2012-02-01 09:29 | カテゴリ:横須賀
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
さて最後です。
三笠公園の本当の秘密は何でしょうか?
日本の天皇家にまつわるキリスト教との接点でしょうか?
しかし明治維新後に王政復古しドイツやイギリスの立憲君主制をまねした事は義務教育で教わります。その上で国民のほとんどがキリスト教徒の国であるアメリカと戦争して統治され、その後民主主義憲法のもとで現在の日本が成り立っている事は常識人であれば皆知っている事です。
天皇家がミッションスクールなどを通して深くキリスト教とつながりをもっている事は誰もが漠然とは知っている事ではないでしょうか。

では三笠公園に本当に秘められたメッセージとは何でしょうか?
それは三笠公園がアメリカ軍が重要な基地をもち、フリーメイスンリーのロッジが基地内にあり、ロータリークラブやライオンズクラブが盛んな横須賀のシンボルとして、真にフリーメイスンリーのシンボルを表すことで、フリーメイスンリーとは何かという事を人々に知らしめるという所なのではないでしょうか。

そういう意味ではこれまでのいかにも謎めいたおどろおどろしい戦前の軍国主義を引きずったようなシンボルもどきのようなものではなく、これぞシンボルというまさに見えていながら秘密にされているそのものというものが三笠公園にあるのではないでしょうか。もちろんそれは日米の対立をあおるようなものではなく、日米協調、友愛の精神にあふれ、両国の発展に寄与する形の象徴となるものかと思われます。

果たしてそれは何でしょうか?
それにはやはりフリーメイスンリーの教えの基本に立ち返って見る事が必要かと思います。
明らかに謎めいた噴水池や、ごつごつしたラフアシュラーの石の壁、軍国主義を強調するような銅像やその周囲の権力への媚びるような誕生日の数字遊び、これらはフリーメイスンリーの哲学とは明らかに異なります。人々に自由と民主主義、平等と博愛を広めるような力強い変わらぬ信念、そして未来に向かって希望と堅忍不抜と慎重さ、そして変わらぬ信仰と奉仕の精神をもつものがフリーメイスンリーの美徳であり目指すべき高みなのです。

それを思うときやはりいかに三笠公園が仏教と強い結びつきがあった笹川氏の影響があったとしても、アメリカを主体とするキリスト教の影響が全体を通して象徴とされるに違いないと思わざるを得ないわけです。その視点に基づいてもう一度入り口から整理していくと、最初は見えなかったものが見えてくるように思われます。


入り口にあるのはRoyal Arch Masonryの象徴であるアーチですね。さて虹というのは聖書のどの場面で出てくるものなのでしょうか。
それでは再び聖書を引用いたします。

創世記9章 祝福と契約
神はノアと彼の息子たちを祝福して言われた。「産めよ、増えよ、地に満ちよ。地のすべての獣と空のすべての鳥は、地を這うすべてのものと海のすべての魚と共に、あなたたちの前に恐れおののき、あなたたちの手にゆだねられる。動いている命あるものは、すべてあなたたちの食料とするがよい。わたしはこれらすべてのものを、青草と同じようにあなたたちに与える。ただし、肉は命である血を含んだまま食べてはならない。また、あなたたちの命である血が流された場合、わたしは賠償を要求する。いかなる獣からも要求する。人間どうしの血については、人間から人間の命を賠償として要求する。人の血を流す者は人によって自分の血を流される。人は神にかたどって造られたからだ。あなたたちは産めよ、増えよ地に群がり、地に増えよ。」神はノアと彼の息子たちに言われた。「わたしは、あなたたちと、そして後に続く子孫と、契約を立てる。あなたたちと共にいるすべての生き物、またあなたたちと共にいる鳥や家畜や地のすべての獣など、箱舟から出たすべてのもののみならず、地のすべての獣と契約を立てる。わたしがあなたたちと契約を立てたならば、二度と洪水によって肉なるものがことごとく滅ぼされることはなく、洪水が起こって地を滅ぼすことも決してない。」更に神は言われた。「あなたたちならびにあなたたちと共にいるすべての生き物と、代々とこしえに私が立てる契約のしるしはこれである。すなわち、わたしは雲の中に私の虹を置く。これは私と大地の間に立てた契約のしるしとなる。わたしが地の上に雲を湧き起こらせ、雲の中に虹が現れると、わたしは、わたしとあなたたちならびにすべての生き物、すべて肉なるものとの間に立てた契約に心を留める。水が洪水となって、肉なるものを全て滅ぼすことは決してない。雲の中に虹が現れると、わたしはそれを見て、神と地上のすべての生き物、すべて肉なるものとの間に立てた永遠の契約に心を留める。」神はノアに言われた。「これが、わたしと地上のすべて肉なるものとの間に立てた契約のしるしである。」

さてここまでで大体この三笠公園の主旨は出てきたのではないでしょうか。旧約聖書のノアの箱舟の一節に基づいた人類の救済と繁栄を願った神との契約のしるしなのです。
そういう目で見ていくとその後の入り口のモニュメントの意味が明らかになっていきます。


最初にあらわれる蓮の花のモチーフからつながって三つの三角があります。これは恐らく1.17の神戸の震災とオウム事件、9.11同時多発テロ、3.11東北大震災などの大きな天災や災害を表すかと思います。そしてそこを越えて大きな蓮の花、しかしこれは実は蓮の花に見せたバラの花で、三分の一になった日本丸のマストと合わせて薔薇十字団のシンボルになるのです。これは恐らく日本がキリスト教国になり3分の1ほどの人口か国の規模になるということなのだと思います。そしてその後にノアが神と契約した豊穣と安定が訪れるということなのだと思います。もしかするとこれは戦前の血盟団事件、5.15事件、2.26事件といった日本国内のテロの後に現在の民主主義国家になったという事を表しているのかもしれません。(追記:恐らく東京大空襲に続く一連の空襲と、広島、長崎の原爆後に日本が復興したと考えるのが公園の整備の時期からいっても適切なのだと思います。それ以上の意味があるかどうかは御想像にお任せします。)このあたりは黙示録や予言的に解釈するか、歴史書として解釈するかとなるのかで異なるかもしれません。いずれにしても三笠公園の真実の秘密は旧約聖書創世記第9章に示されたノアの箱舟と神との契約の逸話なのです。

その目で見ると三笠公園最大のシンボル戦艦三笠がより一層ノアの箱舟としてのシンボルとして鮮やかにリアルになっていきます。


ノアの箱舟としての戦艦三笠 十字架としてのマスト

それは人類共通の願いである不戦、平和の象徴としてのシンボルとなるのです。


さてこれは三笠公園の入り口付近のグーグルアースの画像です。薔薇十字団のシンボルから豊饒のシンボルを越えていくとうろこの模様のような柄を認めます。恐らくこれは菊の紋所で天皇家を意味するものと思います。(2014/5/4追記:うろこのシンボルはそのままで魚の意味となり、キリスト教の象徴となるようです。場所を考えても菊の紋というよりもうろこのシンボルという方が正しいと思われます。フリーメイスンリーも具体的な活動としては最終的には宗教となるという所は現実なのかと思われます。ブラザーリストの一生などもそういう典型かもしれません。)そしてそれらが横須賀学院を囲むような形になっています。そして横須賀学院を上から見ると十字が浮き彫りになっています。天皇家がキリスト教の信仰に帰依している事を象徴しているかと思われます。実は誰もが入り口まで歩いて感じるように設計されているのですね。面白い事に入り口わきにはヴェルニーの設計した灯台をモチーフとした電話ボックスがあります。三笠公園とヴェルニー公園が英仏としても正統派フリーメイスンリーとフランス大東社としても対になっていて、共に友好を結んでいることも象徴されているのですね。

以上をもって三笠公園については終わりたいと思いますが、何か不足や間違いがあれば是非教えてください。

それとこれは完全に余談になりますが、日付の話に関してはクリスマスについて面白い話があります。クリスマスに関してというか、クリスマスに絡めたエピソードなのです。4月1日のエイプリルフールというのはウィキペディアなどで見ても由来や起源が不明で16世紀ころのフランスで始まったとされています。誰でもその日は嘘をついて良い日とされていますが、そもそも東洋ではなくキリスト教国での発祥で、それもカトリックの強いフランスとされています。(追記:フランスではエイプリルフールの事を4月の魚(Poisson d'Avril)と言うそうです。魚はキリスト自身を示すキリスト教のシンボルです。)クリスマスとどんな関係があるのでしょうか。それはいわゆるフランス小話の世界になるかと思われます。

おあとがよろしい様で。


2012-02-02 10:03 | カテゴリ:横須賀
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
自由の女神像

実はこれに関してはフリーメイスンリーにおいてフランス革命における歴史があり非常に複雑です。
いわゆる右手に松明をもち、左手に聖書にあたる銘板をもっているニューヨーク、パリ、最近ではお台場にあるものが有名かと思います。ウィキペディアでは青森にもあるそうです。聖書を持ってるとなるとやはりユダヤ教かキリスト教と言う事になり宗教性が問題になるのだと思います。鶴見のホテルの上にもあったと思います。
作者はブラザー・バルトルディとブラザー・エッフェルになるのかと思います。


パリの自由の女神像 エッフェル塔と共に


ニューヨーク リバティー島の自由の女神像 かつては周囲に星の形や月の形のシンボルが描かれていました。


お台場にある自由の女神像 レインボーブリッジと共に 東京タワー、東京スカイツリー、六本木ヒルズなどが見られるフジテレビお台場社屋のふもと シンボルとしての碇やグランドロッジを模した自動販売機などがあります。


ラスベガスの自由の女神像


青森にある自由の女神像


札幌にある自由の女神像


鶴見にある自由の女神像(追記:その他にも赤羽、茨城、グアム、大阪などにもあるようです。その他多数あるかと思われます。)

コロンビアピクチャーズ オープニングの自由の女神


もともとフランスのジャンヌ=ダルクの逸話からフランスの象徴となり、フランス革命期には女神としてミスコンテストみたいに女性を選んでお祭りみたいな事をしたそうです。ドラクロワの絵が有名かと思います。


ドミニク・アングルによるジャンヌ・ダルク(ルーブル美術館)


ワシントンD.C. Scottish Rite House of the Templeの北にあるメリディアンヒルパークにあるジャンヌ・ダルク像 剣が折れてます。


ドラクロワ 民衆を導く自由の女神 (ルーブル美術館)


フランス革命期に行われた自由の女神、理性の祭典 左手にアカシアの枝を持っているのでしょうか。


ジャコバン派ブラザーロベスピエール絶頂期の象徴的な祭典だったようです。自然の象徴としての樹木でしょうか。最後が200人のギロチンだったそうで、このギロチンを考えたのが当時のフランスフリーメイスンリーのグランドマスターであったそうです。(10/27追記:フランス大東社の創設メンバーであるブラザーギヨタンです。最初のグランドマスターはブラザーオルレアン公です。後述しますが、ブラザーギヨタンはギロチンを考えたわけではなく、理性的な死刑執行装置として提案しただけだそうです。)ジャコバン派の起源はブルターニュ地方だそうで、ブルターニュ地方自体がブルトン人、イングランドのケルト人と先祖が一緒でフランスの中でも特徴があるようです。英仏関係はまさに親戚か兄弟です。


フランス大東社のマリアンヌ像


マリアンヌ像 いわゆるフリーメイスンリーのマリアンヌ像というとこれが出てきます。フランス大東社の博物館のサイトによるとJacques Franceの作とあります。検索してもJacques Franceは人名では出てきません。何やら意味がありそうです。フランス大東社のおみやげで売っているようです。小さな帽子をかぶっているのが最大の特徴でしょうか。

パリ ナシオン広場にあるマリアンヌ像


パリ レピュブリック広場にあるマリアンヌ像


フランス政府のシンボルとしてのマリアンヌ


さてこういった歴史のある自由の女神像ですが、横須賀にも実は二つの自由の女神像があります。一つはベースの前にあるホテルゴッデスの上にある自由の女神ですね。


市民の人は皆知っていると思いますがもう一つは中央公園にあります。

中央公園にある自由の女神像 有名な「長崎平和記念像」の制作者でもある北村西望先生の作品だそうです。

どうなんでしょうか。


恐らく名作なんでしょうが、フリーメイスンリーとは関係なさそうです。

小栗上野介像と栗本鋤雲像とラフアシュラー YRP野比にあるラフアシュラーのベンチと一緒の形ですね。業者が一緒なんでしょうか。その他にもホームページを見るとシオンなんて女性の像もあるようです。なんかもう混乱してきますね。

中央公園には博物館もあったりします。


いきなりこんなものがあったりします。
どうなんでしょうか。


2012-02-03 10:11 | カテゴリ:横須賀
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
中央公園には無料の博物館があります。
前回載せた闇に浮かぶ三角の光は実は竪穴式住居の入り口を示したものでした。


どうなんでしょうか。

博物館や百科事典、辞書や動物園、水族館などは特にフランス革命以降、百科全書派という学問学派があったほど新たな知識やイノベーションの元になるものとして隆盛しました。百科事典を編纂したフリーメイスンが多数います。逆に百科事典にフリーメイスンリーの事は必ず書いてあるともいえます。自然科学の原点として観察する事、特徴をとらえて分類する事、それらのつながりを整然と説明する事は、イギリス経験主義の学問形態からいっても重要な事です。フリーメイスンリーでも生き方の基本として学びます。なんでもまずやってみる事、経験していく事は人生を豊かにし、多くの予期せぬ宝物を我々にもたらしてくれるものと教えてくれます。



三浦半島の歴史


三浦按針









ペリー来航にまつわる展示


ヴェルニーと小栗上野介 どうも三浦半島は会津寄りといい薩長と幕軍となると幕軍の方らしいです。陸海軍の薩長閥とその後の東北閥の影響もあるんでしょうか。


明治維新


いつ頃の半纏でしょうか?市章のマークに近いですが六芒星ですね。千葉県の県章に似ています。コンパスや八紘一宇との関連は皆無のようです。


これはもう終わったセミナーの広告ですね。横浜ロッジともわずかにつながるのでしょうか。

なかなかためになる正統派の地域史博物館ですがいかんせん利用者は少ないようです。ブラザーヴェルニーやブラザーペリーの人気や知名度がいまいちな事に由来するのでしょうか。妙に立派すぎるというのもポイントかもしれません。


2012-02-04 10:37 | カテゴリ:本について
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
アマゾンのアフィリエイトの本の宣伝も置いているので、少しフリーメイスンリーについて書いている本で読んでいるものについて分かりやすいように紹介と個人的な感想を書かせていただきます。

まず最初は宣伝でも最初に置いているブラザーPGM 片桐三郎による入門フリーメイスン全史―偏見と真実でしょうか。
入門フリーメイスン全史―偏見と真実/片桐 三郎
¥2,310
Amazon.co.jp
実はこれにはDVDバージョンも存在します。FREEMASONRY フリーメイスン -開かれる扉- [DVD]
FREEMASONRY フリーメイスン -開かれる扉- [DVD]/フリー・メイスン
¥3,800
Amazon.co.jp

わたしがこの本に出会ったのは横浜のFar East Lodge No.1で広報担当のブラザー渡邊から紹介されてです。それまでそれなりにアマゾンで検索して出てくるものは手に入れていたので、内容的にそれほど目新しいわけではありませんでしたが、日本人メンバーが自らの言葉で書いているということと、その出来るだけ客観的に記述の残っているものについてだけ取り上げるという本の姿勢がそれまで読んでいたものの内容とは異なり、極めて好印象を持ちました。ブラザー片桐三郎は直接お見かけした事はありませんが、DVDでは普通に出演されていますので内容が気に入られた方はDVDも購入する事をお勧めします。
その他英語の本やDVDについてはブログfreemasonry FAQ
http://freemasonry.blog.shinobi.jp/が詳しいと思いますのでそちらで見ていただくと良いかと思います。

入門フリーメイスン全史―偏見と真実 についてはフリーメイスンリーの源流が実務的メイスンリーにあり、それらがヨーロッパの石材加工と建築の職人たちであった事、貴族階級や科学的知識と結びついて思索的メイスンリーとなり、清教徒革命や名誉革命を経たイングランドで合同ロッジとして今日の形に成立し、その後フランス革命やアメリカ独立戦争を通してヨーロッパやアメリカに広がり、様々な変遷を経て今日の組織の形に整った事が書かれていて、中でも注目はやはり現役のメンバーとして現在の日本での活動につながる部分になるわけですが、これについてはあまり書いていない、書けないのだと思いますがそういう形で終わっているという所でしょうか。

具体的にどんな活動を行っているかという所は結局のところ、個人が自発的にフリーメイスンリーに参加して自ら体験し、お互いに向上させる過程で経験するものであって、他人に説明されるものではないという事になるのだと思います。興味のある方はブラザー・モーツァルトや、ブラザー・ワシントンなど有名どころのメンバーの一生をつぶさに研究していかれるのが最もフリーメイスンリーの具体的な活動として参考になるのではないかと思います。ブラザーの周囲には当然フリーメイスンリーを通してブラザーのつながりがあるわけで、それらをわかる限り調べていけば自然とフリーメイスンリーとは具体的にどういうものであるかという事が理解されていくのではないかと思います。

2012-02-05 08:18 | カテゴリ:本について
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
ロスト・シンボルは皆さん読まれましたでしょうか。
ロスト・シンボル 上・下 2冊セット/ダン・ブラウン
 
¥3,780
Amazon.co.jp

以前は成田空港などでもベスト・セラーで一通りフリーメイスンリーについて日本人に紹介するのにかなり役立ったのではないかと思われますが、その後映画化の話などが微妙に消えてきていたりと実際の認知という点ではあまりうまく理解されなかったのではないかと思っています。映画化はウィキペディアによれば2012年には行われるようです。

私はこの本についてもロッジで紹介されアマゾンで購入したものです。限定販売のものにはバッチが付いていて、これがEntered Apprenticeを示すものだとの事でひとしきりロッジで話題になっていました。この辺は非常に誤解を生みやすい話かもしれませんが、フリーメイスンリーの入会についてはいくつもの逸話があり誤解しないようにしないといけません。入会条件の宇宙の至高の存在を信じるなど大事なところなのです。

さてロスト・シンボルについてですが、題名のロスト・シンボルはどういう意味でしょうか。一応あらすじを言うとソロモン家というアメリカの中枢にいる一家の主である、33階級のソロモン氏の失踪に関して象徴学者のラングドン教授が呼ばれて、ソロモン氏の妹の認知心理学者のキャサリンと一緒に、CIA長官の日系人サトーと犯人探しが始まります。事件は秒単位で全てワシントンD.C.、議事堂周辺で起こるわけですが、すさまじく凶悪でCIAとお互いにあらゆる権力を使い合ってやりあう、マラークという全身刺青で去勢している人物があらわれて、どうやらその人が犯人で、実はソロモン家にまつわる悲劇の話に原因があり、マラーク自体がソロモン氏の一人息子で、彼は母親も殺しソロモン氏も殺そうとしていて、結局ソロモン氏によって彼は殺されて、ラングドン教授とキャサリンが良い感じになってワシントン記念塔で夜明けを確認して終わりという感じでしょうか。

読んでからだいぶ時間が経っているので中身に関してはいささか自信がありませんが、最後の結末に関してはこんな感じであったと思います。色々謎があるそうなのですが、それらについてはあまり詳しくありません。実際読んだ感想としてはまず似たような下敷きになる何らかの逸話がフリーメイスンリー関連であったのではないかと思った事でした。似たような事例があったのではないかなと想像しました。アメリカの政治の中枢にいる登場人物のほとんどがフリーメイスンであり、お互いの信じるところに従ってあらゆる権力を自在に操る様子や、ワシントンD.C.を庭のようにしてそれぞれの建築物の歴史や逸話を紹介しながら縦横無尽に移動する様は、ワシントンD.C.の観光案内のようであり、同時にフリーメイスンリーへの自然な誘いという感じになると思います。ストーリーについては結局ロスト・シンボルの意味はソロモン氏にとっては息子を失うという事であり、息子のマラークについては自分のシンボルを失う、去勢するという事であり、最後もワシントン記念塔で夜明けをみて終わるところからも、権力、財産の相続について、ワシントン記念塔に象徴される男根主義ともいうべき男系主義の不毛さがあるかと思われます。これは男性のみで基本的に構成されるフリーメイスンリーにとってはかなり重要なテーマであり、友愛とは何であるか、理性による欲望のコントロールとは結局いかなるものかというところで、宗教、理性の本質に関わる人類永遠のテーマになるのだと思います。その意味で象徴的にソロモンという名前が出てくるのでしょう。女王陛下のもとで繁栄したイギリスで生まれ世界に広がったフリーメイスンリーと、その落とし子とも言える巨大なアメリカという国家、そこに共通するレディーファーストの思想などの根底にあるのが実は、こういったイギリス経験主義の結果と言える革命と民主主義の理念と男系相続の不毛さという所なのだと思います。そういう意味では日系女性が矛盾的にCIA長官として登場するのも日本に対する一つのわかりやすいメッセージなのだと思います。

それに関してというかいわゆるワシントンD.C.建設の謎などとよく言われる話についてですが、ロスト・シンボルの話の伏線はそれなんだと思います。すなわちワシントンD.C.に込められた謎、三笠公園の謎で鍛えられたこのブログの読者であればだいぶ理解できるところだと思います。


House of the TempleにあるワシントンD.C.建設の礎石を置く儀式の図、ほとんど同じものが東京の日本グランドロッジにもあります。


ホワイトハウス―ジェファーソン記念館 リンカーン記念館―議事堂の二つの線が交わるところにワシントン記念塔があり、これが男根だとするとキリスト教のシンボルとしての十字とともに欲望をコントロールする理性の信仰の象徴としての十字が浮き上がってきます。それは男性を示す人間が横たわった形となり、その頭脳が議事堂に当たり、右手がホワイトハウスになるわけです。

そしてその右手と結ぶように北に逆さの五芒星が現れます。五芒星はカトリック、キリスト教の象徴であると同時に、フランス大東社系の神のシンボルでもありました。フリーメイスンリーではまさに男性と手を取る女性の団体であるイースタン・スターの象徴であります。五芒星自体が子宮を意味するなど「ダヴィンチ・コード」でも言われていましたね。五芒星、十字ともに通常の表示とは逆さまなのが重要ですね。ピラミッドと同じく正反対の意味を示しているのではないでしょうか。すなわち男性と女性が手に手を取って仲良く横たわる姿がワシントンに大きく描かれているのです。そしてワシントン記念塔とホワイトハウスを結んだ線の延長にある北西16番街路にあるのはHouse of the Templeいわゆるスコティッシュライト南部管轄区最高法院、世界のスコティッシュライトの33階級を統轄する場所なのです。(追記2/21:その他議事堂を頂点としたピラミッドや、そもそものブラザーランファンの計画では議事堂を頂点とした直角三角形のシンボル、議事堂を頂点とした∨とΛのシンボルや、やはり議事堂周囲で六芒星のシンボルなどが考えられるようです。議事堂を頭とした体に対応させるシンボルもあるようです。いずれもシンボルとしてあるのだと思います。)

ワシントンD.C.の都市計画自体はフリーメイスンであるブラザー・ランファンによって行われ、彼の墓はポトマック川を渡った対岸のアーリントン墓地の小高い丘の上にあります。アーリントン墓地自体が南北戦争での南軍のリー将軍の邸宅跡でありました。リー将軍のもとで南軍の将として南北戦争を戦った一人にスコティッシュライトを後に確立したブラザー・アルバート・パイクもいました。またアーリントン墓地の横には五角形のもっとも有名なペンタゴンがあります。シンボリズムで考えると9.11テロの意味もまた徐々に明らかになるものかと思います。

ワシントンD.C.自体がフリーメイスンリーの教えそのもの、シンボルそのものを表しているのですね。



ブラザー・ジョージ・ワシントンのマーサへの求婚

彼は忙しい戦争のさなかにお見合いで二人の子持ちの寡婦であった裕福なマーサと結婚したのでした。ワシントンD.C.に隠された秘密とは初代大統領の偉大なるフリーメイスンとしての人生そのものであると思います。


ワシントンの神格化 アメリカ国会議事堂の天蓋にある天井画です


ポセイドンがケーブルをもっていて、大西洋横断電信ケーブルの敷設を記念しているそうです。

ロスト・シンボルについては解説書なども成書が多数あるようなのでそちらを参考にしていただきたいと思います

2012-02-06 15:29 | カテゴリ:横須賀
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
中央公園の謎

こう書くと三笠公園のようにいろんな謎が込められているように思うかもしれませんが、単純に中央公園の存在自体が謎と言うだけです。たぶんこれは多くの訪れた人が思う感想なんじゃないかと思います。




中央公園からの猿島の眺め ペリーアイランドとブラザーペリーは名付けたそうです。
見るからに謎のモニュメントですね。書いてある説明も全く謎だらけです。(追記:当時の市長は横山和男さんと言う方で三笠公園の整備やYRP野比の開発を行い、広島県出身だったようです。5期20年にわたり横須賀市長を務め、1993年が最後の年で、広島の原爆投下に関して非核宣言都市のモニュメントが悲願であったようです。)
一つ関係ありそうな気がしたのはソ連の国旗のハンマーと鎌でしょうか。


ハンマーは直接はフリーメイスンリーのシンボルではありませんが、ガベルと言って同じ形の木槌になるとフリーメイスンリーのシンボルです。木槌のガベルはロッジでWorshipful Master(ロッジの主宰者、選挙で選ばれる)が開会や閉会、議決を取るときに音を鳴らすもので、もともとはノミ打ちの木槌だと思います。恐らく金槌でも石材を直接たたく役割でシンボルになるようです。いずれにしてもソ連の国旗ではあくまでHammerでありGavelではないようです。また鎌もSickleといって手鎌であり、Scytheとなると大鎌でよく悪魔が手にしてる図柄で有名なものですが、あちらはフリーメイスンリーのシンボルとなり魂の収穫として、死や生きている時間が短い事を象徴するようです。
いずれにしても東ドイツの国旗の六分儀と同じように、フリーメイスンリーのシンボルとそっくりでありながら名前や定義がわずかに異なり、シンボルではないという形になるようです。
この中央公園のモニュメントもそういうことで、何やら横須賀で最大のモニュメントでありフリーメイスンリーの関わりがあるのかなと思いきや実は一切ない、イメージとしてはソ連のハンマーと鎌が一緒になったようなものなのではないかと思います。このモニュメントができた1993年には既にソ連も崩壊して無くなっている訳ですが、東西冷戦の存在が横須賀が基地の町として存在意義を発揮した理由でもあるでしょうから、何らかの関連があるものと思われます。共産主義の成立や、共産革命にもフリーメイスンリーが関わっているようによく言われますが、公式には関係ないようです。(追記2/21:レーニンはドイツで一応入会し第一階級まではいったようです。これはかなり現代史的には重要な情報だと思うので深く追求しないようにしてください。)
ちなみに現在のロシア軍旗は下のようだそうです。


双頭の鷲でスコティッシュライトを意識しているのかもしれません。もともとロシアの国章だったのでしょうね。


岡田屋モアーズの二つのピラミッドが目立ちますね。
中央公園自体は梅と桜と松の木がたくさん植えられている感じでしょうか。衣笠山とよく似た感じです。


これはよくわかりません。(追記:平和モニュメントの解説のようですね。)


ブラザーデッカーの胸像 横須賀の基地司令官を長く務め、日本人と協力して横須賀市の再建に貢献したそうです。詳しくは

黒船の再来―米海軍横須賀基地第4代司令官デッカー夫妻回想記/ベントン・ウィーバー デッカー
¥3,150
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を銅像。ブラザーデッカーは色々日本を周遊して回ったようです。息子さんが後に岩国基地で墜落して亡くなったりしているそうです。胸像はもともと市役所の前のあたりにあったようですが再開発でこの公園に移ってきたようです。


ご本人はフリーメイスンなんでしょうが、あまりこの胸像自体はフリーメイスンリーとは関係なさそうです。


戦没者慰霊の塔
戦前戦後も含めて現代につながる以上、なかなか史実は描かれなさそうです。
(追記:デッカー司令官は深田台にあった横須賀市民病院の整備にも力を入れたそうで、結局横須賀市民病院は一連の炎上事件の結果長坂に移ったようです。なかなか恐ろしいですね。)


2012-02-07 14:05 | カテゴリ:横須賀
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
ヴェルニー公園のヴェルニーが作った灯台は横須賀では城ケ島灯台と観音埼灯台です。
レンガを作る工場を作り、最初に観音埼灯台を作ったそうですが、観音埼灯台には水棲動物の博物館があるくらいで、それがまたやたら豪華ですが古いもので、確か一応入場料も取ったと思います。
フリーメイスンリーの思想に基づく博物学の名残だと思います。
ヴェルニーの後に来たスコットランド出身のリチャード・ブラントンが作ったのが剣崎灯台で、地元ではけんざきと言うそうですが、正式にはつるぎざきというらしくウィキペディアでも書いてあります。

なんで正式名称が大事かは知りませんが、剣崎と言うと何やら逸話がありそうですが、剣の形をしているからだけみたいです。近くの走水が日本武尊の妃が身を投げて海が静まったという場所だそうです。源頼朝も平家に追われて真鶴半島から房総半島に渡った逸話もありますし、一種の海を渡る裏技の伝統があるみたいですね。
私は観音埼灯台と城ケ島灯台は実は行った事がありません。剣崎灯台だけ釣り場が近いこともあり見に行った事があります。シンボルとしてわずかに認めるのは風見鶏でしょうか。これの意味はコンパスに近いのかと思いますが、神戸の洋館に代表されるように風見鶏は一つのシンボルのようです。(追記:鶏は夜明けを告げる鳥として啓蒙のシンボルとなります。めったに出てきませんが、シンボルの絵でたまに認められます。)

日本の灯台の初代のものはほとんどがヴェルニーやリチャード・ブラントンに代表されるお雇い外国人が建設したようです。これらに代表されるように明治維新に入ってきた技術の最初のものはすべて彼らのようなお雇い外国人、ほとんどがフリーメイスンだと思いますが、彼らが作り、日本人に提供したものだと思います。日本人は真似るのが得意だとされますが、果たしてそれらがどこまで真似られるか、学びとれるかは今後にかかってくるのかと思います。このブログを続けて読まれてきた方々はそれがどういう意味かはよくわかるかと思います。

まだしばらく続けますが、一応横須賀地域のフリーメイスンリーのシンボルについては一連のものを紹介しきったと思われます。その他にも様々な話題を提供していくかと思いますが、一月から始めて毎日更新してきましたが、今後は間があいたり内容もあまり関係ないものや個人的なものになるかと思います。


某病院から見た横須賀市上下水道局西浄化センター 屋上にヴェルニーの建設した観音埼灯台を模した建築物があります。


2012-02-08 10:09 | カテゴリ:横須賀
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
恐らくベースの中のロッジにはあるかと思います。
それ以外でどこにあるか御存じの人は少ないかと思います。

それはほとんど横須賀ではない所にあります。しかしながら実は横須賀の実体を担っている場所でもあります。

私はネットでたまたま発見いたしました。

横須賀には数多くのフリーメイスンリーのシンボルがあり、ロータリークラブやライオンズクラブの活動が盛んでありながら、溢れんばかりのラフアシュラーと極めつけは逆さまのピラミッドと八紘一宇と天皇陛下のキリスト教信仰の象徴でした。

これでは汐入の実質ソロモン宮殿である横須賀芸術劇場でのモーツァルトのフィガロの結婚や魔笛の公演はとてもではないですが遠い未来でしかなさそうです。

しかしやはりそんな横須賀で、ほとんど人が来ない場所に、恐らく日本でも他にないほぼ完璧なパーフェクトアシュラー、ジョン万次郎のコンパスと直角定規を持った像に匹敵する記念碑がありました。

次回に引き延ばすので場所だけ写真をお示しします。


2012-02-09 09:53 | カテゴリ:東京
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
さてまた話題が途中で変わりますが大丈夫でしょうか?

日本の伝統宗教である神道や仏教にキリスト教やユダヤ教の文化の中で生まれたフリーメイスンリーのシンボルを認める事は可能でしょうか?
フリーメイスンリーの思想はそもそも人類は共通の思考や考え方を持ちうるという所にあると思われ、宗教や文化の違いを乗り越えて共通の意識を持ちうるという所だと思います。その際に大事になるのが、そもそもそれが可能であるのは人類が共通の祖先から派生したに違いない、または多少違いがあってもほぼ共通の条件、共通の歴史の結果で現在のような多様性を示しているに過ぎず、元をたどっていけば必ず多くの共通点を見出だすからであるということなのだと思います。それが友愛の精神の根底にある理論的背景であり、聖書の逸話でいえばバベルの塔や、アダムとイブの話になるのだと思います。

さてでは現実問題としてインドで紀元前500年ころに生まれ、その後幾多の変遷を経て、中国や東南アジアを経由して日本にもたらされ、さらに日本の中でも幾多の変遷を経て現代に伝わる仏教の教えの中にフリーメイスンリーで共有されるようなシンボルの教えは認める事ができるのでしょうか?

それは国立博物館で開催されていた空海と密教美術展で展示されていました。


真言密教の教えを表す曼荼羅図です。いわゆる両界曼荼羅の胎蔵曼荼羅です。
釈迦の教えとそれの表す世の中を図式化しているものです。


こちらはカタログにあった東寺に伝わるものであったと思います。同じ図のやや接写です。
遍知院という部分の中心に火焔を象徴する形としての一切如来智印の三角形が認められます。迷いを全て焼き尽くす光としての炎を象徴するようです。ネットで調べると経典などでは逆の三角形を使うこともあるようです。


いわゆる卍も認められますね。大日如来の上部において真知が大事である事を象徴しているのかと思われます。△は▽と対になり✡を形作る事やΛと∨で接合のシンボルともなり、シンボリズムの最も普遍的で重要なものとなります。
これに似たものが以下のものになるでしょうか。


フランス人権宣言に認めるAll Seeing Eye

また卍はシュメール文明で認められる双頭の鷲などと同じ由来の古いもので、エジプトではアンクやタウ十字が使われ、旧約聖書にあらわれる十字の原型とされますが、十字がキリスト教の象徴である十字となりシンボルとなったのはむしろそれらの起源とされる卍、英語ではswastikaがインド、シュメールで用いられ、結果としてローマ帝国でアンクやタウ十字と一緒になって象徴となったようです。この辺の起源については様々な学説があるかと思いますが、現在ではナチスドイツのハーケンクロイツとして採用された事から世界的に表現を忌避する傾向となっています。シュメール、メソポタミアとエジプトの文明の衝突は現在においても延々と引き継がれているのでしょうか。

日本人はあまりそういう事を意識せず極東で伝えられたものを知らずに保存していたものかと思います。それらが第二次世界大戦という形で現実に現れたとき、それらシンボルの持つ歴史や意味を間近に感じさせられるのです。


ワシントンD.C. スミソニアン博物館にあるブラザーリンドバーグが大西洋単独無着陸飛行に成功した際のスピリットオブセントルイスの先端の内側に描かれたswastika。吉兆を意味するシンボルとして当時流行したようです。

さて仏教と言えばやはり仏様を拝む事になるわけですが、この仏像製作と言う美術は教科書でも教わる通りアレクサンダー大王の東征の結果にガンダーラ美術として始まりました。


アフガニスタン バーミヤン遺跡の仏像 現在は身体もありません。


カンボジア アンコール・トム遺跡の仏像


東大寺 盧舎那仏


広隆寺 弥勒菩薩半跏思惟像


薬師寺 薬師如来像


興福寺 阿修羅像


高徳院 阿弥陀如来像
鎌倉や御仏なれど釈迦牟尼は美男におはす夏木立かな 与謝野晶子


大船観音寺 巨大白衣観音像

これらはすべて源流をエジプトのスフィンクスに求められるようです。スフィンクスはピラミッドより起源が古いとされ、もともとファラオの顔を模した神様の造形であるようです。


ギザの大スフィンクス
スフィンクスの逸話としては次の神話が有名です。ウィキペディアの引用です。オイディプスの神話によれば、ヘーラーによってピキオン山に座し、テーバイの住人を苦しめていた。旅人を捕らえて「朝は4本足、昼は2本足、夜は3本足。これは何か」という謎を出し、間違った者を食べていた。なお、答えずに引き返すことは可能だった。この謎はムーサに教わったとされている。しかし、オイディプスに「人間は赤ん坊の時はハイハイで四つ足、成長して二足、老年で杖をつくから三足だ」と答えられ、岩の台座から飛び降り、海に身を投げて死んだという。
この逸話は人生を青年期、壮年期、老年期に分けて考えるフリーメイスンリーの教えの元になったものと考えられます。人生を朝、昼、晩のように三つに分ける考え方はそれぞれ三階級の教えとしても反映されています。


ベルリン ネフェルティティの胸像(ツタンカーメンの義母)


ツタンカーメンの黄金のマスク


ラムセス二世のアブ・シンベル神殿


ギリシアのスフィンクス像


ミケランジェロ ピエタ像(聖母子像)


ワシントンD.C. House of the Templeのスフィンクス像


サウスダコタ州ラシュモア山 ブラザージョージ・ワシントン ブラザートーマス・ジェファーソン ブラザーセオドア・ルーズベルト エイブラハム・リンカーン(追記:リンカーンは入会申請を出したそうです。)

仏教に関してはインドではほぼヒンドゥー教とイスラム教が多数となりほとんどすたれてしまっているようです。ブラザーキップリングが指摘したように当地のカースト制度やバラモンの権力、釈迦の悟りへの過程などは日本人が日本で想像するものとはまた別の現実があるのでしょうし、それらはまたブラザーキップリングが感じたフリーメイスンリーの平等の教えの良さにも繋がり、また現在の経済発展著しいインドでフリーメイスンリーが盛んになっている事とも全て繋がるのではないかと思います。

またこれらの元となる東と西を結びつけた大帝国を一代で築いたアレクサンダー大王を生み出した国ギリシアが、いわゆるユダヤ人問題を第二次世界大戦後にイスラエルの建設によって解決し、統合ヨーロッパを生み出したEUにおいて経済的問題を抱え、現在の世界の重要な問題となっている事は、哲学や宗教を生み出し多くの智恵をはぐくんだ人類がさらにグローバル時代においてより偉大な智恵を必要としている表れではないかと思われます。ネオプラトニズムがルネサンスの原動力になったように歴史を見つめなおし現在に対処する事がすなわち新しい未来に対して扉を開く最善の方法になる事かと思われます。


上野 不忍の池の蓮


土偶ですね。


クールベ 波と罠にかかったキツネ


ファン・ゴッホ 白バラ


マックス・エルンスト

博物学はフリーメイスンリーの思想の重要なものです。


2012-02-10 09:17 | カテゴリ:横須賀
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
パーフェクトアシュラーの話はとりあえず引き延ばして、非常に個人的な横須賀についての感想をフリーメイスンリーに関して述べさせていただきます。

私が初めて横須賀に来たのは確かJR横須賀駅からどこかへ遠足みたいに行った事か、JR久里浜駅からフェリー乗り場か何か用事かで行った事があった事が最初だったと思います。横須賀が港である事は知っていましたし、三浦に行く途中で通ったりしたこともあったと思います。

小泉さんは高校生の頃町のポスターで知りました。知っている人の名前とほとんど一緒だったのでそんな人がいるんだという意識でした。

初めて京急線で横須賀中央まで来たのが大学時代でした。京急線に初めて乗ったのが高校時代でその頃の能見台だったと思いますが駅を降りてびっくりした思い出があります。横須賀中央に来たのはソフトバンクの派遣で東芝の電球をラオックスで売る仕事でした。JR横須賀駅の印象しかなかったので横須賀中央を見てまたびっくりしました。どぶ板通りの端っこにあったカバン屋さんが閉店セールをしていて、当時イチローが使い始めていたdj hondaのカバンを格安で買った思い出があります。

世の中もバブル経済、昭和から平成、冷戦終結、湾岸戦争、イラク戦争、テロとの戦いと大きく変化し、身近でも都市化、地球温暖化、個人主義、メディアの発達など変化の兆しはいたるところで進んだ時代でした。

その中で横須賀におけるフリーメイスンリーのシンボルはどのようなものであったのかと考えました。わたしが個人的に最も好きで恐らく多くのライオンズクラブやロータリークラブの方々も好きであろうシンボルは大楠山のらせん階段の展望台ではないかと思われます。いささかの陰りもなく、日本の自然と牧歌的な田舎の良さを体現し、象徴するものではないかと思います。しかしそれ以外の三笠公園や三浦海岸のずれたピラミッド、中央公園のそれらや横須賀美術館のものに至るまで、横須賀のフリーメイスンリーのシンボルにはどことなく呪詛やいま生きる人間たちの恨みの感情を感じさせるものがあります。フリーメイスンリーの教えでは光を求める事が一つの使命であるという命題がありますが、光は常に闇から生じ闇を照らすことで光があるのです。それはすなわち光あるところには闇が必然的にあるという事でもあります。

人間の心の中や人間社会には常に闇があります。それは意識や言葉が始まり、ものを考える人間として始まった時から自覚されるものです。横須賀の闇、それはフリーメイスンリーにとっては一つの日本全土を見る際の同じモデルケースなのだと思われます。日本人の心の闇、日本社会の闇、そういったものを照らし明らかにしていくことで、心を明るくし、社会を明るくしていくことがフリーメイスンリーの日本における役割であるかと思われます。

智恵の力、言葉の力、考える事の大事さ素晴らしさ、それらを新たに感じさせてくれるのがフリーメイスンリーの側面でもあります。またそれらは行動することが考えるよりも大事とする気風の横須賀のものとはやや異にするものでもあります。確かに開国の地において吉田松陰や福沢諭吉など先人たちは考えるよりも行動すること、恐ろしがるよりも試してみる事で結果として名声や名誉を残すこととなりました。しかし果たして彼らの成した事は世界で評価されるものでしょうか。日本で永遠に評価され続けるものでしょうか。わたしの知る限り行動しなかったユダヤ人で記述の残された人はいないでしょうが、ものを考えずに行動だけして評価された人はいません。ものを深く考え発言し評価するのがユダヤ人でしょう。

シンボリズムは一つの行動だと思います。言葉と一緒かそれ以上の言葉であります。しかしそれは多くの考えと考証、明確な認識に基づいていなければなりません。横須賀のシンボリズムにはそれらが弱いと思います。それを最も表しているのはYRP野比のものと中央公園だと思います。大楠山のものは出来が良すぎたのだと思います。そういう事はよくあります。

実際横須賀ロッジには日本人はわずかしかいません。世界の人々は良く勉強しています。日本人もかつては良く勉強していたかと思います。ロッジの扉を叩くのはあなた自身です。


2012-02-11 08:20 | カテゴリ:横須賀
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
横須賀唯一のパーフェクトアシュラーは夏島にあるとのことでした。

夏島の名前が出れば少し歴史に詳しい人であれば何がそれを意味するかはすぐにわかる事かと思われます。

本日2.11でさかのぼることちょうど123年前の1889年明治22年2月11日に日本では大日本帝国憲法が発布されたのでした。太陰暦から太陽暦に暦がかわり、旧暦の神武元年の1月1日が2月11日に当たる事から紀元節の祝日が始まりました。これについては当初は単純に旧暦の元旦を紀元節として1月29日にあてたそうですが、孝明天皇の命日が1月30日(旧暦12月25日)であった事からずらしたようです。孝明天皇の命日も旧暦ですがクリスマスなのですね。


夏島では123年前に発布された日本最初の憲法の草案が伊藤博文の別邸で作られ、それを記念して草案作成者の金子堅太郎、伊藤巳代治と有志によって大正15年に最初の記念碑が建てられました。


当初はこのような形で条文の数を表す76枚の御影石と、伊藤博文の別邸の間取り図を示した銅板が上部にあったようです。その後敗戦後には富士自動車の敷地内にあった記念碑は銅板がはぎ取られていたそうです。そのため富士自動車の社長達有志によって昭和26年2月11日に現在の姿に作り上げられたそうです。



碑文の内容は他のホームページに全文あげている人がいましたのでそのままコピペさせていただきます。
明治憲法草案起草の跡 金森徳次郎書
SITE OF ORIGINAL DRAFTING OF THE MEIJI CONSTITUTION
IN THE YEAR  MEIJI 20 ― AD.1887
    明治憲法起草遺跡記念碑
この記念碑は, 現在地から南方200メートルの場所に, 大正15年11月に建立されたものである。当時、明治憲法草案起草の関係者であり記念碑の建立発起人の一人であった金子堅太郎の言によれば, その場所は、 伊藤博文の別荘の草庵起草の室にあてられた12畳半の部屋であったという。記念碑は、太平洋戦争後荒廃していたが、当時この地で創業していた富士自動車株式会社の手によって、一部原形を変えて改修され昭和26年2月再度除幕された。このたび、元の位置を含む一帯が、日産自動車株式会社に帰属することとなったので同社と協議のうえ現在地に移設させ, 明治憲法草案起草の遺跡を示す唯一の記念碑として永く後世に伝えようとするものである。
ちなみに、この碑の外面は、76個の石からなるが、これは明治憲法の76箇条を意味し、基石の縦横各22尺2寸1分1厘の長さは、憲法発布の明治22年2月11日を示したものである。
昭和50年4月26日 横須賀市

金澤之爲地負山瀕海波光與嵐影相
映自古稱武相第一之名區伊藤春※   ※=「畝」の旁が「卜」 
公愛其勝構別墅於夏島将就此而審
議憲法典範之草案屋宇無輪奐之美
柱楹不加雕飾一棟六房纔凌風雨耳
明治二十年三月起工六月落之也公
乃徃焉陪従者三人予與金子堅太郎
寓東家井上毅別居公日夾臨東家從
事調査予專管機秘草案一夕有偸兒
入予室奪行李而去翌朝覺之百方捜
索偸兒唯取銭而棄行李干圃中草案
則幸無恙矣公乃命二人移居夏島島
孤懸干海心非※舟不可渡居此者宛   ※=「イ」+「就」
如謫客距島数百武有烏帽子巖巖以
形名焉時際盛夏晨夕討論之暇徃徃
游泳至巌下其快洵不可名状也顧夏
島既爲憲法發祥之處而物換星移今
則為海軍飛行場併烏帽子巖無復※   ※=「厂」+「示」
影滄桑之燮足喫一驚也於是刻文而
誌遺跡以告後人云
  大正十五年十月
  正二位勲一等伯爵伊東巳代治撰并書
  発起人               PROMOTORS  
内山岩太郎            IWATARO UCHIYAMA 
山本惣治              SOUJI YAMAMOTO 
メーヨー エス シルビー      MAYO S. SILVEY 
ジェームス エイチ ドローン   JAMES H. DRAUGHON 
  昭和26年2月11日 再建   REBUILT ON 11TH FEBRUARY 1951
   協賛
  神奈川県
  横浜市
  横浜商工会議所
  横須賀市
  横須賀商工会議所
  富士自動車株式会社

継ぎ目はあるもののほぼ完璧なパーフェクトアシュラーですね。恐らく記念碑としては日本にここだけなのではないかと思います。それだけ明治憲法を制定したという業績は確固たるものであり、日本で日本人による政治的偉業としてフリーメイスンリーとして最も評価されるものであったと考えられます。明治憲法制定については、草案作りに参加した中心人物として伊藤博文とさらにその他の3人の内金子堅太郎の経歴がフリーメイスンリーとして興味深いところです。さらにこの記念碑の発起人である山本惣治氏、内山岩太郎氏の関連も注目されます。

まず伊藤博文についてですが、こちらは初代内閣総理大臣、夏目漱石の前の旧千円札のお札の肖像に採用されていたことで有名です。ウィキペディアで見ると初代兵庫県知事をされています。いわゆる長州ファイブの一人としてブラザートーマス・グラバーの仲介でイギリスに留学し、下関戦争の前に帰国し、その後岩倉使節団の一員として海外を歴訪し、ブラザービスマルクとも面会しています。その後は憲法調査のためドイツに留学しました。彼について有名なのは妻も元芸者であったように芸者遊びが激しかったことで、明治憲法草案についてもなじみの芸者が経営する金沢八景にあった東屋で草案の盗難事件にあった逸話もあります。現在金沢文庫には当時の料亭の面影を残した唯一の老舗千代本が往時の雰囲気をわずかに残しています。彼はイェール大学の名誉博士号なども取っており、ブラザー林董も伊藤博文の指示でフリーメイスンリーに加入したという話もあるようですし、日露戦争に関わり様々な注目を集めていたと考えられます。結局韓国併合目前の1909年にカトリック教徒の安重根にハルビンで暗殺されるわけですが、この事も彼が女性関係も含めた素行の点で芳しくなかった事によるのかもしれません。ユダヤ教によれば人間の評価は食べ物と性的生活でなされるということです。長州出身のほぼ百姓の息子であった明治の元老伊藤博文と山縣有朋の二人の死に伴って政府での長州閥の影響は弱まり、東北出身の旧士族の子供たちである陸軍や海軍の軍人たちの影響が強くなっていくのです。明治憲法に示された天皇大権に基づく議会制は、大正天皇の死と軍閥の出現、統帥権の干犯や軍部大臣現役武官制などを通して当初の立憲政治は無視されるようになり、結局はテロリズムの嵐の中日本は軍国主義の道を進むようになるのですが、憲法の理念、伊藤博文らの啓蒙と立憲政治の思想が守られたなら明治維新の成果は太平洋戦争で残骸となることなく現在までより多く引き継がれていたかもしれません。いずれにしても伊藤博文の死と韓国併合への植民地への欲望がこれら維新当初の日本人による憲法の策定という功績を駄目にしてしまった事は歴史の教訓かと思われます。


金沢八景野島に復元された伊藤博文別邸 これは品川にあった下賜された邸宅を移築したものだそうです。夏島のものとは関係ないそうですが、当時のものを修復し再現していて、明治の元老の美意識を感じることができます。山縣有朋の別邸なども箱根にありますが、現代の日本人の美意識の琴線に通じるものがあるかと思います。お茶会など良くやっていますので一度訪問されることをお勧めします。


伊藤博文の直筆 達筆ですね。江戸時代末期の庶民の教育水準の高さがうかがわれます。人柄もあるのでしょうが、恐らく明治期の志士の中で最も達筆なのではないでしょうか。中国に留学して仏教の真髄を学び伝えた弘法大師の逸話を思い起こさせるものではないでしょうか。


別邸の中庭 山縣有朋も庭づくりで有名だったそうですが元老や皇室での競い合いを感じます。江戸初期の戦国武将たちの隠居後の庭づくりに通じるものもありそうです。


野島別邸からの八景島の景色 伊藤博文は何を思うでしょうか。

次に金子堅太郎についてです。彼は福岡出身で藩主の黒田長知に同行して團琢磨と共に岩倉使節団の一員としてアメリカに留学し、ハーバード大学のロースクールに在学しています。さらにそこでブラザーセオドア・ルーズベルトの知己を得て、その後ブラザーエドマンド・バーグの著作に親しむようになります。帰国後に「フランス革命の省察」を明治天皇に奉呈して、それの抄訳を作成しています。日露戦争後は日米協会の会長を務め、最後まで日米開戦を憂慮していて開戦前の5月に亡くなったそうです。「フランス革命の省察」はいわゆる保守主義のバイブルと呼ばれる名著であり、イギリス保守主義、伝統主義の真髄を表した著作と言われています。ブラザーバーグはアイルランドの生まれで父は国教徒、母はカトリックだったそうです。本人は国教徒となり、ダブリンのトリニティ―カレッジで美学について論文を出して注目されたそうです。その後政治家となり、フランス革命のさなかに熱狂的なフランス革命支持者のフランスの青年からの手紙に答える手紙をしたため、その中でフランス革命がいかに理念が先行し現実が伴わないものであるか、確実に失敗するであろう現実的な評価、形而上的な権利や理念を追い求めることの虚しさ、相続についての自然権について述べてイングランドにおける名誉革命の成果を継続することがイングランドにフランス革命を輸入しないための最重要の事であると説いています。わたしは邦訳をまだ3分の1ほどしか読めていませんが、内容は極めて難しくそれでいて現実の評価や論理は単純明快で簡潔であり、ただ革命や革新に情熱を持った若者の情熱を完全にさめさせるには確かに十分な説得力を持ったものであると感じられます。彼もグランドロッジのホームページに名前を挙げられる重要なフリーメイスンの一人であり、この著作は実質フランス大東社に対する正統派英米フリーメイスンリーの評価であるとも考えられます。一種の現代の政治論文の最重要のものであると考えられ、フランス革命や共和制、王制や天皇制を少しでも考えたい人はすべからく読むべき著作、むしろ読んでから発言すべき著作であると考えます。


ブラザーエドマンド・バーグの肖像画

さて金子堅太郎については出身地が福岡であることも一つのポイントであるかと思われます。これについては後に取り上げる予定です。


発起人の山本惣治氏についてはウィキペディアではもともと日産の社長で、その後富士自動車の社長となり、追浜工場で米軍の車両の修理など行っていたとあります。日産ではダットサンの設計開発など行い、富士自動車では三輪自動車フジキャビンなど開発したようです。恐らく黎明期の日本の自動車産業の開発主導の立役者となった方かと想像されます。アメリカでいうとタッカーとかそういうのではないでしょうか。山本氏の死後重機メーカーのコマツとなって事業は継続されているようです。コマツの商標にパーフェクトアシュラーを模した正方形を認めるのは関係あるのでしょうか。

またもう一人の日本人発起人の内山岩太郎氏は戦時中の外交官、戦後の神奈川県知事の方です。ウィキペディアでは戦後日本の国連加盟に当たってフィリピンとの関係を調整され尽力されたとあります。また神奈川県の鎌倉にある県立近代美術館の設立にも関係されたようです。フィリピンとの関係修復はそのまま日本のフリーメイスンリーにとってグランドロッジの設立にかかわる重要な功績であり、恐らくここに名前を残された四名の方はフリーメイスンであったかと思われます。本人はカトリック信者でありながらフィリピンの寺院の復興に個人的に尽力されるなどフリーメイスンリーの汎宗教性を感じさせる逸話だと思います。鎌倉、葉山にある県立近代美術館は前者は八幡宮境内にあり、後者は葉山御用邸と通路でつながる場所にあり、美術館でありながら様々な背景を感じさせる立地にあります。特に葉山のものは2003年に出来たもので直接の関係はないようですが、ユダヤ人芸術家のものなど近代美術でもこだわりのある展示を行っており、興味深いものがあります。建築自体は六本木にある国立新美術館の原型とも思われる形ではないかと思います。

ざっと概観しましたが恐らく年間100人も訪れないであろう夏島の現在日産自動車の敷地内にあるこの日本で唯一であろうパーフェクトアシュラーの記念碑は、横浜の港の見える丘の外国人墓地に匹敵する、日本におけるフリーメイスンリーの歴史の記念碑であり、横須賀における最高のフリーメイスンリーの象徴であるように思われました。多くの人に訪れていただき、フリーメイスンリーとは何かをその象徴から感じていただければこのブログの意味がわずかでもあるように感じられます。
(追記:ちなみに現在のブラザーマッカーサーの下でつくられた日本国憲法の公布日は明治天皇の誕生日の11月3日であり、施行した5月3日はポーランドでヨーロッパ初の成文憲法が成立した日であるようです。明治憲法の施行日の11月29日は元旦から333日目という事はあるようです。)


2012-02-12 10:57 | カテゴリ:神戸
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
日本でのゴルフ発祥の地を知っている人は少ないのではないでしょうか。
戦後に外国人が導入したように思いそうですが、実は明治時代にやってきています。
太平洋戦争のさなかでも近衛首相や天皇陛下はゴルフをしていたそうです。石川出身の某首相はそれで非難を浴びましたがまあ昔からあまり変わらないのですね。

さてテニスやゴルフ、ラグビーやサッカーなどイギリス発祥のスポーツは多いのですが、スポーツはそもそもオリンピックや世界大会に象徴されるように平和のための疑似戦争、一つの社交や外交の目的があります。その中でもゴルフはスコットランドの羊飼いが暇つぶしに始めたという起源もあるもので、ポロと並んでイギリス紳士の社交としての地位が高いかと思います。ゴルフの起源の地とされる全英オープン開催地のセント・アンドリュースはフリーメイスンリーのスコティッシュライトの29階位に聖アンドリューのスコットランド大騎士として認め、そもそも聖アンデレは12使徒の一人なわけですが、都市には美しい石造の建築が多く認められ、しかも現在は多くが廃墟になっているようですが、これらはスコットランド、イングランドが宗教や王権の争いの中で繰り返し激しい戦争が行われていた証しでもあり、またその中で実務的メイスンリー、いわゆる教会や城を建築する戦争や宗教の請負職人としての石工が活躍していた証しでもあります。



セントアンドリュースの風景 ウィキペディアよりそのまま借用です。

さて日本最初のゴルフコースですがそれは題名で示した通り神戸の六甲山中にあります。
作った方はアーサー・ヘスケス・グルームというイギリス人の方で、恐らくフリーメイスンだと思います。ブラザーグラバーの友人であったそうです。非常に興味深いので毎度毎度ですがウィキペディアを引用いたします。
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アーサー・ヘスケス・グルーム(Arthur Hesketh Groom、1846年9月23日 - 1918年1月9日)は、幕末から明治にかけて日本で活躍したイギリス出身の実業家。六甲山の開発と景観保護に力を注ぎ、「六甲山開祖」と呼ばれた。

経歴 
1846年9月22日、イギリスのロンドン郊外で生まれた。トーマス・ブレーク・グラバーとともにグラバー商会を設立した兄のフランシス・グルームの勧めで同商会に勤務することになり、訪日。長崎での勤務を経て1868年4月に支店を開設するための出張員として開場したばかりの神戸外国人居留地を訪れた。
1870年にグラバー商会は倒産し、グルームは元同僚と共同出資して居留地101番地にモーリヤン・ハイマン商会を設立。日本茶の輸出、中国紅茶の輸入などを手掛けた。1883年には横浜居留地へ移住し、生糸の輸出を行ったが業績が思わしくなく、10年ほどで神戸へ引き返し居留地内播磨町34・35番地に商社を構え茶の輸出を続けた。
1897年、神戸外国人居留地内にあったオリエンタルホテルをエドワード・ハズレット・ハンターらと共同で買収し、社長に就任した。1908年には居留地6番地に同ホテルの新館を建設。ゲオルグ・デ・ラランデの設計したこの新館は「東洋一の洋館ホテル」と呼ばれ、高級ホテルとして繁盛した。しかし同時期に起こった恐慌のあおりを受けてオリエンタルホテルの経営状態は悪化し、1916年に経営権を日本人実業家の浅野総一郎に売却した。
1917年末、神戸外国倶楽部(神戸倶楽部)で開かれたクリスマスパーティーに出席したグルームは泥酔して玄関の石段で転倒し、脳震盪を起こした。翌1918年1月2日、同じ神戸倶楽部で開かれた新年会に出席したグルームはまたもや泥酔した挙句玄関の石段で転倒し、頭部を強打。傷口から破傷風に感染したことが原因で9日に死亡した。遺言により葬儀は仏式(日蓮宗)の家族葬で営まれ、遺体は火葬されて春日野墓地にあった妻の実家・宮崎家の墓に葬られた。戒名は英知院具理日夢居士。

六甲山の開発
グルームは六甲山の開発に力を注いだ。きっかけとなったのは五男がろう者であったことを趣味の狩猟で多くの動物を殺した報いと感じ、罪滅ぼしに狩猟をやめ、動物が多く住んだ六甲山の自然を守ろうとしたことにあったとされる。
1895年、グルームは長男亀次郎の名義で六甲山上の1万坪あまりの土地を畑原村など3つの村から納涼遊園場敷地として借りた。グルームはまず三国池付近の45坪ほどの土地に自分の別荘を建て、その後別荘地を外国人に分譲した。グルームが建てた別荘は六甲山上に建てられた最初の人家であり、「101番屋敷」「百壱」と呼ばれた。
グルームはスポーツマンとして知られ、神戸外国人居留地内に発足したスポーツクラブ(神戸クリケットクラブ・神戸レガッタアンドアスレチッククラブ(KRAC)の設立に深く関与していた。グルームはKRACに高齢のメンバーを勧誘するため、土地の安い六甲山にゴルフ場を建設することを思い立った。工事は1898年頃に開始され、1901年に4ホールのコースが完成した。このコースをもとに1903年、会員制のゴルフ場神戸ゴルフ倶楽部が発足した。
グルームは植林や桟道の整備開発に私財を投じ、六甲山が避暑地・リゾート地として繁栄する礎を築いた。明治末には建てられた別荘は60戸、住人の外国人は100人以上を数え、別荘地一帯は「神戸外国人村」と呼ばれた。六甲山を開発した功績からグルームは「六甲市長」と呼ばれた。

逸話
六甲山を巡って、グルームにはいくつかの逸話が残されている。
白髭神社の狐 
ある日、グルームは猟師に追われ別荘の敷地へ逃げ込んできた狐を匿った。狐は付近に住みつくようになり、グルームの膝の上で眠るほどに懐くようになった。狐はグルーム以外にはまったく懐かず、グルームが死ぬと姿を見せなくなった。1919年、グルームに匿われた狐が乗り移ったという男が中山手通に住んでいた家族のもとを訪れた。この出来事をきっかけに家族は六甲山に祠を作って狐を祀ることにした。グルームが匿った狐の尾が白かったことから祠は白髭神社と名付けられた。この祠は現在六甲山ホテルの西にある。
グルーム地蔵 
グルームがゴルフ場の建設工事を行っていた頃、外国人の子供が建設予定地の近くにあった地蔵にいたずらをして首を折った。グルームはこの地蔵に新しい首をつけて別荘内に安置するとともに、新しい地蔵を作って元の場所に置いた。この地蔵はグルーム地蔵と呼ばれ、後に近くから出た湧水は味が良いと評判になった。この湧水はグルームの末期の水に用いられた。
記念碑 
1911年、グルームの六甲山開発における功績をたたえて記念碑を建てる計画が持ち上がった。グルームは「私は神様ではない。死んでからにしてくれ」と断ったが計画は実行に移され、高さ3メートルの石碑「六甲山開祖之碑」が後に記念碑台と呼ばれるようになる山上に設置された。この石碑は太平洋戦争中の1942年に「敵国人の顕彰碑」として軍部の手によって破壊されたが、終戦後の1955年に「六甲山の碑」として再建された。
家族
グルームは神戸を訪れて間もなく、下宿先であった善照寺の住職・佐々木先住の紹介で大阪玉造の士族の娘、宮崎直と結婚した。夫婦仲は娘の柳が「50年一日の如く、いたわり合い信じ合っていた」と振り返るほど良好で、グルームがオリエンタルホテルの経営で苦しんだ際に直は手持ちの資産をすべて提供した。
夫婦の間には15人の子供が生まれ(うち6人は早世)、全員が妻の実家である宮崎姓を名乗った。
長男:亀次郎(1872年(明治5年) - 1931年(昭和6年)、神戸生まれ)
長女:千代(1874年(明治7年) - 1937年(昭和12年)、神戸生まれ)
次男:米吉(1880年(明治13年) - 1944年(昭和19年)、横浜生まれ)
三男:末吉(1883年(明治16年) - 1952年(昭和27年)、横浜生まれ)
四男:久吉(1885年(明治18年) - 1952年(昭和27年)、横浜生まれ)
次女:花(1887年(明治20年) - 1960年(昭和35年)、横浜生まれ)
五男:英悟(1888年(明治21年) - 1960年(昭和35年)、横浜生まれ)
六男:鶴之助(1890年(明治23年) - 1964年(昭和39年)、神戸生まれ)
三女:柳(りう)(1894年(明治27年) - 没年不詳(昭和)、神戸生まれ)
長男亀次郎は昭和6年に死んだが、次男の米吉夫妻が中心となって、六甲山の開発で追われた鳥獣虫・草木の慰霊を願った父の志を継ぎ、三国池の横道を登りつめた丘の上に、法華経8巻を納めたグルームの宝塔を立てた。その他グルームに関係する史跡として、前述の白髭神社、グルーム地蔵、チェンバー標識石がある。

この中で出てくる神戸外国倶楽部と言うのが現存する神戸にあるフリーメイスンリーのロッジで、イングランド系のRising Sun Lodge No. 1401とスコットランド系の Hiogo and Osaka No. 498が使っているそうです。Rising SunというとEXILEの曲であったような気が。1872年と1870年に結成されたそうで戦時下では一旦引き揚げたそうですが、戦後に継続しているので連続したものとしては最古のものになるのかと思います。神戸は横浜と並んで明治維新後よりフリーメイスンリーの盛んな土地で、現在日本グランドロッジの管轄下のものは京都で無くなってしまったそうですが、関西地域で今後増えることも予想されます。その中でアーサー・ヘスケス・グルームの逸話は非常に重要なものになるのではないかと思われます。

私は神戸は二度しか行った事がありませんが、二度とも六甲山に登りました。関西自体その他に大阪、淡路島に一度しか行ったことが無く、京都は二度くらい行きましたがあまり関西について詳しく知っているとは言えません。ただまあ有馬温泉でダライ・ラマの夢まで見たのはいい思い出でしょうか。二度目に行った3日後にアキレス腱を切ってしまいイギリスとフランスのグランドロッジに訪問する機会を逸してしまいました。

とまあ色々逸話の多い関西地域のフリーメイスンリーの話です。孝明天皇の死にまつわる逸話もあり次回より写真と共に見聞録をまとめたいと思います。


2012-02-13 10:40 | カテゴリ:神戸
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
大阪のシンボルと言えば大阪城でしょうか。豊臣時代の石垣は埋もれているそうですが、恐らく城郭の石垣としては最も大きな石が入り口付近にあります。徳川時代のものとされますが、大きな石は権力の象徴として豊臣時代の石垣から再利用されたと推測されます。(追記:どうも徳川時代に切り出したもののようです。豊臣時代のものへ見せつけたものでしょうか。)大きな石へのそれは西洋の優れた築城技術をキリシタンから学んだ豊臣秀吉の大陸や世界への憧れをそのまま反映したものかと思います。治世の途中からキリシタン弾圧を開始した秀吉ですが、信長後に日本統一を果たし、その過程で多くのキリシタン大名やイエズス会の宣教師と懇意にし、西洋の知識や知恵を利用したものと考えられます。漢字がほとんど書けなかった百姓出身の秀吉の人心をつかみ取る筆まめな様子が、数多く残された手紙から直接伝わってきます。関西の美意識、権力と政治に対する考え方が若干反映されているのではないでしょうか。秀吉がキリシタン弾圧を開始してすぐに亡くなられている事は後の孝明天皇や伊藤博文の死にも何やらつながりがありそうです。

私は行った事はないのですが通天閣というこれまた大阪の象徴とされる塔にあるビリケン様というのは実はフリーメイスンリーの象徴です。正確にはスコティッシュライトの32階級で構成されるシュライナーズというアメリカで有名な友愛団体の内に存在するRoyal Order of Jestersの象徴とされています。アメリカ人の芸術家の女性の夢に現れたのがこの形の悪魔のような子供のようなものだったのですが、これを神様として造形したようです。のちに当時の大統領のブラザーウィリアム・タフトの愛称をとってビリケンとしたようです。ピエロの図は以前ポール・マッカートニーが無意識に描いたものといったのが、テレビ東京の鑑定団で出ていたりしていましたが、関連あるかはわかりません。


通天閣のビリケン像


Royal Order of Jestersのピエロのマーク バットマンのロビンみたいですね。

さて明治維新に関わる関西の逸話と言えば緒方洪庵適々斎塾の話は欠かせません。私は手塚治虫の遺作である「陽だまりの樹」で知ったたちですが、福翁自伝や大阪大学医学部の関連で知った方も多いかと思います。(追記:手塚治虫については彼は大阪帝国大学附属医学専門部出身で大阪大学医学部とは直接関係ないようです。彼自身は外科の勉強をしたようです。平成元年に胃癌で亡くなられています。同じ遺作である「アドルフに告ぐ」ではヒトラーがユダヤ人であったというフィクションを題材にしています。その中で神戸のユダヤ人についての話があります。ライオンキングのオマージュは一つのディズニーやフリーメイスンリーの彼に対する評価であるかと考えます。)司馬遼太郎の作品にも良く出てきているようです。適塾の卒業生には後の陸軍軍医や、榎本武揚と共に戦った陸軍奉行の大鳥圭介、官軍の指揮官で後に日本陸軍を創設した大村益次郎、安政の大獄で処刑された橋本左内、慶應義塾の創始者の福沢諭吉、手塚治虫の曾祖父の手塚良仙らがおり、当時珍しかった蘭和辞典のヅーフ辞書があり、これの複写で生活費を稼ぐのが主な学生の勉強であったようで、その他は洪庵が訳したドイツの医師フーフェランドの内科学の著書の蘭語訳書の暗誦があったようです。その他は牛の解剖などやっていたようです。


緒方洪庵肖像


適々斎塾跡 周囲は中之島の南側のオフィス街で、銀行や保険会社のオフィスビルが立ち並びタイムスリップしたような印象です。地図で見ると今話題の大阪市役所の目の前に当たりますね。XPの大阪市です。



中庭もある勝手のいい作りになっており、集団生活であってもある程度快適に過ごせる作りになっています。当時の大阪商人たちのかなりの援助があったものと思われます。茶を大成した堺の商人の千利休などと同じく、いわゆる大阪商人のギルド、組合のようなものが積極的に当時の先進科学であった蘭学教育と蘭方医学に対して緒方洪庵個人を通して支援していた様子が想像されます。


ヅーフ辞書と塾生部屋の刀傷 辞書や百科事典の作成にはフリーメイスンリーの思想が強く反映されています。辞書を筆写することで学習する事は当時外国人と接する機会の極めて少なかった日本において可能な限られた外国文化の学習法であり、どれほどの効果があったかは不明ですがその後の彼らの活躍を見れば、学習の機会や姿勢、西洋文明に対する受容という点では当時における最高の学習法であった事は間違いなさそうです。

緒方洪庵自体は誰からも尊敬されて患者の評判も良く、また夫婦仲も良い家庭であったらしく、その雰囲気もヘボンの家庭のように同居人であった弟子たちに良い影響を与えたものかと考えられます。緒方洪庵の最大の業績はブラザージェンナーが発明した種痘の方法を種痘所を開設して行ったことで、これらは結局お玉が池種痘所となり、大阪大学医学部、東京大学医学部の元となったとされています。(追記:種痘を日本に伝えたオランダ人医師オットー・モーニッケはフリーメイスンかどうかはわかりませんが、博物学の本を残しているそうです。恐らくフリーメイスンではないでしょうか。)緒方洪庵が種痘を開始したのが1849年で、その後種痘は全国に広がりましたが、1862年に江戸城奥医師に任ぜられ江戸に上京して後すぐ1863年に喀血して死亡しました。恐らく結核だったのだと思います。色々な派閥争いがあったようで、種痘で全国的に名を売った緒方洪庵には敵が多かったようです。それから4年後の1867年に孝明天皇は天然痘で急死しており、当時の皇族は種痘を忌避していたものと考えられます。

ブラザージェンナーによる種痘はいわゆる牛飼いに伝わる天然痘よけに牛の天然痘にかかると人の天然痘に罹らないという言い伝えを実用化したもので、これに関連してか牛を神として崇める文化は旧約聖書にも異教として認められ、現在ではヒンドゥー教などで認められます。


ブラザーエドワード・ジェンナーの肖像画 彼は開業医でしたが種痘の業績により免疫学の祖とされています。
その他に医者や医学に貢献したフリーメイスンとしては有名なところで次の人々がいます。


マラーの死 ブラザージャン・ポール・マラーはジャコバン派の領袖であり開業医でした。彼はジャコバン派が権力を握っている時期に、自宅でアトピー性皮膚炎の治療のため入浴していたところを地方からわざわざ訪問した神がかりの女性に暗殺されました。


ブラザーサーアレキサンダー・フレミング 彼はペニシリンの発見によってノーベル医学生理学賞を受賞しました。抗菌薬の発見によって近代医学は劇的な進歩を遂げました。
近代外科学の手術を可能にした消毒の考えを著したブラザージョゼフ・リスターもフリーメイスンです。彼の名前を残した口腔消毒薬リステリンは有名ですね。その他アメリカの有名な病院であるメイヨークリニックの設立者(ブラザーウィリアム・メイヨー)もフリーメイスンでありました。フリーメイスンリーの世界に限れば医師であるブラザーアルバート・マッキーはフリーメイスンリーの辞書や歴史書を編纂し、フリーメイスンリーのシンボルや歴史を整理するのに貢献しました。

ブラザーエドワード・ジェンナーが始めた種痘によって、人類の長年の大きな敵であった天然痘は現在地球上に存在しません。かつてはアメリカ大陸でコロンブス以下のヨーロッパ人が持ち込み、多くのネイティブアメリカンがこの病気で死亡しました。(追記:ネイティブアメリカンは侵略者に喫煙の習慣を教えたそうです。喫煙による死亡者はご存じのとおりです。ネイティブアメリカンにもフリーメイスンが多数いるそうです。フリーメイスンの喫煙率も相当なものです。)

医学の歴史は旧約聖書のユダヤ人の戒律に認める通り宗教と科学の歴史そのものであり、解剖学、生理学を含めて今日のフリーメイスンリーの教えの体系の基礎を成すものでもあります。


2012-02-14 09:49 | カテゴリ:神戸
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
長崎は今日も雨だった

フリーメイスンリーの話題も所変われど中身は一緒なので横須賀の話を一通り読まれていれば神戸になってもほとんど内容は一緒です。恐らく世界中どこへ行っても同じだと思います。

やはり神戸も開港5港の一つであり、現在NHKで絶賛放映中の大河ドラマ「平清盛」である通り、神戸は平安時代より天然の良港として近畿圏の海運の中心であり、現在では神戸港や神戸空港や鉄道を中心に物流や人の流れが盛んです。外国人居留地がありましたのでやはり近代になり異国情緒豊かな東と西の邂逅が認められたわけです。

神戸にある東と西の邂逅、これは八景島シーパラダイスの水族館と、三浦海岸の公衆トイレで認められたずれたピラミッドのテーマでしたがこれとほとんど同じものが神戸にもありました。


神戸空港からすぐの神戸ポートピアホテル前にあるずれたピラミッドですね。
私はこのポートピアホテルは学会で行ったわけですが、大体ロータリークラブが定例会を開いておりました。タクシーの運転手さんに聞くとあまり年寄りは近付かないとか言っていました。もともとポートピアランドなどがあったのでしょうか。中の雰囲気はフリーメイスンリーについて知っているとすぐに関連が感じられる作りになっていました。八景島と同じく恐らく大阪城に徳川家茂がいて、御所に孝明天皇がいた第二次長州征伐の際に、四カ国連合艦隊の外国船が駐留したのがこのあたりだったのではないでしょうか。


隣にある国際展示場には明らかにヤキンとボアズの柱がありました。


ホール前には星印がたくさんあります。


ホテルの方はこんな感じみたいです。




シンボルが描かれた絵画があります。作者の方はフリーメイスンではないようです。(追記:石阪春生さんというそうです。)砂時計やグランドロッジのような建物が認められます。この他にもブラザーキップリングの名前を冠したブランドか店がありました。(追記:バッグのブランドで大丸で売っているようです。大丸は現在神戸外国人居留地跡にあります。東京だと東京駅でしょうか。)テーマはやはり東と西の邂逅のようです。


国際免疫学会だったのですね。基調講演だけ聴きました。MHC発見者のオーストラリアの外科医Peter C. Dohertyです。(2018/3/7追記:獣医師ですね。)この時の国際免疫学会の会長だったのでしょうか。ノーベル賞受賞者ですね。フリーメイスンかどうかは知りません。たぶんフリーメイスンじゃないでしょうか。


David Baltimoreです。ノーベル賞受賞者ですね。NIHの捏造騒ぎで法廷にも呼ばれたのでしょうか。奥さんが中国人ですがユダヤ人の人でフリーメイスンかもしれません。


岸本忠三先生ですね。IL-6を発見した大阪大学元総長です。
実は私の親戚にも西塚泰美先生という神戸大学の元学長がいてノーベル賞候補でしたが2004年に脳卒中で急逝されました。ノーベル賞受賞者には横須賀出身者もいて物理の小柴昌俊先生がそうですね。
この時に来ていた中でJules A. HoffmannとRalph M. SteinmanがTLRの発見で翌年のノーベル賞を受賞しました。


金聖響氏の指揮による大阪フィルハーモニー交響楽団のコンサートが行われました。
曲目は; グリンカ 歌劇「ルスランとリュドミラ」序曲 ドヴォルザーク 交響曲第 9 番ホ短調「新世界より」op. 95だったようです。(追記:どちらもフリーメイスンのようです。)まあなんだかちょっと場違いな空気でしたね。


会場にいた世界中の免疫学者?もしくはその卵でしょうか。


日本の免疫学の歴史の展示


以前上野の国立科学博物館で展示されていたノーベル賞の本物の複製品 確か医科生理学賞のものではなかったかと思います。(追記:物理学、化学賞のもののようです。)ノーベル自身はフリーメイスンではなかったようですが、ノーベル財団のあるスウェーデンは国自体がフリーメイスンリーの国ですし、王立アカデミーもフリーメイスンリーの組織だと思います。学術の振興や学会組織の運営、学会の開催なども基本的には英国科学アカデミーで始まったフリーメイスンリーの思想を元にしています。日本では日本学士院なども最初のフリーメイスンであるブラザー西周やブラザー津田真道らによって設立されました。科学技術の発展は人類の未来に資するものであり、同時に人類の共有財産として適切に管理され維持されなければなりません。現代科学は常に政治や宗教と共に密接な関係を持っており、正しく健全な発展を必要としています。


会場を出るとずれたピラミッドの低い方に水が流れていました。水は日本のシンボルです。やはり低い方が日本側、東側なのですね。まだまだ高みは上にありそうです。


2012-02-15 10:29 | カテゴリ:神戸
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
私も実は二度しか神戸に行っておらず、二度とも有馬温泉に行ったため、実質三宮の駅周辺や元町商店街を歩いたのは半日くらいしかないのです。それなので神戸に何があるとかそういう事はその限りでしかわかりません。

とりあえず三宮の駅を出るとバラ園があってニワトリの風見鶏のシンボルがありました。


まあフリーメイスンリーのシンボルとしては十分なのですが、最近話題のような新宿みたいにピラミッドをあっちもこっちも立てるのとはやはり歴史が古いようでシンボルの見せ方も穏やかみたいです。そうは言っても関東大震災後の都市の直下型地震である阪神大震災を平成になって被災した神戸なわけで何かしらシンボルへのこだわりはあるものと思われます。関東大震災当時は横浜の外国人居留地などを含めてかなりのフリーメイスンリーの部分が神戸へ移動した歴史もあったようです。

さて神戸と言えば異人館と言うことでとりあえず最初は行ったわけですが人も少ないしあまり目立ったシンボルもとんがり屋根と風見鶏以外に認められないので帰ります。
北野町から下っていくとインド人などを見かけていきますが、あまり白人や黒人は多くありません。生田神社に参拝していきます。生田神社周辺は神戸の中心地と言う感じです。後で説明しますが昔の神戸外国倶楽部はこの辺にあった様で、大正時代くらいのロッジの住所はこの辺から西へ行ったところのNHKや神戸女子大大学院のあるところだったようです。

元町通り商店街は花時計や地球儀の地面のレリーフなどがあったと思います。一応フリーメイスンリーのシンボルともなります。(追記:花時計は最初に分類学の父リンネが作ったそうで、彼もフリーメイスンなんだと思います。確実にそうかどうかはわかりませんが、リンネの分類学の思想はフリーメイスンリーの科学思想の源流であるかと思います。神戸の花時計が日本最初だそうで、そういう意味で非常に意味深いシンボルなんだと思います。)ブラザーモーツァルトの名前を冠した店などが散見されたかと思います。結構長い商店街です。中華街も小規模ながら密集して活気のある感じでした。郵便局の横を抜けて旧外国人居留地の方に行く所でホテルかマンションのような新しい建物が屋根にピラミッドを多数つけていました。阪急などの方へ行く所で、モザイクという名のモールがあるようです。旧居留地の方へ行くと震災で石造りの古い建物は倒壊したものが多いらしく、元町駅の駅舎に遺構がなっていたりします。震災の後にマンションが増えたようでした。大丸の所まで行くと旧居留地で最初に目立つのはNTTの建物です。その他はブティックなどが並び特に目立ったシンボルのようなものはありませんでした。


メリケン波止場より旧居留地を望む
旧居留地で唯一シンボルらしいのはプラダの壁画だけでした。


縄の結び目はミラノの市章みたいですがフリーメイスンリーの友愛の象徴ですね。(追記:縄の結び目はイタリア統一運動で中心に活動したサヴォイア王家の紋章のようです。P2ロッジ事件でも名前が出てくるかと思います。)


生田神社裏中山手通りにある恐らく昔のロッジがあったあたりにある写真館の人形。
恐らく最初のロッジがあったという一番という意味ではないでしょうか。まあ普通の人には関係ありません。ここの北側には孫文の記念館などありこの地域がかつてのフリーメイスンリーの日本での活動の中心地の一つであった事が想像されます。現在の神戸外国倶楽部はここをさらに北上し北野町の少し閑静な所に入った関係者以外立ち入り禁止の敷地のカービーホールと言う所のようです。


メリケンパークの地図 直角定規などととれるのでしょうか。神戸ポートタワーはそのままシンボルだと思います。展望室ではテディベアとバラの絵柄のものを売っていました。映画の宇宙戦艦大和で使われた船など3つの船が展示してあったのはそのまま戦艦三笠と同じくノアの箱舟のシンボルだと思います。(追記:グーグルアースで見ると全体がチェッカーの模様になっていますね。)


神戸海洋博物館の形はシドニーのオペラハウスの様で恐らくシンボルなのだと思いますがちょっとわかりません。その前にある碇はシンボルとなりますが川崎重工のものではなく三菱重工のもののようです。横浜ロッジのホームページにありましたが何やらフリーメイスンが明治時代に作った神戸の造船ドックだか製鉄施設はその後川崎重工に取られてしまったとか歴史はあるみたいです。ちょっとかなり複雑みたいです。

メリケンパークにはちょっと変わった石の彫刻もありました。


淀川長治さんを記念したもののようです。パーフェクトアシュラーの空洞ですね。生涯独身で結婚せず映画を評論した淀川さんを象徴するものでしょうか。丸い磨かれた石は観客を意味するのでしょうか。


一応この二人はフリーメイスンです。たぶん本人たちとは直接関係ないものでしょう。


大きな魚の塑像と手前にある魚を狩る鷲の彫刻。出来たのは阪神大震災の前みたいです。
魚はキリスト教のシンボルでキリスト自身を表すものです。日本の魚食の習慣もありキリスト教化した日本を象徴するのかもしれません。手前の鷲が魚を狩る図はそのままの印象でアメリカが日本をキリスト教化した所で捕えると考えてよいのではないでしょうか。三笠公園の意味とほとんど同じかと思われます。シンボルの意味がこうして確認されることにもなるわけです。(追記:モザイクガーデンの信号所が三笠公園のマストに当たる十字になるのですね。全く一緒ですね。)


近くにあったメリケン地蔵尊 日本の伝統宗教の意地だと思われます。アーサー・ヘスケス・グルームの逸話を思い出させます。シンボルはどこでも同じ事です。


2012-02-16 11:06 | カテゴリ:神戸
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
神戸と言えば有馬温泉と言うことでフリーメイスンリーとは本質的には関係ありませんが、最初に泊まった「ねぎや陵楓閣」という所の前にはロータリークラブもあったりなんかして、まあ温泉と言うのは我が日本のフリーメイスンリーは親睦を兼ねて温泉旅行とか比較的多いようです。
そもそもフリーメイスンリー発祥の地イングランドではストーンヘンジの近くにローマ時代の温泉地バースなんてのもありまして、ローマ帝国では公衆浴場が一般的であったこともあり裸の付き合いということでReliefということにはなるのかと思います。(追記:バースには2005年から高級スパが開業しているそうです。お出かけの際にはぜひご利用ください。)ただ公衆浴場と言うのが欧米では一般的ではない事からあくまで日本的なものと言うことになるかと思います。

有馬温泉の由来がどうとかいう事はいろんなところに書かれていますし、あえて宣伝してもしょうがないので立ち寄り湯(金の湯、銀の湯)にあった由来の写真を載せます。


この中であえてフリーメイスンリーと関係ありそうな名前をあげれば孫文と蒋介石くらいですかねえ。二度目に泊まった旅館には細川護煕元首相の春暁の揮毫がありました。恐らく神戸にいたフリーメイスンや日本全国のフリーメイスンやロータリーやライオンズの人も大体一度は来てるんじゃないかというくらいな単に温泉として有名なんじゃないでしょうか。
まあ温泉観光地として面白かったのは太閤秀吉が作らせた露天風呂の遺構が残っていて、それが非常に粗末に見えるので天下とってもやっぱり娯楽はその位かって印象を持つくらいですかねえ。実際は金の茶室の人ですからそんなわけないでしょうが。


寺とか神社が多いですね。有名だから全国から人が来ますからやはり参拝客が多くなりますからね。教会はちょっとわかりませんでした。
道後温泉がここよりも古いところと言う事らしいですが温泉のお湯は毎日新しいものですからねえ。

こういう所へ来るとやはり歌とか俳句を詠みたくなりますね。

有馬山猪名の笹原風吹けばいでそよ人を忘れやはする 大弐三位

百人一首は欠かせませんね。

しなが鳥猪名野を来れば有馬山夕霧立ちぬ宿は無くて 万葉集

花吹雪兵衛の坊も御所坊も目におかずして空に渦巻く 与謝野晶子

有馬温泉は神戸からだと地下鉄と電車を乗り継いで3-40分でしょうか。間の風景が日本的でよろしいのではないでしょうか。個人的にはおみやげに売っている八つ橋に似てる金泉焼ってのはおいしかったですが、炭酸煎餅もポピュラーみたいです。松茸昆布なんかもあるようです。

これ以上有馬のネタはありません 小雀局


2012-02-17 10:52 | カテゴリ:神戸
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
正式には六甲有馬ロープウェーのようです。有馬温泉駅から極楽寺や温泉寺を越えて炭酸泉の源泉を上っていくとロープウェーの駅があります。途中には一時期テレビでも取り上げられた豪華なかんぽの宿もあります。


ロープウェーは若干高めの値段ですが面白そうなので乗る事にしましょう。


二度目に行った時にはこういうポスターがありました。最初に行った時は出来たばかりでした。


ロープウェーは乗客は多くなく手つかずの森が認められなかなかよい景色です。似たようなもので箱根のロープウェーもありますが、あちらは結構乗客も多く休日は大行列となったりします。赤松の森が認められます。




20分くらいでしょうか。六甲山山頂に到着します。なだらかな曲線の山々は関東のそれとは違い日本の絵画のイメージにあるような郷愁を思わせるのでしょうか。


山頂はこんな感じです。二度目に行った時は霧が濃かったです。奥にあるのが最初に行ったとき出来たばかりであった六甲枝垂れというランドマークです。出来たばかりの時は恐らく製作にかかわったようなロータリークラブかライオンズクラブの方々が大勢集まっていました。
まあ要するにこのブログのテーマであるフリーメイスンリーのシンボルですね。一体なんでしょう?

これは結構難しいのですがフリーメイスンであれば簡単です。これには今度の大統領選挙が関係しているようなのですがどうでしょうか。オバマ大統領の対立候補になりそうな共和党の有力候補のウィラード・ミット・ロムニー氏はモルモン教の信者という事です。モルモン教は1830年アメリカ合衆国にてブラザージョセフ・スミス・ジュニアによって立ち上げられた新興宗教で、世界まるごとハウマッチなどのテレビ番組で解答者になっていた外国人タレントなどがその信者で宣教師だったので有名でしょうか。モルモン教はかつて一夫多妻制で有名でしたが、現在はそのようなことはないようです。ユタ州ソルトレークシティーに本部がありかつてはブラザーサー・アーサー・コナン・ドイルの有名なシャーロック・ホームズシリーズの最初の作品であるA Study in Scarlet(緋色の研究)で取り上げられているように過激な活動で特殊な集団として認識されていた歴史があります。そのユタ州の州旗に同じフリーメイスンリーのシンボルが認められます。


真ん中にあるのがわかりますでしょうか。ミツバチの巣なのですがあまり見たことなければ分からないと思います。英語ではBeehiveとなりますが、フリーメイスンリーのマスターメイスン、共同で協力して作業する事のシンボルであり転じて工業や人間社会の発展のシンボルとなります。蜂蜜は古代エジプトで重要な食品や医薬品、ミイラを作るときに必要な材料であり、養蜂の技術は既に確立されていたそうです。糖分の貴重な時代ですから現代の最新の医薬品のような効果や秘薬として扱われたと考えられます。養蜂の技術はフリーメイスンリーでも重要とされ、養蜂に関する本を出したり現代の養蜂技術を確立された方はフリーメイスンのようです。Mason beeという蜂の種類もあるようです。最近でもアメリカでミツバチが突然絶滅するなどの話題がありました。ミツバチの蜜の収集に関する情報交換の研究でノーベル賞を受賞した方もいたかと思います。ファーブル昆虫記などの話と絡めて学校教育で学んだ記憶もあるのではないでしょうか。ファーブル昆虫記やシートン動物記のような生物の観察記録はフリーメイスンリーの科学思想と密接に関係するもので、彼らがフリーメイスンに近い存在であった事はあるようです。

まあ毎度毎度なのですが、ミツバチの巣がシンボルとしてある事はわかってもらっても、この六甲枝垂れがミツバチの巣のシンボルを示しているかはちょっとわからないかと思います。シンボルとはそういうものでありそれが秘密でもあります。それはやはり六甲山の開発の歴史とその後の神戸の発展、最近の阪神大震災の出来事などを理解して初めてシンボルとして認識されるものなのだと思います。


石ころ亭というお土産屋さんがありました。特にオベリスクとかピラミッドは売っていません。パーフェクトアシュラーも売ってはいません。なかなか関西流と言うか暗黙の了解という感じがなじんでる感じでしょうか。

次回更に詳しく六甲山頂のシンボルについてみていきます。


2012-02-18 07:59 | カテゴリ:その他 雑記
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
ブログもそのような感じです。そろそろ皆さんに提供するようなネタも枯れてきたので不定期になるかもしれません。何か質問や情報提供ありましたらお願いします。

このブログで触れた住友林業の魔笛の音を使ったCMが見なくなったのは残念です。
基本的にフリーメイスンリーのシンボリズムはその背景にある深い歴史とフリーメイスン達とそれ以前の人々の格闘の歴史を抱えていますから、暗黙の著作権というようなものがあります。安易に商業目的で利用する事は良い結果を生じません。日々勉強し階段を登り友と切磋琢磨しシンボルや儀式の意味を深く理解していって伝えていくという事になります。

安易な商業目的や利益目的には考えないようにしましょう。
2012-02-19 09:06 | カテゴリ:その他 雑記
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
休みなんでフリーメイスンリーとはあまり関係ないいい加減な話をします。

このブログでも少し触れましたが私はかつては免疫学をかじってやっていました。いろいろと煮詰まってきた学問ですが、やはりノーベル賞と絡めてピロリ菌による発がんやパピローマウイルスや肝がんなどウイルスと発癌のメカニズムは注目かと思われます。未知のウイルスについてはアメリカあたりは全て把握してしまっているようで一研究者レベルで出来ることはほとんどないかもしれません。慢性疲労症候群に関してレトロウイルス感染の論文が賑わせたのもついこの前の事かと思われます。

このブログの宣伝も含めて2ちゃんねるという某巨大掲示板では免疫学やフリーメイスンリーのテーマで匿名の書き込みでさまざまなやり取りが行われています。私自身も「小雀局」というハンドルネームを使用して日本のインターネット環境に画期的な影響を与えた事が約10年ほど前にありました。それから時代も様々に変化した事は実感されているかと思います。

ブログというものに対して私も当初は否定的でありました。しかしこの2か月弱の期間で確実に影響は認められるかと思います。情報発信の意味、そういったものを皆さんが実感され日々の生活の中で生かされていかれる事を期待します。
2012-02-20 15:09 | カテゴリ:神戸
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
六甲山頂のフリーメイスンリーのシンボルである六甲枝垂れの中はこんな感じです。
最初に行った時は完成直後だったらしく白木が非常にきれいでした。


お決まりの三階層のらせん構造になっています。


地下部分です。水琴になっているのでしょうか。非常によくわかりませんが、自然を感じるというのがコンセプトだったと思います。椅子部分に座ると冷たいとかそういうのだったと思います。


謎の番号があります。最初は神戸がロッジの一番だよと言うことかなとか想像してしましましたが、何やら番号が振ってあってそれぞれのテーマがある番地みたいなものみたいです。1の所は見晴らしがいいのかな。


棚田みたいになってる入り口です。解説を見ると氷を作るみたいです。天候によって色々違うみたいです。


隣にある六甲山ガーデンテラスの塔から六甲枝垂れをみるとこんな感じです。六角形の三つの建物がジンギスカン焼肉の店です。アンテナなどはよくわかりません。六甲山ガーデンテラスの方が六甲枝垂れより前にあるフリーメイスンリーのシンボルのようです。こんな感じの物見の塔があります。


物見の塔もフリーメイスンリーのシンボルのようです。新興宗教団体のエホバの証人、物見の塔の創始者もフリーメイスンと関わりがあるようです。公的には否定されているそうですが、エホバの証人の創始者Charles Taze Russellの墓の近くにはこんなピラミッドがエホバの証人によって建てられているそうです。


フリーメイスンリーの本にものみの塔がフリーメイスンリーのシンボルと言うのは出てきませんので、もしかするとエホバの証人がお金を出してこのシンボルを建築したのかもしれませんね。
六甲山ガーデンテラスはイギリスの建物をイメージしているようで、植木にバラを使っています。




バラがあるからフリーメイスンリーのシンボルと言うのはやや安易だと思いますが、塔の形とその他からシンボルかと思われます。
塔はこんな感じです。


やはりらせん構造になっています。


塔の上にはコンパスの図があります。これが重要になります。


塔からの眺め。霧が濃くて見えません。


塔から見た六甲山ガーデンテラスの全景はこんな感じです。眺めの良いカレーと紅茶の店があります。奥に見えるのが神戸ゴルフ倶楽部です。お土産屋ではローズの香りのするものを中心に、イギリス産のものを売っていました。カレー屋さんからの景色が素晴らしいので是非天気のいい日に行くとよいかと思われます。


2012-02-21 14:13 | カテゴリ:神戸
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー


六甲枝垂れの横のリフトで移動すると六甲山カンツリーハウスになります。


これはあまり関係ない六甲枝垂れからの景色ですね。二度目に行った時で霧は濃いながらも山下の景色はよく見えました。



ローズウォークというバラ園があります。品種が非常に多く珍しいものが多い印象です。かなり力の入ったバラ園ですが来園者が少なそうです。フランス関係とイギリス関係の名前が多いです。バラは肥料が相当必要なので維持費が高そうです。


人工降雪用の小規模スキー場もあります。リフトもあります。ゴーカートやバーベキュー場、釣り堀などもあり時期によるでしょうが家族連れが一日いても飽きないようになっています。
バラ園がフリーメイスンリーのシンボルっぽいですが、それ以外はバーベキューとかでしょうか。






六甲山ガーデンテラスからの景色です。グラニットカフェというカレーと紅茶のお店からの景色と塔からの景色です。神戸ゴルフ倶楽部の全景と瀬戸内海神戸港、西宮、大阪港が一望できます。比較的すいていますが天気のいい日は多いのではないでしょうか。景色もお店もすばらしいです。

関西はやはり関東に比べて文化も深みが違うし時間の流れも少しゆっくりで優雅な感じです。ただしフリーメイスンリーに限って言えばやはり外来の文化で保守的な関西ではかなり目立たない感じのシンボルになっている様です。

神戸のシンボルは今回で終了です。他にも何かありましたら教えてください。
このブログを通して知った神戸出身の赤間剛と言う方の著作もいくつか読みました。フリーメーソンの秘密などはかなり詳しく、現在の日本の陰謀論やフリーメイスンリーに関する知識の全て元になっているようでした。ロストシンボルと合わせて教科書のようなものと思われます。


2012-02-22 14:43 | カテゴリ:全国の市章
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
さてまたまた市章の話です。前回の市章の話では星の印を中心にお話ししました。
星以外では横浜市や御殿場市、能見市、苫小牧市、そして昨日追記しましたが倉敷市などもGのシンボルとなるとのことでした。

しかしその後でまた市章を見てみると、Gのシンボルは想像以上に多かったという事に気付きました。
ほとんど市章選定に絡んで市章作成の段階でGのシンボルについてはほぼ常識的に組み込むことが前提になっているような印象を抱く感じでした。
またその他にもタウ十字、アンク十字を入れることや、その他には船舶振興会の様な虹になるのかわかりませんがそれを入れる事も一つの約束となっている事が感じられました。もちろん日本的な日の丸の丸を入れることもわかります。
また大阪を中心にカイロ―χρXPのコンスタンティヌスの十字、ラバルムの形が認められることもわかりました。
東京市で認めたAll Seeing Eyeの形ももちろんあります。
Gのシンボルについては御殿場のように転倒して入れ込む形、反転して入れ込む形、波型の図形として入れ込む形、小文字にして入れる形、頭文字として堂々と入れる形などいくつかのパターンが整然としてきました。
やはりシンボリズムは数学で、市章をいくつも見ていく中で共通点を認め、その中で帰納的に法則を認めていく事になるかと思います。

それではGのシンボルを認めるものの中で極めて面白いものを優先にみていくことにします。
まず前回あげたものを再掲します。

苫小牧市 元首相鳩山友紀夫さんの選挙区でしたね。ブラザー鳩山一郎の孫にあたります。

能美市 森喜朗元首相の選挙区でしたね。干からびたチーズや最近息子さんが亡くなられたことなどありました。

御殿場市 岸信介元首相の別邸があった所のようです。その他にも玄洋社のメンバーであるアジア主義者頭山満が晩年を過ごした土地でもあります。この間富士山の近くで直下型地震があったのでこの市章を思いつきました。

倉敷市 これは岡山について考えることがあって思いつきました。行った事はありませんが街並みがきれいなようですね。丸に横棒一本でGを表すタイプです。

大野市 これは全く知らない土地です。やはり街並みがきれいなようです。御殿場で気づかないと気づきませんね。御殿場型の転倒したGの形ですね。

美濃市 美濃と言うと斎藤道三や織田信長でしょうか。工業団地があるようです。三つのGで能美市とかぶります。能美市と美濃市でダジャレでしょうか。深いです。

さてここから先は新しいものになります。
まず現在の日本の総理大臣の出身地、選挙区について見ていきましょう。

船橋市 All Seeing Eyeの変形でしょうね。Gにも見えない事はありません。
しかし実は出身地千葉県には野田市と言う名前の同じ市もあります。

野田市 ひらがなののの字だそうですが完全にGです。
ちょっと今日はこのくらいにしてまとめてから明日以降に出していきます。


2012-02-23 10:00 | カテゴリ:全国の市章
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
とりあえず分類したところすさまじく大量にあります。
300種類以上の市章、県章がシンボルと認められました。少なくとも私にはですが。

わかりやすく紹介するために分類して理解しやすく紹介します。
これだけ大量にあるとそのシンボルがあるから特にその土地に変わった特色があるという事はもうわからないレベルだと思われます。前にあげた所が首相を輩出していたりする特色があるのは、やはりシンボルもすぐにわかる、関連が想像がつくようなはっきりした程度であったからだと思います。それをこの後で確認していってください。

まずは丸に横棒でGを表現するタイプです。GはフリーメイスンリーではGod, Geometryを意味する頭文字でアメリカ系のロッジではWorshipful Masterが座る東の壁に掲示されます。生き方の中心に据えるということを教わります。

何度も出してすいません 苫小牧市です。倉敷市

鹿児島市 鹿児島県はGのシンボルが多い印象でした。まあ薩摩藩ですし言わずもがなですね。キリスト教伝来より古い丸に十字ですしなんのけれんみもありません。

碧南市 豊田関連でしょうか。枚方市 大阪です。

調布市 都会ですよね。蒲郡市 Gにはあまり見えませんかね。

犬山市 明らかに漢字の一ですね。目黒区 この辺になるとちょっと説得力があるでしょうか。

台東区 この並びに作為を感じますね。長岡京市 京都ですね。

浅口市 岡山ですね。芦屋市 神戸の近くですね。

浦添市 沖縄ですね。沖縄の中部には帝国ロッジという日本グランドロッジ傘下のフリーメイスンリーのロッジがあります。

倉吉市 鳥取ですね。微妙に逆さのアンクも入っています。偶然でしょうか?

荒川区 東京ですね。綾瀬市 厚木基地ですね。

韮崎市 サッカー中田の韮崎高校や民主党の輿石幹事長に関連があるようです。

すさまじく大量にあるので今日はここで止めます。印象でGに近いものからやっていますので次はだんだん遠くなっていきます。


2012-02-24 13:27 | カテゴリ:全国の市章
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
昨日の全国の市章G篇が不評だったようなのですが、引き続いて今日もその2です。
本当は全体を見てGならGをテーマに探すのがいいのですが、それだともっと面白くないと思うので、いかにもそれと見えるものを例によって提示していくやり方とします。
前回が丸に横棒タイプではっきりとわかるものだったので、今回は御殿場市のタイプで丸に縦棒タイプではっきりとわかるものをあげていきましょう。

まずは御殿場市です。市がGと言うのだから明らかにGです。岸さんと頭山満さんの地元なだけあって堂々としています。日本のシンボルも入れ込んであり隙はありません。

延岡市 宮崎ですね。All Seeing Eyeもありそうです。玉野市 岡山ですか。十字もあります。

大野市 福井ですね。これは何度も出しています。中野市 長野ですね。六芒星もかかっています。

小野市 兵庫県ですね。中心は三角ですね。諏訪市 諏訪大社でしょうか。

尾鷲市 三重ですね。(追記2/26:諏訪市と共に鳥自体がノアの箱舟で鳩が最初に放たれて帰ってきた逸話に基づいてシンボルとなるようです。あまりフリーメイスンリーの独自のシンボルではなさそうですが、キリスト教では伝統的に鳩がノアの箱舟の逸話と結びついてシンボルになるようです。啓蒙のシンボルとしての夜明けを告げる鶏のシンボルとは異なります。飛ぶ鳥はノアの箱舟と結びつく様です。最も典型的には鳩がオリーブの枝をくわえている形、いわゆる平和のシンボルと言う形が、洪水が終わったことを示す様です。)
敦賀市 福井ですね。ピラミッドにもかかっていそうです。

登別市 北海道ですね。大田市 石見銀山があるようです。

豊前市 大分ですね。小山市 栃木ですね。

とまあこのように非常に莫大にあって、まあ全国の市章を見ていけば8-9割はフリーメイスンリーのシンボルが入っていると認められるわけで、その程度や種類は様々ですが、市章策定に絡んで色々法則がある事は確かなようです。
というわけでこの市章のネタは小出しに続けていきます。ただしシンボリズム自体は非常に勉強になり、それを通して行政や民主主義の理想と現実、シンボルに込められた理念が確実に存在するわけで、人気は無い様ですが自分としても非常に為になるので続けさせていただきます。


2012-02-26 12:38 | カテゴリ:全国の市章
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
さて佳境に入ってきた市章の話です。
今日は丸に切れ込みでGに見えるものをやります。
最初が総理大臣と関係ある明らかにGの市町村、次が丸に横棒のG、その後が御殿場に代表される丸に縦棒のG、今回が丸に切れ込みのGです。
単純に考えて丸に切れ込みを入れるだけだとCですが、CもGもほとんど成立は同じみたいなのでCもちょっといじればGに見えるし、この後でやるかもしれませんが、商標でもeとかCはほとんどこのGをイメージしている事が多い様です。

いずれにしてもGはアメリカ系のフリーメイスンリーでは大東社系の五芒星やユダヤの六芒星のように一つの結社の独自性の部分になるので、かつてブラザーマッカーサーのGHQに統治されてその下で初めて普通選挙と民主主義が始まった日本の行政の最小単位である市には概観しておよそ7-8割の程度でGが市のシンボルに含まれているようです。後はやはりAll Seeing Eyeの二重丸やOの字がシンボルとして多く認められるようです。

では今日は一日昨日お休みしたので日曜ですが丸に切れ込みのGを皆さんにお披露目しましょう。

筑後市 反転したGですね。これはかなりきれいな形のGです。筑後のGOにもかかっているということなのでしょう。まあ要するにGです。九州はキリシタン大名の影響か、日清日露の八幡製鉄所の影響か、九州大学の影響かわかりませんがシンボルは多い印象です。後に黒田如水と絡めて博多のシンボルについてちょっとやる予定です。

美唄市 北海道炭鉱の街みたいですね。Cに近い形ですがこのくらいだとGに見えると思います。Ωの様でもあります。まあGでいいかと思います。この形は基本的にAll Seeing Eyeになっているものと思われます。

守口市 大阪のサンヨー電機の本社がある所らしいです。中国のハイアールに松下が売ってしまったとかあるみたいですね。パナソニックの本社が隣の市にあるみたいです。合併に失敗したとかあるみたいです。門真市の方はタウ十字みたいですね。こちらはGにAll Seeing Eyeに星と十字があるみたいですね。シンボル的には合併は困難なんでしょうか。丸に横棒で分類したほうがよいかもしれませんが、とりあえず切れ込みとしました。

守谷市 茨城の千葉との接する所みたいです。新興住宅地で関東平野のいいところで発展しているのでしょうね。丸に横棒でもいいのですが切れ込みとしました。かなりGそのものという感じでしょうか。

長野市 善光寺がありオリンピックの所ですね。

鹿屋市 鹿児島ですね。海軍とゆかりの深い所みたいです。Gが反転して二重に認められますね。All Seeing Eyeともかかっていそうです。

荒尾市 熊本最北部炭鉱の街みたいですね。わかりやすいGです。直角三角形もかかっていそうです。

那珂市 茨木ですね。茨木は旧水戸藩で多いのでしょうか。まあ7-8割だからどこと言う事は無いのだと思いますが。かなりわかりやすい形のGです。

取手市 またまた茨木ですね。茨木は筑波大学があるのでしたっけか。JAXAもありそういうのも関係しているのではないでしょうか。

江津市 島根ですね。竹下さんでしょうか。

七尾市 石川ですね。旧加賀藩です。森さん関連でしょうか。旧市章はこうです。

巴のGですね。All Seeing Eyeにかかっているようです。新しいものも内部はアンク(エジプト十字)と月と太陽をそれぞれ入れ込んであります。またブルーを基調としているのも一つの特徴でしょう。

嬉野市 佐賀ですね。佐賀は日本人のフリーメインスンリーへの入会を禁止した大隈重信公の出身地でもあります。まあ転倒してますが明らかなGですね。All Seeing Eyeにもなっているかと思います。

旧安中市 ウィキペディアにも旧市章が大きく載っていますね。新市章は三日月にピラミッドみたいです。群馬は総理大臣を輩出していますね。

羽村市 東京の多摩地方でベッドタウンみたいですね。発展しているようです。反転したGですね。

宇佐市 大分ですね。八幡宮の総本社があるそうです。中津藩ともかかわりがあり、九州の本願寺派の中心でもあったようです。海軍特攻ともかかわりがあるようです。なかなか勉強になります。月と太陽もかかっています。ちょっとわかりにくいかもしれませんが緑字の部分で45度傾いたGです。All Seeing Eyeにもなっていると思います。

湖西市 静岡浜名湖の西のようです。トヨタ創業者の出身地のようです。かなりきれいな月と太陽のシンボルと転倒したGが認められます。月と太陽はヤキンとボアズの柱と同じく、二元対立の象徴的なシンボルです。汎宗教性が強くエジプト神話をはじめとしてほとんどあらゆる宗教で二元対立の象徴として認められます。占星術でも天体観測でも暦の運行でも中心となるかと思われます。この市章ではGの切れ込みタイプととりました。月と太陽のシンボルは市章でも特に新しいものに良く認められるシンボルです。All Seeing Eyeにもなっています。

御坊市 和歌山です。本願寺御坊があったようで、熊野古道もあるようです。ピラミッドもかかっていますね。明らかにGのタイプです。ピラミッドと組み合わせてAll Seeing Eyeにもなっているかと思います。

今治市 瀬戸内海愛媛ですね。タオルで有名なのだと思います。しまなみ海道がある風光明媚な土地のようです。月と太陽は微妙にかかっているようです。All Seeing Eyeはちょっと変形でしょうか。

市についてのコメントはほとんどウィキペディアの記事のみを頼りとした想像のものです。市章には市の発展と民主主義の理想が込められているのだと思います。またあくまでこのブログでの指摘は個人的なものです。事実が大事なので結果としてこのように市章を羅列する事になっているわけです。関係者の方が多いかと思いますが、御理解と御協力のほどよろしくお願いいたします。


2012-02-27 09:58 | カテゴリ:全国の市章
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
さてそろそろもうさすがに疲れてきたころだと思いますが、市章の話はシンボリズムとして極めて興味深いので飽きるまで続けようかと思います。大事なのはフリーメイスンリーはシンボルに込めた意味や理念が大事なのであって、安易に商業目的や表面上だけの使い方をすると痛い目にあうということでしょうか。

今回は全国の市章でGの形が文様状に入っているものを紹介します。

五島市 長崎五島列島ですね。Gの形を作っているそうです。キリシタンが多かったのですね。

下呂市 岐阜県下呂温泉ですね。やはりGの頭文字を使っているそうです。

久慈市 岩手です。KをモチーフとしているようですがなぜかGがはっきりと見えます。KとかSはデザイン的によくつかわれていますが、これらのフリーメイスンリー的な意味はよくわかりません。

さぬき市 香川です。Sを形作っているそうですが、やはり部分でGに見えます。中心の円でAll Seeing Eyeともかかっているようです。

静岡市 旧清水市と旧静岡市の合併で生まれたようです。SをモチーフとしていますがやはりGの形を認めます。富士山を模しているようです。陰陽の対比やブルーの使用もシンボルになるものと思われます。

下松市 山口ですね。下を変形したそうですがGにしか見えません。

戸田市 埼玉の東京と接する所です。内部に十字も認めます。All Seeing Eyeともかぶってそうです。ほぼきれいなGになっています。

横手市 秋田ですね。最近横手焼そばで有名でしょうか。ちょっと変形ですがきれいにGが入っています。3色もあるようです。

つくば市 茨城の筑波大のあるところですね。All Seeing Eyeにはちょっと見えないようです。シンプルなGの組み合わせでしょうか。

瑞浪市 岐阜ですね。文様で三つの巴を重ねた外側二つがGでしょうか。

小美玉市 茨城の航空自衛隊や空港があるところだそうです。後でいくつか出すかもしれませんが波の形のようなボートレースのシンボルマークのようなものがあります。フリーメイスンリーではGloryといういわゆる後光のデザインになるかと思います。特にこれがあるからシンボルと言うことにはなりませんが関連はあるかと思います。GやAll Seeing Eyeの周囲や下側に認める光線のデザインです。この市章ではGを構成している事になるかと思います。

青森県 県章なので市章ではありませんが、これがGと言うと驚かれるかもしれませんが、転倒したGで良いと思います。青森には三沢基地があり、青森ロッジがあります。

石狩市 北海道ですね。素朴な感じのGです。

村山市 山形ですね。バラ公園があるようです。ピラミッドとAll Seeing Eyeもかかっているようです。

能代市 秋田ですね。かなりきれいにGの形をしています。All Seeing Eyeや月と太陽とも微妙に近いですがいまいちです。

朝倉市 九州福岡ですね。ピラミッドともかかっています。かなりきれいなGです。

伊佐市 鹿児島です。菱刈鉱山があるようです。お米じゃなくて金でしょうか?素朴な感じのGであまり迷いを感じません。

常総市 茨木ですね。ブラジル移民の方が多いようです。横棒のGに近いです。

南相馬市 福島被災地ですね。3色と転倒したGです。

熊野市 三重ですね。転倒したGですがやや部分的です。

佐渡市 佐渡島です。デザイン的なかんじのGです。やはりSをモチーフとしているようです。

佐野市 栃木です。やはりSをモチーフとしています。Gは微妙でしょうか。All Seeing Eyeもあるようです。

日高市 埼玉のようです。反転したGです。ピラミッドとも若干かかっているようです。

北名古屋市 NAGOYAのGのようですがきれいに入っています。

こうして列挙してある一定の傾向がつかめてきたでしょうか。一番大事なのはその目で見るという事に尽きるかと思います。総勢800弱の市章があるようですが、ざっと見たところ700以上のものに何らかのシンボルを認められるかと思います。Gの形だけで300位はあるようです。計算すると5-6割と言う所でしょうか。いずれにしても当初想像したよりもはるかに莫大に市章にフリーメイスンリーのシンボルは認められるかと思います。シンボルの知識があると何かの時に役に立つかもしれませんし、その勉強をすることは必ず新しい智恵となる事だと思います。

次回はデザイン型、文様型の反転したGをやります。今日の日高市もむしろそっち寄りでしたね。


2012-02-28 12:54 | カテゴリ:映画について
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
さてでは市章の話は一服して今日はアカデミー賞の話題に絡めて映画の話をしましょう。
映画の話はこのブログではこれまで神戸編で映画評論家の淀川長治さんの記念碑がありましたが、フリーメイスンリーと直接関係したものは少なかったと思います。ブラザージョン・ウェインとブラザークラーク・ゲーブルの名前があったかと思います。ハリウッドでいうと過去にはブラザーロバート・キャパとキャサリン・ヘプバーンとの話題などがあるかと思います。現在ではフリーメイスンリーと関連のありそうな宗教団体であるサイエントロジーとかかわりのあるトム・クルーズなどでしょうか。
映画自体フランスで光と言う名前のリュミエール兄弟が発明し、十戒やクレオパトラ、ベンハーなどハリウッド隆盛期にはそれこそきら星のごとく旧約聖書やキリスト教などのフリーメイスンリーのシンボルと関連した大作や名作が多数あり、またメジャーな映画会社の創業者のほとんどがユダヤ系の人物であり、現在でも映画の中には数多くのフリーメイスンリーのシンボリズムが認められることは常識であるかと思います。有名な所ではスティーブン・スピルバーグ監督の代表作であるインディ・ジョーンズはイギリスに現代建築をもたらした石工 イニゴー・ジョーンズから名前を取っている事が挙げられるかと思いますが、必ずしも直接的にフリーメイスンリーと関係があるというわけではないかもしれません。

さて私も映画は好きで映画館などでも見る方ですが、フリーメイスンリーではアメリカ人が多いこともありアメリカ人は大体映画が大好きですから、アメリカ人のフリーメイスンが好きな映画というのは傾向があります。基本的にはアメリカ建国とフリーメイスンリーとのかかわりを示すようなタイプなのですが、私個人としては今回のアカデミー賞受賞に関係したフランス映画や、アメリカ映画の中でももう少しストーリーに重点を置いたようなものが面白いかと感じています。
フリーメイスンリー関連として最初にご紹介するのはフリーメイスンリーと直接関係あるわけではありませんが、その関連団体とされるイェール大学のスカル・アンド・ボーンズが出てくる2006年の映画「グッド・シェパード」でしょうか。
ウィキペディアを引用します。
『グッド・シェパード』(The Good Shepherd)は、ロバート・デ・ニーロ監督による2006年のアメリカ映画。監督本人も出演している。マット・デイモンとアンジェリーナ・ジョリーの共演作で、全米では2006年12月に公開された。
なお、タイトルの『グッド・シェパード』とは聖書内(ヨハネによる福音書第10章1~21節)に登場する「良き羊飼い」を意味する。
1961年4月17日、キューバ革命により共産主義政権へと変わったキューバのピッグス湾に、亡命キューバ人の部隊が政権の転覆をもくろんで上陸。しかし、これを支援するアメリカ中央情報局(CIA)内部の情報漏れによって作戦は失敗してしまう。世に言うピッグス湾事件である。
この一件によりCIAは窮地に追い込まれ、作戦の指揮を執った諜報員・エドワード・ウィルソンにも疑いの目が及ぶ。そんな中、彼の元に一本のテープと写真が送られてくる。そこにCIAの内通者と敵国のスパイの臭いを感じ取ったエドワードは、部下にテープと写真の分析を依頼する…。


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そもそも題名のよき羊飼いという名前からして聖書の引用なのでシンボリズムを引き継いでいるのですが、内容の特筆すべき点はやはりCIAなどアメリカの諜報機関の具体的な活動を部分的に説明している所ではないでしょうか。諜報活動、情報機関と言う所の活動を結局具体的には人間どうしのレベルで説明しているところがこの映画の最大のポイントではないかと思います。公的にCIAが最もCIAの活動をリアルに説明している映画とホームページに解説が載せていたとか記事があったかと思います。(CIAが事実との違いの指摘という形で公的なコメントを載せたそうです。)基本的にはブッシュ政権でのブッシュ大統領の一つの作品になるのではないかと想像します。(この映画で監督を務めたロバート・デ・ニーロですが、その後2010年に「ストーン」という映画でいかにもフリーメイスンという役どころを演じています。フリーメイスンかどうかわかりませんが、関連があるかと思います。)

次もやはりスパイものでノーベル賞も絡めて「ビューティフル・マインド」をあげたいと思います。
こちらは結構有名な映画なので見た人も多いかと思いますし、テレビでもやっていたかと思います。この映画でポイントなのはやはり統合失調症と診断される主人公が他人には意味がわからない情報解析を熱心にやっているところで、このブログでいうとシンボリズムの解析や市章の解析に近いものがあるかと思います。なかなかこちらも実際の情報解析、CIAの活動のほとんどは新聞やテレビなどの一般の出版物や一般人の会話の分析であるという所に関係するのではないかと思います。現代ではインターネットが存在するので、それは後の「ソーシャル・ネットワーク」などで関係してくるのではないかと思います。
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あとはちょっと古い作品になるとまさにブラザーキップリングが活躍した時代を映し出した映画で、フリーメイスンリー関連では結構有名かもしれませんが「王になろうとした男」でしょうか。ショーン・コネリーは007シリーズでも有名ですが、この映画では普通にフリーメイスンの役柄を演じています。彼がフリーメイスンかどうかは知りません。

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あとはフリーメイスンリーとは直接関係ありませんが東ドイツの監視社会を映した映画として現代日本にも投影できるかと思われるのが「善き人のためのソナタ」でしょうか。

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フリーメイスンリーについて最もアメリカ的に説明してるのはやはりニコラス・ケイジが主演のナショナル・トレジャーシリーズでしょうか。たぶん彼はブラザーだと思います。

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その他映画ではありませんが映像でフリーメイスンリーについて紹介したものとなるとヒストリーチャンネルやディスカバリーチャンネル、ナショナルジオグラフィックの特集になるかと思います。DVDがそれぞれあるかと思いますので検索していただければと思います。
あとトム・クルーズに絡めてスタンリー・キューブリック監督の遺作となった「アイズ・ワイド・シャット」がフリーメイスンリーの儀式と関係してるなどありましたが、シュライナーズの一部で似たようなことはあったようですが、あまり一般的ではないようです。日本だと青年会議所などが近いのではないでしょうか。

それで映画とは話がずれますが、ナショナルジオグラフィック関連です。
グーグルアースでワシントンD.C.の衛星写真を見ていて面白い事に気付きましたのでその画像を載せます。


わかるでしょうか。House of the Temple、スコティッシュライト南部管轄区33階級最高法院の周辺なのですが、以前五芒星の北側にこの建物が存在すると載せたのですが、その建物の隣に実はナショナルジオグラフィックの建物があるそうです。


さらに拡大すると明らかにGのシンボルになっています。ワシントンD.C.は都市建築がまさにフリーメイスンにとっては夢のような土地となっています。歴代大統領は最も孤独な場所と表現していますが。(House of the Templeのある住所 1733 16th Street, N.W.の1733は1733年にアメリカマサチューセッツに最初のロッジができた年のようです。)

2012-02-29 09:20 | カテゴリ:全国の市章
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
さて再び全国の市章 G篇です。
文様型の反転をお示しすることにいたします。しかし今日の雪はすごいですね。
聞くところによれば伊勢湾台風の時代から台風や降雪などは米軍が色々予測したり試していたそうです。科学技術の進歩はすさまじいものがありますが、根本的な理解はエジプトやシュメール文明の時代から変わっていないのかもしれません。こういう点では中国文化やインド文化などでも変わりないのかもしれません。
(3/30追記:ここでもやはり非常に有名なものの商標を最初に挙げておきます。


ブラザーウォルト・ディズニーがスコティッシュ・ライトの33階級のフリーメイスンで、若者の育成組織であるデモレー出身である事は有名であるかもしれません。)

前置きはさておき市章の話です。

佐伯市 大分ですね。反転がこの形です。反転の形をこの回は載せていきます。

境港市 鳥取です。反転して90°転倒です。タウ十字もかかっているようです。

かほく市 石川です。反転です。

愛西市 愛知です。反転です。

葛飾区 東京です。反転して90°転倒です。

鹿角市 秋田です。反転して傾けました。

千葉市美浜区 反転90°転倒です。

田原市 愛知です。やはりトヨタ関連でしょうか。反転です。反転するとこれらは比較的わかりやすいですね。

函館市 北海道です。反転して45°転倒です。月と太陽もかかっていそうです。

米原市 滋賀です。反転して45°転倒です。月と太陽もかかっているかもしれません。

昭島市 東京です。工場など多いようです。反転です。片仮名のマはパターンのようです。

座間市 神奈川です。米陸軍基地でしょうか。反転です。

松阪市 三重です。反転90°転倒です。片仮名のマのパターンですね。月と太陽もかかっているようです。

千葉市中央区です。千葉は多いですね。All Seeing Eyeもあるようです。反転90°転倒です。

伊豆市 静岡です。これは大文字のGではありません。All Seeing Eyeもかかっているようです。反転です。小文字のgがわかるでしょうか。小文字のgの形も次回やります。これはその前に出した小文字のgの反転でこの市だけです。

丸に横棒、御殿場型、丸に切れ込み、文様型、文様反転型、ここまででだいぶGのシンボルがわかるようになるかと思います。これは商標や校章などでも応用できるようです。
次回小文字のgについてやります。