2012-01-17 12:58 | カテゴリ:横須賀
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
安針塚の続きです。


塚山公園は人がいません。


神奈川県民には懐かしい長洲一二さんの揮毫があります。


公園はこんな感じです。

海の見える丘からの風景はこんな感じです。金沢文庫方面


横須賀本港方面


久里浜方面 建物の上にらせんが見えますね。


見晴らし台からの金沢文庫方面


見晴らし台付近からの大楠山方面


園内の休み処


チェッカーの床と三角の椅子


保存会の看板


安針塚です。奥さんの墓と並んでいます。実際にはお骨は入っていないそうです。


戦前の漢文の石碑が見えない方向を向いていました。


坂を下りたところにある弘法大師の碑。荒れ放題でした。


とんがり屋根の民家。YRP野比のラ・ルーヴルそっくりです。


鹿島神社があります。


並んで浄土寺があります。


港の見える丘からの八景島方面。他のブログよりお借りしました。
綺麗に重なる角度で撮っていますね。実際にはここまで重なりません。
これが八景島のシンボルの秘密ですが、安針塚からみるとちょうどずれたピラミッドが重なるような角度になっています。安針塚から江戸を見た時にそれがちょうど東洋から西洋を見たようにウィリアム・アダムスが望郷の念を抱いたように、横須賀から東京を眺めるとそうなるのか、なかなか確実な説明はないでしょうが、ずれたピラミッドが一体に見える場所が安針塚であるという事は、歴史と共に我々に一つの答えを与えてくれるのではないでしょうか。東西の邂逅、それは偶然でもなく必然であり共に同じ形を作っていたのだということでしょうか。

三浦按針がフリーメイスンでないことは恐らく異論はないところだと思います。彼がフリーメイスンとして考えてふさわしいかどうか、それはこの公園に答えが一部あったのだと思います。
彼が実際には平戸に移り、そこで望郷の内に死亡し墓があることと、この安針塚が現在まで墓として奥さんの碑と共に横に並んで保存されている事は、蝶々夫人の逸話を見るまでもなく、東と西、この遠くて古い関係が現在に至るまで本質的には変わらずにあり続けるという事を端的にあらわしているのかもしれません。

神社と寺と碑の関係、および周辺の谷津の寒い環境なども日本の封建時代と現代の状況を鑑みるのに非常に示唆的なものだと思われます。日本の国際化、それを考える時、この三浦按針の足跡はわれわれ日本人に大きな教訓を与えてくれるものだと思います。

多くの方に訪問していただきたい場所ではありますが、周辺に駐車場などはあまりなく横須賀は駅からの徒歩が基本の場所が多いので、是非訪問する際はよく調べて来られることをお勧めします。

ウィリアム・アダムスは紀行記を本国に送っていて、それを基にしてガリバー旅行記の日本の部分は描かれたそうです。またガリバー旅行記で描かれたラピュータと呼ばれる天空に浮かぶ島の話はニュートンを代表とするフリーメイスンリーの啓蒙科学に対する批判のようです。天空の城ラピュタのもとになったお話ですね。「バルス」は特に秘密の暗号としては知りません。(2/13追記:ガリバー旅行記の作者はブラザースイフトでフリーメイスンです。)(4/1追記:バルスという呪文は恐らく昴とかかっているダジャレではないでしょうか。昴はプレアデス星団という肉眼で6-7の星が集まって見える星団で、集まるという意味で統べるという和語からすばるという名前が付いたようです。そういう意味でラピュタの映画は意味の解釈ができるのかと思います。日本のアニメも教訓的ですね。)

次回は鎌倉のフリーメイスンリーのシンボルをやります。