2012-10-31 22:12 | カテゴリ:イングランド
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
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ウェストミンスター宮殿ですね。代表的なゴシック建築かと思われます。1834年に焼失してゴシック建築で作られたそうです。この尖塔部分はビクトリアタワーというそうです。
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ジョージ五世の像です。海軍軍人で日本で龍の刺青を入れたりしているそうです。有名な切手収集家であるようです。X脚の話とヘビースモーカーであった話は「英国王のスピーチ」でも重要な伏線として描かれています。
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旧約聖書の伝道の書(コヘレトの言葉)の1章6節が書いてあります。細かく読み取れませんが、気象観測の話が書いてあるのでしょうか。謎です。
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オリバー・クロムウェルの像ですね。これは以前来た際にも印象がありました。ライオンと一緒なのは意味があるのでしょうね。清教徒革命でのフリーメイスンリーの活躍がイングランドでのフリーメイスンリーの成立の端緒であるという説は有力です。実際水平派など理想主義の活動はこの革命で様々に勃興したようです。オリバー・クロムウェルの死は諸説あるようですが、現在のウィキペディアではマラリアと書いてあります。英語版はさらに面白くsuffered by "stone"と書いてあります。尿路結石を意味するようです。まあそのままです。結局ブラザーナポレオンのモデルなのでしょうね。
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バーナード・モントゴメリー卿です。ロンメル将軍を打ち破った陸軍元帥のようです。
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アラン・ブルック卿です。陸軍元帥ですが、ブラザーチャーチルやブラザーマッカーサーと多くの接点があったようです。
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ウィリアム・スリム卿です。陸軍元帥です。ウィキペディアの写真では後方にクレオパトラの針があります。オーストラリアの総督を務めたそうです。脇に六芒星がある意味は良くわかりませんが恐らくフリーメイスンである事を示しているのではないでしょうか。ガーター勲章を受章しているそうです。この3つの銅像は1990年に出来たそうで、国防省の前のようです。国防省の後ろに首相官邸ダウニング街があるようです。
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ダグラス・へイグ卿です。第一次世界大戦時の陸軍元帥のようです。
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スペンサー・キャベンディッシュ卿です。首相経験者のようです。フリッカーの画像で見ると蛇が友愛の結び目の形をしています。
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ホースガードと言って騎馬兵詰所でしょうか。実際には軍司令官が居る軍司令部のようです。
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トラファルガースクエアを望みます。この通りをホワイトホールと言い、かつてホワイトホール宮殿があったそうです。
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ケンブリッジ公です。職業軍人を貫き軍司令官であったそうです。妻が愛人であった女優であったそうです。
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王立海軍部隊記念碑だそうです。ブラザーチャーチルが建築し、グリニッジにあったものがこちらに移されたようです。オベリスクですね。
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近衛師団戦争記念碑だそうです。オベリスク状ですね。
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ルイス・マウントバッテン卿です。79歳でIRAのテロで亡くなったそうです。ビルマ戦線で痛めつけられたため葬儀には日本人の参列を拒否したそうです。道理で柵に囲まれて近づけないようにできています。
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ホレイショ・キッチナー卿です。ボーア戦争を指揮した陸軍軍人です。第一次世界大戦中に船が機雷に接触して戦死したそうです。この銅像の前にマシンガンを装備した兵士が一人雨の中警備していました。もちろん私しか周りにいませんでしたが、恐らくルイス・マウントバッテン卿の銅像を守っていたのでしょうね。柵を越えたら銃殺だったのでしょうか。まあその死に日本が関与していた事はあったのかもしれません。
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フレデリック・ロバート卿です。インド生まれでアフガンやボーア戦争を戦った陸軍軍人のようです。セントポール大聖堂に葬られているそうです。
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ガーネット・ウォルセリー卿です。第一次世界大戦前の世界各地の英国植民地で戦った陸軍軍人で、全てサーガーネットの通りにという英語の言い回しがあり、全てが整っているという意味だそうです。
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ちょうど私専用というわけでは無いですが、ホースガードの衛兵が交代をやってくれました。道の反対側の建物がブラザーイニゴー・ジョーンズが建築したホワイトホールの一部のバンケティングハウスです。この手前で清教徒革命の際にチャールズ一世は斬首刑にされたそうです。

さてここから有名なトラファルガースクエアに向かうわけですが、途中やっとの事でユーロをポンドに換金できました。500ユーロを換金したのですが、交換してやたら額が少ないのでレートを聞いたら150対100といった程でビックリしました。トラファルガースクエアからラッセルスクエアに戻る際に見たユーロ専用の交換所では120対100位が普通でしたので、とんでもなくぼったくられて痛い思い出です。まあ斬首や死刑よりは痛くないでしょうか。
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ネルソン記念柱です。ネルソン将軍は日本人に最も有名なイギリスの軍人だと思われますが、フランス軍との戦いで隻眼隻腕の将軍となり、いわゆるネルソンタッチでトラファルガー海戦でフランスに壊滅的な打撃を与えました。フック船長のモデルともなったようで、もちろん日露戦争のT字戦法の元ネタなんでしょうが、接舷作戦と砲撃戦の違いがあり全く動きは逆です。こういう戦いやテロで障害を持った指揮官を尊んだり尊重する傾向はその後テロで傷付いた大隈重信や降伏文書に調印した重光葵の評価などに関係しているかもしれません。ネルソン将軍自体は公然と三角関係を行っていて社交界では問題とされていたそうで、トラファルガーの海戦でフランス軍の射撃にあい死亡しています。セントポール大聖堂で最も大きな石棺で埋葬されています。
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ヘンリー・ハブロック卿です。インドやアフガニスタンで活躍した陸軍軍人のようです。
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海軍門の前のブラザーサークリストファー・レン作によるチャールズ一世像です。台座を作ったのでしょうかね。
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ジョージ四世です。ウィキペディアを読むとナポレオン戦争に勝利した際の国王であるようですが、逸話がとても面白いです。父親のジョージ三世は81歳まで生きたそうですが、アメリカ独立戦争を招き、相次ぐ子どもたちのスキャンダルで晩年は認知症を患い元来精神疾患があったとされポルフィリン症で発狂して亡くなったとされるようです。子のジョージ四世は大量の借金を抱えいいなりの結婚と引き換えに借金を棒引きしたそうですが、一生不仲であったそうです。英国万歳!という映画に描かれているようです。
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ブラザーネルソンの戦った4つの海戦を表現しているそうです。
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チャールズ・ジェームズ・ナピア卿です。インドの陸軍司令官でパキスタンを占領したようです。
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なにやら芸術作品のようですが、要するにこの像以外は全てフリーメイスンだよという事ではないでしょうか。まあロンドンで銅像を残すという事はそういう名誉なことなのだと思います。

この後ナショナルギャラリーの前のブラザーワシントン像を撮ろうとしてiPhoneの電池が切れてしまいました。そのままナショナルギャラリーの裏側の通りを大英博物館に向かって進みホテルに戻りました。途中パレスシアターで雨に歌えばを公演していました。二日目はこれで終了です。疲れきってホテルでBBCでも見ながら眠った気がします。