FREEMASONRY
Blue Lodge, Scottish Rite & York Rite in Japan
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このブログでの横須賀の話題の大半の内容には実際にはライオンズクラブやロータリークラブが関係していると説明しているわけですが、まあ横須賀に来てからもライオンズクラブやロータリークラブの会員の方とも会う事はたくさんあったわけですが、どうも基地の関係やらなんやらで、日本では一般にロータリークラブやライオンズクラブはお金持ちの有志会みたいに思われていて、フリーメイスンリーとの関連はあまり意識されないようですが、実際にはまあ創立者はそれぞれフリーメイスンであって、その他にもものみの塔やモルモン教などのキリスト教系のアメリカの新興宗教もフリーメイスンリーとの関連があるようで、陰謀論では下部組織とか説明がされたりしますが、実際には別組織でありながらシンボリズムの勉強やその他組織の特徴なんかが根本的に異なる、全体としてまとめて友愛団体という事になるのだと思います。
日本ではフリーメイスンが表立って活動するとかいう機会はアメリカやイギリスなどと比べて非常に少ないと思いますが、それに比べていわゆるフリーメイスンリーのシンボリズムのアピールなどの際に実働部隊というと語弊がありますが、実際にこれらの作業に当たるのはライオンズクラブやロータリークラブである事が多い事は間違いないかと思います。少なくともこれまでに挙げた横須賀のシンボルに関しては基地のフリーメイスンリーロッジが直接活動する事はありえませんし、どう考えても直接的にはロータリークラブやライオンズクラブの活動を通さなければ不可能だと思われます。また芸能界やテレビなどの具体的にはきゃりーぱみゅぱみゅとか歌手のPVやテレビ番組で用いられるシンボリズムなどもこれらロータリークラブやライオンズクラブの活動を通して行われているものかと思います。もちろん日本においてもアメリカ軍関係などを通して直接フリーメイスンがそうした活動を行った事もあるかとは思いますが、戦後のブラザーマッカーサーやブラザーデッカーらの華々しい数多くの施策政策などを除けば、直接的なものはそう多くは無いと思います。市章のシンボリズムなどで挙げられたフリーメイスンリーのシンボリズムにしても具体的に市章の制定に関与しているのはほぼライオンズクラブやロータリークラブの会員かと思われます。
さてまあ私はライオンズクラブやロータリークラブの会員ではないのですが、日本においてはこうした二団体の活動が戦前戦後を通して非常にフリーメイスンリーの理念に基づいて展開されている事は間違いないかと思いますし、謎の結社フリーメイスンリーとは違い普通の慈善団体として駅前のロータリーや公園の記念碑としてライオンズクラブやロータリークラブの名前を目にした事がある人も多いのではないかと思います。一応このブログを展開してきてフリーメイスンリーのシンボリズムとは微妙に異なるライオンズクラブやロータリークラブのシンボリズムといえる足跡残しのような、まあフリーメイスンリーと比べると極めて明快なそれらについて、主に横須賀のものについて解説する必要があるかと思います。
まずロータリークラブですが基本的にどこの町でもあるのがロータリークラブかと思われます。大体ちょっと人が多い繁華街の駅前などにロータリーがあるとその周辺にロータリークラブの看板や標語を書いた古びた記念碑があったり、ロータリークラブの寄付によるベンチや掲示板やごみ箱なんかがあったりします。ロータリークラブのホームページなどでの活動を見るとゴミ拾いとか他のクラブとの交流とかそういうものが多いかと思います。どの地区のロータリークラブも大概ホームページを持っていて地区の会長の名前が載っていたりします。基本的にロータリークラブは地区の業種で分けられている中から選ばれて会員となるそうで、私が個人的に会った人のちょっと変わった話ではアメリカからNASAの月の石を分析のために薄く削る技術を持っていてそれを行って会員に選ばれたらしいというような事を聞かされた事があります。主に横須賀ではメルキュールホテルで会合を行っているようで、こうした地域のロータリークラブが定期的に会合を開いているホテルなどの会場がその地域のランドマークになっている事が多いようです。(追記:横須賀ロータリーのホームページによるとメルキュールホテルもセントラルホテルも代表者がロータリークラブ会員のようです。また例会場は基本的には商工会議所だそうです。)またJR横須賀駅前のロータリーや武山ロータリーのようにわかりやすいロータリーをその地域のランドマークとして設置していくというのも多いようです。横須賀市民病院前にもやはり立派なロータリーがあったりしました。ヴェルニー公園や大楠山や横須賀美術館などのシンボリズムなどがそれらの関連であるようです。テレビなどでも歯車の形でセットに大きく写すなどのシンボリズムが見受けられます。またこのブログで以前にも触れたRのシンボリズムもロータリークラブの頭文字という事で関係あるかと思われます。
ライオンズクラブは西武ライオンズやライオンズマンションなどのようにそのままライオンの名称や像を使ったシンボリズムが多く認められます。古いところでは手塚治虫のジャングル大帝のレオのイメージを多用したりするところも大概ライオンズクラブの関連のようです。ライオンという企業もあるかと思いますし、三菱系列でもライオンはあったかと思いますし、イオングループもライオンズクラブ関連なのでしょうか。有名なライオン像は三越のライオン像やメトロ・ゴールドウィン・メイヤー映画のライオンなどがあるでしょうか。横須賀では三笠公園が代表的なライオンズクラブが関わったもののようで、その他にはYRP野比なども大きなライオンの銅像が認められるなどわかりやすいシンボルの設置がされています。YRP野比にはラ・ルーブルの前に小さなロータリーもあったりしてロータリークラブとライオンズクラブが共に主張し合っている様子も認められたりします。主にセントラルホテルで会合を開いているようで、ホテルの入り口にシンボルマークが表示されています。かつては京急の横須賀中央駅の前もロータリーがありオベリスクがあったようですが、現在はそれらが無くなり縄張りのようなものが意識される感じでしょうか。ライオンズクラブでは三笠公園の上空から見た形のLの形のようにLのシンボリズムもあり、トヨタの高級車のレクサスのLのシンボリズムやその他店の屋号などでも横須賀ではLのシンボリズムを認めたりします。ライオンズクラブもそもそもがロータリークラブから派生したそのさらに活動を積極的にした団体という事で、三笠公園のシンボリズムのようにちょっと旧来のシンボリズムからはそれたような仏教の考え方を象徴したシンボリズムを行ったりという事なのだと思います。
まあそもそものライオンの象徴が仏像の源流であるスフィンクスであったり、ロータリークラブの歯車の象徴がイクトゥスホイールであったりとそれぞれの団体のシンボルにもその特徴が表れているわけですが、それらの活動が横須賀の地で盛んなのも基地のフリーメイスンリーを主体とした明治維新以来の綿々としたフリーメイスンリーの歴史があるからだと思われます。
さてまあライオンズクラブとロータリークラブの話題はその位で、とりあえず気付いた人もいるかと思いますが、ヴェルニー公園の33個目の光は点灯しているのですが、18本ある方の灯が一つ消えていますね。18はやはりスコティッシュライトの18階級のキリスト教の薔薇十字団の薔薇十字の騎士を意味するそうで、まあ色々フリーメイスンリーとは直接的には異なるライオンズクラブ、ロータリークラブの日本的なフリーメイスンリーの活動という事になるのだと思われます。
そういえばこのブログでも最初のころにテレビについてで触れたCMでヤキンとボアズの柱を示していた高須クリニックの高須会長がどうも名古屋の現グランドマスターが在籍するロッジに入会したようです。ツイッターで挙げていた写真をここに再掲します。全員日本人のメンバーの写真が出ていますが恐らく大丈夫なのだと思われます。横浜ロッジの今年の役員の写真やグランドロッジの活動の様子なども必要があれば記事にする事もあるかと思います。私自身の写真は自らはあまり出さないままかと思います。興味があればフェイスブックで検索してください。いずれにしてもこのブログの当初の趣旨の通り日本人会員を増やしてロッジの数を欧米並みにしたいというところがあるのだと思います。まあ実際フリーメイスンになってどんなメリットがというところがネックになるのだと思いますが、フリーメイスンになりたいと思う社会、それがまず大事なのだと思われます。

日本ではフリーメイスンが表立って活動するとかいう機会はアメリカやイギリスなどと比べて非常に少ないと思いますが、それに比べていわゆるフリーメイスンリーのシンボリズムのアピールなどの際に実働部隊というと語弊がありますが、実際にこれらの作業に当たるのはライオンズクラブやロータリークラブである事が多い事は間違いないかと思います。少なくともこれまでに挙げた横須賀のシンボルに関しては基地のフリーメイスンリーロッジが直接活動する事はありえませんし、どう考えても直接的にはロータリークラブやライオンズクラブの活動を通さなければ不可能だと思われます。また芸能界やテレビなどの具体的にはきゃりーぱみゅぱみゅとか歌手のPVやテレビ番組で用いられるシンボリズムなどもこれらロータリークラブやライオンズクラブの活動を通して行われているものかと思います。もちろん日本においてもアメリカ軍関係などを通して直接フリーメイスンがそうした活動を行った事もあるかとは思いますが、戦後のブラザーマッカーサーやブラザーデッカーらの華々しい数多くの施策政策などを除けば、直接的なものはそう多くは無いと思います。市章のシンボリズムなどで挙げられたフリーメイスンリーのシンボリズムにしても具体的に市章の制定に関与しているのはほぼライオンズクラブやロータリークラブの会員かと思われます。
さてまあ私はライオンズクラブやロータリークラブの会員ではないのですが、日本においてはこうした二団体の活動が戦前戦後を通して非常にフリーメイスンリーの理念に基づいて展開されている事は間違いないかと思いますし、謎の結社フリーメイスンリーとは違い普通の慈善団体として駅前のロータリーや公園の記念碑としてライオンズクラブやロータリークラブの名前を目にした事がある人も多いのではないかと思います。一応このブログを展開してきてフリーメイスンリーのシンボリズムとは微妙に異なるライオンズクラブやロータリークラブのシンボリズムといえる足跡残しのような、まあフリーメイスンリーと比べると極めて明快なそれらについて、主に横須賀のものについて解説する必要があるかと思います。
まずロータリークラブですが基本的にどこの町でもあるのがロータリークラブかと思われます。大体ちょっと人が多い繁華街の駅前などにロータリーがあるとその周辺にロータリークラブの看板や標語を書いた古びた記念碑があったり、ロータリークラブの寄付によるベンチや掲示板やごみ箱なんかがあったりします。ロータリークラブのホームページなどでの活動を見るとゴミ拾いとか他のクラブとの交流とかそういうものが多いかと思います。どの地区のロータリークラブも大概ホームページを持っていて地区の会長の名前が載っていたりします。基本的にロータリークラブは地区の業種で分けられている中から選ばれて会員となるそうで、私が個人的に会った人のちょっと変わった話ではアメリカからNASAの月の石を分析のために薄く削る技術を持っていてそれを行って会員に選ばれたらしいというような事を聞かされた事があります。主に横須賀ではメルキュールホテルで会合を行っているようで、こうした地域のロータリークラブが定期的に会合を開いているホテルなどの会場がその地域のランドマークになっている事が多いようです。(追記:横須賀ロータリーのホームページによるとメルキュールホテルもセントラルホテルも代表者がロータリークラブ会員のようです。また例会場は基本的には商工会議所だそうです。)またJR横須賀駅前のロータリーや武山ロータリーのようにわかりやすいロータリーをその地域のランドマークとして設置していくというのも多いようです。横須賀市民病院前にもやはり立派なロータリーがあったりしました。ヴェルニー公園や大楠山や横須賀美術館などのシンボリズムなどがそれらの関連であるようです。テレビなどでも歯車の形でセットに大きく写すなどのシンボリズムが見受けられます。またこのブログで以前にも触れたRのシンボリズムもロータリークラブの頭文字という事で関係あるかと思われます。
ライオンズクラブは西武ライオンズやライオンズマンションなどのようにそのままライオンの名称や像を使ったシンボリズムが多く認められます。古いところでは手塚治虫のジャングル大帝のレオのイメージを多用したりするところも大概ライオンズクラブの関連のようです。ライオンという企業もあるかと思いますし、三菱系列でもライオンはあったかと思いますし、イオングループもライオンズクラブ関連なのでしょうか。有名なライオン像は三越のライオン像やメトロ・ゴールドウィン・メイヤー映画のライオンなどがあるでしょうか。横須賀では三笠公園が代表的なライオンズクラブが関わったもののようで、その他にはYRP野比なども大きなライオンの銅像が認められるなどわかりやすいシンボルの設置がされています。YRP野比にはラ・ルーブルの前に小さなロータリーもあったりしてロータリークラブとライオンズクラブが共に主張し合っている様子も認められたりします。主にセントラルホテルで会合を開いているようで、ホテルの入り口にシンボルマークが表示されています。かつては京急の横須賀中央駅の前もロータリーがありオベリスクがあったようですが、現在はそれらが無くなり縄張りのようなものが意識される感じでしょうか。ライオンズクラブでは三笠公園の上空から見た形のLの形のようにLのシンボリズムもあり、トヨタの高級車のレクサスのLのシンボリズムやその他店の屋号などでも横須賀ではLのシンボリズムを認めたりします。ライオンズクラブもそもそもがロータリークラブから派生したそのさらに活動を積極的にした団体という事で、三笠公園のシンボリズムのようにちょっと旧来のシンボリズムからはそれたような仏教の考え方を象徴したシンボリズムを行ったりという事なのだと思います。
まあそもそものライオンの象徴が仏像の源流であるスフィンクスであったり、ロータリークラブの歯車の象徴がイクトゥスホイールであったりとそれぞれの団体のシンボルにもその特徴が表れているわけですが、それらの活動が横須賀の地で盛んなのも基地のフリーメイスンリーを主体とした明治維新以来の綿々としたフリーメイスンリーの歴史があるからだと思われます。
さてまあライオンズクラブとロータリークラブの話題はその位で、とりあえず気付いた人もいるかと思いますが、ヴェルニー公園の33個目の光は点灯しているのですが、18本ある方の灯が一つ消えていますね。18はやはりスコティッシュライトの18階級のキリスト教の薔薇十字団の薔薇十字の騎士を意味するそうで、まあ色々フリーメイスンリーとは直接的には異なるライオンズクラブ、ロータリークラブの日本的なフリーメイスンリーの活動という事になるのだと思われます。
そういえばこのブログでも最初のころにテレビについてで触れたCMでヤキンとボアズの柱を示していた高須クリニックの高須会長がどうも名古屋の現グランドマスターが在籍するロッジに入会したようです。ツイッターで挙げていた写真をここに再掲します。全員日本人のメンバーの写真が出ていますが恐らく大丈夫なのだと思われます。横浜ロッジの今年の役員の写真やグランドロッジの活動の様子なども必要があれば記事にする事もあるかと思います。私自身の写真は自らはあまり出さないままかと思います。興味があればフェイスブックで検索してください。いずれにしてもこのブログの当初の趣旨の通り日本人会員を増やしてロッジの数を欧米並みにしたいというところがあるのだと思います。まあ実際フリーメイスンになってどんなメリットがというところがネックになるのだと思いますが、フリーメイスンになりたいと思う社会、それがまず大事なのだと思われます。

さてさて大分間があいて固定の読者の方もほとんど散り散りばらばらになってしまったかもしれませんが、色々この間に世の中の動きもあり、何よりフリーメイスンリーのロッジはインストレーションといって役員が決まる事があり、現在私は全然ロッジに通っていないので関係ないようなものでありながら実は色々あるようなないようなと、まあとにかくそろそろこの旅の旅行記は最後までやっちまおうという事でヴェルサイユ宮殿の謎のシリーズを再開します。
その前に色々パリのフリーメイスンリー関連で検索していて、私がちょうどパリに滞在していたまさにその時に何とフランス大東社のグランドロッジの、私が一生懸命頼んでも入れてくれなかったロッジの部屋の方にすんなり入ったというバックパッカーの女性の方のブログを発見して驚いてしまって、まあまたこの辺りがフリーメイスンリーのウィットというか面白いところなんだと思いますが、アキレス腱を切って一年待って行ったロンドン・パリ旅行だけあって色々あります。
そういうわけで一応そのブログに載っていた写真をコメントで断って転載させていただきます。もちろんそちらのブログの方を見ていただく方が早いのですが、一応フリーメイスンの眼という事でコメントしていきます。

これは入口のところなんですが、確か同じだったと思います。フリーメイスンリーの紹介のマンガでこのキャラクターを使っているようです。マンガを買ったのですが、なんせフランス語なんで良くわかりません。

この方のブログでは博物館が休みだったけど頼み込んだら最初に屋上に連れて行ってくれたという事でした。その後それぞれのロッジの部屋に案内されてそれぞれ写真を撮っています。一番有名なホールには入っていないようでした。この部屋も観た事ある部屋ですね。

確か私が訪問したのはこの前日かなんかだったのでまあそういう関係もあるのだと思います。しかしまあその辺がフランス大東社とイングランドグランドロッジの関係性なのでしょうかね。面白い話だと思います。

この人権宣言の上にある三角形にAll Seeing Eyeを組み合わせた形はフランス大東社に特徴的なんだと思われます。英米系ではGのシンボルになるところなのだと思われます。面白いですね。

なかなかフランスのものはやはり色彩やデザイン的に美しいですね。素晴らしい。

美術館のようでもあります。

マリアンヌもフランス大東社に特徴的なのだと思われます。レピュブリック広場のマリアンヌが見られなかったのも残念でした。

こういうのも美術館のようです。

パーフェクトアシュラーもオベリスクの形をしていて、一時流行った形のようです。有澤玲氏の新しい本では説明があったかと思われます。

なかなかロッジ自体が一つの芸術作品のようです。

こういう指紋のような形の暗号の並びのようなものがあるようです。

この裏側が博物館側だそうです。

博物館と同様の展示もあるようです。

これはロスト・シンボルでも強調されていた「反省の小部屋」のようです。精巧に出来ていますね。

なかなかサイケデリックなデザインですね。儀式やそれにまつわる小道具や設備は大陸の大東社系の方が凝っていたり複雑である事が多いそうです。上位位階やそれにまつわる付随結社やそれらと社会情勢の動きがヨーロッパ大陸での方が激しく複雑であった歴史によるものかもしれません。
さて以上で貴重なフランス大東社のロッジの様子は終了です。ヤキンとボアズの柱の二元論のように、英米フリーメイスンリーとフランス大東社系フリーメイスンリーとは表裏一体の関係であり続けるのかもしれません。
では本題のヴェルサイユ宮殿の紹介です。
ええとその2なんですね。鏡の間まで行ったところでした。概略としては要するに王権の象徴であるヴェルサイユ宮殿にも予想に反して床の白黒のタイルや三角形のAll Seeing Eyeの象徴やフリーメイスンリーの象徴がたくさんありどうもルイ十四世時代からフリーメイスンリーを意識したものであったのではないかというところですね。そしてどうもその太陽王というルイ十四世の呼び名にしても太陽信仰、アポロン神やギリシア神話といったキリスト教以前のローマ帝国時代やそれ以前の宗教を意識したものであるようで、当時の帝王学がイギリスでのクイーンズハウスの建築に認められるように十分フリーメイスンリーの考え方に基づいたものであったものであったらしいという事かと思います。
では写真を挙げていきます。


寝室でしょうかね。しかしまあ大分間があいて冷静に写真を見るわけですが、こういう古いシャンデリアに電気を通して電燈にする作業は大変ですね。かつてのロウソクでシャンデリアであった時代はもっと大変ですが、いずれにしても明かりをともす作業というのは実際にも大変です。ロウソクであった時代にはロウソクを家来が全部消す作業を見ているだけで眠くなるでしょうね。

ルイ十六世でしょうかね。

マリー・アントワネットかそれ以外の王妃でしょうね。机の上にある海老の人形はなんだか当時展示してあった前衛芸術の一つだそうで料理の具材とか家事の道具とかなんかそういうのをメルヘンチックに巨大な展示で置いてありました。家事がやりたくないという強烈なメッセージは伝わってきました。

タペストリーがすごいですね。これは題材は最高存在の祭典のような感じでしょうか。いずれにしてもお祭りを描いているのでしょうね。

幾何学模様が美しいですが、菱形はそれっぽいですね。前のライオンはやはり一連の前衛芸術がライオンズクラブ関連という事を示しているのでしょうか。

ブラザーナポレオンの戴冠ですね。ブラザーダヴィッドの恋人がピンクの服になっているとかいないとか。

やっぱりこれもブラザーナポレオンですかね。

完全に逆光ですが、鏡の間の最後の方は肖像画が並べてあります。

これもそうですが、皆フリーメイスンの肖像なのだと思われます。

ブラザーラファイエットはわかりますね。その他は全くわかりません。アップで撮れば全部下に名前が入っているのでしょうね。ここは頑張るべきでしたが、ルーヴル美術館を周るつもりでしたのでスピードアップしています。次回周ったときには撮ってきましょう。

もしかするとこのヴェルサイユ宮殿がフランスフリーメイスンについて最も情報を公開している場所かもしれません。この時はそこまでは予想していませんでした。

白黒の床ですね。ルーヴル美術館でエジプト関連の展示だけであれだけだったので、そこから考えるとこちらの方がフリーメイスンリー的には重要という事なのでしょうね。

本当はヴェルサイユ宮殿とその周辺に一日以上かけた方が良いという事でしょうね。

ここは主にフランス革命以来のフランスの戦争の絵画を置いた部屋とされていますが、どうも見学の人はほとんどいません。雰囲気がまずいのか皆よく知っているのかわかりませんが、フリーメイスンリーの博物館のようです。三笠公園に近いかもしれませんが、ちょっとどうでしょう。

アウステルリッツの三帝会戦とかでしょうか。まあちょっともう少し勉強してから周らないとわからなそうです。

ブラザーダヴィッドの絵なのでしょうか。

ジャンヌ・ダルクなのだと思います。色々入り混じっています。フリーメイスンリー的には自由の女神の象徴なのだと思われます。

エジプト遠征などでしょうか。下の胸像も全員フリーメイスンだと思われます。パンテノンと合わせてフランスフリーメイスンリーをもう少し詳しく知るには相当巡らないと駄目なようです。

ブラザールイ・フィリップでしょうか。とにかくフランス革命史と合わせて最もややこしく複雑なフランスフリーメイスンリーは世界で最も複雑なフリーメイスンリーである事は間違いなさそうです。それこそがフランスの国旗に認めるフリーメイスンリーの精神を象徴した三色旗なのでしょう。

ブラザールイ・フィリップの戴冠でしょうか。髭のあるブラザーナポレオン三世ではなさそうです。

これがヘッダーの画像に使用している最後の部屋のシンボルを多量に描いた装飾です。この部屋はすごいです。全てフリーメイスンリーのシンボルで彩られています。恐らくフランスや世界中でもこれほどシンボルで埋め尽くされた部屋は無いのではないでしょうか。ほとんど観光客はいませんでした。絵画の流れから行くとフランス革命と復古王政を繰り返して完全にフリーメイスンリーの国になったという意味なんだと思います。

写真が汚くて申し訳ありませんが、ぜひ一度自分の目で確認される事をお勧めします。

いやあまあこれはすごかった。フランスフリーメイスンリーの総力を結集した感じでした。

ブラザールイ・フィリップの時代にフランスの歴史博物館として改修したと説明がありましたが、フランスフリーメイスンリーの博物館というのが正しいのだと思います。この部屋がそれらのまとめのところなのでしょうが、いやあすごかった。革命の馬鹿騒ぎとはとてもじゃないが言えません。

望遠で一個一個のシンボルについてきちんと見ないと駄目でしょうね。House of the Templeの感じと変わりませんし、それ以上です。こちらが本家本元という事なのでしょうね。

圧巻ですがホントにほとんど人がいません。早い時間であった事もあるのでしょうが、フランスにおけるフリーメイスンリーの感じも微妙に感じます。

こちらは再びオルレアンの少女です。これがまたワシントンDCのメリディアンパークのジャンヌ像にもつながるのですね。すごい歴史です。

イクトゥスホイールもあるし、これらのシンボルを全部図解した本もフランス語なら売っているのでしょうね。しかしすごい。

再び白黒の床です。

1階はブラザーナポレオン三世の居室として改修されたものが展示されているのでしたかね。

オーディオガイドがあったかと思います。さっきのフリーメイスンリーのシンボルの間はどう説明されているのでしょうね。

ブラザーナポレオン三世のものはルイ十四世らのものより派手さは控えてあって、英国王室に近いような感じでしょうか。失脚後に亡命しており親近感が元々あったようです。

ルイ十五世の愛人でしょうかね。ポンパドゥール夫人ですかね。王女たちのようでもあります。

これがまあ中庭ですが美しい白黒のタイルになっています。

この日は珍しく天気が良かったんですね。いやあしかし大分間を置いたせいで大分思い出になっていますね。英国がEUを脱退する国民投票なんてやってるそうですね。なんだか色々懐かしい位な感じです。まあ色々あって間が空いたみたいです。しかしまあフランスを初めてにしては一生懸命勉強した方だと思いますが、まだまだたくさん勉強しないといけないでしょうね。

庭園に出る前に再び白黒の床です。

当時は良くわかっていませんでしたが、これから出る庭園がそういう意味だよという意味なのです。

つまりヴェルサイユ宮殿の庭園はフリーメイスンリーの教えに基づく庭園な訳ですね。
それで次回はヴェルサイユ宮殿の最大の謎、有名なヴェルサイユ宮殿のブラザールイ十四世が愛した庭園です。
その前に色々パリのフリーメイスンリー関連で検索していて、私がちょうどパリに滞在していたまさにその時に何とフランス大東社のグランドロッジの、私が一生懸命頼んでも入れてくれなかったロッジの部屋の方にすんなり入ったというバックパッカーの女性の方のブログを発見して驚いてしまって、まあまたこの辺りがフリーメイスンリーのウィットというか面白いところなんだと思いますが、アキレス腱を切って一年待って行ったロンドン・パリ旅行だけあって色々あります。
そういうわけで一応そのブログに載っていた写真をコメントで断って転載させていただきます。もちろんそちらのブログの方を見ていただく方が早いのですが、一応フリーメイスンの眼という事でコメントしていきます。

これは入口のところなんですが、確か同じだったと思います。フリーメイスンリーの紹介のマンガでこのキャラクターを使っているようです。マンガを買ったのですが、なんせフランス語なんで良くわかりません。

この方のブログでは博物館が休みだったけど頼み込んだら最初に屋上に連れて行ってくれたという事でした。その後それぞれのロッジの部屋に案内されてそれぞれ写真を撮っています。一番有名なホールには入っていないようでした。この部屋も観た事ある部屋ですね。

確か私が訪問したのはこの前日かなんかだったのでまあそういう関係もあるのだと思います。しかしまあその辺がフランス大東社とイングランドグランドロッジの関係性なのでしょうかね。面白い話だと思います。

この人権宣言の上にある三角形にAll Seeing Eyeを組み合わせた形はフランス大東社に特徴的なんだと思われます。英米系ではGのシンボルになるところなのだと思われます。面白いですね。

なかなかフランスのものはやはり色彩やデザイン的に美しいですね。素晴らしい。

美術館のようでもあります。

マリアンヌもフランス大東社に特徴的なのだと思われます。レピュブリック広場のマリアンヌが見られなかったのも残念でした。

こういうのも美術館のようです。

パーフェクトアシュラーもオベリスクの形をしていて、一時流行った形のようです。有澤玲氏の新しい本では説明があったかと思われます。

なかなかロッジ自体が一つの芸術作品のようです。

こういう指紋のような形の暗号の並びのようなものがあるようです。

この裏側が博物館側だそうです。

博物館と同様の展示もあるようです。

これはロスト・シンボルでも強調されていた「反省の小部屋」のようです。精巧に出来ていますね。

なかなかサイケデリックなデザインですね。儀式やそれにまつわる小道具や設備は大陸の大東社系の方が凝っていたり複雑である事が多いそうです。上位位階やそれにまつわる付随結社やそれらと社会情勢の動きがヨーロッパ大陸での方が激しく複雑であった歴史によるものかもしれません。
さて以上で貴重なフランス大東社のロッジの様子は終了です。ヤキンとボアズの柱の二元論のように、英米フリーメイスンリーとフランス大東社系フリーメイスンリーとは表裏一体の関係であり続けるのかもしれません。
では本題のヴェルサイユ宮殿の紹介です。
ええとその2なんですね。鏡の間まで行ったところでした。概略としては要するに王権の象徴であるヴェルサイユ宮殿にも予想に反して床の白黒のタイルや三角形のAll Seeing Eyeの象徴やフリーメイスンリーの象徴がたくさんありどうもルイ十四世時代からフリーメイスンリーを意識したものであったのではないかというところですね。そしてどうもその太陽王というルイ十四世の呼び名にしても太陽信仰、アポロン神やギリシア神話といったキリスト教以前のローマ帝国時代やそれ以前の宗教を意識したものであるようで、当時の帝王学がイギリスでのクイーンズハウスの建築に認められるように十分フリーメイスンリーの考え方に基づいたものであったものであったらしいという事かと思います。
では写真を挙げていきます。


寝室でしょうかね。しかしまあ大分間があいて冷静に写真を見るわけですが、こういう古いシャンデリアに電気を通して電燈にする作業は大変ですね。かつてのロウソクでシャンデリアであった時代はもっと大変ですが、いずれにしても明かりをともす作業というのは実際にも大変です。ロウソクであった時代にはロウソクを家来が全部消す作業を見ているだけで眠くなるでしょうね。

ルイ十六世でしょうかね。

マリー・アントワネットかそれ以外の王妃でしょうね。机の上にある海老の人形はなんだか当時展示してあった前衛芸術の一つだそうで料理の具材とか家事の道具とかなんかそういうのをメルヘンチックに巨大な展示で置いてありました。家事がやりたくないという強烈なメッセージは伝わってきました。

タペストリーがすごいですね。これは題材は最高存在の祭典のような感じでしょうか。いずれにしてもお祭りを描いているのでしょうね。

幾何学模様が美しいですが、菱形はそれっぽいですね。前のライオンはやはり一連の前衛芸術がライオンズクラブ関連という事を示しているのでしょうか。

ブラザーナポレオンの戴冠ですね。ブラザーダヴィッドの恋人がピンクの服になっているとかいないとか。

やっぱりこれもブラザーナポレオンですかね。

完全に逆光ですが、鏡の間の最後の方は肖像画が並べてあります。

これもそうですが、皆フリーメイスンの肖像なのだと思われます。

ブラザーラファイエットはわかりますね。その他は全くわかりません。アップで撮れば全部下に名前が入っているのでしょうね。ここは頑張るべきでしたが、ルーヴル美術館を周るつもりでしたのでスピードアップしています。次回周ったときには撮ってきましょう。

もしかするとこのヴェルサイユ宮殿がフランスフリーメイスンについて最も情報を公開している場所かもしれません。この時はそこまでは予想していませんでした。

白黒の床ですね。ルーヴル美術館でエジプト関連の展示だけであれだけだったので、そこから考えるとこちらの方がフリーメイスンリー的には重要という事なのでしょうね。

本当はヴェルサイユ宮殿とその周辺に一日以上かけた方が良いという事でしょうね。

ここは主にフランス革命以来のフランスの戦争の絵画を置いた部屋とされていますが、どうも見学の人はほとんどいません。雰囲気がまずいのか皆よく知っているのかわかりませんが、フリーメイスンリーの博物館のようです。三笠公園に近いかもしれませんが、ちょっとどうでしょう。

アウステルリッツの三帝会戦とかでしょうか。まあちょっともう少し勉強してから周らないとわからなそうです。

ブラザーダヴィッドの絵なのでしょうか。

ジャンヌ・ダルクなのだと思います。色々入り混じっています。フリーメイスンリー的には自由の女神の象徴なのだと思われます。

エジプト遠征などでしょうか。下の胸像も全員フリーメイスンだと思われます。パンテノンと合わせてフランスフリーメイスンリーをもう少し詳しく知るには相当巡らないと駄目なようです。

ブラザールイ・フィリップでしょうか。とにかくフランス革命史と合わせて最もややこしく複雑なフランスフリーメイスンリーは世界で最も複雑なフリーメイスンリーである事は間違いなさそうです。それこそがフランスの国旗に認めるフリーメイスンリーの精神を象徴した三色旗なのでしょう。

ブラザールイ・フィリップの戴冠でしょうか。髭のあるブラザーナポレオン三世ではなさそうです。

これがヘッダーの画像に使用している最後の部屋のシンボルを多量に描いた装飾です。この部屋はすごいです。全てフリーメイスンリーのシンボルで彩られています。恐らくフランスや世界中でもこれほどシンボルで埋め尽くされた部屋は無いのではないでしょうか。ほとんど観光客はいませんでした。絵画の流れから行くとフランス革命と復古王政を繰り返して完全にフリーメイスンリーの国になったという意味なんだと思います。

写真が汚くて申し訳ありませんが、ぜひ一度自分の目で確認される事をお勧めします。

いやあまあこれはすごかった。フランスフリーメイスンリーの総力を結集した感じでした。

ブラザールイ・フィリップの時代にフランスの歴史博物館として改修したと説明がありましたが、フランスフリーメイスンリーの博物館というのが正しいのだと思います。この部屋がそれらのまとめのところなのでしょうが、いやあすごかった。革命の馬鹿騒ぎとはとてもじゃないが言えません。

望遠で一個一個のシンボルについてきちんと見ないと駄目でしょうね。House of the Templeの感じと変わりませんし、それ以上です。こちらが本家本元という事なのでしょうね。

圧巻ですがホントにほとんど人がいません。早い時間であった事もあるのでしょうが、フランスにおけるフリーメイスンリーの感じも微妙に感じます。

こちらは再びオルレアンの少女です。これがまたワシントンDCのメリディアンパークのジャンヌ像にもつながるのですね。すごい歴史です。

イクトゥスホイールもあるし、これらのシンボルを全部図解した本もフランス語なら売っているのでしょうね。しかしすごい。

再び白黒の床です。

1階はブラザーナポレオン三世の居室として改修されたものが展示されているのでしたかね。

オーディオガイドがあったかと思います。さっきのフリーメイスンリーのシンボルの間はどう説明されているのでしょうね。

ブラザーナポレオン三世のものはルイ十四世らのものより派手さは控えてあって、英国王室に近いような感じでしょうか。失脚後に亡命しており親近感が元々あったようです。

ルイ十五世の愛人でしょうかね。ポンパドゥール夫人ですかね。王女たちのようでもあります。

これがまあ中庭ですが美しい白黒のタイルになっています。

この日は珍しく天気が良かったんですね。いやあしかし大分間を置いたせいで大分思い出になっていますね。英国がEUを脱退する国民投票なんてやってるそうですね。なんだか色々懐かしい位な感じです。まあ色々あって間が空いたみたいです。しかしまあフランスを初めてにしては一生懸命勉強した方だと思いますが、まだまだたくさん勉強しないといけないでしょうね。

庭園に出る前に再び白黒の床です。

当時は良くわかっていませんでしたが、これから出る庭園がそういう意味だよという意味なのです。

つまりヴェルサイユ宮殿の庭園はフリーメイスンリーの教えに基づく庭園な訳ですね。
それで次回はヴェルサイユ宮殿の最大の謎、有名なヴェルサイユ宮殿のブラザールイ十四世が愛した庭園です。
前回の四元徳の記事は全て忘れてください。
非常にお恥ずかしい話ですが、以前と同じくProvidenceとPrudenceを間違えた話は載せましたが、さらにPrudenceとFortitudeの絵柄があれはずれたままなのです。今回もまたひっかけられたという話で、進歩が無いままで終わってしまってはしょうがないので、さらに拡大して四元徳+三つの徳で七元徳の話とします。
四元徳は前回の画像は破棄して新しいもので単語の入っていないものとします。

左からTemperance節制 そのままでお酒を飲み過ぎたりしないようにと、言葉などを慎むようにというところだと思います。 Prudence慎重さ、思慮分別 こちらがPrudenceです。鏡を見て慎重にわが身を振り返っているところです。 Fortitude剛勇さ、堅忍不抜 こちらがFortitudeです。勇気があって勇ましい事や毅然としてとあります。行動力があるというのとはまた違うようですが、解釈としてはそれで良いのだと思います。 Justice正義 何事にも正義をもって行動するでよいのだと思います。それぞれわかりやすく節制、知恵、勇気、正義ともされるようです。

左からFaith信条、信念、信仰 固い信念が大事という事です。火を見つめていて、拝火教とも違いますが、単純な信仰の表現ともまた違います。 Hope希望 常に希望を持ち続ける事が大事という事です。 Charity奉仕 チャリティーは友愛団体の信条ともいうところですが、個人でまず行動する習慣が大事という事です。
さてレクチャーとなったでしょうか。実際にこういう流れで行くと覚えやすいのかもしれません。
第一階級Entered Apprenticeの重要な教えで、フリーメイスンリーの道徳的な教えのかなり重要な部分です。元々ギリシア哲学やキリスト教の教えで重要とされているものです。
(追記:ロンドンオリンピックの開会式について触れたところで7つの列柱で七元徳を示すかもしれないとして美しいキリスト教のラテン語で示した七元徳の画像を使っていたので再掲します。

恐らくロンドンオリンピックの開会式は入会儀礼を模したものであったのでしょうね。七元徳は社会常識として知っていて間違いないと思います。もちろんフリーメイスンリーのロッジに行ってレクチャーを受ける機会があれば七元徳について教えてもらう機会もあるかと思います。)
非常にお恥ずかしい話ですが、以前と同じくProvidenceとPrudenceを間違えた話は載せましたが、さらにPrudenceとFortitudeの絵柄があれはずれたままなのです。今回もまたひっかけられたという話で、進歩が無いままで終わってしまってはしょうがないので、さらに拡大して四元徳+三つの徳で七元徳の話とします。
四元徳は前回の画像は破棄して新しいもので単語の入っていないものとします。

左からTemperance節制 そのままでお酒を飲み過ぎたりしないようにと、言葉などを慎むようにというところだと思います。 Prudence慎重さ、思慮分別 こちらがPrudenceです。鏡を見て慎重にわが身を振り返っているところです。 Fortitude剛勇さ、堅忍不抜 こちらがFortitudeです。勇気があって勇ましい事や毅然としてとあります。行動力があるというのとはまた違うようですが、解釈としてはそれで良いのだと思います。 Justice正義 何事にも正義をもって行動するでよいのだと思います。それぞれわかりやすく節制、知恵、勇気、正義ともされるようです。

左からFaith信条、信念、信仰 固い信念が大事という事です。火を見つめていて、拝火教とも違いますが、単純な信仰の表現ともまた違います。 Hope希望 常に希望を持ち続ける事が大事という事です。 Charity奉仕 チャリティーは友愛団体の信条ともいうところですが、個人でまず行動する習慣が大事という事です。
さてレクチャーとなったでしょうか。実際にこういう流れで行くと覚えやすいのかもしれません。
第一階級Entered Apprenticeの重要な教えで、フリーメイスンリーの道徳的な教えのかなり重要な部分です。元々ギリシア哲学やキリスト教の教えで重要とされているものです。
(追記:ロンドンオリンピックの開会式について触れたところで7つの列柱で七元徳を示すかもしれないとして美しいキリスト教のラテン語で示した七元徳の画像を使っていたので再掲します。

恐らくロンドンオリンピックの開会式は入会儀礼を模したものであったのでしょうね。七元徳は社会常識として知っていて間違いないと思います。もちろんフリーメイスンリーのロッジに行ってレクチャーを受ける機会があれば七元徳について教えてもらう機会もあるかと思います。)
ブログというものの定義や何かはそれぞれ異なるのかもしれませんし、あえてそれについてウィキペディアで調べたりする事も愚かしいと思うのがまあ普通のインターネットユーザーなのだと思います。
インターネットユーザーという言葉もあまり普通ではないと思いますが、かつてはネットユーザー、ネットサーファー、ネット閲覧者など様々な呼称で呼ばれ、いわゆる普通のメディアである新聞やテレビ、ラジオ、本以外の情報源を持つ新たな情報メディアの使い手という意味で区別されましたが現在はそういうものは無いようです。それはやはりスマートフォンの登場でいわゆる普通の人にインターネットが浸透した結果だと思うわけですが、その中で恐らく主要な役割を担ったのがブログであるかと思います。
インターネット黎明期にいわゆるHPと略されたホームページという自己紹介や趣味の紹介といったもののメリットがほとんど明らかにされなかったのはさておき、個人情報や無料で情報発信することの意義といったものを疑問視する中で一方ではマルチメディア、テレビとインターネットの融合、出版業界の衰退、新聞メディアのネット化など様々な社会変化が叫ばれましたが、現在それらの変化はほぼ終息の方向へ向かっているのかもしれません。
私も現在恐らく日本人に最も影響を与える内容のブログを進行中で、それぞれ内容について世界中のフリーメイスンや日本のロータリークラブやライオンズクラブ、フリーメイスンなどと様々に影響しあいながらなかなか現実に情報発信し続けることのむずかしさ、モチベーションを保つ事の様々な困難を強く自覚しているわけですが、その中でブログのアクセス数といったものはかなり直接的な評価といったもので、日本人に最も影響を与える内容の割には日に二桁くらいの数でなかなか現実は厳しいわけですが、まあその中にはグーグルクローラがあったりとインターネットの影響について実数を測る事の難しさはかつて2チャンネルで情報発信した時代の影響力を考える事と変わらずなかなか難しいわけですが、良く言われるテレビの視聴率や広告効果などと同じで、まあメディアというのが聖書の「最初に言葉ありき」と一緒で言葉の影響力というのは無限であるというのが一つの確固たるところだと思います。
まあ要するにブログのカウンターの話な訳です。
このブログの動向を激しくチェックしている方はおわかりだと思いますが、当初このブログはFC2ブログとアメーバブログの2本立てで進行し、途中でアメーバブログのみとして再びFC2ブログへと引っ越しをした経緯があります。それぞれテンプレートの変更したり、画像が大きいものが載せられるなど理由はあったのですが、まあ内容が内容であるだけに途中で不測の事態が起こり得るという警戒感からそういう変則的な事になったわけですが、まあ現在アメリカに基本的にサーバーがあって規制やルールについても基本的にアメリカ国内の状況が適応されるFC2ブログがブログ業界の中でもトップの状況で維持されているそのままであるようで、そこでいかにもフリーメイスンリーというテンプレートやユーチューブの動画を利用して継続しているわけですが、まああまりにカウンターの数字は貧相で、影響は無限大といってもなんとかもう少しいわゆる視聴者を増やしたいという事を思うわけでして、現在私の利用しているインターネットアクセスでは基本的に2ちゃんねるで宣伝する事もアクセス規制を適応されていて、単純にブログアクセスを増加させる手段が無い事もあり、ブログのコピーを各ブログサイトに置いて全体の視聴者数を増加させようと試み、再びアメーバブログ、ライブドアブログ、ヤフーブログ、gooブログにこれまでのこのブログの内容のコピーを置くこととしました。
以上非常に読みづらい長文で申し訳ありませんが以下のブログにコピーを置きました。
http://blog.livedoor.jp/japanesefreemasonry/
http://ameblo.jp/japanesefreemasonry/
http://blogs.yahoo.co.jp/kosuzumekyoku
http://blog.goo.ne.jp/japanesefreemasonry
まだアメーバとヤフーについては移転作業が終わっていないようですが、まあNTT系のgooとかつてのライブドア騒動で名を馳せたライブドアが最も移転がスムーズでライブドアに至っては画像のコピーも全て行ってくれるというまあなんというかそのままというか、各社の経営の姿勢がそのまま表れているという感じではないでしょうか。各社ともアクセス数やアクセス解析がそれなりについているのですが、gooはどうも移転してすぐにFC2よりも何倍も多いアクセス数が表示されて、どうもかつてのHP時代のカウンターのような体質がそのまま残った感じのようでしかもアクセス解析に月500円かかるなどまさに個人情報に価値を置くという社の姿勢がそのまま表れ、ライブドアの方はほぼFC2と同じ姿勢というまさに経営がそのまま見える感じで、まあ面白い感じでしょうか。その他に楽天も開設を検討したのですがインポート、エクスポートとも不可能で、主に商品紹介のアフィリエイト関連のブログしか勧めていないようで、まあ2ちゃんねるなどの動向も含めてインターネットも面白い時代になったようです。
まあしかしフリーメイスンリー関連の書籍も大分購入したわけですが、ほとんどの内容についてインターネットと比較してそこまでの価値は無いという内容がほとんどな訳で、日本の出版業界についてもデフレは今後さらに進行せざるを得ないのではないかと思われます。円安とも相まって物の価値というものについて様々に考えさせられるきっかけともなるのがこういったフリーメイスンリーのブログではないでしょうか。
(2013/10/27追記:FC2ブログ以外のコピーしたブログはすべて削除しました。)
インターネットユーザーという言葉もあまり普通ではないと思いますが、かつてはネットユーザー、ネットサーファー、ネット閲覧者など様々な呼称で呼ばれ、いわゆる普通のメディアである新聞やテレビ、ラジオ、本以外の情報源を持つ新たな情報メディアの使い手という意味で区別されましたが現在はそういうものは無いようです。それはやはりスマートフォンの登場でいわゆる普通の人にインターネットが浸透した結果だと思うわけですが、その中で恐らく主要な役割を担ったのがブログであるかと思います。
インターネット黎明期にいわゆるHPと略されたホームページという自己紹介や趣味の紹介といったもののメリットがほとんど明らかにされなかったのはさておき、個人情報や無料で情報発信することの意義といったものを疑問視する中で一方ではマルチメディア、テレビとインターネットの融合、出版業界の衰退、新聞メディアのネット化など様々な社会変化が叫ばれましたが、現在それらの変化はほぼ終息の方向へ向かっているのかもしれません。
私も現在恐らく日本人に最も影響を与える内容のブログを進行中で、それぞれ内容について世界中のフリーメイスンや日本のロータリークラブやライオンズクラブ、フリーメイスンなどと様々に影響しあいながらなかなか現実に情報発信し続けることのむずかしさ、モチベーションを保つ事の様々な困難を強く自覚しているわけですが、その中でブログのアクセス数といったものはかなり直接的な評価といったもので、日本人に最も影響を与える内容の割には日に二桁くらいの数でなかなか現実は厳しいわけですが、まあその中にはグーグルクローラがあったりとインターネットの影響について実数を測る事の難しさはかつて2チャンネルで情報発信した時代の影響力を考える事と変わらずなかなか難しいわけですが、良く言われるテレビの視聴率や広告効果などと同じで、まあメディアというのが聖書の「最初に言葉ありき」と一緒で言葉の影響力というのは無限であるというのが一つの確固たるところだと思います。
まあ要するにブログのカウンターの話な訳です。
このブログの動向を激しくチェックしている方はおわかりだと思いますが、当初このブログはFC2ブログとアメーバブログの2本立てで進行し、途中でアメーバブログのみとして再びFC2ブログへと引っ越しをした経緯があります。それぞれテンプレートの変更したり、画像が大きいものが載せられるなど理由はあったのですが、まあ内容が内容であるだけに途中で不測の事態が起こり得るという警戒感からそういう変則的な事になったわけですが、まあ現在アメリカに基本的にサーバーがあって規制やルールについても基本的にアメリカ国内の状況が適応されるFC2ブログがブログ業界の中でもトップの状況で維持されているそのままであるようで、そこでいかにもフリーメイスンリーというテンプレートやユーチューブの動画を利用して継続しているわけですが、まああまりにカウンターの数字は貧相で、影響は無限大といってもなんとかもう少しいわゆる視聴者を増やしたいという事を思うわけでして、現在私の利用しているインターネットアクセスでは基本的に2ちゃんねるで宣伝する事もアクセス規制を適応されていて、単純にブログアクセスを増加させる手段が無い事もあり、ブログのコピーを各ブログサイトに置いて全体の視聴者数を増加させようと試み、再びアメーバブログ、ライブドアブログ、ヤフーブログ、gooブログにこれまでのこのブログの内容のコピーを置くこととしました。
以上非常に読みづらい長文で申し訳ありませんが以下のブログにコピーを置きました。
http://blog.livedoor.jp/japanesefreemasonry/
http://ameblo.jp/japanesefreemasonry/
http://blogs.yahoo.co.jp/kosuzumekyoku
http://blog.goo.ne.jp/japanesefreemasonry
まだアメーバとヤフーについては移転作業が終わっていないようですが、まあNTT系のgooとかつてのライブドア騒動で名を馳せたライブドアが最も移転がスムーズでライブドアに至っては画像のコピーも全て行ってくれるというまあなんというかそのままというか、各社の経営の姿勢がそのまま表れているという感じではないでしょうか。各社ともアクセス数やアクセス解析がそれなりについているのですが、gooはどうも移転してすぐにFC2よりも何倍も多いアクセス数が表示されて、どうもかつてのHP時代のカウンターのような体質がそのまま残った感じのようでしかもアクセス解析に月500円かかるなどまさに個人情報に価値を置くという社の姿勢がそのまま表れ、ライブドアの方はほぼFC2と同じ姿勢というまさに経営がそのまま見える感じで、まあ面白い感じでしょうか。その他に楽天も開設を検討したのですがインポート、エクスポートとも不可能で、主に商品紹介のアフィリエイト関連のブログしか勧めていないようで、まあ2ちゃんねるなどの動向も含めてインターネットも面白い時代になったようです。
まあしかしフリーメイスンリー関連の書籍も大分購入したわけですが、ほとんどの内容についてインターネットと比較してそこまでの価値は無いという内容がほとんどな訳で、日本の出版業界についてもデフレは今後さらに進行せざるを得ないのではないかと思われます。円安とも相まって物の価値というものについて様々に考えさせられるきっかけともなるのがこういったフリーメイスンリーのブログではないでしょうか。
(2013/10/27追記:FC2ブログ以外のコピーしたブログはすべて削除しました。)
以前挙げたブラザーエドガー・フーバーFBI長官の伝記的映画について相当前なのですが一応全編見たので、それ以上のものは無いのですがコメントしておこうかと思います。
まあ主演のレオナルド・ディカプリオも俳優活動の休業とか色々やっていますが、CIAの初期の活動を描いたグッド・シェパードなども結構熱演していたり、色々とハリウッド俳優も大変なようです。
この映画以前にほとんどブラザーフーバーについて予備知識が無いのでこの映画に描写されている事がどこまで事実でどこからが誇張なのかなど全く比較しようがないのですが、結局この映画のポイントとしてはブラザーフーバーが一生結婚しなかったのは基本的に相棒の人とバイセクシャルの関係にあったからという事で、まあなんつうかそんなもんかねえという事になるわけですが、ブラザーリンドバーグの子供の誘拐事件なども描写されていましたが、いずれにしても科学捜査の萌芽に極めて貢献した人物という事だそうです。
ケネディ暗殺にも関わっているような表現がされていましたが、まあ高卒のたたき上げでワシントンD.C.で死ぬまで正義の執行官として働き続けた人物のようなので敵は多いでしょうしその語られる伝記がどこまで事実かは全く五里霧中というところかと思われます。
私が個人的に注目したのはこの映画ではなく、やはり真珠湾攻撃の事前情報といったところで、ブラザーフーバーが国内犯罪対策の組織であるFBI長官でありながら事前に真珠湾攻撃の情報をつかんでいて大統領に報告していたという話で、後に本を読んだらまたこちらも感想を書きますがブラザークラウゼンの「真珠湾最後の真実」と合わせてワシントンD.C.とフリーメイスンリーという、まさにスコティッシュ・ライト、House of the Templeの中枢の世界について多少触れていければと思っています。ロスト・シンボルの内容とも合わせてブログ読者の関心を喚起できればと思います。(ロスト・シンボルの映画化も結局2012年に予告通り封切とはなりませんでしたし、どうも無期限延期となる可能性が高そうです。やはりせめて文章を読めるレベルの人間にしかわかってほしくないというところなのだと思われます。ロスト・シンボルについても英語の分析したホームページの内容など随時話題が入り次第コメントしていこうかと思います。)
さて本日2月11日は何度も触れた建国記念日ですが、日本の象徴としての2とユダヤ教の象徴の11を組み合わせた日本のシンボリズムから生み出された祝日のようです。日本人として世界の中の日本を考えるのに良い幸いの好天の一日になりそうな様々に思いを巡らすのに適した日のようです。
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まあ主演のレオナルド・ディカプリオも俳優活動の休業とか色々やっていますが、CIAの初期の活動を描いたグッド・シェパードなども結構熱演していたり、色々とハリウッド俳優も大変なようです。
この映画以前にほとんどブラザーフーバーについて予備知識が無いのでこの映画に描写されている事がどこまで事実でどこからが誇張なのかなど全く比較しようがないのですが、結局この映画のポイントとしてはブラザーフーバーが一生結婚しなかったのは基本的に相棒の人とバイセクシャルの関係にあったからという事で、まあなんつうかそんなもんかねえという事になるわけですが、ブラザーリンドバーグの子供の誘拐事件なども描写されていましたが、いずれにしても科学捜査の萌芽に極めて貢献した人物という事だそうです。
ケネディ暗殺にも関わっているような表現がされていましたが、まあ高卒のたたき上げでワシントンD.C.で死ぬまで正義の執行官として働き続けた人物のようなので敵は多いでしょうしその語られる伝記がどこまで事実かは全く五里霧中というところかと思われます。
私が個人的に注目したのはこの映画ではなく、やはり真珠湾攻撃の事前情報といったところで、ブラザーフーバーが国内犯罪対策の組織であるFBI長官でありながら事前に真珠湾攻撃の情報をつかんでいて大統領に報告していたという話で、後に本を読んだらまたこちらも感想を書きますがブラザークラウゼンの「真珠湾最後の真実」と合わせてワシントンD.C.とフリーメイスンリーという、まさにスコティッシュ・ライト、House of the Templeの中枢の世界について多少触れていければと思っています。ロスト・シンボルの内容とも合わせてブログ読者の関心を喚起できればと思います。(ロスト・シンボルの映画化も結局2012年に予告通り封切とはなりませんでしたし、どうも無期限延期となる可能性が高そうです。やはりせめて文章を読めるレベルの人間にしかわかってほしくないというところなのだと思われます。ロスト・シンボルについても英語の分析したホームページの内容など随時話題が入り次第コメントしていこうかと思います。)
さて本日2月11日は何度も触れた建国記念日ですが、日本の象徴としての2とユダヤ教の象徴の11を組み合わせた日本のシンボリズムから生み出された祝日のようです。日本人として世界の中の日本を考えるのに良い幸いの好天の一日になりそうな様々に思いを巡らすのに適した日のようです。
しかしまあ良く地元の方はこのブログを読んでいるみたいです。
大分久しぶりに馬堀海岸から走水神社、観音埼灯台へまた驚くほどの距離を得意のアキレス腱損傷後の徒歩で歩いてきたわけですがどうも自分でも驚くほどこのブログが地元の方に読まれている事を後で感じてなかなかフリーメイスン冥利に尽きるといったところかと思いました。
走水神社はその地名が日本書紀や古事記にも認められる由緒正しい場所にある神社で、創建は詳しくはわからないようですがかなり名前の有名さの割に色々と期待外れの面白い神社です。
まあ建国記念日という事もあるわけですが、その周辺の以前のブログの内容に色々反応もあり、書き直しじゃないですがその2その3という事で再び訪問し新たに気付いた事について書きすすめようと思います。
まあ一度行ったところも何度も行って何度も記事に書いてれば世話ないわけですが、まあ地元的には何度も書いた方が人の注目が集まるので何度も書いてほしいというところもあるようです。ロータリークラブやライオンズクラブについても書いているので、その辺との調整という面もあるのかと思います。結局芥川龍之介じゃないですがその辺りの人々からネタを頂いてスポークスマンのようにその辺りのネタをうまい事記事にしてまた話とするという作業を行っているのですね。
ネタばれはともかくとして色々横須賀も引き続いて動きがあるのでブログのネタにはまだまだ困らなそうという感じでしょうか。そういうわけでヴェルニー公園辺りから歩き始めるわけですがすごい距離です。結局28kmほどありました。神戸ではその位歩いて翌々日かその頃にアキレス腱を切ったのですが大丈夫でしょうか。現在読書中のブラザーデッカー司令長官の回想録によるとブラザーデッカーも横須賀基地司令官1年目を終えた頃にアキレス腱を切ったそうなのでそういう絡みもあるのかもしれません。
まあとりあえず写真を挙げていきましょう。

ちょうどブラザーデッカーの本を読んでいるところなので田戸台、京急県立大学駅のすぐ横に現在海上自衛隊が使用しているかつての横須賀鎮守府司令長官官邸、米軍統治下では横須賀海軍基地司令官官邸、現在は海上自衛隊横須賀地方総監部が管理している施設を訪問しました。すぐ前には現在は移転準備中のような簡易裁判所と検察庁の施設が残されています。梅がもう一部で咲いていましたね。




長井の井上成美大将の旧邸よりも面白そうです。ブラザーデッカーの回顧録では司令官に任命して最初にこの横須賀鎮守府司令長官官邸であった洋館を一生懸命改築して暖房施設を取り付けたりする様子が描かれています。またヤクザの嫌がらせで邸宅の部屋に侵入された跡があったりした話なんかもありました。個人的には長井の井上成美大将の旧邸などとともに横須賀の戦後を象徴する建物として整備して公開してほしいものです。(恐らく米軍基地の開放と合わせて毎年一般公開しているそうです。)

すぐ隣は民家か自衛隊関係者の住宅のようでしたが、なんと入口のすぐ横に明らかに防空壕の入り口が残っていました。すごいですねえ。(海上自衛隊横須賀地方総監の家のようです。実質的に公邸であるのは同じようです。)

隣には簡易裁判所と検察庁が移転済みのようで閉鎖していましたが、さらにその下に聖徳寺という恐らく浄土宗の寺だと思いますが、なんと石塔がやはりオベリスクの形になっていました。さすが横須賀。

田戸台はまさに安浦町や三春町といったいわゆる小泉又次郎さん、小泉純一郎元首相などの家がある地域のすぐそばにあります。安浦町というのはかつての横須賀の最大の花街、売春街であったようで、ブラザーデッカー司令長官の回顧録でも性病の有病率などについての驚くべき記述などがあります。小泉又二郎さんについても数々の逸話があり、そもそも海軍の上官たちが利用した料亭なども国道16号沿いにあり、それらの花街は戦前から日本海軍の動きを探る諜報の重要な場所でもあったようです。ブラザールーズヴェルトの情報源がこの辺りにもあったのでしょうね。結局国内のキリスト教のネットワークやその他のロータリークラブなどのネットワークが真珠湾攻撃を決意したフリーメイスンリーに教育を受けた日本海軍の上層部の動きを完全に把握していたのでしょうね。それは結局終戦後のブラザーデッカーら占領軍にも同じ動きで対応した歴史があったようです。なかなか唐人お吉の逸話や蝶々夫人の創作など外交や軍事の場面ではお決まりのパターンがあるようです。一つの横須賀の海軍基地としてのブラザーヴェルニーが大規模開発を始めて以来の文化なのでしょうね。上の写真はそこの近くにあるマンションの表札です。八景島や三浦海岸のトイレ、神戸の国際会議場などで認めた頂点のずれたピラミッドの形をしています。恐らくロータリークラブの会員なのでしょうね。

同じマンションの休み処ですがやはり屋根がピラミッドの形になっています。

またまた来ました驚くほどのラフアシュラーの並んだ馬堀海岸です。何度来ても何度見ても驚くほどのラフアシュラーです。しかし作る前に誰か気付かなかったのかと思ってしまうのですが、まあこれだけ作った後ではなかなか修正は出来ません。パーフェクトアシュラーになる可能性のあるラフアシュラーが並んでいる事にしましょう。ここは並んだカリフォルニア風のヤシがワシントンヤシという名前だそうです。恐らくワシントン記念塔のようなシュッとした形だからでしょうが、どうもなんだかおかしな感じです。まったくブラザーデッカーから引き続いた文化を象徴しているようなところがあります。歩いたり走ったりするにはちょうど良い場所ですが、どうにもおかしな感じは拭えません。


色々端折って走水神社です。途中ヴェルニーの水源の走水の水源などがあります。走水神社は少し工事したりしていましたが、ちょうど到着したときには国旗を降ろしていました。



ちょうど建国記念日2.11に訪問したという事で、走水神社の謎です。この写真の中にあるのですがどうでしょうか。
まあこのブログを読んできている人であればすぐわかるのではないでしょうか。千葉県富津市の東京電力火力発電所の煙突二本がちょうど鳥居の中央の延長線上に二本並んで見えるのですね。日本の象徴です。9.11ツインタワー崩壊の謎が見えてくるのではないでしょうか。

さて観音埼灯台です。三代目ですね。以前ブログに撮った解説の看板が無くなっていました。旧暦で起工日、点灯日などを表示しているのを変更しているのかもしれません。




トーチカの跡なのですね。防衛省が場所をとっていますが、地下にレーダー施設でもあるのでしょうか。何やら記念碑があり興味深いです。千葉県側で目立つ白いものは巨大観音像のようです。火力発電所の二本の煙突が目立ち、その他に第二海堡があります。第三海堡については衣笠山のオベリスクで触れました。うみかぜ公園に引き上げた施設があります。

灯台の光源です。

博物館の方に行くと砲台の木の模型があります。ネコが気持ちよさそうに寝ていました。

久里浜の東京電力の3本の小さな光を象徴する煙突も見えます。なかなかそれぞれ対応するように作られているのですね。これらが東京電力の事故へと繋がるようです。


トーチカを撮っています。第二代灯台の残骸と思っていたのですかね。


ほぼ廃墟となっている感じのフランス式庭園の形式をそろえた3段のしかも最後の2段から3段への繋がるところも3段になっている念の入った聖アンデレ十字の噴水まである公園があります。色々残念です。この公園の横には日本庭園風の公園もあります。本当に残念な感じです。


駐車場の奥には3本のワシントンヤシとかなり際立ったピラミッド屋根の休み処があります。同じような形がうみかぜ公園にも3軒ありました。恐らく誰も利用していないのでしょうが残念な感じです。

観音崎大橋から久里浜の煙突です。

観音崎の由来となる観音寺もあちこちに移されて結局近年に焼失してしまったのですね。

なぜか海軍軍艦の村雨の記念碑があります。まあ横須賀らしいパワースポットのごった煮状態でしょうか。



さて折り返して先ほどの駐車場後ろの公園です。アンモナイトのような巻貝の印は黄金比を表すシンボルでしょう。黄金比φは三笠公園でも出てきました。五芒星を示して陸軍かカトリックでしょうか。恐らくこの建築に携わったロータリークラブの方の出自か信仰を示しているのだと思われます。三本のワシントンヤシがあります。

横須賀では最も美しいピラミッドのようです。ベースの前の屋根にもありますが、こちらの角度の方が美しいようです。

こちらが先ほどの防衛省の区域の石碑ですね。日本の防衛省も何から何を守っているのかちょっと怪しいですね。

磯に降りて第二代観音埼灯台の遺構を見ます。これがかの関東大震災の発端とも言える、荒俣宏氏の帝都物語の元ネタになるような、フリーメイスンリーと日本の東洋の陰陽道の対立のような結果なのでしょうか。関東大震災では横浜の日本大通り近くにあった立派なスフィンクスを備えた最初のロッジも崩壊し、多くの横浜ロッジのフリーメイスンも亡くなったそうです。その後多くが関西の神戸のロッジに移動したそうですが、それと平成の阪神大震災とも関連があるのでしょうか。いずれにしても観音埼灯台が横須賀、関東地域でのブラザーペリー来航に続いた徳川幕府の時代最後のフリーメイスンリーの重要な最初のシンボルであり、それにまつわる様々なやり取りがあって歴史が流れていった事は間違いありません。そしてその流れの先に現在がありまさにそれは未来へと続く流れなのです。

レンガ造りの第一代のブラザーヴェルニーによる建築は小規模の地震で亀裂が入ったため、この第二代のコンクリ製のものに替えられたそうで、その際には第一代の灯台は崖下に破棄されたそうです。そのためかつては横須賀製鉄所の刻印の入ったレンガが数多く残されていたそうです。

運よくレンガの欠片を見つける事が出来ました。ほぼもうないと思いますし、たまたまあったのも導きのようです。きちんと刻印がありました。こういう建築材に刻印を押すのもフリーメイスンリーのやり方を踏襲しています。まさにこの第一代観音埼灯台は旧暦の明治2年1月1日、新暦の明治2年2月11日、後に紀元節と定められるその日、日本を象徴する2と二本の1を示すユダヤ教を象徴する11のシンボリズムに則ったその日に光を灯し、日本の国が世界へと開港開国し豊かな大船を港に導く役割を果たしたのが今日その日なのです。

過ちは何度も繰り返されてきたのでしょうね。

また梅が咲く季節となってきました。
走水漁港の夕景です。帰鳥の隊列が見られました。
紀元節 暦の他に 何もなし 観音の 光に導かれ
走水 ゆく時の流れに 流されて ゆく鳥の並びが 帰る巣のあらん
(追記:平成町の合同庁舎の形は東京タワーの下の日本グランドロッジを意識したもののようです。その隣の広い土地はノジマ電気が建つ予定のようですが、みなとみらいと同じくゴシック建築のメイソニックホールは建たないでしょうか。基地外のロッジが横須賀も増えればと期待します。)
大分久しぶりに馬堀海岸から走水神社、観音埼灯台へまた驚くほどの距離を得意のアキレス腱損傷後の徒歩で歩いてきたわけですがどうも自分でも驚くほどこのブログが地元の方に読まれている事を後で感じてなかなかフリーメイスン冥利に尽きるといったところかと思いました。
走水神社はその地名が日本書紀や古事記にも認められる由緒正しい場所にある神社で、創建は詳しくはわからないようですがかなり名前の有名さの割に色々と期待外れの面白い神社です。
まあ建国記念日という事もあるわけですが、その周辺の以前のブログの内容に色々反応もあり、書き直しじゃないですがその2その3という事で再び訪問し新たに気付いた事について書きすすめようと思います。
まあ一度行ったところも何度も行って何度も記事に書いてれば世話ないわけですが、まあ地元的には何度も書いた方が人の注目が集まるので何度も書いてほしいというところもあるようです。ロータリークラブやライオンズクラブについても書いているので、その辺との調整という面もあるのかと思います。結局芥川龍之介じゃないですがその辺りの人々からネタを頂いてスポークスマンのようにその辺りのネタをうまい事記事にしてまた話とするという作業を行っているのですね。
ネタばれはともかくとして色々横須賀も引き続いて動きがあるのでブログのネタにはまだまだ困らなそうという感じでしょうか。そういうわけでヴェルニー公園辺りから歩き始めるわけですがすごい距離です。結局28kmほどありました。神戸ではその位歩いて翌々日かその頃にアキレス腱を切ったのですが大丈夫でしょうか。現在読書中のブラザーデッカー司令長官の回想録によるとブラザーデッカーも横須賀基地司令官1年目を終えた頃にアキレス腱を切ったそうなのでそういう絡みもあるのかもしれません。
まあとりあえず写真を挙げていきましょう。

ちょうどブラザーデッカーの本を読んでいるところなので田戸台、京急県立大学駅のすぐ横に現在海上自衛隊が使用しているかつての横須賀鎮守府司令長官官邸、米軍統治下では横須賀海軍基地司令官官邸、現在は海上自衛隊横須賀地方総監部が管理している施設を訪問しました。すぐ前には現在は移転準備中のような簡易裁判所と検察庁の施設が残されています。梅がもう一部で咲いていましたね。




長井の井上成美大将の旧邸よりも面白そうです。ブラザーデッカーの回顧録では司令官に任命して最初にこの横須賀鎮守府司令長官官邸であった洋館を一生懸命改築して暖房施設を取り付けたりする様子が描かれています。またヤクザの嫌がらせで邸宅の部屋に侵入された跡があったりした話なんかもありました。個人的には長井の井上成美大将の旧邸などとともに横須賀の戦後を象徴する建物として整備して公開してほしいものです。(恐らく米軍基地の開放と合わせて毎年一般公開しているそうです。)

すぐ隣は民家か自衛隊関係者の住宅のようでしたが、なんと入口のすぐ横に明らかに防空壕の入り口が残っていました。すごいですねえ。(海上自衛隊横須賀地方総監の家のようです。実質的に公邸であるのは同じようです。)

隣には簡易裁判所と検察庁が移転済みのようで閉鎖していましたが、さらにその下に聖徳寺という恐らく浄土宗の寺だと思いますが、なんと石塔がやはりオベリスクの形になっていました。さすが横須賀。

田戸台はまさに安浦町や三春町といったいわゆる小泉又次郎さん、小泉純一郎元首相などの家がある地域のすぐそばにあります。安浦町というのはかつての横須賀の最大の花街、売春街であったようで、ブラザーデッカー司令長官の回顧録でも性病の有病率などについての驚くべき記述などがあります。小泉又二郎さんについても数々の逸話があり、そもそも海軍の上官たちが利用した料亭なども国道16号沿いにあり、それらの花街は戦前から日本海軍の動きを探る諜報の重要な場所でもあったようです。ブラザールーズヴェルトの情報源がこの辺りにもあったのでしょうね。結局国内のキリスト教のネットワークやその他のロータリークラブなどのネットワークが真珠湾攻撃を決意したフリーメイスンリーに教育を受けた日本海軍の上層部の動きを完全に把握していたのでしょうね。それは結局終戦後のブラザーデッカーら占領軍にも同じ動きで対応した歴史があったようです。なかなか唐人お吉の逸話や蝶々夫人の創作など外交や軍事の場面ではお決まりのパターンがあるようです。一つの横須賀の海軍基地としてのブラザーヴェルニーが大規模開発を始めて以来の文化なのでしょうね。上の写真はそこの近くにあるマンションの表札です。八景島や三浦海岸のトイレ、神戸の国際会議場などで認めた頂点のずれたピラミッドの形をしています。恐らくロータリークラブの会員なのでしょうね。

同じマンションの休み処ですがやはり屋根がピラミッドの形になっています。

またまた来ました驚くほどのラフアシュラーの並んだ馬堀海岸です。何度来ても何度見ても驚くほどのラフアシュラーです。しかし作る前に誰か気付かなかったのかと思ってしまうのですが、まあこれだけ作った後ではなかなか修正は出来ません。パーフェクトアシュラーになる可能性のあるラフアシュラーが並んでいる事にしましょう。ここは並んだカリフォルニア風のヤシがワシントンヤシという名前だそうです。恐らくワシントン記念塔のようなシュッとした形だからでしょうが、どうもなんだかおかしな感じです。まったくブラザーデッカーから引き続いた文化を象徴しているようなところがあります。歩いたり走ったりするにはちょうど良い場所ですが、どうにもおかしな感じは拭えません。


色々端折って走水神社です。途中ヴェルニーの水源の走水の水源などがあります。走水神社は少し工事したりしていましたが、ちょうど到着したときには国旗を降ろしていました。



ちょうど建国記念日2.11に訪問したという事で、走水神社の謎です。この写真の中にあるのですがどうでしょうか。
まあこのブログを読んできている人であればすぐわかるのではないでしょうか。千葉県富津市の東京電力火力発電所の煙突二本がちょうど鳥居の中央の延長線上に二本並んで見えるのですね。日本の象徴です。9.11ツインタワー崩壊の謎が見えてくるのではないでしょうか。

さて観音埼灯台です。三代目ですね。以前ブログに撮った解説の看板が無くなっていました。旧暦で起工日、点灯日などを表示しているのを変更しているのかもしれません。




トーチカの跡なのですね。防衛省が場所をとっていますが、地下にレーダー施設でもあるのでしょうか。何やら記念碑があり興味深いです。千葉県側で目立つ白いものは巨大観音像のようです。火力発電所の二本の煙突が目立ち、その他に第二海堡があります。第三海堡については衣笠山のオベリスクで触れました。うみかぜ公園に引き上げた施設があります。

灯台の光源です。

博物館の方に行くと砲台の木の模型があります。ネコが気持ちよさそうに寝ていました。

久里浜の東京電力の3本の小さな光を象徴する煙突も見えます。なかなかそれぞれ対応するように作られているのですね。これらが東京電力の事故へと繋がるようです。


トーチカを撮っています。第二代灯台の残骸と思っていたのですかね。


ほぼ廃墟となっている感じのフランス式庭園の形式をそろえた3段のしかも最後の2段から3段への繋がるところも3段になっている念の入った聖アンデレ十字の噴水まである公園があります。色々残念です。この公園の横には日本庭園風の公園もあります。本当に残念な感じです。


駐車場の奥には3本のワシントンヤシとかなり際立ったピラミッド屋根の休み処があります。同じような形がうみかぜ公園にも3軒ありました。恐らく誰も利用していないのでしょうが残念な感じです。

観音崎大橋から久里浜の煙突です。

観音崎の由来となる観音寺もあちこちに移されて結局近年に焼失してしまったのですね。

なぜか海軍軍艦の村雨の記念碑があります。まあ横須賀らしいパワースポットのごった煮状態でしょうか。



さて折り返して先ほどの駐車場後ろの公園です。アンモナイトのような巻貝の印は黄金比を表すシンボルでしょう。黄金比φは三笠公園でも出てきました。五芒星を示して陸軍かカトリックでしょうか。恐らくこの建築に携わったロータリークラブの方の出自か信仰を示しているのだと思われます。三本のワシントンヤシがあります。

横須賀では最も美しいピラミッドのようです。ベースの前の屋根にもありますが、こちらの角度の方が美しいようです。

こちらが先ほどの防衛省の区域の石碑ですね。日本の防衛省も何から何を守っているのかちょっと怪しいですね。

磯に降りて第二代観音埼灯台の遺構を見ます。これがかの関東大震災の発端とも言える、荒俣宏氏の帝都物語の元ネタになるような、フリーメイスンリーと日本の東洋の陰陽道の対立のような結果なのでしょうか。関東大震災では横浜の日本大通り近くにあった立派なスフィンクスを備えた最初のロッジも崩壊し、多くの横浜ロッジのフリーメイスンも亡くなったそうです。その後多くが関西の神戸のロッジに移動したそうですが、それと平成の阪神大震災とも関連があるのでしょうか。いずれにしても観音埼灯台が横須賀、関東地域でのブラザーペリー来航に続いた徳川幕府の時代最後のフリーメイスンリーの重要な最初のシンボルであり、それにまつわる様々なやり取りがあって歴史が流れていった事は間違いありません。そしてその流れの先に現在がありまさにそれは未来へと続く流れなのです。

レンガ造りの第一代のブラザーヴェルニーによる建築は小規模の地震で亀裂が入ったため、この第二代のコンクリ製のものに替えられたそうで、その際には第一代の灯台は崖下に破棄されたそうです。そのためかつては横須賀製鉄所の刻印の入ったレンガが数多く残されていたそうです。

運よくレンガの欠片を見つける事が出来ました。ほぼもうないと思いますし、たまたまあったのも導きのようです。きちんと刻印がありました。こういう建築材に刻印を押すのもフリーメイスンリーのやり方を踏襲しています。まさにこの第一代観音埼灯台は旧暦の明治2年1月1日、新暦の明治2年2月11日、後に紀元節と定められるその日、日本を象徴する2と二本の1を示すユダヤ教を象徴する11のシンボリズムに則ったその日に光を灯し、日本の国が世界へと開港開国し豊かな大船を港に導く役割を果たしたのが今日その日なのです。

過ちは何度も繰り返されてきたのでしょうね。

また梅が咲く季節となってきました。
走水漁港の夕景です。帰鳥の隊列が見られました。
紀元節 暦の他に 何もなし 観音の 光に導かれ
走水 ゆく時の流れに 流されて ゆく鳥の並びが 帰る巣のあらん
(追記:平成町の合同庁舎の形は東京タワーの下の日本グランドロッジを意識したもののようです。その隣の広い土地はノジマ電気が建つ予定のようですが、みなとみらいと同じくゴシック建築のメイソニックホールは建たないでしょうか。基地外のロッジが横須賀も増えればと期待します。)
ちょっと良く伝わっていないようなので繰り返します。
紀元節は旧暦の太陰暦の元日というわけではありません。西暦の紀元前660年の2月11日が神武元年の旧暦の正月に当たるというのはこじつけのようです。途中の干支は古代中国で色々変遷があったのを適当な時期で変更しているようですし、また閏年もグレゴリオ暦のものを採用しているそうです。
つまり紀元節は2月11日ありきなのです。
そしてそれは恐らく明治二年のまだ太陰暦を使用していた時に完成した最初の灯台である観音埼灯台が旧暦の1月1日に完成した結果、その日が西暦の2月11日であり、恐らくそれらは暦を正確に把握していたブラザーレオンス・ヴェルニーらだからできた話であり、起工日の旧暦の明治元年9月17日、新暦の11月1日も111のキリスト教カトリックの三位一体のシンボリズムを意識した日であり、完成した211の日は日本の2と11のユダヤ教を意識した日であったのだと思われます。
そしてその結果2月11日は日本の門出を象徴する日としてその後の明治政府に紀元節として採用されたのだと思われます。いずれにしても重要なのは江戸時代やそれ以前の太陰太陽暦の時代は太陽暦のグレゴリオ暦よりも不正確であり太陽暦の同じ日、日の出から日の入りまでがほぼ同じ時間の日に比べて2週間ほど年ごとに変動するような暦を使用していたわけで、これはまた時計も正確には無い時代で寺などの時を知らす鐘があるところに時計があったり、日時計で時刻を測って鐘で知らせていたそうです。
つまり2月11日の紀元節はそうしたフリーメイスンリーの空間と時間の正確な制御に関する認識とその象徴としてのシンボリズム、国家と歴史を統合して日付に還元したシンボリズムであり、117や911や311の日付のシンボリズムと同様に聞く耳を持つ人に響く意味を持ったものなのです。

紀元節は旧暦の太陰暦の元日というわけではありません。西暦の紀元前660年の2月11日が神武元年の旧暦の正月に当たるというのはこじつけのようです。途中の干支は古代中国で色々変遷があったのを適当な時期で変更しているようですし、また閏年もグレゴリオ暦のものを採用しているそうです。
つまり紀元節は2月11日ありきなのです。
そしてそれは恐らく明治二年のまだ太陰暦を使用していた時に完成した最初の灯台である観音埼灯台が旧暦の1月1日に完成した結果、その日が西暦の2月11日であり、恐らくそれらは暦を正確に把握していたブラザーレオンス・ヴェルニーらだからできた話であり、起工日の旧暦の明治元年9月17日、新暦の11月1日も111のキリスト教カトリックの三位一体のシンボリズムを意識した日であり、完成した211の日は日本の2と11のユダヤ教を意識した日であったのだと思われます。
そしてその結果2月11日は日本の門出を象徴する日としてその後の明治政府に紀元節として採用されたのだと思われます。いずれにしても重要なのは江戸時代やそれ以前の太陰太陽暦の時代は太陽暦のグレゴリオ暦よりも不正確であり太陽暦の同じ日、日の出から日の入りまでがほぼ同じ時間の日に比べて2週間ほど年ごとに変動するような暦を使用していたわけで、これはまた時計も正確には無い時代で寺などの時を知らす鐘があるところに時計があったり、日時計で時刻を測って鐘で知らせていたそうです。
つまり2月11日の紀元節はそうしたフリーメイスンリーの空間と時間の正確な制御に関する認識とその象徴としてのシンボリズム、国家と歴史を統合して日付に還元したシンボリズムであり、117や911や311の日付のシンボリズムと同様に聞く耳を持つ人に響く意味を持ったものなのです。

日付に関するエトセトラや昭和11年という時代でも以前に触れたように日付に関するシンボリズムはフリーメイスンリーに特徴的なものですが、果たしてそれが多くのフリーメイスンに共通のものなのか、それともそれらの中にさらに何か法則があるのかというところが気になるところかと思います。まあ自分のブログを引用するようになるとブログ的にも終わりかなという気がしないでもないですが、もともと研究志向の人間なので何か確実な真実と思われる事があればそれをさらに何度も確かめなくては気が済まないというのが性格なのかもしれません。フリーメイスンリーでいえばやすりで磨き上げる作業といったところでしょうか。
というわけでテーマを立てましたのでとりあえずウィキペディアで挙げられている著名なフリーメイスンについて誕生日と忌日を挙げ、さらにその他の著名なフリーメイスンと関連する人について誕生日と忌日を挙げて比較検討していこうかと思います。
日本
西周 文政12年2月3日(1829年3月7日)-明治30年1月31日(1897年)
津田真道 1829年7月25日(文政12年6月25日)-1903年(明治36年)9月3日
林董 1850年4月11日(嘉永3年2月29日)-1913年(大正2年)7月20日
高橋龍太郎 1875年7月15日-1967年12月22日
河井彌八 1877年10月24日-1960年7月21日
佐藤尚武 1882年(明治15年)10月30日-1971年(昭和46年)12月18日
鳩山一郎 1883年(明治16年)1月1日-1959年(昭和34年)3月7日
加納久朗 明治19年(1886年)8月1日-昭和38年(1963年)2月21日
星島二郎 明治20年(1887年)11月6日-昭和55年(1980年)1月3日
東久邇宮稔彦王 1887年(明治20年)12月3日-1990年(平成2年)1月20日
三島通陽 1897年(明治30年)1月1日-1965年(昭和40年)4月20日
村山有 1905年12月24日-1968年12月31日
沢田教一 1936年2月22日-1970年10月28日
松平恒雄 1877年(明治10年)4月17日-1949年(昭和24年)11月14日
伊藤博文 天保12年9月2日(1841年10月16日)-明治42年(1909年)10月26日
西郷隆盛 文政10年(1828年1月23日)-明治10年(1877年)9月24日
木戸孝允 天保4年6月26日(1833年8月11日)-明治10年(1877年)5月26日
大久保利通 文政13年8月10日(1830年9月26日)-明治11年(1878年)5月14日
坂本龍馬 天保6年11月15日(1836年1月3日)-慶応3年11月15日(1867年12月10日)
高杉晋作 天保10年8月20日(1839年9月27日)-慶應3年4月14日(1867年5月17日)
勝海舟 文政6年1月30日(1823年3月12日-明治32年(1899年)1月21日
小栗忠順 文政10年6月23日(1827年7月16日)-慶応4年閏4月6日(1868年5月27日)
徳川慶喜 天保8年9月29日(1837年10月28日)-大正2年(1913年)11月22日
徳川家茂 弘化3年閏5月24日(1846年7月17日)-慶応2年7月20日(1866年8月29日)
福沢諭吉 天保5年12月12日(1835年1月10日)-明治34年(1901年)2月3日
大隈重信 天保9年2月16日(1838年3月11日)-大正11年(1922年)1月10日
黒田清隆 天保11年10月16日(1840年11月9日)-明治33年(1900年)8月23日
榎本武揚 天保7年8月25日(1836年10月5日)-明治41年(1908年)10月26日
武田斐三郎 文政10年9月15日(1827年11月4日)-明治13年(1880年)1月28日
中岡慎太郎 天保9年4月13日(1838年5月6日)-慶応3年11月17日(1867年12月12日)
後藤象二郎 天保9年3月19日(1838年4月13日)-明治30年(1897年)8月4日
板垣退助 天保8年4月17日(1837年5月21日)-1919年(大正8年)7月16日
尾崎行雄 安政5年11月20日(1858年12月24日)-1954年(昭和29年)10月6日
後藤新平 安政4年6月4日(1857年7月24日)-昭和4年(1929年)4月13日
夏目漱石 1867年2月9日(慶応3年1月5日)-1916年(大正5年)12月9日
森鴎外 1862年2月17日(文久2年1月19日)–1922年(大正11年)7月9日
芥川龍之介 1892年(明治25年)3月1日-1927年(昭和2年)7月24日
正岡子規 1867年10月14日(慶応3年9月17日)-1902年(明治35年)9月19日
中江兆民 1847年12月8日(弘化4年11月1日)-1901年(明治34年)12月13日
頭山満 安政2年4月12日(1855年5月27日)-昭和19年(1944年)10月5日
徳富蘇峰 文久3年1月25日(1863年3月14日)-昭和32年(1957年)11月2日
徳富蘆花 明治元年10月25日(1868年12月8日)-昭和2年(1927年)9月18日
島崎藤村 1872年3月25日(明治5年2月17日)-1943年(昭和18年)8月22日
有島武郎 1878年(明治11年)3月4日 -1923年(大正12年)6月9日
吉野作造 1878年(明治11年)1月29日-1933年(昭和8年)3月18日
西郷従道 天保14年5月4日(1843年6月1日)-明治35年(1902年)7月18日
大山巌 天保13年10月10日(1842年11月12日)-大正5年(1916年)12月10日
東郷平八郎 弘化4年12月22日(1848年1月27日)-昭和9年(1934年)5月30日
山本権兵衛 1852年11月26日(嘉永5年10月15日)-1933年(昭和8年)12月8日
山縣有朋 天保9年閏4月22日(1838年6月14日)-大正11年(1922年)2月1日
乃木希典 嘉永2年11月11日(1849年12月25日)-大正元年(1912年)9月13日
石原莞爾 明治22年(1889年)1月18日 (戸籍の上では17日)-昭和24年(1949年)8月15日
東條英機 1884年(明治17年)7月30日(戸籍上は12月30日)-1948年(昭和23年)12月23日
辻政信 1902年10月11日 - 1961年に行方不明
甘粕正彦 1891年(明治24年)1月26日-1945年(昭和20年)8月20日
重光葵 1887年(明治20年)7月29日-1957年(昭和32年)1月26日
東郷茂徳 1882年(明治15年)12月10日-1950年(昭和25年)7月23日
内山岩太郎 1890年2月28日 - 1971年11月19日
米内光政 1880年(明治13年)3月2日-1948年(昭和23年)4月20日
井上成美 1889年(明治22年)12月9日-1975年(昭和50年)12月15日
山本五十六 1884年4月4日 - 1943年4月18日
三条実美 天保8年2月7日(1837年3月13日)-明治24年(1891年)2月18日
岩倉具視 文政8年9月15日(1825年10月26日)-明治16年(1883年)7月20日
孝明天皇 天保2年6月14日(1831年7月11日)-慶応2年12月25日(1867年1月30日)
明治天皇 嘉永5年9月22日(1852年11月3日)-明治45年(1912年)7月30日
大正天皇 1879年(明治12年)8月31日-1926年(大正15年)12月25日
昭和天皇 1901年(明治34年)4月29日-1989年(昭和64年)1月7日
今上天皇 1933年(昭和8年)12月23日-
手塚治虫 1928年(昭和3年)11月3日-1989年(平成元年)2月9日
美空ひばり 1937年(昭和12年)5月29日-1989年(平成元年)6月24日
司馬遼太郎 1923年(大正12年)8月7日-1996年(平成8年)2月12日
石原裕次郎 1934年(昭和9年)12月28日-1987年(昭和62年)7月17日
沢田廉三 1888年10月17日 - 1970年12月8日
吉田茂 1878年(明治11年)9月22日-1967年(昭和42年)10月20日
白洲次郎 1902年2月17日 - 1985年11月28日
岸信介 1896年〈明治29年〉11月13日-1987年〈昭和62年〉8月7日
大平正芳 1910年(明治43年)3月12日-1980年(昭和55年)6月12日
田中角栄 1918年(大正7年)5月4日-1993年(平成5年)12月16日
中曽根康弘 1918年(大正7年)5月27日-
細川護煕 1938年〈昭和13年〉1月14日-
小泉又次郎 慶応元年5月17日(1865年6月10日)-昭和26年(1951年)9月24日
小泉純也 1904年(明治37年)1月24日-1969年(昭和44年)8月10日
小泉純一郎 1942年(昭和17年)1月8日-
小泉進次郎 1981年(昭和56年)4月14日-
石原慎太郎 1932年 (昭和7年)9月30日-
橋下徹 1969年(昭和44年)6月29日-
安倍晋三 1954年〈昭和29年〉9月21日-
麻生太郎 1940年(昭和15年)9月20日-
鳩山由紀夫 1947年(昭和22年)2月11日-
鳩山邦夫 1948年(昭和23年)9月13日-
菅直人 1946年(昭和21年)10月10日-
野田佳彦 1957年(昭和32年)5月20日-
森稔 1934年8月24日 - 2012年3月8日
森川敏雄 1933年(昭和8年)3月3日-
関暁夫 1975年6月21日-
まあフリーメイスンの列挙にしても下の関連人物というのの列挙にしてもいずれにしてもブログという性格上面白くするためには選択の恣意性が出てしまうわけでそのあたりはしょうがありません。一応この後世界のフリーメイスンについても同様に検討していく予定ですが、とりあえず数が多いのと色々注目があるので日本のフリーメイスンとその関連の人物について列挙しました。名前のシンボリズムと数字のシンボリズムとそれぞれに様々な性格の要素がある感じでしょうか。とりあえずこれまでも触れてきたとおり日付のシンボリズムとしては回文数、11、111の並び、3のシンボリズム、そして紀元節でとりあげた2の日本のシンボリズム、もちろんユダヤやカトリックの数秘術で偶数や7や5などにそれぞれ意味付けがなされておりそういうのもあるかと思います。タロットや占星術を加えれば十二星座や東洋の十二支、陰陽道なども出てくるかもしれませんが現在はとりあえずそこまでは考慮していません。その他には4月の復活祭、ユダヤの過越の祭りなどもあります。こちらは特にユダヤ暦との絡みがあり、年毎に太陰暦なので変動しますし、グレゴリオ暦でいくと大体2-3週のずれがあり、詳しいユダヤ暦の換算法が必要になって来るかと思われます。またフリーメイスンリー関連の6月24日の洗礼者ヨハネの日とその後の10日づつの7月4日と7月14日のそれぞれ独立宣言公布の日とフランス革命勃発の日と5月1日のローマ帝国の五月祭、現在のメーデーでその日はイルミナティの結成日や、8月15日の聖母被昇天の日などのキリスト教の祭日、同時にイエズス会の結成の日であり日本の終戦記念日です。11月の万聖節も全体としてシンボリズムとなり、現在はハロウィーンになるわけですが、特に11月3日は日本では文化の日、アメリカでは大統領選挙にかかわる重要な日で、強くシンボリズムを認めます。12月8日は成道会、真珠湾攻撃の日であり、また同時にカトリックの祭日ともなっており12月24日25日は言わずと知れたクリスマスであり冬至の12月27日の福音記者ヨハネの日と絡めてシンボリズムとなるようです。
また先に書いてしまいますが、この記事をあらためて書こうと思ったのは最近大雪で大変だったマサチューセッツのグランドロッジのフェイスブック投稿でブラザーチャーチルの忌日1月24日、ブラザーロバート・バーンズの誕生日1月25日、ブラザーマッカーサーの誕生日1月26日、ブラザーモーツァルトの誕生日1月27日、きゃりーぱみゅぱみゅの誕生日1月29日、ブラザーフランクリン・ルーズベルトの誕生日1月30日とあり、これはこのあたりに何かあるぞと、まあ教えてくれている訳ですが、大体こういう1週間くらいずれる感じはユダヤ暦関連の事が連想されるので、ユダヤ暦で調べたところ、樹木の新年 T‘ū biŠәbhāt‘(ローシュ・ハシャナー・ラ、イラノース)というが最も近いようで、まあほぼ旧暦の正月になるのでしょうがユダヤ暦では11月だそうで、タルムードにその起源があり、その過ごし方としてレビ記19章に出典がある様で、10種の主にアーモンドなどの果実を食べて4杯ワインを飲む儀式があるそうで、日本の七草粥と似ているのでしょうか。まあよくわかりませんが、そういう恐らく智恵の樹と実の創世記の話やカバラの生命の樹の話と関係するフリーメイスンリーでも重要な期間ととらえられているのではないでしょうか。ユダヤ暦については何か具体的な事がわかれば後々記事にしていこうかと思います。とりあえず重要なのがウィキペディアによれば復活祭のペサハ(過越し祭)グレゴリオ暦の3月~4月とペンテコステ(五旬節)、シャブオットのグレゴリオ暦の5月~6月とグレゴリオ暦9月の新年祭、グレゴリオ暦9月~10月のヨム・キプル(大贖罪日)、スコット(仮庵の祭り)とあり太陰暦であり年毎に変動するようです。基本的にユダヤ暦や祭日はその後のカトリックの祭日や暦の中に取り入れられているようです。興味があればそれぞれユダヤ暦に換算して祝日との関係を調べると面白いかもしれません。いずれにしてもユダヤ教について理解するためには旧約聖書の通読が必要になるかと思われます。

前述のマサチューセッツのグランドロッジは結局どうもグランドロッジの内装を100年以上ぶりに新しくしたそうで、それが最近完成したようです。素晴らしい事です。

というわけでテーマを立てましたのでとりあえずウィキペディアで挙げられている著名なフリーメイスンについて誕生日と忌日を挙げ、さらにその他の著名なフリーメイスンと関連する人について誕生日と忌日を挙げて比較検討していこうかと思います。
日本
西周 文政12年2月3日(1829年3月7日)-明治30年1月31日(1897年)
津田真道 1829年7月25日(文政12年6月25日)-1903年(明治36年)9月3日
林董 1850年4月11日(嘉永3年2月29日)-1913年(大正2年)7月20日
高橋龍太郎 1875年7月15日-1967年12月22日
河井彌八 1877年10月24日-1960年7月21日
佐藤尚武 1882年(明治15年)10月30日-1971年(昭和46年)12月18日
鳩山一郎 1883年(明治16年)1月1日-1959年(昭和34年)3月7日
加納久朗 明治19年(1886年)8月1日-昭和38年(1963年)2月21日
星島二郎 明治20年(1887年)11月6日-昭和55年(1980年)1月3日
東久邇宮稔彦王 1887年(明治20年)12月3日-1990年(平成2年)1月20日
三島通陽 1897年(明治30年)1月1日-1965年(昭和40年)4月20日
村山有 1905年12月24日-1968年12月31日
沢田教一 1936年2月22日-1970年10月28日
松平恒雄 1877年(明治10年)4月17日-1949年(昭和24年)11月14日
伊藤博文 天保12年9月2日(1841年10月16日)-明治42年(1909年)10月26日
西郷隆盛 文政10年(1828年1月23日)-明治10年(1877年)9月24日
木戸孝允 天保4年6月26日(1833年8月11日)-明治10年(1877年)5月26日
大久保利通 文政13年8月10日(1830年9月26日)-明治11年(1878年)5月14日
坂本龍馬 天保6年11月15日(1836年1月3日)-慶応3年11月15日(1867年12月10日)
高杉晋作 天保10年8月20日(1839年9月27日)-慶應3年4月14日(1867年5月17日)
勝海舟 文政6年1月30日(1823年3月12日-明治32年(1899年)1月21日
小栗忠順 文政10年6月23日(1827年7月16日)-慶応4年閏4月6日(1868年5月27日)
徳川慶喜 天保8年9月29日(1837年10月28日)-大正2年(1913年)11月22日
徳川家茂 弘化3年閏5月24日(1846年7月17日)-慶応2年7月20日(1866年8月29日)
福沢諭吉 天保5年12月12日(1835年1月10日)-明治34年(1901年)2月3日
大隈重信 天保9年2月16日(1838年3月11日)-大正11年(1922年)1月10日
黒田清隆 天保11年10月16日(1840年11月9日)-明治33年(1900年)8月23日
榎本武揚 天保7年8月25日(1836年10月5日)-明治41年(1908年)10月26日
武田斐三郎 文政10年9月15日(1827年11月4日)-明治13年(1880年)1月28日
中岡慎太郎 天保9年4月13日(1838年5月6日)-慶応3年11月17日(1867年12月12日)
後藤象二郎 天保9年3月19日(1838年4月13日)-明治30年(1897年)8月4日
板垣退助 天保8年4月17日(1837年5月21日)-1919年(大正8年)7月16日
尾崎行雄 安政5年11月20日(1858年12月24日)-1954年(昭和29年)10月6日
後藤新平 安政4年6月4日(1857年7月24日)-昭和4年(1929年)4月13日
夏目漱石 1867年2月9日(慶応3年1月5日)-1916年(大正5年)12月9日
森鴎外 1862年2月17日(文久2年1月19日)–1922年(大正11年)7月9日
芥川龍之介 1892年(明治25年)3月1日-1927年(昭和2年)7月24日
正岡子規 1867年10月14日(慶応3年9月17日)-1902年(明治35年)9月19日
中江兆民 1847年12月8日(弘化4年11月1日)-1901年(明治34年)12月13日
頭山満 安政2年4月12日(1855年5月27日)-昭和19年(1944年)10月5日
徳富蘇峰 文久3年1月25日(1863年3月14日)-昭和32年(1957年)11月2日
徳富蘆花 明治元年10月25日(1868年12月8日)-昭和2年(1927年)9月18日
島崎藤村 1872年3月25日(明治5年2月17日)-1943年(昭和18年)8月22日
有島武郎 1878年(明治11年)3月4日 -1923年(大正12年)6月9日
吉野作造 1878年(明治11年)1月29日-1933年(昭和8年)3月18日
西郷従道 天保14年5月4日(1843年6月1日)-明治35年(1902年)7月18日
大山巌 天保13年10月10日(1842年11月12日)-大正5年(1916年)12月10日
東郷平八郎 弘化4年12月22日(1848年1月27日)-昭和9年(1934年)5月30日
山本権兵衛 1852年11月26日(嘉永5年10月15日)-1933年(昭和8年)12月8日
山縣有朋 天保9年閏4月22日(1838年6月14日)-大正11年(1922年)2月1日
乃木希典 嘉永2年11月11日(1849年12月25日)-大正元年(1912年)9月13日
石原莞爾 明治22年(1889年)1月18日 (戸籍の上では17日)-昭和24年(1949年)8月15日
東條英機 1884年(明治17年)7月30日(戸籍上は12月30日)-1948年(昭和23年)12月23日
辻政信 1902年10月11日 - 1961年に行方不明
甘粕正彦 1891年(明治24年)1月26日-1945年(昭和20年)8月20日
重光葵 1887年(明治20年)7月29日-1957年(昭和32年)1月26日
東郷茂徳 1882年(明治15年)12月10日-1950年(昭和25年)7月23日
内山岩太郎 1890年2月28日 - 1971年11月19日
米内光政 1880年(明治13年)3月2日-1948年(昭和23年)4月20日
井上成美 1889年(明治22年)12月9日-1975年(昭和50年)12月15日
山本五十六 1884年4月4日 - 1943年4月18日
三条実美 天保8年2月7日(1837年3月13日)-明治24年(1891年)2月18日
岩倉具視 文政8年9月15日(1825年10月26日)-明治16年(1883年)7月20日
孝明天皇 天保2年6月14日(1831年7月11日)-慶応2年12月25日(1867年1月30日)
明治天皇 嘉永5年9月22日(1852年11月3日)-明治45年(1912年)7月30日
大正天皇 1879年(明治12年)8月31日-1926年(大正15年)12月25日
昭和天皇 1901年(明治34年)4月29日-1989年(昭和64年)1月7日
今上天皇 1933年(昭和8年)12月23日-
手塚治虫 1928年(昭和3年)11月3日-1989年(平成元年)2月9日
美空ひばり 1937年(昭和12年)5月29日-1989年(平成元年)6月24日
司馬遼太郎 1923年(大正12年)8月7日-1996年(平成8年)2月12日
石原裕次郎 1934年(昭和9年)12月28日-1987年(昭和62年)7月17日
沢田廉三 1888年10月17日 - 1970年12月8日
吉田茂 1878年(明治11年)9月22日-1967年(昭和42年)10月20日
白洲次郎 1902年2月17日 - 1985年11月28日
岸信介 1896年〈明治29年〉11月13日-1987年〈昭和62年〉8月7日
大平正芳 1910年(明治43年)3月12日-1980年(昭和55年)6月12日
田中角栄 1918年(大正7年)5月4日-1993年(平成5年)12月16日
中曽根康弘 1918年(大正7年)5月27日-
細川護煕 1938年〈昭和13年〉1月14日-
小泉又次郎 慶応元年5月17日(1865年6月10日)-昭和26年(1951年)9月24日
小泉純也 1904年(明治37年)1月24日-1969年(昭和44年)8月10日
小泉純一郎 1942年(昭和17年)1月8日-
小泉進次郎 1981年(昭和56年)4月14日-
石原慎太郎 1932年 (昭和7年)9月30日-
橋下徹 1969年(昭和44年)6月29日-
安倍晋三 1954年〈昭和29年〉9月21日-
麻生太郎 1940年(昭和15年)9月20日-
鳩山由紀夫 1947年(昭和22年)2月11日-
鳩山邦夫 1948年(昭和23年)9月13日-
菅直人 1946年(昭和21年)10月10日-
野田佳彦 1957年(昭和32年)5月20日-
森稔 1934年8月24日 - 2012年3月8日
森川敏雄 1933年(昭和8年)3月3日-
関暁夫 1975年6月21日-
まあフリーメイスンの列挙にしても下の関連人物というのの列挙にしてもいずれにしてもブログという性格上面白くするためには選択の恣意性が出てしまうわけでそのあたりはしょうがありません。一応この後世界のフリーメイスンについても同様に検討していく予定ですが、とりあえず数が多いのと色々注目があるので日本のフリーメイスンとその関連の人物について列挙しました。名前のシンボリズムと数字のシンボリズムとそれぞれに様々な性格の要素がある感じでしょうか。とりあえずこれまでも触れてきたとおり日付のシンボリズムとしては回文数、11、111の並び、3のシンボリズム、そして紀元節でとりあげた2の日本のシンボリズム、もちろんユダヤやカトリックの数秘術で偶数や7や5などにそれぞれ意味付けがなされておりそういうのもあるかと思います。タロットや占星術を加えれば十二星座や東洋の十二支、陰陽道なども出てくるかもしれませんが現在はとりあえずそこまでは考慮していません。その他には4月の復活祭、ユダヤの過越の祭りなどもあります。こちらは特にユダヤ暦との絡みがあり、年毎に太陰暦なので変動しますし、グレゴリオ暦でいくと大体2-3週のずれがあり、詳しいユダヤ暦の換算法が必要になって来るかと思われます。またフリーメイスンリー関連の6月24日の洗礼者ヨハネの日とその後の10日づつの7月4日と7月14日のそれぞれ独立宣言公布の日とフランス革命勃発の日と5月1日のローマ帝国の五月祭、現在のメーデーでその日はイルミナティの結成日や、8月15日の聖母被昇天の日などのキリスト教の祭日、同時にイエズス会の結成の日であり日本の終戦記念日です。11月の万聖節も全体としてシンボリズムとなり、現在はハロウィーンになるわけですが、特に11月3日は日本では文化の日、アメリカでは大統領選挙にかかわる重要な日で、強くシンボリズムを認めます。12月8日は成道会、真珠湾攻撃の日であり、また同時にカトリックの祭日ともなっており12月24日25日は言わずと知れたクリスマスであり冬至の12月27日の福音記者ヨハネの日と絡めてシンボリズムとなるようです。
また先に書いてしまいますが、この記事をあらためて書こうと思ったのは最近大雪で大変だったマサチューセッツのグランドロッジのフェイスブック投稿でブラザーチャーチルの忌日1月24日、ブラザーロバート・バーンズの誕生日1月25日、ブラザーマッカーサーの誕生日1月26日、ブラザーモーツァルトの誕生日1月27日、きゃりーぱみゅぱみゅの誕生日1月29日、ブラザーフランクリン・ルーズベルトの誕生日1月30日とあり、これはこのあたりに何かあるぞと、まあ教えてくれている訳ですが、大体こういう1週間くらいずれる感じはユダヤ暦関連の事が連想されるので、ユダヤ暦で調べたところ、樹木の新年 T‘ū biŠәbhāt‘(ローシュ・ハシャナー・ラ、イラノース)というが最も近いようで、まあほぼ旧暦の正月になるのでしょうがユダヤ暦では11月だそうで、タルムードにその起源があり、その過ごし方としてレビ記19章に出典がある様で、10種の主にアーモンドなどの果実を食べて4杯ワインを飲む儀式があるそうで、日本の七草粥と似ているのでしょうか。まあよくわかりませんが、そういう恐らく智恵の樹と実の創世記の話やカバラの生命の樹の話と関係するフリーメイスンリーでも重要な期間ととらえられているのではないでしょうか。ユダヤ暦については何か具体的な事がわかれば後々記事にしていこうかと思います。とりあえず重要なのがウィキペディアによれば復活祭のペサハ(過越し祭)グレゴリオ暦の3月~4月とペンテコステ(五旬節)、シャブオットのグレゴリオ暦の5月~6月とグレゴリオ暦9月の新年祭、グレゴリオ暦9月~10月のヨム・キプル(大贖罪日)、スコット(仮庵の祭り)とあり太陰暦であり年毎に変動するようです。基本的にユダヤ暦や祭日はその後のカトリックの祭日や暦の中に取り入れられているようです。興味があればそれぞれユダヤ暦に換算して祝日との関係を調べると面白いかもしれません。いずれにしてもユダヤ教について理解するためには旧約聖書の通読が必要になるかと思われます。

前述のマサチューセッツのグランドロッジは結局どうもグランドロッジの内装を100年以上ぶりに新しくしたそうで、それが最近完成したようです。素晴らしい事です。

まあ直接は見なかったわけですがそういう番組をやっていたと聞いて一応動画で見てみました。
有澤玲さんの本はまあ大概のフリーメイスンは皆読んでいると思うんですが、どうにもご本人は初めてみましたがだいぶ緊張されていたようでした。
内容は基本的にはナショナルジオグラフィックのフリーメイスンリーの紹介番組の日本語要約といった内容であったかと思います。まあ要するに民主主義とフリーメイスンリーと言い換えるとそのままという感じであったようですが、P2事件のブラザーロベルト・カルヴィの殺人事件の犯人をカトリックを匂わせる内容になっていたのはなかなか新しいところでしょうか。あとは動画をみるとすぐ気になるのが石工をせっこうと言っていたので、大概いしくという事が多いのでなんだろうと思ったくらいでしょうか。Mah-Hah-Boneはなんでしょうね。脊椎backboneとかじゃないかと思いますがいかがでしょう。まあVTR中にあった「本当の事は誰も知らないのです。」が全てじゃないでしょうか。
で一応この動画のポイントですが、有澤玲さんの下のところに白黒のモザイクのシンボルが示してありましたね。
こういうのがフリーメイスンリーの秘密でしょうか。






(Mah-Hah-Boneで検索して出てきた画像を載せただけです。深い意味はありません。)
(追記:有澤玲さんの真説フリーメイソン大百科は三分の一位読んでいるところなのですが、ほとんどのところは大体知っている所と他の出典の引用というところで頷けるのですが明らかな一点だけ、ブラザージェファーソンがフリーメイスンでないという説が載っていて、第三代大統領で合衆国独立宣言の代表的な起草者であり有名なモンティチェロのロタンダとヴァージニア大学を設計し、パリにフランス革命の時期まで大使として赴任した、アメリカ建国の父たちの中でもかなり傑出した人物であったブラザージェファーソンをフリーメイスンでないとする説は理解に苦しみます。もちろん墓もオベリスクであり、独立記念日の7月4日に亡くなっています。ただ彼がインディアン絶滅政策を勧めたことと黒人奴隷の廃止に積極的でありながら大量の黒人奴隷を使用していたことと、奴隷の女性と関係を持っていたことなどマイナスの評価の部分もあるでしょうが、ウィキペディアにも大学時代にフラット・ハット・クラブ協会の会員であったとあり、特定のロッジに所属していなかったとしてもスカル・アンド・ボーンズなどと同じく実質的なフリーメイスンであったとするのが正しいのだと思います。もちろんロッジの記録がないとするのであればブラザーナポレオンなどと同じく公的にはフリーメイスンとは認められない実質的なフリーメイスンとなるのだと思われます。


ブラザージェファーソンにはジェファーソン聖書と呼ばれる彼が切り貼りした有名な聖書もあり、理神論者としてアメリカ建国の父の中のブラザートマス・ペインと同じく有名な存在です。是非フリーメイスンリーについて正確に知っていただきたいと思います。私もいずれこのブログの中で新約聖書の四福音書についてブラザージェファーソンと同じく私見を述べたいと思っています。もちろん新共同訳の旧約聖書・新約聖書を通読した上でのフリーメイスンとしての意見です。)
有澤玲さんの本はまあ大概のフリーメイスンは皆読んでいると思うんですが、どうにもご本人は初めてみましたがだいぶ緊張されていたようでした。
内容は基本的にはナショナルジオグラフィックのフリーメイスンリーの紹介番組の日本語要約といった内容であったかと思います。まあ要するに民主主義とフリーメイスンリーと言い換えるとそのままという感じであったようですが、P2事件のブラザーロベルト・カルヴィの殺人事件の犯人をカトリックを匂わせる内容になっていたのはなかなか新しいところでしょうか。あとは動画をみるとすぐ気になるのが石工をせっこうと言っていたので、大概いしくという事が多いのでなんだろうと思ったくらいでしょうか。Mah-Hah-Boneはなんでしょうね。脊椎backboneとかじゃないかと思いますがいかがでしょう。まあVTR中にあった「本当の事は誰も知らないのです。」が全てじゃないでしょうか。
で一応この動画のポイントですが、有澤玲さんの下のところに白黒のモザイクのシンボルが示してありましたね。
こういうのがフリーメイスンリーの秘密でしょうか。






(Mah-Hah-Boneで検索して出てきた画像を載せただけです。深い意味はありません。)
(追記:有澤玲さんの真説フリーメイソン大百科は三分の一位読んでいるところなのですが、ほとんどのところは大体知っている所と他の出典の引用というところで頷けるのですが明らかな一点だけ、ブラザージェファーソンがフリーメイスンでないという説が載っていて、第三代大統領で合衆国独立宣言の代表的な起草者であり有名なモンティチェロのロタンダとヴァージニア大学を設計し、パリにフランス革命の時期まで大使として赴任した、アメリカ建国の父たちの中でもかなり傑出した人物であったブラザージェファーソンをフリーメイスンでないとする説は理解に苦しみます。もちろん墓もオベリスクであり、独立記念日の7月4日に亡くなっています。ただ彼がインディアン絶滅政策を勧めたことと黒人奴隷の廃止に積極的でありながら大量の黒人奴隷を使用していたことと、奴隷の女性と関係を持っていたことなどマイナスの評価の部分もあるでしょうが、ウィキペディアにも大学時代にフラット・ハット・クラブ協会の会員であったとあり、特定のロッジに所属していなかったとしてもスカル・アンド・ボーンズなどと同じく実質的なフリーメイスンであったとするのが正しいのだと思います。もちろんロッジの記録がないとするのであればブラザーナポレオンなどと同じく公的にはフリーメイスンとは認められない実質的なフリーメイスンとなるのだと思われます。


ブラザージェファーソンにはジェファーソン聖書と呼ばれる彼が切り貼りした有名な聖書もあり、理神論者としてアメリカ建国の父の中のブラザートマス・ペインと同じく有名な存在です。是非フリーメイスンリーについて正確に知っていただきたいと思います。私もいずれこのブログの中で新約聖書の四福音書についてブラザージェファーソンと同じく私見を述べたいと思っています。もちろん新共同訳の旧約聖書・新約聖書を通読した上でのフリーメイスンとしての意見です。)
前回に引き続いてテレビ番組の話題です。
実は最近テレビ番組がつまらないと思うことしきりな訳ですが、唯一10年以上大体欠かさず見ている番組が今回の題名の番組です。
まあ視聴率なんかからもほぼそういう人が日本でも一番多いのかと思いますが、もともとイギリスの鑑定番組があったという事で、これまで見てきて一度もフリーメイスンリー関連のアンティークが出た事は見たことないわけですが、まあそういうわけでそもそもフリーメイスンリー関連の番組ではないかという事で、私自身数多くフリーメイスンリー関連のアンティークを収集していますので、それらをまとめて番組に鑑定依頼を出してみました。果たしてどうなるでしょうか。反応が無ければ没です。














(スポンサーが高須クリニックのようです。まあ鑑定してもらってもメリットは無いのでなかなかどうでしょうか。追記:ブログ作成後地震があったようです。そういえば3.11の地震の後にDudley type1の最も良い18金のものが落下して心棒が折れるなどありました。なかなかいわくつきのフリーメイスンリー関連コレクションですが、ちょっと応募に付け加えるのを忘れていました。)
実は最近テレビ番組がつまらないと思うことしきりな訳ですが、唯一10年以上大体欠かさず見ている番組が今回の題名の番組です。
まあ視聴率なんかからもほぼそういう人が日本でも一番多いのかと思いますが、もともとイギリスの鑑定番組があったという事で、これまで見てきて一度もフリーメイスンリー関連のアンティークが出た事は見たことないわけですが、まあそういうわけでそもそもフリーメイスンリー関連の番組ではないかという事で、私自身数多くフリーメイスンリー関連のアンティークを収集していますので、それらをまとめて番組に鑑定依頼を出してみました。果たしてどうなるでしょうか。反応が無ければ没です。














(スポンサーが高須クリニックのようです。まあ鑑定してもらってもメリットは無いのでなかなかどうでしょうか。追記:ブログ作成後地震があったようです。そういえば3.11の地震の後にDudley type1の最も良い18金のものが落下して心棒が折れるなどありました。なかなかいわくつきのフリーメイスンリー関連コレクションですが、ちょっと応募に付け加えるのを忘れていました。)
大分間が空きましたがやはりこちらの話は秘密の度合いが濃いのだと思われます。
ヴェルサイユ宮殿は観光地としても人気だと思われ、日本人も年間万単位で訪れているのではないでしょうか。ただしその観光客のうちフリーメイスンリーの歴史博物館、思想を表す庭園だという認識を持った方はもしかすると誰もいないかもしれません。
というわけでヴェルサイユ宮殿の最大の秘密はその有名な庭園がフリーメイスンリーの思想を表す象徴で形作られているというところにあります。かつてフジテレビの人気番組「トリビアの泉」でヴェルサイユ宮殿の庭園にはミッキーマウスの顔があるという内容をやっていたそうですが、それもライオンズクラブやロータリークラブを通じた、特にフジテレビの場合はお台場のシンボルやフランスから贈られた自由の女神像の関係もあり、そうした中でのフランスフリーメイスンリーから伝えられた秘密のやや変わった形での暴露であったのかもしれません。
それでは実際の写真を見ていきます。まずわかりやすいように全景のグーグルマップの写真を出してしまいましょう。とにかく微に入り細に入りわかりやすいブログです。





まあ庭園の南北は大体日の沈む方向が鏡の間に一番光が入るように設計されているんですね。恐らく夏至にあたる6月24日ころに最も長く沈む夕日が鏡の間を照らし明るく太陽の恩恵が感じられるように作られていると思います。そういうわけでこの写真で上に当たる方向が北西の方角となります。まあそれだけで大体太陽信仰、フリーメイスンリーの結成にまつわる夏至と冬至の〇に二重線のシンボルとも重なるわけですが、まあそれだけでもフリーメイスンリーと言って過言ではないわけです。
上部に十字の形の大運河があるわけですが、これがもちろんGodのGと同じシンボル、宗教、キリスト教を示すものである事は良いかと思います。それを囲むように上下に菱形の∧∨で囲む形はシンボリズムの基本です。右側のところをルイ十四世とルイ十五世の愛人用の邸宅と、マリー・アントワネットのイギリス風の村の建築、いわゆるトリアノン宮殿でシンボルの造形を壊してしまっているのはいただけません。もしかするとシンボリズムに対する罪でマリー・アントワネットはギロチンにかけられたのでしょうか。
その下になるいわゆるヴェルサイユ宮殿の庭園とされる常に開放されている歩ける部分に関してはそれぞれ実際の写真を見ながら解説していきます。最初にミッキーの顔といわれるとそう見えるかもしれませんが、もちろん庭園の配置にフリーメイスンリーのシンボリズムの意味が込められているのだよという示唆に他ならないかと思われます。

ユネスコの世界文化遺産第一号に認定されているそうで、そういう意味でもユネスコも、世界文化遺産もフリーメイスンリーの規格で選定されているという事で良いのだと思います。鎌倉も世界文化遺産の登録申請などあったかと思いますがその辺どうでしょうか。白黒のタイルのところから外に出るとこんな感じでした。かなり早い時間から開放されているようで、庭園自体は入場無料なので朝早くはランニングで走る人が数多くいる感じでした。とにかく整備が大変という感じで、また意味のわからない前衛芸術は置かないといけないというフランスの思想というか、現代と過去を常に繋ぐ象徴なんだと思いますが、日本のように古いもののところには新しいものを置いてはいけないというものとは対照的なんだと思いました。

なんだかよくわかりませんが前衛芸術が中心にあります。3段の形だしフリーメイスンリーと関係あるのかもしれませんが良くわかりません。電波塔みたいです。水庭と訳される二つの池で鏡の役割をしているようです。

ちょうど秋分に近い頃でしたが大体入口の方から太陽が昇ってくる感じになります。恐らく夏至の太陽に合わせた建築になっていると思われます。その辺りはフランス語の論文が当たればあるのではないでしょうか。翻訳して日本語で出せばすぐに博士論文でしょうね。

ラトナの泉というようです。ローマ神話の女神の名前のようです。その先が緑の絨毯、さらにアポロンの泉で大水路の十字となります。緑の絨毯は335メートルあるそうで、まあメートル法がまだ確立されていなかった時代ですが、大体手頃な巨大なものという事で東京タワーの333mのモデルになったのかもしれませんね。

太陽王の神殿を占める人々の図でしょうか。まあ完成当時から庭園は基本的に国民に開放される空間であったようで、この様な姿になるのが完成当時からのあるべき姿であるのだと思われます。撮った時はベストショットと思ったのですがまあ色々内容が濃いのでそれほどの意味はありませんね。
まあいずれにしてもここまでで示されているのは左右対称の対称性の象徴だと思います。フリーメイスンリーで基本的に示されるヤキンとボアズの柱の二元性の象徴を表しているのですね。





ラトナの泉から先に行くと左右がまたフランス風の花壇になっていますね。フランスの象徴的なヴェルサイユ宮殿でフランス風というのもおかしいですが、かすみ草を加えた花束みたいなアレンジの花壇ですね。日本ではあまり見かけません。植え込みの植栽も幾何学的な感じに刈り込んであります。当初からこういう形なのかはわかりませんが、恐らくそういう指示もあるのだと思われます。要するに幾何学模様なのですね。Geometryという事だと思います。


右の方に歩いてきたのですね。ケレースの泉というようです。四季を表す4つの泉が配置されていて、小麦の収穫する夏を象徴しているようです。

こんな感じです。あまり情緒はありません。

訳の分からない野球場のような広場があります。フィールドオブドリームスの映画のようです。星の木立と訳されるようで、いわゆるペンタゴンの形をしています。庭園で最初に設計されたという事で、恐らく象徴の中で最も重要とされるのだと思います。すなわち国防総省のペンタゴンであり、五稜郭のシンボリズムです。キリスト教のベツレヘムの星に取られる五芒星の内側であり、ピタゴラス学派の象徴でもあります。黄金比を示し、美と数学と法、神の存在の究極の姿ととらえられるのかと思われます。まあ実際には造成前の広場みたいなところで、恐らくいつでも誰もいないかと思われます。

なんじゃこりゃという疑問符が付きながらその周囲を巡ります。ここは迷路にはなっていないのですが迷いそうです。かつてはこの庭園の王妃の木立のところに有名な迷路があったそうですが、恐らく本当に迷ってしまっていやな思いをする人が続出であったので後にはローマ・ギリシア風の木立となったようです。その当時は迷路にイソップ物語をモチーフとした39の像があったそうです。イソップ物語といえば三本の矢の話の元だそうですが、ギリシアの寓話集ですが、教訓に富んでいるとはいえ知らないと恐ろしいので不評だったでしょうね。





まあある意味あの時代のディズニーランドみたいなものであったのかもしれません。イッツアスモールワールドのような教訓めいた遊園地のような役割であったのかもしれません。しかし率直に言ってこの庭園のこの造形を見ると王様は気が狂ったとか訳がわからないと思うのが正直なところだと思います。一種の帝王学なのでしょうが、まあ実際のところはフリーメイスンリーなので王様だけではなくあらゆる技術者と建築家が設計して様々なアイディアを結実したものなのです。





そのものずばりのオベリスクの噴水とその周囲の泉とアポロンの泉のところです。本当は噴水があるわけですが無いとさっぱり美しくないし意味がわかりませんが、まあピラミッドの泉やオベリスクの泉はそのもののエジプト文化を意味していて、キリスト教、ユダヤ教の源流としてのギリシア・ローマ文明、エジプト文明を意味している、いわゆるフリーメイスンリーの考え方を表しています。アポロンを中心に置いて太陽神信仰を示しているのですね。ルイ十三世の時代は白鳥の泉であったそうです。まあ自身の愛称であった太陽王の名前から太陽信仰を追求したのですね。

アポロンの泉からヴェルサイユ宮殿を望む図です。完全に逆光です。

大水路の方向でしょうか。まあこんな感じでこれを整備するのはくたびれそうです。


像が並んでいます。まあ個別に見ていたら日が暮れてしまいます。ローマ・ギリシア神話の神々の像だと思われますが、それぞれに逸話があるのだと思われます。


ちょうど朝で整備していたので撮りました。こういう専用の機械で刈り込んでいくのですが、こういうのが無い時代は恐ろしく手間がかかったかと思います。まあしかし整備するのは大変そうです。ただ革命後も保存されたという事はそれがフリーメイスンリーの象徴であったからという他に無いのだと思われます。

これはヘッダーの画像にも使っていますがなかなか壮観です。意味がわからないと恐怖を感じると思われます。

これは鏡の泉から見たバッカスの泉でしょうか。ブドウを収穫する秋を象徴しているようです。まあちょっと怖くなって印象的な写真を撮って早く回っちゃおうと思っていたようです。

列柱の回廊があるのですが閉鎖されていました。恐らくローマのコロッセオをイメージしているのだと思います。イオニア式の列柱だそうです。代表的なものがギリシア・トルコのエフェソスのアルテミス神殿だそうで、有名なマウソロスの霊廟の作者と同じ人が柱に彫刻したそうです。つまり言いかえればワシントンD.C.のHouse of the Templeの原型がここヴェルサイユ宮殿にあるという事なのでしょうね。しかし当時は立ち入り禁止でした。まあ実際現地ではそんな事露とも思っていません。

で、ここに来て初めて気付きます。あれ明らかにAll Seeing Eyeの形じゃないかと。まあつまりそういう事です。庭園でフリーメイスンリーのシンボリズムを表して教えを伝えていたのですね。鏡の泉というそうです。明らかにAll Seeing Eyeの形をして、Gloryを伴っていますのでわかる人も多いかと思います。





鏡の泉とGloryに当たる木立の道です。先ほどの威圧する木立ではなく背丈が低くなり見通しができるようになり印象が異なっています。見渡せる事で先が広がるAll Seeing Eyeの全てを見通す事や開かれた印象の効果を狙ったものかと思われます。庭園で実際に受ける印象がそのまま教えとなっているのだと思われます。啓蒙の印象といったところでしょうか。



王妃の木立というそうです。かつてはここにイソップ物語にちなんだ像を置いた迷路があったそうです。恐らくあまりに混乱を引き起こすのでこの形の開かれた空間に変更したのだと思われます。象徴としての一本の木とそれを囲むようにギリシア・ローマ風の庭園となっており非常に整った落ち着いた空間となっています。先ほどのペンタゴンの空間の星の木立などとは対照的です。


木立に疲れて広いところに出て行っているのですね。



アポロンの水浴の木立ちの方に来たのですが改修中でした。非常に改修中で立ち入り禁止のものが多かったです。

また背の高い木立を抜けていきます。





ネプチューンの泉とドラゴンの泉ですがまだ誰もいません。噴水も出ていないしちょっとこの時は駄目ですね。この辺りはその他に三つの泉の木立や凱旋門の木立、ピラミッドの泉があり、いわゆるフリーメイスンリーの象徴が集まっています。ネプチューンが海王星で海神である事を考え、またドラゴンがロンドンの象徴である事を考えるとフリーメイスンが主体のイギリス海軍との連携で戦争に勝った事を意味しているのではないでしょうか。もちろん三つの泉の木立はブラザールイ十四世がフリーメイスンとなった事を意味すると思われます。三つの泉の木立はブラザールイ十四世が設計したそうです。画像は実物を見るか写真を検索してください。

この先に三つの泉の木立があったようですがこれもまた改修中でした。結構ポイントのものが改修中でしたね。また来いという事だと思われます。

これは何の泉かわかりません。左右で対称をなす泉のネプチューン側のものです。放射状の炎条を伴っており星の形なのだと思われます。

この右に写っているのがピラミッドの泉です。この時は噴水も出ていないし全く注目していませんね。この辺りがフランスフリーメイスンリーの奥深さなのでしょうね。まあ完全に歩き疲れていますし噴水を待つほどの余裕もありません。

最初の前衛芸術は要するにヤキンとボアズの柱を象徴していたのですね。まあ全体にフリーメイスンリーの象徴と合わせた解説が無ければ全然わかりませんね。まあそういう役割をこのブログがしているわけです。これを読んでヴェルサイユ宮殿に行く人が増えますかね。


いわゆるヴェルサイユ宮殿の写真として紹介される際に最も美しい光景として出てくるオランジュリー、花壇になるのでしょうか。(追記:オランジュリーはオレンジと月桂樹を多く植えた温室や花壇という事だそうで、主に地中海世界の豊かな収穫を意味するのだと思われます。カトリックを中心とした世界の豊かな華やかな安定した生活を意味しているとして差し支えないと思います。)幾何学模様で美しい模様ですが、反対がネプチューンとドラゴンの泉でしたがどういう意味になるのでしょうか。



オランジュリーは美しい花壇という事で写真を撮っている人が多いです。その後方にスイスの水の一部と名前を付けられた池があります。つまりそういう事ですね。イギリス海軍と永世中立国のスイスに挟まれたフランスの外交の基本姿勢を示しているという事でしょう。それがすなわち象徴化されたフランスの地理と地政学という事です。
で写真は終わりというところでヴェルサイユ宮殿の庭園についてフリーメイスンリー的考察をまとめましょう。

まず対称性の象徴として水庭が二つあり中心の二つ揃いがそれぞれ対称性を象徴しています。ネプチューンとドラゴンの泉とスイスの水の一部はそれぞれイングランドのフリーメイスンリーとスイスなどに象徴されるカトリックと密接に関わったフリーメイスンリーを地政学的に対称としているのだと思われます。ピラミッドや三つの泉の木立と凱旋門の泉で戦争の勝利や王がフリーメイスンとなる事でイギリス海軍の助けを受けて戦争に勝利する事を示していると思われます。そこから反時計回りに右側からパーフェクトアシュラーをかたどった広場と、ごつごつとしたラフアシュラーを示したアポロンの水浴の木立、これは英国式と中国式の折衷の庭園という事です。そしてそこからペンタゴンのキリスト教とピタゴラス学派の象徴を通ってオベリスクの象徴へと行きます。エンケラドス、ドームの木立はそれぞれジュピターに関わるローマ神話の逸話とドームの建築の教訓であると思われます。そこからアポロンの泉は基本的に全てを見通す目の形となり、王権がそれらを見守っているという事となっているのかと思われます。イオニア式列柱の列柱廊とマロニエの木立はそれぞれ教訓を示しているのだと思われます。そこから左の王の庭園はエジプトのスカラベの形であると思われます。

その下の鏡の泉が再びAll Seeing Eyeでエジプトの王権の歴史を教訓としているものと思われます。そこから下の王妃の木立がかつてはイソップ物語に基づいた迷路であった事と一本の木、もちろんこれはユダヤ教の生命の樹を意味するわけですが、そこにたどり着くローマ・ギリシア風の庭園という事になるのだと思われます。同時に舞踏場の円形劇場が、それらがオペラや当時ブラザールイ14世が自ら太陽王と名乗る事になった演劇や芸術によってそれらを伝える教訓となるという意味になるかと思われます。自由七科のリベラルアーツを象徴していると考えられます。そしてスイスの水の一部とともに美しい幾何学のオランジュリーが、その反対側のネプチューンとドラゴンとピラミッドの泉と三つの泉の木立が戦争とフリーメイスンの修業を意味するのと対照的に王としての平和と安定した優雅な生活を象徴しているものと思われます。もちろんこれは逆に時計回りに回って王としての優雅な生活からエジプトの王権の逸話に至って、オベリスクからフリーメイスンのイギリス海軍に至るというのでもよいのだと思います。
すなわちワシントンD.C.の秘密がブラザーワシントンの波乱の一生であったのと同じく、ヴェルサイユ宮殿の庭園の謎はブラザールイ14世の波乱に満ちたフリーメイスンとしての一生を後のルイ15世らに伝えるべく帝王学としてしるしたものかと思われます。それはすなわちその後の全てのフリーメイスンに示したフリーメイスンとしての教訓、ブラザールイ十四世の一生を示した教訓なのだと思われます。
さらに加えるとそれらが集約して庭園の反対側の都市側に3本の威光として認められ、王権の安定が人民に三位一体のキリスト教や三権分立としてもたらされるという事なのだと思われます。啓蒙専制君主の時代のフリーメイスンの王としてこれ以上の表現は無いのだと思われます。(追記:もちろんナントの勅令の廃止でプロテスタントを弾圧し宗教的寛容を中止した事は全くフリーメイスンリーとは相容れない政策ですが、その事がユグノー教徒のイングランドやネーデルランドやドイツへの亡命を促し、ひいてはブラザーデザグリエのようなフランス文化をもたらす重要なフリーメイスンを多く生み出すことにもつながる事になったわけで、むしろナントの勅令の廃止の意図はそこにあったと言っても過言ないのだと思われます。)


外の石畳が石工の細かい仕事を象徴しています。まさに石工の宮殿と庭園であったわけです。ごつごつした周辺と道の部分の平らな石が象徴と認められるかと思います。まさにそれも教訓ではないでしょうか。教えの道を歩む事が最も早く正しく目的地に行きつく事ができるという事でしょう。

まあそうは言っても観光地で毎日せっせと観光客が来る土地です。そういうところを開放して秘密としているところが価値があり世界遺産とされている所以なのだと思われます。



観光バスと車の駐車場が左右にあります。ゴシックの尖塔もあります。

地図があるので撮りましたがこの地図自体が教えになっているのですね。

ブラザールイ14世像です。

正面にかなり古い建築の郵便局があります。郵便制度が非常に重要である事を象徴しているのだと思われます。やはり対称形で三を強調した建築となっています。

日本のブランドだと思いますが、フリーメイスンリーのシンボルを意識したポスターのようです。



再びマルシェですね。花やチーズを売っていました。

いわゆる普通の左官職人さんが働いていました。





帰りの列車からお墓が見えたので撮りました。オベリスクもいくつかあったのですが、写真には写りませんでした。フリーメイスンリーの活動が恐らく最も盛んな国であってもフリーメイスンの数自体はそれほど多くなく、その象徴も明らかに認めながら一般には認められてはいないというのがまさにフリーメイスンリーというところであるかと思われます。

パリ、サンラザール駅に戻ってきました。その後は再びルーヴル美術館です。
しかし長いですねえ。付いてこれてますか~?
ヴェルサイユ宮殿は観光地としても人気だと思われ、日本人も年間万単位で訪れているのではないでしょうか。ただしその観光客のうちフリーメイスンリーの歴史博物館、思想を表す庭園だという認識を持った方はもしかすると誰もいないかもしれません。
というわけでヴェルサイユ宮殿の最大の秘密はその有名な庭園がフリーメイスンリーの思想を表す象徴で形作られているというところにあります。かつてフジテレビの人気番組「トリビアの泉」でヴェルサイユ宮殿の庭園にはミッキーマウスの顔があるという内容をやっていたそうですが、それもライオンズクラブやロータリークラブを通じた、特にフジテレビの場合はお台場のシンボルやフランスから贈られた自由の女神像の関係もあり、そうした中でのフランスフリーメイスンリーから伝えられた秘密のやや変わった形での暴露であったのかもしれません。
それでは実際の写真を見ていきます。まずわかりやすいように全景のグーグルマップの写真を出してしまいましょう。とにかく微に入り細に入りわかりやすいブログです。





まあ庭園の南北は大体日の沈む方向が鏡の間に一番光が入るように設計されているんですね。恐らく夏至にあたる6月24日ころに最も長く沈む夕日が鏡の間を照らし明るく太陽の恩恵が感じられるように作られていると思います。そういうわけでこの写真で上に当たる方向が北西の方角となります。まあそれだけで大体太陽信仰、フリーメイスンリーの結成にまつわる夏至と冬至の〇に二重線のシンボルとも重なるわけですが、まあそれだけでもフリーメイスンリーと言って過言ではないわけです。
上部に十字の形の大運河があるわけですが、これがもちろんGodのGと同じシンボル、宗教、キリスト教を示すものである事は良いかと思います。それを囲むように上下に菱形の∧∨で囲む形はシンボリズムの基本です。右側のところをルイ十四世とルイ十五世の愛人用の邸宅と、マリー・アントワネットのイギリス風の村の建築、いわゆるトリアノン宮殿でシンボルの造形を壊してしまっているのはいただけません。もしかするとシンボリズムに対する罪でマリー・アントワネットはギロチンにかけられたのでしょうか。
その下になるいわゆるヴェルサイユ宮殿の庭園とされる常に開放されている歩ける部分に関してはそれぞれ実際の写真を見ながら解説していきます。最初にミッキーの顔といわれるとそう見えるかもしれませんが、もちろん庭園の配置にフリーメイスンリーのシンボリズムの意味が込められているのだよという示唆に他ならないかと思われます。

ユネスコの世界文化遺産第一号に認定されているそうで、そういう意味でもユネスコも、世界文化遺産もフリーメイスンリーの規格で選定されているという事で良いのだと思います。鎌倉も世界文化遺産の登録申請などあったかと思いますがその辺どうでしょうか。白黒のタイルのところから外に出るとこんな感じでした。かなり早い時間から開放されているようで、庭園自体は入場無料なので朝早くはランニングで走る人が数多くいる感じでした。とにかく整備が大変という感じで、また意味のわからない前衛芸術は置かないといけないというフランスの思想というか、現代と過去を常に繋ぐ象徴なんだと思いますが、日本のように古いもののところには新しいものを置いてはいけないというものとは対照的なんだと思いました。

なんだかよくわかりませんが前衛芸術が中心にあります。3段の形だしフリーメイスンリーと関係あるのかもしれませんが良くわかりません。電波塔みたいです。水庭と訳される二つの池で鏡の役割をしているようです。

ちょうど秋分に近い頃でしたが大体入口の方から太陽が昇ってくる感じになります。恐らく夏至の太陽に合わせた建築になっていると思われます。その辺りはフランス語の論文が当たればあるのではないでしょうか。翻訳して日本語で出せばすぐに博士論文でしょうね。

ラトナの泉というようです。ローマ神話の女神の名前のようです。その先が緑の絨毯、さらにアポロンの泉で大水路の十字となります。緑の絨毯は335メートルあるそうで、まあメートル法がまだ確立されていなかった時代ですが、大体手頃な巨大なものという事で東京タワーの333mのモデルになったのかもしれませんね。

太陽王の神殿を占める人々の図でしょうか。まあ完成当時から庭園は基本的に国民に開放される空間であったようで、この様な姿になるのが完成当時からのあるべき姿であるのだと思われます。撮った時はベストショットと思ったのですがまあ色々内容が濃いのでそれほどの意味はありませんね。
まあいずれにしてもここまでで示されているのは左右対称の対称性の象徴だと思います。フリーメイスンリーで基本的に示されるヤキンとボアズの柱の二元性の象徴を表しているのですね。





ラトナの泉から先に行くと左右がまたフランス風の花壇になっていますね。フランスの象徴的なヴェルサイユ宮殿でフランス風というのもおかしいですが、かすみ草を加えた花束みたいなアレンジの花壇ですね。日本ではあまり見かけません。植え込みの植栽も幾何学的な感じに刈り込んであります。当初からこういう形なのかはわかりませんが、恐らくそういう指示もあるのだと思われます。要するに幾何学模様なのですね。Geometryという事だと思います。


右の方に歩いてきたのですね。ケレースの泉というようです。四季を表す4つの泉が配置されていて、小麦の収穫する夏を象徴しているようです。

こんな感じです。あまり情緒はありません。

訳の分からない野球場のような広場があります。フィールドオブドリームスの映画のようです。星の木立と訳されるようで、いわゆるペンタゴンの形をしています。庭園で最初に設計されたという事で、恐らく象徴の中で最も重要とされるのだと思います。すなわち国防総省のペンタゴンであり、五稜郭のシンボリズムです。キリスト教のベツレヘムの星に取られる五芒星の内側であり、ピタゴラス学派の象徴でもあります。黄金比を示し、美と数学と法、神の存在の究極の姿ととらえられるのかと思われます。まあ実際には造成前の広場みたいなところで、恐らくいつでも誰もいないかと思われます。

なんじゃこりゃという疑問符が付きながらその周囲を巡ります。ここは迷路にはなっていないのですが迷いそうです。かつてはこの庭園の王妃の木立のところに有名な迷路があったそうですが、恐らく本当に迷ってしまっていやな思いをする人が続出であったので後にはローマ・ギリシア風の木立となったようです。その当時は迷路にイソップ物語をモチーフとした39の像があったそうです。イソップ物語といえば三本の矢の話の元だそうですが、ギリシアの寓話集ですが、教訓に富んでいるとはいえ知らないと恐ろしいので不評だったでしょうね。





まあある意味あの時代のディズニーランドみたいなものであったのかもしれません。イッツアスモールワールドのような教訓めいた遊園地のような役割であったのかもしれません。しかし率直に言ってこの庭園のこの造形を見ると王様は気が狂ったとか訳がわからないと思うのが正直なところだと思います。一種の帝王学なのでしょうが、まあ実際のところはフリーメイスンリーなので王様だけではなくあらゆる技術者と建築家が設計して様々なアイディアを結実したものなのです。





そのものずばりのオベリスクの噴水とその周囲の泉とアポロンの泉のところです。本当は噴水があるわけですが無いとさっぱり美しくないし意味がわかりませんが、まあピラミッドの泉やオベリスクの泉はそのもののエジプト文化を意味していて、キリスト教、ユダヤ教の源流としてのギリシア・ローマ文明、エジプト文明を意味している、いわゆるフリーメイスンリーの考え方を表しています。アポロンを中心に置いて太陽神信仰を示しているのですね。ルイ十三世の時代は白鳥の泉であったそうです。まあ自身の愛称であった太陽王の名前から太陽信仰を追求したのですね。

アポロンの泉からヴェルサイユ宮殿を望む図です。完全に逆光です。

大水路の方向でしょうか。まあこんな感じでこれを整備するのはくたびれそうです。


像が並んでいます。まあ個別に見ていたら日が暮れてしまいます。ローマ・ギリシア神話の神々の像だと思われますが、それぞれに逸話があるのだと思われます。


ちょうど朝で整備していたので撮りました。こういう専用の機械で刈り込んでいくのですが、こういうのが無い時代は恐ろしく手間がかかったかと思います。まあしかし整備するのは大変そうです。ただ革命後も保存されたという事はそれがフリーメイスンリーの象徴であったからという他に無いのだと思われます。

これはヘッダーの画像にも使っていますがなかなか壮観です。意味がわからないと恐怖を感じると思われます。

これは鏡の泉から見たバッカスの泉でしょうか。ブドウを収穫する秋を象徴しているようです。まあちょっと怖くなって印象的な写真を撮って早く回っちゃおうと思っていたようです。

列柱の回廊があるのですが閉鎖されていました。恐らくローマのコロッセオをイメージしているのだと思います。イオニア式の列柱だそうです。代表的なものがギリシア・トルコのエフェソスのアルテミス神殿だそうで、有名なマウソロスの霊廟の作者と同じ人が柱に彫刻したそうです。つまり言いかえればワシントンD.C.のHouse of the Templeの原型がここヴェルサイユ宮殿にあるという事なのでしょうね。しかし当時は立ち入り禁止でした。まあ実際現地ではそんな事露とも思っていません。

で、ここに来て初めて気付きます。あれ明らかにAll Seeing Eyeの形じゃないかと。まあつまりそういう事です。庭園でフリーメイスンリーのシンボリズムを表して教えを伝えていたのですね。鏡の泉というそうです。明らかにAll Seeing Eyeの形をして、Gloryを伴っていますのでわかる人も多いかと思います。





鏡の泉とGloryに当たる木立の道です。先ほどの威圧する木立ではなく背丈が低くなり見通しができるようになり印象が異なっています。見渡せる事で先が広がるAll Seeing Eyeの全てを見通す事や開かれた印象の効果を狙ったものかと思われます。庭園で実際に受ける印象がそのまま教えとなっているのだと思われます。啓蒙の印象といったところでしょうか。



王妃の木立というそうです。かつてはここにイソップ物語にちなんだ像を置いた迷路があったそうです。恐らくあまりに混乱を引き起こすのでこの形の開かれた空間に変更したのだと思われます。象徴としての一本の木とそれを囲むようにギリシア・ローマ風の庭園となっており非常に整った落ち着いた空間となっています。先ほどのペンタゴンの空間の星の木立などとは対照的です。


木立に疲れて広いところに出て行っているのですね。



アポロンの水浴の木立ちの方に来たのですが改修中でした。非常に改修中で立ち入り禁止のものが多かったです。

また背の高い木立を抜けていきます。





ネプチューンの泉とドラゴンの泉ですがまだ誰もいません。噴水も出ていないしちょっとこの時は駄目ですね。この辺りはその他に三つの泉の木立や凱旋門の木立、ピラミッドの泉があり、いわゆるフリーメイスンリーの象徴が集まっています。ネプチューンが海王星で海神である事を考え、またドラゴンがロンドンの象徴である事を考えるとフリーメイスンが主体のイギリス海軍との連携で戦争に勝った事を意味しているのではないでしょうか。もちろん三つの泉の木立はブラザールイ十四世がフリーメイスンとなった事を意味すると思われます。三つの泉の木立はブラザールイ十四世が設計したそうです。画像は実物を見るか写真を検索してください。

この先に三つの泉の木立があったようですがこれもまた改修中でした。結構ポイントのものが改修中でしたね。また来いという事だと思われます。

これは何の泉かわかりません。左右で対称をなす泉のネプチューン側のものです。放射状の炎条を伴っており星の形なのだと思われます。

この右に写っているのがピラミッドの泉です。この時は噴水も出ていないし全く注目していませんね。この辺りがフランスフリーメイスンリーの奥深さなのでしょうね。まあ完全に歩き疲れていますし噴水を待つほどの余裕もありません。

最初の前衛芸術は要するにヤキンとボアズの柱を象徴していたのですね。まあ全体にフリーメイスンリーの象徴と合わせた解説が無ければ全然わかりませんね。まあそういう役割をこのブログがしているわけです。これを読んでヴェルサイユ宮殿に行く人が増えますかね。


いわゆるヴェルサイユ宮殿の写真として紹介される際に最も美しい光景として出てくるオランジュリー、花壇になるのでしょうか。(追記:オランジュリーはオレンジと月桂樹を多く植えた温室や花壇という事だそうで、主に地中海世界の豊かな収穫を意味するのだと思われます。カトリックを中心とした世界の豊かな華やかな安定した生活を意味しているとして差し支えないと思います。)幾何学模様で美しい模様ですが、反対がネプチューンとドラゴンの泉でしたがどういう意味になるのでしょうか。



オランジュリーは美しい花壇という事で写真を撮っている人が多いです。その後方にスイスの水の一部と名前を付けられた池があります。つまりそういう事ですね。イギリス海軍と永世中立国のスイスに挟まれたフランスの外交の基本姿勢を示しているという事でしょう。それがすなわち象徴化されたフランスの地理と地政学という事です。
で写真は終わりというところでヴェルサイユ宮殿の庭園についてフリーメイスンリー的考察をまとめましょう。

まず対称性の象徴として水庭が二つあり中心の二つ揃いがそれぞれ対称性を象徴しています。ネプチューンとドラゴンの泉とスイスの水の一部はそれぞれイングランドのフリーメイスンリーとスイスなどに象徴されるカトリックと密接に関わったフリーメイスンリーを地政学的に対称としているのだと思われます。ピラミッドや三つの泉の木立と凱旋門の泉で戦争の勝利や王がフリーメイスンとなる事でイギリス海軍の助けを受けて戦争に勝利する事を示していると思われます。そこから反時計回りに右側からパーフェクトアシュラーをかたどった広場と、ごつごつとしたラフアシュラーを示したアポロンの水浴の木立、これは英国式と中国式の折衷の庭園という事です。そしてそこからペンタゴンのキリスト教とピタゴラス学派の象徴を通ってオベリスクの象徴へと行きます。エンケラドス、ドームの木立はそれぞれジュピターに関わるローマ神話の逸話とドームの建築の教訓であると思われます。そこからアポロンの泉は基本的に全てを見通す目の形となり、王権がそれらを見守っているという事となっているのかと思われます。イオニア式列柱の列柱廊とマロニエの木立はそれぞれ教訓を示しているのだと思われます。そこから左の王の庭園はエジプトのスカラベの形であると思われます。

その下の鏡の泉が再びAll Seeing Eyeでエジプトの王権の歴史を教訓としているものと思われます。そこから下の王妃の木立がかつてはイソップ物語に基づいた迷路であった事と一本の木、もちろんこれはユダヤ教の生命の樹を意味するわけですが、そこにたどり着くローマ・ギリシア風の庭園という事になるのだと思われます。同時に舞踏場の円形劇場が、それらがオペラや当時ブラザールイ14世が自ら太陽王と名乗る事になった演劇や芸術によってそれらを伝える教訓となるという意味になるかと思われます。自由七科のリベラルアーツを象徴していると考えられます。そしてスイスの水の一部とともに美しい幾何学のオランジュリーが、その反対側のネプチューンとドラゴンとピラミッドの泉と三つの泉の木立が戦争とフリーメイスンの修業を意味するのと対照的に王としての平和と安定した優雅な生活を象徴しているものと思われます。もちろんこれは逆に時計回りに回って王としての優雅な生活からエジプトの王権の逸話に至って、オベリスクからフリーメイスンのイギリス海軍に至るというのでもよいのだと思います。
すなわちワシントンD.C.の秘密がブラザーワシントンの波乱の一生であったのと同じく、ヴェルサイユ宮殿の庭園の謎はブラザールイ14世の波乱に満ちたフリーメイスンとしての一生を後のルイ15世らに伝えるべく帝王学としてしるしたものかと思われます。それはすなわちその後の全てのフリーメイスンに示したフリーメイスンとしての教訓、ブラザールイ十四世の一生を示した教訓なのだと思われます。
さらに加えるとそれらが集約して庭園の反対側の都市側に3本の威光として認められ、王権の安定が人民に三位一体のキリスト教や三権分立としてもたらされるという事なのだと思われます。啓蒙専制君主の時代のフリーメイスンの王としてこれ以上の表現は無いのだと思われます。(追記:もちろんナントの勅令の廃止でプロテスタントを弾圧し宗教的寛容を中止した事は全くフリーメイスンリーとは相容れない政策ですが、その事がユグノー教徒のイングランドやネーデルランドやドイツへの亡命を促し、ひいてはブラザーデザグリエのようなフランス文化をもたらす重要なフリーメイスンを多く生み出すことにもつながる事になったわけで、むしろナントの勅令の廃止の意図はそこにあったと言っても過言ないのだと思われます。)


外の石畳が石工の細かい仕事を象徴しています。まさに石工の宮殿と庭園であったわけです。ごつごつした周辺と道の部分の平らな石が象徴と認められるかと思います。まさにそれも教訓ではないでしょうか。教えの道を歩む事が最も早く正しく目的地に行きつく事ができるという事でしょう。

まあそうは言っても観光地で毎日せっせと観光客が来る土地です。そういうところを開放して秘密としているところが価値があり世界遺産とされている所以なのだと思われます。



観光バスと車の駐車場が左右にあります。ゴシックの尖塔もあります。

地図があるので撮りましたがこの地図自体が教えになっているのですね。

ブラザールイ14世像です。

正面にかなり古い建築の郵便局があります。郵便制度が非常に重要である事を象徴しているのだと思われます。やはり対称形で三を強調した建築となっています。

日本のブランドだと思いますが、フリーメイスンリーのシンボルを意識したポスターのようです。



再びマルシェですね。花やチーズを売っていました。

いわゆる普通の左官職人さんが働いていました。





帰りの列車からお墓が見えたので撮りました。オベリスクもいくつかあったのですが、写真には写りませんでした。フリーメイスンリーの活動が恐らく最も盛んな国であってもフリーメイスンの数自体はそれほど多くなく、その象徴も明らかに認めながら一般には認められてはいないというのがまさにフリーメイスンリーというところであるかと思われます。

パリ、サンラザール駅に戻ってきました。その後は再びルーヴル美術館です。
しかし長いですねえ。付いてこれてますか~?
さてそろそろ2013年3月も近いという事でタイムリーな感じという事でこの陰謀論に極めて近いながらもフリーメイスンリーの核心や秘密ともされうる数秘術に基づいた日付のシンボリズムという話を続けてみます。
まあ名前のシンボリズムと同じく名前がそのもの自体の全てを表すわけではないわけですが、数字で世の中を表してみたところでそれがその人や物の一部のバロメーターを表すだけであるという事は誰もがわかるわけですが、それがまたシンボリズムの面白いところであり、一部が全体を表し、また全体が一部を表すという、それはグノーシス主義にも認められる陰と陽、正と偽、それら全てを一体として真実として認識するという一つの思想とも哲学ともとられる生き方の方法論であり、宗教を越えた宗教とも哲学ともあらわされるフリーメイスンリーの重要な概念と言えるかと思われます。
まあ3のシンボリズムは経験やこのブログや周辺の知識で浸透してきたのではないかと思います。
その他ユダヤ暦やキリスト教の祝祭日、ローマ帝国の祝祭日などはウィキペディアもある時代ですのでそれぞれ調べられると面白いかと思います。
とりあえずこのブログでは有名なフリーメイスンの誕生日と忌日について列挙して、それらが関係ありそうかどうか、新たな重要な数字のシンボリズムはあるのかどうかというところになるかと思われます。
ではウィキペディアに挙げられたフリーメイスンやその他私が加えたブラザーやその周辺の人物について挙げていくこととします。
アメリカ
ベンジャミン・フランクリン ユリウス暦1706年1月6日(グレゴリオ暦1706年1月17日) - 1790年4月17日
ジョージ・ワシントン グレゴリオ暦:1732年2月22日 - 1799年12月14日(ユリウス暦:1731年2月11日生まれ)
ポール・リビア 1735年1月1日 - 1818年5月10日
トーマス・ジェファーソン 1743年4月2日(ユリウス暦)/4月13日(グレゴリオ暦) - 1826年7月4日
アンドリュー・ジャクソン 1767年3月15日 - 1845年6月8日
ジェームズ・ブキャナン 1791年4月23日 - 1868年6月1日
サミュエル・ヒューストン 1793年3月2日 - 1863年7月26日
マシュー・ペリー 1794年4月10日 – 1858年3月4日
アルバート・パイク 1809年12月29日 - 1891年4月2日
ジェームズ・ポーク 1795年11月2日 - 1849年6月15日
アンドリュー・ジョンソン 1808年12月29日 - 1875年7月31日
ジェームズ・ガーフィールド 1831年11月19日 - 1881年9月19日
マーク・トウェイン 1835年11月30日 - 1910年4月21日
ウィリアム・マッキンリー 1843年1月29日 - 1901年9月14日
バッファロー・ビル 1846年2月26日 - 1917年1月10日
ジョン・フィリップ・スーザ1854年11月6日 - 1932年3月6日
ロバート・ピアリー 1856年5月6日 - 1920年2月20日
ウィリアム・タフト 1857年9月15日 - 1930年3月8日
セオドア・ルーズベルト 1858年10月27日 - 1919年1月6日
ヘンリー・フォード 1863年7月30日 - 1947年4月7日
ウォレン・ハーディング 1865年11月2日 - 1923年8月2日
ガットスン・ボーグラム 1867年3月25日 - 1941年3月6日
チャールズ・リンドバーグ 1902年2月4日 - 1974年8月26日
ジョン・エドガー・フーヴァー 1895年1月1日 - 1972年5月2日
ダグラス・マッカーサー 1880年1月26日 - 1964年4月5日
フランクリン・ルーズベルト1882年1月30日 - 1945年4月12日
ハリー・S・トルーマン 1884年5月8日 - 1972年12月26日
タイ・カッブ 1886年12月18日 - 1961年7月17日
リチャード・バード 1888年10月25日 – 1957年3月11日
カーネル・サンダース 1890年9月9日 - 1980年12月16日
デューク・エリントン 1899年4月29日 - 1974年5月24日
ルイ・アームストロング 1901年8月4日 - 1971年7月6日
マイケル・コリンズ 1930年10月31日 -
エドウィン・オルドリン 1930年1月20日 -
ジョン・ウェイン 1907年5月26日 - 1979年6月11日
クラーク・ゲーブル 1901年2月1日 - 1960年11月16日
カウント・ベイシー 1904年8月21日 - 1984年4月26日
ジョセフィン・ベーカー 1906年6月3日 - 1975年4月12日
ベニー・グッドマン 1909年5月30日 - 1986年6月13日
ジェラルド・R・フォード 1913年7月14日 - 2006年12月26日
ナット・キング・コール 1919年3月17日 - 1965年2月15日
エディ・マーフィ 1961年4月3日 -
シャキール・オニール 1972年3月6日 -
エイブラハム・リンカーン 1809年2月12日 - 1865年4月15日
トーマス・エジソン 1847年2月11日 - 1931年10月18日
ワイアット・アープ 1848年3月19日 - 1929年1月13日
ジェームズ・ディーン 1931年2月8日 - 1955年9月30日
ジョージ・スタインブレナー1930年7月4日 - 2010年7月13日
ジェニファー・アニストン 1969年2月11日 -
ベン・アフレック 1972年8月15日 -
エルヴィス・プレスリー 1935年1月8日 - 1977年8月16日
マイケル・ジャクソン 1958年8月29日 - 2009年6月25日
ホイットニー・ヒューストン1963年8月9日 - 2012年2月11日
ジョン・F・ケネディ 1917年5月29日 - 1963年11月22日
リンドン・ジョンソン 1908年8月27日 - 1973年1月22日
ロバート・ケネディ 1925年11月20日 - 1968年6月6日
リチャード・ニクソン 1913年1月9日 - 1994年4月22日
ジョージ・H・W・ブッシュ 1924年6月12日 -
ジョージ・W・ブッシュ 1946年7月6日 -
ビル・クリントン 1946年8月19日 -
バラク・オバマ 1961年8月4日 -
レオナルド・ディカプリオ 1974年11月11日 -
キム・ベイシンガー 1953年12月8日 -
ダン・ブラウン 1964年6月22日 -
デミ・ムーア 1962年11月11日 -
トム・クルーズ 1962年7月3日 -
フランク・ケロッグ 1856年12月22日 - 1937年12月21日
オー・ヘンリー 1862年9月11日 - 1910年6月5日
ウォーレン・ベイティ 1937年3月30日 -
カルビン・クーリッジ 1872年7月4日 - 1933年1月5日
ジョセフ・スミス・ジュニア1805年12月23日 - 1844年6月27日
フェイ・ダナウェイ 1941年1月14日 -
ディック・チェイニー 1941年1月30日 -
アレクサンダー・ハミルトン1755年1月11日 - 1804年7月12日
エドガー・アラン・ポー 1809年1月19日 - 1849年10月7日
ヘンリー・ワーズワース・ロングフェロー1807年2月27日 - 1882年3月24日
ナサニエル・ホーソーン 1804年7月4日 – 1864年5月19日
F・スコット・フィッツジェラルド1896年9月24日 - 1940年12月21日
ダンテ・カーヴァー 1977年1月17日 -
サミー・デイヴィスJr. 1925年12月8日 - 1990年5月16日
ドリュー・バリモア 1975年2月22日 -
ピーター・フォーク 1927年9月16日 - 2011年6月23日
スティーブ・マックイーン 1930年3月24日 - 1980年11月7日
ハワイ
カメハメハ4世 1834年2月9日 - 1863年11月30日
カメハメハ5世 1830年12月11日 - 1872年12月11日
カラカウア 1836年11月16日 - 1891年1月20日
まあ建国の父の誕生日や忌日がその後のイベントや記念日の数字となっている事があるのでしょうか。そしてしばらくおいて、ケネディ家の暗殺された日やハワイの王族の忌日などいかにも死と陰謀が関係するような連想の際に意味を持ってくるような数字があるという事になるのでしょうか。結局単純に生年月日や死亡日は数字でしかないというところなんだと思います。それに意味を持たせるのはそれぞれの人であり、受け手や送り手がいる場合にはそれぞれの解釈という事になるのかと思われます。
あとはやはりアメリカは傾向として復活祭の関連が多いのかなというところと、フリーメイスンの数が多いのであまり数字のシンボリズムの件数自体は多くないのかなというところでしょうか。これもやはり市章のシンボリズムや名前のシンボリズムなどと同じでそれぞれシンボリズムの法則や傾向があるというところがまた興味深いところです。
あとは初めて知ったのですが、マイケル・ジャクソンのミドルネームはジョセフなのですね。麻酔薬を注入した医師はフリーメイスンであったという事です。
まあ名前のシンボリズムと同じく名前がそのもの自体の全てを表すわけではないわけですが、数字で世の中を表してみたところでそれがその人や物の一部のバロメーターを表すだけであるという事は誰もがわかるわけですが、それがまたシンボリズムの面白いところであり、一部が全体を表し、また全体が一部を表すという、それはグノーシス主義にも認められる陰と陽、正と偽、それら全てを一体として真実として認識するという一つの思想とも哲学ともとられる生き方の方法論であり、宗教を越えた宗教とも哲学ともあらわされるフリーメイスンリーの重要な概念と言えるかと思われます。
まあ3のシンボリズムは経験やこのブログや周辺の知識で浸透してきたのではないかと思います。
その他ユダヤ暦やキリスト教の祝祭日、ローマ帝国の祝祭日などはウィキペディアもある時代ですのでそれぞれ調べられると面白いかと思います。
とりあえずこのブログでは有名なフリーメイスンの誕生日と忌日について列挙して、それらが関係ありそうかどうか、新たな重要な数字のシンボリズムはあるのかどうかというところになるかと思われます。
ではウィキペディアに挙げられたフリーメイスンやその他私が加えたブラザーやその周辺の人物について挙げていくこととします。
アメリカ
ベンジャミン・フランクリン ユリウス暦1706年1月6日(グレゴリオ暦1706年1月17日) - 1790年4月17日
ジョージ・ワシントン グレゴリオ暦:1732年2月22日 - 1799年12月14日(ユリウス暦:1731年2月11日生まれ)
ポール・リビア 1735年1月1日 - 1818年5月10日
トーマス・ジェファーソン 1743年4月2日(ユリウス暦)/4月13日(グレゴリオ暦) - 1826年7月4日
アンドリュー・ジャクソン 1767年3月15日 - 1845年6月8日
ジェームズ・ブキャナン 1791年4月23日 - 1868年6月1日
サミュエル・ヒューストン 1793年3月2日 - 1863年7月26日
マシュー・ペリー 1794年4月10日 – 1858年3月4日
アルバート・パイク 1809年12月29日 - 1891年4月2日
ジェームズ・ポーク 1795年11月2日 - 1849年6月15日
アンドリュー・ジョンソン 1808年12月29日 - 1875年7月31日
ジェームズ・ガーフィールド 1831年11月19日 - 1881年9月19日
マーク・トウェイン 1835年11月30日 - 1910年4月21日
ウィリアム・マッキンリー 1843年1月29日 - 1901年9月14日
バッファロー・ビル 1846年2月26日 - 1917年1月10日
ジョン・フィリップ・スーザ1854年11月6日 - 1932年3月6日
ロバート・ピアリー 1856年5月6日 - 1920年2月20日
ウィリアム・タフト 1857年9月15日 - 1930年3月8日
セオドア・ルーズベルト 1858年10月27日 - 1919年1月6日
ヘンリー・フォード 1863年7月30日 - 1947年4月7日
ウォレン・ハーディング 1865年11月2日 - 1923年8月2日
ガットスン・ボーグラム 1867年3月25日 - 1941年3月6日
チャールズ・リンドバーグ 1902年2月4日 - 1974年8月26日
ジョン・エドガー・フーヴァー 1895年1月1日 - 1972年5月2日
ダグラス・マッカーサー 1880年1月26日 - 1964年4月5日
フランクリン・ルーズベルト1882年1月30日 - 1945年4月12日
ハリー・S・トルーマン 1884年5月8日 - 1972年12月26日
タイ・カッブ 1886年12月18日 - 1961年7月17日
リチャード・バード 1888年10月25日 – 1957年3月11日
カーネル・サンダース 1890年9月9日 - 1980年12月16日
デューク・エリントン 1899年4月29日 - 1974年5月24日
ルイ・アームストロング 1901年8月4日 - 1971年7月6日
マイケル・コリンズ 1930年10月31日 -
エドウィン・オルドリン 1930年1月20日 -
ジョン・ウェイン 1907年5月26日 - 1979年6月11日
クラーク・ゲーブル 1901年2月1日 - 1960年11月16日
カウント・ベイシー 1904年8月21日 - 1984年4月26日
ジョセフィン・ベーカー 1906年6月3日 - 1975年4月12日
ベニー・グッドマン 1909年5月30日 - 1986年6月13日
ジェラルド・R・フォード 1913年7月14日 - 2006年12月26日
ナット・キング・コール 1919年3月17日 - 1965年2月15日
エディ・マーフィ 1961年4月3日 -
シャキール・オニール 1972年3月6日 -
エイブラハム・リンカーン 1809年2月12日 - 1865年4月15日
トーマス・エジソン 1847年2月11日 - 1931年10月18日
ワイアット・アープ 1848年3月19日 - 1929年1月13日
ジェームズ・ディーン 1931年2月8日 - 1955年9月30日
ジョージ・スタインブレナー1930年7月4日 - 2010年7月13日
ジェニファー・アニストン 1969年2月11日 -
ベン・アフレック 1972年8月15日 -
エルヴィス・プレスリー 1935年1月8日 - 1977年8月16日
マイケル・ジャクソン 1958年8月29日 - 2009年6月25日
ホイットニー・ヒューストン1963年8月9日 - 2012年2月11日
ジョン・F・ケネディ 1917年5月29日 - 1963年11月22日
リンドン・ジョンソン 1908年8月27日 - 1973年1月22日
ロバート・ケネディ 1925年11月20日 - 1968年6月6日
リチャード・ニクソン 1913年1月9日 - 1994年4月22日
ジョージ・H・W・ブッシュ 1924年6月12日 -
ジョージ・W・ブッシュ 1946年7月6日 -
ビル・クリントン 1946年8月19日 -
バラク・オバマ 1961年8月4日 -
レオナルド・ディカプリオ 1974年11月11日 -
キム・ベイシンガー 1953年12月8日 -
ダン・ブラウン 1964年6月22日 -
デミ・ムーア 1962年11月11日 -
トム・クルーズ 1962年7月3日 -
フランク・ケロッグ 1856年12月22日 - 1937年12月21日
オー・ヘンリー 1862年9月11日 - 1910年6月5日
ウォーレン・ベイティ 1937年3月30日 -
カルビン・クーリッジ 1872年7月4日 - 1933年1月5日
ジョセフ・スミス・ジュニア1805年12月23日 - 1844年6月27日
フェイ・ダナウェイ 1941年1月14日 -
ディック・チェイニー 1941年1月30日 -
アレクサンダー・ハミルトン1755年1月11日 - 1804年7月12日
エドガー・アラン・ポー 1809年1月19日 - 1849年10月7日
ヘンリー・ワーズワース・ロングフェロー1807年2月27日 - 1882年3月24日
ナサニエル・ホーソーン 1804年7月4日 – 1864年5月19日
F・スコット・フィッツジェラルド1896年9月24日 - 1940年12月21日
ダンテ・カーヴァー 1977年1月17日 -
サミー・デイヴィスJr. 1925年12月8日 - 1990年5月16日
ドリュー・バリモア 1975年2月22日 -
ピーター・フォーク 1927年9月16日 - 2011年6月23日
スティーブ・マックイーン 1930年3月24日 - 1980年11月7日
ハワイ
カメハメハ4世 1834年2月9日 - 1863年11月30日
カメハメハ5世 1830年12月11日 - 1872年12月11日
カラカウア 1836年11月16日 - 1891年1月20日
まあ建国の父の誕生日や忌日がその後のイベントや記念日の数字となっている事があるのでしょうか。そしてしばらくおいて、ケネディ家の暗殺された日やハワイの王族の忌日などいかにも死と陰謀が関係するような連想の際に意味を持ってくるような数字があるという事になるのでしょうか。結局単純に生年月日や死亡日は数字でしかないというところなんだと思います。それに意味を持たせるのはそれぞれの人であり、受け手や送り手がいる場合にはそれぞれの解釈という事になるのかと思われます。
あとはやはりアメリカは傾向として復活祭の関連が多いのかなというところと、フリーメイスンの数が多いのであまり数字のシンボリズムの件数自体は多くないのかなというところでしょうか。これもやはり市章のシンボリズムや名前のシンボリズムなどと同じでそれぞれシンボリズムの法則や傾向があるというところがまた興味深いところです。
あとは初めて知ったのですが、マイケル・ジャクソンのミドルネームはジョセフなのですね。麻酔薬を注入した医師はフリーメイスンであったという事です。
I never did give anybody hell. I just told the truth and they thought it was hell.
私は誰にも地獄を見せたわけではない。私が真実を伝えたら人々はそれを地獄だと思ったんだ。
When even one American - who has done nothing wrong - is forced by fear to shut his mind and close his mouth - then all Americans are in peril.
例えたった一人の何も間違いを犯していないアメリカ人が恐れのために心を閉ざして口を閉ざしたとしたら、その時には全てのアメリカ人の危機である。
私は誰にも地獄を見せたわけではない。私が真実を伝えたら人々はそれを地獄だと思ったんだ。
When even one American - who has done nothing wrong - is forced by fear to shut his mind and close his mouth - then all Americans are in peril.
例えたった一人の何も間違いを犯していないアメリカ人が恐れのために心を閉ざして口を閉ざしたとしたら、その時には全てのアメリカ人の危機である。
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