FREEMASONRY
Blue Lodge, Scottish Rite & York Rite in Japan
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Bonne anne!

新年好!


Happy new year!




Happy new year!


Bliadhna Mhath Ùr!

Happy new year!

恭喜發財!

سنة جديدة سعيدة!

Happy New Year!
明けましておめでとうございます。
YouTubeの音楽をいじっていたんですが、どうもやはりフリーメイスンリーの新年としてはAuld Lang Syneが好ましいという事でそうなりました。
ウィキペディアの項目をコピペします。
オールド・ラング・サイン Auld Lang Syne はスコットランド語で、英訳すると逐語訳ではold long since、意訳ではtimes gone byとなる。
日本では「久しき昔」などと訳す。
「オールド・ラング・サイン」(もしくは「オールド・ラング・ザイン」、Auld Lang Syne)はスコットランド民謡、非公式な準国歌である。日本では「蛍の光」の原曲として知られる。
古くからスコットランドに伝わっていた歌で、現在に至るまで、特に年始、披露宴、誕生日 などで歌われる。
歌詞を現在伝わる形にしたのは、スコットランドの詩人のロバート・バーンズである。
従来からの歌詞を下敷きにしつつ、事実上彼が一から書き直している。この歌詞は、旧友と再会し、思い出話をしつつ酒を酌み交わすといった内容である。
こうして採譜された「オールド・ラング・サイン」には、ハイドンやベートーヴェン、シューマンといった著名な作曲家たちも伴奏を付けたり編曲したりしている。
1
Should auld acquaintance be forgot,
and never brought to mind ? 旧友は忘れていくものなのだろうか、
Should auld acquaintance be forgot, 古き昔も心から消え果てるものなのだろうか。
and auld lang syne ?
Chorus
For auld lang syne, my dear,
for auld lang syne, 友よ、古き昔のために、
we'll tak a cup o' kindness yet, 親愛のこの一杯を飲み干そうではないか。
for auld lang syne.
2
And surely ye'll be your pint-stoup !
And surely I'll be mine ! 我らは互いに杯を手にし、いままさに、
And we'll tak a cup o' kindness yet, 古き昔のため、親愛のこの一杯を飲まんとしている。
for auld lang syne.
Chorus
3
We twa hae run about the braes,
and pou'd the gowans fine ; 我ら二人は丘を駈け、可憐な雛菊を折ったものだ。
But we've wander'd mony a weary fit, だが古き昔より時は去り、
sin' auld lang syne. 我らはよろめくばかりの距離を隔て彷徨っていた
Chorus
4
We twa hae paidl'd in the burn,
frae morning sun till dine ; 我ら二人は日がら瀬に遊んだものだ。
But seas between us braid hae roar'd だが古き昔より二人を隔てた荒海は広かった。
sin' auld lang syne.
Chorus
5
And there's a hand my trusty fiere ! いまここに、我が親友の手がある。
And gies a hand o' thine ! いまここに、我らは手をとる。
And we'll tak a right gude-willie waught, いま我らは、良き友情の杯を飲み干すのだ。
for auld lang syne. 古き昔のために。
Chorus
日本では、独自性の高い訳詞が付けられ、「蛍の光」として卒業式などで歌われる。
「オールド・ラング・サイン」のメロディーのみの使用例には以下のようなものがある。
大日本帝国海軍では「告別行進曲」もしくは「ロングサイン」という題で海軍兵学校の卒業式典曲として使われた。現在でも日本全国で卒業式の定番唱歌であるなど、別れの曲としてよく知られている。他にも各種の式典や商店の閉店時に古関裕而が編曲した「別れのワルツ」を使用するケースが多いが、多くの人は別れのワルツであるとの認識を持っていない。
図書館・博物館などの公共施設や、商業施設で、閉館・閉店時間直前のBGMとして鳴らす。暗黙に客の退出を促している。また、自衛隊の駐屯地祭や航空祭などでも終了時間に同様の理由でBGMとして流されることが多い。
東京ディズニーランドのカウントダウン・パーティにおいて、カウントダウンセレモニーの一環として3分前から2分から2分半の時間演奏される。
NHKのNHK紅白歌合戦において、優勝チームが決まると「○組 優勝!!」の字幕スーパーが画面いっぱいに出る。また天井から大量の紙吹雪がステージいっぱいに降る(風船、紙テープは入っていない。優勝チームの司会者(つまり、キャプテン)に優勝旗が手渡される。紙吹雪は放送終了(『蛍の光』の場面)「蛍の光」まで降り続く。
プロ野球においてはその年限りで現役を引退する選手の引退セレモニーの際などに演奏される場合がある。
長嶋茂雄(巨人、1974年10月14日後楽園球場での対中日戦)
原辰徳(巨人、1995年10月8日東京ドームでの対広島戦)。「巨人の星」(作曲:渡辺岳夫)に 「オールド・ラング・サイン」をコラージュした演奏曲に編曲されていた。
阪神タイガースの私設応援団では相手投手の降板時に嘲弄の意を込めて演奏され、その直後に「六甲おろし」の大合唱となるのが恒例の応援スタイルである。
鉄道路線の廃線の際、最終列車出発時に演奏される(しかし、近年では鳴らされない場合もあったり、最終列車始発駅ではなく途中駅で演奏されることも多い。例:三木鉄道三木線石野駅)。また、1996年(平成8年)までは阪急梅田駅の終電の合図として使われていた。青函連絡船では、出港の際に放送された。
離島航路においては、異動する教員や公務員が乗船する便が出港するときに流される場合がある。
日本では年始に蛍の光はパチンコ屋で聞くくらいかもしれませんが、スコットランド、イングランドでは年始の曲のようです。なかなか定着しづらい習慣かもしれませんがどうでしょう。個人的には日本のフリーメイスンリーのロッジではあまりなじみがないかと思いますが、特にスコットランド系ロッジでは普遍的なのだと思います。横浜ロッジもスコットランド系ロッジLodge Star in the East No.640と同じ場所ですので関連があるかと思います。
ブラザーロバート・バーンズについてはいずれまとまってから書く事があるかと思います。
今年もよろしくお願いします。
YouTubeの音楽をいじっていたんですが、どうもやはりフリーメイスンリーの新年としてはAuld Lang Syneが好ましいという事でそうなりました。
ウィキペディアの項目をコピペします。
オールド・ラング・サイン Auld Lang Syne はスコットランド語で、英訳すると逐語訳ではold long since、意訳ではtimes gone byとなる。
日本では「久しき昔」などと訳す。
「オールド・ラング・サイン」(もしくは「オールド・ラング・ザイン」、Auld Lang Syne)はスコットランド民謡、非公式な準国歌である。日本では「蛍の光」の原曲として知られる。
古くからスコットランドに伝わっていた歌で、現在に至るまで、特に年始、披露宴、誕生日 などで歌われる。
歌詞を現在伝わる形にしたのは、スコットランドの詩人のロバート・バーンズである。
従来からの歌詞を下敷きにしつつ、事実上彼が一から書き直している。この歌詞は、旧友と再会し、思い出話をしつつ酒を酌み交わすといった内容である。
こうして採譜された「オールド・ラング・サイン」には、ハイドンやベートーヴェン、シューマンといった著名な作曲家たちも伴奏を付けたり編曲したりしている。
1
Should auld acquaintance be forgot,
and never brought to mind ? 旧友は忘れていくものなのだろうか、
Should auld acquaintance be forgot, 古き昔も心から消え果てるものなのだろうか。
and auld lang syne ?
Chorus
For auld lang syne, my dear,
for auld lang syne, 友よ、古き昔のために、
we'll tak a cup o' kindness yet, 親愛のこの一杯を飲み干そうではないか。
for auld lang syne.
2
And surely ye'll be your pint-stoup !
And surely I'll be mine ! 我らは互いに杯を手にし、いままさに、
And we'll tak a cup o' kindness yet, 古き昔のため、親愛のこの一杯を飲まんとしている。
for auld lang syne.
Chorus
3
We twa hae run about the braes,
and pou'd the gowans fine ; 我ら二人は丘を駈け、可憐な雛菊を折ったものだ。
But we've wander'd mony a weary fit, だが古き昔より時は去り、
sin' auld lang syne. 我らはよろめくばかりの距離を隔て彷徨っていた
Chorus
4
We twa hae paidl'd in the burn,
frae morning sun till dine ; 我ら二人は日がら瀬に遊んだものだ。
But seas between us braid hae roar'd だが古き昔より二人を隔てた荒海は広かった。
sin' auld lang syne.
Chorus
5
And there's a hand my trusty fiere ! いまここに、我が親友の手がある。
And gies a hand o' thine ! いまここに、我らは手をとる。
And we'll tak a right gude-willie waught, いま我らは、良き友情の杯を飲み干すのだ。
for auld lang syne. 古き昔のために。
Chorus
日本では、独自性の高い訳詞が付けられ、「蛍の光」として卒業式などで歌われる。
「オールド・ラング・サイン」のメロディーのみの使用例には以下のようなものがある。
大日本帝国海軍では「告別行進曲」もしくは「ロングサイン」という題で海軍兵学校の卒業式典曲として使われた。現在でも日本全国で卒業式の定番唱歌であるなど、別れの曲としてよく知られている。他にも各種の式典や商店の閉店時に古関裕而が編曲した「別れのワルツ」を使用するケースが多いが、多くの人は別れのワルツであるとの認識を持っていない。
図書館・博物館などの公共施設や、商業施設で、閉館・閉店時間直前のBGMとして鳴らす。暗黙に客の退出を促している。また、自衛隊の駐屯地祭や航空祭などでも終了時間に同様の理由でBGMとして流されることが多い。
東京ディズニーランドのカウントダウン・パーティにおいて、カウントダウンセレモニーの一環として3分前から2分から2分半の時間演奏される。
NHKのNHK紅白歌合戦において、優勝チームが決まると「○組 優勝!!」の字幕スーパーが画面いっぱいに出る。また天井から大量の紙吹雪がステージいっぱいに降る(風船、紙テープは入っていない。優勝チームの司会者(つまり、キャプテン)に優勝旗が手渡される。紙吹雪は放送終了(『蛍の光』の場面)「蛍の光」まで降り続く。
プロ野球においてはその年限りで現役を引退する選手の引退セレモニーの際などに演奏される場合がある。
長嶋茂雄(巨人、1974年10月14日後楽園球場での対中日戦)
原辰徳(巨人、1995年10月8日東京ドームでの対広島戦)。「巨人の星」(作曲:渡辺岳夫)に 「オールド・ラング・サイン」をコラージュした演奏曲に編曲されていた。
阪神タイガースの私設応援団では相手投手の降板時に嘲弄の意を込めて演奏され、その直後に「六甲おろし」の大合唱となるのが恒例の応援スタイルである。
鉄道路線の廃線の際、最終列車出発時に演奏される(しかし、近年では鳴らされない場合もあったり、最終列車始発駅ではなく途中駅で演奏されることも多い。例:三木鉄道三木線石野駅)。また、1996年(平成8年)までは阪急梅田駅の終電の合図として使われていた。青函連絡船では、出港の際に放送された。
離島航路においては、異動する教員や公務員が乗船する便が出港するときに流される場合がある。
日本では年始に蛍の光はパチンコ屋で聞くくらいかもしれませんが、スコットランド、イングランドでは年始の曲のようです。なかなか定着しづらい習慣かもしれませんがどうでしょう。個人的には日本のフリーメイスンリーのロッジではあまりなじみがないかと思いますが、特にスコットランド系ロッジでは普遍的なのだと思います。横浜ロッジもスコットランド系ロッジLodge Star in the East No.640と同じ場所ですので関連があるかと思います。
ブラザーロバート・バーンズについてはいずれまとまってから書く事があるかと思います。
今年もよろしくお願いします。
2013年平成25年巳年が始まりました。
とりあえず新年にあたりこのブログの好評企画数字と日付のフリーメイスンリー的法則から要注意日をピックアップしていきましょう。
まずは1月1日は毎年大体重要だと思われます。後は1月3日でしょうね。1月13日ももちろん重要だと思われます。
1月30日、31日もそうでしょうね。1月は大変な日ばかりでしょうか。
後はやはり3月1日や3月3日もそうなるでしょうね。3月10日、3月30日、31日もそうなるかと思います。
まあ突然元号から離れるのもあれなので平成25年という事で2月5日、2月25日、5月2日、5月20日、5月25日なども挙げられるのかもしれません。
基本的に回文数、3、11にまつわる法則を挙げているだけなので、特に意味はありません。
そうしてあらためて挙げると1月1日、1月3日、1月13日、1月30日、1月31日、2月5日、3月1日、3月3日、3月10日、3月30日、3月31日、5月2日、11月3日、11月13日、11月30日、11月31日などですが、まあ数秘術以上の意味はないですね。
13がキリスト教で特別な数字とか言い出すときりがありません。陰謀論は勘弁してください。
しかしまあフリーメイスンリーに休みは関係ないようです。


とりあえず新年にあたりこのブログの好評企画数字と日付のフリーメイスンリー的法則から要注意日をピックアップしていきましょう。
まずは1月1日は毎年大体重要だと思われます。後は1月3日でしょうね。1月13日ももちろん重要だと思われます。
1月30日、31日もそうでしょうね。1月は大変な日ばかりでしょうか。
後はやはり3月1日や3月3日もそうなるでしょうね。3月10日、3月30日、31日もそうなるかと思います。
まあ突然元号から離れるのもあれなので平成25年という事で2月5日、2月25日、5月2日、5月20日、5月25日なども挙げられるのかもしれません。
基本的に回文数、3、11にまつわる法則を挙げているだけなので、特に意味はありません。
そうしてあらためて挙げると1月1日、1月3日、1月13日、1月30日、1月31日、2月5日、3月1日、3月3日、3月10日、3月30日、3月31日、5月2日、11月3日、11月13日、11月30日、11月31日などですが、まあ数秘術以上の意味はないですね。
13がキリスト教で特別な数字とか言い出すときりがありません。陰謀論は勘弁してください。
しかしまあフリーメイスンリーに休みは関係ないようです。


まあ見ればわかると思いますが、まず表題のフォントをTrajanに変更しました。トラヤヌス帝の記念柱から作られたフォントだそうです。トラヤヌス帝の記念柱も113年建造だそうです。そのころからフリーメイスンリーはあったのかもしれないと思えてきますね。
あとはやっとペイントソフトのGimpをwindowsで初めて使ったので、アイコンの透過がうまい事作れるようになったので、カウンターの新しいものを作りました。数字とシンボルの関係は直接はありませんが、もちろんここまでブログを読んできた方はそれぞれのシンボルの意味は理解されていると思います。
それぞれのタイトルの脇にあるアイコンも変更しました。背景をNASAの画像から持ってきた星空だと思いますが、それに変更した関係でアイコンも変更しました。
YouTubeの動画はクリスマスソングから年末のもの、新年最初のもの、Auld Lang Syneのものと変更しましたが、結局元のMasonic Background Musicに変更しています。羊のクレイアートのアニメやクレイジーケンバンドのタイガーアンドドラゴンなどを加えていますが、基本的には以前からあるフリーメイスンリーと関係の濃い動画ばかりです。羊のクレイアートのウォレスとグルミットですが、白黒の特徴的な模様と羊のコミカルなアニメ、イギリスが舞台と言う事もありフリーメイスンリーが関係しているものと思われます。まあいずれも個人的に好きなので加えています。タイガーアンドドラゴンは三笠公園が歌詞に出てくるので横須賀ものとして選びました。いずれ横須賀・横浜を特集した動画シリーズを流そうと思っています。すでに選択しているものがYouTubeのkosuzumekyokuの再生リストに加えてありますので興味のある方は覗いてみてください。
(追記:YouTubeの動画の枠を360*270としています。ほとんどのリンク可能の動画を使用可能となりました。)
あとはやっとペイントソフトのGimpをwindowsで初めて使ったので、アイコンの透過がうまい事作れるようになったので、カウンターの新しいものを作りました。数字とシンボルの関係は直接はありませんが、もちろんここまでブログを読んできた方はそれぞれのシンボルの意味は理解されていると思います。
それぞれのタイトルの脇にあるアイコンも変更しました。背景をNASAの画像から持ってきた星空だと思いますが、それに変更した関係でアイコンも変更しました。
YouTubeの動画はクリスマスソングから年末のもの、新年最初のもの、Auld Lang Syneのものと変更しましたが、結局元のMasonic Background Musicに変更しています。羊のクレイアートのアニメやクレイジーケンバンドのタイガーアンドドラゴンなどを加えていますが、基本的には以前からあるフリーメイスンリーと関係の濃い動画ばかりです。羊のクレイアートのウォレスとグルミットですが、白黒の特徴的な模様と羊のコミカルなアニメ、イギリスが舞台と言う事もありフリーメイスンリーが関係しているものと思われます。まあいずれも個人的に好きなので加えています。タイガーアンドドラゴンは三笠公園が歌詞に出てくるので横須賀ものとして選びました。いずれ横須賀・横浜を特集した動画シリーズを流そうと思っています。すでに選択しているものがYouTubeのkosuzumekyokuの再生リストに加えてありますので興味のある方は覗いてみてください。
(追記:YouTubeの動画の枠を360*270としています。ほとんどのリンク可能の動画を使用可能となりました。)
年を越してのパリ・ロンドン旅行記ですがいかがでしょうか。正月をパリ・ロンドンで過ごした方もいるかもしれません。稀にはブログを読んで現地で確認した方もいるかもしれません。まあお金のかかっている内容なのでそれなりに興味深いかもしれませんがもうすぐ終わりです。
さて日付が変わってフランス、パリ最終日です。前日はホテルのレストランで夕食を取りました。まあロンドンよりは料理が凝っているんでしょうがやはり日本人は日本やアジアで食べるのが良いようです。ダシが無い感じというのを感じました。フォンドヴォ―というのもあるんでしょうが、やはり和食や中華とは基本が異なるようです。
まあ余計な事は言わないようにしてヴェルサイユ宮殿訪問の回です。
ヴェルサイユはパリから鉄道で20分位のところでしょうか。サンラザール駅と言うオペラ座の近くの駅からわずか3駅で到着するのでぜひパリに来た際には訪問されると良いのではないでしょうか。サンマルトルの丘やモンパルナスへ行かれる方も多いのだと思いますが、私はなぜかヴェルサイユに行く事に決めていました。やはりロンドンと一緒で革命の都市であり王権の象徴を確認したかったのだと思います。
オペラ座や泊まったホテルからはサンラザール駅へは歩いて10分ほどでパリ北駅より全然近い場所でした。

朝7時半くらいには出たんでしょうかね。これはギャラリー・ラファイエットのショーウィンドウですね。まあ凝ったディスプレイだと思います。パリらしい感じじゃないでしょうか。モナ・リザなどの肖像画を意識しているのだと思われます。

こちらが非常に面白かったですね。ルイ・ヴィトンのディスプレイなんだと思いますが、コシノジュンコの小さなマネキンがたくさん置いてあります。パリならではと言った感じではないでしょうか。(2014/4/27訂正:コシノジュンコではありませんでしたね。草間彌生という松本出身の方で文化功労賞受賞者の前衛芸術家をモチーフとしたディスプレイでした。ルイ・ヴィトンとコラボレーションをしていたそうで、2014年にも東京新宿に記念館ができるようです。)

これがサン・ラザール駅ですね。非常に豪華な感じの駅で、中は非常に合理的な感じにできています。1837年開業の最も古い駅だそうです。建物はいつの建築かわかりませんが、マネやモネなどの印象派の絵画にも描かれていたりと歴史は古いようです。

出発ホームは窓口で丁寧に教えてくれました。カードでキップを買おうとしましたがうまくいかず窓口で買ったのでしたね。まあロンドンとの対比かもしれませんが、どちらもそれほど難しくはありません。ヴェルサイユ宮殿訪問とのセット割引などはちょっとわかりません。検索すると現在は無いようです。その代わりヴェルサイユ宮殿と離宮の入場のセットなどがあり、これはヴェルサイユ宮殿の方で購入するのだと思われます。乗車券とのセットは無くなったようです。

車内はこんな感じで完全に通勤電車ですがそれほど混雑しているわけでもありません。

これはまあ車窓の風景ですかね。

朝焼けのエッフェル塔ですね。

まあ同じですね。

ちょっと珍しい光景かもしれないので全て載せていきます。

まああんまりブログの主旨と関係ありませんね。

どうでしょう。

路線図はこんな感じです。日本語版ウィキペディアでも詳しく載っていました。日本人の滞在者や観光客が多いのでしょうね。

またゴシックの尖塔があったので撮っています。

あちらのテレビ番組のポスターでしょうかね。司祭の手にAll Seeing Eyeの刺青のようなものがあります。

ヴェルサイユ駅です。地図があります。結局この形が再び忘れかけていたフリーメイスンリーの謎なんですね。大きな十字に3本の放射線で謎も何もないようですが一応謎です。

ヴェルサイユではちょうどバザールをやっていたのですね。もちろんフランス語ではマルシェと言うそうです。

まああまり見ていませんがチーズやハムなども売っていました。大体チーズやハムがおいしいのではないでしょうか。

フランスの花壇は面白いです。小さい花が無造作な感じを演出して丁寧に計算されて植えられている感じです。

良くあるかすみそうをアレンジした花束と言った感じに花壇の花がなっています。そういう流儀があるようです。

こういうのは日本では見た事ありませんね。

ルイ=ラザール・オッシュというブラザーナポレオンの最初の妻であったジョセフィーヌの監獄での愛人であった人だそうで、ブラザースタンダールの「パルムの僧院」などのフランス革命での男女の出会いの逸話になったような話ではないかと思われます。軍人として優秀でヴァンデの王党派の反乱などを鎮圧しますが、ポール・バラスの腐敗ぶりを告発して暗殺されたようです。まあ皆フリーメイスンなんでしょうが、フランス革命にまつわる人間模様は日本の神話の世界のようなおっちょこちょいと奔放で機微に長けたそれでいて明らかにイギリスフリーメイスンリーの手のひらで転がされているなんとも言い難い箱庭の世界のような逸話だらけです。まあフランス王制転覆が最大の目的であった壮大な社会実験であった事は間違いないのでしょうか。

ヴェルサイユ宮殿前の広場ですね。遠くに見えるのがルイ十四世の騎馬像です。

ヴェルサイユ宮殿です。

地図ですね。

こちらも街の地図です。まあこれらを見ると大体分かるわけですが、最初にヴェルサイユ宮殿を建築したルイ十四世とその建築家達は全てフリーメイスンリーの理念でこれら都市と宮殿を建築しているのですね。十字と上下の菱形、そしてその下部に当たる方形の庭園がそれぞれ学習すべき理念を象徴としていて、太陽信仰を中心に置き、その光明が3本の線となって民衆に行きわたるというまさにフランス絶対王政において行き着いた帝王学、イギリスのクイーンズハウスにおいて象徴されていた帝王学とほぼ同じ理念がさらに華麗で壮麗な建築として表現されているのがここヴェルサイユ宮殿と言う事になるのだと思われます。ただ実際にはフランスとイギリスの絶対王政という点ではルイ十四世の時代はヘンリー八世やエリザベス一世の時代より若干下りますし、もちろんイギリスにおいてはその後二度の社会革命を経て流血と内戦により王権とカトリックの抑圧が図られたという事で、そこが結果としてその後の急進的な改革であるフランス革命になったという事でもあるかと思われます。翻って現代の日本は社会的にはまさにフランス革命期の社会情勢のような感じなのでしょうね。誰がポール・バラスで誰がブラザーナポレオンで誰がブラザーロベスピエールで誰がブラザータレーランなのかなど興味深い話です。

ルイ十四世騎馬像とヴェルサイユ宮殿です。天気は上々ですね。どうもこういう王権の象徴と今回の旅行の天気は相性が良いようです。

なかなか壮麗な騎馬像です。

ヴェルサイユ宮殿全景です。

ほぼ対称形に近い形になっています。一部わざと非対称なのでしょうか。

まだ時間も早いのでそれほど人は集まっていません。こちらも入場時間となるとルーヴル美術館の次に人が集まっていた印象でした。

この辺は完全な対称形です。こういう金の使い方は中国の王宮やイスラムの建築から影響を受けているのでしょうかね。ロンドンのものとはこの辺りが違います。

ちょっとわかりませんがヴェルサイユの歩き方みたいなポスターではないでしょうか。VVでデザインとしているのだと思われます。

ここは良く撮っていませんが、神殿なんだと思います。床に星のシンボルがあって、一階には良く見るとAll Seeing Eyeと三角形のヤハウェの神の象徴があります。(2013/3/30追記:All Seeing Eyeはありません。YHWHを意味するヘブライ語のテトラグラマトン(聖なる四文字)יהוהがあります。)ネットで検索すればヴェルサイユ宮殿の写真としてあるかと思われます。確かYouTubeのヴェルサイユ宮殿の紹介動画では解説していました。ルイ十四世の死の数年前にはこの象徴を掲げた礼拝堂が完成していたそうです。

ポイントの床は白黒のタイルになっています。これも微妙ですが、恐らくクイーンズハウスの建築よりも後ですし、床のタイルを革命後に補修するというのもまあありえない事ではないですが、先進のバロック建築のデザイン諸々としてルイ十四世時代からあったのではないかと思われます。つまりまあルイ十四世が王として成人する時代までには宮廷にはフリーメイスンリーの考えを持った建築家や政治家が王の周囲に数多く存在し、彼らがシンボルとして王にこれらの建築を勧めたり、帝王学としての教育を行っていたという事があった証拠なのだと思われます。その代表的人物はかの偉大なルーヴル美術館にもその名を残すリシュリュー卿やマザラン卿なのだと思われます。グーテンベルクの活版印刷聖書の再発見はマザラン卿のコレクションからだそうです。

ヴェルサイユ宮殿の模型です。

ブルボン王朝の家系図ですかね。ルイ十四世はまあ横須賀で言うと小泉又二郎さんみたいなもんでしょうかね。強烈な皮肉ですが。

肖像画が続きます。ルイ十四世の愛妾などだと思います。黒ミサ事件などルイ十四世期のフランスも興味が尽きません。1666年のロンドン大火などと比べるとその文化の違い、ヨーロッパの文化風土が感じられるかもしれません。

ヴェルサイユの建築前の風景でしょうか。ピンボケですね。

この模型は非常によくできています。後々の庭園の解釈の部分で取り上げるかもしれません。

ルイ十四世の銅像のミニチュアとナポレオン三世のヴェルサイユ入場の騎馬像ですね。フランスフリーメイスンリー的解釈で行けばナポレオン三世とルイ十四世の存在は非常に極めて似ているという事を象徴しているのではないかと思われます。

やはり床が白黒のモザイクになっています。

恐らく改修した部分もあるのでしょうが、元々こうであった部分もあったのかもしれません。いずれにしても現在はこのヴェルサイユ宮殿がフランスフリーメイスンリーの象徴である事は確かだと思われます。(どうも床のモザイクは改修はしてはいないようです。王権とフリーメイスンリーがほぼ一致していたまさに啓蒙専制君主の時代を象徴する建築のようです。)

まあフランスではノートルダム大聖堂と並んでこのヴェルサイユ宮殿が白黒のモザイクの床が多いのかもしれません。

どちらも王権と神権の象徴ですね。

恐らくルイ十四世時代の重臣たちの石像が並ぶ通路です。どうもフリーメイスンらしい人物は少ないようです。革命期に相当変わったのか、もしくはルイ十四世時代の絶対王政期には逆に王権以外のフリーメイスンリーの活動は抑圧されたのかもしれません。これは専制啓蒙君主では良くある話のようです。(訂正:やはりここにある石像はほとんどがフリーメイスンのようです。ルイ十四世時代からの改変や増築があるのでしょうが、その辺の整合性は歴史という点できちんと繋がるようです。つまりフランス歴史博物館としてのフランスフリーメイスンリーの歴史博物館と言う意味であるようです。)

アンリ・フランソワ・ダゲッソーの石像です。ブルボン宮の前にもあったかと思いますが、フリーメイスンだと思われます。基本的にはパリもロンドンのウェストミンスター宮殿付近と変わらず石像や銅像がある人物は皆フリーメイスンのようです。

これは誰でしょうねえ。

こんな感じです。なんせ電気のない時代ですからガラスを使って屋内に光を取り込むという事が非常に先進的であったのですね。

これも恐らくフリーメイスンなのでしょうね。誰かはわかりません。

中庭の装飾でしょうか。

フリーメイスンリー博物館でくつろぐ人々でしょうか。

似たような天井画がフランス大東社のグランドロッジにもありましたね。

ルイ・フィリップの時代に歴史博物館として改修されたそうです。ブルボン朝はそうして幕を閉じたのですね。

バッキンガム宮殿とは異なる若干寂れたようなそれでいて永続的な安定感、信頼感を与えるような場所となっています。

絵画もやはりフランス的で優美な線と写実的な面が合わさった、イタリア半島のものとブリテン島の間な感じでしょうか。

騎馬のルイ十五世でしょうか。

まあ華やかですね。バッキンガム宮殿の厳粛な感じとも対称的で面白いです。

これはルイ十四世ですね。太陽王と自称していましたが、太陽王という名称は子供のころに自身が出演したバレエで太陽神の役をやったからであるそうです。まさにフリーメイスンですね。帝王学をそのまま実践した人物であったという事です。

ルイ十六世でしょうか。

ここからが有名な鏡の間ですね。まあイルミネーション全盛の現代ではがっかりする事はこの上ないわけですが、夕陽が差し込む際の夕方にかけてはロウソクの炎だけでは得られない明るい時間が得られたのではないでしょうか。ちょうど舞踏会や夕食会が始まる時間であり、そういう催しものに向けて必須の演出であったのでしょうね。まあ日本では障子紙と戸板の時代ですからね。気候が違うとは言え文化、文明の差異は感じずにはいられません。

鏡の間ですね。手ぶれしています。

朝方なので暗いのですね。訪問するのであれば夕方か午後が良いようです。

窓からの風景です。

透かしたところですね。ワシントンのリフレクティングプールの原型があるようです。
まあ結局このヴェルサイユ宮殿の謎はルイ十四世がフリーメイスンであったという証拠を確認するという作業になるわけですが、まあこのブログを読んできた人は理解できると思うのですね。太陽王ですから。
そしてまあそれを暗に説明しているのがこのヴェルサイユ宮殿の観光施設としての役割なのですが、どうでしょうか。ワシントンD.C.のワシントン記念塔のようにフリーメイスンリーを理解するための施設として良いでしょうか?ルイ十五世なども天然痘で亡くなっていたりと相変わらずフリーメイスンリーにまつわるような逸話には事欠かないこのブルボン王朝最後の3代ですが、後に解説しようと思うエリザベス一世はフリーメイスンであったかどうかというテーマとも重なって、このヴェルサイユ宮殿の項目ではルイ十四世がいかにフリーメイスンであったかというところにポイントを絞って解説していこうと思っています。もちろんエリザベス一世がそうであったという話と同じレベルで、現在のフリーメイスンリーとはまた形式や状況的には異なるが、フリーメイスンリーの理念に基づいた生き方であったかどうかという点に基づいた話となる事はご承知願いたいところです。
欧州の王室とフリーメイスンリーとの関係については以前も触れた湯浅慎一氏の「秘密結社フリーメイソンリー」にこれでもかという位主にやはり大東社系の文書を出典として描かれていましたが、基本的にこのブルボン王朝最後の三代のルイ十四世からルイ十六世までは異なると記していましたが、これはもちろんフリーメイスンリーに対する理解が極めて浅いものから来るものだと思われます。
フリーメイスンリーの始原をテンプル騎士団やソロモン宮殿の建築者、果てはピラミッド建築の石工にまで求めるのはやはりフリーメイスンリーの本質を儀式や書物や記録だけではなく、その残された建造物や様々な社会情勢から総合的に求める姿勢から必然的に至る結論であり、イングランドにおけるフリーメイスンリーの一つの標準点として1717年のグランドロッジ結成を据えるのは多くの人が同意するところな訳ですが、もちろんそれ以前に思索的メイスンリーに至る1666年のロンドン大火などの事象があるわけで、それらにフランスで当たるのが啓蒙専制君主であるとはいえユグノー戦争などの混乱後のフランスを安定に導いたルイ十四世になるのだと思われます。少なくとも明確にシンボルを伴って現在に残された建築として存在するものがこのルイ十四世が残した最大の建築であるヴェルサイユ宮殿とその街並みであるという事なのだと思われ、それが実際明らかなフリーメイスンリーの思想を表現しているものである以上は彼の時代からフランスフリーメイスンリーが始まっていると考えざるを得ないと思われます。彼の70年以上の治世がもちろんその後のフランス革命によるイギリスのヨーロッパ覇権の揺籃であったとする考えもできない事は無いでしょうが、王権を持つものとしてその後のルイ十五世、ルイ十六世の治世を見るまでも無く、必然的にフリーメイスンリーとの接触は避けがたいものであり、本人が積極的にそれを取り込んだか発展させたかは言うまでも無く、その時代の王として生まれた人間としてフリーメイスンリーに必然的に力を注いだ事は否定しがたいかと思われます。
YouTubeの動画などで取り上げた音楽家の一生などとも相まって、そういう時代の欧州、啓蒙思想の波の中で多くの王や音楽家、画家、作家などがフリーメイスンとなっていったのは必然であり、それにまつわる折れた石柱のシンボルで表現される夭折の事実があったのもまた事実なのだと考えられます。それがまた今日の3.11後の日本の現状を考える上での説明になるのかと思われます。
ヴェルサイユ宮殿はその3までやってその後再びルーヴル美術館を巡ってこの旅もおしまいです。
さて日付が変わってフランス、パリ最終日です。前日はホテルのレストランで夕食を取りました。まあロンドンよりは料理が凝っているんでしょうがやはり日本人は日本やアジアで食べるのが良いようです。ダシが無い感じというのを感じました。フォンドヴォ―というのもあるんでしょうが、やはり和食や中華とは基本が異なるようです。
まあ余計な事は言わないようにしてヴェルサイユ宮殿訪問の回です。
ヴェルサイユはパリから鉄道で20分位のところでしょうか。サンラザール駅と言うオペラ座の近くの駅からわずか3駅で到着するのでぜひパリに来た際には訪問されると良いのではないでしょうか。サンマルトルの丘やモンパルナスへ行かれる方も多いのだと思いますが、私はなぜかヴェルサイユに行く事に決めていました。やはりロンドンと一緒で革命の都市であり王権の象徴を確認したかったのだと思います。
オペラ座や泊まったホテルからはサンラザール駅へは歩いて10分ほどでパリ北駅より全然近い場所でした。

朝7時半くらいには出たんでしょうかね。これはギャラリー・ラファイエットのショーウィンドウですね。まあ凝ったディスプレイだと思います。パリらしい感じじゃないでしょうか。モナ・リザなどの肖像画を意識しているのだと思われます。

こちらが非常に面白かったですね。ルイ・ヴィトンのディスプレイなんだと思いますが、コシノジュンコの小さなマネキンがたくさん置いてあります。パリならではと言った感じではないでしょうか。(2014/4/27訂正:コシノジュンコではありませんでしたね。草間彌生という松本出身の方で文化功労賞受賞者の前衛芸術家をモチーフとしたディスプレイでした。ルイ・ヴィトンとコラボレーションをしていたそうで、2014年にも東京新宿に記念館ができるようです。)

これがサン・ラザール駅ですね。非常に豪華な感じの駅で、中は非常に合理的な感じにできています。1837年開業の最も古い駅だそうです。建物はいつの建築かわかりませんが、マネやモネなどの印象派の絵画にも描かれていたりと歴史は古いようです。

出発ホームは窓口で丁寧に教えてくれました。カードでキップを買おうとしましたがうまくいかず窓口で買ったのでしたね。まあロンドンとの対比かもしれませんが、どちらもそれほど難しくはありません。ヴェルサイユ宮殿訪問とのセット割引などはちょっとわかりません。検索すると現在は無いようです。その代わりヴェルサイユ宮殿と離宮の入場のセットなどがあり、これはヴェルサイユ宮殿の方で購入するのだと思われます。乗車券とのセットは無くなったようです。

車内はこんな感じで完全に通勤電車ですがそれほど混雑しているわけでもありません。

これはまあ車窓の風景ですかね。

朝焼けのエッフェル塔ですね。

まあ同じですね。

ちょっと珍しい光景かもしれないので全て載せていきます。

まああんまりブログの主旨と関係ありませんね。

どうでしょう。

路線図はこんな感じです。日本語版ウィキペディアでも詳しく載っていました。日本人の滞在者や観光客が多いのでしょうね。

またゴシックの尖塔があったので撮っています。

あちらのテレビ番組のポスターでしょうかね。司祭の手にAll Seeing Eyeの刺青のようなものがあります。

ヴェルサイユ駅です。地図があります。結局この形が再び忘れかけていたフリーメイスンリーの謎なんですね。大きな十字に3本の放射線で謎も何もないようですが一応謎です。

ヴェルサイユではちょうどバザールをやっていたのですね。もちろんフランス語ではマルシェと言うそうです。

まああまり見ていませんがチーズやハムなども売っていました。大体チーズやハムがおいしいのではないでしょうか。

フランスの花壇は面白いです。小さい花が無造作な感じを演出して丁寧に計算されて植えられている感じです。

良くあるかすみそうをアレンジした花束と言った感じに花壇の花がなっています。そういう流儀があるようです。

こういうのは日本では見た事ありませんね。

ルイ=ラザール・オッシュというブラザーナポレオンの最初の妻であったジョセフィーヌの監獄での愛人であった人だそうで、ブラザースタンダールの「パルムの僧院」などのフランス革命での男女の出会いの逸話になったような話ではないかと思われます。軍人として優秀でヴァンデの王党派の反乱などを鎮圧しますが、ポール・バラスの腐敗ぶりを告発して暗殺されたようです。まあ皆フリーメイスンなんでしょうが、フランス革命にまつわる人間模様は日本の神話の世界のようなおっちょこちょいと奔放で機微に長けたそれでいて明らかにイギリスフリーメイスンリーの手のひらで転がされているなんとも言い難い箱庭の世界のような逸話だらけです。まあフランス王制転覆が最大の目的であった壮大な社会実験であった事は間違いないのでしょうか。

ヴェルサイユ宮殿前の広場ですね。遠くに見えるのがルイ十四世の騎馬像です。

ヴェルサイユ宮殿です。

地図ですね。

こちらも街の地図です。まあこれらを見ると大体分かるわけですが、最初にヴェルサイユ宮殿を建築したルイ十四世とその建築家達は全てフリーメイスンリーの理念でこれら都市と宮殿を建築しているのですね。十字と上下の菱形、そしてその下部に当たる方形の庭園がそれぞれ学習すべき理念を象徴としていて、太陽信仰を中心に置き、その光明が3本の線となって民衆に行きわたるというまさにフランス絶対王政において行き着いた帝王学、イギリスのクイーンズハウスにおいて象徴されていた帝王学とほぼ同じ理念がさらに華麗で壮麗な建築として表現されているのがここヴェルサイユ宮殿と言う事になるのだと思われます。ただ実際にはフランスとイギリスの絶対王政という点ではルイ十四世の時代はヘンリー八世やエリザベス一世の時代より若干下りますし、もちろんイギリスにおいてはその後二度の社会革命を経て流血と内戦により王権とカトリックの抑圧が図られたという事で、そこが結果としてその後の急進的な改革であるフランス革命になったという事でもあるかと思われます。翻って現代の日本は社会的にはまさにフランス革命期の社会情勢のような感じなのでしょうね。誰がポール・バラスで誰がブラザーナポレオンで誰がブラザーロベスピエールで誰がブラザータレーランなのかなど興味深い話です。

ルイ十四世騎馬像とヴェルサイユ宮殿です。天気は上々ですね。どうもこういう王権の象徴と今回の旅行の天気は相性が良いようです。

なかなか壮麗な騎馬像です。

ヴェルサイユ宮殿全景です。

ほぼ対称形に近い形になっています。一部わざと非対称なのでしょうか。

まだ時間も早いのでそれほど人は集まっていません。こちらも入場時間となるとルーヴル美術館の次に人が集まっていた印象でした。

この辺は完全な対称形です。こういう金の使い方は中国の王宮やイスラムの建築から影響を受けているのでしょうかね。ロンドンのものとはこの辺りが違います。

ちょっとわかりませんがヴェルサイユの歩き方みたいなポスターではないでしょうか。VVでデザインとしているのだと思われます。

ここは良く撮っていませんが、神殿なんだと思います。床に星のシンボルがあって、一階には良く見るとAll Seeing Eyeと三角形のヤハウェの神の象徴があります。(2013/3/30追記:All Seeing Eyeはありません。YHWHを意味するヘブライ語のテトラグラマトン(聖なる四文字)יהוהがあります。)ネットで検索すればヴェルサイユ宮殿の写真としてあるかと思われます。確かYouTubeのヴェルサイユ宮殿の紹介動画では解説していました。ルイ十四世の死の数年前にはこの象徴を掲げた礼拝堂が完成していたそうです。

ポイントの床は白黒のタイルになっています。これも微妙ですが、恐らくクイーンズハウスの建築よりも後ですし、床のタイルを革命後に補修するというのもまあありえない事ではないですが、先進のバロック建築のデザイン諸々としてルイ十四世時代からあったのではないかと思われます。つまりまあルイ十四世が王として成人する時代までには宮廷にはフリーメイスンリーの考えを持った建築家や政治家が王の周囲に数多く存在し、彼らがシンボルとして王にこれらの建築を勧めたり、帝王学としての教育を行っていたという事があった証拠なのだと思われます。その代表的人物はかの偉大なルーヴル美術館にもその名を残すリシュリュー卿やマザラン卿なのだと思われます。グーテンベルクの活版印刷聖書の再発見はマザラン卿のコレクションからだそうです。

ヴェルサイユ宮殿の模型です。

ブルボン王朝の家系図ですかね。ルイ十四世はまあ横須賀で言うと小泉又二郎さんみたいなもんでしょうかね。強烈な皮肉ですが。

肖像画が続きます。ルイ十四世の愛妾などだと思います。黒ミサ事件などルイ十四世期のフランスも興味が尽きません。1666年のロンドン大火などと比べるとその文化の違い、ヨーロッパの文化風土が感じられるかもしれません。

ヴェルサイユの建築前の風景でしょうか。ピンボケですね。

この模型は非常によくできています。後々の庭園の解釈の部分で取り上げるかもしれません。

ルイ十四世の銅像のミニチュアとナポレオン三世のヴェルサイユ入場の騎馬像ですね。フランスフリーメイスンリー的解釈で行けばナポレオン三世とルイ十四世の存在は非常に極めて似ているという事を象徴しているのではないかと思われます。

やはり床が白黒のモザイクになっています。

恐らく改修した部分もあるのでしょうが、元々こうであった部分もあったのかもしれません。いずれにしても現在はこのヴェルサイユ宮殿がフランスフリーメイスンリーの象徴である事は確かだと思われます。(どうも床のモザイクは改修はしてはいないようです。王権とフリーメイスンリーがほぼ一致していたまさに啓蒙専制君主の時代を象徴する建築のようです。)

まあフランスではノートルダム大聖堂と並んでこのヴェルサイユ宮殿が白黒のモザイクの床が多いのかもしれません。

どちらも王権と神権の象徴ですね。

恐らくルイ十四世時代の重臣たちの石像が並ぶ通路です。どうもフリーメイスンらしい人物は少ないようです。革命期に相当変わったのか、もしくはルイ十四世時代の絶対王政期には逆に王権以外のフリーメイスンリーの活動は抑圧されたのかもしれません。これは専制啓蒙君主では良くある話のようです。(訂正:やはりここにある石像はほとんどがフリーメイスンのようです。ルイ十四世時代からの改変や増築があるのでしょうが、その辺の整合性は歴史という点できちんと繋がるようです。つまりフランス歴史博物館としてのフランスフリーメイスンリーの歴史博物館と言う意味であるようです。)

アンリ・フランソワ・ダゲッソーの石像です。ブルボン宮の前にもあったかと思いますが、フリーメイスンだと思われます。基本的にはパリもロンドンのウェストミンスター宮殿付近と変わらず石像や銅像がある人物は皆フリーメイスンのようです。

これは誰でしょうねえ。

こんな感じです。なんせ電気のない時代ですからガラスを使って屋内に光を取り込むという事が非常に先進的であったのですね。

これも恐らくフリーメイスンなのでしょうね。誰かはわかりません。

中庭の装飾でしょうか。

フリーメイスンリー博物館でくつろぐ人々でしょうか。

似たような天井画がフランス大東社のグランドロッジにもありましたね。

ルイ・フィリップの時代に歴史博物館として改修されたそうです。ブルボン朝はそうして幕を閉じたのですね。

バッキンガム宮殿とは異なる若干寂れたようなそれでいて永続的な安定感、信頼感を与えるような場所となっています。

絵画もやはりフランス的で優美な線と写実的な面が合わさった、イタリア半島のものとブリテン島の間な感じでしょうか。

騎馬のルイ十五世でしょうか。

まあ華やかですね。バッキンガム宮殿の厳粛な感じとも対称的で面白いです。

これはルイ十四世ですね。太陽王と自称していましたが、太陽王という名称は子供のころに自身が出演したバレエで太陽神の役をやったからであるそうです。まさにフリーメイスンですね。帝王学をそのまま実践した人物であったという事です。

ルイ十六世でしょうか。

ここからが有名な鏡の間ですね。まあイルミネーション全盛の現代ではがっかりする事はこの上ないわけですが、夕陽が差し込む際の夕方にかけてはロウソクの炎だけでは得られない明るい時間が得られたのではないでしょうか。ちょうど舞踏会や夕食会が始まる時間であり、そういう催しものに向けて必須の演出であったのでしょうね。まあ日本では障子紙と戸板の時代ですからね。気候が違うとは言え文化、文明の差異は感じずにはいられません。

鏡の間ですね。手ぶれしています。

朝方なので暗いのですね。訪問するのであれば夕方か午後が良いようです。

窓からの風景です。

透かしたところですね。ワシントンのリフレクティングプールの原型があるようです。
まあ結局このヴェルサイユ宮殿の謎はルイ十四世がフリーメイスンであったという証拠を確認するという作業になるわけですが、まあこのブログを読んできた人は理解できると思うのですね。太陽王ですから。
そしてまあそれを暗に説明しているのがこのヴェルサイユ宮殿の観光施設としての役割なのですが、どうでしょうか。ワシントンD.C.のワシントン記念塔のようにフリーメイスンリーを理解するための施設として良いでしょうか?ルイ十五世なども天然痘で亡くなっていたりと相変わらずフリーメイスンリーにまつわるような逸話には事欠かないこのブルボン王朝最後の3代ですが、後に解説しようと思うエリザベス一世はフリーメイスンであったかどうかというテーマとも重なって、このヴェルサイユ宮殿の項目ではルイ十四世がいかにフリーメイスンであったかというところにポイントを絞って解説していこうと思っています。もちろんエリザベス一世がそうであったという話と同じレベルで、現在のフリーメイスンリーとはまた形式や状況的には異なるが、フリーメイスンリーの理念に基づいた生き方であったかどうかという点に基づいた話となる事はご承知願いたいところです。
欧州の王室とフリーメイスンリーとの関係については以前も触れた湯浅慎一氏の「秘密結社フリーメイソンリー」にこれでもかという位主にやはり大東社系の文書を出典として描かれていましたが、基本的にこのブルボン王朝最後の三代のルイ十四世からルイ十六世までは異なると記していましたが、これはもちろんフリーメイスンリーに対する理解が極めて浅いものから来るものだと思われます。
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フリーメイスンリーの始原をテンプル騎士団やソロモン宮殿の建築者、果てはピラミッド建築の石工にまで求めるのはやはりフリーメイスンリーの本質を儀式や書物や記録だけではなく、その残された建造物や様々な社会情勢から総合的に求める姿勢から必然的に至る結論であり、イングランドにおけるフリーメイスンリーの一つの標準点として1717年のグランドロッジ結成を据えるのは多くの人が同意するところな訳ですが、もちろんそれ以前に思索的メイスンリーに至る1666年のロンドン大火などの事象があるわけで、それらにフランスで当たるのが啓蒙専制君主であるとはいえユグノー戦争などの混乱後のフランスを安定に導いたルイ十四世になるのだと思われます。少なくとも明確にシンボルを伴って現在に残された建築として存在するものがこのルイ十四世が残した最大の建築であるヴェルサイユ宮殿とその街並みであるという事なのだと思われ、それが実際明らかなフリーメイスンリーの思想を表現しているものである以上は彼の時代からフランスフリーメイスンリーが始まっていると考えざるを得ないと思われます。彼の70年以上の治世がもちろんその後のフランス革命によるイギリスのヨーロッパ覇権の揺籃であったとする考えもできない事は無いでしょうが、王権を持つものとしてその後のルイ十五世、ルイ十六世の治世を見るまでも無く、必然的にフリーメイスンリーとの接触は避けがたいものであり、本人が積極的にそれを取り込んだか発展させたかは言うまでも無く、その時代の王として生まれた人間としてフリーメイスンリーに必然的に力を注いだ事は否定しがたいかと思われます。
YouTubeの動画などで取り上げた音楽家の一生などとも相まって、そういう時代の欧州、啓蒙思想の波の中で多くの王や音楽家、画家、作家などがフリーメイスンとなっていったのは必然であり、それにまつわる折れた石柱のシンボルで表現される夭折の事実があったのもまた事実なのだと考えられます。それがまた今日の3.11後の日本の現状を考える上での説明になるのかと思われます。
ヴェルサイユ宮殿はその3までやってその後再びルーヴル美術館を巡ってこの旅もおしまいです。
さて無謀にも新企画を始めてしまいます。
日本の市章シリーズでなんとかシンボリズムについて基本的な理解を深めてもらおうとかなり重点的に行ったわけですが、あれは何と言ってもフリーメイスンリーというよりもロータリークラブやライオンズクラブを基本とした比較的緩やかな自発的と言っても首相経験者の出身地や工業や商業との関わりが示唆されるような、極めて偏ったシンボリズムの実際の話でした。
結局それよりもフリーメイスンリーとしては、世界最大のフリーメイスンリーの国と言えるアメリカで個別にグランドロッジが存在するアメリカ50州の州章(State Seal)は、それを紹介する事でそれぞれ個別のグランドロッジについてインターネットでわかる限り学習して紹介したり、コメントする事でよりフリーメイスンリーとして正しいシンボリズムやその具体的な事例、またアメリカを構成する個別の州のフリーメイスンリーについて具体的に興味を持つきっかけになるのではないかと思われます。
まあアメリカ建国当初にやはりアメリカ全体を統括するグランドロッジの結成が検討されたそうですが、それがやはり建国当初の州の代表らの経緯があって成らなかったそうで、それが結局現在まで続くアメリカの国としてのUnited States of Americaというよく言われる表現や、日本などからは想像しがたい連邦と州と言う政治制度の基本となっているようです。
そういう複雑なアメリカの実情を、ほとんど行った事も無い州ばかりでありながらも主にウィキペディアの情報のみに頼って州章と絡めて紹介していくというのは非常に無謀で危険な行為であるとはわかっていながらも、まあアメリカという国についてフリーメイスンリーと絡めて少しでも机上の空論であっても理解を勧めていくにはシンボリズムを利用するのがもっとも好ましいのではないかという理論で、手っ取り早い受験勉強で覚えるアメリカ50州みたいなもんで、学習を進めていこうかと思います。
しかも州章の順番はABC順でも古い順でもなく、ほぼランダムになるようなアイウエオ順と言う事になります。もちろん行った事も意識して関わった事も無い州についてネットの情報のみから想像して書くような内容になりますので、市章の項目のところと同じように各方面にはご容赦願いたいところであるかと思われます。また以前にも触れた日本の町村章で注目されるものについてもいずれ触れていきたいと思っています。
また英語版のウィキペディアの州章の項目を読んでいると、州旗も出てきますので、こちらもシンボリズムで面白そうなので同時に載せていくこととします。
では最初は表題のとおりアーカンソー州です。
場所はこちらです。

テキサス州はわかると思いますが、その北東ですね。南部に入る州です。やはり日本人に有名なのはクリントン元大統領が州知事をしていたというところでしょうか。クリントン元大統領はデモレー出身だそうです。リトルロックという州都の名前も有名かもしれません。やはりフリーメイスンリーが盛んなようです。
フランス語でインディアンのカンザ族の名前を表現した一つがアーカンソーだそうで、カンザス州と語源は一緒だそうです。アメリカ合衆国がフランスのブラザーナポレオン・ボナパルトから買収したルイジアナ諸州の一つであったそうです。南北戦争では南軍としてアメリカ連合国を形成し、その後はクークラックスクランなどの人種差別活動も盛んであったようです。現在はArkansas Grand Lodgeで検索するとPrince Hall Grand Lodgeが最初に検索されてきますので、黒人ロッジが盛んなようです。人口は290万人だそうで、人口密度でいくと日本全体の10分の1以下、東京都の300分の1といったところでしょうか。横浜市の人口が現在370万人だそうで、アーカンソー州の広さはほぼ日本の3分の1位で全てつながった陸地ですが、高地と低地と様々あるようです。まあ大体ほぼ緑の中に都市があるといった感じでしょうか。Arkansas Grand Lodgeで検索して出てくるフリーメイスンリーのロッジは先ほどのPrince Hall Grand LodgeのサイトとFacebookのGrand Lodgeがあり、その他サイトを持っているロッジが16ほどあって、そのナンバーを見てみるとPrince Hallでないロッジで750はあるようです。ウィキペディアのList of Masonic Grand Lodgeという項目ではいわゆるグランドロッジという名称だけでアーカンソー州に8個のグランドロッジがあるようです。いわゆるGrand Lodge of Arkansasで17699人のメンバーがいるとあり、ブラザーアルバート・パイクの出身地であるようで非常にフリーメイスンリーは盛んなようです。(訂正1/9:ブラザーアルバート・パイクの出生地はマサチューセッツ州ボストンだそうです。アーカンソー州で教師をしていて、スコティッシュライトに加入したそうです。)単純に計算して150人に一人はフリーメイスンのようです。
州都リトルロックの主要な建築としては州議会と橋とユニオンステーションとセントラル高校があるようで、写真を見る限りこの高校の建築は非常に立派なようです。人種差別撤廃運動でも先進的な活動があるようです。




ホットスプリング国立公園があるようですが、どうもこれは検索してきたブログによると日本の盛んな温泉街とはだいぶ趣が異なるようです。ウォルマートの本社があるそうで、その雇用が多いようです。ブラザーマッカーサーもアーカンソー州の出身のようです。その他有名人では元シカゴブルズのスコッティ・ピッペンも出身のようです。フリーメイスンかどうかはわかりません。
さてではまあウィキペディアのコピペを並べた州の紹介はさておき、州章と州旗のシンボリズムの解説に移りましょう。

まずは州章についてです。英語版ウィキペディアの解説を訳していきます。左の翼をもった天使がAngel of Mercy慈悲の天使とされ、いわゆる大天使ミカエルだそうです。青いたすきにMERCY慈悲と書いてあります。キリスト教、ユダヤ教、イスラム教などアブラハムの宗教を意味するものと思われます。右が正義の剣です。剣もフリーメイスンリーのシンボルです。正義を執行する権力を意味するものと思われます。後ろに自由の女神があって右手にオリーブの冠、左手に槍にフリジア帽が載っていて、周りの13個の星で独立13州を意味するようです。光明Gloryも入れてあるものと思われます。中央にアメリカ合衆国の象徴であるハクトウワシが大天使に繋がる青いたすきをくわえていて、モットーとしてラテン語でRegnat Populus、The People Rule人民の支配と書かれています。ハクトウワシはそもそもアメリカインディアンの神としてのシンボルであったようです。もちろん青いたすきもフリーメイスンリーを象徴しているものと思われます。たすきの形も何らかの意味がありそうです。鷲が両足につかむ右足のオリーブは平和を、左足の三本の矢は下記の州旗の三つの星の説明とも被りますが、恐らく3を強調したかったところに行き着くのだと思われます。力の結束を示すのだと思われます。手前の盾は三段に分かれていて、一番上部に海運を意味する外輪船、二段目に農業を意味する鋤と工業を意味する蜂の巣、三段目にこれもやはり農業の富を意味する小麦の束が立っています。これもその他の州旗でも何度も出てくるシンボルですが、船はやはりノアの箱舟の象徴としてのシンボルであり、蜂の巣ももちろんフリーメイスンリーのシンボルであり、立った小麦の束もヨセフの夢で出てくるユダヤ教を象徴するシンボルでもあります。鋤は州章で良く認められるシンボルですが、フリーメイスンリーでは特に指定はされておらず、シンボリズムで農業を象徴するシンボルであり、農業を中心としたアメリカの数多くある友愛団体をも示しているのかもしれません。いずれにしても農業が盛んな州を示しているものかと思われます。細かいところでは自由の女神の両手の形、左足が隠れている事の意味、大天使の両手の形、光明の線の本数、ハクトウワシの左右の足の形の違いなどそれぞれ意味が込められているものかと想像されます。まあ前述の通り相当フリーメイスンリーが盛んな土地であり、相当意味が込められたシンボリズムなのだと考えられます。ロストシンボルにもあった二重の輪で始まるデザインもそういう意味なのだと思われます。ハクトウワシを取り囲む三つのシンボルの配置もそれぞれ意味をなしていてなかなか興味深いです。

州旗はそもそもデザインが南北戦争時の南部のアメリカ連合国の有名な二つ目の国旗である赤地に青い聖アンドリューの斜め十字に13個の白抜きの五芒星のデザインによく似て、そのひし形で中央に白字にARKANSASの青字で下に三ツ星で上に一つ星の形で繋ぐと十字になるのだと思いますがそういう形となっています。解説を読むとそもそも三ツ星であったのがそれぞれ歴史的に所属したスペイン、フランス、アメリカや、1803年にルイジアナ諸州の三つ目の州として購入されたなど3にまつわる解説が載っています。最後の一つ星が南部のアメリカ連合国を意味するなどだそうで、最終的に南十字星を意識した十字になるのだと思われます。周囲の25個の星は25番目にアメリカ合衆国に加わった事を意味するようです。いずれにしても外枠の菱形から始まって五芒星自体もフリーメイスンリーのシンボリズムという事になるのだと思われます。しかし南軍の二番目の旗はスコットランドの聖アンドリューの十字の裏地のデザインだったのですね。そのあたりとスコティッシュライトと深く関係するようです。
しかしまあアメリカは広いです。
日本の市章シリーズでなんとかシンボリズムについて基本的な理解を深めてもらおうとかなり重点的に行ったわけですが、あれは何と言ってもフリーメイスンリーというよりもロータリークラブやライオンズクラブを基本とした比較的緩やかな自発的と言っても首相経験者の出身地や工業や商業との関わりが示唆されるような、極めて偏ったシンボリズムの実際の話でした。
結局それよりもフリーメイスンリーとしては、世界最大のフリーメイスンリーの国と言えるアメリカで個別にグランドロッジが存在するアメリカ50州の州章(State Seal)は、それを紹介する事でそれぞれ個別のグランドロッジについてインターネットでわかる限り学習して紹介したり、コメントする事でよりフリーメイスンリーとして正しいシンボリズムやその具体的な事例、またアメリカを構成する個別の州のフリーメイスンリーについて具体的に興味を持つきっかけになるのではないかと思われます。
まあアメリカ建国当初にやはりアメリカ全体を統括するグランドロッジの結成が検討されたそうですが、それがやはり建国当初の州の代表らの経緯があって成らなかったそうで、それが結局現在まで続くアメリカの国としてのUnited States of Americaというよく言われる表現や、日本などからは想像しがたい連邦と州と言う政治制度の基本となっているようです。
そういう複雑なアメリカの実情を、ほとんど行った事も無い州ばかりでありながらも主にウィキペディアの情報のみに頼って州章と絡めて紹介していくというのは非常に無謀で危険な行為であるとはわかっていながらも、まあアメリカという国についてフリーメイスンリーと絡めて少しでも机上の空論であっても理解を勧めていくにはシンボリズムを利用するのがもっとも好ましいのではないかという理論で、手っ取り早い受験勉強で覚えるアメリカ50州みたいなもんで、学習を進めていこうかと思います。
しかも州章の順番はABC順でも古い順でもなく、ほぼランダムになるようなアイウエオ順と言う事になります。もちろん行った事も意識して関わった事も無い州についてネットの情報のみから想像して書くような内容になりますので、市章の項目のところと同じように各方面にはご容赦願いたいところであるかと思われます。また以前にも触れた日本の町村章で注目されるものについてもいずれ触れていきたいと思っています。
また英語版のウィキペディアの州章の項目を読んでいると、州旗も出てきますので、こちらもシンボリズムで面白そうなので同時に載せていくこととします。
では最初は表題のとおりアーカンソー州です。
場所はこちらです。

テキサス州はわかると思いますが、その北東ですね。南部に入る州です。やはり日本人に有名なのはクリントン元大統領が州知事をしていたというところでしょうか。クリントン元大統領はデモレー出身だそうです。リトルロックという州都の名前も有名かもしれません。やはりフリーメイスンリーが盛んなようです。
フランス語でインディアンのカンザ族の名前を表現した一つがアーカンソーだそうで、カンザス州と語源は一緒だそうです。アメリカ合衆国がフランスのブラザーナポレオン・ボナパルトから買収したルイジアナ諸州の一つであったそうです。南北戦争では南軍としてアメリカ連合国を形成し、その後はクークラックスクランなどの人種差別活動も盛んであったようです。現在はArkansas Grand Lodgeで検索するとPrince Hall Grand Lodgeが最初に検索されてきますので、黒人ロッジが盛んなようです。人口は290万人だそうで、人口密度でいくと日本全体の10分の1以下、東京都の300分の1といったところでしょうか。横浜市の人口が現在370万人だそうで、アーカンソー州の広さはほぼ日本の3分の1位で全てつながった陸地ですが、高地と低地と様々あるようです。まあ大体ほぼ緑の中に都市があるといった感じでしょうか。Arkansas Grand Lodgeで検索して出てくるフリーメイスンリーのロッジは先ほどのPrince Hall Grand LodgeのサイトとFacebookのGrand Lodgeがあり、その他サイトを持っているロッジが16ほどあって、そのナンバーを見てみるとPrince Hallでないロッジで750はあるようです。ウィキペディアのList of Masonic Grand Lodgeという項目ではいわゆるグランドロッジという名称だけでアーカンソー州に8個のグランドロッジがあるようです。いわゆるGrand Lodge of Arkansasで17699人のメンバーがいるとあり、ブラザーアルバート・パイクの出身地であるようで非常にフリーメイスンリーは盛んなようです。(訂正1/9:ブラザーアルバート・パイクの出生地はマサチューセッツ州ボストンだそうです。アーカンソー州で教師をしていて、スコティッシュライトに加入したそうです。)単純に計算して150人に一人はフリーメイスンのようです。
州都リトルロックの主要な建築としては州議会と橋とユニオンステーションとセントラル高校があるようで、写真を見る限りこの高校の建築は非常に立派なようです。人種差別撤廃運動でも先進的な活動があるようです。




ホットスプリング国立公園があるようですが、どうもこれは検索してきたブログによると日本の盛んな温泉街とはだいぶ趣が異なるようです。ウォルマートの本社があるそうで、その雇用が多いようです。ブラザーマッカーサーもアーカンソー州の出身のようです。その他有名人では元シカゴブルズのスコッティ・ピッペンも出身のようです。フリーメイスンかどうかはわかりません。
さてではまあウィキペディアのコピペを並べた州の紹介はさておき、州章と州旗のシンボリズムの解説に移りましょう。

まずは州章についてです。英語版ウィキペディアの解説を訳していきます。左の翼をもった天使がAngel of Mercy慈悲の天使とされ、いわゆる大天使ミカエルだそうです。青いたすきにMERCY慈悲と書いてあります。キリスト教、ユダヤ教、イスラム教などアブラハムの宗教を意味するものと思われます。右が正義の剣です。剣もフリーメイスンリーのシンボルです。正義を執行する権力を意味するものと思われます。後ろに自由の女神があって右手にオリーブの冠、左手に槍にフリジア帽が載っていて、周りの13個の星で独立13州を意味するようです。光明Gloryも入れてあるものと思われます。中央にアメリカ合衆国の象徴であるハクトウワシが大天使に繋がる青いたすきをくわえていて、モットーとしてラテン語でRegnat Populus、The People Rule人民の支配と書かれています。ハクトウワシはそもそもアメリカインディアンの神としてのシンボルであったようです。もちろん青いたすきもフリーメイスンリーを象徴しているものと思われます。たすきの形も何らかの意味がありそうです。鷲が両足につかむ右足のオリーブは平和を、左足の三本の矢は下記の州旗の三つの星の説明とも被りますが、恐らく3を強調したかったところに行き着くのだと思われます。力の結束を示すのだと思われます。手前の盾は三段に分かれていて、一番上部に海運を意味する外輪船、二段目に農業を意味する鋤と工業を意味する蜂の巣、三段目にこれもやはり農業の富を意味する小麦の束が立っています。これもその他の州旗でも何度も出てくるシンボルですが、船はやはりノアの箱舟の象徴としてのシンボルであり、蜂の巣ももちろんフリーメイスンリーのシンボルであり、立った小麦の束もヨセフの夢で出てくるユダヤ教を象徴するシンボルでもあります。鋤は州章で良く認められるシンボルですが、フリーメイスンリーでは特に指定はされておらず、シンボリズムで農業を象徴するシンボルであり、農業を中心としたアメリカの数多くある友愛団体をも示しているのかもしれません。いずれにしても農業が盛んな州を示しているものかと思われます。細かいところでは自由の女神の両手の形、左足が隠れている事の意味、大天使の両手の形、光明の線の本数、ハクトウワシの左右の足の形の違いなどそれぞれ意味が込められているものかと想像されます。まあ前述の通り相当フリーメイスンリーが盛んな土地であり、相当意味が込められたシンボリズムなのだと考えられます。ロストシンボルにもあった二重の輪で始まるデザインもそういう意味なのだと思われます。ハクトウワシを取り囲む三つのシンボルの配置もそれぞれ意味をなしていてなかなか興味深いです。

州旗はそもそもデザインが南北戦争時の南部のアメリカ連合国の有名な二つ目の国旗である赤地に青い聖アンドリューの斜め十字に13個の白抜きの五芒星のデザインによく似て、そのひし形で中央に白字にARKANSASの青字で下に三ツ星で上に一つ星の形で繋ぐと十字になるのだと思いますがそういう形となっています。解説を読むとそもそも三ツ星であったのがそれぞれ歴史的に所属したスペイン、フランス、アメリカや、1803年にルイジアナ諸州の三つ目の州として購入されたなど3にまつわる解説が載っています。最後の一つ星が南部のアメリカ連合国を意味するなどだそうで、最終的に南十字星を意識した十字になるのだと思われます。周囲の25個の星は25番目にアメリカ合衆国に加わった事を意味するようです。いずれにしても外枠の菱形から始まって五芒星自体もフリーメイスンリーのシンボリズムという事になるのだと思われます。しかし南軍の二番目の旗はスコットランドの聖アンドリューの十字の裏地のデザインだったのですね。そのあたりとスコティッシュライトと深く関係するようです。
しかしまあアメリカは広いです。
だいぶフリーメイスンリーから離れた横須賀ローカルの話題ですが、現在は引退されて俳優の三浦友和さんの妻として主婦をしていらっしゃる山口百恵さんですが、横須賀汐入、不入斗の出身であるそうです。ご本人について知らない世代の方は是非調べたりして知ってみてください。
ちょっとYouTubeの動画もなかなかブログ閲覧数の増加に反映されませんので思い切って横須賀・横浜関連という事で再びフリーメイスンリーから離れたものとしてみて、そのうちにいくつかを山口百恵さんの往年のヒット曲やPVとしています。まあほぼ横須賀・横浜紹介サイトとなってしまいますが色々やってみるのは良いのかと思われます。
さて余計なお世話ですが、山口百恵さんのフリーメイスンリーのシンボリズムは何でしょうか。
もちろんそれは旦那さんの名前になるのだと思われます。
どんなもんでしょうか。
ちょっとYouTubeの動画もなかなかブログ閲覧数の増加に反映されませんので思い切って横須賀・横浜関連という事で再びフリーメイスンリーから離れたものとしてみて、そのうちにいくつかを山口百恵さんの往年のヒット曲やPVとしています。まあほぼ横須賀・横浜紹介サイトとなってしまいますが色々やってみるのは良いのかと思われます。
さて余計なお世話ですが、山口百恵さんのフリーメイスンリーのシンボリズムは何でしょうか。
もちろんそれは旦那さんの名前になるのだと思われます。
どんなもんでしょうか。
YouTubeの動画をヨハン・シュトラウス一世、二世、ヨーゼフ・シュトラウスのものとしました。
非常に耳になじんだワルツばかりだと思いますが、末弟のエドゥアルト・シュトラウスも含めてフリーメイスンの一家であったようです。
今年のニューイヤーコンサートでもやはりヨーゼフ・シュトラウスのものを中心として構成し、ヨハン・シュトラウス一世、二世のそれぞれラデツキー行進曲、美しき青きドナウで締めるという一つの形のようなものがありました。
それぞれ生誕200周年という事でヴェルディとワーグナーという二人のオペラの大作曲家の曲が初めて演奏されました。ワーグナーについては以前にも触れましたが、ブラザーリストの娘と結婚しながらも正式なフリーメイスンとは認められなかったようですが、ヴェルディについてもアイーダやその他のオペラの作品群を見ても明らかにフリーメイスンと関係がある事は間違いないようです。イタリア統一運動やドイツ統一運動など時代と作品群の共通性があるようです。
さてまあクラシック音楽の有名な作曲家のほとんどがフリーメイスンリーと関係している、有名であればある程フリーメイスンであるという事はもう十分納得されていると思うのですが、シュトラウス一家については英語でネット検索してもドイツ語などで試みても明らかに認めるようなものが一切出てきません。またこれまで挙げた「フリーメイソンと大音楽家たち」やその他の巻末のフリーメイスンの名前を羅列する中にもシュトラウス一家の名前は出ていませんでした。唯一ブラザーなかにし礼の「三拍子の魔力」で小沢征爾さんが指揮したウィーンでのニューイヤーコンサートの様子が描かれていましたが、シュトラウス一家がフリーメイスンであるかどうかには触れていませんでした。シュトラウス一家はユダヤ系で、父親の一世のミドルネームがBaptist洗礼者というそうで、長男が同名のヨハン、もちろん洗礼者ヨハネ・福音記者ヨハネと同名であり、次男がヨーゼフ、ヨセフ物語のヨセフであるという事もフリーメイスンの典型的な名前であると考えられますが以前も触れたとおり、特にヨハン・シュトラウス一世の墓が彼の一家がフリーメイスンであった事を象徴しているかと思われます。彼ら一家の墓地は全てウィーン中央墓地に集められているようです。

まあみると明らかにウェストミンスター寺院でもあんまりないほどの正三角形のお墓でフリーメイスンだと思うわけですが、まあベートーヴェンやブラザーモーツァルトと同じ墓所であり、ベートーヴェンのオベリスクの墓と同じく明らかに最近新しく設置されたという事もわかるわけで、生前に積極的にフリーメイスンとして活動したわけではなさそうな事がうすうすわかります。恐らくオーストリアの当時の情勢から言ってもユダヤ人であるという事はあまり積極的にアピールする事は無かったのではないかと思われます。ただまあその業績、血筋や認められる考え方などからフリーメイスンとして認められるのに異論はないのだと思われます。
同じところに並んでいる子供たちの墓を見てみます。


最も有名なヨハン・シュトラウス二世の墓はほぼオベリスク状となっていますが、ラフアシュラーを模したような装飾が様々に加えられ、印象的な女性の像が正面を彩っています。彼のもっとも有名なオペレッタ「こうもり」や「ウィーンのカリオストロ」の内容を見ても、明らかに彼がフリーメイスンリーの繋がりを題材としていて、その関係で様々な作品のアイディアを啓発されていた事が想像されるのですが、シュトラウス一家の特に父と長男の二人のヨハン・シュトラウスは女性関係が激しかったようで、父親は愛人と蒸発したり、長男は3度の結婚をしたりとしています。まあそれが人間的な評価を下げるほどにはならないほど彼らの作品群が素晴らしかったという事であるのだと思われます。ブラザーモーツァルトと共通する明るく華やかで万人受けするまさに新年にふさわしい楽曲をこれだけ後世に残した一家の存在はまさにフリーメイスンとして公式には秘匿されうるウィーンの至宝であるのだと思われます。

次男のヨーゼフ・シュトラウスと母親の墓であるそうです。もともと建築家で途中から作曲家となったようです。オベリスク状の墓に頂点に十字を設置したバチカンのオベリスクに似ているカトリックを象徴する形であると思われます。恐らく前面の考え込んでいる女性の形は愛人と蒸発してしまった父親について悩む母親を象徴しているのかもしれません。

実質三男のエドゥアルト・シュトラウスの墓ですが、これもやはりかなり鋭角の三角形の頂点に十字を伴った形となっています。左右の二本の柱がヤキンとボアズの柱を象徴しているものと思われます。
さてこの他にもヨハン・シュトラウスにはニューイヤーコンサートでも必ず出てくる象徴的な像があります。

ウィーン市立公園にあるそうです。ライブカメラなんかもあるそうです。彼の華やかな交流関係を示すように裸の女性の像が周辺を囲んでいますが、ウィーンなどドイツ・オーストリア系のフリーメイスンリーについて少し知っているとすぐわかる謎がこの像には示されています。まあ階段が3段あるところも象徴である事はそうかと思われます。
わかるでしょうか?
なかなかわかりづらいかと思います。上部の男性と女性がキスをして腕をかけている部分がGの象徴がないヨーロッパ大陸のフリーメイスンリーFreimaurereiの象徴であるコンパスと直角定規のシンボルの形を示しているのですね。
芸術の都ウィーンを象徴するフリーメイスンリーのシンボルでした。
(追記:YouTubeでブラザーヨハン・シュトラウス二世の作曲した曲を網羅したアップロードがありました。リンクを置いておきます。ブラザーヨーゼフ・シュトラウス、ブラザーエドゥアルト・シュトラウスのものが多数あるアップロードもリンクを置きます。ブラザーヨハン・シュトラウス一世のものを含むものもリンクを置きます。)
(追記:実は横浜桜木町のみなとみらいホールでヨハン・シュトラウス管弦楽団のニューイヤーコンサートを聴いてきて書いたのでした。なかなか立派なホールで今後もロンドン交響楽団など充実した公演が予定されていました。ヨハン・シュトラウス管弦楽団の指揮者もやはりフリーメイスンのようでした。みなとみらい地区の開発もドコモの鉄塔やAOKIの結婚式場や三菱地所のマンションなど様々なシンボリックな建物が現在進行中ですが、その中心にあるのが横浜美術館とランドマークタワー、パシフィコ横浜、日本丸、ドック、観覧車とこのみなとみらいホールになるのだと思われます。周辺に逆ピラミッドの照明やインターコンチネンタルホテルのキリスト教のシンボルなど様々なシンボルがある地域です。今後どうなるかまだまだわかりませんが、私個人としては是非フィラデルフィアやニューヨークのグランドロッジのような、ロンドンのエジプシャンホールのような世界に誇れるゴシック建築のバンケットホールがこのみなとみらい地区にMasonic Hallとして建築されればと希望します。日本大通りや港の見える丘公園の側にも様々な歴史を伴った場所や建築があり、今後機会があれば色々勉強していこうと思っています。後は東京湾臨海地区共通の問題ですが、東京オリンピック誘致などとも関連してやはり大気汚染がロンドンやパリ、ワシントンD.C.やニューヨークなどとも比較して顕著すぎると思います。東京湾の海洋汚染ともあわせてぜひ急速な改善をお願いしたいところです。)(追記:ランドマークタワーを建設した三菱地所のテレビCMもセントポール大聖堂を映していて、なかなか奇跡シリーズで取り上げた近代フリーメイスンリーの発祥の地であり感慨深いものがあります。)
非常に耳になじんだワルツばかりだと思いますが、末弟のエドゥアルト・シュトラウスも含めてフリーメイスンの一家であったようです。
今年のニューイヤーコンサートでもやはりヨーゼフ・シュトラウスのものを中心として構成し、ヨハン・シュトラウス一世、二世のそれぞれラデツキー行進曲、美しき青きドナウで締めるという一つの形のようなものがありました。
それぞれ生誕200周年という事でヴェルディとワーグナーという二人のオペラの大作曲家の曲が初めて演奏されました。ワーグナーについては以前にも触れましたが、ブラザーリストの娘と結婚しながらも正式なフリーメイスンとは認められなかったようですが、ヴェルディについてもアイーダやその他のオペラの作品群を見ても明らかにフリーメイスンと関係がある事は間違いないようです。イタリア統一運動やドイツ統一運動など時代と作品群の共通性があるようです。
さてまあクラシック音楽の有名な作曲家のほとんどがフリーメイスンリーと関係している、有名であればある程フリーメイスンであるという事はもう十分納得されていると思うのですが、シュトラウス一家については英語でネット検索してもドイツ語などで試みても明らかに認めるようなものが一切出てきません。またこれまで挙げた「フリーメイソンと大音楽家たち」やその他の巻末のフリーメイスンの名前を羅列する中にもシュトラウス一家の名前は出ていませんでした。唯一ブラザーなかにし礼の「三拍子の魔力」で小沢征爾さんが指揮したウィーンでのニューイヤーコンサートの様子が描かれていましたが、シュトラウス一家がフリーメイスンであるかどうかには触れていませんでした。シュトラウス一家はユダヤ系で、父親の一世のミドルネームがBaptist洗礼者というそうで、長男が同名のヨハン、もちろん洗礼者ヨハネ・福音記者ヨハネと同名であり、次男がヨーゼフ、ヨセフ物語のヨセフであるという事もフリーメイスンの典型的な名前であると考えられますが以前も触れたとおり、特にヨハン・シュトラウス一世の墓が彼の一家がフリーメイスンであった事を象徴しているかと思われます。彼ら一家の墓地は全てウィーン中央墓地に集められているようです。

まあみると明らかにウェストミンスター寺院でもあんまりないほどの正三角形のお墓でフリーメイスンだと思うわけですが、まあベートーヴェンやブラザーモーツァルトと同じ墓所であり、ベートーヴェンのオベリスクの墓と同じく明らかに最近新しく設置されたという事もわかるわけで、生前に積極的にフリーメイスンとして活動したわけではなさそうな事がうすうすわかります。恐らくオーストリアの当時の情勢から言ってもユダヤ人であるという事はあまり積極的にアピールする事は無かったのではないかと思われます。ただまあその業績、血筋や認められる考え方などからフリーメイスンとして認められるのに異論はないのだと思われます。
同じところに並んでいる子供たちの墓を見てみます。


最も有名なヨハン・シュトラウス二世の墓はほぼオベリスク状となっていますが、ラフアシュラーを模したような装飾が様々に加えられ、印象的な女性の像が正面を彩っています。彼のもっとも有名なオペレッタ「こうもり」や「ウィーンのカリオストロ」の内容を見ても、明らかに彼がフリーメイスンリーの繋がりを題材としていて、その関係で様々な作品のアイディアを啓発されていた事が想像されるのですが、シュトラウス一家の特に父と長男の二人のヨハン・シュトラウスは女性関係が激しかったようで、父親は愛人と蒸発したり、長男は3度の結婚をしたりとしています。まあそれが人間的な評価を下げるほどにはならないほど彼らの作品群が素晴らしかったという事であるのだと思われます。ブラザーモーツァルトと共通する明るく華やかで万人受けするまさに新年にふさわしい楽曲をこれだけ後世に残した一家の存在はまさにフリーメイスンとして公式には秘匿されうるウィーンの至宝であるのだと思われます。

次男のヨーゼフ・シュトラウスと母親の墓であるそうです。もともと建築家で途中から作曲家となったようです。オベリスク状の墓に頂点に十字を設置したバチカンのオベリスクに似ているカトリックを象徴する形であると思われます。恐らく前面の考え込んでいる女性の形は愛人と蒸発してしまった父親について悩む母親を象徴しているのかもしれません。

実質三男のエドゥアルト・シュトラウスの墓ですが、これもやはりかなり鋭角の三角形の頂点に十字を伴った形となっています。左右の二本の柱がヤキンとボアズの柱を象徴しているものと思われます。
さてこの他にもヨハン・シュトラウスにはニューイヤーコンサートでも必ず出てくる象徴的な像があります。

ウィーン市立公園にあるそうです。ライブカメラなんかもあるそうです。彼の華やかな交流関係を示すように裸の女性の像が周辺を囲んでいますが、ウィーンなどドイツ・オーストリア系のフリーメイスンリーについて少し知っているとすぐわかる謎がこの像には示されています。まあ階段が3段あるところも象徴である事はそうかと思われます。
わかるでしょうか?
なかなかわかりづらいかと思います。上部の男性と女性がキスをして腕をかけている部分がGの象徴がないヨーロッパ大陸のフリーメイスンリーFreimaurereiの象徴であるコンパスと直角定規のシンボルの形を示しているのですね。
芸術の都ウィーンを象徴するフリーメイスンリーのシンボルでした。
(追記:YouTubeでブラザーヨハン・シュトラウス二世の作曲した曲を網羅したアップロードがありました。リンクを置いておきます。ブラザーヨーゼフ・シュトラウス、ブラザーエドゥアルト・シュトラウスのものが多数あるアップロードもリンクを置きます。ブラザーヨハン・シュトラウス一世のものを含むものもリンクを置きます。)
(追記:実は横浜桜木町のみなとみらいホールでヨハン・シュトラウス管弦楽団のニューイヤーコンサートを聴いてきて書いたのでした。なかなか立派なホールで今後もロンドン交響楽団など充実した公演が予定されていました。ヨハン・シュトラウス管弦楽団の指揮者もやはりフリーメイスンのようでした。みなとみらい地区の開発もドコモの鉄塔やAOKIの結婚式場や三菱地所のマンションなど様々なシンボリックな建物が現在進行中ですが、その中心にあるのが横浜美術館とランドマークタワー、パシフィコ横浜、日本丸、ドック、観覧車とこのみなとみらいホールになるのだと思われます。周辺に逆ピラミッドの照明やインターコンチネンタルホテルのキリスト教のシンボルなど様々なシンボルがある地域です。今後どうなるかまだまだわかりませんが、私個人としては是非フィラデルフィアやニューヨークのグランドロッジのような、ロンドンのエジプシャンホールのような世界に誇れるゴシック建築のバンケットホールがこのみなとみらい地区にMasonic Hallとして建築されればと希望します。日本大通りや港の見える丘公園の側にも様々な歴史を伴った場所や建築があり、今後機会があれば色々勉強していこうと思っています。後は東京湾臨海地区共通の問題ですが、東京オリンピック誘致などとも関連してやはり大気汚染がロンドンやパリ、ワシントンD.C.やニューヨークなどとも比較して顕著すぎると思います。東京湾の海洋汚染ともあわせてぜひ急速な改善をお願いしたいところです。)(追記:ランドマークタワーを建設した三菱地所のテレビCMもセントポール大聖堂を映していて、なかなか奇跡シリーズで取り上げた近代フリーメイスンリーの発祥の地であり感慨深いものがあります。)
横須賀にはフリーメイスンリーのシンボルが多いのですが今回のシンボルはかなり力を入れたものかと思います。
白黒のチェッカーのシンボルは横須賀でも汐入の歩道橋の床位にしか認めない比較的貴重なものです。
まあどぶ板の飲み屋でも数軒で認めるのでベース主体で考えるとそれほど貴重ではないかもしれませんが、日本人が関係するところでは比較的少ないと思われます。
ロンドン・パリでも国立美術館や博物館、キリスト教の大教会などでしか認めない比較的貴重ないわゆるフリーメイスンリーを象徴するものなのだと思われます。いわゆるフリーメイスンリーのロッジで最も普通に認めるシンボルな訳です。
日本では品川駅や渋谷駅、国会議事堂や恵比寿ガーデンプレイスなどで認めると説明してきました。まああんまり数を挙げると貴重で無いとなってしまいますが、公共の場所で認めるとなかなか象徴的なシンボルです。

まあ横須賀最大の某病院、旧海軍系のかつてはベースの敷地内にあった病院な訳ですが、その一階待合がこのシンボルで彩られています。
横須賀の場合はこういう代表的な施設の長はほとんどライオンズクラブかロータリークラブの会員なので、恐らく代々の院長がどちらかの会員なのだと思われます。まあ病院の待合がこの模様の病院も全国的にも珍しいのだと思いますがどうでしょう。
しかし動画を横須賀関連のものから変更するとアクセス数が減るのはちょっと問題ですね。ぜひ横須賀だけにこだわらないでフリーメイスンリー全体に目を向けて欲しいものです。シンボルの意味がなさないのではないかと思われます。
白黒のチェッカーのシンボルは横須賀でも汐入の歩道橋の床位にしか認めない比較的貴重なものです。
まあどぶ板の飲み屋でも数軒で認めるのでベース主体で考えるとそれほど貴重ではないかもしれませんが、日本人が関係するところでは比較的少ないと思われます。
ロンドン・パリでも国立美術館や博物館、キリスト教の大教会などでしか認めない比較的貴重ないわゆるフリーメイスンリーを象徴するものなのだと思われます。いわゆるフリーメイスンリーのロッジで最も普通に認めるシンボルな訳です。
日本では品川駅や渋谷駅、国会議事堂や恵比寿ガーデンプレイスなどで認めると説明してきました。まああんまり数を挙げると貴重で無いとなってしまいますが、公共の場所で認めるとなかなか象徴的なシンボルです。

まあ横須賀最大の某病院、旧海軍系のかつてはベースの敷地内にあった病院な訳ですが、その一階待合がこのシンボルで彩られています。
横須賀の場合はこういう代表的な施設の長はほとんどライオンズクラブかロータリークラブの会員なので、恐らく代々の院長がどちらかの会員なのだと思われます。まあ病院の待合がこの模様の病院も全国的にも珍しいのだと思いますがどうでしょう。
しかし動画を横須賀関連のものから変更するとアクセス数が減るのはちょっと問題ですね。ぜひ横須賀だけにこだわらないでフリーメイスンリー全体に目を向けて欲しいものです。シンボルの意味がなさないのではないかと思われます。
ロンドン・パリ編が豪華すぎるせいか横須賀の話題を取り上げるとなかなか規模が小さい感じがしますが、それもこれもたった一年のこのブログの洗脳の効果かもしれません。
まあ市章であれだけ作り込んでいるわけですから市の歌に色々込めるのは当然というところであるかと思われます。作曲をしている團伊玖磨氏も横須賀にゆかりの深い方のようですが、三笠公園の回でも触れていますが、血盟団事件で暗殺された三井財閥総帥の団琢磨氏の孫であり、日本で最初の本格的なオーケストラ指揮者である近衛文麿元首相の弟である近衛秀麿氏に師事し、YouTubeでも取り上げた芥川也寸志氏と黛敏郎氏と三人の会を結成しているなど日本の戦後のクラシック音楽界の重要な作曲家であり、石橋家や鳩山家ともつながりのある方のようです。作詞した堀口大學氏は葉山に住んでおられたようで、フランス文学者でボード―レールの悪の華などを始めとして数多くのフランス文学を翻訳したそうです。象徴主義にも分類されるようで、ミラボー橋のアポリネール詩集を翻訳したり、ルブランの怪盗ルパンシリーズを翻訳しているようです。
さてでは歌詞を見ていきましょう。
その前に検索で出てきた戦前の横須賀市歌を見てみましょう。
作詞:北原白秋
作曲:不詳
1936(昭和11)年
1.旭日の輝くところ 儼たり深き潮(うしほ) 艨艟 城とうかび 清明富士は映れり
勢へ 我が都市 横須賀 横須賀 大を為さむ
2.金鉄貫くところ 鏘たり響け軍都 工廠 光赤く 営々人は挙れり
勢へ 我が都市 横須賀 横須賀 大を為さむ
3.聖恩の普きところ 儼たり見よや東亜 天業ここに高く 皇国護り康し
勢へ 我が都市 横須賀 横須賀 大を為さむ
戦後にすぐに堀口大學氏の歌詞に書きかえられたそうですが、その歌詞はわかりません。昭和42年に現在のものに替えられたようです。
堀口大學作詞
團伊玖磨作曲
1.白波は 白波は 岬にくだけ 光る風 光る風 台地にあそぶ
半島の 半島の 只中占めて 溌剌と わが横須賀は 太陽の前に生きたり
前向きに 前向きに 明日を行く手に 溌剌と わが横須賀は 太陽の前に生きたり
2.黒船の 黒船の 浦賀の海も 燈台の 燈台の 観音崎も
そのままに そのままに 維新日本の 飛躍への 目醒めの歴史 今ぞ知る意義の尊さ
百年の 百年の 国のあゆみに 飛躍への 目醒めの歴史 今ぞ知る意義の尊さ
3.たぐいなき たぐいなき 天与の地の利 踏まえての 踏まえての 近代都市ぞ
日に月に 日に月に 進む産業 颯爽と わが横須賀は 良港に造船栄え
埋立てに 埋立てに 工場競う 颯爽と わが横須賀は 良港に造船栄え
4.うるわしき うるわしき 自然のめぐみ 地に満つる 地に満つる 観光都市ぞ
樹を愛し 樹を愛し 人はすこやか 遠くとも 訪い来て見ませ 北限に匂う浜ゆう
荒崎に 荒崎に 岩噛む波を 遠くとも 訪い来て見ませ 北限に匂う浜ゆう
5.未来こそ 未来こそ 横須賀の夢 大いなり 大いなり われらが夢は
黒潮に 黒潮に わたすかけ橋 天そそる 横断路線 ひと跨ぎ東京湾も…
大いなり 大いなり われらが夢は 天そそる 横断路線 ひと跨ぎ東京湾も…
さて興味深い事に戦前のものの歌詞を見るとフリーメイスンリーと関係ありそうなところは旭日というところ位でしょうか。その他はいかにも軍国主義の時代という感じの富士や軍都、工廠、東亜、皇国という単語が並びます。光赤くというところも一つポイントかもしれません。いずれにしてもこの市歌から感じ取れるのは、昭和11年の時代という項で述べたような、いかにもな軍国主義のまさに戦争に向けて一心不乱に走っている状況であり、衣笠山や汐入、葉山のオベリスクに象徴されるようなフリーメイスンリーを意識したものではなく、それらがそのまま当時は軍国主義の象徴であったという事を示す当時の生き証人のような歴史を感じさせます。
それに対して昭和42年制定の現在の市歌は内容的には高度成長期を象徴するような若干時代遅れの感がありますが、フリーメイスンリーのシンボルを知って読むとなかなか味わい深い歌詞となっています。
まず白波で始まり黒船、黒潮という白黒の対比が歌全体をまとめています。光る風というのもなかなか変わった表現ですが、うまく光を入れた感じでしょうか。太陽の前に生きたりと旭日よりも具体的にシンボルを表現しています。黒船、観音崎の燈台と今ぞ知る意義の尊さという文でそれぞれブラザーペリーとブラザーヴェルニーの功績、そしてそれらを暗示する事でこの歌詞自体からフリーメイスンリーの気付きへと導く文となっているようです。日に月にという表現はそのままシンボルを示した形となっていますが、まああまり標準的な日本語ではないと思います。日進月歩とは言いますが日に月にという表現は検索しても日がたつにつれとあり、毎日発展するという意味よりもむしろ時間がいたずらに経過していく様子を表現している言葉で、その後の進む産業とは逆の表現になっているようです。まあそれだけシンボルにこだわった表現といえるかと思います。黒船と造船と船という語を二つ入れている感じでしょうか。その後の樹を愛しというのも唐突な感じですが、これもやはりブラザーロベスピエールが挙行した最高存在の式典で象徴された生命の樹のシンボルとしてのフランス文学者らしい表現ではないでしょうか。わたすかけ橋というのもシンボルの表現になるのだと思われますが、まあ東京湾横断道路はアクアラインのすでに完成している現代では古色蒼然とした夢となるのかもしれません。
いずれにしても明らかにシンボルを様々に入れ込んで、それでいて市政の依頼に答えた苦心の跡が垣間見えるなかなかの工夫の作であるかと思われます。森鷗外作詞の横浜市歌などと比べても横浜市歌が朝日や舟といった単語がわずかに垣間見えるだけで、戦後制定という事もありますが、フリーメイスンリーのシンボリズムから見て明らかに良くできています。
ちなみに作詞者の堀口大學氏は1月8日生まれの慶応大学出身で奇しくも小泉純一郎元首相と同じようです。カトリックの祭日公現祭の日で昭和天皇の命日ですね。(H25.2/19追記:昭和天皇の命日は1月7日ですね。)まあ偶然のようです。
まあ市章であれだけ作り込んでいるわけですから市の歌に色々込めるのは当然というところであるかと思われます。作曲をしている團伊玖磨氏も横須賀にゆかりの深い方のようですが、三笠公園の回でも触れていますが、血盟団事件で暗殺された三井財閥総帥の団琢磨氏の孫であり、日本で最初の本格的なオーケストラ指揮者である近衛文麿元首相の弟である近衛秀麿氏に師事し、YouTubeでも取り上げた芥川也寸志氏と黛敏郎氏と三人の会を結成しているなど日本の戦後のクラシック音楽界の重要な作曲家であり、石橋家や鳩山家ともつながりのある方のようです。作詞した堀口大學氏は葉山に住んでおられたようで、フランス文学者でボード―レールの悪の華などを始めとして数多くのフランス文学を翻訳したそうです。象徴主義にも分類されるようで、ミラボー橋のアポリネール詩集を翻訳したり、ルブランの怪盗ルパンシリーズを翻訳しているようです。
さてでは歌詞を見ていきましょう。
その前に検索で出てきた戦前の横須賀市歌を見てみましょう。
作詞:北原白秋
作曲:不詳
1936(昭和11)年
1.旭日の輝くところ 儼たり深き潮(うしほ) 艨艟 城とうかび 清明富士は映れり
勢へ 我が都市 横須賀 横須賀 大を為さむ
2.金鉄貫くところ 鏘たり響け軍都 工廠 光赤く 営々人は挙れり
勢へ 我が都市 横須賀 横須賀 大を為さむ
3.聖恩の普きところ 儼たり見よや東亜 天業ここに高く 皇国護り康し
勢へ 我が都市 横須賀 横須賀 大を為さむ
戦後にすぐに堀口大學氏の歌詞に書きかえられたそうですが、その歌詞はわかりません。昭和42年に現在のものに替えられたようです。
堀口大學作詞
團伊玖磨作曲
1.白波は 白波は 岬にくだけ 光る風 光る風 台地にあそぶ
半島の 半島の 只中占めて 溌剌と わが横須賀は 太陽の前に生きたり
前向きに 前向きに 明日を行く手に 溌剌と わが横須賀は 太陽の前に生きたり
2.黒船の 黒船の 浦賀の海も 燈台の 燈台の 観音崎も
そのままに そのままに 維新日本の 飛躍への 目醒めの歴史 今ぞ知る意義の尊さ
百年の 百年の 国のあゆみに 飛躍への 目醒めの歴史 今ぞ知る意義の尊さ
3.たぐいなき たぐいなき 天与の地の利 踏まえての 踏まえての 近代都市ぞ
日に月に 日に月に 進む産業 颯爽と わが横須賀は 良港に造船栄え
埋立てに 埋立てに 工場競う 颯爽と わが横須賀は 良港に造船栄え
4.うるわしき うるわしき 自然のめぐみ 地に満つる 地に満つる 観光都市ぞ
樹を愛し 樹を愛し 人はすこやか 遠くとも 訪い来て見ませ 北限に匂う浜ゆう
荒崎に 荒崎に 岩噛む波を 遠くとも 訪い来て見ませ 北限に匂う浜ゆう
5.未来こそ 未来こそ 横須賀の夢 大いなり 大いなり われらが夢は
黒潮に 黒潮に わたすかけ橋 天そそる 横断路線 ひと跨ぎ東京湾も…
大いなり 大いなり われらが夢は 天そそる 横断路線 ひと跨ぎ東京湾も…
さて興味深い事に戦前のものの歌詞を見るとフリーメイスンリーと関係ありそうなところは旭日というところ位でしょうか。その他はいかにも軍国主義の時代という感じの富士や軍都、工廠、東亜、皇国という単語が並びます。光赤くというところも一つポイントかもしれません。いずれにしてもこの市歌から感じ取れるのは、昭和11年の時代という項で述べたような、いかにもな軍国主義のまさに戦争に向けて一心不乱に走っている状況であり、衣笠山や汐入、葉山のオベリスクに象徴されるようなフリーメイスンリーを意識したものではなく、それらがそのまま当時は軍国主義の象徴であったという事を示す当時の生き証人のような歴史を感じさせます。
それに対して昭和42年制定の現在の市歌は内容的には高度成長期を象徴するような若干時代遅れの感がありますが、フリーメイスンリーのシンボルを知って読むとなかなか味わい深い歌詞となっています。
まず白波で始まり黒船、黒潮という白黒の対比が歌全体をまとめています。光る風というのもなかなか変わった表現ですが、うまく光を入れた感じでしょうか。太陽の前に生きたりと旭日よりも具体的にシンボルを表現しています。黒船、観音崎の燈台と今ぞ知る意義の尊さという文でそれぞれブラザーペリーとブラザーヴェルニーの功績、そしてそれらを暗示する事でこの歌詞自体からフリーメイスンリーの気付きへと導く文となっているようです。日に月にという表現はそのままシンボルを示した形となっていますが、まああまり標準的な日本語ではないと思います。日進月歩とは言いますが日に月にという表現は検索しても日がたつにつれとあり、毎日発展するという意味よりもむしろ時間がいたずらに経過していく様子を表現している言葉で、その後の進む産業とは逆の表現になっているようです。まあそれだけシンボルにこだわった表現といえるかと思います。黒船と造船と船という語を二つ入れている感じでしょうか。その後の樹を愛しというのも唐突な感じですが、これもやはりブラザーロベスピエールが挙行した最高存在の式典で象徴された生命の樹のシンボルとしてのフランス文学者らしい表現ではないでしょうか。わたすかけ橋というのもシンボルの表現になるのだと思われますが、まあ東京湾横断道路はアクアラインのすでに完成している現代では古色蒼然とした夢となるのかもしれません。
いずれにしても明らかにシンボルを様々に入れ込んで、それでいて市政の依頼に答えた苦心の跡が垣間見えるなかなかの工夫の作であるかと思われます。森鷗外作詞の横浜市歌などと比べても横浜市歌が朝日や舟といった単語がわずかに垣間見えるだけで、戦後制定という事もありますが、フリーメイスンリーのシンボリズムから見て明らかに良くできています。
ちなみに作詞者の堀口大學氏は1月8日生まれの慶応大学出身で奇しくも小泉純一郎元首相と同じようです。カトリックの祭日公現祭の日で昭和天皇の命日ですね。(H25.2/19追記:昭和天皇の命日は1月7日ですね。)まあ偶然のようです。
ブログもちょっと勢いも無いところなんですが、色々反響の事もありまた取材というか内容を充実させるためにも色々読書をしないといけないわけで、そもそもそれらの本ですぐに読んでしまうほどの面白い文章というのも早々ないので、まあ行き詰っているというかちょっと小休止というところなんだと思います。
私自身もロッジに通ったりいろいろ試行錯誤していた時期が2010年頃であり、ちょうどこのブログでも取り上げたロスト・シンボルの出版された頃であり、勧められるがままに日本語訳の初版本をアマゾンで注文してブラザー片桐三郎の「入門フリーメイスンリー全史」とともに一気に読み通した頃が懐かしいのですが、やはりその後本屋で大量に認めた荒俣弘氏の著書「フリーメイソン」などを見かける事があっても、まあ大体私の方が知っているというところで一切日本人の著作を読んでいなかったなどもありました。その後結局アキレス腱を切ったりして、このブログをやり始めて最初に赤間剛氏の存在をコメントで教えていただき、その著書のフリーメイスンリー関連のもののその当時としての基本的に日本グランドロッジが全面的に支援した正確な内容の部分について驚かされ、またパストグランドマスターのブラザー山屋明の「日本のフリーメイスン」やブラザー高崎廣の「日本に君臨するもの」など日本のフリーメイスンの著作を読んだりしましたが、いずれもロスト・シンボル出版以前のものであり、基本的に陰謀論が趨勢の時代の細々としたちゃんとした解説本であり、また日本の一般人に向けたものというよりもある程度知識のある人向けの本という内容であったかと思います。
それでまあ「ユダヤ古代誌」を聖書に引き続いて読み進めたり、横須賀に来たので「黒船の再来米海軍横須賀基地第4代司令官デッカ-夫妻回想記」を読んだりとまあ直接フリーメイスンリーを解説する本などはあまり読んでいませんでした。でまああんまり実際読書のスピードは遅かったわけですが、ちょっと機会があって東京都立中央図書館に立ち寄ってフリーメイソンで検索して書架を探した所、まあ世の中大体本の好きな人はロスト・シンボルは一生懸命読んでいるようで、その後のほぼ同時期にほぼ読後の勢いそのままに一斉にかなり陰謀論からは離れた欧米の資料を徹底的に当たった感じの出版が相次いでいた事に気付きました。で、内容をそれぞれ立ち読みで確認してまあ都民ではないので完全なボランティアでそれぞれの本を皆アマゾンで注文して購入してみてまたこのブログに書いているわけです。まあ出版した本を正規で購入して無料でブログに勧める文章を書いているんだからまさにフリーメイスンリー通りの活動のようです。
というわけでまあ詳しくはまだ読んでいないわけですが、それぞれアマゾンで購入できるのでそんなに変な本ではないという事と、かつての陰謀論のような本ではないので内容が重複する事は多々ありますがこのブログで勧めるのに遜色はない本であるかと思いますので、まわりくどい映画や動画を見るよりはまあこのブログを読むような活字に慣れた人には本の方がよろしいかと思い、まだ内容を十分確認する前にアマゾンの手下のような立場で紹介します。アフィリエイトもあるのですが、まあこのブログでお金が発生する事はありえないようです。
特に感心したのは次の本です。
有澤玲氏はブラザーブレント・モリス著の「The Complete Idiot's Guide to Freemasonry」の翻訳した「フリーメイソン完全ガイド」の訳者であり、こちらは基本的には日本語で出版されている内容で最もきちんとしたものでありかつもっとも幅広くカバーする内容であったわけですが、結局訳者の方が逐語訳しているのであまり理解していない翻訳がそのまま出ているという内容で、やはりブラザー片桐三郎の「入門フリーメイスンリー全史」が非常にそれに比べて理解がし易かったというところであったのだと思います。
それに比べて、この2011年出版の本はまさにロスト・シンボル出版後であり、その前の訳書のリベンジとばかりにシンボリズムなどこのブログでも重点的に取り上げている内容を徹底して追及しており、恐らく前作の訳者が理解していなかった部分を徹底して排除して訳者の疑問の部分を徹底して追及して納得した上で書き上げた力作なのだと思われます。前作とも合わせて基本的にはこれら全ての内容を理解してある程度記憶してロッジに来てほしいというのが日本のフリーメイスンリーの入会条件ともなるのだと思われます。
まあこちらの本は有名なようで、ロスト・シンボルを読んだ方も読んでいない方も都市伝説で知った方も少し勉強しようと思ったときに読んでいる本のようで、基本的にロスト・シンボルの枠の中で話が進行するような、まさにロスト・シンボルとセットでご本人の解説や読ませ方がうまいのと、なかなか博物学の知識と考え方を前提として、ウィキペディアの時代に価値のある本としてきちんと形にしているというところがあるのだと思います。フリーメイスンリーの段階としてはまあかなり低い感じで上記の有澤玲氏の著作に及ぶものではないでしょうが、基本的に図を排して文章だけで読ませるように書いている構成は評価できるのだと思います。
吉村正和氏も1989年に出版された「フリーメイソン 西欧神秘主義の変容」という極めて当時としてはまともな印象の本で比較的あっさりとフリーメイスンリーについて紹介した本を書いていて、多くの人が読んでいると思いますが、それ以前にこのブログでも動画で紹介したブラザーマンリー・P・ホールの「the Secret Teachings of ALL AGES」の日本語訳の象徴哲学大系を1981年に翻訳されていて、そのあたりから一種の権威だと思われるのですが実際にロッジでの活動などはわかりません。その方のやはりロスト・シンボル出版後の2010年にどこかから依頼があって何か英語版の基本となるようなものがあったのだと思いますが、わかりやすい図説主体の本として出版されたものです。まさにこのブログのような写真を中心とした色鮮やかな印象的な構成となっていて、活字ばかりよりもこちらの方がわかりやすそうという方向けなのだと思われます。
いずれもフリーメイスンによる著作とは違うと思いますが、恐らく出版時期などからフリーメイスンリーが全面的にバックアップした形で内容なども検討されているかと思いますので、完全に内容的に間違いが無いという事ではないでしょうが、基本的に出典などが海外の出版物や日本の出版物に求めうる内容となっているかと思いますので購入して熟読して損は無いものかと思われます。
日本では特にキリスト教、ユダヤ教の前提知識が少なく、私自身も現在ユダヤ古代誌やその他など様々な本や経験で学習中の身ですが、基本的なキリスト教、ユダヤ教の知識についてはやはり日本語訳であっても聖書の通読に全面的に依拠せざるを得ないかと思います。フリーメイスンリーの目的が聖書を通読する目的である事は無いという事は理解されるかと思いますが、ロスト・シンボルの内容を読めば単純にわかるとおり、聖書の通読とフリーメイスンリーとは非常にリンクするものである事はこれまた疑う余地のない事でもあります。ユダヤ教やキリスト教、カトリック、プロテスタント、イスラム教など世界の大多数を占めるアブラハムの宗教について理解する事は日本人はかなり困難であり、またそれらの社会の中で生み出されてきたフリーメイスンリーについて具体的に理解する事はまた困難であるかと思います。しかしそれらを理解する鍵が聖書の通読にあるとわかればそれ自体は困難ではないのだと思われます。日本のロッジもこれらの出版物を見る限り明らかに増加の一途をたどる事は間違いないのかと思われますし、ロッジに関わる方も関わらない方もいずれもフリーメイスンリーについて知識をさらに深めていくであろう事は間違いないのかと思われます。聖書の通読はフリーメイスンリーにおいて必須ではありませんが、より深い理解、進歩のためには必ず為になる作業であるのだと思われます。上記の紹介した出版物はあくまでそれらの参考書でしかありません。
またいずれ詳しく読んだものについては感想というか解説を加える記事になるかと思います。その他の読書感想以外の記事も適宜作成中です。出版物の内容ともかなり異なるスタンスであったり内容的にも被る部分もあったりしますが、いずれにしてもそれなりに価値のある内容で進行しているところは自負するところなのでそれなりに進行するものかと思います。有料化の予定は相当なさそうです。
それではみなさん読書したり歩きまわったりテレビも面白くないようですから体や頭を動かしてぜひ充実した生活をお送りください。
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それでまあ「ユダヤ古代誌」を聖書に引き続いて読み進めたり、横須賀に来たので「黒船の再来米海軍横須賀基地第4代司令官デッカ-夫妻回想記」を読んだりとまあ直接フリーメイスンリーを解説する本などはあまり読んでいませんでした。でまああんまり実際読書のスピードは遅かったわけですが、ちょっと機会があって東京都立中央図書館に立ち寄ってフリーメイソンで検索して書架を探した所、まあ世の中大体本の好きな人はロスト・シンボルは一生懸命読んでいるようで、その後のほぼ同時期にほぼ読後の勢いそのままに一斉にかなり陰謀論からは離れた欧米の資料を徹底的に当たった感じの出版が相次いでいた事に気付きました。で、内容をそれぞれ立ち読みで確認してまあ都民ではないので完全なボランティアでそれぞれの本を皆アマゾンで注文して購入してみてまたこのブログに書いているわけです。まあ出版した本を正規で購入して無料でブログに勧める文章を書いているんだからまさにフリーメイスンリー通りの活動のようです。
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それに比べて、この2011年出版の本はまさにロスト・シンボル出版後であり、その前の訳書のリベンジとばかりにシンボリズムなどこのブログでも重点的に取り上げている内容を徹底して追及しており、恐らく前作の訳者が理解していなかった部分を徹底して排除して訳者の疑問の部分を徹底して追及して納得した上で書き上げた力作なのだと思われます。前作とも合わせて基本的にはこれら全ての内容を理解してある程度記憶してロッジに来てほしいというのが日本のフリーメイスンリーの入会条件ともなるのだと思われます。
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吉村正和氏も1989年に出版された「フリーメイソン 西欧神秘主義の変容」という極めて当時としてはまともな印象の本で比較的あっさりとフリーメイスンリーについて紹介した本を書いていて、多くの人が読んでいると思いますが、それ以前にこのブログでも動画で紹介したブラザーマンリー・P・ホールの「the Secret Teachings of ALL AGES」の日本語訳の象徴哲学大系を1981年に翻訳されていて、そのあたりから一種の権威だと思われるのですが実際にロッジでの活動などはわかりません。その方のやはりロスト・シンボル出版後の2010年にどこかから依頼があって何か英語版の基本となるようなものがあったのだと思いますが、わかりやすい図説主体の本として出版されたものです。まさにこのブログのような写真を中心とした色鮮やかな印象的な構成となっていて、活字ばかりよりもこちらの方がわかりやすそうという方向けなのだと思われます。
いずれもフリーメイスンによる著作とは違うと思いますが、恐らく出版時期などからフリーメイスンリーが全面的にバックアップした形で内容なども検討されているかと思いますので、完全に内容的に間違いが無いという事ではないでしょうが、基本的に出典などが海外の出版物や日本の出版物に求めうる内容となっているかと思いますので購入して熟読して損は無いものかと思われます。
日本では特にキリスト教、ユダヤ教の前提知識が少なく、私自身も現在ユダヤ古代誌やその他など様々な本や経験で学習中の身ですが、基本的なキリスト教、ユダヤ教の知識についてはやはり日本語訳であっても聖書の通読に全面的に依拠せざるを得ないかと思います。フリーメイスンリーの目的が聖書を通読する目的である事は無いという事は理解されるかと思いますが、ロスト・シンボルの内容を読めば単純にわかるとおり、聖書の通読とフリーメイスンリーとは非常にリンクするものである事はこれまた疑う余地のない事でもあります。ユダヤ教やキリスト教、カトリック、プロテスタント、イスラム教など世界の大多数を占めるアブラハムの宗教について理解する事は日本人はかなり困難であり、またそれらの社会の中で生み出されてきたフリーメイスンリーについて具体的に理解する事はまた困難であるかと思います。しかしそれらを理解する鍵が聖書の通読にあるとわかればそれ自体は困難ではないのだと思われます。日本のロッジもこれらの出版物を見る限り明らかに増加の一途をたどる事は間違いないのかと思われますし、ロッジに関わる方も関わらない方もいずれもフリーメイスンリーについて知識をさらに深めていくであろう事は間違いないのかと思われます。聖書の通読はフリーメイスンリーにおいて必須ではありませんが、より深い理解、進歩のためには必ず為になる作業であるのだと思われます。上記の紹介した出版物はあくまでそれらの参考書でしかありません。
またいずれ詳しく読んだものについては感想というか解説を加える記事になるかと思います。その他の読書感想以外の記事も適宜作成中です。出版物の内容ともかなり異なるスタンスであったり内容的にも被る部分もあったりしますが、いずれにしてもそれなりに価値のある内容で進行しているところは自負するところなのでそれなりに進行するものかと思います。有料化の予定は相当なさそうです。
それではみなさん読書したり歩きまわったりテレビも面白くないようですから体や頭を動かしてぜひ充実した生活をお送りください。
汐留でフリーメイスンリーを連想する人はいないと思います。
汐留といえば現在の日本テレビが新社屋を構えた港区新橋~品川区の周辺を連想するかと思います。
汐留といえば実際には日本の海岸線の地形の場所にどこにでも認められる、いわゆる満潮時の最高潮位の地点を指す言葉であり、多くの場合重要なのは埋め立て地や干潟である際に海水に浸らない地点を示す用語であり、それらがそのまま地名として利用された際に残る、いわば丘や山、川や浜といった地形をあらわす用語の一つです。
実はこのほとんど日本語では地名として残らない事が多い汐留という地名が新橋周辺で最近になり多く言われるようになるにはわけがあります。それのヒントが横須賀にも汐留という地名が認められる事にあります。
横須賀の汐留とはどこでしょうか。
検索すると以下の画像が出てきます。

横須賀汐留町通りの関東大震災の被害状況ですね。神奈川県立歴史博物館のサイトです。

横須賀村汐留あたりより元町方面の写真だそうで、フランス人技師の洋館があります。横須賀セントラルホテルのサイトです。しばらくすると保存してある洋館建築が横須賀で再建される計画だそうです。

現在の横須賀汐入の旧EMクラブ跡地に建つメルキューレホテルとよこすか芸術劇場です。この場所のバスの停留所が現在も汐留という地名を残しています。
どうもフリーメイスンリーっぽい話になってきましたね。
ちなみにYouTubeの動画でも取り上げているあぶない刑事の第33話で佐世保と旧EMクラブの廃墟が撮影に使われているようです。

昭和20年代のEMクラブだそうです。このあたりは他のブログのもので無断使用なので問題あれば連絡ください。

市のホームページから借りました。昭和40年代の旧EMクラブとガントリークレーンです。

あぶない刑事の一シーンから旧EMクラブの廃墟で銃撃戦シーンのようです。1990年取り壊され現在の旧プリンスホテル→トリニティーホテル→メルキューレホテルとなりました。
要するに横須賀の汐留は現在の汐入町なのですね。他のブログでは汐留は横須賀製鉄所ができた後人足場であったそうで、要するに刑務所替わりで懲役刑として製鉄所で働かせた時代が明治初期であったそうです。そういう事もあって横須賀の場合は汐留から汐入への地名変更があったのかと思われます。
さてまあ汐入のフリーメイスンリーのシンボルといえばもちろんこのブログでも取り上げたΧΡの歩道橋です。

まあなかなか珍しい造型であるキリスト教の最初の十字としてのΧΡを示すコンスタンティヌスの十字を示した歩道橋な訳です。それで、このブログでも実は以前に地図上でこの形の歩道橋が新橋にもある事を示していました。お台場にあるフリーメイスンリーのシンボルの回で汐留から昭和通りへの入り口でこの形の歩道橋が地図で認められました。

さてまあ二つの汐留が出てきたわけですがその共通点がこの二つのΧΡという事になってきました。これは何を意味するのでしょうか。
コンスタンティヌスの十字の意味を考えれば自ずと出てくるかと思います。一つは横須賀の汐留は日本最初の本格的な西洋式製鉄所、造船ドック、レンガ工場のあった場所であり、それらを建設したブラザーヴェルニーらはナポレオン三世の時代の敬虔なキリスト教徒たちでありかつフリーメイスンでした。もう一つは横浜~新橋間の最初の鉄道の駅のあった場所であり、イギリス公使ハリー・パークスの助言で選ばれたエドモンド・モレルらの指導によって開業しています。エドモンド・モレルは日本で結核で早世し横浜外国人墓地に葬られています。
コンスタンティヌスの十字はキリスト教を公認したローマ皇帝であるコンスタンティヌスがローマ地域を支配下に置く際に夢に見たとされるイエス・キリストのギリシア語表記での最初の二文字を示すシンボルであり、その後のヨーロッパ地中海地域でのキリスト教の布教の転換を示すものであります。
二つの汐留はともにヨーロッパからやってきた工業化の最初の地としてのシンボルであり、ともにフリーメイスン達が建設に尽力したものであり、要するに汐留の名前自体に特別な意味がある事が推察されるわけです。
さてそれは何でしょうか?
それはやはり日本の名前を考える際に彼ら外国のフリーメイスンの目から見たヘボン式ローマ字表記で考える必要があるのだと思います。そうすると汐留はSHIODOMEです。Oが並んでいますがAll Seeing Eyeだからでしょうか。やはり発音もあるのだと思います。シオドメです。どうでしょう。
このヒントの一つが横須賀中央公園にもあります。このブログの自由の女神像のところで触れたシオンの像がそのヒントです。

さてまあ答えです。ダジャレですね。ZION DOMEシオンドームがなまってシオドメになるみたいです。いわゆるシオニズムの語源となるシオン、約束の地、神殿の丘、イスラエル全体を意味する語ですね。英語読みではザイオン、ローマ字読みでジオンなどとなるとガンダムの敵役となるわけですが、この神殿の丘にあるドームがこれです。

イスラム教、ユダヤ教、キリスト教の聖地エルサレムの最大の聖地である神殿の丘にある岩のドームですね。7世紀末にイスラム王朝であるウマイヤ朝のカリフによって建設された、旧約聖書でアブラハムがイサクを神に捧げたという伝説のある聖なる岩をおおうように作られた最古のイスラム建築だそうです。東ローマ帝国を何度も脅かしたイスラム王朝の建築であり、その後の十字軍の制圧の目標となり、十字軍のエルサレム占領によって多くの聖遺物がヨーロッパにもたらされるようになるのです。これ以前にキリストが磔にされたというゴルゴダの丘にコンスタンティヌス一世の命によって聖墳墓教会が建てられました。その後の十字軍でマルタ騎士団などが生まれていく最初のきっかけがこの岩のドームと聖墳墓教会なのですね。
極東の鎖国した日本を開国させて文明の利器をもたらす際に、その最初の象徴的な地に約束の地の丘の異教徒のドームの名前と同じ響きをする場所を選ぶのも自然であったのかもしれません。その地に文明の利器がもたらされる事で異教徒との違いを乗り越えたまさにフリーメイスンリーの求める世界が開けると確信していたのではないでしょうか。

岩のドームの下にあるのが有名なユダヤ教徒の聖地であるソロモン宮殿の壁の遺跡である嘆きの壁です。
二つの汐留にソロモン宮殿のような建築を集めるのは必然のようです。
また東京の汐留地区には浜離宮が横にあり、また少し離れて東京タワーの近くに芝公園があります。浜は横浜の浜とも響きが同じですが恐らく英語にするとHammerとなりまあガベルの木槌とは異なりますが、金槌として一応フリーメイスンリーのシンボルとなるのだと思います。これはまた横浜の発音でYork HammerとなりYork Riteは典型的なフリーメイスンリーのキリスト教の団体でありそれらと似た発音というものとなるのだと思われます。芝公園はそのままソロモン王に面会したシバの女王の発音そのままであり、浜離宮と合わせてどちらも元々徳川家の墓所や別荘としてあり、明治維新や戦後のGHQの政策によって開放された公園であり、フリーメイスンリーのシンボルを象徴する名を冠した、聖地汐留を囲む形で存在する公園となるのだと思います。
(追記:しつこいようですが汐入もZION INRIとなるようです。汐留ZION DOMEであったものが、汐入ZION INRIとなったという事で象徴的な十字軍活動という事なのではないでしょうか。INRIはもちろんお知りの通りラテン語の「IESUS NAZARENUS REX IUDAEORUM」の頭字語であり、「ユダヤ人の王、ナザレのイエス」の意味で十字架に架けられたイエスの上に示されたという略語です。)
汐留といえば現在の日本テレビが新社屋を構えた港区新橋~品川区の周辺を連想するかと思います。
汐留といえば実際には日本の海岸線の地形の場所にどこにでも認められる、いわゆる満潮時の最高潮位の地点を指す言葉であり、多くの場合重要なのは埋め立て地や干潟である際に海水に浸らない地点を示す用語であり、それらがそのまま地名として利用された際に残る、いわば丘や山、川や浜といった地形をあらわす用語の一つです。
実はこのほとんど日本語では地名として残らない事が多い汐留という地名が新橋周辺で最近になり多く言われるようになるにはわけがあります。それのヒントが横須賀にも汐留という地名が認められる事にあります。
横須賀の汐留とはどこでしょうか。
検索すると以下の画像が出てきます。

横須賀汐留町通りの関東大震災の被害状況ですね。神奈川県立歴史博物館のサイトです。

横須賀村汐留あたりより元町方面の写真だそうで、フランス人技師の洋館があります。横須賀セントラルホテルのサイトです。しばらくすると保存してある洋館建築が横須賀で再建される計画だそうです。

現在の横須賀汐入の旧EMクラブ跡地に建つメルキューレホテルとよこすか芸術劇場です。この場所のバスの停留所が現在も汐留という地名を残しています。
どうもフリーメイスンリーっぽい話になってきましたね。
ちなみにYouTubeの動画でも取り上げているあぶない刑事の第33話で佐世保と旧EMクラブの廃墟が撮影に使われているようです。

昭和20年代のEMクラブだそうです。このあたりは他のブログのもので無断使用なので問題あれば連絡ください。

市のホームページから借りました。昭和40年代の旧EMクラブとガントリークレーンです。

あぶない刑事の一シーンから旧EMクラブの廃墟で銃撃戦シーンのようです。1990年取り壊され現在の旧プリンスホテル→トリニティーホテル→メルキューレホテルとなりました。
要するに横須賀の汐留は現在の汐入町なのですね。他のブログでは汐留は横須賀製鉄所ができた後人足場であったそうで、要するに刑務所替わりで懲役刑として製鉄所で働かせた時代が明治初期であったそうです。そういう事もあって横須賀の場合は汐留から汐入への地名変更があったのかと思われます。
さてまあ汐入のフリーメイスンリーのシンボルといえばもちろんこのブログでも取り上げたΧΡの歩道橋です。

まあなかなか珍しい造型であるキリスト教の最初の十字としてのΧΡを示すコンスタンティヌスの十字を示した歩道橋な訳です。それで、このブログでも実は以前に地図上でこの形の歩道橋が新橋にもある事を示していました。お台場にあるフリーメイスンリーのシンボルの回で汐留から昭和通りへの入り口でこの形の歩道橋が地図で認められました。

さてまあ二つの汐留が出てきたわけですがその共通点がこの二つのΧΡという事になってきました。これは何を意味するのでしょうか。
コンスタンティヌスの十字の意味を考えれば自ずと出てくるかと思います。一つは横須賀の汐留は日本最初の本格的な西洋式製鉄所、造船ドック、レンガ工場のあった場所であり、それらを建設したブラザーヴェルニーらはナポレオン三世の時代の敬虔なキリスト教徒たちでありかつフリーメイスンでした。もう一つは横浜~新橋間の最初の鉄道の駅のあった場所であり、イギリス公使ハリー・パークスの助言で選ばれたエドモンド・モレルらの指導によって開業しています。エドモンド・モレルは日本で結核で早世し横浜外国人墓地に葬られています。
コンスタンティヌスの十字はキリスト教を公認したローマ皇帝であるコンスタンティヌスがローマ地域を支配下に置く際に夢に見たとされるイエス・キリストのギリシア語表記での最初の二文字を示すシンボルであり、その後のヨーロッパ地中海地域でのキリスト教の布教の転換を示すものであります。
二つの汐留はともにヨーロッパからやってきた工業化の最初の地としてのシンボルであり、ともにフリーメイスン達が建設に尽力したものであり、要するに汐留の名前自体に特別な意味がある事が推察されるわけです。
さてそれは何でしょうか?
それはやはり日本の名前を考える際に彼ら外国のフリーメイスンの目から見たヘボン式ローマ字表記で考える必要があるのだと思います。そうすると汐留はSHIODOMEです。Oが並んでいますがAll Seeing Eyeだからでしょうか。やはり発音もあるのだと思います。シオドメです。どうでしょう。
このヒントの一つが横須賀中央公園にもあります。このブログの自由の女神像のところで触れたシオンの像がそのヒントです。

さてまあ答えです。ダジャレですね。ZION DOMEシオンドームがなまってシオドメになるみたいです。いわゆるシオニズムの語源となるシオン、約束の地、神殿の丘、イスラエル全体を意味する語ですね。英語読みではザイオン、ローマ字読みでジオンなどとなるとガンダムの敵役となるわけですが、この神殿の丘にあるドームがこれです。

イスラム教、ユダヤ教、キリスト教の聖地エルサレムの最大の聖地である神殿の丘にある岩のドームですね。7世紀末にイスラム王朝であるウマイヤ朝のカリフによって建設された、旧約聖書でアブラハムがイサクを神に捧げたという伝説のある聖なる岩をおおうように作られた最古のイスラム建築だそうです。東ローマ帝国を何度も脅かしたイスラム王朝の建築であり、その後の十字軍の制圧の目標となり、十字軍のエルサレム占領によって多くの聖遺物がヨーロッパにもたらされるようになるのです。これ以前にキリストが磔にされたというゴルゴダの丘にコンスタンティヌス一世の命によって聖墳墓教会が建てられました。その後の十字軍でマルタ騎士団などが生まれていく最初のきっかけがこの岩のドームと聖墳墓教会なのですね。
極東の鎖国した日本を開国させて文明の利器をもたらす際に、その最初の象徴的な地に約束の地の丘の異教徒のドームの名前と同じ響きをする場所を選ぶのも自然であったのかもしれません。その地に文明の利器がもたらされる事で異教徒との違いを乗り越えたまさにフリーメイスンリーの求める世界が開けると確信していたのではないでしょうか。

岩のドームの下にあるのが有名なユダヤ教徒の聖地であるソロモン宮殿の壁の遺跡である嘆きの壁です。
二つの汐留にソロモン宮殿のような建築を集めるのは必然のようです。
また東京の汐留地区には浜離宮が横にあり、また少し離れて東京タワーの近くに芝公園があります。浜は横浜の浜とも響きが同じですが恐らく英語にするとHammerとなりまあガベルの木槌とは異なりますが、金槌として一応フリーメイスンリーのシンボルとなるのだと思います。これはまた横浜の発音でYork HammerとなりYork Riteは典型的なフリーメイスンリーのキリスト教の団体でありそれらと似た発音というものとなるのだと思われます。芝公園はそのままソロモン王に面会したシバの女王の発音そのままであり、浜離宮と合わせてどちらも元々徳川家の墓所や別荘としてあり、明治維新や戦後のGHQの政策によって開放された公園であり、フリーメイスンリーのシンボルを象徴する名を冠した、聖地汐留を囲む形で存在する公園となるのだと思います。
(追記:しつこいようですが汐入もZION INRIとなるようです。汐留ZION DOMEであったものが、汐入ZION INRIとなったという事で象徴的な十字軍活動という事なのではないでしょうか。INRIはもちろんお知りの通りラテン語の「IESUS NAZARENUS REX IUDAEORUM」の頭字語であり、「ユダヤ人の王、ナザレのイエス」の意味で十字架に架けられたイエスの上に示されたという略語です。)
魔笛については以前も触れましたが、よこすか芸術劇場では過去二回ほど魔笛のオペラが公演されているようです。
ちょっと魔笛の公演が行われていないように三笠公園の回などを書き終えた後に書きましたがそんなことはないようで、2011年のフィガロの結婚が地震の直後ということと指揮者の方の体調不良で中止になった他はやはり魔笛はモーツァルトの最も有名なオペラという事で日本人のものとプラハ国立劇場のものと少なくとも二回は公演したそうです。その他にもフィガロの結婚も三回ほど公演しているようですし、コシ・ファン・トゥッテやマイナーな劇場支配人なども公演しているそうです。その他アイーダやトスカ、タンホイザーなども公演されたようです。そういうわけで2013年にフィガロの結婚の後に10月に魔笛を公演する予定となっても特によこすか芸術劇場としては何度目かの公演という事になるようです。
私自身もフリーメイスンリーを知って初めてオペラに興味を持ち、オペラの主題というものが有名な魔笛に限らず多くのものでフリーメイスンリーの理念を象徴したものであり、有名な作品であればあるほどフリーメイスンリーの理念そのものであるという事を確認しています。横浜ロッジのある横浜ではやはり盛んにオペラが公演されているようですが、横須賀ではロッジが全て基地の中という事もあってか、かつては横須賀市文化会館で時々あったようですが、本格的にオペラの公演が定期的に始まったのはよこすか芸術劇場が出来てからという事になるのだと思います。
さてまあ横須賀のオペラ事情はともかくとして、オペラとフリーメイスンリーとの関わりはブラザーマンリー・P・ホールがコメントする動画もありましたが、一般に魔笛とフリーメイスンリーの関わりは代表的なものかと思います。
それで魔笛についてコメントするのは恐れ多いわけですが、本日1月27日はブラザーモーツァルトの誕生日という事もありまして、またこのブログをご覧の皆さまは先日の1月25日に行われた東京タワーの下で行われたモーツァルトバースデーコンサートの様子についても興味があるかと思われますので、それらについてまた3回程度に分けて記事にしようかと思います。ただいつものその1~その3という分け方ではなく、それぞれ魔笛についてとコンサートについてとブラザースタンダールの処女作モーツァルト評伝について書こうと思います。
オペラ「魔笛」の一般的な解説については毎度のことながらウィキペディアを参照していただきたいかと思います。私自身もDVDやCDをいくつか持っており、またこのブログでもYouTubeでも取り上げており、また何度も言いますが私も最初に見たオペラが山下公園横の神奈川県民ホールでのプラハ国立歌劇場の「魔笛」の公演でした。2010年であったかと思います。まあ一般に最もよく知られたオペラが魔笛であり、最もブラザーモーツァルトのオペラで好まれているのが魔笛であり、最も公演されているオペラが魔笛であるようなので、皆さまも最初に見たオペラが魔笛である方は最も多いのかもしれません。まあそれが実はブラザーモーツァルトの偉大さ、功績を最も象徴しているのかと思われますが、その魔笛が作成されたのが有名なブラザーモーツァルトが死ぬ直前の1791年であり、それはヨーロッパ大陸で1789年のフランス革命勃発後の国王一家の国外逃亡と国民に認識されたヴァレンヌ事件の1791年6月の間に書きあげられたものであり、ブラザーモーツァルトは2歳年上のルイ16世とはモーツァルト一家の演奏旅行で旧知の仲であり幼馴染とも言える関係かと思います。ブラザーフランツ一世(ブラザーデサグリエが入会に立ち会ったそうです。)とマリア・テレジアの長男である15歳年上のブラザーヨーゼフ二世が前年の1790年のフィガロの結婚の完成後に亡くなっており死因は結核であったようですが、有力なパトロンを失ったブラザーモーツァルトは妻との関係や初恋の義理の姉との関係やその他に他のフリーメイスンのメンバーとの関係や金銭問題など様々な困難を抱えていて、もともと幼少期からの天才的な音楽的才能と共にある父の音楽教育と特異な演奏旅行の経歴から肉体的には弱く、一般的な世知も無い天才の必然として名声とともに訪れる嫉妬と世の中の急激な変化の中で、自らの運命を確信し魔笛のほかに自らのためにレクイエムを作成し未完のまま12月5日に恐らくリウマチ熱(奇しくもブラザーロバート・バーンズも同じ病気のようです。)のために亡くなり、共同墓地に葬られます。
まあそういう魔笛の作成の状況な訳ですが、ストーリーについてはほとんどの人がなんじゃこりゃという感じだと思われます。フリーメイスンリーの入会の儀式とか理念とか秘密とか様々に説明されていると思いますが、まあストーリーは良くわからないけどすごい音楽だったというところなのではないかと思います。台本の作者はブラザーモーツァルトのフリーメイスンリーの同じロッジの会員であるブラザーシカネーダーという事になっていますが、これにもいろいろ説があり、公演の代表者として劇場支配人として、また初演のパパゲーノ役という事で挙げられるようで、実際には当時のオーストリアフリーメイスンリーが総力を結集して作り上げたというのが正しいようです。ブラザーモーツァルトのフリーメイスンリーとの関係については英語版ウィキペディアのMozart and Freemasonryにまとまっているので参照してください。
まあ要するに魔笛を私的に解釈するとどうかという事になるわけですが、まあ3を強調しているという事は良いのだと思います。そして当時のエジプト学の進展の結果のイシス、オシリス信仰の強調、キリスト教、ユダヤ教の源流としてのエジプト神話、文化の存在を強調しているところだと思います。またフリーメイスンリーの存在を教団や兄弟、マスターといった事でアピールしている事になるかと思います。また入会には様々な試練があり、その結果としてこの場合には結婚して大団円というストーリーとして描かれています。黒人のモノスタトスが絶対悪のように描かれるのは当時のフリーメイスンリーの人種差別的傾向を反映しているものかと思われますがおそらく黒人の登場人物を主要な役とする事自体が画期的なのだと思われます。その後のフランス革命とアメリカ建国の中でプリンス・ホールロッジが生まれていくのが象徴的かと思われます。また良く言われる夜の女王とザラストロの善悪が話の途中で転換するとかそういった内容はまさにフリーメイスンリーの教えの重要な相対論であるヤキンとボアズの二元論で象徴される教えを表していて、これを様々に置き替えたり理解されないというのはまさにそれはフリーメイスンで無いからという事になるのだと思われます。要するにストーリーなんてともかく教えと象徴が大事なのであって、それはその後まだまだ変動する時代であり、それはまさにその時代そのものでもあったという事なのだと思います。ドイツ・オーストリアでキリスト教は神聖ローマ帝国でありまだまだ教会が強力であった時代であり、ブラザーモーツァルトがフリーメイスンとして亡くなった結果葬儀は行われず共同墓地に人知れず葬られたのがその作品とその時代とその人を象徴していると思われます。
まあ魔笛に限らず全てのオペラがほぼフリーメイスンリーの理念を象徴しているというのは間違いないのではないかと思います。オペラについては今後も映像や実際の公演など見たものについて感想が書けそうなものは書いていこうかと思います。
魔笛については是非多くの方がオペラという体験として観られる事をお勧めします。そういうわけで今年10月によこすか芸術劇場では魔笛の公演があるようです。
まあ余計な事ですが魔笛の動画もいくつか置いておきます。やはり実物が良いかと思いますし、公演というのはその度ごとの体験であり何度見ても新しい体験という事なのだと思います。
コヴェント・ガーデンの公演です。もちろんザルツブルグ、プラハ、ロンドンで魔笛の公演は格別だと思われます。
メトロポリタンオペラでの公演です。ニューヨークですね。
パリのオペラ座の公演です。分割したものですがオーソドックスな演出かと思われます。
その他ザルツブルグ音楽祭のものなどあったのですが大分YouTubeでの魔笛は減ったようです。実物の公演の機会があった際には実物を見てください。またDVDも多数あるかと思います。
ブラザーモーツァルトの時代には著作権の法律が無くブラザーモーツァルトの作品も楽譜屋が勝手に売って勝手に様々な演奏がされていたようです。
ちょっと魔笛の公演が行われていないように三笠公園の回などを書き終えた後に書きましたがそんなことはないようで、2011年のフィガロの結婚が地震の直後ということと指揮者の方の体調不良で中止になった他はやはり魔笛はモーツァルトの最も有名なオペラという事で日本人のものとプラハ国立劇場のものと少なくとも二回は公演したそうです。その他にもフィガロの結婚も三回ほど公演しているようですし、コシ・ファン・トゥッテやマイナーな劇場支配人なども公演しているそうです。その他アイーダやトスカ、タンホイザーなども公演されたようです。そういうわけで2013年にフィガロの結婚の後に10月に魔笛を公演する予定となっても特によこすか芸術劇場としては何度目かの公演という事になるようです。
私自身もフリーメイスンリーを知って初めてオペラに興味を持ち、オペラの主題というものが有名な魔笛に限らず多くのものでフリーメイスンリーの理念を象徴したものであり、有名な作品であればあるほどフリーメイスンリーの理念そのものであるという事を確認しています。横浜ロッジのある横浜ではやはり盛んにオペラが公演されているようですが、横須賀ではロッジが全て基地の中という事もあってか、かつては横須賀市文化会館で時々あったようですが、本格的にオペラの公演が定期的に始まったのはよこすか芸術劇場が出来てからという事になるのだと思います。
さてまあ横須賀のオペラ事情はともかくとして、オペラとフリーメイスンリーとの関わりはブラザーマンリー・P・ホールがコメントする動画もありましたが、一般に魔笛とフリーメイスンリーの関わりは代表的なものかと思います。
それで魔笛についてコメントするのは恐れ多いわけですが、本日1月27日はブラザーモーツァルトの誕生日という事もありまして、またこのブログをご覧の皆さまは先日の1月25日に行われた東京タワーの下で行われたモーツァルトバースデーコンサートの様子についても興味があるかと思われますので、それらについてまた3回程度に分けて記事にしようかと思います。ただいつものその1~その3という分け方ではなく、それぞれ魔笛についてとコンサートについてとブラザースタンダールの処女作モーツァルト評伝について書こうと思います。
オペラ「魔笛」の一般的な解説については毎度のことながらウィキペディアを参照していただきたいかと思います。私自身もDVDやCDをいくつか持っており、またこのブログでもYouTubeでも取り上げており、また何度も言いますが私も最初に見たオペラが山下公園横の神奈川県民ホールでのプラハ国立歌劇場の「魔笛」の公演でした。2010年であったかと思います。まあ一般に最もよく知られたオペラが魔笛であり、最もブラザーモーツァルトのオペラで好まれているのが魔笛であり、最も公演されているオペラが魔笛であるようなので、皆さまも最初に見たオペラが魔笛である方は最も多いのかもしれません。まあそれが実はブラザーモーツァルトの偉大さ、功績を最も象徴しているのかと思われますが、その魔笛が作成されたのが有名なブラザーモーツァルトが死ぬ直前の1791年であり、それはヨーロッパ大陸で1789年のフランス革命勃発後の国王一家の国外逃亡と国民に認識されたヴァレンヌ事件の1791年6月の間に書きあげられたものであり、ブラザーモーツァルトは2歳年上のルイ16世とはモーツァルト一家の演奏旅行で旧知の仲であり幼馴染とも言える関係かと思います。ブラザーフランツ一世(ブラザーデサグリエが入会に立ち会ったそうです。)とマリア・テレジアの長男である15歳年上のブラザーヨーゼフ二世が前年の1790年のフィガロの結婚の完成後に亡くなっており死因は結核であったようですが、有力なパトロンを失ったブラザーモーツァルトは妻との関係や初恋の義理の姉との関係やその他に他のフリーメイスンのメンバーとの関係や金銭問題など様々な困難を抱えていて、もともと幼少期からの天才的な音楽的才能と共にある父の音楽教育と特異な演奏旅行の経歴から肉体的には弱く、一般的な世知も無い天才の必然として名声とともに訪れる嫉妬と世の中の急激な変化の中で、自らの運命を確信し魔笛のほかに自らのためにレクイエムを作成し未完のまま12月5日に恐らくリウマチ熱(奇しくもブラザーロバート・バーンズも同じ病気のようです。)のために亡くなり、共同墓地に葬られます。
まあそういう魔笛の作成の状況な訳ですが、ストーリーについてはほとんどの人がなんじゃこりゃという感じだと思われます。フリーメイスンリーの入会の儀式とか理念とか秘密とか様々に説明されていると思いますが、まあストーリーは良くわからないけどすごい音楽だったというところなのではないかと思います。台本の作者はブラザーモーツァルトのフリーメイスンリーの同じロッジの会員であるブラザーシカネーダーという事になっていますが、これにもいろいろ説があり、公演の代表者として劇場支配人として、また初演のパパゲーノ役という事で挙げられるようで、実際には当時のオーストリアフリーメイスンリーが総力を結集して作り上げたというのが正しいようです。ブラザーモーツァルトのフリーメイスンリーとの関係については英語版ウィキペディアのMozart and Freemasonryにまとまっているので参照してください。
まあ要するに魔笛を私的に解釈するとどうかという事になるわけですが、まあ3を強調しているという事は良いのだと思います。そして当時のエジプト学の進展の結果のイシス、オシリス信仰の強調、キリスト教、ユダヤ教の源流としてのエジプト神話、文化の存在を強調しているところだと思います。またフリーメイスンリーの存在を教団や兄弟、マスターといった事でアピールしている事になるかと思います。また入会には様々な試練があり、その結果としてこの場合には結婚して大団円というストーリーとして描かれています。黒人のモノスタトスが絶対悪のように描かれるのは当時のフリーメイスンリーの人種差別的傾向を反映しているものかと思われますがおそらく黒人の登場人物を主要な役とする事自体が画期的なのだと思われます。その後のフランス革命とアメリカ建国の中でプリンス・ホールロッジが生まれていくのが象徴的かと思われます。また良く言われる夜の女王とザラストロの善悪が話の途中で転換するとかそういった内容はまさにフリーメイスンリーの教えの重要な相対論であるヤキンとボアズの二元論で象徴される教えを表していて、これを様々に置き替えたり理解されないというのはまさにそれはフリーメイスンで無いからという事になるのだと思われます。要するにストーリーなんてともかく教えと象徴が大事なのであって、それはその後まだまだ変動する時代であり、それはまさにその時代そのものでもあったという事なのだと思います。ドイツ・オーストリアでキリスト教は神聖ローマ帝国でありまだまだ教会が強力であった時代であり、ブラザーモーツァルトがフリーメイスンとして亡くなった結果葬儀は行われず共同墓地に人知れず葬られたのがその作品とその時代とその人を象徴していると思われます。
まあ魔笛に限らず全てのオペラがほぼフリーメイスンリーの理念を象徴しているというのは間違いないのではないかと思います。オペラについては今後も映像や実際の公演など見たものについて感想が書けそうなものは書いていこうかと思います。
魔笛については是非多くの方がオペラという体験として観られる事をお勧めします。そういうわけで今年10月によこすか芸術劇場では魔笛の公演があるようです。
まあ余計な事ですが魔笛の動画もいくつか置いておきます。やはり実物が良いかと思いますし、公演というのはその度ごとの体験であり何度見ても新しい体験という事なのだと思います。
コヴェント・ガーデンの公演です。もちろんザルツブルグ、プラハ、ロンドンで魔笛の公演は格別だと思われます。
メトロポリタンオペラでの公演です。ニューヨークですね。
パリのオペラ座の公演です。分割したものですがオーソドックスな演出かと思われます。
その他ザルツブルグ音楽祭のものなどあったのですが大分YouTubeでの魔笛は減ったようです。実物の公演の機会があった際には実物を見てください。またDVDも多数あるかと思います。
ブラザーモーツァルトの時代には著作権の法律が無くブラザーモーツァルトの作品も楽譜屋が勝手に売って勝手に様々な演奏がされていたようです。
さて本日はほとんどの日本人にとって興味が無いかと思われるアメリカの州章シリーズ第二弾です。あいうえお順という事でアイオワ州ですが、どこにあるかというとアーカンソー州の二つ上の様です。北という事ですね。

やはりアーカンソー州と一緒でナポレオンからのルイジアナ買収でアメリカ合衆国となった州で、マディソン郡の橋で有名なマディソン砦というネイティブアメリカンとの戦いで作られた城砦が残っているそうです。南北戦争では北軍を支援し、ネイティブアメリカンとの戦いの前線にもなったようです。州都はデモイン市というそうですが、メイソンシティーといういかにもな名前の町もあるそうです。建物は豪華なものが多いようでウィキペディアにある写真ではどうも尖ったいかつい建築が多いようです。




さてまあもう州章に行ってもいいのですが一応産業なんかを説明します。コーンと今流行りのバイオエタノールが非常に盛んなようで、陰謀論では有名なモンサントなんかもあるようです。バイオテクノロジーも盛んなようです。人口は約300万人でフリーメイスンの人口は25000人位だそうです。人口比でいくとアーカンソー州よりもフリーメイスンリーは盛んという事になるのでしょうか。ブラザージョン・ウェインと、狂牛病でノーベル賞を受賞したプルシナーと、山本五十六と一緒の写真を出した海軍長官のカーティス・ウィルバーの出身地だそうです。
(追記:アイオワ州のグランドロッジのホームページのリンクを張っておきます。educationがやはり面白いので参考になるかと思います。そこにあったグランドロッジの様子の写真を貼ります。

グランドロッジの図書館のようです。)
では州章です。

州のモットーが我らの自由を尊び、我らの権利を保たんだそうです。中心の人物は市民兵のようです。フリジア帽があり、星が独立13州を示しているようです。麦藁と鋤と手鎌と熊手でしょうか。コーンベルトの中心であり農業を示しているようですが、麦藁はヨセフの夢の逸話からユダヤ人の象徴ともなるようですし、手鎌は大鎌に近いシンボルとなるようです。右側にあるのは鉛の塊のようで、現在は鉛は採れないそうです。(追記:1918年のものでは明らかにパーフェクトアシュラーを意識した形となっています。色々歴史があるようです。)煙突と建物はそのまま工業を示すようです。フリーメイスンリーのシンボルとしては州章では非常に多いミシシッピー川を移動する船のシンボルとなるようです。モットーをくわえる鷲のシンボルが恐らく有翼日輪の形をしているのではないかと思われます。下の文様の形はわかりませんがイギリスの国旗のような十字の重なりを示しているのかもしれません。かつての州章を見ると上部にBlazing Starが描かれていたのでそれの代わりの象徴なのかもしれません。


州旗はそのものフランスの三色旗を元にしていますね。フリジア帽と同じ意味になるのでしょうが、非常に象徴的なものかと思われます。
さてどうでしょうか。まああまり刺激的な内容にはなりそうもありませんが何となくイメージを広げるには良い落ち着いた企画ではないでしょうか。

やはりアーカンソー州と一緒でナポレオンからのルイジアナ買収でアメリカ合衆国となった州で、マディソン郡の橋で有名なマディソン砦というネイティブアメリカンとの戦いで作られた城砦が残っているそうです。南北戦争では北軍を支援し、ネイティブアメリカンとの戦いの前線にもなったようです。州都はデモイン市というそうですが、メイソンシティーといういかにもな名前の町もあるそうです。建物は豪華なものが多いようでウィキペディアにある写真ではどうも尖ったいかつい建築が多いようです。




さてまあもう州章に行ってもいいのですが一応産業なんかを説明します。コーンと今流行りのバイオエタノールが非常に盛んなようで、陰謀論では有名なモンサントなんかもあるようです。バイオテクノロジーも盛んなようです。人口は約300万人でフリーメイスンの人口は25000人位だそうです。人口比でいくとアーカンソー州よりもフリーメイスンリーは盛んという事になるのでしょうか。ブラザージョン・ウェインと、狂牛病でノーベル賞を受賞したプルシナーと、山本五十六と一緒の写真を出した海軍長官のカーティス・ウィルバーの出身地だそうです。
(追記:アイオワ州のグランドロッジのホームページのリンクを張っておきます。educationがやはり面白いので参考になるかと思います。そこにあったグランドロッジの様子の写真を貼ります。

グランドロッジの図書館のようです。)
では州章です。

州のモットーが我らの自由を尊び、我らの権利を保たんだそうです。中心の人物は市民兵のようです。フリジア帽があり、星が独立13州を示しているようです。麦藁と鋤と手鎌と熊手でしょうか。コーンベルトの中心であり農業を示しているようですが、麦藁はヨセフの夢の逸話からユダヤ人の象徴ともなるようですし、手鎌は大鎌に近いシンボルとなるようです。右側にあるのは鉛の塊のようで、現在は鉛は採れないそうです。(追記:1918年のものでは明らかにパーフェクトアシュラーを意識した形となっています。色々歴史があるようです。)煙突と建物はそのまま工業を示すようです。フリーメイスンリーのシンボルとしては州章では非常に多いミシシッピー川を移動する船のシンボルとなるようです。モットーをくわえる鷲のシンボルが恐らく有翼日輪の形をしているのではないかと思われます。下の文様の形はわかりませんがイギリスの国旗のような十字の重なりを示しているのかもしれません。かつての州章を見ると上部にBlazing Starが描かれていたのでそれの代わりの象徴なのかもしれません。


州旗はそのものフランスの三色旗を元にしていますね。フリジア帽と同じ意味になるのでしょうが、非常に象徴的なものかと思われます。
さてどうでしょうか。まああまり刺激的な内容にはなりそうもありませんが何となくイメージを広げるには良い落ち着いた企画ではないでしょうか。
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