2013-03-19 12:50 | カテゴリ:キリスト教
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー

洗礼者ヨハネ、教えを宣べる
神の子イエス・キリストの福音の初め。預言者イザヤの書にこう書いてある。「見よ、わたしはあなたより先に使者を遣わし、あなたの道を準備させよう。荒れ野で叫ぶ者の声がする。『主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ。』」そのとおり、洗礼者ヨハネが荒れ野に現れて、罪の許しを得させるために悔い改めの洗礼を宣べ伝えた。ユダヤの全地方とエルサレムの住民は皆、ヨハネのもとに来て、罪を告白し、ヨルダン川で彼から洗礼を受けた。ヨハネはらくだの毛衣を着、腰に革の帯を締め、いなごと野蜜を食べていた。彼はこう宣べ伝えた。「わたしよりも優れた方が、後から来られる。わたしは、かがんでその方の履物のひもを解く値打ちもない。わたしは水であなたたちに洗礼を授けたが、その方は聖霊で洗礼をお授けになる。」

イエス、洗礼を受ける
そのころ、イエスはガリラヤのナザレから来て、ヨルダン川でヨハネから洗礼を受けられた。水の中から上がるとすぐ、天が裂けて“霊”が鳩のように御自分に降って来るのを、御覧になった。すると、「あなたは私の愛する子、わたしの心に適う者」という声が、天から聞こえた。

誘惑を受ける
それから、“霊”はイエスを荒れ野に送り出した。イエスは四十日間そこにとどまり、サタンから誘惑を受けられた。その間、野獣と一緒におられたが、天使たちが仕えていた。

ガリラヤで伝道を始める。
ヨハネが捕らえられた後、イエスはガリラヤへ行き、神の福音を宣べ伝えて、「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と言われた。

四人の漁師を弟子にする
イエスは、ガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、シモンとシモンの兄弟アンデレが湖で網を打っているのを御覧になった。彼らは漁師だった。イエスは、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言われた。二人はすぐに網を捨てて従った。また、少し進んで、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネが、舟の中で網の手入れをしているのを御覧になると、すぐに彼らをお呼びになった。この二人も父ゼベダイを雇い人たちと一緒に舟に残して、イエスの後について行った。

汚れた霊に取りつかれた男をいやす
一行はカファルナウムに着いた。イエスは、安息日に会堂に入って教え始められた。人々はその教えに非常に驚いた。律法学者のようにではなく、権威ある者としてお教えになったからである。そのとき、この会堂に汚れた霊に取りつかれた男がいて叫んだ。「ナザレのイエス、かまわないでくれ。我々を滅ぼしに来たのか。正体は分かっている。神の聖者だ。」イエスが、「黙れ。この人から出て行け」とお叱りになると、汚れた霊はその人にけいれんを起こさせ、大声をあげて出て行った。人々は皆驚いて、論じ合った。「これはいったいどういうことなのだ。権威ある新しい教えだ。この人が汚れた霊に命じると、その言う事を聴く。」イエスの評判は、たちまちガリラヤ地方の隅々にまで広まった。

多くの病人をいやす
すぐに、一行は会堂を出て、シモンとアンデレの家に行った。ヤコブとヨハネも一緒であった。シモンのしゅうとめが熱を出して寝ていたので、人々は早速、彼女の事をイエスに話した。イエスがそばに行き、手を取って起こされると、熱は去り、彼女は一同をもてなした。夕方になって日が沈むと、人々は、病人や悪霊に取りつかれたものを皆、イエスのもとに連れてきた。町中の人が、戸口に集まった。イエスは、色々な病気にかかっている大勢の人たちをいやし、また、多くの悪霊を追い出して、悪霊にものを言うことをお許しにならなかった。悪霊はイエスを知っていたからである。

巡回して宣教する
朝早くまだ暗いうちに、イエスは起きて、人里離れた所へ出て行き、そこで祈っておられた。シモンとその仲間はイエスの後を追い、見つけると、「みんなが捜しています」と言った。イエスは言われた。「近くのほかの町や村へ行こう。そこでも、わたしは宣教する。そのために私は出て来たのである。」そして、ガリラヤ中の会堂に行き、宣教し、悪霊を追い出された。

重い皮膚病を患っている人をいやす
さて、重い皮膚病を患っている人が、イエスのところに来てひざまずいて願い、「御心ならば、わたしを清くすることがおできになります」と言った。イエスが深く憐れんで、手を差し伸べてその人に触れ、「よろしい。清くなれ」と言われると、たちまち重い皮膚病は去り、その人は清くなった。イエスはすぐにその人を立ち去らせようとし、厳しく注意して、言われた。「だれにも、何も話さないように気をつけなさい。ただ、行って祭司に体を見せ、モーセが定めたものを清めのために献げて、人々に証明しなさい。」しかし、彼はそこを立ち去ると、大いにこの出来事を人々に告げ、言い広め始めた。それで、イエスはもはや公然と町に入ることができず、町の外の人のいない所におられた。それでも、人々は四方からイエスのところに集まって来た。
2013-03-19 15:56 | カテゴリ:アメリカ
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
さてさてまあ色々と織り交ぜてブログは進行していますが、世間は色々とあり、フリーメイスンリーの世界でも色々と行事があるわけですが、とりあえず横須賀でこの時期あるのはいわゆるベースの開放であり、3月24日の予定日はどうもソメイヨシノの満開が予想される日だそうで、天気の方も急ピッチで準備しているような感じでしょうか。

それはそれとして50州+1あるアメリカの州章シリーズはコツコツと続けて行きましょう。
アイウエオ順ということでアラスカ州です。これは大概の日本人は場所がわかるのではないでしょうか。かつては欧州線のアンカレッジ中継地と言う事で多くの人がアメリカに行ったことが無くとも行ったことがある土地ということになるのかもしれません。アラスカは1867年3月30日にロシア帝国からアメリカ合衆国が買収したそうで、米露の関係なんてのはこういう時代から密接にフリーメイスンリーのシンボリズムで彩られているのですね。建物などはウィキペディアで見る限り日本のような近代的な建物のようですが、州の花は勿忘草とありシンボリズムが認められ、フリーメイスンリーのロッジは20で会員数は2000人余りとあり、人口が約70万人で全米で最も人口密度が低い地域ですが、フリーメイスンの割合も最も低いのかもしれません。およそ300人に1人という割合でしょうか。やはり先住民であるエスキモーと最近では油田や天然ガスの開発が問題になっていたかと思います。
アラスカ大きさ
アラスカの大きさを比較したウィキペディアの画像がありましたので載せておきます。場所についてはあえて載せなくても良いかと思います。

とりあえず州章を見ていくことにしましょう。
アラスカ州
まあ一見してフリーメイスンリーぽくはないですね。かつては氷河やオーロラ、エスキモーの氷の家などが描かれていたそうで、もしかすると全くフリーメイスンリーのシンボルが無かったのかもしれません。1910年に現在のものに変更されたそうです。ロッキー山脈とその周辺の色調はオーロラを意味しているようです。英語ではnorthern lightで北の光だそうです。何となく二重丸と合わせてAll Seeing Eyeのような感じでしょうか。中央にあるのは港の波止場のようですが港も一つのシンボルとなるのかと思われます。工場は鉱業を意味するそうで、農夫はそのまま農業を意味するそうです。良く見ると馬車の農夫の後ろに藁束があるようで、英語の解説では三つあると書かれています。ユダヤ教とシンボリズムの3なのだと思われます。港の波止場の左には鉄道があるそうですが、ウィキペディアのこの画像ではほぼ判別ができなくなっています。杉の林の中に四角い建造物があるのは明らかにレバノン杉とソロモン宮殿を意識したものだと思われますが、一応林業を象徴しているということになっています。最もわかりやすいフリーメイスンリーのシンボルはやはり船だと思われます。船はこの後も州章で多く認められますが、ノアの箱舟の象徴からのフリーメイスンリーの象徴です。船の向きについてはちょっとわかりませんが、ソロモン宮殿とレバノン杉とすると後方の山はシナイ山を意識した構成で全体でイスラエルの土地を意味しているのかもしれません。そうすると馬車に乗った農夫も戦車に乗ったようなソロモン王とかそういう意味になるのかもしれません。恐らくそれらのヒントが3つの藁束ということなのだと思います。
二重丸の外の魚とアシカは魚はキリスト教のシンボルとなり、アシカは人魚からスターバックスのシンボルのような異教の神となるのかもしれません。母子の形をとっているので聖母子やイシス神の関連となるのかもしれません。いずれにしても1910年以前の恐らく全くフリーメイスンリーを意識していなかった州章から、強烈にフリーメイスンリーを意識していながらかなり想像を膨らませないとわかりづらいシンボルに変更となったことが想定されます。

さてまあ船以外はかなり絵の感じも漠然とした州章でしたが州旗はかなり面白いです。
アラスカ州旗
そのものズバリ北斗七星と北極星ですね。もちろん天皇陛下を意味するということはありません。青の背景で勿忘草を意味するなどシンボリズム満載ですが、13歳の少年による1927年に公募から選ばれたデザインという事です。日露戦争も第一次世界大戦も終わった後であり、なかなかその後の太平洋戦争を意識したシンボリズムであったことが仮定されるでしょうか。キリスト教的には7+1で復活やユダヤ教の7の数字などもちろんどの地域であってもシンボルとなる北斗七星と北極星の組み合わせですが、極北の地であり地理的に重要な地となるアラスカにこのシンボリズムが取られるのがやはりフリーメイスンリーの国アメリカを象徴している感じだと思われます。
(2013/7/21追記:アラスカの州章の以前のものについてはウィキペディアからも消えてしまったようです。シンボリズムの現在進行形の動きを是非見逃さないようにしてください。)