2012-05-23 17:36 | カテゴリ:横須賀
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
さてそれでは聖書に現れるユダヤ教で重要なヨセフについては一応説明したかと思います。
では聖ヨゼフ病院に示されるキリスト教で重要なヨセフとはどのようなつながりになるのでしょうか。
キリスト教の教えで重要なのはやはりキリストの愛の教えでありますが、教会の教えの重要なものはやはり処女懐胎とキリストの復活の二つの奇跡で象徴される神の奇跡であるかと思います。この最初の奇跡で重要な役割をするのがキリストの養父としてのヨセフです。概要については新約聖書は旧約聖書に比べて分量は少ないのでこれもやはり直接読まれる事をお勧めしますが、フリーメイスンリーの教えも含めて、旧約聖書を読まずに新約聖書を読むことはほとんど理解できないように読む事に等しいので、結局全体を通して読むことをお勧めします。

一応毎度毎度ですがウィキペディアでのナザレのヨセフについての概要を転載します。

『マタイによる福音書』(以下、「マタイ」とする。)によれば、ヨセフはダビデ家の子孫であり、父はヤコブという人物である。だが、『ルカによる福音書』(以下、「ルカ」とする。)にみられる家系図ではヨセフの父はエリという名前であることになっている。
ヨセフは「義しい人」であったと『マタイ』はいう。彼は婚約者のマリアが孕んでいることを知ると、律法に忠実な義人であればマリアを不義姦通として世間に公表した上で離縁するところだが、そうせずひそかに縁を切ろうとした。が、『マタイ』では夢にあらわれた天使の受胎告知によってマリアと結婚した。『マタイ』及び『ルカ』ではマリアは聖霊によって孕んだとあるため、ヨセフは伝統的に「イエスの父」ではなく「イエスの養父」と表現される。
『マタイ』によれば、イエスがユダヤのベツレヘムで生まれたあと、ヘロデ大王によって幼児殺害の命令が出たため、天使の警告に従って、ヨセフは妻と子を連れてエジプトに避難する。ヘロデ大王の死後、夢に現れた天使のお告げに従い、エジプトから戻ってくるが、ヘロデ大王の子が治めるユダヤを避けてガリラヤのナザレに行き、そこで暮らした。
ただし、旧約聖書にはナザレという地名は登場しない。ヤコブが息子ヨセフに「ナザレ人(ナジル人:聖別された人)となるよう」死の床で伝えたことが成就するために、新約聖書の時代に至ってナザレに向かったのである。
『ルカ』では、もともとヨセフはナザレの人であったが、ローマ皇帝アウグストゥスの時代に行われた住民登録のために身重の妻とベツレヘムへ赴いたことになっている。また、イエスが12歳のときに行われた過越祭のためエルサレムへ旅をした際、行方不明になったイエスをマリアと共に捜し、3日後にエルサレム神殿で学者たちと討論を展開している少年イエスを発見し、ナザレに連れ戻している。
各福音書には、養父ヨセフの人生の終わりに関する記録はないが、伝承によれば、ヨセフはイエスが公生活を開始する直前に亡くなったという。
労働者の守護聖人であり、大工であったヨセフの像はしばしば大工道具を手に持っていることがある。
福音書の記述には、マリアとヨセフの子として、イエスのほかにヤコブ、ヨセフ、ユダ、シモンの4人と2人の女子の名前が上げられているが、カトリックではアラム語の慣用から甥・姪だったとする説が主流である。これらの人物がヨセフの子だとする場合も、母が誰かについては議論があり、伝統的に東方教会ではヨセフと前妻との間の子だと考えている。プロテスタント教会は、多くイエスと同じくマリアの子どもたちだとする。この問題は、カトリックのユダヤ教における言葉の時代的背景を考慮(当時のヘブライ語、アラマイ語には、兄弟、従兄弟も同じ言葉が使用されており、新約聖書の他の箇所に於いて、それがわかる)、逐語的に訳すプロテスタントにそれがないということだと思われる。
西ヨーロッパの絵画ではしばしば老人として描かれるが、これはヨセフとマリアの間に性交渉がなかったことを強調するために、ヨセフを生殖能力のない男性としたものと考えられる。

要するにまとめると、そもそも新約聖書でもヨセフの存在は父親がヤコブであり、ダビデ王の家系であり、すなわちユダヤ人を代表する人物であるユダヤ教の重要なヨセフ、そのものを象徴しているのであり、つまり寡婦の子供イエスを養育したのがヨセフに代表されるユダヤ人社会そのものであるという象徴であるという事です。またマタイ伝では夢での受胎告知もあり、ユダヤ人の伝統的な夢によるお告げの現象がイエスの誕生と直接関わっているとも示されています。すなわちユダヤ人の知恵によってキリストは誕生したという隠喩であるかと思われます。ユダヤ人のラビの著作によるとキリストの言葉のほとんどはユダヤ教の有名なキリスト以前のラビ達の言葉そのものであるということで、キリスト自身がユダヤ教の教育を十分受けた存在であり、かつその教えそのものは本質的にユダヤ教の考え方をそれたものではないという事がわかるかと思います。ユダヤ教そのものに特に出エジプトのあたりに最大の禁忌として異民族との交わりが強調されており、キリストの時代のバビロン捕囚後のユダヤ民族においては恐らくその教えそのものはほとんど現実的なものではなくなっていたと考えられ、その上で民族のアイデンティティーを維持し、かつその教えを知恵として後世に存続するためには絶対的に世界宗教への変化が必要であり、その中では恐らく父親の出自がはっきりしないような人物の存在は当時のダビデの系統に象徴されるような父系社会のユダヤ民族にとっては重要であり、ナザレのイエスの存在は好適だったのではないでしょうか。またナザレの地名に関してもユダヤ教で重要なヨセフとの関連がウィキペディアでも書かれています。養父ヨセフの職業についても大工という事も、石工との関連でフリーメイスンリーでは建築者として共通であるとして重要なようです。ソロモン宮殿の建築が神との契約の最大の象徴として求められるものであり、それはユダヤ教、キリスト教からフリーメイスンリーに至るまで引き継がれる教えのようですが、その上で建築者としての実務的、思索的ともに石工の存在は象徴的であり、養父ヨセフの職業があえて大工と表現されているのも、キリスト教というその後世界を席巻し、人類に科学による現代社会をもたらす原動力となる世界最大の宗教を産む実務的、思索的ともに建築者としての存在として象徴されていると考えて差し支えないかと思われます。

つまりキリストの養父ヨセフという存在そのものがユダヤ教の重要なヨセフとのそもそもダブルミーニングであり、ヨセフという名前そのものがキリスト教とユダヤ教をつなぐものであり、それは宗教、知恵の伝承と発展であり、それは現代における科学や医学、それら人類に恩恵をもたらす事象、奇跡の象徴であるという事が言えるのかと思われます。