで日本の銅像としては恐らく一番はっきりしたシンボリズムなんだと思われます。高知県の足摺岬にあるそうです。やはり生誕日と忌日文政10年1月1日(1827年1月27日)-明治31年(1898年)11月12日にはシンボリズムがあるようです。日本帰国後に軽い脳溢血を起こすなどあったそうですが、いわゆるペリー来航時の通訳をしています。銅像の製作者は大谷憲智氏と表記されていますが、実際は西常雄氏だそうで、お二人とも亡くなっているようですが、西常雄氏は99歳で2011年3月31日に亡くなられたそうです。1911年生まれで月日は分かりませんが、恐らく作品その他からもシンボリズムは認められそうです。この像の著作権で裁判を起こしていて認められたそうです。
(どうも総合すると日本人最初のフリーメイスンはジョン万次郎という事になるのでしょうかね。もちろん入会証明書やロッジを訪問したわけではないでしょうが、もしかするとあちらのロッジにはそういうのが残っているかもしれません。)

まあ恐らく高知のネタはこれ以上書くことはないと思うのでカテゴリわけして良かったのかどうか分かりませんが、全くこのままであればそのうちシンボリズムに入れてしまうかもしれませんし、分かりませんが、とりあえず高知県におけるフリーメイスンリーのシンボリズムと言う事は間違いないかと思われます。確かに現在は北海道はロッジはありませんが、かつてはあったそうですし、北海道の歴史を考えるとすぐに出来そうですが、四国は難しそうですもんね。フンフン納得と。
もうすぐ坂本龍馬の西暦の命日でもあるんですね。