FREEMASONRY
Blue Lodge, Scottish Rite & York Rite in Japan
(2015/10/10追記:削除されています。)ブラザーナット・キング・コールのトゥーヤングです。
恋に落ちた時とするようです。
モナリザです。CMなどで有名なのでしょうか。ちょっとわかりませんが、かなり有名な曲だと思います。
ブルームーンです。
クリスマスソングです。
さやかに星はきらめきというそうです。讃美歌のようです。
ブラザールイ・アームストロングのハロードーリーです。もともとミュージカルの歌であったようです。
恋に落ちた時とするようです。
モナリザです。CMなどで有名なのでしょうか。ちょっとわかりませんが、かなり有名な曲だと思います。
ブルームーンです。
クリスマスソングです。
さやかに星はきらめきというそうです。讃美歌のようです。
ブラザールイ・アームストロングのハロードーリーです。もともとミュージカルの歌であったようです。
ブラザールイ・アームストロングの聖者が街にやってくるです。ニューオーリンズの黒人の葬儀の際の行進曲として有名かと思います。
こちらも同じ曲の違う収録です。(10/28:ブラザーチャーチルの特集を入れるために削除しました。)
(2015/10/10追記:削除されています。)野外で行ったライブのようです。最初の曲はわかりません。
先日亡くなられたブラザーニール・アームストロングのアポロ11号の月面着陸の様子です。
ブラザーフランクリン・ルーズベルトによる真珠湾攻撃の翌日の対日宣戦布告の演説です。
ブラザーハリー・トルーマンによる欧州戦線における勝利宣言演説です。
戦艦ミズーリ号上における日本の降伏文書調印式です。
こちらも同じ曲の違う収録です。(10/28:ブラザーチャーチルの特集を入れるために削除しました。)
(2015/10/10追記:削除されています。)野外で行ったライブのようです。最初の曲はわかりません。
先日亡くなられたブラザーニール・アームストロングのアポロ11号の月面着陸の様子です。
ブラザーフランクリン・ルーズベルトによる真珠湾攻撃の翌日の対日宣戦布告の演説です。
ブラザーハリー・トルーマンによる欧州戦線における勝利宣言演説です。
戦艦ミズーリ号上における日本の降伏文書調印式です。
(2015/10/10追記:削除されました。)ブラザージョン・ウェインの駅馬車です。
(2015/10/10追記:削除されました。)同じく赤い河です。(11/23追記:ドイツ語吹き替え版でした。削除しました。)
(2015/10/10追記:削除されました。)ブラザークラーク・ゲーブルの風と共に去りぬの一シーンです。
ブラザーリンドン・ジョンソンの大統領就任演説です。ブラザージョンソン大統領は第一階級でそれ以上の階級に上がっていないと確か日本グランドロッジの歴代大統領の表示のところに書いてありました。任期途中で大統領が死亡・辞任して副大統領から昇格した9人のうち5人がフリーメイスンのようです。
ブラザージェラルド・フォードの大統領就任演説です。
ブラザー東久邇宮稔彦王総理大臣の国会演説です。
ブラザーアーネスト・ボーグナインのアカデミー賞会場での出演作紹介の映像です。
(2015/10/10追記:削除されました。)同じく赤い河です。(11/23追記:ドイツ語吹き替え版でした。削除しました。)
(2015/10/10追記:削除されました。)ブラザークラーク・ゲーブルの風と共に去りぬの一シーンです。
ブラザーリンドン・ジョンソンの大統領就任演説です。ブラザージョンソン大統領は第一階級でそれ以上の階級に上がっていないと確か日本グランドロッジの歴代大統領の表示のところに書いてありました。任期途中で大統領が死亡・辞任して副大統領から昇格した9人のうち5人がフリーメイスンのようです。
ブラザージェラルド・フォードの大統領就任演説です。
ブラザー東久邇宮稔彦王総理大臣の国会演説です。
ブラザーアーネスト・ボーグナインのアカデミー賞会場での出演作紹介の映像です。
(2015/10/10追記:削除されました。)What's My Lineという人物を当てる番組に出演した際のブラザーディズニーの様子です。(11/17追記:削除しました。)
ブラザールイ・アームストロングの様子です。
ブラザーデューク・エリントンの様子です。(10/28:削除しました。)
ブラザーナット・キング・コールの様子です。(11/25追記:削除しました。)
サルバドール・ダリはフリーメイスンかどうかわかりませんが、作品やダリ美術館ではシンボリズムが多く認められ、恐らくフリーメイスンだと思います。
(2015/10/10追記:削除されました。)ダリの特集番組のようです。(10/13追記:著作権の関係で動画が削除されました。)
ブラザーバスター・キートンの映画の部分です。(12/9追記:削除しました。)
ブラザールイ・アームストロングの様子です。
ブラザーデューク・エリントンの様子です。(10/28:削除しました。)
ブラザーナット・キング・コールの様子です。(11/25追記:削除しました。)
サルバドール・ダリはフリーメイスンかどうかわかりませんが、作品やダリ美術館ではシンボリズムが多く認められ、恐らくフリーメイスンだと思います。
(2015/10/10追記:削除されました。)ダリの特集番組のようです。(10/13追記:著作権の関係で動画が削除されました。)
ブラザーバスター・キートンの映画の部分です。(12/9追記:削除しました。)
ブラザーバスター・キートンの映画の動きにマイケル・ジャクソンの音楽を重ねた動画です。そういえば日本にもマスター・キートンなんてマンガもありました。マイケルの作品はやはり一部シンボリズムがとられているようですが、フリーメイスンリーとの直接の接点は今のところ知りません。ホイットニー・ヒューストンが急死した際にはケビン・コスナー氏がコメントする際にヨークライトの斜め十字がインタビュー台に映り込んでいたなどありました。恐らくアメリカはハリウッド同様音楽業界もフリーメイスンリーとの関連は濃厚なのかと思われます。(10/27:削除しました。)
ブラザーバスター・キートンの名場面集です。チャップリンはほぼ同時期の人ですが、フリーメイスンではなさそうですがフランスからはレジオンドヌール勲章、イギリスからはサーの称号をもらっています。アメリカからは長年国外追放の憂き目にあっていましたが、晩年アカデミー賞で表彰され名誉回復しています。二人は「ライムライト」で共演しているそうです。ブラザーバスター・キートンはその無表情さからThe Great Stone Faceというニックネームを付けられたそうです。
(2015/10/10追記:削除されました。)ブラザーウォルト・ディズニーの映画ピノキオです。全編載せたものがYouTubeには多数あるようですが、権利関係にうるさいと有名なディズニー社は大丈夫なのでしょうか。(11/17追記:削除しました。)
(2015/10/10追記:削除されました。)ディズニー映画の初期のものでしょうか。(11/17追記:削除しました。)
(2015/10/10追記:削除されました。)こちらも初期のもののようです。(11/17追記:削除しました。)
(2015/10/10追記:削除されました。)ディズニー映画の最初の作品の白雪姫のようです。(10/28:削除しました。)
ブラザーバスター・キートンの名場面集です。チャップリンはほぼ同時期の人ですが、フリーメイスンではなさそうですがフランスからはレジオンドヌール勲章、イギリスからはサーの称号をもらっています。アメリカからは長年国外追放の憂き目にあっていましたが、晩年アカデミー賞で表彰され名誉回復しています。二人は「ライムライト」で共演しているそうです。ブラザーバスター・キートンはその無表情さからThe Great Stone Faceというニックネームを付けられたそうです。
(2015/10/10追記:削除されました。)ブラザーウォルト・ディズニーの映画ピノキオです。全編載せたものがYouTubeには多数あるようですが、権利関係にうるさいと有名なディズニー社は大丈夫なのでしょうか。(11/17追記:削除しました。)
(2015/10/10追記:削除されました。)ディズニー映画の初期のものでしょうか。(11/17追記:削除しました。)
(2015/10/10追記:削除されました。)こちらも初期のもののようです。(11/17追記:削除しました。)
(2015/10/10追記:削除されました。)ディズニー映画の最初の作品の白雪姫のようです。(10/28:削除しました。)
(2015/10/10追記:削除されました。)アリスインワンダーランドです。(11/17追記:削除しました。)
(2015/10/10追記:削除されました。)ミッキーマウスの映画です。(10/27:削除しました。)
ディズニーランドについてのテレビの特集のようです。全編でPart4まであります。興味のある方は検索で見てください。(11/23追記:削除しました。)
こちらもディズニーランドの紹介の映像です。(11/23追記:削除しました。)
こちらはブラザーディズニーの人生に焦点を当てた番組のようです。(10/29:削除しました。)
ブラザーディズニーの遺言とも言うべきフロリダのディズニーワールドの構想を示した映像です。この翌年に亡くなっています。
(2015/10/10追記:削除されました。)ブラザー・ザ・デストロイヤーの引退記念試合です。往年のジャイアント馬場などが一緒にいます。(11/24追記:著作権の関係で削除されていました。)
(2015/10/10追記:削除されました。)ミッキーマウスの映画です。(10/27:削除しました。)
ディズニーランドについてのテレビの特集のようです。全編でPart4まであります。興味のある方は検索で見てください。(11/23追記:削除しました。)
こちらもディズニーランドの紹介の映像です。(11/23追記:削除しました。)
こちらはブラザーディズニーの人生に焦点を当てた番組のようです。(10/29:削除しました。)
ブラザーディズニーの遺言とも言うべきフロリダのディズニーワールドの構想を示した映像です。この翌年に亡くなっています。
(2015/10/10追記:削除されました。)ブラザー・ザ・デストロイヤーの引退記念試合です。往年のジャイアント馬場などが一緒にいます。(11/24追記:著作権の関係で削除されていました。)
ブラザーアーノルド・パーマーの軌跡を描いたテレビのようです。ブラザーアーノルド・パーマーはスコティッシュライトの33階級である事はこのブログでも触れましたが、その他にThe Tall Cedars of Lebanonというシュライナーズのような外部団体に所属しています。
以前も東京シンフォニアの公演でとりあげたブラザーチャイコフスキーの組曲三番第三曲Gメジャーです。なかなかクラシック音楽のシンボリズムは謎ときがマニアックで面白いです。
YouTubeにいくつかあるフリーメイスンの主にアメリカ人の有名人を紹介する動画です。フリーメイスンが関わったものとそうでないものとがあるようで、一見してわかるかと思います。一番はっきりしているのはロッジの名前を明記するもののようです。
こちらもそれです。なかなか誰がフリーメイスンであるかはフリーメイスンにとっても難しい問題です
(2015/10/10追記:削除されました。)ブラザーなかにし礼の作詞です。非常にたくさんあるので一部をとりあげています。(11/18追記:削除しました。)
(2015/10/10追記:削除されました。)こちらもそうです。石原裕次郎氏も大動脈瘤の手術をしたのがその後のオウム信者であるとか昭和の時代の秘密かもしれません。(11/18追記:削除しました。)
こちらもそうです。なかなか詩が印象的です(10/13追記:他の曲を追加するために動画リストから削除しました。)
以前も東京シンフォニアの公演でとりあげたブラザーチャイコフスキーの組曲三番第三曲Gメジャーです。なかなかクラシック音楽のシンボリズムは謎ときがマニアックで面白いです。
YouTubeにいくつかあるフリーメイスンの主にアメリカ人の有名人を紹介する動画です。フリーメイスンが関わったものとそうでないものとがあるようで、一見してわかるかと思います。一番はっきりしているのはロッジの名前を明記するもののようです。
こちらもそれです。なかなか誰がフリーメイスンであるかはフリーメイスンにとっても難しい問題です
(2015/10/10追記:削除されました。)ブラザーなかにし礼の作詞です。非常にたくさんあるので一部をとりあげています。(11/18追記:削除しました。)
(2015/10/10追記:削除されました。)こちらもそうです。石原裕次郎氏も大動脈瘤の手術をしたのがその後のオウム信者であるとか昭和の時代の秘密かもしれません。(11/18追記:削除しました。)
こちらもそうです。なかなか詩が印象的です(10/13追記:他の曲を追加するために動画リストから削除しました。)
(2015/10/10追記:削除されました。)ザ・ピーナッツですね。作詞がブラザーなかにし礼です。先日お姉さまの方が亡くなられました。(11/18追記:削除しました。)
(2015/10/10追記:削除されました。)布施明さんも紅白のセットもシンボリズムだったと思いますが、昔から歌もシンボルを含むものが多かったようです。(11月10日追記:動画が非公開となったため削除しました。いろいろ背景がありそうです。)
(2015/10/10追記:削除されました。)こちらも大ヒット曲ですが作詞がブラザーなかにし礼です。(11/17追記:削除しました。)
なかなか意味深なタイトルです。流行歌にも色々背景がありそうです。
(2015/10/10追記:削除されました。)高音で有名なブラザーフィル・コリンズです。ロンドンオリンピックでも出演するかと思いましたが出演しませんでしたね。
バスケットボールプレーヤーのブラザーシャキール・オニールです。代々の背番号を見ているとスコティッシュライトの階級のようです。
あまり確認していませんが、ブラザーエディー・マーフィーもフリーメイスンのようです。
(2015/10/10追記:削除されました。)布施明さんも紅白のセットもシンボリズムだったと思いますが、昔から歌もシンボルを含むものが多かったようです。(11月10日追記:動画が非公開となったため削除しました。いろいろ背景がありそうです。)
(2015/10/10追記:削除されました。)こちらも大ヒット曲ですが作詞がブラザーなかにし礼です。(11/17追記:削除しました。)
なかなか意味深なタイトルです。流行歌にも色々背景がありそうです。
(2015/10/10追記:削除されました。)高音で有名なブラザーフィル・コリンズです。ロンドンオリンピックでも出演するかと思いましたが出演しませんでしたね。
バスケットボールプレーヤーのブラザーシャキール・オニールです。代々の背番号を見ているとスコティッシュライトの階級のようです。
あまり確認していませんが、ブラザーエディー・マーフィーもフリーメイスンのようです。
FOXニュースの本の紹介でしょうか。
カナダのニュースの取材のようです。
インディアナポリスのテレビの取材のようです。
ニュージャージーのロッジが作った紹介VTRのようです。
スコットランドグランドロッジ管轄のフロリダのロッジの様子のようです。
マサチューセッツのフリーメイスンリーの紹介VTRのようです。(11/24追記:削除しました。)
北米のフリーメイスンリーの紹介VTRのようです。
カナダのニュースの取材のようです。
インディアナポリスのテレビの取材のようです。
ニュージャージーのロッジが作った紹介VTRのようです。
スコットランドグランドロッジ管轄のフロリダのロッジの様子のようです。
マサチューセッツのフリーメイスンリーの紹介VTRのようです。(11/24追記:削除しました。)
北米のフリーメイスンリーの紹介VTRのようです。
さてさて動画の紹介ばかりだとマンネリなのでここで再び横須賀の時事の話題です。
春のローズフェスタはアメリカ軍の日に行われましたが、秋も涼しくなってきて再び薔薇が花咲くころになるとローズフェスタを行うようです。


その他にもこういうのもやっているそうです。



久里浜花の国は久里浜のペリー公園のそばでニコンの工場があるところの近くではないでしょうか。神奈川歯科大学は三笠公園の手前です。最後のみこし祭は基地開放になるのだと思います。三笠ゲートは三笠公園の手前の虹のアーチをくぐってすぐの碇のシンボルが置いてあるところの入り口です。基地開放は身分証明書が必要なのだと思います。それぞれ天気が良い事を期待しますがしばらく荒天が続いたようなので良いのではないでしょうか。
ヴェルニー公園の薔薇の開花状況は現在こんな感じです。


















秋も色々イベントが横須賀はあるようです。日米同盟やらなんやらテレビやマスコミでは騒がしいようですが、横須賀では大きな変化は特にないようです。色々横須賀を歩き回るのも一興かと思います。どうぞ天気が良ければ混雑などを避けながら気を付けて来てみてはいかがでしょうか。
春のローズフェスタはアメリカ軍の日に行われましたが、秋も涼しくなってきて再び薔薇が花咲くころになるとローズフェスタを行うようです。


その他にもこういうのもやっているそうです。



久里浜花の国は久里浜のペリー公園のそばでニコンの工場があるところの近くではないでしょうか。神奈川歯科大学は三笠公園の手前です。最後のみこし祭は基地開放になるのだと思います。三笠ゲートは三笠公園の手前の虹のアーチをくぐってすぐの碇のシンボルが置いてあるところの入り口です。基地開放は身分証明書が必要なのだと思います。それぞれ天気が良い事を期待しますがしばらく荒天が続いたようなので良いのではないでしょうか。
ヴェルニー公園の薔薇の開花状況は現在こんな感じです。


















秋も色々イベントが横須賀はあるようです。日米同盟やらなんやらテレビやマスコミでは騒がしいようですが、横須賀では大きな変化は特にないようです。色々横須賀を歩き回るのも一興かと思います。どうぞ天気が良ければ混雑などを避けながら気を付けて来てみてはいかがでしょうか。
オーストラリアのフリーメイスンリーについて特集したテレビのようです。
イギリスのフリーメイスンリーについて特集した番組のようです。グランドロッジの様子はそのまま参考になるかと思います。
マサチューセッツのフリーメイスンリーの紹介の一つのようです。(11/24追記:削除しました。)
これもマサチューセッツのフリーメイスンリーの紹介の一つのようです。(11/24追記:削除しました。)
ミネソタのフリーメイスンリーの入会案内のようです。
インディアナポリスのフリーメイスンリーの紹介のようです。(11/24追記:削除しました。)
ヒストリーチャンネルのちょっと古いフリーメイスンリーの特集のようです。ヒストリーチャンネルのHのシンボルにまだ横に▲が付いていない時代のようです。(11/24追記:削除しました。)
イギリスのフリーメイスンリーについて特集した番組のようです。グランドロッジの様子はそのまま参考になるかと思います。
マサチューセッツのフリーメイスンリーの紹介の一つのようです。(11/24追記:削除しました。)
これもマサチューセッツのフリーメイスンリーの紹介の一つのようです。(11/24追記:削除しました。)
ミネソタのフリーメイスンリーの入会案内のようです。
インディアナポリスのフリーメイスンリーの紹介のようです。(11/24追記:削除しました。)
ヒストリーチャンネルのちょっと古いフリーメイスンリーの特集のようです。ヒストリーチャンネルのHのシンボルにまだ横に▲が付いていない時代のようです。(11/24追記:削除しました。)
さて山中伸弥氏のノーベル医学・生理学賞の受賞が決定した事に便乗した内容ですが、まあ実はこちらが主題かもしれないというフリーメイスンリーとノーベル賞との話題です。
ノーベル自身が国王自身が代々グランド・マスターというスウェーデン出身の人ですが、色々あったようですが最後までフリーメイスンにはならなかったようです。
(訂正2014/4/29:ブラザーアルフレッド・ノーベルの墓は以下のように明らかに立派なオベリスクとなっています。生前にはフリーメイスンではなかったのでしょうが、死後顕彰されてフリーメイスンと認められているようです。
)
ノーベル財団は恐らくですがフリーメイスンリーの関連団体のような感じなのではないでしょうか。
まあそういう大胆な話はともかくとしてインターネットの検索で出てくる、世界のそれぞれのロッジのホームページで有名なフリーメイスンとして名前を挙げられているノーベル賞受賞者のフリーメイスンをここにまとめてみました。どうもfreemason nobel prizeで検索して最初に出てくるQ&Aの書き込みの、ミズーリリサーチロッジによると22人のノーベル賞受賞者が少なくともフリーメイスンであるというものを参考として、22人のフリーメイスンを挙げてみました。
内容は全てウィキペディアのコピペです。
ジャン・アンリ・デュナン(Jean Henri Dunant, 1828年5月8日 - 1910年10月30日)は、スイスの実業家である。赤十字社を創設し、1901年に第1回ノーベル平和賞を受賞した。

エリー・デュコマン(Élie Ducommun, 1833年2月19日 - 1906年12月7日)は、スイスのジャーナリスト、平和活動家。1902年、シャルル・アルベール・ゴバと共にノーベル平和賞を受賞した。

ジョズエ・カルドゥッチ(Giosuè Carducci, 1835年7月27日、ヴァルディカステッロ - 1907年2月17日、ボローニャ)は、イタリアの詩人、古典文学者。元老院議員。1906年にノーベル文学賞を受賞した。

セオドア・「テディ」ルーズベルト(英: Theodore "Teddy" Roosevelt 1858年10月27日 - 1919年1月6日)は、アメリカ合衆国の第25代副大統領および第26代大統領。1905年には日露戦争で日本・ロシア間の調停をつとめ、停戦からポーツマス条約での和平交渉に尽力した。この和平交渉の斡旋によってルーズベルトは1906年ノーベル平和賞を受賞した。

サンティアゴ・ラモン・イ・カハル (Santiago Ramón y Cajal, 1852年5月1日 - 1934年10月17日)はスペインの神経解剖学者(サンティアゴ・ラモニ・カハールとも)。1906年にゴルジと共にノーベル生理学・医学賞を受賞した。

ジョゼフ・ラドヤード・キップリング(Joseph Rudyard Kipling, 1865年12月30日 - 1936年1月18日)は、イギリスの小説家、詩人で、イギリス統治下のインドを舞台にした作品、児童文学で知られる。ボンベイ(ムンバイ)生まれ。19世紀末から20世紀初頭のイギリスで最も人気のある作家の一人で、代表作に小説『ジャングル・ブック』『少年キム』、詩『マンダレー』など。「短編小説技巧の革新者」とみなされ、児童向け作品は古典として愛され続けており、作品は「多彩で光り輝く物語の贈り物」と言われる。1907年にノーベル文学賞を、41歳の史上最年少で、イギリス人としては最初に受賞。

アルバート・エイブラハム・マイケルソン(Albert Abraham Michelson, 1852年12月19日 - 1931年5月9日)は、アメリカの物理学者。アメリカ海軍士官。光速度やエーテルについての研究を行った。1907年、光学に関する研究によってノーベル物理学賞を受賞した。これは科学部門における、アメリカ人初の受賞でもある。

フリードリヒ・ヴィルヘルム・オストヴァルト(Friedrich Wilhelm Ostwald、ラトビア語: Vilhelms Ostvalds、1853年9月2日 – 1932年4月4日)はドイツ(バルト・ドイツ人)の化学者。オストワルトあるいはオストワルドとも呼ばれる。1909年、触媒作用・化学平衡・反応速度に関する業績が認められ、ノーベル化学賞を受賞した。

アルフレート・フリート(Alfred Hermann Fried、1864年11月11日 - 1921年5月5日)は、オーストリアの法学者、平和主義者、ジャーナリスト。1911年にトビアス・アッセルとともにノーベル平和賞を受賞した。

アンリ=マリー・ラ・フォンテーヌ(Henri-Marie La Fontaine、1854年4月22日 - 1943年5月14日)は、ベルギー出身の国際弁護士。1907年から1943年まで常設国際平和局の事務局長を務めた。1913年にノーベル平和賞を受賞した。

シャルル・ロベール・リシェ(Charles Robert Richet、1850年8月26日-1935年12月4日)はフランスの生理学者。1913年にノーベル生理学・医学賞を受賞した。アレルギー研究の父でもある。

レオン・ブルジョワ(Léon Victor Auguste Bourgeois, 1851年5月21日 - 1925年9月29日)はユダヤ系フランス人の政治家である。第一次世界大戦後は国際連盟の委員会の委員長を務めるなどして、1920年にノーベル平和賞を受賞した。

グスタフ・シュトレーゼマン(Gustav Stresemann、1878年5月10日 - 1929年10月3日)はドイツ・ヴァイマル共和政期の政治家である。1923年8月‐11月にドイツ首相を務める。外務大臣としても活躍し、1926年にフランス外相アリスティード・ブリアンと共にノーベル平和賞を受賞した。

フランク・ビリングス・ケロッグ(Frank Billings Kellogg, 1856年12月22日 - 1937年12月21日)は、アメリカ合衆国の政治家で行政家。国務長官として彼は、1928年に調印されたケロッグ・ブリアン協定(パリ不戦条約)をフランスの外務大臣アリスティード・ブリアンと共に取りまとめた。1930-35年には国際司法裁判所に判事の1人としても係わっている。1929年ノーベル平和賞を受賞。

サー・フレデリック・ガウランド・ホプキンズ(Sir Frederick Gowland Hopkins, 1861年6月20日 - 1947年5月16日)は、イギリスの生化学者。メリット勲章勲爵士(OM)、王立協会フェロー(FRS)。1929年、ビタミンの発見の業績によりクリスティアーン・エイクマンと共にノーベル生理学・医学賞を受賞した。また、1901年にアミノ酸の一つであるトリプトファンを発見した。

カール・フォン・オシエツキー (Carl von Ossietzky、1889年10月3日 - 1938年5月4日)はドイツのジャーナリスト、平和運動家、1935年のノーベル平和賞受賞者。

エンリコ・フェルミ(Enrico Fermi、1901年9月29日 – 1954年11月28日)は、イタリア、ローマ出身の物理学者。統計力学、核物理学および量子力学の分野で顕著な業績を残しており、放射性元素の発見で1938年のノーベル賞を受賞している。

サー・アレクサンダー・フレミング(Sir Alexander Fleming, 1881年8月6日 - 1955年3月11日)はイギリスの細菌学者である。抗菌物質リゾチーム(lysozyme)と、アオカビ(Penicillium notatum)から見出した世界初の抗生物質、ペニシリンの発見者として知られている。1945年にはフレミング、フローリーおよびチェーンはノーベル医学生理学賞を共同受賞することになった。

エドワード・アップルトン(Sir Edward Victor Appleton、 1892年9月6日 - 1965年4月21日)はイギリスの物理学者である。無線電波を反射する電離層までの距離をはかる実験に成功した。1947年のノーベル物理学賞の受賞者である。

サー・ウィンストン・レナード・スペンサー=チャーチル(Sir Winston Leonard Spencer-Churchill, 1874年11月30日 - 1965年1月24日)はイギリスの政治家。1940年から1945年にかけてイギリス戦時内閣の首相としてイギリス国民を指導し、第二次世界大戦を勝利に導く。大戦終結後に再び首相となる。「第二次世界大戦回顧録」を執筆し、1948年に1巻を出版し、以後1年ごとに一巻を上梓し、最後の一巻は首相就任のため出版が遅れたものの、1953年に第6巻を出して完結させた。この著書により、チャーチルは1953年にノーベル文学賞を受賞した。

ジョージ・キャトレット・マーシャル(George Catlett Marshall, 1880年12月31日 - 1959年10月16日)はアメリカ合衆国の陸軍軍人、政治家。最終階級は元帥。第二次世界大戦中の陸軍参謀総長としてアメリカを勝利に導き、戦後はマーシャル・プランによってヨーロッパ復興を指導した。マーシャル・プランの立案・実行により、1953年にはノーベル平和賞を受賞。

サルヴァトーレ・クァジモド(Salvatore Quasimodo, 1901年8月20日 - 1968年6月14日)はイタリアの作家。1959年にノーベル文学賞を受賞した。

とまあ文学賞や平和賞が多いのですが、物理学賞では光の速度の測定、医学生理学賞ではペニシリンの発見が白眉のようです。この他にも現在存命中の方や、イギリスの爵位を綬爵されている方や王立科学アカデミーの会員の方などでフリーメイスンと思われる方が多数いるようですが特に公表しない方針などがあるのかと思います。フランスやイタリア、スペインなどヨーロッパ大陸の方は大東社系のフリーメイスンリーとなるかと思います。アメリカの科学系の受賞者の方はほとんどが大学や研究所などでほぼフリーメイスンリーと何らかの関係があるかと思います。まあインターネットで検索して名前が挙がってくる方が上記のブラザーと言う事です。こういう有名人のフリーメイスンを列挙する事に意味があるのかという事もありますが、こういう事がフリーメイスンリーに興味を持つきっかけや、フリーメイスンリーの活動に関心を持つきっかけになる事もあるかと思いますので、良い事なのではないかと思っております。
ノーベル自身が国王自身が代々グランド・マスターというスウェーデン出身の人ですが、色々あったようですが最後までフリーメイスンにはならなかったようです。
(訂正2014/4/29:ブラザーアルフレッド・ノーベルの墓は以下のように明らかに立派なオベリスクとなっています。生前にはフリーメイスンではなかったのでしょうが、死後顕彰されてフリーメイスンと認められているようです。

ノーベル財団は恐らくですがフリーメイスンリーの関連団体のような感じなのではないでしょうか。
まあそういう大胆な話はともかくとしてインターネットの検索で出てくる、世界のそれぞれのロッジのホームページで有名なフリーメイスンとして名前を挙げられているノーベル賞受賞者のフリーメイスンをここにまとめてみました。どうもfreemason nobel prizeで検索して最初に出てくるQ&Aの書き込みの、ミズーリリサーチロッジによると22人のノーベル賞受賞者が少なくともフリーメイスンであるというものを参考として、22人のフリーメイスンを挙げてみました。
内容は全てウィキペディアのコピペです。
ジャン・アンリ・デュナン(Jean Henri Dunant, 1828年5月8日 - 1910年10月30日)は、スイスの実業家である。赤十字社を創設し、1901年に第1回ノーベル平和賞を受賞した。

エリー・デュコマン(Élie Ducommun, 1833年2月19日 - 1906年12月7日)は、スイスのジャーナリスト、平和活動家。1902年、シャルル・アルベール・ゴバと共にノーベル平和賞を受賞した。

ジョズエ・カルドゥッチ(Giosuè Carducci, 1835年7月27日、ヴァルディカステッロ - 1907年2月17日、ボローニャ)は、イタリアの詩人、古典文学者。元老院議員。1906年にノーベル文学賞を受賞した。

セオドア・「テディ」ルーズベルト(英: Theodore "Teddy" Roosevelt 1858年10月27日 - 1919年1月6日)は、アメリカ合衆国の第25代副大統領および第26代大統領。1905年には日露戦争で日本・ロシア間の調停をつとめ、停戦からポーツマス条約での和平交渉に尽力した。この和平交渉の斡旋によってルーズベルトは1906年ノーベル平和賞を受賞した。

サンティアゴ・ラモン・イ・カハル (Santiago Ramón y Cajal, 1852年5月1日 - 1934年10月17日)はスペインの神経解剖学者(サンティアゴ・ラモニ・カハールとも)。1906年にゴルジと共にノーベル生理学・医学賞を受賞した。

ジョゼフ・ラドヤード・キップリング(Joseph Rudyard Kipling, 1865年12月30日 - 1936年1月18日)は、イギリスの小説家、詩人で、イギリス統治下のインドを舞台にした作品、児童文学で知られる。ボンベイ(ムンバイ)生まれ。19世紀末から20世紀初頭のイギリスで最も人気のある作家の一人で、代表作に小説『ジャングル・ブック』『少年キム』、詩『マンダレー』など。「短編小説技巧の革新者」とみなされ、児童向け作品は古典として愛され続けており、作品は「多彩で光り輝く物語の贈り物」と言われる。1907年にノーベル文学賞を、41歳の史上最年少で、イギリス人としては最初に受賞。

アルバート・エイブラハム・マイケルソン(Albert Abraham Michelson, 1852年12月19日 - 1931年5月9日)は、アメリカの物理学者。アメリカ海軍士官。光速度やエーテルについての研究を行った。1907年、光学に関する研究によってノーベル物理学賞を受賞した。これは科学部門における、アメリカ人初の受賞でもある。

フリードリヒ・ヴィルヘルム・オストヴァルト(Friedrich Wilhelm Ostwald、ラトビア語: Vilhelms Ostvalds、1853年9月2日 – 1932年4月4日)はドイツ(バルト・ドイツ人)の化学者。オストワルトあるいはオストワルドとも呼ばれる。1909年、触媒作用・化学平衡・反応速度に関する業績が認められ、ノーベル化学賞を受賞した。

アルフレート・フリート(Alfred Hermann Fried、1864年11月11日 - 1921年5月5日)は、オーストリアの法学者、平和主義者、ジャーナリスト。1911年にトビアス・アッセルとともにノーベル平和賞を受賞した。

アンリ=マリー・ラ・フォンテーヌ(Henri-Marie La Fontaine、1854年4月22日 - 1943年5月14日)は、ベルギー出身の国際弁護士。1907年から1943年まで常設国際平和局の事務局長を務めた。1913年にノーベル平和賞を受賞した。

シャルル・ロベール・リシェ(Charles Robert Richet、1850年8月26日-1935年12月4日)はフランスの生理学者。1913年にノーベル生理学・医学賞を受賞した。アレルギー研究の父でもある。

レオン・ブルジョワ(Léon Victor Auguste Bourgeois, 1851年5月21日 - 1925年9月29日)はユダヤ系フランス人の政治家である。第一次世界大戦後は国際連盟の委員会の委員長を務めるなどして、1920年にノーベル平和賞を受賞した。

グスタフ・シュトレーゼマン(Gustav Stresemann、1878年5月10日 - 1929年10月3日)はドイツ・ヴァイマル共和政期の政治家である。1923年8月‐11月にドイツ首相を務める。外務大臣としても活躍し、1926年にフランス外相アリスティード・ブリアンと共にノーベル平和賞を受賞した。

フランク・ビリングス・ケロッグ(Frank Billings Kellogg, 1856年12月22日 - 1937年12月21日)は、アメリカ合衆国の政治家で行政家。国務長官として彼は、1928年に調印されたケロッグ・ブリアン協定(パリ不戦条約)をフランスの外務大臣アリスティード・ブリアンと共に取りまとめた。1930-35年には国際司法裁判所に判事の1人としても係わっている。1929年ノーベル平和賞を受賞。

サー・フレデリック・ガウランド・ホプキンズ(Sir Frederick Gowland Hopkins, 1861年6月20日 - 1947年5月16日)は、イギリスの生化学者。メリット勲章勲爵士(OM)、王立協会フェロー(FRS)。1929年、ビタミンの発見の業績によりクリスティアーン・エイクマンと共にノーベル生理学・医学賞を受賞した。また、1901年にアミノ酸の一つであるトリプトファンを発見した。

カール・フォン・オシエツキー (Carl von Ossietzky、1889年10月3日 - 1938年5月4日)はドイツのジャーナリスト、平和運動家、1935年のノーベル平和賞受賞者。

エンリコ・フェルミ(Enrico Fermi、1901年9月29日 – 1954年11月28日)は、イタリア、ローマ出身の物理学者。統計力学、核物理学および量子力学の分野で顕著な業績を残しており、放射性元素の発見で1938年のノーベル賞を受賞している。

サー・アレクサンダー・フレミング(Sir Alexander Fleming, 1881年8月6日 - 1955年3月11日)はイギリスの細菌学者である。抗菌物質リゾチーム(lysozyme)と、アオカビ(Penicillium notatum)から見出した世界初の抗生物質、ペニシリンの発見者として知られている。1945年にはフレミング、フローリーおよびチェーンはノーベル医学生理学賞を共同受賞することになった。

エドワード・アップルトン(Sir Edward Victor Appleton、 1892年9月6日 - 1965年4月21日)はイギリスの物理学者である。無線電波を反射する電離層までの距離をはかる実験に成功した。1947年のノーベル物理学賞の受賞者である。

サー・ウィンストン・レナード・スペンサー=チャーチル(Sir Winston Leonard Spencer-Churchill, 1874年11月30日 - 1965年1月24日)はイギリスの政治家。1940年から1945年にかけてイギリス戦時内閣の首相としてイギリス国民を指導し、第二次世界大戦を勝利に導く。大戦終結後に再び首相となる。「第二次世界大戦回顧録」を執筆し、1948年に1巻を出版し、以後1年ごとに一巻を上梓し、最後の一巻は首相就任のため出版が遅れたものの、1953年に第6巻を出して完結させた。この著書により、チャーチルは1953年にノーベル文学賞を受賞した。

ジョージ・キャトレット・マーシャル(George Catlett Marshall, 1880年12月31日 - 1959年10月16日)はアメリカ合衆国の陸軍軍人、政治家。最終階級は元帥。第二次世界大戦中の陸軍参謀総長としてアメリカを勝利に導き、戦後はマーシャル・プランによってヨーロッパ復興を指導した。マーシャル・プランの立案・実行により、1953年にはノーベル平和賞を受賞。

サルヴァトーレ・クァジモド(Salvatore Quasimodo, 1901年8月20日 - 1968年6月14日)はイタリアの作家。1959年にノーベル文学賞を受賞した。

とまあ文学賞や平和賞が多いのですが、物理学賞では光の速度の測定、医学生理学賞ではペニシリンの発見が白眉のようです。この他にも現在存命中の方や、イギリスの爵位を綬爵されている方や王立科学アカデミーの会員の方などでフリーメイスンと思われる方が多数いるようですが特に公表しない方針などがあるのかと思います。フランスやイタリア、スペインなどヨーロッパ大陸の方は大東社系のフリーメイスンリーとなるかと思います。アメリカの科学系の受賞者の方はほとんどが大学や研究所などでほぼフリーメイスンリーと何らかの関係があるかと思います。まあインターネットで検索して名前が挙がってくる方が上記のブラザーと言う事です。こういう有名人のフリーメイスンを列挙する事に意味があるのかという事もありますが、こういう事がフリーメイスンリーに興味を持つきっかけや、フリーメイスンリーの活動に関心を持つきっかけになる事もあるかと思いますので、良い事なのではないかと思っております。
これはヒストリーチャンネルのものとは違うようです。イギリスのテレビ番組の特集のようです。この前のものとは関係ないようです。アップロードした人が付けた番号なのでしょう。(11/24追記:削除しました。)
ナショナルジオグラフィックのテンプル騎士団の特集です。フリーメイスンリーと直接関係あるわけではありませんが、後半にフリーメイスンリーとの関係を示唆する内容となっているようです。(12/12追記:動画が削除されましたので削除しました。)
4分割の2つめです。(10/13追記:アメリカ国歌を入れるためにこの編だけを動画リストから削除しました。)
4分割の3つめです。テンプル騎士団の最後の団長のジャック・デモレーの名前はフリーメイスンリーの青少年の育成団体であるデモレーに使われています。元大統領のブラザービル・クリントンやブラザーウォルト・ディズニーが所属していたようです。(11/4追記:削除しました。)
最後のものです。フリーメイスンリーの起源との関係を説明しているようです。(11/4追記:削除しました。)
日本では蛍の光の名前で知られているブラザーロバート・バーンズ作詞のAuld Lang Syne久しき昔です。音楽はスコットランド民謡のようです。歌詞の内容はフリーメイスンリーを歌ったものかと思います。ブラザーロバート・バーンズはスコットランドを代表する詩人で、スコットランドの代表的なフリーメイスンです。
ブラザージャン・シベリウスがロッジのために作曲したオルガン音楽です。
ナショナルジオグラフィックのテンプル騎士団の特集です。フリーメイスンリーと直接関係あるわけではありませんが、後半にフリーメイスンリーとの関係を示唆する内容となっているようです。(12/12追記:動画が削除されましたので削除しました。)
4分割の2つめです。(10/13追記:アメリカ国歌を入れるためにこの編だけを動画リストから削除しました。)
4分割の3つめです。テンプル騎士団の最後の団長のジャック・デモレーの名前はフリーメイスンリーの青少年の育成団体であるデモレーに使われています。元大統領のブラザービル・クリントンやブラザーウォルト・ディズニーが所属していたようです。(11/4追記:削除しました。)
最後のものです。フリーメイスンリーの起源との関係を説明しているようです。(11/4追記:削除しました。)
日本では蛍の光の名前で知られているブラザーロバート・バーンズ作詞のAuld Lang Syne久しき昔です。音楽はスコットランド民謡のようです。歌詞の内容はフリーメイスンリーを歌ったものかと思います。ブラザーロバート・バーンズはスコットランドを代表する詩人で、スコットランドの代表的なフリーメイスンです。
ブラザージャン・シベリウスがロッジのために作曲したオルガン音楽です。
Auld Lang Syneの歌付き英語翻訳歌詞付きバージョンです。
ブラザーヨハネス・ブラームスのハンガリー舞曲第5番です。
ブラザーヨハン・シュトラウス2世の美しき青きドナウです。検索してもなかなかフリーメイスンというのが出てきませんが、フリーメイスンだと思います。
オペレッタこうもりの前奏曲です。(11/17追記:カラヤン演奏の全編のものと代わりに削除しました。)(11/24追記:カラヤンのものも適合しなくなったので映画版のものに変更しました。)
こちらは父親のブラザーヨハン・シュトラウス1世のラデツキー行進曲です。父子でフリーメイスンかどうか自信が持てませんでしたが、ウィキペディアにお墓が正三角形の画像が載っていました。カラヤンはフリーメイスンなんでしょうか。恐らくサー・ゲオルグ・ショルティ―はそうなのでしょうが、カラヤンはあと一歩なのかもしれません。(検索でお墓を調べたところ、サー・ゲオルグ・ショルティーはGの形をしたお墓で、カラヤンは普通の素朴なお墓でした。サー・ゲオルグ・ショルティ―はアメリカのフリーメイスンのようです。)
ブラザーヨハン・シュトラウス2世の雷鳴と稲妻です。いずれもニューイヤーコンサートの定番のようです。
スコティッシュライト作成のフリーメイスンリーおよびスコティッシュライトの紹介の動画のようです。アポロ11号で月にスコティッシュライトの旗を持っていったそうです。
ブラザーヨハネス・ブラームスのハンガリー舞曲第5番です。
ブラザーヨハン・シュトラウス2世の美しき青きドナウです。検索してもなかなかフリーメイスンというのが出てきませんが、フリーメイスンだと思います。
オペレッタこうもりの前奏曲です。(11/17追記:カラヤン演奏の全編のものと代わりに削除しました。)(11/24追記:カラヤンのものも適合しなくなったので映画版のものに変更しました。)
こちらは父親のブラザーヨハン・シュトラウス1世のラデツキー行進曲です。父子でフリーメイスンかどうか自信が持てませんでしたが、ウィキペディアにお墓が正三角形の画像が載っていました。カラヤンはフリーメイスンなんでしょうか。恐らくサー・ゲオルグ・ショルティ―はそうなのでしょうが、カラヤンはあと一歩なのかもしれません。(検索でお墓を調べたところ、サー・ゲオルグ・ショルティーはGの形をしたお墓で、カラヤンは普通の素朴なお墓でした。サー・ゲオルグ・ショルティ―はアメリカのフリーメイスンのようです。)
ブラザーヨハン・シュトラウス2世の雷鳴と稲妻です。いずれもニューイヤーコンサートの定番のようです。
スコティッシュライト作成のフリーメイスンリーおよびスコティッシュライトの紹介の動画のようです。アポロ11号で月にスコティッシュライトの旗を持っていったそうです。
スコティッシュライト、House of the Templeでのフリーメイスンリーおよびスコティッシュライトの解説です。
ロンドンのグランドロッジ、フリーメイスンホールの映像です。
どうも動画を作られた方がフリーメイスンかどうかわからないのですが、典型的なアメリカ人の陰謀論のパロディのような内容です。このブログに利用するのは不適切なのかわかりませんが、テキサスのグランドロッジの外観ですが、貴重な映像なので使わさせていただきました。誤解しないようにお願いいたします。(10/27:削除しました。)
オーストラリアのロッジの様子です。
以前にこのブログでも取り上げたブラザーモーツァルトの伝記映画でナチス占領下のオーストリアで作成されたいわくつきのものの日本向け予告篇です。YouTubeにまだあるという事はまた上映する機会をうかがっているのでしょうか。なかなかいわくつきです。内容的にはブラザーモーツァルトを理解するのに非常に良いようです。
マリア・カラスが歌うブラザープッチーニのオペラジャンニ・スキッキの私のお父さんです。マリア・カラスがフリーメイスンかどうかはわかりませんが、JFKの未亡人ジャクリーンと結婚したオナシスと愛人関係にあったそうで、フリーメイスンリー関連なのかと思います。(11/17追記:マリア・カラスによる主演のもので全編のものに変更して削除しました。)
こちらもマリア・カラスが歌うブラザープッチーニのオペラ蝶々夫人より蝶々夫人の死です。(11/17追記:マリア・カラスによる主演のもので全編のものに変更して削除しました。)
ロンドンのグランドロッジ、フリーメイスンホールの映像です。
どうも動画を作られた方がフリーメイスンかどうかわからないのですが、典型的なアメリカ人の陰謀論のパロディのような内容です。このブログに利用するのは不適切なのかわかりませんが、テキサスのグランドロッジの外観ですが、貴重な映像なので使わさせていただきました。誤解しないようにお願いいたします。(10/27:削除しました。)
オーストラリアのロッジの様子です。
以前にこのブログでも取り上げたブラザーモーツァルトの伝記映画でナチス占領下のオーストリアで作成されたいわくつきのものの日本向け予告篇です。YouTubeにまだあるという事はまた上映する機会をうかがっているのでしょうか。なかなかいわくつきです。内容的にはブラザーモーツァルトを理解するのに非常に良いようです。
マリア・カラスが歌うブラザープッチーニのオペラジャンニ・スキッキの私のお父さんです。マリア・カラスがフリーメイスンかどうかはわかりませんが、JFKの未亡人ジャクリーンと結婚したオナシスと愛人関係にあったそうで、フリーメイスンリー関連なのかと思います。(11/17追記:マリア・カラスによる主演のもので全編のものに変更して削除しました。)
こちらもマリア・カラスが歌うブラザープッチーニのオペラ蝶々夫人より蝶々夫人の死です。(11/17追記:マリア・カラスによる主演のもので全編のものに変更して削除しました。)
マリア・カラスによるブラザープッチーニのオペラ蝶々夫人のある晴れた日にです。(11/17追記:マリア・カラスによる主演のもので全編のものに変更して削除しました。)
ロンドンのグランドロッジの紹介です。
スコティッシュライトのフリーメイスンリーの紹介動画です。
ヨークライトの紹介動画です。
こちらもヨークライトの紹介動画です。
ブラザーアルバート・パイク著のモラルアンドドグマの解説書の紹介のようです。
スコティッシュライト33階級のブラザーマンリー・P・ホールによるモラルアンドドグマの解説です。ブラザーマンリー・P・ホールはこのブログでも紹介したThe Secret Teachings of All Agesの著者で、27歳の時に書いたそうです。ロストシンボルで語られるフリーメイスンリーの思想の解説はほとんどがこの人の著作に基づいているようです。
ロンドンのグランドロッジの紹介です。
スコティッシュライトのフリーメイスンリーの紹介動画です。
ヨークライトの紹介動画です。
こちらもヨークライトの紹介動画です。
ブラザーアルバート・パイク著のモラルアンドドグマの解説書の紹介のようです。
スコティッシュライト33階級のブラザーマンリー・P・ホールによるモラルアンドドグマの解説です。ブラザーマンリー・P・ホールはこのブログでも紹介したThe Secret Teachings of All Agesの著者で、27歳の時に書いたそうです。ロストシンボルで語られるフリーメイスンリーの思想の解説はほとんどがこの人の著作に基づいているようです。
ブラザーマンリー・P・ホールの人間の体の磁場とその作用についての公演です。ブラザーマンリー・P・ホールの人生についても興味深いです。(12/2追記:削除しました。)
ブラザーマンリー・P・ホールの知に関する公演で総計6時間あります。
ブラザーマンリー・P・ホールの人生の本質的な意味についての模索という公演です。(12/2追記:削除しました。)
同じく、魔術に関する公演で、白魔術、黒魔術、灰色魔術(良い魔術、悪い魔術、どちらとも言えない魔術という意味だと思います。)という内容です。(12/2追記:削除しました。)
題名を翻訳すると錬金術の深奥、心持の変容でしょうか。(12/2追記:削除しました。)
見えざる世界への誘いといったところでしょうか。(12/2追記:削除しました。)
世界の法の統治、存在の天使でしょうか。カバラの生命の木が映っています。(12/2追記:削除しました。)
ブラザーマンリー・P・ホールの知に関する公演で総計6時間あります。
ブラザーマンリー・P・ホールの人生の本質的な意味についての模索という公演です。(12/2追記:削除しました。)
同じく、魔術に関する公演で、白魔術、黒魔術、灰色魔術(良い魔術、悪い魔術、どちらとも言えない魔術という意味だと思います。)という内容です。(12/2追記:削除しました。)
題名を翻訳すると錬金術の深奥、心持の変容でしょうか。(12/2追記:削除しました。)
見えざる世界への誘いといったところでしょうか。(12/2追記:削除しました。)
世界の法の統治、存在の天使でしょうか。カバラの生命の木が映っています。(12/2追記:削除しました。)
ブラザーマンリー・P・ホールによる禅と精神機械というところでしょうか。まさにロストシンボルの伏線であったわけですが、ほとんどの方は理解不能であったかと思います。(12/2追記:削除しました。)
ヘルメス主義、グノーシス主義、ネオプラトン主義、ヘルメス・トリスメギストスの教義です。ヘルメス・トリスメギストスは神秘主義の伝説的な錬金術師の名前で、トリスメギストスは三倍偉大という意味だそうです。東洋でいう老子に近いのでしょうか。(12/2追記:削除しました。)
自己分析における占星術の価値です。占いは全く役に立たないという事ではないという事でしょうか。(12/2追記:削除しました。)
因果応報に基づく釈迦の教えでしょうか。(12/2追記:削除しました。)
釈迦の母マハーマーヤについてです。キリスト教圏では聖母マリアの存在からどうしても仏教を考えた際に教祖である釈迦の母親の事が気になるのだと思います。
アメリカ先住民の神秘的生活でしょうか。アメリカ大陸の先人になるのでしょうね。(12/2追記:削除しました。)
古代世界の七不思議ですね。(12/2追記:削除しました。)
ヘルメス主義、グノーシス主義、ネオプラトン主義、ヘルメス・トリスメギストスの教義です。ヘルメス・トリスメギストスは神秘主義の伝説的な錬金術師の名前で、トリスメギストスは三倍偉大という意味だそうです。東洋でいう老子に近いのでしょうか。(12/2追記:削除しました。)
自己分析における占星術の価値です。占いは全く役に立たないという事ではないという事でしょうか。(12/2追記:削除しました。)
因果応報に基づく釈迦の教えでしょうか。(12/2追記:削除しました。)
釈迦の母マハーマーヤについてです。キリスト教圏では聖母マリアの存在からどうしても仏教を考えた際に教祖である釈迦の母親の事が気になるのだと思います。
アメリカ先住民の神秘的生活でしょうか。アメリカ大陸の先人になるのでしょうね。(12/2追記:削除しました。)
古代世界の七不思議ですね。(12/2追記:削除しました。)
Clausen's Commentaries on Morals and Dogmaというモラルアンドドグマに基づくスコティッシュライトの階級の解説の本の読み語りです。Phoenixmasonryに全文のテキストがあります。1969-1985Sovereign Grand Commander of the Scottish Rite's Southern Jurisdictionを務めた方でアメリカの最高裁判所の裁判官であったようです。真珠湾攻撃に関する調査をして著書があるようです。
スコティッシュライトに関する解説です。ブルーロッジの3階級に関する解説は無いようです。(12/2追記:削除しました。)
スコティッシュライトの歴史です。フリーメイスンリーでは歴史が常に非常に重要です。(12/2追記:削除しました。)
第4階級秘密の親方(11/25追記:削除しました。)
第5階級完壁な親方(11/25追記:削除しました。)
第6階級親密な秘書(11/12追記:削除しました。)
第7階級主監と判事(11/12追記:削除しました。)
スコティッシュライトに関する解説です。ブルーロッジの3階級に関する解説は無いようです。(12/2追記:削除しました。)
スコティッシュライトの歴史です。フリーメイスンリーでは歴史が常に非常に重要です。(12/2追記:削除しました。)
第4階級秘密の親方(11/25追記:削除しました。)
第5階級完壁な親方(11/25追記:削除しました。)
第6階級親密な秘書(11/12追記:削除しました。)
第7階級主監と判事(11/12追記:削除しました。)
第8階級建物の管理者(11/12追記:削除しました。)
第9階級選ばれた9人の親方(11/12追記:削除しました。)
第10階級選ばれた輝かしい15人(11/12追記:削除しました。)
第11階級選ばれた至高の12人またはアメス王子(11/12追記:削除しました。)
第12階級建築の大親方(11/12追記:削除しました。)
第13階級エノクまたはソロモンのロイヤル・アーチ(11/12追記:削除しました。)
第14階級完全なる被選抜者または完全にして崇高な石工(11/12追記:削除しました。)
第9階級選ばれた9人の親方(11/12追記:削除しました。)
第10階級選ばれた輝かしい15人(11/12追記:削除しました。)
第11階級選ばれた至高の12人またはアメス王子(11/12追記:削除しました。)
第12階級建築の大親方(11/12追記:削除しました。)
第13階級エノクまたはソロモンのロイヤル・アーチ(11/12追記:削除しました。)
第14階級完全なる被選抜者または完全にして崇高な石工(11/12追記:削除しました。)
第15階級東方または剣の騎士(11/12追記:削除しました。)
第16階級エルサレムの王子(11/12追記:削除しました。)
第17階級東西の騎士(11/12追記:削除しました。)
第18階級薔薇十字の騎士 ペリカンのシンボルは有名です。(12/2追記:削除しました。)
第19階級大司教(11/12追記:削除しました。)
第20階級全ての象徴的ロッジの大親方(11/12追記:削除しました。)
第21階級ノアの末裔またはプロイセンの騎士(11/12追記:削除しました。)
第16階級エルサレムの王子(11/12追記:削除しました。)
第17階級東西の騎士(11/12追記:削除しました。)
第18階級薔薇十字の騎士 ペリカンのシンボルは有名です。(12/2追記:削除しました。)
第19階級大司教(11/12追記:削除しました。)
第20階級全ての象徴的ロッジの大親方(11/12追記:削除しました。)
第21階級ノアの末裔またはプロイセンの騎士(11/12追記:削除しました。)
さて皆さん勉強は進んでいますでしょうか。YouTubeの再生リストは最大200曲の登録なので、スコティッシュライトの33階級の階級ごとの説明のシリーズでYouTubeのシリーズは終了です。
その後はアメリカの州章やユダヤ古代誌についてなど、また横須賀周辺でイベントがありましたらそれらを記事にします。ヘッダーで使用している夏休みのロンドン・パリ旅行の見聞録などは後々にそれぞれ分割して出していくつもりです。横須賀も京急が止まったりと色々あったようですが、ロストシンボルの映画化とか、EUのノーベル平和賞の受賞などフリーメイスンリー関連のビッグイベントも目白押しでそれぞれの話題について全て事細かに触れていくのはなかなか困難ですが、いずれにしても興味深い話題についてはいずれ触れていく事があるかと思います。またオバマ大統領が鎌倉を訪問した際の様子なども話題の大統領選とも関連して触れていくつもりです。
さてでは残りのYouTubeの動画についてです。
第22階級王者の斧の騎士またはレバノンの王子(11/12追記:削除しました。)
第23階級幕屋の長(11/12追記:削除しました。)
第24階級幕屋の王子(11/12追記:削除しました。)
第25階級青銅の蛇の騎士(11/12追記:削除しました。)
第26階級恩寵の王子またはスコットランドの三位一体(11/12追記:削除しました。)
第27階級殿堂の指揮官(11/12追記:削除しました。)
第28階級太陽の騎士または熟達した王子(11/12追記:削除しました。)
さてまあYouTubeの動画の内容についてはそれぞれ注意深くリスニングして意味を理解したり、Phoenixmasonryのテキストを参照して勉強していただければ良いかと思います。
ノーベル賞の話題について少し触れましたが、ES細胞関連の受賞がありましたが、フリーメイスンリーに直接関連するわけではありませんが、世界最初のクローン羊ドリーを作ったスコットランドのロスリン研究所のサー・イアン・ウイルムットの研究チームの中心メンバーであるキース・キャンベル教授が10月5日に58歳で亡くなったそうです。ロスリンと言えばもちろんロスリン礼拝堂で有名な場所です。なかなかES細胞技術やクローン技術はまさに科学の道徳性が問われる分野でもあり、技術の進歩と倫理的な問題の認識で乖離が認められるものとも思われ、ノーベル賞自体平和賞を目的として作られたという経緯もあるようで、一つのフリーメイスンリーのテーマ、Gのシンボルに象徴される信仰と合理性の一致というものであるかと思われます。
私も生物医学の分野で研究をしていた経験もあり、実はなかなかそれなりに貢献した自負もあるのですが、その中でもフリーメイスンリーのシンボルと関係すると思わざるを得ないのがなんといってもDNAの二重らせん構造でしょうか。対称性を持つ二本の連続性を持つらせん構造といい、4つの塩基A、G、C、Tのうち二つはGのシンボルと、タウ十字のシンボルとなり、またAもピラミッドに近いアルファオメガのシンボルであり、CもGと極めて近いシンボルの形となります。生物分野ではそれ以外にも名称や発見の経緯などフリーメイスンリーのシンボルにまつわる逸話がいくつもありそうです。
DNAの二重らせん構造の発見の逸話としては実際にらせん構造を証明するX線構造解析の画像を作ったのが若くして亡くなったロザリンド・フランクリンでしたが、彼女はイギリスのユダヤ人一族の出身でした。名前も上述のロスリンと似ているものと、高名なフリーメイスンのフランクリンと同一です。
DNAの塩基配列は生物の進化の歴史や現在の存在を説明する遺伝子の聖書の解読のようなものとも説明される事もあります。ワトソン・クリックのDNA構造の発見は良くセントラルドグマの発見とも表現されますが、それらはブラザーアルバート・パイクのモラルアンドドグマの表現とも一致します。古代から多くの人に読まれ、現代の科学の発展に寄与したともされる聖書の知恵を時には参考として、新たな生命科学の進歩が人類にもたらされる事を期待します。

ノーベル賞受賞直後のワトソン、クリックと高齢になった後の二人です。中央がロザリンド・フランクリンです。ブログヘッダーに利用しています。
(研究室の教授がある日部屋にユダヤの六芒星を飾ったり、フリーメイスンリーのシンボルを飾ったとしても温かく見守って下さい。)
その後はアメリカの州章やユダヤ古代誌についてなど、また横須賀周辺でイベントがありましたらそれらを記事にします。ヘッダーで使用している夏休みのロンドン・パリ旅行の見聞録などは後々にそれぞれ分割して出していくつもりです。横須賀も京急が止まったりと色々あったようですが、ロストシンボルの映画化とか、EUのノーベル平和賞の受賞などフリーメイスンリー関連のビッグイベントも目白押しでそれぞれの話題について全て事細かに触れていくのはなかなか困難ですが、いずれにしても興味深い話題についてはいずれ触れていく事があるかと思います。またオバマ大統領が鎌倉を訪問した際の様子なども話題の大統領選とも関連して触れていくつもりです。
さてでは残りのYouTubeの動画についてです。
第22階級王者の斧の騎士またはレバノンの王子(11/12追記:削除しました。)
第23階級幕屋の長(11/12追記:削除しました。)
第24階級幕屋の王子(11/12追記:削除しました。)
第25階級青銅の蛇の騎士(11/12追記:削除しました。)
第26階級恩寵の王子またはスコットランドの三位一体(11/12追記:削除しました。)
第27階級殿堂の指揮官(11/12追記:削除しました。)
第28階級太陽の騎士または熟達した王子(11/12追記:削除しました。)
さてまあYouTubeの動画の内容についてはそれぞれ注意深くリスニングして意味を理解したり、Phoenixmasonryのテキストを参照して勉強していただければ良いかと思います。
ノーベル賞の話題について少し触れましたが、ES細胞関連の受賞がありましたが、フリーメイスンリーに直接関連するわけではありませんが、世界最初のクローン羊ドリーを作ったスコットランドのロスリン研究所のサー・イアン・ウイルムットの研究チームの中心メンバーであるキース・キャンベル教授が10月5日に58歳で亡くなったそうです。ロスリンと言えばもちろんロスリン礼拝堂で有名な場所です。なかなかES細胞技術やクローン技術はまさに科学の道徳性が問われる分野でもあり、技術の進歩と倫理的な問題の認識で乖離が認められるものとも思われ、ノーベル賞自体平和賞を目的として作られたという経緯もあるようで、一つのフリーメイスンリーのテーマ、Gのシンボルに象徴される信仰と合理性の一致というものであるかと思われます。
私も生物医学の分野で研究をしていた経験もあり、実はなかなかそれなりに貢献した自負もあるのですが、その中でもフリーメイスンリーのシンボルと関係すると思わざるを得ないのがなんといってもDNAの二重らせん構造でしょうか。対称性を持つ二本の連続性を持つらせん構造といい、4つの塩基A、G、C、Tのうち二つはGのシンボルと、タウ十字のシンボルとなり、またAもピラミッドに近いアルファオメガのシンボルであり、CもGと極めて近いシンボルの形となります。生物分野ではそれ以外にも名称や発見の経緯などフリーメイスンリーのシンボルにまつわる逸話がいくつもありそうです。
DNAの二重らせん構造の発見の逸話としては実際にらせん構造を証明するX線構造解析の画像を作ったのが若くして亡くなったロザリンド・フランクリンでしたが、彼女はイギリスのユダヤ人一族の出身でした。名前も上述のロスリンと似ているものと、高名なフリーメイスンのフランクリンと同一です。
DNAの塩基配列は生物の進化の歴史や現在の存在を説明する遺伝子の聖書の解読のようなものとも説明される事もあります。ワトソン・クリックのDNA構造の発見は良くセントラルドグマの発見とも表現されますが、それらはブラザーアルバート・パイクのモラルアンドドグマの表現とも一致します。古代から多くの人に読まれ、現代の科学の発展に寄与したともされる聖書の知恵を時には参考として、新たな生命科学の進歩が人類にもたらされる事を期待します。

ノーベル賞受賞直後のワトソン、クリックと高齢になった後の二人です。中央がロザリンド・フランクリンです。ブログヘッダーに利用しています。
(研究室の教授がある日部屋にユダヤの六芒星を飾ったり、フリーメイスンリーのシンボルを飾ったとしても温かく見守って下さい。)
動画とヘッダーのランダム表示を取り入れた事で、だいぶ華やかな感じとなったこのブログですが、それらの内容についての解説と影響の程を考えるとなかなかそうもいっていられなさそうな状況のようです。
日々テレビやラジオ、新聞などがメディアとして情報を流していますが、個人がフリーメイスンリーという世界的組織の紹介をボランティアで可能な限り偏見を取り除き、可能な限りわかりやすく、可能な限り深い部分まで行うというのはかなり困難な作業と考えられました。が、まあ相当程度行えた事もあるかと思います。
ではまあ動画の解説を加えていくわけですが、やはり英語や多くの外国語に直接触れて、見聞を広めるという事がフリーメイスンリーの基本にもあるかと思いますので、インターネットや直接海外へ行ったり、そういう機会を増やして様々な文化と触れ合って見識を広める作業を日々行うようにしてください。英語の動画はテレビでCMしている怪しげな通信販売の英会話教材よりはるかにためになる内容と思います。
第29階級聖アンドリューのスコットランド大騎士、神戸ゴルフ倶楽部の紹介で触れたと思います。そのうちスコットランドに訪問する機会もあるかもしれません。(11/12追記:削除しました。)
第30階級カドシュの(聖なる)騎士(11/12追記:削除しました。)
第31階級大審問長官(11/12追記:削除しました。)
第32階級王者の秘密の至高の王子(12/2追記:削除しました。)
第33階級最高大総監についてはありません。著者Henry Christian Clausenの経歴についてです。主にフリーメイスンリーでの経歴のようです。英語版ウィキペディアで項目があります。(12/2追記:削除しました。)
ブラザーアルバート・パイクに扮した男性がミズーリ州ミネアポリスのスコティッシュライトロッジで恐らくブラザーアルバート・パイクがかつて演説した内容を語っているようです。
二分割の二つめです。(11/12追記:削除しました。)
日々テレビやラジオ、新聞などがメディアとして情報を流していますが、個人がフリーメイスンリーという世界的組織の紹介をボランティアで可能な限り偏見を取り除き、可能な限りわかりやすく、可能な限り深い部分まで行うというのはかなり困難な作業と考えられました。が、まあ相当程度行えた事もあるかと思います。
ではまあ動画の解説を加えていくわけですが、やはり英語や多くの外国語に直接触れて、見聞を広めるという事がフリーメイスンリーの基本にもあるかと思いますので、インターネットや直接海外へ行ったり、そういう機会を増やして様々な文化と触れ合って見識を広める作業を日々行うようにしてください。英語の動画はテレビでCMしている怪しげな通信販売の英会話教材よりはるかにためになる内容と思います。
第29階級聖アンドリューのスコットランド大騎士、神戸ゴルフ倶楽部の紹介で触れたと思います。そのうちスコットランドに訪問する機会もあるかもしれません。(11/12追記:削除しました。)
第30階級カドシュの(聖なる)騎士(11/12追記:削除しました。)
第31階級大審問長官(11/12追記:削除しました。)
第32階級王者の秘密の至高の王子(12/2追記:削除しました。)
第33階級最高大総監についてはありません。著者Henry Christian Clausenの経歴についてです。主にフリーメイスンリーでの経歴のようです。英語版ウィキペディアで項目があります。(12/2追記:削除しました。)
ブラザーアルバート・パイクに扮した男性がミズーリ州ミネアポリスのスコティッシュライトロッジで恐らくブラザーアルバート・パイクがかつて演説した内容を語っているようです。
二分割の二つめです。(11/12追記:削除しました。)
アメリカ国歌星条旗The Star-Spangled Bannerです。作詞作曲ともにフリーメイスンです。作曲がイギリス人のブラザージョン・スタフォード・スミス、作詞がブラザーフランシス・スコット・キーです。当初テンプル騎士団のナショナルジオグラフィックの4分割の2つ目の動画とブラザーなかにし礼の夜と朝の間にがありましたが、それらを削除してこちらを加えました。その後ブラザーサルバトール・ダリの特集の動画が消えましたので現在200動画です。この時のホイットニー・ヒューストンさんの洋服は右肩に白黒のチェッカー模様のシンボルが入っているようです。ホイットニーさんの名前は正式にはWhitney Elizabeth Houstonというそうで、ローマ字綴りで見るとホワイトハウスにエリザベス女王が挟まれる形の名前のようです。
日米海軍軍楽隊によるStars and Stripes Forever 星条旗よ永遠なれです。作曲者はフリーメイスンのブラザージョン・フィリップ・スーザです。
以上で200動画のYouTubeの動画リストは終了です。他にも個別にフリーメイスンリー関連の面白い動画や音楽がありましたらブログの内容で取り上げるかもしれません。動画リストの最大が200動画の設定なので脱落が無い限りしばらくはこのままかと思います。面白い動画や音楽がありましたら教えてください。
次からはいよいよロンドン・パリのフリーメイスンリー紀行、いわゆる観光旅行記です。
日米海軍軍楽隊によるStars and Stripes Forever 星条旗よ永遠なれです。作曲者はフリーメイスンのブラザージョン・フィリップ・スーザです。
以上で200動画のYouTubeの動画リストは終了です。他にも個別にフリーメイスンリー関連の面白い動画や音楽がありましたらブログの内容で取り上げるかもしれません。動画リストの最大が200動画の設定なので脱落が無い限りしばらくはこのままかと思います。面白い動画や音楽がありましたら教えてください。
次からはいよいよロンドン・パリのフリーメイスンリー紀行、いわゆる観光旅行記です。
さてさて実は去年ロンドン・パリに行こうと思っていたわけですが、なんともイングランド連合グランドロッジ(United Grand Lodge of England、UGLE)とフランス大東社(Grand Orient de France、GOF)はフランス革命後スコティッシュライトのブルーロッジへの管轄権を巡ってアメリカ国内で対立となり、フリーメイスンリー憲章で無神論者や共産主義者も加入を許した事によりお互いの認証を取り消すという歴史があるそうで、その影響というかなんというか、旅行の計画しているところでアキレス腱を切る怪我をしてしまい1年待ってのロンドン・パリ旅行という事になったわけです。その間Freemasons For Dummiesなどのホームページではフランス大東社とは異なるUGLE系のフランスのフランス国民グランドロッジGrande Loge Nationale Francaise(GLNF)が破産するなど色々あったようで、いずれかのロッジは失火で焼失するなどもあったようです。そんな事もアキレス腱を切って初めて色々知ったわけですが、まあいずれにしてもフランス自体一度も行った事が無く、イギリスですら20年以上前にわずか1週間程度滞在しただけのほぼ見知らぬ国であり、フリーメイスンリーの発祥の地であり、多くの現在の日本や自分の周囲の知恵を生み出した母国とも言える国であり、フリーメイスンリーについてさらに多くを学ぼうとするならば一度は訪れなければならない国と考え、一年待ってやっと取れた夏休みで憧れの地でありまた同時に未知の国である両国をフリーメイスンリーの視点から巡ってみようと考え、ロンドン・パリ周辺を結果としては単なる観光で巡ったわけです。
というわけで妙な前書きの旅行となるわけですが、まあ「フランス革命の省察」もまだ半分も読み終えていない状況であり、それでいながらも行きの飛行機でエコノミープラスがビジネスに格上げしてもらって、緊張して「ユダヤ古代誌」を必死に読んだりしながら行くという、まあどこからどう考えてもみょうちくりんな一人旅という、ワシントンD.C.の3.11前のスコティッシュライト、フリーメイスンリー巡りという旅と並んで、楽しみなのか勉強なのか仕事なのかという良くわからない貴重な体験でありました。
一応事前に世界の歩き方のガイドブックをアマゾンで買って一応読んでおくという事はしたのですが、なんせもう十分仕事をしている身である以上、英会話やフランス語会話など十分に勉強する暇などなく、またフリーメイスンリー関連ではeBayなどを通してロンドンのフリーメイスンリー関連の施設を巡るガイドブックなどを買いチラチラと目を通したりはしましたが、いかんせんそれほど一人旅に慣れているわけでもなくまた夏休みというよりも研修旅行に近いそういう自腹の旅行で一体全体自分にとって価値はあるのかという大問題もありながら、なんともフリーメイスンリーの魅力と、このブログも動機づけとなっているものかと思いますが、恐ろしく疲れて恐ろしく濃密な一週間を再び過ごすこととしたわけです。
まあワシントンD.C.に行った頃はまだフリーメイスンリーそのものに対する強烈な憧れや様々なロッジでの体験が強くあったころであり、その他それらに関する勉強もまだブログも始めていないころでありほとんど系統だっていなかったころであって、本当にフワフワした留学のようなものであった感じでした。それから横須賀に転居して色々と日米の文化対立、東西の日常的な接触を身近なものとする地で過ごして、まさにフリーメイスンリーが生活に溶け込んでフリーメイスンリーというものが頭で考えるものから体に染み込んでいくものであったかと思います。まあそこまで言うほどではないと思うのですが、いずれにしても勉強するとか仕事に行くとか遊びに行くとかそういうのをひっくるめて意味があるのかないのかともかくとしてロンドンとパリとその近くにいってやろうという、まさに未成熟な大人そのものの行動で旅行に出てこのブログで報告するという快挙に出たわけです。
「フリーメイスンとは旅人だ」とはあるフリーメイスンの言葉ですが、まあそういう事を言いながら遊び歩いてる人は何人もいて特にフリーメイスンリーとは関係ない学生や落ち着かない大人が多いわけですが、夏休みに一人で海外に行くなんて言うのは言うほど優雅なものではなく勉強してるとかなんか理由を付けて時間を無駄に過ごしてるのと同じようなものですが、かといってそれ以上に簡単な有益そうな時間の過ごし方というのもそう簡単にあるわけではなく、またインターネットや海外との物のやり取りも週単位で可能な時代ですので、実際には行ってわかる事とインターネットで調べてわかる事との差異がそれほどあるわけでもなく、本当は本でも読む方がよっぽどわかった気になるというか納得がいく事が多い、情報収集の手段としてはそれほど重要でもない方法が実際に現地に行くという方法である時代なのかもしれません。まあブラザージョセフ・キップリングではないですが、ユダヤの預言者よろしく、見たもの、聞いたものをそのまま伝えるメディアとしての役割は一つのフリーメイスンの課せられた使命とも言えますし、また実際にフリーメイスンリーについてまとまったブログという意味でこのブログの意味もあるものかと思いますので、長々と恥ずかしい内幕話を書きましたが、そういうわけでロンドン・パリに夏休みに一週間行ってきたのでワシントンD.C.・ニューヨーク編と同じかもしくはもう少しくだけた感じで写真とともに展開していきたいと思います。
まあ色々書かねばならない事と、書きたくはない事、どうせなら嘘でも付きたい事と色々あるわけですが、前回のワシントン編と出来るだけ同じ心持で書きすすめようと順を追って記憶をたどって書いていこうかと思います。前回ワシントン編は旅行後約1年半後に大地震や転勤転居、横須賀というフリーメイスンリーの影響が色濃い地でさらに今回のロンドン・パリ旅行を計画してアキレス腱を切るという挫折の中で様々な必要と必然に駆られて世に出した内容であり、今回はかなり夏休みに行ってみたいヨーロッパに行って浮かれた気分で旅行して見せびらかしたい気持ちのようなそういう心持ともいう状況であり、なかなか醸し出す空気は前回のものとは異なるかと思いますが、その心持と反比例するように旅行中の現地での天気は主に雨か曇りであり、なかなかフリーメイスンの仕事というか楽しみというのも複雑なような単純なような、まあ良く言うように余暇の楽しみなのだなという理解なのかと思います。
あまり前書きが長くなると不評と思いますので前回と同じく旅行前の日本の光景から流れていく事になります。前回はユナイテッドエアラインのエコノミークラス(プラスでもない)で、CEOになりたいらしいベトナム人の隣という設定であったわけですが、今回は羽田空港発着のブリティッシュエアウェイズで、エコノミープラスから事前にビジネスクラスに格上げされ、まあアキレス腱を切ったのでその時にキャンセル料でその分くらい取られたわけですが、そういう行きになって12時間の長旅で欧州の正反対の時差もありすっかり時差ぼけになるという、まさにイニシエーションの状態でありました。
さてまあ色々詰め込み過ぎると反響も大きくなりすぎ色々な混乱を巻き起こしかねませんのでこの辺りから通常の写真ブログの流れとなって行こうかと思います。




早朝5時の羽田空港、東京国際空港の様子ですね。いやあ驚きました。日本人がこれだけベンチで横になってるところもここ位でしょうか。いきなり写真でパチパチ撮ったので帰ってきたら警備員に排除されちゃったみたいでした。まあ現在どうなっているかは知りません。HISが若者の強行旅行をせっせと促した結果かもしれません。行きの空港でこの状態だと現地でどうかはまあ大概想像がつきます。空港の作り自体も色々と改善の余地があるのかもしれません。いずれにしても羽田空港は成田空港よりはるかに便利ですが、海外に行く事でもないと成田に行く事が無いのもまた当然です。なんともこういうのはフリーメイスンリーが足りないんだなとか今の私は思ってしまいます。どっちがいいとも言えませんが、こういうのはまさに日本的なんだと思いました。24時間営業の店もほとんど実際には営業していなかったりと、なんだか海外の悪いところと日本の悪いところを折衷したような、まさに横須賀で慣れている日本と海外が接する地域といった感じでしょうか。女性連れが多いですね。海外旅行の内容の傾向も相当変化しているのではないでしょうか。(追記:羽田空港のコンビニはなぜか中国人の従業員でした。あれも何なんでしょうか。全体になんだかこなれていない変な感じでした。早く全体的に落ち着いた感じになってほしいものです。ブリティッシュエアウェイズの羽田発ロンドン直行便というのは売りたい路線という感じでした。)

これはみっともない私の姿が大分入り込んでいますが、待合ロビーであったブランドショップのショーウィンドウにAll Seeing Eyeの形が相当わずかに置いてあったからです。わかりづらい写真ですね。しかし変なところで写真を撮っていてああそういう人なんだとわかる人以外は変だなと思うだけでしょうか。

これはビジネスクラスの写真ですね。足が伸ばせるようにできているのですが、こっちは当然12時間くらい座っているつもりでしたから完全に調子がおかしくなって周りが全員時差を考えて必死で寝ている中で、必死で「ユダヤ古代誌」を読んでしまいました。ヘロデ大王が息子達の謀反を疑ってカエサルの前で弁明させるというところまで読んでいました。途中ブラックアンドホワイトといういかにもな邦題が付けられたCIAを舞台としたコメディを見てしまいました。前回の旧約聖書を必死で読みながら行ったアメリカ旅行とはずいぶん異なります。まあビジネスクラスでどんな良い食事が来るのかと思いましたがそれほど良くはありません。後はまあ相変わらずのエコノミーと同じ変な競い合いとキャビンアテンダントの仕事の憂さ晴らしや暇つぶしが色々とあり、それほど素晴らしく快適というほどではありません。どっちにしろ慣れている方が楽だというのが実際かと思います。羽田発という事もあってか必ず行きも帰りもおしぼりサービスがありました。好評なのか良くわかりませんが、無いよりはあったほうがいいという事なのかもしれません。ビジネスクラスで一番ありがたかったのは歯ブラシがポシェットに入っていて、ホテルにあるものと思っていて一切なかったので歯ブラシが使えた事でしょうか。そこまで計算されていたのかもしれません。飛行機はやはりiPhoneで自分の好きな音楽を聴くのと、BoseのQuietComfortなのでしょうかね。バージョンが15まで行っていると知って時代の流れを感じました。空港の中の免税店でヘッドフォンを買おうかと思いましたが足元見られて高かったので付属のものを使いましたね。まあそういう要求が一番高くて誰もがBoseに流れるようです。なんともかんとも。いわゆる旅慣れた優秀なビジネスマンが常に海外を移動するという時代ではないようですので、旅慣れている様子というのも浮浪者のようでどうかという時代のようです。
まあそんなわけで徹夜で勉強したような形で午前中のロンドンヒースローに到着します。20年前の経験でホントに気持ちが落ち込む黒い空を想像しているわけですが、完全に想像を裏切られ雲ひとつない快晴です。(雲はありますね。)

まあ大歓迎の意図なんだろうなとは解釈しますが、とりあえず20年前に感じたイギリスの空気の匂いが同じだと感じて同じ土地に降りたと感じます。ワシントンD.C.のように降り立つといかにもフリーメイスンリーの土地という感じはありませんが、以前よりかなり新しくきれいになっていてとにかく世界中から来る人に対応できるように便利に簡潔に簡単になっていて、汚いとか不便とか対応が悪いとかそういう事は一切ない簡潔さと簡便さ、なんというかアメリカ的な影響を感じるそういう感じでした。事前に日本のテレビで聞いていたようなオリンピック後に日本人の入国手続きが特別で待たせなくなるというような特別待遇は一切なく普通に10分くらい待っての入国手続きで、いかにも決まっているようにターバンを巻いたインド人と思われる男性の入管で余計な話は一切なくコンピューターが止まるような事もありませんでした。

まあウッディ・アレンの「マッチポイント」の世界ではありませんが、情報化社会の頂点に位置する欧州英国の貴族的対応という感じでしょうか。

こちらはまた映り込んでいますが地下鉄の中ですね。まあこちらもヒースローから20年前に泊まったのと同じラッセルホテルのあるラッセルスクエアまで地下鉄ピカデリー線一本で35分くらいなんですが、その間どれだけ携帯電話、ほとんどスマートフォンですが、それで喋る主におばちゃんの多い事。どこ行ってもこればっかりです。まあiPhoneが無いとまともに海外を歩けないのも現実なのですが。地下鉄の中ですぐに現地の電波から海外ローミング設定が要求されます。20年前に来た時は黒人が多くてびっくりしましたが、今回はインド人が多くてびっくりという感じです。景気の影響もあるのでしょうがほとんどの人が良い恰好をして裕福そうでロンドンには物乞いはほとんどいませんでした。いても白人のちょっと変わったおじさんという感じで、ほとんどの有色人種は忙しそうに働いていて、白人はビジネスの話というよりも生活の話をやたら喋りまくっている感じでしょうか。もちろん地下鉄も20年前とは全く異なっていて、日本人の一人旅という事でじろじろ見られる事もありませんし、座席は非常にきれいになっていますし、赤青白の三色で極めて美しくシンボルカラーを強調しています。地下鉄はUndergroundでそれもまたフリーメイスンリーを象徴しているものかと思います。ロンドンに入るといわゆる海外旅行客やいかにも大学生という人以外は黒い服を着た人、要するにフリーメイスンだと思いますがそういうファッションが非常に多いです。ユダヤ人も一回だけ近くになりましたがiPodで音楽を聴いていて、じろじろ興味深く見たら間に白人が入ってきました。まあそんな感じみたいです。

地下鉄ラッセルスクエア駅は後々出ますがフリーメイスンホールのあるホルボーン駅の一つ先で、基本的にエレベーターでの上下動になります。途中ホルボーン駅の床の白黒パターンでロンドン地下鉄のフリーメイスンリーっぷりに時差ぼけながらも感動します。ロンドン地下鉄の移動は海外旅行客は基本一日その路線乗り放題のチケットを買う事になるかと思いますが、明らかにJRのSuicaと同じOysterが安価であり、ワシントンD.C.と比べて観光客対象に高い移動賃を取るシステムになっているようでした。それだけ海外旅行客が多く、定住者を優遇するシステムを取る傾向となっているのかと思いました。ラッセルスクエア駅を出るとちょうど昼ごろですがあまりの天気と、自由に借りる事が出来る自転車が置いてあったり、近代的なマンションが出来ていたりと、ビジネスクラスの格上げから始まる連続的な変化に旅というよりビジネスの雰囲気が濃厚となり完全に睡眠モードです。とりあえず駅からすぐのホテルまでの間に以前は無かったコンビニがある事を確認してホテルに到着です。


こんなに人がいたかなあとか、こんなに街がきれいだったかなあとか色々ボケた頭で考えながらホテルに着くとその当時の印象より普通のホテルでそれほど豪華ではないのがどうも色々年を取ったせいか、フリーメイスンリーの影響かどっちだろうと考えてしまいました。

入るとすぐにこれがあって、ああこんなだったけかと、やっぱりそうかフリーメイスンリーだったかと思います。これが日本ならロータリークラブですがロンドンではもちろんフリーメイスンです。12星座を書いているのですね。横須賀でいうとメルキューレホテルでしょうか。良かった良かったとこの20年間が報われたと、まあそれほどではありませんがそれがフリーメイスンリーというものです。
ラッセルホテルは歴史や詳しい事は知りませんが、場所はラッセルスクエアのすぐ横で大英博物館の反対側にあり、また小泉純一郎氏の留学でも有名なロンドン大学の反対側でもあります。地元の評価はどうか知りませんが良いところだと思います。よっぽど良い部屋に通されるかなと思ったら普通に三階の八号室でそのまんまフリーメイスンリーだなと思い、特に景色が良い事も無く広くもなくビジネスホテルのようでした。
ベッドは非常に快適で眠っている間に色々やられちゃったんじゃないかと思いましたが、そういうものは特になかったようです。部屋にある額は下のもので、ちょうどヨーロッパのオランダのブラザーと色々金銭を絡めたやり取りをしていたのでその絡みだなと想像しました。

まあワシントンと同じく歓迎してくれているのだなと。なかなかヨーロッパはアメリカとは違うなという感じでしょうか。また20年前の印象とも違う感じでしょうか。20年前は最初に車で一周して銅像ばかりを見て圧倒された印象でした。でまあ時差ぼけと緊張で疲れ切ってしまって、予想外の快晴であっても恐らく予想通りの睡魔に襲われそのまま昼食も食べずに寝込んでしまいます。夕方腹が減って起き出すというしょうもない豪華旅行です。客室が広く迷ってしまって、その中で撮った写真が下の一枚です。ロンドンシティーの象徴のドラゴンだと思います。結構空室が多い感じでしたが、その後はホテルのホールで会合などもやっていて最終日にかけて人が増えていく感じでした。なんか出来過ぎな位展開が準備されてる感じでしょうか。まあ日本人には来やすいホテルなんだと思います。

でさすがに夕食は食べようと近所のコンビニを確認しに行きます。

ホテルの明日の朝食の場所も確認すると20年前は広いホールだったと思いますが、奥の普通のレストランのスペースの方で、案の定店のシンボルもフリーメイスンリーのシンボルの砂時計です。やはりそうか、その当時感じたこのホテルのあのイメージはやはりそういうものであったかと思いつつ、やる事は日本と同じコンビニでの買い出しです。


とりあえず時差ぼけ解消にラッセルスクエアを一周したのですかね。とにかく良くできた公園です。以前は恐れ多くて天気も暗くて道はゴミが落ちていて重い気持ちになったものでしたが、道は非常にきれいになっていてほとんどゴミが落ちておらず、天気はやたら快晴の後ですからむしろ乾き気味で、なんだかというかアメリカに近くなった印象でしょうか。



コンビニも街の様子もどうもワシントンD.C.が印象は一番良いようです。
ロンドンのコンビニは品ぞろえも豊富でロンドンのかつての印象からはかけ離れた生鮮食品や飲料の豊富さと安さですが、やはり利用者も従業員も有色人種に偏っているようでした。寿司が売っていたのでかなり拍子抜けの感じでしたが、それなら日本茶も置いてほしいと思う感じでした。(追記:寿司は米が若干固く作ってるピラフの系統です。いわゆる寿司とは違うものと考えてください。それはしょうがありません。)あとはパック入りの果物やこの時はイチゴが2ポンドかなんかで売っていて、普通においしくて安かったです。なぜかコンビニには野菜や果物が大量に売っているんですが、レストランの料理にはあまり新鮮野菜や果物は無いんですよね。あれは何なんでしょう。
この時は日本でポンドへの換金を忘れていて、ユーロしか持っておらずクレジットカード利用でした。10ポンド以下は受け付けないとかいうのがあったりしますが、基本的に固定の店であれば大体クレジットカードは使えました。機械が読み取れないとかいうのもあったりしますがコンビニは大丈夫です。
まあなかなか海外初日はペースの立て直しが難しいですね。コンビニはロンドンで日本人が生きるための生命線になりそうなのでとりあえず店員さんに日本からきてあそこのホテルに泊まってるからよろしくみたいな感じにします。
あとはこの後はフロントで勧められた部屋でのインターネットの接続を試みますが、どうも持ちこんだパナソニックのパソコンが完全にイカレてしまい接続料だけ払う結果となりました。iPhoneだけだとこの後も何度も同じ事がありますが、250Vだとすぐに電池が切れてくる傾向があり、写真をたくさんとると途中で切れてくるようになり、やはり部屋ではパソコンでのインターネット接続があったほうが良いようでした。美術館などの情報もやはりパソコンがあったほうが良かったでしょうか。まあもちろんそのパナソニックのパソコンはかつて郵政選挙の前後に致命的なクラッシュをした以外にあまり壊れた事はありません。
一体何のブログなんでしょうか。
というわけで妙な前書きの旅行となるわけですが、まあ「フランス革命の省察」もまだ半分も読み終えていない状況であり、それでいながらも行きの飛行機でエコノミープラスがビジネスに格上げしてもらって、緊張して「ユダヤ古代誌」を必死に読んだりしながら行くという、まあどこからどう考えてもみょうちくりんな一人旅という、ワシントンD.C.の3.11前のスコティッシュライト、フリーメイスンリー巡りという旅と並んで、楽しみなのか勉強なのか仕事なのかという良くわからない貴重な体験でありました。
一応事前に世界の歩き方のガイドブックをアマゾンで買って一応読んでおくという事はしたのですが、なんせもう十分仕事をしている身である以上、英会話やフランス語会話など十分に勉強する暇などなく、またフリーメイスンリー関連ではeBayなどを通してロンドンのフリーメイスンリー関連の施設を巡るガイドブックなどを買いチラチラと目を通したりはしましたが、いかんせんそれほど一人旅に慣れているわけでもなくまた夏休みというよりも研修旅行に近いそういう自腹の旅行で一体全体自分にとって価値はあるのかという大問題もありながら、なんともフリーメイスンリーの魅力と、このブログも動機づけとなっているものかと思いますが、恐ろしく疲れて恐ろしく濃密な一週間を再び過ごすこととしたわけです。
まあワシントンD.C.に行った頃はまだフリーメイスンリーそのものに対する強烈な憧れや様々なロッジでの体験が強くあったころであり、その他それらに関する勉強もまだブログも始めていないころでありほとんど系統だっていなかったころであって、本当にフワフワした留学のようなものであった感じでした。それから横須賀に転居して色々と日米の文化対立、東西の日常的な接触を身近なものとする地で過ごして、まさにフリーメイスンリーが生活に溶け込んでフリーメイスンリーというものが頭で考えるものから体に染み込んでいくものであったかと思います。まあそこまで言うほどではないと思うのですが、いずれにしても勉強するとか仕事に行くとか遊びに行くとかそういうのをひっくるめて意味があるのかないのかともかくとしてロンドンとパリとその近くにいってやろうという、まさに未成熟な大人そのものの行動で旅行に出てこのブログで報告するという快挙に出たわけです。
「フリーメイスンとは旅人だ」とはあるフリーメイスンの言葉ですが、まあそういう事を言いながら遊び歩いてる人は何人もいて特にフリーメイスンリーとは関係ない学生や落ち着かない大人が多いわけですが、夏休みに一人で海外に行くなんて言うのは言うほど優雅なものではなく勉強してるとかなんか理由を付けて時間を無駄に過ごしてるのと同じようなものですが、かといってそれ以上に簡単な有益そうな時間の過ごし方というのもそう簡単にあるわけではなく、またインターネットや海外との物のやり取りも週単位で可能な時代ですので、実際には行ってわかる事とインターネットで調べてわかる事との差異がそれほどあるわけでもなく、本当は本でも読む方がよっぽどわかった気になるというか納得がいく事が多い、情報収集の手段としてはそれほど重要でもない方法が実際に現地に行くという方法である時代なのかもしれません。まあブラザージョセフ・キップリングではないですが、ユダヤの預言者よろしく、見たもの、聞いたものをそのまま伝えるメディアとしての役割は一つのフリーメイスンの課せられた使命とも言えますし、また実際にフリーメイスンリーについてまとまったブログという意味でこのブログの意味もあるものかと思いますので、長々と恥ずかしい内幕話を書きましたが、そういうわけでロンドン・パリに夏休みに一週間行ってきたのでワシントンD.C.・ニューヨーク編と同じかもしくはもう少しくだけた感じで写真とともに展開していきたいと思います。
まあ色々書かねばならない事と、書きたくはない事、どうせなら嘘でも付きたい事と色々あるわけですが、前回のワシントン編と出来るだけ同じ心持で書きすすめようと順を追って記憶をたどって書いていこうかと思います。前回ワシントン編は旅行後約1年半後に大地震や転勤転居、横須賀というフリーメイスンリーの影響が色濃い地でさらに今回のロンドン・パリ旅行を計画してアキレス腱を切るという挫折の中で様々な必要と必然に駆られて世に出した内容であり、今回はかなり夏休みに行ってみたいヨーロッパに行って浮かれた気分で旅行して見せびらかしたい気持ちのようなそういう心持ともいう状況であり、なかなか醸し出す空気は前回のものとは異なるかと思いますが、その心持と反比例するように旅行中の現地での天気は主に雨か曇りであり、なかなかフリーメイスンの仕事というか楽しみというのも複雑なような単純なような、まあ良く言うように余暇の楽しみなのだなという理解なのかと思います。
あまり前書きが長くなると不評と思いますので前回と同じく旅行前の日本の光景から流れていく事になります。前回はユナイテッドエアラインのエコノミークラス(プラスでもない)で、CEOになりたいらしいベトナム人の隣という設定であったわけですが、今回は羽田空港発着のブリティッシュエアウェイズで、エコノミープラスから事前にビジネスクラスに格上げされ、まあアキレス腱を切ったのでその時にキャンセル料でその分くらい取られたわけですが、そういう行きになって12時間の長旅で欧州の正反対の時差もありすっかり時差ぼけになるという、まさにイニシエーションの状態でありました。
さてまあ色々詰め込み過ぎると反響も大きくなりすぎ色々な混乱を巻き起こしかねませんのでこの辺りから通常の写真ブログの流れとなって行こうかと思います。




早朝5時の羽田空港、東京国際空港の様子ですね。いやあ驚きました。日本人がこれだけベンチで横になってるところもここ位でしょうか。いきなり写真でパチパチ撮ったので帰ってきたら警備員に排除されちゃったみたいでした。まあ現在どうなっているかは知りません。HISが若者の強行旅行をせっせと促した結果かもしれません。行きの空港でこの状態だと現地でどうかはまあ大概想像がつきます。空港の作り自体も色々と改善の余地があるのかもしれません。いずれにしても羽田空港は成田空港よりはるかに便利ですが、海外に行く事でもないと成田に行く事が無いのもまた当然です。なんともこういうのはフリーメイスンリーが足りないんだなとか今の私は思ってしまいます。どっちがいいとも言えませんが、こういうのはまさに日本的なんだと思いました。24時間営業の店もほとんど実際には営業していなかったりと、なんだか海外の悪いところと日本の悪いところを折衷したような、まさに横須賀で慣れている日本と海外が接する地域といった感じでしょうか。女性連れが多いですね。海外旅行の内容の傾向も相当変化しているのではないでしょうか。(追記:羽田空港のコンビニはなぜか中国人の従業員でした。あれも何なんでしょうか。全体になんだかこなれていない変な感じでした。早く全体的に落ち着いた感じになってほしいものです。ブリティッシュエアウェイズの羽田発ロンドン直行便というのは売りたい路線という感じでした。)

これはみっともない私の姿が大分入り込んでいますが、待合ロビーであったブランドショップのショーウィンドウにAll Seeing Eyeの形が相当わずかに置いてあったからです。わかりづらい写真ですね。しかし変なところで写真を撮っていてああそういう人なんだとわかる人以外は変だなと思うだけでしょうか。

これはビジネスクラスの写真ですね。足が伸ばせるようにできているのですが、こっちは当然12時間くらい座っているつもりでしたから完全に調子がおかしくなって周りが全員時差を考えて必死で寝ている中で、必死で「ユダヤ古代誌」を読んでしまいました。ヘロデ大王が息子達の謀反を疑ってカエサルの前で弁明させるというところまで読んでいました。途中ブラックアンドホワイトといういかにもな邦題が付けられたCIAを舞台としたコメディを見てしまいました。前回の旧約聖書を必死で読みながら行ったアメリカ旅行とはずいぶん異なります。まあビジネスクラスでどんな良い食事が来るのかと思いましたがそれほど良くはありません。後はまあ相変わらずのエコノミーと同じ変な競い合いとキャビンアテンダントの仕事の憂さ晴らしや暇つぶしが色々とあり、それほど素晴らしく快適というほどではありません。どっちにしろ慣れている方が楽だというのが実際かと思います。羽田発という事もあってか必ず行きも帰りもおしぼりサービスがありました。好評なのか良くわかりませんが、無いよりはあったほうがいいという事なのかもしれません。ビジネスクラスで一番ありがたかったのは歯ブラシがポシェットに入っていて、ホテルにあるものと思っていて一切なかったので歯ブラシが使えた事でしょうか。そこまで計算されていたのかもしれません。飛行機はやはりiPhoneで自分の好きな音楽を聴くのと、BoseのQuietComfortなのでしょうかね。バージョンが15まで行っていると知って時代の流れを感じました。空港の中の免税店でヘッドフォンを買おうかと思いましたが足元見られて高かったので付属のものを使いましたね。まあそういう要求が一番高くて誰もがBoseに流れるようです。なんともかんとも。いわゆる旅慣れた優秀なビジネスマンが常に海外を移動するという時代ではないようですので、旅慣れている様子というのも浮浪者のようでどうかという時代のようです。
まあそんなわけで徹夜で勉強したような形で午前中のロンドンヒースローに到着します。20年前の経験でホントに気持ちが落ち込む黒い空を想像しているわけですが、完全に想像を裏切られ雲ひとつない快晴です。(雲はありますね。)

まあ大歓迎の意図なんだろうなとは解釈しますが、とりあえず20年前に感じたイギリスの空気の匂いが同じだと感じて同じ土地に降りたと感じます。ワシントンD.C.のように降り立つといかにもフリーメイスンリーの土地という感じはありませんが、以前よりかなり新しくきれいになっていてとにかく世界中から来る人に対応できるように便利に簡潔に簡単になっていて、汚いとか不便とか対応が悪いとかそういう事は一切ない簡潔さと簡便さ、なんというかアメリカ的な影響を感じるそういう感じでした。事前に日本のテレビで聞いていたようなオリンピック後に日本人の入国手続きが特別で待たせなくなるというような特別待遇は一切なく普通に10分くらい待っての入国手続きで、いかにも決まっているようにターバンを巻いたインド人と思われる男性の入管で余計な話は一切なくコンピューターが止まるような事もありませんでした。

まあウッディ・アレンの「マッチポイント」の世界ではありませんが、情報化社会の頂点に位置する欧州英国の貴族的対応という感じでしょうか。

こちらはまた映り込んでいますが地下鉄の中ですね。まあこちらもヒースローから20年前に泊まったのと同じラッセルホテルのあるラッセルスクエアまで地下鉄ピカデリー線一本で35分くらいなんですが、その間どれだけ携帯電話、ほとんどスマートフォンですが、それで喋る主におばちゃんの多い事。どこ行ってもこればっかりです。まあiPhoneが無いとまともに海外を歩けないのも現実なのですが。地下鉄の中ですぐに現地の電波から海外ローミング設定が要求されます。20年前に来た時は黒人が多くてびっくりしましたが、今回はインド人が多くてびっくりという感じです。景気の影響もあるのでしょうがほとんどの人が良い恰好をして裕福そうでロンドンには物乞いはほとんどいませんでした。いても白人のちょっと変わったおじさんという感じで、ほとんどの有色人種は忙しそうに働いていて、白人はビジネスの話というよりも生活の話をやたら喋りまくっている感じでしょうか。もちろん地下鉄も20年前とは全く異なっていて、日本人の一人旅という事でじろじろ見られる事もありませんし、座席は非常にきれいになっていますし、赤青白の三色で極めて美しくシンボルカラーを強調しています。地下鉄はUndergroundでそれもまたフリーメイスンリーを象徴しているものかと思います。ロンドンに入るといわゆる海外旅行客やいかにも大学生という人以外は黒い服を着た人、要するにフリーメイスンだと思いますがそういうファッションが非常に多いです。ユダヤ人も一回だけ近くになりましたがiPodで音楽を聴いていて、じろじろ興味深く見たら間に白人が入ってきました。まあそんな感じみたいです。

地下鉄ラッセルスクエア駅は後々出ますがフリーメイスンホールのあるホルボーン駅の一つ先で、基本的にエレベーターでの上下動になります。途中ホルボーン駅の床の白黒パターンでロンドン地下鉄のフリーメイスンリーっぷりに時差ぼけながらも感動します。ロンドン地下鉄の移動は海外旅行客は基本一日その路線乗り放題のチケットを買う事になるかと思いますが、明らかにJRのSuicaと同じOysterが安価であり、ワシントンD.C.と比べて観光客対象に高い移動賃を取るシステムになっているようでした。それだけ海外旅行客が多く、定住者を優遇するシステムを取る傾向となっているのかと思いました。ラッセルスクエア駅を出るとちょうど昼ごろですがあまりの天気と、自由に借りる事が出来る自転車が置いてあったり、近代的なマンションが出来ていたりと、ビジネスクラスの格上げから始まる連続的な変化に旅というよりビジネスの雰囲気が濃厚となり完全に睡眠モードです。とりあえず駅からすぐのホテルまでの間に以前は無かったコンビニがある事を確認してホテルに到着です。


こんなに人がいたかなあとか、こんなに街がきれいだったかなあとか色々ボケた頭で考えながらホテルに着くとその当時の印象より普通のホテルでそれほど豪華ではないのがどうも色々年を取ったせいか、フリーメイスンリーの影響かどっちだろうと考えてしまいました。

入るとすぐにこれがあって、ああこんなだったけかと、やっぱりそうかフリーメイスンリーだったかと思います。これが日本ならロータリークラブですがロンドンではもちろんフリーメイスンです。12星座を書いているのですね。横須賀でいうとメルキューレホテルでしょうか。良かった良かったとこの20年間が報われたと、まあそれほどではありませんがそれがフリーメイスンリーというものです。
ラッセルホテルは歴史や詳しい事は知りませんが、場所はラッセルスクエアのすぐ横で大英博物館の反対側にあり、また小泉純一郎氏の留学でも有名なロンドン大学の反対側でもあります。地元の評価はどうか知りませんが良いところだと思います。よっぽど良い部屋に通されるかなと思ったら普通に三階の八号室でそのまんまフリーメイスンリーだなと思い、特に景色が良い事も無く広くもなくビジネスホテルのようでした。
ベッドは非常に快適で眠っている間に色々やられちゃったんじゃないかと思いましたが、そういうものは特になかったようです。部屋にある額は下のもので、ちょうどヨーロッパのオランダのブラザーと色々金銭を絡めたやり取りをしていたのでその絡みだなと想像しました。

まあワシントンと同じく歓迎してくれているのだなと。なかなかヨーロッパはアメリカとは違うなという感じでしょうか。また20年前の印象とも違う感じでしょうか。20年前は最初に車で一周して銅像ばかりを見て圧倒された印象でした。でまあ時差ぼけと緊張で疲れ切ってしまって、予想外の快晴であっても恐らく予想通りの睡魔に襲われそのまま昼食も食べずに寝込んでしまいます。夕方腹が減って起き出すというしょうもない豪華旅行です。客室が広く迷ってしまって、その中で撮った写真が下の一枚です。ロンドンシティーの象徴のドラゴンだと思います。結構空室が多い感じでしたが、その後はホテルのホールで会合などもやっていて最終日にかけて人が増えていく感じでした。なんか出来過ぎな位展開が準備されてる感じでしょうか。まあ日本人には来やすいホテルなんだと思います。

でさすがに夕食は食べようと近所のコンビニを確認しに行きます。

ホテルの明日の朝食の場所も確認すると20年前は広いホールだったと思いますが、奥の普通のレストランのスペースの方で、案の定店のシンボルもフリーメイスンリーのシンボルの砂時計です。やはりそうか、その当時感じたこのホテルのあのイメージはやはりそういうものであったかと思いつつ、やる事は日本と同じコンビニでの買い出しです。


とりあえず時差ぼけ解消にラッセルスクエアを一周したのですかね。とにかく良くできた公園です。以前は恐れ多くて天気も暗くて道はゴミが落ちていて重い気持ちになったものでしたが、道は非常にきれいになっていてほとんどゴミが落ちておらず、天気はやたら快晴の後ですからむしろ乾き気味で、なんだかというかアメリカに近くなった印象でしょうか。



コンビニも街の様子もどうもワシントンD.C.が印象は一番良いようです。
ロンドンのコンビニは品ぞろえも豊富でロンドンのかつての印象からはかけ離れた生鮮食品や飲料の豊富さと安さですが、やはり利用者も従業員も有色人種に偏っているようでした。寿司が売っていたのでかなり拍子抜けの感じでしたが、それなら日本茶も置いてほしいと思う感じでした。(追記:寿司は米が若干固く作ってるピラフの系統です。いわゆる寿司とは違うものと考えてください。それはしょうがありません。)あとはパック入りの果物やこの時はイチゴが2ポンドかなんかで売っていて、普通においしくて安かったです。なぜかコンビニには野菜や果物が大量に売っているんですが、レストランの料理にはあまり新鮮野菜や果物は無いんですよね。あれは何なんでしょう。
この時は日本でポンドへの換金を忘れていて、ユーロしか持っておらずクレジットカード利用でした。10ポンド以下は受け付けないとかいうのがあったりしますが、基本的に固定の店であれば大体クレジットカードは使えました。機械が読み取れないとかいうのもあったりしますがコンビニは大丈夫です。
まあなかなか海外初日はペースの立て直しが難しいですね。コンビニはロンドンで日本人が生きるための生命線になりそうなのでとりあえず店員さんに日本からきてあそこのホテルに泊まってるからよろしくみたいな感じにします。
あとはこの後はフロントで勧められた部屋でのインターネットの接続を試みますが、どうも持ちこんだパナソニックのパソコンが完全にイカレてしまい接続料だけ払う結果となりました。iPhoneだけだとこの後も何度も同じ事がありますが、250Vだとすぐに電池が切れてくる傾向があり、写真をたくさんとると途中で切れてくるようになり、やはり部屋ではパソコンでのインターネット接続があったほうが良いようでした。美術館などの情報もやはりパソコンがあったほうが良かったでしょうか。まあもちろんそのパナソニックのパソコンはかつて郵政選挙の前後に致命的なクラッシュをした以外にあまり壊れた事はありません。
一体何のブログなんでしょうか。

二日目の朝です。砂時計の形のTempusというレストランの様子です。いわゆるイングリッシュブレックファーストのビュッフェ形式のものです。今は世界中同じ形式のようです。ここは20年前はお粥とクロワッサンの二択だったのですが、現在は最初にコーヒーと紅茶を聞かれるだけで、後は何でもおいしかったです。コーヒーか紅茶かの選択はしつこく聞かれましたがどっちでも良いと言って、お茶かと思ってアップルジュースを入れてしまったら結構それがおいしかったりしました。ベーコンもソーセージも全然塩辛くなく、紅茶は全然ニシンの臭いがしなくて残念なような当然のような気持ちでした。紅茶に関しては相当意識改革があるようです。以前はアールグレイの臭いで一日終わってしまうような感じでしたが、現在は日本で高級なアールグレイを買う方が匂いがきついのではないでしょうか。グリーンティーも売っていたりします。フルーツはあるのですが、サラダは無く、その辺はまだやっぱりそうかという感じではありましたが、目玉焼きが普通においしい卵であったり、見た目がおぞましい感じの真っ黒の血詰めの大きなソーセージの輪切りのスコットランドのハギスが一番おいしかったりしました。(追記:ハギスではなくブラッドソーセージのブラックプディングというもののようです。ハギスはソーセージというよりは中身だけのようです。)フレークも普通においしかったし、牛乳も日本のものと変わらなかったです。本当に難点はサラダが無いというところだけでしたが、焼きトマトは非常においしかったです。フルーツはやっぱりアメリカや東南アジアの方が良いと思います。
まあホテルの朝食にそれほど細かく難癖を付けてもいい事はありません。

さてとにかく一日歩き回るために腹いっぱい食べてとりあえず半日潰してしまった分を取り戻さないといけないという事で、歩いて20分くらいでいけそうなFreemasons' Hallに行きます。到着したのが土曜だったので、予約したりついてすぐに行けば見学できたのですが、そうはしなかったので、日曜は休みであり外から眺めるだけですが、とりあえず場所を知っておかないといけません。
出るといきなり物乞いが近寄ってきますが、町のご挨拶みたいなもので適当にあしらいますが、それ以外はほとんど何もありません。その後パリから再びロンドンに来た時も物乞いが寄ってきましたが、町の挨拶の役割は同様のようです。
ラッセルホテルからテムズ川に向けて南下すると10分も歩くとホルボーン駅の交差点になります。

これはホメオパシーの病院が表示されていたのでさすがと思い撮りました。ホメオパシーは日本では疑似科学の代表のようなものですが、確か創始者がフリーメイスンだそうで、それでヨーロッパでは生き残っているようです。その他には磁気ネックレスのような磁気の血行効果の理論やトルマリンの血行促進効果のようなものもフリーメイスンが関わるようです。なかなかフリーメイスンリーの歴史を知らないと混乱のもとです。
さてこの辺で右かなと西側に入っていくとニュートンストリートといういかにもな名前の通りがあります。


基本的に日曜の朝なので歩いている人はほとんどいません。平日の昼はすごい人でしたが、最初はわかりません。

Freemasons' Hallの裏の通りに出るのですが、そこにもホテルがあります。直接このホテルに宿泊するのも良いかもしれませんね。宿泊料はけっこうするのだと思います。
さてこの横が目的のFreemasons' Hallです。すでにホームページの通販などでDVDも買ったりしていて一応一通り目を通しているので、130以上のロッジが共同で利用している事や、地下に空調などの設備がある事など、戦前からあって何度も改築している事などは説明で一応理解していました。






画像の解像度を落としてしまっているので彫刻のシンボルが見づらいと思いますが、そのホールの紹介のDVDなどで詳しく見てください。やはりイングランドのグランドロッジは見ると紋章、三つの塔とコンパスとシェブロン、ライオンと王様と牛と鷲と八頭のライオン、AUDI VIDE TACEのモットーが大事なようです。






実は写真は撮っていませんが、裏手の方は自転車の車輪だけ鍵のついた鎖とともに残っていたり、結構以前はもっと荒れていた様子が感じられます。ロンドンは主要なところは大体CCTV activeとの表示があり、ステンドグラスの外側から金網が保護してあったりとまあそれはそれは色々あった感じがわかります。ただ現在は監視カメラの影響もあってか何かあったような後は見られませんでした。






Freemasons' Hallの周辺の様子です。日曜に写真をパチパチ撮っていたら犬の散歩などしている人や恐らくフリーメイスンなんだと思いますが、やってるやってるという感じで見ていきました。その他の人はいかにも見ないように歩いて行っていました。周辺のパブもほとんどフリーメイスンが常連か店主なんだと思います。店の名前がそのままロッジの名前なのも伝統的にあるようです。




ロンドンはスターバックスよりもこのネロというカフェが多いです。私は利用しませんでしたが、内容はスターバックスと同じようです。恐らくヨーロッパ資本なのでしょう。ローマ大火のネロと1666年のロンドン大火に対するこだわりは、そういえばワシントンD.C.でもHouse of the Templeの近くで1666という住所の番号を強調したいかにもな黒を強調した建物があり、あの辺が米英の協調であったようです。まあ実際1666年を境にして石の建造物を増やし、それと一致してイギリスが大英帝国となったという歴史もその通りであるようで、またそれが21世紀の現代に伝統としての保持と、近代化の足枷となっている部分での緩やかな革新との調和がまさに現在のテーマのようで、それがそのままロンドンオリンピックやロンドンの観光のアピールとなっているようです。フリーメイスンズアームズのパブは非常に親切な感じでしたが、あまり普通の人は使っていない様子でした。中にあのどの分野でも有名なフリーメイスンの店みたいな反語的なジョークが書いてありました。Freemasons' Hallの中の見学後に昼食を食べました。この時はまだやっていません。
ワシントンD.C.やニューヨークの場合は都市名 副題 その番号だったんですね。
変えようかと思いましたが語呂が良いので先に副題の形で続けます。
ちなみにパリは「神なき街」とするつもりです。実はまあ旅行しながらも副題ばっかり考えていたんです。
まあしょうもない打ち明け話です。
前回のアメリカ紀行の反応は具体的にはわかりませんが、相当のものがあったかと思います。
ナショナルジオグラフィックでも、ヒストリーチャンネルでもワシントンD.C.の建築物でそこまでフリーメイスンリーを特定して追っていったものは無いかと思いますし、それが日本語でブログという形で書かれたものは無かったかと思います。ただしもちろんアメリカでフリーメイスンリーがフリーメイスンリーのために書いたものであればいくらでもそれ以上のものがあるかと思います。
まあ石工というともちろん実務的メイスンリーと思索的メイスンリーの両方を指すわけですが、ロンドンの場合はロンドン大火を頂点として実務的メイスンリーの歴史が極めて長く深くあるという事もあり、そういう表現としました。要はフリーメイスンリーのみにとどまらない長い石工組合の歴史があり、それがいわゆる紳士クラブや友愛結社としての歴史の前に存在し、それを最も象徴するのは今回のロンドン訪問で最大の目的地でもあったセント・ポール大聖堂という事になるのだと思います。実際にロンドンの石工組合や、その後の思索的メイスンリーの時代にもいわゆる現代のフリーメイスンホールの役割として使用していたのは今回は訪問しなかったギルドホールのようです。
あまり詳しくは読んでいませんが、今回の訪問前には一応Brother Yasha Beresinerの書いたTHE CITY OF LONDON A Masonic Guideを一部参照しました。
まあギルドホールとか、Masons Avenueとか周りたかったとかありますが、色々下準備の段階でなんせ20年前の記憶で色々強烈であった事もあり、ロンドンを自分の好きに周ってみたかったというのがまず最初にあり、それに加えて実際には現地に行って思い出しましたが、セント・ポール大聖堂は当時あまり深い印象を刻んでいなくて行った事が無いと思っていたのですね。まあそんなわけで家族旅行と一人旅で自分の興味で周る旅とは全く異なるわけで、色々と行ってみてまた新たに行きたくなるところとか興味が出てくるというのはごく自然な事なのだと思います。いわゆる観光旅行では周れないところを周っているというのがこの旅のコンセプトなのでしょうが、それはまた相当準備して勉強しないとうまくいかないというところでもあるのかと思います。ワシントンとニューヨークはやはり現地ツアーなどを絡ませて色々うまく行った方だと思いますが、今回のロンドンとパリはやはり様々な事情もあり、アメリカと比較して旅としての出来具合は50点くらい、その最大の理由はやはりヨーロッパに対する憧れが強い事と、ロスト・シンボルのような記憶に残る形のガイドブックのようなフリーメイスンリーの紹介を読んでいなかった事、もちろん上記の本はそれに該当したのですが全文翻訳して読んでいないので、明らかに理解度が低かったという事だと思います。まあそれだけ何度も訪問するような欲求を生み出した事も確かだと思います。
そういう欲求を生み出すのは、ロンドン行きの前にロンドン大火や漱石の倫敦塔の文章を取り上げましたが、何より文学だと思います。テレビやブログのような情報は現地で実際に動きまわる際には非常に便利ですが、実際に現地に行ってより深い感慨やより深い印象を残すのはやはり文学が最良のスパイスかと思います。イギリスの文学といえば私の読んだものはシェイクスピアやシャーロック・ホームズが良いところですが、イギリスの光景というと思い浮かべるのはその20年前の光景かというとそうではなく、またテレビで見る例えばバッキンガム宮殿の前やダウニング街の光景かというとそういう事も無く、結局そういう文学作品の挿絵とともにあるイメージや、最も強烈なのはやはりシャーロック・ホームズの最初の「Study in Scarlet」(緋色の研究)の原文を全部翻訳した事で想像したイメージであったりという、実物というよりもイメージなのだと思います。そしてそれはまさにフリーメイスンホールやセントポール大聖堂で感じたイメージと一致するという感じなのです。まあ結局視覚的イメージや感覚的イメージよりより残る最高のイメージは想像と印象のいわゆるシンボリズムとしての文字が作り出すイメージなのだと思います。
とまあ結局何が言いたいのかというと、ロンドンを歩く際には上に挙げたフリーメイスンのユダヤ人の方ですが、その書いた本を詳しく読んで行かれると良いという事と、まあこのブログの価値もその文学的価値にあるという事なのだと思います。文学ということはフィクションであれ、まあノンフィクションであれいずれにしても主観に基づいた個人の一つの芸術的表現であり、基本的には様々な意見が含まれていたとしても究極的には単なる個人の趣味嗜好の範囲でしかないという事かと思います。そういうわけで、前回アメリカ紀行はフリーメイスンリーの紹介と現地の巡り方の紹介という面がありましたが、今回ロンドン・パリではそういう事は比較的おいておいて、個人の趣味嗜好、文学的というところに重点を置いて、極めて個人的なかなり露出趣味ではありますが、単なるフリーメイスンリーの紹介にとどまらないいわゆる個人旅行の見せびらかし的な要素が強い、それでいて文学としての昇華を目指した方向性を持ちたいと思います。これは後々出てくるパリ編のやはりフランスを訪問した強い動機がそれこそ最初のロンドン訪問以降ですが、スタンダール文学を読んで、未だにこれはその当時の印象で大岡信氏の翻訳で読んだのですが、一番最高の文学作品はスタンダールの「パルムの僧院」であると思っており、まあそれも一種の体験なのだと思いますがそういう印象でパリを見たという事に繋がるのかと思います。
まあここまで書くといかに偏っているか、スタンダールを読んでいる人は少数だと思いますし、それでいわゆるスタンダリアンになる人もまた少数だと思いますので、多数の賛同を得るのが難しくなるのかもしれませんが、それがまあ実際フリーメイスンリーの世界なのだと思います。もちろんスタンダールもフリーメイスンであり、ブラザースタンダールであります。
さてまあ情熱の前書きは置いておいて、前回のフリーメイスンホールの外観と位置の内容からその近辺の移動になります。どうも街並みをパチパチiPhoneで撮りまくっていて一応世界のフリーメイスンホールの街のフリーメイスンリー発祥の街のAUDI VIDE TACEの方針から言ってもあまりフリーメイスンリー関連といえどもブログでやたら公開するのは筋が違うのかと思いますが、そういう事もあってインターネットがパソコンで使えなかったりといった事もあり、またちょうどこの後のインドの施設のスワスティカを撮ろうとしたあたりでiPhoneの反応がやたら遅くなって、メモリを減らして再起動するなどの処置が必要となる事がありました。まあこの辺はアメリカとイギリスのフリーメイスンリーの方針の違い、それはまたフランスのものも絡むのだと思いますが、それぞれの歴史上の役割の違い、もちろんそれは表面上のものかと思いますが、そういうものが一応あるという事なのだと思います。いずれにしても郷に入らば郷に従えで、多少のやり方の違いはあったとしても認容しなければ何も得る事は出来ません。でまあそういうのもありながら結局パチパチ撮ってブログに載せるという行為をし続けるわけです。

何か女性の銅像があります。この後ロンドンの銅像を写真にたくさんとりましたが、ほとんどフリーメイスンのようです。この女性も何かしら関係があるのかと思いますが、詳しくはわかりません。英語版ウィキペディアなどで全て検索できると思います。ロイヤルオペラの前なので、恐らく有名なバレエダンサーの像だと思います。

ロイヤルオペラハウスの前です。なにやらロンドンの最高のステータスはこのオペラハウスの前に豪華なハイヤーで乗り付けて最高のおしゃれをしていく事だそうです。なかなか日本人ではまだ少ないのでしょうか。そろそろブラザーチャイコフスキーの白鳥の湖をやっているようです。

現在やっている演目はこれのようです。なにやら黒魔術のようです。

ちょっと調べていませんが有名なパブのようです。

コベントガーデンです。屋根つきのマーケットなのでしょうか。日曜の朝なのでまだ営業前です。

見た事のあるスタバがあると少し安心します。

コベントガーデンの内景です。

コーヒーハウスです。チャールズ・ディケンズは作家で二都物語を書いています。フリーメイスンかどうかはわかりませんがそういう事でしょう。

この写真を撮る前にiPhoneが一旦ハングアップしました。インドの建物の隣になるのですが、初代首相ネルーの像ですね。ガンジーがフリーメイスンであったのかどうかはわかりませんが、ネルーは恐らくフリーメイスンだったのだと思います。なかなか評価は分かれるかもしれません。いずれにしてもUGLEの評価というところになるのだと思います。


実はこの建物がフリーメイスンホールとそっくりに作ってあって、その中に目立つ形でスワスティカ、卍が書いてあってその写真を撮ろうとしてiPhoneがハングアップしたのでした。この辺の作りはワシントンD.C.のスミソニアン博物館のブラザーリンドバーグのスピリッツオブセントルイスの先頭にあったスワスティカと似ています。恐らくインドのグランドロッジが全面的に支援して作られた建物だと思いますが、端っこに英語で書いてあった説明によるとYMCAが関わっているとかあるようです。この建物があるのがロンドンにインド人が増えている理由かもしれません。


なかなかこういのは現地に行かないとわからない情報かもしれませんね。インドではフリーメイスンリーが爆発的に広がっているとは聞いていました。そのうち中国が体制が変わってそういう時代になるのではないかと思われます。


王立裁判所の近くです。銅像がたくさんあります。それぞれ良くわかりませんがフリーメイスンだと思います。






サミュエル・ジョンソンはブラザーエドマンド・バーグの友人であったそうです。ウィキペディアを引用します。
ジョンソンは "Clubbable man"(クラブ向きの男)と呼ばれ、クラブでの談論風発を好んだ。生涯にいくつかのクラブに加入しているが、特に有名なのは1764年にジョシュア・レノルズの呼びかけで創設された文学クラブ(The Literary Club)である。創立メンバーはレノルズ、ジョンソン、エドマンド・バーク、オリヴァー・ゴールドスミスら9人で、後にギャリックen:David Garrick(俳優)、ギボン、アダム・スミス、ボズウェルらが加わり、ジョンソンの晩年には35人程になった。週1回の夜、居酒屋(tavern)で食事の後に文学談義などを楽しむ集まりで、機知に富んだ話の得意なジョンソンが会話の中心だった。
そうです。軍人さんで銅像に残るような高位の人は皆フリーメイスンなんでしょうね。


王立裁判所はブラザー林董の話で日本の最初のイギリス公使が大使に格上げされる際に認証したのが王立裁判所であったと思います。



シティ・オブ・ロンドンの象徴のドラゴンです。異教の神なのでしょうね。まあ中国の皇帝の象徴です。
聖ゲルギオスが退治した東の象徴であり、モンゴルの襲来後なのでモンゴロイドを象徴しているのかもしれません。イングランドの国旗の象徴ともなっている部分でしょうか。シティはギルドホールでの民主制で自治権を持ち、それぞれの清教徒革命、名誉革命でのジェントリの勢力として活躍したようです。まさにフリーメイスンリーの城というところでしょうか。もちろんそれら金融業の中心としてのシティ・オブ・ロンドンで活躍したのは改宗ユダヤ人などのシェイクスピアでいうところのベニスの商人のイメージのユダヤ人だったのだと思います。
さて徐々にセントポール大聖堂に近づいてきます。
シティ・オブ・ロンドンのその他の教会などもブラザークリストファー・レンの作だそうです。ギルドホールも行っていませんし、また何度も行きたいものです。
変えようかと思いましたが語呂が良いので先に副題の形で続けます。
ちなみにパリは「神なき街」とするつもりです。実はまあ旅行しながらも副題ばっかり考えていたんです。
まあしょうもない打ち明け話です。
前回のアメリカ紀行の反応は具体的にはわかりませんが、相当のものがあったかと思います。
ナショナルジオグラフィックでも、ヒストリーチャンネルでもワシントンD.C.の建築物でそこまでフリーメイスンリーを特定して追っていったものは無いかと思いますし、それが日本語でブログという形で書かれたものは無かったかと思います。ただしもちろんアメリカでフリーメイスンリーがフリーメイスンリーのために書いたものであればいくらでもそれ以上のものがあるかと思います。
まあ石工というともちろん実務的メイスンリーと思索的メイスンリーの両方を指すわけですが、ロンドンの場合はロンドン大火を頂点として実務的メイスンリーの歴史が極めて長く深くあるという事もあり、そういう表現としました。要はフリーメイスンリーのみにとどまらない長い石工組合の歴史があり、それがいわゆる紳士クラブや友愛結社としての歴史の前に存在し、それを最も象徴するのは今回のロンドン訪問で最大の目的地でもあったセント・ポール大聖堂という事になるのだと思います。実際にロンドンの石工組合や、その後の思索的メイスンリーの時代にもいわゆる現代のフリーメイスンホールの役割として使用していたのは今回は訪問しなかったギルドホールのようです。
あまり詳しくは読んでいませんが、今回の訪問前には一応Brother Yasha Beresinerの書いたTHE CITY OF LONDON A Masonic Guideを一部参照しました。
![]() | The City of London: A Masonic Guide (2007/07/26) Yasha Beresiner 商品詳細を見る |
まあギルドホールとか、Masons Avenueとか周りたかったとかありますが、色々下準備の段階でなんせ20年前の記憶で色々強烈であった事もあり、ロンドンを自分の好きに周ってみたかったというのがまず最初にあり、それに加えて実際には現地に行って思い出しましたが、セント・ポール大聖堂は当時あまり深い印象を刻んでいなくて行った事が無いと思っていたのですね。まあそんなわけで家族旅行と一人旅で自分の興味で周る旅とは全く異なるわけで、色々と行ってみてまた新たに行きたくなるところとか興味が出てくるというのはごく自然な事なのだと思います。いわゆる観光旅行では周れないところを周っているというのがこの旅のコンセプトなのでしょうが、それはまた相当準備して勉強しないとうまくいかないというところでもあるのかと思います。ワシントンとニューヨークはやはり現地ツアーなどを絡ませて色々うまく行った方だと思いますが、今回のロンドンとパリはやはり様々な事情もあり、アメリカと比較して旅としての出来具合は50点くらい、その最大の理由はやはりヨーロッパに対する憧れが強い事と、ロスト・シンボルのような記憶に残る形のガイドブックのようなフリーメイスンリーの紹介を読んでいなかった事、もちろん上記の本はそれに該当したのですが全文翻訳して読んでいないので、明らかに理解度が低かったという事だと思います。まあそれだけ何度も訪問するような欲求を生み出した事も確かだと思います。
そういう欲求を生み出すのは、ロンドン行きの前にロンドン大火や漱石の倫敦塔の文章を取り上げましたが、何より文学だと思います。テレビやブログのような情報は現地で実際に動きまわる際には非常に便利ですが、実際に現地に行ってより深い感慨やより深い印象を残すのはやはり文学が最良のスパイスかと思います。イギリスの文学といえば私の読んだものはシェイクスピアやシャーロック・ホームズが良いところですが、イギリスの光景というと思い浮かべるのはその20年前の光景かというとそうではなく、またテレビで見る例えばバッキンガム宮殿の前やダウニング街の光景かというとそういう事も無く、結局そういう文学作品の挿絵とともにあるイメージや、最も強烈なのはやはりシャーロック・ホームズの最初の「Study in Scarlet」(緋色の研究)の原文を全部翻訳した事で想像したイメージであったりという、実物というよりもイメージなのだと思います。そしてそれはまさにフリーメイスンホールやセントポール大聖堂で感じたイメージと一致するという感じなのです。まあ結局視覚的イメージや感覚的イメージよりより残る最高のイメージは想像と印象のいわゆるシンボリズムとしての文字が作り出すイメージなのだと思います。
とまあ結局何が言いたいのかというと、ロンドンを歩く際には上に挙げたフリーメイスンのユダヤ人の方ですが、その書いた本を詳しく読んで行かれると良いという事と、まあこのブログの価値もその文学的価値にあるという事なのだと思います。文学ということはフィクションであれ、まあノンフィクションであれいずれにしても主観に基づいた個人の一つの芸術的表現であり、基本的には様々な意見が含まれていたとしても究極的には単なる個人の趣味嗜好の範囲でしかないという事かと思います。そういうわけで、前回アメリカ紀行はフリーメイスンリーの紹介と現地の巡り方の紹介という面がありましたが、今回ロンドン・パリではそういう事は比較的おいておいて、個人の趣味嗜好、文学的というところに重点を置いて、極めて個人的なかなり露出趣味ではありますが、単なるフリーメイスンリーの紹介にとどまらないいわゆる個人旅行の見せびらかし的な要素が強い、それでいて文学としての昇華を目指した方向性を持ちたいと思います。これは後々出てくるパリ編のやはりフランスを訪問した強い動機がそれこそ最初のロンドン訪問以降ですが、スタンダール文学を読んで、未だにこれはその当時の印象で大岡信氏の翻訳で読んだのですが、一番最高の文学作品はスタンダールの「パルムの僧院」であると思っており、まあそれも一種の体験なのだと思いますがそういう印象でパリを見たという事に繋がるのかと思います。
まあここまで書くといかに偏っているか、スタンダールを読んでいる人は少数だと思いますし、それでいわゆるスタンダリアンになる人もまた少数だと思いますので、多数の賛同を得るのが難しくなるのかもしれませんが、それがまあ実際フリーメイスンリーの世界なのだと思います。もちろんスタンダールもフリーメイスンであり、ブラザースタンダールであります。
さてまあ情熱の前書きは置いておいて、前回のフリーメイスンホールの外観と位置の内容からその近辺の移動になります。どうも街並みをパチパチiPhoneで撮りまくっていて一応世界のフリーメイスンホールの街のフリーメイスンリー発祥の街のAUDI VIDE TACEの方針から言ってもあまりフリーメイスンリー関連といえどもブログでやたら公開するのは筋が違うのかと思いますが、そういう事もあってインターネットがパソコンで使えなかったりといった事もあり、またちょうどこの後のインドの施設のスワスティカを撮ろうとしたあたりでiPhoneの反応がやたら遅くなって、メモリを減らして再起動するなどの処置が必要となる事がありました。まあこの辺はアメリカとイギリスのフリーメイスンリーの方針の違い、それはまたフランスのものも絡むのだと思いますが、それぞれの歴史上の役割の違い、もちろんそれは表面上のものかと思いますが、そういうものが一応あるという事なのだと思います。いずれにしても郷に入らば郷に従えで、多少のやり方の違いはあったとしても認容しなければ何も得る事は出来ません。でまあそういうのもありながら結局パチパチ撮ってブログに載せるという行為をし続けるわけです。

何か女性の銅像があります。この後ロンドンの銅像を写真にたくさんとりましたが、ほとんどフリーメイスンのようです。この女性も何かしら関係があるのかと思いますが、詳しくはわかりません。英語版ウィキペディアなどで全て検索できると思います。ロイヤルオペラの前なので、恐らく有名なバレエダンサーの像だと思います。

ロイヤルオペラハウスの前です。なにやらロンドンの最高のステータスはこのオペラハウスの前に豪華なハイヤーで乗り付けて最高のおしゃれをしていく事だそうです。なかなか日本人ではまだ少ないのでしょうか。そろそろブラザーチャイコフスキーの白鳥の湖をやっているようです。

現在やっている演目はこれのようです。なにやら黒魔術のようです。

ちょっと調べていませんが有名なパブのようです。

コベントガーデンです。屋根つきのマーケットなのでしょうか。日曜の朝なのでまだ営業前です。

見た事のあるスタバがあると少し安心します。

コベントガーデンの内景です。

コーヒーハウスです。チャールズ・ディケンズは作家で二都物語を書いています。フリーメイスンかどうかはわかりませんがそういう事でしょう。

この写真を撮る前にiPhoneが一旦ハングアップしました。インドの建物の隣になるのですが、初代首相ネルーの像ですね。ガンジーがフリーメイスンであったのかどうかはわかりませんが、ネルーは恐らくフリーメイスンだったのだと思います。なかなか評価は分かれるかもしれません。いずれにしてもUGLEの評価というところになるのだと思います。


実はこの建物がフリーメイスンホールとそっくりに作ってあって、その中に目立つ形でスワスティカ、卍が書いてあってその写真を撮ろうとしてiPhoneがハングアップしたのでした。この辺の作りはワシントンD.C.のスミソニアン博物館のブラザーリンドバーグのスピリッツオブセントルイスの先頭にあったスワスティカと似ています。恐らくインドのグランドロッジが全面的に支援して作られた建物だと思いますが、端っこに英語で書いてあった説明によるとYMCAが関わっているとかあるようです。この建物があるのがロンドンにインド人が増えている理由かもしれません。


なかなかこういのは現地に行かないとわからない情報かもしれませんね。インドではフリーメイスンリーが爆発的に広がっているとは聞いていました。そのうち中国が体制が変わってそういう時代になるのではないかと思われます。


王立裁判所の近くです。銅像がたくさんあります。それぞれ良くわかりませんがフリーメイスンだと思います。






サミュエル・ジョンソンはブラザーエドマンド・バーグの友人であったそうです。ウィキペディアを引用します。
ジョンソンは "Clubbable man"(クラブ向きの男)と呼ばれ、クラブでの談論風発を好んだ。生涯にいくつかのクラブに加入しているが、特に有名なのは1764年にジョシュア・レノルズの呼びかけで創設された文学クラブ(The Literary Club)である。創立メンバーはレノルズ、ジョンソン、エドマンド・バーク、オリヴァー・ゴールドスミスら9人で、後にギャリックen:David Garrick(俳優)、ギボン、アダム・スミス、ボズウェルらが加わり、ジョンソンの晩年には35人程になった。週1回の夜、居酒屋(tavern)で食事の後に文学談義などを楽しむ集まりで、機知に富んだ話の得意なジョンソンが会話の中心だった。
そうです。軍人さんで銅像に残るような高位の人は皆フリーメイスンなんでしょうね。


王立裁判所はブラザー林董の話で日本の最初のイギリス公使が大使に格上げされる際に認証したのが王立裁判所であったと思います。



シティ・オブ・ロンドンの象徴のドラゴンです。異教の神なのでしょうね。まあ中国の皇帝の象徴です。
聖ゲルギオスが退治した東の象徴であり、モンゴルの襲来後なのでモンゴロイドを象徴しているのかもしれません。イングランドの国旗の象徴ともなっている部分でしょうか。シティはギルドホールでの民主制で自治権を持ち、それぞれの清教徒革命、名誉革命でのジェントリの勢力として活躍したようです。まさにフリーメイスンリーの城というところでしょうか。もちろんそれら金融業の中心としてのシティ・オブ・ロンドンで活躍したのは改宗ユダヤ人などのシェイクスピアでいうところのベニスの商人のイメージのユダヤ人だったのだと思います。
さて徐々にセントポール大聖堂に近づいてきます。
シティ・オブ・ロンドンのその他の教会などもブラザークリストファー・レンの作だそうです。ギルドホールも行っていませんし、また何度も行きたいものです。
さてさてほとんどの人には興味が無い話題かもしれませんが、ロンドンの観光案内です。
しかもおいしい紅茶の販売とか、アフタヌーンティーの紹介とかではなくそのまんまフリーメイスンリー関連の観光地案内です。
まあそんなブログがあってもいいのではないでしょうか。
そういうわけでロンドン到着二日目でフリーメイスンホールからセントポール大聖堂へ歩いて向かっているところです。普通に歩くと1時間くらいかもしれません。


これは携帯会社ですね。タウ十字と思って出しました。まあロンドン市内はネロの喫茶店はたくさんありますが、基本的にGやTのシンボルや3とか33とかそういうフリーメイスンリーを意識するシンボルはほとんどありません。基本的にロンドンパリでフリーメイスンリーを示すやり方はゴシック教会の白黒のシンボルか、あとはロンドンでは基本的にロッジの形のコーヒーハウス、パブなのだと思います。あとは街を歩いていてちょっとちゃんとした格好している人は大概フリーメイスンじゃないでしょうか。

こういう歴史的記念物みたいな表示があります。もちろん私が探しているのは1717年の最初のグランドロッジを結成したという表示の看板です。

鉄道の駅があります。

教会跡のようです。

セントポール大聖堂の目の前に来るとローマの遺跡みたいな頭像があります。説明が無いのでなんだかわかりませんが、フリーメイスンリー関連のようです。

正面にビクトリア女王の像があります。(11/4追記:明らかな間違いですね。再建当時の君主であるアン女王です。)あまり感動はありませんでしたね。前日が快晴で、翌日の曇天でiPhoneがハングアップしたり、パソコンが壊れたりした後だったからかもしれません。まあそれよりも時差ぼけのせいだったのだと思います。そもそも基本的にパリ・ロンドンは観光地はキリスト教の寺院なのであまり日本人の非キリスト教徒で何か感じろというのが無理かもしれません。まあ私の場合は一応旧約聖書も新約聖書も一通り読んでいるので、パウロがどの辺で登場したとかそれくらいは知っているんですが、そもそもセントポール大聖堂はインターネットでブラザークリストファー・レンが建築したとか、最もロンドンで美しい建築とか、ダイアナ妃が結婚式を行ったとかそういう知識で、その中で床に白黒のフリーメイスンリーのシンボルがあるという事で知って訪問しようと思った建築な訳で、外から見て何かあるとかそういうのはフェニックスの形以外あまり想像していないわけです。
要するにドームを兼ね備えたゴシック建築なのだなと。まあやはり33階級という話で盛り上がっていたHouse of the Templeの場合とはちょっと意識が違ったのでしょうね。それがまたUGLEのブルーロッジの感じなのだと思います。
この時はほとんど20年前に訪問したのを覚えていなかったですね。


こういう列柱の建築で最も印象深かったのは私の中では20年前の大英博物館でしたかね。それ以来やはり博物館には興味があるようになったのだと思います。今回はあとで大英博物館に行きますが、どうもそれほどの印象は抱かなかったです。酸性雨でかなり傷んだ影響もあるのかもしれません。ワシントンのリンカーン記念堂やジェファーソン記念堂はかなりきれいでそれでいて人も少ないので感慨も深い感じですが、どうもロンドンのものはやはり酸性雨の影響でしょうか。

入口に白黒のタイルがあってまあほぼ目的を達した気持ちです。

結構教会らしい表示があり、ちょっとアレみたいな感じを持ちますが、これはこれで貴重な日本で言うと神社に入っていく感じでしょうか。この時は日曜で日曜礼拝で奥の方を巡るのは出来ず、ドームに上るのも出来ませんでした。その分入場料は無料でした。

内部は写真撮影禁止でしたが、入口から入ってすぐのところで撮りました。ホームページでバーチャルツアーがありますので参考にしてください。十字の形で白黒のモザイクが美しく、ステンドグラスが極めて美しいですが、教会としてきちんとできていて真摯な信仰を感じられるものです。
(追記:ここまで書くとあれですが、ここに入った際にちょっと物乞いっぽいワイルドな褐色の男性にYou are a good man, pray together.と突然話しかけられました。まあそういうのが挨拶であったのだと思います。まあこういうのがフリーメイスンリーでしょうか。)
ガイドの女性がいたのでフェニックスのsculptureはどこにあるか知ってますかと聞くと、sculptureの意味を知っているか、こういう篆刻を意味するんだと完全に英単語の知識を馬鹿にした感じですかされました。どうも英国の中年女性とはウマがあった事がありません。しょうがないので結局フェニックスの彫刻はインターネットで日本語で検索して場所を調べました。なかなかイギリスでも色々と大変なようです。

再び外です。曇天ですが、フェニックスはどこだろうと探しに出ます。どうも外側にあるらしいと。
しかもおいしい紅茶の販売とか、アフタヌーンティーの紹介とかではなくそのまんまフリーメイスンリー関連の観光地案内です。
まあそんなブログがあってもいいのではないでしょうか。
そういうわけでロンドン到着二日目でフリーメイスンホールからセントポール大聖堂へ歩いて向かっているところです。普通に歩くと1時間くらいかもしれません。


これは携帯会社ですね。タウ十字と思って出しました。まあロンドン市内はネロの喫茶店はたくさんありますが、基本的にGやTのシンボルや3とか33とかそういうフリーメイスンリーを意識するシンボルはほとんどありません。基本的にロンドンパリでフリーメイスンリーを示すやり方はゴシック教会の白黒のシンボルか、あとはロンドンでは基本的にロッジの形のコーヒーハウス、パブなのだと思います。あとは街を歩いていてちょっとちゃんとした格好している人は大概フリーメイスンじゃないでしょうか。

こういう歴史的記念物みたいな表示があります。もちろん私が探しているのは1717年の最初のグランドロッジを結成したという表示の看板です。

鉄道の駅があります。

教会跡のようです。

セントポール大聖堂の目の前に来るとローマの遺跡みたいな頭像があります。説明が無いのでなんだかわかりませんが、フリーメイスンリー関連のようです。

正面にビクトリア女王の像があります。(11/4追記:明らかな間違いですね。再建当時の君主であるアン女王です。)あまり感動はありませんでしたね。前日が快晴で、翌日の曇天でiPhoneがハングアップしたり、パソコンが壊れたりした後だったからかもしれません。まあそれよりも時差ぼけのせいだったのだと思います。そもそも基本的にパリ・ロンドンは観光地はキリスト教の寺院なのであまり日本人の非キリスト教徒で何か感じろというのが無理かもしれません。まあ私の場合は一応旧約聖書も新約聖書も一通り読んでいるので、パウロがどの辺で登場したとかそれくらいは知っているんですが、そもそもセントポール大聖堂はインターネットでブラザークリストファー・レンが建築したとか、最もロンドンで美しい建築とか、ダイアナ妃が結婚式を行ったとかそういう知識で、その中で床に白黒のフリーメイスンリーのシンボルがあるという事で知って訪問しようと思った建築な訳で、外から見て何かあるとかそういうのはフェニックスの形以外あまり想像していないわけです。
要するにドームを兼ね備えたゴシック建築なのだなと。まあやはり33階級という話で盛り上がっていたHouse of the Templeの場合とはちょっと意識が違ったのでしょうね。それがまたUGLEのブルーロッジの感じなのだと思います。
この時はほとんど20年前に訪問したのを覚えていなかったですね。


こういう列柱の建築で最も印象深かったのは私の中では20年前の大英博物館でしたかね。それ以来やはり博物館には興味があるようになったのだと思います。今回はあとで大英博物館に行きますが、どうもそれほどの印象は抱かなかったです。酸性雨でかなり傷んだ影響もあるのかもしれません。ワシントンのリンカーン記念堂やジェファーソン記念堂はかなりきれいでそれでいて人も少ないので感慨も深い感じですが、どうもロンドンのものはやはり酸性雨の影響でしょうか。

入口に白黒のタイルがあってまあほぼ目的を達した気持ちです。

結構教会らしい表示があり、ちょっとアレみたいな感じを持ちますが、これはこれで貴重な日本で言うと神社に入っていく感じでしょうか。この時は日曜で日曜礼拝で奥の方を巡るのは出来ず、ドームに上るのも出来ませんでした。その分入場料は無料でした。

内部は写真撮影禁止でしたが、入口から入ってすぐのところで撮りました。ホームページでバーチャルツアーがありますので参考にしてください。十字の形で白黒のモザイクが美しく、ステンドグラスが極めて美しいですが、教会としてきちんとできていて真摯な信仰を感じられるものです。
(追記:ここまで書くとあれですが、ここに入った際にちょっと物乞いっぽいワイルドな褐色の男性にYou are a good man, pray together.と突然話しかけられました。まあそういうのが挨拶であったのだと思います。まあこういうのがフリーメイスンリーでしょうか。)
ガイドの女性がいたのでフェニックスのsculptureはどこにあるか知ってますかと聞くと、sculptureの意味を知っているか、こういう篆刻を意味するんだと完全に英単語の知識を馬鹿にした感じですかされました。どうも英国の中年女性とはウマがあった事がありません。しょうがないので結局フェニックスの彫刻はインターネットで日本語で検索して場所を調べました。なかなかイギリスでも色々と大変なようです。

再び外です。曇天ですが、フェニックスはどこだろうと探しに出ます。どうも外側にあるらしいと。
さてさて目的地のセントポール大聖堂に来たわけですが、ブログにも出してるフェニックスの彫刻が見つかりません。本当は無いのか?なんて思ったりもします。また最初のグランドロッジを記念した看板も見当たりません。どうもやっぱり現地にいきなり来てもわからないなとまあしょうがないから一周してみるかと周りをぐるりと一周します。








裏の方に小さなバラ園があります。ヴェルニー公園ほどの豪華さはありませんが、きちんときれいに手入れされていて、フリーメイスンリーの象徴と言って良いのだと思います。



MWの重ね合わせはパリでもよく見かけましたが意味は知りません。手塚治虫のMWなどにもありますが、恐らく∧∨の組み合わせと同じく対称性の構成であり、フリーメイスンリーのシンボルと同じく、基本的な接合を意味するシンボルなのだと思います。手塚治虫もそういえば11月3日の明治節の生まれで、かなりフリーメイスンに近かったのですね。また二枚目のペリカンが雛に餌を与えるシンボルはスコティッシュライト18階級で認められるでキリストを意味するシンボルです。三枚目はブドウと鳩が認められこれがキリスト教のシンボルになっているかと思います。基本的にフリーメイスンリーのシンボルを踏襲しながらも極めてキリスト教に配慮した、英国国教会を代表する大聖堂なのだと思いました。

聖パウロの像です。パウロは十二使徒の一人でなく、イエスの生前は信徒ではなく、熱心なユダヤ教徒でキリスト教徒を迫害する立場でしたが、目からうろこが落ちる事があり、その後伝道に生き新約聖書のパウロ書簡、それぞれの地の信徒への手紙という形でキリスト教の教義を説いた人です。十二使徒のリーダーであったペテロがローマでネロ帝に逆さ磔にされた最初の教皇ですが、パウロも伝道の後にネロ帝の時代にローマで処刑されたそうです。なかなか新約聖書の内容についてはキリスト教の教義とも関わるところなので内容については深くは触れませんが、フリーメイスンリーでは福音書記者のヨハネを洗礼者ヨハネとともに尊びますが、パウロが選択されているのはどうもやはり聖書記者として唯一確実な初期キリスト教の使徒であるからかもしれません。

これは北側の入り口ですね。

これは3人の天使の象徴でしょうか。フリーメイスンリーのポスターにもデザインが認められたりします。三位一体の象徴かわかりませんが、いずれにしても3を強調しているものかと思われます。
フェニックスはありませんね。








裏の方に小さなバラ園があります。ヴェルニー公園ほどの豪華さはありませんが、きちんときれいに手入れされていて、フリーメイスンリーの象徴と言って良いのだと思います。



MWの重ね合わせはパリでもよく見かけましたが意味は知りません。手塚治虫のMWなどにもありますが、恐らく∧∨の組み合わせと同じく対称性の構成であり、フリーメイスンリーのシンボルと同じく、基本的な接合を意味するシンボルなのだと思います。手塚治虫もそういえば11月3日の明治節の生まれで、かなりフリーメイスンに近かったのですね。また二枚目のペリカンが雛に餌を与えるシンボルはスコティッシュライト18階級で認められるでキリストを意味するシンボルです。三枚目はブドウと鳩が認められこれがキリスト教のシンボルになっているかと思います。基本的にフリーメイスンリーのシンボルを踏襲しながらも極めてキリスト教に配慮した、英国国教会を代表する大聖堂なのだと思いました。

聖パウロの像です。パウロは十二使徒の一人でなく、イエスの生前は信徒ではなく、熱心なユダヤ教徒でキリスト教徒を迫害する立場でしたが、目からうろこが落ちる事があり、その後伝道に生き新約聖書のパウロ書簡、それぞれの地の信徒への手紙という形でキリスト教の教義を説いた人です。十二使徒のリーダーであったペテロがローマでネロ帝に逆さ磔にされた最初の教皇ですが、パウロも伝道の後にネロ帝の時代にローマで処刑されたそうです。なかなか新約聖書の内容についてはキリスト教の教義とも関わるところなので内容については深くは触れませんが、フリーメイスンリーでは福音書記者のヨハネを洗礼者ヨハネとともに尊びますが、パウロが選択されているのはどうもやはり聖書記者として唯一確実な初期キリスト教の使徒であるからかもしれません。

これは北側の入り口ですね。

これは3人の天使の象徴でしょうか。フリーメイスンリーのポスターにもデザインが認められたりします。三位一体の象徴かわかりませんが、いずれにしても3を強調しているものかと思われます。
フェニックスはありませんね。
さてさて結局フェニックスはどこにあるんだと。
誰もわかりそうもないのでしょうがないので結局iPhoneでネット検索です。
そうするとどうもテムズ川側、南側の面にあるそうです。
そいで歩いていくとすぐにあったあったと。なかなか感動がありますが、結局ネット頼りかよと。


これが手塚治虫の火の鳥の題名ともなり、ロンドンオリンピックの閉会式のシンボルともなったのだなと。まあそういう目でロンドンの大聖堂を見た事は無かったのでなかなか感慨深いです。特にまあフリーメイスンリーの視点というほどではないですが、ブログに書いたものが実際あったという、なんというかインターネットってすごいなというところが強いかもしれません。まあ現地に行かないとわからないのがこの後です。

反対のテムズ川を向くとミレニアムブリッジとテートモダンが一直線になっているのですね。
うーん良くできてると。やっぱりシンボルを見ると写真も良くなってきてる感じがします。

前の通りですね。結構交通量が多いので横断に気を付けないといけません。

おやおや変な銅像がある。この時はなんだか意味がわかりませんでしたが、ネット検索で出てきたものを参考にするとロンドン大火の時の消防士を記念した銅像のようです。どうも両手で指さして強調しているのはフェニックスのようですね。まあそれだけ実際はセントポール大聖堂はフェニックスを強調したいのです。


フェニックスと銅像とこんな位置関係です。これは結構感じ入りましたね。それで同時にアメリカからのツアーの団体が来てフェニックスの前で説明していました。やはりアメリカはそういう感じなんですね。あらためてアメリカとイギリスの違いを感じました。うーんアメリカはこの感じこの感じ。学校でフリーメイスンリーを勉強する感じですね。


で、これもどこかで検索して場所を調べたのでしたね。フェニックスと反対側のビクトリア女王の像がある左手の方のこれもやはりちょっと隠れた探さないとわからないところにあります。
そのちょっとした宝探しの感じ、これがフリーメイスンリーのドキドキですね。ほとんどの人が注目もしませんし素通りします。写真を撮ってる人も全くいません。

左手の門の奥の広場ですね。グーグルアースでも何か名前も書いてありました。ギルドホールがこの先にあるようです。羊の群れを追う人の像があったりするようです。いやあ実はこの先がフリーメイスン的には醍醐味のところであったようです。次に訪問した時には必ずこっち側ですね。

再びセントポール大聖堂です。やはり写真の切れも良くなっているようです。

グランドロッジの記念の看板の反対側にはまた記念の看板があります。内容を読むとほぼ同じ場所でYMCAが発足したそうです。つまりそういう事です。

これは案内版です。この左後ろにグランドロッジの記念する看板があります。ポールというオープンエアのカフェがあり人気のようです。この先には馬車か馬のなんか記念するモニュメントがありました。

さてまあ大体この時は見た事にしてミレニアムブリッジ、テートモダンの方へ歩いていきます。
誰もわかりそうもないのでしょうがないので結局iPhoneでネット検索です。
そうするとどうもテムズ川側、南側の面にあるそうです。
そいで歩いていくとすぐにあったあったと。なかなか感動がありますが、結局ネット頼りかよと。


これが手塚治虫の火の鳥の題名ともなり、ロンドンオリンピックの閉会式のシンボルともなったのだなと。まあそういう目でロンドンの大聖堂を見た事は無かったのでなかなか感慨深いです。特にまあフリーメイスンリーの視点というほどではないですが、ブログに書いたものが実際あったという、なんというかインターネットってすごいなというところが強いかもしれません。まあ現地に行かないとわからないのがこの後です。

反対のテムズ川を向くとミレニアムブリッジとテートモダンが一直線になっているのですね。
うーん良くできてると。やっぱりシンボルを見ると写真も良くなってきてる感じがします。

前の通りですね。結構交通量が多いので横断に気を付けないといけません。

おやおや変な銅像がある。この時はなんだか意味がわかりませんでしたが、ネット検索で出てきたものを参考にするとロンドン大火の時の消防士を記念した銅像のようです。どうも両手で指さして強調しているのはフェニックスのようですね。まあそれだけ実際はセントポール大聖堂はフェニックスを強調したいのです。


フェニックスと銅像とこんな位置関係です。これは結構感じ入りましたね。それで同時にアメリカからのツアーの団体が来てフェニックスの前で説明していました。やはりアメリカはそういう感じなんですね。あらためてアメリカとイギリスの違いを感じました。うーんアメリカはこの感じこの感じ。学校でフリーメイスンリーを勉強する感じですね。


で、これもどこかで検索して場所を調べたのでしたね。フェニックスと反対側のビクトリア女王の像がある左手の方のこれもやはりちょっと隠れた探さないとわからないところにあります。
そのちょっとした宝探しの感じ、これがフリーメイスンリーのドキドキですね。ほとんどの人が注目もしませんし素通りします。写真を撮ってる人も全くいません。

左手の門の奥の広場ですね。グーグルアースでも何か名前も書いてありました。ギルドホールがこの先にあるようです。羊の群れを追う人の像があったりするようです。いやあ実はこの先がフリーメイスン的には醍醐味のところであったようです。次に訪問した時には必ずこっち側ですね。

再びセントポール大聖堂です。やはり写真の切れも良くなっているようです。

グランドロッジの記念の看板の反対側にはまた記念の看板があります。内容を読むとほぼ同じ場所でYMCAが発足したそうです。つまりそういう事です。

これは案内版です。この左後ろにグランドロッジの記念する看板があります。ポールというオープンエアのカフェがあり人気のようです。この先には馬車か馬のなんか記念するモニュメントがありました。

さてまあ大体この時は見た事にしてミレニアムブリッジ、テートモダンの方へ歩いていきます。
大それた題名ですがどうという事はありません。
以前ヴェルニー公園の回で取り上げた街灯の数の秘密でしたがどうも最近電気が点きました。

もちろん予想通り暖色の色な訳です。
まあ文字通り純粋な名誉な訳です。
あと鎌倉関連で神奈川県立近代美術館について載せるつもりでしたが、iPhoneに入れていた写真を消してしまいましたので、いずれ再度訪問してから掲載する予定です。それに関連してか現在横須賀美術館で神奈川県立近代美術館から貸し出された岸田劉生の童女図(麗子立像)が展示してありました。まあなかなか美術館や博物館も経営の問題はなかなか難しいものかと思います。
以前ヴェルニー公園の回で取り上げた街灯の数の秘密でしたがどうも最近電気が点きました。

もちろん予想通り暖色の色な訳です。
まあ文字通り純粋な名誉な訳です。
あと鎌倉関連で神奈川県立近代美術館について載せるつもりでしたが、iPhoneに入れていた写真を消してしまいましたので、いずれ再度訪問してから掲載する予定です。それに関連してか現在横須賀美術館で神奈川県立近代美術館から貸し出された岸田劉生の童女図(麗子立像)が展示してありました。まあなかなか美術館や博物館も経営の問題はなかなか難しいものかと思います。
さてまあセントポール大聖堂周囲を歩いているわけですが、この後の話題はなかなかちょっと暗くてダークサイドな訳ですが、フリーメイスンリーにも色々な面があるという事で、ワシントンD.C.のアーリントン墓地の話とはまた違う、日本人があまり知らないリアルなフリーメイスンリーのダークサイドといえるかもしれません。

ミレニアムブリッジからシャードの方面を望みます。テムズ川の広さと周辺の建物の概要がわかるかと思います。遠くに見えるロンドン橋がかつてはあれしかテムズ川にかかる橋が無かったそうです。右側の半球体のいわゆるvesica piscisの形の建物がGreater Londonの市庁舎であるそうで、中には美しい螺旋階段があるそうです。

ミレニアムブリッジからテートモダンを望む光景です。なかなか美しい橋です。

ロンドン橋を望む方向です。なかなか美しい光景です。実はこの時は全く気にしていませんがこの正反対の後ろ側の橋がかの有名なP2ロッジ事件で教皇の銀行家とされるロベルト・カルヴィが首をつって他殺体で発見されたブラックフライアーズ橋があるのです。P2事件を知らない人はナショナルジオグラフィックのフリーメイスンリーの特集VTRを見るかウィキペディアで勉強していただきたいですが、発端となった事件として就任直後のイタリア出身のヨハネ・パウロ1世が教皇就任から33日後に死亡して発見されるという事がありました。まあなかなか日本人には遠い世界ですが、基本的にキリスト教社会である欧米においてはカトリックとプロテスタント、フリーメイスンリーの関係はフリーメイスンリーの成立とも関係するような深い歴史があるものであり、現代におけるそれらを象徴するような重要な事件かと思われます。このブログで特にこれ以上取り上げるような事はしませんが、フリーメイスンリーにおける常識として概要は理解しておく事をお勧めします。

シティオブロンドンの方向です。スウェーデンの保険会社の本社である、いわゆるvesica piscisの形である30セント・メリー・アクスというビルが目立ちます。新宿のモード学園のビルでシンボリズムを理解していればすぐにわかるかと思います。まあさすがにこれはフクロウがどうとかいう事は無いでしょう。実はこの後に出ますが、ロンドンには明らかにフクロウの形のビルもあります。

セントポール大聖堂の方向です。実はこの時小さく映っていますが顔なしのパフォーマーが歩いてきています。匿名の掲示板のちょっとした揶揄かと思われます。なかなかご挨拶な感じです。

さてまあとりあえず色々あるのだなという事は感じながらモニュメントというロンドン大火の記念碑があるという事でそっちのほうに歩いていきます。途中そのフクロウの形のビルを通りに映るところで写しました。strata SE1というマンションのようで、上部の三つの穴は風力発電のようです。まあUGLEが北欧の言葉でフクロウの意味があることから、知恵の象徴として、All Seeing Eyeと同様に大きな目を持った見つめる監視カメラのような印象から、シンボルとされているのかと思います。やりすぎコージーで強調していたようなイルミナティのシンボルではありません。



モニュメントに到達します。周辺に高層ビルが立ち並んでいますので1600年代当時にロンドン大火の後に建築された時は相当の高みの印象であったものかと思われます。ウィキペディアによると高さ202フィートで62メートルあるそうです。設計はブラザークリストファー・レンとこちらもブラザーと思われますが、フックの法則で有名なブラザーロバート・フックによるそうです。ブラザーロバート・フックはフリーメイスンリーの関連ではニュートンとの確執が有名であり、王立協会で事務長などを務めていたフックはゼンマイ時計の発明や毛細管現象の発見、静脈と動脈の発見や、世界で最初に顕微鏡で植物の細胞を確認してcellの名前を命名したなど、幅広い分野にわたる万能の天才であり、同時に建築家でもあり、セントポール大聖堂の建築の重要な部分に関わっているそうです。ウィキペディアを読んでいただくとブラザーロバート・フックの多彩な業績と波乱の人生が垣間見えると思うのですが、その中で最もフリーメイスンリーに関係していそうなのはその死亡年月かと思われます。1703年3月3日であり、英語で検索すると死因は糖尿病と出ていますが、なかなか悲惨な死に方であったようです。かなり王立協会で権力をふるっていてニュートンなどとは手紙のやり取りを繰り返していたようですが、アイディアを取ってしまう傾向のようなものもあったようで、さまざまに恨まれていたというのもあるのかもしれません。死後にニュートンが王立協会で会長に選ばれ、王立協会の移転に伴ってブラザーロバート・フックの肖像が全て失われてしまうという事があったそうです。ニュートンがフリーメイスンであったかどうかという点はそれについて英語の本が出ている話で興味深いですが、基本的にはブラザークリストファー・レンにしても、ブラザーロバート・フックにしてもイングランドグランドロッジの成立前の話であり、象徴的にブラザーと呼んでいますが、いずれも現代からみてフリーメイスンと考えられるかどうかの話であり、実際に儀式を行っていたり、そういう思索的メイスンリーの活動があったかどうかは推測でしかないと思われます。要するに実際に建築を行い、実務的メイスンリーの活動を行っていた場合にはフリーメイスンであったと考えられ、ニュートンのような自然科学と錬金術などその後の思索的メイスンリーの活動の基礎を築く活動であった場合には、そのままフリーメイスンリーの基礎を築いた活動をした人という事になるのかと思われます。それらニュートンの活動のきっかけとなったのがロンドン大火であり、またブラザーロバート・フックやブラザーデザギュリエであったというのは言うまでもない事かと思われます。ちなみにウィキペディアによるとアイザック・ニュートンの誕生日はユリウス歴では12月25日のクリスマスに当たるそうです。ニュートンが神学や哲学について熱心に研究したのもそういう誕生日や名前の影響もあるかもしれませんし、万有引力の発見の逸話がリンゴという知恵の実を表す象徴で語られるのもそれら聖書のアダムとイブの逸話から反映されているのかもしれません。ニュートンのウェストミンスター寺院の墓を見る限り、フリーメイスンとして認識されてはなさそうです。

モニュメントの交差点からやはりシャードが見えました。
この時はポンドを換金し忘れていて、現金を持っておらずモニュメントの中を登る事が出来ませんでした。

ミレニアムブリッジからシャードの方面を望みます。テムズ川の広さと周辺の建物の概要がわかるかと思います。遠くに見えるロンドン橋がかつてはあれしかテムズ川にかかる橋が無かったそうです。右側の半球体のいわゆるvesica piscisの形の建物がGreater Londonの市庁舎であるそうで、中には美しい螺旋階段があるそうです。

ミレニアムブリッジからテートモダンを望む光景です。なかなか美しい橋です。

ロンドン橋を望む方向です。なかなか美しい光景です。実はこの時は全く気にしていませんがこの正反対の後ろ側の橋がかの有名なP2ロッジ事件で教皇の銀行家とされるロベルト・カルヴィが首をつって他殺体で発見されたブラックフライアーズ橋があるのです。P2事件を知らない人はナショナルジオグラフィックのフリーメイスンリーの特集VTRを見るかウィキペディアで勉強していただきたいですが、発端となった事件として就任直後のイタリア出身のヨハネ・パウロ1世が教皇就任から33日後に死亡して発見されるという事がありました。まあなかなか日本人には遠い世界ですが、基本的にキリスト教社会である欧米においてはカトリックとプロテスタント、フリーメイスンリーの関係はフリーメイスンリーの成立とも関係するような深い歴史があるものであり、現代におけるそれらを象徴するような重要な事件かと思われます。このブログで特にこれ以上取り上げるような事はしませんが、フリーメイスンリーにおける常識として概要は理解しておく事をお勧めします。

シティオブロンドンの方向です。スウェーデンの保険会社の本社である、いわゆるvesica piscisの形である30セント・メリー・アクスというビルが目立ちます。新宿のモード学園のビルでシンボリズムを理解していればすぐにわかるかと思います。まあさすがにこれはフクロウがどうとかいう事は無いでしょう。実はこの後に出ますが、ロンドンには明らかにフクロウの形のビルもあります。

セントポール大聖堂の方向です。実はこの時小さく映っていますが顔なしのパフォーマーが歩いてきています。匿名の掲示板のちょっとした揶揄かと思われます。なかなかご挨拶な感じです。

さてまあとりあえず色々あるのだなという事は感じながらモニュメントというロンドン大火の記念碑があるという事でそっちのほうに歩いていきます。途中そのフクロウの形のビルを通りに映るところで写しました。strata SE1というマンションのようで、上部の三つの穴は風力発電のようです。まあUGLEが北欧の言葉でフクロウの意味があることから、知恵の象徴として、All Seeing Eyeと同様に大きな目を持った見つめる監視カメラのような印象から、シンボルとされているのかと思います。やりすぎコージーで強調していたようなイルミナティのシンボルではありません。



モニュメントに到達します。周辺に高層ビルが立ち並んでいますので1600年代当時にロンドン大火の後に建築された時は相当の高みの印象であったものかと思われます。ウィキペディアによると高さ202フィートで62メートルあるそうです。設計はブラザークリストファー・レンとこちらもブラザーと思われますが、フックの法則で有名なブラザーロバート・フックによるそうです。ブラザーロバート・フックはフリーメイスンリーの関連ではニュートンとの確執が有名であり、王立協会で事務長などを務めていたフックはゼンマイ時計の発明や毛細管現象の発見、静脈と動脈の発見や、世界で最初に顕微鏡で植物の細胞を確認してcellの名前を命名したなど、幅広い分野にわたる万能の天才であり、同時に建築家でもあり、セントポール大聖堂の建築の重要な部分に関わっているそうです。ウィキペディアを読んでいただくとブラザーロバート・フックの多彩な業績と波乱の人生が垣間見えると思うのですが、その中で最もフリーメイスンリーに関係していそうなのはその死亡年月かと思われます。1703年3月3日であり、英語で検索すると死因は糖尿病と出ていますが、なかなか悲惨な死に方であったようです。かなり王立協会で権力をふるっていてニュートンなどとは手紙のやり取りを繰り返していたようですが、アイディアを取ってしまう傾向のようなものもあったようで、さまざまに恨まれていたというのもあるのかもしれません。死後にニュートンが王立協会で会長に選ばれ、王立協会の移転に伴ってブラザーロバート・フックの肖像が全て失われてしまうという事があったそうです。ニュートンがフリーメイスンであったかどうかという点はそれについて英語の本が出ている話で興味深いですが、基本的にはブラザークリストファー・レンにしても、ブラザーロバート・フックにしてもイングランドグランドロッジの成立前の話であり、象徴的にブラザーと呼んでいますが、いずれも現代からみてフリーメイスンと考えられるかどうかの話であり、実際に儀式を行っていたり、そういう思索的メイスンリーの活動があったかどうかは推測でしかないと思われます。要するに実際に建築を行い、実務的メイスンリーの活動を行っていた場合にはフリーメイスンであったと考えられ、ニュートンのような自然科学と錬金術などその後の思索的メイスンリーの活動の基礎を築く活動であった場合には、そのままフリーメイスンリーの基礎を築いた活動をした人という事になるのかと思われます。それらニュートンの活動のきっかけとなったのがロンドン大火であり、またブラザーロバート・フックやブラザーデザギュリエであったというのは言うまでもない事かと思われます。ちなみにウィキペディアによるとアイザック・ニュートンの誕生日はユリウス歴では12月25日のクリスマスに当たるそうです。ニュートンが神学や哲学について熱心に研究したのもそういう誕生日や名前の影響もあるかもしれませんし、万有引力の発見の逸話がリンゴという知恵の実を表す象徴で語られるのもそれら聖書のアダムとイブの逸話から反映されているのかもしれません。ニュートンのウェストミンスター寺院の墓を見る限り、フリーメイスンとして認識されてはなさそうです。

モニュメントの交差点からやはりシャードが見えました。
この時はポンドを換金し忘れていて、現金を持っておらずモニュメントの中を登る事が出来ませんでした。
さてまあモニュメントを越えて歩いていくと本当はギルドホールを見てくれば良かったのでしょうが、この時は夏目漱石の倫敦塔の影響もありロンドン塔に向けて歩いていました。以前に訪問した際もあまり深い印象は無くただただダイヤモンドがたくさんあったという印象しかないわけですが、振り返ってみると今回はどうも以前に来た時よりも相当訪問の人が増えていました。積極的に観光客を増やしているというところなのだと思います。入場料も自分で全て払っているせいかどこも高いなあという印象でした。
あとはガイドツアーの音声機器がどこも各国語に対応してあって、恐らくそれらを付加する事で入場料も高値になっていて、さらに雇用も生んでいるような感じでした。
まあ観光地の事情はともかくとりあえず撮ってきた写真をもとに私が覚えている事をお伝えします。

これはロンドン塔のすぐ手前の教会のトリニティの形の窓枠です。

ロンドン塔の全景です。チケットが2000円くらいだったと思いますが、その購入窓口の近くから撮りました。

どうも新しく設置されたようなライオンの銅像がありました。この他にはヒヒの銅像もありました。意味はわかりません。何となく芸術家が場所に合わせて作ったといった感じでしょうか。(王立動物園であった過去を意味しているのかもしれません。)

古い城壁ですかね。入口の道が大渋滞です。日曜日の曇天で観光客も比較的多いのだと思います。この見学途中から本降りになってきた感じでした。この道の上で衛兵のカッコをしたおじさんの独演会があります。途中まで聞いていましたが歴史を喋っているようなのですが、妙な抑揚を付けた英語で全然分からず途中で抜けました。音声ガイドもこの時は急いでいて利用しなかったので、ここの見学は全体に良くわかりません。ダイヤモンドなどの王室の貴金属類も写真撮影禁止なので特に画像はありません。一つだけ明らかに床がモザイク模様を示した装飾品があったので隠れて写真を撮ったら監視役が寄ってきて消せと言われて仕方なく消しました。どうも同じような事が鎌倉の県立近代美術館でもあったような思い出がありました。まあ写真ブログなので写真が無いところは基本的にスルーする事になるのは致し方ありません。イギリス王室関係は非常に写真禁止が多かったです。フランスはオルセー美術館のみでしたが、イギリスではこの他にもバッキンガム宮殿や国立美術館など長い事見学しても写真がゼロだとどうしてもブログには反映されません。しょうがありません。経営の方針という事であまり公開の理念とは関係ないかと思います。


日本で言うとそれこそ江戸城跡、東御苑といった感じでしょうか。もしくは京都御所、二条城といったところでしょうか。
漱石の倫敦塔にも詳しく書かれていましたが、英国史的にはヘンリー8世とかアンブーリン(エリザベス女王の母親)の処刑とかが重要なのでしょうか。結局ワタリガラスの伝説も含めて、王制の限界をヘンリー8世の挙動が示してフリーメイスンリーの運動とともに英国に議会制民主主義の伝統が生まれていくきっかけとなったその王の愚行の象徴なのだと思います。どうも何度行ってもロンドン塔は好きになれません。やはりそれがフリーメイスンリーと反対の象徴なのからかもしれません。


倫敦塔に書かれていたワタリガラスです。結構大きくて1羽だけいました。わざわざ衛兵に聞いたらこれだと教えてくれました。


これが衛兵さんの写真です。この奥がアンブーリンなどの囚人の部屋とか、なんかここで幽閉された王が暗殺されたかどうかどっちと思うかとかアンケート形式のリアルタイムで投票数がデジタル表示されたものがある狭い部屋がありました。何となくフランスの鉄仮面伝説や最近読んだナポレオン3世の脱獄のイメージでしょうか。そういうのはイギリスの方が実際は数は多いのかもしれませんが、現代にあまり壮絶なイメージを残さないように処理しているのかもしれません。ワタリガラスのロンドン大火の伝説にしても腐肉を食べて数が増えたとありますので、そういう操作は実際あるのだと思います。ロベルト・カルヴィの話もそうですが、ロンドンの実際の陰鬱さはそういった世界の裏側の話とも無関係とも思われません。それがまた日本の江戸城や京都のイメージともぴったりあう部分もあり、良く言うようにやはり島国の特性なのかもしれません。まあそれらの対比として王室のダイヤモンドなど貴金属類をおいてあるのでしょうが、あれは本当に毎回見ても意味がわかりません。ガラスケースの中でダイヤモンドを見る鑑賞方法に問題があるのでしょうが、恐らくダイヤモンドの本質的な価値に由来するのかと思われます。どうも観光客へのサービスと、デヴィアス社の意向もあるのでしょうが、以前より展示の数が増えている印象でした。そして以前もそうだったと思うのですが、特に王室関連のダイヤモンドは写真が駄目なのですね。まあそういうところだと思います。


さてまあ人が増えた位で以前と一緒だなと考えて早々にロンドン橋のほうに向かいます。この辺は行った、見たという確認のようなもので、意味はよくわかりません。今考えるとギルドホールに行った方が何倍も面白かったでしょうが、まあしょうがありませんね。


ロンドン橋ですね。イングランドの旗とユニオンジャックが2つかかっていたかと思います。内部の見学もできましたが雨が本降り状態となっていて、ポンドを持っていませんのでカードで見学は無理そうだったのでしませんでした。ロンドン橋は川幅の広いテムズ川にかかる過去の恒久的な唯一の橋であったという事で、石工の技術が生活や政治の大部分を規定したロンドンという都市のロンドン大火と同等レベルの象徴であるかと思われます。要するに石工の技術が認められ、地位を向上するいくつものきっかけの重要な一つであった事は間違いないかと思われます。現代的にはそういう象徴としての価値の他はあまりないのだと思います。


ロンドン橋からロンドン塔を望んだ図とミレニアムブリッジ、ウェストミンスター方面です。ブラック・フライアーズ橋も写っているかと思います。

ロンドン橋の全景です。跳ね橋になっていたり当時の技術の粋を込めた感じがします。確かにテムズ川は下水も何でもかつては流したロンドンの防衛や物流、都市の構造の中枢を成したものであった感じがします。
もちろん現代の生活での重要性は極めて当時に比べて低くなったものかと思われます。東京で言うと東京湾のような感じでしょうか。
雨が本降りとなってきて傘を買う人が増えてきました。ちょうど午前も中頃となりカフェは大混雑のようです。気楽な一人旅ですがまあこういうときも移動しないわけにはいきません。時間が限られていますので
そういうわけでこの後はロンドン橋のたもとの船着き場から以前に行かなかったグリニッジへ向かう事とします。もちろんアンダーソン憲章やこのブログでも触れたブラザーイニゴー・ジョーンズの建築というものを確認しにです。
あとはガイドツアーの音声機器がどこも各国語に対応してあって、恐らくそれらを付加する事で入場料も高値になっていて、さらに雇用も生んでいるような感じでした。
まあ観光地の事情はともかくとりあえず撮ってきた写真をもとに私が覚えている事をお伝えします。

これはロンドン塔のすぐ手前の教会のトリニティの形の窓枠です。

ロンドン塔の全景です。チケットが2000円くらいだったと思いますが、その購入窓口の近くから撮りました。

どうも新しく設置されたようなライオンの銅像がありました。この他にはヒヒの銅像もありました。意味はわかりません。何となく芸術家が場所に合わせて作ったといった感じでしょうか。(王立動物園であった過去を意味しているのかもしれません。)

古い城壁ですかね。入口の道が大渋滞です。日曜日の曇天で観光客も比較的多いのだと思います。この見学途中から本降りになってきた感じでした。この道の上で衛兵のカッコをしたおじさんの独演会があります。途中まで聞いていましたが歴史を喋っているようなのですが、妙な抑揚を付けた英語で全然分からず途中で抜けました。音声ガイドもこの時は急いでいて利用しなかったので、ここの見学は全体に良くわかりません。ダイヤモンドなどの王室の貴金属類も写真撮影禁止なので特に画像はありません。一つだけ明らかに床がモザイク模様を示した装飾品があったので隠れて写真を撮ったら監視役が寄ってきて消せと言われて仕方なく消しました。どうも同じような事が鎌倉の県立近代美術館でもあったような思い出がありました。まあ写真ブログなので写真が無いところは基本的にスルーする事になるのは致し方ありません。イギリス王室関係は非常に写真禁止が多かったです。フランスはオルセー美術館のみでしたが、イギリスではこの他にもバッキンガム宮殿や国立美術館など長い事見学しても写真がゼロだとどうしてもブログには反映されません。しょうがありません。経営の方針という事であまり公開の理念とは関係ないかと思います。


日本で言うとそれこそ江戸城跡、東御苑といった感じでしょうか。もしくは京都御所、二条城といったところでしょうか。
漱石の倫敦塔にも詳しく書かれていましたが、英国史的にはヘンリー8世とかアンブーリン(エリザベス女王の母親)の処刑とかが重要なのでしょうか。結局ワタリガラスの伝説も含めて、王制の限界をヘンリー8世の挙動が示してフリーメイスンリーの運動とともに英国に議会制民主主義の伝統が生まれていくきっかけとなったその王の愚行の象徴なのだと思います。どうも何度行ってもロンドン塔は好きになれません。やはりそれがフリーメイスンリーと反対の象徴なのからかもしれません。


倫敦塔に書かれていたワタリガラスです。結構大きくて1羽だけいました。わざわざ衛兵に聞いたらこれだと教えてくれました。


これが衛兵さんの写真です。この奥がアンブーリンなどの囚人の部屋とか、なんかここで幽閉された王が暗殺されたかどうかどっちと思うかとかアンケート形式のリアルタイムで投票数がデジタル表示されたものがある狭い部屋がありました。何となくフランスの鉄仮面伝説や最近読んだナポレオン3世の脱獄のイメージでしょうか。そういうのはイギリスの方が実際は数は多いのかもしれませんが、現代にあまり壮絶なイメージを残さないように処理しているのかもしれません。ワタリガラスのロンドン大火の伝説にしても腐肉を食べて数が増えたとありますので、そういう操作は実際あるのだと思います。ロベルト・カルヴィの話もそうですが、ロンドンの実際の陰鬱さはそういった世界の裏側の話とも無関係とも思われません。それがまた日本の江戸城や京都のイメージともぴったりあう部分もあり、良く言うようにやはり島国の特性なのかもしれません。まあそれらの対比として王室のダイヤモンドなど貴金属類をおいてあるのでしょうが、あれは本当に毎回見ても意味がわかりません。ガラスケースの中でダイヤモンドを見る鑑賞方法に問題があるのでしょうが、恐らくダイヤモンドの本質的な価値に由来するのかと思われます。どうも観光客へのサービスと、デヴィアス社の意向もあるのでしょうが、以前より展示の数が増えている印象でした。そして以前もそうだったと思うのですが、特に王室関連のダイヤモンドは写真が駄目なのですね。まあそういうところだと思います。


さてまあ人が増えた位で以前と一緒だなと考えて早々にロンドン橋のほうに向かいます。この辺は行った、見たという確認のようなもので、意味はよくわかりません。今考えるとギルドホールに行った方が何倍も面白かったでしょうが、まあしょうがありませんね。


ロンドン橋ですね。イングランドの旗とユニオンジャックが2つかかっていたかと思います。内部の見学もできましたが雨が本降り状態となっていて、ポンドを持っていませんのでカードで見学は無理そうだったのでしませんでした。ロンドン橋は川幅の広いテムズ川にかかる過去の恒久的な唯一の橋であったという事で、石工の技術が生活や政治の大部分を規定したロンドンという都市のロンドン大火と同等レベルの象徴であるかと思われます。要するに石工の技術が認められ、地位を向上するいくつものきっかけの重要な一つであった事は間違いないかと思われます。現代的にはそういう象徴としての価値の他はあまりないのだと思います。


ロンドン橋からロンドン塔を望んだ図とミレニアムブリッジ、ウェストミンスター方面です。ブラック・フライアーズ橋も写っているかと思います。

ロンドン橋の全景です。跳ね橋になっていたり当時の技術の粋を込めた感じがします。確かにテムズ川は下水も何でもかつては流したロンドンの防衛や物流、都市の構造の中枢を成したものであった感じがします。
もちろん現代の生活での重要性は極めて当時に比べて低くなったものかと思われます。東京で言うと東京湾のような感じでしょうか。
雨が本降りとなってきて傘を買う人が増えてきました。ちょうど午前も中頃となりカフェは大混雑のようです。気楽な一人旅ですがまあこういうときも移動しないわけにはいきません。時間が限られていますので
そういうわけでこの後はロンドン橋のたもとの船着き場から以前に行かなかったグリニッジへ向かう事とします。もちろんアンダーソン憲章やこのブログでも触れたブラザーイニゴー・ジョーンズの建築というものを確認しにです。
さてさてやさてまあという書き出しが多いようです。
さてまあテムズ川の川遊びです。この後のテムズ川の周遊はやはりロンドンで一番良いところのようで、この内容をさっき書いていてFC2ブログがちょうどハングアップしてしまいました。まあそれだけ良いところなので慎重に書けよという事かと思います。
観光客で乗る人は比較的少ないのでしょうか。この日は雨であった事もあり少ない印象でした。
また乗客はほぼ高齢者の地元のイギリス人が多いようで、実際ロンドンで料金もそれほど高くなく、気分転換にも良い気持ちも落ち着く穏やかな良い楽しみなのかと思います。
横須賀でも軍港めぐりは人気のようですし、短い時間の舟遊びというのは江戸時代から変わらぬ穏やかな落ち着いた庶民も貴族も問わぬ人類共通の高級な遊びのようです。

船着き場の表示です。ロンドン橋のたもととグリニッジとウェストミンスターのロンドンアイの反対側の三か所が船着き場のようで、それらの往復を利用して1500円程度であったと思います。まあ正直このロンドン・パリの旅の間で一番心地よい時間であったかもしれません。

乗客はこんな感じで高齢者の現地のイギリス人と思われる夫婦が多いようでした。もしかするとほとんどフリーメイスンであったかもしれません。帰り道ではほぼフリーメイスンと思われる年上の男性とマンツーマンで会話も無くそばにいてなんだか変な感じでした。変なブラザーが日本から来たぞと大分問題になっていたのかもしれません。






河岸は住宅地や船着き場など大都市とは思えない落ち着いた雰囲気で、景観の決まりがあるのかと思いますが、一部の土地以外は高層建築は無く高さ制限があるようです。住宅地の河岸の中央にいきなりオベリスクがあり得した気分です。何の建物の集合なのでしょうか。やはりクレオパトラの針の影響は大きいのかと思います。


グリニッジの船着き場が近づいてきます。中には帆船が置いてあり、ノアの箱舟のシンボルとなるなかなかロンドンに来て白黒のチェッカー以外でほぼ最初かもしれないフリーメイスンリーの定型とも言えるお決まりのシンボリズムです。期待が高まります。


さて上陸です。
さてまあテムズ川の川遊びです。この後のテムズ川の周遊はやはりロンドンで一番良いところのようで、この内容をさっき書いていてFC2ブログがちょうどハングアップしてしまいました。まあそれだけ良いところなので慎重に書けよという事かと思います。
観光客で乗る人は比較的少ないのでしょうか。この日は雨であった事もあり少ない印象でした。
また乗客はほぼ高齢者の地元のイギリス人が多いようで、実際ロンドンで料金もそれほど高くなく、気分転換にも良い気持ちも落ち着く穏やかな良い楽しみなのかと思います。
横須賀でも軍港めぐりは人気のようですし、短い時間の舟遊びというのは江戸時代から変わらぬ穏やかな落ち着いた庶民も貴族も問わぬ人類共通の高級な遊びのようです。

船着き場の表示です。ロンドン橋のたもととグリニッジとウェストミンスターのロンドンアイの反対側の三か所が船着き場のようで、それらの往復を利用して1500円程度であったと思います。まあ正直このロンドン・パリの旅の間で一番心地よい時間であったかもしれません。

乗客はこんな感じで高齢者の現地のイギリス人と思われる夫婦が多いようでした。もしかするとほとんどフリーメイスンであったかもしれません。帰り道ではほぼフリーメイスンと思われる年上の男性とマンツーマンで会話も無くそばにいてなんだか変な感じでした。変なブラザーが日本から来たぞと大分問題になっていたのかもしれません。






河岸は住宅地や船着き場など大都市とは思えない落ち着いた雰囲気で、景観の決まりがあるのかと思いますが、一部の土地以外は高層建築は無く高さ制限があるようです。住宅地の河岸の中央にいきなりオベリスクがあり得した気分です。何の建物の集合なのでしょうか。やはりクレオパトラの針の影響は大きいのかと思います。


グリニッジの船着き場が近づいてきます。中には帆船が置いてあり、ノアの箱舟のシンボルとなるなかなかロンドンに来て白黒のチェッカー以外でほぼ最初かもしれないフリーメイスンリーの定型とも言えるお決まりのシンボリズムです。期待が高まります。


さて上陸です。
これまでこのブログでも天皇誕生日や終戦記念日、夏至や冬至にまつわる聖人の記念日や、カトリックやキリスト教にまつわる記念日、仏教でも成道会の日など様々な日付に関してフリーメイスンリーとの関連で話をしてきました。またその他にも7月4日の独立記念日の由来についての推測や、11との関連での9.11テロや3.11東北大震災、1.17の阪神大震災など様々な自然現象や社会現象との関連についても述べてきました。
そういうわけでちょっとフリーメイスンリーで重要とされる3や11にまつわる数字の月日や年と様々なイベントが何か関連があるかもしれないという事が思いつくので、ここでそれらについて総ざらいにウィキペディアでわかる範囲で見ていこうかと思います。
まず1666年のロンドン大火これが9月1日であるそうですが、これが関東大震災1923年大正12年9月1日と同じ日です。日本に関してはグレゴリオ暦の導入が明治以降であり、年数に関しては元号が優先するものであるようです。このグレゴリオ暦にしても大隈重信が導入したそうです。
1703年3月3日のブラザーロバート・フックの死というのも大事件のようです。
1771年2月12日にスウェーデン王アドルフ・フレデリクが亡くなっています。スウェーデンがこの時フリーメイスンリーが盛んであったかはわかりませんが、回文数(上下逆さまにしても同じ並びの数)は重要とされますのでフリーメイスンであった可能性は高いです。
1799年7月15日ロゼッタストーンが発見される。11月9日ブラザーナポレオンがクーデターで政権を掌握。後者は特に関係ありそうですね。12月14日ブラザージョージ・ワシントンが死去。12月14日の意味は良くわかりません。ブラザーワシントンはグレゴリオ暦2月22日生まれ、ユリウス暦2月11日生まれだそうです。建国記念日の由来かもしれませんね。
1899年明治32年12月3日池田勇人が生まれたそうです。日本人で西暦で見るのかどうかは微妙です。1月21日勝海舟死去。これも回文数ですが微妙です。恐らく関係あるかと思います。6月3日にブラザーヨハン・シュトラウス2世が死去しています。これは関係しているかと思います。
1903年明治36年11月3日はパナマ共和国が独立です。いわゆるパナマ運河のアメリカの租借ですね。3月6日に香淳皇后が生まれたそうです。4月11日にこだまでしょうかで有名な金子みすずが生まれたそうです。三井不動産の会長を務めた江戸英雄氏が7月17日に生まれ、1997年11月13日に死去されたそうです。まああるのでしょうかね。どちらも明治36年と平成9年だそうです。ブラザー津田真道が9月3日に亡くなったそうです。11月13日にカミーユ・ピサロが亡くなっています。フリーメイスンでしょうか。
1911年明治44年3月11日普選法案衆議院通過。12月14日ロアール・アムンセンが南極点に到達。確かフリーメイスンではなかったでしょうか。北極点はそうであったと思います。12月14日も色々ありますね。
1月11日に鈴木善幸氏が生まれたそうです。12月9日瀬島龍三氏が生まれたそうです。ジェームス・カーティス・ヘボン氏が9月21日に亡くなったそうです。96歳であったそうです。ブラザーグラバーが12月16日に亡くなっているそうです。生年が1838年の6月6日だそうです。
1918年11月11日の11時に第1次大戦終結です。
1933年昭和8年3月3日に三陸沖地震が起きたそうです。3月24日ナチスの全権委任法が成立したそうです。3月27日日本が国際連盟の脱退の詔勅です。三井住友銀行の名誉顧問の森川敏雄氏が3月3日生まれだそうです。クイズダービーで有名な篠沢秀夫氏が6月6日生まれだそうです。黒柳徹子さんが8月9日生まれだそうです。宮沢賢治が9月21日に亡くなっています。海軍軍人の山本権兵衛が12月8日に亡くなっています。
1991年は平成3年で多くの人が記憶しているのではないかと思います。日本では6月3日に雲仙普賢岳の火砕流がありました。9月6日にソ連からバルト三国が独立しました。9月11日に空母インディペンデンスが横須賀入港です。12月25日にソ連崩壊です。日本では異常気象で青森のリンゴが落ちる台風19号が通過しました。日本がまさにバブルの余韻に浸っていたころでしょうか。宮沢りえの「Santa Fe」が11月13日出版された年です。
1999年平成11年3月3日日銀がゼロ金利政策開始です。
2002年3月30日エリザベス王太后死去だそうです。
2003年平成15年9月3日国会議事堂に落雷というのがあります。小泉政権時代ですね。
2011年はやはり平成23年ですが3月11日の東北大震災かと思われます。阪神大震災は1995年平成7年1月17日の回文数のようです。
日本の元号中心で見ていきます。
明治22年1889年2月11日大日本帝国憲法発布です。6月16日横須賀線開通です。11月3日に後の大正天皇が皇太子になります。12月9日に井上成美が生まれています。2月12日に森有礼が暗殺されました。
明治33年1900年です。11月8日が戦艦三笠の進水式です。2月11日に創価学会二代会長戸田城聖氏が生まれています。日本人ではありませんが、ブラザーオスカー・ワイルドが11月30日に亡くなっています。
大正11年1922年1月17日大隈重信公国民葬です。1月10日に亡くなりました。大隈公はグレゴリオ暦の1838年3月11日生まれだそうです。グレゴリオ暦は太陽暦です。3月3日に全国水平社設立です。
昭和3年11月10日昭和天皇の即位の礼です。11月3日手塚治虫が生まれています。11月30日土井たか子さんも生まれています。
昭和11年1936年です。1月15日ロンドン軍縮会議から脱退。2月26日2.26事件。11月3日ブラザーフランクリン・ルーズベルトが再選。11月25日日独防共協定。11月1日亀井静香生まれる。11月3日さいとうたかを生まれる。
昭和33年1958年12月23日東京タワー完成。3月3日栗田貫一さん誕生だそうです。3月11日織田哲郎さん誕生です。
後は日本の歴代総理大臣の生年月日で面白そうなのは鳩山由紀夫の昭和22年1947年2月11日生まれと村山富一の大正13年1924年3月3日、あとは上述の鈴木善幸の明治44年1911年1月11日だと思います。戦後に限定すると岸信介の11月13日生まれもなかなかです。池田勇人は12月3日、佐藤栄作は3月27日、ともに3の倍数の月日の生まれです。大平正芳も3月12日生まれで3の倍数になります。小泉純一郎の1月8日の昭和天皇の命日と同じ、エルヴィス・プレスリーと同じ生まれというのも面白いと言えば面白いかもしれません。(H25 2/17追記:昭和天皇の命日は1月7日で小泉純一郎の誕生日とは一日ずれていますね。大体そのあたりが公現祭のようです。)市章の話とよく似ていて、総理大臣の話を出すと何やら関係が強いようです。そういえば安倍晋三も9月21日生まれ、腹心の世耕弘成も11月9日生まれと何やらありそうです。菅直人の10月10日もAll Seeing Eyeやヤキンボアズのシンボルを持ち出せば説明できるようです。(11/6追記:香川出身で聖公会信徒であった大平正芳は3月12日生まれで6月12日に首相在任中に心筋梗塞による心不全で亡くなっています。)
大統領選でいうとロムニー氏は1947年3月12日生まれで、年月日全て3の倍数です。
まあ最後のほうは尻すぼみのあまり関係なさそうなところですが、何となく回文数とか3と11の関係性、3の倍数の数字などそういう雰囲気がわかるのではないでしょうか。1991年なんかは明らかな感じではないでしょうか。今回2月11日とブラザーワシントンとの関連があるのは発見でした。まあユリウス歴、太陰暦とグレゴリウス暦、太陽暦の関係性はシンボルの月と太陽の関係にあるのか良くわかりません。
まあユリウス歴が出てきたり、グレゴリウス暦が出てきたり、3の倍数であったり末尾の数字が3の倍数の数字であったり、日にちであったり月日の連続性であったりと色々なパターンを考えればいくらでもそういう偶然の一致は出てくるものかと思いますが、まあそういう中でも何かしらの関連性、特に回文数や3の倍数と11の関連性は浮き上がるのではないかと思います。そういうのがフリーメイスンリーではないでしょうか。
そういうわけでちょっとフリーメイスンリーで重要とされる3や11にまつわる数字の月日や年と様々なイベントが何か関連があるかもしれないという事が思いつくので、ここでそれらについて総ざらいにウィキペディアでわかる範囲で見ていこうかと思います。
まず1666年のロンドン大火これが9月1日であるそうですが、これが関東大震災1923年大正12年9月1日と同じ日です。日本に関してはグレゴリオ暦の導入が明治以降であり、年数に関しては元号が優先するものであるようです。このグレゴリオ暦にしても大隈重信が導入したそうです。
1703年3月3日のブラザーロバート・フックの死というのも大事件のようです。
1771年2月12日にスウェーデン王アドルフ・フレデリクが亡くなっています。スウェーデンがこの時フリーメイスンリーが盛んであったかはわかりませんが、回文数(上下逆さまにしても同じ並びの数)は重要とされますのでフリーメイスンであった可能性は高いです。
1799年7月15日ロゼッタストーンが発見される。11月9日ブラザーナポレオンがクーデターで政権を掌握。後者は特に関係ありそうですね。12月14日ブラザージョージ・ワシントンが死去。12月14日の意味は良くわかりません。ブラザーワシントンはグレゴリオ暦2月22日生まれ、ユリウス暦2月11日生まれだそうです。建国記念日の由来かもしれませんね。
1899年明治32年12月3日池田勇人が生まれたそうです。日本人で西暦で見るのかどうかは微妙です。1月21日勝海舟死去。これも回文数ですが微妙です。恐らく関係あるかと思います。6月3日にブラザーヨハン・シュトラウス2世が死去しています。これは関係しているかと思います。
1903年明治36年11月3日はパナマ共和国が独立です。いわゆるパナマ運河のアメリカの租借ですね。3月6日に香淳皇后が生まれたそうです。4月11日にこだまでしょうかで有名な金子みすずが生まれたそうです。三井不動産の会長を務めた江戸英雄氏が7月17日に生まれ、1997年11月13日に死去されたそうです。まああるのでしょうかね。どちらも明治36年と平成9年だそうです。ブラザー津田真道が9月3日に亡くなったそうです。11月13日にカミーユ・ピサロが亡くなっています。フリーメイスンでしょうか。
1911年明治44年3月11日普選法案衆議院通過。12月14日ロアール・アムンセンが南極点に到達。確かフリーメイスンではなかったでしょうか。北極点はそうであったと思います。12月14日も色々ありますね。
1月11日に鈴木善幸氏が生まれたそうです。12月9日瀬島龍三氏が生まれたそうです。ジェームス・カーティス・ヘボン氏が9月21日に亡くなったそうです。96歳であったそうです。ブラザーグラバーが12月16日に亡くなっているそうです。生年が1838年の6月6日だそうです。
1918年11月11日の11時に第1次大戦終結です。
1933年昭和8年3月3日に三陸沖地震が起きたそうです。3月24日ナチスの全権委任法が成立したそうです。3月27日日本が国際連盟の脱退の詔勅です。三井住友銀行の名誉顧問の森川敏雄氏が3月3日生まれだそうです。クイズダービーで有名な篠沢秀夫氏が6月6日生まれだそうです。黒柳徹子さんが8月9日生まれだそうです。宮沢賢治が9月21日に亡くなっています。海軍軍人の山本権兵衛が12月8日に亡くなっています。
1991年は平成3年で多くの人が記憶しているのではないかと思います。日本では6月3日に雲仙普賢岳の火砕流がありました。9月6日にソ連からバルト三国が独立しました。9月11日に空母インディペンデンスが横須賀入港です。12月25日にソ連崩壊です。日本では異常気象で青森のリンゴが落ちる台風19号が通過しました。日本がまさにバブルの余韻に浸っていたころでしょうか。宮沢りえの「Santa Fe」が11月13日出版された年です。
1999年平成11年3月3日日銀がゼロ金利政策開始です。
2002年3月30日エリザベス王太后死去だそうです。
2003年平成15年9月3日国会議事堂に落雷というのがあります。小泉政権時代ですね。
2011年はやはり平成23年ですが3月11日の東北大震災かと思われます。阪神大震災は1995年平成7年1月17日の回文数のようです。
日本の元号中心で見ていきます。
明治22年1889年2月11日大日本帝国憲法発布です。6月16日横須賀線開通です。11月3日に後の大正天皇が皇太子になります。12月9日に井上成美が生まれています。2月12日に森有礼が暗殺されました。
明治33年1900年です。11月8日が戦艦三笠の進水式です。2月11日に創価学会二代会長戸田城聖氏が生まれています。日本人ではありませんが、ブラザーオスカー・ワイルドが11月30日に亡くなっています。
大正11年1922年1月17日大隈重信公国民葬です。1月10日に亡くなりました。大隈公はグレゴリオ暦の1838年3月11日生まれだそうです。グレゴリオ暦は太陽暦です。3月3日に全国水平社設立です。
昭和3年11月10日昭和天皇の即位の礼です。11月3日手塚治虫が生まれています。11月30日土井たか子さんも生まれています。
昭和11年1936年です。1月15日ロンドン軍縮会議から脱退。2月26日2.26事件。11月3日ブラザーフランクリン・ルーズベルトが再選。11月25日日独防共協定。11月1日亀井静香生まれる。11月3日さいとうたかを生まれる。
昭和33年1958年12月23日東京タワー完成。3月3日栗田貫一さん誕生だそうです。3月11日織田哲郎さん誕生です。
後は日本の歴代総理大臣の生年月日で面白そうなのは鳩山由紀夫の昭和22年1947年2月11日生まれと村山富一の大正13年1924年3月3日、あとは上述の鈴木善幸の明治44年1911年1月11日だと思います。戦後に限定すると岸信介の11月13日生まれもなかなかです。池田勇人は12月3日、佐藤栄作は3月27日、ともに3の倍数の月日の生まれです。大平正芳も3月12日生まれで3の倍数になります。小泉純一郎の1月8日の昭和天皇の命日と同じ、エルヴィス・プレスリーと同じ生まれというのも面白いと言えば面白いかもしれません。(H25 2/17追記:昭和天皇の命日は1月7日で小泉純一郎の誕生日とは一日ずれていますね。大体そのあたりが公現祭のようです。)市章の話とよく似ていて、総理大臣の話を出すと何やら関係が強いようです。そういえば安倍晋三も9月21日生まれ、腹心の世耕弘成も11月9日生まれと何やらありそうです。菅直人の10月10日もAll Seeing Eyeやヤキンボアズのシンボルを持ち出せば説明できるようです。(11/6追記:香川出身で聖公会信徒であった大平正芳は3月12日生まれで6月12日に首相在任中に心筋梗塞による心不全で亡くなっています。)
大統領選でいうとロムニー氏は1947年3月12日生まれで、年月日全て3の倍数です。
まあ最後のほうは尻すぼみのあまり関係なさそうなところですが、何となく回文数とか3と11の関係性、3の倍数の数字などそういう雰囲気がわかるのではないでしょうか。1991年なんかは明らかな感じではないでしょうか。今回2月11日とブラザーワシントンとの関連があるのは発見でした。まあユリウス歴、太陰暦とグレゴリウス暦、太陽暦の関係性はシンボルの月と太陽の関係にあるのか良くわかりません。
まあユリウス歴が出てきたり、グレゴリウス暦が出てきたり、3の倍数であったり末尾の数字が3の倍数の数字であったり、日にちであったり月日の連続性であったりと色々なパターンを考えればいくらでもそういう偶然の一致は出てくるものかと思いますが、まあそういう中でも何かしらの関連性、特に回文数や3の倍数と11の関連性は浮き上がるのではないかと思います。そういうのがフリーメイスンリーではないでしょうか。
さて題名をちょっといじりました。
グリニッジに上陸しますが、まず目につくのがやっぱりオベリスクです。



ニュージーランドの海軍を顕彰した記念碑のようです。グリニッジのこの施設が海軍大学であるという事もわかります。まあ日本の横須賀の防衛大学校みたいな感じでしょうか。要は歴史を学ぶ場のようです。実は私もニュージーランドは行った事があるのですね。島国で南半球で日本やイギリスとちょうど対称の配置という事なのかもしれません。地理学は大事なのですね。


恐らく海軍の人を顕彰しているんでしょうが、ちょっとこの写真ではわからないですね。どこかで調べてみてください。恐らくほとんど全てフリーメイスンだと思います。

これも恐らくフリーメイスンを顕彰したオベリスクのようです。まあどうもオベリスクだけで3本もいきなり見てしまったのでちょっとクレオパトラの針の期待がちょっと減ったような。実は帰ってきてから確認したのですが、横須賀にもさらに巨大なオベリスクがありました。やっぱり海軍ですね。後ろに見える高層建築のユダヤ教の帽子キッパーの形をした建物が印象的です。ニューヨークにもありましたがユダヤ教を象徴する建築かと思われます。なかなか建築も面白いですね。



キーストーン、要石を強調した美しい建築ですね。キーストーンはフリーメイスンリーのシンボルです。ヨークライトの第7階級のロイヤルアーチの象徴です。シンボルのローマ字の意味は調べてみてください。

フリッカーのこの対称形の画像を見て美しいので訪問しようと思ったのでした。ただ実際には天気が悪くて、さらにオリンピックの馬術競技の会場であったらしく、その後片づけをしていました。まあ色々しようがありません。美しい映像はフリッカーで検索してください。出来れば現地に行かれる事をお勧めします。

この地の重要性を物語る記念碑です。ヘンリー八世、メアリー女王、エリザベス女王の生誕地なのですね。まあ色々逸話があり、名前の混乱などあるかと思いますが、大英帝国の最も基本的な歴史かもしれませんので、日本で言うと関ヶ原の戦いとかその辺の逸話のようなものでしょうか。


これは何の像でしょうねえ。中央に置かれているので意味があるのかと思います。




十字の形をして左正面右後ろを順に撮ったのですね。美しい完全な対称形をしています。
美しい建築ですが、後で知ったのですがブラザーイニゴー・ジョーンズの建築ではないそうです。
極めて美しい建築ですが、ここで写真を撮っている人は少ないです。バチカン市国のサンピエトロ広場に匹敵する構成をイメージしている感じでしょうか。
グリニッジに上陸しますが、まず目につくのがやっぱりオベリスクです。



ニュージーランドの海軍を顕彰した記念碑のようです。グリニッジのこの施設が海軍大学であるという事もわかります。まあ日本の横須賀の防衛大学校みたいな感じでしょうか。要は歴史を学ぶ場のようです。実は私もニュージーランドは行った事があるのですね。島国で南半球で日本やイギリスとちょうど対称の配置という事なのかもしれません。地理学は大事なのですね。


恐らく海軍の人を顕彰しているんでしょうが、ちょっとこの写真ではわからないですね。どこかで調べてみてください。恐らくほとんど全てフリーメイスンだと思います。

これも恐らくフリーメイスンを顕彰したオベリスクのようです。まあどうもオベリスクだけで3本もいきなり見てしまったのでちょっとクレオパトラの針の期待がちょっと減ったような。実は帰ってきてから確認したのですが、横須賀にもさらに巨大なオベリスクがありました。やっぱり海軍ですね。後ろに見える高層建築のユダヤ教の帽子キッパーの形をした建物が印象的です。ニューヨークにもありましたがユダヤ教を象徴する建築かと思われます。なかなか建築も面白いですね。



キーストーン、要石を強調した美しい建築ですね。キーストーンはフリーメイスンリーのシンボルです。ヨークライトの第7階級のロイヤルアーチの象徴です。シンボルのローマ字の意味は調べてみてください。

フリッカーのこの対称形の画像を見て美しいので訪問しようと思ったのでした。ただ実際には天気が悪くて、さらにオリンピックの馬術競技の会場であったらしく、その後片づけをしていました。まあ色々しようがありません。美しい映像はフリッカーで検索してください。出来れば現地に行かれる事をお勧めします。

この地の重要性を物語る記念碑です。ヘンリー八世、メアリー女王、エリザベス女王の生誕地なのですね。まあ色々逸話があり、名前の混乱などあるかと思いますが、大英帝国の最も基本的な歴史かもしれませんので、日本で言うと関ヶ原の戦いとかその辺の逸話のようなものでしょうか。


これは何の像でしょうねえ。中央に置かれているので意味があるのかと思います。




十字の形をして左正面右後ろを順に撮ったのですね。美しい完全な対称形をしています。
美しい建築ですが、後で知ったのですがブラザーイニゴー・ジョーンズの建築ではないそうです。
極めて美しい建築ですが、ここで写真を撮っている人は少ないです。バチカン市国のサンピエトロ広場に匹敵する構成をイメージしている感じでしょうか。
年月日の話題を書きましたが、だいぶ書き散らしのようでまとまりを欠いている感じでしたが、まあなかなかああいう話がまとまってポイントだけ示すのもノストラダムスの預言のようで怖いものがありますので、あの位で書くしかないわけです。
そういうわけで、そういう考えの元になった話がこの昭和11年の話です。
昭和11年という年に何があったのかウィキペディアで見てみましょう。
西暦1936年皇紀2596年です。
1月15日日本がロンドン海軍軍縮会議から脱退・松竹大船撮影所開所だそうです。特に前者のロンドン海軍軍縮会議脱退はまさに日本がその後に空母や戦艦大和に象徴される軍備を拡張していくきっかけとなった出来事かと思います。
1月22日 - 英ジョージ5世死去。エドワード8世即位です。この直前の1月18日にブラザーラドヤード・キップリングが亡くなっています。
1月25日 - 横山隆一「江戸ッ子健ちゃん」連載開始(東京朝日新聞、フクちゃん漫画の初め)です。横山隆一氏の鎌倉の旧宅は御成町のスターバックスとなっています。
2月1日 - 天皇機関説を提唱した美濃部達吉が、右翼に襲撃されて負傷です。天皇機関説は右翼や軍部がその後天皇を唯一不可侵の存在として奉り暴走するきっかけとなったアンチテーゼです。要するに天皇機関説がしごくまともな内容という事です。後の東京都知事となる美濃部亮吉氏の父親です。美濃部亮吉氏は12月24日に亡くなったそうです。
2月20日 - 第19回衆議院議員総選挙
2月26日 - 二・二六事件勃発
2月29日 岡田啓介内閣総辞職 二・二六事件の反乱部隊に原隊復帰勧告(「兵に告ぐ」)が出され、5時間で帰順。
2.26事件も1.13の二倍の数なのですね。5.15事件は回文数ですね。
3月7日 - ドイツがラインラントに進駐。まさに第二次世界大戦の空気がプンプンと匂ってきている感じですね。
7月17日 - スペイン内戦勃発。ブラザーロバート・キャパの崩れ落ちる兵士の写真で有名です。
7月31日 - 国際オリンピック委員会で第12回夏季オリンピック開催地を東京に決定。うーん戦争が無かったらベルリンの後が東京オリンピックだったのですね。果たして想像できるでしょうか。恐らくその後の戦争が無い仮定は無いのでしょう。
8月1日第11回夏季オリンピックがベルリンで開幕(〜8月16日)映画意志の勝利と開会式の聖火ランナーで有名でしょうか。今年のオリンピックの開会式、閉会式もYouTubeで見られるようです。
日本、関東軍防疫部編成(1941年に731部隊と改編)。満州事変の後にリットン調査団に毒を飲ませようとしたそうです。恐らくリットン卿もフリーメイスンではないでしょうか。
9月26日 - ソ連でニコライ・エジョフが秘密警察長官にあたる内務人民委員に任命され、スターリンの大粛清が本格的にはじまる。なかなか国際ニュースも少ない時代でしょうが、なかなか世界は偉い事になっています。
11月3日アメリカ合衆国大統領選挙でフランクリン・ルーズベルトが再選。11月3日は大統領選挙に関係して色々イベントがある日のようです。もちろんアメリカはフリーメイスンリーの国ですから。
11月7日 - 東京・永田町に国会議事堂落成。
11月25日 - 日独防共協定締結
11月30日 - 水晶宮 (The Crystal Palace) 焼失。イギリスの話ですね。第一回万国博覧会の会場を移設したものであったようです。
12月11日‐英エドワード8世退位。ジョージ6世即位。シンプソン夫人との王位をかけた恋でした。ナチスの外務大臣が積極的に勧めたそうです。
12月12日‐西安事件。蒋介石が張学良に西安で拉致監禁された事件で、その後の国共合作のきっかけとなったそうです。張学良は昭和天皇と同じ年で容姿が良く似ていたそうです。張作霖爆殺事件で殺された張作霖の子供で、西安事件の後軟禁され続けて100歳で2001年に死んでいます。6月3日生まれだそうです。張作霖爆殺事件が6月4日だそうです。
この年に生まれた有名人は先日2011年11月21日に亡くなった6代目立川談志がいます。1月2日生まれです。
その他やはり昨年2011年11月5日に亡くなった民主党の西岡武夫がいます。2月12日生まれです。回文数ですね。2月22日にブラザー沢田教一が生まれています。11月1日に亀井静香が生まれています。11月3日にさいとうたかをが生まれています。
さてまあこうして見るとどうも色々世の中が物騒であった時代、世界が同時に第二次世界大戦になだれ込もうとしている状況がひしひしと伝わるかと思いますが、そういう時代であったかと思います。
ではなぜこの時代に興味を持ったかというと最大のきっかけはやはり以前オベリスクのところで触れた横須賀汐入町の公園にある関東大震災慰霊碑のオベリスクの移転の日が昭和11年11月11日であり、それに小泉又次郎の寄付の銘が入っていた事です。



またその他で触れましたが葉山の御用邸前にある皇太子の葉山行啓を記念した恩光碑、三角柱の青銅製のオベリスクが昭和11年製だそうです。明治憲法を作成した金子堅太郎の揮毫がある事も触れました。

また横須賀にはその他にも大正8年製の浦賀の東叶神社の裏山にある三角柱のオベリスクがありました。浦賀の住友造船のドックで悲惨な事故がありその慰霊のために建てられたようです。

そして横須賀最大のオベリスクは三浦氏の居城である衣笠城跡の衣笠山にありました。大正12年製で、西田明則君の碑というちょっと持って回った名前がついています。基本的には東京湾の入り口である浦賀水道の要衝となる第三海堡を作った記念に80歳で明治39年に亡くなった長州出身の方を顕彰しているようです。しかしどうも設立の経緯やオベリスクの形など色々不自然な事が多いかと思います。碑文は大正11年に書かれたようです。第三海堡はこの碑の建設直後の大正12年9月に関東大震災にあいほぼ壊滅したそうです。第二代目の観音崎灯台ともよく似た話です。


さてまあここまで来ると平成11年が何があったか気になるわけですが、まさにノストラダムスの大予言の2000年問題で揺れた1999年であったわけです。
1月7日 - 米上院、クリントン大統領に対する弾劾裁判を開始。
1月14日 - 自自連立により、小渕1次改造内閣が発足。
3月3日 - 日本銀行、ゼロ金利政策実施。
4月11日 - 石原慎太郎、東京都知事に当選。
4月14日 -光市母子殺害事件が発生。
7月1日 - NTTがNTT東日本とNTT西日本とNTTコミュニケーションズに分割される。
8月14日 - 神奈川県山北町の玄倉川が増水。中州に取り残されたキャンプ客のうち、流された13人が死亡する玄倉川水難事故が発生。
9月8日 - 池袋通り魔殺人事件。男が通行人を次々に襲い2人死亡、6人が重軽傷。
9月21日 - 台湾大地震発生。
9月29日 - 下関通り魔殺人事件。JR下関駅に男が乗用車で突っ込み、駅構内の乗客を切りつけ5人死亡、10人が重軽傷。
9月30日 - 東海村JCO臨界事故発生。茨城県東海村の核燃料施設JCOで日本初の臨界事故。2人死亡。
9月 - 神奈川県警の不祥事が相次いで発覚、全国の警察に波及。
10月26日 - 桶川ストーカー殺人事件発生。事件前に埼玉県警上尾署に訴えたが対応せず、捜査調書の改竄(かいざん)も判明。
11月11日 - 江崎グリコがこの日を「プリッツ」&「ポッキー」の日と定める。
宇多田ヒカル人気、初アルバム『First Love』が700万枚を超す記録的セールスになりその後、900万枚を超える(CDアルバム売り上げ第一位)
まあなかなか不安な世相であった事は良く記憶にあるかと思いますが、昭和11年と比較できるかどうかはどうもわかりません。その中でも特に11月11日にグリコのキャッチコピーが際立つかと思いますが、グリコは最初の発売が大正11年2月11日であったそうです。江崎グリコの会社設立が2月22日であったそうで、実はどちらもブラザーワシントンの誕生日のそれぞれ旧暦と新暦の日ですね。グリコの名前はグリコーゲンからきているそうです。グリコーゲンの分解・再生成の経路を発見したのはユダヤ人のゲルティー・コリ、カール・コリ夫妻とアルゼンチン人のバーナード・ウッセイで、その功績で1947年度のノーベル医学生理学賞を受賞しています。江崎グリコといえばグリコ森永事件が有名ですが、色々と想像する人も多いのではないでしょうか。

道頓堀川のグリコのネオンも良く見るとAll Seeing Eyeとキリストの像を重ねたような印象ですね。
まあ今回も書き散らしのような感じになりましたが、結論としては3と11の数字が大事だという事で、33という数字に集約されるのかと思います。
そういうわけで、そういう考えの元になった話がこの昭和11年の話です。
昭和11年という年に何があったのかウィキペディアで見てみましょう。
西暦1936年皇紀2596年です。
1月15日日本がロンドン海軍軍縮会議から脱退・松竹大船撮影所開所だそうです。特に前者のロンドン海軍軍縮会議脱退はまさに日本がその後に空母や戦艦大和に象徴される軍備を拡張していくきっかけとなった出来事かと思います。
1月22日 - 英ジョージ5世死去。エドワード8世即位です。この直前の1月18日にブラザーラドヤード・キップリングが亡くなっています。
1月25日 - 横山隆一「江戸ッ子健ちゃん」連載開始(東京朝日新聞、フクちゃん漫画の初め)です。横山隆一氏の鎌倉の旧宅は御成町のスターバックスとなっています。
2月1日 - 天皇機関説を提唱した美濃部達吉が、右翼に襲撃されて負傷です。天皇機関説は右翼や軍部がその後天皇を唯一不可侵の存在として奉り暴走するきっかけとなったアンチテーゼです。要するに天皇機関説がしごくまともな内容という事です。後の東京都知事となる美濃部亮吉氏の父親です。美濃部亮吉氏は12月24日に亡くなったそうです。
2月20日 - 第19回衆議院議員総選挙
2月26日 - 二・二六事件勃発
2月29日 岡田啓介内閣総辞職 二・二六事件の反乱部隊に原隊復帰勧告(「兵に告ぐ」)が出され、5時間で帰順。
2.26事件も1.13の二倍の数なのですね。5.15事件は回文数ですね。
3月7日 - ドイツがラインラントに進駐。まさに第二次世界大戦の空気がプンプンと匂ってきている感じですね。
7月17日 - スペイン内戦勃発。ブラザーロバート・キャパの崩れ落ちる兵士の写真で有名です。
7月31日 - 国際オリンピック委員会で第12回夏季オリンピック開催地を東京に決定。うーん戦争が無かったらベルリンの後が東京オリンピックだったのですね。果たして想像できるでしょうか。恐らくその後の戦争が無い仮定は無いのでしょう。
8月1日第11回夏季オリンピックがベルリンで開幕(〜8月16日)映画意志の勝利と開会式の聖火ランナーで有名でしょうか。今年のオリンピックの開会式、閉会式もYouTubeで見られるようです。
日本、関東軍防疫部編成(1941年に731部隊と改編)。満州事変の後にリットン調査団に毒を飲ませようとしたそうです。恐らくリットン卿もフリーメイスンではないでしょうか。
9月26日 - ソ連でニコライ・エジョフが秘密警察長官にあたる内務人民委員に任命され、スターリンの大粛清が本格的にはじまる。なかなか国際ニュースも少ない時代でしょうが、なかなか世界は偉い事になっています。
11月3日アメリカ合衆国大統領選挙でフランクリン・ルーズベルトが再選。11月3日は大統領選挙に関係して色々イベントがある日のようです。もちろんアメリカはフリーメイスンリーの国ですから。
11月7日 - 東京・永田町に国会議事堂落成。
11月25日 - 日独防共協定締結
11月30日 - 水晶宮 (The Crystal Palace) 焼失。イギリスの話ですね。第一回万国博覧会の会場を移設したものであったようです。
12月11日‐英エドワード8世退位。ジョージ6世即位。シンプソン夫人との王位をかけた恋でした。ナチスの外務大臣が積極的に勧めたそうです。
12月12日‐西安事件。蒋介石が張学良に西安で拉致監禁された事件で、その後の国共合作のきっかけとなったそうです。張学良は昭和天皇と同じ年で容姿が良く似ていたそうです。張作霖爆殺事件で殺された張作霖の子供で、西安事件の後軟禁され続けて100歳で2001年に死んでいます。6月3日生まれだそうです。張作霖爆殺事件が6月4日だそうです。
この年に生まれた有名人は先日2011年11月21日に亡くなった6代目立川談志がいます。1月2日生まれです。
その他やはり昨年2011年11月5日に亡くなった民主党の西岡武夫がいます。2月12日生まれです。回文数ですね。2月22日にブラザー沢田教一が生まれています。11月1日に亀井静香が生まれています。11月3日にさいとうたかをが生まれています。
さてまあこうして見るとどうも色々世の中が物騒であった時代、世界が同時に第二次世界大戦になだれ込もうとしている状況がひしひしと伝わるかと思いますが、そういう時代であったかと思います。
ではなぜこの時代に興味を持ったかというと最大のきっかけはやはり以前オベリスクのところで触れた横須賀汐入町の公園にある関東大震災慰霊碑のオベリスクの移転の日が昭和11年11月11日であり、それに小泉又次郎の寄付の銘が入っていた事です。



またその他で触れましたが葉山の御用邸前にある皇太子の葉山行啓を記念した恩光碑、三角柱の青銅製のオベリスクが昭和11年製だそうです。明治憲法を作成した金子堅太郎の揮毫がある事も触れました。

また横須賀にはその他にも大正8年製の浦賀の東叶神社の裏山にある三角柱のオベリスクがありました。浦賀の住友造船のドックで悲惨な事故がありその慰霊のために建てられたようです。

そして横須賀最大のオベリスクは三浦氏の居城である衣笠城跡の衣笠山にありました。大正12年製で、西田明則君の碑というちょっと持って回った名前がついています。基本的には東京湾の入り口である浦賀水道の要衝となる第三海堡を作った記念に80歳で明治39年に亡くなった長州出身の方を顕彰しているようです。しかしどうも設立の経緯やオベリスクの形など色々不自然な事が多いかと思います。碑文は大正11年に書かれたようです。第三海堡はこの碑の建設直後の大正12年9月に関東大震災にあいほぼ壊滅したそうです。第二代目の観音崎灯台ともよく似た話です。


さてまあここまで来ると平成11年が何があったか気になるわけですが、まさにノストラダムスの大予言の2000年問題で揺れた1999年であったわけです。
1月7日 - 米上院、クリントン大統領に対する弾劾裁判を開始。
1月14日 - 自自連立により、小渕1次改造内閣が発足。
3月3日 - 日本銀行、ゼロ金利政策実施。
4月11日 - 石原慎太郎、東京都知事に当選。
4月14日 -光市母子殺害事件が発生。
7月1日 - NTTがNTT東日本とNTT西日本とNTTコミュニケーションズに分割される。
8月14日 - 神奈川県山北町の玄倉川が増水。中州に取り残されたキャンプ客のうち、流された13人が死亡する玄倉川水難事故が発生。
9月8日 - 池袋通り魔殺人事件。男が通行人を次々に襲い2人死亡、6人が重軽傷。
9月21日 - 台湾大地震発生。
9月29日 - 下関通り魔殺人事件。JR下関駅に男が乗用車で突っ込み、駅構内の乗客を切りつけ5人死亡、10人が重軽傷。
9月30日 - 東海村JCO臨界事故発生。茨城県東海村の核燃料施設JCOで日本初の臨界事故。2人死亡。
9月 - 神奈川県警の不祥事が相次いで発覚、全国の警察に波及。
10月26日 - 桶川ストーカー殺人事件発生。事件前に埼玉県警上尾署に訴えたが対応せず、捜査調書の改竄(かいざん)も判明。
11月11日 - 江崎グリコがこの日を「プリッツ」&「ポッキー」の日と定める。
宇多田ヒカル人気、初アルバム『First Love』が700万枚を超す記録的セールスになりその後、900万枚を超える(CDアルバム売り上げ第一位)
まあなかなか不安な世相であった事は良く記憶にあるかと思いますが、昭和11年と比較できるかどうかはどうもわかりません。その中でも特に11月11日にグリコのキャッチコピーが際立つかと思いますが、グリコは最初の発売が大正11年2月11日であったそうです。江崎グリコの会社設立が2月22日であったそうで、実はどちらもブラザーワシントンの誕生日のそれぞれ旧暦と新暦の日ですね。グリコの名前はグリコーゲンからきているそうです。グリコーゲンの分解・再生成の経路を発見したのはユダヤ人のゲルティー・コリ、カール・コリ夫妻とアルゼンチン人のバーナード・ウッセイで、その功績で1947年度のノーベル医学生理学賞を受賞しています。江崎グリコといえばグリコ森永事件が有名ですが、色々と想像する人も多いのではないでしょうか。

道頓堀川のグリコのネオンも良く見るとAll Seeing Eyeとキリストの像を重ねたような印象ですね。
まあ今回も書き散らしのような感じになりましたが、結論としては3と11の数字が大事だという事で、33という数字に集約されるのかと思います。
さて間があくと忘れてしまうかもしれないロンドン・パリのフリーメイスンリー旅行記です。
ロンドンのテムズ川を川下りしてグリニッジに到着してクイーンズハウス、クイーンメアリーとクイーンエリザベスが生まれた土地を巡っています。前回出した対称の建物の向かって右側の建物の中に入っていきます。海軍大学の講堂として使われているようです。実際に中に入るとフリーメイスンリーの会堂かなという感じです。






なにやら素晴らしい天井画と壁画ですが、どうも絵の意味は全くわかりません。床は白黒の幾何学模様です。一応海軍大学の講堂という形になっています。ワシントンD.C.の合衆国議事堂の原型のような感じでしょうか。






とにかくはっきりした解説が無いので何が書いてあるか全然わかりません。ブラザーイニゴー・ジョーンズの絵がどこかにないかと入口にいた人に聞いたら、この建物はブラザーイニゴー・ジョーンズが建築していないのでその像は無いとの事でした。なかなか難しいですね。(10/24追記:ブラザークリストファー・レンによる設計のようです。海軍の戦傷者の為の病院であったようです。)結局壁画や天井画の図案や誰が書いたかも良くわからないままでした。(10/25追記:ブラザージェームズ・ソーンヒルという晩年のニュートンの肖像を描いたフリーメイスンが描いたようです。英語版ウィキペディアにありました。)この建物の反対側の向かって左側は教会になっていて、日曜の礼拝中であり写真撮影は禁止でした。日曜はどこも礼拝をやっていましたね。






完全に対称性の配置なのですね。まあ是非一度訪問する事をお勧めします。そして上陸した側の右手の方に戻ると国立海事博物館があります。入口にはフリーメイスンリーのシンボルの碇があります。




中はなんだか遊園地のような博物館というよりもデパートの屋上のような作りです。どうもおかしいなあと。クイーンズハウスはどこだろうと探します。途中いかにもフリーメイスンの像のようなものがありますが、詳しくはわかりません。旧邸をガラスと金属の覆いで覆ったような構造になっています。クイーンズハウスは保存されているのかなあとか色々考えます。どうも子供向けの展示のようで何やらおかしな感じです。食べるところがあってそこで食べて満足みたいな雰囲気になっていました。






奥の方のあまり人が来ないところに突然四元徳のステンドグラスがありました。おー完全にフリーメイスンリーの聖地だと思いましたがどうも妙な展示で解説を読むと何やらテロで爆発があって完全にステンドグラスが破壊されたのを完璧に修復したのだと。ホンマかいなと。何やらちょっと複雑なイギリスの様々な現代のフリーメイスンリー事情がある感じでした。
しかしなかなかクイーンズハウスに行き着きません。どこにあるんだろう。やっぱり結局iPhoneの地図で見たんでしたかね。
ロンドンのテムズ川を川下りしてグリニッジに到着してクイーンズハウス、クイーンメアリーとクイーンエリザベスが生まれた土地を巡っています。前回出した対称の建物の向かって右側の建物の中に入っていきます。海軍大学の講堂として使われているようです。実際に中に入るとフリーメイスンリーの会堂かなという感じです。






なにやら素晴らしい天井画と壁画ですが、どうも絵の意味は全くわかりません。床は白黒の幾何学模様です。一応海軍大学の講堂という形になっています。ワシントンD.C.の合衆国議事堂の原型のような感じでしょうか。






とにかくはっきりした解説が無いので何が書いてあるか全然わかりません。ブラザーイニゴー・ジョーンズの絵がどこかにないかと入口にいた人に聞いたら、この建物はブラザーイニゴー・ジョーンズが建築していないのでその像は無いとの事でした。なかなか難しいですね。(10/24追記:ブラザークリストファー・レンによる設計のようです。海軍の戦傷者の為の病院であったようです。)結局壁画や天井画の図案や誰が書いたかも良くわからないままでした。(10/25追記:ブラザージェームズ・ソーンヒルという晩年のニュートンの肖像を描いたフリーメイスンが描いたようです。英語版ウィキペディアにありました。)この建物の反対側の向かって左側は教会になっていて、日曜の礼拝中であり写真撮影は禁止でした。日曜はどこも礼拝をやっていましたね。






完全に対称性の配置なのですね。まあ是非一度訪問する事をお勧めします。そして上陸した側の右手の方に戻ると国立海事博物館があります。入口にはフリーメイスンリーのシンボルの碇があります。




中はなんだか遊園地のような博物館というよりもデパートの屋上のような作りです。どうもおかしいなあと。クイーンズハウスはどこだろうと探します。途中いかにもフリーメイスンの像のようなものがありますが、詳しくはわかりません。旧邸をガラスと金属の覆いで覆ったような構造になっています。クイーンズハウスは保存されているのかなあとか色々考えます。どうも子供向けの展示のようで何やらおかしな感じです。食べるところがあってそこで食べて満足みたいな雰囲気になっていました。






奥の方のあまり人が来ないところに突然四元徳のステンドグラスがありました。おー完全にフリーメイスンリーの聖地だと思いましたがどうも妙な展示で解説を読むと何やらテロで爆発があって完全にステンドグラスが破壊されたのを完璧に修復したのだと。ホンマかいなと。何やらちょっと複雑なイギリスの様々な現代のフリーメイスンリー事情がある感じでした。
しかしなかなかクイーンズハウスに行き着きません。どこにあるんだろう。やっぱり結局iPhoneの地図で見たんでしたかね。
さてちょっと無理やりですが3回でクイーンズハウスは終わりにします。
先ほどの国立海事博物館の左隣にクイーンズハウスはありました。


おー見つけたと。やはりインターネットで見る景色は正確というか印象に強いですね。まさにそのままという感じでした。すぐに白黒の傘をさしたかなり女性が若い感じのカップルが来ます。どうだという感じのまさにフリーメイスンという感じです。なかなかおしゃれな傘でどこかで売っていたら買おうと思いましたがどこにも売っていませんでした。まあホントに英仏ではフリーメイスンリーといえばこの白黒の感じでしたね。

ロンドンオリンピックでの馬術の会場であったそうです。ここで法華津選手や武田製薬の社長の娘さんが馬術の競技を行ったのですね。どうも武田製薬はその後ライオンズクラブ関連のシンボルを商標でアピールしているようです。国内一位の製薬会社ですが、三角のピラミッドのシンボルマークは国内でしか使っていません。



この辺は天気も悪いので正直フリッカーの写真の方がきれいです。まあそれと同じ光景という事で目的地だと確認されます。






この対称性の美、機能性、実用性というものは是非英国の美意識、思想、フリーメイスンリーの思想の源流を理解するためにも多くの方にお勧めする光景かと思います。それほどこういう完全な対称形の建築物というのは多くないと思うのですが違和感が無いのですね。






建物の正面地下の入り口に立派な要石のあるアーチがあり、ちょっと狭くなっています。左手の方に納屋のような塗り壁の場所があり、ここはちょっと古い感じの部屋です。そこから有名な螺旋階段があります。そして登るとすぐにフリッカーで出てくるチェッカー模様の大理石の床面の中央の吹き抜けの部屋です。






天井や床の模様ですね。有名なチューリップ階段と呼ばれる螺旋階段の光景です。ブログのヘッダー画像にも使っています。是非一度行かれる事をお勧めします。






やはり今回のロンドン・パリで見たチェッカー模様の中で一番美しいものかと思います。ここの床を見るとその当時この模様が最新の流行であり、この模様を次々に石工達が最も重要な模様として取り入れて真似ていったのが理解される気がします。美しい幾何学模様で単純でいて世界を表現していて、普遍的であるかと思われますし、視覚そのものに最大の刺激を喚起するような合理的なものなのだと思います。






美しい天井画があり、グリニッジ宮殿の一部として建てられたこの建築が、当時敬虔なカトリックの王国であった際に王家の屋敷そのものがカトリックの教会と同じ建築で作られているという、信仰の証として、また子女のキリスト教の教育の端緒として存在した事が伺われるものかと思います。壁画も王室関連のものと海軍関連のものがありました。上のものはカトリックの司祭たちの会議の様子でしょうか。






王室関連の絵画の見学をしているとさすがにヘンリー8世はわかるようになるかと思います。
ヘンリー8世の時代に英国国教会が成立するわけですが、ヘンリー8世は稀に見る賢い君主であったそうで、結婚しては離婚して処刑してしまうという事を繰り返しましたが、それは絶対王政の限界であったというのが実際のようです。この後フランスでヴェルサイユ宮殿で同じ絶対君主のルイ14世の作った庭園を見学しますが、いずれにしても独裁君主の近代国家における限界、そういうものをそれぞれの国のそれぞれの絶対王政は示す事でフリーメイスンリーの基本思想である民主主義、参加者による合議制というシステムの優越性が示されていったのかと思われます。まあそもそもそういう絶対王制を支える帝王学とも言うべき、絶対君主の生育環境や君主のキリスト教の教育そのものに現代のフリーメイスンリーの原型が含まれていて、それらが具体的に君主が人間的な限界を示した際や、外国勢力との武力闘争や外交交渉の間で、様々なシステム的な経験や蓄積を重ねていき、最終的に組織としてのフリーメイスンリーとして結実していったのかと思われました。クイーンズハウスはそれらの実務的メイスンリーの時代の根幹を成す合理性、規則性、対称性という科学的思想の萌芽とも言うべき数々の法則性を見事に具現化した、まさにイギリス絶対王政を支えた実存する帝王学であるかと思われます。






まさに神と人間を結び付ける旧約聖書のユダヤ民族最大の繁栄の象徴であるソロモン宮殿の建築と同じく、建築によって住む人間の全ての感覚を磨きあげ、五感に訴えかけ、この世の神が司る法則性、規則性を体感するための目的を達成しえた建築かと思われます。






大英帝国の繁栄もこれらブラザーイニゴー・ジョーンズやブラザークリストファー・レンの建築から始まったと言っても過言ではないのではないでしょうか。それほど彼らの建築が与えた影響というのは大きなものがあったかと思いますし、そういったものが大きな象徴となり、ニュートンや王立協会を中心とした科学の発展に繋がったものかと思います。






実際にこういう極めて厳密な対称形の建築物が重要な場所にあるかないかという事だけでも、科学的思想や自然法則の完全性という基本的な考え方や物の見方が出来るかできないかという事で違ってくるのかと思います。



国立海事博物館の入り口の王室の紋章です。博物館の裏にあったバラです。フリーメイスンリーの象徴ですね。イギリスでは王室の象徴そのものでもあります。
この後はグリニッジ天文台に向けて丘を登っていきます。
先ほどの国立海事博物館の左隣にクイーンズハウスはありました。


おー見つけたと。やはりインターネットで見る景色は正確というか印象に強いですね。まさにそのままという感じでした。すぐに白黒の傘をさしたかなり女性が若い感じのカップルが来ます。どうだという感じのまさにフリーメイスンという感じです。なかなかおしゃれな傘でどこかで売っていたら買おうと思いましたがどこにも売っていませんでした。まあホントに英仏ではフリーメイスンリーといえばこの白黒の感じでしたね。

ロンドンオリンピックでの馬術の会場であったそうです。ここで法華津選手や武田製薬の社長の娘さんが馬術の競技を行ったのですね。どうも武田製薬はその後ライオンズクラブ関連のシンボルを商標でアピールしているようです。国内一位の製薬会社ですが、三角のピラミッドのシンボルマークは国内でしか使っていません。



この辺は天気も悪いので正直フリッカーの写真の方がきれいです。まあそれと同じ光景という事で目的地だと確認されます。






この対称性の美、機能性、実用性というものは是非英国の美意識、思想、フリーメイスンリーの思想の源流を理解するためにも多くの方にお勧めする光景かと思います。それほどこういう完全な対称形の建築物というのは多くないと思うのですが違和感が無いのですね。






建物の正面地下の入り口に立派な要石のあるアーチがあり、ちょっと狭くなっています。左手の方に納屋のような塗り壁の場所があり、ここはちょっと古い感じの部屋です。そこから有名な螺旋階段があります。そして登るとすぐにフリッカーで出てくるチェッカー模様の大理石の床面の中央の吹き抜けの部屋です。






天井や床の模様ですね。有名なチューリップ階段と呼ばれる螺旋階段の光景です。ブログのヘッダー画像にも使っています。是非一度行かれる事をお勧めします。






やはり今回のロンドン・パリで見たチェッカー模様の中で一番美しいものかと思います。ここの床を見るとその当時この模様が最新の流行であり、この模様を次々に石工達が最も重要な模様として取り入れて真似ていったのが理解される気がします。美しい幾何学模様で単純でいて世界を表現していて、普遍的であるかと思われますし、視覚そのものに最大の刺激を喚起するような合理的なものなのだと思います。






美しい天井画があり、グリニッジ宮殿の一部として建てられたこの建築が、当時敬虔なカトリックの王国であった際に王家の屋敷そのものがカトリックの教会と同じ建築で作られているという、信仰の証として、また子女のキリスト教の教育の端緒として存在した事が伺われるものかと思います。壁画も王室関連のものと海軍関連のものがありました。上のものはカトリックの司祭たちの会議の様子でしょうか。






王室関連の絵画の見学をしているとさすがにヘンリー8世はわかるようになるかと思います。
ヘンリー8世の時代に英国国教会が成立するわけですが、ヘンリー8世は稀に見る賢い君主であったそうで、結婚しては離婚して処刑してしまうという事を繰り返しましたが、それは絶対王政の限界であったというのが実際のようです。この後フランスでヴェルサイユ宮殿で同じ絶対君主のルイ14世の作った庭園を見学しますが、いずれにしても独裁君主の近代国家における限界、そういうものをそれぞれの国のそれぞれの絶対王政は示す事でフリーメイスンリーの基本思想である民主主義、参加者による合議制というシステムの優越性が示されていったのかと思われます。まあそもそもそういう絶対王制を支える帝王学とも言うべき、絶対君主の生育環境や君主のキリスト教の教育そのものに現代のフリーメイスンリーの原型が含まれていて、それらが具体的に君主が人間的な限界を示した際や、外国勢力との武力闘争や外交交渉の間で、様々なシステム的な経験や蓄積を重ねていき、最終的に組織としてのフリーメイスンリーとして結実していったのかと思われました。クイーンズハウスはそれらの実務的メイスンリーの時代の根幹を成す合理性、規則性、対称性という科学的思想の萌芽とも言うべき数々の法則性を見事に具現化した、まさにイギリス絶対王政を支えた実存する帝王学であるかと思われます。






まさに神と人間を結び付ける旧約聖書のユダヤ民族最大の繁栄の象徴であるソロモン宮殿の建築と同じく、建築によって住む人間の全ての感覚を磨きあげ、五感に訴えかけ、この世の神が司る法則性、規則性を体感するための目的を達成しえた建築かと思われます。






大英帝国の繁栄もこれらブラザーイニゴー・ジョーンズやブラザークリストファー・レンの建築から始まったと言っても過言ではないのではないでしょうか。それほど彼らの建築が与えた影響というのは大きなものがあったかと思いますし、そういったものが大きな象徴となり、ニュートンや王立協会を中心とした科学の発展に繋がったものかと思います。






実際にこういう極めて厳密な対称形の建築物が重要な場所にあるかないかという事だけでも、科学的思想や自然法則の完全性という基本的な考え方や物の見方が出来るかできないかという事で違ってくるのかと思います。



国立海事博物館の入り口の王室の紋章です。博物館の裏にあったバラです。フリーメイスンリーの象徴ですね。イギリスでは王室の象徴そのものでもあります。
この後はグリニッジ天文台に向けて丘を登っていきます。
さて世の中は日本の選挙も近い事もあって色々騒がしいようですが、当ブログは当分浮世離れしたフリーメイスンリーのロンドン・パリ巡りです。
日にちの話題が好評だったのでしょうかねえ。あまりエキセントリックに反応しないようにするにはフリーメイスンリーに慣れるという事が最も重要な事かもしれませんね。聖書の文言に慣れるみたいなところも似ている感じがします。
本編の方は色々考えた渾身の副題です。東と西の邂逅にかけたダジャレですが、常に東と西が接している場所、子午線の地という事で、実は東と西に地を分けるものはここにあるのだという比喩も入っているわけです。それはワシントンD.C.のホワイトハウスとHouse of the Templeを結ぶ線の北にあるメリディアンヒルパーク(子午線の丘公園)とフランスの象徴であるジャンヌ・ダルク像を結ぶ線とも関係していると思います。
グリニッジはクイーンズハウスのついでに行ったわけですが、想像以上にフリーメイスンリーの地でありました。ニュートンやブラザーフックなどの王立協会のメンバーが常に望遠鏡で星星を観察し、それらから世界の動きや成り立ちを想像し具体的に検討していった様子はまさにフリーメイスンリー最大の象徴でもある星星のシンボルや、太陽と月のシンボル、十二星座や天球儀、地球儀といった基本的なシンボルのルーツとなっているものかと思われます。アメリカ系フリーメイスンリーの重要なシンボルであるGのシンボルもGod, Great Architect of the Universe, Geometryの頭文字の他に、Geography(地理)やGravity(重力)の意味もあるとされ(天球儀も一つの地理であったかと思います。)、それらの元になるニュートンのプリンシパルの元となる天体観測(実際には理論と異なっていてニュートンは怒ったそうです。)やそれらの観測に基づいた仮説を議論し合ったであろう地がこのロンドンから少し離れたグリニッジです。元々ロンドン塔に観測所が設けられた時代もあったそうですが、ロンドンから少し離れたこの地の丘が観測にもまた観測結果を持ってシティーのギルドホールに持ち帰るにも良い場所であったものかと思われます。
まあいずれにしてもクイーンズハウスのついでという事で、まあグリニッジに来た人が全員訪れるのだと思いますが、結構な丘で繰り返しになりますがポンドに換金するのを忘れていて飲み物も買えず、脱水で倒れたりしないだろうかと時差ぼけも加わりつつ丘を登ることとなりました。

これは国立海事博物館の裏にあったグリニッジの地図ですね。子午線が書かれています。この地図だとすぐに着きそうですが実際には15分から20分ほど丘を登る事になります。

これも国立海事博物館の裏にあるモニュメントですね。かなりオシャレな感じです。一応フリーメイスンリーのノアの箱舟のシンボルになるのかと思います。

これは海軍の将軍みたいな人の石像です。恐らくフリーメイスンでしょう。

いかにもな感じのパブがあります。グリニッジの町並みはロンドンとはちょっと違って落ち着いていて、観光地っぽい観光客向けのパブやレストラン、お土産屋さんがあります。非常に落ち着いていて、明るい感じで良い場所です。ゆっくり歩いて見たい感じもありますが、恐らくフリーメイスンリーのロッジが多くあるそういう影響かと思われます。

この地図はかなりリアルな感じです。山一つが天文台という感じです。オリンピックの馬術競技の会場であったそうで道路もその名残の金網や色々な仕切りがそのまま大量においてありました。なかなかリサイクルのオリンピックといっても、会場の撤去や再利用は実際には時間のかかる厄介な仕事であるようです。

結構な坂でしたが自転車で登る人もいたりなんかします。まあイギリスの地元の人が多いのかもしれません。歩いて登るしかないようなので高齢者は結構難しいかもしれません。それでもそれだけの価値はある場所かと思います。

ブラザークリストファー・レンによる建築と思われます。天文台の中央はいかにもAll Seeing Eyeのシンボルの形をしています。

現在ロンドンで唯一のプラネタリウムがあったりします。一日いても良いようにできている土地ですが、まあ外国からきている人はなかなかそうもゆっくり滞在はしないかと思います。ブログを検索するとどこのブログでもグリニッジの評判は良いようです。ただフリーメイスンリーについて書かれたものはなさそうですね。是非そういう目で科学の萌芽と大英帝国の帝王学を学び伝えた地としてフリーメイスンリーの聖地とも言えるグリニッジを訪問してはいかがでしょうか。
次回はグリニッジの子午線と望遠鏡、65億円をかけて焼失から復元したカティー・サーク号の帆船を見ていきます。まあ普通の観光案内ですが、それらがただ単にフリーメイスンリーのシンボルというだけです。
カティー・サーク号とかそういうのも今ブログを調べて知りました。
訪問した時はシンボルかどうかとしてしか見ていません。
日にちの話題が好評だったのでしょうかねえ。あまりエキセントリックに反応しないようにするにはフリーメイスンリーに慣れるという事が最も重要な事かもしれませんね。聖書の文言に慣れるみたいなところも似ている感じがします。
本編の方は色々考えた渾身の副題です。東と西の邂逅にかけたダジャレですが、常に東と西が接している場所、子午線の地という事で、実は東と西に地を分けるものはここにあるのだという比喩も入っているわけです。それはワシントンD.C.のホワイトハウスとHouse of the Templeを結ぶ線の北にあるメリディアンヒルパーク(子午線の丘公園)とフランスの象徴であるジャンヌ・ダルク像を結ぶ線とも関係していると思います。
グリニッジはクイーンズハウスのついでに行ったわけですが、想像以上にフリーメイスンリーの地でありました。ニュートンやブラザーフックなどの王立協会のメンバーが常に望遠鏡で星星を観察し、それらから世界の動きや成り立ちを想像し具体的に検討していった様子はまさにフリーメイスンリー最大の象徴でもある星星のシンボルや、太陽と月のシンボル、十二星座や天球儀、地球儀といった基本的なシンボルのルーツとなっているものかと思われます。アメリカ系フリーメイスンリーの重要なシンボルであるGのシンボルもGod, Great Architect of the Universe, Geometryの頭文字の他に、Geography(地理)やGravity(重力)の意味もあるとされ(天球儀も一つの地理であったかと思います。)、それらの元になるニュートンのプリンシパルの元となる天体観測(実際には理論と異なっていてニュートンは怒ったそうです。)やそれらの観測に基づいた仮説を議論し合ったであろう地がこのロンドンから少し離れたグリニッジです。元々ロンドン塔に観測所が設けられた時代もあったそうですが、ロンドンから少し離れたこの地の丘が観測にもまた観測結果を持ってシティーのギルドホールに持ち帰るにも良い場所であったものかと思われます。
まあいずれにしてもクイーンズハウスのついでという事で、まあグリニッジに来た人が全員訪れるのだと思いますが、結構な丘で繰り返しになりますがポンドに換金するのを忘れていて飲み物も買えず、脱水で倒れたりしないだろうかと時差ぼけも加わりつつ丘を登ることとなりました。

これは国立海事博物館の裏にあったグリニッジの地図ですね。子午線が書かれています。この地図だとすぐに着きそうですが実際には15分から20分ほど丘を登る事になります。

これも国立海事博物館の裏にあるモニュメントですね。かなりオシャレな感じです。一応フリーメイスンリーのノアの箱舟のシンボルになるのかと思います。

これは海軍の将軍みたいな人の石像です。恐らくフリーメイスンでしょう。

いかにもな感じのパブがあります。グリニッジの町並みはロンドンとはちょっと違って落ち着いていて、観光地っぽい観光客向けのパブやレストラン、お土産屋さんがあります。非常に落ち着いていて、明るい感じで良い場所です。ゆっくり歩いて見たい感じもありますが、恐らくフリーメイスンリーのロッジが多くあるそういう影響かと思われます。

この地図はかなりリアルな感じです。山一つが天文台という感じです。オリンピックの馬術競技の会場であったそうで道路もその名残の金網や色々な仕切りがそのまま大量においてありました。なかなかリサイクルのオリンピックといっても、会場の撤去や再利用は実際には時間のかかる厄介な仕事であるようです。

結構な坂でしたが自転車で登る人もいたりなんかします。まあイギリスの地元の人が多いのかもしれません。歩いて登るしかないようなので高齢者は結構難しいかもしれません。それでもそれだけの価値はある場所かと思います。

ブラザークリストファー・レンによる建築と思われます。天文台の中央はいかにもAll Seeing Eyeのシンボルの形をしています。

現在ロンドンで唯一のプラネタリウムがあったりします。一日いても良いようにできている土地ですが、まあ外国からきている人はなかなかそうもゆっくり滞在はしないかと思います。ブログを検索するとどこのブログでもグリニッジの評判は良いようです。ただフリーメイスンリーについて書かれたものはなさそうですね。是非そういう目で科学の萌芽と大英帝国の帝王学を学び伝えた地としてフリーメイスンリーの聖地とも言えるグリニッジを訪問してはいかがでしょうか。
次回はグリニッジの子午線と望遠鏡、65億円をかけて焼失から復元したカティー・サーク号の帆船を見ていきます。まあ普通の観光案内ですが、それらがただ単にフリーメイスンリーのシンボルというだけです。
カティー・サーク号とかそういうのも今ブログを調べて知りました。
訪問した時はシンボルかどうかとしてしか見ていません。
ブラザーサーゲオルグ・ショルティ―の動画を検索していて、このブログの小さい枠でも使えるものが3つあったので、ディズニーアニメのミッキーのものと、ブラザーバスター・キートンのマイケルの音楽にのせたもの、テキサスのグランドロッジの外観を載せた動画を削除し、ブラザーサーゲオルグ・ショルティ―の指揮による以下の動画3つを加えました。
ブラザーモーツァルトのオペラ、フィガロの結婚の前奏曲ですね。横須賀芸術劇場では2013年1月13日にフィガロの結婚を上演するそうです。まだチケットがあるようです。(11/24追記:削除しました。)
ブラザーマーラーの交響曲第2番です。(11/24追記:削除しました。)
ブラザードヴォルザークによる新世界よりです。ブラザードヴォルザークはブラザーブラームスやブラザースメタナ、ブラザーチャイコフスキーと交流があり、弟子のブラザージョセフ・スークもフリーメイスンですし、フリーメイスンだと思われます。アメリカを題材とした管弦楽組曲や弦楽四重奏曲も書いています。(11/25追記:動画が削除されていました。)
ブラザーサーゲオルグ・ショルティ―についてはケーブルテレビのクラシカ・ジャパンというクラシック専門チャンネルで特集を組んでいて知りました。経歴その他についてはウィキペディアを引用します。
サー・ゲオルク・ショルティKBE(Sir Georg Solti, KBE, 1912年10月21日 - 1997年9月5日)は、ハンガリー出身で、ドイツ、のちイギリスの国籍で活躍した指揮者、ピアニストである。ゲオルグ・ショルティとも書かれる。ユダヤ系。
ピアニストとしてリスト音楽院を卒業したのちにナチス支配下のオーストリアのザルツブルグ音楽祭の魔笛の鉄琴でオペラデビューし、フィガロの結婚で指揮者デビューを果たしたそうです。戦後にミュンヘンのバイエルン音楽歌劇場の音楽監督となり、その後渡英してロンドンのコヴェント・ガーデン王立歌劇場(ロイヤル・オペラハウス)の音楽監督となり、さらにシカゴ交響楽団の音楽監督となり、英国の爵位を授与され、カラヤン亡き後のザルツブルグ音楽祭の指揮を行っています。奇しくもマザーテレサと同じ日に亡くなったそうです。指揮は見ていただければわかるかと思いますが、正確な動きと音を同期させたスタイルで簡潔で明瞭といったところでしょうか。私がフリーメイスンと断定した根拠はその墓で下の形をしているそうです。

音楽家の史跡を訪ねてというブログからお借りしました。問題あれば連絡ください。まあGの形という事でシンボルという事な訳ですが、もちろん上記の経歴と公演などを見て判断したわけです。
有名な音楽家は多くがフリーメイスンであるようです。クラシックに興味のない方も様々な視点で音楽を眺めてみるとまた違う発見があり、クラシックを含めた音楽が好きになる事があるかもしれません。フリーメイスンリーはそういうきっかけの一つの要素となりうるかと思います。
ブラザーモーツァルトのオペラ、フィガロの結婚の前奏曲ですね。横須賀芸術劇場では2013年1月13日にフィガロの結婚を上演するそうです。まだチケットがあるようです。(11/24追記:削除しました。)
ブラザーマーラーの交響曲第2番です。(11/24追記:削除しました。)
ブラザードヴォルザークによる新世界よりです。ブラザードヴォルザークはブラザーブラームスやブラザースメタナ、ブラザーチャイコフスキーと交流があり、弟子のブラザージョセフ・スークもフリーメイスンですし、フリーメイスンだと思われます。アメリカを題材とした管弦楽組曲や弦楽四重奏曲も書いています。(11/25追記:動画が削除されていました。)
ブラザーサーゲオルグ・ショルティ―についてはケーブルテレビのクラシカ・ジャパンというクラシック専門チャンネルで特集を組んでいて知りました。経歴その他についてはウィキペディアを引用します。
サー・ゲオルク・ショルティKBE(Sir Georg Solti, KBE, 1912年10月21日 - 1997年9月5日)は、ハンガリー出身で、ドイツ、のちイギリスの国籍で活躍した指揮者、ピアニストである。ゲオルグ・ショルティとも書かれる。ユダヤ系。
ピアニストとしてリスト音楽院を卒業したのちにナチス支配下のオーストリアのザルツブルグ音楽祭の魔笛の鉄琴でオペラデビューし、フィガロの結婚で指揮者デビューを果たしたそうです。戦後にミュンヘンのバイエルン音楽歌劇場の音楽監督となり、その後渡英してロンドンのコヴェント・ガーデン王立歌劇場(ロイヤル・オペラハウス)の音楽監督となり、さらにシカゴ交響楽団の音楽監督となり、英国の爵位を授与され、カラヤン亡き後のザルツブルグ音楽祭の指揮を行っています。奇しくもマザーテレサと同じ日に亡くなったそうです。指揮は見ていただければわかるかと思いますが、正確な動きと音を同期させたスタイルで簡潔で明瞭といったところでしょうか。私がフリーメイスンと断定した根拠はその墓で下の形をしているそうです。

音楽家の史跡を訪ねてというブログからお借りしました。問題あれば連絡ください。まあGの形という事でシンボルという事な訳ですが、もちろん上記の経歴と公演などを見て判断したわけです。
有名な音楽家は多くがフリーメイスンであるようです。クラシックに興味のない方も様々な視点で音楽を眺めてみるとまた違う発見があり、クラシックを含めた音楽が好きになる事があるかもしれません。フリーメイスンリーはそういうきっかけの一つの要素となりうるかと思います。
さてYouTubeの動画も良いような悪いようなあれですが、内容が増えた事は確実かと思います。
日本のテレビのドキュメンタリーがほとんど内容を伴わなくなって久しいですが、その分アメリカ発の情報の直接発信というところでYouTubeの動画の内容が充実しているのは一つの政策かもしれません。
そういうわけでこのブログの自動再生されるYouTubeの動画には250×141という大きさの制限があり、そのためか200曲のYouTubeの再生リストの中でなぜか再生できなくなるものが出てきたりしました。ブラザーナット・キング・コールのフライトゥーザムーンが再生できなくなりましたので、ブラザーマンリー・P・ホールやブラザーアルバート・パイクのモラルズアンドドグマの解説をアップロードしているMasonicBooksというチャンネルで新たにアップロードされていた、モラルズアンドドグマの朗読そのものの最初のものを入れました。
まだこれ以降はアップロードされていませんので、興味のある方は随時確認してください。いずれモラルズアンドドグマも日本語訳に挑戦するつもりです。
またブラザーリストのラ・カンパネラも再生できなくなっていましたので、代わりにドイツの国歌を入れようと思いましたが色々問題があるそうなので、こちらも色々ありそうですが君が代を入れました。独唱のものを探してきて入れました。どうなんでしょうか。基本的に日本人の方の読者が多いかと思いますので感想などありましたらコメントください。
純粋に歌のうまさだけで選びましたが、ホイットニー・ヒューストンさんみたいな例もあるようです。何でも国家主義に結び付くとあまり良くありませんね。
日本のテレビのドキュメンタリーがほとんど内容を伴わなくなって久しいですが、その分アメリカ発の情報の直接発信というところでYouTubeの動画の内容が充実しているのは一つの政策かもしれません。
そういうわけでこのブログの自動再生されるYouTubeの動画には250×141という大きさの制限があり、そのためか200曲のYouTubeの再生リストの中でなぜか再生できなくなるものが出てきたりしました。ブラザーナット・キング・コールのフライトゥーザムーンが再生できなくなりましたので、ブラザーマンリー・P・ホールやブラザーアルバート・パイクのモラルズアンドドグマの解説をアップロードしているMasonicBooksというチャンネルで新たにアップロードされていた、モラルズアンドドグマの朗読そのものの最初のものを入れました。
まだこれ以降はアップロードされていませんので、興味のある方は随時確認してください。いずれモラルズアンドドグマも日本語訳に挑戦するつもりです。
またブラザーリストのラ・カンパネラも再生できなくなっていましたので、代わりにドイツの国歌を入れようと思いましたが色々問題があるそうなので、こちらも色々ありそうですが君が代を入れました。独唱のものを探してきて入れました。どうなんでしょうか。基本的に日本人の方の読者が多いかと思いますので感想などありましたらコメントください。
純粋に歌のうまさだけで選びましたが、ホイットニー・ヒューストンさんみたいな例もあるようです。何でも国家主義に結び付くとあまり良くありませんね。
ああ、東は東、西は西、二つが共に出会うことはない、/大地と空とが神の大いなる審判の座の前に立つに到るまでは。/しかし、東も西も、境も、人種も、生まれもない、/地のそれぞれの果てから来た二人の強者が顔を合わせるそのときには。--ラドヤード・キップリング「東と西のバラード」
Oh, East is East, and West is West, and never the twain shall meet,
Till Earth and Sky stand presently at God's great Judgment Seat;
But there is neither East nor West, border, nor breed, nor birth,
When two strong men stand face to face, though they come from the ends of the earth!
ああ、東は東、西は西、二つが共に出会うことはない、/あなたが天文学者が扱った子午線の地を訪れるまで、
/しかし、東も西も、境も、人種も、生まれもない/少数の旅人が真のシンボルの意味を知り、それらが地上で最も価値があると考えるときには。
Oh, East is East, and West is West, and never the twain shall meet,
Till you visit the place of the meridian that astronomers treat;
But there is neither East nor West, border, nor breed, nor birth,
When a few travelers recognize true symbol meaning, so they value them the best on the earth!
完全なダジャレですがブラザーキップリングの詩の意訳とも改変ともとれるものを作ってみました。
子午線のシンボルというのは実物を目にするとなんとも非常に象徴的で、感慨深いものでした。東西冷戦の終結や西洋や東洋といった言葉が当たり前になった現代で、そのまさに厳密な意味での地球を東と西に世界を分けている線というのは、それが持つ地理学的な意味だけでなく、それらが世界を分けている、東か西か、敵か味方か、勝者か敗者かと分けているというそういう事も含めて分けている線、分ける判定をするのがこのロンドンの地にあるという感慨を持つものでありました。それは言い換えればそういう物事を分ける線、判断基準というものが常に象徴であって、自分の中にあり、その線というものを自分の中に持てるという意味にもなろうかと思います。シンボルというものは偶像ではなくあくまで教訓を象徴するものであり、そのシンボルの意味するものが常に自らに存在する事を確認するための道具であり、大事なのはそれらシンボルの意味する事を理解しその中で自分自身をコントロールして高めていくのだという事だと思います。
さてまあややこしい話はさておき、それくらい誰でも感慨を持てる象徴的な地であり、それくらいそういう天文学者、フリーメイスン達の歴史を簡単に感じられる地というのがグリニッジ天文台であったのだと思います。

プラネタリウムがあるのですね。面白そうですが、時間が無いのとお金を持っていないのとがあるのでちょっと立ち寄れません。

クイーンズハウスと海軍大学を見下ろす光景です。完全に馬術の会場が邪魔になってしまっています。美しい光景はフリッカーの画像でお楽しみください。こういう中途半端な感じが実際の旅です。

ジェームズ・ウルフという陸軍の軍人のようですが、七年戦争や、カナダでの戦争で活躍した方のようです。恐らくフリーメイスンだと思われます。

子午線があります。実はこれは入場料を払う前に柵の間から撮ったもので、入場料が1000円くらいだったかと思います。皆単に子午線の上をまたいだ写真を撮りたいがためだけに入場料を払う感じでした。


で、まあカードで入場料を払ってこんな感じです。

風見鶏が変わった形をしています。

初期の望遠鏡でしょうか。




ブログのヘッダーにも使っていますが、わざわざ子午線上に望遠鏡が存在します。ここの観測所の結果が世界最良最高のものであり、世界の基準であるという象徴なのでしょうが、そういう時代があったのでしょうね。しかし子午線上で観測する意味というのはちょっと良くわかりません。単純に当時最も良い望遠鏡がある場所を子午線にしたというのが実際なのかもしれません。








懐中時計や砂時計の展示があります。ほとんどの人は中を見ていません。イギリス人のリピーターが多いのでしょうか。かなり貴重な展示と思われました。私もだいぶフリーメイスンリーのシンボルが入った時計を持っていますので、非常に興味深かったですが、じっくりと見る時間も無く大急ぎで周りました。フリーメイスンリー関連のグッズではやはり過去において懐中時計の類が最も好まれた歴史もあるようです。Dudleyの時計などがワシントンの展示ではありました。天文観測や気象観測において正確な時間の記録というものは重要であり、またそういうブラザーフックのねじまき時計から始まるフリーメイスンの時間に対する嗜好というものも反映されているものかと思います。砂時計はそのままフリーメイスンリーのシンボルであり、それは転じて時計の意味というところにも反映されるかと思います。グリニッジ標準時が時間の基準であり、それに関する展示であると思われます。






たしか螺旋階段を上るとこの28インチ望遠鏡がありました。床がチェッカー模様になっていてまあそれだけ最初の王立天文台として最近まで観測を続けた、力を入れた象徴なのだと思います。恐らくテレビ画像が現在この望遠鏡で観測できる図というものなのだと思います。ウィキペディアによれば1990年まで観測していたそうです。
Oh, East is East, and West is West, and never the twain shall meet,
Till Earth and Sky stand presently at God's great Judgment Seat;
But there is neither East nor West, border, nor breed, nor birth,
When two strong men stand face to face, though they come from the ends of the earth!
ああ、東は東、西は西、二つが共に出会うことはない、/あなたが天文学者が扱った子午線の地を訪れるまで、
/しかし、東も西も、境も、人種も、生まれもない/少数の旅人が真のシンボルの意味を知り、それらが地上で最も価値があると考えるときには。
Oh, East is East, and West is West, and never the twain shall meet,
Till you visit the place of the meridian that astronomers treat;
But there is neither East nor West, border, nor breed, nor birth,
When a few travelers recognize true symbol meaning, so they value them the best on the earth!
完全なダジャレですがブラザーキップリングの詩の意訳とも改変ともとれるものを作ってみました。
子午線のシンボルというのは実物を目にするとなんとも非常に象徴的で、感慨深いものでした。東西冷戦の終結や西洋や東洋といった言葉が当たり前になった現代で、そのまさに厳密な意味での地球を東と西に世界を分けている線というのは、それが持つ地理学的な意味だけでなく、それらが世界を分けている、東か西か、敵か味方か、勝者か敗者かと分けているというそういう事も含めて分けている線、分ける判定をするのがこのロンドンの地にあるという感慨を持つものでありました。それは言い換えればそういう物事を分ける線、判断基準というものが常に象徴であって、自分の中にあり、その線というものを自分の中に持てるという意味にもなろうかと思います。シンボルというものは偶像ではなくあくまで教訓を象徴するものであり、そのシンボルの意味するものが常に自らに存在する事を確認するための道具であり、大事なのはそれらシンボルの意味する事を理解しその中で自分自身をコントロールして高めていくのだという事だと思います。
さてまあややこしい話はさておき、それくらい誰でも感慨を持てる象徴的な地であり、それくらいそういう天文学者、フリーメイスン達の歴史を簡単に感じられる地というのがグリニッジ天文台であったのだと思います。

プラネタリウムがあるのですね。面白そうですが、時間が無いのとお金を持っていないのとがあるのでちょっと立ち寄れません。

クイーンズハウスと海軍大学を見下ろす光景です。完全に馬術の会場が邪魔になってしまっています。美しい光景はフリッカーの画像でお楽しみください。こういう中途半端な感じが実際の旅です。

ジェームズ・ウルフという陸軍の軍人のようですが、七年戦争や、カナダでの戦争で活躍した方のようです。恐らくフリーメイスンだと思われます。

子午線があります。実はこれは入場料を払う前に柵の間から撮ったもので、入場料が1000円くらいだったかと思います。皆単に子午線の上をまたいだ写真を撮りたいがためだけに入場料を払う感じでした。


で、まあカードで入場料を払ってこんな感じです。

風見鶏が変わった形をしています。

初期の望遠鏡でしょうか。




ブログのヘッダーにも使っていますが、わざわざ子午線上に望遠鏡が存在します。ここの観測所の結果が世界最良最高のものであり、世界の基準であるという象徴なのでしょうが、そういう時代があったのでしょうね。しかし子午線上で観測する意味というのはちょっと良くわかりません。単純に当時最も良い望遠鏡がある場所を子午線にしたというのが実際なのかもしれません。








懐中時計や砂時計の展示があります。ほとんどの人は中を見ていません。イギリス人のリピーターが多いのでしょうか。かなり貴重な展示と思われました。私もだいぶフリーメイスンリーのシンボルが入った時計を持っていますので、非常に興味深かったですが、じっくりと見る時間も無く大急ぎで周りました。フリーメイスンリー関連のグッズではやはり過去において懐中時計の類が最も好まれた歴史もあるようです。Dudleyの時計などがワシントンの展示ではありました。天文観測や気象観測において正確な時間の記録というものは重要であり、またそういうブラザーフックのねじまき時計から始まるフリーメイスンの時間に対する嗜好というものも反映されているものかと思います。砂時計はそのままフリーメイスンリーのシンボルであり、それは転じて時計の意味というところにも反映されるかと思います。グリニッジ標準時が時間の基準であり、それに関する展示であると思われます。






たしか螺旋階段を上るとこの28インチ望遠鏡がありました。床がチェッカー模様になっていてまあそれだけ最初の王立天文台として最近まで観測を続けた、力を入れた象徴なのだと思います。恐らくテレビ画像が現在この望遠鏡で観測できる図というものなのだと思います。ウィキペディアによれば1990年まで観測していたそうです。

まあちょっと感動して曇天ながらユニオンジャックがあったので撮りました。

グリニッジ標準時の表示と、長さのヤードやフィートの基準でしょうか。こういうのも国の長さや重さの基準とフリーメイスンリーの組織と関係しているのかもしれませんね。

下るときは早かったですね。

いかにもフリーメイスンリーのシンボルという天球儀と地球儀のようなものがありました。どちらも地球儀なのか、経線の数が違うのかわかりませんが、まあどう見てもフリーメイスンリーのシンボルですね。
さてグリニッジは大体終わりでしょうか。ちょうど昼頃になってきてレストランが混雑する時間となっていましたが、なにせポンドを持っていないのでなんとかカードでやりくりしたいのと、ウェストミンスターの方も一日で周っておきたいと思っていたので食事もとらないで水とガムだけカードで買って行く事にします。



なんだかよくわかりませんが記念艦を元にしたレストランでした。カティー・サーク号という有名な帆船であったようです。恐らくスピードを競った時代の最速の船であったのではないでしょうか。失火で焼失して65億円をかけて再建したそうで、良くわかりませんが相当の裏事情があった事は想像できるんではないでしょうか。立派なシンボルです。(ウィキペディアに詳しく書いてありました。なかなか面白い逸話です。以前から私は自説で紅茶はお茶が輸送中に劣化してしょうがないから皆紅茶なのではないかと思っていましたがそれに近い内容かと思います。中国とヨーロッパとの関係もあるのでしょうが、おいしい緑茶や烏龍茶がヨーロッパでも飲める時代が来るのは良いのではないでしょうか。カティー・サークの名前はブラザーロバート・バーンズの詩に由来するようです。なんとも良い町です。)
さてまたもや川下りの船に再乗船します。歩かないせいかこの船の中が一番落ち着いていた印象です。買ったガムもフリーメイスンリーのシンボルで驚きました。


グリニッジはロンドンとはまたちょっと趣の異なった、フリーメイスンリー尽くしの街でありました。
さてこの後はウェストミンスター周辺でロンドンアイに向かいます。
まあちょっと大分間延びした感じになってきましたね。
今回の旅行は写真を見ても全体的に枚数が多いけど曇り空が多いせいもあってあまり良い写真が多くないですね。どうも前回のワシントンD.C.と比べるとiPhoneの写真機能自体が劣化したような気もします。あまりに情報量が多いのも困りものなのかもしれませんね。ワシントンD.C.の写真はブログで見せるつもりはなくて撮っていたので枚数も少ない代わりに証拠写真みたいにピンポイントで撮っていた感じだったと思います。いわゆるスマートフォンで変わった事の一番は実はこのブログに載せる写真が世の中増えたという事かもしれません。後は地図機能だと思われます。
さてまあ2日目のロンドンですがとにかく良く雨が降りました。確かに多く雨に降られましたがまた行きたいという思いは現在感じています。20年前はもっと冷たい雹にストーンヘンジで降られて、あまり何度も行きたいと思いませんでした。今回はそれほど寒くなかったのと、食べ物も比較的おいしくなっていて、何よりフリーメイスンリーがそこらじゅうにあるので何度も行きたいという思いはします。それもこれも時差ボケを忘れてきたからだと思います。また20年前と比べてフリーメイスンリーやキリスト教について大分自分が理解したというところもあるかと思います。20年前は圧倒的な文化文明の差に息がつまるといった感じであったと思います。現在はやはり核のところで差を感じる事は当然ですが、インターネットにしてもフリーメイスンリーにしても、マスメディアにしても世界中あらゆるところと繋がっている感覚があると思いますので、人間社会の差をそれほど強くは感じなくなったのかと思います。
まあいずれにしても旅行は知らない土地であればなおさら予習復習が大事かと思います。ブログに載せる事は非常に良い復習になるかと思います。まだ行った事が無い人にとっては予習、行った事がある人にとっては復習、自身にとっては復習と良い訓練かと思いますので、ちょっと間延びした感じでも随時写真に応じて解説を加えていく形にします。
というわけで3回シリーズの枠になるようにちょっと間延びした写真の構成です。

テムズ川から撮った雨のロンドン橋とシャードですね。まだ色々建築中な感じなので、新しい建物がどんどん増えるみたいです。

記念艦のベルファストです。なんだか検索すると内部を詳しく写真を載せているブログがあってなかなかおもしろかったですが、完全に軍事オタの人のブログでした。蝋人形があって展示が良くできているのですね。こういうプレゼンが出来るのが海軍がフリーメイスンリーのイギリスでしょうか。まあ世界の海軍関係の人の訪問が多かった時代に支障の少ない艦を公開していたというところなのかと思います。戦艦三笠もイギリス製ですからね。博物館は基本的にはネットショッピングの写真と同じで販売用のカタログです。





まあ日本も皇居前のかつてGHQに接収された明治生命館なんかも石造りでありますが、石造りの建築だと基本的にITに対応できないんですね。配線がどうしてもそこらじゅうに露出しますから。近代的な空調と配線が可能な建築が早急にたくさん必要なんだと思います。それらとフリーメイスンリーの伝統との兼ね合いがありますから、高層建築がいずれもシンボルの形になるのだと思われます。まあなんだか興味深いところです。





ホントにうまい事ブラックフライアーズ橋は撮っていませんでしたね。橋脚だけ横に並んでいて印象的な橋でしたが、当時は事件の事は全く頭にありませんでした。まあグーグルアースでもブログでも見られるので見られると良いかもしれません。一番詳しいのはナショナルジオグラフィックの動画であるかと思います。そういう知識を持って「天使と悪魔」や「ゴッドファーザー」などの映画も見ると興味深いかもしれませんね。むしろそういう映画というのが正しいのかと思います。

王室のかつての一族の写真がありました。もちろんダイアナ妃の結婚前ですね。ダイアナ妃もパリで亡くなっていますしウィンザー城の火事もその前のようですし、相当背景があるのでしょうね。新しいウィリアム王子の奥さんのキャサリン妃もフランスでヌードを撮られたりしていますし、ブラザーエドマンド・バーグの「フランス革命の省察」ではないですが、英仏海峡の間には様々な駆け引きが常態なようです。ナポレオン3世の話などでも色々あったようですし、ブラザーディケンスの「二都物語」も基本的にはそういう陰謀の話ばかりのようです。すごい海峡です。


まあえらい雨に降られましたが川下りはお勧めですね。まあいずれにしてもロンドンは良い街です。
あと船の中では明らかにフリーメイスンのブラザーと会話もせずほぼマンツーマンで一緒に座っていました。グリニッジの反応とか見られていたのかもしれませんが、やっぱり色々再開発していてその反応が気になったのかと思います。明らかに高層ビルが増えてかつてのロンドンの街の印象とは変わっていましたからね。かつてであれば川下りの遊覧船に簡単に乗れない雰囲気であったかと思います。
今回の旅行は写真を見ても全体的に枚数が多いけど曇り空が多いせいもあってあまり良い写真が多くないですね。どうも前回のワシントンD.C.と比べるとiPhoneの写真機能自体が劣化したような気もします。あまりに情報量が多いのも困りものなのかもしれませんね。ワシントンD.C.の写真はブログで見せるつもりはなくて撮っていたので枚数も少ない代わりに証拠写真みたいにピンポイントで撮っていた感じだったと思います。いわゆるスマートフォンで変わった事の一番は実はこのブログに載せる写真が世の中増えたという事かもしれません。後は地図機能だと思われます。
さてまあ2日目のロンドンですがとにかく良く雨が降りました。確かに多く雨に降られましたがまた行きたいという思いは現在感じています。20年前はもっと冷たい雹にストーンヘンジで降られて、あまり何度も行きたいと思いませんでした。今回はそれほど寒くなかったのと、食べ物も比較的おいしくなっていて、何よりフリーメイスンリーがそこらじゅうにあるので何度も行きたいという思いはします。それもこれも時差ボケを忘れてきたからだと思います。また20年前と比べてフリーメイスンリーやキリスト教について大分自分が理解したというところもあるかと思います。20年前は圧倒的な文化文明の差に息がつまるといった感じであったと思います。現在はやはり核のところで差を感じる事は当然ですが、インターネットにしてもフリーメイスンリーにしても、マスメディアにしても世界中あらゆるところと繋がっている感覚があると思いますので、人間社会の差をそれほど強くは感じなくなったのかと思います。
まあいずれにしても旅行は知らない土地であればなおさら予習復習が大事かと思います。ブログに載せる事は非常に良い復習になるかと思います。まだ行った事が無い人にとっては予習、行った事がある人にとっては復習、自身にとっては復習と良い訓練かと思いますので、ちょっと間延びした感じでも随時写真に応じて解説を加えていく形にします。
というわけで3回シリーズの枠になるようにちょっと間延びした写真の構成です。

テムズ川から撮った雨のロンドン橋とシャードですね。まだ色々建築中な感じなので、新しい建物がどんどん増えるみたいです。

記念艦のベルファストです。なんだか検索すると内部を詳しく写真を載せているブログがあってなかなかおもしろかったですが、完全に軍事オタの人のブログでした。蝋人形があって展示が良くできているのですね。こういうプレゼンが出来るのが海軍がフリーメイスンリーのイギリスでしょうか。まあ世界の海軍関係の人の訪問が多かった時代に支障の少ない艦を公開していたというところなのかと思います。戦艦三笠もイギリス製ですからね。博物館は基本的にはネットショッピングの写真と同じで販売用のカタログです。





まあ日本も皇居前のかつてGHQに接収された明治生命館なんかも石造りでありますが、石造りの建築だと基本的にITに対応できないんですね。配線がどうしてもそこらじゅうに露出しますから。近代的な空調と配線が可能な建築が早急にたくさん必要なんだと思います。それらとフリーメイスンリーの伝統との兼ね合いがありますから、高層建築がいずれもシンボルの形になるのだと思われます。まあなんだか興味深いところです。





ホントにうまい事ブラックフライアーズ橋は撮っていませんでしたね。橋脚だけ横に並んでいて印象的な橋でしたが、当時は事件の事は全く頭にありませんでした。まあグーグルアースでもブログでも見られるので見られると良いかもしれません。一番詳しいのはナショナルジオグラフィックの動画であるかと思います。そういう知識を持って「天使と悪魔」や「ゴッドファーザー」などの映画も見ると興味深いかもしれませんね。むしろそういう映画というのが正しいのかと思います。

王室のかつての一族の写真がありました。もちろんダイアナ妃の結婚前ですね。ダイアナ妃もパリで亡くなっていますしウィンザー城の火事もその前のようですし、相当背景があるのでしょうね。新しいウィリアム王子の奥さんのキャサリン妃もフランスでヌードを撮られたりしていますし、ブラザーエドマンド・バーグの「フランス革命の省察」ではないですが、英仏海峡の間には様々な駆け引きが常態なようです。ナポレオン3世の話などでも色々あったようですし、ブラザーディケンスの「二都物語」も基本的にはそういう陰謀の話ばかりのようです。すごい海峡です。


まあえらい雨に降られましたが川下りはお勧めですね。まあいずれにしてもロンドンは良い街です。
あと船の中では明らかにフリーメイスンのブラザーと会話もせずほぼマンツーマンで一緒に座っていました。グリニッジの反応とか見られていたのかもしれませんが、やっぱり色々再開発していてその反応が気になったのかと思います。明らかに高層ビルが増えてかつてのロンドンの街の印象とは変わっていましたからね。かつてであれば川下りの遊覧船に簡単に乗れない雰囲気であったかと思います。
さてまあこのブログが日英同盟、日欧友好、世界平和に貢献できればという志でやっていますが、実際には単なる観光案内ですね。ロンドンは雨が多いのかと思いますので、雨の写真もまた良いのかもしれません。

さてわかりますでしょうか。

クレオパトラの針ですね。これは見たかったんですねえ。以前に来た時はそんなものがあるとは一切知りませんでしたから。大英博物館のエジプトのミイラを見るよりはこっちの方が良いですね。まあ基本は同じ持ってきちゃったものですが、その思想というか太陽信仰とかキリスト教の象徴となりますからね。まあ曇天というか雨天です。まあこれだけ雨雲だと感動はさすがにありません。



手前の窓ガラスに焦点が合っちゃうんですねえ。しょうもない写真です。

ロンドンアイです。美しい正円形です。ロンドンオリンピックでもシンボルとして閉会式でミニチュアが認められました。子午線のシンボルとなっていたようです。開会式、閉会式の動画はきれいな画像でYouTubeで見られるようです。いろいろ詳しく見られると新しい発見があるかもしれません。恐らくこれまでのオリンピックで最良のものであった事は間違いないかと思います。日本で出来たら最高ですが、お金もかかるし、何より東京はスポーツをするには空気が汚すぎます。




すごい雨の写真です。そういえばこの後通るトラファルガースクエアの後ろの方の歌劇場ではSing in the Rainを公演していましたね。まあ基本雨が多いロンドンです。(実際には降雨量は少ないようです。にわか雨が多いのでしょうね。)お出かけの際には折り畳み傘をお忘れなく。

さて上陸です。この目の看板が公共交通機関のところに結構あります。結構シンプルな感じで出す感じですね。やっぱり国によってシンボルの感じも違います。

なんでこんなもの作ったんだろうと思いましたが、まあ色々再開発の流れや経緯があるようです。乗ってみて場所の理由はわかりました。


かつてはすさまじく感動して眺めたビッグベンでしたがねえ。アメリカの議事堂を見たときよりはるかに感動はありませんでしたねえ。二度目だからでしょうか。雨天のせいもあるかもしれません。周囲の観光客の感動具合は大体すごいですけどねえ。オベリスクとして見ちゃう気になるとさすがに感動は無いですかねえ。何か神様をモチーフとした銅像だと思いますが、戦勝記念かなんかでしょうかねえ。イギリスは大概戦勝記念ですね。(ブーディカの銅像というそうです。ローマ時代AD60頃のケルト人の女王だそうです。ヴィクトリア女王と同じ意味だという事で象徴のようです。本当でしょうか。)

こっちの方が感動しましたね。どう見てもフリーメイスンリーのシンボルの紋章と3の強調ですねえ。うーんやっぱりウェストミンスターはフリーメイスンリーに操られていたかと。まあ当たり前ですね。(2013/4/7追記:これはAとMの組み合わせでAuspice Maria、聖母マリアの保護という意味で聖母マリアを礼讃しているシンボルとなるようです。もちろんカトリックに対してそう説明するだけで∧∨の組み合わせのシンボルであることは間違いありません。)

内部の見学ツアーもあるようですね。ワシントンD.C.の議事堂の見学ツアーもありますし、是非今度は内部の見学ツアーを回りたいですね。美術品も良いですが、政治の場の見学も面白いかもしれません。


trinityの模様ですね。信仰深い形をしているのですね。まあイギリスで信仰深いってのもちょっとどうなのかわかりませんが。フリーメイスンリーのシンボルというのが合っているかと思います。ロンドンアイのふもとは水族館なのですね。イギリスで水族館の意味は良くわかりませんが、水族館が非常にフリーメイスンリーのシンボルと関係している事を考えると、この水族館は非常に成功したのだという事が良くわかります。恐らくイギリスでも長生きで頭の良い人は魚食だったのでしょうか。いずれ見学したいですが、魚は海で見た方が美しいかと思います。

さてわかりますでしょうか。

クレオパトラの針ですね。これは見たかったんですねえ。以前に来た時はそんなものがあるとは一切知りませんでしたから。大英博物館のエジプトのミイラを見るよりはこっちの方が良いですね。まあ基本は同じ持ってきちゃったものですが、その思想というか太陽信仰とかキリスト教の象徴となりますからね。まあ曇天というか雨天です。まあこれだけ雨雲だと感動はさすがにありません。



手前の窓ガラスに焦点が合っちゃうんですねえ。しょうもない写真です。

ロンドンアイです。美しい正円形です。ロンドンオリンピックでもシンボルとして閉会式でミニチュアが認められました。子午線のシンボルとなっていたようです。開会式、閉会式の動画はきれいな画像でYouTubeで見られるようです。いろいろ詳しく見られると新しい発見があるかもしれません。恐らくこれまでのオリンピックで最良のものであった事は間違いないかと思います。日本で出来たら最高ですが、お金もかかるし、何より東京はスポーツをするには空気が汚すぎます。




すごい雨の写真です。そういえばこの後通るトラファルガースクエアの後ろの方の歌劇場ではSing in the Rainを公演していましたね。まあ基本雨が多いロンドンです。(実際には降雨量は少ないようです。にわか雨が多いのでしょうね。)お出かけの際には折り畳み傘をお忘れなく。

さて上陸です。この目の看板が公共交通機関のところに結構あります。結構シンプルな感じで出す感じですね。やっぱり国によってシンボルの感じも違います。

なんでこんなもの作ったんだろうと思いましたが、まあ色々再開発の流れや経緯があるようです。乗ってみて場所の理由はわかりました。


かつてはすさまじく感動して眺めたビッグベンでしたがねえ。アメリカの議事堂を見たときよりはるかに感動はありませんでしたねえ。二度目だからでしょうか。雨天のせいもあるかもしれません。周囲の観光客の感動具合は大体すごいですけどねえ。オベリスクとして見ちゃう気になるとさすがに感動は無いですかねえ。何か神様をモチーフとした銅像だと思いますが、戦勝記念かなんかでしょうかねえ。イギリスは大概戦勝記念ですね。(ブーディカの銅像というそうです。ローマ時代AD60頃のケルト人の女王だそうです。ヴィクトリア女王と同じ意味だという事で象徴のようです。本当でしょうか。)

こっちの方が感動しましたね。どう見てもフリーメイスンリーのシンボルの紋章と3の強調ですねえ。うーんやっぱりウェストミンスターはフリーメイスンリーに操られていたかと。まあ当たり前ですね。(2013/4/7追記:これはAとMの組み合わせでAuspice Maria、聖母マリアの保護という意味で聖母マリアを礼讃しているシンボルとなるようです。もちろんカトリックに対してそう説明するだけで∧∨の組み合わせのシンボルであることは間違いありません。)

内部の見学ツアーもあるようですね。ワシントンD.C.の議事堂の見学ツアーもありますし、是非今度は内部の見学ツアーを回りたいですね。美術品も良いですが、政治の場の見学も面白いかもしれません。


trinityの模様ですね。信仰深い形をしているのですね。まあイギリスで信仰深いってのもちょっとどうなのかわかりませんが。フリーメイスンリーのシンボルというのが合っているかと思います。ロンドンアイのふもとは水族館なのですね。イギリスで水族館の意味は良くわかりませんが、水族館が非常にフリーメイスンリーのシンボルと関係している事を考えると、この水族館は非常に成功したのだという事が良くわかります。恐らくイギリスでも長生きで頭の良い人は魚食だったのでしょうか。いずれ見学したいですが、魚は海で見た方が美しいかと思います。
さてまあブログも大変ですねえ。
こんなに大変なのを無料でやるっていうのもおかしな話ですが、まあそういう時代みたいですね。
さて本日は日本も雨みたいですが、ブログと連動しているのかわかりませんが、ブログの写真も雨ばかりです。
さてそんなロンドンのバーチャルツアーではないですが、ロンドンアイのふもとにもチケットを買ったところで4Dツアーというのがあってですね、3Dならぬ4Dという事で、どうという事は無い万博でのパビリオンというところですが、3Dメガネでロンドンの風景のバーチャルツアーなのですが、水しぶきや匂いの出るしかけがあったりして、最後に圧巻のシャボン玉の効果があって、まさに子供だましですがなかなかおもしろかったです。あれは良かった。
というところで目的のロンドンアイの乗車です。2000円くらいしましたかね。もちろんカード払いです。みんな観光地の受付は楽な仕事で対応も丁寧です。まったくこっちは横浜ドリームランドの観覧車が最初の観覧車デビューなんで観覧車に乗るのにドキドキは一切ありません。
ロンドンアイはなんか早い乗車のチケットもありますが、基本的に皆20分位並んで乗車します。わざわざシャンパンを買って貸し切り状態で乗るグループもありましたが、基本的には大家族で2組位ずつ乗る感じが多いみたいでした。20人位乗れるのでしょうか。あっちの家庭の中に入ったみたいな感じで微妙な家族関係が認められたりして妙な雰囲気です。基本的にはほとんど外の景色よりも周っている間の30分ほどの間の人間関係がほとんどの大人たちの興味の対象のようでした。子供は表示のIT機器を使う事の優越感以外に興味は無いようでした。後は写真にもありますが、iPadを使っているのを見せるのが壮年以降の男性の義務のようでした。iPad miniが出るのも当然のようです。内部は非常に落ち着いた雰囲気で、実はロンドンを見ているようで見られているのが実際なのでしょうが、私が乗った時は落ち着いた若干高齢の夫婦3組連れと一緒でしたが、多分フリーメイスンたちなのだと思いますが、下りる途中で記念写真の枠に一緒になってしまって恐縮しました。もちろん記念写真を買いませんでしたが訪問の記録は現地に残ったかもしれませんね。監視カメラのロンドンで無粋な話かもしれません。
まあそういうわけで新しいロンドンの通過儀礼ともいうのがこのロンドンアイの乗車になるようで、実はその際の閉鎖空間での人間関係が実際には最も見られている面白いものという事のようです。なんせGoogle Earthの時代ですからね。まあそういう事で実際にはAll Seeing Eyeはロンドンを見ているのではなく、個々人の心の中を見る目、見て見つめられるお互いの目という事なのだと思います。
雨であったという事もありますが、ロンドンの街自体はそれほど上から見て面白い街という事は無いと思います。では実際ロンドンアイの上から見る目的は何なのでしょう。

雨ですねえ。何か遊園地のようなものがあるのでしょうかね。八景島のオベリスク状のものとよく似ています。


ブラックフライアーズ橋はきれいに見えないようになっていますね。


実はこの写真二枚に全てが含まれているのですね。ロンドンアイがこの場所にあって作られた理由がわかります。

シャードは本当に良く目立ちます。北朝鮮の柳京ホテルも似た形のようです。いずれ完成すると上から見るのが観光地になるのでしょうね。

フクロウの形の建物ですね。下の水族館の裏はホテルのようですがどうもヘブライ文字のような形をしています。

ウェストミンスター宮殿ですね。やはりこれを見るためにもあるのだと思います。

バッキンガム宮殿の方向です。



駅と塔がありますね。色々ありますねえ。都市の規模としては東京は大きいのでしょうが、石造建築の多さではロンドンがもちろんはっきり異なると思います。まあテムズ下りが良いです。

さてこれはわざと意識して撮ったんですが、これは非常に大きなヒントです。

ユニオンフラッグが際立ちますねえ。

どうもヘブライ文字のように見えるのですが、どうでしょうかねえ。


さて終了ですね。わかりましたでしょうか。ロンドンアイが作られた理由。
このブログはそれをいちいち説明するブログです。無粋ですねえ。
クレオパトラの針の指し示す延長線上にグランドロッジがあるのですね。シャードもフクロウ(UGLE)の形のビルもゴシック建築のウェストミンスターもブラザークリストファー・レンによるセントポール大聖堂もMI-6もオベリスクの形のビッグベンも全てフリーメイスンリーのシンボルですね。もちろん足元の橋も水族館もロンドンアイも全てフリーメイスンリーのシンボルです。気付いた人はすぐにグランドロッジに行きましょう。
ちなみに最初の青色の八景島のものと似たオベリスク状のものはセントポール大聖堂を指し示すようです。なんとも念のいったシンボルの見せ方です。役に立つブログですねえ。
さてまあそういうわけでウェストミンスター周辺を歩きます。結構降っていましたね。
こんなに大変なのを無料でやるっていうのもおかしな話ですが、まあそういう時代みたいですね。
さて本日は日本も雨みたいですが、ブログと連動しているのかわかりませんが、ブログの写真も雨ばかりです。
さてそんなロンドンのバーチャルツアーではないですが、ロンドンアイのふもとにもチケットを買ったところで4Dツアーというのがあってですね、3Dならぬ4Dという事で、どうという事は無い万博でのパビリオンというところですが、3Dメガネでロンドンの風景のバーチャルツアーなのですが、水しぶきや匂いの出るしかけがあったりして、最後に圧巻のシャボン玉の効果があって、まさに子供だましですがなかなかおもしろかったです。あれは良かった。
というところで目的のロンドンアイの乗車です。2000円くらいしましたかね。もちろんカード払いです。みんな観光地の受付は楽な仕事で対応も丁寧です。まったくこっちは横浜ドリームランドの観覧車が最初の観覧車デビューなんで観覧車に乗るのにドキドキは一切ありません。
ロンドンアイはなんか早い乗車のチケットもありますが、基本的に皆20分位並んで乗車します。わざわざシャンパンを買って貸し切り状態で乗るグループもありましたが、基本的には大家族で2組位ずつ乗る感じが多いみたいでした。20人位乗れるのでしょうか。あっちの家庭の中に入ったみたいな感じで微妙な家族関係が認められたりして妙な雰囲気です。基本的にはほとんど外の景色よりも周っている間の30分ほどの間の人間関係がほとんどの大人たちの興味の対象のようでした。子供は表示のIT機器を使う事の優越感以外に興味は無いようでした。後は写真にもありますが、iPadを使っているのを見せるのが壮年以降の男性の義務のようでした。iPad miniが出るのも当然のようです。内部は非常に落ち着いた雰囲気で、実はロンドンを見ているようで見られているのが実際なのでしょうが、私が乗った時は落ち着いた若干高齢の夫婦3組連れと一緒でしたが、多分フリーメイスンたちなのだと思いますが、下りる途中で記念写真の枠に一緒になってしまって恐縮しました。もちろん記念写真を買いませんでしたが訪問の記録は現地に残ったかもしれませんね。監視カメラのロンドンで無粋な話かもしれません。
まあそういうわけで新しいロンドンの通過儀礼ともいうのがこのロンドンアイの乗車になるようで、実はその際の閉鎖空間での人間関係が実際には最も見られている面白いものという事のようです。なんせGoogle Earthの時代ですからね。まあそういう事で実際にはAll Seeing Eyeはロンドンを見ているのではなく、個々人の心の中を見る目、見て見つめられるお互いの目という事なのだと思います。
雨であったという事もありますが、ロンドンの街自体はそれほど上から見て面白い街という事は無いと思います。では実際ロンドンアイの上から見る目的は何なのでしょう。

雨ですねえ。何か遊園地のようなものがあるのでしょうかね。八景島のオベリスク状のものとよく似ています。


ブラックフライアーズ橋はきれいに見えないようになっていますね。


実はこの写真二枚に全てが含まれているのですね。ロンドンアイがこの場所にあって作られた理由がわかります。

シャードは本当に良く目立ちます。北朝鮮の柳京ホテルも似た形のようです。いずれ完成すると上から見るのが観光地になるのでしょうね。

フクロウの形の建物ですね。下の水族館の裏はホテルのようですがどうもヘブライ文字のような形をしています。

ウェストミンスター宮殿ですね。やはりこれを見るためにもあるのだと思います。

バッキンガム宮殿の方向です。



駅と塔がありますね。色々ありますねえ。都市の規模としては東京は大きいのでしょうが、石造建築の多さではロンドンがもちろんはっきり異なると思います。まあテムズ下りが良いです。

さてこれはわざと意識して撮ったんですが、これは非常に大きなヒントです。

ユニオンフラッグが際立ちますねえ。

どうもヘブライ文字のように見えるのですが、どうでしょうかねえ。


さて終了ですね。わかりましたでしょうか。ロンドンアイが作られた理由。
このブログはそれをいちいち説明するブログです。無粋ですねえ。
クレオパトラの針の指し示す延長線上にグランドロッジがあるのですね。シャードもフクロウ(UGLE)の形のビルもゴシック建築のウェストミンスターもブラザークリストファー・レンによるセントポール大聖堂もMI-6もオベリスクの形のビッグベンも全てフリーメイスンリーのシンボルですね。もちろん足元の橋も水族館もロンドンアイも全てフリーメイスンリーのシンボルです。気付いた人はすぐにグランドロッジに行きましょう。
ちなみに最初の青色の八景島のものと似たオベリスク状のものはセントポール大聖堂を指し示すようです。なんとも念のいったシンボルの見せ方です。役に立つブログですねえ。
さてまあそういうわけでウェストミンスター周辺を歩きます。結構降っていましたね。
さてさて拙い文章と恵まれない環境と写真ですが、フリーメイスンリーの世界としてのロンドンの旅情が味わっていただければ幸いです。
それこそ酷い雨でしかも日曜日でウェストミンスター寺院などにも入る事も出来ず、写真も撮り過ぎて途中トラファルガー広場のあたりでiPhoneの電池が切れてしまって、時間的にもナショナルギャラリーも閉館してしまってロンドン到着二日目が終了するわけですが、それまでとりあえずウェストミンスター宮殿(英国議会)周辺を周りましたのでそれを記事とします。一応テートブリテンやその周辺、最後はトラファルガー広場を周って電池が切れて終了となります。この日は何の夕食を食べたか忘れましたが、昼は川下りの船でカードで買ったホットドッグを二つ食べたので、確か夕食は一日目のコンビニで買った食事の残りのおかしくらいしか食べなかったと思います。まあその位朝しっかり食べたんだと思います。
なんともバランスの悪い食事と思うかもしれませんが、海外の一人旅はそんなもんです。そういうわけでホテルの朝食は大体一番大事な食事だし、そこでちゃんと食べられないとろくな旅になりません。
さてまあ2日目は写真でも良くわかるとおり雨に降られたわけですが、それほど風が強いとか、寒いとかいう事は無いので傘がいるとか、写真の写りが悪いとか、靴が濡れるとかそういう事以外はそれほどの支障はありませんでした。まあロンドンで雨に濡れる事は良くある事かと思いますし、雲が立ち込める天気というのは当たり前だと思います。むしろロンドンの雨といえば紳士の傘やステッキ、コートやシルクハットよろしく、折り畳み傘でどんなおしゃれをするかとかそういうのがロンドンではないでしょうか。まさにクイーンズハウスの白黒の傘はフリーメイスンとしての最高のお洒落であるというこういう感じが旅の楽しみかもしれません。
まあ反響の大きな小理屈は置いておいて、旅の写真に移ります。

ビッグベンの写真ですね。時間を見ると16時10分前ですね。うーん移動距離を考えてもこれだけのロンドンでの移動と観光ができる人もいないでしょうねえ。まあ何より一日目の時差ボケで寝てしまったのを取り返すべく動き回っているわけですが、これだけ動くと確かに追跡している人もiPhoneの電源を消耗させたくなる気持ちもわからなくもないです。そりゃ動き過ぎです。



うーんこれがオベリスクの意味なのかと見上げるとまあワシントン記念塔を見上げる気持ちと一緒ですね。石工のそういうシンボルにかける情熱というものはすごいなという事でしょうか。実際はまあ二度目のビッグベンなのでやっとまた来たなあみたいな気持ちかもしれません。まあロンドンに来たという実感はどうしてもこの界隈は感じます。すごい観光地ですから。

ブラザーチャーチルの銅像です。こういう銅像を全部撮ろうとするところが以前とは違います。なんせほぼ全員がフリーメイスンに違いないと思っていますから、撮らなきゃ損という感覚でしょうか。
そういえばYouTubeの動画にもブラザーチャーチルの演説と特集を2つ入れました。その分ディズニーの動画白雪姫やブラザーデューク・エリントンのサテンドール、TangoFraternalの一つやブラザーリストのラ・カンパネラ、ブラザールイ・アームストロングの聖者が街にやってくるの一つ、ブラザーディズニーのシークレットライフと題された特集を削除しました。またブラザーチャーチルの動画以外にブラザーホルスト、ブラザードビュッシー、ブラザーヘンデルの曲を一つずつ加えました。ブラザーリムスキー・コルサコフは二つ加えました。いずれ音楽家のフリーメイスンであるかどうかについても総説を加える事があるかと思います。フリーメイソンと音楽家たちを全て読んで、後はもう少し色々手持ちの資料で考察を加えたり、ウィキペディアも含めて考察してになるかと思います。まあこれも壮大なテーマなのでそれぞれの作曲家で個別にちょいちょい触れる位が可能なところかと思っています。
まあそういうわけで、ロンドンのこういうウェストミンスター周辺などにあるような銅像はほぼ全てフリーメイスンだと思って差し支えないと思います。

ロンドンオリンピック開会式の動画でもコンピューターグラフィックスでこの銅像が動いていたりしました。演説などは良い英語の演説の基本とされるようです。帰国後の最近見た「英国王のスピーチ」の映画の中でもブラザーとしての役回りでブラザージョージ6世をサポートする台詞があったりしました。ノーベル文学賞を受賞していたりとなかなかフリーメイスンの人生として見ても興味深いところがありますので、英国を代表する人物としていずれそれなりに文章と出来そうであれば書きたいかと思います。

とまあブラザーチャーチル位が顔と名前が一致して、大体いつごろの人でどんな業績があるかわかる人で、後は英国の政治家といってもいつごろの人とか大体想像できるくらいで、業績がどうとか顔がどうとかわからないのが実際です。ロイド・ジョージと言っても名前は聞いたことあっても何をやった人かわかりません。もちろんフリーメイスンなのだと思います。ウィキペディアによると晩年にナチスドイツのヒトラーの別荘を訪問して本国で絶賛したなどあります。この逸話は何か聞いた事があります。

ヤン・クリスティアン・スマッツという方のようです。南アフリカの首相として活躍された方のようです。南アフリカなどの植民地を開発されたローデシアの名前の由来となったブラザーセシル・ローズ卿はフリーメイスンであり、南アフリカの関係者もほぼフリーメイスンかと思われます。

第3代パーマストン子爵というそうで、最もイギリスが繁栄した時代の首相であるそうです。ウェストミンスター寺院に埋葬されているそうです。ウィキペディアをちょっと読むと逸話が面白そうです。もちろんフリーメイスンでしょう。任期中に風邪で亡くなられたそうです。クロムウェルもそうですが、そういうのが当たり前のようにあるのがイギリス政界の伝統のようです。日本人のあまり知らない民主主義の真実でしょうか。

第14代ダービー伯爵のようです。やはり首相経験者のようです。

初代ビーコンズフィールド伯だそうで、ユダヤ人の首相経験者のようです。小説家でもあったようです。なかなかウィキペディアの内容が豊富で興味深い人物であった事が想像されます。

ロバート・ピールだそうです。やはり首相経験者のようです。ブラザーナポレオンをワーテルローで打ち破った初代ウェリントン公のもとで働きその後組閣したようです。以前に触れたハイドパークで落馬して亡くなった方のようです。

まだ健在のネルソン・マンデラの銅像がいきなりあります。こういうのがイギリスなんでしょうね。恐らくフリーメイスンなのでしょうが、まだ生きてる人をいきなり置いてあるのがすごいところです。

ピースマークの虹の旗を出した活動家みたいな人がいました。まあこれも一つのシンボルなのでしょう。

ジョージ・カニングです。やはり首相経験者です。やはり在任中に亡くなったそうです。

またなぜかアブラハム・リンカーンの銅像があります。まあフリーメイスンとして置かれているのかと思いますが、南北戦争の終戦直後に暗殺されたアメリカの大統領の銅像がここにあるのがイギリスなのでしょうね。非常に興味深いです。

ウェストミンスター寺院の塀ですね。オベリスクになっています。この道は結構車が多いので信号を見て渡らないと危ないです。

ちょっとずつオベリスクの形になっています。どぶ板通りの入り口みたいなもんでしょうか。

ウェストミンスター寺院の横側の入り口です。日曜で礼拝をしていて見学不可でした。

とがった三角が象徴的な構成でしょうか。あまり建築自体でフリーメイスンリー的な感じはありませんね。

昔は圧倒的な建築に唸ったもんでしたが、今はシンボルしか探さない感じです。まあ意味を知るというのが一番重要でしょうかね。聖人のそれぞれがわかりませんが、それほど古い方でなければイギリスは聖公会のフリーメイスンが多いのだと思います。「20世紀の殉教者」10人の像というそうです。

ウェストミンスター寺院の前の像がある塔です。どうもフリッカーの写真などから聖ゲオルギオスがドラゴンを退治してる像のようです。結局大陸続きでモンゴルが攻めてきたときにも最後の砦になりうるのがブリテン島だったのだと思います。神風で蒙古襲来を撃退した日本みたいな話でしょうか。



まあとにかく開いていないので時間も遅いですがギリギリでテートブリテンの見学に向かいます。
いやあしかし教育的なブログですね。
それこそ酷い雨でしかも日曜日でウェストミンスター寺院などにも入る事も出来ず、写真も撮り過ぎて途中トラファルガー広場のあたりでiPhoneの電池が切れてしまって、時間的にもナショナルギャラリーも閉館してしまってロンドン到着二日目が終了するわけですが、それまでとりあえずウェストミンスター宮殿(英国議会)周辺を周りましたのでそれを記事とします。一応テートブリテンやその周辺、最後はトラファルガー広場を周って電池が切れて終了となります。この日は何の夕食を食べたか忘れましたが、昼は川下りの船でカードで買ったホットドッグを二つ食べたので、確か夕食は一日目のコンビニで買った食事の残りのおかしくらいしか食べなかったと思います。まあその位朝しっかり食べたんだと思います。
なんともバランスの悪い食事と思うかもしれませんが、海外の一人旅はそんなもんです。そういうわけでホテルの朝食は大体一番大事な食事だし、そこでちゃんと食べられないとろくな旅になりません。
さてまあ2日目は写真でも良くわかるとおり雨に降られたわけですが、それほど風が強いとか、寒いとかいう事は無いので傘がいるとか、写真の写りが悪いとか、靴が濡れるとかそういう事以外はそれほどの支障はありませんでした。まあロンドンで雨に濡れる事は良くある事かと思いますし、雲が立ち込める天気というのは当たり前だと思います。むしろロンドンの雨といえば紳士の傘やステッキ、コートやシルクハットよろしく、折り畳み傘でどんなおしゃれをするかとかそういうのがロンドンではないでしょうか。まさにクイーンズハウスの白黒の傘はフリーメイスンとしての最高のお洒落であるというこういう感じが旅の楽しみかもしれません。
まあ反響の大きな小理屈は置いておいて、旅の写真に移ります。

ビッグベンの写真ですね。時間を見ると16時10分前ですね。うーん移動距離を考えてもこれだけのロンドンでの移動と観光ができる人もいないでしょうねえ。まあ何より一日目の時差ボケで寝てしまったのを取り返すべく動き回っているわけですが、これだけ動くと確かに追跡している人もiPhoneの電源を消耗させたくなる気持ちもわからなくもないです。そりゃ動き過ぎです。



うーんこれがオベリスクの意味なのかと見上げるとまあワシントン記念塔を見上げる気持ちと一緒ですね。石工のそういうシンボルにかける情熱というものはすごいなという事でしょうか。実際はまあ二度目のビッグベンなのでやっとまた来たなあみたいな気持ちかもしれません。まあロンドンに来たという実感はどうしてもこの界隈は感じます。すごい観光地ですから。

ブラザーチャーチルの銅像です。こういう銅像を全部撮ろうとするところが以前とは違います。なんせほぼ全員がフリーメイスンに違いないと思っていますから、撮らなきゃ損という感覚でしょうか。
そういえばYouTubeの動画にもブラザーチャーチルの演説と特集を2つ入れました。その分ディズニーの動画白雪姫やブラザーデューク・エリントンのサテンドール、TangoFraternalの一つやブラザーリストのラ・カンパネラ、ブラザールイ・アームストロングの聖者が街にやってくるの一つ、ブラザーディズニーのシークレットライフと題された特集を削除しました。またブラザーチャーチルの動画以外にブラザーホルスト、ブラザードビュッシー、ブラザーヘンデルの曲を一つずつ加えました。ブラザーリムスキー・コルサコフは二つ加えました。いずれ音楽家のフリーメイスンであるかどうかについても総説を加える事があるかと思います。フリーメイソンと音楽家たちを全て読んで、後はもう少し色々手持ちの資料で考察を加えたり、ウィキペディアも含めて考察してになるかと思います。まあこれも壮大なテーマなのでそれぞれの作曲家で個別にちょいちょい触れる位が可能なところかと思っています。
まあそういうわけで、ロンドンのこういうウェストミンスター周辺などにあるような銅像はほぼ全てフリーメイスンだと思って差し支えないと思います。

ロンドンオリンピック開会式の動画でもコンピューターグラフィックスでこの銅像が動いていたりしました。演説などは良い英語の演説の基本とされるようです。帰国後の最近見た「英国王のスピーチ」の映画の中でもブラザーとしての役回りでブラザージョージ6世をサポートする台詞があったりしました。ノーベル文学賞を受賞していたりとなかなかフリーメイスンの人生として見ても興味深いところがありますので、英国を代表する人物としていずれそれなりに文章と出来そうであれば書きたいかと思います。

とまあブラザーチャーチル位が顔と名前が一致して、大体いつごろの人でどんな業績があるかわかる人で、後は英国の政治家といってもいつごろの人とか大体想像できるくらいで、業績がどうとか顔がどうとかわからないのが実際です。ロイド・ジョージと言っても名前は聞いたことあっても何をやった人かわかりません。もちろんフリーメイスンなのだと思います。ウィキペディアによると晩年にナチスドイツのヒトラーの別荘を訪問して本国で絶賛したなどあります。この逸話は何か聞いた事があります。

ヤン・クリスティアン・スマッツという方のようです。南アフリカの首相として活躍された方のようです。南アフリカなどの植民地を開発されたローデシアの名前の由来となったブラザーセシル・ローズ卿はフリーメイスンであり、南アフリカの関係者もほぼフリーメイスンかと思われます。

第3代パーマストン子爵というそうで、最もイギリスが繁栄した時代の首相であるそうです。ウェストミンスター寺院に埋葬されているそうです。ウィキペディアをちょっと読むと逸話が面白そうです。もちろんフリーメイスンでしょう。任期中に風邪で亡くなられたそうです。クロムウェルもそうですが、そういうのが当たり前のようにあるのがイギリス政界の伝統のようです。日本人のあまり知らない民主主義の真実でしょうか。

第14代ダービー伯爵のようです。やはり首相経験者のようです。

初代ビーコンズフィールド伯だそうで、ユダヤ人の首相経験者のようです。小説家でもあったようです。なかなかウィキペディアの内容が豊富で興味深い人物であった事が想像されます。

ロバート・ピールだそうです。やはり首相経験者のようです。ブラザーナポレオンをワーテルローで打ち破った初代ウェリントン公のもとで働きその後組閣したようです。以前に触れたハイドパークで落馬して亡くなった方のようです。

まだ健在のネルソン・マンデラの銅像がいきなりあります。こういうのがイギリスなんでしょうね。恐らくフリーメイスンなのでしょうが、まだ生きてる人をいきなり置いてあるのがすごいところです。

ピースマークの虹の旗を出した活動家みたいな人がいました。まあこれも一つのシンボルなのでしょう。

ジョージ・カニングです。やはり首相経験者です。やはり在任中に亡くなったそうです。

またなぜかアブラハム・リンカーンの銅像があります。まあフリーメイスンとして置かれているのかと思いますが、南北戦争の終戦直後に暗殺されたアメリカの大統領の銅像がここにあるのがイギリスなのでしょうね。非常に興味深いです。

ウェストミンスター寺院の塀ですね。オベリスクになっています。この道は結構車が多いので信号を見て渡らないと危ないです。

ちょっとずつオベリスクの形になっています。どぶ板通りの入り口みたいなもんでしょうか。

ウェストミンスター寺院の横側の入り口です。日曜で礼拝をしていて見学不可でした。

とがった三角が象徴的な構成でしょうか。あまり建築自体でフリーメイスンリー的な感じはありませんね。

昔は圧倒的な建築に唸ったもんでしたが、今はシンボルしか探さない感じです。まあ意味を知るというのが一番重要でしょうかね。聖人のそれぞれがわかりませんが、それほど古い方でなければイギリスは聖公会のフリーメイスンが多いのだと思います。「20世紀の殉教者」10人の像というそうです。

ウェストミンスター寺院の前の像がある塔です。どうもフリッカーの写真などから聖ゲオルギオスがドラゴンを退治してる像のようです。結局大陸続きでモンゴルが攻めてきたときにも最後の砦になりうるのがブリテン島だったのだと思います。神風で蒙古襲来を撃退した日本みたいな話でしょうか。



まあとにかく開いていないので時間も遅いですがギリギリでテートブリテンの見学に向かいます。
いやあしかし教育的なブログですね。
まあちょっとロンドンはブログに書かれている事が多いみたいでテートブリテンで検索して見ると似たようなブログがたくさん出てくるわけですが、そういうわけでこのブログでは美術館の美術品中心ではなく、そこまでの移動中のフリーメイスンリーのシンボルや、美術品の中のフリーメイスンリーのシンボルを中心に見ていくこととします。そうすれば他に例のない唯一のブログになりますからね。

ランベス橋というそうです。橋脚のオベリスクと遠景のシャードが映画のセットのようですね。荒天な訳ですが、何やらバットマンのゴッサムシティのようです。テムズ川のこの川沿いはテートブリテンに向けて歩いている人以外いませんが、あまり雰囲気がいかつすぎて写真を撮ったりしている人は少なく、ただ黙々と歩いている人が多い感じでした。まあミルバンクというこの通りの辺りはかつてはオーストラリアへ送られる囚人の収容所があったそうで、現在も官庁街の一部で監視カメラがそこらじゅうにある感じはしました。

これはたまたまアーチがきれいで写真を撮ったのでしたが、どうも後で確認するとMI-5、アメリカでのFBIに相当する要するにロンドンの監視カメラを総括する国内諜報組織の本部であったそうです。まあブラザーエドガー・フーバーの話と同様にフリーメイスンがたくさんいるのかと思われます。ブラザーエドガー・フーバーの映画も観ましたが、その他何か参考資料を加えられたら記事にしようかと思います。以前ナショナルジオグラフィックでロンドンの監視カメラの特集をしていましたが、その記録を管理する担当者の名前がメイスンさんで面白かった事もありましたが、ロンドン警察の名前がブラザークリストファー・レンの建物のそばでスコットランド大使の泊まるところでスコットランドヤードという名前となったなどという逸話などと同じで興味深い話でしょうか。まあそのまんまというのが正しい印象かと思います。有名なユダヤ人監督のウッディー・アレンの映画「マッチ・ポイント」など参考になるのではないでしょうか。
まさにそのロンドンの紹介のナショナル・ジオグラフィックの動画です。
さてテートブリテンは改装中で外観の景色はそれほど美しくなかったようで写真に撮らなかったようです。
とりあえずウェストミンスター側から来た際に近い方のターナーの展示があるクロア・ギャラリーから入りました。名前もジョセフ・ターナーというそうで、絵画を全体に見て、またウェストミンスター宮殿が炎上した際の絵もあるそうで、この人はフリーメイスンだとわかりました。というか英国で高名な画家と言えば皆フリーメイスンなのは当たり前のようです。

クロア・ギャラリーの入り口にあった美しい三角形です。これまで見た建築の三角形の中で最も美しい三角形ではないでしょうか。入口の係員に「Beautiful Triangle」と言いましたがボンヤリしていました。まあそういう事です。こういう表示はフランス大東社のグランドロッジにあるようですが、まあ英国美術界はフランス大東社の影響があるのかもしれません。

ブラザーターナーの作品は100近くあったのですが印象派と日本画の風景画のようであまり印象深くなかったので写真を撮りませんでした。いくつかシンボルが含まれていそうなものを撮りました。これはサンピエトロ広場なのでしょうか、オベリスクが入っていたので撮りました。

これは自画像です。

これはグリニッジの様子でしょうか。

ブラザーホガースの自画像です。

いかにもフリーメイスンリーの会合という感じの絵です。ブラザーホガースの筆でしょうか。

こんないかにもな絵もありました。ちょっといまいちでしょうか。

石工の結婚といったところでしょうか。いずれもテートブリテンの公式ホームページで探す事が出来るようです。ちょっと作者や題名はわかりません。

これは有名なミレーのオフィーリアです。日本だと夏目漱石の草枕で有名でしょうか。やはり日本人だと思われる男性が凝視していました。銅像もあるようでミレーもフリーメイスンだと思われます。

こちらもヨセフの夢占いの項で取り上げたブラザーミレーの両親の家のキリストです。大工のキリストというのは実務的ではなくもちろん思索的メイスンリーの象徴だと思われます。つまりフリーメイスンリーの起源が聖書の中にあるというのは当然なのでしょう。

これも象徴画なのだと思いますが、ブラザーミレーのものではないようです。下の題名から検索したところウィリアム・ホルマン・ハントの作品のようです。パレスチナを三度も訪問しているそうです。恐らくフリーメイスンでしょう。

作者の名前がちょっと写真にうまく写りませんでしたが、この絵の作者の方のこの作品の手前のファンタジーな人魚か妖怪のような絵がなかなか印象深かったです。興味のある方はホームページで探してみてください。

再びランベス橋ですね。急ぎ足でテートブリテンも駆け抜けます。全体にテートブリテンは写実的な絵画がほとんどで、イギリスの絵画に求める写実性、その実用性でしょうか、まあ絵画の歴史があまりないのかもしれませんが、そういうものが感じられるものでした。予想したほどシンボルの含まれた絵画は無く、ただただ写真のごとき絵、写真に近づく絵、写真の実現後は写真を模写した絵という一般的な絵画の展示とは異なる、イギリス独自の絵画の歴史を示したものではないでしょうか。

なにやら調べると電気と石油を供給する担当省でしょうかOfgemという官庁の扉でした。恐らく戦時下の物資の供給を担当した省なのではないでしょうか。この写真を撮ったら歩いている人に怪訝な顔をされました。面白い扉だと思いますが。

ランベス橋というそうです。橋脚のオベリスクと遠景のシャードが映画のセットのようですね。荒天な訳ですが、何やらバットマンのゴッサムシティのようです。テムズ川のこの川沿いはテートブリテンに向けて歩いている人以外いませんが、あまり雰囲気がいかつすぎて写真を撮ったりしている人は少なく、ただ黙々と歩いている人が多い感じでした。まあミルバンクというこの通りの辺りはかつてはオーストラリアへ送られる囚人の収容所があったそうで、現在も官庁街の一部で監視カメラがそこらじゅうにある感じはしました。

これはたまたまアーチがきれいで写真を撮ったのでしたが、どうも後で確認するとMI-5、アメリカでのFBIに相当する要するにロンドンの監視カメラを総括する国内諜報組織の本部であったそうです。まあブラザーエドガー・フーバーの話と同様にフリーメイスンがたくさんいるのかと思われます。ブラザーエドガー・フーバーの映画も観ましたが、その他何か参考資料を加えられたら記事にしようかと思います。以前ナショナルジオグラフィックでロンドンの監視カメラの特集をしていましたが、その記録を管理する担当者の名前がメイスンさんで面白かった事もありましたが、ロンドン警察の名前がブラザークリストファー・レンの建物のそばでスコットランド大使の泊まるところでスコットランドヤードという名前となったなどという逸話などと同じで興味深い話でしょうか。まあそのまんまというのが正しい印象かと思います。有名なユダヤ人監督のウッディー・アレンの映画「マッチ・ポイント」など参考になるのではないでしょうか。
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さてテートブリテンは改装中で外観の景色はそれほど美しくなかったようで写真に撮らなかったようです。
とりあえずウェストミンスター側から来た際に近い方のターナーの展示があるクロア・ギャラリーから入りました。名前もジョセフ・ターナーというそうで、絵画を全体に見て、またウェストミンスター宮殿が炎上した際の絵もあるそうで、この人はフリーメイスンだとわかりました。というか英国で高名な画家と言えば皆フリーメイスンなのは当たり前のようです。

クロア・ギャラリーの入り口にあった美しい三角形です。これまで見た建築の三角形の中で最も美しい三角形ではないでしょうか。入口の係員に「Beautiful Triangle」と言いましたがボンヤリしていました。まあそういう事です。こういう表示はフランス大東社のグランドロッジにあるようですが、まあ英国美術界はフランス大東社の影響があるのかもしれません。

ブラザーターナーの作品は100近くあったのですが印象派と日本画の風景画のようであまり印象深くなかったので写真を撮りませんでした。いくつかシンボルが含まれていそうなものを撮りました。これはサンピエトロ広場なのでしょうか、オベリスクが入っていたので撮りました。

これは自画像です。

これはグリニッジの様子でしょうか。

ブラザーホガースの自画像です。

いかにもフリーメイスンリーの会合という感じの絵です。ブラザーホガースの筆でしょうか。

こんないかにもな絵もありました。ちょっといまいちでしょうか。

石工の結婚といったところでしょうか。いずれもテートブリテンの公式ホームページで探す事が出来るようです。ちょっと作者や題名はわかりません。

これは有名なミレーのオフィーリアです。日本だと夏目漱石の草枕で有名でしょうか。やはり日本人だと思われる男性が凝視していました。銅像もあるようでミレーもフリーメイスンだと思われます。

こちらもヨセフの夢占いの項で取り上げたブラザーミレーの両親の家のキリストです。大工のキリストというのは実務的ではなくもちろん思索的メイスンリーの象徴だと思われます。つまりフリーメイスンリーの起源が聖書の中にあるというのは当然なのでしょう。

これも象徴画なのだと思いますが、ブラザーミレーのものではないようです。下の題名から検索したところウィリアム・ホルマン・ハントの作品のようです。パレスチナを三度も訪問しているそうです。恐らくフリーメイスンでしょう。

作者の名前がちょっと写真にうまく写りませんでしたが、この絵の作者の方のこの作品の手前のファンタジーな人魚か妖怪のような絵がなかなか印象深かったです。興味のある方はホームページで探してみてください。

再びランベス橋ですね。急ぎ足でテートブリテンも駆け抜けます。全体にテートブリテンは写実的な絵画がほとんどで、イギリスの絵画に求める写実性、その実用性でしょうか、まあ絵画の歴史があまりないのかもしれませんが、そういうものが感じられるものでした。予想したほどシンボルの含まれた絵画は無く、ただただ写真のごとき絵、写真に近づく絵、写真の実現後は写真を模写した絵という一般的な絵画の展示とは異なる、イギリス独自の絵画の歴史を示したものではないでしょうか。

なにやら調べると電気と石油を供給する担当省でしょうかOfgemという官庁の扉でした。恐らく戦時下の物資の供給を担当した省なのではないでしょうか。この写真を撮ったら歩いている人に怪訝な顔をされました。面白い扉だと思いますが。
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まあなんだかんだで字が大きくて読みやすいので読んだので皆さんにお勧めする意味でも感想を書こうかと思います。作者の方とか出版の実際のいきさつ、どこのロッジが関係しているとかは一切知りませんので純粋に本文を読んで判断するだけです。
まず内容的には色々な要素が詰まっています。フリーメイスンリーの儀式の様子、実際の内容の様子、階級の昇進の様子、それらの個々人の認識の様子、フリーメイスンリーの由来の認識そういったものが色々詰め込まれて、さらにそれらを一つ束ねているのがフリーメイスンリーとユダヤ教の関係を解説しているところ、それも大胆にもフリーメイスンリーそのものがユダヤ教がキリスト教を抑制するために作られた組織であったという話、まあこの核の部分は明らかに創作がわかる感じになっているわけですが、そこがプロテスタントからルネッサンス、さらにはヨセフの話ではないですが、キリスト教の根底にあるユダヤ教の認識とそこからの近代文明の隆盛が明らかにフリーメイスンリーを通して繋がってくるわけで、実際にはこのブログでも触れていますが、フリーメイスンリーの核となる教えの部分とユダヤ教の核となる教えの部分とは非常に重なる部分が大きいわけで、それについてビックリするような創作を加える事でフリーメイスンリーの入門者、単なる友愛団体として認識していた人々に、そういう哲学的とも宗教的ともいえる勉強の機会を与える内容となっているものかと思います。実際問題ルネッサンスは聖書の翻訳と活版印刷で始まったと言われますが、結局その内容の大部分は旧約聖書でありユダヤ教の理解であった事は間違いなく、間違いなくルネッサンスとはユダヤ教への回帰の部分によって宗教的な自由、個人の信仰の自由というものがあったものであり、それと現在での歴史的作業とも言うべきキリスト教の中のユダヤ教の再発見という事が実際にはそういう考え方の自由を取り戻す一つの定型的な作業であるのではないかと思われます。
まあロストシンボルではないですが、こういったセンセーショナルな風味の暴露本的な要素を加えた、それでいて緻密に計算されたフリーメイスンリーの導入とさらに高いレベルへの学習へと誘う内容の本を出版する事がその後のブラジルなど南米の様々な発展に繋がる要素もあるのではないかと思い、やはりキリスト教国である南米の真摯な宗教的態度とそれでいて盲目的でない様々な知的欲求をかきたてる姿勢が、この本をそれなりの知識を持つ人には楽しめる本としているのではないかと思われました。
やはり私もまだ全て読んでいませんが、旧約聖書の通読とユダヤ古代誌までの通読はこの本の内容を楽しむには必要ではないかと思います。逆にそういう知識を獲得する事を促す本であるかと思います。まあなんだかおかしなことを書いているが真面目な本という事です。