FREEMASONRY
しかしこれは関東山梨静岡あたりでの話であって、それ以外の地域ではほとんど見られないので実はそうではありません。
富士山は文献的には紀貫之とかその位から霊山としてあがめられてきたのか、主に東日本、もともとアイヌ民族の方での象徴であったのだと思われます。
日本の象徴とされてきたのはやはり静岡、駿府を拠点とした徳川家康の影響が大きいのでしょうか。
横須賀でも大楠山や荒崎公園、立石公園からの眺めは晴れていれば美しいですし、葉山は長者ヶ崎、国際村の給水塔の上や、鎌倉であれば稲村ケ崎公園、ちょっと変わったところでは安国論寺の富士見台などの絶景ポイントがあります。
東海道沿いでは北斎の冨嶽三十六景が構図としては有名でしょうか。江戸時代は東海道を整備して人の往来を盛んにし街道の経済を潤わせる効果があったのだと思われます。
横山大観の富士山
著作権の問題あれば教えてください。
日本のフリーメイスンリーでも富士山はグランドロッジのシンボルマークに取り入れられています。
もうひとつ日本の信仰の象徴としての鳥居ですが、これについてはいくつかのロッジで象徴として取り入れられているようです。
国際ロッジは座間基地の中にあるロッジです。名古屋のロッジは鳥居メソニック・ロッジという名前です。
富士山に関しては過去に大東亜戦争盛んなころに富士山に向けた直線の参道の都市計画(9/2追記:丹下健三氏の最初のコンペ受賞作品のようです。大東亜建設忠霊神域計画というそうで、参考となるホームページホームページ2がありましたのでリンクしておきます。丹下健三氏といえばこのブログでも横須賀の芸術劇場やフジテレビの本社社屋などフリーメイスンリーのシンボルとしての建築を行っている日本の代表的な建築家であり興味深い逸話だと思います。カトリックの洗礼を受けていて受洗名がマリアの夫の大工のヨセフだそうです。)や様々な逸話もあり、また米軍が本気で原爆を落とすことを考えたとかいう逸話も聞いたことがあります。最近でもオウム真理教が上九一色村にサティアンを築いたりということもありました。
フリーメイスンリー的には富士山は三角形の形に頂点付近で白く色が変わり、また頂点部分が若干欠けていることなどもピラミッドや、それをデザイン化したAll Seeing Eyeの図柄と似た形になることなどからもシンボルとして認められやすかったのだと思われます。
鳥居に関しては国家神道の象徴とされた歴史や、明治以降につくられた国家神道の疑似キリスト教の体系などからも、果たして万物に霊が宿るとするアニミズムの一つともいえるものがキリスト教やユダヤ教と比肩できる宗教たるのかといった議論などもあります。一般的には日本人の信仰の表れと認められますが、国家神道と絡んで異論があるのが現状です。
横須賀 長井の熊野神社の鳥居
鳥居は神社の神域に入る門としての象徴であり、パリの凱旋門に認められるように(追記:パリの凱旋門は明らかにフリーメイスンリーのシンボルです。)門自体もフリーメイスンリーに限らない象徴です。墓などで使われると天国への門という意味になるようです。
国立西洋博物館にあるダンテ「神曲」からのロダンの「地獄の門」(追記:「この門をくぐる者は一切の希望を捨てよ」の銘文があります。神曲から由来するものと思われます。アウシュビッツ収容所の門の銘文とは異なるようです。)
その他私個人としては日本のフリーメイスンリーのシンボルとして是非菊紋を加えたいと期待するのですが、天皇陛下がフリーメイスンでない現状では不可能なものだと思われます。本来のフリーメイスンリーのあり方としてはそれがふさわしいのだと思われます。(2015/10/10追記:菊紋に関してはそもそもルーツがインド伝来の仏教由来の蓮華紋であり、それらのルーツがオリエントやエジプトでの普遍的な文様であったこともあり、また欧米ではそのまま薔薇紋と共通であることなどからなかなかシンボリズムとしてあえて天皇家のシンボル、日本のシンボルとして強調するのはどうかというところのようです。逆に言うと普遍的なシンボルであり、あえて強調する意味はないという事でもあるようです。)
さてシンボルとしての富士山ですが、都心からは常に見られるわけではありません。
で、車で近くまで行って思う存分眺めるのが良いと思いますのでお勧めのスポットをお知らせします。
それは西湘バイパスを超えて、現在無料化された箱根新道を越えて芦ノ湖湖畔に至り、芦ノ湖スカイライン(片道600円、途中でUターンで往復料金1200円)の途中にある三国峠です。
皿うどんでしょうか。
リンガーハットというのはRinger hutというそうで、リンガーの家、小屋という意味になるそうです。
とんがり屋根からリンガーの帽子と思ってる人が多かったのではないかと思います。
で、リンガーの家、小屋って何?となるわけですが、長崎にはリンガーの家があります。
それは長崎の最大の観光名所であるグラバー邸の近くです。
グラバー園公式サイトより引用です。
イングランド出身。1864年頃に来日しグラバー商会に勤めた後、1868年英国人のホーム氏と共にホーム・リンガー商会を設立。居留地の外国人と市民の交流の場、内外倶楽部を設立し、長崎の上水道建設・外国貿易・代理店・製茶・製粉・発電など幅広い事業を行いました。彼が1898年に大浦海岸通り(旧香港上海銀行長崎支店横)に建設した「ナガサキ・ホテル」は、当時アジアの一流ホテルとして名を馳せました。
で、ここにあるのがこれです。
国指定の重要文化財にあるシンボルはここだけではないでしょうか。私はまだ訪問したことはありませんが、機会があれば訪問したいです。
要するにグラバーもリンガーもフリーメイスンという事なのだと思います。
私はワインに通じていることは一切ありませんが、キリスト教からの影響でフリーメイスンリーでもワインは入会の証しのような役割があり、日本で言う兄弟杯のような意味があるかと思います。まあどういうわけか非常にヤクザは非合法組織として敵視しており、何やら伊勢神宮を巡って週刊誌のネタになったりしていますが、実際はどうでしょうか。
まあそれはともかくワインについては薔薇と一緒で欧米の文化の象徴であり、フリーメイスンリーの会合などでは普通に良いワインが飲める事が多いです。日本だと横須賀あたりでは鎌倉の駅前のスーパーなどで色々売ったりしていたり(6/23追記:横須賀さいか屋の一階でも色々売っています。ご参考までに。)、前に挙げた稲村ケ崎のロンディーノなどでは良いワインを飲ましてくれますが、一般にやはり欧米から直接手に入れるか、現地で飲むのが良いものが多いようです。都内にはいくらでもワインの専門店やバーや料理店があるかと思いますので、調べてみてはいかがでしょう。一応UGLEのお土産サイトでワインのセットを売っていてなかなかおいしかったですが、以前はチリ産やその他フランス以外の産地のものでしたが、現在はブルゴーニュだったかフランス産のものに変わりました。微妙に大東社と英米フリーメイスンリーとの関係も影響しているのかもしれません。いわゆるフランスのシャトーでしょうか、ワインの名産地のオーナーたちも皆フリーメイスンのようですし、おいしいワインが飲みたいがためにフリーメイスンリーに興味を持たれる方も多いようです。
くれぐれも飲みすぎにご注意を。
ただまあマクドナルドやディズニーなど代表的な企業は既にとりあげているので、市章のシンボリズムを十分理解された方であればこのブログで挙げられなくとも日常生活で企業やその他のデザインを見た際にひらめくことが多々あるのではないかと思います。
いずれにしてもこのブログでとりあげるのはあくまで私個人の意見であり、誰か他のフリーメイスン達と相談したり、会議した結果のものではないので、そういう話もあるよという程度に考えてもらえれば結構かと思います。
企業の場合だとブランドイメージや創業者の思いや他者との関係など様々な利害関係が企業章の選定にも直結してくるので、自治体のように民主主義の理想とかを掲げるわけでもなく、むしろ営利団体としての発展性や将来性を担う部分が強いのではないかと思われます。世界的な企業となればやはり世界的な友愛団体であるフリーメイスンリーのシンボルやそれとの関連はやはり言葉が通じない世界でもシンボルとして認識しあうのに役に立ちますし、公共性や社会性という部分でアピールするのによいのではないかと思われます。もちろんそれらのシンボルを利用することは、同時にフリーメイスンリーや友愛団体に関して十分な知識を持つこととそれに伴う義務などが生じてくることもあるかと思います。














まあこのくらいが今まで挙げた主に外国資本のものが多いかと思いますが、ほぼ大企業で固めたところでしょうか。まあ大体市章のシンボリズムのところで内容については触れているのでここでは説明しません。
あとはとりあえず大企業の面白そうなところから挙げていきます。
まあこれは3つ目のCがGに見える形ということでよいかと思います。
これはなかなかすぐにわかりづらいのでわかるようにアピールしています。二つのaが目になっているのですね。
これなんかはだいぶ苦しいですが全体の丸がGで良いのだと思います。
これはだいぶあれですが、oに小さな切れ込みが入っているのでGに近くなるのと、真ん中のoと二つのoでAll Seeing Eyeで良いのではないでしょうか。社長もGatesで門になっていて、ナショナルトレジャーの主人公と同じ名前です。
これは面白いですね。ヤキンとボアズの柱になるのだと思います。
これはまあシンボルマークありきで作った会社だそうで、All Seeing Eyeですね。
日立世界不思議発見ではエジプトについて詳しくやっていました。
ピラミッドですね。ちょっと離れたところがAll Seeing Eyeともかかっていて味噌です。NTT DATAはこの商標から変わっているようですが、新しいものもTが3つとaが二つで目になっているようです。
まあAll Seeing Eyeですね。
ピラミッドでしょうか。Aの字はピラミッドになります。またアルファ・オメガのアルファにもなります。
これは結構大事なシンボルなのですが▽と△の構成でダビデの星やフリーメイスンリーのシンボルとも同じなのですね。いわゆるΛと∨の接合のタイプです。企業広告でも白黒のタイルを使っていたりアピールは盛んです。バッグにも全部星が入っています。
まあ小文字のgですね。
Aが特徴的にピラミッド型になっています。
これはなかなか難しいですが、OでAll Seeing Eyeで良いと思います。
これはfiの部分でGになっています。後はブルーを象徴的に使用しています。
これは十字ですね。太陽十字で良いと思います。製薬は多いですね。後は製鉄関係なども多いです。
武田は日本一の製薬会社ですが海外ではこのマークではありません。
タウ十字でしょうか。シンボル部分は反転転倒のGでもあります。
これはなかなかあれですが、OでAll Seeing Eyeで良いと思います。
これはAll Seeing Eyeにもかかっていますが、社名がそのまんまですね。
これは以前夏島のパーフェクトアシュラーのところで挙げましたが、まあ正方形が入っているのですね。
まあeの並んだところが目になるのだと思います。
以前はΩの形でした。
龍の形でGとAll Seeing Eyeとかかっているのだと思います。
これはまあ聖アンデレ十字で良いと思います。
とりあえず誰もが知っている大企業ばかりあげましたが、製鉄やそれぞれの業界の主要企業を見ていくときりがなくシンボルは認められます。最近では中国の企業や世界企業では特に北欧系では良く凝ったものがあります。また機会があればどんどん挙げていきますがとりあえずこのくらいにしておきます。(6/18追記:グッチインターコンチネンタルホテル
どちらもvesica piscisになるのかと思います。グッチはもちろんシンボルのGにもなるのだと思います。)(6/22追記:
3Mももちろん3を強調した商標の代表的なものになるかと思われます。はがせるテープには非常にお世話になっています。)
ウィキペディアによるとどうもこの元になる話はやはりブラザーグラバーとその妻が仲良く添い遂げた事を下敷きにしたもののようです。アーサー・ヘスケス・グルームやウィリアム・アダムスの逸話でも認められるように、実際に明治維新時期の国際結婚は悲劇的な結末が多かったようですが、ブラザーグラバーに関しては非常に恵まれた夫婦関係であったようで、その事がフリーメイスンリーの関係を通して非常な成功例として欧米に日本を興味深く伝える例として作成されたのではないでしょうか。ブラザープッチーニのオペラの音楽は非常に耳になじんだものが多いと思われ、オペラを見るとああこのオペラのこの場面の曲であったのかと思われる曲が多数あるかと思われます。私も実際にはいずれも未見なのですが、横須賀には良いオペラ場もある事ですし、今後機会があれば見ていきたいかと思います。ブラザープッチーニに関しては有名になって以降様々な劇的な事件に見舞われており、フリーメイスンの人生として見ても非常に興味深いものとなっております。
主人公のピンカートンの名前もベンジャミン・フランクリン・ピンカートンとなっていて、また戦艦もアブラハム・リンカーンとなっており、また結婚を挙げた後の歌詞の中でAll Seeing Eyeを意識した歌詞も認められます。また薔薇やユリと言ったフリーメイスンリー関連の花の歌詞も認められます。
カラヤン指揮の演奏の映画バージョンのものをリンクしておきます。
横須賀芸術劇場でもソフィア国立歌劇場マスカーニ 歌劇「カヴァレリア・ルスティカーナ」(全1幕) プッチーニ 歌劇「ジャンニ・スキッキ」(全1幕)を11月4日(日)文化の日の翌日に行うそうです。ジャンニ・スキッキはダンテの神曲に底本を求める作のようです。
要するに全く日本人の側としては意識していないのですが、なぜかフリーメイスンリーを主体とした文化の欧米に認められやすい名前、そういう漢字を含んだ名前とはどういうもので、それがシンボルとしてどう認識されるのかという所になるかと思います。もちろんこれは漢字のわからない外国人のフリーメイスンや、日本に住んで漢字と触れ合っているフリーメイスンに直接アンケートしたわけでもなく、このブログの一貫したやり方である作者の独断と偏見になることをご承知ください。
まず三という漢字はそのまま象徴としての3を表現するものとして非常にフリーメイスンリー的であると理解されるのは良いかと思います。横須賀でも三浦、三崎といったものがあり、また三笠、三春という表現にもなります。日本の歴史では明治維新では三条実美というものにも繋がるかもしれません。財閥での三井、三菱などはこれは納得しやすいところかもしれません。戦後では三木総理などという所もあります。文人では三島由紀夫や大江健三郎でしょうか。三省堂などもあります。ボーイスカウト総長であったブラザー三島通陽もそうなるかと思います。名前の方では総理大臣では加藤友三郎、小渕恵三、安倍晋三となります。芸能人ですと三船敏郎、三橋道也、林家三平や桂三枝でしょうか。建築家では丹下健三もいます。地名では三田や三軒茶屋、三重でしょうか。神戸の中心部は三宮と言いますね。米軍基地のある三沢もあります。もちろん日本の歴史の中ではフリーメイスンリーが本格的に入ってきたのは明治維新以降ですから、その中で選択されている場合はその3について何らかのフリーメイスンリー的意義があるかもしれませんが、ほとんどの場合はいわゆる人類普遍の3の意味という所になるのだと思います。3については面白いのはやはり三春町の小泉家の三代目が総理大臣になったとか、昭和のスーパースター長嶋茂雄の背番号3、三塁手、監督の背番号33、娘の名前三奈というところもなかなか3がらみというところではないでしょうか。
日本では三の次に関係ありそうなのは岩や石でしょうか。石のつく有名人としては夏目漱石があるかと思います。漱石は目と石と二つもシンボルが入った名前なんですね。あとは政治家では石橋湛山や石原莞爾、石原慎太郎となるでしょうか。石原家はそうですね。芸能人では石原裕次郎、石田純一や石野眞子、ラサール石井、石川さゆり、石原さとみ、石橋貴明、スポーツでは石川遼、ガッツ石松となかなか説得力を持った並びになるでしょうか。ブリジストンの石橋家などもそれではないかと思われます。歴史上の人物では石田三成などはまさにそういう名前ですが、その当時はまだ実務的メイスンリーの時代であり、フリーメイスンリーの影響があったのか無かったのか難しいところかと思われます。もちろん冗談ですが恐らく日本の歴史上で名前のフリーメイスンリーのシンボル性で言うとピカイチの人物かと思われます。
岩になるとやはり岩崎弥太郎でしょうか。あとは明治の元勲で岩倉具視などもいます。芸能人では岩下志麻、岩城晃一でしょうか。スポーツでは岩崎恭子や岩隈久志でしょうか。現神奈川県知事の黒岩祐治もいます。初代神奈川県知事はこのブログでも以前とりあげた内山岩太郎です。都道府県知事や市町村長はこの辺の法則が成り立ちやすい傾向があるかもしれませんね。市町村章などと同じく近代の民主主義のシステムの象徴ですからと思いましたが、ざっと見て県知事レベルでは多少関係してそうですが、市町村長は関係なさそうです。
あとはシンボルとしては当たり前の鳩や星になるかと思います。これはブラザー鳩山一郎やブラザー星島二郎など非常にわかりやすいです。有名人では星野仙一でしょうか。鳩が付くというと鳩居堂でしょうか。
あとは漢字でシンボルそのものというのが明という字になるかと思います。太陽と月をそのまま表し、普遍的で漢字圏でも非常に好まれる字です。そもそも明治という名前に使われています。さすがに明の国名は違うかと思いますが、偶然としてもなかなか面白いです。そもそも急死した孝明天皇の名前にも含まれていて謎は深まりそうです。有名人では黒澤明でしょうか。明石の地名や、明石屋さんまなどもいます。文鮮明なんてのもいます。アニメでは鳥山明や神谷明でしょうか。どちらも二重にシンボルがかかっています。紅白でも出場していた布施明もそうですね。まあざっと見てもシンボルとしての形ははっきりしているものかと思われます。
その他漢字から連想するシンボルとしては日本の名前で多く認められる田は丸十字を連想させますし、山や川の字そのもの、海や浜の水を象徴するサンズイはそれぞれ三の強調の形になるかと思われます。平や十、千、王、玉、土、米、木、中、市などタウ十字や十字を連想させる字も押し並べて良い印象かと思われます。歴代総理大臣の名前など見ると、伊藤博文などは博の字に十字を認めますし、山縣有朋も山の字や朋も良いようです。田中角栄なども十字風の名字と栄えるの冠と十字が良いようです。森の名字も十字が三つでこれも良いものかと思われます。小泉も小が三の強調になるのではないでしょうか。いずれにしてもそういったシンボリズムは市章で認められるとおりに同じ程度に名前の漢字にも認められる事になるかと思われます。それは毎度毎度言うように、東と西の邂逅であり、また人類普遍のシンボリズムの性質でもあるのかと思われます。
あとは東の字も良いようです。これはやはり日本でも日の登る方角として吉兆としてある通りで、戦後最初の総理大臣であるブラザー東久邇宮や東條英機、東郷平八郎といますし、最近では宮崎県知事の東国原英夫、芸能人では加東大介、東八郎、東幹久、東野幸治、作家では東野圭吾とまあそもそもフランス大東社の名前に含まれていますし、東方の三博士の逸話でもある通り、東からは光がやってくるという考え方があるわけです。
目は名前では少ないですが、地名では目黒、目白とあります。フジテレビの目覚ましテレビなんてのも案外気づかれずにシンボルを入れてある感じでしょうか。
船、舟、碇もシンボルとなるかと思いますが、これは膨大な数になるかと思います。芸能人で多いようですが、三船敏郎はシンボルが二つなのですね。船越英一郎や舟木一夫、作曲家で船村徹がいます。明治維新では勝海舟もそうなるかと思いますが、どうでしょうか。幕末の三舟というのもいます。栃木出身の自民党政治家の船田家もあります。碇に関しては有名なアニメの主人公に取られているようですが、それよりも有名なドリフターズの亡くなったリーダーがいかりや長介という名前でした。
とりあえず話題になっているのでオウム真理教の名前について触れます。
オウム真理教のオウムはウィキペディアの項目ではオーム (聖音)となっています。以下引用です。

オーム(ओम् [om] 、またはॐ [oM] 、Aum)は、バラモン教をはじめとするインドの諸宗教において神聖視される呪文。
なお、日本ではスペル通りに「オーム」と表記する事が多いが、実際にはoとmが同化して鼻母音化し、「オーン」[õ:]のように発音される事が多い。
バラモン教
ヴェーダを誦読する前後、また祈りの文句の前に唱えられる。 ウパニシャッドにおいては、この聖音は宇宙の根本原理であるブラフマンを象徴するものとされ、特に瞑想の手段として用いられた。
また、この聖音 は「a」、「u」、「m」の3音に分解して神秘的に解釈される。これは、サンスクリット語ではaとuが隣り合うと同化して長母音oになるという音韻法則があるからである。
例えば『ブリハッド・アーラニヤカ・ウパニシャッド』では「a」は『リグ・ヴェーダ』、「u」 は『サーマ・ヴェーダ』、「m」 は『ヤジュル・ヴェーダ』の三ヴェーダを表し、「オーム」全体でブラフマンを表すと解釈された。
ヒンドゥー教
さらに後世のヒンドゥー教になると「a」は維持神ヴィシュヌ、「u」は破壊神シヴァ、「m」は創造神ブラフマーを表し、全体として三神一体(トリムールティ)の真理を表すものとされた。
仏教
この聖音は後に仏教にも取り入れられ、密教では真言の冒頭の決まり文句(オン)として、末尾のスヴァーハー(ソワカ・ソバカ)と共に多用された(例えば「オン アビラウンケン ソワカ」で大日如来の真言)。 また、仏教の経典『守護国界主陀羅尼経』では「a」は法身、「u」は報身、「m」は応身の三身を象徴し、すべての仏たちはこの聖音を観想する事によって成仏すると説かれる。
要するに阿吽の呼吸の阿吽や、キリスト教のΧΡと一緒にシンボルとして示されるΑΩのように、表現されるものとして全て、神、真理を表現しているという意味なのですね。

危険な個人崇拝と反社会的教義を引き継いだ信者達の団体が「アレフ」「ひかりの輪」というそうですが、それらもヘブライ語の最初の文字と光、創世記第一章に出てくる言葉の引用と思われますが、それらを使っていて、このブログで言うとYRP野比の感じに非常に似ているものと思われます。ナチスドイツの例などとよく似た、フリーメイスンリーに近づこうと憧憬を持ちながら結果として反対の行動になっているバブル崩壊後の日本社会の一つの象徴的な負の存在であるかと思われます。関連したこのブログのコメントで紹介された「赤間剛」氏の文章もいくつか読みましたが、共通するのは非常に情報が表層的で、刺激的なものに飛びつき、聖書の通読のような極めて長く労力のいる作業を拒否しているところではないでしょうか。シンボルは大事だとしても、他人のシンボルを借りてきて自らは労力を払わずしてシンボルの意味だけを全面的に利用するなどという事はシンボルの価値そのものを貶める行為であり、いわゆる反社会的行為そのものであるかと思われます。
まあそうはいってもこれだけの大きな事件になった団体ですから様々な背景が存在し、恐らく東と西の邂逅ならぬ、衝突、いわゆるキリスト教と仏教の対立という問題も含んでいるものかと思われます。






日本でも手に入るフリーメイスンリー関連のテディベアとしては上記のUGLEのギフトショップで買えるものもありますが、渋谷の東急Bunkamuraなどや以前に六本木ヒルズのドイツフェアなどで売っていたモーツァルトタイプのテディベアがあります。


ザルツブルグのお土産の定番のようです。類似品も多数あるようです。
踊る大捜査線シリーズの映画版の中でも一つのシンボルとして犯人の小道具として認められました。



こちらは横浜美術館の写真です。入口にピラミッドがあります。なかなか豪華な美術館で開館当初はYES'89の目玉ともなっていましたが、周辺の開発が様々な事情で滞り空き地が残ってしまい残念な時期を過ごしていました。最近になってやっと周囲の開発も目処が立ってきたようです。
さて街中のピタゴラスの定理のシンボルマーク、マスターメイスンのシンボルですが、それはこちらです。高校の校舎ですね。

関係者はわかるのだと思いますが、いわゆるツクコマで知られる中学受験の有名校の筑波大学附属駒場中学校・高等学校の校舎です。東大合格者が非常に多いのだと思います。
これに関連してさらに巨大なピタゴラスの定理のモチーフを中庭に作った高校もありました。


神奈川県立の名門湘南高校の中庭のようです。どちらもマスターメイスンのシンボルであり、卒業生や関係者が企画して何かしらのフリーメイスンリーへの思いを込めて作成されたものなのだと思います。特に湘南高校のものは柄がチェッカーになっており、石原慎太郎など湘南地域の有名人を輩出しており、ライオンズクラブや、ロータリークラブなどでのフリーメイスンリーの関連か、もしくはこのブログでも触れた「入門フリーメイスン全史―偏見と真実」を書かれたPGMブラザー片桐三郎が大磯在住という事も関係しているのかもしれません。是非フリーメイスンリーに興味を持って、様々な形で社会に貢献する有為な人材となる事を期待します。
これについて最も明らかなのはアメリカ大リーグの球団Raysのマークかと思います。もともとタンパベイ・デビルレイズというイトマキエイを意味するものだったそうですが、最近になって光線の意味にもなるRaysとなり日本人ではヤクルトスワローズの岩村明憲選手を獲得してチャンピオンズリーグに出場する旋風を巻き起こしたそうです。

まあこれは誰がどう見てもAll Seeing Eyeと言えるかと思います。


現在開催中のツタンカーメン展でも胸飾りにホルスの目が認められるようです。一般的に左目がAll Seeing Eyeやホルスの目では使われます。この事からもRはやや装飾的になるとこのエジプトのヒエログリフに認める形のホルスの目に近くなります。ギリシア語ではΧΡのΡがRと対応するようで、文字の変形に伴ってRの形になったようです。
日本の商標では最も大手企業ではJRになるかと思います。これは右目か左目かというと右目になるかと思われ、右目だと太陽を象徴するようで要するに日の丸になる、親方日の丸のシンボルマークの意味もあるのかと思います。

(7/6追記:JP日本郵便もJRと同様に右目の形になるようです。やはり親方日の丸を象徴するのでしょうが、別に言われなくてもわかりますよね。

あとはやや宗教系になるかもしれませんが、創価学会との関連が言われている楽天と幸福の科学でしょうか。


日本の企業ではありませんが、Rを強調している会社で創業者がユダヤ人だそうです。

反転していますが、右目になると太陽を意味するそうです。
その他にもRの入る社名の企業はいくつかあります。



この会社はあまりシンボリズムを意識していないようですが社名がそのままとなっています。女性が代表であり様々なバックグラウンドがあるようです。

ホルスの目のWikipediaの項目には処方箋のRxとの関連が唐突に触れられています。記入者が薬剤師さんなのでしょうか。

恐らく医薬と文明との関連に基づくのかと思われます。Recipeのラテン語表記の省略との説明が一般にはされるようです。
関連としてというか人名ではRay Charlesなどがいますが、特に彼個人がフリーメイスンである事は無いようです。同様にX-rayを発見したレントゲンも特に関係ないようです。All Seeing Eyeも目として二重丸を含めてそちらの表現で認められるのが市章のところでも触れたようにそちらが多いようで、それからの派生でO(オー)を目として表現する形が多いようで、こちらのRでAll Seeing Eyeを意味する形は少数派のようで、それだけに独自性を強調したり、最近の新しいロゴとして選ばれたりするようです。恐らく最初にも言ったようにヒエログリフでのホルスの目の印象が非常に強かったとかそういう事が関係しているのではないかと思われます。
ギリシア語のΡ(ロー)からそもそもR(アール)になる際にそもそもホルスの目を意識していたかどうかとなると微妙です。そうなるとROMA(ローマ、ラテン語表記)とかそもそも意味がフリーメイスンリーのシンボルとなってしまいます。Mも3の象徴ととらえられてAをピラミッドするとなんだかエライ事になってしまいます。ただローマの語源となった初代ローマ王ロームルス(Romulus)もその双子の弟のレムス(Remus)の双方ともRを頭文字としており、その時代にはエジプト王朝は衰退の傾向を認めていたわけで、Rの字の意味や字の成立にすでにAll Seeing Eye、ホルスの目の意匠が組み込まれていたと考えることは想像し過ぎではないかもしれません。ちなみにローマの伝承によればこれらロームルスとレムスの母親となるウェスタの巫女の名前もレア・シルウィア (Rhea Silvia)といい、やはりRが頭文字になるようです。王制ローマは伝承では7代続いた後に共和制へ移行するのですが、これはまさに貴族制による共和制を理想とする旧約聖書のユダヤ王国の理想の政治形態を反映するものであり、当時のエジプト王国はラムセス王朝の後にテーベのアメン神官団が勢力を増し、中央集権が弱まり異民族による王が続いたようで、ユダヤ王国に様々なエジプトの神官団の力が働いていた事と同様にローマ王国の建国にもこれらエジプト神官団の様々な力が働いていたと考えても想像しすぎではないかもしれません。エジプト王国はその後結局アッシリアやペルシア王国に占領され、最後はアレクサンダー大王の東征によりギリシア系の王を戴いて後、有名なローマのカエサルやアントニウスとの関係を保ったクレオパトラのアクティウムの海戦での敗北により古代エジプト王朝は終焉します。
出エジプト時代に王であったとされるエジプト王国最盛期の王ラムセス二世の名前に認められるラムセス(Ramesses)はラーによって生まれたという意味の「ラー・メス・シス」のギリシア語読みであるそうで、ラー(Ra)、あるいはレー(Re)は、エジプト神話における太陽神であるそうです。語源はそのまま、「Ra」(太陽)。ハヤブサの頭をもつ姿で描かれることが多く、後にアトゥムと習合し、ヘリオポリスでは最も重要な神とされるそうです。ヌンから生まれ、シューやテフヌト、バステトの父とされ、また、セクメトはラーが人間を滅ぼすためにその目から生み出されたとされるそうです。ラーを象徴する元素と色はそれぞれ火と赤だそうです。つまりRの語源自体が太陽や光Rayにあると考えられるようです。ギリシア語のρ(ロー)の字の形がそもそも太陽神ラーを表す形と考えるのが正しいのでしょう。そういう意味では楽天の日の丸とRを重ねるのはまさに太陽神を意味する形になるのかと思われます。
またアルファベットの個別の字の由来については一般にフェニキア文字、原カナン文字、原シナイ文字と繋がりさらにさかのぼるとシャンポリオンで有名なロゼッタストーンで解読されたヒエログリフとなるようです。この中で面白いのはやはり原カナン文字の表記ですが、Aが有名かもしれませんが雄牛の逆さまになった図であり、雄牛は出エジプトの際に異教のシンボルとされたものであり、その逆さまの表記がピラミッド型の言葉の最初のΑとなるということはなかなか意味深いです。Dの元となるΔが魚からの表記であるなどはピラミッドとイエスの象徴としての魚との関連が想像されます。またF・U・V・W・Yの元となったとするwawという字はまさにΡ(ロー)の元となったような太陽神か、その光線であるアテン神の表現のようです。またΘの元となった車輪を表す字はそのまま太陽十字の形をしています。またOの由来はそのまま目の表現となっており、これはまさに現在のアルファベットのシンボリズムと一致しています。Ρ(ロー)の元は道の折れ曲がり、くまとなっておりあまり関係はなさそうですが、P・Rの元になる頭raʾsはまさに理性の存在が太陽神ラーそのものであると表現されているようです。またこれがベイシェラトンのシンボルSやさいか屋のSの様なSのシンボリズムを解説しており、太陽、蛇形章と表現されており、これは蛇形記章またはウラエウス(古典ギリシア語: οὐραῖος、uraeus)とは、エジプトに棲息するアスプコブラが鎌首を持ち上げた様子を様式化したもので、古代エジプトの主権、王権、神性の象徴であるとのことです。Tはまさに神との契約、署名であり、元の表記も宗教の一般的なシンボルである十字となります。ヒエログリフの読み方のリンク、ウィキペディアにあったものを置きます。
(追記:Rはヘブライ語ではReshと呼ばれる20番目の文字となり、ゲマトリアでは200を意味し、略語ではラビ(ユダヤ教の司祭)を意味するようです。いわゆる聖書での神を意味するJHVH Jehovah יהוה の最初の文字יYodではないようです。יYodはScottish Rite 14階級のシンボルの指輪にデザインであり、三角形の中にその字を認めます。ゲマトリアでは10であり10番目の文字です。原カナン文字では腕の意味であり、対応するギリシア文字はΙ(イオタ)、ラテン文字はIまたはJです。)
ところで横須賀には様々な日本語のローマ字表記がありますが、その中でRに関わるものとしてRAMEN(ラーメン)があります。中国語にすると拉麺または老麺・柳麺となり制作法からの名前の由来のようでもあり、また蘭州の麺という意味もあるようでどうもラーメンの音に合わせた当て字のようです。
もちろんRなのかLなのかというところがありますが、横須賀ではRAMENと表記されており、Rでホルスの目、AMENでアメン神を意味する事になり、恐らくパスタの文化があるローマ帝国発祥と考えられる人類共通の麺文化の極東の地で神聖な食事として伝来した事を象徴する名前なのではないかと思われます。

(追記:中国語の発音でラーメンに相当する食品は無いようで、拉麺ラーミエンという発音のようです。もしかするとラーメンRAMENの名前を広めたのは戦後に意図をもったフリーメイスンリーを主体とするGHQのネーミングだったのかもしれませんね。もちろん想像です。)
(2013/7/21追記:Rのシンボリズムで直接的なロータリークラブとの関連を一切触れていませんね。駄目ですねえ。Rotary ClubとRのシンボリズムと歯車のシンボリズムは重要です。特に日本ではほとんどのRのシンボリズムはロータリークラブ関連であるようです。)





これらの中で最もエジプトのオベリスクの形を残したフリーメイスンリーのシンボルは、エジプトのオベリスクそのものを移送したロンドン、ニューヨークに存在するクレオパトラの針と呼ばれるもの、ルクソール神殿のオベリスクを移送したパリ・コンコルド広場のオベリスクかと思われます。いずれもフランス革命後のエジプト学が非常に隆盛した啓蒙思想の時代に、エジプト太守のブラザームハンマド・アリーやその後のエジプトの太守たちがロンドンやニューヨークのフリーメイスンリーと個別にやり取りしてエジプトから贈られたようです。







オベリスクについて詳しく書かれたホームページによると古くから存在するいわゆる遺跡としてのオベリスクは世界に36本程しか無いそうで、それらのうち13本はローマにあるようです。やはりローマ帝国時代に戦利品としてエジプトから持ち出されたものが多いようです。ローマではやはりサンピエトロ広場のものが有名かと思います。イタリアのものはほぼ近代フリーメイスンリー結成以前に移築されたものであり、フリーメイスンリーとの直接の関係はないようですが、キリスト教とそれ以前のユダヤ教、古代エジプト王朝を結び付ける象徴であったのかと思われます。





遺跡ではない近代に入って作られたオベリスクは、ワシントン記念塔を代表としてほぼフリーメイスンリーによる記念碑であるかと思われます。アメリカにも多数認められるようですが、現地に行かれた人は良く知っているかと思いますが、南米のブラジル、アルゼンチン、ウルグアイ、ベネズエラにも大都市の目立つ所に巨大なオベリスクが建っており、これらの国々の建国に深くフリーメイスンリーが関与している事を象徴しています。








さてこのような記念碑としてのオベリスクですが、フリーメイスンリー関連では故人の象徴としての墓としての典型的な形でもあります。もちろんブラザーワシントンの墓もその形でしたし、ブラザーランファンのものもその形でした。日本でも横浜外国人墓地に個人のものや各国を代表した形の記念碑が認められます。インドの英国人墓地などにも多数認められるようです。




こうして見ると横浜ランドマークタワーも極めてオベリスクに近い形となるのですね。
また有名なフリーメイスンとしてはブラザーモーツァルトは共同墓地に葬られ、現在は夭逝を意味する折れた石柱のシンボルとなっています。作曲家の墓としてはブラザースメタナ、ブラザーサリエリ、ブラザーグルック、ブラザーチェルニー





のものがオベリスクであるようですが、必ずしもフリーメイスンが皆オベリスクの墓にするかというとそうでもありません。生前にフリーメイスンリーと接点を持ちながらフリーメイスンとはならなかった作曲家ルードヴィッヒ・ファン・ベートーヴェンの墓は以前はオベリスクではなかったのですが、最近になって立派なオベリスクになりました。死因や難聴の原因が鉛中毒であったなんてのもありますが、死後にフリーメイスンとして認められた典型例であるかと思われます。この辺りは詳しくは成書を参考にしてください。

またオベリスクの形は特にワシントン記念塔の建設以降は近代建築の高い塔としてのテーマの一つのシンボルとして選ばれるものとなっています。エッフェル塔はオベリスクそのものとは形が異なりますが、その建築術や高さからオベリスク状の建築物としてのシンボルであるかと思われます。同様のものがニューヨークのエンパイア・ステート・ビルになるかと思われます。これは明らかにオベリスクを意識した尖塔の形をしています。またワシントン記念塔以前のオベリスク状のゴシック建築としてはロンドンのビッグベンがあります。


これらを模して日本にも代々木のドコモタワーなどがオベリスク状の建築物となっています。またエッフェル塔を模した建築物が有名な東京タワーです。



横須賀にも実はオベリスクがあります。汐入の公園にひっそりとありますが、直接フリーメイスンリーが関与したわけではありませんが、横須賀の海軍工廠を主体とした当時の横須賀市が深くフリーメイスンリーと結びつき、フリーメイスンリーを認識していた事の象徴であるかと思われます。昭和11年11月11日移築と言ったところが当時の空気を強く反映していて、こういった建築がその後の日本の進路を決定していったように思われます。





オベリスクの守り神としてのスフィンクスのような猫です。
また現在もどぶ板通りの入り口、出口のところにはエンパイア・ステート・ビルの形のシンボルが建てられています。

また横須賀には東京タワーを模したような電波塔も市役所周辺にあります。

ビッグベンは最近エリザベス女王の即位60周年を記念して、正式名称のクロックタワーからエリザベスタワーに改称されました。またロンドンオリンピック後に開業予定のロンドンの新しいビルであるシャードロンドンブリッジはオベリスクと言うよりもピラミッド型をしています。これもまた観覧車であるロンドンアイとともに新しいロンドンのシンボルとなるかと思います。いずれもフリーメイスンリーのシンボルであるようです。

カトリックではマリア信仰を象徴する聖母被昇天の祝日です。
ちなみにウィキペディアの項目も増えていて、12月8日の真珠湾攻撃の日本での太平洋戦争の開戦日はカトリックの無原罪の御宿りの祝日だそうです。ちなみに仏教では12月8日は釈迦が悟りを開いた成道会という最も重要な記念日です。
ちなみにカトリック関連で8月15日にその他に起きた出来事は以下のようであるそうです。
どうもカトリックの方が積極的にウィキペディアも更新しているようですね。
イエズス会結成(1534年)
第1回十字軍中東エルサレムへ向け欧州から出発(1096年)
アスンシオン建設(1537年)
フランシスコ・ザビエルら、日本到着(1549年)
イエズス会が京都に建設した聖母被昇天教会、通称「都の南蛮寺」の献堂ミサが行われる(1576年)
特に日本のカトリックの歴史はイエズス会との関連が強いと思われますので、様々な歴史がこの日に集約されるように伝承されているようです。
細石の巌となりて
大山巌が好きだったそうで国歌になったそうです。元は古今和歌集の和歌です。
要はラフアシュラーからパーフェクトアシュラーへというフリーメイスンリーの基本的な教訓にかけてるのだと思います。
そもそもイングランドの国歌「God save the queen」を参考として作られたもので、そもそもイングランドの国歌はクックロビンの話で触れたと思いますが、イングランドの名誉革命後の議院内閣制の基礎を作ったウォルポール初代首相の頃にジャコバイトとイングランドとの戦いの中で生まれた曲だそうで、いわゆる1717年後であり、激動のイギリス政界においてトーリー党とホイッグ党という二大政党と外国勢力やスコットランドなどの連合王国内での対立を抱えて、対立を結束に変えていって対外的に大いに進出を果たした時期かと思われます。恐らく制作にはフリーメイスンが関わったのではないかと思われます。
ちなみにアメリカの国歌もフランスの国歌もフリーメイスンが作詞作曲したとのことで有名です。
The Rolling StonesやThe Beatlesが代表的なのでしょうが、見ればわかるとおり石を表す言葉の連発です。
(Beatlesは恐らくエジプトのスカラベとの関連なのでしょうか。)
ロックとは何か?まるで現代の日本のマンガ、アニメ文化のようです。
ロンドンオリンピックでもThe BeatlesのHey, JudeやJohn LennonのImagineなどが歌われましたが、前にもふれたとおりHey, JudeはJewにかけたメッセージとなっていて、Imagineの歌詞なども読めばわかるとおりフリーメイスンリーの考えとかなり似たもののようです。(Sir Paul McCartneyとJohn Lennonの名前も聖パウロと聖ヨハネからきているのですね。ちなみにJohn Lennonの暗殺された日は12月8日ですね。)
私が個人的に歌詞でフリーメイスンリーや旧約聖書に近い印象を受けるのがSimon and Garfunkelの二作品です。
一つは有名なSound of Silenceです。もう一つはI am a Rockでしょうか。どちらもフリーメイスンリーやユダヤ教を念頭において歌詞を味わうとなかなか味わい深いです。
その他にも多数あるのかと思いますが、思いつく範疇と言うとこの程度です。
このブログの最初のヴェルニー公園の回で触れた、フランスフリーメイスンリーでのGのシンボルと対応する五芒星のシンボルを宇宙から見てもわかる形で作る程のシンボルになるのかと思いますが、なかなか明らかなフリーメイスンリーとの接点というのは見てとれません。
そういうわけで今回はこの五稜郭について建設と歴史的経緯、建設に関わった人々と時代状況、シンボルとしての象徴性について考察していこうかと思います。

まずまあこのブログのパターンとしてウィキペディアに全面的に依拠するわけですが、そもそも建築の目的が日米和親条約での函館開港に伴う防衛力の強化であったようです。
とりあえず欧州の事情や世界の事情に現在から見れば明らかに疎かった江戸幕府は、ブラザーペリーが開国を迫ってきてとりあえず長崎オランダ商館から手に入れた書物をもとに防衛拠点を作らせた。(8/24追記:TBSの日本史ミステリーという番組でとりあげられていましたが、どうも原典は函館に来たフランス軍艦から渡されたフランス語の築城術について書かれた書物のようです。つまり蘭学者で一応ヅーフ辞書について勉強していたようですが、どの程度オランダ語として通用したのかというところはわかりませんが、とりあえずフランス語で書かれた書物の五稜郭の形をそのまままねて大砲などの近代戦に対応しようというつもり、結果的には単なる幕府と日本人の威信というところで、恐らくフランス人はフリーメイスンでその人の言葉はわからなくとも意図の通りに五稜郭というフリーメイスンリーのシンボルを建築したのが史実のようです。)というのが五稜郭建設の真相のようです。そしてそれらの中心となって活躍したのが武田斐三郎という、伊予出身の緒方洪庵の適塾出身のオランダ語に通じ、ブラザーペリーとの交渉で筆記のオランダ語での通訳をした人物のようです。面白いのがこの武田斐三郎と言う人が維新後の日本陸軍の中で唯一の幕臣として指導に当たったというところかと思います。この辺はウィキペディアが面白いのですが、そもそも甲斐武田氏の流れを汲み、漢方医であったそうですが、兄も優秀で孝明天皇の側近として仕えたという事で、緒方洪庵のもとで学んだ後は佐久間象山のもとで学び、この時に吉田松陰とともに浦賀に出向いたそうです。その後ロシアのプチャーチンとの交渉やブラザーペリーとの交渉にあたり、函館にとどまって日本最初の大学とも言える学校を作り、榎本武揚や前島密が学んだそうです。新島襄もこの学校を目指して函館に来たそうですが、英語が学べなかったので一カ月で函館を脱出してボストンに到達して、現地で学校に入ったそうです。新島襄の襄はジョーと愛称で呼ばれたのと、ジョセフと呼ばれた両方を取ったそうです。
さてまあ敗戦後の幻の北海道分割統治ではないですが、当時まだ江戸幕府の影響が小さかった蝦夷地は列強がかなりの興味を示していて、そういう中でその後のブラザークラークの赴任や蝦夷地開拓などの歴史を含めて、函館と下田の開港というのはそういう欧米列強の興味を反映した模様なのかと思われます。もちろんその後の井伊大老のもとで結ばれた日米修好通商条約でのいわゆる開港五港、横浜、神戸、長崎、新潟、函館において、その後の日本の港湾の発展が規定されたかと思われます。
さて武田斐三郎についてですが、戊辰戦争後は日本陸軍の創設でフランス軍事顧問団と折衝し、陸軍学校の教鞭をとり明治13年に亡くなったそうです。面白い事に日本フリーメイスンリーのグランドロッジがある港区の近くの芝公園にある東京芝東照宮に記念碑があるそうです。

この一連の流れを見ていると、勝海舟などもそうですが、ヴェルニー公園に胸像のあるブラザーヴェルニーと小栗上野介の関係のようなものを思い出させます。小栗上野介にしても欧米を視察して十分に現地の事情に通じており、その後岩倉使節団を中心として明治政府の首脳も盛んに欧米に視察や留学を重ねるわけですが、戊辰戦争前の段階においては恐らく最も欧米について実態を知っていたのは幕府側の人物でしょうし、結果として英国が肩入れした薩長軍が錦の御旗のもと戊辰戦争を圧倒するわけですが、坂本龍馬が提案したという大政奉還と倒幕への一連の駆け引きと大勢はドラマチックで、フランス革命やイギリス名誉革命の舞台裏のごとき様々な人々の動きがあった事かと想像されます。南北戦争で使用された中古の武器をブラザーグラバーが輸入して薩長軍が使用したなど、開国して間もないとされる日本において壮大な世界市場での影響が早くも表れているという今と変わらぬ世界規模の情報と物の流れがある事がわかります。日章旗の話でも触れましたが、江戸幕府の幕臣たちが知恵を絞って選択した数々の出来事が結果として後々まで残るフリーメイスンリーを象徴するシンボルとして比較的自然なものとしてある事が、必然とはわかりながらもなかなかシンボリズムの妙として不可思議さを残して感じられます。
さてその中で武田菱の家紋で有名な甲斐武田氏、徳川氏の関東での優位を決定づけたともされる天下分け目の有名な長篠の戦いを分岐点とし、その甲斐武田氏の末裔である武田斐三郎という人物が、その徳川幕府の最期に幕臣として建築した恐らく日本最大のフリーメイスンリーを象徴する五芒星のシンボル、そしてその後の日本の命運を決したとも言える陸軍の徽章となる五芒星のシンボル、これらを結び付けるシンボルの三を名前に持つ人物の、フリーメイスンリーとの明らかな接点はブラザーペリーとの接見であり、適塾でのヅーフ辞書との接点であったようです(8/24追記:もちろん上述のフランス軍艦からのフランスの築城術の本と恐らくその際に渡した軍人がフリーメイスンであった事があります。)。もちろんその後榎本武揚らと行動を共にするラスト・サムライで有名になったブラザーブリュネとの接点ももちろんあったものかと思われます。なかなか五芒星、情熱の赤を革命のシンボルとするフランス大東社の一つの性向、ブラザーヴェルニーが最初に建設した観音崎灯台のように情熱と理性の到達点を最大にすることを最善とする情熱の神性とも言うべき哲学が感じられるものかと思われます。ブラザーブリュネは帰国後にレジオンドヌール勲章をもらっているそうです。

日本における五芒星のシンボルの話でした。


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神戸のメリケンパークの神戸海洋博物館は明らかに貝ではなく帆船をイメージしているようですね。シドニーのオペラハウスは貝殻とヨットの帆の両方にかかっているようで、そのために神戸のものが似ているのですね。この他にも実は私は全く行ったことはないのですが、確かFar East Lodge No.1のホームページで紹介されていたと思うのですが、横浜港のシンボルタワーというのがあり、これのシンボルがどうやら貝殻のようです。




このシンボルタワーは昭和61年、1986年に出来たようで、衛星写真で見ると十字か、アンクのように見えますがどうもはっきりとはしません。日本の古墳の円墳が二つ重なったように見えますが、横から見た形ではどうも十字架の形のようです。旧神戸港信号所がかなりきれいな形の十字になっていましたので基本的にはそれに準じたのかもしれません。半円として思い浮かぶのがパストマスターの分度器で、フリーメイスンリーのシンボルとしてはそういうものの記念の可能性はあります。中心的なシンボルが花壇とホタテの貝殻の形のもののようで、恐らく花壇が石垣でフリーメイスンリーの結束を示し、ホタテの貝殻はキリスト教などの信仰を示しているものかと思います。いずれまた機会があれば訪問し、横浜や東京周辺のシンボルを探索する事があるかもしれませんね。
聖書の中身からは特に貝について触れたような箇所はあまり思い浮かびません。貝殻のウィキペディアでの項目では十二使徒の聖ヤコブが漁師であり、その紋章であると説明されていますが、基本的にはスペインの巡礼地周辺で普通に食用とされていたホタテガイの貝殻を巡礼者が持ち帰ったためという説明があります。日本で貝殻と言えば最初に思いつくのが貝塚かもしれませんが、要するに魚食、温帯の海辺の民族は大概魚や貝を主食としており、貝殻は獣類の骨や麦や稲藁と同じく食糧調達に伴う再利用可能な廃棄物であり、様々な利用価値が装飾品、道具として認められてきた為に、古くは貨幣の代わりや日本では山伏のホラ貝や碁石の材料など様々な用途やそれに伴った象徴性が生まれたものかと思われます。フリーメイスンリーのシンボリズムは基本的にキリスト教からの流用がほとんどですからキリスト教カトリックで優勢であった巡礼地の教会の象徴などはこのホタテガイの形のシンボリズムのようにフリーメイスンリーにおけるキリスト教を強く意識させるシンボルとして認められる形になったのかと思われます。ただフリーメイスンリーの発展にはやはりカトリックとプロテスタントの宗教改革の歴史がありますので、聖地巡礼というのは基本的にはカトリックを主とする習慣かと思われますので、比較的カトリックよりのシンボルとなるのかもしれません。スペインでの巡礼という事になると、スペインはディアスポラ後のユダヤ人が多かった土地かと思われ、そこでの巡礼と言うといわゆる放浪するユダヤ人などというイメージとも重なり、十字軍の際のホスピタルなどと同様に各地で巡礼者を支援する体制やホスピタルのようなシステムがあったかと思われ、そういうネットワークを象徴するシンボルともいえるかもしれません。
ただ日本でもそうですが、世界中どこでも貝食というのは普遍的なものであるかと思われますし、貝殻のシンボリズムというのは樹木や植物のシンボリズムと変わらず、人間が利用しやすい生物の象徴としてある程度普遍的なものではないかと思われます。ただ日本でよく食べられるシジミやアサリ、ハマグリやサザエがシンボルの形となるかというとそうではない事はご理解いただけるかと思われます。
貝と言うと漢字では財など貨幣を意味するものそのものであり、漢字のシンボリズムでは宗教性よりも経済を意味するものであり、この辺りが後に挙げますがシェル石油の逸話、ユダヤ人と貝の象徴性というところでなかなか漢民族とユダヤ民族の共通性みたいな逸話ともなるのではないかと思われました。

貝が象徴的な絵画と言えば上のボッティチェリのヴィーナスの誕生になるかと思いますが、ウィキペディアの解説ではこれはキリスト教的ではないもので、ポンペイの壁画に影響を受けているそうで、ローマ・ギリシャ時代には貝はやはり女性器の隠喩であったそうです。そういう意味でもVesica Piscisやイクトゥスのようなシンボルと同じ意味になるのかと思います。そろそろこういう説明も無粋な域に入ってきてる気がします。
貝のシンボリズムとしては日本では貝印という有名な髭剃りのメーカーがありますが、これもジレットなんていうフリーメイスン創業の会社が大手でありますので、その関連なのではないかと思われます。
さて問題のロイヤル・ダッチ・シェルの貝のシンボルについてですが、この話はヘキサゴンという日本のインターネットの陰謀論では恐らく最も古く、ほとんどの人が読んだ事があるのではないかというホームページに詳しく載っている話が中心です。

まあ代表的な陰謀論のホームページな訳ですが、史実で無い事を載せている部分ではないと思いますので、この話に限っては大体合ってはいるのかと思いますが、話の結論が要するにロスチャイルド家がどうとか日本が陰謀にはめられたとかそういう論調にならざるを得ないところがしようがないかもしれません。
この部分は非常に良くできていると思うのですが、結局ブラザー林董と恐らくフリーメイスンのシェル石油の創業者であるブラザーマーカス・サミュエルが仲良くしているという事で、フリーメイスンリーの繋がりがわかるかわからないかという事なのかもしれません。日露戦争関連ではブラザージェイコブ・シフやブラザーセオドア・ルーズベルトなどの話もありましたが、このブラザーマーカス・サミュエルもその後の日本の南方進出や戦後のエネルギー事情など日本のその後を具体的に決定した役割があるのかもしれません。

ウィキペディアにもロイヤル・ダッチ・シェル設立の経緯などが書かれていますが、この辺はヘキサゴンのホームページの内容の方がより面白く書かれているのではないかと思います。商標はもともとムール貝であったのが、出資者の紋章がホタテ貝であったことからホタテ貝に変わったという逸話が、恐らく貝食でサザエやアワビ、ハマグリやアサリと言った日本でよく食べられる食品としての貝とヨーロッパで普遍的な食品としてのムール貝での貝食の共通、もしかすると日本に来て口にあったのがムール貝と似ているバカガイやイガイのようなものであったのかもしれませんが、そういう思い出であったのかもしれないと想像されます。ヘキサゴンのホームページについては恐らく原典がどこかにあるのだと思いますが、やはり陰謀論の悪いところはあまり原典などを明示しないところでしょうか。恐らくラビ・マーヴィン・トケイヤー氏の一連の著作に基づくのだと思います。この方はフリーメイスンかどうかはわかりませんが、ユダヤ教のラビの方で日本ユダヤ関連の著作を多く書かれていて邦訳されています。日本人のユダヤ陰謀論の方のほとんどの原典はこの方の著作に基づくようです。ウィキペディアによると現在ニューヨーク在住のようで、恐らくニューヨークのロッジに所属するフリーメイスンなのではないかと思われます。現在手術を終えてリハビリ中というヘブライ語を話す三笠宮殿下ともつながりがあったそうです。
ブラザーマーカス・サミュエルが日本で貝殻を拾ったというエピソードは湘南と書かれていて、会社を横浜市中区に置いたそうなので、恐らく三浦半島から大礒あたりまでのほとんどの海岸なのだと思いますが、そこからいうと葉山でブラザー林董が亡くなったなどの話もまた大いに繋がりを感じられるものとなるかと思います。なかなかシンボルを通じて皆が繋がっていく、まさにフリーメイスンリーの世界そのものという逸話になっていく感じでしょうか。ブラザーマーカス・サミュエルはヘブライ語の名前?というのがあるそうで、それがモルデカイというそうです。この名前は何度か取り上げましたが、旧約聖書のエステル記でユダヤ人を絶滅させようとしたペルシアの大臣が逆に絶滅させられてしまうというナチスドイツの逸話そのものの話の重要な登場人物の名前で、現在のロスチャイルド財閥の中心的な企業になっているなどユダヤ関連の話としてもなかなか良くできた逸話となっており非常に興味深いですが、シンボリズムとしては貝は前述のようにユダヤ教と言うよりもキリスト教カトリックを象徴するものであり、全体として総合するとイギリス、オランダという新教国のユダヤ人を絡めたカトリックのシンボリズムのさらに東南アジアやカスピ海、黒海や日本を組み合わせた壮大な世界的なシンボルと言う事になるのかと思います。
ウィキペディアによると初代のブラザーマーカス・サミュエルは男爵、子爵まで叙爵されたそうですが、これは恐らくユダヤ人として英国では初めてなのかもしれません。またその二代目、三代目も同じ名前で、二代目はシオニストとは一線を画してパレスチナの平和に貢献したそうです。英国にうまく同化したユダヤ人としてナチスのユダヤ人迫害で移住するユダヤ人は支援したようですが、シオニズムには反対であったようで、一概にユダヤ人と言っても様々な経緯や人物がいたという事がわかる話の一端ではないかと思われました。
ちなみに日本では昭和シェル石油という名前で、横須賀では三笠公園前にガソリンスタンドがありますし、日本本社はお台場でフジテレビ本社の並びにあるかと思います。
日本でホタテ貝と言うと亡くなられたハーフの方のキャラクターや、現在アメリカ在住の女優の方のセミヌードの素材に使われたなどありますが、まあ全くもって無粋な話になります。
現在世界のエネルギー問題や従来の化石燃料の問題を革新するかもしれないと期待されているシェールガスという従来よりも深い地層から得られる天然ガスの名称ですが、どうも語感だけからいうと、このシェルと近いのではないかと思います。まあ全くの感じだけなので、陰謀論みたいですがどうでしょうか。
陰謀論でもフリーメイスンリーでも皆が楽しめれば良いのだと思いますが、偏見や差別に繋がるようなものは良くないのだと思います。ユダヤ人や人種差別については日本人は実体験が少ないだけになかなか想像が付きづらいものかと思い、またそこを色々利用されるきっかけとなるのだと思いますが、様々な体験を通してそれらの偏見や誤解を取り除き、新たな自分、価値観を得る作業がまさにフリーメイスンリーではないかと思います。
(追記:コルヌーコピアイという豊穣を意味する巻貝に形が似たシンボルがありますが、巻貝ではなく羊の角に由来する円錐形のようです。アメリカの州章に多く認めるシンボルですが、貝ではないようです。)
(9/4追記:貝食はユダヤ教では基本的に戒律で禁止されているようです。そういう意味でもブラザーマーカス・サミュエルは改宗ユダヤ人に近い形での綬爵であったようです。欧米のユダヤ人観というのは日本人が考えるものからはなかなか遠いもののようです。)
まあ芥川龍之介は帝国大学卒業後、就職して海軍機関学校で教鞭をとってそのまま文壇デビューして流行作家となったわけで、漱石のごとくもらわれっ子が病気などしながら帝国大学を卒業し愛媛で高等学校の教師などやり、その後官費留学を日露戦争直前のブラザー林董が英国大使になろうかという、フリーメイスンリーの母国イギリスで二年して、途中神経衰弱になったと本国に報告され、帰国後に東京帝大の教師などやりながら結婚して、神経衰弱の療養のために小説を書いたという江戸生まれの典型的な明治人とは発想も思考回路も異なる事は当然かと思われます。

さてまあフリーメイスンリーと関係あるかなしかは別として、夏目漱石の作品というのは日本人に最も読まれている小説である事は確かかと思われ、私自身も高校時代にほぼ全ての作品を一応通読したのですが、今また「倫敦塔」などを読んでも恐らくどの作品にもフリーメイスンリーの関連したようなものは認められないかと思われます。また大事なのは夏目漱石の作品は多くの人が読んでいる事になっている、または読んでいるのですが、実際に内容やあらすじ、漱石が言わんとしているところを理解している人などは案外というかほとんどいないのではないかと言うのが過去に抱いた感想であったかと思います。これは旧約聖書などと共通で、具体名などを出すのも恐縮ですが、陰謀論の「赤間剛」氏などもその著作を読むにつけ、旧約聖書を読めばいいのにと思ってしまいますが、一般のキリスト教徒なども同様にほとんどあれだけ長い聖書の旧約聖書部分を読む人は少ないのと同じく、夏目漱石の作品群もあまりちゃんと読んでいる人は少ないものかと思われます。
まあ私自身夏目漱石の作品を読んだのは相当以前なのですが、その当時抱いた感想と言うものを覚えていますので、フリーメイスンリー云々以前にとりあえずその感想をここで披露いたします。
まずまあ一応ほぼ全ての作品を読んだ作家と言うのはこの人くらいなので、内容はほぼ忘れてしまいましたが、一番好きな作品は「行人」であったかと思います。どうもウィキペディアを見ると実際に兄弟の奥さんに横恋慕していたようで、実体験に基づいたかなり邪な明治時代の恋愛小説と言ったところでしょうか。恋愛小説として描写が美しかったのが「虞美人草」であるかと思いますが、これはいわゆる英連邦の第一次世界大戦終結を記念したシンボルであるケシの花、ポピーです。もちろんこの時点では第一次世界大戦は未来の話なので、虞姫の逸話と西洋でも様々にシンボルとされる普遍的に認められる花として選んだものと思われます。基本的に漱石の小説と言うのは代表的な前期三部作にしろ後期三部作にしろ大衆に受ける要素と言うのは結局それまで儒教的道徳観からタブーとされていた恋愛小説を文明開化の合言葉の上で可能としたというところなのかと思います。これは彼の経歴とともに文学として面白いのが徹底した江戸時代の儒教道徳に基づいて、その上で英文学の豊富な知識とロンドン留学に基づいた欧米的な恋愛観、個人主義をミスマッチしているところかと思います。その典型的な作品がいわゆる「草枕」で、これは熊本での体験に基づいているのかもしれませんが、ミレーの「オフィーリア」が象徴的に描かれ、日露戦争で出征する兵士とそれにまつわる日本の郷里の悲哀を高踏的に描いた、(高踏的とか高等遊民とか懐かしい。)いわゆるインサイダーの視点かと思われますが、当時の日本としては徹底的に革新的であったかと思われますし、恐らく現代においても本質的には変わらないかと思います。ウィキペディアで見ると英訳が「The Three-Cornered World」と題名を付けられていたという事で、ほぼ漱石の存在自体がフリーメイスンとして認識されている事がわかります。

一応こじつけのようになりますが、デビュー作の「吾輩は猫である」の猫ですが、特にフリーメイスンリーのシンボリズムで出てくる事はありませんが、古代エジプトでは猫は非常に珍重されていて、害獣を捕ってくれる益獣として尊重されたようです。スフィンクスもライオンをモチーフとしたネコ科であり、まあこの辺は完全なこじつけでしょうか。
「倫敦塔」も一応ざっと今確認しましたが、明らかなフリーメイスンリーのシンボリズムのようなものはありませんが、まあロンドン塔自体がイギリスにおけるフリーメイスンリーの象徴でしょうし、そこでの歴史をガイドブックの無かった時代にこれだけ興味を抱くように描いている事はシンボリズム云々を別として、フリーメイスンが納得する内容と言えるかと思います。また途中5羽のカラスがいるとかいった別嬪の変な事をいう女性が印象的に描かれていますが、漱石と対峙するドイツ留学の文豪森鴎外の「舞姫」を彷彿させるような、西洋女性を印象的に描いたいかにもな部分ではないかと思います。また下宿に帰って下宿の主人が盛んにこの女性を擁護するように5羽のカラスについて説明するのがまた話として面白い感じがする逸話となっています。まあ多分そんな話ばかりだから出歩かなくなったのかと思いますが、なんせその5年後に日露戦争で日本はロシアに勝利し、そのさらに15年後には第一次世界大戦で戦勝国として講和会議に参加し、5大国の一つとなるわけですから、留学したこの文学に異常な興味を示す英語が堪能な頭の大きな東洋人は要人であったかと思われます。(漱石の英語力や英語の読解力は相当のレベルであったように本人も書いていますが、果たしてどうでしょう。その辺がヘボン家で英語を学んだブラザー林董と試験で英語を覚えた漱石の違いかもしれませんね。放校後に必死でスペイン語を覚えた内山岩太郎氏の逸話も参考となるかもしれません。)
さてまああまりフリーメイスンリー的考察を加えると日本の文学史も根底から覆ってしまいかねませんので、あくまで個人的な文学考察にとどめるようにその他の作品について見ていきましょう。いわゆる前期三部作、後期三部作とされる「三四郎」、「門」などは多少シンボリズムを踏襲しているようです。内容は忘れてしまいましたが、確か結局はみんな淡い恋愛小説というものであった気がします。「倫敦塔」の中でもダンテの神曲の地獄の門がわざわざ触れられていましたので、これも一つのシンボリズムであるかと思いますし、その系譜は現在でもお台場のシンボリズムなどに引き継がれているのではないかと思われました。
いわゆる小説とも随想ともとれない「硝子戸の中」、「夢十夜」などの占いや噂話にまつわる逸話のようなものが何となくその後の芥川龍之介に引き継がれるような夢かうつつかといったヨセフの夢占いのようなところに通じる超科学的で幻想的な内容であったかと思います。旧約聖書でも預言書などのところが近いかもしれませんが、なかなか一連の流れというものが重要でありあまりそれだけ読んでも意味を成さないものかと思います。
そして内容は一切忘れてしまいましたが、遺作となった「明暗」、いわゆる則天去私の元ネタとなったという絶筆ですが、これは漱石で最も良い作品であったと記憶しています。ストーリーは忘れましたが、最後の方はやはり鬼気迫る形で、探偵に屁をこいた回数を数えられているとか、なんともまあ弟子の芥川龍之介の絶筆とよく似た内容となっていて、題名もまさにシンボリズムそのままとなっていて、一つの完成となるのだろうという形と思われます。則天去私というのは言ってみれば宗教改革におけるプロテスタントのカルバンの有名な予定説が近いのではないでしょうか。
漱石の作品というか、個人的な意見発表と思いますが、これの代表的な「私の個人主義」であったと思いますが、これが非常にいわゆる日本人の必要とされる個人主義を説明していたかと思います。まあ現代でもなお大きく変わりはないかと思いますが、日本の倫理観、道徳観を説明する典型的なものはやはり儒教道徳であるかと思います。これは江戸時代を象徴する考え方であり、まあこれが未だに生きているというとすぐに反論にあうわけですが、実際の社会状況を説明するにはこの儒教道徳の忠義や孝行の思想が最も当てはまっているのが現代日本であるのがまあ実際のところです。儒教があるから儒教道徳があると言うとこれまた語弊があり、先に東洋的倫理観としての儒教道徳があり、それが結実したのが儒教とも言えますが、これがいわゆる東と西の邂逅を意味する頂点のずれたピラミッドで象徴されるような思索的フリーメイスンリーで重要とされる倫理と道徳の高みであるかと思われます。まあ儒教とは何かと言うと否定的に言うならば恋愛の存在しないタブーの世界であり、男尊女卑を地でいくような社会であり、まあフリーメイスンリーも女性が入会できないなど共通の部分は認められますが、もちろんその辺がレディーファーストを信条とするアングロサクソン社会と端的に異なると思われる部分かと思いますが、一方で自由恋愛が叫ばれる現代で未婚率の上昇や少子化が進行するなど様々な矛盾があるのもまたこれらの話のポイントかもしれません。
まあ漱石の話で重要なのはやはり親兄弟や養父、妻や子供たちとの表にあまり出てこない繊細な人間関係であり、それらが結局最後には胃潰瘍で吐血で亡くなるという自殺に近い病気での死に繋がるという、明治という時代の個人主義を唱える個人に個人で支えきれない負担がかかる結果の死という試行錯誤を象徴する、まさに和魂洋才の末の破綻を個人レベルで行った、日本人が常に良い例とも悪い例とも参考にし続けた、シンボルの漢字をあえて含んだ負け惜しみの強い、変わりものであるという信条を表した、夏目漱石という名前に、君が代の歌詞や日の丸の国旗や戦艦三笠の偉業で成り立つ日本と言う若い国、その国の文化を託したのではないでしょうか。
(追記:漱石は留学前に円覚寺で座禅修行に取り組んでいるそうで、それは精神修養のためと言うのもあったのでしょうが、実際は東洋の哲学の代表的な禅を習得するという意味もあったのかと思います。明治の時代の留学はそういうものもあったのですね。坂の上の雲の登場人物でもある、漱石の親友である子規も結核で亡くなるわけですが、病床でブラザートマス・ジェファーソンの日記を読んでいたりしたようです。出典はなんだか最近のラジオかなんかだったと思います。まあ明治時代は実はアメリカが生まれて100年後なのですね。もちろん当時の日本国内に日本人のフリーメイスンは一人もいません。(追記1/15/2013:これはちょっと極端な表現ですね。ブラザー西周を始めとして日本人のフリーメイスンはいますが、日本のロッジに参加している日本人のフリーメイスンはいないという事でしょう。この辺は実際なかなか難しいところです。対外的には日本人のフリーメイスンはいた事になっていても、対内的にはいない事になっていた時代な訳です。))
薔薇ちるや天似孫の詩見厭たり
来て見れば長谷は秋風ばかり也
鐘つけば銀杏ちるなり建長寺
冷かな鐘をつきけり円覚寺
影ふたつうつる夜あらん星の井戸
月に行く漱石妻を忘れたり
吾猫も虎にやならん秋の風
行年や仏ももとは凡夫なり
旅人の台場見て行く霞かな
鳴くならば満月になけほととぎす




(夏目漱石の家紋は墓石では富山市の市章と同じく菊菱紋ですが、調べると井桁菊紋らしいです。(本当に実際は井筒菊紋でいわゆる住友の社章の井桁とは異なるようです。)なかなかフリーメイスンリーにかかった日英同盟を象徴するようなエピソードでしょうか。まあ私もさすがにそれが夏目漱石の全てであるとはここまで来て言いません。北条政子の愛用品に使われた紋であるとか、皇室の菊の御紋が後鳥羽上皇時代に成立したなどとも絡めて様々に逸話がありそうです。また上記の目と墓石は一応夏目漱石のそれぞれ目と石にかけたものです。あしからず。)
で、結局書き始めたという事は確実なシンボリズムの関連性が見当たったという事なので、それは最後に書く事にします。
さて以前もブログのヘッダーにいわゆる火の鳥の図を使ったりしたのですが、作品の中にも数多くシンボリズムに近いものが認められるのがこの方の傾向なのですが、いかんせんまさにフリーメイスンリーと言うものが無いのがまた一方で特徴とも言えるかと思います。この人のマンガについてもほぼ全て私は読んでいるので知っているものについてそれぞれ個別にフリーメイスンリーとの関連について考察していこうかと思います。




さてまあその作品を全部読んでいる人であっても、ウィキペディアを読んでその生涯を俯瞰すると作品をいくら読んでもわからない事がたくさん書いてあるのがIT革命のすごいところと言いますか、21世紀の現実な訳ですが、あれだけあからさまに自由に伝記を書かれては「マンガの神様」も存在が危ういと思わざるを得ないのかなと思います。最近はほとんどマンガで手塚治虫がどうとか言われなくなり、私個人としては戦後のマンガ文化のもう一人のマンガの神様は赤塚不二夫であったと思うのですが、この方も無くなって久しいので、実質的には世界に売れるコンテンツなんて言っていた日本のマンガ文化はほぼ残りが無いのではないかと思っています。ワンピースなんてのが売れているそうですが、スカルアンドボーンズのシンボルを使っていたりするようで、私は全く読んだ事ありませんが、ドラゴンボールやキャプテン翼、キン肉マンといったいわゆる週刊ジャンプを象徴する世代としては、オンラインゲームのGREEやそれから派生した出会い系サイトの隆盛などがそういったマンガ文化、オタク文化の残骸の消費なのではないかと思います。
まあ現在のマンガ文化についてはともかく、いつもの通りにそれぞれ手塚治虫本人と個別の作品についてフリーメイスンリーと関係していそうなものについて考察していくこととします。
まず私個人が最初に手塚治虫作品で通して読んだものとしては「アドルフに告ぐ」があります。
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鉄腕アトム世代の方にすると完全に最晩年の作品となりますが、実際最初に読んだ作品はこれでした。当時はアドルフ・ヒトラーは実際にユダヤ人だったのと読後に思う程度の知識でしたが、いわゆるこれはシオニズムやヒトラーユダヤ人説を紹介する、いわばこのブログを書き始めて教えていただいた「赤間剛」氏の作品のマンガ版であったかと思います。途中神戸のユダヤ人の話など出てきたり、兵庫県宝塚で育った手塚治虫の神戸と本人との関連を考えさせられるものであったかと思います。もちろん前述の「赤間剛」氏も神戸出身であり、これらのネタ元に明治維新から存続している神戸のイングランド系ロッジ、スコットランド系ロッジの存在がある事はご理解いただけるのではないでしょうか。手塚治虫の大阪での空襲体験があり、この世代特有の染みついた反米感覚があるものかと思いますが、恐らくディズニーでアニメに興味を持って、ゲーテのファウストやドフトエフスキーを読んでいた手塚治虫はフリーメイスンリーの存在はもちろん知っていて、何らかの興味を持っていたものかと思われますが、その数多い作品群の中で直接フリーメイスンリーに関する知識を示したものはなさそうです。いわゆる手塚ワールドの固定の登場人物でデイブ・メイスンと言うアメリカの俳優をうつしたメイスンという固定キャラがあり、この元のメイスンさんは恐らくメイスンだと思いますが、これがはっきりとした関連かもしれません。
やはり戦中世代であり、ドイツやロシアに近しい感覚と言うものがあり、あこがれのブラザーディズニーとはニューヨークで一回だけ会ったそうですが、その後の接点は無かったようです。
さてまあ反米の内容と言えば戦後の混沌を描いた内容の「МW」や「奇子」というものがありますが、前者は特にシンボリズムを反映しているもので、内容的にも沖縄と毒ガスなど当時のベトナム戦争などの反戦運動と結びついた内容となっているのかと思いますが、特にフリーメイスンリー的な内容を示すものではなかったかと思います。後者は確か日本の村の庄屋に当たる家庭の因襲と差別、身分制に基づいた村社会の敗戦による変化を描いていたかと思います。国鉄の下村事件なども取り上げていたかと思い、基本的には反米の当時の一般人となる読者層の気分を多分に反映した内容であったかと思います。これらの当時の学生運動や反米思想の風潮を相克しようとしてしきれなかったものが、それらの時代と現代をタイムスリップする様子を描いた絶筆とされる「ネオファウスト」などになるのだと思います。また同じ絶筆として「ルードヴィッヒ」いわゆるベートーヴェンの生涯を描いたものですが、これはベートーヴェンがその生涯で苦しみながら作品を多く生み出し、最後までフリーメイスンとはならないながらも、その作品すべてにフリーメイスンリーの影響を認める生き方と似ているという、暗喩があるものかと思われます。
まあ夏目漱石などと同じく、日本を代表する近現代の表現家として同様に、死に近づくにつれフリーメイスンリーに近くなるという典型的なパターンが認められるのではないでしょうか。
手塚治虫の作品を概観した際に最も普通に言われるのが、いわゆる前半の鉄腕アトムやリボンの騎士を代表とする少年少女漫画とアニメへの傾倒、そしてその後のマンガが大衆文化として広まった後に社会派の内容を模索しつつ劇画と対峙して、元々の蘭方医の家系の知識を生かしたブラックジャックでの復活からの、生命やストーリーを重視した火の鳥の連作、三つ目が通るなどの少年漫画家としての経験を生かした大人でも楽しめる内容と言ったものを作る時代、そして上述した通り死の間際のいわゆるフリーメイスンリーにまつわるような昭和の時代の総括とも言うべき作品群の時代がそれぞれ挙げられるかと思います。
三つ目が通るも世界七不思議やテレパシー、超能力など魔術的な超科学の世界を一部描いており、鉄腕アトムの近未来SFの内容とはまた違った古代文明への興味を誘う内容であったかと思います。その後に中国を舞台としたもので、ユダヤ教のゴーレムなどという洗脳や催眠と言ったものにも触れており、これは確かほぼ最晩年の内容となっていたかと思います。
火の鳥のシンボリズムについては内容でそれらしいものは見た記憶はありませんが、ついこの間のロンドンオリンピックで閉会式で大々的に象徴とされていましたが、輪廻転生、永遠の生命の象徴として火の鳥が描かれており、これは魂の永遠、不死を教えるフリーメイスンリーの考え方が漠然とながら見えてくるものではないかと思われます。彼自身それほど読書量が多い方ではなかったようなので、恐らくそれらについてはほぼ戦後のマスメディアの常としてストーリーを提供する人々が数多くいたように思われます。
私自身は最も好きな作品は「きりひと讃歌」ですが、内容も世界的規模でなかなか筋が荒くなく(手塚治虫の長編は途中かなり筋が荒くなる事が良くあるように思います。)、本人は全くキリスト教について近くは無かったのかと思いますが、恐らくこれもストーリーを提供するのがあったのかと思いますが、かなりうまくまとめて完結した稀有の作品かと思いました。
特に最晩年の作品では「陽だまりの樹」は歴史に興味があった私にとっては白眉の作品であり、手塚治虫本人にしても曾祖父の歴史であり、死を前にして蘭方医の家系に生まれた医師のかたわれとして種痘という当時最新の知識を普及して人々を救う過程と、一方で時代の変化についていけないという理由だけでただ無駄死にに近い形で死んでいく人々を対比的に描いた、恐らく太平洋戦争に対する本人の率直な感想を投影した、昭和と言う時代が終わり、バブル崩壊後のオウム真理教などが現れる変化の時代を予兆するものなのではないかと思われました。現在も未だに維新や改革と言った言葉が飛び交っていますが、それだけ現代の変化、その最たるものは情報化社会、いわゆるインターネットの出現かと思いますが、その変化が激しいものであったのかと思います。
さて長々と個人的感想を羅列してきましたが、フリーメイスンリーのシンボリズムについてはそれぞれ個別の作品についてそれぞれ文庫本が安く売っているかと思いますのでこのブログの読者の方が購入して読まれてみてはどうかと思います。このブログを書く前に初めて知ったのが、実は手塚治虫の絶筆は上述の作品群だけではなく、(グリンゴだか日本人移民と南米のサラリーマンの話があったと思います。)私個人もあえて読まないでいた「聖書物語」が本当に最後に出版された作品であるようです。それ以前に創価学会系の潮出版社で出した「ブッダ」があり、これが一般的な日本人が唯一気軽に触れうる釈迦の一生の解説書であったかと思いますが、実際には彼自身は死の間際で聖書をマンガとして翻訳しつつ、外科医の流れでありながら胃癌で亡くなるという最後であったという事を知り、やはり昭和という時代を象徴する表現者の最期であり、美空ひばりなどとともに昭和天皇への殉死に近い形の死であったのかと思われました。
やはりそうなると平成と言う時代、それはタウ十字で象徴される旧約聖書の知恵と力が日本に付加される時代なのではないかと、そういう締めくくりで、この戦後を代表するある意味では文豪夏目漱石と比肩するマンガやアニメ文化の開拓者の典型的日本人のフリーメイスンリー的評価としようかと思います。(同時に一輝まんだらというのもありましたね。平成の名前を考えたのが某右翼(安岡正篤氏でしょうか)だということで、そういう接点もあったのかと思います。)
付け加えるとジャングル大帝の西武ライオンズへのシンボルマークの作成と、本家ディズニーのライオンキングでの逆襲などもなかなかフリーメイスンリーにまつわる逸話と言えるかと思います。本人はブラザーディズニーには一度会ったきりであったそうで、確実な記録に残るフリーメイスンとの接点はそこだけであったかもしれません。また手塚治虫は最晩年にみなとみらい地区の埋め立て地で行われた横浜博YES '89のマスコットも作成されているようです。その後の開港150年祭とも比較して興味深い流れです。
さて最後に秘密の伝授です。
手塚治虫のフリーメイスンリーの確実なシンボリズムは一体何でしょう。名前にもそれほど象徴的なものは無いようです。作品にも近いものはあってもベートーヴェンの作品で絶筆となっているような状況です。家系的には関西の医家の家系で、適塾出身者であり、父は法律家であったようで、なかなかの家系ですが、神戸の近くに住んでいたという以上のものはなさそうです。
それは彼の漫画家としての象徴的な風貌です。
ベレー帽と言えば手塚治虫ではないでしょうか。もともとバスク地方の民族衣装であったなどありますが、基本的に軍の制帽やボーイスカウトの制帽として普及したようです。
漫画家がベレー帽をかぶるのは恐らくそれ以前のパリ留学などした画家を真似したものかと思いますが、さてこのパリの画家がかぶるベレー帽は何でしょう?
まあここまでくればこのブログの読者はわかるかと思いますが、恐らくマリアンヌが被る自由を象徴するローマ帝国での解放奴隷の象徴であるフリジア帽のオマージュだと思われます。もちろんフランス大東社系の象徴となり得ますが、実際にはアメリカの州章などにも多く認め米仏のフリーメイスンリーに共通して認める象徴となります。

ベレー帽の習慣は藤子・F・不二雄にも受け継がれたようですが、ドラえもんや一連の作品群でフリーメイスンリーとの関連は厳しそうです。唯一ジャイアンがネロ帝のオマージュであるなどでしょうか。その後のマンガ、アニメ文化では数多くフリーメイスンリーのシンボリズムが認められるようです。特に数が多いのは宮崎駿氏の出世作となるルパン三世カリオストロの城や天空の城ラピュタなどでしょうか。ガンダムも以前に触れましたが、そもそもそういうものを狙って作ったもののようです。いずれにしてもその後の流れを見ると、シンボリズムに頼った手塚氏の遺産を使い果たした商業的な成功の典型例というものであるかと思われます。昨今の日本のマスメディアや出版文化の流れは未だにこれらのシンボリズムの呪縛とも言うべき、単純な商業主義と結びついたシンボリズムが多いように思われます。上野で開催中のツタンカーメン展などもまさにその真骨頂といったところではないでしょうか。そういう安易な商業主義と結びついたシンボリズムの使用は必ずろくな結果とならない事はこのブログで何度も触れているところであり、それらが今日の日本のマスメディア、出版文化の現状に繋がっているようです。
(追記:ベレー帽の最初は「フクちゃん」の作者の横山隆一氏のようです。横山氏の鎌倉の旧宅は現在御成町のスターバックスとなっています。)
(2013/4/30追記:手塚治虫は生誕日が1928年(昭和3年)11月3日、亡くなったのが1989年(平成元年)2月9日という事で生誕日がまさにシンボリズムそのものなのですね。手塚治虫がフリーメイスンとなっていたらどれだけすさまじいフリーメイスンリー関連の作品を残していたかと思うと残念です。)
そういうわけでちょっとフリーメイスンリーで重要とされる3や11にまつわる数字の月日や年と様々なイベントが何か関連があるかもしれないという事が思いつくので、ここでそれらについて総ざらいにウィキペディアでわかる範囲で見ていこうかと思います。
まず1666年のロンドン大火これが9月1日であるそうですが、これが関東大震災1923年大正12年9月1日と同じ日です。日本に関してはグレゴリオ暦の導入が明治以降であり、年数に関しては元号が優先するものであるようです。このグレゴリオ暦にしても大隈重信が導入したそうです。
1703年3月3日のブラザーロバート・フックの死というのも大事件のようです。
1771年2月12日にスウェーデン王アドルフ・フレデリクが亡くなっています。スウェーデンがこの時フリーメイスンリーが盛んであったかはわかりませんが、回文数(上下逆さまにしても同じ並びの数)は重要とされますのでフリーメイスンであった可能性は高いです。
1799年7月15日ロゼッタストーンが発見される。11月9日ブラザーナポレオンがクーデターで政権を掌握。後者は特に関係ありそうですね。12月14日ブラザージョージ・ワシントンが死去。12月14日の意味は良くわかりません。ブラザーワシントンはグレゴリオ暦2月22日生まれ、ユリウス暦2月11日生まれだそうです。建国記念日の由来かもしれませんね。
1899年明治32年12月3日池田勇人が生まれたそうです。日本人で西暦で見るのかどうかは微妙です。1月21日勝海舟死去。これも回文数ですが微妙です。恐らく関係あるかと思います。6月3日にブラザーヨハン・シュトラウス2世が死去しています。これは関係しているかと思います。
1903年明治36年11月3日はパナマ共和国が独立です。いわゆるパナマ運河のアメリカの租借ですね。3月6日に香淳皇后が生まれたそうです。4月11日にこだまでしょうかで有名な金子みすずが生まれたそうです。三井不動産の会長を務めた江戸英雄氏が7月17日に生まれ、1997年11月13日に死去されたそうです。まああるのでしょうかね。どちらも明治36年と平成9年だそうです。ブラザー津田真道が9月3日に亡くなったそうです。11月13日にカミーユ・ピサロが亡くなっています。フリーメイスンでしょうか。
1911年明治44年3月11日普選法案衆議院通過。12月14日ロアール・アムンセンが南極点に到達。確かフリーメイスンではなかったでしょうか。北極点はそうであったと思います。12月14日も色々ありますね。
1月11日に鈴木善幸氏が生まれたそうです。12月9日瀬島龍三氏が生まれたそうです。ジェームス・カーティス・ヘボン氏が9月21日に亡くなったそうです。96歳であったそうです。ブラザーグラバーが12月16日に亡くなっているそうです。生年が1838年の6月6日だそうです。
1918年11月11日の11時に第1次大戦終結です。
1933年昭和8年3月3日に三陸沖地震が起きたそうです。3月24日ナチスの全権委任法が成立したそうです。3月27日日本が国際連盟の脱退の詔勅です。三井住友銀行の名誉顧問の森川敏雄氏が3月3日生まれだそうです。クイズダービーで有名な篠沢秀夫氏が6月6日生まれだそうです。黒柳徹子さんが8月9日生まれだそうです。宮沢賢治が9月21日に亡くなっています。海軍軍人の山本権兵衛が12月8日に亡くなっています。
1991年は平成3年で多くの人が記憶しているのではないかと思います。日本では6月3日に雲仙普賢岳の火砕流がありました。9月6日にソ連からバルト三国が独立しました。9月11日に空母インディペンデンスが横須賀入港です。12月25日にソ連崩壊です。日本では異常気象で青森のリンゴが落ちる台風19号が通過しました。日本がまさにバブルの余韻に浸っていたころでしょうか。宮沢りえの「Santa Fe」が11月13日出版された年です。
1999年平成11年3月3日日銀がゼロ金利政策開始です。
2002年3月30日エリザベス王太后死去だそうです。
2003年平成15年9月3日国会議事堂に落雷というのがあります。小泉政権時代ですね。
2011年はやはり平成23年ですが3月11日の東北大震災かと思われます。阪神大震災は1995年平成7年1月17日の回文数のようです。
日本の元号中心で見ていきます。
明治22年1889年2月11日大日本帝国憲法発布です。6月16日横須賀線開通です。11月3日に後の大正天皇が皇太子になります。12月9日に井上成美が生まれています。2月12日に森有礼が暗殺されました。
明治33年1900年です。11月8日が戦艦三笠の進水式です。2月11日に創価学会二代会長戸田城聖氏が生まれています。日本人ではありませんが、ブラザーオスカー・ワイルドが11月30日に亡くなっています。
大正11年1922年1月17日大隈重信公国民葬です。1月10日に亡くなりました。大隈公はグレゴリオ暦の1838年3月11日生まれだそうです。グレゴリオ暦は太陽暦です。3月3日に全国水平社設立です。
昭和3年11月10日昭和天皇の即位の礼です。11月3日手塚治虫が生まれています。11月30日土井たか子さんも生まれています。
昭和11年1936年です。1月15日ロンドン軍縮会議から脱退。2月26日2.26事件。11月3日ブラザーフランクリン・ルーズベルトが再選。11月25日日独防共協定。11月1日亀井静香生まれる。11月3日さいとうたかを生まれる。
昭和33年1958年12月23日東京タワー完成。3月3日栗田貫一さん誕生だそうです。3月11日織田哲郎さん誕生です。
後は日本の歴代総理大臣の生年月日で面白そうなのは鳩山由紀夫の昭和22年1947年2月11日生まれと村山富一の大正13年1924年3月3日、あとは上述の鈴木善幸の明治44年1911年1月11日だと思います。戦後に限定すると岸信介の11月13日生まれもなかなかです。池田勇人は12月3日、佐藤栄作は3月27日、ともに3の倍数の月日の生まれです。大平正芳も3月12日生まれで3の倍数になります。小泉純一郎の1月8日の昭和天皇の命日と同じ、エルヴィス・プレスリーと同じ生まれというのも面白いと言えば面白いかもしれません。(H25 2/17追記:昭和天皇の命日は1月7日で小泉純一郎の誕生日とは一日ずれていますね。大体そのあたりが公現祭のようです。)市章の話とよく似ていて、総理大臣の話を出すと何やら関係が強いようです。そういえば安倍晋三も9月21日生まれ、腹心の世耕弘成も11月9日生まれと何やらありそうです。菅直人の10月10日もAll Seeing Eyeやヤキンボアズのシンボルを持ち出せば説明できるようです。(11/6追記:香川出身で聖公会信徒であった大平正芳は3月12日生まれで6月12日に首相在任中に心筋梗塞による心不全で亡くなっています。)
大統領選でいうとロムニー氏は1947年3月12日生まれで、年月日全て3の倍数です。
まあ最後のほうは尻すぼみのあまり関係なさそうなところですが、何となく回文数とか3と11の関係性、3の倍数の数字などそういう雰囲気がわかるのではないでしょうか。1991年なんかは明らかな感じではないでしょうか。今回2月11日とブラザーワシントンとの関連があるのは発見でした。まあユリウス歴、太陰暦とグレゴリウス暦、太陽暦の関係性はシンボルの月と太陽の関係にあるのか良くわかりません。
まあユリウス歴が出てきたり、グレゴリウス暦が出てきたり、3の倍数であったり末尾の数字が3の倍数の数字であったり、日にちであったり月日の連続性であったりと色々なパターンを考えればいくらでもそういう偶然の一致は出てくるものかと思いますが、まあそういう中でも何かしらの関連性、特に回文数や3の倍数と11の関連性は浮き上がるのではないかと思います。そういうのがフリーメイスンリーではないでしょうか。
とりあえず新年にあたりこのブログの好評企画数字と日付のフリーメイスンリー的法則から要注意日をピックアップしていきましょう。
まずは1月1日は毎年大体重要だと思われます。後は1月3日でしょうね。1月13日ももちろん重要だと思われます。
1月30日、31日もそうでしょうね。1月は大変な日ばかりでしょうか。
後はやはり3月1日や3月3日もそうなるでしょうね。3月10日、3月30日、31日もそうなるかと思います。
まあ突然元号から離れるのもあれなので平成25年という事で2月5日、2月25日、5月2日、5月20日、5月25日なども挙げられるのかもしれません。
基本的に回文数、3、11にまつわる法則を挙げているだけなので、特に意味はありません。
そうしてあらためて挙げると1月1日、1月3日、1月13日、1月30日、1月31日、2月5日、3月1日、3月3日、3月10日、3月30日、3月31日、5月2日、11月3日、11月13日、11月30日、11月31日などですが、まあ数秘術以上の意味はないですね。
13がキリスト教で特別な数字とか言い出すときりがありません。陰謀論は勘弁してください。
しかしまあフリーメイスンリーに休みは関係ないようです。


紀元節は旧暦の太陰暦の元日というわけではありません。西暦の紀元前660年の2月11日が神武元年の旧暦の正月に当たるというのはこじつけのようです。途中の干支は古代中国で色々変遷があったのを適当な時期で変更しているようですし、また閏年もグレゴリオ暦のものを採用しているそうです。
つまり紀元節は2月11日ありきなのです。
そしてそれは恐らく明治二年のまだ太陰暦を使用していた時に完成した最初の灯台である観音埼灯台が旧暦の1月1日に完成した結果、その日が西暦の2月11日であり、恐らくそれらは暦を正確に把握していたブラザーレオンス・ヴェルニーらだからできた話であり、起工日の旧暦の明治元年9月17日、新暦の11月1日も111のキリスト教カトリックの三位一体のシンボリズムを意識した日であり、完成した211の日は日本の2と11のユダヤ教を意識した日であったのだと思われます。
そしてその結果2月11日は日本の門出を象徴する日としてその後の明治政府に紀元節として採用されたのだと思われます。いずれにしても重要なのは江戸時代やそれ以前の太陰太陽暦の時代は太陽暦のグレゴリオ暦よりも不正確であり太陽暦の同じ日、日の出から日の入りまでがほぼ同じ時間の日に比べて2週間ほど年ごとに変動するような暦を使用していたわけで、これはまた時計も正確には無い時代で寺などの時を知らす鐘があるところに時計があったり、日時計で時刻を測って鐘で知らせていたそうです。
つまり2月11日の紀元節はそうしたフリーメイスンリーの空間と時間の正確な制御に関する認識とその象徴としてのシンボリズム、国家と歴史を統合して日付に還元したシンボリズムであり、117や911や311の日付のシンボリズムと同様に聞く耳を持つ人に響く意味を持ったものなのです。

というわけでテーマを立てましたのでとりあえずウィキペディアで挙げられている著名なフリーメイスンについて誕生日と忌日を挙げ、さらにその他の著名なフリーメイスンと関連する人について誕生日と忌日を挙げて比較検討していこうかと思います。
日本
西周 文政12年2月3日(1829年3月7日)-明治30年1月31日(1897年)
津田真道 1829年7月25日(文政12年6月25日)-1903年(明治36年)9月3日
林董 1850年4月11日(嘉永3年2月29日)-1913年(大正2年)7月20日
高橋龍太郎 1875年7月15日-1967年12月22日
河井彌八 1877年10月24日-1960年7月21日
佐藤尚武 1882年(明治15年)10月30日-1971年(昭和46年)12月18日
鳩山一郎 1883年(明治16年)1月1日-1959年(昭和34年)3月7日
加納久朗 明治19年(1886年)8月1日-昭和38年(1963年)2月21日
星島二郎 明治20年(1887年)11月6日-昭和55年(1980年)1月3日
東久邇宮稔彦王 1887年(明治20年)12月3日-1990年(平成2年)1月20日
三島通陽 1897年(明治30年)1月1日-1965年(昭和40年)4月20日
村山有 1905年12月24日-1968年12月31日
沢田教一 1936年2月22日-1970年10月28日
松平恒雄 1877年(明治10年)4月17日-1949年(昭和24年)11月14日
伊藤博文 天保12年9月2日(1841年10月16日)-明治42年(1909年)10月26日
西郷隆盛 文政10年(1828年1月23日)-明治10年(1877年)9月24日
木戸孝允 天保4年6月26日(1833年8月11日)-明治10年(1877年)5月26日
大久保利通 文政13年8月10日(1830年9月26日)-明治11年(1878年)5月14日
坂本龍馬 天保6年11月15日(1836年1月3日)-慶応3年11月15日(1867年12月10日)
高杉晋作 天保10年8月20日(1839年9月27日)-慶應3年4月14日(1867年5月17日)
勝海舟 文政6年1月30日(1823年3月12日-明治32年(1899年)1月21日
小栗忠順 文政10年6月23日(1827年7月16日)-慶応4年閏4月6日(1868年5月27日)
徳川慶喜 天保8年9月29日(1837年10月28日)-大正2年(1913年)11月22日
徳川家茂 弘化3年閏5月24日(1846年7月17日)-慶応2年7月20日(1866年8月29日)
福沢諭吉 天保5年12月12日(1835年1月10日)-明治34年(1901年)2月3日
大隈重信 天保9年2月16日(1838年3月11日)-大正11年(1922年)1月10日
黒田清隆 天保11年10月16日(1840年11月9日)-明治33年(1900年)8月23日
榎本武揚 天保7年8月25日(1836年10月5日)-明治41年(1908年)10月26日
武田斐三郎 文政10年9月15日(1827年11月4日)-明治13年(1880年)1月28日
中岡慎太郎 天保9年4月13日(1838年5月6日)-慶応3年11月17日(1867年12月12日)
後藤象二郎 天保9年3月19日(1838年4月13日)-明治30年(1897年)8月4日
板垣退助 天保8年4月17日(1837年5月21日)-1919年(大正8年)7月16日
尾崎行雄 安政5年11月20日(1858年12月24日)-1954年(昭和29年)10月6日
後藤新平 安政4年6月4日(1857年7月24日)-昭和4年(1929年)4月13日
夏目漱石 1867年2月9日(慶応3年1月5日)-1916年(大正5年)12月9日
森鴎外 1862年2月17日(文久2年1月19日)–1922年(大正11年)7月9日
芥川龍之介 1892年(明治25年)3月1日-1927年(昭和2年)7月24日
正岡子規 1867年10月14日(慶応3年9月17日)-1902年(明治35年)9月19日
中江兆民 1847年12月8日(弘化4年11月1日)-1901年(明治34年)12月13日
頭山満 安政2年4月12日(1855年5月27日)-昭和19年(1944年)10月5日
徳富蘇峰 文久3年1月25日(1863年3月14日)-昭和32年(1957年)11月2日
徳富蘆花 明治元年10月25日(1868年12月8日)-昭和2年(1927年)9月18日
島崎藤村 1872年3月25日(明治5年2月17日)-1943年(昭和18年)8月22日
有島武郎 1878年(明治11年)3月4日 -1923年(大正12年)6月9日
吉野作造 1878年(明治11年)1月29日-1933年(昭和8年)3月18日
西郷従道 天保14年5月4日(1843年6月1日)-明治35年(1902年)7月18日
大山巌 天保13年10月10日(1842年11月12日)-大正5年(1916年)12月10日
東郷平八郎 弘化4年12月22日(1848年1月27日)-昭和9年(1934年)5月30日
山本権兵衛 1852年11月26日(嘉永5年10月15日)-1933年(昭和8年)12月8日
山縣有朋 天保9年閏4月22日(1838年6月14日)-大正11年(1922年)2月1日
乃木希典 嘉永2年11月11日(1849年12月25日)-大正元年(1912年)9月13日
石原莞爾 明治22年(1889年)1月18日 (戸籍の上では17日)-昭和24年(1949年)8月15日
東條英機 1884年(明治17年)7月30日(戸籍上は12月30日)-1948年(昭和23年)12月23日
辻政信 1902年10月11日 - 1961年に行方不明
甘粕正彦 1891年(明治24年)1月26日-1945年(昭和20年)8月20日
重光葵 1887年(明治20年)7月29日-1957年(昭和32年)1月26日
東郷茂徳 1882年(明治15年)12月10日-1950年(昭和25年)7月23日
内山岩太郎 1890年2月28日 - 1971年11月19日
米内光政 1880年(明治13年)3月2日-1948年(昭和23年)4月20日
井上成美 1889年(明治22年)12月9日-1975年(昭和50年)12月15日
山本五十六 1884年4月4日 - 1943年4月18日
三条実美 天保8年2月7日(1837年3月13日)-明治24年(1891年)2月18日
岩倉具視 文政8年9月15日(1825年10月26日)-明治16年(1883年)7月20日
孝明天皇 天保2年6月14日(1831年7月11日)-慶応2年12月25日(1867年1月30日)
明治天皇 嘉永5年9月22日(1852年11月3日)-明治45年(1912年)7月30日
大正天皇 1879年(明治12年)8月31日-1926年(大正15年)12月25日
昭和天皇 1901年(明治34年)4月29日-1989年(昭和64年)1月7日
今上天皇 1933年(昭和8年)12月23日-
手塚治虫 1928年(昭和3年)11月3日-1989年(平成元年)2月9日
美空ひばり 1937年(昭和12年)5月29日-1989年(平成元年)6月24日
司馬遼太郎 1923年(大正12年)8月7日-1996年(平成8年)2月12日
石原裕次郎 1934年(昭和9年)12月28日-1987年(昭和62年)7月17日
沢田廉三 1888年10月17日 - 1970年12月8日
吉田茂 1878年(明治11年)9月22日-1967年(昭和42年)10月20日
白洲次郎 1902年2月17日 - 1985年11月28日
岸信介 1896年〈明治29年〉11月13日-1987年〈昭和62年〉8月7日
大平正芳 1910年(明治43年)3月12日-1980年(昭和55年)6月12日
田中角栄 1918年(大正7年)5月4日-1993年(平成5年)12月16日
中曽根康弘 1918年(大正7年)5月27日-
細川護煕 1938年〈昭和13年〉1月14日-
小泉又次郎 慶応元年5月17日(1865年6月10日)-昭和26年(1951年)9月24日
小泉純也 1904年(明治37年)1月24日-1969年(昭和44年)8月10日
小泉純一郎 1942年(昭和17年)1月8日-
小泉進次郎 1981年(昭和56年)4月14日-
石原慎太郎 1932年 (昭和7年)9月30日-
橋下徹 1969年(昭和44年)6月29日-
安倍晋三 1954年〈昭和29年〉9月21日-
麻生太郎 1940年(昭和15年)9月20日-
鳩山由紀夫 1947年(昭和22年)2月11日-
鳩山邦夫 1948年(昭和23年)9月13日-
菅直人 1946年(昭和21年)10月10日-
野田佳彦 1957年(昭和32年)5月20日-
森稔 1934年8月24日 - 2012年3月8日
森川敏雄 1933年(昭和8年)3月3日-
関暁夫 1975年6月21日-
まあフリーメイスンの列挙にしても下の関連人物というのの列挙にしてもいずれにしてもブログという性格上面白くするためには選択の恣意性が出てしまうわけでそのあたりはしょうがありません。一応この後世界のフリーメイスンについても同様に検討していく予定ですが、とりあえず数が多いのと色々注目があるので日本のフリーメイスンとその関連の人物について列挙しました。名前のシンボリズムと数字のシンボリズムとそれぞれに様々な性格の要素がある感じでしょうか。とりあえずこれまでも触れてきたとおり日付のシンボリズムとしては回文数、11、111の並び、3のシンボリズム、そして紀元節でとりあげた2の日本のシンボリズム、もちろんユダヤやカトリックの数秘術で偶数や7や5などにそれぞれ意味付けがなされておりそういうのもあるかと思います。タロットや占星術を加えれば十二星座や東洋の十二支、陰陽道なども出てくるかもしれませんが現在はとりあえずそこまでは考慮していません。その他には4月の復活祭、ユダヤの過越の祭りなどもあります。こちらは特にユダヤ暦との絡みがあり、年毎に太陰暦なので変動しますし、グレゴリオ暦でいくと大体2-3週のずれがあり、詳しいユダヤ暦の換算法が必要になって来るかと思われます。またフリーメイスンリー関連の6月24日の洗礼者ヨハネの日とその後の10日づつの7月4日と7月14日のそれぞれ独立宣言公布の日とフランス革命勃発の日と5月1日のローマ帝国の五月祭、現在のメーデーでその日はイルミナティの結成日や、8月15日の聖母被昇天の日などのキリスト教の祭日、同時にイエズス会の結成の日であり日本の終戦記念日です。11月の万聖節も全体としてシンボリズムとなり、現在はハロウィーンになるわけですが、特に11月3日は日本では文化の日、アメリカでは大統領選挙にかかわる重要な日で、強くシンボリズムを認めます。12月8日は成道会、真珠湾攻撃の日であり、また同時にカトリックの祭日ともなっており12月24日25日は言わずと知れたクリスマスであり冬至の12月27日の福音記者ヨハネの日と絡めてシンボリズムとなるようです。
また先に書いてしまいますが、この記事をあらためて書こうと思ったのは最近大雪で大変だったマサチューセッツのグランドロッジのフェイスブック投稿でブラザーチャーチルの忌日1月24日、ブラザーロバート・バーンズの誕生日1月25日、ブラザーマッカーサーの誕生日1月26日、ブラザーモーツァルトの誕生日1月27日、きゃりーぱみゅぱみゅの誕生日1月29日、ブラザーフランクリン・ルーズベルトの誕生日1月30日とあり、これはこのあたりに何かあるぞと、まあ教えてくれている訳ですが、大体こういう1週間くらいずれる感じはユダヤ暦関連の事が連想されるので、ユダヤ暦で調べたところ、樹木の新年 T‘ū biŠәbhāt‘(ローシュ・ハシャナー・ラ、イラノース)というが最も近いようで、まあほぼ旧暦の正月になるのでしょうがユダヤ暦では11月だそうで、タルムードにその起源があり、その過ごし方としてレビ記19章に出典がある様で、10種の主にアーモンドなどの果実を食べて4杯ワインを飲む儀式があるそうで、日本の七草粥と似ているのでしょうか。まあよくわかりませんが、そういう恐らく智恵の樹と実の創世記の話やカバラの生命の樹の話と関係するフリーメイスンリーでも重要な期間ととらえられているのではないでしょうか。ユダヤ暦については何か具体的な事がわかれば後々記事にしていこうかと思います。とりあえず重要なのがウィキペディアによれば復活祭のペサハ(過越し祭)グレゴリオ暦の3月~4月とペンテコステ(五旬節)、シャブオットのグレゴリオ暦の5月~6月とグレゴリオ暦9月の新年祭、グレゴリオ暦9月~10月のヨム・キプル(大贖罪日)、スコット(仮庵の祭り)とあり太陰暦であり年毎に変動するようです。基本的にユダヤ暦や祭日はその後のカトリックの祭日や暦の中に取り入れられているようです。興味があればそれぞれユダヤ暦に換算して祝日との関係を調べると面白いかもしれません。いずれにしてもユダヤ教について理解するためには旧約聖書の通読が必要になるかと思われます。

前述のマサチューセッツのグランドロッジは結局どうもグランドロッジの内装を100年以上ぶりに新しくしたそうで、それが最近完成したようです。素晴らしい事です。

まあ名前のシンボリズムと同じく名前がそのもの自体の全てを表すわけではないわけですが、数字で世の中を表してみたところでそれがその人や物の一部のバロメーターを表すだけであるという事は誰もがわかるわけですが、それがまたシンボリズムの面白いところであり、一部が全体を表し、また全体が一部を表すという、それはグノーシス主義にも認められる陰と陽、正と偽、それら全てを一体として真実として認識するという一つの思想とも哲学ともとられる生き方の方法論であり、宗教を越えた宗教とも哲学ともあらわされるフリーメイスンリーの重要な概念と言えるかと思われます。
まあ3のシンボリズムは経験やこのブログや周辺の知識で浸透してきたのではないかと思います。
その他ユダヤ暦やキリスト教の祝祭日、ローマ帝国の祝祭日などはウィキペディアもある時代ですのでそれぞれ調べられると面白いかと思います。
とりあえずこのブログでは有名なフリーメイスンの誕生日と忌日について列挙して、それらが関係ありそうかどうか、新たな重要な数字のシンボリズムはあるのかどうかというところになるかと思われます。
ではウィキペディアに挙げられたフリーメイスンやその他私が加えたブラザーやその周辺の人物について挙げていくこととします。
アメリカ
ベンジャミン・フランクリン ユリウス暦1706年1月6日(グレゴリオ暦1706年1月17日) - 1790年4月17日
ジョージ・ワシントン グレゴリオ暦:1732年2月22日 - 1799年12月14日(ユリウス暦:1731年2月11日生まれ)
ポール・リビア 1735年1月1日 - 1818年5月10日
トーマス・ジェファーソン 1743年4月2日(ユリウス暦)/4月13日(グレゴリオ暦) - 1826年7月4日
アンドリュー・ジャクソン 1767年3月15日 - 1845年6月8日
ジェームズ・ブキャナン 1791年4月23日 - 1868年6月1日
サミュエル・ヒューストン 1793年3月2日 - 1863年7月26日
マシュー・ペリー 1794年4月10日 – 1858年3月4日
アルバート・パイク 1809年12月29日 - 1891年4月2日
ジェームズ・ポーク 1795年11月2日 - 1849年6月15日
アンドリュー・ジョンソン 1808年12月29日 - 1875年7月31日
ジェームズ・ガーフィールド 1831年11月19日 - 1881年9月19日
マーク・トウェイン 1835年11月30日 - 1910年4月21日
ウィリアム・マッキンリー 1843年1月29日 - 1901年9月14日
バッファロー・ビル 1846年2月26日 - 1917年1月10日
ジョン・フィリップ・スーザ1854年11月6日 - 1932年3月6日
ロバート・ピアリー 1856年5月6日 - 1920年2月20日
ウィリアム・タフト 1857年9月15日 - 1930年3月8日
セオドア・ルーズベルト 1858年10月27日 - 1919年1月6日
ヘンリー・フォード 1863年7月30日 - 1947年4月7日
ウォレン・ハーディング 1865年11月2日 - 1923年8月2日
ガットスン・ボーグラム 1867年3月25日 - 1941年3月6日
チャールズ・リンドバーグ 1902年2月4日 - 1974年8月26日
ジョン・エドガー・フーヴァー 1895年1月1日 - 1972年5月2日
ダグラス・マッカーサー 1880年1月26日 - 1964年4月5日
フランクリン・ルーズベルト1882年1月30日 - 1945年4月12日
ハリー・S・トルーマン 1884年5月8日 - 1972年12月26日
タイ・カッブ 1886年12月18日 - 1961年7月17日
リチャード・バード 1888年10月25日 – 1957年3月11日
カーネル・サンダース 1890年9月9日 - 1980年12月16日
デューク・エリントン 1899年4月29日 - 1974年5月24日
ルイ・アームストロング 1901年8月4日 - 1971年7月6日
マイケル・コリンズ 1930年10月31日 -
エドウィン・オルドリン 1930年1月20日 -
ジョン・ウェイン 1907年5月26日 - 1979年6月11日
クラーク・ゲーブル 1901年2月1日 - 1960年11月16日
カウント・ベイシー 1904年8月21日 - 1984年4月26日
ジョセフィン・ベーカー 1906年6月3日 - 1975年4月12日
ベニー・グッドマン 1909年5月30日 - 1986年6月13日
ジェラルド・R・フォード 1913年7月14日 - 2006年12月26日
ナット・キング・コール 1919年3月17日 - 1965年2月15日
エディ・マーフィ 1961年4月3日 -
シャキール・オニール 1972年3月6日 -
エイブラハム・リンカーン 1809年2月12日 - 1865年4月15日
トーマス・エジソン 1847年2月11日 - 1931年10月18日
ワイアット・アープ 1848年3月19日 - 1929年1月13日
ジェームズ・ディーン 1931年2月8日 - 1955年9月30日
ジョージ・スタインブレナー1930年7月4日 - 2010年7月13日
ジェニファー・アニストン 1969年2月11日 -
ベン・アフレック 1972年8月15日 -
エルヴィス・プレスリー 1935年1月8日 - 1977年8月16日
マイケル・ジャクソン 1958年8月29日 - 2009年6月25日
ホイットニー・ヒューストン1963年8月9日 - 2012年2月11日
ジョン・F・ケネディ 1917年5月29日 - 1963年11月22日
リンドン・ジョンソン 1908年8月27日 - 1973年1月22日
ロバート・ケネディ 1925年11月20日 - 1968年6月6日
リチャード・ニクソン 1913年1月9日 - 1994年4月22日
ジョージ・H・W・ブッシュ 1924年6月12日 -
ジョージ・W・ブッシュ 1946年7月6日 -
ビル・クリントン 1946年8月19日 -
バラク・オバマ 1961年8月4日 -
レオナルド・ディカプリオ 1974年11月11日 -
キム・ベイシンガー 1953年12月8日 -
ダン・ブラウン 1964年6月22日 -
デミ・ムーア 1962年11月11日 -
トム・クルーズ 1962年7月3日 -
フランク・ケロッグ 1856年12月22日 - 1937年12月21日
オー・ヘンリー 1862年9月11日 - 1910年6月5日
ウォーレン・ベイティ 1937年3月30日 -
カルビン・クーリッジ 1872年7月4日 - 1933年1月5日
ジョセフ・スミス・ジュニア1805年12月23日 - 1844年6月27日
フェイ・ダナウェイ 1941年1月14日 -
ディック・チェイニー 1941年1月30日 -
アレクサンダー・ハミルトン1755年1月11日 - 1804年7月12日
エドガー・アラン・ポー 1809年1月19日 - 1849年10月7日
ヘンリー・ワーズワース・ロングフェロー1807年2月27日 - 1882年3月24日
ナサニエル・ホーソーン 1804年7月4日 – 1864年5月19日
F・スコット・フィッツジェラルド1896年9月24日 - 1940年12月21日
ダンテ・カーヴァー 1977年1月17日 -
サミー・デイヴィスJr. 1925年12月8日 - 1990年5月16日
ドリュー・バリモア 1975年2月22日 -
ピーター・フォーク 1927年9月16日 - 2011年6月23日
スティーブ・マックイーン 1930年3月24日 - 1980年11月7日
ハワイ
カメハメハ4世 1834年2月9日 - 1863年11月30日
カメハメハ5世 1830年12月11日 - 1872年12月11日
カラカウア 1836年11月16日 - 1891年1月20日
まあ建国の父の誕生日や忌日がその後のイベントや記念日の数字となっている事があるのでしょうか。そしてしばらくおいて、ケネディ家の暗殺された日やハワイの王族の忌日などいかにも死と陰謀が関係するような連想の際に意味を持ってくるような数字があるという事になるのでしょうか。結局単純に生年月日や死亡日は数字でしかないというところなんだと思います。それに意味を持たせるのはそれぞれの人であり、受け手や送り手がいる場合にはそれぞれの解釈という事になるのかと思われます。
あとはやはりアメリカは傾向として復活祭の関連が多いのかなというところと、フリーメイスンの数が多いのであまり数字のシンボリズムの件数自体は多くないのかなというところでしょうか。これもやはり市章のシンボリズムや名前のシンボリズムなどと同じでそれぞれシンボリズムの法則や傾向があるというところがまた興味深いところです。
あとは初めて知ったのですが、マイケル・ジャクソンのミドルネームはジョセフなのですね。麻酔薬を注入した医師はフリーメイスンであったという事です。
まあ現象の有無なんていうのは対象の抽出によっていかようにもなるというのはインターネットに限らず世の中全体の基本原則のようなものなのですが、特にインターネットの世界においてウィキペディアというものの位置づけがどうであるかというところ、要するに情報、特にインターネットで触れる文字情報の理解というものについて、世界の文字情報のオーソリティーともいえる聖書までとりあげている当ブログなわけですが、ウィキペディアに挙げられたフリーメイスンの出生日と忌日を挙げることにどこまでの基本情報としての価値があるのかというところかもしれません。とりあえず前2つの日本とアメリカのフリーメイスン達については実感としては一割以下の程度のシンボリズムといったところでしょうか。要するにそれがシンボリズムととらえるかどうかは、奇跡なんかと一緒で本人や周囲の人々の取り方、解釈になるのだという事だと思います。まさにそこがシンボリズムの要諦なんだと思われます。
現象や出来事について解釈して価値を与える、それがまさに人間が普遍的に行う情報や意味の解析であり、そしてそれら情報や意味の解析について基本的なルールを与えるのが宗教や道徳、人間性と呼ばれるものであり、それらは個々人や民族、集団によって異なるものとされてきました。しかしそれらが異なる事についてさらに解析を加えていくと、異なる理由や異なる原因が自ずと理解され、さらにその先にある共通のもの、さらにいえば絶対に異なるものについての共通の理解というものについて到達することができるという事が共感やいわゆる友愛の精神というものになるのではないでしょうか。それを象徴したものがシンボリズムであり、文字であり、言葉であり、数字であり、概念という事になるのだと思われます。出生と死というものはその間の幼少期、青年期、壮年期、老年期のような誰もが共通する人生の必須の時であり、その時を象徴する暦の時間というものはシンボリズムとして一つの明らかな空間と時間を制御する神の所業であり、まあ必ずしもフリーメイスンリーと関係するものではないとしても、シンボリズムとして考慮に値するというところなのではないかと思います。
まあちょっと能書きを書かないとなんだか面白くない話で終わってしまうので色々書きましたが内容的には前2つと同じような感じです。
フランス
ヴォルテール 1694年11月21日 - 1778年5月30日
ドゥニ・ディドロ 1713年10月5日 - 1784年7月31日
ラファイエット 1757年9月6日 - 1834年5月20日
アンリ・ド・サン=シモン 1760年10月17日 - 1825年5月19日
クロード・ジョゼフ・ルージェ・ド・リール 1760年5月10日 - 1836年6月26日
ナポレオン・ボナパルト 1769年8月15日 - 1821年5月5日
フレデリク・バルトルディ 1834年8月2日 - 1904年10月4日
ジョゼフィーヌ・ド・ボアルネ 1763年6月23日 - 1814年5月29日
ルイ=ラザール・オッシュ 1768年6月24日 - 1797年9月19日
ポール・バラス 1755年6月30日 - 1829年1月29日
マクシミリアン・ロベスピエール 1758年5月6日 - 1794年7月28日
オーギュスタン・ロベスピエール 1763年1月21日 - 1794年7月28日
ルイ・アントワーヌ・ド・サン=ジュスト 1767年8月25日 - 1794年7月28日
ジョルジュ・クートン 1755年12月22日 - 1794年7月28日
ジョゼフ・ボナパルト 1768年1月7日 - 1844年7月28日
ジェローム・ボナパルト 1784年11月15日 - 1860年6月24日
ミシェル・ネイ 1769年1月10日 - 1815年12月7日
ジャック=ルイ・ダヴィッド 1748年8月30日 - 1825年12月29日
ジャン=ジャック・ルソー 1712年6月28日 - 1778年7月2日
ルイ13世 1601年9月27日 - 1643年5月14日
リシュリュー 1585年9月9日 - 1642年12月4日
ルイ14世 1638年9月5日 - 1715年9月1日
ジュール・マザラン 1602年7月14日 - 1661年3月9日
マントノン侯爵夫人 1635年11月27日 - 1719年4月15日
ルイ15世 1710年2月15日 - 1774年5月10日
ポンパドゥール夫人 1721年12月29日 - 1764年4月15日
フィリップ2世 1674年8月2日 - 1723年12月23日
シャルル・ド・モンテスキュー 1689年1月18日 - 1755年2月10日
アンドレ=エルキュール・ド・フルーリー 1653年6月22日/26日 - 1743年1月29日
ルイ16世 1754年8月23日 - 1793年1月21日
マリー・アントワネット 1755年11月2日 - 1793年10月16日
ジャック・テュルゴー 1727年5月10日 - 1781年3月18日
ジャック・ネッケル 1732年9月30日 - 1804年4月9日
オノーレ・ミラボー 1749年3月9日 - 1791年4月2日
ジョルジュ・ダントン 1759年10月26日 - 1794年4月5日
ジャン・ル・ロン・ダランベール 1717年11月16日 - 1783年10月29日
ジャック・ルネ・エベール 1757年11月15日 - 1794年3月24日
ジャン=ランベール・タリアン 1762年1月23日 - 1820年11月16日
ルイ・フィリップ2世 1747年4月13日 - 1793年11月6日
ジャン=ポール・マラー 1743年5月24日 - 1793年7月13日
テレーズ・カバリュス 1773年7月31日 - 1835年1月15日
シャルル=モーリス・ド・タレーラン=ペリゴール 1754年2月13日(2月2日説も) - 1838年5月17日
マルキ・ド・サド 1740年6月2日 - 1814年12月2日
ジャン=フランソワ・シャンポリオン 1790年12月23日 - 1832年3月4日
ルイ・フィリップ 1773年10月6日 - 1850年8月26日
ナポレオン3世 1808年4月20日 - 1873年1月9日
スタンダール 1783年1月23日 - 1842年3月23日
アルチュール・ランボー 1854年10月20日 - 1891年11月10日
シャルル・ボードレール 1821年4月9日 - 1867年8月31日
ギヨーム・アポリネール 1880年8月26日 - 1918年11月9日
ギュスターヴ・クールベ 1819年6月10日 - 1877年12月31日
ポール・セザンヌ 1839年1月19日 - 1906年10月22日
アンリ・マティス 1869年12月31日 - 1954年11月3日
カミーユ・ピサロ 1830年7月10日 - 1903年11月13日
ポール・シニャック 1863年11月11日 - 1935年8月15日
エドゥアール・マネ 1832年1月23日 - 1883年4月30日
フィンセント・ファン・ゴッホ 1853年3月30日 - 1890年7月29日
ジャン=バティスト・カミーユ・コロー 1796年7月17日 - 1875年2月22日
エドゥアール・ダラディエ 1884年6月18日 - 1970年10月10日
シャルル・ド・ゴール 1890年11月22日 - 1970年11月9日
レオン・フーコー 1819年9月18日 - 1868年2月11日
レオンス・ヴェルニー 1837年12月2日 - 1908年5月2日
フランソワ・ミッテラン 1916年10月26日 - 1996年1月8日
ニコラ・サルコジ 1955年1月28日 -
カーラ・ブルーニ 1967年12月23日 -
ドイツ
レオポルト・モーツァルト 1719年11月14日 - 1787年5月28日
ゴットホールト・エフライム・レッシング 1729年1月22日 - 1781年 2月15日
ヨハン・クリスティアン・バッハ 1735年9月5日 - 1782年1月1日
ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ 1749年8月28日 - 1832年3月22日
ヨハン・ゴットリープ・フィヒテ 1762年5月19日 - 1814年1月27日
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン 1770年12月16日ごろ - 1827年3月26日
ルイ・シュポーア 1784年4月5日 - 1859年10月22日
ジャーコモ・マイアーベーア 1791年9月5日 - 1864年5月2日
カール・レーヴェ 1796年11月30日 - 1869年4月20日
オットー・クレンペラー 1885年5月14日 - 1973年7月6日
フリードリヒ・ヴィルヘルム2世 1744年9月25日 - 1797年11月16日
ヴィルヘルム1世 1797年3月22日 - 1888年3月9日
オットー・フォン・ビスマルク 1815年4月1日 - 1898年7月30日
ゲルゾーン・フォン・ブライヒレーダー 1822年12月22日 - 1893年2月18日
アルフレート・フォン・ティルピッツ 1849年3月19日 – 1930年3月6日
アドルフ・ヒトラー 1889年4月20日 - 1945年4月30日
ヨーゼフ・ゲッベルス 1897年10月29日 - 1945年5月1日
ルドルフ・ヘス 1894年4月26日 - 1987年8月17日
クラウス・フォン・シュタウフェンベルク 1907年11月15日 - 1944年7月21日
ヘルマン・ゲーリング 1893年1月12日 ‐ 1946年10月15日
オットー・グローテヴォール 1894年3月11日 - 1964年9月21日
フリードリヒ・フォン・シラー 1759年11月10日 - 1805年5月9日
ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル 1770年8月27日 - 1831年11月14日
アルトゥル・ショーペンハウアー 1788年2月22日 - 1860年9月21日
カール・マルクス 1818年5月5日 - 1883年3月14日
アンゲラ・メルケル 1954年7月17日 -
アダム・ヴァイスハウプト 1748年2月8日 - 1830年11月18日
イタリア
フランチェスコ・ジェミニアーニ 1687年12月5日 - 1762年9月17日
ジャコモ・カサノヴァ 1725年4月2日 - 1798年6月4日
カリオストロ 1743年6月2日 - 1795年8月26日
アントニオ・サリエリ 1750年8月18日 - 1825年5月7日
ルイジ・ケルビーニ 1760年9月14日 - 1842年3月15日
ジュゼッペ・マッツィーニ 1805年6月22日 - 1872年3月10日
ジュゼッペ・ガリバルディ 1807年7月4日 - 1882年6月2日
リーチオ・ジェッリ 1919年4月21日-
ロベルト・カルヴィ 1920年4月13日 – 1982年6月17日
シルヴィオ・ベルルスコーニ 1936年9月29日 -
ヴィットーリオ・エマヌエーレ・ディ・サヴォイア 1937年2月12日 -
ジョルジオ・アルマーニ 1934年7月11日 -
オーストリア
フランツ1世 (神聖ローマ皇帝) 1708年12月8日 - 1765年8月18日
フランツ・ヨーゼフ・ハイドン 1732年3月31日 - 1809年5月31日
イグナーツ・フォン・ボルン 1742年12月26日 ‐ 1791年7月24日
エマヌエル・シカネーダー 1751年9月1日 - 1812年9月21日
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト 1756年1月27日 - 1791年12月5日
マリア・テレジア 1717年5月13日 - 1780年11月29日
ヨーゼフ2世 1741年3月13日 - 1790年2月20日
レオポルト2世 1747年5月5日 - 1792年3月1日
クレメンス・フォン・メッテルニヒ 1773年5月15日- 1859年6月11日
フランツ・ヨーゼフ1世 1830年8月18日 - 1916年11月21日
フランツ・フェルディナント・フォン・エスターライヒ=エステ 1863年12月18日 - 1914年6月28日
エリーザベト (オーストリア皇后) 1837年12月24日 - 1898年9月10日
アントン・ブルックナー 1824年9月4日 - 1896年10月11日
フランツ・シューベルト 1797年1月31日 - 1828年11月19日
グスタフ・マーラー 1860年7月7日 - 1911年5月18日
ルートヴィヒ・フォン・ケッヘル 1800年1月14日 - 1877年6月3日
フランツ・ベッケンバウアー 1945年9月11日 -
リヒャルト・クーデンホーフ=カレルギー 1894年11月16日 - 1972年7月27日
ザムゾン・ヴェルトハイマー 1658年1月17日 - 1742年8月6日
イングランド
イーフレイム・チェンバーズ 1680年? - 1740年5月15日
エドワード・ギボン 1737年5月8日 - 1794年1月16日
ジョージ4世 1762年8月12日 - 1830年6月26日
エドワード7世 1841年11月9日 - 1910年5月6日
アーサー・サリヴァン 1842年5月13日 - 1900年11月22日
アーサー・コナン・ドイル 1859年5月22日 - 1930年7月7日
ラドヤード・キップリング 1865年12月30日 - 1936年1月18日
ウィンストン・チャーチル 1874年11月30日 - 1965年1月24日
エドワード8世 1894年6月23日 - 1972年5月28日
ジョージ6世 1895年12月14日 - 1952年2月6日
ケント公エドワード王子 1935年10月9日 -
クリストファー・レン 1632年10月20日 - 1723年2月25日
ジョン・デサグリエ 1683年3月12日 - 1744年2月29日
ロバート・フック 1635年7月18日 - 1703年3月3日
アイザック・ニュートン 1643年1月4日 - 1727年3月31日
エリザベス1世 ユリウス暦1533年9月7日 - 1603年3月24日
ウィリアム・シェイクスピア 1564年4月26日(洗礼日) - 1616年4月23日(グレゴリオ暦5月3日)
ロバート・ダドリー (初代レスター伯) 1533年9月7日 - 1588年9月4日
ロバート・デヴァルー (第2代エセックス伯) 1566年11月10日 - 1601年2月25日
メアリー (スコットランド女王) 1542年12月8日 - 1587年2月8日(グレゴリオ暦2月18日)
フランシス・ベーコン (哲学者) 1561年1月22日 - 1626年4月9日
ジェームズ1世 (イングランド王) 1566年6月19日 - 1625年3月27日
チャールズ1世 (イングランド王) 1600年11月19日 - 1649年1月30日
オリバー・クロムウェル 1599年4月25日 - 1658年9月3日
リチャード・クロムウェル 1626年10月4日 - 1712年7月12日
チャールズ2世 (イングランド王) 1630年5月29日 - 1685年2月6日
ジェームズ2世 (イングランド王) 1633年10月14日 - 1701年9月16日
ウィレム2世 (オラニエ公) 1626年5月27日 - 1650年11月6日
ウィリアム3世 (イングランド王) 1650年11月14日 - 1702年3月8日
メアリー2世 (イングランド女王) 1662年4月30日 - 1694年12月28日
ジェームズ・フランシス・エドワード・ステュアート1688年6月10日 - 1766年1月1日
ウィリアム・キャヴェンディッシュ (初代デヴォンシャー公爵)1640年1月25日 - 1707年8月18日
ジョージ1世 (イギリス王) 1660年5月28日(グレゴリオ暦6月7日) - 1727年6月11日(グレゴリオ暦6月22日)
ジョージ2世 (イギリス王) 1683年11月10日 - 1760年10月25日
ジョージ・グレンヴィル 1712年10月14日 - 1770年11月13日
ウィリアム・ピット (初代チャタム伯爵) 1708年11月15日 - 1778年5月11日
ウィリアム・ピット (小ピット) 1759年5月28日 - 1806年1月23日
ジョージ3世 (イギリス王) 1738年6月4日 - 1820年1月29日
スペンサー・パーシヴァル 1762年11月1日 - 1812年5月11日
ウィリアム4世 (イギリス王) 1765年8月21日 - 1837年6月20日
ヴィクトリア (イギリス女王) 1819年5月24日 - 1901年1月22日
ベンジャミン・ディズレーリ 1804年12月21日 - 1881年4月19日
アルバート・ヴィクター (クラレンス公) 1864年1月8日 - 1892年1月14日
ジョージ5世 (イギリス王) 1865年6月3日 - 1936年1月20日
エリザベス2世 1926年4月21日 -
チャールズ (プリンス・オブ・ウェールズ) 1948年11月14日 -
ダイアナ (プリンセス・オブ・ウェールズ) 1961年7月1日 - 1997年8月31日
カミラ (コーンウォール公爵夫人) 1947年7月17日 -
ウィリアム (ケンブリッジ公) 1982年6月21日 -
ヘンリー・オブ・ウェールズ 1984年9月15日 -
キャサリン (ケンブリッジ公爵夫人) 1982年1月9日 -
ロバート・ウォルポール 1676年8月26日 - 1745年3月18日
トマス・ペラム=ホールズ (初代ニューカッスル公) 1693年7月21日 - 1768年11月17日
ジョージ・グレンヴィル 1712年10月14日 - 1770年11月13日
ゴドリッチ子爵フレデリック・ジョン・ロビンソン 1782年11月1日 - 1859年1月28日
チャールズ・グレイ (第2代グレイ伯爵) 1764年3月13日 - 1845年7月17日
ウィリアム・ラム (第2代メルバーン子爵) 1779年3月15日 - 1848年11月24日
ジョージ・ハミルトン=ゴードン (第4代アバディーン伯)1784年1月28日 - 1860年12月14日
デビッド・ロイド・ジョージ 1863年1月17日 - 1945年3月26日
スタンリー・ボールドウィン 1867年8月3日 - 1947年12月14日
ラムゼイ・マクドナルド 1866年10月12日 - 1937年11月9日
ネヴィル・チェンバレン 1869年3月18日 - 1940年11月9日
クレメント・アトリー 1883年1月3日 - 1967年10月8日
アンソニー・イーデン 1897年6月12日 - 1977年1月14日
ハロルド・ウィルソン 1916年3月11日 – 1995年5月24日
デーヴィッド・キャメロン 1966年10月9日 ‐
ウィリアム・ブレイク 1757年11月28日 - 1827年8月12日
トーマス・ハーディ 1840年6月2日 - 1928年1月11日
ジェーン・オースティン 1775年12月16日 - 1817年7月18日
オスカー・ワイルド 1854年10月16日 - 1900年11月30日
アガサ・クリスティ 1890年9月15日 - 1976年1月12日
アーサー・サリヴァン 1842年5月13日 - 1900年11月22日
ベンジャミン・ブリテン 1913年11月22日 - 1976年12月4日
ジョン・レノン 1940年10月9日 - 1980年12月8日
ポール・マッカートニー 1942年6月18日 -
ジョージ・ハリスン 1943年2月25日 - 2001年11月29日
リンゴ・スター 1940年7月7日 -
ローワン・アトキンソン 1955年1月6日 -
チャールズ・チャップリン 1889年4月16日 - 1977年12月25日
デビッド・ベッカム 1975年5月2日 -
サミュエル・リチャードソン 1689年8月19日 - 1761年7月4日
チャールズ・ディケンズ 1812年2月7日 - 1870年6月9日
デーヴィッド・ハーバート・ローレンス 1885年9月11日 - 1930年3月2日
ホレーショ・ネルソン 1758年9月29日 - 1805年10月21日
ジェームズ・クック 1728年10月27日 - 1779年2月14日
ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー 1775年4月23日 - 1851年12月19日
ジェームズ・クラーク・マクスウェル 1831年6月13日 - 1879年11月5日
スティーヴン・ホーキング 1942年1月8日 -
エドワード・ジェンナー 1749年5月17日 - 1823年1月26日
ロバート・ルイス・スティーヴンソン 1850年11月13日 - 1894年12月3日
ジョージ・カニング 1770年4月11日 - 1827年8月8日
ランドルフ・チャーチル 1849年2月13日-1895年1月24日
セシル・ローズ 1853年7月5日 - 1902年3月26日
ウィリアム・ホガース 1697年11月10日 - 1764年10月26日
スコットランド
ウォルター・スコット 1771年8月15日 - 1832年9月21日
トーマス・カーライル 1795年12月4日 - 1881年2月5日
ロバート・バーンズ 1759年1月25日 - 1796年7月21日
ウィリアム・ブロディー 1741年9月28日 - 1788年10月1日
アダム・スミス 1723年6月5日 - 1790年7月17日
ロバート・ルイス・スティーヴンソン 1850年11月13日 - 1894年12月3日
アレクサンダー・グラハム・ベル 1847年3月3日 - 1922年8月2日
アレクサンダー・フレミング 1881年8月6日 - 1955年3月11日
アレクサンダー・ベイン 1811年10月 - 1877年1月2日
ジェームズ・ワット 1736年1月19日 - 1819年8月25日
ジョン・ロジー・ベアード 1888年8月13日-1946年6月14日
ジョン・ボイド・ダンロップ 1840年2月5日 - 1921年10月23日
ジョン・ロウドン・マカダム 1756年9月21日 – 1836年11月26日
ジョゼフ・リスター 1827年4月5日 - 1912年2月10日
ジョン・キーツ 1795年10月31日 - 1821年2月23日
ショーン・コネリー 1930年8月25日 -
ユアン・マクレガー 1971年3月31日 -
ジェラルド・バトラー 1969年11月13日 -
アイルランド
ジョナサン・スウィフト 1667年11月30日 - 1745年10月19日
アーネスト・ウォルトン 1903年10月6日 - 1995年6月25日
オスカー・ワイルド 1854年10月16日 - 1900年11月30日
ジェイムズ・ジョイス 1882年2月2日 – 1941年1月13日
ウィリアム・バトラー・イェイツ 1865年6月13日 - 1939年1月28日
ジョージ・バーナード・ショー 1856年7月26日 - 1950年11月2日
サミュエル・ベケット 1906年4月13日 - 1989年12月22日
シェイマス・ヒーニー 1939年4月13日 -
アーサー・ウェルズリー (初代ウェリントン公爵)1769年4月29日 - 1852年9月14日
エドマンド・バーク 1729年1月12日 - 1797年7月9日
ロバート・ボイル 1627年1月25日 - 1691年12月30日
ウィリアム・トムソン 1824年6月26日 - 1907年12月17日
バチカン市国
ロザリオ・フランチェスコ・エスポジト 1921年9月25日 - 2007年11月23日
ピウス8世 1761年11月20日 - 1830年11月30日
ベネディクトゥス15世 1854年11月21日 - 1922年1月22日
ヨハネ23世 1881年11月25日-1963年6月3日
ベルギー
レオポルド1世 1790年12月16日 - 1865年12月10日
アンリ・ヴュータン 1820年2月17日 - 1881年1月6日
ポーランド
アダム・イエジィ・チャルトリスキ 1770年1月14日 - 1861年7月15日
アダム・ミツキェヴィチ 1798年12月24日 - 1855年11月26日
スタニスワフ2世 1732年1月17日 - 1798年2月12日
タデウシュ・コシチュシュコ 1746年2月4日 - 1817年10月15日
ヤン・ヘンリク・ドンブロフスキ 1755年8月29日 - 1818年6月6日
ユーゼフ・ポニャトフスキ 1763年5月7日 - 1813年10月19日
エミリア・プラテル 1806年11月13日 - 1831年12月23日
クシシュトフ・キェシロフスキ 1941年6月27日 - 1996年3月13日
ロマン・ポランスキー 1933年8月18日 -
マリ・キュリー 1867年11月7日 - 1934年7月4日
チェコ
アルフォンス・ミュシャ 1860年7月24日 - 1939年7月14日
エドヴァルド・ベネシュ 1884年5月28日 - 1948年9月3日
プロイセン
フリードリヒ2世 1740年5月31日 - 1786年8月17日
ハンガリー
フランツ・リスト 1811年10月22日 - 1886年7月31日
フィンランド
ジャン・シベリウス 1865年12月8日 - 1957年9月20日
ロシア
セルゲイ・クーセヴィツキー 1874年7月26日 - 1951年6月4日
ピョートル1世 1672年5月30日 - 1725年1月28日
エカチェリーナ2世 1729年4月21日(グレゴリオ暦5月2日) - 1796年11月6日(グレゴリオ暦11月17日))
アレクサンドル3世 1845年3月10日 - 1894年11月1日
レフ・トルストイ 1828年9月9日〔ユリウス暦8月28日〕 - 1910年11月20日〔ユリウス暦11月7日〕
フョードル・ドストエフスキー 1821年11月11日〔ユリウス暦10月30日〕 - 1881年2月9日〔ユリウス暦1月28日〕
イワン・ツルゲーネフ 1818年11月9日(ユリウス暦10月28日) - 1883年9月3日(ユリウス暦8月22日)
アレクサンドル・プーシキン 1799年6月6日(旧暦5月26日) - 1837年2月10日(旧暦1月29日)
ウラジーミル・レーニン 1870年4月22日 – 1924年1月21日
ヨシフ・スターリン 1878年12月18日 – 1953年3月5日
レフ・トロツキー 1879年10月26日(グレゴリオ暦11月7日) - 1940年8月21日
グリゴリー・ジノヴィエフ 1883年9月11日 - 1936年8月25日
ヴャチェスラフ・モロトフ 1890年3月9日(ユリウス暦2月25日) - 1986年11月8日
フェリックス・ジェルジンスキー 1877年9月11日 - 1926年7月20日
ナジェージダ・アリルーエワ 1901年9月22日 - 1932年11月9日
ミハイル・カリーニン 1875年11月19日(ユリウス暦11月7日) - 1946年6月3日
ニコライ・エジョフ 1895年5月1日 - 1940年2月4日頃
ラヴレンチー・ベリヤ 1899年3月29日 - 1953年12月23日
リヒャルト・ゾルゲ 1895年10月4日 - 1944年11月7日
スヴェトラーナ・アリルーエワ 1926年2月28日 - 2011年11月22日
ゲオルギー・マレンコフ 1902年1月13日(ユリウス暦1月8日) - 1988年1月14日
ラーザリ・カガノーヴィチ 1893年11月22日 - 1991年7月25日
ニキータ・フルシチョフ 1894年4月17日 - 1971年9月11日
レオニード・ブレジネフ 1907年1月1日(ユリウス暦1906年12月19日) - 1982年11月10日
コンスタンティン・チェルネンコ 1911年9月24日(グレゴリオ暦)/9月11日(ユリウス暦) - 1985年3月10日
ピョートル・チャイコフスキー 1840年5月7日(ユリウス暦では4月25日) - 1893年11月6日(ユリウス暦10月25日)
アレクサンドル・ボロディン 1833年10月31日(ユリウス暦)/11月12日(グレゴリオ暦) - 1887年2月15日/2月27日
ミハイル・ホドルコフスキー 1963年6月26日 -
アレクサンドル・ポポフ 1859年3月16日 - 1906年1月13日、ロシア暦1859年3月4日 - 1905年12月31日
ボリス・エリツィン 1931年2月1日 - 2007年4月23日
ウラジーミル・セミチャストヌイ 1924年1月15日 - 2001年1月12日
ワジム・バカーチン 1937年11月6日 -
毛沢東 1893年12月26日 - 1976年9月9日
梁啓超 1873年2月23日 - 1929年1月19日
劉少奇 1898年11月24日 - 1969年11月12日
周恩来 1898年3月5日 - 1976年1月8日
孫文 1866年11月12日 - 1925年3月12日
洪秀全 1814年1月1日 - 1864年6月1日
汪兆銘 1883年5月4日 - 1944年11月10日
李先念 1909年6月23日 - 1992年6月21日
胡錦濤 1942年12月21日 -
カナダ
ジェームズ・ネイスミス 1861年11月6日 - 1939年11月28日
エリシャ・カスバート 1982年11月30日 -
ジム・キャリー 1962年1月17日 -
セリーヌ・ディオン 1968年3月30日 -
ナターシャ・ヘンストリッジ 1974年8月15日 -
アヴリル・ラヴィーン 1984年9月27日 -
フィリピン
ホセ・リサール 1861年6月19日 - 1896年12月30日
ホセ・ラウレル 1891年3月9日 - 1959年11月6日
セルヒオ・オスメニャ 1878年9月9日 - 1961年10月19日
エルピディオ・キリノ 1890年11月16日 - 1956年2月29日
フェルディナンド・マルコス 1917年9月11日 - 1989年9月28日
コラソン・アキノ 1933年1月25日 - 2009年8月1日
ジョセフ・エストラーダ 1937年4月19日 -
グロリア・アロヨ 1947年4月5日 -
ブラジル
デオドロ・ダ・フォンセカ 1827年8月5日- 1892年8月23日
ジルマ・ルセフ 1947年12月14日-
チリ
サルバドール・アジェンデ 1908年6月26日 - 1973年9月11日
アウグスト・ピノチェト 1915年11月25日 - 2006年12月10日
エドゥアルド・フレイ・ルイスタグレ 1942年6月24日 -
エドゥアルド・フレイ・モンタルバ 1911年1月16日 - 1982年1月12日
ガブリエラ・ミストラル 1889年4月7日 - 1957年1月10日
ベネズエラ
シモン・ボリバル 1783年7月24日 - 1830年12月17日
ニカラグア
アウグスト・セサル・サンディーノ 1895年5月18日 - 1934年2月21日
アナスタシオ・ソモサ・ガルシア 1896年2月1日 - 1956年9月29日
フルヘンシオ・バティスタ 1901年1月16日 - 1973年8月6日
ラウル・カストロ 1931年6月3日 -
出生地不詳
サンジェルマン伯爵 1691年/1707年? - 1784年2月27日
さてどうでしょうか。市章シリーズに続いて読者の不評を買いそうなシリーズですが、なかなか面白いのでそれぞれ個別の時期や日付についてシリーズでやろうかと思っています。
一応解説していかないとなんだか全くわからないでスルーしていきそうなのでそれぞれ解説していくこととしましょう。アメリカ人についても多少付け加えたので触れておきます。
フランスは恐らくこういう日付のシンボリズム、タロット占いや星座占いなどの発祥の地だと思われ、、恐らくそれらはフランス革命後盛んになるのだと思いますが、いわゆるフリーメイスンにはそれほど多くない印象でしょうか。中でも最も私が興味深かったのはブラザーナポレオンとその妻ジョセフィーヌの生誕日であり、ある意味フランス革命とその後のナポレオン帝政はこれらの日付のシンボリズムによって成り立っていたのではないかという解説が成り立つものかと思います。後はやはりイギリスでも王冠をかけた恋で有名なエドワード6世もジョセフィーヌと同じ日と言うところでしょうか。日付のシンボリズムで重要なのはやはり日本の明治時代でもそうでしたが、旧暦と新暦、ユリウス歴やロシア暦との改暦の時代があり、旧暦でも一応孝明天皇の忌日のようにシンボリズムが成立しますが、一般にはグレゴリオ暦となってからシンボリズムが正統となってくるようです。グレゴリオ暦自体は1582年に教皇グレゴリオ13世が改めたもので、ユリウス歴は紀元前45年にユリウス・カエサルによって作られたものだそうです。導入はイタリア、スペイン、フランス、オランダ、ドイツが早く、その後100年以上遅れて1752年イギリス、アメリカ1873年日本、1912年中国、1918年ロシアだそうです。このため、このページにコピペした日付もほぼそれらに準じてユリウス歴とグレゴリオ暦が混在しているかと思われます。特にロシアはそれらが顕著だと思いますので気を付けてください。
まあ後は色々面白おかしくフリーメイスンやそれと全く関係ない人や関係ありそうな人を付け加えましたが、どうでしょう。やはり6月24日の洗礼者ヨハネの日のシンボリズムが私自身としては一番面白いかと思われます。1月6日~1月8日の公現祭や1月後半の恐らくユダヤ教の祝日関連、4月の復活祭の関連、5月1日のメーデー、7月4日と7月14日のアメリカ独立宣言と、バスティーユ監獄襲撃の日、8月15日の聖母降誕祭、11月の万聖節のシンボリズム、12月の12月8日無原罪の御宿りの日とクリスマス関連のシンボリズムがあるかと思います。その他は単純に数字の33や11、111、1111、113や311、711、117の並びなどがあるかと思われます。77の並びや7のシンボリズムの意味がどの程度あるのかというところですが、これらはまた後々で問題になってくるかもしれません。また回文数もシンボリズムとしては目立ちますが、それぞれ回文数でどのような意味が出てくるかについては数秘術の奥義になるのかと思われますし、今後の課題と思われます。
まあ全体に見てやはりイギリス、フランスの日付のシンボリズムはある程度多いかと思われますし、アメリカなども特にハリウッド俳優などでのシンボリズムは多いようです。カナダも比較的芸能人関係で多いようですし、後は逆にというか必然なのでしょうが、ソ連や中国のようなキリスト教と正反対のところでシンボリズムが顕著なのは革命や共産主義の必然なのだと思われます。南米は全体にフリーメイスンリーは盛んだと思いますが、ブラジルは非常に少ないようです。逆にチリは非常に面白いですね。二人のエドゥアルド・フレイは親子だそうで、どちらも大統領をやっていますが、父親は毒殺されているそうです。6月24日のシンボリズムの顕著な例でしょうか。チリと言えば落盤事故で33人の人が2カ月閉じ込められた事件が最近では有名かと思います。
というわけで市章のシンボリズムのように更にシンボリズムの核心に迫る作業として、6月24日や上記の浮かび上がって来たシンボリズムの日の誕生日や忌日の人々について、個別に取り上げてフリーメイスンリーとの関わりを見て行くという事をそれぞれ行っていこうかと思います。
ついてこれてますか~? ちなみに本日は復活祭の近くになるのでしょうが、今年の復活祭は3月31日でしたので特にありません。
PSYという韓国の歌手について知らない方も多いかもしれないのでまたまたウィキペディアをコピペします。
PSY(サイ、1977年12月31日 - )は、大韓民国の歌手、ダンサー、作詞家、音楽プロデューサーである。本名はパク・ジェサン(박재상,朴載相)。
韓国ソウル特別市江南区の出身。地元のバンポ小学校、バンポ中学校、セファ高校で学び、1996年にアメリカのボストン大学に入学し、経営学を専攻。その後バークリー音楽大学に編入し、音楽を学んだ。2001年1月、デビューアルバムを発表。同年11月15日大麻問題で警察に検挙され活動を自粛する。2003年から2005年までの徴兵期間、ソフトウェア開発会社に勤務し、兵役を逃れた。2007年3月、韓国観光広報大使として確実な復帰を果たしたが、2007年5月に、兵役に代わる産業機能要員としての勤務が問題となり、同年12月、兵務庁から入隊通知を受けて、現役として再入隊する。
2012年7月にリリースした正規アルバム6甲のタイトル曲江南スタイルのPVは、YouTubeで最も閲覧された動画のひとつである。YouTube再生ランキング1位をずっと記録していたが、YouTubeの仕様が単純な再生数から再生時間を基準に変更された途端にランキング圏外(100位下)となった。この曲はT-ペインやケイティ・ペリーらによってネット上で話題にされ、ネリー・ファータドにカヴァーされ、マルーン5 のライブでの特殊効果音に使われた。その後10月2日現在、アメリカのBillboard Hot 100の2位、オーストラリア、ベルギー、カナダ、デンマーク、フィンランド、ルクセンブルク、オランダ、ニュージーランド、ノルウェー、英国の10カ国の公式チャートで1位となった。
2013年4月に江南スタイル以来約9カ月ぶりとなる新曲「ジェントルマン」のミュージックビデオ(MV)をyoutube上に公開し、公式動画の再生回数の増加ペースは1時間で100万アクセス以上となり、わずか1日で2000万アクセス以上に達した。その後、24時間で3840万件という最多再生回数を記録したためギネスに登録された。
まあ要するにYouTubeで江南スタイルという腰を振るダンスのPVが人気となった韓国が国を挙げて応援した歌手という事です。再生回数や売れ方が色々と話題になったようですが、その後の曲のPVではギネス記録となっているそうです。で、その二曲目の「ジェントルマン」が本日のお題です。
もう気付いていた人も多いかもしれませんが、白黒の床やGのシンボルの強調、ロータリークラブの会員のような高齢者などフリーメイスンリー関連のシンボルを強調しています。股下が伸びたスラックスはエプロンを思わせるデザインなのかもしれません。PSY自身がボストン大学に留学しており、IT関連企業で働いていたなどいかにもな経歴であるようです。独裁者であった朴正煕大統領の長女が初の女性大統領として訪米をしていたり、経済政治ともに躍進が著しい我が国日本のお隣で非常に関係の深い自由主義国韓国は、台湾などとともに今後フリーメイスンリー関連でも様々な話題があるかと思われます。
PVもなかなか韓国の現代の様子が分かって面白い感じでしょうか。非常に日本に似ていますね。
朴槿恵大統領も誕生日が1952年2月2日であり、父親の朴正煕大統領も誕生日が1917年11月14日とそれぞれシンボリズムが成り立つ感じでしょうか。
(追記:PSYはロータリークラブを通してポリオワクチンの普及に貢献をしているそうです。

海の日の休日に繋がる3連休ですがどこも観光地は大変な混雑が予想されるところでしょうか。
さて題名のサンサンですが太陽がサンサンというとなにやら子供向けの歌のようですがなにやらシンボリズムの共通点がありそうですね。以前もこのブログで葉山の結婚式場のC33などとりあげたりしましたが三浦半島でサンサンというとなんと数年前に命名されたある公共施設の名前であります。

なんと300円という値段で利用者も少ないあの三浦縦貫道の愛称が三浦サンサンラインというのだそうです。すかなごっそもこの連休中は相当の混雑が予想されますが、三浦縦貫道を使えばスムーズにすかなごっそのすぐ近くまで行くことができます。
あとは何とフリーメイスンリーのアンティークショップがお台場ヴィーナスフォートに出来たと話題のフジテレビ本社近くのイベント会場がお台場合衆国サンサンアイランドという名だそうです。もちろん三浦サンサンラインとは集まる人の数は比較になりませんが是非どちらもサンサン=33という事でお見知りおきください。お台場のアンティークショップもこの4月頃から力を入れて販売しているようなので是非興味のある方は立ち寄ってみてください。

どちらもかなり暑いと思いますので水分と休憩を忘れないように気をつけてください。
サンサンといえば平成元年6月24日に亡くなられた故美空ひばりの名曲「愛燦燦」が有名でしょうか。冒頭でも触れましたが子供向けのアンパンマンの体操の歌で太陽がサンサンと言うサンサン体操というのがあるそうです。恐らく作者の関係なのではないでしょうか。横須賀出身の日米ハーフの横浜DeNAベイスターズのプロ野球選手乙坂智選手の背番号も33番だそうです。
もちろんブラザーハリー・S・トルーマン大統領が第33代大統領であるとか、33の元がブラザーアルバート・パイクが確立したスコティッシュライト33階級と著書「モラルアンドドグマ」に由来するという事を忘れないでください。
本日はブラザーペリー来航から160周年記念の久里浜ペリー祭が開催予定です。三浦サンサンラインよりは京急、JRが適当かと思われます。こちらも興味があればお越しください。

あんまり一企業の宣伝みたいなことはやったことないんですが、商標のところやCMのシンボリズムのところはほぼ企業の宣伝と同じかと思いますので、それらで挙がらずにいながらも誰もがそういう関連の企業と認識しているような日本でも有数のコンビニの商標の話です。
セブンイレブンは恐らく誰もがマクドナルドやケンタッキーフライドチキン、ディズニーブランドのようにフリーメイスンリーと関連のある外資の会社ではないかと思っているであろう企業ですが、実際そのシンボリズムについてはこのブログでは取り上げたことはなく、少なくとも11のシンボルと7がユダヤ教で重要とされる数字であることはわかるかと思うのですが、それらが実際にフリーメイスンリーで繋がるというのが、そのヒストリーチャンネルの話からシンボリズムの話が繋がったのでここで解説する事とします。
ヒストリーチャンネルの話はやはりアメリカ建国の父とフリーメイスンリーといういわゆるヒストリーチャンネル、ナショナルジオグラフィックのフリーメイスンリー特集の日本語翻訳で最新のもの(YouTubeのupした日から推測するに2010年のものであるようです。)であったのですが、ブラザーブレント・モリスなどが出ていて、新しい内容を含んでいて面白いものでした。
このビデオだと思いますが、もちろん日本語訳がこれはついていません。

『貧しいリチャードの暦』フリーメイスンリー加入後のブラザーベンジャミン・フランクリンが作成した諺などを図柄で示して生きる上での基本的な教訓を示していて当時ベストセラーとなった本の一部。詳細はウィキペディアを参照してください。
番組の中ではブラザージョージ・ワシントンやブラザーベンジャミン・フランクリンの女性関係などの新しい秘密の暴露の話が含まれていて、なかなか人間ワシントンや人間フランクリンの様子が想像されて興味深い話でした。そこで表題のコンビニの商標に関係してくるわけですが、それは何でしょうか。ブラザーベンジャミン・フランクリンについてはこのブログでもロスト・シンボルで使われていたフランクリンの魔法陣のヘッダー画像や誕生日と忌日などで挙げられていますが、それらにそれほど着目したりはしていませんが、まさに日本最大のコンビニチェーン店の名前がブラザーベンジャミン・フランクリンの誕生日と同じ数字なのです。ブラザーベンジャミン・フランクリンはユリウス暦1706年1月6日(グレゴリオ暦1706年1月17日)生誕で1790年4月17日亡くなっています。生誕時アメリカを含む大英帝国はユリウス歴を使用していましたが、恐らくその後の改暦にもブラザーフランクリン自体も関わっているでしょうし、そもそものユリウス歴の誕生日もカトリックの公現祭の時期であり、また両親もそれぞれ1657年12月23日と1667年8月15日生まれだそうで、それぞれカトリックの祭日の一日ずれと当日というそもそものシンボリズムが重なっている家系です。
まあだからセブンイレブンにそれほど意味があるのかとなるわけですが、まあ7自体はユダヤ教の7日間で世界を神が創造した数字でもあり、7という数字はユダヤ教の聖なる数字としてその後の律法でも数多く認める数字です。また11については以前に触れました。
というわけで、1月17日のブラザーベンジャミン・フランクリンの誕生日はそのままシンボリズムとなり、その後の日本では1月17日の阪神大震災や1912年1月17日のロバート・スコットの南極点到達などもフリーメイスンリーのシンボリズムの一環と考えられるかと思います。1月17日生まれはポーランド王のブラザースタニスワフ・アウグスト・ポニャトフスキや、イギリス首相のブラザーデビッド・ロイド・ジョージ、ボクサーのモハメド・アリや、このブログでも取り上げた山口百恵、俳優のジム・キャリーやギャングのアル・カポネもそうだそうです。忌日では右翼の児玉誉士夫が1月17日だそうです。11月7日になるとさらに濃く、1917年のロシア十月革命や1918年のスペイン風邪の発生、1944年のブラザーフランクリン・ルーズベルトの4選、2000年のブラザーブッシュとゴアの大統領選の投票日など11月3日と同じく大統領選に関わるイベントの日でもあるようです。11月7日はブラザートロツキーの誕生日でもあるようです。
というわけで、かつて東京タワーの下のメイソニックビルディングに本社を置いていたイトーヨーカ堂に現在は吸収されセブンアンドアイホールディングスとなっていますが、どこでも見るコンビニの商標であるセブンイレブンの隠された意味はブラザーフランクリンの誕生日にまつわるフリーメイスンリーのシンボリズムであったわけです。

今後はこうした企業のシンボリズムについても積極的に取り上げていってブログの注目度を挙げる記事も増やしていこうかと思っています。横須賀の地元企業についても面白いので色々取り上げようかと思っています。
で、もともとのヒストリーチャンネルの内容で非常に面白かったのが、やはりアメリカの1776年7月4日の独立宣言の際にプロフェッサー(教授)と呼ばれる存在が廊下で動いていたという秘密の暴露でありました。もちろんこのブログを精緻に読んでこられた方はこの教授と呼ばれる存在が何者なのか容易に想像できるのではないでしょうか。1776年という題名の章で触れたように、まさに同年の5月1日にイルミナティを結成したブラザーアダム・ヴァイスハウプトがその場にいたという秘密の暴露であったのだと思われます。もしかすると7月4日という選択は6月24日の10日後ということではありますが、単にブラザーアダム・ヴァイスハウプトがその場にいることが出来た時という事であったのかもしれません。


その他にもアメリカの国璽に隠された鷲の羽の32と33羽という数の話や独立13州とキリスト教で不吉とされる13の数字が認められる話もありましたが、ブラザーアダム・ヴァイスハウプトの話とイルミナティがカトリック神学のインゴルシュタット大学で生まれてカトリックや領主から禁止されたこととも繋がる話であるかと思われます。こういう面白い話を提供してくれたヒストリーチャンネルのシンボルマークもちょっと前に変わり、いわゆるアメリカの国璽とされるプロヴィデンスの目のあるピラミッドを横向きとした形となっています。

アメリカ独立宣言の場にブラザーアダム・ヴァイスハウプトがいたとしたらそれは相当な話ですが、事実でしょうか?日本では以前このブログでも書いたかと思いますが、一万円札の肖像画で有名な慶応大学の創始者の咸臨丸でアメリカに渡った福澤諭吉が最初にアメリカ独立宣言を翻訳して紹介しています。
ツインタワー崩壊後の跡地に立つワンワールドトレードセンターの高さは1776フィートだそうですが、それらは皆繋がる話でしょうか?
ちょっとオカルトめいて来ますが、恐らくそれほど間違っていはいないのではないでしょうか。
以前に日本の名前に認めるフリーメイスンリーのシンボルという事でで漢字の名前とフリーメイスンリーのシンボリズムの関連や、家紋とシンボリズムの関連については平成町のところで触れたわけですが、実際1549年8月15日にイエズス会のフランシスコ・ザビエルが鹿児島に上陸して以降ヨーロッパ人は日本人と接触を保ち続けていたわけですが、その時代にはすでにダ・ヴィンチやデューラーの絵画に見るまでもなくルネサンス絵画の特徴としてシンボリズムの概念は普及していたので、当然当時のヨーロッパの最先端の知識をもつ立場にあるイエズス会創設者メンバーの一人であるザビエル以下日本に来た宣教師たちはそういう知識をもつエリートたちであったかと思われます。
となると単に1717年のいわゆる近代思索的フリーメイスンリー組織の出現を待つまでもなく、16世紀のカトリック宣教師たちはフリーメイスンリーと同じくシンボリズムについても相当造詣をもっていた事が考えられ、もしかするとすでに勃興していたプロテスタントと一体化していたフリーメイスンリーに対してテンプル騎士団などと同じく敵視していたことも考えられます。

(イエズス会のシンボルIHSについては通常はIhsouz Xristozイエス・キリストのギリシア表記の最初の3文字と捉えられるそうですがその他に、Iesus Hominum Salvator人類の救い主イエスであったり、Iesum Habemus Sociumイエスは我らとともにありという意味とも取れるようです。その他にもエジプトの古代神話の神々であるIsis, Horus, Setというのもあるそうです。またHのところに十字があることでRoyal Arch Masonryのトリプルタウの形に近似になることももちろん、Templum Hierosolymエルサレム神殿の意味になることもあるかと思われます。要するにイエズス会は非常にフリーメイスンリーのキリスト教との共通部分に近似しているのですね。)
まあちょっと想像が進み過ぎていますが、実際その時期の日本での伝道に関してはフロイスの日本史が残されており、今後検討していくこととしますが、現時点で単純にシンボリズムで注目すると面白い三人の武将がいるかと思います。
一人は明智光秀であり、もう一人は木下藤吉郎改め豊臣秀吉であり、最後の一人は以前も触れた石田三成です。



まずシンボリズムについては基本的には理解される所かと思われます。太陽と月の対称で明であり、知恵の智、光はそのままであるというまあ基本的にはキリスト教とフリーメイスンリーに共通するシンボリズムと思われ、その他多くの武将と比較してもシンボリズムでやはり目立っています。次の豊臣秀吉はやはり改名前の木下姓がいわゆる十字とタウ十字の組み合わせに繋がり恐らくイエズス会の修道士にとっては非常に注目されるものであったかと思われます。最後の石田三成は解説するまでもなく明らかにフリーメイスンリーを象徴するようなシンボリズムの名前であり、太陽十字の形になる漢字となる田は同時代の織田信長にも共通する漢字であり、どちらも最後を非業の死で終えるという共通項があったりします。次の大河ドラマの主人公である黒田如水もキリシタン大名といえ名字はいわゆるフリーメイスンリーのシンボリズムに則っており、外様大名として同様に丸十字の家紋をもつ島津家と同じく九州に置かれるのも法則があるのかもしれません。明治維新後に黒田家出身者に活躍が広がるのも歴史の必然かもしれません。石田三成と対峙した徳川家康も三河の国出身であり三つ葉葵の家紋で旧姓の松平元康だと平にタウ十字と十字のシンボリズムを認めますが、それでいくとやはり三代将軍の徳川家光が注目され、その時代に天草の乱でキリスト教禁止と鎖国が成立するのもまた歴史の妙なのだと思われます。明らかに意識し意識されたそういうものがあったのかと思われます。(2014/3/21追記:徳川家康の名前そのものもイエズス会のイエズスそのものと音が似ていることがあるようです。そうなると石田三成のフリーメイスンリー側と、徳川家康のイエズス会側という構図が関ヶ原の合戦には見えてくるようでもあります。)

当時はザビエルによりキリスト教とともに火縄銃や最新のヨーロッパの考え方が盛んに導入された時代であり、シンボリズムに関してもキリシタンが多く存在しスペイン語やポルトガル語の名前で洗礼名を付けた時代ですから、宣教師が光や三や十字について良いものであると選んだりすれば周囲の日本人は右に倣えで良いものであると考えたのではないでしょうか。その中でも恐らく宣教師が結果的に十分に布教して増えたキリシタン達のネットワークを通して様々な政治情勢を把握し、判断をくわえていた可能性は多々存在し、それが例えば明智光秀の謀反やその後の秀吉の中国大返しで機能した可能性は高いですし、また秀吉が三角形が三つ重なった家紋の後北条氏を石垣山城の建築で攻略し統一を果たした事や、それにカトリックと繋がりのあった伊達氏が遅れて到着するなどもカトリックとフリーメイスンリーのシンボリズムと実際の関係の微妙な絡みと見てとることができるのではないでしょうか。豊臣秀吉はその後宣教師の情報等を参考として大陸出兵を考えたとも想像できますし、その途上でキリシタン弾圧に乗り出して死に至るという経過も何となく主君であった織田信長の最後とも似ているところがあるのかもしれません。本能寺の変は安土城の建築をもって織田信長のキリスト教への改宗が困難と予想しての出来事であったのかもしれません。関ヶ原の戦いにおける徳川家康と石田三成の戦いも三つ星の家紋の毛利家が西軍の総大将であり、一方の徳川家康は三つ葵の家紋で東軍の総大将であり、すでにウィリアム・アダムスなど新教国のイギリスとの接触もある頃であり、海上の覇権を握りつつあった彼らがまさに極東の天下分け目の決戦前に後の勝者の側にたどり着くのは必然であったのかもしれません。



まあいずれにしてもかなり想像をたくましくしましたが、ヨーロッパで普遍的に存在したカトリックとプロテスタントの対立、またその中でカトリックの側の改革派として海外にも積極的に布教したイエズス会の存在、そしてそれらとまた異なる集団や概念として広がりつつあったフリーメイスンリー、それらが概念上は共通の言語となりうるシンボリズムの表現を通して、キリスト教が布教され始めていた日本において時には勝者の側の象徴となり、また一方では敵役の象徴として様々に現れては消えしていた事があるのではないかと思われます。明確なフリーメイスンリーのシンボリズムを呈した石田三成の西軍が敗退し東軍にイギリスからの人物が漂着し、その後の豊臣家攻略に繋がるのも何やら裏ではカトリックとフリーメイスンリーの壮大な駆け引きがあったのではないかと考えたりします。その後の1666年の驚異の年に向けた、その前の明暦の大火や長崎出島のオランダの通商など極東においてその後も永続的に活動が続けられたのは事実かと思われます。
またこの三人以外にも戦国時代に現代に繋がる皇室のお庭番ともいえる組織を作り上げた茶道の大家千利休においても堺の商人出身でもちろん宣教師との関係も濃く弟子にもキリシタン大名が多く、その名にも十字が認められるのは明確なシンボリズムと考えられます。茶道のスタイル自体もまさにコーヒーを茶に変えた如くフリーメイスンリーかキリスト教のミサのごとき黙想と談笑の会であり、情報交換と和睦の重要なツールであったかと思われます。

(三浦按針に関して横須賀のガリバーファンタジーを企画している横須賀未来塾という団体の関係者と思われる方が書いているらしいホームページがあり(幹事の元横須賀市職員の桐ケ谷良之さんと思われます。)、色々調べている事の一部が書かれていました。浦賀にはカトリックの神父が神の奇跡を三浦按針に見せようと水渡りの奇跡を見せた逸話もあるらしく、なかなかフリーメイスンリーの儀式のようで極東の地におけるカトリックとプロテスタントの交流という事で非常に興味深い話です。恐らく上記の戦国大名の話の一部裏付けともなるのではないでしょうか。イエズス会会員というのが英語ではJesuit、陰謀家とも言われるほどであり、それらの仕事を新教国のイギリスやオランダに引き継いでいったという事も考えられるのかと思われます。)
以前日付に関するエトセトラでもとりあげていて1933年については触れているのでその部分を再掲します。
1933年昭和8年3月3日に三陸沖地震が起きたそうです。3月24日ナチスの全権委任法が成立したそうです。3月27日日本が国際連盟の脱退の詔勅です。三井住友銀行の名誉顧問の森川敏雄氏が3月3日生まれだそうです。クイズダービーで有名な篠沢秀夫氏が6月6日生まれだそうです。黒柳徹子さんが8月9日生まれだそうです。宮沢賢治が9月21日に亡くなっています。海軍軍人の山本権兵衛が12月8日に亡くなっています。
でまあ1933年だけに着目してウィキペディアで確認することとします。
1月30日にヒトラーが首相になります。これはやはりすごい事なのでしょうね。基本的に西暦ですので当時は日本は元号が主体だと思いますので国際的な視野で出来事に着目してなのだと思います。1733年にアメリカで最初のグランドロッジがマサチューセッツ州に出来て、それを記念してHouse of the TempleもワシントンD.C.の1733番地にあるようなので1933年というのも恐らくスコティッシュライトにとっては色々記念すべき年であったのだと思います。
2月20日に小林多喜二が拷問されて虐殺。まあいわゆる共産主義運動とそれに対する右翼活動や特高警察の活動もリンクするのですね。ちょうど2.11のシンボリズムなのだと思われます。
2月24日国際連盟が日本軍の満洲撤退勧告案を42対1で可決。松岡代表退場。昭和天皇が戦後にプロテスタントのクリスチャンであった松岡洋右を非難したのは有名かと思われます。
2月27日ドイツ国会議事堂放火事件。いわゆるナチスの陰謀といわれる共産主義者が国会議事堂に火をつけたとして反共活動へとつながった事件ですね。
3月3日三陸沖地震。これは本当に2011年3月11日東北大震災と共に語り継ぐべき災害なのでしょうね。関東大震災についても観音埼灯台についての話であったり、また今後横浜ロッジの話について触れていくと戦前の日本におけるフリーメイスンリーのターニングポイントとして出てくるかと思いますが、要はまあ原爆やら核兵器やら考える時代よりはるか昔よりそういう古の超技術というようなことはあったという事がこういう数字のシンボリズムの要諦なのでしょうね。もちろんどんな技術かは全くわかりませんしそれが現代科学でもって既に完璧に把握されているのかは専門ではないので気象操作等と一緒でわかりませんが、ピラミッド建築に象徴されるような古代文明の頂点に位置する技術は今日の科学技術全盛の時代においても本質的には変わらないという事なのだと思われます。まあそれが一つのフリーメイスンリーの真実なのだと思われます。
3月4日フランクリン・ルーズベルト大統領就任です。何ともケネディ駐日大使就任ともダブるようなデジャブではないでしょうか。
3月24日ドイツ国会で全権委任法可決され、ナチス独裁が確立。
3月27日日本政府が国際連盟脱退の詔書を発布。昭和11年という時代でもこのブログでもとりあげましたが、まさに三国同盟と第二次世界大戦に世界が突き進んでいく時代のその方向を完全に決める土台を造り上げている時代であるかと思われます。
4月22日滝川事件なんてのもあります。
5月27日ウォルト・ディズニー・カンパニー製作のアニメーション映画『三匹の子ぶた』が公開される。
6月5日聖路加国際病院開院式。
7月20日ナチス・ドイツのフランツ・フォン・パーペン副首相とローマ教皇庁のパチェッリ枢機卿(後のローマ教皇ピウス12世)との間でコンコルダート締結。実はこの話に結び付いてこの記事としようと考えたのですね。このピウス12世の時代に現在の教皇フランシスコが公開したというペテロの遺骨が発掘されたという事です。ナチスのヒトラーも聖遺物、特にロンギヌスの槍と聖杯伝説に取りつかれていたという話が映画「インディ・ジョーンズ/最後の聖戦 / Last Crusade」でも有名となっていますが、こういう話が1933年という時代に進行している訳ですね。最近ヨークライト関連の記事が多かったこのブログですが、33階位のスコティッシュライト関連の記事という事なのだと思われます。
12月23日今上天皇陛下誕生です。
そういうわけで堪能できましたでしょうか。2020年東京五輪で7年後と考えると、幻の東京五輪が1940年昭和15年という事でちょうど7年後なのですね。
歴史は繰り返すとはいいますが、まあ一方で仏の顔も三度までとも言って色々と格言はあるわけですが、まあ3の聖数と33のさらにスコティッシュライトを象徴する3×11の数字という象徴があり、結局フリーメイスンリーとは歴史を学び失敗を繰り返さないで学習していくという事に尽きるのかと考える次第でしょうか。
ちなみに中国の州や自治区というのも総計して33州という事になっているそうです。まあマカオとか香港とか新疆ウイグル地区とかチベット自治区なんかを一緒に考えてという事だそうです。もちろん共産主義、社会主義を標榜していますのでもともとはそういうスコティッシュライトのイルミナティの原理があるという事は確かなのだと思われます。
赤の象徴ですね。友愛の精神というのは常に試されるものなのですね。

どうもそれを読むとまあ旧約聖書を通して読んでいると分かるのですが、ヤキンとボアズと言うのはどちらも人の名前で作った人か奉納した人の名前であるらしいというのが聖書学では通説であるようです。ソロモン宮殿を建設した時代に流行った名前であるようにその時代の人の名前で多いのですね。


でまあこれほど基本的なシンボルでありながらこれほど謎めいていて、どうもダジャレらしい語源と言うことで、それを省略してJとBと(どちらが左でどちらが右か分かりますか?)表記するのがいわゆるフリーメイスンリーのチャート、イラストに描かれるわけですが、そうなるとどうもこれはそういういわゆるアルファベットの象徴性というところにも繋がるという事で、JachinとBoaz以外の単語にもあてはめられるのではないかというところが出てくるかと思います。
まあこうなるとかなりいい加減で自由すぎる世界になって来るわけですが、やはりJといえばYの象徴性のところで取り上げたYHWHの頭文字という事になり、Yで隠されたJのシンボリズムが出てくるというところでやはり唯一神でありながら遍在し対称性の一つとしてのJHWHの頭文字という事になるのではないでしょうか。いわゆる善と悪、アフラ・マズダーのゾロアスター教で最初に唱えられたという世界の二元論でしょうか。天使と悪魔なんてブラザーダン・ブラウンの小説、映画があったと思います。わたしは個人的にはこの映画はブラザーダン・ブラウンの他のものより面白かった印象がありましたが、まあブラザーダン・ブラウンも極めて欧米人として信仰心が強く、そうなるとやはりどの国出身と言ってもカトリック的になるのだと思われます。まあちょっと脱線しましたが、そういうわけで唯一神ヤハウェの対称としての神となるとやはりイスラエル王国前のカナンで信仰されていたというバアル神Ba‘aluとなるのだと思われます。要は新旧の神々の対称性であり、日本では出雲の大国主と伊勢の天照大神の国譲りの話になるのだと思われますが、まああまり日猶同祖論的になっても新規性が無いので例えとして置きますが、そういう対称性も隠されているのかもしれませんね。
バアル神はカルタゴで信仰されていたバアル・ハモンとも近いそうで、それは結局ローマ帝国との戦いにおいて後にジュピターやエジプトのセト、イシス、オシリスがヤハウェやキリストの三位一体やマリア信仰に置き換えられて行くのと同じであるようです。またMの頭文字をもつ生贄を捧げる神としてのモレクというのもあり、これも旧約聖書に異教の神として認められるものですが、やはりキリストの磔や羊の生贄の象徴としての従来からある信仰と混じって行ったのかと思われます。日本でも大国主と大黒天や神仏習合の神々や弥勒菩薩のミトラ神の話などそういう神々の変遷はいくらもある話だと思われます。
さてまあそうなると対称性をキーワードにしてJとBで連想するものをあてはめるという事になるわけですが、まあ当然のことながらJewsとBritishやJapanとBritainとなるのでしょうか。まあダジャレですね。JBといえばもちろんジェームズ・ブラウンにもなるのかと思います。彼がフリーメイスンかは知りませんがミドルネームはジョセフで12月25日に亡くなっているそうです。医師がマイケル・ジャクソンと同じブラザーコンラッド・マーレーであったそうです。マイケル・ジャクソンもミドルネームがジョセフでしたね。BJでブラックジャックなんて手塚治虫の漫画もありました。JBの間にAll Seeing Eyeを入れてJOBかもしれません。そういうポスターがブラザーミュシャのものでありましたね。まあもちろん並びは逆です。(2013/12/27追記:JOBはそのままで旧約聖書のヨブ記のヨブの名前にもなるようです。もちろん旧約聖書のヨブ記というだけで、フリーメイスンリーのシンボリズムとして聞いたことはありませんが、キリスト教、ユダヤ教的にはシンボルというか聖書の主要な登場人物の名前であるかと思われます。)

JTBなんて旅行会社もありますがまあちょっと遠いでしょうね。タウ十字とヤキンとボアズの柱なんてのはマニアックすぎます。もちろん海外のフリーメイスンからはそう思われていてもです。JesusとBuddhaなんてのも無理やりあてはめられないこともないでしょうか。まあ煽ってもしょうがありません。Jesuitと対称なんて考えたんですがちょっと良いのが思いつきません。Bankerとかでしょうか、もしくはBenedictusとかでしょうか。
(ヤキンとボアズで対称性と共に∧と∨の組み合わせと同じように陰陽の合一、男女の組合せの意味もあるようです。そうなるとJBのSexMachineと繋がるのですね。)
(2014/9/4追記:上の写真でも分かる通り並びとしてはBJの並びがソロモン宮殿の外側から見て正しいようです。それでBJというと日本では手塚治虫のブラックジャックとなるのでしょうか。まあそういう白黒のつぎはぎやらもそういう話であります。手塚治虫の漫画家としての復活のきっかけであり、その後の火の鳥の物語へ続き、最終的な昭和天皇の死の後を追うが如くの日本の外科医の象徴のような胃癌での死となるようです。日本語以外でのBJの略というと、カードゲームのブラックジャックでしょうか。フランス語のボンジュールも近いようですが、略は無いようです。日本のジーンズメーカーのビッグジョンの略にもなるようです。隠語の略にもなるようですが、こうなるとJBのSexMachineと反対になるのでしょうか。まあそういうのもありそうです。)





以前にも触れたMのシンボリズムについては良いかと思います。そういうシンボリズムありきでキャラクターが選定されていったという経緯はあるのかもしれません。上の図は検索で出てきたミッキーマウスを羅列してあるだけで特に意味はありません。英語で検索すると若干肌色が白色人種に近い感じになるのはもちろん、そもそものミッキーマウスは真っ白であって恐らくブラザーディズニーの時代のフリーメイスンリーの人種差別的な傾向を示したものであるのは当然であるかと思われます。その白と柄の黒の対比はパンダを意識したわけではなく、ブラザーチャイコフスキーの白鳥の湖のピエロの白黒の衣装のようなモザイク舗床の柄と同じものかと思われます。もちろんキャラクター的に肌色になるとそういう対比は消えてしまうわけです。
一番の秘密というかなんというかはミッキーという名前にあるのだと思われます。ミッキーはもちろん現在ではミッキーといえばミッキーマウスなわけですが、もちろんミッキー自体でマイケルの愛称という事は常識なわけで、マイケルといえば、マイケル・ジャクソンなんだと思いますが、もちろんマイケルで旧約聖書に現れる大天使ミカエルということもこれまた常識なわけです。
大天使ミカエルについてはその該当部分の旧約聖書を抜粋しても良いのですが、もうそういう無粋なことはせずにウィキペディアのリンクだけ貼ることとします。

まあという事で唯一神ヤハウェの使いである「神に似ているが神にはなれないもの」がミッキーマウスという事で、それはすなわち人間が造型する幻の存在であるアニメのキャラクターであり、ブラザーディズニーが作り上げた幻影の主人公という事を意味するのだと思われます。
ブラザーウォルト・ディズニーは生没年月日が1901年12月5日 - 1966年12月15日で没年が12月14日の一日後でユダヤ教関連のシンボリズムかもしれません。アイルランド系アメリカ人で、姓のディズニーはフランスの地名に由来するそうです。ミッキーマウスのもととなるアニメはしあわせウサギのオズワルドというそうで、ケネディ暗殺事件のオズワルドに繋がるのかもしれません。(2016/4/17追記:オズワルド自体はイングランドで昔からある名前で、良い支配者、良い権力を意味するそうで、7世紀にイングランド北東部を支配して、キリスト教を導入した王の名前であるそうです。York riteのエドウィン王伝説に続く、ブリテン島でのキリスト教受容の歴史を象徴する名前であるようです。日本でいうと、信長、秀吉、家康でしょうか。まあ約1000年後ですが。実際の受容という意味ではさらにその500年後の現在のようです。)





ちなみにデモレーの解説は良いかと思いますが、一応ウィキペディアのリンクを貼っておきます。もちろんこのブログをここまで読んで来られている方はデモレーがテンプル騎士団の最後の団長の名前であるというところは良いかと思います。ちなみに日本のデモレーは近年非常に活動が縮小していてわずか数人の所属員であったそうですが、直近の話はちょっと分かりません。東京タワーの下の日本グランドロッジで毎年行っている子供祭りの際などに活動について説明や解説があるかと思いますので興味のある方はそういう機会にお立ち寄りください。
と、本題というか忘れていましたが、大天使ミカエルからマイケルでミッキーとなって、上述のマイケル・ジャクソンやミック・ジャガーやマイク・タイソン、日本人ではミッキー・カーチスやマイク真木といったカタカナを入れた名前や、御木本真珠の御木本幸吉や楽天の三木谷浩史、ワタミの渡邉美樹と繋がるようです。ちょっと変わったところでは電脳アイドルの初音ミクなんてのもそういう範疇だと思われます。
もちろんナショナル・トレジャーを始めとして、ディズニー映画にフリーメイスンリー関連のものが最も多いのは有名かと思われます。ブラザーディズニー自身は生前はフリーメイスンとはならなかったようですが、十分フリーメイスンと認められる遺産を残したものと考えられます。
ジーンズの元となる生地のデニムの名前自体がジェノバの生地という意味だそうで、まあカトリックの総本山のイタリアの港町という事で、キリスト教、ユダヤ教的な意味が付け加えられているものかと思います。
最初のジーンズといえばリーバイスということになるわけですが、もちろんこれは英語表記のLEVI'Sを見れば、ユダヤ教の司祭であるラビのつづりを示しており、創業者の名前のリーヴァイ・ストラウスのストラウスもブラザーヨハン・ストラウス二世でも分かる通り、ユダヤ系の名前で、また考案したヤコブ・デービスも明らかにユダヤ系の名前であり、デービスという名前もダヴィデの息子という意味だそうで、いわゆるソロモンと同じ名前の意味になるようです。

まあブルージーンズやらシンボリズムに則っているわけですが、この二人のジーンズの発明者と創業者がフリーメイスンであるという事は知りません。ほぼユダヤ系という事でフリーメイスンに準じてみなされるのが欧米の通例のようです。



でまあアメリカを代表する大衆文化の象徴がユダヤ教の司祭の名前であったという事は良しとして、その他にもジーンズのメーカーは多数あり、日本のメーカーで一つ有名な面白いものがありました。

日本メーカーであることも知らない人には驚きだと思うのですが、なんとつい一月前に証券投資の失敗などで経営破綻に陥ったという事でした。
ウィキペディアの企業名の解説では、「EDWIN」というブランド名は、デニム(DENIM)の「D」と「E」を逆転し、「NIM」を180度反転し「WIN」として命名した。「江戸」が「勝つ」(WIN)という説は俗説であり、公式な情報は確認されていない。と書かれています。
Edwinで検索すると、辞書のところで男性名と、ノーサンブリアの王で、キリスト教に改宗した(585年−633年)と出てきます。それでKing Edwinで検索するとウィキペディアのページに当たります。どうも概略を読むとヘプターキーの時代、いわゆるアングロサクソンの七王国の時代のキリスト教がイングランドに浸透していった時代のキリスト教に改宗した代表的な王であるようです。それでまあこの辺りは完全に逆行しているわけですが、ヨークを支配した王様という事で、ヨーク伝説というヨークライトの元になったイギリスのフリーメイスンリーの話にたどり着くわけです。
ヨーク伝説というのは私も有澤玲さんのフリーメイソン大百科で初めて知ったのですが、Old Chargesという古き訓諭と訳される、アンダーソン憲章の前に存在した、ゴシック憲章とも呼ばれる実務的メイスンリーの時代のいわゆる石工職人の守るべき義務や習わしを示したもので、その中にアンダーソン憲章などと同様に石工術の成り立ちの歴史が描かれていてその中でヨークにおいてアセルスタン王の時代にその息子のエドウィンが働きかけてフリーメイスンリーの様々な規則や仕組みを整えて古き訓諭が作られたという話だそうなのです。ところがそのエドウィンというのはどうもいなかったそうで、そのモデルとなった人物が上述のノーサンブリア王でキリスト教を受容したエドウィン王であるそうです。イエス・キリストの物語にも一部重ね合わせられたストーリーなのですね。
というわけで、エドウィンというのはそういう深いフリーメイスンリーの本質にも関わる部分を含んだ名称であったわけですが、どうもそれを日本の創業者の方は認識しておられたのかおられないのか、恐らくおられなかったのだと思いますが、そういうわけで先月経営破綻してしまったという事のようです。
こういう記事にするとそのブランド名称の付加価値が上がることもあるかと思われますが、まあこういった内容自体は様々な歴史を踏まえて、このブログでは未だにアンダーソン憲章の翻訳も進んでいませんが、それ以前のゴシック憲章やレギウス写本の内容なども踏まえて、理解して認識した上でのブランド名称の価値という事になるのかと思われ、それはすなわちイングランドの歴史やヨーロッパ、地中海世界の歴史そのものでもあり、そういったものを理解される方はまた一方で日本におけるそういうたまたまそうなってしまったようなブランドの価値というものを認識されるかと思いますので、まあいずれにしろ全ては読者の方次第という事になるのがフリーメイスンリーということになるのだと思われます。
本日は福音記者ヨハネの記念日という事でした。新約聖書の肝がヨハネの福音書であるとすれば、旧約聖書の肝はやはりモーゼ五書という事になるのだと思われます。このブログで言えることは是非一度通読してそれらの知恵、ユーラシア大陸の西側の世界の知恵、人類発祥の地から引き続く世界の中心と呼べる地域の知恵をモーゼやヨハネの物語を通して味わってみてくださいという事だけだと思われます。
そういうわけでシンボリズムで私自身の名前を作ってみました。スコティッシュライトはまあ私自身のフリーメイスンとしての階級を示すという事で、ブルーロッジとの間に色々複雑な関係がありこのブログを作っているわけですが、一応開始から約2年経つというところで自己紹介ということになるのかもしれません。

まあフリーメイスンリーで実名名乗ってフリーメイスンですという事自体が矛盾しているわけですが、そういう色々な経緯があるのでしようが無いのだと思われます。OOの部分も普通はOHと表記するのが普通なわけですが、論文発表の際などにどうもOOの方が発音が近いということを聞いていて、そう表記するようにしたのがAll Seeing Eyeの表現になっていたようでした。
まあそういうわけというかなんというか色々シンボリズムの話も歴史がありまして、33や3という数字にしても、青や白黒の象徴にしても、シンボリズムというものを使う事自体に色々と制約が生じるわけで、知るという事は同時に自らの無知を知るという事と同じ意味でもあり、体験ということがフリーメイスンリーの肝心要なわけであります。現在横須賀を去る準備をしている最中で、その一環として横須賀・三浦、その他日本の関連のブログの内容をブログから削除していますが、まあ色々ありますが体験が肝要という事で2013年を締めたいと思います。
私も湯河原に越してきて様々なネタを拾い集めて色々考えている最中でありますが、横須賀や横浜の方も気になったり、継続する内容やそれこそ読書や様々なネタ探しなど、在日米軍基地がある横須賀の状況とは180°変わったような、極めて日本的な環境でフリーメイスンリーについて思いを巡らしているような状況だと思います。
さてそれで今回の記事としては訳して日本の秘密、Secret of Japanというわけで、いったいなんだという事になるわけですが、まあ日本の秘密というとすぐに皇室の秘密とか、日本の国家体制に関わる秘密みたいなものや、太平洋戦争や昭和史や明治維新に関係する秘密みたいなものを連想するかと思われます。直近では安倍政権の成立の秘密や、TPP交渉に関する秘密や、消費税増税に関する国家予算の秘密なんてものがあるかもしれませんが、それらに関して確たる秘密の暴露がこのブログでなされるというのは、フリーメイスンリーというテーマから言ってもありえないわけですが、まあ十分こなれた読者の方はもちろん相変わらずのフリーメイスンリーのこだわる文字やシンボルの意味という事なのだなという所が予想される所なのだと思います。わざわざ英語で表題を書いたというのも、わざわざ英文を翻訳して記事としたりしているこのブログからすると不自然なわけで、要するに日本の秘密ではなく、JAPANという、日本の英語表記に関する秘密、フリーメイスンリー的解釈というところで考えてもらうとよいかと思います。
JAPANの表記も最近では十分に浸透してきてかつてはNIPPONなんて表記にこだわった昭和の時代もあったわけですが、NIPPONという表記も数少ない企業の名前や国営放送に当たるNHKの表記にその名前を残す程度であり、昭和の名前も今では天ぷら粉の代名詞みたいになった時代であるわけですが、それくらい日本国よりも我々はJAPANであり、JAPANESEであるという自覚が植え付けられ、また自然と育った国際化の時代であるかと思います。それではJAPANという名称の成り立ちについて日本人が正確に知っているかというと、もちろん英単語の成り立ちになるわけで実際はそうではないという所が今回の記事のポイントになるかと思います。
それでかなり久々のブログで堅苦しい文章となっていますが、相変わらずのウィキペディアを参照とするわけです。
日本語の日本についてのウィキペディアによると日本という名前は中国に対しての東方である日の出ずる国としての日の出の本としての日本であり、それに対するヤマトという名前は倭という国名などと共に当て字であり、それに関しては英語版のウィキペディアのNames of Japanではヤマトは山戸、山の門から来ているなんて表現もあったりして、ここでもやはり英語版と日本語版の内容の違いを感じる所でもあったりします。
いずれにしてもまあ中世頃には日本という国名が成立していて、やはり日本人はニホンとかニッポンとかヤマトとか読んでいたわけですが、JAPANの成立に関してはほぼ英語版と日本語版のウィキペディアが一致していて、最初はマルコ・ポーロの東方見聞録での表記であり、日本の漢字を中国の呉の当時の地域の発音で読んだCipanguジパングだそうで、それを英語表記するとXipangu/Zipang/Zipanguとなるわけで、そのままではJAPANとはかけ離れていることが分かるかと思います。JAPANの表現に近づくのはその後のポルトガルとスペインの世界分割条約の後のポルトガル領でのマラッカ海峡や、マレー半島での日本の呼称であったJepang,Jepunがその直接のルーツではないかと英語版ウィキペディアでは表現しています。ただし当時の1577年の英語表記の日本の呼称はGiapanであったそうです。
まあこの辺りからどうも頭文字がXやZといったものではなく突然Gが現れたり、日本人が発音しているものとはかけ離れた中国人の呼び方をもちだして神秘の国を演出しているところが色々と歴史の積み重ねによる意図を感じる所でもあるわけですが、当然このブログの趣旨もそうした歴史の意図とも言う所に則った解釈を伝えているところに意義があるわけです。それで、日本語のウィキペディアの欧州発行の古地図上での表記というなんとも悩ましい項目があってそれを引用するわけですが、全て引用元がついていて以下の通りです。
「IAPAM」1560年頃


「IAPAM」1568年頃「JAPAN」発行年不明

「IAPONIAE」1595年




「Iapan」1632年



「Iapan」1657年



「JAPAM」1628年「YAPAN」1628年「IAPON」17世紀




「IAPON」1720-30年


「HET KONINKRYK JAPAN」1730年頃


まあざっと見るといわゆるIやYやJのシンボリズムがあり、どうも年代から言って上述の1494年トルデシリャス条約の頃の後から、つまり世界地図の大まかなところが出来上がった頃から後は、わが日本にはいわゆる一神教の神の名前の一文字であるシンボルが付けられるように欧州では決められて、その中には全く空気を読まないNIPHONなんて表記もあるわけですが、コロンブスがアメリカ大陸を発見するのがトルデシリャス条約のほぼ同時期であり、その後その地にブラザー達が世界最大のフリーメイスンリーと民主主義の国を建設するわけですが、それと太平洋を挟んで対岸の、ユーラシア大陸の極東の国日本を神聖なものとする考えは、東を新しいもの、神聖なものとするキリスト教、ユダヤ教、フリーメイスンリーの考え方、要するに太陽信仰、太陽を元とする自然原理に則った自然なものであったのかと思われます。
いずれにしても今日の英語表記で国際的にはJAPANが明治維新以降は標準的なものとなり、英語が標準的でない国においてもJAPANを基準として日本の名前が作られたことは確かなのだと思われます。それでまあJAPANのJAがこのブログのかなり真骨頂であり、フリーメイスンリー、ユダヤ教、キリスト教での一つの命題とも思われる神の名Yahwehのヘブライ語יהוהの頭文字Yodhיのラテン文字に対応する Y,I,Jの共通字のJA、すなわち一神教の神の名である事は良いとして、その後のPANは何を意味するのでしょうか。
英語でpanとは名詞だとフライパンのパンで平たい皿や鍋になってしまいますが、神の皿や鍋では意味が通じないので、ここは接頭語で神の語と組合せが良い汎、全という、panpacific太平洋全体やpan-Americanアメリカ大陸全体といった意味のPANであると解釈しましょう。そうするとなんと日本の英語名JAPANが唯一神は遍在するという意味になって来るとは思えませんでしょうか。
神は遍在するとはいわゆる汎神論と呼ばれる古代よりありながら、中世キリスト教以降の特にスピノザに代表されるような思想で、近代の哲学の基本となるような、無神論、唯物論に近い考え方でありながら、一神教を標榜するユダヤ教では実は古代からあり続ける考え方でもあるようです。そもそも汎神論で有名なスピノザもオランダのユダヤ人であるそうで、ちょっと哲学的な詳細は私も避けますが、日本の八百万の神といった多神教もキリスト教、イスラム教、ユダヤ教の一神教であっても普段神は目に見えないがその存在は常に身近にあるものであるという考え方は共通なのだという事かと思われます。
そもそもYHWHの語源が彼は在りて在るものであるという意味から来ているようですし、以前も挙げた神の別名としてHaMakomというのも場所、すなわち空間という意味であるそうで、神はソロモン神殿や教会、神社のような空間に遍在するという、言ってみれば霊感とはそういう空間、環境で得られる神秘体験であるという無神論、唯物論とも一致する考え方が一神教に内在するという事になるのだと思われます。
恐らく一神教の社会と考え方に学び、それゆえに持ちえた最新の技術と知恵をもって最も神秘的で最も尊ばれる極東に存在する日本に来た際に、汎神論の考えと一神教の考えを持ち合わせたフリーメイスンかユダヤ人が八百万の神の国であった日本の状況を鑑みて、開国した日本に国際的な命名をする際に神は遍在するという意味を含んだ名前を付けたのではないでしょうか。
そして余談ですが、今年のイースター、復活祭は4月20日であったわけですが、これは日本人にはまだ縁遠いキリスト教徒、ユダヤ教徒の重要な祭日で、キリスト教徒にとっては復活祭、ユダヤ教徒にとっては過越祭の日になる、春分の日の後の最初の満月の次の日曜日に祝われるお祭りですが、この名前のイースターは英語ではEasterと書き、語源は明確には不明ながらも恐らくとしてゲルマン民族の春の女神、春の月の名前に由来するようで、5月1日のイルミナティの結成日でもある、ローマ帝国の春の祭日、五月祭の日と同じように、春の到来を祝うお祭りの意味もあったようです。確かにEasterはそもそもより東にという意味であり、太陽が春分の日を境としてより南側、東よりさらに先へ行くという意味になり、それはそのまま太陽の運行を示す言葉になるのかと思われます。そういう一神教のお祭りにしても上述したようなより東に、太陽がより照らしてくれる方向へ、より一層光を求めていくという、生き物の走光性のような、キリスト教、ユダヤ教、フリーメイスンリーに共通の考え方が象徴されており、それらはそのままユーラシア大陸の極東に存在する日本列島のフリーメイスンリーの最初のロッジとされる横浜ロッジの名前としてFar East LodgeやEastern Star Lodgeとして名を残すことになるのだとつくづくながら考えさせられました。

あいにくの曇り空の昭和の日ですが、恐らく日本の偉人として10人の内には入るであろう昭和天皇の業績を考えるにつけ、それが太平洋戦争の惨禍とその後の日本の経済成長と国際地位の獲得があるかと思いますが、その生誕日がこのローマ帝国の春の祭日とユダヤ教、キリスト教の聖なる祭日である、過越祭、復活祭の期間の間にある事の意味を改めて考える日とすると日本という国の今後や将来について明るい兆しが感じられるかもしれません。
主はノアに言われた。「さあ、あなたとあなたの家族は皆、箱舟に入りなさい。この世代の中であなただけはわたしに従う人だと、わたしは認めている。
あなたは清い動物をすべて七つがいずつ取り、また、清くない動物をすべて一つがいずつ取りなさい。
空の鳥も七つがい取りなさい。全地の面に子孫が生き続けるように。
七日の後、わたしは四十日四十夜地上に雨を降らせ、わたしが造ったすべての生き物を地の面からぬぐい去ることにした。」
ノアは、すべて主が命じられたとおりにした。
ノアが六百歳のとき、洪水が地上に起こり、水が地の上にみなぎった。
ノアは妻子や嫁たちと共に洪水を免れようと箱舟に入った。
清い動物も清くない動物も、鳥も地を這うものもすべて、
二つずつ箱舟のノアのもとに来た。それは神がノアに命じられたとおりに、雄と雌であった。
七日が過ぎて、洪水が地上に起こった。
ノアの生涯の第六百年、第二の月の十七日、この日、大いなる深淵の源がことごとく裂け、天の窓が開かれた。
雨が四十日四十夜地上に降り続いたが、
まさにこの日、ノアも、息子のセム、ハム、ヤフェト、ノアの妻、この三人の息子の嫁たちも、箱舟に入った。
彼らと共にそれぞれの獣、それぞれの家畜、それぞれの地を這うもの、それぞれの鳥、小鳥や翼のあるものすべて、
命の霊をもつ肉なるものは、二つずつノアのもとに来て箱舟に入った。
神が命じられたとおりに、すべて肉なるものの雄と雌とが来た。主は、ノアの後ろで戸を閉ざされた。
洪水は四十日間地上を覆った。水は次第に増して箱舟を押し上げ、箱舟は大地を離れて浮かんだ。
水は勢力を増し、地の上に大いにみなぎり、箱舟は水の面を漂った。
水はますます勢いを加えて地上にみなぎり、およそ天の下にある高い山はすべて覆われた。
水は勢いを増して更にその上十五アンマに達し、山々を覆った。
地上で動いていた肉なるものはすべて、鳥も家畜も獣も地に群がり這うものも人も、ことごとく息絶えた。
乾いた地のすべてのもののうち、その鼻に命の息と霊のあるものはことごとく死んだ。
地の面にいた生き物はすべて、人をはじめ、家畜、這うもの、空の鳥に至るまでぬぐい去られた。彼らは大地からぬぐい去られ、ノアと、彼と共に箱舟にいたものだけが残った。
水は百五十日の間、地上で勢いを失わなかった。
さていきなりの旧約聖書の引用という内容なんですが、もちろんフリーメイスンリーのシンボルとしては雨ではなく救済の箱舟であり、雨と洪水はその前提となる神の懲罰としてあるわけです。猛暑と大降雨の繰り返す日本なわけですが、皆さんいかがお過ごしでしょうか。
雨で外出もできないときは心を落ち着かせるクラシックがお勧めと思いますがいかがでしょう。このブログでも様々な音楽家のフリーメイスンやそれにまつわる逸話、また指揮者ではブラザーサー・ゲオルグ・ショルティについて記事にしてきたわけですが、やはり日本人に圧倒的な支持があるのはヘルベルト・フォン・カラヤンという事で、彼についてフリーメイスンリーとの関連を見ていくこととします。まあそういうときにはお決まりのパターンがウィキペディアかお墓という事で、お墓を見ていくと発見があります。

カラヤンはブラザーモーツァルトと同じくザルツブルグの貴族の出身という事で、モーツァルテウム音楽院出身で、初演はフィガロの結婚という、まあまさにザルツブルグ出身のブラザーモーツァルトに次ぐ大音楽家という事になるわけですが、第二次世界大戦中のナチス党員であったという事から、まあなかなかフリーメイスンとは成り難い、この辺りが自ら退位したヒトラーユーゲント出身の前教皇のベネディクト16世とも通じるところがあるわけですが、このお墓を見る限り明らかにロレーヌ十字であり、斜めにされたスコティッシュライトの33階級の象徴とほぼ同じ十字であるわけで、まあつまりは死後に33階級に顕彰されているという事なのだと思われます。
ロレーヌ十字については第二次世界大戦中の自由フランスを率いて、戦後の第5共和政フランス共和国の初代大統領となった、イエズス会学院の校長の子供であるシャルル・ド・ゴールの亡くなった地にある記念碑も自由フランスの象徴でもあったロレーヌ十字であるそうです。シャルル・ド・ゴールについては以前も触れましたが生誕日と没日が明確なシンボリズムを表していて、まさにイエズス会とスコティッシュライト、フリーメイスンリーを象徴する存在という所であるようです。

ロレーヌ十字のウィキペディアの項目には自由フランスのロレーヌ十字のシンボルがナチスドイツのハーケンクロイツへの回答であったとも書かれており、第二次世界大戦が独仏のフリーメイスンリーのシンボリズムの対決でもあったとも考えられるのではないでしょうか。
ハーケンクロイツについては、日本では卍で仏教のシンボルでもあり、アルトゥル・ショーペンハウアーによって西洋的に解析された仏教やインド哲学の帰結としてシンボリズムの十字の一つとして象徴とされたかと思われますが、その後のニーチェや、実存主義への流れ、また現在の情報化社会やグローバリズムへの中で、ポストモダンと言うのでしょうか、まあいずれにしてもこのブログの命題ともいえる現代のフリーメイスンリーの紹介という部分でさらに追及していければと思います。
まあ横須賀から離れて英語の環境からは遠くなったんですが、そうなると逆に英語を使いたい気になるではないですが、まあ外国語の方がノスタルジーがあるではないですが、そんな気分だと思われます。
サンパウロといえば、聖パウロであり、ブラジルの主要都市であり、日本との関係では日系人が多い都市として有名です。そこにソロモン宮殿ができたという話ですが、まあ以前の横浜にソロモン宮殿ができるらしいの結婚式場の比ではないようです。
ヤフーの国際ニュースにサンパウロにメガ教会「ソロモンの宮殿」誕生という記事がありました。
YouTubeではいくつか落成式のセレモニーの動画がありました。
まさにほぼ1か月前に落成したようです。
フリーメイスンリーの直接の関連組織のものではないようですが、プロテスタント系の福音派教会のものであるようです。
こんなことがブラジルがワールドカップで自国開催で優勝しなかったことと関係しているのかもしれませんね。2016年のオリンピックはリオデジャネイロで行われるそうです。
日本では国立競技場の建築などもこれからの予定かと思われますが、どのようになるのでしょうかね。
まあ特にソロモン宮殿の復元建築についてはアメリカフリーメイスンリーのスコティッシュライトが、スコティッシュライトテンプルで盛んなわけですが、最も巨大なフリーメイスンリーテンプルの建築は実はあの自動車産業、フォード、GM,クライスラーのビッグ3と廃墟で有名なミシガン州デトロイトで行われました。


Detroit Masonic Templeといい最も巨大なフリーメイスンリーのテンプルとして紹介されています。内部の写真が公式サイトにあります。もちろん一般にも開放されていて見学ツアーもあるようで、UGLEのメイソニックホールと同じく正式な手続きで申し込めば一般人でも借りることができるのかと思いますが、通常はいくつかのロッジがそれぞれのロッジルームを使用しているという形であるようです。ヨークライトもスコティッシュライトもその他の関連団体も皆使用しているそうです。この建物はあまりに巨大すぎるため、建築途中で止まったままのプールもあるようです。

内部の写真のリンクです。
こんな建築があの誰もが知っているハリウッド映画、ロボコップの背景にもあるのでしょうね。
ブラザーヘンリー・フォードがT型フォードを作ったその街に世界最大のフリーメイスンリーのテンプルが建築され、それとともに街の繁栄がありましたが、時代が流れて後にはアメリカで最悪の街という不名誉と、最大のフリーメイスンリーの建築という栄誉が並立するという状況になるという、街の栄光と挫折の中でいずれにしてもいかにもフリーメイスンリーらしい象徴的な存在であるかと思われます。
スコティッシュライトではかつてのグランドコマンダーが巨大な建築を指向した時代があったそうで、現代はそれほど大きな建築をすすめることはないようです。ワシントンD.C.にあるHouse of the Templeにはかつてのグランドコマンダーであったブラザーアルバート・パイクとブラザージョン・ヘンリー・コウルズのお墓がありますが、ブラザージョン・ヘンリー・コウルズはその職責にある際にHouse of the Templeで起居していて、亡くなるまでそこに居たそうです。まあロスト・シンボルではないですが、templeはそれぞれの頭蓋の側頭部を示すtempleの意味もあるという事で、キリスト教の教会などと同じく、思索的メインスンリーspeculative masonryが建築すべきなのは現実の石造りの建築ではなく、思考の上での形而上的な建築であり知の営みであるということであり、またそれらが実際の建築にどのように反映されるかという所で、今後の日本でのフリーメイスンリーの活動と、建築の実際という所で関係してくるのではないかと思われます。
(追記:この記事を書こうとしたのは、この完成したソロモン宮殿の炎上をコンピューターグラフィックで合成して映画化して上映するという記事をフェイスブックで目にしたからでした。実際のソロモン第1宮殿は印象的な神による落雷の表記があったと思いますし、第2宮殿は有名なヘロデ大王により拡張されたもので、いわゆるユダヤ戦争で焼け落ち、略奪にあい、現在の嘆きの壁として残されています。こうした巨大建築もバベルの塔のように繁栄と離散、没落という諸行無常の象徴なのかもしれません。)
(追記:ブラザーヘンリー・フォードのお墓の写真を載せます。

ブラザーヘンリー・フォードは反ユダヤ主義者で、ナチスドイツにも評価を受けていたそうです。フリーメイスンリーも時代の影響というものが強くあるものなのですね。)
恐らくファウスト位は読んでから書かないといけないのではないかと思いますが、なかなか積読がたまり過ぎている状況ですので、ちょっと間を置いて暫時書いていくという事にします。アメリカの州章、ブラザーデッカーの回想録などもおいおい続けていきます。アンダーソン憲章もモラルアンドドグマもなんとかできるかと思っています。
それでいきなり河童ですが、三笠公園のところで書いた芥川龍之介の絶筆です。
歯車と河童ですが、歯車の方はロータリークラブのシンボルという事でしたが、河童については全く触れていませんでした。
それで谷崎潤一郎ゆかりの湯河原に来て、芥川龍之介を理解したという所で、十分日本の文学者に成れたのではないかと自負する所ですが、河童について内容は全て忘れてしまったのですが、シンボリズムで解説します。
まあ要するに芥川龍之介も隠れキリシタンの家系であったという所で、河童はいわゆる宣教師を指す言葉ですね。
キリスト教の伝道師が頭を禿にして伝道を行っていたという所から、各地の河童伝説になったということで、河童がキリスト教、キリスト教信者の象徴となるのかと思います。そして最初の一文のどうか Kappa と発音してください。はいわゆるギリシア語のκカッパーを意味し、アルファベットではKケー、エジプト神聖文字、原シナイ文字では手掌となる文字が祖であり、いわゆるシンボリズムでは神の手の表現となる意味になるのだと思います。すなわち自らを隠れキリシタンの末裔と自任し、自らの働きを神の伝道の手となっていたと表現し、その上で東洋文化との葛藤の中で自ら死を選んだという芥川龍之介の絶筆という事になるのだと思われます。
まあなかなか大正デモクラシーの時代の、その後の関東大震災や大正天皇の非業の死、そして昭和の戦乱の時代を予期させる、立正安国論とも関係する大正時代を象徴する文学の金字塔的作品であるかと思われます。
全文のリンクを置いておきます。


本日11月9日でした。湯河原に来てからの久々のシンボリズムですね。
ちなみにこの辺りは真鶴にカトリック教会があるのでした。
11月9日も色々あるようですが、なんと最近見かけない世耕さんの誕生日でもあるそうです。NTTも大分調子が悪いようですが、バチカンで働いているNTTさんも頑張っているでしょうか。そんな11月9日でした。


自分で書いたブログながら、さすがに長くなってきて細かいところまで覚えてはいないので、検索して調べると、どうもインディアナポリス州の州章のところで多少スターバックスのロゴについて触れていました。その他にも大英博物館の夜の女王のレリーフのところでも触れていました。
まあなぜここであえてこれほどまでにフリーメイスンリーの企業としてこのブログでも当然としてきたスターバックスを取り上げるのかというと、結局湯河原に来て身の回りにあるいかにもフリーメイスンリーというものがスターバックスであったという結論だからなのだと思います。
まあそんなもんなんですね。グノーシスではないですが、在りて在るもの、神は遍在するという、コーヒーハウスで始まったフリーメイスンリーなわけですが、そういう人々が望むもの、それこそがフリーメイスンリーであるということかと思われます。横須賀でもブログの最初に取り上げたとおり、そういう現代日本においてもっともフリーメイスンリーを感じさせてくれる空間、ロッジに近い静寂が商業としてあのコーヒーチェーンにあるということなのかと思われます。
まあそういうわけで大体内容は終わってしまうわけですが、謎っぽい話でいうとあのスターバックスの普通と違うボリューム表記でしょうか。VentiとかGrandeとかあの耳慣れない感じは何なんでしょうか。おそらく頭文字をシンボリズムとして入れたいだけなんだと思います。解説を読むとイタリア語らしいですが、まあそんな感じがフリーメイスンリーでしょうか。
興味深いのはやはり白鯨の話で、まあ私もこの長編小説を読んだわけですが、なかなかキリスト教と自然主義の対立、神なる自然と人間との闘争という感じのテーマではあるわけですが、ブラザーペリー来航の直接の動機も捕鯨の補給基地としての日本の開港であったわけで、当時のアメリカの捕鯨文化を知る上では非常に貴重な文学であり、また捕鯨文化の残るアジア、日本のキリスト教文化との対峙とも捉えられるところもあるわけで、私も最初にスターバックスに行ったのが鎌倉の旧横山隆一邸のものであったわけですが、東と西の対峙というフリーメイスンリー、スコティッシュライトの永遠のテーマを感じる、二本の尾をもった人魚の女神という双頭の鷲とはまた対極のシンボルを持つ世界的なコーヒーチェーン店を改めて記事としてみました。
まあ結局豆が良いとおいしいのですが、それは変動するんですね。人生は流転する。それをコーヒーを飲みながら感じるのがフリーメイスンリーでしょうか。
(追記:人生は流転するは、万物は流転するの言葉のオマージュでしょうかね。ヘラクレイトスの言葉とされるようですが、実際にはわからないようです。まさにネオプラトニズム、グノーシスでしょうか。)
それできっかけとなったのは最近のこの表紙でした。

ブラザーベートーヴェンのお墓のオベリスクですね。作家は和田誠さんという方でかなり有名で創刊以来書かれているそうです。第9の季節という事なのでしょうが、まあオベリスクを象徴的に書くのは日本では珍しいのではないでしょうか。内容については読んでいないのでわかりません。
それで過去に遡ってバックナンバーのわかる範囲で検索してみてみると、イラストが表紙の週刊新潮と週刊文春の二誌で見ると多少傾向があることが分かりました。
まず週刊文春は風見鶏としてなどの鶏が多くあります。







これは最近に顕著なんでしょうかね。シンボルとして意識している可能性があるでしょうか。
対して週刊新潮は創価学会との関連などもあり、バラ、特に青バラが象徴的です。そしてバラと前後してここではあげませんが蓮の花を出すことが決まりのようにあるので、これもまた仏教のシンボルとして意識しているようです。






作者の成瀬政博さんという方はイラストレーターの横尾忠則さんの弟さんだそうで、長野で美術館を開いているそうです。



バナナムーンという名前もそうなんですが、まあ普遍的なイラストのデザインという事になるのかと思いますが、まあフリーメイスンリーのシンボルを数多く認めるデザインとなっています。
虹のデザインもやや週刊新潮で多いですが、両誌で認めるデザインです。




月のシンボルも両誌で認めますが、やはり美術館の名前にもあり、半月や三日月を週刊新潮で認めるようです。




週刊新潮ではさらにヤコブの梯子の天に向かって上る梯子のデザインがよくあります。



さらに白黒、格子模様のデザインも週刊新潮で認めます。



ブラザールネ・マグリットの影響もあるようで、そういうところからのシンボリズムの影響があるようです。
両誌ともやはりフクロウ、灯台のシンボリズムを認めます。






その他変わったところではブラザーダヴィッドのレカミエ夫人を思わせる構図やポピーの花などもあります。


週刊文春では建物のシリーズや星座のシリーズがあります。また最初に挙げたブラザーベートーヴェンに対応した音楽家のブラザーヴェルディの胸像などもあります。





そのまんまというところではフランスの地図というのもあります。

最近ですが三角形の時計にスフィンクスに飛翔するハヤブサの神のホルスというデザインもありました。

またちょっと変わったところでは牛のデザインに鐘というものと、マイセンを思わせる陶器の像というものもあります。


どれも作者の意図を書いた表紙絵のコラムを読んだわけでもないので、いずれもフリーメイスンリーのシンボルとして描いたとは書いていないでしょうが、まあ三角形の時計などは明らかに意識しているものでしょうし、その他のものもある程度シンボルの認識をして書いているのではないかと思われます。
いずれにしてもこれだけ多数のシンボリズムを認めるようになると、内容との関係はわかりませんが、フリーメイスンリーを意識した表紙のデザインがあるのではないかと思われ、なかなか週刊誌というものも見過ごせない存在になるのではないでしょうか。

昇梯子の具足
真田昌幸所用。胴の部分に梯子(はしご)が描かれていることから、昇梯子の具足といわれる。もとは全体が赤の漆で塗られていたらしい。『御武器帳』の引く外家箱(現存せず)の蓋の記には、二代藩主・信政も所用し、明和九年に江戸屋敷が類焼した際、この甲冑も焼失したため、文政八年に焼け残った金属をもって修復したとある。
天下のNHKの大河ドラマの内容ですがどうでしょうか。見事にヤコブの梯子です。
まあ大阪夏の陣もまさにキリシタン大名たちの最期の戦いというところが多々認められるようで、徳川イエズスを最後まで追い詰めたという伝説もその後の太平の江戸時代の始まりを告げる一つの伝説の創造であったようです。
ちなみに真田フランコというイエズス会の記述も残されているようで、そういうのがNTTのバチカン図書館でのスキャナー作業と相まって、大河の主題ともなっているようでしょうか。



初日の出 三ツ石岬を 越えて出で
フェイスブックからの転載ですが、以前も記事としたブラザーモーツァルトの魔笛の謎についての動画です。
3の強調と、和音での3種類の調子の説明がされています。結局歴史的に淘汰されて残った結果としての3の神秘性とそのアウフヘーベン止揚がその後のフリーメイスンリーの発展と展開の転換点となったのだという事と、その時代がブラザーモーツァルトの時代と、イルミナティの時代、啓蒙と革命の時代であったのだという事がよくわかるという事のようです。
フェイスブックの動画ですが、ちょっと面白いのがあったので転載します。またすぐに消えてしまうかもしれません。
フェイスブックのfのロゴがフリーメイスンリーのシンボルのtubal cainトバルカインのシンボルに似ているというのがなかなか新しい感じでしょうか。

まあこじつけといえばこじつけですが、tubal cainがマスターメイスンのリチュアルの暗号部分であるものもあるとのことなので、フェイスブックとフリーメイスンリーとの繋がりは強そうです。
tubal cainについての解説はリンクを参照してください。もちろんシンボルになっているものや、杖で表される場合は明らかに男性器を意識した形になっています。もともとは旧約聖書に出てくる鍛冶屋の祖としての、アダムの子孫の名前ですが、まあ職人が男性で構成される事と一致したんでしょうね。
Gmailのエプロンなんかはまさにそのものという感じですが、ブルーロッジのものじゃないところが、スターバックスとか有名企業のそういうところでしょうかねえ。研究系ではGmailはアイディア盗用があるとかありましたが、まあ中国で使えないのがGoogleでしたか。
まあなんかちょっとマニアックですが、まさに現代というところがIT企業のロゴでしょうか。