FREEMASONRY
Blue Lodge, Scottish Rite & York Rite in Japan
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さてさて入口の暗号などで視聴調整をしているような状況の当ブログですが、秘密の暴露のようなものになっているのでしょうか。フリーメイスンリーでは秘密はほとんど残されていないというのがフリーメイスンでは常識のようですが、一般には秘密結社、陰謀団体という認識は未だに普遍的であるようです。秘密とは実は自身の秘密にしておきたい偏見や間違った考え方、真実でない事のようです。
さてそういうわけであまり目にする事ができないフランスフリーメイスンリーの代表であるフランス大東社のグランドロッジの博物館です。
これはエプロンでしょうか。壁に掛ける装飾でしょうか。わかりませんが異常に美しい絵画のようなデザインとなっています。貴族趣味やフランス革命時代のナポレオン軍の戦勝を思わせる雰囲気となっています。
スコティッシュライトの31階級なのでしょうか。マルタ十字が象徴的です。指の形は何でしょうね。陰謀論では出てこない指の形ではないでしょうか。
何かのパンフレットか認証状でしょうか。フランス語がわからないのでわかりません。
略語の一文字がたくさん出てきますが良くわかりません。ぜひ調べてみてください。
スコティッシュライトの30階級になるのでしょうか。レクチャーボードなのでしょうね。
難しそうです。
テンプル騎士団総長ジャック・デ・モレーでしょうか。
高位位階についての解説のようです。
ブラザーアルバート・パイクのような高位位階の作成に貢献した人々ではないでしょうか。
自由の女神の原型でしょうか。
トゥールーズのロッジのフラッグでしょうか。
グランドロッジのフラッグのようです。
歴代のグランドマスターでしょうか。
画家でしょうか。
グランドロッジの様子ですが、女性が普通に描かれているのが特徴的だと思います。
私もいくつか持っている時計のコレクションが無造作に置いてありました。Dudleyの時計もあります。
手書きのパンフレットのようです。
切手のコレクションでしょうか。
記念メダルのコレクションでしょうか。
イラスト入りのはがきでしょうか。
写真やイラスト、ポスターなどでしょうか。
シンボルのポスターや証明書、暴露記事などでしょうか。
集合写真や記念メダルと思われます。
この後受付でお土産のマリアンヌ像の小さいものなどを買いました。
ロッジの中を見せてくれというとそれはだめという事でした。
(追記:以前にフェイスブックでロシアの現在グランドマスターをしているブラザーがフランス大東社を訪問した際のロッジの内部の様子を写真にしてアップしていましたのでそれをお借りしてここに出します。参考としてください。
)
コレクションのカタログなど売っていました。写真のはがきなどたくさん売っていました。
外に出ると若干晴れていたのでしょうかね。
この後先ほどの本屋で本とペンなどを買いました。フリーメイスンかという事で、スコティッシュライトは一緒だと強調していました。友愛の結び目のピンバッジをおまけしてくれました。
さてこの後はお土産をホテルに置きに戻ってからバスティーユ広場に向かいます。
さてそういうわけであまり目にする事ができないフランスフリーメイスンリーの代表であるフランス大東社のグランドロッジの博物館です。
これはエプロンでしょうか。壁に掛ける装飾でしょうか。わかりませんが異常に美しい絵画のようなデザインとなっています。貴族趣味やフランス革命時代のナポレオン軍の戦勝を思わせる雰囲気となっています。
スコティッシュライトの31階級なのでしょうか。マルタ十字が象徴的です。指の形は何でしょうね。陰謀論では出てこない指の形ではないでしょうか。
何かのパンフレットか認証状でしょうか。フランス語がわからないのでわかりません。
略語の一文字がたくさん出てきますが良くわかりません。ぜひ調べてみてください。
スコティッシュライトの30階級になるのでしょうか。レクチャーボードなのでしょうね。
難しそうです。
テンプル騎士団総長ジャック・デ・モレーでしょうか。
高位位階についての解説のようです。
ブラザーアルバート・パイクのような高位位階の作成に貢献した人々ではないでしょうか。
自由の女神の原型でしょうか。
トゥールーズのロッジのフラッグでしょうか。
グランドロッジのフラッグのようです。
歴代のグランドマスターでしょうか。
画家でしょうか。
グランドロッジの様子ですが、女性が普通に描かれているのが特徴的だと思います。
私もいくつか持っている時計のコレクションが無造作に置いてありました。Dudleyの時計もあります。
手書きのパンフレットのようです。
切手のコレクションでしょうか。
記念メダルのコレクションでしょうか。
イラスト入りのはがきでしょうか。
写真やイラスト、ポスターなどでしょうか。
シンボルのポスターや証明書、暴露記事などでしょうか。
集合写真や記念メダルと思われます。
この後受付でお土産のマリアンヌ像の小さいものなどを買いました。
ロッジの中を見せてくれというとそれはだめという事でした。
(追記:以前にフェイスブックでロシアの現在グランドマスターをしているブラザーがフランス大東社を訪問した際のロッジの内部の様子を写真にしてアップしていましたのでそれをお借りしてここに出します。参考としてください。
)
コレクションのカタログなど売っていました。写真のはがきなどたくさん売っていました。
外に出ると若干晴れていたのでしょうかね。
この後先ほどの本屋で本とペンなどを買いました。フリーメイスンかという事で、スコティッシュライトは一緒だと強調していました。友愛の結び目のピンバッジをおまけしてくれました。
さてこの後はお土産をホテルに置きに戻ってからバスティーユ広場に向かいます。
さてミレニアムホテルにいったん戻ってから外に出ますが、とりあえずパリと言えばフランス革命という事で、ユダヤ教会がかつては数多くあったというバスティーユ監獄があったバスティーユ広場に向かいます。
ホテルを出るとすぐにロシア人の中年女性が私に道を尋ねてきてルーヴル美術館はどっちだと聞いてくるハプニングがありましたが、もちろん明らかにチャイニーズの私に尋ねてくる不自然さはとてつもないわけですが、すぐにルーヴルに向かえという意味であったという事はあとでわかる事です。まあそんな事がフリーメイスンリーはあるわけです。
とりあえずパリの雰囲気を味わうという意味でもバスティーユ広場に向けて歩き始めます。途中自由の女神像についてで触れたレピュブリック広場のマリアンヌ像なども観ていこうと計画します。
パリも一応グーグルアースの概要図です。今回の2泊3日滞在した間に把握した場所を記載してあるだけなのでなかなか大雑把なものですがこのくらいがわかっておけば訪問するときにそれほど困らないのではないでしょうか。まあ行けばすぐわかるレベルだと思います。
15分ほど歩くとサンドニ門というのがあります。かつてのパリ市を取り囲む城壁の一部であったそうですが、1988年に補修されているそうです。ルイ十四世の凱旋門であったそうです。最初のものは14世紀のシャルル4世の治世に建てられたものだそうです。オベリスク状の壁画があります。
もう少し行くとまたもう少し小さな門がありサンマルタン門というそうです。やはり同じくルイ14世の戦勝を記念した凱旋門で元々市を取り囲む城壁の門があったそうです。
またもう少し行くとブラザーヨハン・シュトラウスⅡ世の胸像があります。明らかに髭にいたずらがしてあったり、落書きがあったりとフリーメイスンの胸像でもこれだけ自由ないたずらがあるのがパリらしい感じでしょうか。さすがに近所の子供がバツが悪そうな表情をしていますが、やはりフリーメイスンリーがわかるのだと思われます。
ブラザーイシドール・テイラー卿です。基本的にパリも胸像や銅像がある方は皆フリーメイスンだと思われます。演劇や絵画の分野で貢献し、特に各分野の学術団体の成立に貢献したそうです。コンコルド広場のオベリスクにも関係し、フランスの芸術アカデミーの会員となっているようです。
レピュブリック広場のマリアンヌ像は非常に残念ながら全面改修中でした。そこで撮った最初の写真が奇跡の一枚なのですが、いかにもな感じの高齢のユダヤ人男性に甲斐甲斐しく手を貸す孝行なお孫さんらしきキッパーを被るユダヤ人少年の姿がバッチリ映っています。まあまさにパリらしい、バスティーユ広場に近い場所という事、しかもフリーメイスンリーらしい写真という事になるのだと思います。まさに表題の通り革命の馬鹿騒ぎ、その名にふさわしいそれらの民衆の騒動の底流で見守るユダヤ人達の静かな変わらぬ哲学を見せつけるものではないかと思われました。
三つの円が重なるtriquentaや車輪の形のIchthys Wheelの形があったりします。もちろんロータリークラブではなく元のイクトゥスホイールだと思われます。カトリックの教会かその関連なのだと思われます。
これは小さくてわかりにくいですが眼医者か眼鏡屋だと思いますが、いわゆるAll Seeing Eyeのモチーフの看板があったので撮りました。フリーメイスンリー関連なのだと思われます。
まあハーレー・ダビッドソンもフリーメイスンリー関連ですね。
これは三色旗ですね。美しい国旗です。
すっかり曇ってしまったバスティーユ広場の革命記念柱の写真です。ロンドンのピカデリーサーカスの天使の像のような形です。ウィキペディアの写真で見ると裸の男性の天使で頭部に六芒星があります。この場所で1789年7月14日にフランス革命の口火が切られたわけですが、この7月14日というのはまさにフリーメイスンリーのグランドロッジ結成の6月24日の洗礼者ヨハネの日の20日後、アメリカ独立宣言の1776年7月4日の10日後であり、やはり洗礼者ヨハネの日のちょうど切りが良い日数の後である事は関連がある事かもしれません。現在は新たなオペラ座が出来たりとしているようですが、いずれにしてもフランス革命の象徴的な場所である事は変わりないかと思われます。
通りの看板を写したのですね。バスの後ろに写るのが新しいオペラ座のようです。
なかなかさみしいと言えばさみしい感じですが、フランス革命の評価というのも難しいものがありますし、革命は1789年以降現在まで進行しているという考え方もあるそうで、この街自体がその象徴であるという考え方もあるのかもしれません。ブラザーナポレオンはこの地に巨大な象の像を置く計画を考えていたそうで、その形などからもエトワール凱旋門のモデルともなるようなアイディアであり、アレクサンダー大王の伝説のインドでの象を使った軍隊という故事にもその元があったのかも知れません。またそれ以前にはエジプト様式の胸から水を出す女性の像のある泉があったそうです。
美容室のようですが、ブラザージャック・ルイ・ダヴィッドの名前に近い店名です。ジャックとジャンで異なるようですが、明らかに意識した店名だと思われます。美容業界では有名なチェーン店のようです。
次回はシテ島のノートルダム寺院に向かいます。
ホテルを出るとすぐにロシア人の中年女性が私に道を尋ねてきてルーヴル美術館はどっちだと聞いてくるハプニングがありましたが、もちろん明らかにチャイニーズの私に尋ねてくる不自然さはとてつもないわけですが、すぐにルーヴルに向かえという意味であったという事はあとでわかる事です。まあそんな事がフリーメイスンリーはあるわけです。
とりあえずパリの雰囲気を味わうという意味でもバスティーユ広場に向けて歩き始めます。途中自由の女神像についてで触れたレピュブリック広場のマリアンヌ像なども観ていこうと計画します。
パリも一応グーグルアースの概要図です。今回の2泊3日滞在した間に把握した場所を記載してあるだけなのでなかなか大雑把なものですがこのくらいがわかっておけば訪問するときにそれほど困らないのではないでしょうか。まあ行けばすぐわかるレベルだと思います。
15分ほど歩くとサンドニ門というのがあります。かつてのパリ市を取り囲む城壁の一部であったそうですが、1988年に補修されているそうです。ルイ十四世の凱旋門であったそうです。最初のものは14世紀のシャルル4世の治世に建てられたものだそうです。オベリスク状の壁画があります。
もう少し行くとまたもう少し小さな門がありサンマルタン門というそうです。やはり同じくルイ14世の戦勝を記念した凱旋門で元々市を取り囲む城壁の門があったそうです。
またもう少し行くとブラザーヨハン・シュトラウスⅡ世の胸像があります。明らかに髭にいたずらがしてあったり、落書きがあったりとフリーメイスンの胸像でもこれだけ自由ないたずらがあるのがパリらしい感じでしょうか。さすがに近所の子供がバツが悪そうな表情をしていますが、やはりフリーメイスンリーがわかるのだと思われます。
ブラザーイシドール・テイラー卿です。基本的にパリも胸像や銅像がある方は皆フリーメイスンだと思われます。演劇や絵画の分野で貢献し、特に各分野の学術団体の成立に貢献したそうです。コンコルド広場のオベリスクにも関係し、フランスの芸術アカデミーの会員となっているようです。
レピュブリック広場のマリアンヌ像は非常に残念ながら全面改修中でした。そこで撮った最初の写真が奇跡の一枚なのですが、いかにもな感じの高齢のユダヤ人男性に甲斐甲斐しく手を貸す孝行なお孫さんらしきキッパーを被るユダヤ人少年の姿がバッチリ映っています。まあまさにパリらしい、バスティーユ広場に近い場所という事、しかもフリーメイスンリーらしい写真という事になるのだと思います。まさに表題の通り革命の馬鹿騒ぎ、その名にふさわしいそれらの民衆の騒動の底流で見守るユダヤ人達の静かな変わらぬ哲学を見せつけるものではないかと思われました。
三つの円が重なるtriquentaや車輪の形のIchthys Wheelの形があったりします。もちろんロータリークラブではなく元のイクトゥスホイールだと思われます。カトリックの教会かその関連なのだと思われます。
これは小さくてわかりにくいですが眼医者か眼鏡屋だと思いますが、いわゆるAll Seeing Eyeのモチーフの看板があったので撮りました。フリーメイスンリー関連なのだと思われます。
まあハーレー・ダビッドソンもフリーメイスンリー関連ですね。
これは三色旗ですね。美しい国旗です。
すっかり曇ってしまったバスティーユ広場の革命記念柱の写真です。ロンドンのピカデリーサーカスの天使の像のような形です。ウィキペディアの写真で見ると裸の男性の天使で頭部に六芒星があります。この場所で1789年7月14日にフランス革命の口火が切られたわけですが、この7月14日というのはまさにフリーメイスンリーのグランドロッジ結成の6月24日の洗礼者ヨハネの日の20日後、アメリカ独立宣言の1776年7月4日の10日後であり、やはり洗礼者ヨハネの日のちょうど切りが良い日数の後である事は関連がある事かもしれません。現在は新たなオペラ座が出来たりとしているようですが、いずれにしてもフランス革命の象徴的な場所である事は変わりないかと思われます。
通りの看板を写したのですね。バスの後ろに写るのが新しいオペラ座のようです。
なかなかさみしいと言えばさみしい感じですが、フランス革命の評価というのも難しいものがありますし、革命は1789年以降現在まで進行しているという考え方もあるそうで、この街自体がその象徴であるという考え方もあるのかもしれません。ブラザーナポレオンはこの地に巨大な象の像を置く計画を考えていたそうで、その形などからもエトワール凱旋門のモデルともなるようなアイディアであり、アレクサンダー大王の伝説のインドでの象を使った軍隊という故事にもその元があったのかも知れません。またそれ以前にはエジプト様式の胸から水を出す女性の像のある泉があったそうです。
美容室のようですが、ブラザージャック・ルイ・ダヴィッドの名前に近い店名です。ジャックとジャンで異なるようですが、明らかに意識した店名だと思われます。美容業界では有名なチェーン店のようです。
次回はシテ島のノートルダム寺院に向かいます。
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