2012-11-01 07:43 | カテゴリ:イングランド
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
さてさて3日目の朝です。大分疲れていますので起床から活動までもゆっくりです。
もちろんホテルの朝食だけはちゃんと食べます。
給仕のおばちゃんとの挨拶のやり取りやらカフェオティーのやり取りやらがありますがどうってことありません。
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ラッセルスクエアを一応巡ります。この日もやはり小雨の天気でした。ラッセルホテルには二度目の宿泊なんですがわざわざラッセルスクエアを巡った事は無いので一応見て回りました。非常に美しい公園でスクエアになってる事からもフリーメイスンリーの象徴なんだと思います。2005年7月7日のロンドン同時多発テロの現場の一つのようです。

さてまあ本日は題名の通りグランドロッジを訪問するわけですが、10時に始まりガイドツアーが11時からという事で、その前に近くにある大英博物館が一応9時から開いているという事でそちらに先に行く事にします。またその後のバッキンガム宮殿訪問のためにチケットをピカデリーサーカスにあるHISロンドン支店に取りにいかないといけません。そういうわけで大英博物館に向かいます。
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大分大英博物館は薄汚れていました。ちょうど20年前に来た頃はそういう酸性雨による大理石建築の汚れが問題となり始めている頃でした。それから特に対策はもうけられなかったのでしょうかね。なんだか一番薄汚れていました。ロンドンで最も多くの観光客が訪問し、その評判がどうも盗品でしかないとかそういうものであった事と関係しているのかもしれません。実際10時前は主要な展示はまだ見られず一周して出てきました。どうも20年前の印象とは全く違いましたね。リニューアルしたのでしょうが、展示も減ったようでした。入り口と食堂やカフェの広いスペースがやたら豪華になっていました。オベリスクとライオンのオブジェがありますが明らかにボロボロに欠けていて貧相です。(11/10追記:オベリスクはネクタネボ二世のものだそうです。エジプト人による古代エジプト最後の王のようです。この後アケメネス朝ペルシアのアルタクセルクセス王に征服されます。ライオンはトルコのハリカナッソスのものだそうで、マウソロス霊廟を模して作られたギリシア時代のものだそうです。要するにHouse of the Templeの前にあるスフィンクスと同様の筋の良いものという事だそうです。)もちろん大英博物館は収蔵品の数は世界一でしょうから色々時期を見て変更するのだと思います。まあそういうのがフリーメイスンリーです。20年前にはここで最初のロンドンの昼食をとってサラダの腐ったようなオリーブを食べて驚いたものでした。まあでも今では日本のどのスーパーでもオリーブが置いてある時代になりました。(11/10追記:20年前に比べて展示が色々変わったのは、その収蔵物と展示方法に批判があったのは確かのようです。それらによって相当展示方法が変わったようです。収蔵品自体は変わっていないようですし、公開の原則もインターネットも含めて変わっていないようです。ぜひ現地で自分の目で確かめる事をお勧めします。)
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チャールズ・ジェームス・フォックス卿です。ラディカルな政治家であったそうでブラザーワシントンを支援などしていたそうです。
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グランドロッジに最も近い駅のホルボーン駅まで歩いてそこからピカデリーサーカス駅に地下鉄を使うこととします。その途中にあったスーパーです。こういう情報も良いかなととりました。
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まあ実はこれが撮りたかったのですね。ラッセルスクエア駅に来る途中でホルボーン駅を見てそれを確認したのでした。ロンドンの地下鉄は駅ごとにそれぞれ装飾や階段やエレベーターの構造が異なって特徴を出しているのですが、ホルボーン駅を見るとUndergroundという名前が付けられている理由がわかりますね。
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ピカデリーサーカスですね。百貨店などが集まっているのでしょうか。まあ私はHISがあるという事だけの目的です。Fortnum and Masonなどがあるのでしょうか。足の位置などが儀式の立ち位置であるとかあるみたいですが以前に触れたような気がします。
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むしろ驚いたのが日本関連の建物が並んでいるんですが、わざわざシンボルの形になっていました。フリーメイスンなんでしょうかね。また三越があったりするとちょっとタイムスリップしたような感覚になります。ちょうどこういう感じは20年前の感じそのままで行くとこんな感じです。
HISロンドンはHIS横須賀とほとんど変わらない感じでした。あんまり旅行会社の現地支店というのは情報は多くなさそうな感じでした。
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ロイヤルオペラハウスではちょうどブラザーチャイコフスキーの白鳥の湖を公演する予定でした。
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ホルボーン駅に戻るとなんだかFusion Japaneseという先に言い訳が立つような日本食の店がありました。さすがに先に日本食もどきと言われているようでわざわざ入る気はしません。こういうのも現地でやっていくのは大変ですね。
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スターバックスとカフェネロがあったので撮りました。結局カフェネロは入りませんでしたがロンドンではこちらの方が多かったです。

さてやっとこ今回の旅の主要な目的地であるUGLE, United Grand Lodge of EnglandのFreemasons' Hallです。

(追記:全くロンドンと関係ありませんが本日11/1はカトリックの記念日万聖節だそうです。アメリカではハロウィンとなるようですが、そういう記念日のようです。もちろん11の数字にまつわる話ではないでしょうか。)
2012-11-01 20:18 | カテゴリ:イングランド
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
さてさて昨日も来たところですから直ぐです。入口は近い面の側すぐで、正面の門は閉めていました。
入口付近にSPの腕章を付けた私服警官?がいました。(拳銃を持っていたかもしれません。)ちょっとしたジョークでしょうか。
まあ中で見学したい旨を言うと上に登って二回右に曲がったところ(図書館、博物館)で待っていろとの事でした。見学者入館章をもらってとりあえず半地下の正面のお土産屋さん(Letchworth's)で物色します。まあ実はこの旅の主な目的がこのFreemasons' Hallのお土産屋さんでチョコレートを買う事であったりします。その他のめぼしいお土産品はUGLEのホームページから入れるお土産屋さんで購入していたりします。
UGLE以外でもGrand Lodge of Scotlandのホームページでもインターネット通販でお土産が購入できたりします。もちろん基本的にフリーメイスン向けの品々でありそうじゃなければ購入を拒否される事はないと思いますがあまりお勧めはしません。その他にもヨーロッパの恐らくスイスだと思いますが、お勧めのフリーメイスン向けグッズのインターネットショップがあります。いずれも登録すればクレジットカードで支払って航空便で送ってくれますが、あまり興味本位だけの取引は控えた方が良さそうです。
まあそんな動機で来る人もいるという事で、実際フリーメイスンリーのグッズというのは日本ではなかなか手に入りませんのでこういうところで探すのが最も手っ取り早いという事になるかと思います。実際問題フリーメイスンの笑い話か何かでしたが、フリーメイスンがフリーメイスンである事を証明するものはこうした小さなシンボルの飾りでしかないというものがありました。アメリカにスコティッシュライトをもたらした有名なフリーメイスンであり、独立戦争において「真夜中の騎行」でも有名なアメリカボストンの愛国者であるブラザーポール・リビアの職業は銀細工師でありました。アメリカ系のシンボルにGの文字が加わっているのはシンボルとして部分が増えるという動機もあり、これら貴金属の加工業者がデザインとして取り入れたという話もあるほどです。その他にもフランスのフリーメイスンでも有名な銀細工師がいたかと思います。eBayやヨーロッパやアメリカ国内でのオークションでも様々なアンティーク類が様々に取引されています。日本では流通量は極端に少ないようですが定期的に業者が異常な高値で販売しているものもあるようです。まあ単なる好奇心から商売目的と色々あるでしょうが、フリーメイスンが単純にそれらシンボルの入った小道具を身近に置きたいとか、自分で作ってみたいと思うのは自然なようで、大概各国のフリーメイスンリーのグランドロッジはそういった各年代の品々であふれています。
そういうわけで純粋に個人の使用目的や興味で購入したい人に向けてアピールする目的で紹介します。
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半地下の店の前の廊下ですね。
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店の様子です。
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まあ大学生協みたいな感じでしょうか。
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販売しているブラザーです。名前は聴き損ないましたが、「笑ったほうがいいか」とか気を使ってくれました。手前にあるベルギーチョコレートを購入しました。以前はミントチョコレートがあったのですが、この時はミントとチョコレートが別々に売っていました。チョコレートは非常においしかったです。もちろんミントも特別な味がしました。奥にあるのがワインですが、これもなかなかです。
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ロッジで使うエプロンやネクタイが売っています。あんまりアンティーク以外でロッジで共同購入する以外に買う用途がわかりません。興味がある人は購入しても問題ないと思います。
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この辺のいかにもお土産グッズというものはインターネット通販でも購入できます。
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ロッジで使うためのツールが売っています。それ以外に使い道はないと思われます。
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ここで道具を買えばそれなりにロッジが開設できるという事かもしれません。もちろん各国のグランドロッジと最終的にはUGLEの認証ときちんとレギュレーションやフリーメイスンリー憲章を守る事も必要ですし、何より複数のフリーメイスンと既存のロッジに認めてもらわないと新しいロッジを開設するなど出来ません。
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結構グッズは充実しています。ほとんど通販で買えます。それほど高くはないので興味のある人にはお勧めです。
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レガリアは基本的にはロッジで共同購入するものなのでしょうね。
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寄付などの宣伝でしょうか。
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ネクタイや靴下もあります。様々なネット上のショップがあるのでこれは特にここしか売っていないというものではないかと思います。
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レガリアやエプロンもなかなか古いものになると貴重で値段が高くなったりします。
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まさにロッジで使うためのグッズです。写真では良く写りませんでしたがバロットボールの白と黒の表示が反対になっていてこれまた面白かったです。
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書籍が非常に充実しています。ほとんどネットで買えるかと思います。私もいくつかこことeBayで購入しましたがやはり英文の本は買ってもなかなか進みません。いずれアンダーソン憲章の和訳から初めて読み進めていこうと思っております。日本で秘密とされるような事もほとんど世界で出版されている書籍に書かれている事ばかりかと思います。
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この後訪問するフランス大東社の近くの本屋もこれ以上に大量の関連書籍があり、それらの出版書籍の数はそのままそれぞれの国のフリーメイスンリーの深さや歴史そのものを反映しているものかと思いました。アメリカはアメリカで関連の本や雑誌がこれまたたくさんあります。これらはまた下手に翻訳するとニュアンスも本当の意味も失われてしまうような専門用語や言葉の歴史がたくさんありますので理解するのが非常に難しいかと思います。私もブラザーマンリー・P・ホールのThe Secret Teachings of ALL AGESの吉村正和氏の翻訳を中古で購入しましたが一見してそれらのニュアンスの変容を感じました。ロストシンボルでもやはり原文で読まないといけないと思いました。まあ実際翻訳があるとそちらを読んでしまうのが常です。聖書であってもフリーメイスンリーの標準の翻訳は欽定訳と決まっています。シェイクスピアが翻訳に参加したとかいう話もあるそうです。聖書の解釈についてはそれこそヘブライ語かギリシア語で読む事が勧められるようです。それについても有名なモーゼの角についての誤訳の話がロストシンボルにはありました。
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フリーメイスンリー関連のCDやDVD、フリーメイスンホール紹介のDVDやクリスマスツリーの飾りなどの置物、テディベアは王室関連の土産物屋にも必ずある定番のお土産物となっています。変わった所では左下には折りたたみ傘もあります。期待した白黒のものではなくごく普通の黒いものでシンボルはほとんど目立ちません。シンボルの刻印が入ったペンがお勧めかもしれません。

まあここでチョコレートなどを現金で購入し、見学の間預けるかと言われましたが持ったまま二階の博物館、図書館に移動します。

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これは半地下のお店の反対側の奥の廊下でしょうか。何もなかったか会議室みたいな部屋がたくさんあったのでしょうか。やたら色々写真を撮ろうとしたのでしょうかね。
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これは二階に上がる途中のステンドグラスですね。
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ジョージ五世の肖像画でしょうか。はっきりとはわかりません。見学の際もこれと同様の王族や貴族のブラザーの肖像画が大量にありました。当時はその場ではほとんど誰だかわかりませんでした。
この絵が二階に上がった所の正面にあり、このつきあたりを右に曲がってさらにつきあたりを右に曲がるとコート掛けと傘立てとコインロッカーがあって奥が図書館、博物館となっています。一応その辺から撮影禁止です。図書館の手前には豪華なトイレもあります。図書館では何人もの若い人が本を読んだりしていました。無料のパンフレットなども置いてありました。名前と所属ロッジを記入する紙が置いてあり、一緒に来た人たちのロッジを見るとスイスとアメリカであったようでした。合計10人程度で11時から解説する70代位のブラザーに解説されて博物館の右手の方の扉から入って周ります。英語もジョークを交えたりしながらなんですがなんとも全然わかりません。一応なんとか聞き取れた、というか多分そういうところだけは私にわかるように話しているのかと思いますが、そういうところ、私が受け取ったニュアンスや内容を次回お伝えします。基本的に見学中は撮影禁止でYouTubeの動画や紹介DVDが非常に参考になるかと思います。というかそこでほとんど全て出しているようです。
2012-11-03 08:38 | カテゴリ:イングランド
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
さてまあ本日は11月3日文化の日、明治節という事で、明治天皇の新暦での誕生日という事です。旧暦では9月22日生まれという事です。偶然なのか後であわせたのかわかりませんが、いずれにしても当時の皇室の状況などから言っても天皇や皇太子の存在を把握しているのは限られた数の貴族や侍従のみでしょうからすり替えたりしたと言っても誰も確認できない状況であった事は確かでしょう。父親の孝明天皇は強烈な攘夷派で旧暦のクリスマスに亡くなるわけですが、この辺の詳しい事情を知っていた人物は後の明治政府の中枢に残った岩倉具視や三条実美といったその場にいた公卿達だけではないでしょうか。まあもちろん私は全く読んでいないのですがブラザー加治将一の「幕末 維新の暗号」の伝えられた概要の受け売りな訳です。そもそも大隈重信公の出身地で教育したフルベッキが改宗ユダヤ人であり、天皇すり替え説はともかくとして生年から始まって素行から容姿まで一般国民が知る由も無かった時代の未開国の君主制を単純に反映した陰謀論ではないでしょうか。

まあそんな時節に合わせた陰謀論から始まるフリーメイスンリーの総本部とも言えるイングランド連合グランドロッジの見学のその3なのですが、まあ日にちを合わせたわけですね。前日に急遽放送されたようなテレビ東京のやりすぎコージーの内容などもあって、閲覧者は増えてるようですが、内容をまたFC2ブログの動画で確認したりして大変です。内容的にはシアトルの観光案内のようですが、いずれこのブログでもアメリカの州章でシンボルについてと各州についてわかる限り触れていくなどやろうかと思っています。イルミナティは少しこだわっていましたが、基本的には日本だとライオンズクラブやロータリークラブはあまり系統だった知識は得られないようで、その辺に関連したいわゆる陰謀論としてのキーワードになるのではないかと思います。このブログでのフリーメイソンとフリーメイスンリーやフリーメイスンといった表記の話と一緒ではないでしょうか。一つのいわゆる暗号や合言葉のようなものです。

本日はまた横浜ロッジの定例会の日でもあります。曇り空なんでしょうか。観音崎では観音崎フェスタを開催する予定のようです。

さてそれでは長い前置きになりましたが本編です。
UGLEの見学で理解した要旨です。
まず最初にグランドマスター用というとてつもなく大きな椅子、ガリバーの椅子のようなものを見せられます。グランドマスターの権力がとてつもなく大きいという一種のカリカチュアのようですが、細かい事はわかりません。ふんふんと聞いていました。その後大量のエモン掛けがあるところ、恐らくグランドロッジの控室なのだと思いますが、そこの肖像画を一人ずつ説明されていきますが代々のグランドマスターか王族で、基本的に国王はグランドマスターにならないそうで、そのいとことかがなるのが通例のようです。国王も男は基本的にフリーメイスンであるという説明であったと思います。とにかく全てのフリーメイスンリーのグランドロッジの認証はこのUGLEが行うというところを強調していましたがもちろん慣例でという事です。後はその肖像画の説明で面白かったのがガーター勲章受章者で非メイスンであるが肖像があるという事で、ガーター勲章受章者もフリーメイスンに準ずるという説明を行っていました。もちろん日本の天皇陛下を意識した説明なのだと思いますが、厳密にはガーター勲章受章者はマスターメイスンよりは格下という事になるのだと思います。
後はグランドマスターの部屋が必ず空けてもうけられているという事、もちろん儀式のとき以外はほとんど使わないそうですが、その後はグランドロッジのホールに移動します。ホールに入る前にYouTubeの動画の通りにソロモン宮殿を模して造られていて、ドアの彫刻の説明で、フリーメイスンリーに例えて押して入るのは簡単だが早々は出られないと言っていました。実際は出る事はほとんど不可能なのではないでしょうか。最大の秘密はそこかもしれません。グランドロッジのホールは色々壁画の説明、四元徳の表現などの説明をしましたが、何よりも強調していたのは席が1720、つまりグランドロッジ結成の1717に近い数字であって、それらが1930年のホール建設当時の最新のテクノロジーで席の下に全て空調が整えられていて快適な空間を保っているという事だと思います。扉の内側の彫刻も一つ一つ丁寧に説明してくれましたが、四元徳にプラスしたいくつもの美徳の説明であったかと思います。
後は質疑応答になって、アメリカから来たブラザーがアメリカでのインターネットを中心とした若い人へのアピールをイギリスはやらないのかという事で、イギリスは基本的にモットーであるAudi, Vide, Tace: hear, see, be silent.であると。この基本方針は一切変えないのでFacebookのようなやり方はとらないという事でした。そこはアメリカのブラザーは異論があるようでした。と同時に一緒に来ていた奥さんらしき女性が若い人がフリーメイスンになるのはどうかと思うという言葉もありました。スイスから来たブラザーは何やら扉の重さを聞いていました。2トンとかそういう話であったと思います。先ほどのフリーメイスンリーを止めるのは難しいという話と絡めているのだと思います。まあ以上で解説は終わりで後は博物館に戻るか自由行動というところで写真を撮りました。
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YouTubeの動画でも詳しく触れられているかと思いますが、メインホールの扉です。基本的に以前にヤキン、ボアズの柱のシンボルで触れたソロモン宮殿建築の旧約聖書の項目部分の図案化なのではないでしょうか。ロックフェラーセンタービルの一階の壁画と共通のモチーフでしょうか。オリエントやギリシア、エジプトなど様々な傾向が混じり合っている様式のようです。内側の扉のノックがなんか変わった形であったと思います。まあ興味のある方は一度訪問してみてはいかがでしょうか。内部は一応撮影禁止でしたが、DVDやYouTube映像で確認できるのではないでしょうか。
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天井の装飾などの画像です。まあ美しい装飾というのみで秘密っぽいのはなさそうですね。まあ秘密というのは実際は教訓、心の問題という事です。
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メインホールの入口の扉の前の広間の反対側の向かって正面のステンドグラスですね。美しいですね。天使のモチーフでしょうか。下にあるのは十戒の入っていた聖櫃のようです。オリエント、エジプト、ギリシア、ローマ、ユダヤ教、キリスト教といった考えられる様々なフリーメイスンリーを構成する要素が融合したイメージでしょうか。ブログのヘッダーに使用しています。
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これはうまく撮れていませんがイングランドのロッジの名前と番号のようです。
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このシンボルのステンドグラスはFreemasons' Hallの紹介のDVDで印象的であったものです。なかなか美しいです。日本グランドロッジの入り口付近のステンドグラスもこれらのステンドグラスを参考として作られたのではないかと思われます。
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床ですね。
この後はちょっと導かれるままというかどこまでいけるかというところでステンドグラスの前の階段を下に降りて行って何やら下の広い空間に出て周ってきたブラザーに連れられて元の博物館の見学場所の方に戻されました。まあ基本的に迷路みたいになっていますが、アメリカほどオープンというわけではないようです。現在は様々にレンタルでのホールとして使用可能なようですので興味のある方は申し込まれてはいかがでしょうか。
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さて再びジョージ五世でしょうか。「英国王のスピーチ」はアカデミー賞を多数取りましたが、その発端とも言えるシンプソン夫人との王冠をかけた恋とされるエドワード八世のそのあたりの話がマドンナ監督で「ウォリスとエドワード 英国王冠をかけた恋」として本日公開されるようです。物事にはそれぞれの立場での見方があるという象徴でしょうか。かつて日本も映画と言えば「羅生門」などがそういったテーマだったでしょうか。芥川龍之介の小説でしたね。
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さて図書館、博物館の入り口にこれまたワシントンD.C.のアレクサンドリアのワシントン記念石塔の地下にあった博物館にもあった初期のロッジの表のポスターが貼ってありました。本物ではないと思いました。
まあ全てはここロンドンで始まったのでした。
博物館は撮影禁止でしたがロッジで使ったと思われる家具や装飾類など数と量、コレクションの質などもちろん圧倒的でした。時計のようなものは少なかったと思いますが、いわゆる歴史的なロッジで使用されたものが価値があるというものなのだと思います。写真が撮れると後で検討できるのですが、見学時間も決まっていてだったのでそれぞれの展示で細かい内容までは全くわかりませんでした。印象に残ったのがミルクジャー、陶器製なのですが、これの大きな完品が多数あったのがやはりコレクターだなという感じを持ちました。かつて欧米が日本や中国の陶器を大量に買ったその反対でしょうか。

2017年6月にはイングランドグランドロッジ結成300年の記念式典が開かれるようです。どうでしょうか。

さて見学を終えて大量のお土産を持ちながらグランドロッジのすぐ前にあるFreemasons armsというパブ、レストランに入りました。
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あまり一般の人は利用していないのか客は少なかったです。フィッシュアンドチップスとギネスビールを頼みました。フィッシュアンドチップスは現地のものは初めて食べたと思いますが、下味がついていない巨大なタラという事だと思いますが、それが素揚げになっているというもので、量的に言うと日本の4人分くらいでしょうか。ちょっと苦しかったです。塩と胡椒とケチャップをかけながら食べるわけですが、下味は重要だなという事を考えながら食べました。ワシントンD.C.でもサーモンを食べましたが、やはり素材は非常においしいのですが、下味を付けないのがあっちの決まりみたいなのですね。ちょっと素材や素揚げの感じは非常においしかったので、ステーキとサラダとかメニューによって相当印象が違うだろうなと今も後悔しています。その後で他で食べたステーキは非常においしかったので、やはり肉だなという感想でしょうか。

まあ一人で入ったのに店員さんの対応も丁寧でまた行ってみたい店だと思います。
店内にどの分野でも有名なあのフリーメイスンという内容がジョークで書いてあって面白かったです。
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入り口のところから店内を撮ったのですね。そのキャッチフレーズを撮ろうとしたのですがあまり写っていないようです。まあロンドンのパブは英語が相当喋れないと日本人にはなかなか難しいでしょうか。まさにフリーメイスンリーのロッジの原点というものかと思います。食べ物や飲み物は重要な演出なのでここのものは良いものなのだと思います。

さてまあ任務を終えたというような感じでしょうか。雨は相変わらず降っていました。
Freemasons' Hallのお土産袋を持ちながらテムズ川方向に向かいます。
2012-11-03 16:56 | カテゴリ:イングランド
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
親切なブログなのでこの辺りでグーグルアースで見たそれぞれの建物の配置を確認します。
Freemasons Hall周辺地図
まずラッセルスクエアとFreemasons' Hall周辺です。
セントポール大聖堂周辺地図
その後セントポール大聖堂周辺です。
ロンドン塔周辺地図
そしてロンドン塔周辺です。
テムズ川グリニッジ周辺地図
ロンドン塔からグリニッジまでのテムズ川周辺です。
グリニッジ周辺地図
グリニッジの周辺地図です。
ウェストミンスター周辺地図
ウェストミンスター周辺です。
クレオパトラの針周辺地図
そしてクレオパトラの針周辺です。
地球の歩き方など買われればロンドン市内の地図や説明を読む事も出来るかと思いますが、やはり風景と地図で一番詳しいものはグーグルアースになるかと思います。ストリートビューなどで同じ道を見ていくと旅の雰囲気が味わえるかもしれません。

さてまあFreemasons' Hallからクレオパトラの針まで小雨の降る中お土産袋を抱えたまま傘を差して歩いていきます。靴もちょっと水浸しな感じでしょうか。
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まあこういうのはほとんど天気なんでしょうかね。ネットの写真で見ていたのより暗い天気で実物は数段劣りました。もちろん雰囲気というかそういうのははるかに良くわかります。違和感なくという事はなく、写真にもあるとおり雨の中でも異常なほどに頑張って周りをランニングしていました。ワシントンD.C.のワシントン記念塔のオベリスクの周りの雰囲気とも似ているかもしれません。やはり同じ建築物は同じ効果を周りにもたらすのではないかと思われます。エジプトから持ってきた古代の建造物でこれ位だけが現地の政府から正式に寄贈されたものなのではないでしょうか。まあそういう意味でもそういったエジプト関連の建築物やシンボルの中で実は最も価値のある正当性を持ったものと言えるのだと思います。
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テムズ川沿いにウェストミンスター方面に歩き続けると銅像や碑があります。サージョセフ・バザルゲッティーの顕彰碑です。ロンドンの下水道システムを設計してコレラの発生を減少させたそうです。フリーメイスンリーのシンボルが入ったロンドンでは珍しいものでした。
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サージェームズ・ウートレム卿の銅像です。インドやアフガニスタンで現地民との戦闘で活躍した英雄だそうです。なんだかフリーメイスンなんでしょうが、大英帝国時代の軍人の逸話は帝国主義の権化みたいな話ばかりです。
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サーヘンリー・バートル・フレーレ卿です。インドやアフリカで活躍した現地司令官のようです。
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ウィリアム・ティンデールという16世紀の人で、聖書を最初に英訳した人だそうです。宗教改革への弾圧の中で聖書の翻訳を続けましたが最後は捕まって焚刑に処せられたそうです。彼の翻訳が元となっていわゆるフリーメイスンリーで標準とされる欽定訳聖書がシェイクスピアらの協力で作られたそうです。聖書の翻訳、読むことすら中世のカトリックでは禁止されていたという事なのでしょうね。まさに啓蒙の時代です。
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チャールズ・ジョージ・ゴードンです。太平天国の乱を鎮圧した司令官のようです。最後はスーダンで反乱軍に囲まれて戦死したそうです。
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チャールズ・ポータル卿です。第一次世界大戦と第二次世界大戦を戦った空軍の元帥のようです。ヤルタ会談の記念撮影でブラザーチャーチルの後ろに写っているそうです。
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イギリス海軍航空隊の記念碑です。後に第一次世界大戦中にイギリス空軍となったそうです。
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こちらがイギリス空軍の記念碑です。戦死者に捧げられているそうです。
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ヒュー・トレンチャード卿です。イギリス空軍の父とされる人のようです。紋章のモットーがKnow thyselfだそうです。
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第二次世界大戦のビルマ戦線で戦ったChindits部隊を顕彰した碑のようです。相当の犠牲と長い行軍で伝説の部隊のようです。

写真を撮ったのは上のものだけですが、その他にもブラザーロバート・バーンズの像など上記の倍くらいは周辺にあったようです。ウィキペディアの該当ページを参照してください。UGLEで売っていたロンドンの銅像に関する本もあるようなので興味があれば購入してみてください。イギリスにおける基本的なフリーメイスンリーの知識として必要なものかと思われます。

さてでは前日日曜で入場できなかったロンドン観光の定番ウェストミンスター寺院に向かいます。
2012-11-06 14:15 | カテゴリ:イングランド
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
ウェストミンスター寺院はロンドンを訪れた旅行者が全員一度は訪れる場所かと思います。
最も単純にイギリス、イングランドの歴史を君主たちと科学者、文学者、音楽家の墓を通して知る場所ではないかと思います。私も20年前に訪れた時は最も印象深くイギリスの圧倒的な歴史の深さとそれらを全て旅行者と国民の前に曝け出すやり方に深い感銘とともにそれら示された表の歴史の裏の部分の深さに極めて沈痛な重いものを感じたような思い出があります。まさにロンドンの象徴と言って過言のない場所ではないかと思われます。日本で言うと皇居と京都御所と金閣寺と広島の原爆ドームと国会議事堂と東大寺を合わせたような場所でしょうか。20年前に来た時は今回ほど騒然とはしていませんでしたが、特にアメリカや中国を始めとした新興国、その他あらゆる世界中の国からロンドンを訪れる人々が多い現状ではウェストミンスター寺院が教会といえどもニューヨークマンハッタンのような騒然とした雰囲気をかもせざるを得ないのはしようが無い事なのだと思われます。鎌倉なども旅行者の数が増えれば増えるほどそうした雰囲気は必然なのだと思われ、その最たるものがこの地であるかもしれません。少なくともこの20年の変化は確実にこの寺院とこの国そのものに圧倒的な変化をもたらしているという事をここでは感じる事が出来たと思います。それはもしかするとこの国の象徴ともいえるこの寺院をもたらした隣国フランスがかつて通ったその騒然としたもの、それがこの国を揺り動かしているその変化の元であるのではないか、そんな気がするものです。

さてまあウェストミンスター寺院の内部はフリッカーやその他画像検索して見ていただきたいのですが、なんせ写真撮影禁止ですので仕方ありません。この辺はやはり英国です。最も有名な墓はヘンリー八世、エリザベス女王、ブラッディ・メアリーになるのだと思いますが、もちろんそれ以前の代々の君主とその妃たちがほぼ全てここに集まっているというのがウェストミンスター寺院の権威なのではないかと思われます。

それぞれの王について触れていくと何のブログだかわからなくなるので、基本的にフリーメイスンと思われる人やフリーメイスンの墓についてFind A Graveという墓を探すサイトから持ってきた画像を元にコメントしていくこととします。基本的には1717年のグランドロッジ結成以後にこの英国で最も権威ある墓地とも言えるウェストミンスター寺院に葬られた方はほぼ全てフリーメイスンかその関連だと思われますが、一応何かしら根拠というものが無いとブログとなりませんので、それらについてそれなりに触れながらそれぞれ触れていこうかと思います。まあ要するにその辺は極めて曖昧でありながら、そういうのがフリーメイスンリー発祥の地のフリーメイスンリーというものであるという、まあそういう感じも含めて曖昧である事が最も厳密であるという事を感じていただければ良いのではないかと思います。

とりあえず画像検索して出てきた雰囲気のわかる画像を置きます。
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ブログのヘッダーでもモザイクの床面の礼拝堂部分の画像を使用しています。

さてまあ一応私が撮った撮影可能であった場所での写真を載せます。墓に関してはあとでまとめて解説する事とします。基本的に中に入るとすぐに修道士に勧められる解説のオーディオサービスは利用しなかったので、説明などに関してはウィキペディアを全面的に参照しています。
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中庭を望む回廊ですね。
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Chapter Houseというそうです。基本的に撮影禁止ですが、皆さん撮影していたのでついでに撮りました。議会と教会の代表者の会議場であったようで、恐らくそれら参加者の紋章を示したステンドグラスなのではないかと思われます。パリのサント・シャペルを模した造りになっているようです。
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Chapter Houseの出口でしょうか。
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美しい中庭です。
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pyx chamberというところのようです。聖体保存室でしょうか。静かなお祈りの部屋のようです。
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繋がって隣にある聖キャサリン教会の庭です。ウェストミンスター宮殿のヴィクトリアタワーを望みます。
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司祭を記念したステンドグラスのようです。シェブロンがあったので撮りました。紋章学におけるシェブロンは、「保護」と「信頼できる働きを成した建築家その他の者」を意味するとあります。まあ司祭も皆フリーメイスンなのでしょう。
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もう一度中庭ですかね。

さてまあお墓の説明に移りましょう。
お墓の説明がなぜ重要なのかというともちろんフリーメイスンかどうかという証拠がシンボルとして現れている事があるという事になるのだと思いますが、実際には特にここウェストミンスター寺院ではそれほどフリーメイスンかどうかを示すシンボルは明らかではありません。それはなぜかというとイギリスでは特に王族や貴族など名誉ある地位や、それを示す銅像や記念碑などが設けられる人物はほとんどがフリーメイスンであるという慣習、それが当り前であるという前提があるからだと思われます。つまりグランドロッジ結成以降にこのウェストミンスター寺院のような王族がかつて葬られていた地のようなイギリスを代表する墓地に葬られる人物は基本的にフリーメイスンであるという前提が成り立つのだと思います。これに関しては色々ご意見がある方も多いかと思いますが、ヨーロッパで基本的にフリーメイスンリーの歴史が深いところは皆そういう状況なのだと思います。

ではとりあえず有名なフリーメイスンのお墓について見ていきます。
George Friederic Handel
ブラザーヘンデルですね。ブラザーヘンデルはドイツ生まれでイギリスに帰化しました。同時代の大バッハと並び称される日本では音楽の母と呼ばれるバロック音楽の巨匠です。YouTubeの動画にも有名なハレルヤの合唱を含む聖書の内容を題材としたメサイアを入れました。晩年に大バッハと同じく恐らく白内障でしょうが同じ眼科医に手術を受け同じに失敗して失明しているそうです。フリーメイスンリーに関しての大バッハとの違いは恐らくロッジが多くあったイギリスに移住したかしないかの違いだけではないでしょうか。ブラザーヘンデルは一生独身であったそうです。お墓の方は壁面に彫像もあるそうですがシンボルの片鱗も全く認めません。フリーメイスンかどうか確認するにはUGLEに加入してロッジの文章を調べる他ないかもしれません。(あえて言うと四元徳の下がFortitude堅忍不抜、上がPrudence思慮分別を示す一般的な女性の像の形かもしれません。また上の方には転倒したGの形を認めるかもしれません。)
Rudyard Kipling
ブラザーラドヤード・キップリングのお墓です。これもまた一切シンボルは認めません。ただしこのお墓は面白い謎を含んでいます。日付の表示で30THや18THなどTHの序数詞が付けられていますが、このTHの表示が重ねられています。これはそれほど英語で一般的な表示ではないというかあまりないと思います。ではなぜこんな記号を使うのでしょうか。ヒントはブラザーキップリングの宗教にあると思われます。THが重なった字を見て気付く人は気付くと思います。彼はインドで育ちキリスト教を基本的に信仰しながらも、アジアのヒンドゥー教や仏教、イスラム教やユダヤ教など多くの他宗教が存在する環境で育ち、自らも無神論的なキリスト教信者と表現するに至っています。そういう宗教的環境を考えた際に、このTHの重なるシンボルは実はある団体のシンボルと極めて似通っています。それは以下の通りです。
IHS.png
これはイエズス会のシンボルですね。ブラザーキップリングがイエズス会と接点があったのかどうか、イエズス会に所属していたのか、死後にイエズス会がシンボルとして挿入したのか不明ですが、少なくともこのTHのシンボルはイエズス会のシンボルを連想させるものである事は良いかと思います。基本的にウェストミンスター寺院もイギリス自体もヘンリー八世の国教会成立まではカトリック教国であり、イエズス会自体も宗教改革によってカトリックの内部から生じた組織であり、教皇から弾圧されたりした歴史もありますが、日本でも有名な通りアフリカやアジアなど世界中に宣教師を派遣し、教育を行った事で有名であり、現在も数多くの教育機関を持っています。イエズス会の思想はフリーメイスンリーとも共通する部分が多く、カトリックの中では比較的イエズス会はフリーメイスンリーと近い思想の組織と考えられるかと思います。ブラザーキップリングがイエズス会信者であったなどというのは恐らく研究者からも否定されるかと思いますが、少なくとも墓標に記されたシンボルからはそういう推測が成り立つものかと思います。
(2013/8/6追記:トリプルタウでもあるようです。恐らくロイヤルアーチメイスンリーに加入していたのでしょう。イエズス会よりもそちらの方が近いようです。)

Sir Isaac Newton
これはフリーメイスンとしては恐らく含まれない有名なニュートンの墓です。ニュートンの墓にはシンボルとしても認められる天球儀やオベリスク状の背景の構成、さらにこの写真には写っていませんがさらに上には三角形の印も認められます。ブラザーウィリアム・ブレイクもニュートンを題材として象徴的なコンパスを持たせた絵を描いていますが、極めてフリーメイスンに近い人物であっても、最終的には彼は極めて偉大な科学者であっても実務的メイスンリーではもちろんなく、1717年のグランドロッジ結成後の極めて思索的メイスンリーに近い存在ではあるが、彼のブラザーフックとの確執や一生独身であった事、人生後半の錬金術師としてや聖書研究の過程などからもフリーメイスンとは認められなかったのではないかと思われます。

さて次からは私が写真を撮ったいわゆるオベリスク状の表示を持つ墓です。
Edward TufnellIMG_2588.jpg
同じものですが右が私が撮ったものです。回廊の場所にあるのですね。ブラザーエドワード・タフネルです。オーストラリアのブリスベーン教区の国教会の司教のようです。
Thomas Sanders DupuisIMG_2590.jpg
ブラザートーマス・サンダース・ドゥピュイスです。教会の作曲家、オルガン奏者のようです。フランス出身のようです。
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ブラザーダニエル・プルテニーです。政治家で大臣であったそうです。
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ブラザーピーター・メイスンだそうです。検索しても出てきません。82歳で1738年9月1日に亡くなったそうです。ジェントリーであったそうで有名人ではないのかもしれません。
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ブラザーウィリアム・バカンです。スコットランド出身の医師で「ドメスティックメディスン」を執筆したそうです。隣の名前の表示から検索していますが、オベリスクの上の部分が剥落してしまっているのでしょうか。オベリスクの墓とは別かもしれません。

この後はFind A Graveで見つけたオベリスクやシンボルを含んだ墓です。
Henry Priestman
ブラザーヘンリー・プリーストマンです。第二・三次英蘭戦争を戦った指揮官のようです。1712年に亡くなっています。グランドロッジ結成前のフリーメイスンのようです。
John Stanhope
ブラザージョン・スタンホープ卿です。軍人としてスペイン継承戦争でフランス軍に捕虜となった後に政治家となったそうです。1721年に亡くなっているそうです。
Thomas Shadwell
ブラザートーマス・シャドウェルです。詩人で劇作家のようです。1692年に亡くなっています。グランドロッジ結成前の思索的メイスンリーでしょうか。
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ブラザーエドモンド・ハレーです。これは記念碑で墓ではないようです。彼はハレー彗星の発見で有名なグリニッジ天文台長でした。星自体シンボルですし、彗星の尾がAll Seeing EyeのGloryのようです。
Christopher Monck
ブラザークリストファー・モンク卿です。軍人で政治家であったそうで、ケンブリッジ大学の学長も務めています。軍事的には能力はなく1688年に35歳でジャマイカで亡くなったそうです。碇のシンボルを認めます。
GEORGE HOWE
ブラザージョージ・ホー卿です。墓ではなく記念碑のようです。ブラザージェームズ・ウルフらとともに七年戦争やフレンチインディアン戦争を戦い1758年に33歳で戦死したそうです。
HENRY CAREY, LORD HUNSDONTomb_Westminster_Abbey.jpg
ブラザーヘンリー・ケアリー卿です。四つのオベリスクと白黒のモザイク床で表現されるかなり目立つものです。1526-1596に生きた方で、ヘンリー八世の二度目の妻でエリザベス一世の母親であり、ヘンリー八世に処刑されたアン・ブーリンの姉であるメアリー・ブーリンの子供ですが、恐らく父親がヘンリー八世ではないかと思われているいわくつきの人物です。軍人、政治家として働き、シェイクスピアのパトロンとなった人物だそうです。どうもこの墓といい逸話といい、ヘンリー八世の治世、エリザベス一世の治世がイングランドの思索的フリーメイスンリーの起源であるという発想はこの地では根強いようです。
Jonas Hanway
ブラザージョナス・ハンウェイです。やはり記念碑のようです。冒険家で篤志家であり、カスピ海周辺まで探検したそうです。様々な逸話があるようです。The Marine Societyを設立したそうです。
pitttheelderwil.jpg
ブラザー大ピットです。有名な政治家で首相を務め演説中に亡くなっています。子供の小ピットもフリーメイスンだと思われますが、墓にシンボルは認めませんでした。こちらは蜂の巣を認めています。
Christopher Marlowe
こちらは記念碑だと思われますが、ブラザーオスカー・ワイルドと並んで、何やらシンボルのような形に対称形にクリストファー・マーロウの名前が刻まれています。このクリストファー・マーロウはまたいわくつきの人物で、エリザベス朝時代のどうも秘密結社の構成員だとかスパイだとか言われているそうで、シェイクスピア以前の詩人、劇作家であったようですが、29歳で恐らく陰謀で刺されて殺されているそうです。ブラザーオスカー・ワイルドも有名な同性愛者でしたが、このクリストファー・マーロウも同性愛者であったようです。恐らく思索的メイスンリー以前のいわゆるテンプル騎士団などの流れを汲む英仏を股にかけた国家間のやり取りに使われた秘密結社に属していたのではないかと推測されるそうです。ちなみに葉山にあるプリンで有名なマーロウは40年ほど前の探偵物語の主人公の名前のようです。もちろんこちらのクリストファー・マーロウの名前を借りた話だと思われます。こういう話をみるとウェストミンスター寺院がなぜ撮影禁止なのかがわかる気がしますね。フリーメイスンリーに関する秘密がいっぱいというかそれしかないというところなのかもしれません。
David Lloyd George
ロイド・ジョージ首相の墓です。恐らくフリーメイスンでしょうがはっきりとしたものはわかりません。恐らくこの墓標の周囲の輪はグノーシスの蛇をかたどっているものかと思います。友愛の結び目よりもそちらに近そうです。
Andrew Bonar Law
ここからはすごいシリーズになります。なんと墓標の表記が対角線の向きに記されているものをフリーメイスンとしています。もちろんフリーメイスンリーのシンボルと近い菱形となりますが、それだけでフリーメイスンと出来るでしょうか。まあ結局ほとんどがフリーメイスンであるに違いないのですが、それを示すような形をとるかどうかは本人次第や状況次第で、その一つの示し方がその正方形を斜めに使うという事だと推測したわけです。うーんどうでしょう。ただの正方形でもパーフェクトアシュラーを示すとも言えなくないわけですが、ブラザーキップリングやブラザーヘンデルのものを見ても微妙でしょうね。(書いていて思い出しましたが、20年前に日本人ガイドの方と一緒に解説されて周った時は、どうもそういう向きが色々意味があるとか、墓の彫刻の意味があるとかそういう解説を受けた気がします。現在でもオーディオを聞きながら回れば色々とそういう示唆が含まれているかもしれません。私は時間の関係でオーディオサービスを受けなかったのでわかりません。)上のものはブラザーアンドルー・ボナー・ローのものです。首相経験者です。
Charles Villiers Stanford
ブラザーサーチャールズ・ヴィリアーズ・スタンフォードです。アイルランド出身の作曲家です。ブルーバードやアイルランド狂詩曲などを作っています。いきものがかりが同じ題名の曲を作っているようです。
George Green
ブラザージョージ・グリーンです。家業のパン屋を手伝いながら数学や科学の論文を出したそうです。これは記念碑のようです。
George II
ブラザージョージ二世です。白黒のタイルであり、グランドロッジ結成後であり間違いないと思います。ブラザーヘンデルのメサイアを聞いてスタンディングオベーションしたとの逸話があるそうです。
Herbert Charles Onslow Plumer
ブラザーヘルベルト・チャールズ・オンスロー・プルマー卿です。陸軍元帥のようです。第一次世界大戦を指揮したようです。
John Smeaton
ブラザージョン・スミートンです。土木工学の設計者であったようで、Lunar Societyというブラザーベンジャミン・フランクリンも所属していたバーミンガムでの科学者の夕食会クラブの会員であったようです。要するにフリーメイスンリーです。ブラザーライト兄弟の使用した揚力方程式を作ったそうです。脳梗塞で歩行中に亡くなったそうです。
Laurence Olivier
ブラザーローレンス・オリヴィエ卿です。シェイクスピア俳優でヴィヴィアン・リーと結婚しています。彼の出演作は一見して全てフリーメイスンリー関連の作品ばかりです。
Michael Faraday
ブラザーマイケル・ファラデーです。記念銘盤のようです。
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ブラザーファラデーのお墓です。ハイゲイト墓地にあるそうです。
ブラザーファラデーは科学史上でも最も偉大な発見をしている人物の一人で、全く高等教育を受けていない青年期に本屋で働いていた人物です。ベンゼンを発見し、電気分解の法則を発見し、最初のモーターを作り電磁誘導の法則を発見しました。光に対する磁場の影響のファラデー効果を発見しています。ファラデーのクリスマスレクチャーの「ロウソクの科学」は有名です。ウェストミンスター寺院への埋葬を拒否していたそうです。
Neville Chamberlain
ブラザーネヴィル・チェンバレンです。ブラザーチャーチルの直前の首相でナチスドイツへの宥和政策で有名です。バーミンガム大学の前身のメイソン科学大学を卒業しているそうです。異母兄のオースティン・チェンバレンがノーベル平和賞を受賞しています。恐らくこちらもフリーメイスンでしょう。1940年11月9日に71歳で胃癌で亡くなっています。
Paul Adrian Maurice Dirac
ブラザーポール・ディラックです。量子物理学者でエルヴィン・シュレーディンガーとともに1933年にノーベル物理学賞を受賞しています。ディラック方程式を考案し、これから陽電子の存在を予言したようです。
Prince George of Denmark
ブラザープリンス・ジョージオブデンマークです。アン女王の夫だそうです。
Sir Rowland Hill
ブラザーサーローランド・ヒルです。イギリスの郵便制度を改革して初めて郵便切手を作った人のようです。
Sir William Walton
ブラザーサーウィリアム・ウォルトンです。20世紀を代表するイギリスの音楽家だそうです。シェイクスピア作品の映画化で音楽を作っているようです。
Sydney Webb
ブラザーシドニー・ウェッブとその妻ビアトリス・ウェッブです。イギリス労働党の元となるフェビアン協会の中心的な社会主義者だそうです。ソ連の大飢饉を報告させないように圧力をかけたそうです。
William Blakeney
ブラザーウィリアム・ブレイクです。記念碑のようです。有名なフリーメイスンとしてブラザーヘンデルとブラザーキップリングと一緒にしても良いですが、対角線の名前という事でこちらで良いと思います。対角線の名前の形、菱形の象徴はフリーメイスンを意味するとして良いのだと思います。
William Herschel
ブラザーウィリアム・ハーシェルです。元々音楽家であったようですが、ドイツからイギリスに移住してその後天文学者になったそうです。天王星を発見しその他にも重要な天文学上の発見をしているそうです。その他最初に赤外線放射の存在を証明しています。
William of Orange
ブラザーウィリアム三世です。オランダ総督を務め、名誉革命の際に妻メアリー2世とともに共同統治する形でイギリス王となりました。名誉革命後はオランダ人の貴族を政府の高官として迎え入れたそうです。子供で成人したものはおらず、女王の死後に1702年にヨハネ騎士団の荘園であったハンプトン・コート宮殿で乗馬中、モグラの穴に馬が脚を踏み入れたために落馬して重体となり、ケンジントン宮殿で51歳で死去したそうです。ハンプトン・コート宮殿には有名な迷路の庭園とブラザークリストファーレンによる建築、およびメアリー女王の幽霊の伝説があるそうです。その後スコットランド人のジャコバイトの間で、穴を掘ったモグラを賞賛する歌が流行したそうです。名誉革命でイギリスはフランスのルイ14世の衛星国的存在から反フランスのプロテスタント的立場を明確にした転換点であったようです。その後オランダ海軍はイギリス海軍に勢力を奪われていくようです。
Frank Whittle
ブラザーサーフランク・フィットルです。イギリス空軍の技術者でターボジェットエンジンを実用化するのに尽力したそうです。対角線の菱形ではなくヘキサゴンですね。良いのではないでしょうか。

さてウェストミンスター寺院にはこの他にもサミュエル・ジョンソンやジェフリー・チョーサー、ジョン・ゲイ、アルフレッド・テニスンなどの詩人、チャールズ・ディケンズなどの小説家も埋葬されているのですが、明らかにフリーメイスンとはわからなかったので取り上げていません。サミュエル・ジョンソンやディケンズやゲイやテニスンなど1717年以降に亡くなった方はフリーメイスンではないかと思います。

ウェストミンスター寺院については以上で終わりにします。また何度も訪れればそのたびに新しい事がわかるかもしれません。まあ基本的にグランドロッジ結成以降に亡くなってウェストミンスター寺院に埋葬されたり記念碑がある方はフリーメイスンで良いと思います。すなわちほとんどフリーメイスンの墓という事です。
2012-11-06 20:27 | カテゴリ:イングランド
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
ウェストミンスター寺院を出てからバッキンガム宮殿に向かいます。こちらは20年前はもちろん開放などされていなかったところであり、現在でも7月から9月の期間だけ公開しているようです。
良くはわかりませんがウィンザー城で火事があったためその修復費の為に一般公開して入場料を充当しているという名目のようです。その割には一生懸命お土産を売っていたのでついたくさん買ってしまいました。
ウェストミンスターからバッキンガム宮殿には途中バードケージウォークというセントジョージ公園の脇を通るいかにも感じの良い通りがあり、その名の通りこの通りの公園沿いには鴨や白鳥などの水鳥がうろうろしていました。その雰囲気がわかる動画や写真がありましたので転載します。私は前日のiPhoneの電池切れもあり、あまりたくさん写真を撮るのに用心深くなっていてこの通りは全く撮っていません。雨は相変わらず降っていました。徒歩20分位でしょうか。前日の歩行もあり足はかなり疲れています。
640px-Birdcage_Walk,_Westminsterバッキンガム宮殿周囲地図



バードケージウォークマーチという行進曲もあるそうです。参考に置きました。
まあバッキンガム宮殿の旗はユニオンフラッグがはためいていました。
IMG_2595.jpgIMG_2596.jpgIMG_2597.jpg
なんだか若い育ちの良さそうな少年や少女たちが入り口で楽な入場客への説明をしていました。他に仕事はないのでしょう。
中は非常に後で訪れるルーヴル美術館と作りが似ています。というか、結局王室の宮殿というのは同じ作りになるのではないでしょうか。まあ広すぎて良いという事もないという当たり前のことだと思います。内部の参考になる動画はオリンピックの際のエリザベス女王が会場に訪れるまでの動画だと思います。訪問客は非常にイギリス人と思われる高齢者が多く、王室人気が高い事を示していましたが、あれほどダイヤモンドに興味があるとは思われませんでした。門番をやっている孫を見に来たのかもしれません。展示物ではサーアンソニー・ヴァン・ダイクの筆によるチャールズ一世関連の肖像画が印象的でした。まあ王室というものは常に革命を恐れる存在なのだと思います。ここでもイギリス共通のオーディオサービスがあるのですが、日本語のものは非常に変でした。テレビに出る皇室関連の説明する高齢女性のような解説で、これらオーディオサービスのものでそもそもきちんと説明する気があると思われたのはセントポール大聖堂のもののみでした。そもそもそういうシステムを主導するのがフリーメイスンリーであるという事だと思われます。
Charles_I_with_M._de_St_Antoine_(1633);_Anthony_Van_DyckThe_Assumption_of_the_Virgin_(1612-17);_Peter_Paul_RubensDE-BEERS_2219087a.jpgqueen-elizabeth-diamond-jubilee.jpg
さてまあ相変わらず王室関連は写真撮影禁止で、なんだかやたら混んでいて特殊な観光地です。以前は入れなかったところと言っても入れたからと言ってどうという事はありません。(11/12追記:BBCの紹介動画がありましたのでリンクします。)最後のところでお決まりのカフェがあって全員がすべからくそこでお茶を飲んでいくわけですが、珍しくグリーンティーがあったので注文してしまいましたが、いずれにしろティーバッグでどうも公開している事が王室が好んで行っているわけではない姿勢が垣間見えます。グリーンティーはちょっとあまり良くありません。全般的にロンドンで飲んだ紅茶はあまり良くありませんでしたが、ここやウィンザー城でお土産で買った紅茶はなかなかおいしいです。そんなもんではないでしょうか。おいしい抹茶なら鎌倉の紀伊国屋で買えばよいのだと思います。最近は日本で売っている紅茶の方が日本人には美味しく感じられるものも多いようです。そもそもアジアはお茶文化は欧米より古いですからね。
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メニューを写すために撮ったのですが店員さんがバッチリ映っていますね。あまりメニューは見えなさそうです。ケーキもいまいちでした。まああまり公開する事に乗り気ではないようです。こういうので良かったのは葉山のしおさい公園、旧御用邸とか三渓園でしょうか。博物館も大体大したことはありません。入場客が少ないところが大体感じが良いです。
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おっとしょうもない観光客の文句になってしまいました。一応英国王室はフリーメイスンリーの頂点に位置する象徴です。どうもここを見学した後から天気が晴れてきたようです。やはりグランドロッジとその国の権威への訪問はどの場合も大切です。
さてバッキンガム宮殿を出るとハイドパークコーナーという地下鉄の駅がある広場まで歩きます。
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ウェリントンアーチという凱旋門があります。ジョージ四世の時代にナポレオン戦争の勝利を記念して造られたそうです。
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ブラザーウェリントン卿の銅像です。Iron Dukeと呼ばれるようです。ブラザーナポレオンをワーテルローの戦いで打ち破り後に首相となっています。
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イギリス砲兵連隊の第一次大戦の戦死者の記念碑のようです。
ここから地下鉄に乗ってピカデリーサーカスへ行き、そこから歩いてトラファルガースクエアへ行きナショナルギャラリーに向かいます。
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途中王立劇場の前を通ります。オペラ座の怪人を公演している事で有名です。アンドリュー・リロイド・ウェーバー監督と結婚していたサラ・ブライトマンが宇宙へ行くなど話題がありました。ウェーバー監督はフリーメイスンではないでしょうか。

やっと雨があがってきたようです。
2012-11-06 22:33 | カテゴリ:鎌倉
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
さてまあ時期的に微妙ですが、記憶も遠くなりそうなのでオバマ大統領が鎌倉に訪問した際の写真を出します。
まあ来たと言ってもほとんど見えなかったわけですが、オバマ大統領もフリーメイスンではないかとかそういう話はこのブログでも多少触れましたが、まあフリーメイスンではないのだと思います。
そもそもレーガン大統領なども大統領就任中にホワイトハウスで名誉称号の授与を行ったとか色々あるようですが、最近の大統領は直接フリーメイスンであったり、演説でフリーメイスンリーについて触れたりするのはご法度のような状況なようです。オバマ大統領は就任早々ノーベル平和賞を受賞したりと非常にフリーメイスンリーに近い存在であるのは間違いないでしょうが、恐らくほぼ確実にフリーメイスンではないと思われます。
まあここまでブログを読まれている方は大統領がフリーメイスンかどうかなんて事は大したことではないという事がわかっているかと思います。
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長谷の交差点ですね。警備で騒然としています。どうも大仏に来るらしいという状況でした。まあ何しに来るんだって話ですね。まあ会いに来るんですよ。大仏に。
まだ3.11の前で菅直人首相の時代の横浜でのAPECサミットでした。
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坂の下の横断歩道の辺りです。
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由比ガ浜の海にも警備艇が出ていました。
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この辺から見守ります。
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車列が遠くから見えてきてるんですかねえ。しょうもない写真ですねえ。
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結局反対側の窓を開けていて見えなかったのですね。しょうがないので反対側に移動しました。
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結局また反対側に窓が開いていたのですね。しょうがないですねえ。
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インターネットの記事の抜粋ですかね。首脳の奥さん方がお茶会をやったという写真です。
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オバマ大統領が大仏を見ながら抹茶アイスを食べる図ですね。以前にブラザーキップリングの文章を引用した時に出しました。

まあ何だったんでしょうねえ。明日次の大統領が決まるそうです。どうなんでしょうねえ。ブログと関係あるでしょうかねえ。
2012-11-10 16:14 | カテゴリ:イングランド
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
さてロンドンの旅に戻りましょう。
再びトラファルガースクエアです。
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ジョージ三世の銅像です。アメリカ独立戦争や対ナポレオン戦争の時代を治めた王でイギリスの王の中でヴィクトリア女王に次いで二番目に長い60年の治世でした。晩年は息子たちのスキャンダルから認知症を患って息子のジョージ四世を摂政としました。ブラザー小ピットを首相としてブラザージェームズ・ワットの蒸気機関の発明などで産業革命がおこった時期です。トラファルガースクエアの西側にあります。
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ナショナルギャラリーです。
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ジェームズ二世です。名誉革命で追われたイングランド最後のカトリックの王です。チャールズ一世の子供で清教徒革命の際にはフランスに亡命します。その後クロムウェルの死去に伴って帰国し、兄チャールズ二世が亡くなると王となりましたが、カトリックの信仰を公にして反発を受け、最終的に名誉革命によってフランスに再亡命しました。死ぬまでジャコバイトの運動を続けました。ジェームズ二世の庶子の家系がスペンサー家と婚姻しダイアナ元妃の家系となるそうです。ダイアナ妃の結婚がセントポール大聖堂で行われたのももしかするとこうした家系によるのかもしれません。
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ネルソン記念柱も少し天気が良くなったとは言え、思いっきり工事中でしたね。
トラファルガースクエアも良く見ると床面がモザイク状になっています。
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撮影当時銅像の人物が最も良くわかったものでした。ブラザーワシントンですね。ファスケスを持っています。最もホッとした銅像でしたでしょうか。

ナショナルギャラリーに入ります。
入場は無料なのですが、入口には大英博物館と同じくポンド硬貨を投与するような募金箱があります。
写真撮影禁止なのでここでも実際何が展示されていたのかほぼ忘れてしまっています。結局ウィキペディアに出されているものをあらためて見て、こんなものあったかなあという感じになってしまいます。是非こういう写真撮影不可は止めてほしいものです。まあそうしないとアジア人の無粋なフラッシュ写真で気分を害されるというのもあるのでしょうが、やはりあとで写真を確認できないとほぼ記憶に残りません。

全体の印象は日本の国立西洋美術館と似た感じでやはり中世の宗教画から、ルネッサンスの画法となり、印象派で終わるという美術の教科書のような流れで、やはり結局ゴッホのひまわりが一番印象に残る感じで、美術の成績でいうと100点満点だけど実際そんな美術に興味はないみたいなそういう感じでしょうか。まあそれがイギリスなのだと思います。
ウィキペディアにある展示物の写真を転載します。
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キリストの洗礼、ピエロ・デラ・フランチェスカ
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チャールズ1世騎馬像、アンソニー・ヴァン・ダイク、ロイヤルコレクションとの違いが面白いかもしれません。
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ひまわり、フィンセント・ファン・ゴッホ
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海港 シバの女王の船出、クロード・ロラン、船の図はグリニッジにも多数ありましたがシンボルを描いた絵となります。
1280px-Paul_Cézanne_048
女性大水浴図、ポール・セザンヌ
Canaletto.jpg
サン・ヴィダルの石工工房、カナレット、ありし日の実務的メイスンリーの姿ですね。
Hans_Holbein_the_Younger_-_The_Ambassadors_-_Google_Art_Project.jpg
大使たち、ハンス・ホルバイン、良く見ると直角定規や地球儀などのシンボルが描かれています。また斜め下から見るとわかるような髑髏が描かれていて、これもシンボルとなります。
Monet_Houses_of_Parliament,_Sunset
国会議事堂 - 日没、クロード・モネ、その後の睡蓮の連作に繋がる重要な作品です。
Rain_Steam_and_Speed_the_Great_Western_Railway.jpg
雨、蒸気、スピード-グレート・ウェスタン鉄道、ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー
Van_Eyck_-_Arnolfini_Portrait.jpg
アルノルフィーニ夫妻像、ヤン・ファン・エイク
382px-Virgin_of_the_Rocks_London.png
岩窟の聖母、レオナルド・ダ・ヴィンチ
640px-Seurat_bathers.png
アニエールの水浴、ジョルジュ・スーラ、スーラも早世していますが点描画の作家として興味深い人生です。
1280px-An_Experiment_on_a_Bird_in_an_Air_Pump_by_Joseph_Wright_of_Derby,_1768
空気ポンプと鳥の実験、ジョセフ・ライト・オブ・ダービー
CaravaggioSalomeLondon.jpg
洗礼者の首を持つサロメ、カラヴァッジョ
William_Hogarth_038.jpg
当世風の結婚、ウィリアム・ホガース、フリーメイスンです。

まあこうやって並べるとすごい作品があるのだなあと思うかもしれませんが、実際他にもたくさんの作品が並べられているとどれがすごいのか全然わからないかと思いますし、宗教画が非常に多くなかなかポイントがわかりづらいかと思います。国立西洋美術館と良く配置が似ていますが、やはりこういう見せ方ではルーヴル美術館が秀逸であったと思います。

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ナショナルギャラリーの入り口はやっぱり白黒のモザイクでした。石工のコレクションなのですね。
ウィキペディアの該当項目を読むとなかなか開設までには相当の経緯があるようです。テートブリテンで感じた絵画美術不毛の地のイギリスで絵画美術振興の必要があったというのは当たり前であったようです。

さてでは大英博物館に向かいます。
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ナショナルギャラリーの東側に第一次世界大戦中にベルギーでイギリス人捕虜の脱出を手助けしてドイツに捕まり銃殺された看護婦のエディス・キャベルを記念した像があります。最初の看護婦とも言われるナイチンゲールを記念してフリーメイスンリーでもその名を冠したロッジがあったりします。こういう活動とフリーメイスンリーは強く関係しているのだと思われます。
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またちょっと行ったところでサーヘンリー・アービングの銅像があります。小説ドラキュラのモデルとなったような舞台俳優だそうです。
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さてこの旅で二度目の大英博物館です。内部が20年前の印象と劇的に異なるのは1997年に併設されていた大英図書館がセントパンクラスに移り、正面入り口からすぐのホール部分にあった図書館の閲覧室がレストランや回廊となったからのようです。午後4時頃ついたので閉館の1時間位前でしたでしょうか。
英語版ウィキペディアに一部収蔵品の写真があります。公式ページにも収蔵品のHighlight5000点の写真と解説がありますが一部だと思われます。一応サーチエンジンでは200万点の収蔵品から検索できるようです。
上の写真は手前がアメンホテプ3世の胸像だそうです。アマルナの宗教改革を行ったアメンホテプ4世の父親です。ルクソール神殿を建設した王で、そこにあったオベリスク2本のうち1本がパリのコンコルド広場にあります。
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アッシリアのシャルマネセル3世の戦勝を記念したオベリスクのようです。アッシリアの属国であったイスラエル王国が贈り物を送る様子も描かれているようです。
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アッシリアのアッシュールナツィルパル2世がイラク北部のカルフに首都を置いた、現在ニムルドと呼ばれる考古学史上重要な都市の宮殿の入り口にあった人頭有翼獣(ラマッス、顔は人で翼をもち獅子や雄牛の体をしている)の像です。10組以上あったそうでニューヨークのメトロポリタン美術館にも同様のものがあります。スフィンクスと同じ意味なのだと思います。こういうものがイラク戦争の原因の一部であるかもしれません。現地の遺跡は危機的な状況のようです。メソポタミアの歴史は旧約聖書にも一部ありますが、Grand Orientの東方の地であり、まさに人類の文明史でのエジプトと双璧の秘密になるのだと思います。
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アッシリアのシャルマネセル3世の関連のもので上記のニムルドのもののようです。聖書関連の遺物として大英博物館の主要な研究対象であったようです。同様のものがギルガメッシュ叙事詩の粘土板でノアの箱舟の逸話に繋がる大洪水の話などがあり、それらもこの大英博物館で研究されわかったそうです。
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最も有名なロゼッタストーンです。完全にガラス張りになっていました。ロゼッタストーンについてはエジプトがやはり返還請求をしているそうですが、現在の2011年のエジプト革命後のエジプトはどうなのでしょうか。ロゼッタストーンの内容については異常に長いウィキペディアの解説を参照としてください。この後訪問するルーヴル美術館のブラザーシャンポリオン監修によるエジプトコレクションの膨大な量を考えるとそちらにあったほうがブラザーシャンポリオン(彼の墓の写真)の成果もありぴったりかもしれませんが、実際には研究の中心はやはりこちらの大英博物館でという事のようです。この辺りはいわゆるイギリスフリーメイスンリーとフランスフリーメイスンリーのエジプト学や人類の草創に関する学究の競い合いがあるものかと思われます。

YouTubeで解説付きのツアーがありました。もちろん英語ですが興味のある方は参考にしてください。
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再び大英博物館の正面入り口です。サーリチャード・ウェストマコットによる文明化の進展という彫刻だそうです。天球儀があるのでしょうか。ギリシアのパルテノン神殿を模しているようです。パルテノン神殿に関してはかつてはごく極彩色に彩られていたものがイギリスが輸送する際にはほとんど禿げていて、ここ大英博物館で積極的に白くするために1930年代に磨いたという逸話が最近公表されています。
大英博物館はそもそもサーアイザック・ニュートンの後を継いで王立協会会長を務めた医師のハンス・スローン卿のコレクションを元にして1753年に設立されたそうです。王立協会の現在の会長は2001年のノーベル生理学・医学賞を受賞したポール・ナースです。
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いろいろ逸話には事欠かない大英博物館の夕陽です。また翌日に訪問し収蔵品を写真に収めています。
これでロンドン3日目もおしまいです。

昨日は東京シンフォニアのイタリアセレナーデがありました。イタリアオペラの作曲家を中心とした非常にマニアックな構成となっていました。なかなか複雑な世の中です。オペラは非常な楽しみですが、フランス革命以降のほとんどのオペラ作曲家はフリーメイスンのようです。近代の有名音楽家もほとんどがフリーメイスンのようです。フリーメイスンリーについて学ぶことと、音楽について学ぶこと、科学について学ぶこと、政治について学ぶこと、これらはほとんど同義かもしれません。興味のある方は是非調べてみて行動してください。

ロンドンは翌日はウィンザー城に出かけます。
2012-11-11 11:23 | カテゴリ:イングランド
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
さてまあウェストミンスターや大英博物館は内容が濃密過ぎて実際行っても疲れてしまうわけですが、それをきちんと把握して咀嚼するためにも王室やフリーメイスンリーの知識は必須な訳です。こうしてブログにするとやはりそれぞれの撮ってきた写真について説明するためにも勉強するわけですが、実際行って見るだけだとそのまますごいなあというだけで理解する事にはなかなかならないかと思われます。それでいいとおっしゃる方もいるかもしれませんが、それでは進歩はありませんし、それら銅像や絵画、お墓などが示すシンボルの意味は自らが向上したいと思う人にとっての材料であり道具であるのです。まさにそれがフリーメイスンリーだと思います。

さてロンドンも3日目を終わって、夕食はほとんど食べなかったと思います。毎回歩き疲れて寝てる状態です。それで面白いのかと言われるとあれですが、まあ勉強のため来ているようなところです。

そして4日目です。まあ結局1週間位の旅行ですからやっとゆったりしてくるのは時差ボケも含めてこの位からで、ゆったりしたければ家にいるか近所のホテルに泊まればいいわけで、勉強するに如くはなしだと思います。相変わらず朝食はちゃんと食べたと思います。

ウィンザー城はなぜ行こうかと思ったかというともちろんウィキペディアなどでフリーメイスンリーの最初の会合が1360年に開かれたという内容があったからであり、かつてロンドンに旅行に来た際にはストーン・ヘンジを訪問し、雹に降られてあまり良い印象も無かった事でもう一度同じところに行こうと思わなかった事もありました。20年前は途中バースとソールズベリー大聖堂も訪問したのですが、バースは入浴施設も無く、現在は水着で入るものもあるそうですが、またカンタベリー大聖堂も石の建築に飽き始めてその独特のかびの臭いに疲れていたころで、再び訪問したいとは思いませんでした。またその当時は特にキリスト教教会の雰囲気に飽き始めていたというのもありました。ウィキペディアのフリーメイソンの項目も改変が常にあり、かつては起源説でこのウィンザー城での石工の会合が最初に書かれていたのですが、その後明らかにブラザー片桐三郎関係と思われる改変があり、ウィンザー城に関する項目は消えていましたが、また最近起源説として加えられたようです。

ウィンザー城自体は訪問して感じた事はフリーメイスンリーというよりも現王室がウィンザー朝という名前を付けた通り王室関係としての落ち着いた印象が強く、高齢者にお勧めの観光地という感じ以上の印象は受けませんでした。まあ後で火事の話も出てきますが、王室の象徴という場所なのだと思います。

そういうわけでロンドン4日目のウィンザー城訪問ですが、通常の旅ブログのように薄い内容となりそうなのを先に断っておきます。内容的には少ないですが写真の数の関係などで相変わらず三分割して解説する事とします。旅の雰囲気をお楽しみ頂き旅行の参考としていただければ幸いです。
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4日目はそれまでの2日間と異なって恐ろしいほどの快晴です。やはりグランドロッジとバッキンガム宮殿は早めに周ったほうが良さそうです。まあホント旅行は天気次第です。
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ウィンザー城にはワーテルロー駅、英語だとウォータールー駅だと思いますが、ナポレオン戦争決戦の地の名前ですが、ロンドンアイのすぐ南にある鉄道の駅から電車に乗って30分位な訳ですが、その駅まで地下鉄で移動します。ラッセルホテルのすぐ近くのラッセルスクエア駅から乗るわけですが、ウィークデイという事もあり人の流れと逆方向に動くのでなぜか間違えて通常エレベーターに乗るところを非常階段と同じような恐らく最も長い螺旋階段を降りてしまいました。エレベーターに乗れないで急いで登ってくる出勤の方々に大変な迷惑をかけてしまったのですが、こちらは珍しいものを見つけた気持ちでちょっとラッキーみたいな感じです。ロンドンの地下鉄は非常に面白いですが、恐らくその中でもフリーメイスンリー関連で最も特色あるのがホルボーン駅とこのラッセルスクエア駅なのだと思います。この後登るセントポール大聖堂の螺旋階段も非常に長かったですが、継ぎ目のない連続した螺旋階段としてはこのラッセルスクエア駅の螺旋階段が恐らく最も長いのではないでしょうか。螺旋階段に興味のある方は是非一度行って見てください。
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ウォータールーステーションです。チケットを買うのがちょっと面倒で、実は間違えて往復分を二回分買ってしまいました。1000円くらいの損失です。ウィンザー城のチケットと一緒に頼むと割引もあるそうなのでそれがお勧めです。どうもロンドンに来てから両替といい地下鉄のチケットといいどうもボッタくられている感じがしますが気にしないようにしましょう。まさにフリーメイスンリーといったところです。ロンドンの鉄道は時刻表はありません。ウィンザー城に行くにはどのホームで待ってれば良いのかと係員に聞くとこのホームだと言い何分に来るかはわからないからそれ以上聞くなと言われます。鉄道の常識はだいぶ異なります。10分ほど待っているとすぐにウィンザー・イートン行きの鉄道が来ます。鉄道の印象はとにかく静かという事です。座席も改良されていて、とにかく乗り心地はアメリカと言いイギリスと言い日本より良いですね。山手線のようなつもりで待っていたのですが、完全に観光列車で箱根登山鉄道のような印象です。
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天気が良いと気持ちも良いですね。
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ヴィクトリアタワーのユニオンフラッグも映えます。
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実はこの他にも帰りの飛行機や空港までの地下鉄の車窓などロンドン郊外の普通の民家の様子を興味深く眺めて、写真に撮る機会もあったのですがあまり撮らないようにしていました。まあちょっと無遠慮かなと思ったわけですが、このウィンザー訪問の際は天気が良くて気持ちも高まっていた事もあり撮影しています。
基本的にレンガ造りの古い建物が多いですが、比較的均一な作りになっていて二階建てで煙突が付いた100年くらいは経ってそうなものが多いです。集合住宅のようなものもありますがあまり一般的ではありません。こういうレンガ建ての100年前からの建物に住んでいる人々がイギリスの一般的な住人なのだなあと感慨があります。非常に緑が多く、ゴルフ場などもそのまま緑の中に平らな所にある感じで、山はほとんどありません。緑も針葉樹はほとんどない感じで広葉樹で常緑樹が比較的多いのでしょうか。色々な植生が混じってる感じでした。公園などが充実している感じでしょうか。ロンドン近郊では工場などの環境に影響の出る施設はほぼ活動を停止しているような印象でした。恐らくですがほぼ公害や環境汚染となる建築物は大都市の近郊では徹底して絶滅しているという印象だったと思います。
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MI-6の裏側です。イランやイラクなどのメソポタミア文明の大神殿であるジッグラドを模した造りとなっているようです。007シリーズのテムズ河畔でのアクションなどで有名でしょうか。それよりも近くの近代的な高層建築が気になってしまいますが、もちろんマンションではないでしょうね。IT企業などが入っているのではないかと想像します。
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もう5分もするとこんな光景で、日本で言うと宇都宮や甲府辺りまで来たような印象でしょうか。まあ都市計画なんでしょうが、山手線がすぐに郊外に直結しているような印象でしょうか。
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20分も乗ると羊や牛の放牧が認められます。軽井沢か千葉のマザー牧場まで来た感じでしょうか。まあかつては日本でも東海道線で牛小屋が見られたりしました。ああいう環境が実は一番大事という当たり前の事を維持しているのがヨーロッパなのですね。本当に悪いと言えば悪いですが、文明がどうとか小理屈は実はふりかけのようなものです。
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さてまあ30分弱でしょうか。乗り心地もいいので印象としては日本の電車で10分位な感じです。気取って行くほどのところではありません。箱根かそんなところの感じでしょうか。箱根湯本の感じが近いかもしれませんね。まあとにかく乗客は少なくて落ち着いています。都心から10分で箱根湯本みたいなロマンスカーのような感じでしょうか。女王お気に入りのウィンザー城に到着です。前に歩いているのは日本人観光客であったかもしれません。箱根の方が安いよ~ってな感じでしょうか。

確かドアがボタン開閉だったと思います。そんなところもそんな感じです。乗降客はイートン校もあり栄光学園の生徒みたいな生意気そうな学生や暇そうないかにもフリーメイスンっぽいおじさんや忙しそうに買い物してる感じの有色人種のおばさんなど、まあ観光地にありがちの雰囲気です。まあロンドンから離れてすぐに異常に落ち着いていますのでそこを旅行者が移動する違和感は傍目には相当だと思います。乗降客の数なんかは私の記憶では日本では小海線に近いのではないかと思います。近所のバスみたいな利用だと思いますが、まあ完全に観光路線なのだと思います。ITって儲かるんだなあ。そんな印象でしょうか。優雅と言えば優雅なせせこましいと言えばせせこましい、植民地やITでこれを維持していると言えばその通りのなかなか悲しい英国の現実です。
2012-11-11 23:24 | カテゴリ:イングランド
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
さてさてウィンザー城につきました。どうもウィンザー城は枯れた観光地のようでオイスターのタッチ式のキップの確認も無ければ駅員が確認する事もありません。監視カメラがあるから良いようです。確か帰りには車掌がいちいち確認したんじゃないでしょうか。とりあえず移動する前にペットボトルの水を買っておきます。駅でチケットが買えるかと思って聞くとウィンザー城はすぐそこだ歩けと。イートンに行く人はバスに乗るのでしょうか。良くわかりませんが非常に枯れた観光地の印象です。
駅の横に噴水があり、Christian Victorという王族の方の銅像を横にして永田町の坂のような坂を石垣を左手にして登っていきます。銅像があるから恐らくフリーメイスンなのでしょうね。ウィンザー城周辺にも検索するとオベリスクがいくつかあるようです。
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銅像はグーグルアースにあったものです。石垣は仕事が非常に丁寧ですね。福岡城や皇居のものとは比べ物になりません。実際に戦闘で使われた事が無いとかいう事も重要であるかもしれません。威圧感はほとんどありません。Age Of Empireそのままの世界でしょうか。私個人としては福岡城の石積みが好きなのですが、やはり戦闘のない時代の石積みというのはたとえ戦争に向けた形であっても優美さというか美しさを意識したものが強く住居として魅力的ですね。
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ヴィクトリア女王の銅像の後ろ姿です。天気が良いと写真も映えますが、だからどうという事もありません。ウィンザー城周辺は非常に観光都市という雰囲気が強くお祭りみたいな状況です。なぜかウィンザー城へとつながる登り坂のベンチに高齢者が異常に多数座っています。銭湯に入る前のベンチみたいな感じでしょうか。
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入り口にあるウィンザー城の全景の写真です。どの部分が増築部分とか色々あるようです。英語版のウィンザー城の項目を見ると非常に多く書いてあります。気になるのは中国語版が英国の観光名所に関しては必ずと言って程英語版の逐語訳のようで大量の情報があるのですが、日本語版は明らかに五分の一から十分の一の内容となっています。ブラザーペリーの写真じゃないですが、日本の情報産業はまだこういうので稼いでいるのが多いのでしょうか。ウィンザー城は中国人はそれほど多くなかった気がします。(多かったかもしれません。)
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入り口で2000円位でしょうか。入場料を払って防犯ゲートを抜けて、ここはオーディオシステムを使って、中に入ります。常連さんもいるのでしょうかね。公式動画がありましたのでリンクします。BBCの動画もありました。
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良くわかりませんが色々計算されているのかもしれませんが、とにかく周辺に高い建物が一切ありませんので、それほど高くないこの城の塔が映える形になっています。威圧感無くそれでいて厳重な防備の印象と石の調和が非常に計算されているのかもしれませんが、姫路城や大阪城、皇居で慣らされている日本人にはあまり感慨をもたらさないかもしれません。かといってそれほど具体的に防備に厳重なイメージもありません。実際見た事はありませんが、万里の長城などと似た感じであるかもしれません。実際攻められたら逃げる他ないが、時間を稼ぐにはちょうどいい感じで籠城戦なんてありえないという戦闘スタイルを反映しているものかと思われます。まあ結局実際には戦闘ではなく交渉で物事を決める時代のそういう石工の技術を見せるモデルキャッスルというところなのだと思います。
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セントジョージ門でしょうか。そのまま聖ゲオルギオスが龍退治をしている様子が描かれています。まあ蒙古襲来の伝説なんでしょうがすごかったのでしょうね。
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銃眼が非常に姫路城などと同じ作りで面白いですね。ロングボウではなくてクロスボウなのでしょうが、実際に矢が放たれたら攻城器が無いと攻められませんね。まあでも実際に戦闘を意識させる構造はこの銃眼だけくらいじゃないでしょうか。
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この円塔が最も古いものであるようです。石工が集まったというのもこの塔なのだと思います。恐らく当時のイングランドで最も美しい建築であったのではないでしょうか。要は丘の上の塔であり、遠方の兵隊の動きを監視する監視小屋であったのではないでしょうか。まあ規模なんか見てもどう見てもフリーメイスンリーの原点という表現は言い過ぎなんだと思います。女王お気に入りの王室の城という事と、観光資源という事でフリーメイスンリーの起源説はあるのではないでしょうか。まあ塔だけだとグリニッジの天文台みたいに観測所として無駄のない美しい形をしています。この円塔に昇るツアーもあり、入口でオプションで1000円位追加すると1時間に一回くらい主塔の麓に集合して登れる事が出来るようです。
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エドワード三世塔になるのでしょうか。プランタジネット朝の1350年頃の王でガーター勲章を始めたり、百年戦争を始めたりしたようです。フランスの領地を失いますが同時に王家の紋章にフランス王の象徴であるユリの花を入れたそうです。英仏の長い長い関係を象徴する出来事なのでしょうね。
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右手がガーター騎士団の総本山でもあるセントジョージ教会です。ちょいちょい車が写っていますが、住居であることからも住人が多数いてその人たちの駐車スペースがあるようです。どうも高級マンションか駐車場を拡張した老舗の温泉旅館のようでもあります。馬車であればカッコイイのですが、どうも普通の車が置いてあると興ざめします。かといって地下駐車場がすぐに作れるような状況ではなさそうな事は同時に遺跡や現実の城であり抜け道や地下室がたくさんありそうな事を考えても容易に想像されます。
ガーター騎士団の関連でか、日本の天皇陛下が訪英してエリザベス女王の即位60周年で晩さん会が行われたのもこのウィンザー城であったそうです。
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またこのセントジョージ教会にはガーター騎士団の紋章を示す旗があるのですが、訪問時には全く吊るしていなかったと思いますが、吊るしている時は菊の御紋があるそうです。色々あるのだと思いますが、オリンピック期間中は吊るしている事もあったようです。
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これは菊の御紋ですね。
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オランダ王家のようです。
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スウェーデン王家のようです。
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ルクセンブルク王家のようです。
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ノルウェー王家のようです。
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スペイン王家のようです。
ほぼフリーメイスンリーと重なるのでしょうが、日本とヨーロッパとは異なるかと思われます。
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英国名物衛兵の交代ですね。実際多人数のものの本物を見たのはここが初めてだったと思いますが、衛兵の交代で一番感心したのは台湾のものであった気がします。緊張感があったせいでしょうか。ここのものはなかなか豪華で音も華やかで皆さんビデオを回していましたが、テレビでマン島のものなど見たことなどもありますが、未だに直に見ても意味が全くわかりません。観光用という事はわかるのですが、それにしては本物のライフル銃を持っていてあの動きで感心するほどの緊張感でも無くなんだかよくわかりません。一種の儀式なのでしょうが、観光資源という位置づけなのだと思います。観光客も結構長い事見ていて飽きてしまって途中でツアー客が多数動き出すといった反応で、池の鯉か水鳥に反応でもするような感じです。スタンリー・キューブリック監督のバリー・リンドンを思い出すのですが、果たしてあんな動きが戦闘で実際あったとは考えられません。まあ敵を油断させるためのお遊戯というと一番しっくりくるところでしょうか。
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ウィンザー城のお土産屋もバッキンガム宮殿と同様に充実しています。売っているものはほぼ同じですが、テディーベアとライオンのぬいぐるみが売っていて、一番シンボルのようで感心して撮りました。後で解説しますが、ここウィンザー城での火事が原因で、これらの城や宮殿を開放して修復費を稼がなくてはならなくなったそうで、まさにそういう象徴のお土産なのだと思われます。
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チャールズ2世の銅像と中庭です。この手前の円塔のふもとに待合場所があり、円塔に上るツアーが待っていました。また動画がありました。中庭については確かオーディオシステムでは空堀の形態とかなんかそういう説明があった気がします。空堀はないだろと思いますが、多分適当な説明であったかもしくは私の記憶違いでしょうか。実際にはポロでもやるための広場じゃないかと想像します。
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こちらの建物がミニチュアのドールハウスのコレクションや内部の住居のツアーの部分です。
入り口は北側のテラス部分にありました。写真部分は出口になるでしょうか。
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入り口の写真です。ここ以降はほぼネットで検索した写真です。
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ドールハウスのコレクションの写真のようです。ジョージ5世の王妃であったメアリー妃が国民から贈られたりして集めたコレクションだそうで、子供の教育に使ったのでしょうか。何やら上下水道が使えるようになっているとか火も使えるとか、完全に生活できるようなミニチュアになっているそうで、本当に何に使ったのか意味がわかりませんが、王室は色々あるという事という代表的な事ではないでしょうか。ジョージ5世の王妃であるメアリー妃も結婚以前にジョージ5世の兄であり婚約者であったクラレンス公と婚約して6週後に肺炎で亡くし、その弟である即位前のジョージ5世と結婚したという方です。クラレンス公はイギリスのフリーメイスンリーというと必ず出てくる切り裂きジャックの逸話で出てくるバイセクシャルを噂される人物だそうで、バイセクシャルの噂のもみ消しのために切り裂きジャック事件が起きたという説もあるそうです。当時の特にイギリス、ドイツでは王室や貴族などでバイセクシャルのスキャンダルが盛んにあり、実際そうした逸話もありそれが戦争や政治のきっかけとなる事も多々あったようです。(2/8追記:吉村正和著図説フリーメイソンでは映画「フロムヘル」のストーリーとして皇太子であったクラレンス公の長男であるアルバート・ヴィクターが密かに平民と結婚し、さらに梅毒に罹患していて、この事をゆすりのネタにした売春婦への王室付きの医師の復讐という解説がされています。私は「フロムヘル」も観ましたがそこまでのストーリーではなかったと思いますが、この映画は良く切り裂きジャックの真相についての映画として紹介されますので、詳細を解説するとこちらの話なのだと思われます。結局関係者はみな死んでしまって当時の時代に醜聞として世の中には出ずにヴィクトリア女王は天寿を全うしたという事になるのだと思われます。)ドールハウスはそうした王室に対する精神安定作用をもたらす象徴であったのかもしれません。
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これはドールハウスの写真のようです。なんだか訳が分からなくなってきますね。
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夜会のシミュレーションなどする目的なんでしょうか。まあとにかく精密にできていますが遊び用ではなさそうです。
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こちらは本物のウィンザー城の部屋ですね。この部屋が開放されていたかどうかは記憶が定かではないですが、ウィンザー城はとにかく火事の事と修復の事を何度も解説で言っておりました。
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日本語のものはあまり出てきませんが、日本でも報道されたようですが、英語版ウィキペディアに詳しいようです。1992年11月20日金曜日午前11:33に照明の漏電で発火したそうですが、消防警報が切ってあって被害が拡大したそうです。見学した際には発火場所は八角形の行き止まりのホールの場所でヘンリー8世の鎧が置いてあったと思います。プライベートチャペルという事で礼拝所だったのでしょうか。
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被害の状況のようです。解説ではここまでの状況とは説明していませんでしたが、かなりの被害であった事がわかります。王室はちょうどダイアナ妃の不倫騒動で揉めていたころで、ちょうど火事の20日後の12月9日に別居したそうです。泣きっ面に蜂とはこういう状況だと思われます。もちろんその後1996年8月28日に離婚が成立し、皆さんご存じの通りダイアナ妃は1997年8月31日パリで不慮の事故で亡くなりました。ちょうど切り裂きジャックの最初の殺人が起きた日であるそうです。ロンドン大火の前日ですね。大正天皇の誕生日です。
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現在はこんな感じでした。床の焼け焦げた板を裏返して使ったので修繕費が倹約できたとの逸話が涙ぐましかったですが、まあ実際すごい費用なんだと思います。
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ありし日のヴィクトリア女王の様子です。ウィキペディアによるとフリーメイスンリーのシンボルの入った装飾などもあるようです。解説を参考に探してみてください。
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北側のテラスからのテムズ川、イートン校側の景色です。素晴らしい景色です。マウントバーノンのような感じでしょうか。あまり例えが良くないかもしれません。
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東側でしょうか。
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ウィンザー城の東の端です。美しい噴水のあるバラ園があります。
2012-11-12 00:13 | カテゴリ:イングランド
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
さてその2がやたら長くなってしまったので後は写真をお出しするのみです。
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天気が良いので良い写真が撮れたと思いましたが、若干左右が切れていますね。
ここのバラ園がきれいでしたが下には降りられませんでしたね。
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美しいバラ園ですね。ウィンザー城が美しく見えるアングルでした。バラ園にある銅像はちょっと由来は良くわかりませんでした。公開区域ではないのかもしれません。
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なかなか写真が難しいところでした。
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ちょうどこちらも衛兵の交代するところでした。
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円塔の周りのバラです。花の季節にそれぞれ美しいのだと思います。まあ日本人だと余計なお世話ですが梅や桜が欲しくなります。菊はやり過ぎでしょうけどね。
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再び外です。このベンチに座っているのは恐らく見学の時間を潰しているのでしょうね。
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ウィンザー城の前のピザ屋で昼食としました。普通のチェーン店のイタリアンで楽しそうに店をやっていました。特別おいしいというわけではありませんが、普通においしかったです。以前にロンドンに来た時は本当に中華料理以外でおいしかったのはピザだけでしたが、その当時と比べてピザの値段も上がったのでしょうか。カトリックのイタリアの料理ですから相当色々あったのではないでしょうか。
そういえば写真を見ても旗がはっきりしませんね。王室旗を見た記憶はありませんし、恐らく午前中に周ったので正午に掲げるのではないでしょうか。ウィークデイであったので恐らくユニオンフラッグかと思われます。
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帰りはロンドンに近づくとまた降ってきました。ウィンザー城だけの特別の天気だったのでしょうか。

この後はウォータールー駅からタクシーで移動して再びシティー周辺をうろつきます。
2012-11-13 15:27 | カテゴリ:イングランド
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
ウォータールー駅からタクシーでモニュメントまで移動します。1000円位で10分位でしょうか。
ロンドンでの移動はタクシーは一番便利ですが高いです。東京と同じだと思いますが、地下鉄やバスは便利ですがなかなか難しいです。インターネット検索が必須だと思いますが、ご存じの通りパソコンが壊れては元も子もありません。

モニュメントはトラヤヌス記念柱をモデルとしているわけですが、フランスにもナポレオンの戦勝を記念した同様の記念柱があります。実際に登れる記念柱としてはこれだけかもしれません。
セントポール大聖堂に二日目に行った際の写真を参考にしてください。
入場が3ポンド、500円位でしょうか。
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店番をしていたのはアラブ人の人のようでした。
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中はこんな感じで鎌倉の大仏みたいに狭いので10人も入ったら大変な混雑です。街中にあるトンネルといった感じでしょうか。
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頂上はこんな感じです。完全に曇ってしまいましたね。ウィンザー城の晴天は幻のようです。周囲は比較的抑えた感じの建築ですがやはり300年前の建築ですから驚くほど高いとかそういう事はありません。
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まだ小雨は降っていなかったと思いますが、まあ雨に降られ続けていたので、それに比べればましかなという景色です。金網に接写して写したのですね。
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これはヘッダーの画像に使っていますね。上から下を覗いたところです。高さ62mで狭いので結構な怖さです。ぜひ登られる事をお勧めしますが高齢者には勧めません。
さてこの観光地としても優れたモニュメントの秘密です。
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なんと外に出る際に証明書をもらえます。そこには311段の階段が強調されています。

もちろんその数字がフリーメイスンリーを象徴する数字である事はご存知ですね。
奇しくも本日は11月13日でしたね。
2012-11-13 20:48 | カテゴリ:イングランド
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
奇跡と一概に言っても、人間が起こしえない神の奇跡から、一般に自然現象を例えて奇跡という場合まで様々ですが、今回の奇跡は主に後者の方です。そもそも聖書に現れる奇跡というのも様々で私が面白いなと思ったのは士師記6章37節~40節の湿った羊の毛を一晩おいてその下の土が乾いているという奇跡ですが、なんでそれが奇跡なのかなと思ったりもしましたが、三笠公園の回にも取り上げましたが、旧約新約聖書を通じて神の存在を証明する物事として奇跡、しるしは様々に描かれ、それらは神を信じる人々にとっての福音とされ同時にそれはそれを目撃する人々にとって理解しえない自然現象でもあったであろうという事なのだと思います。

とここまで言うとヘッダーの写真にも出している通り虹を見たという事になるのがわかってしまうわけですが、まあ虹も最近の大気汚染が進行した状況では水滴が空中にとどまっている事も少ないせいかほとんど見る機会も無いかと思いますが、空気がきれいであったかつては良く雨が降った後は虹が出たものでした。それが大洪水の後に出たものが特別なものであったかどうかはさておき、大体において雨が降ってそれが晴れた後の虹は自然現象としてほとんどの人の心に安堵感、活動への意欲を与えるのではないかと思われます。それはすなわち生命に必須の水分が補給され、その後に日照があって気温が上昇し生物の活動に最も適した環境が生じた事を意味するシンボル、まさに科学的なシンボル、ナイル川の氾濫が終息する事を告げる青鷺のシンボルのごとき、生命の波動の転換期を象徴するシンボルなのだと思います。
かつては光の波長が虹を作るなどわからない時代には、自然現象はそのまますなわち神の行いそのものであり、自然現象の中そのものに神の存在を感じる事が出来たわけですが、自然現象を解明しそれをコントロールする時代においてもなおそれらがシンボルとして我々自身に変わらぬ作用をもたらす事、神の存在霊的な事象について自身が究極的には不可知である存在、全知全能とは成りえない限られた自身を深く自覚し、神の存在、自然現象のありのままの中で日々生き続ける他ないというところになるのかと思われます。
とまあ無理やり高尚な内容に持っていこうとしていますが、要するに恐らく色々相当複雑なバックグラウンドがあって奇跡は起こるわけですが、それを目にする人はそれ自体の複雑な背景は理解しえなくとも、それが起きたという事で何かしら生活態度を改めるなり行動を変えるなりそういう事をするようになるという事なのではないでしょうか。まあ虹を見て感激して生活態度を変えるってのもおかしな話ですが、シンボルというものが表す教訓、フリーメイスンリーでの儀式の教訓、そうしたものは結局それを自分にどう生かしていくかというところになるのかと思いますし、それの目的はすなわちそうしたより良い人間を作るための道具という事につきるのだと思います。

とまあ訳の分からない前置きが相当長くなりましたが、結局その虹を見る事になるセントポール大聖堂を再び巡る事とします。
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モニュメントからセントポール大聖堂に歩いて移動する途中にイングランド銀行があります。ウェリントン卿の馬上の銅像とジェームズ・ヘンリー・グレートヘッドの銅像があります。ウェリントン卿はワーテルローの戦いの立役者ですが、ロスチャイルドのナポレオン勝利の誤報での株買い占めは有名な話かと思います。またジェームズ・ヘンリー・グレートヘッドはロンドン地下鉄を建設した技術者だそうです。フリーメイスンだと思われます。イングランド銀行の博物館もあるそうです。
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セントマリー・ル・ボウという英国国教会の古い教会のようです。なにやら鐘が有名のようです。
この辺りの北側にすぐギルドホールがあったのですが、この時は全く寄っていません。
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ワンニューチェンジという高級ショッピングモールがあります。時計など売っていますがどうも売れるのでしょうか。
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そのショッピングモールからのセントポール大聖堂です。明らかにロンドンのイメージを変えるための観光地っぽい高級雑貨売り場のモールですがなかなか昨今の状況では難しそうです。シンボルとなる巨大な釘がありますが、もちろん私には釘ではなく鑿に見えました。鑿は英語でChiselと言い、特に英国の実務的メイスンリーの歴史を引き継いだグランドロッジでの象徴的なシンボルになります。UGLEではEntered Apprenticeのシンボルとなり、アメリカ系ではMark Masterのシンボルとなり、York Rite、Royal Arch Masonryのシンボルとなります。PhoenixmasonryでChiselについて説明がありました。どうも説明にダイアモンドの輝きが内面の光とも重ねて説明されるようで、それでダイヤモンドジュビリーで盛んにダイヤモンドを展示している可能性があることがわかりました。あまりダイヤモンド批判するのはよろしくないわけですね。
まあそれだけ鑿は実務的メイスンリーの象徴でもあるセントポール大聖堂とも密接に関連したイギリスらしいシンボルなのです。もちろんこれらを知らないと釘に見えるでしょうが、石の建材にあまり釘は普遍的ではありません。
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天気が良いと写真も映えますね。
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隣の広場に通じる門とグランドロッジ結成を記念する表札です。
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ブログのヘッダーに利用しています。
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こちらも南面のフェニックスです。ブログのヘッダーに利用しています。
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この後はセントポール大聖堂に入場して中を上がります。
色々手入れを行ったので内容をここに書きます。動画の画像を貼ると非常に重くなるので説明のみにいたします。
ヘッダーの画像については基本的には記事で使用した写真、解説したものについての画像を使用しました。
二つの原爆のきのこ雲と原発の事故の映像、東北大震災の津波の画像を入れましたが、それらについてもブログと関連するものとしています。
動画については削除したものについては個別に追記していますので、付けくわえたものについて解説します。
まずブラザーチャーチルの演説や特集を加えました。
またロシアの作曲家ブラザーリムスキー・コルサコフの曲を二つ加えました。
ドビュッシーの曲を加えましたが、恐らくフリーメイスンだと思われます。
ブラザーヘンデルの有名なハレルヤの合唱を含むメサイアを加えました。
オペラ座の怪人の動画を加えました。
ブラザープッチーニのトスカを加えました。
ブラザーマンリー・P・ホールの魔笛のシンボリズムについて解説したものを加えました。
ブラザーチャイコフスキーの白鳥の湖全編とくるみ割り人形全編を加えました。
ブラザージョージ五世、ブラザージョージ六世の演説を加えました。
その他もろもろを加えたのでお楽しみください。
2012-11-18 08:21 | カテゴリ:東京
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
YouTubeに東京シンフォニアの動画がありましたのでご紹介いたします。特に許可は取っていませんが問題ないかと思います。興味ある方は直接申し込んでください。




東京シンフォニアのホームページをどうぞ。次回2012.12.12 19時~弦楽のための交響曲シリーズ シャンパンコンサート ボロディンです。銀座王子ホール6000円~です。直接申し込んでください。
2012-11-18 23:41 | カテゴリ:イングランド
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
さてまあセントポール大聖堂に入場するわけですが、ミサをやっていない日には普通に入場ゲートがあって支払いがカードでも可能です。この辺は非常に興ざめですが、一人2000円位の入場料はかなりの収入になるのではないでしょうか。維持費を考えればその位必要なのかと思います。入口でiPodminiのオーディオシステムを渡されます。これが非常に使いやすくてわかりやすかったです。どの施設もこの方式でやってほしいものですが、おそらくそれらは単価が高いし儲けが少なくなるという事もあるのだと思います。
内部は再び撮影禁止ですが、ネット検索で出てきた画像を貼ります。また公式ホームページの3D画像が非常に美しいので参考にしてください。また公式ホームページにネット上のお土産屋もあるので買ってみてはいかがでしょうか。
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とまあ完全に宣伝してるわけですが、その位感じが良かったというか、まあほぼイングランドグランドロッジの公式の付属教会という位置づけなのだと思います。見学した感想はまあとにかく良い印象でここで飲んだアールグレイもおいしく感じました。奥の方にはアメリカ人に感謝する記念碑とかブラザーフランクリン・ルーズベルトに感謝する記念碑とかフリーメイスンリー関連っぽい記念碑もあったかと思います。地下がクリプトになっていてブラザーサークリストファー・レンやブラザーサーアレクサンダー・フレミング、ブラザーホレーショ・ネルソン卿などの墓があります。
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ブラザーホレーショ・ネルソン卿の墓です。グランドロッジにも彼についての本がありましたので興味がある方は調べてください。
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ブラザーサークリストファー・レンの墓です。湯浅慎一氏の著書「秘密結社フリーメイソンリー」によると連合グランドロッジ結成時に名誉職で立ち会ったそうです。91歳まで長生きしたので1717年には85歳の計算になります。すさまじい人生ですね。
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ブラザーサークリストファー・レンの記念碑です。動画にもナショナルジオグラフィックのセントポール大聖堂の建築についての特集がありましたが、積極的に木造建築部分も見せていました。目に見える部分はもちろん大理石がほとんどですが、もちろん全てが大理石で構築できるほど資金的に潤沢であるわけがありません。維持や補修に毎年相当の努力が必要なのだと思われます。床の白と黒の大理石の美しい建築も日本ではどこにもありません。ただただ驚嘆するのみです。まさにフリーメイスンという人物です。
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ブラザーアーサー・ウェズリー卿です。銅像で何度も出ているブラザーナポレオンを破った初代ウェリントン卿です。ウェストミンスター寺院が基本的にフランスからの建築家で作られた建築に対して、まさに純正にイングランドの力を結集して作ったのがこのセントポール大聖堂だとすると、その大陸に対する劣勢を完全に越えたのがこのブラザーアーサー・ウェズリー卿によるワーテルローの戦いであったのだと思います。イングランド連合グランドロッジを作る事により初めて組織化されたフリーメイスンリーが成立し、それらが大陸のフリーメイスンリーを巻き込んで二つのイギリスの清教徒革命と名誉革命という社会改革を肯定し維持する事でヨーロッパ大陸に対するイングランドの社会組織としての優越性を保持し、英仏戦争での勝利、アメリカ独立戦争へと繋がり、今日の第一次世界大戦、第二次世界大戦後の世界を構築しているものと思われます。海のブラザーネルソンに対して陸のブラザーウェリントン卿となるのだと思われます。
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ペニシリンを発見したブラザーサーアレキサンダー・フレミングの墓です。近代医学の進歩は彼の抗生剤の発見から始まったと言っても過言ではありません。ブラザーエドワード・ジェンナーとブラザーサーアレキサンダー・フレミングの発見、発明は近代医学の金字塔です。
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ブラザーサージョン・エヴァレット・ミレーの墓です。テートブリテンにある、漱石の草枕で有名なオフィーリアの絵で日本人にも有名なブラザーミレーです。死の直前にロイヤルアカデミーの会長に選出されたそうです。単純に日本人が見てうまいなと思うイギリスの画家なんだと思われます。ヨセフ物語の回で取り上げた大工のヨセフを描いた象徴画はシンボルを含む絵画としてそのキリスト教の特に新約聖書に関するエッセンスを極めた作品として秀逸と思われます。
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ブラザージョセフ・マロード・ウィリアム・ターナーの墓です。テートブリテンに展示が多数ありました。自画像がありますが、ウィキペディアには恐らく実物に近い他の作家による彼の肖像画があります。名前にジョセフがあり、イタリアで絵画を学んだりと英才教育を受けた様子がうかがわれます。日本人からすると彼のぼかした感じは水墨画に普遍的なアジアで良くある風景画の手法であり、あまり特筆すべきものではないようですが、恐らく印象派以前のヨーロッパでは珍しいものであったのではないでしょうか。まあ画家や芸術家が自尊心が強いのは良くある当たり前の話ではないかと思われます。
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ブラザーサーアーサー・サリヴァンの墓です。作曲家でオペラ「ミカド」の作曲をしています。代表的なジャポニズムを象徴するオペラです。

動画がありましたので置きます。(1/22/2013追記:ミカドの動画も削除されていましたので他のものに変更しています。)どうでしょうか。蝶々夫人より衝撃的かもしれません。今年新たに京都に再興された日本グランドロッジ管轄下のロッジはそのもの通りのミカドロッジと言います。
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ブラザージョシュア・レイノルズの墓です。初代ロイヤルアカデミー会長を務めた画家です。イタリアで絵画の勉強中に難聴になってしまったそうです。まあなんというか絵画文化とイングランド、フリーメイスンリーを象徴するような逸話ですね。ウィキペディアの作品を見てもあまりぱっとしませんが、写真の無かった当時としては十分絵画としての役割を満たしたものであるようです。ウィキペディアに書いてある評価もまさにその通りのようです。
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ブラザーヘンリー・ムーアの墓です。20世紀を代表するイギリスの彫刻家で抽象彫刻を広めたそうです。関東では箱根彫刻の森美術館でコレクションがあるそうです。非常に芸術家として富を築いたそうですが本人は質素な暮らしをして財団を作って残したそうです。まさにフリーメイスン的な逸話だと思われます。まあファン・ゴッホの話ではないですが、芸術とフリーメイスンリーの逸話はなかなか複雑です。
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ブラザーサーエドウィン・ランドシーアの墓です。犬のペットの絵を多数描いた画家のようで、特にニューファンドランド犬を好んだそうです。トラファルガー広場のライオンの彫刻を作ったそうです。ロイヤルアカデミーの会長職を固辞したそうで、晩年はアルコールと薬物で狂気に陥ったそうです。まさにフリーメイスンリー的な逸話でしょうか。ファン・ゴッホなどとも近いものを感じさせます。
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ブラザーベンジャミン・ウェストの墓です。ペンシルベニア植民地で生まれウィキペディアにある絵を見ると植民地での戦争やインディアンの様子を描いた絵を描いたようです。王室に雇われてイギリスで死んだそうです。写真のない時代の一種の写真家かスパイの役割なのでしょうね。
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ブラザーカスバート・コリングウッド卿の墓です。ブラザーホレーショ・ネルソンの副官としてトラファルガーの海戦を戦いネルソンタッチの先頭の艦を指揮していました。
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ブラザーサージョージ・ウィリアムズの墓です。記念のプレートでも掲示されていたYMCAの創設者ですね。結婚した人がヒッチコックというそうです。

さてここからはFind A GraveでSt. Paul Cathedralで検索したものです。異常に多いのですがグランドロッジ結成以後の方は全てフリーメイスンとしてご紹介します。お墓の画像が無いものについては省略しています。
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ブラザーローレンス・アルマ=タデマの墓です。オランダからイギリスに移住した画家で、ウィキペディアで作品を見ると明らかに色彩感覚は異なりますが、写実的な画法はやはりイギリス人好みなのだと思います。一見するとセントポール大聖堂はイギリスの画家が多いのでしょうか。
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ブラザージェームズ・バリーの墓です。独自に勉強した画家でブラザーウィリアム・ブレイクに影響を与えたようです。
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ブラザーデビッド・ベティー卿の墓です。マフディー戦争と第一次世界大戦のユトラント海戦に参加した海軍提督でワシントン軍縮条約にも参加したそうです。トラファルガー広場に銅像があるそうです。
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ブラザーサーヘンリー・マキシミリアム・ビアボーンの墓です。風刺画家のようです。
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ブラザーウィリアム・ブレイクの墓です。
Charles George Gordon
ブラザーチャールズ・ジョージ・ゴードンの墓です。軍人で太平天国の乱で鎮圧軍を指揮し、スーダンの内乱で死にました。テムズ川沿いに銅像があったかと思います。
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ブラザーウィリアム・カーネギー卿の墓です。イギリス海軍の提督でアメリカ独立戦争、ナポレオン戦争で活躍しました。
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ブラザージョン・コンスタブルの記念碑です。風景画の画家でブラザーターナーに匹敵すると評価されるようです。
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ブラザーチャールズ・コーンウォリス卿の墓です。アメリカ独立戦争でイギリス軍の総司令官として活躍し、ラファイエット将軍と戦いながら最終的にブラザーワシントンが指揮するアメリカ大陸軍とフランス軍に降伏し、チャールズ・オハラ准将を敗軍の使いとし、ベンジャミン・リンカーン副将がその剣を受け取ったそうです。なかなか名前が色々ありそうな名前ばかりです。その後もインド総督やアイルランド総督などを務め順調に出世したそうで、独立戦争での敗北はあまり不名誉ではなかったようです。ブラザーナポレオンとのアミアンの和約も行ったそうです。どうも役者が皆一緒のようです。
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ブラザージョージ・クルックシャンクの墓です。風刺画家、挿絵画家で色々逸話があるようです。
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ブラザー小ジョージ・ヤングの墓です。ギルドホールやマンションハウス(イングランド銀行の反対側にある建物、エジプト風ホールというフリーメイスンリーのバンケットを行うホールがある。)を建築した建築家です。やはりセントポール大聖堂はなかなか大物揃いです。
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ブラザーウォルター・デ・ラ・メアの墓です。ジャックと豆の木の童話などを書いた児童文学作家です。
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ジョン・コレットの墓です。14世紀のルネッサンス時代の司祭でトマス・モアやエラスムスにキリスト教的ヒューマニズムを教えた人だそうです。まさにフリーメイスンリーにまつわる偉大な影響を与えた人物です。
Robert III de Artois
ロベール3世・ダルトワの墓です。フランス貴族でイギリスに亡命後女系継承をエドワード三世に勧めて百年戦争のきっかけを作ったそうです。女系継承などフリーメイスンリーのポイントのようです。
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ジョン・ダンの墓です。カトリックから国教会に改宗してセントポール大聖堂の司祭になり数多くの詩を残したそうです。ヘミングウェイの誰がために鐘は鳴るは彼の詩の一節だそうです。二人の離れ離れの恋人をコンパスのそれぞれの足に例えた詩もあるそうです。
Dudley Pound
ブラザーアルフレッド・ダドリー・ピックマン・ロジャーズ・パウンドの墓です。海軍元帥でユトラント海戦で活躍しその後第一海軍卿になったそうですが脳腫瘍で56歳で亡くなったそうです。母親がアメリカ人であったそうです。
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ブラザーサージョージ・ジェームズ・フランプトンの墓です。元々石工の子供であったらしく、その後有名な彫刻家となったようです。宇都宮にある妖精ミュージアムに作品があるそうです。
Gen Evelyn Wood
ブラザーサーヘンリー・エブリン・ウッドの墓です。陸軍元帥でマフディー戦争や第一次ボーア戦争で活躍したそうです。
George Duff
ブラザージョージ・ダフの墓です。アメリカ独立戦争、フランス革命戦争、ナポレオン戦争で活躍した海軍の艦長でトラファルガー海戦で戦死したそうです。
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ブラザーサージョージ・グレイの墓です。陸軍軍人で南オーストラリア、南アフリカ、ニュージーランドの総督を務め、ニュージーランドの首相も務めたそうです。
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ブラザーゴードン・ハミルトン・フェアリーの墓です。父親も熱帯医学の専門家であったそうで、本人は血液内科の教授であったそうです。IRAのテロで犬の散歩をしていて亡くなったそうです。
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ブラザーウォルター・リチャード・ポロック・ハミルトンの記念碑です。陸軍軍人で第一次アフガニスタン戦争で戦死したそうです。
Hubert Parry
ブラザーサーチャールズ・ヒューバート・ヘイスティングス・パリーの墓です。第二のイギリス国歌とも言われるエルサレムを作曲した作曲家です。
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ブラザージョン・ラッシュワース・ジェリコー卿の墓です。第一次世界大戦のユトランド沖海戦で戦艦の艦長であった海軍元帥です。トラファルガー広場に銅像があるそうです。
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ブラザーエドモンド・ジョージ・ヴァルピー・ノックスの墓です。雑誌パンチを編集したそうです。風刺作家とされるようです。
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ブラザーフレデリック・レイトン卿の墓です。歴史や聖書などの古典的題材に基づく画家です。フレイミング・ジューンが有名なようです。
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ブラザーサーウィリアム・レウェリンの墓です。ロイヤルアカデミーの会長を務めた画家です。
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ブラザーサーエドウィン・ランドシーア・ラッチェンスの墓です。ロイヤルアカデミーの会長を務めた建築家で、デリーのインド門を建築しました。
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ブラザーウィリアム・ラム卿です。ヴィクトリア女王時代のホイッグ党の首相です。ジョージ4世の放蕩仲間で数々の醜聞にまみれたそうですが、首相としての信任は厚かったようです。
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ブラザーロバート・ミルンの墓です。スコットランドの石工の家系に生まれた実務的メイスンです。スコットランドの多くの建築や城の補修や拡張などを行ったそうです。
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フローレンス・ナイチンゲールの墓です。クリミア戦争に従軍し看護師の職業を確立した女性です。クリミア戦争以降は慢性疲労症候群によりほぼ病床にあったそうです。
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ブラザーアイヴァー・ノヴェロの記念碑です。作曲家であり俳優であり同性愛者であったそうです。
Philip Louis Vian
ブラザーサーフィリップ・ルイス・ビアンの墓です。海軍元帥で二つの世界大戦に従軍しました。
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ブラザーサーエドワード・ジョン・ポインターの墓です。画家でエジプトのイスラエル人がこのブログでも取り上げたでしょうか。シバの女王の訪問やソロモン王といったいかにもな題材を描いています。ブラザーミレーの死後にロイヤルアカデミーの会長に就任しています。孫にブラザーキップリングとスタンリー・ボールドウィン首相がいます。
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ブラザージョン・レニーの墓です。スコットランドの技術者で運河や橋を数多く設計したそうです。
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ブラザーフレデリック・スレイ・ロバーツ卿の墓です。インド大反乱や第二次アフガン戦争、第二次ボーア戦争で活躍した陸軍元帥です。
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ブラザージョージ・ブリッジス・ロドニーの記念碑です。海軍提督でアメリカ独立戦争で活躍したそうです。
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ブラザーサーウィリアム・ジョセフ・スリム卿の記念碑です。陸軍軍人でオーストラリアの総督を務めた方です。ウェストミンスターに銅像がありました。ビルマ戦線で活躍したそうです。
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サーフィリップ・シドニーの墓です。エリザベス女王の元で詩人であり軍人であったそうです。
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アンソニー・ヴァン・ダイクの記念碑です。スペイン領ネーデルランドからイングランドに渡ったルーベンスの弟子の画家です。数々の肖像画で有名です。
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ブラザージョージ・ワシントンの胸像があるそうです。セントポール大聖堂ならではだと思います。
William Holman Hunt
ブラザーウィリアム・ホルマン・ハントの墓です。ブラザーミレーらとともにラファエル前派を結成した画家です。このブログでもキリストの象徴画として死の影を取り上げています。
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ブラザーサーヘンリー・ヒューズ・ウィルソン卿の墓です。第一次世界大戦で活躍した陸軍元帥で北アイルランドの大臣となってIRAのテロで亡くなったそうです。
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ブラザーガーネット・ジョセフ・ウォルスリー卿の墓です。世界各地の英領植民地で活躍した陸軍元帥です。ホースガードに銅像があったかと思います。
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ジョン・ウィクリフの記念碑です。14世紀のイングランドの宗教改革の先駆けであった神学者でカトリックからは異端とされましたが化体説を批判したり、聖書の翻訳をしたそうです。12月28日に脳卒中を起こして31日に亡くなったそうです。

以上で地下の聖堂、クリプトにある墓所の説明は終了です。実際には螺旋階段を上って囁きの間などの空間を見学し、ドームの外からシティーを眺望した後に見学した場所です。
次回その螺旋階段や囁きの間、シティーの眺めなどの解説です。
ぜひこのブログでの解説を参照として訪問してください。
2012-11-19 23:32 | カテゴリ:イングランド
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
さてさて肝心の奇跡になるわけですが、まあもちろんセントポール大聖堂に上ると毎回虹が見えるわけではない事はあしからず。
ドームの上に登るには入って右側のテムズ川側のフェニックスの裏側の部分で30分から1時間に一回くらいのペースでツアーをやっていて、もちろん追加料金はいらないわけですが、20-30人位一組で連れだって待ってから歩きだします。
最初まずいきなり豪華な螺旋階段でいやあ素晴らしいと、ロックフェラーセンタービルに似ている感じですが、もちろん最初の最初はこちらなのだと思います。
基本的に内部は撮影禁止な訳ですが、ネットで検索するとたくさん出てくるので転載します。
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降り口と重なっているのですが、石の螺旋階段で10分位、その後囁きの回廊とか通りつつ舞台の裏のセットみたいな鉄製の螺旋階段を通って20分位でしょうか。途中詰まったりして5分くらいづつ停まるところがあるとしても基本的に登りっぱなしですので体力的に自信が無い人は止めた方が良いでしょう。階段で千段以上はあるのだと思います。私の場合は一緒にロシアから来たような中学生の修学旅行の集団みたいなのと一緒になってなんだか勢いで上まで連れて行かれたような感じでした。何しゃべってんだか全くわかりませんが、大したことではないのでしょうが、一緒に中学生の修学旅行に来たような気分で歩きました。
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こんな螺旋階段を登ったり止まったりしながら10分位行くと囁きの回廊に到達します。
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囁きの回廊も基本的には撮影禁止なのですが、ネットで出てきますので転載します。
ここで大分休むわけですが、まあ人が多くて騒然としているので遠くの人の会話が聞こえるとかそういうのは良くわかりませんが、音響が水族館とかなんかそういうところに来たように神秘的な響きがある事は確かで下を見れば白黒の壮観であり、上を見れば光の取り込みがあるドームで回廊自体は300年以上前の石造りですしなかなかです。300年前に来たら圧巻の光景で、日本の東大寺などの巨大木造建築を見た時のような壮観です。まあローマ帝国時代の建築など見たら同じ感動かと思います。まあちょっと景色よりも中学生みたいな修学旅行のじゃれ合ってるのが気になったりします。
まあこの囁きの回廊で終わらないのがやはりフリーメイスンリーのサービス精神旺盛なところで、東京タワーのように二階から頂上へとステップがあるのがまあお決まりというか階位というかそういう精神的な3拍子のリズムな訳です。囁きの回廊からまた鉄製の螺旋階段を登って外に出るのが結局二段階あったと思います。で、写真を撮ったのはその最頂上のところです。YouTubeのビデオにあるかと思いますが要するにドームの頂上部分まで登る事が出来ます。なかなかここまでサービスの良い聖堂はないのではないでしょうか。日本で言うとかつての大仏の頭の中にまで登る事が出来るとかそういう感じだと思います。
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ロシアのお兄ちゃんみたいなのが写り込んでいますがまあしょうがありません。グーグルアースのある時代にそれほど絶景という事はありませんが、30分位螺旋階段を登ってみる景色は心拍数の上がり具合も重なって誰もが絶景と感じる景色になっているかと思います。
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まあ後で見られるようにパノラマ写真よろしくちょっとずつずらして景色を撮ったのですが、色々シンボルも入っているようですが、それほどなんかすごいという印象を与える景色ではないですかね。
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まあ大体雨がやんでいたんですね。まあ一通り写真を撮ってさっき下から撮ったビルなんかも確認で撮って、位置関係を確認したりしてまあこんなもんかって感じのところでおっと気付く訳ですね。あれ虹かなって。まあ後で写真を見てわかるわけですがちょうどまさにギルドホールの方角でギルドホールが写っているんですね。まあすごい奇跡な訳ですが、とてもじゃないがどういう計算するかはわかりません。
それではセントポール大聖堂の頂上からの虹の光景をお楽しみください。
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まあ頂上まで登って少し心拍数も上がってそこで見たので、いいもん見たなあという感じで、雨もやんだしすごい偶然だなあみたいな感じで良かった良かったみたいな感じで下に降りたわけですが、一段下のまた外に出たところでさらにまた虹が強く大きくなっていたのでおいおいこれはもしかして偶然じゃない奇跡かなと思ったりします。
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まあ最近これだけきれいなしっかりした虹を街中で見た事も無いので、記憶の中では小学生くらいの頃に見た夏頃の虹位しか思い浮かばないのではっきり言って感動します。しかも場所が場所なだけに、それが訪問に対する挨拶と取られますのでさすがにフリーメイスンとして大概の事にはそれほど驚きませんが、これには感動しました。一緒にいたロシアの中学生みたいなのはやっぱりキリスト教の信仰と絡めるのでしょうが、大分今の子はすれているのでしょうが変な笑いをしながらちょっと混乱して冷静な感じを作ってる感じでしたでしょうか。まあ私は単純に感動していました。
この後感動の勢いのままクリプトに降りてブラザーネルソンのお墓を見て、20年前にも来た事があるなとここで初めて思い出しました。勢いで大分お土産も買いましたが、一人でアールグレイを飲みながらなかなかそれなりに良い事もあるなと確認して大聖堂を離れます。来て良かったと。正直ちょっと怖かった位な感じはありましたでしょうか。キリスト教に改宗しようとまでは思いませんでしたが、なんか式くらいで利用出来たらいいなとか思いましたが、ちょうどダイアナ妃が結婚式をして別れたジンクスがあるところなんですね。まあもちろん一般人がそんな簡単に利用できる教会ではないと思います。
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まあ感動してそのまままたグランドロッジ結成の看板を撮影したのですね。子供騙しみたいなもんですが、こんな感じがフリーメイスンリーではないでしょうか。また何度も行きたいなと思うのが素直な感想だと思います。契約の虹というとあれですが、まあまさに契約の虹かと思います。

それで地下鉄に乗ってホルボーン駅から降りて大英博物館に行きますが、途中降りてすぐのところにグランドロッジそっくりな建物があったのでわざわざ撮りました。余計な事ですが訪問の際には間違えないでくださいね。
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というわけで第一の奇跡終了です。

この後は大英博物館の収蔵品の写真です。
2012-11-20 13:08 | カテゴリ:イングランド
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
さてこの日はウィンザー城を巡ってその後シティーを巡って最後にやっぱり大英博物館に行き着いたのですね。展示物についての説明はもう大変なのでそれぞれ個別にウィキペディアや公式ホームページを調べてください。ガイドブックやカタログを購入してみるのが一番良いかもしれません。
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これはラムセス二世胸像ですかね。
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これも有名な神殿のようです。
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これが噂のパルテノン神殿の色を削ったものですかね。
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ポンペイの壁画のようですが、同時代のローマ帝国領内のものなのだと思います。トルコあたりでしょうか。
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ギリシア・ローマの壺や彫像でしょうか。
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この像が最も目立っていました。ローマ帝国時代のミトラス神がフリジア帽をかぶった姿です。その他にも色々シンボルが入っているようです。七つの位階があったり入信の儀式があったりとフリーメイスンリーの原型のようです。仏教の弥勒信仰の元とか、クリスマスは元々ミトラ教の祝日であったとか逸話には事欠かないようです。ローマ帝国最盛期の宗教であるそうなので実際にローマ帝国に与えた影響は最も大きかったのかもしれません。牛を屠っているスタイルなのですが、牛を神とあがめる宗教との差異が強調されるのかもしれません。
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ギリシア・ローマ時代の彫像でしょうか。
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どこも懐中時計などの機械時計がたくさんコレクションで置いてありました。まあ手に取ってみないとちょっと良くわかりません。
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車輪の化石でしょうか。最古の車輪とかそういうのだと思われます。
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ハヤブサの神様のホルス神でしょうか。
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手前がスフィンクスで奥にオベリスクでしょうか。
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骨壷のカノプスではなさそうですが、副葬品でしょうか。
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大英博物館名物のミイラです。20年前は性別のわかるような裸のミイラが大量に展示してあって、野蛮人の風習みたいな印象でしたが、エジプトを取り巻く政治的状況も変化したせいか現在はほとんど裸のミイラはありませんでした。
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これも相変わらずかわいい猫と鳥のミイラです。愛玩動物で飼い主に愛されたのですね。
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エジプトの碑文のようです。
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アフリカ辺りの墓地の復元でしょうか。こういうのもどうなのかと思いますが、恐らく現実の政治情勢なんかが反映されているのでしょう。とにかく大英博物館のコレクションは膨大ですから展示法は毎回異なるのだと思います。結局研究者以外の一般人の観覧者に残るものは印象でしかありませんから。
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骨壷でしょうか。
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オリエントの遺物でしょうか。エジプトとその他のミックスのような感じでしょうか。
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お坊さんのような形です。恐らく王様など権力者の形なのだと思いますが、こんなもの持ってきて良いのでしょうか。もちろん植民地時代はそれを持ってくる事が支配の象徴であったのだと思います。
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オリエントの太陽神信仰でしょうか。いずれにしても大英博物館は特にかつては植民地支配の象徴といった意味づけが強かったでしたが、最近は批判が多いせいかなんかまばらなコレクションの展示になってしまって、ちょっとテーマがぶれてしまった印象があります。まあそれだけフリーメイスンリーが普及し、大英帝国といった時代は過去のものになってしまったのだと思います。
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どこのものでしょうか。エジプトかオリエントでしょうかね。
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これはなんかオリエントの有名な王様のレリーフのような気がします。
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これはエジプトの副葬品でしょうか。いずれにしても大英博物館に収蔵されていれば現地にあるより保存状態が良いであろうことは確かだと思います。
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アユタヤ文明とか中南米のものでしょうか。とにかく世界中から持ってきてごっちゃになっていますのでわかりません。いちいち説明を見ている時間も無かったのでとにかく写真だけ撮ったという感じでなんだかよくわかりません。詳しくは調べてください。
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細かいものは本当にどこのものかわかりません。
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この辺は中国の玉の文鎮でしょうか。この辺りから中国・インドの展示になるようです。これは20年前もこんな感じであった気がします。
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中国インドの展示は仏像が主な展示になります。後は陶器などでしょうか。
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かつてはこれら東アジアの展示の片隅に異常なほどに根付が置いてあったのが日本の展示でしたがそれが無くなり特別に部屋が設けられていました。偏見や誤解を取り除く目的の博物館の展示で、収集者の個人的興味や偏見や誤解が見えるのがまた博物館の展示の面白いところなのですが、過度に他人が干渉して矯正するのも面白みが失われてしまいます。インターネットもそうですが、まさにその辺が実はフリーメイスンリーの醍醐味でもあったりします。
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大英博物館のは大体手足が欠けてしまっているんですね。輸送した時代の美術品に対する意識や輸送技術の問題なんだと思いますがこれも特徴だと思います。
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日本人注目の日本コーナーですがわざわざ特別室がありました。
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なぜか敬愛です。西郷さんの筆ではなく全く知らない人のですが、恐らく鹿児島関連の人が展示に関わっているのでしょう。
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まあなんだかとってもまとまっている展示でとにかく偏らないようにという意識がはっきりしていて、面白みには欠けると思います。東京国立博物館の展示を見るようでまさに訪問した日本人に向けた展示という感じでした。実際見学者も日本人が多かったです。
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根付の展示もありましたがごく控えめで目立たないようになっていました。以前の日本にもないほどの根付のコレクションの展示の方がはるかに面白かったのですが、国の紹介としては体裁がこちらの方が良いようです。三菱商事が寄付をしているなどの掲示がありました。まあバブル期以降の日本が国際的な外の目を気にするようになった象徴であるかもしれませんし、またそれが現在の世界の中での停滞をしていると評価される原因かもしれません。
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なんと驚いた事に韓国の展示もまた日本の特別室と同じ程度のスペースでなされていました。この辺はもう完全に外交政策そのものです。内容もまさに日本の展示と全く同じ様相を呈していて、双子の文化のようです。全くなんというか大英帝国から脈々と流れるこういう外国に対する政策のしたたかさにはあきれ返るばかりです。
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まあ西から見ればまさに日本と朝鮮半島は双子の文化であるという事でしょうし、中国文化の一部が日本であったというのがかつての展示でもありました。日本にとってもイングランド、スコットランドやフランスとの違いなども似たものであるかもしれません。
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後はなんか展示者の興味なのか売りたいのかわかりませんが日本だか朝鮮だか中国のだかわからない陶磁器が大量に置いてありました。あまり特別良いものとは思えませんでした。
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これも韓国のブースでしたでしょうか。キリスト教関連の展示のようです。恐らくキリスト教団体が寄付して展示に関与しているのでしょう。儒教の儒の字も無いというのがまあ外面というところでしょうか。まあかつての日本の似たようなところを感じるところではないでしょうか。
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まあ大体展示品は見た、写真に撮ったというところでかつての図書館のホールに出ます。ちょうど食堂では地元の学生みたいな集団が豪勢に3000円位のアフタヌーンティーセットを馬鹿騒ぎしながら食べていました。おかしな話ですが、恐らく観光資源として売りたいのだと思います。かつては大英博物館で食事をとった世界中の観光客を驚かせたのだと思いますが、現在は逆手にとって豪華なアフタヌーンティーを名物としたいようでした。まあその辺がイングランドかもしれません。上の写真は置いてある像の一つで、空間が広いのでレストランやカフェ以外は閑散としています。

全体の感想としてはやはり大英博物館は世界の博物館の中でもその収集物やイギリスの歴史などから、また世界の博物館が必ず参考とする意味で他とは異なる際立った博物館なのだと思います。そうした意味で観光と学術、研究、教育などと、外交や世論との兼ね合いなど様々な要素がひっきりなしにあってそうした外部要因が非常に強い状況なのだと推測されました。鎌倉などもそうですが、そうした場所は単に観光などだけではなく、世界の世論や情勢を見る上で非常に参考になるような場所であるかと思います。またこのブログのようにインターネットによるバーチャルや教育や文字の文化がこうした博物館や図書館の存在を脅かしているのも相当あるかと思います。そうした中でこの博物館が見せる動きは全体を見据える上で参考になるものかと思いました。もちろん収蔵物の学術的な価値や研究の成果はこれからももっと勉強していきたいものです。
(追記:British Museumのウィキペディアの項目で展示物で面白いものがありました。
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夜の女王のレリーフというそうで、足元にライオンを従えた3本指の鳥の爪をしていて、左右にフクロウを二羽従えています。イシュタルという古代オリエントの女神で性愛や戦、豊穣の神であったそうです。金星(ヴィーナス)の女神です。同様にフクロウを従えた女神としてローマのカピトリーノ三柱神の一人ミネルヴァとよく似ており繋がりがありそうです。ちなみにローマのカピトリーノ三柱神の主神ユピテルはジュピター(木星)です。この夜の女王は両手にわっかを持っていてこれが女王などを示すシンボルのようです。スターバックスのシンボルマークにあるギリシア神話のセイレーンの元になったとも考えられます。
その他ギルガメッシュ叙事詩の粘土板などがあるようです。)
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さてまあやっとこそれなりの天気でホテルに帰ってきて、写真も撮れるような感じになります。結構立派な建築なのですね。
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本日はロンドン最後の夜という事でラッセルホテルのすぐ裏にあるパブ、いかにもロッジである感じのフレンドアットハンドに行きます。番号は支店の番号だと思いますが、ロッジの番号のようでもあります。床はちゃんと白黒になっていてフリーメイスンリー御用達である事がわかるようになっています。ここで2000円位のステーキとギネスビールを食べましたが、これは非常においしかったです。まあ周りが英語で話しまくっている中高年の男女様々な格好の人々の中で食べたので雰囲気が落ち着いているという事はありませんが、食事もサービスも問題なく、特に肉は美味しかったです。値段にしたら5000円分くらいの価値はあるという肉の感じでした。味付けはもちろん自分でやります。横須賀だとステーショングリルの感じでしょうか。あれの半額くらいの値段でパブの形式です。とりあえず英語がペラペラになって周りの会話に参加できるくらいの形になるとパブが楽しいのかもしれませんが、単純に英語がわからない、話題に入れないとなかなか難しそうです。
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ラッセルスクエアの様子です。リスがいます。
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月ですね。
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部屋番号は308です。この後のパリへの移動のユーロスターも8番ホームで8号車で席も24番とかであったと思います。随分三笠公園の市章の話の影響でか仏教の象徴としての8にこだわったところがあったようです。
まあキリスト教、ユダヤ教とフリーメイスンリーの繋がりは否定しえません。

そのあたりの宗教とフリーメイスンリーは次のフランス、パリのフリーメイスンリーの重要なテーマでもあります。
2012-11-20 18:31 | カテゴリ:フランス
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
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セントパンクラス駅はラッセルスクエアから歩いて10分位の、地下鉄の駅で一駅のところです。
隣に大英図書館がありました。
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セントパンクラス駅はこんな感じで、ユーロスターはいわゆる新幹線といった感じでしょうか。大分窓越しの写真は写り込んでいます。乗り心地は普通といった感じでしょうか。やはりアムトラックが一番だったと思います。
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これはイギリスの風景でしょうか。
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こちらはフランスの風景でしょうか。良い天気でした。イギリスは牧草地みたいになっているのが、フランスになると農耕地になるのが印象的であったかとも思います。
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農地を撮っているのでしょうかね。
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高圧線の鉄塔の形が印象的です。
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ゴシック建築の尖塔があります。恐らく教会なのだと思います。
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高圧線の鉄塔が面白い形です。悪魔の形のようです。恐らく意識的にこのデザインなのだと思いますが目立ちます。
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こういう普通の形もあります。
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ゴシックの尖塔を撮っているのですね。フリーメイスンリーのシンボルとなります。まあまさに実務的メイスンリーの時代のフリーメイスンリーのシンボルだと思います。集落ごとに一軒ゴシック建築の尖塔を備えた教会があるようです。日本における神社の神木や鎮守の森のようです。
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ゴシックの尖塔と高圧線の悪魔型の鉄塔が一緒にあるとなかなかシュールな光景です。まさにフランスを象徴しているようです。
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あっという間に曇ってきました。
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空港でしょうか。
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郊外の集合住宅が出てきます。
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なんだか品川駅みたいな落書きがたくさん出てきます。
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さて後すぐでパリにつきます。
2012-11-20 19:32 | カテゴリ:フランス
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
日本では良く花の都と言いますが、あちらでは光の都と表現するそうです。ヤフー知恵袋の受け売りです。
まあいずれにしろ到着しました。パリ北駅はやや雑然としていて、トイレが地下にあって有料で匂いがきついというなかなかパリの洗礼とも言うべき駅ですが、ロンドンと違って色々な人種の人が多い感じがします。
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なにはともあれ三色旗を見ると感慨深いです。完全に曇ってますね。北駅はタクシー待ちは大行列です。
きょろきょろしているとすぐに白タクの運転手らしきアラブ系の男性が英語で喋りかけてきます。しょうがないので大きな荷物を持ったままホテルまで歩く事を決意します。
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パリはとにかく車が騒然としています。空気も少しロンドンより汚れています。駅前にはなぜか大型バイクが多数置いてあります。通勤の駐車なのでしょうかなかなか理解しがたい光景です。
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歩くと決めたのですが、なかなかGPSが定まってくれず難しいです。ワシントンD.C.だけでしたかねスマートフォンがスムーズに動いたのは。歩いて20分くらいでオペラ座の北側の通りに面したホテルに到着します。パリは坂になっていて北駅から緩やかな下りです。横断歩道がたくさんあって赤信号で渡る人がたくさんいますが交差点がまっすぐではないので車もそれほどスピードは出せません。日本人料理店などがすぐに目立つ感じでしょうか。
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泊まったホテルはホテルミレニアムです。結構高いですが部屋はそれほどではありません。浴槽はありませんでした。
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まあ写真で床がこの模様だったので選んだのでした。フランス大東社のグランドロッジも比較的近い場所です。
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部屋は7階でしたかね。特に部屋番号とかでは何もない感じでした。廊下の絵画が上の写真です。目隠しして石を垂らしていてちょっとフリーメイスンリーっぽいですがなんとも遠いようです。じゃれてる感じでしょうが、指の形なんかとか見ても何かしら意味がありそうです。ちょっとわかりませんね。
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床はこんな感じです。パリを離れるときにカウンターにすごい美人がいたくらいで特にフリーメイスンリーを感じさせるような出来事はありませんでした。夫がベトナム人で妻がフランス人の中年のカップルがいた位でしょうか。
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さてまあロンドンでの教訓を踏まえてとりあえず最初にグランドロッジに行くべきだという事です。やはりツアーが午後は14時くらいかららしいのでその前に通りにあったRestaurant Au Petit Richeというところに入ってコースを食べました。4000円位でしょうか。生ガキはあとでちょっと調子があれでしたが、豚足みたいな牛のアキレス腱料理を食べました。中国人みたいな料理人が味の評価を気にしていました。もちろんアキレス腱を養生しろという事かと思われます。平日の昼間だったのですがとにかく奥の方が非常に中高年のカップルや近所の恐らくフリーメイスンばかりでしょうが、そういう人たちで込んでいて、一人でアジア人が入ってくる雰囲気ではありませんでしたが、入口付近で食事は食べさせてくれました。ちょっとまあ同じ人間扱いはされてないかもしれませんがしょうがありません。
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食事をとってからグランドロッジ方面に向かいます。もちろんこのブログでも触れたとおりイギリス系のロッジであるGrand Loge Nationale Francaiseもありますが、とりあえず博物館に行くだけなのでGrand Orient de Franceのグランドロッジに行きます。Grand Loge Nationale Francaiseにも博物館があるようなのでどうも良くないようですが、とにかく大きな方に行く感じでしょうか。まあなんかGLNFが破産したとかどっちかのロッジが火事になったとか対立があったみたいですが、良くわかりません。そういうのはどこでも常にあるのではないでしょうか。とにかく良くわかったのがフランスはフリーメイスンリーの非常に進んだ国で上位位階であるスコティッシュライトの大元の国であり、組織の人数や資金などの話では小さいのかもしれませんが、形而上の部分や過去の歴史の業績の面で恐らく最も巨大な組織なのだという印象でした。そしてこの後のグランドロッジの近くの本屋で念を押されたのがスコティッシュライトは一緒だという事のようでした。そこがまたキリスト教が基本のヨークライトとそうではないスコティッシュライトの違いのようです。
次回そのフランス大東社の博物館を訪問します。
2012-11-21 23:02 | カテゴリ:フランス
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
さてフランス大東社のグランドロッジでしたっけか。
その前のRestaurant Au Petit Richeも非常に感じは良かったわけですが、さらにiPhoneの地図を見て近づくと感じの良い歩行者天国風の小道があり、オープンカフェの椅子がそこらじゅうに置いてある通りに入ります。
そこを歩くとすぐに写真で見たグランドロッジがあります。非常に近代風の建物でガラスでオープンな雰囲気で日本で言うと美術館のような雰囲気でしょうか。受付には中年の女性がいますがもちろん英語よりフランス語が良さそうです。見学は30分後からという事で何となくルーズな感じです。フランスのフリーメイスンの感じはその前のRestaurant Au Peitit Richeの感じもそうですが、若干日本のヤクザ屋さんみたいなちょっと舐めんなよ風な空気が微妙にある感じでしょうか。英仏の対立の空気があるのかもしれませんが、むしろ日本のヤクザ屋さんがその空気の影響を受けているという方が恐らく正しいのだと思います。それは日本陸軍の徽章が五芒星である事も証明になるのかと思います。
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威圧感は全くなく街に溶け込んでいます。この通りの一番のポイントはユダヤ人のシナゴーグ、集会所が目立つ事でしょうか。2軒ほど近くにあったかと思います。明らかにユダヤ人の人は近くにはいませんでした。
時間が少しあったので近くに明らかにフリーメイスンリーの本を売っている本屋が2軒あったのでこちらも巡ります。一軒は少し店主が疲れてる感じでほとんど品数が無いレガリア(装飾具、エプロンなど)を主に売っている本屋で、もう一軒が写真に撮った大量に本が売っている、奥で少しレガリアも売っている店でした。
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この出版物の種類を見るとさすがにフランスフリーメイスンリーの裾野の広さと歴史の深さを思い知りましたね。もちろんフランス語は全くわからないので推測も全くできないのですが、後でグランドロッジ推薦の入門用のマンガと星の王子様を本は買いましたが、その種類が様々にある事を見てもその知識や広がりの多様さが感じ取れました。イングランドのグランドロッジもその多さに感動しましたが種類はこちらの方が多いですし、ワシントンD.C.は一般の本屋ではほとんどフリーメイスンリー関連はなかったかと思います。

で時間になってもう一度グランドロッジに入りますが、今度は受付の女性がいなかったと思います。しょうがないので博物館の中の方に入って行って、なんか受付の人を呼んだりして、とにかくルーズな感じでとにかく英語がわざとかどうかわかりませんが通じない感じで、なんとか6ユーロか払って後は勝手に博物館を見ろと言われて写真を撮りまくりました。ツアーはお前はフランス語がわからないから駄目って事でした。後でそのツアーに来ていたのはフランスの地方から来た高齢者の10人位のツアーでした。基本的には博物館を説明して回るだけみたいでしたが、もしかすると恐らくロッジの中も少し見学させてくれるのかもしれません。その辺はイギリス系フリーメイスンリーと大東社系フリーメイスンリーとの筋があるのかもしれません。
さてそういうわけでとにかく写真を撮りまくって、説明はフランス語なので全くわからないのですが、それ以前に日本に来るオランダの大東社系のブラザーとも色々やり取りがあったので、そういう絡みも多少はあったのかもしれません。
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フランス語がわからないとちょっとほとんどわかりませんが、実務的メイスンリーの時代の本とその過渡期の本とがごっちゃになってる感じでしょうか。
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イオニア式、ドーリア式、コリント式後は何でしたっけか。それぞれ教訓が含められて5つの様式であったと思います。リチュアルにあったかと思います。トスカナ式と、コンポジット式ですね。いずれリチュアルもやりましょう。
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この辺は完全に実務的メイスンリーの本ですね。
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これはなんか曼荼羅のようですが、ヘブライ文字とかと対応させているようです。タロットの大アルカナと対応したり、12星座や太陽系の惑星などと対応しているのではないでしょうか。
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これは実務的メイスンリーの本か間位でしょうか。
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これはもちろんアンダーソン憲章ですね。恐らく初版本だと思います。
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こちらはブラザーデザグリエですね。フランスから亡命したプロテスタント、ユグノーだと思います。
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学術書のようですね。百科全書派を始めとしてフランスの科学分野はフランス革命期前後は特にすごいですからね。
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これはミルクジャグなんでしょうが、実際はワインを入れたりするんでしょうね。大きな器にパーティードリンクを作るマニュアルなんかもフリーメイスンリーでもあるようです。
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上の画像は良くわかりませんが恐らくフリーメイスンリーの儀式の行列の様子を示したものでしょうか。日本の朝鮮通信使や大名行列の解説のようです。下は確かイギリスのフリーメイスンリーの版画かなんか初期のものの資料だと思います。初期のアンダーソン憲章に関わったレガリアをデザインしたりしている方の手による絵ではないでしょうか。
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これはだいぶ思索的メイスンリーの時代に入ってきた感じでしょうか。このブログでも使ったりしている現代のポスターの元になる版画だと思います。
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やはりエプロンが多いですね。フランスのものはデザインも美しく様式も様々にあって、特に貴族が関わっているものが多いせいか古くても質が良いものが多い印象です。多段階位もあるせいか同じデザインのものが少なく美術品として十分成立するものです。上の船の模型はわかりませんが、恐らくノアの箱舟のシンボルになるのだと思います。
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上の陶器の人形にしても一番いいものを置いてありますね。まあこういうフリーメイスンリーにまつわるアンティークの物を集めるのも一つのフリーメイスンリーの文化だと思われます。そういうのを紹介する意味もこのグランドロッジの博物館にはあるのかと思います。懐中時計などと同じく当時から貴族の慰みなのでしょうが、そういう中でもロストシンボルのピラミッドではないですが知性に影響を与えるような秘密が隠されている事も多いのでちょっと面白いものです。
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まあこういう本が実は一番のメインな訳ですが、実際インターネットの時代になると出版や直接の伝達というものの価値もまた違ってきます。
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これは恐らくマイセンのものなのでしょう。マイセンのシンボルマークも慶応大学や外国人記者クラブなどのマークのように、ロッジで言うとセクレタリーのシンボルと似た聖アンデレ十字の形になるのかと思います。
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この辺りは完全にフランス革命期でしょうか。アジテーションの意味もあったのでしょうね。
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これはアメリカのワシントン記念石塔にもイングランドグランドロッジにもコピーがありました。恐らく原版が皆揃っているのはこのフランス大東社なのではないでしょうか。初期のイングランドのグランドロッジ傘下のロッジのシンボルを描いた版画ですね。
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普通に時代物の陶器としても価値があるのでしょうが、由来がわかるとさらに価値が出るのかと思います。
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良いものをおいてある感じです。
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ちょっとわかりませんね。ルイ16世とかの周辺だと思いますが、わかりません。フィリップ・エガリテのブラザーオルレアン公ではなさそうです。
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フランスは貴族の加入が多いせいかなんかいちいちものが良い感じですね。
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エプロンの柄も流行があって面白いです。色も多様です。階級とか意味づけがそれぞれ異なるようです。
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こういうシンボルがたくさん描かれている完品は価値が高そうです。
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エプロンも多様です。
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やっぱり素材もちょっと良いせいか保存も良いんですよね。

大した解説ではありませんが、写真が多いので3回に分けてアップします。
2012-11-24 08:01 | カテゴリ:フランス
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
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さてどうも評判はよろしくないような博物館巡りです。やはり文章が多い方が内容が伴っている印象でしょうか。
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グラスはそれぞれ一揃いあるのでしょうね。良いものを見つくろってバンケットなどで使うのでしょうか。フランスはワインがおいしいですからグラスも種類が多いです。
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フリーメイスンリー式の結婚式の様子でしょうか。この他フリーメイスンリーには葬儀の式次第などもあります。有名なモーツァルトのフリーメイスンのための葬送行進曲はこれらに合わせて書かれているかと思われます。
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下のエプロンは珍しいですね。フランス大東社特有のシンボルの木のエプロンです。ロンドンオリンピックが印象深かったかと思われます。最高存在の式典が歴史的には有名です。上はやはり女性の存在を重要視するフランス大東社特有の陶器でしょうか。フランス革命時も女性の存在は非常に重要かと思われます。
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タペストリーの一種でしょうか。この後ルーブル美術館でもフランスカトリックの宗教美術として巨大なタペストリーがいくつも出てきます。それに合わせたフランスフリーメイスンリー特有のものではないでしょうか。
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古書は多量に認めます。こうした挿絵が現在販売されているようなポスターの原画のようです。
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アダムとイブと智恵の木も象徴として描かれます。アダムの手の動きがニュートンの肖像画とよく似ています。
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ESQUISSEはそのまま下絵やスケッチという意味だそうです。ロッジで使う証明書や版画の下絵集といったところでしょうか。
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誰だか分りませんが、三色旗のベルトをしていますので共和派と思われます。
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勇ましい顔をしています。ブラザーナポレオン関係でしょうか。
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レガリアも勲章も衣装も凝っています。
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マルタ騎士団の十字と下にあるのがスコティッシュライトの33階級の頸飾でしょうか。ブラザーナポレオンはマルタ騎士団と関係が深いようです。
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一見して美しいエプロンですね。中央のロッジを意味するドームはジャコバン派のロッジの形のようです。まさにフランス革命はロンドンの革命協会による壮大な実験であったのだと思われます。
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古書は多数ありますがフランス語は全くわかりません。
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シールですかね。封蝋に押す封印です。証明書の発行に良く認めます。
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生命の木でしょうか。ユダヤ教のセフィロトの木とはまた異なるようです。
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これは有名なテニスコートの誓いですね。
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All Seeing Eyeを中央に据えたポスターのようです。
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誰でしょうか。ルイ16世とかそのあたりかもしれません。
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わかりませんねえ。集会所ではありそうですが。
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一輪差しみたいですね。
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やっぱり指の形なんでしょうけど、女性が持ってる下げ振りなんかはホテルにあった絵の感じと似ています。
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こう言うのは全般にRegaliaと言いますが、日本語にすると頸飾で良いのでしょうかね。勲章とはまた違うかもしれません。幾何学模様を強調したものとキリスト教のシンボルを強調したものと二手に分かれるようです。
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マルタ十字が多いですね。ヨークライトの第12位階がマルタ騎士団です。ナチスドイツも使用していたかと思います。マルタ島はイタリアのシチリア島に近いところにあり地政学的に地中海世界のちょうど中心に位置する島のようです。マルタ騎士団は第一次十字軍で占領したエルサレムを統治した聖ヨハネ騎士団を源流とした現在もローマに存続する騎士団で国際的な地位を占めていて、カトリックの中でも特別な地位を占めています。1798年にブラザーナポレオンの侵攻で領土を失ったとされるようですが、実際にはブラザーナポレオンはマルタ島でフリーメイスンとして初めて認証されたなどあるようです。マルタ騎士団は正式名称をロードスおよびマルタにおけるエルサレムの聖ヨハネ病院独立騎士修道会というそうです。聖ヨハネ騎士団はホスピタル騎士団ともいい、アマルフィの商人が十字軍に参加する人々を支援する病院を兼ねた巡礼宿泊所を設立したところに始まるそうです。
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剣と血もしくは骨のイメージでしょうか。他では認めない独特のシンボルです。
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スコティッシュライト、House of the Templeのシンボルマークの源流でしょうか。
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この版画はフランス革命の登場人物が相当人数描かれていそうです。いつ頃のものかわかりませんが、恐らくフランス革命が落ち着いた後の共和政時代に描かれたのではないでしょうか。中心にマルタ十字が描かれていたり、個々人の顔の特徴が良くわかるように描かれていたり見る人にフランス革命での登場人物とフリーメイスンリーとの関連に興味を抱かせるものとなっているかと思います。フランス革命史の専門家が見ると様々な意見がありそうです。いずれ詳しくわかればこのブログでもとりあげたいかと思います。
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デザインが独特で面白いですね。価値はいかほどのものでしょう。
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エプロンのデザインが非常に独特で他に見たことがないものが多いですね。宗教画の要素もあり、シンボルも目新しいものが多くまた色彩も美しく美術品としても価値が高いかと思います。
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最終的にはフランス革命に行きつくのでしょうが、これらの陶磁器がどの時期のものかはわかりませんが、貴族文化の延長である事はわかります。非常に華やかで華麗で面白いですね。
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これも恐らくテンプル騎士団の儀式になるのだと思いますが、フリーメイスンリーの位階としてではなく、騎士団の復興として行われた可能性があります。
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筆致を見ても時代が下っていることを感じさせます。
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胸像の名前があるので後で調べてみましょう。
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ベルギーの大東社のシンボルでしょうか。
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上はCertification証明書でしょうか。下は青と黄色の染付が鮮やかで日本の陶器のようです。
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これもシール封印でしょうかね。
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感じのよさそうなものですね。
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これは恐らく日本製の漆器でしょうね。もしかするとこの並びは日本関連なのかもしれません。東京国立博物館にあるもののようです。
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本の挿絵か何かでしょうか。マリアンヌの象徴が成立した頃のようです。その端緒などでしょうか。第二共和制とかその位のようです。
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これはセフィロトの木ですね。三角形のシンボルとの融合が面白いですね。革命や政権の交代が一段落した後でユダヤ教が出てきた感じでしょうか。ユダヤ陰謀論の元ネタみたいです。旧約聖書は常にあるんですけどね。
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やっぱりマリアンヌで統一されてきた感じでしょうか。
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自由の女神像になっていくのかと思います。フリジア帽のようですが、これが甲冑となるとローマの女神ミネルヴァ神となります。知識の神として欧米の大学で象徴として像が建てられるようです。フリジア帽をかぶっている自由の女神はミトラス神とミネルヴァ神の折衷なのでしょうね。日本の大黒様のようなものでしょうか。
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これもユニークですね。現代からみるとチョコレートか何かの包装のデザインのようですが、フリーメイスンリーのシンボルのエプロンです。もともとがここにあってそれからデザインになったというのが歴史のようです。
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儀式で使う剣もシンボルなのですが、やはりその剣も変わった形をしています。
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それぞれの階級でのトレーシングボードを使ったレクチャー、儀式の様子を示した版画です。参加者の恰好がいかにも革命以前の貴族の恰好をしているところが特徴ではないでしょうか。
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かつてのフランスのグランドロッジでしょうか。急に照明が暗くなっていますね。一種のイニシエーション効果を狙っているのでしょうか。
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Mark MasterもしくはMaster Masonのエプロンでしょうか。赤を基調としているので上位位階のエプロンになるかと思います。
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この博物館のシンボルマークのようなシンボルの重ね合わせです。
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これはブルーロッジの見習いのエプロンでしょうか。
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この辺は装飾の少ないブルーロッジの源流でしょうか。
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トロフィーでしょうか。直接は飲めなさそうです。儀式で使うのでしょうか。
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フランス大東社の総会でしょうか。
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どこかのロッジのシンボルマークでしょうか。褐色の肌で描かれていて、有色人種のロッジのようです。
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美しいですね。
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開くときにパスワードYesと入力するのが嫌なのか強烈に訪問者が減少した当ブログですが、変更が著しいYouTubeの動画の追加したもの、ヘッダーの画像の追加したものについて解説を付けくわえていきます。動画は表示すると重くなるのでリンクの形で行います。
全体のブログの背景についても空と海と白黒のタイルの画像をFlickrで見つけたので借用して使用しています。本文が見づらくなったなどご意見があるかもしれませんがあしからず。
まずはYouTubeの動画についてからです。

ブラザーチャーチルの特集の一部です。ブラザーチャーチルについてはぜひいつか人生について何か普通の人が知らなそうな事がわかったらこのブログで取り上げたいかと思います。

バトルオブブリテンの最中に下院で行われたブラザーチャーチルの有名な演説です。バトルオブブリテンは第二次世界大戦の戦局を決定した英独のイギリス上空での激戦で、その中でもこの演説によってイギリス空軍は激しい戦闘をやり遂げられたようです。

ブラザーリムスキー・コルサコフのシェヘラザードです。千夜一夜物語を題材とした交響組曲です。ザルツブルグ音楽祭のものでのようです。

熊蜂の飛行で知られるブラザーリムスキー・コルサコフの歌劇「サルタン皇帝」の一部です。

クロード・ドビュッシーの前奏曲集第一巻です。ドビュッシーはフリーメイスンではなさそうですが、フランスの有名な音楽家であり、その人生を見てもフリーメイスンとの接点は多数ありますが、いまいちそりが合わなかったり人間的にも問題があったようです。(追記1/6:色々あるようですがやはりフランスの高名な作曲家と言う事でその業績からフリーメイスンとされるようです。)

ブラザーヘンデルによる有名なオラトリオ、メサイアです。ブラザーヘンデルの作品を見るとまさにフリーメイスンリーのテーマとなる内容が豊富であり、音楽も教会音楽を代表するその後の日常の音楽の中に溶け込んでいるフレーズが満載であり、まさにフリーメイスンという作曲家です。この曲のハレルヤ大合唱は名誉革命後のハノーヴァー朝第二代国王のジョージ2世が思わずスタンディングオベーションしたという逸話のあるまさにフリーメイスンリーの歴史に残る楽曲のようです。

ブラザーモーツァルトによる弦楽四重奏のためのアダージョとフーガ ハ短調 KV 546です。もともとあったものが使用できなくなったのでこちらに変更しました。ブラザーモーツァルトの曲のいわゆるフリーメイスンリー関連曲という事になるかと思います。

オペラ座の怪人の映画版です。オペラ座の怪人はパリのオペラ座を舞台としたフランスの作家ガストン・ルルーによる小説を元にしています。もちろん作者はフリーメイスンだと思われます。

ブラザープッチーニによるオペラトスカの映画版です。フランス革命後ナポレオン軍の時代を舞台とした悲劇です。ヴィクトル・ユーゴーのレ・ミゼラブルに匹敵する、フランスを代表するオペラの傑作です。ユーゴーもフリーメイスンのようです。

ブラザーマンリー・P・ホールによるオペラ魔笛のシンボリズムについて語った内容です。その他のオペラについて語った内容も関連動画としてあるようです。

ブラザーチャイコフスキーのバレイ白鳥の湖全編です。イタリアスカラ座でスヴェトラーナ・ザハロワが主演したもののようです。

ブラザージョージ5世の即位25周年記念のラジオ放送での答辞です。恐らく本人の声でラジオ放送にこの様に語られるのは初めてであったのではないでしょうか。

こちらは映画「英国王のスピーチ」でテーマとなったブラザージョージ6世の実際の演説の動画です。

ブラザーモーツァルトのオペラフィガロの結婚全編です。ザルツブルグ音楽祭のものです。

ウィンザー城の公式紹介動画です。

バッキンガム宮殿についてのBBCの特集動画です。

エリザベス二世女王の即位60周年記念の政府との公式行事の様子です。

エリザベス二世女王の即位60周年記念行事の馬車での移動部分のようです。

ナショナルジオグラフィックのセントポール大聖堂の特集です。

ウェストミンスター寺院についての特集です。

ロンドンの風景動画です。

パリの風景動画です。

ルーブル美術館の紹介動画です。

パリの紹介動画です。

ヴェルサイユ宮殿の紹介動画です。

フランス革命についての特集です。ヒストリーチャンネルなどのもののようですが詳細はわかりません。

イギリスの市民革命についての特集です。イギリスのchannel 4によるもののようです。

ヘンリー八世の3番目の妻ジェーン・シーモアと最初の王妃キャサリンオブアラゴンの娘メアリー一世と二番目の妻アン・ブーリンの娘エリザベス一世女王について特集したBBCの動画です。題名は女狼、貪欲な女性という意味のようです。

ヴィクトリア女王とその姉妹についての特集です。

オリバー・クロムウェルについての特集です。

ザルツブルグ音楽祭のオペラ魔笛の全編です。かなり奇抜な舞台と衣装になっていますが、音楽は素晴らしいです。

教皇ベネディクト16世の前で演奏されたブラザーモーツァルトのヴァイオリン協奏曲第3番ト長調K.216in G majorです。演奏者はヒラリー・ハーンでドイツ系アメリカ人です。教皇の80歳のバースデイコンサートの様子で、教皇自身による選曲であったそうです。この後がブラザードヴォルザークによる「新世界」だそうです。

ワシントンD.C.のフリーメイスンリーの建築についての特集です。

こちらもアメリカの建国の父達のフリーメイスンリーについての特集です。

邦題ピラミッド五千年の嘘です。

ブラザーカーネル・サンダースのWhat's My Line?です。この回は目隠しをせずにそのまま出演してこの人の職業を当てるという内容であったようです。

イスラエル国歌ハティクヴァ日本語訳詞付きです。日本の歌に似ている感じですが、そもそもそういうものが選ばれた可能性もあります。ルーマニアの詩人によって作詞されました。

セントポール大聖堂でのブラザーチャールズ皇太子と故ダイアナ妃の結婚式の様子です。

マリア・カラス主演、カラヤン指揮によるオペラ蝶々夫人の音声全編です。

日本の終戦放送、いわゆる玉音放送の全編です。あまり全てを聞いた事がある人は少ないと思います。当時の雰囲気が良くわかりますので是非全編聞かれる事をお勧めします。

太平洋戦争開戦のラジオ放送です。

ウィリアム王子とキャサリン妃のウェストミンスター寺院での結婚式の様子です。

有名な日本でも吹き替えされた歌YMCAです。

日本赤十字社の広報用の動画です。

国際連合の広報用の動画です。

国際連合の2011年を振り返った動画です。

ショパンの夜想曲、ノクターン全曲です。

ドイツ国歌、ドイツの歌です。ナチスドイツ支配下でも国歌であったようで、色々規制はあるようです。ブラザーハイドン作曲です。作詞はアウグスト・ハインリヒ・ホフマンで反ユダヤ主義者です。

スコットランドの国歌であるスコットランドの花です。1960年代に作成されたそうですが、歌詞の内容は13世紀のスコットランド独立戦争を題材にしています。スコットランドの国花であるアザミの花を題材としています。

オーストリアの国歌である山岳の国、大河の国です。ブラザーモーツァルト作曲とされる原曲に戦後に詩をのせています。実際にはブラザーモーツァルトの作曲ではないようです。

ブラザーヘンデルのオラトリオ、ユダス・マカベウスの凱旋の行進曲「見よ勇者は帰る」です。讃美歌にもなっていますが、日本では表彰式などで良くかかる音楽となっています。

メンデルスゾーンの夏の夜の夢全編です。有名な結婚行進曲を含んでいます。

ブラザーモーツァルトのレクイエム全編です。以前あったものから変更しました。

ワーグナーのニュルンベルクのマイスタージンガーの全編です。

ブラザーハイドンによる交響曲第101番ニ長調です。一般には時計の愛称で呼ばれる有名なフレーズを含んでいます。

ブラザードヴォルザークの交響曲第9番ホ短調作品95新世界より全編です。以前のものが使えなくなったのでこちらに変更しました。

ブラザーベンジャミン・フランクリンが発明したアルモニカのための弦楽四重奏曲で作曲もブラザーフランクリンです。演奏家もアルモニカ専門の奏者でフランス人で恐らくフリーメイスンと思われます。

ブラザーモーツァルトによるK.617グラスハーモニカ五重奏曲アダージョとロンドです。

ライオンズクラブの紹介動画です。

ロータリークラブの紹介動画です。

スウェーデン王カール16世グスタフの紹介動画です。音楽はスウェーデン国歌です。スウェーデンは国王をグランドマスターとしてフリーメイスンリー組織と国権を一致させています。

ブラザーモーツァルトの交響曲第41番ハ長調K.551ジュピター全編です。ブラザーモーツァルトの死後にローマの最高神ジュピターの名称は付けられました。

ブラザーモーツァルトの一連のフリーメイスンリー関連の作曲の一つであるK.619小カンタータ「無限の宇宙の創造者を崇敬する君らよ」です。歌詞もまさにフリーメイスンリーを歌った内容であり、魔笛と同時期に作られた作品です。

ブラザーモーツァルトの歌曲「おお聖なる絆よ」K.148ニ長調3/4です。参考になるホームページがありましたのでリンクします。

ブラザーモーツァルトのフリーメイスンリー関連楽曲であるK.483 K.148 K.468 K.484です。

ブラザーモーツァルトのK.471カンタータ「結社員の喜び」変ホ長調です。

ブラザーモーツァルトのK.484合唱つき歌曲「汝はわれらが新しき指導者」ト長調です。

ブラザーモーツァルトのK.483合唱つき歌曲「今日こそ、狂気し歓喜の歌を歌おう」変ロ長調です。

ベートーヴェンの交響曲第9番ニ短調作品125歓喜の歌です。ブラザーシラーの作詞の歓喜に寄すが歌われます。

ブラザーウィリアム・ブレイクの詩「ミルトン」の序詩にブラザーサー・チャールズ・ヒューバート・パリーが曲を付けた合唱曲エルサレムです。イギリスの第二の国歌とされています。

ブラザーフランクリン・デラノ・ルーズベルトの死去を伝えるニュース動画です。ブラザーフランクリン・ルーズベルトの動く姿が映った貴重な映像なので入れました。

ブラザーモーツァルトがブラザーハイドンに献呈したいわゆるハイドン・セットと呼ばれる弦楽四重奏曲集全編です。

ブラザーモーツァルトによるオペラ魔笛と同時期に作成されたオペラ皇帝ティートの慈悲全編です。皇帝ティートはローマ帝国でユダヤ戦争を戦ったネロ帝後の皇帝で、ユダヤ王族の娘を愛人としました。治世は2年間でポンペイの大噴火があり、急死したそうです。内容的には皇帝が暗殺者を助命するという物語ですが、初演がマリア・テレジアの子供でブラザーヨーゼフ二世の弟であるレオポルド二世の戴冠式であったという事からもそれらに関わる秘密の暴露であったかと思われます。レオポルド二世の王妃であるスペイン王家の娘であるマリア・ルドヴィカはオペラ・セリアであったこれを「ドイツ人の汚らしいもの」と酷評したそうです。

ブラザーヨハン・シュトラウス二世によるオペレッタこうもりのロシア語による全編です。どうもその他のものは合うものがありませんでした。なかなかの名作です。

ウィルソン大統領からブラザーフランクリン・デラノ・ルーズベルト大統領までの大統領についてまとめた特集を加えました。

以上でとりあえずのところのYouTubeの動画の説明は終わりです。今後も変更があれば逐次ブログで説明する予定です。ヘッダーの画像の付けくわえたものについてはまた次の時とします。
どうもキャッシュで読んだり色々とやっているようですが、そもそも公開しているブログですからそれを盗み見るというのもナンセンスな話なのですが面白いものです。

さてまあとても親切なブログなのでヘッダーの画像を追加したものについても解説いたします。ロンドン・パリ旅行で撮った写真、以前のワシントンD.C.で撮った写真、その他に当ブログで解説したり挙げたものについては解説しません。
Symbols.jpgDürer_Melancholia_I8x8all-ani.gifdan_brown_lost_symbol_book_cover1.jpg
ここまではこのブログを読んでいる人はわからないとおかしいと思います。ブラザーダン・ブラウンのロストシンボルに出てくる題材ですね。
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こちらは陰謀論になるかと思いますが、東北大震災の津波の写真です。確たる根拠はありません。
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こちらも陰謀論になるかと思います。福島原子力発電所の爆発の映像です。
atomic_cloud_over_nagasaki_plutonium_atom_bomb_fatman_aug9th_1945.jpgatomic_cloud_over_hiroshima_uranium_atom_bomb_little_boy_aug6th1945.jpg
長崎・広島の原爆については説明は不要かと思います。
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横浜のシンボルの夕景です。
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ブラザーマッカーサーと昭和天皇の写真です。説明は不要かと思います。
watchful-gargoyles.jpg12 Paris - Notre Dame Gargoyle Overlooking Paris11 Paris - Notre Dame Gargoyle
パリのノートルダム寺院のシメールです。パリの象徴と思われます。
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フィラデルフィアのグランドロッジにある四元徳を表すステンドグラスです。
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ブログでも一部出ているかと思いますが、アレキサンドリアのワシントン記念石塔にあるブラザーワシントンのワシントンD.C.に礎石を置く儀式の際の図です。
George Washington Cornerstone Laying
House of the Templeにあるこちらも礎石を置く儀式の際のブラザーワシントンの様子です。
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ワシントン記念石塔の地下にあった博物館にもあった初期のイングランドグランドロッジに参加したロッジのシンボルを並べた図です。
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フランス大東社のグランドロッジのホールの様子です。
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ワシントン記念石塔にあるブラザーフランクリンのステンドグラスです。
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ブラザー鳩山一郎のマスターメイスン昇進の際の写真です。
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マイセンのフリーメイスンの二人のマスターをモデルとした陶器の人形です。
2012-11-29 19:18 | カテゴリ:フランス
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
さてさて入口の暗号などで視聴調整をしているような状況の当ブログですが、秘密の暴露のようなものになっているのでしょうか。フリーメイスンリーでは秘密はほとんど残されていないというのがフリーメイスンでは常識のようですが、一般には秘密結社、陰謀団体という認識は未だに普遍的であるようです。秘密とは実は自身の秘密にしておきたい偏見や間違った考え方、真実でない事のようです。

さてそういうわけであまり目にする事ができないフランスフリーメイスンリーの代表であるフランス大東社のグランドロッジの博物館です。

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これはエプロンでしょうか。壁に掛ける装飾でしょうか。わかりませんが異常に美しい絵画のようなデザインとなっています。貴族趣味やフランス革命時代のナポレオン軍の戦勝を思わせる雰囲気となっています。
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スコティッシュライトの31階級なのでしょうか。マルタ十字が象徴的です。指の形は何でしょうね。陰謀論では出てこない指の形ではないでしょうか。
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何かのパンフレットか認証状でしょうか。フランス語がわからないのでわかりません。
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略語の一文字がたくさん出てきますが良くわかりません。ぜひ調べてみてください。
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スコティッシュライトの30階級になるのでしょうか。レクチャーボードなのでしょうね。
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難しそうです。
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テンプル騎士団総長ジャック・デ・モレーでしょうか。
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高位位階についての解説のようです。
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ブラザーアルバート・パイクのような高位位階の作成に貢献した人々ではないでしょうか。
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自由の女神の原型でしょうか。
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トゥールーズのロッジのフラッグでしょうか。
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グランドロッジのフラッグのようです。
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歴代のグランドマスターでしょうか。
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画家でしょうか。
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グランドロッジの様子ですが、女性が普通に描かれているのが特徴的だと思います。
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私もいくつか持っている時計のコレクションが無造作に置いてありました。Dudleyの時計もあります。
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手書きのパンフレットのようです。
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切手のコレクションでしょうか。
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記念メダルのコレクションでしょうか。
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イラスト入りのはがきでしょうか。
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写真やイラスト、ポスターなどでしょうか。
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シンボルのポスターや証明書、暴露記事などでしょうか。
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集合写真や記念メダルと思われます。
この後受付でお土産のマリアンヌ像の小さいものなどを買いました。
ロッジの中を見せてくれというとそれはだめという事でした。
(追記:以前にフェイスブックでロシアの現在グランドマスターをしているブラザーがフランス大東社を訪問した際のロッジの内部の様子を写真にしてアップしていましたのでそれをお借りしてここに出します。参考としてください。
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コレクションのカタログなど売っていました。写真のはがきなどたくさん売っていました。
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外に出ると若干晴れていたのでしょうかね。
この後先ほどの本屋で本とペンなどを買いました。フリーメイスンかという事で、スコティッシュライトは一緒だと強調していました。友愛の結び目のピンバッジをおまけしてくれました。

さてこの後はお土産をホテルに置きに戻ってからバスティーユ広場に向かいます。
2012-11-29 21:06 | カテゴリ:フランス
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
さてミレニアムホテルにいったん戻ってから外に出ますが、とりあえずパリと言えばフランス革命という事で、ユダヤ教会がかつては数多くあったというバスティーユ監獄があったバスティーユ広場に向かいます。
ホテルを出るとすぐにロシア人の中年女性が私に道を尋ねてきてルーヴル美術館はどっちだと聞いてくるハプニングがありましたが、もちろん明らかにチャイニーズの私に尋ねてくる不自然さはとてつもないわけですが、すぐにルーヴルに向かえという意味であったという事はあとでわかる事です。まあそんな事がフリーメイスンリーはあるわけです。
とりあえずパリの雰囲気を味わうという意味でもバスティーユ広場に向けて歩き始めます。途中自由の女神像についてで触れたレピュブリック広場のマリアンヌ像なども観ていこうと計画します。
ルーブル美術館周辺
パリも一応グーグルアースの概要図です。今回の2泊3日滞在した間に把握した場所を記載してあるだけなのでなかなか大雑把なものですがこのくらいがわかっておけば訪問するときにそれほど困らないのではないでしょうか。まあ行けばすぐわかるレベルだと思います。
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15分ほど歩くとサンドニ門というのがあります。かつてのパリ市を取り囲む城壁の一部であったそうですが、1988年に補修されているそうです。ルイ十四世の凱旋門であったそうです。最初のものは14世紀のシャルル4世の治世に建てられたものだそうです。オベリスク状の壁画があります。
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もう少し行くとまたもう少し小さな門がありサンマルタン門というそうです。やはり同じくルイ14世の戦勝を記念した凱旋門で元々市を取り囲む城壁の門があったそうです。
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またもう少し行くとブラザーヨハン・シュトラウスⅡ世の胸像があります。明らかに髭にいたずらがしてあったり、落書きがあったりとフリーメイスンの胸像でもこれだけ自由ないたずらがあるのがパリらしい感じでしょうか。さすがに近所の子供がバツが悪そうな表情をしていますが、やはりフリーメイスンリーがわかるのだと思われます。
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ブラザーイシドール・テイラー卿です。基本的にパリも胸像や銅像がある方は皆フリーメイスンだと思われます。演劇や絵画の分野で貢献し、特に各分野の学術団体の成立に貢献したそうです。コンコルド広場のオベリスクにも関係し、フランスの芸術アカデミーの会員となっているようです。
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レピュブリック広場のマリアンヌ像は非常に残念ながら全面改修中でした。そこで撮った最初の写真が奇跡の一枚なのですが、いかにもな感じの高齢のユダヤ人男性に甲斐甲斐しく手を貸す孝行なお孫さんらしきキッパーを被るユダヤ人少年の姿がバッチリ映っています。まあまさにパリらしい、バスティーユ広場に近い場所という事、しかもフリーメイスンリーらしい写真という事になるのだと思います。まさに表題の通り革命の馬鹿騒ぎ、その名にふさわしいそれらの民衆の騒動の底流で見守るユダヤ人達の静かな変わらぬ哲学を見せつけるものではないかと思われました。
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三つの円が重なるtriquentaや車輪の形のIchthys Wheelの形があったりします。もちろんロータリークラブではなく元のイクトゥスホイールだと思われます。カトリックの教会かその関連なのだと思われます。
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これは小さくてわかりにくいですが眼医者か眼鏡屋だと思いますが、いわゆるAll Seeing Eyeのモチーフの看板があったので撮りました。フリーメイスンリー関連なのだと思われます。
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まあハーレー・ダビッドソンもフリーメイスンリー関連ですね。
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これは三色旗ですね。美しい国旗です。
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すっかり曇ってしまったバスティーユ広場の革命記念柱の写真です。ロンドンのピカデリーサーカスの天使の像のような形です。ウィキペディアの写真で見ると裸の男性の天使で頭部に六芒星があります。この場所で1789年7月14日にフランス革命の口火が切られたわけですが、この7月14日というのはまさにフリーメイスンリーのグランドロッジ結成の6月24日の洗礼者ヨハネの日の20日後、アメリカ独立宣言の1776年7月4日の10日後であり、やはり洗礼者ヨハネの日のちょうど切りが良い日数の後である事は関連がある事かもしれません。現在は新たなオペラ座が出来たりとしているようですが、いずれにしてもフランス革命の象徴的な場所である事は変わりないかと思われます。
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通りの看板を写したのですね。バスの後ろに写るのが新しいオペラ座のようです。
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なかなかさみしいと言えばさみしい感じですが、フランス革命の評価というのも難しいものがありますし、革命は1789年以降現在まで進行しているという考え方もあるそうで、この街自体がその象徴であるという考え方もあるのかもしれません。ブラザーナポレオンはこの地に巨大な象の像を置く計画を考えていたそうで、その形などからもエトワール凱旋門のモデルともなるようなアイディアであり、アレクサンダー大王の伝説のインドでの象を使った軍隊という故事にもその元があったのかも知れません。またそれ以前にはエジプト様式の胸から水を出す女性の像のある泉があったそうです。
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美容室のようですが、ブラザージャック・ルイ・ダヴィッドの名前に近い店名です。ジャックとジャンで異なるようですが、明らかに意識した店名だと思われます。美容業界では有名なチェーン店のようです。

次回はシテ島のノートルダム寺院に向かいます。
2012-11-30 23:56 | カテゴリ:フランス
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
さてさてまあ色々とこだわりのブログですが、実際はボンヤリとパリを歩いているだけの話です。
一応革命の最初の場所を見た後は一番有名なキリスト教の教会を巡ろうとノートルダム大聖堂に向かいます。フランスは有名なカトリックの国だと思っていましたので最初に教会に向かうのは大事かなと思っていました。フリーメイスンリーのロッジの後は教会に向かうのが良いかなという考えです。歩きながらフリーメイスンリー関連のものが無いか探していきます。
とりあえずそれっぽいものを一生懸命写真に撮っているというところでしょうか。
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いわゆるセーヌ川ですね。橋の名前はちょっとわかりません。
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教会ですね。ちょっと詳しくはわかりません。お調べください。
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こちらも教会でしょうかね。
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ゴシックの尖塔が見えてきます。あれはノートルダム寺院ですね。
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サンルイ島からみたセーヌ川ですね。こちらがブルボン通り、反対がオルレアン通りです。もちろん革命後につけた名前だと思われます。
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橋の名前もサンルイ橋でしたね。ブルボンとオルレアンが交わってルイっていうのは一つの歴史でしょうか。まあそういう意味があるのだと思われます。
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サンルイ橋からのセーヌ川の様子です。
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ノートルダム大聖堂が見えてきます。
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裏側から近づくと大分有名な形と違います。
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ブラザーカルロ・ゴルドーニの胸像です。喜劇作家だそうです。85歳まで長生きしたそうです。
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あれあれなんだか変な教会ですね。鬼瓦みたいなガーゴイルが乱立しています。
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入り口は教会っぽいですがどうも雰囲気がおかしいですね。三角形がどうも目立ちます。
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入り口のフランス語を見てフランスに来た事を実感します。しかしガーゴイルがなんだかとても教会とは思えませんし、その割には入口に教会を強調してキリスト像があったりなんだかどうもおかしな雰囲気です。彫像なんかを見て荘厳な教会なんだろうなと思いつつ入場します。無料であったと思います。
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恐らく古い時代の聖人なのでしょうね。ちょっと詳しくはわかりません。
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入り口の白黒のモザイクを確認して、やはりフランスは全てフリーメイスンリー関連なのだなと確認して入場します。入場してあっと驚く状況となります。11月30日に合わせて内容はちょっと薄いですがこれでその1は終わりです。