FREEMASONRY
昨日の春の嵐はすごかったですね。
さて前回の基地開放後の顛末です。
三笠公園を出るとなぜか日本風屋台が並んでいます。まあいろんな要望に答えた結果こうなった感じでしょうか。成田空港のお土産物屋みたいなかんじでしょうか。
ヴェルニー公園のあたり。子供が大はしゃぎしています。
さて大量の画像で驚かれたかもしれませんが、田浦梅林です。この頃はちょうど8-9分咲きできれいでした。外国人の方も来られていました。
もう春の嵐も過ぎ去り桜の季節になっていますね。いろいろと異動がありブログも更新が遅れていました。また色々と小さくネタを提供していく予定です。
多くの方がこのブログを見てくださり様々に影響していっているかと思います。
様々な種まきがこのブログを通して皆様の心に出来れば幸いかと思います。
フリーメイスンリーの都と書きましたが正式にはアメリカの首都です。
語弊がだいぶあるかと思いますが、一応行ってみた印象でそういう副題で行きます。
あまり余計な小ネタを挟むのも控えめにします。皆さんが直接行かれるのが一番良いかと思いますので。
もちろんロスト・シンボルを読んで行こうと思ったわけです。フリーメイスンのアメリカ人に言ったらワシントンは修学旅行で行ったと。まあそりゃそうだ。
これはアメリカの上空でしょうか。隣がベトナム人のなんだかCEOなのかCEOになりたいだかの人で、前の方はアメリカ人の高齢者、米軍の若い女性兵士でした。飛行機の中からアメリカです。
ついたら快晴です。9月だったでしょうか。まだ大震災の前です。まあ相変わらず当地の添乗員が天気について文句を言っていました。ワシントンの空港は世界でも美しい空港No.1だそうで、明らかなフリーメイスンリー様式です。入り口ではアメリカ人以外の行列でだいぶ待たされましたが、税関のところでコンピューターが一旦フリーズして税関職員がちょっと驚いていました。
泊まったホテルはヒルトン・ワシントンです。ちょっと高いですけどまあきれいで場所が良いです。レーガン大統領が狙撃されたのが下の駐車場出口のところらしいです。普段はとても平和な感じです。
ヒルトン・ワシントンの部屋から見えるワシントン記念塔。ロスト・シンボルにも書かれますが、ワシントン記念塔以上に高い建物はワシントンにはありません。恐らくこのヒルトン・ワシントンがきれいに見られる場所なのではないでしょうか。部屋番号は忘れましたがなんかあったと思います。
ひっぱりますよ~。実際はワシントンは2泊3日だったと思います。大変でした。
まあブログ的には市章のシンボリズムの解説が非常に為になったのではないかと思います。
要はフリーメイスンリーってのはそういうようないろんな勉強をしたりしながらみんなで仲良くしようって団体という事です。具体的には入ってみないとわからないよと。
どんな人の集まりでも皆同じだと思います。
さてそういうわけでワシントンD.C.の続きです。
ついた当日にデュポンサークルのところのコンビニで買い出しです。抗ヒスタミン薬のクラリチンが普通にコンビニで売っていたので撮りました。やはりアメリカは何でも進んでいます。コンビニも無人のレジでした。
闇夜に浮かぶワシントン記念塔。フリーメイスンリーをオカルトっぽく感じる人には耐えられない光景ではないでしょうか。
恐らく歓迎されている感じのホテルの部屋の写真。議事堂、ジェファーソン記念館と桜。
曙とワシントン記念塔。プールとかトレーニングルームもあって使えるようでしたがそんな時間はありません。近所をめぐります。
ヒルトンの近くを早朝から巡ります。建物がやはり面白い形が多いです。入り口の番号は最初は年代かと思っていたのですが単に住所でしたね。
まあ基本レンガや石造りの建物ばかりです。
電線もないしアメリカは良いですね。確か休みの日だったと思いますが、道路に車が駐車場代わりにずらっと並んでいてこの辺がさすがにアメリカは違います。そういうルールがあって場所もあるのですね。
これで次回です。
このブログもだんだん不親切になってきます。
まあ目的はそこの訪問とワシントン記念塔に上る事と議事堂の天井を見ることなわけです。完全にロスト・シンボルのまんまですが。
ヒルトンから東にiPhoneの地図を見ながら歩いていくと大使館通りに出てその通りに色々あります。
早朝のスコティッシュライトテンプル。いわゆる普通の集会所です。日本にはスコティッシュライトのホールは以前モーツァルトコンサートをやったグランドロッジのだけだと思います。ブルーロッジを使っているのかもしれません。グーグルアースで近辺にあったのでそこも入り口だけ見ました。まあこういう建物があるというだけで日本にはないので驚きです。
メリディアンヒルパークのジャンヌダルク像。以前も出しました。メリディアンヒルパークは黒人浮浪者が数人いてちょっとヤバい感じでしたが、公園自体はきれいです。特に建物に法則性や意味は見出せませんでした。メリディアンの意味なんか考えてもHouse of the Templeの北なので意味があるかと思います。丸に縦棒二本引いたシンボルも子午線を意味するフリーメイスンリーのシンボルです。ジャンヌ・ダルクの剣が折れているのはそれなりの意味があるかと思います。
そこを南に下って来るとついに来ました。House of the Templeです。日本だと国会議事堂よりもすごい建物が普通にあってランニングの人が通って行きます。さすがワシントン。トルコにあったかつての神殿を模しているそうです。トルコもキリスト教の巡礼やアレキサンダー大王、十字軍など面白い土地です。異教のシンボルでしょうか。
ちゃんと入場料の表示がしてあります。御来場の際はご参考までに。変更やイベントで入場できない事もあるかと思いますのでご理解ください。33セントにこだわっているのも細かいです。
床に文字が彫ってあります。とにかく何から何まですごいです。
次回どうぞ。
ワシントンは日本人も少なく、観光客も値段が高いためか高齢者が多いみたいです。
実際は日本人の若い人が修学旅行目的に来るとよい場所だと思います。
ワシントン・ユニオン駅。日本も東京駅を改築復元していますが、アメリカはやはりすごいです。まさに石工の町です。
いわゆるモールを移動します。ナショナル・モールというのですかね。
アメリカの国会議事堂です。ロスト・シンボルの舞台ですね。頂点の彫像は自由の女神像だそうです。中を見学するとさらにいろいろな彫像があるそうです。基本的にホームページで予約すれば大体無料で見学できるみたいです。議事堂の建設の起工式でワシントンが参加したそうです。良くあるワシントンがフリーメイスンリーの儀式でエプロンしている図はその様子のようです。
議事堂前から見たワシントン記念塔。周りはツアーの人です。名古屋からきていて結構豪華なアメリカ横断ツアーをされていました。
ホワイトハウス移動前のワシントン記念塔。とにかくでっかいミサイルみたいな大きさです。
まあ行けば分かるという感じでしょうか。いわゆる555フィート(169メートル)というやつです。こんな巨大なオベリスクがある国と日本人は知っているのでしょうか。もちろんエッフェル塔や東京タワーの無い時代のフリーメイスンリー最大のシンボルでした。1848年フリーメイスンリーの起工式で礎石が置かれ着工され、南北戦争の中断を越えて1884年に完成したようです。デザインや記念石を巡って様々な逸話があったようです。最も重要な事は2011年8月23日にマグネチュード5.9の地震が発生し、内部に破損が生じたためそれ以来無期限立ち入り禁止になっているという事ではないでしょうか。もちろん私が訪問した際は無料で入れましたが、結局時間が無くて私は登れませんでした。いずれ登れるようになったときに行きたいですね。
ホワイトハウス。この時はこの距離までが一番近寄れた場所でした。ちょうど上を大統領専用ヘリが横断してきたりしました。
とにかくこのナショナル・モールは京都や東京と一緒で日本人が一度行っておいた方が良いのではないかと思います。これらの建築物が200年以上前からあって、江戸時代のお侍さん達が見せられたというのだから驚き以上に皆がそれを知らない日本のシステムを異常に感じます。一緒に回った日本人の年配の方々も暑さもあってお疲れのようでした。
ワシントンD.C.は日本人で観光に来る人もそれほど多くは無いと思います。それなりに値段が高い事もありますが、それこそそこの建築物自体秘密の範疇なのだと思います。
アメリカの民主主義、国家のシステムというものを建築物を通して実感する最良のものだと思います。まさにフリーメイスンリーの都、そういう感想を誰もが抱くであろうこれらの建築は江戸時代のお侍さん以上に多くの近代化した日本人が最初の外国として訪れるべき地であるかと思います。
次はリンカーン記念館です。今日がリンカーン暗殺の謎のナショナルトレジャーのテレビ放送のようですね。さすがに一日ずれました。
一度見られるとよいかと思います。テレビも昨日やったみたいですね。
リンカーン記念館は1922年の築で議事堂とホワイトハウスとナショナルモールの十字を作るために作ったみたいです。
リンカーンは大統領選の前に入会申請書を出したみたいです。大統領になってから南北戦争がはじまり、北軍の勝利の直後に暗殺されました。
いろいろな背景があるみたいですね。興味があれば調べてください。
恐らくアメリカのフリーメイスンリーの中心的な秘密なのだと思います。
州の名前があるのと、柱が36本となんか色々あったと思います。
添乗員さんによると9.11テロの時には石原慎太郎さんがショッピングモール横のリッツ・カールトンに泊まっていたとか、モニカ・ルインスキーさんの最初の告白の盗聴がこのホテルのロビーで行われたとかいかにもな話を聞かされます。
ショッピングモールはただの巨大なショッピングモールで帽子を買おうと思いましたがサイズが合いませんでした。ここのマックで昼食を食べましたが直後から腹を下しましたが翌日は大丈夫でした。
まあそういうわけで色々あるペンタゴンです。
ショッピングモールにある飾り板。ナショナルモールの十字を模しているのだと思います。
快晴のペンタゴンですがさすがにこの時は入れません。今なら案内してくれるかもしれませんね。
次回アーリントン国立墓地です。
それこそツアーでしか回っていないので墓石を見たりとかそういう事もしておりません。
恐らく回ればすさまじい数のフリーメイスンリーのシンボルを認めることになるのだと思います。
もともとリー将軍の邸宅跡で、南北戦争時も最前線に近い形になったようです。
ナショナルモールからはポトマック川をはさんだ対岸で、ツアーでもなければ日本人はめったに来ないところだと思います。
墓石はGravestone Symbolismも参考にしていただければと思いますが、その人となりの象徴を示す重要なもので、その人がフリーメイスンであったかどうかを考えるときに非常に重要となるものです。いずれにしても外国人の墓になると思います。見学の際は故人への敬意を忘れないようにしてください。
私は一応ツアーのガイドさんに連れられるままに回りました。
ワシントンD.C.建築設計者のブラザーランファンの墓石のオベリスク、後ろがリー将軍の邸宅跡。見下ろす形でケネディ大統領の墓があります。
ケネディ大統領の墓の下にあるAll Seeing Eyeの形をした広場。
JFKの墓。ラフアシュラーと苔むした隙間。灯がともっています。ジャクリーンと共に並べられています。
彼の兄がジョセフと言いヒットラーの秘密基地の空爆作戦で誤情報のために迎撃され戦死し、彼が戦後にケネディ家の後継者となったそうです。(9/16訂正:ジョセフ・ケネディはテレビモニターで誘導する無線誘導爆撃機の実用実験をやっていて突然の誘爆の事故により亡くなったそうです。ヒストリーチャンネルで解説していました。ケネディ家についてはいずれ知っている限りをまとめようかと思いますが、なかなかアメリカの重要なポイントであり、難しいかもしれません。)恐らく父親がフリーメイスンかその関連だったのでしょう。アジソン病と診断されステロイドを常用していたために抑制が利かなくなったとされていますが真相は知りません。モンローやヘプバーンと浮名を流し、ダラスで国民と日本人への衛星中継の中で暗殺されました。単独犯であるとされるオズワルドは厚木基地での軍務経験もあり、モスクワへ亡命したりもしています。キューバ危機に関しては映画「グッドシェパード」などが参考になるでしょうか。このブログでこういう内容を公表することは非常に重要なことになるかと思いますが、アメリカを正しく知るためには必要な情報なのだと思います。
ちなみにブラザーランファンはブラザーワシントンの部下でしたが、結局ブラザーワシントンから解雇され困窮のうちに70歳で死に死後70年以上たって初めてワシントンD.C.建設の名誉を受けてあらためてアーリントン墓地に改葬されたそうです。
ロバート・ケネディの墓の前の水の流れと鳥居のような柵。ロバート・ケネディは暗示にかかったようなパレスチナ人にパーティーの最中に銃撃され暗殺されました。彼ら兄弟はアイルランド系カトリック教徒でした。どちらも女性関係がすさまじかったようです。
アーリントン国立墓地の薔薇。
墓地を出たところでフリーメイスンリーのシンボルマークを付けた帽子をかぶった人がいました。恐らくフリーメイスンだと思いますが、一応秘密の伝授になるのかもしれません。
次回スミソニアン博物館です。内容については一切責任を持ちません。詳細はCIAに聞いてください。恐らく何も答えてはくれないでしょうが。
スミソニアン博物館はロスト・シンボルでも繰り返し現れていたと思いますが、確か創設者がフリーメイスンなんだと思います。前の建物がロタンダでナショナル・ギャラリーのようです。私は見学できませんでしたが、その後国立新美術館で展覧会をやっていました。
国立航空宇宙博物館の入り口にあるロケットの発射をモチーフとしたオブジェ。特にフリーメイスンリーを意識したものではなさそうです。(追記:Blazing Starでしょうね。)
スピリット・オブ・セントルイスかな。ブラザーリンドバーグの大西洋単独無着陸飛行で使用した本物の機体です。基本的に本物しかありません。ブラザーリンドバーグは人工心臓の開発にも関わっているようです。
ライトフライヤーもあったのですがあまり撮っていないですね。ライト兄弟もフリーメイスンのようです。まあこの時はあまり意識していなかったのですね。フリーメイスンかどうかも色々あるようです。ライト兄弟は初飛行の後も特許の関係で色々裁判とかあったようです。
アポロですかね。最初の月面着陸のうち2人はフリーメイスンだった気がします。
ゼロファイター。スミソニアンではゼロファイターはなぜか触れません。遊就館ではその後の艦上爆撃機彗星に触れましたが、日本の戦闘機は機体がペラペラです。ヘルキャットは触れましたが鉄板という感じです。直接比較したら日米開戦がいかにひどい国力差であるかわかりすぎてしまうからでしょうか。
スピリット・オブ・セントルイスの先端部分です。Swastikaを見せるためにはずしているのだと思います。
アポロの月面着陸船の恐らくシミュレーション版です。本物は月面に残っています。
その他スパイ関連の展示や撃墜されたU2の模型などがありました。U2の情報はなんと亡命したオズワルドがもたらしたとウィキペディアにはありました。
この日はこれで終わりです。666並びの建物があります。住所でしょうか。
ビルの間からもワシントン記念塔が見えます。確かこの辺がウィラードホテルというワシントンで最も老舗のホテルで、小栗上野介達の江戸幕府の最初の訪米使節団が1カ月近くも滞在した場所です。その際には羽織袴でちょんまげ姿のジャパニーズサムライを見学するために大行列ができたそうです。


是非多くの日本人がその追体験をして幕末のサムライの気持ちというものを想像してほしいものです。彼らも恐らくフリーメイスンリーについて多少の知識はあったものかと思います。その後の明治維新でそれらは継承されていきますが、西南戦争から台湾割譲、韓国併合と日本は散切り頭の和魂洋才で軍国主義へと突き進みます。
次は日付が変わってナショナルモールの単独行動です。
どれだけエネルギーが余っているんだと思いますが、彼らはその位タフな仕事をしているのでしょう。
実はこのワシントン記念塔は下部3分の1と上部3分の2で色が違います。南北戦争(1861年~1865年)で建築が滞り、南北戦争終了後に石の産地が変わったので色が少し褐色がかっているそうです。
もちろん奴隷解放宣言にまつわる黒人奴隷の解放にかけた色の選択だと私は理解しています。もちろんこれらの建築物も多くは黒人奴隷の作業による建築でしょうし、当時よりその理想と現実のギャップに矛盾を感じない人はいなかったのでしょう。当時は無料でエレベーターで一番上まで入れましたが、事前にインターネットで予約を取るか、すぐ目の前にあるチケット案内所の後ろにちょこっとある窓口でチケットをもらって30分ごとの入場制限を50人くらいずつ分かれて待たないといけません。現在は地震被害で無期限閉鎖中のようです。私は結局ナショナルモールを回ったのと、House of the Temple見学で時間の都合がうまくつかず登れませんでした。
今回紹介するナショナルモールのラテン十字を形成する最後の頂点のジェファーソン記念館のブラザージェファーソンは第三代大統領です。日本ではあまり有名ではないかもしれませんが、アメリカではバージニア大学の創設や紙幣や硬貨のデザインやアメリカ合衆国建国の父として有名のようです。印象としてはいわゆるアメリカ建国にかかわったフリーメイスンの中で一番人格的にマイルドでフリーメイスンらしいイギリスのジェントリの気風を最も継承している人のようです。
ジェファーソン記念館。朝7時くらいだと思いますが誰もいません。以前ここで騒いで逮捕される動画がユーチューブにアップされていましたが日中もあまり人はいないみたいです。
リンカーンと比べて人気がありません。地下に紹介のコーナーもありました。
建築は圧倒的です。まさにロスト・シンボルで表現されているローマを現出する試みそのままです。ローマにはまだ行ったことありませんが。ロタンダ(円形屋根)になっているのは建築家としても優れていて有名なヴァージニア大学のロタンダを建築したジェファーソンを顕彰しているのだと思います。このような建築様式は実はフリーメイスンリーでは重要な事なのだと思います。いわゆるRoyal Arch Masonryの象徴なのだと思います。
アメリカ合衆国独立宣言の抜粋が刻印されています。啓蒙思想の体現だと思われます。ブラザージェファーソンの主要な功績のようです。ウィキペディアではブラザージェファーソンの黒人奴隷の使用と、黒人奴隷との間に私生児がいた事がスキャンダルとしてあると書かれていますが、まあアメリカはそれらは当たり前なのでしょう。それが革命や政治の一つの重要な側面でもあります。
ブラザージェファーソンは83歳でちょうどアメリカ独立宣言採択50周年の独立記念日の7月4日に2代大統領であるジョン・アダムズ(90歳、彼はフリーメイスンではなかったようですが、フリーメイスンリーのよき理解者であったようです。)の死の数時間前に亡くなったそうです。彼はやはりブラザーモーツァルトなどと同じく死の直前には負債を抱えていたそうです。
アメリカ大統領の死についてはやはりリンカーンと、ケネディと言った暗殺された大統領のものが有名ですが、フリーメイスンリーに関しては、反フリーメイスンリー党を母体とするホイッグ党から大統領になった1841年に第9代大統領になったウィリアム・ハリソン大統領は大統領就任演説で肺炎になり就任一カ月で死亡したという事もあるそうです。アメリカのフリーメイスンリーに関しては1826年にモーガン事件という失踪事件があり、それ以降反フリーメイスンリーの運動が盛んになりました。いずれにしてもイングランドの政治にしても清教徒革命のクロムウェルもインフルエンザで死亡したり(ウィキペディアではマラリアとなっています。)、初代首相であるウォルポール卿の政敵であったスタンホープ卿は在任中に脳卒中で急死したり(クックロビンという歌の逸話にまつわるようです。)、トーリー党出身の首相であり現在の労働党と保守党の二大政党政治に繋がるきっかけを作ったロバート・ピール卿は失脚後にハイド・パークで落馬し死亡したりと陰謀論にまつわるような政治家の死は枚挙にいとまがありません。イングランドの場合は政治家は有名どころはどちらもほとんどフリーメイスンのようです。日本でも源氏の棟梁の源頼朝は落馬して死亡したそうですし、アレクサンダー大王の恐らくマラリアでの急死などもあり、中国でいえば清王朝末期の西太后の死と同時の光緒帝の死などがあります。エジプト・ローマ帝国中華帝国と王制にしても貴族制にしても政治に権謀術数は付き物であり、それこそそれは洋の東西を問わないかと思います。
ちなみにジェファーソン記念館の近くに独立宣言に署名したメイスンさんの銅像があるそうです。律儀な話です。(2013/4/9追記:独立宣言ではなく、ヴァージニア権利章典と合衆国憲法制定に関わり署名したジョージ・メイソンです。)
タイダルベイスンをはさんでワシントン記念塔。魚釣りをしている老人が一人いましたが見張っていたのかもしれませんね。まあいずれにしても最高の公園です。
次回フランクリン・ルーズベルト記念公園です。
日本人は何を思い浮かべるでしょうか。
唯一四選した大統領。ニューディール政策。真珠湾攻撃、日米開戦。史上最大の作戦。カイロ会談。ヤルタ会談。ブラザーセオドア・ルーズベルト大統領と同じユダヤ系の一族。マンハッタン計画。
恐らく最もアメリカ的で理想的な大統領と考えたときに日本人がイメージする大統領なのではないかと思います。強く発想が柔軟で困難に打ち勝ち悪いイメージが無く日本やドイツの無謀な野望を打ち砕いたと。
ヤルタ会談。スターリンはあっち向いています。(2013/4/7追記:この写真のスターリンは替え玉であるようです。実際のスターリンは左手がマヒして少し短いそうです。)(2013/4/7追記:動画で確認しましたが明らかに左手は麻痺していました。
写真をとる際に右手で左手を伸ばしているようです。この両巨頭の会談は実際には二人とも障害者であったという意味もあったのですね。動画のあまりない時代なので左手の麻痺については写真では巧妙に目立たないようにされたかもしくは拍手したりしているのは替え玉のようです。)スターリンはヨシフ・ヴィッサリオノヴィチ・スターリンといい、いわゆるJosephヨセフという名前です。グルジア出身のユダヤ系です。娘がアメリカに亡命して最近まで生きていたと思います。ユダヤ人の秘密警察長官ベリヤにワーファリンによる脳出血で暗殺されたみたいですね。フリーメイスンであったと言われるトロツキーとの関係などもあります。ヤルタ会談時はブラザールーズベルトはだいぶ痩せています。
私はワシントンD.C.訪問当時は彼がフリーメイスンである事は知りませんでしたが、ブラザーセオドア・ルーズベルトと親戚であり、ハーバード大学での学内クラブに参加しようとしていたとか、ユダヤ系であるとかは知っていたので、フリーメイスンリーと関連があるとは思っていました。
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ロッジでのブラザーフランクリン・ルーズベルト。後ろに並んでいるのが息子たちのようです。
所属したロッジはNew York No.8 Holland Lodgeだそうで、この名前を聞いて分かる人はこのブログをよく読んでいる人で、ブラザーペリーが所属したロッジと一緒です。オランダ語でのリチュアルもあるそうで、開国の経緯、日米開戦の経緯とオランダ領東インドなどの絡みもあり、ニューヨーク建設の絡みなど様々な歴史が交錯する非常に重要なロッジであるかと思われます。ホームページはこちらです。オランダは名誉革命などでもイングランドの政治と直接的に深く関わっていて、フリーメイスンリーの歴史の中でも非常に重要な役割を果たしているものと考えられます。EUの中心がベルギーのブリュッセルにある事も合わせて様々なヨーロッパの人の動きの中心に位置しているのだと思われます。
彼自身はあまり有名ではありませんが小児まひかギラン・バレー症候群で生涯車いすを使用した重度の身体障害者で、その様子は国民に一切見せなかったそうです。やはり女性関係も色々あったようです。日本人はやはり真珠湾攻撃を事前に知っていたかどうかとマンハッタン計画から原爆投下までのところが気になるところだと思いますが、真珠湾攻撃に関してはウィキペディアでも真珠湾攻撃陰謀説という項目があり、この中でもFBIのブラザーフーヴァー長官の証言という部分は信ぴょう性が高いのではないかと思われます。またマンハッタン計画については、大統領4選後に脳卒中で急死して副大統領であったブラザーハリー・トルーマンが大統領となるのですが、彼はこの時点まで原爆の存在を知らなかったそうです。結局ブラザートルーマン大統領が原爆投下の決定をすることになるのですが、ここに至る経過はまさにアメリカ政治、フリーメイスンリーの歴史の日米における究極の秘密になるのではないかと思われます。
さて様々な憶測の情報はともかく、ワシントンD.C.にある公開されている公園です。
ジェファーソン記念館から直接歩いて行きましたので、通常の公園の流れとは逆の流れになっていて、ブラザーフランクリン・ルーズベルトの人生を逆にたどっていく形となっていますが、実際に写真を撮ったそのままの流れで紹介します。実際に訪問する際はリンカーン記念館から辿っていく形が奨められるようです。様々な木があります。
ラフアシュラーが象徴的にこれでもかと並べられます。
滝の流れの強弱などがあるのですが、逆側から回っているためよくわかりません。奥さんのエレノアの銅像があります。彼女も最後は再生不良性貧血でステロイドを常用していて粟粒結核で亡くなったそうです。ウィキペディアでは蒋介石の奥さんの宋美齢との写真がありますが、恐らく共にイースタン・スターに所属していたのではないかと思います。この辺はブラザールーズベルトの死後を象徴しているようです。原爆投下から終戦、朝鮮戦争へと向かう所でしょうか。
色々と言葉があります。とにかく全てラフアシュラーなのでとんでもないと思いました。
愛犬でしょうか。ブラザーペリーの記念公園にもすごいゴツゴツしたラフアシュラーがありましたが、Holland Lodgeはそういう傾向でもあるのでしょうか。
恐らく滝の流れは水が日本の象徴なのだと思います。これは完全に私個人の推測ですが、結局逆から正方向にこの公園を巡ると徐々に流れが大きくなって滝になり最後は分かれて終わる形となっています。恐らく大空襲や原爆など被害の大きさ、失われた人命の数を象徴しているのではないかと思います。それは主に日本を象徴しているのだと私は思いました。
とにかくすごいラフアシュラーの数です。自由と民主主義を象徴する言葉が刻みこまれているのだと思いますが、シンボルが先行して頭に入ってきません。日本的なモミジがあります。ロバート・ケネディの墓の前の鳥居の形の柵と何となく似ています。
ユダヤ人ホロコーストの象徴でしょうか。もしくは日系人収容所の意味かもしれません。(どうやらパンを求めて並ぶ行列を表現しているようです。下の方がラジオを聴く人のようです。まあどうせ大意はあっているのだと思います。)
椅子に座るブラザーフランクリン・ルーズベルトの銅像とラフアシュラー。
フリーメイスン共通の入会条件として身体障害者は不適格条件であったと思います。恐らく彼もそのために大学時代にクラブへの入会を断られたのではないでしょうか。
やはりこの公園も早朝であったためか全く人がいませんでした。
逆に回って最後のところでお土産の売店、ガイドの店がありました。
ナショナルモールは1週間くらい滞在して回らないと全て見られません。
この公園は1997年と比較的新しい建設のようです。
次回は第二次世界大戦記念碑です。
2004年4月29日にブッシュ政権時代に一般公開となったそうです。
一応アメリカなんで、基本アメリカ人のための慰霊碑なんだと思いますが、フランクリン・ルーズベルト記念公園を見た後なのでどう考えても日本関連の唯一の慰霊碑と思われ感慨無量でした。
ルーズベルト公園の滝の流れを見てから水の流れが日本の象徴としか思われず、この第二次世界大戦記念碑が日本人としての唯一最も何とも言われない場所でした。
ただ実際には私の親族で軍関係の人間は少なく、戦死したりした人間も多くはないので、まさに日本人としてのナショナリティーの部分で異国の地で巨大な圧倒的な文明と歴史の建造物に囲まれて、唯一素直に自分の国に関係がある部分がクローズアップされているというものであったと思います。
恐らく作られた目的もそういうものであったかと思います。昭和天皇裕仁の誕生日に一般公開になったという事は、それがフリーメイスンリーとしてもナショナルモールで残すに値するという評価であったという事かと思われました。いずれにしても日本に関係する唯一のものであるという印象を持ちました。
何とも言えません。
現地の日本人の添乗員の方もあんなもの急に作ってと言っていましたが、誰もが日本関連を意識するのではないでしょうか。ナショナル・モールを見ると感じます。
その他にもネイティブ・アメリカン関連の博物館ができたり、ワシントン国立美術館の新館は中国系アメリカ人が作っていて、立方体を一切使わない三角形で構成されているなどそういう建物もあります。キング牧師の記念碑は中国人芸術家の作品のようです。
英語版ウィキペディアで解説があるので要約してみます。
正式にはHome of The Supreme Council, 33°, Ancient & Accepted Scottish Rite of Freemasonry, Southern Jurisdiction, Washington D.C., U.S.A. アメリカ合衆国コロンビア特別区南部管轄区古代認証スコットランド位階最高法院33階級本部となるようです。
1911年3月31日のスコティッシュライト最高法院ができて110周年で起工式が行われたそうです。ワシントンD.C.のグランドマスターの手によって1911年の10月18日に礎石が置かれたそうです。
建築家ジョン・ラッセル・ポープによって設計され1915年10月18日に完成したそうです。ポープは恐らくフリーメイスンだと思いますが、その後ワシントン国立美術館やジェファーソン記念館、アメリカ合衆国国立公文書館や大英博物館の一部を設計しているそうです。House of the Templeはトルコのハリカルナッソスにある世界七大不思議の一つマウソロス霊廟を模しているそうです。House of the Templeには総司令アルバート・パイクの遺骨や総司令ジョン・ヘンリー・コウルズの遺骨が移されていて、スコットランドの詩人のブラザーロバート・バーンズ関連のコレクションや書籍の最初の公共図書館となっているそうです。ブラザーダン・ブラウンのロスト・シンボルの重要な場面で現れています。
場所は何度も出していますがホワイトハウスの真北北西16番街路のナショナル・ジオグラフィック社の横にあります。ヒルトン・ワシントンからは歩いて15分位です。
受付で後で解説してくれるかわいい女性が一人で本を読んでいて、見学したい旨を言うと30-40分待ってくれと言います。かなり英語が早口なのでほとんどわからないのですが、ここに来る事はそもそも横浜ロッジでちょっと後輩のcandidateが見学してきたと聞いてやってきたので、見学できる事は知っていました。これらの写真も待っている間に撮ったものです。もちろん緊張していてブレています。
奥にお土産ショップもありました。最初は私の他には誰も見学待ちの人はいませんでしたが、担当のブラザーだと思いますが(大体雰囲気です。)、その人がこの受付の女性と話してしばらくしてからご近所さんという感じのラフな中年の夫婦など4人が現れました。その後中国系のバックパッカーらしき人も見学開始後に合流しました。
普段はほとんど見学者もいない雰囲気でした。見学する際は恐らく事前の連絡が最も大事になるのではないかと思います。私は結局この待ち時間でワシントン記念塔に登る時間を逃しました。
ロスト・シンボルでも描かれていたかと思いますが、この内部の装飾にも様々な秘密が込められているようです。DCpagesに色々詳しく解説がありました。北側に庭もあるそうです。
ブラザーアルバート・パイクの胸像です。ワシントンD.C.にはブラザーアルバート・パイクの銅像があるそうですが訪問できませんでした。後ろに書いてあるのは彼の言葉で、What we have done for ourselves alone dies with us; what we have done for others and the world remains and is immortal.で訳すと「自分自身のためだけに行う事は我々の死とともに無くなるが、他の人々や世の中のために成した事は残り、不滅である。」という事のようです。
その他にもquoteがインターネットでは認められるので、ここに挙げます。
"Faith begins where Reason sinks exhausted."「信仰は理性が疲れきって沈滞したところで始まる。」
"A Human Thought is an actual EXISTENCE, and a Force and Power, capable of acting upon and controlling matter as well as mind."「人間の思考というものは実存であり、力と作用をもち、物事や心にともに作用し、制御する。」
"That which causes us trials shall yield us triumph: and that which make our hearts ache shall fill us with gladness. The only true happiness is to learn, to advance, and to improve: which could not happen unless we had commence with error, ignorance, and imperfection. We must pass through the darkness, to reach the light."「試練は我々に勝利をもたらし、我々の心を痛めるものは喜びを与える。真の幸福とは学び、進歩し、向上する事であり、失敗し、無知を自覚し、不完全である事を知らなければそれは始まらない。我々は暗闇を通らなければ光に到る事は無い。」
"The sovereignty of one's self over one's self is called Liberty."「自由とは誰か個人の主権が他の人の主権を越える事である。」(2013/5/12追記:これは明らかな誤訳ですね。自由とは自身の主権が自身に及ぶ事である。ですね。修正したいのですが間違いを提示するためにそのままにします。)
"True thoughts have duration in themselves. If the thoughts endure, the seed is enduring; if the seed endures, the energy endures; if the energy endures, then will the spirit endure. The spirit is thought; thought is the heart; the heart is the fire; the fire is the Elixir."「真の考えとはそれ自体持続するものである。もし考えが持続するなら、その種は持続し、その種が持続するのであればそのエネルギーは持続し、エネルギーが持続するのであれば、魂は持続する。魂は考えであり、考えは心であり、心は炎であり、炎は生命の神秘である。」
タイラー(ロッジの役職。ロッジの入り口で他の人が入らないようにする。)の椅子。KNOW THYSELF汝自身を知れというデルポイのアポロン神殿の入口に刻まれた古代ギリシアの格言です。
上の言葉はちょっと全て読み取れません。DCpagesによるとFROM THE OUTER DARKNESS OF IGNORANCE THROUGH THE SHADOWS OF OUR EARTH LIFE, WINDS THE BEAUTIFUL PATH OF INITIATION UNTO THE DIVINE LIGHT OF THE HOLY ALTARだそうです。訳は外界の無知の闇から我々の地上での生活の闇を通って、美しい儀式の小道を辿って聖なる祭壇の神聖なる光に到る。あと入口の上にあるのがWHOM TIS THE VIRTVE HATH JOINE DEATH WILL NOT SEPERATE - TIS THE MYSTIC TIE THAT MAKETH ALL MEN BRETHRENだそうです。これも訳は美徳と死は分かち難く、これゆえに神秘的な絆が全ての男達を兄弟とする。フリーメイスンリーの真髄を示した言葉だと思われます。(2013/7/21追記:これも以前に三笠公園の章で訂正したのと同じ誤訳ですね。美徳と死は分かちがたくではなく、美徳によって結びつけられた者たちは死によっては分かち難く、これゆえに神秘的な絆が全ての男達を兄弟とする。ですね。)
From the light of the Divine Word, the Logos, comes the wisdom of life and the goal of initiation. 聖なる言葉の光、理性はやがて人生の知恵となり儀式の終着点となる。
ここでは儀式や会議をやるようです。ちょっと説明は早口すぎてほとんどわからなかったです。
参考までにDCpagesのHouse of the Templeの写真のページがあります。色々公開してるものは毎回異なるのだと思います。訪問する際は参考にしてください。ロスト・シンボルで最初に出てくるシーンはここのようです。
こちらは1階のメインの階段の向かって左わきにある小部屋です。恐らく儀式をやる部屋だと思います。とにかく説明の英語が速いのでほとんどわかりません。
ステンドグラスがあり、その横には寄付をすると銘盤が残るとかの説明だったと思います。
東京のグランドロッジにもあるブラザーワシントンの礎石を置くフリーメイスンリーの儀式の図です。もう一つは大統領就任式のブラザーワシントンの図だと思います。
ブラザーワシントンの様子を対比的に描いているものと思われます。一人のフリーメイスンとしての儀式に勤しむブラザーワシントンと威厳と誇りに満ちた初代大統領のブラザーワシントンとを教訓的に対比しているものと思われます。
あとは恐らくバンケットに参加したフリーメイスンの寄付のペニーではないでしょうか。とにかく説明が速いので良くわかりません。DCpagesの説明が一番良いのではないでしょうか。
あとは直接House of the Templeのホームページがあります。正式にはスコティッシュライトのホームページです。最近の33階級の授与者の名前なども見られます。スコティッシュライトのリサーチ部門であるScottish Rite Research Societyの論文集であるHeredomも1年前のものはインターネットで買えるようです。ただ以前に同様にイギリスのグランドロッジのフリーメイスンリーホールのgift shopのホームページを他の場所で紹介して、その後gift shopの内容が大幅に縮小したりしていたので、節度をもって行動してください。恐らくスコティッシュライトはイングランドのグランドロッジよりもアメリカ的で対応はこなれているものかと思いますが、インターネットの不特定多数の一部の行動は非常によろしくないものがありえます。基本的にフリーメイスンリーの組織は開かれていて、ペンタゴンを含めてインターネットのシステムそのものはフリーメイスンリーの組織の考え方で成り立っているものかと思いますが、それだけにインターネット上でも実生活でも同様の節度が必要となるかと思います。
基本的にフリーメイスンリーは公開してますし、特にそれがアメリカのフリーメイスンリーの組織は顕著なのでホームページの内容が最も親切な内容なのではないかと思います。
とにかく次から次へと見学で回るわけですが、英語が全然聞き取れないほど速く、そして見るものが全くもって全て秘密に見えるわけで、緊張して写真の手もぶれるし大変でした。
当時は別にこれを誰かに公開する目的ではなかったのでとにかく後で自分で確認しようというくらいの気持ちでしたのでとりあえず貴重な写真であるという意識でした。
各国のスコティッシュライトから送られた記念品。微妙に色々あるんだと思いますが、その辺はフリーメイスンリーなんだと思います。
歴代の33階級の受章者の額縁。DCpagesのものとは若干異なります。見学の機会によって異なるのかと思います。ブラザートルーマン大統領とブラザーマッカーサー元帥は有名かと思いますが、あとは外交とか教育とか多岐にわたるみたいです。スコティッシュライトのホームページに毎年の受章者は載るみたいです。写真を撮った当時はフリーメイスンリーの最高の秘密みたいに思っていましたが、現在はホームページの公開情報もあり、その他にも結構33階級の人はいるみたいで、しかもやはりフリーメイスンリーは基本第3階級、マスターメイスンで平等という考え方なのであまり関係ないようです。なかなか難しいです。世の中の自由・博愛・平等という概念もフリーメイスンリー由来のようですし、かといってフリーメイスンリーが秘密主義だとか差別的だという意見もあったりと世の中は色々と難しいです。
とにかく圧倒的な蔵書量で、ロスト・シンボルでもそうですが、フリーメイスンリーはとにかく古今東西のあらゆる本を読まないとついて行けない、インターネットでも最新の知識を更新し、なおかつあらゆる古典に通じていないとお互いの話についていけないというもののようです。
風貌で黒い教皇などと呼ばれているようですが、恐らく南北戦争でも従軍しており、行動派でありなおかつ理論派であったのだと思います。今日のアメリカの繁栄を本当に支える人材をフリーメイスンリーは生み出しているのだなと感じられました。
デスマスクかと思います。主要な著書は「Morals and Dogma」です。フリーメイスンの書いた本は基本的に前提となる知識が膨大なので、色々調べながら読まないとわからないかと思います。基本的に1から33階級までの意味と習得すべき道徳的な項目を挙げて、その由来や歴史が書かれているものかと思います。1974年までは14階級の認定の際に渡されていたそうですが、その後A Bridge to Lightという本に変更になったそうです。Phoenix Masonryなどで無料で読むこともできます。eBayやアマゾンでも購入する事ができます。iPhoneアプリでもあります。
Morals and Dogma of the Ancient and Accepted Sc.../Albert Pike
- ¥1,645
- Amazon.co.jp
https://itunes.apple.com/us/author/albert-pike/id366194223?mt=11
アメリカの月面着陸の宇宙飛行士や独立宣言書のフリーメイスンにまつわる展示
スミソニアン博物館でも月面着陸の展示は非常に多いです。アメリカ建国の父や歴代大統領のフリーメイスンかどうかなどは結構常識として関心の高いところなのでAmerican Freemasonsなどでも確認した方が良いかも知れません。日本では元首相ではとりあえず公表されているところではブラザー鳩山一郎のみのようです。(10/27追記:ブラザー東久邇宮もそうですね。)
図書館の方に移ります。
フリーメイスンリー関連の蔵書だと思いますが、とてつもなく大量です。私もその後多く購入しましたが、フリーメイスンによるフリーメイスンリー関連の書籍は世界規模では相当の数の出版があります。みなさんも興味がある方は今後数多くそういう資料に触れることになる事かと思いますが、機会がありましたらHouse of the Templeで資料を求める事があるかもしれません。これでHouse of the Templeのツアーは終了です。
ワシントンD.C.は近くにイースタンスターのロッジもありました。またサイエントロジーの建物もありました。
次回はワシントンD.C.中心部を離れてバージニア州アレクサンドリアのワシントン記念石塔です。
場所はアレクサンドリアで地下鉄でヒルトン・ワシントンからはデュポンサークル駅からGallery Place/Chinatownでイエローラインに乗り換えて、そこからキングストリート駅です。
ロスト・シンボルでも出てきますが、アレクサンドリアという名前は独立前のスコットランド人の入植者の名前由来のようですが、単純にプトレマイオス朝エジプトの首都であったアレクサンドリアと同名であり、七十人訳聖書を編纂したり、アレクサンドリア大図書館があったり、ヒュパティアがキリスト教徒に殺されたり、ユダヤ王国滅亡期からキリスト教の拡大期へのエジプト文明からローマ帝国への文明の中心地の移動の象徴であるかと思われます。
駅に着くと目の前というか駅の裏側になるのでしょうか、西側に立っています。
当時世界中で流行した建築様式なのかもしれませんね。明らかに日本の国会議事堂のモデルになったと思うのですが、確かに大きさの点ではこちらの方がはるかに小さいですが高さは333フィート(約101m)と高いようです。実物を見るとやはりその建築に感動します。まがった道で登って行きながらその塔を周りから見るようにできていてそれもまたよくできているのですが、周りに高い建物が何もないので非常に美しい見せ方と建物の調和にフリーメイスンリーの独特の感慨を持ちました。ロスト・シンボルによるとかつてプトレマイオス朝エジプトの首都アレキサンドリアにあった世界七大不思議の一つアレキサンドリアの大灯台をイメージしているそうです。シンボルとしての灯台とアレキサンドリアの七不思議の大灯台とかかっているのですね。House of the Templeのマウソロス霊廟もそうですが、いずれも世界七不思議にかかっているのは、フリーメイスンリーの最初のグランドロッジを作った際の憲章、いわゆるアンダーソン憲章にこの世界七不思議の事が書かれているからだと思われます。
階段などの数も数えたりしましたがあまり特別なものはなかったようです。もしかするとそういうのも意味があるのかもしれませんが、三笠公園みたいなのはないみたいです。
入り口の左右の壁にブラザーワシントンがフリーメイスンとしてアメリカのロッジとやり取りした文書の書面の碑文があります。
これもやはりDCpagesの該当ページがあり、内部について詳しく紹介しています。
このワシントン記念石塔をロッジとして使用しているフリーメイスンリーのロッジはAlexandria No.22ロッジです。ワシントン記念石塔のホームページもあります。様々な情報が公開されていますので訪問などする際には参考にしてください。Gift Shopは国際取引は現在行っていないようです。
入り口入ってすぐのところにブラザーワシントンの大きな銅像があります。ブラザートルーマン大統領が除幕式に参加したようです。
ロスト・シンボルでは神格化されたブラザーワシントンにだいぶこだわっていましたが、ここの銅像がブラザーワシントン像の中で最も良いものかと思います。必見です。
左右の壁とステンドグラス。やはりフリーメイスンとして儀式を行うブラザーワシントンと大統領として宣誓を行う図が左右にあります。ステンドグラスについての説明はDCpagesが詳しいです。
これがVirginia Alexiandria No.22 Lodgeの儀式の場だと思います。
これはバンケットホールだと思います。通常のロッジのもののようです。黒白のチェッカーが素晴らしいです。ブラザーアンドリュー・ジャクソンの胸像画があります。恐らくこのロッジのメンバーであったのだと思います。
これはかなり大きなブラザーワシントンの銅像です。バンケットホールに降りる階段の間にあります。後ろの絵はブラザーワシントンの居宅であったマウント・バーノンです。
地下にやはりバンケットホールがあります。ツアーがあり時間を待てば参加でき、上の階に昇っていく紹介があるのですが、やはりこの時は時間がなく参加できませんでした。ワシントンD.C.周辺は1ヶ月くらい時間をかけて周らないと細かくは見て行けない状況です。ちょうど日本の京都のようではないかと思います。
恐らく私が見てきたフリーメイスンリーに関するまとまった展示で最もコンパクトで、しかも最も実物があり権威があるものではないかと思います。
いわゆる内容的にはFreemasons For DummiesやThe Complete Idiot's Guide to Freemasonryをコンパクトにした形のものかと思います。
- Freemasons For Dummies (For Dummies (History, B.../Christopher Hodapp
- ¥1,731
- Amazon.co.jp
- The Complete Idiot’s Guide to Freemasonry/S. Brent Morris Ph.D.
- ¥1,690
- Amazon.co.jp
なんせ内容がそれで実物があって、権威ある場所ですから。しかも無料です。
見学者はその当時はいませんでした。
非常に素晴らしい展示ですが誰もが見られるのかは知りません。
恐らく問い合わせればどんな時でも快く見学させてくれるのがフリーメイスンリーだと思われます。
改築の時にでも掘り出したのだと思います。
ワシントン記念塔がはるか先に見えます。
ここでは時間がなくてツアーに参加できなかったので、恐らく現地のブラザーだと思いますが、その方が通り過ぎて残念そうな顔をしていました。また機会があれば巡りたいです。
こちらもガイドブックには必ず書かれていますが、レンタカーやアメリカ人が車で訪問するのはよくあるみたいですが、地下鉄イエローラインのハンチントン駅からバスで行く形で、ちょっと不便です。
アメリカでバスに乗る事はなかったんですが、先払いのシステムですかね。ほとんどバス利用者はいません。この時は途中の病院から太った黒人女性の方が乗り込んだだけでした。顔見知りみたいでバスの運転手とずーっと話していました。本数は1時間に3本くらいで、30分くらいはかかったかと思います。あまりお勧めではないですが、レンタカーやツアーよりは全然安いです。タクシーはほぼ見かけなかったかと思います。旅行会社の半日ツアーも一応あるみたいですが、恐らくマウントバーノンはあまり来られる方は多くないのではないかと思います。
入り口でブラザーワシントン夫妻と子供たちの銅像が待っています。入場料は13ドルだそうです。印象としてはプロテスタント的な大農場主の生活という感じでしょうか。
ポトマック川とその先の原野がそのまま保存されています。現代風の建物はひとつも見当たりません。時代劇みたいな光景です。
内部は部屋数が多いですが、作りは非常に簡素で日本の流行らないペンションの広いバージョンみたいな感じです。各部屋ごとに国立公園の係員がいて、テープレコーダーみたいに見学客が来るたびに同じ内容を繰り返します。基本写真撮影は止められます。大富豪というよりは田舎の大農場主という感じで、プロテスタント、ピューリタンの精神を感じます。ただ外にはやはり奴隷小屋があります。装飾などでフリーメイスンリーを強調したものは全くありません。日常生活でフリーメイスンリーを強く意識したものは無かった雰囲気でした。またキリスト教を強調したものも無い様子でした。漠然とした成功したピューリタンの生活というものを感じました。納屋みたいなところに実際に使う感じの金属製のコンパスはありました。風見鶏も鶏の形ではなく飛翔する鳥の形です。シンボルは取り除かれたのかもしれません。
ブラザーワシントンと妻マーサの棺。オベリスクはブラザーワシントンの墓。
ブラザーワシントンは大統領辞任後このマウントバーノンでウイスキーやブランデーを作ったそうです。冬に寒さの中で扁桃炎からの肺炎をこじらせ、発症して3日で亡くなりました。瀉血のために亡くなった可能性もあるそうです。67歳で死ぬ時は医師と秘書の3人であったそうです。妻は手紙を死後にほとんど焼いてしまったそうです。彼が独立戦争で大陸軍将軍として活躍した際は、厳しい冬を乗り越え、その後にドイツ軍将校(恐らくフリーメイスン)の下で訓練し鍛えられ後にイギリス軍を破るという功績がありますが、その事と死に際した逸話が関係しているようにも思われます。それら彼の人生を辿る過程が非常に豪華な隣接した展示館で説明されています。その中に唯一フリーメイスンリーを示す展示がありました。
彼が使用した道具だそうです。
彼が大統領、大農場主として成功した理由として20代で若くしてフリーメイスンとなった事も挙げていました。また彼は彼の実の母親と手紙で数多くやり取りしていますが、色々行き違いや衝突もあったようです。彼の母親は彼が死ぬ8年前に81歳で亡くなりました。
マウントバーノンは農場が引き継がれていて、ワインやレストランもあり、宿泊もできるようです。
時間に余裕があり、金銭的にも余裕がある日本の中高齢者においては、アメリカ合衆国の草創期の学習と共に優雅でありながらなおかつシンプルな初代大統領の生活を是非疑似体験してみてはいかがでしょうか。
展望台のチケットをもっているかどうかで差が出ます。像の下の売店はかなりフリーメイスンリーとはかけ離れています。マウントバーノンは非常にきれいでしたが、こちらはかなり汚いです。ニューヨークは日本人が多いですが明らかにワシントンD.C.の方がきれいな街です。ニューヨークは新宿が延々と続く感じでしょうか。セントラルパークは非常に魅力的でした。
まあいずれにしても快晴です。
唯一フリーメイスンリーと関係した説明がありました。以前は7芒星の周囲に様々な記号が描かれていたそうです。占星術と関係しているのでしょうか。詳しくは知りません。
リバティー島から上陸したところです。やはり日本の国会議事堂みたいなビルがあります。まあよい天気です。
その後はなんか整備された港みたいなところで昼食をとります。グランドゼロやセントラルパーク周辺を周っていきます。
こんなオブジェもありました。後は証券取引所の前のウォール街のブル牛の銅像でしょうか。
グランドゼロは工事中でしたが、今後滝の流れる公園になるそうです。恐らく現在もう完成していると思います。
こんな感じです。二本あるのは恐らく日本の経済成長とかかっていたのではないかと思います。
新しいビルは多様性を示しているのでしょうか。
イスラエルの国旗があったので撮りました。何のビルでしょうか。ニューヨークはやはりユダヤ人が多い印象です。
さてそれで最後に見学したのがロックオブザヒル、ロックフェラーセンタービルです。
入り口でこんな感じです。
ええ~このビルを三菱地所は買収したの?~と思ってしまいます。思いっきりフリーメイスンリーのシンボルです。知ってて買ったのか、知らなくて買ったのか、知りたくて買ったのかどれなんでしょうか。まあ大昭和製紙のファン・ゴッホの絵みたいな感じではないでしょうか。
石工の壁画があります。白と黒のコントラストで、モザイク状の床です。
三階層のらせん階段です。もうこの時点で私は感激してしまっていますが、日本人の人で気づいている人はいない様子です。何なんでしょうか。
トリップしたような照明のエレベーターで最上階へ上ります。ちょうど一緒にユダヤ帽(キッパー)を被った親子と一緒になりました。我が町の最も良いものを見てくれという感じだと思います。
完全にイニシエーション(入会儀式)の疑似体験です。
お決まりのコンパスです。ロスト・シンボルにも書いてありましたが、合衆国議事堂の地下にも以前永久の火が焚いていたところにコンパスの印があるそうです。結構大事なシンボルなのですね。横須賀の衣笠山の展望台にもあります。
上の構造も3階構造になっています。3×3で33になってるわけですね。フリーメイスンは3が大好きです。
下から見上げるとこんな感じです。
ロックフェラーは世界の帝王ではなくフリーメイスンかロータリークラブかライオンズクラブかそういう関係者だったのですね。恐らく33階級なんじゃないでしょうか。
以上でワシントンD.C. ニューヨークの旅も終りです。その後何もなく無事に日本に到着いたしました。
この後は後日談や日本の風景、その他のフリーメイスンリーのシンボル、市章や商標の話など残りをやる予定です。
要するに色々です。是非コメントお待ちしております。
追記:本日は昭和天皇の誕生日でしたね。後々に皇居に認めるフリーメイスンリーのシンボルをやります。日本の天皇制、戦後民主主義について色々御考えをお持ちの方はどなたも高尾駅のすぐ近くにある昭和天皇御陵、大正天皇御陵を訪問する事をお勧めします。近くに様々な桜を集めた多摩森林科学園もあります。大正天皇御陵の方が昭和天皇御陵よりも高く作ってあるのが私には昭和天皇の素直な大正天皇に対する評価かと思われます。大正、昭和という激動の時代を超え、平成の現代ですが、今上天皇陛下は土葬を止め火葬を希望され御陵の形はとらないようです。
laus Deo 神を讃えよ
その他にもというと様々なオブジェが思い浮かぶかもしれませんが、ガンダムも含めてあまりフリーメイスンリーと直接かかわっていそうなものは無いかと思います。(ガンダムもジオン軍とかボールとかそりゃ関係していると言えば言えますが。)
それじゃ他にはないのかというとまあそれらしいのがいくつかあります。
個人的に一応気づいた所を挙げてみようかと思います。
とりあえず碇があります。碇がフリーメイスンリーのシンボルというのは毎回色々思われる方がいるかと思いますが、明らかにシンボルです。パーフェクトアシュラーはなさそうです。
あとはこのプロムナードでしょうか。テレコムセンターから東京タワーに一直線に繋がる柱廊はいわゆる凱旋門などと同じく門としてのシンボルになるかと思います。三笠公園のアーチのゲートのように海の外の世界につながる門、天国につながる門の象徴かと思われます。テレコムセンター側に歩いて左方向に曲がるとガンダムなどあるのですが、そちらもまたゲートの形をしたビルとなります。また東京湾の外側にゲートブリッジという橋もでき、ゲート=鳥居という意味付けだと思いますが、フリーメイスンリーをより日本に定着させた形でシンボルを表現しているものかと思われます。そういえば東京タワーの先端も地震で曲がっていたのが修復されているようです。柱の数は12本と5本だったと思いますが、それぞれ重要な数字ではありますがそれほど深い意味はもたせていないようです。コカコーラの自動販売機がイングランドのグランドロッジを模しているのも一つのシンボルかと思いますが、あまり系統的ではありません。
時計台は三井の形です。恐らく何らかの関連はあるのかと思われます。
自由の女神方面を見るとツインタワー、双子のビルが多いのに気付かれるでしょうか。
臨海副都心としていまだ開発が進むお台場、有明、築地方面です。貿易センタービルのかつてのツインタワーと自由の女神、それはいわゆるニューヨークマンハッタンのシンボルの組み合わせであったものです。ツインタワー、二本の柱、日本の象徴、まあ語呂あわせですが、それはヤキンとボアズの柱の示す二元論にも繋がる象徴的な建築となっています。
フジテレビの大階段。これはフリーメイスンリーというよりは、旧ソ連のプロパガンダ映画戦艦ポチョムキンのオデッサの階段を思わせるかと思います。いわゆるプロパガンダの力、そういうものを象徴し、日本が一つの社会主義国家であり、その上でサンケイグループの存在が重要なものであることを示しているのではないかと思われます。
以上簡単ではありますがお台場のフリーメイスンリーのシンボルでありました。
色々気付いたことがありましたらコメントしてください。ご批判、ご要望は基本的に受け付けておりません。