2012-07-01 09:29 | カテゴリ:横須賀
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
碇のシンボリズムは案外重要なところで使われている、普通の知識だと見逃してしまう特別なシンボリズムです。港や海の近くに行くといくらでも実際に使っている碇があるのでシンボルとして意識する事は通常ないかと思われますが、ほとんどの碇についてシンボルとしての意味が付けられていると考えるのがシンボリズムとして正しいかと思われます。特にシンボリズムとして重要なのは、結局実際に使われていない碇の記念碑としての存在である際にはほぼ間違いなくキリスト教もしくはフリーメイスンリーのシンボルとしての存在であるというところです。
それだけ現代の航海技術というものがキリスト教やフリーメイスンリーの活動の下に発達し発展したものであるという事なのだと思われます。

横須賀においても街の象徴やシンボルとして図柄やアイテムとして様々なところで認めます。特に店舗のアピールや市のイベントなどで使われる事が多いようです。
実際の碇の実物を利用したシンボリズムは横須賀の中でもある一定の基準があるようで、やはりこのシンボルとしての特別さが表れているようです。
やはり最も目立つものは米軍基地の入り口にあるものかと思われます。
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これと対応するものが海上自衛隊の入り口にあるものです。海上自衛隊も戦後に米軍のフリーメイスン達が指導して設立された存在であり、戦前の海軍、陸軍にしても明治維新にフリーメイスン達が指導して設立したものであり、それぞれ碇や五芒星と言ったフリーメイスンリーのシンボルが含まれています。現在話題になっているF-35の導入問題などで取り上げられる航空自衛隊の設立には横浜ロッジに顔写真が飾ってあるブラザーカーチス・ルメイが設立に尽力しており、これに関して日本国から旭日大綬章を叙勲しています。彼は戦時中の日本の空襲を指揮指導した存在でもあります。フリーメイスンリーから日本の歴史を鑑みると果たしてこの国にとってフリーメイスンリーとは何なのか、今後どうなっていくのか非常に危ういものを感じずにはいられません。
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さてそれら日米のそれぞれ海軍基地の入り口に対応するように碇があるわけですが、それと対応するように三笠公園とヴェルニー公園という英仏日とそれぞれに友好を象徴する公園にそれらは置かれています。
まず三笠公園に関しては船自体が碇と対応するノアの箱舟の象徴となるわけですが、もちろんそれに付随して碇が設置されています。
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戦艦三笠にはもちろんシンボルにもなるコンパス(羅針盤)もあります。
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ヴェルニー公園に関しては元々臨海公園であった時代に中心であったと思われる海軍の顕彰碑がまとめられた桜の木の付近の一帯に新たに設けられた海軍の顕彰碑のそばにあります。
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さて横須賀には他には碇のシンボルは無いでしょうか?
碇のシンボリズムはかなり重要であり、港町横須賀といえども実際の使用している碇以外のシンボルとしての碇は案外少ないものです。ただし一般の店舗にシンボリズムとしての碇がありました。
魚藍亭錨
まあ地元の人は皆知っているかと思います。戦前の海軍工廠から貰い受けた由来の碇が塗りなおして置いてあります。もちろん戦前からシンボルとして置いてあるのでお店の人にしてみれば戦後のアメリカのフリーメイスンリーが持ってきたシンボルとは違うよという気持ちはあるのでしょうが、これももちろん重要なフリーメイスンリーのシンボルです。
ではこの碇の意味は魚藍亭を象徴しているのでしょうか?店に入ると確かに東京タワーの模型を置いてあったりフリーメイスンリーを意識したものとはなっているようですが、経営者が恐らくロータリーかライオンズクラブなのかと思われますが、フリーメイスンではないと思われます。ではこの碇が象徴する存在は何なのでしょうか?
恐らく崖の上の聖ヨゼフ病院を象徴しているものと思われます。聖ヨゼフ病院はカトリック系の聖母訪問会が設立した戦後の横須賀におけるGHQの都市計画の代表的な存在ですが、設立にかかわった聖母訪問会のブルトン氏はフランス系のアメリカ人で、本人も不治の病に冒されていたりとヨゼフ病院設立に関してもフリーメイスンリーをかなり意識してのものであったかと思われます。日本の敗戦に関しても8月15日が聖母降誕祭というカトリックの代表的な祭日であり、終戦記念日と重なったことから日本ではあまり知られる事が無くなったという事もあるようです。最終的な敗戦工作に関しては皇室とカトリックとの繋がりは有効に働いたようです。日米の開戦となった真珠湾攻撃の日は12月8日、これは釈迦が悟りを開いた成道会(旧暦12月8日)であり、太平洋戦争が一つの宗教戦争であったという象徴であるかと思われます。それら宗教の融和、平和の思想を体現したのがフリーメイスンリーであり、それが戦後の日米の関係を象徴し、説明するものかと思われます。神社と寺という日本の伝統宗教の間をつなぎ、さらにアメリカ軍の正門に繋がるタウ十字を形成する中心をなすユダヤ教とキリスト教を繋ぐ存在であるヨゼフの名前を冠した聖ヨゼフ病院をブラザーデッカーを代表する戦後のアメリカ基地を通したフリーメイスン達の活動が、今日まで残る横須賀の碇のシンボリズムの一つとなっているものかと思われます。もちろんそれは聖ヨゼフ病院の元となる海仁病院の設立や海軍工廠の存在など戦前の日本海軍の関係者の方々もフリーメイスンリーに関する活動があり、それらが現在の日本グランドロッジの水交社跡などにも反映されているものかと思われます。

ちなみに魚藍亭は現在横須賀で多くの店が行っている海軍カレーの発祥の店という事で、元祖海軍カレーの店としてアピールしています。その海軍カレーのパッケージには大きくこのシンボルとしての碇が認められています。戦前、戦後を通じた主に海軍を通した日米、日英、日仏、日印といった日本と世界との間を繋いだ港町の、食を通した平和の象徴としての存在が現在の横須賀海軍カレーとなっていると言えるのではないかと思われます。
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2012-07-01 09:46 | カテゴリ:横須賀
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
横須賀のシンボリズムはアメリカ軍があるので徹底しています。
それが戦後のアメリカの占領政策、対日政策の一貫した方針であると言えるかとも思われます。
まあそれを象徴するというと言い過ぎかもしれませんが、シンボリズムの面からいうとそこまで入れなくてもいいのではないかというものにも強くシンボリズムが採用されて認められます。
それは多くの人が一度は気づくかと思われますが横須賀市上下水道局の蓋の絵柄です。
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まあペリーと黒船と灯台が書いてあるのは誰でもわかるかと思います。
もちろんブラザーペリーがフリーメイスンであり、船がノアの箱舟を象徴するシンボルであり、灯台がヴェルニー達フリーメイスンと思われるお雇い外国人が立てた文明のシンボルであり、それらが皆明治維新とフリーメイスンリーにまつわるシンボルという事はわかるかと思います。
ただそれらを確実にフリーメイスンリーが繋いでいると示すものがいわゆるシンボリズムとしてまだ足りないかと思います。灯台にしても実際に存在したものであり、現実に今もあるものであり、黒船にしてもブラザーペリーにしても実在のものであり形而上の存在ではありません。
それらをフリーメイスンリーで繋ぐには形而上の存在を象徴するシンボリズムが必要かと思います。
それもこの土管の蓋には認められます。

上部の背景に認められる凹凸で表現されたチェッカー図柄になります。これによってこの土管の蓋は間違いなくフリーメイスンリーのシンボルとなります。
GUSTOのフリードリンクコーナーのGやTのシンボルと同じ程に徹底した横須賀のフリーメイスンリーのシンボリズムでした。
(実はこのシンボルはなかなかおもしろいものがあります。上下水道局は観音崎の灯台を模した建物を作ったり、走水の水源をヴェルニーの水としてアピールするなどヴェルニーを象徴とするフランス大東社の影響を感じさせます。そのヴェルニーの功績と言える灯台の上にペリーの黒船の帆先がバツ印で重なっています。もちろんこのバツ印を聖アンデレの斜め十字と考えるか、〇×のバツ印と考えるかで意味は異なります。もちろんΧΡと考える事も出来るかと思います。シンボリズムの妙です。ブラザーペリーがニューヨークホラントロッジの出身であったり、ペリー公園のラフアシュラーや本人の米国での評価、下水の蓋が皆に踏まれる存在でありかつもっとも数が多く良く目につくものである事など様々な要素があるかと思います。いずれにしても説明するまでも無くそれがシンボルであろう事は多くの人が無意識に感じているものかと思います。)



2012-07-01 11:01 | カテゴリ:テレビ
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
久々に関係者に好評の様なテレビについての話題です。
ジャニーズ関係は白と黒のアピールを盛んにしていましたがどうもこれはやはりシンボルとして良く目立つので終わったようです。代わりにペプシのCMでアピールしていました。
ペプシも陰陽のシンボルであり、三色のシンボルとなっています。
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色々番組単位でのアピールが多いようですが、コンパスやソロモンといった題名の番組はテレビ東京に多いようです。後はお笑い番組系で細かくアピールが多いようですが、そもそも道徳や哲学と言った部分での教えを主体とするフリーメイスンリーに関して質の低いお笑い番組ではなかなか本質的に難しいかもしれません。いわゆるGHQの3S政策に則ったものとしての評価しかないのではないでしょうか。
CMでは圧倒的に減った印象ですね。トヨタの目を意識したCMも大金を広告代理店に献上する結果となったのではないでしょうか。スズキは白黒のアピールは終わったようですが、ヤキンとボアズの形となりました。恐らくライオンズクラブなのでしょうか。
デーブ・スペクター氏も非常に意識しているようです。ナイキ製のライオンズのユニフォームは面白いものです。恐らくナイキもライオンズクラブのシンボルからの派生なのでしょう。
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テリー伊藤氏も読売関係からでしょうか白黒のメガネで盛んにアピールしていますが、どうなのでしょうか。出身も築地と築地本願寺に近くスカイツリーも完成して間もないのでそういう盛り上がりもあるのでしょうが、どうでしょう。渡邉恒雄読売新聞会長と合わせてなかなか難しいものがあるかと思います。
読売グループに関してはジャイアンツのGや栄光の背番号3、東京ドームの貝殻の形などシンボリズムに関連したものが認められます。いろいろ試みられるのはまさにフリーメイスンリーの基本となる自由で良いのかと思われますが、本質的に道徳や哲学といった生き方を追求する教えであり、生き方でアピールされるのが良いのではないでしょうか。
2012-07-01 18:42 | カテゴリ:シンボリズム
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
アルファベットのRのシンボリズムについてはピラミッドやアルファの意味としてのAや聖アンデレ十字のXやタウ十字のTと比べて、よりOの並びで表現されるAll Seeing Eyeに近いものがありますが、比較的フリーメイスンリーよりもロータリークラブやライオンズクラブで好まれるようです。恐らくAll Seeing Eyeのエジプトのヒエログリフでの表記の印象から受けたものがそのままRの文字の形そのものと近いものがあるという事と、比較的Rのシンボリズムが少ないというところになるのではないかと思います。
これについて最も明らかなのはアメリカ大リーグの球団Raysのマークかと思います。もともとタンパベイ・デビルレイズというイトマキエイを意味するものだったそうですが、最近になって光線の意味にもなるRaysとなり日本人ではヤクルトスワローズの岩村明憲選手を獲得してチャンピオンズリーグに出場する旋風を巻き起こしたそうです。
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まあこれは誰がどう見てもAll Seeing Eyeと言えるかと思います。
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現在開催中のツタンカーメン展でも胸飾りにホルスの目が認められるようです。一般的に左目がAll Seeing Eyeやホルスの目では使われます。この事からもRはやや装飾的になるとこのエジプトのヒエログリフに認める形のホルスの目に近くなります。ギリシア語ではΧΡのΡがRと対応するようで、文字の変形に伴ってRの形になったようです。
日本の商標では最も大手企業ではJRになるかと思います。これは右目か左目かというと右目になるかと思われ、右目だと太陽を象徴するようで要するに日の丸になる、親方日の丸のシンボルマークの意味もあるのかと思います。
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(7/6追記:JP日本郵便もJRと同様に右目の形になるようです。やはり親方日の丸を象徴するのでしょうが、別に言われなくてもわかりますよね。
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あとはやや宗教系になるかもしれませんが、創価学会との関連が言われている楽天と幸福の科学でしょうか。
emunoki_img_110414_11.gif幸福の科学
日本の企業ではありませんが、Rを強調している会社で創業者がユダヤ人だそうです。
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反転していますが、右目になると太陽を意味するそうです。
その他にもRの入る社名の企業はいくつかあります。
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この会社はあまりシンボリズムを意識していないようですが社名がそのままとなっています。女性が代表であり様々なバックグラウンドがあるようです。
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ホルスの目のWikipediaの項目には処方箋のRxとの関連が唐突に触れられています。記入者が薬剤師さんなのでしょうか。
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恐らく医薬と文明との関連に基づくのかと思われます。Recipeのラテン語表記の省略との説明が一般にはされるようです。
関連としてというか人名ではRay Charlesなどがいますが、特に彼個人がフリーメイスンである事は無いようです。同様にX-rayを発見したレントゲンも特に関係ないようです。All Seeing Eyeも目として二重丸を含めてそちらの表現で認められるのが市章のところでも触れたようにそちらが多いようで、それからの派生でO(オー)を目として表現する形が多いようで、こちらのRでAll Seeing Eyeを意味する形は少数派のようで、それだけに独自性を強調したり、最近の新しいロゴとして選ばれたりするようです。恐らく最初にも言ったようにヒエログリフでのホルスの目の印象が非常に強かったとかそういう事が関係しているのではないかと思われます。
ギリシア語のΡ(ロー)からそもそもR(アール)になる際にそもそもホルスの目を意識していたかどうかとなると微妙です。そうなるとROMA(ローマ、ラテン語表記)とかそもそも意味がフリーメイスンリーのシンボルとなってしまいます。Mも3の象徴ととらえられてAをピラミッドするとなんだかエライ事になってしまいます。ただローマの語源となった初代ローマ王ロームルス(Romulus)もその双子の弟のレムス(Remus)の双方ともRを頭文字としており、その時代にはエジプト王朝は衰退の傾向を認めていたわけで、Rの字の意味や字の成立にすでにAll Seeing Eye、ホルスの目の意匠が組み込まれていたと考えることは想像し過ぎではないかもしれません。ちなみにローマの伝承によればこれらロームルスとレムスの母親となるウェスタの巫女の名前もレア・シルウィア (Rhea Silvia)といい、やはりRが頭文字になるようです。王制ローマは伝承では7代続いた後に共和制へ移行するのですが、これはまさに貴族制による共和制を理想とする旧約聖書のユダヤ王国の理想の政治形態を反映するものであり、当時のエジプト王国はラムセス王朝の後にテーベのアメン神官団が勢力を増し、中央集権が弱まり異民族による王が続いたようで、ユダヤ王国に様々なエジプトの神官団の力が働いていた事と同様にローマ王国の建国にもこれらエジプト神官団の様々な力が働いていたと考えても想像しすぎではないかもしれません。エジプト王国はその後結局アッシリアやペルシア王国に占領され、最後はアレクサンダー大王の東征によりギリシア系の王を戴いて後、有名なローマのカエサルやアントニウスとの関係を保ったクレオパトラのアクティウムの海戦での敗北により古代エジプト王朝は終焉します。

出エジプト時代に王であったとされるエジプト王国最盛期の王ラムセス二世の名前に認められるラムセス(Ramesses)はラーによって生まれたという意味の「ラー・メス・シス」のギリシア語読みであるそうで、ラー(Ra)、あるいはレー(Re)は、エジプト神話における太陽神であるそうです。語源はそのまま、「Ra」(太陽)。ハヤブサの頭をもつ姿で描かれることが多く、後にアトゥムと習合し、ヘリオポリスでは最も重要な神とされるそうです。ヌンから生まれ、シューやテフヌト、バステトの父とされ、また、セクメトはラーが人間を滅ぼすためにその目から生み出されたとされるそうです。ラーを象徴する元素と色はそれぞれ火と赤だそうです。つまりRの語源自体が太陽や光Rayにあると考えられるようです。ギリシア語のρ(ロー)の字の形がそもそも太陽神ラーを表す形と考えるのが正しいのでしょう。そういう意味では楽天の日の丸とRを重ねるのはまさに太陽神を意味する形になるのかと思われます。

またアルファベットの個別の字の由来については一般にフェニキア文字原カナン文字原シナイ文字と繋がりさらにさかのぼるとシャンポリオンで有名なロゼッタストーンで解読されたヒエログリフとなるようです。この中で面白いのはやはり原カナン文字の表記ですが、Aが有名かもしれませんが雄牛の逆さまになった図であり、雄牛は出エジプトの際に異教のシンボルとされたものであり、その逆さまの表記がピラミッド型の言葉の最初のΑとなるということはなかなか意味深いです。Dの元となるΔが魚からの表記であるなどはピラミッドとイエスの象徴としての魚との関連が想像されます。またF・U・V・W・Yの元となったとするwawという字はまさにΡ(ロー)の元となったような太陽神か、その光線であるアテン神の表現のようです。またΘの元となった車輪を表す字はそのまま太陽十字の形をしています。またOの由来はそのまま目の表現となっており、これはまさに現在のアルファベットのシンボリズムと一致しています。Ρ(ロー)の元は道の折れ曲がり、くまとなっておりあまり関係はなさそうですが、P・Rの元になる頭raʾsはまさに理性の存在が太陽神ラーそのものであると表現されているようです。またこれがベイシェラトンのシンボルSやさいか屋のSの様なSのシンボリズムを解説しており、太陽、蛇形章と表現されており、これは蛇形記章またはウラエウス(古典ギリシア語: οὐραῖος、uraeus)とは、エジプトに棲息するアスプコブラが鎌首を持ち上げた様子を様式化したもので、古代エジプトの主権、王権、神性の象徴であるとのことです。Tはまさに神との契約、署名であり、元の表記も宗教の一般的なシンボルである十字となります。ヒエログリフの読み方のリンク、ウィキペディアにあったものを置きます。
(追記:Rはヘブライ語ではReshと呼ばれる20番目の文字となり、ゲマトリアでは200を意味し、略語ではラビ(ユダヤ教の司祭)を意味するようです。いわゆる聖書での神を意味するJHVH Jehovah יהוה の最初の文字יYodではないようです。יYodはScottish Rite 14階級のシンボルの指輪にデザインであり、三角形の中にその字を認めます。ゲマトリアでは10であり10番目の文字です。原カナン文字では腕の意味であり、対応するギリシア文字はΙ(イオタ)、ラテン文字はIまたはJです。)

ところで横須賀には様々な日本語のローマ字表記がありますが、その中でRに関わるものとしてRAMEN(ラーメン)があります。中国語にすると拉麺または老麺・柳麺となり制作法からの名前の由来のようでもあり、また蘭州の麺という意味もあるようでどうもラーメンの音に合わせた当て字のようです。
もちろんRなのかLなのかというところがありますが、横須賀ではRAMENと表記されており、Rでホルスの目、AMENでアメン神を意味する事になり、恐らくパスタの文化があるローマ帝国発祥と考えられる人類共通の麺文化の極東の地で神聖な食事として伝来した事を象徴する名前なのではないかと思われます。
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(追記:中国語の発音でラーメンに相当する食品は無いようで、拉麺ラーミエンという発音のようです。もしかするとラーメンRAMENの名前を広めたのは戦後に意図をもったフリーメイスンリーを主体とするGHQのネーミングだったのかもしれませんね。もちろん想像です。)

(2013/7/21追記:Rのシンボリズムで直接的なロータリークラブとの関連を一切触れていませんね。駄目ですねえ。Rotary ClubとRのシンボリズムと歯車のシンボリズムは重要です。特に日本ではほとんどのRのシンボリズムはロータリークラブ関連であるようです。)
2012-07-02 23:14 | カテゴリ:アメリカ
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
7月4日は日本では七夕のちょっと前の日ですが、アメリカでは独立記念日です。
独立記念日とは独立戦争を勝利した日では無く、アメリカの独立宣言が大陸会議で採択された日です。
なぜ7月4日が選ばれたのかはちょっとわかりませんが、現時点ではたまたま状況の流れの中でその日が選ばれたように思っています。もしかするとアメリカにおけるフリーメイスンリーの何らかのそれ以前の記念日にかけた可能性はあります。陰謀論のページではイエスの誕生日とかアルファベットのゲマトリアを無理やり作って当てはめていますがなかなかトンデモな話です。
いずれにしてもアメリカ独立宣言を起草したブラザートーマス・ジェファーソンはフリーメイスンであり、その日はアメリカでは毎年盛大にお祝いが営まれています。
横須賀基地でも中ではお祝いが営まれているようですが、9.11テロ以来その日に基地開放デーを行うやり方は中断しているようです。花火は昨日の日曜日に小雨の中でやっておりました。
日本での独立記念日に関してはブラザーペリーが黒船で来航した際に現在の八景島シーパラダイスの付近で独立記念日の祝砲となる空砲を撃って江戸攻撃の威嚇を行ったそうです。まあなかなか緊張感のある東西の邂逅の場面かと思われます。
7月4日に関してはとにかくブラザートーマス・ジェファーソンの活躍が素晴らしいわけですが、それに関してwikipediaでは盛んに福澤諭吉が独立宣言を西洋事情の中で邦訳した事を書いていますが、恐らく慶応大学関係者なのでしょうか。独立宣言の前にブラザートマス・ペインのコモンセンスが非常に独立の機運を盛り上げたそうで、こちらも一種のアジテーションですが、建国当時のアメリカの雰囲気や情勢が良くわかる文章となっており面白いです。独立戦争に関してはブラザーワシントンの活躍もありますが、日本人にはなじみの薄いところでボストンの英雄としてブラザーポール・リビアの真夜中の騎行の活躍があります。彼はスコティッシュライトをアメリカに最初に伝えた功績があるそうで、本業は銀細工職人であったそうです。
7月4日に関しては独立宣言採択の50年後の記念日に第3代アメリカ大統領となったブラザートーマス・ジェファーソンが83歳で亡くなり、それを見届けるようにその同じ日に第2代アメリカ大統領であった敬虔なピューリタンでありフリーメイスンリーに理解のあったジョン・アダムスが90歳で亡くなったそうです。またその5年後にはブラザージェファーソンの愛弟子であり第5代アメリカ大統領であったブラザージェームズ・モンローが独立記念日に亡くなったそうです。
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7月4日はフリーメイスンリーが1717年6月24日にイングランド連合グランドロッジを発足した聖ヨハネの日のちょうど10日後であり、恐らく推測ですが、1723年のゴシック憲章を改定したフリーメイスンリーの最初の憲章、アンダーソン憲章が出版された日なのではないかと思います。これは恐らくかなり大きなフリーメイスンリーの秘密になるものと思われ、インターネットを検索してもアンダーソン憲章の正確な出版日は検索されませんが、アメリカがフリーメイスンリーの理想の国家であり、またその国家の根幹をなす憲章に近い独立宣言が採択された日にちというのは、恐らくフリーメイスンリーの根幹を成すアンダーソン憲章の出版日、採択され作成された日にちに由来するというのは自然なのではないかと思います。独立宣言に署名したアメリカの偉大なフリーメイスン、ブラザーベンジャミン・フランクリンはこのアンダーソン憲章をアメリカで1734年に最初に出版しました。1733年にマサチューセッツに最初のグランドロッジが発足しアメリカの各州でグランドロッジが作られていきました。

アメリカのフリーメイスンについては人物が限りなく多く彼らについて紹介していくのは非常に有意義かと思われますが、とても人数が多いので後々としていきます。

さてそういうフリーメイスンリーにまつわる7月4日ですが、日本では駅前にどこにでもある赤い店舗のケンタッキーフライドチキンが創業記念日という事で1200円でチキンが食べ放題というイベントを行うそうです。開催予定の店舗はこちらにあります。ケンタッキーフライドチキンと言えばブラザーカーネルサンダースの人形がある事で有名ですが、この人形の胸元にはフリーメイスンリー関連組織の会員である証のバッチがあります。
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上がロータリークラブのピンバッジで下がスコティッシュライト32階級で構成するシュライナーズのピンバッジです。この人形とバッジがあるためにケンタッキーフライドチキンはロゴに特にフリーメイスンリーのシンボルを入れていないようです。現在はマクドナルドと一緒にギザの三大ピラミッドの近くでも目立って営業しているそうです。

ちなみに横須賀中央のケンタッキーフライドチキンの店舗ではこの二つのバッジがどちらも取られていました。ペリー公園やヴェルニー公園のランプなどもそうですが、シンボルは深い意味がありますから、思慮浅く行動すると良くないかと思います。横須賀では良く認められる事ですが、もちろん良い事ではありません。
2012-07-03 22:24 | カテゴリ:東京
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
以前にお台場のフリーメイスンリーのシンボルについてこのブログでも触れたのですが、天気の悪い日で自由の女神周辺のものと漠然とした大きなシンボルについて触れただけであったので、今回はもう少し詳しく触れます。
まずお台場のシンボルでポイントになるのはゲート、門の形をしたシンボルとなる建物かと思われます。最近になってレインボーブリッジに対応してゲートブリッジというのも出来て、さらにその傾向が顕著になっているかと思われます。
門のフリーメイスンリーの象徴としては三笠公園のものやアメリカのセントルイスにあるゲートウェイアーチの様な虹を象徴としたアーチの門としての形と、いわゆるローマ建築の凱旋門を模した形の、パリの凱旋門のアーチがあります。お台場の門の形の建物、ビルは基本的に後者の形に近くなるわけですが、もちろん日本でそれらの形にこだわるのは結局神社の鳥居の象徴としての反映かと思われます。基本的に日本の建物は木造であり、五重塔や寺社の山門などに認められるように、木造の組み上げで高い建物を作り、それによって神様の存在を高めるまたは人間の存在を低める、そういう効果があるかと思われ、それがすなわち神社の鳥居の効果の最大のものかと思われます。いわゆる神の存在に近づくというピラミッドやオベリスクの象徴としての意味とは根本的に異なるものかと思われます。また凱旋門や虹のアーチなどの意味とももちろん聖域と人域の境界としての鳥居などの意味もまた似たようなものでありながらやはり異なるかと思われます。単純に形が似ているという事でこれらの門の形はフリーメイスンリーのシンボルとしてお台場には認められますが、厳密に鳥居と聖書の虹やローマの凱旋門の形は異なる事は理解されるかと思われます。なかなか東京の再開発の中心という事で極めて日本的な象徴の表現となっているかと思われます。結局鳥居というのはシンボリズムからいうと実際には実用的な門としての機能を兼ね備えていて、また本当に象徴化されているのは実際は神域という空間なのかと思われます。そういう意味で再開発の地帯を神域として象徴化するという事、その事が果たしてフリーメイスンリーのシンボリズムととらえられるのかというと、白黒のチェッカーで表現される空間や、教会やロッジ、ソロモン宮殿の空間などと同じくとらえられるかと思われます。実際には鳥居は神域という事で伊勢神宮や普通の神社にしても神域は豊かな自然や水源など自然遺産とも呼べるものを意味しているかと思われ、それに対応するのが東京湾の再開発地域で対応するのかというとなかなか難しいものがあり、そういう意味でいわゆる欧米のエジプト文明や砂漠の中や荒地の中での文明という存在を知恵として象徴したいわゆるフリーメイスンリーのシンボルと、日本の伝統宗教である神道を中心としたフリーメイスンリーの考え方が高い次元でも一致しているかというとなかなか厳しいものがあり、それはやはりずれたピラミッドで象徴される東西の邂逅になるのかと思われます。そういう意味でやはり江戸城を守る意味で建設されたお台場という土地の意味、地名はシンボルとしてずれたピラミッドと同様の意味を成すのかと思われます。
さてでは実際の写真を見ていきましょう。
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いわゆるシュッとしたシンボルでしょうか。フランスから贈られた自由の炎というそうです。やはり自由の女神と一緒でシンボルとしてしっかりした印象を与えます。そこを中心としてテレコムセンターへ向かって東京タワーとレインボーブリッジを繋ぎ、自由の女神を経由して一直線になっています。周囲の照明などいくつか規則的な数の配置がありますが、あまり意味を与えていないようです。美神の門と言った彫刻もあり、門の形に意味を付けているといったオブジェがあります。テレコムセンターの光ファイバーの中継と言った実際の役割などからも、三笠公園のアーチのオブジェの意味づけとやはり同様の意味が与えられているのではないかと思われます。恐らく建築時期がかなり近いので相互にやり取りがあったかと思われます。最後の写真はトイレであり、三浦海岸のずれたピラミッドのトイレもありましたが、お台場ではソロモン宮殿の形のようです。コカコーラの自販機のグランドロッジの形を模したものもあり、微妙なシンボリズムです。
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ちょうどガンダムがシンボルとして置かれていました。ガンダムもジオン軍やボール(All Seeing Eyeの形)、赤青白の三色、Gを強調、3を強調、アムロ=レイ、ブライト=ノアの名前など数々のシンボリズムに彩られた大ヒットアニメですが、実物大として作成され新たなシンボルとされています。角のようなシンボルがコンパスを形どっていました。少し歩くと明らかに門の形を象徴したオブジェがあります。お台場のシンボルとして有名な観覧車もあります。さらに行くと再び門の形のビルが見えてきます。東京ベイコート倶楽部ホテル&スパリゾートというそうで2008年に出来たそうです。周辺には以前も触れましたが2本でセットのマンションのビルが多く認められ、ヤキンとボアズの象徴、ツインタワーとして二本、日本の象徴としての意味がかかっているかと思われます。
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周辺にも色々シンボルの形があるようですが、橋があってそこからゲートブリッジがちょっと見えたかと思います。橋の周りも照明の数や床の模様などシンボルや若干意味づけが与えられているような感じですが、あまりはっきりしているわけではなさそうです。若干モザイク様で、虹の形なのでしょうか。主に偶数で3の強調の様なものはなかったかと思います。
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ほぼこのプロムナードの全体図でシンボルの説明になるかと思うのですが、要するにタウ十字と逆さのラテン十字の組み合わせなのですね。橋のところで対比になっているわけです。タウ十字がフリーメイスンリーを象徴していて、ラテン十字の側がキリスト教などの宗教を意味しているのではないでしょうか。全体としてタウ十字を示しているのでしょうが、橋を中心として門を強調する形の二つのゲート型のビルが神道を象徴するようですし、一方では自由の女神や東京タワー、レインボーブリッジを中心とするGHQからのアメリカフリーメイスンリー、フランスフリーメイスンリーの象徴となり、様々に想像されます。途中にはアルゼのピラミッドにフェニックスと言ったシンボリズムのパチンコメーカーがあります。ラテン十字に対応する一端に東京ビッグサイトの四つの逆ピラミッドの形が見えてきます。墨田区の区章を意識するような逆ピラミッドとなっていますが、場所は江東区になるようです。江東区になると亀の子印となります。建物の印象としては逆ピラミッドと寺の山門の形でしょうか。いずれにしても門の形を意識したものなのでしょうが、逆ピラミッドと寺の山門で仏教やカトリックを象徴する形となるのではないでしょうか。若干床がモザイク模様となっています。
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さらに行くと有明の駅の下から仏塔としての東京スカイツリーが認められます。こうして写真で見るとどうもイギリスのストーンヘンジを思わせる形ですね。日本の神道もこのシンボルを見るとローマの凱旋門の様な門というよりもストーンヘンジの巨石文明から繋がるような太陽信仰のアニミズムに近いものの印象が浮かびます。自然というものがより近い存在である時代の信仰というものがやはり当てはまるのかと思いました。有明のラテン十字側にアニヴェルセル 東京ベイという教会をシンボルに持つ結婚式場があります。広場をスクエアと表現していたり、∧や∨を名前に入れていてシンボルを表現しています。教会の上にはケルト十字か長老派教会十字を表現しています。特にホームページはどこの会派かはのっていません。恐らくケルト十字ではないでしょうが、ケルト十字だとストーンヘンジもあるのかもしれませんが、恐らく長老派教会十字、カルバン派プロテスタントのキリスト教なのだと思います。
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色々シンボルが表現されているようですがやはり横浜のみなとみらい地区と同じく様々な思惑が絡んで工事中となっていたりして人の流れはいまいちの状況のようです。日本の中心の現在進行中の開発地域でありフリーメイスンリーのシンボルと絡めると、日本グランドロッジの昨今の状況や東京のロッジの状況など様々に反映したようなシンボルとなっているのではないかと思われました。
最後の写真は銀座・新橋周辺の地図で、実はシンボルを含んでいます。ΧΡの歩道橋が新橋にもあるようなのです。恐らく鉄道の始点として最初の日本の鉄道敷設の文明の記念としてΧΡのシンボルがあるのではないかと思われました。東京のシンボリズムは様々に関連の友愛団体や宗教団体の関係が絡み合っていると想像され人の多さや地価を含めた商業価値の高さなどから様々に複雑な要素が複雑なまま表現されている東京らしさを感じるものかと思われました。



2012-07-07 17:15 | カテゴリ:横須賀
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
本日は完全に息抜きという感じで、このブログを書き始めた場所でもある三浦半島西部地区、横須賀西部地区、武山、林、長井地区について恐れ多くもコメントしてしまいます。まあ完全に観光案内や転居の勧めという事になってしまうのかもしれませんが、人口減少がバブル期以降目立っている横須賀地区としては、観光誘致ももちろんの事、転居者の勧めもしているものかと思います。
あまり批判的な事ばかり書いても建設的ではありませんので、比較的に良いところをアピールする内容となるかと思いますのでご了承ください。

さて同地区に一年住んだわけですが、一言でこの地区を恐れ多くも表現しろと言われると、「空気がきれい」の一言に尽きるかと思います。ただ残念ながら近い将来ごみ焼却場が大楠山に出来るそうなのでこの事に関しては影響が出ることは否めません。その他と言うと、これはマイナス要因ですが「電車が無い」という事になるかと思います。もちろん交通は車で移動する分にはそれほど不自由はありませんが、いかんせん電車が無いのはやはり徒歩での移動には不便となります。さてそれにプラスする事としては「景色がきれい」「人が少ない」「食べ物がおいしい」このくらいではないでしょうか。要するに文面から解釈すると田舎という事になってしまうかと思いますが、都心からの距離的には藤沢や平塚と大して変わらない場所かと思いますので、鉄道が無かったり、半島であったり、一次産業が比較的盛んであったりといった条件のためにそういう開発が進まなかったという事になるのだと思います。

ではまああまり冷静で当たり前の紹介ばかりでは何の意味もないので、とりあえず観光のお勧めスポットを挙げておきます。
最初はこれは知っている人もかなり多いかと思いますが、小泉進次郎君もオープニングで参加していた「すかなごっそ」でしょうか。三浦の採れたて野菜とそれらの加工品や、他の地域からの農協の連携での野菜や果物などたくさんの新鮮でおいしい食品が売っている、道の駅の様な農協の販売所です。土日になると観光バスなども動員して多くの人で賑わっています。葉山牛などの食材もたくさん売っていて、大家族で休日のごちそうを作るのにもってこいの販売所かと思われます。

それらの中でも一番の私個人のお勧めは地卵かと思われます。さらにこの卵で作ったプリンは結局素材の力なのかと思いますがいわゆる専門店のものとは一味違う農協の底力という感じでなかなかほほえましくなる味です。
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さてその他の場所と言うと長井の魚市場などもあるそうですが、これはあまりよく知らないので、景色がきれいなところという事で荒崎海岸公園などがお勧めかと思います。こちらは駐車場もあるのですが、ほとんど利用されていません。こういうとかなり悲壮な感じですが、葉山も富士山が良く見える時は美しい景色で有名で、さらに横須賀に入ると立石公園などが有名かと思いますが、その中で三浦に最も近い長井のさらに南になる荒崎海岸公園、またその先にある砂浜などは人もかなり少なくなっていて景色もきれいですが、湘南の騒々しさとは対比的に落ち着いていて良いかと思います。海開きをした後は海水浴場としても観光客が集まる時期もあるそうです。後は車などをどこかに止めて徒歩で大楠山や武山に登るなどのハイキングも空気が非常にきれいなのでお勧めかと思います。近くのスーパーで帰りに佐島産の魚をお土産に買っていくなども良いかもしれません。佐島周辺には魚を食べさせる店もいくつかあるのでそこで食べるのも良いかと思います。
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後はこの地域の最大の魅力かもしれませんが、非常に空気がきれいなので夜の星がとてもきれいです。驚くほど星の数が多く認められます。
横須賀の中では大楠山の上からの富士山が一番の絶景かと思います。現在螺旋階段の展望台は老朽化のため閉鎖していましたが、二階からの景色で十分楽しめます。天気が良い日に見られたとしたら非常に幸運なのではないでしょうか。
2012-07-09 21:47 | カテゴリ:アメリカ
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
33階級というのをフリーメイスンリー関連の陰謀論や、ブラザーアルバート・パイクについて知ると耳にするようになるわけですが、その由来は数秘術やソロモン宮殿の逸話、キリストの生涯などの由来などという説明を受けるわけですが、やはりいずれにしても3の象徴というところから33が由来するというところは変わりが無いようです。ブルーロッジの3の象徴にしてもその他階級の話にしても基本はフリーメイスンリーにしてもその理念である平等の理念は科学的にも、宗教的にも認められるわけであって、階級制というのはそれがまた象徴的なものであるという事に還元されるわけです。結局スコティッシュライトにしても、ヨークライトにしても階級制を通じて勉強する機会を得るというところと、勉強する動機とする、また階級というものを通して再び平等という事について考えを深めるという反語的な意味づけもあるものかと思われます。

さてこの33階級ですが、フリーメイスンリーについて知ると階級制という事でピラミッド構造の図や、何か上位者が権力をもっているとか、そういう事を想像しがちですが、実際は極めて内面的なまさに道徳的な高み、形而上学的な高みであって、通常説明されるように名誉の証、まさに純粋に名誉そのものというところがわかりやすい説明なのではないかと思います。すなわちそれは逆に言うとそのままでは実利には一切ならない、また名誉の意味を履き違えればたちどころにその名誉は失われると言った類の、ロストシンボルなどでも表現されていた、輪の中にさらに輪がある、フリーメイスンリーの内部組織というものであるかと思います。共通の意識や概念、感覚を共有する友愛団体の中にあってさらに強く共通の意識や概念、感覚を共有するものがそれら階級やフリーメイスンリーの内部団体というものを構成するものではないかと思います。それは同時に反語的ともいえるかと思いますが、強烈なフリーメイスンリーにとどまらない人類への奉仕や貢献の意識を意味するものでもあるかと思います。

さてそういうスコティッシュライトの33階級なのですが、システムとしてKCCH, Knight Commander of the Court of Honour 栄誉会議の騎士勲章が最初に送られ、その後数年待った後に、いわゆる33階級として知られるInspector General Honorary栄誉大監察官として授章されるようです。またさらにその33階級の中で栄誉として認められた人にはGrand Cross of the Court of Honour栄誉会議の大十字章が与えられるようです。またこれら33階級の授章の際の儀式で着用する帽子の色にも数種類あるようで、基本的には白が最も正式なもののようですが、さらに紫のもの、黒のものもあり、また双頭の鷲が描かれたもの、斜め二重十字が描かれたもの、またこれは基本的には正式なものではないそうですが、双頭の鷲の羽が羽ばたいているものとかなり多くの種類があります。それぞれに微妙に意味があるようですが、いずれにしても栄誉の章というのが変わらず教訓としてあるようです。また大十字章に関してはやはり十字が描かれたものとなります。
それぞれ説明がワシントンD.C.のスコティッシュライトカリフォルニアのスコティッシュライトにありましたので参照してください。それぞれ受章者も出ていますが、日本人や日本関連のは出ていないようです。House of the Templeのホームページには一部アジアや世界の33階級受章者も出ていたと思います。

突然このようないかにもフリーメイスン向けの話題を書いた理由はニュースでオスカー俳優ボーグナインさん死去 「エアウルフ」出演という記事を見て(実際には2chですが)、さらにフェイスブックで他のブラザーが下の写真を挙げて死を悼んでいたからです。
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私も多少は見た事ある日本でも放映されたテレビやCMに出ていた俳優のブラザーだと思い、また「マーティ―」というアカデミー賞を受賞した映画にも出ているそうで、そちらにも興味がわきました。いずれにしてもフリーメイスンが死後にフリーメイスンとして認められるのが本当にフリーメイスンとしての証と言うところがあり、さらに33階級でGrand Cross of the Court of Honourの衣装をまとった写真というのを初めて見たので、33階級というものを説明するのに好都合であると思われ、彼の死を悼みつつここに引用させていただきました。彼の安らかな死を願います。
2012-07-15 11:21 | カテゴリ:横須賀
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
去年アキレス腱が切れて行けなかったので今年は三浦半島のお祭りや花火大会に行けるようになりました。
まあペリー祭りの場合は、以前は黒船祭りといったそうですが、いずれにしてもブラザーペリーらの一行を模したパレードやカーニバルがあるようなのですが、これはまた機会があれば行こうかと思います。とりあえず花火大会だけ見てきましたが、とにかく子供の数が多くてペリー上陸にかこつけた村のお祭りでした。

さて現在のお祭りはともかく、ブラザーペリーに関して一つ秘密がありましたのでここにお出しします。ブログのヘッダーの写真にも使ったのですが、ウィキペディアの英語版を見るといわゆる日本のみなさんが知っているブラザーペリーの写真とはだいぶ異なる老けたブラザーペリーの写真があります。
perryphoto.jpg12625281140001.jpg616px-Commodore_Matthew_Calbraith_Perry.png
来航時59歳で、蒸気船で世界一周の東周り航路で日本に到着したわけですから、当時としてどの程度老けていたかはわかるかと思いますが、良く写真を比較すればどちらが本当かは良くわかるかと思います。
現代でもいまだにこのようなウィキペディアですらこの状況なのが我が国の現状です。
本当の鎖国とは実は人の行き来でもなくモノの流れでもなく実際は情報のマスメディアの鎖国なのだと痛感させられる一事でした。

ブラザーペリーの写真、本当の写真を教科書に載せる時代が日本にもこれからやって来るようです。

ちなみにMatthew Perryで検索すると同名のカナダ出身のハリウッド俳優で埋め尽くされます。なかなかお互いの事情が相当あるのでしょうが、こういうのはいつになったら改善されるのでしょうか。なかなか東と西の邂逅の象徴的な事例かと思われます。日本のフリーメイスンリーの歴史はまさにブラザーペリーから始まったと言える訳で、それ以前には基本的には長崎のオランダ商館しかないわけで、こういうところは何とも言い難いまさにフリーメイスンリーの秘密だと思われます。
2012-07-17 15:48 | カテゴリ:横須賀
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
東郷平八郎元帥と言えば軍神として有名であり、日露戦争での英雄的な活躍、「天気晴朗なれども波高し」でも有名な戦前の日本で最も良く知られた海軍の司令長官であったかと思われます。

もちろん横須賀でも三笠公園の銅像を始めとして、東郷ビールを売ったりと未だに東郷平八郎元帥の人気は衰えていないようです。

フリーメイスンリー関連としては日露戦争の講和条約をブラザーセオドア・ルーズベルトの仲介で結んだアメリカのポーツマスが東郷平八郎元帥の留学先であったイギリスのポーツマスと同名であったなどがあります。

さてこの東郷平八郎元帥についてですが、ウィキペディアでは妻の事は書かれていませんが、明治11年に海江田信義の長女テツと東郷30歳、テツ17歳で結婚しています。海江田信義と言えば薩英戦争の発端ともなった生麦事件で真っ先に騎乗の英国人一人を切り殺した薩摩隼人の代表的な人物で、戊辰戦争で共に戦った医者出身の軍略家大村益次郎と仲が悪く、その暗殺の黒幕ともされる人物です。維新後は主に薩摩にとどまる事が多く、西南戦争の際にも薩摩にいて病気療養中であったようです。

さてこの世界的にも有名なアドミラルトーゴーとして知られる東郷平八郎元帥ですが、日露戦争の直前に連合艦隊司令長官に就任する際に海軍大臣に推挙される理由が「この人が、ちょっといいんです」という事であったそうです。

さてこのちょっと良いんですが、何が良いのでしょうか?
Togo_in_Europe.jpgTōgō_Heihachirō
もちろんウィキペディアに写真があるように、顔が三船敏郎に似てハンサムであったという事もあるかと思います。三船敏郎も本名で、黒澤明監督の下でヴェネツィア国際映画祭金獅子賞を受賞する「羅生門」「七人の侍」に主演するわけです。

もちろんこのブログを読んでいる方は三船敏郎が三、船というシンボルが入った名前である事、黒、明という漢字もシンボルとなる事もご理解いただけるかと思います。

さてそうなると東郷平八郎元帥はどうでしょう。東は光を東方に求めるフリーメイスンリーのシンボルですし、平もタウ十字、十字の形に近いシンボルと認識されます。また八も東洋の吉兆の数字、キリストの復活の数字としてシンボルとして認識されます。郷の字も小文字のgのカリグラフィーに似ています。
ではローマ字ではどうでしょう。東郷平八郎元帥は留学していますので、現地ではTOGO HEIHACHIROと表記したものと思われます。(現在の英語版のウィキペディアではTōgō Heihachirōとトップバーをあえて表記しています。トップバーはシンボル的には眉毛になるのでしょうか。)TOGOはto goとも解釈され、英語としても率先して動く印象を与えますが、何よりTOGOはタウ十字、All Seeing Eye、シンボルのGを含むなんとも素晴らしい名前となります。代表的なシンボル三つが名前で表現されている東洋の美男子薩摩隼人であったわけです。
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ちなみにA級戦犯として巣鴨プリズンで病死した東郷茂徳はもともと薩摩藩に朝鮮の役で豊臣時代につれてこられた朝鮮の陶工の末裔で、父親が東郷の士族株を明治維新後に購入しそれから東郷となったそうです。太平洋戦争開戦時、終戦時の外相でした。

丸十字、太陽十字で家紋が表現される薩摩島津を象徴するような歴史が感じられるエピソードかと思われます。

(ちなみにTOGOに関連して、GOTOでいくと東急グループの創始者である五島慶太となるのでしょうか。渋谷周辺の開発を進め、現在の渋谷ヒカリエに繋がるものかと思います。大船観音の建設にも関わっているようです。ちなみに渋谷は現在の神奈川県境川周辺の呼び名であったものが所領が飛び地で存在し、その末裔が薩摩東郷氏であるようです。そのあたりが現在の渋谷区にある東郷神社の存在とも関連しているようです。また初代ボーイスカウト連盟総長、拓殖大総長、満鉄総裁ともなった関東大震災前の東京市長であり、震災復興の帝都復興院総裁であった後藤新平もGOTOとなります。大政奉還を進言したとされる土佐の後藤象二郎もいます。ウィキペディアには日本で最初にルイ・ヴィトンを愛用したとあります。後藤という名前は現在の芸能界でも数多く認められるかと思われます。東郷では東郷青児やマンガで架空の人物ですがデューク東郷ことゴルゴ13などもいます。Golgo 13、Duke TogoとどちらもOの並びがAll Seeing Eyeとなっています。)

LAUS DEO

(2015/9/4追記:東郷平八郎で英語で同じ音で書くとTo go. Hey, hatch low!でしょうか。おい、行くには水門(または船の入り口、ハッチ)が低い!という感じでしょうか。ブラザーデッカーの名前の駄洒落ではないですが、イギリス海軍のフリーメイスンリーでありがちな駄洒落のようです。旗艦三笠とブラザーマッカーサーの駄洒落ではないですが、そういうのが実際のイギリスと日本のフリーメイスンリー発祥後の関係のようでもあります。)

(2016/5/5追記:旧約聖書箴言22章1節 名誉は多くの富よりも望ましく品位は金銀にまさる。 とありますが、これは日本語の新共同訳で欽定訳聖書ではA good name is rather to be chosen than great riches, and loving favour rather than silver and gold.となるそうです。まあ直訳すると良い名前は富に勝り、金銀よりも好まれる。となり、名誉ではなく良い名前、という意味になるようです。もちろん通常の聖書の解釈では名誉ととるのでしょうが、名前や言葉にこだわるフリーメイスンリーではそのまま良い名前ととるという解釈が圧倒的であるという事なのだと思われます。聖書の翻訳の時点で秘密は秘密とされる。いかに英語の前のラテン語聖書、ギリシア語聖書、そしてヘブライ語聖書の意味が大事かという事かと思われます。またその原典である古代オリエントや古代エジプトの意味が重要かという事になるかと思われます。これに関して、当時の古物でこういう皿もあるそうです。
DSCN2346.jpgDSCN2347.jpgDSCN2348.jpg
まあ当時からイギリス人は東郷提督の快挙の理由を知っていたというわけなんでしょう。日露戦争の秘密でしょうか。)
2012-07-21 11:46 | カテゴリ:鎌倉
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
鎌倉のフリーメイスンリーのシンボルについてはだいぶ以前にこのブログでも取り上げたので、単純にフリーメイスンリーのシンボルからは直接は離れた鎌倉探訪記です。以前取り上げた福岡の黒田如水の話の様な歴史と現在について触れながらの一つの文学作品ととらえてください。芥川龍之介の「歯車」も取り上げましたが、ブログも現在のインターネット隆盛時代の一つの文学の形態かと思われます。
まあ色々あって鎌倉やその周辺と関わる事になったわけですが、その中でやはり鎌倉と言うと寺めぐり、観光地巡りが最も大きな割合を占める場所ではないかと思われます。もちろん住んでいる人にとってはそれらは二の次になるわけですが、暮らしやすさや生活の便利さなどは実際に住んでみないとわからない、そしてそれらはどの場所であっても一長一短ありということで、そういった生活情報と言ったものからは離れた内容としようと思います。
具体的にはまだ東北大震災の起こる前に、このブログでも取り上げたワシントンのフリーメイスンリー関連施設を見回ってきた後に自然と足が赴いた日本的建築が数多く残る鎌倉探訪での写真を掲載します。かなり大量にあるので数回に分割する形になります。

スタート地点は稲村ケ崎です。
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この写真で場所が分かる人は近所の人かかなり良く鎌倉を歩いている人かと思います。稲村ケ崎駅からちょっと歩いた江ノ電を撮影する人が多い踏切のところから海側を覗いたところです。実は右側に見えるのがサザンオールスターズのK.K.さんの別荘になっているそうです。彼も鎌倉建長寺の横にある鎌倉学園卒業、青山学院大学中退の一番の有名人で、映画「稲村ジェーン」を制作した事でも有名ですが、最近食道がんを患ったり、製作に関わってきたお姉さまを癌で亡くされたりと話題は尽きません。最近ではめざましテレビの音楽も作られたりしています。以前に同様にめざましテレビの音楽を作られた元オフコースの小田和正さんも逗子披露山にお家を持っていたとか、出身は金沢文庫であるとか関連があるようです。

稲村ケ崎で最も有名なのは以前も挙げましたが太平記の新田義貞の鎌倉攻めであり、また明治大正期においては有島武郎の「溺れかけた兄妹」での逸話があり、いわゆる戦前におけるメディアで取り上げられた景勝地です。哲学者西田幾多郎も在住しその歌碑が残っています。現在でも芸能・スポーツ関係の有名人が住んだりしておりますが、みのもんたさんの奥さんの例などを見ても現代では有名人が鎌倉で過ごすのには色々条件が良くないのかもしれません。
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ここからの江の島の眺めは良くできています。良くできているから絵となり写真となり良く知れ渡っているのでより一層良くできていると感じるのかは恐らくそうなのだろうかと思いますが、毎回行くと良くできていると思います。この景色を見ながらおいしいお寿司が食べられる鎌倉御代川の支店の寿司店「かい」があったのですが、数年前にノロウイルスを出して稲村ケ崎の店は閉めてしまいました。代わりに鎌倉駅前の地下で「きみ」というお店をやっています。職人さんのお店で、寿司や日本食の技術ではピカイチだと思います。毎回行くと難しい話題や新鮮な驚きを与えてくれるので貴重なお店です。
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この時はヘリが飛んでいたのですね。この浜ではウミガメが死体で上がったり、犬をリードなしで離して咬みついたり、刺青を入れたサーファーが朝早くからたくさんいたりと恐らく日本で最も人が来る砂浜となっているかと思いますが、それはそれで都会のファッション街や駅前通りのようで日々の世の中の空気を知るには格好の地となり、富士山にかかる雲の形などから様々なメッセージをくみ取ることなどもできるまさに歴史と現代と自然と人間の知恵が様々に絡み合った目に見える以上に複雑な地形を呈しています。
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これはこのブログで以前も取り上げたイタリア料理の店ロンディーノですね。入口にメディチ家の認証があったりと正式なイタリア国家との関連があるような店です。恐らく日本のまっとうなイタリア料理の最初はこの店なのかと思いますが、この地にそれが選ばれたのはやはり日本の関東を代表する景勝地であり、歴史的な重要地、現代に至るまで人々に何らかのインスピレーションを与えてきた地であるからではないかと思います。このお店も行くたびに様々な驚きと味の感動、店員さんとの会話や他のお客同士の会話など様々ないわゆるメディアに長けた鎌倉ならではの貴重な体験が得られる素晴らしい店となっています。一種のステイタスを感じる事が出来るお店となっています。このお店が好きで近くに来られる方も必ずや多かったものかと思われます。
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夏は良いかと思います。由比ガ浜や江の島の喧騒をちょっと離れて稲村ケ崎で、特に午前中や夕方であれば富士山をバックにした江の島の景色が眺められ、それを見ながら海につかるサーファーの方たちは恐らくそれが最大の贅沢でこの地を選ばれるのではないかと思われる景色となっています。
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ここはちょうどまあ肉親が引っ越したところな訳ですが、以前は岩崎弥太郎の孫になる澤田美喜さん、その夫である初代国連大使の澤田廉三さんの兄で外交官である澤田節蔵さんの四男に当たる澤田昭夫さんの別荘であったそうで、奥様がドイツ人の方であったそうです。昔は農家の家であったそうで関東大震災も耐えたという事で100年以上建っていてかなり老朽化は著しいです。周囲も稲村ケ崎の名前の通り農地であったようで、大雨ともなれば水が集まってきて土がぬかるみ、その分植物の生育については海風の影響を除けば栄養は良いようです。夏場は谷を通る風が冷たく周囲より1度程度温度が低く感じられます。
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こちらはカトリックの教会が運営している老人ホーム静養館の前の駐車場ですが、以前はかなりいかつい感じの鎌倉稲村ケ崎特有の崖でしたが、台風の直撃などで崩落し、危険という事でこの時期はこのようなピラミッドとなっていました。現在はかなり整地して住宅地として販売しています。
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次回以降は寺巡りです。世界遺産登録前の鎌倉を巡ります。
2012-07-22 21:07 | カテゴリ:その他 雑記
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
突然内山岩太郎氏について取り上げるのはあれなのですが、どうも夏島のパーフェクトアシュラーでの碑文への名前の登場から、現在の神奈川県知事との共通の名前の岩や、カトリック教徒である事、日本の国際連合復帰へとつながるフィリピンでのカトリック寺院の再建、鶴岡八幡宮境内にある神奈川県立近代美術館など、どうも日本のフリーメイスンリーを考える上で、横須賀からの視点で見た際に重要な人物であり、果たしてこの方はフリーメイスンであったのかどうかというところで気になる人物であったので、実際本人が書いたものを読んでみようと日本経済新聞社発行の「私の履歴書」の内山岩太郎氏の巻をアマゾンで購入し一通り読んでみました。

結論としてはこの方は非常にフリーメイスンリーに近い存在で、今日の神奈川県の異常ともいえるほどの発展のかなり重要な基礎を作られた方ではありますが、むしろきちんとしたカトリック信者であったという事と、フリーメイスンではないという事になるかと思います。

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横浜の私学会館に巨大な銅像があったそうですが、今年の7月2日に地震で危険との理由で撤去され、小さな胸像が新しく作られたそうです。

私の履歴書を読むと、どうも中学時代に明治の自由民権運動にあてられて校長に反旗を翻して仲間とともに放校となり転校に必要で猛勉強をして、その際には仲間が何人も結核で死ぬような状況であったそうです。これが転機となって語学、スペイン語を身につけ、さらにカトリックに入信して外交官になる事が目標となり外務省に入ったそうです。なかなか上州の気風というか、その後の市章の話でも触れた群馬の首相を輩出するきっかけというかそういうものを感じさせる逸話かと思います。
スペイン勤務・留学の際に当地の本人いわくちょっと教育のかわった学校に行ったそうで、恐らくそこがリベラルアーツというか、フリーメイスンリー流の自由教育であったようで、信心が薄くなって自由な気風を最大に発揮するようになったようです。なかなか外務省を松岡洋右大臣の下で辞職させられるまでの冒険談とも言うべき日本の外交黎明期の逸話はバロン薩摩の逸話のようで、まあそれらがどれだけ実際に当時の日本本国にとってメリットがあったかどうかは別として、それらの活動が恐らく戦後の神奈川県政に活かされたに違いない、活かされないと困るというものであったとは想像されます。

面白かったのはやはり建国からフリーメイスンリーとの関わりが強いアルゼンチンなどの南米諸国での外交の話や、フリーメイスンであるブラザー佐藤尚武との外務大臣就任の逸話、松岡洋右外務大臣によるほとんど全ての外交官の罷免など戦前の日本の国際関係を端的に象徴する様々な逸話があり、また戦後に復権した際の神奈川県知事としてのGHQとの関係、フィリピンでのカトリック寺院の再建話など、極めて濃密なフリーメイスンリー関連の事象と、本人の大らかで極めて名誉欲が強そうな行動力、またスペインの学校での自由主義の教育以来のフリーメイスンリー精神と恐らく本人の群馬の田舎から出立し国際人として活躍する原動力となったカトリック信仰精神との相反するものを終生感じさせるかと思います。フィリピンのカトリック寺院の再建の記念セレモニーが真珠湾攻撃の日、釈迦が悟りを開いた成道会である12月8日であるというのもまたフリーメイスンリー的であり、象徴的な逸話かと思います。
アルゼンチンでの逸話としてスペインでの同じ恩師の教え子として仲良くなったなど、まさにフリーメイスン的逸話があるのですが、恐らくご本人はフリーメイスンを意識して深くは考えていなかったかと思いますが、教育その他の中でほぼフリーメイスン的に生きられていたのではないかと思います。
最後の横浜の特例市の話など、かなり政治や地方分権などについて先進的な思想や発想を持っていたわけではなさそうですが、恐らく開港記念館に繋がる博物館の建設や、音楽堂の設立などは、私も神奈川県民ホールで魔笛のオペラを見た事もあり、大いに現在の神奈川県民の福利厚生や向学の基礎に役立っている人なのかと思われます。

私も鶴岡八幡宮にある神奈川県立近代美術館は未だ訪問していない(昔に行ったかもしれないが記憶が無い)ので機会があれば訪問したいかと思います。

なかなか情報も少なく、科学的発想など少なかった日本の近代化時代に、これだけの活躍を国際舞台で成しうる人も少数であるかと思われ、また戦後の特に現在に繋がる郷土である神奈川県の発展に直接的に貢献した人としても影響の大きな人であるかと思われ、最初のフリーメイスンとしてのブラザー西周・ブラザー津田真道やブラザー林董などとは異なり、フリーメイスンリー関連として現代に繋がる実際的な人物として、政治家でいえば吉田茂の様な日本的なやや矛盾を内包する存在として重要な人物かと思われました。
2012-07-24 21:44 | カテゴリ:横須賀
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
日本海軍フリーメイスンリー説はいわゆる日本の陰謀論の中枢を成すような説ですが、もちろんこのブログを読まれてきた方は、戦前の日本海軍にいわゆる正規のマスターメイスンの称号を受けたような人はいないことは十分理解されるかと思います。当時の日本で、日本のロッジに日本人が所属していることは無く、全て海外のロッジで入会した人のみであり、それらは結局外務省筋に少数認めるのみであったという事は十分理解していただけるかと思います。

さてでは海軍フリーメイスンリー説とはいかがなものなのでしょうか。要は日本海軍はフリーメイスンリー発祥の地であるイギリス海軍に手取り足取り指導され近代化した軍隊であり、その中枢はほぼ英米留学によって軍隊を基礎から勉強している人々であり、それらを現地で指導した教官たちが当然ほぼフリーメイスンで占められていたという事は想像に難くないわけで、彼らが実質的なフリーメイスンとして指導、教育されたという事は当然であるという話になるのかと思います。

もちろん日本には明治維新から勝海舟、福澤諭吉、榎本武揚と幕府の海軍伝習所から始まる海軍近代化の歴史があり、それには横須賀のブラザーヴェルニーと小栗上野介などの協力による横須賀ドックが非常に重要になるわけですが、いずれにしてもそれら全てにフリーメイスンリーが深く深く関わっているのは自明であり、海軍フリーメイスンリー説は、フリーメイスン=ユダヤ人説とも等しい程度の社会的三段論法とも言うべきつまらない説であるかと思われます。

まあ特にこれと言ったフリーメイスンリーと大日本帝国海軍との繋がりを示す証拠を持っているわけではないのですが、それでいてこういった論をフリーメイスンリー関連でぶってしまう理由は、やはり長井地区や横須賀を内側から見て、いわゆる海軍三羽カラスの一人、井上成美の影響や現在まで繋がる人気、山本五十六の影響や人気を鑑みるにつけです。

さてこれだけ人気や影響があるとそのウィキペディアも非常に長くなり、書いてる人も地元の人なんだろうなと思うわけですが、その中で関係ありそうな所だけ抜粋すると、井上成美は仙台出身で、名前は論語から取られたそうです。井上成美の海外経験はスイスが3か月、ドイツが1年1カ月、フランス3カ月であったそうですが、恐らく語学について才能があったようで、海軍では英語が必修であったようですが、それらの語学に通じたようです。その後2カ月ほどアメリカに滞在し、その後イタリアに2年1カ月いたようです。要するに海外、主にヨーロッパ、アメリカで現地の海軍や武官達と接触したという事です。具体的にどのようなフリーメイスンと接触があったかわかりませんが、英米独仏伊ともにほとんどがフリーメイスンリー国家であり、その軍人たちの階級が上がれば上がるほどフリーメイスンの割合は多かったと思われます。(2015/1/27追記:井上成美が聖書や賛美歌に親しんでいた事が様々な傍証や残された遺品から確認されるそうです。洗礼も受けていたなんて話もあるそうです。なかなか長井の秘密は深遠です。)

また山本五十六についてはウィキペディアにわざわざ米国滞在時に当時の海軍長官であったカーティス・ウィルバーとの写真が載っていて、この方は恐らくフリーメイスンだと思われますが、裁判官であり、アメリカ海軍航空隊の創設をした人だそうで、現在もアメリカ海軍のイージス艦にその名前を残し、その艦はトモダチ作戦にも参加したそうです。兄弟がスタンフォード大学の学長までされたそうです。山本五十六は主にアメリカに3年ほど駐在したようで、その後はイギリスなど英米への滞在のようです。アメリカ駐在の際に同時に駐米大使であったのが元会津藩主、京都守護代であった松平容保の六男である松平恒雄氏で、この人は赤間剛氏の著作「フリーメイソンの秘密」でフリーメイスンであるとされている方で、この本は全面的に日本グランドロッジの協力で作られた本で、ブラザーであるのだと思われます。娘さんが昭和天皇の弟の秩父宮に嫁ぎました。お孫さんが現在徳川宗家であるようです。ブラザー松平恒雄についてはブラザー東久邇宮などとともに、日本のフリーメイスンの有名人としていずれもう少し詳しく取り上げたいかと思います。
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結局真珠湾攻撃はある程度予定されていた結果であったことは間違いないかと思われます。

海軍三羽ガラスのもう一人米内光政は盛岡出身で、日露戦争に従軍し主にロシア、ポーランド、ドイツに駐在したようです。

さてまあ井上成美のウィキペディアの戦後の項目でやはり横須賀長井での生活がたくさん書かれているわけですが、長井には戦前には海軍の飛行場があり、戦後は米軍住宅があったそうで、長井自体は奈良時代から村落があった事が確認される古い地域であり、私が見たところではいわゆる相模の国と武蔵の国の国境に位置する、走水の日本武尊の東征に代表されるような、縄文系と弥生系の民族的境界に位置する、なかなか日本の民族史から見ても興味深い村落であるかと思われます。非常に環境が良く、かつてはサバ漁が非常に盛んであったそうで、古くから長命の極めて日本的な豊かさをもった半農半漁の地域です。奈良時代には鎌倉の長谷寺の観音像の元となる像が流れ着いたという場所であるようで、人口に比して寺や神社が多いものかと思われます。景色が富士山を主体としてきれいに残されている印象です。

というわけで、当時の海軍がフリーメイスンリーの影響を直接受けた形で世界情勢を知っており、日本の対米開戦を絶対的に固辞していながら、結果として国内の要請および昭和天皇の意向に沿う形で真珠湾攻撃という形で開戦した事は、ある意味フリーメイスンとしての生き方とも言えるものかと思われますし、またそれが当時の日本国民に多大な災厄をもたらしながらも、戦後の繁栄につなげた事もまた一つの仕事であったとも言えるかと思いますし、彼らの行動が全体としていわゆるフリーメイスンとは言い難いものであることは確かですが、極めてフリーメイスンリーに影響を受けたものであったことは否定しがたく、海軍フリーメイスンリー説はそういうものを反映した結果であるかと思います。

当時ほぼフリーメイスンリーの影響下にあった外務省筋が宣戦布告の翻訳を遅らせたのは余談かと思います。まあ語学の重要性を認識させられる一事ではないでしょうか。

また三浦半島には東北、福島会津とのつながりが幕末頃から認められ、それが戦前の軍関係の人脈とも繋がるようですが、これにはまたそういった日本の民族的境界とも言うべき古くからの地勢的要素があるようです。これはまた現在の米軍基地の立地や日本研究の一つの重要な要素ともなっているようです。
現在日本におけるアメリカ軍の中枢はほぼ横須賀にあるようですが、情報分析の中枢となるNSA(アメリカ国家安全保障局、国防総省所属でエシュロンなどを管轄しているらしいです。ブラザーダン・ブラウンの過去の著作でも取り上げられているようです。)の基地は2003年以降青森三沢に移ったそうです。それらと三浦半島、東北大震災など様々な関連がいわゆる情報戦争とも呼ばれる現在の実戦の目に見える戦いともいうものではないかとも想像したりできるかもしれません。
2012-07-27 22:28 | カテゴリ:シンボリズム
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
オベリスクと言えばエジプトが思い浮かぶかと思いますが、ワシントン記念塔を始めとして、All Seeing Eyeやピラミッドなどのエジプト文明の象徴からの、天への上昇の象徴としての尖塔として、フリーメイスンリーのかなり重要なシンボルです。やはり元々はエジプトの遺跡に認める象徴であったわけで、その後ローマ帝国で戦利品としての移築や、同様のエジプト建築の模倣としてのピラミッドや尖塔が作られて以降は、いわゆるオベリスクの形そのものへの回帰は基本的に認められず、バチカンのオベリスクのようにエジプトからの戦利品、輸入品としてのオベリスクであったかと思われます。それがやがてエジプト学の進歩に伴って、フリーメイスンリーを象徴する形となり、フリーメイスンの墓の形となり、ワシントン記念塔の形の記念碑となり、それはゴシック建築の尖塔と相まって、エッフェル塔のような高さを極める塔となったかと思われます。
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これらの中で最もエジプトのオベリスクの形を残したフリーメイスンリーのシンボルは、エジプトのオベリスクそのものを移送したロンドン、ニューヨークに存在するクレオパトラの針と呼ばれるもの、ルクソール神殿のオベリスクを移送したパリ・コンコルド広場のオベリスクかと思われます。いずれもフランス革命後のエジプト学が非常に隆盛した啓蒙思想の時代に、エジプト太守のブラザームハンマド・アリーやその後のエジプトの太守たちがロンドンやニューヨークのフリーメイスンリーと個別にやり取りしてエジプトから贈られたようです。
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オベリスクについて詳しく書かれたホームページによると古くから存在するいわゆる遺跡としてのオベリスクは世界に36本程しか無いそうで、それらのうち13本はローマにあるようです。やはりローマ帝国時代に戦利品としてエジプトから持ち出されたものが多いようです。ローマではやはりサンピエトロ広場のものが有名かと思います。イタリアのものはほぼ近代フリーメイスンリー結成以前に移築されたものであり、フリーメイスンリーとの直接の関係はないようですが、キリスト教とそれ以前のユダヤ教、古代エジプト王朝を結び付ける象徴であったのかと思われます。
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遺跡ではない近代に入って作られたオベリスクは、ワシントン記念塔を代表としてほぼフリーメイスンリーによる記念碑であるかと思われます。アメリカにも多数認められるようですが、現地に行かれた人は良く知っているかと思いますが、南米のブラジル、アルゼンチン、ウルグアイ、ベネズエラにも大都市の目立つ所に巨大なオベリスクが建っており、これらの国々の建国に深くフリーメイスンリーが関与している事を象徴しています。
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さてこのような記念碑としてのオベリスクですが、フリーメイスンリー関連では故人の象徴としての墓としての典型的な形でもあります。もちろんブラザーワシントンの墓もその形でしたし、ブラザーランファンのものもその形でした。日本でも横浜外国人墓地に個人のものや各国を代表した形の記念碑が認められます。インドの英国人墓地などにも多数認められるようです。
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こうして見ると横浜ランドマークタワーも極めてオベリスクに近い形となるのですね。
また有名なフリーメイスンとしてはブラザーモーツァルトは共同墓地に葬られ、現在は夭逝を意味する折れた石柱のシンボルとなっています。作曲家の墓としてはブラザースメタナ、ブラザーサリエリ、ブラザーグルック、ブラザーチェルニー
image19.jpg32スメタナ墓_1middle_1337500152.jpgDSC01991.jpg20061010224301.jpg
のものがオベリスクであるようですが、必ずしもフリーメイスンが皆オベリスクの墓にするかというとそうでもありません。生前にフリーメイスンリーと接点を持ちながらフリーメイスンとはならなかった作曲家ルードヴィッヒ・ファン・ベートーヴェンの墓は以前はオベリスクではなかったのですが、最近になって立派なオベリスクになりました。死因や難聴の原因が鉛中毒であったなんてのもありますが、死後にフリーメイスンとして認められた典型例であるかと思われます。この辺りは詳しくは成書を参考にしてください。
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またオベリスクの形は特にワシントン記念塔の建設以降は近代建築の高い塔としてのテーマの一つのシンボルとして選ばれるものとなっています。エッフェル塔はオベリスクそのものとは形が異なりますが、その建築術や高さからオベリスク状の建築物としてのシンボルであるかと思われます。同様のものがニューヨークのエンパイア・ステート・ビルになるかと思われます。これは明らかにオベリスクを意識した尖塔の形をしています。またワシントン記念塔以前のオベリスク状のゴシック建築としてはロンドンのビッグベンがあります。
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これらを模して日本にも代々木のドコモタワーなどがオベリスク状の建築物となっています。またエッフェル塔を模した建築物が有名な東京タワーです。
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横須賀にも実はオベリスクがあります。汐入の公園にひっそりとありますが、直接フリーメイスンリーが関与したわけではありませんが、横須賀の海軍工廠を主体とした当時の横須賀市が深くフリーメイスンリーと結びつき、フリーメイスンリーを認識していた事の象徴であるかと思われます。昭和11年11月11日移築と言ったところが当時の空気を強く反映していて、こういった建築がその後の日本の進路を決定していったように思われます。
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オベリスクの守り神としてのスフィンクスのような猫です。
また現在もどぶ板通りの入り口、出口のところにはエンパイア・ステート・ビルの形のシンボルが建てられています。
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また横須賀には東京タワーを模したような電波塔も市役所周辺にあります。
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ビッグベンは最近エリザベス女王の即位60周年を記念して、正式名称のクロックタワーからエリザベスタワーに改称されました。またロンドンオリンピック後に開業予定のロンドンの新しいビルであるシャードロンドンブリッジはオベリスクと言うよりもピラミッド型をしています。これもまた観覧車であるロンドンアイとともに新しいロンドンのシンボルとなるかと思います。いずれもフリーメイスンリーのシンボルであるようです。
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2012-07-28 11:04 | カテゴリ:イングランド
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
近代オリンピック発祥後第30回目の記念大会であり、ロンドンで開催されるのも3回目と言う数字で見てもシンボリックな大会となっています。
シンボルが豊富にアピールされているのでそれぞれ目についたものについて説明していきます。

まず最も目につくのが以前にも触れましたがメインスタジアムのピラミッド、All Seeing Eyeの形の照明かと思われます。
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あとはやはりヘッダーにも使いましたが、マスコットやロゴは陰謀論などでも挙げられている通りAll Seeing EyeのモチーフやZION(シオン:約束の地、エルサレムの意味、元々は神殿の丘を意味した。)と読めるという事で良いかと思います。(中央の四角はパーフェクトアシュラーになるのだと思います。小文字のiにしたら大文字か小文字か意味がわからなくなります。まあそういうのが陰謀論ではないでしょうか。)
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さてまあこの辺りまでは陰謀論のページでも盛んに陰謀陰謀と言われていて誰もが知っているレベルかと思われるのですが、この先はいわゆるフリーメイスンリーの謎というやつでしょうか。
先ほどから開会式の録画を見ていたのでその中でフリーメイスンリーを象徴する、一般人にはなかなか分かりづらいものを解説します。
まず会場全体の芝を敷いて象徴となる樹木を丘の上に植えた形ですが、これは少しフリーメイスンリーについて知っている人であればすぐわかるかと思いますが、フランス革命ジャコバン派絶頂期に執り行われた「最高存在の祭典」を模したものとなっています。
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この祭典はブラザーロベスピエールを中心として、ブラザージャック・ダビッドが演出したそうです。またこの祭典のフィナーレは有名なブラザージョセフ・ギヨタンが開発したとされる200人のギロチンであったそうですが、実はギロチンはフランス大東社の創設メンバーであったブラザーギヨタンが開発したわけではなく、理性的で残酷で無い死刑執行法として会議で提案しただけだそうです。皮肉にもその後にこの死刑法にブラザーギヨタンの名前が冠せられたわけですが、実際には彼個人は究極的には死刑廃止の考えを持った予防接種などを普及した医師であったそうです。

さて開会式の方ですが、こちらは良くわかるかと思いますが青を強調しており、これもまたフリーメイスンリーの象徴であります。青は理性を強める働きがある色とされ、マスターメイスンの象徴でもあります。青赤白の三色はフランス、イギリス、アメリカのそれぞれの国旗の色であり、また五芒星と同じく、赤がフランス大東社系、青が英米系正統派フリーメイスンリーの傾向であるようです。青と赤が一緒に重ねられるのはそれら世界全体のフリーメイスンリーの協調をうたった象徴かと思われます。特にフランス大東社の最大の象徴であるその最高存在の祭典を模した形は、英王室のエリザベス女王やグランドマスターであるブラザーケント公が出席する開会式においてまさに両フリーメイスンリーの融和を象徴するようなセレモニーとなっているかと思われます。
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さてこのくらいまでは少し知っていればわかるレベルだと思うのですが、後は細かい演出の中にフリーメイスンにわかるような動作や小道具で特徴的なものがありました。
芝の上で牧歌的なスポーツに親しんでいる象徴から一気に産業革命を経て工業を象徴する踊りとなったのですが、その際にシルクハットを着た明らかにフリーメイスンをモチーフとした人々を中心として変わった踊りをするのですが、その際の振り付けの右手で首のあたりを横に手刀を切る形の動作が、これが入会儀礼の象徴的な動きであり、いわゆる喉を掻っ切る、Cutting throatの象徴であり、秘密を守ることを象徴する動作です。またオリンピックの輪を鉄鋼の鍛造に例えて黒い眼鏡をして叩いている動作がありましたが、この際のサングラスのような遮蔽眼鏡はこれはフリーメイスンリーの入会儀式で象徴的に使用された、闇から光へと移る象徴となる小道具です。元々はただの布で目隠しする形であったようですが、特にアメリカを中心として入会儀式でこの遮蔽眼鏡が使われたようで、この眼鏡の中でメッセージなど小さな文字や画像が本人だけに認められる、いわゆるマイクロフィルムのようなトリックもあったようです。
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結局全体としてみると、フリーメイスンリーの入会儀式を模した形の開会式セレモニーとなっており、参加者および出席者、テレビでの全世界の見守る人々にフリーメイスンリーのイニシエーション(入会儀礼)を行うような意味づけとなっているものかと思われます。

鳩のモチーフによる象徴性はもう十分に説明されてきたかと思いますので割愛します。
最後にサー・ポール・マッカートニーが「Hey Jude」を歌いましたが、この歌も柔道にかけているなどと言う話もありますが、歌詞の内容を読んでいただければユダヤ人を意味するJewにかけた意味だという事が十分わかるかと思います。フリーメイスンリーとユダヤ教については私自身が十分勉強してから後々にまた取り上げたいかと思います。
最近のオリンピックに毎回登場する元プロボクシングヘビー級チャンピオンモハメド・アリ氏は名前がこの前の回に登場したエジプト近代化に貢献したエジプト太守のブラザームハンマド・アリーと同じ名前と言う事で、そのままシンボルとなっているようです。

(追記:もちろん聖火リレーはベルリンオリンピックから始まった有名な拝火教、ゾロアスター教の伝統を引き継ぐものかと思われます。フリーメイスンではありませんが、哲学者ニーチェの著作「ツァラトゥストラはかく語りき」は有名かと思います。東方の異教、ヤキンとボアズの柱に象徴されるような有名な二元論の教えの最も古い宗教ではないかとされています。東芝の電球の商品名や、車メーカーのマツダの社名とも関係しているようです。)
(追記:ピースマークの人文字もあったようですね。直接フリーメイスンリーと関係しているかどうかはわかりません。アンチキリストなど様々に説明されています。ヒッピー文化で多用されてきたようですが、ヒッピー文化で使われていたのであれば元ネタは恐らくフリーメイスンリーだと思われます。なかなかこの辺のからくりは複雑かと思いますが、ほとんどのフリーメイスンリーの秘密は目の前でありながら見えていないものなのです。最初の教えを忘れないでください。)
2012-07-30 12:03 | カテゴリ:全国の市章
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
オリンピックの話はなんだかタイムリーで好評のようですが、早くもウィキペディアに詳しく書かれていましたのでそちらも参考にしてください。ブラザーウィリアム・ブレイクの著作を題材としているようです。

さてではちょっとミーハー熱を冷ますようにこのブログのかなり大きなテーマでやっていた市章の話の残りをここで出していきます。なかなか民主主義の最小単位である市町村のシンボルのテーマは実際のフリーメイスンリーの理想と現実を象徴するものとしても身近で重要な存在でもあります。

3の強調の残りという事で、手元に残っている3の強調と考えられる市章で以前に紹介したもの以外のものを羅列していきます。
阿波市阿波市笠間市笠間市甲斐市甲斐市洲本市洲本市十和田市十和田市新見市新見市千曲市千曲市川崎市川崎市滝川市滝川市筑西市筑西市南アルプス市南アルプス市
まあ明らかに認められるものから明らかに残ったものなので、いまさら3の強調とか言われても、特に最近このブログを読み始めた人には「は?」という感じかもしれませんが、市章のシンボルの話は、シンボルを勉強する意味でも、日本のフリーメイスンリーを理解する意味でも重要な話と思われるので、以前の続きのものを一通り読まれることをお勧めします。
まあ三色のものや、三つの形の構成、3の数字の形など分類できると思いますが、まあそれらが大体当てはまるかなといったものです。十和田市や南アルプス市はマックのМの形の3の数字として良いかと思います。千曲市の千は十字ともかかりやすいのですが、やはり市章では3の強調や月と太陽のシンボルなどキリスト教よりもフリーメイスンリーのシンボルの方が日本では好まれやすいようです。滝川市や川崎市など、漢字の三画の字を強調するのも、漢字とシンボルとの関連を示す形かと思われます。シンボル学として本くらい書けそうですが、ブログは有料化は駄目そうなので日本ではこんなもんだと思います。

今後もこんな感じで続けていきます。それではみなさんごきげんよう。
2012-07-31 18:59 | カテゴリ:全国の市章
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
加古川市加古川市加茂市加茂市会津若松市会津若松市館山市館山市旧伊予市旧伊予市旧山鹿市旧山鹿市旧鶴岡市旧鶴岡市駒ヶ根市駒ヶ根市鯖江市鯖江市山形市山形市小郡市小郡市小松島市小松島市小平市小平市小牧市小牧市小矢部市小矢部市城陽市城陽市新座市新座市垂水市垂水市清瀬市清瀬市前原市前原市草加市草加市多久市多久市大町市大町市中央区中央区中津川市中津川市中野区中野区鶴岡市鶴岡市土岐市土岐市南あわじ市南あわじ市南足柄市南足柄市美濃加茂市美濃加茂市富士吉田市富士吉田市富士市富士市府中市府中市福生市福生市弥富市弥富市矢板市矢板市流山市流山市
まあ純粋に形だけで選んでいるので、これらはほとんどGには見えませんね。御殿場市のマークが良くできているという事をそのまま反映しているものかと思います。同様の例が神戸市の市章なんだと思います。

このマークとよく似てるのがロンドンオリンピックでも演出で認められたピースマークでしょうか。
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手旗信号のNとDを意味して、Nuclear Disarmament(核軍縮)という意味となるというデザインのようです。イギリス人の芸術家が作ったようですが、フリーメイスンリーのシンボリズムで考えれば、市章の話と同じく、御殿場型のGとシトロエンのダブルシェブロンのような直角定規かコンパスを意味する形の組み合わせになるかと思います。英語の陰謀論のホームページにはネロの十字でアンチキリストやオーム(ヒンドゥーのAUM)の意味だとか、ペテロの磔を意味する逆さ十字とか、カラスの足だとか、グノーシス主義を意味するだとか、ルーン文字の一つであるとか、とにかく定まったものはないようです。

なかなか良い説明は見当たりません。そもそもロンドンオリンピックで認められたからと言って必ずしもフリーメイスンリーのシンボルとは認められないかと思われます。
いずれにしてもフリーメイスンリーのシンボリズムはGodとGeometryのGのように、直観的でわかりやすい教えと様々な知恵を印象的なシンボルに込めて、それを共通の認識としてお互いの道徳的価値観で分かち合うというような、極めて知性的、理性的な遊びとも言うものであり、ピースマークの陰謀について考えるよりは、ピースマークが平和を意味するのであれば、それは平和の意味であるとするのがシンボリズムとして正しいのでは無いでしょうか。要するに陰謀論は不要という事です。