2013-02-13 22:41 | カテゴリ:シンボリズム
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
ちょっと良く伝わっていないようなので繰り返します。
紀元節は旧暦の太陰暦の元日というわけではありません。西暦の紀元前660年の2月11日が神武元年の旧暦の正月に当たるというのはこじつけのようです。途中の干支は古代中国で色々変遷があったのを適当な時期で変更しているようですし、また閏年もグレゴリオ暦のものを採用しているそうです。

つまり紀元節は2月11日ありきなのです。

そしてそれは恐らく明治二年のまだ太陰暦を使用していた時に完成した最初の灯台である観音埼灯台が旧暦の1月1日に完成した結果、その日が西暦の2月11日であり、恐らくそれらは暦を正確に把握していたブラザーレオンス・ヴェルニーらだからできた話であり、起工日の旧暦の明治元年9月17日、新暦の11月1日も111のキリスト教カトリックの三位一体のシンボリズムを意識した日であり、完成した211の日は日本の2と11のユダヤ教を意識した日であったのだと思われます。

そしてその結果2月11日は日本の門出を象徴する日としてその後の明治政府に紀元節として採用されたのだと思われます。いずれにしても重要なのは江戸時代やそれ以前の太陰太陽暦の時代は太陽暦のグレゴリオ暦よりも不正確であり太陽暦の同じ日、日の出から日の入りまでがほぼ同じ時間の日に比べて2週間ほど年ごとに変動するような暦を使用していたわけで、これはまた時計も正確には無い時代で寺などの時を知らす鐘があるところに時計があったり、日時計で時刻を測って鐘で知らせていたそうです。

つまり2月11日の紀元節はそうしたフリーメイスンリーの空間と時間の正確な制御に関する認識とその象徴としてのシンボリズム、国家と歴史を統合して日付に還元したシンボリズムであり、117や911や311の日付のシンボリズムと同様に聞く耳を持つ人に響く意味を持ったものなのです。
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