FREEMASONRY
Blue Lodge, Scottish Rite & York Rite in Japan
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新しくて書きたくなるようなネタもそんなにホイホイ出てこないので日記のような書き散らしです。
特に大きな事もなく2013年3月31日の復活祭も過越しました。
まあそれがユダヤ教の教訓かもしれません。
当ブログを最初から流して読んだのですが、色々な批評が聞かれましたが、全体的には理解されるように解りやすいように興味を持ちやすいように色々工夫して書いているのもそうですが、後から見て日付と内容との相関がそれなりに認められるようで、もちろんそれを書いているときにはっきりとは意識していないわけですが、そういうものがあるという感じでしょうかね。全体的にアメリカ旅行あたりまではよくまとまっている感じでしょうか。まあでもこれを読んでましてや基地内にある横須賀ロッジを訪問する人はいないでしょうね。横浜ロッジでも私自身でも現在通っていないほどですからね。いよいよ書くことが無くなって行かざるを得なくなったら行くかもしれませんが、恐らくそういう事もしばらくなさそうです。
ロンドン・パリ編のオルセー美術館の辺りはちょっと面白いですが、ほぼ推測でフリーメイスンかどうかについて書いており、まあほぼ問題ないとは思いますがやはり確実な資料がないと信頼性と深みがないですね。あと企業のシンボルマークについてはちょっと影響を考えて大サービスしすぎですね。まあ最初の試みだからしようがありませんか。色々周囲の反応を聞いたり、テレビやメディアの反応を見るとやはり日本的なものには反響やシンパシーがあるようで、そうではないキリスト教やユダヤ教的だったり純粋にフリーメイスンリーの内容は反響が薄いようですね。アンダーソン憲章やモラルアンドドグマやその他フリーメイスンリーに直結する内容の本についてなどを題材とするとさらに反響が薄くなりそうですが、今後は恐らくそういうものが中心になることを先に言っておく必要がありそうです。
面白くないという感じがありますが、要するに難しいのだと思います。今回変更した音楽と背景はどうでしょう。なかなかこういう設定に持ってくるのも大変な労力が必要と言うのがフリーメイスンリーでしょうか。市章の残りの月と太陽のところに出してある、フェイスブックで頂いたシンボルのチャートが実はこのブログの中での最も秘密が集まったところかもしれません。結局フリーメイスンリーの活動で建築物やイベントは単なる息抜きやお祭りのようなものであって、本質的には聖書に代表される聖典やリチュアルの暗誦や儀式での言葉に代表される文字と文章の活動なのだと思います。それがまさに思索的メイスンリーであり、宗教と科学の粋とも言えるフリーメイスンリーそのものだと思います。だからヨハネ福音書の第一章が評価されるのだと思います。
文字を読むことを厭わないでください。言葉を話すことを厭わず、多くの人の多くの話を聞くようにしてください。それがフリーメイスンになるための欠かせない重要な要素です。秘密は言葉の中にあり、鍵はまさにリチュアルの通りその舌、言葉なのです。
(追記:鎌倉八幡宮境内にある内山岩太郎氏が建設した神奈川県立近代美術館鎌倉館は一度訪問したのですが、色々再びアイフォンの不具合で画像をすべて消去してしまったので再度訪問しないと記事になりそうもありません。どうもあの美術館は入場者が少ない事もあり閉鎖が決まったような事を聞いたのですがどうでしょう。インターネットの記事によると2016年3月31日で土地の契約が切れるそうです。果たしてどうなる事でしょうか。鎌倉も世界遺産登録の関連もありなかなか難しい街です。)
特に大きな事もなく2013年3月31日の復活祭も過越しました。
まあそれがユダヤ教の教訓かもしれません。
当ブログを最初から流して読んだのですが、色々な批評が聞かれましたが、全体的には理解されるように解りやすいように興味を持ちやすいように色々工夫して書いているのもそうですが、後から見て日付と内容との相関がそれなりに認められるようで、もちろんそれを書いているときにはっきりとは意識していないわけですが、そういうものがあるという感じでしょうかね。全体的にアメリカ旅行あたりまではよくまとまっている感じでしょうか。まあでもこれを読んでましてや基地内にある横須賀ロッジを訪問する人はいないでしょうね。横浜ロッジでも私自身でも現在通っていないほどですからね。いよいよ書くことが無くなって行かざるを得なくなったら行くかもしれませんが、恐らくそういう事もしばらくなさそうです。
ロンドン・パリ編のオルセー美術館の辺りはちょっと面白いですが、ほぼ推測でフリーメイスンかどうかについて書いており、まあほぼ問題ないとは思いますがやはり確実な資料がないと信頼性と深みがないですね。あと企業のシンボルマークについてはちょっと影響を考えて大サービスしすぎですね。まあ最初の試みだからしようがありませんか。色々周囲の反応を聞いたり、テレビやメディアの反応を見るとやはり日本的なものには反響やシンパシーがあるようで、そうではないキリスト教やユダヤ教的だったり純粋にフリーメイスンリーの内容は反響が薄いようですね。アンダーソン憲章やモラルアンドドグマやその他フリーメイスンリーに直結する内容の本についてなどを題材とするとさらに反響が薄くなりそうですが、今後は恐らくそういうものが中心になることを先に言っておく必要がありそうです。
面白くないという感じがありますが、要するに難しいのだと思います。今回変更した音楽と背景はどうでしょう。なかなかこういう設定に持ってくるのも大変な労力が必要と言うのがフリーメイスンリーでしょうか。市章の残りの月と太陽のところに出してある、フェイスブックで頂いたシンボルのチャートが実はこのブログの中での最も秘密が集まったところかもしれません。結局フリーメイスンリーの活動で建築物やイベントは単なる息抜きやお祭りのようなものであって、本質的には聖書に代表される聖典やリチュアルの暗誦や儀式での言葉に代表される文字と文章の活動なのだと思います。それがまさに思索的メイスンリーであり、宗教と科学の粋とも言えるフリーメイスンリーそのものだと思います。だからヨハネ福音書の第一章が評価されるのだと思います。
文字を読むことを厭わないでください。言葉を話すことを厭わず、多くの人の多くの話を聞くようにしてください。それがフリーメイスンになるための欠かせない重要な要素です。秘密は言葉の中にあり、鍵はまさにリチュアルの通りその舌、言葉なのです。
(追記:鎌倉八幡宮境内にある内山岩太郎氏が建設した神奈川県立近代美術館鎌倉館は一度訪問したのですが、色々再びアイフォンの不具合で画像をすべて消去してしまったので再度訪問しないと記事になりそうもありません。どうもあの美術館は入場者が少ない事もあり閉鎖が決まったような事を聞いたのですがどうでしょう。インターネットの記事によると2016年3月31日で土地の契約が切れるそうです。果たしてどうなる事でしょうか。鎌倉も世界遺産登録の関連もありなかなか難しい街です。)
かなり人気の無さそうな、周囲に聞いても評判の悪いシリーズですが、フリーメイスンリーの関連の書籍を読んでも一切触れたものがなかったものであり、日付のシンボリズムというのは日本では特に阪神大震災1995.H7.1.17、アメリカ同時多発テロ2001.H13.9.11、東日本大震災2011.H23.3.11と記憶に新しい3つの災害やテロといった世の中の人々の動きに直接影響する物事でうすぼんやりとながらも認められる事であり、はるか昔から暦というものが数字や様々な法則の中に吉凶や運気を含めて人間活動と密接に絡んだものがあるというのは科学的であれ非科学的なものであれ存在する事は言われており、それが宗教と科学それら一見相反するものを合一する事で人間として成長する事を目指したフリーメイスンリーにおいてそれらの関連をみるというのはひとつの面白い試みであるのではないかと自負しております。
まあ現象の有無なんていうのは対象の抽出によっていかようにもなるというのはインターネットに限らず世の中全体の基本原則のようなものなのですが、特にインターネットの世界においてウィキペディアというものの位置づけがどうであるかというところ、要するに情報、特にインターネットで触れる文字情報の理解というものについて、世界の文字情報のオーソリティーともいえる聖書までとりあげている当ブログなわけですが、ウィキペディアに挙げられたフリーメイスンの出生日と忌日を挙げることにどこまでの基本情報としての価値があるのかというところかもしれません。とりあえず前2つの日本とアメリカのフリーメイスン達については実感としては一割以下の程度のシンボリズムといったところでしょうか。要するにそれがシンボリズムととらえるかどうかは、奇跡なんかと一緒で本人や周囲の人々の取り方、解釈になるのだという事だと思います。まさにそこがシンボリズムの要諦なんだと思われます。
現象や出来事について解釈して価値を与える、それがまさに人間が普遍的に行う情報や意味の解析であり、そしてそれら情報や意味の解析について基本的なルールを与えるのが宗教や道徳、人間性と呼ばれるものであり、それらは個々人や民族、集団によって異なるものとされてきました。しかしそれらが異なる事についてさらに解析を加えていくと、異なる理由や異なる原因が自ずと理解され、さらにその先にある共通のもの、さらにいえば絶対に異なるものについての共通の理解というものについて到達することができるという事が共感やいわゆる友愛の精神というものになるのではないでしょうか。それを象徴したものがシンボリズムであり、文字であり、言葉であり、数字であり、概念という事になるのだと思われます。出生と死というものはその間の幼少期、青年期、壮年期、老年期のような誰もが共通する人生の必須の時であり、その時を象徴する暦の時間というものはシンボリズムとして一つの明らかな空間と時間を制御する神の所業であり、まあ必ずしもフリーメイスンリーと関係するものではないとしても、シンボリズムとして考慮に値するというところなのではないかと思います。
まあちょっと能書きを書かないとなんだか面白くない話で終わってしまうので色々書きましたが内容的には前2つと同じような感じです。
フランス
ヴォルテール 1694年11月21日 - 1778年5月30日
ドゥニ・ディドロ 1713年10月5日 - 1784年7月31日
ラファイエット 1757年9月6日 - 1834年5月20日
アンリ・ド・サン=シモン 1760年10月17日 - 1825年5月19日
クロード・ジョゼフ・ルージェ・ド・リール 1760年5月10日 - 1836年6月26日
ナポレオン・ボナパルト 1769年8月15日 - 1821年5月5日
フレデリク・バルトルディ 1834年8月2日 - 1904年10月4日
ジョゼフィーヌ・ド・ボアルネ 1763年6月23日 - 1814年5月29日
ルイ=ラザール・オッシュ 1768年6月24日 - 1797年9月19日
ポール・バラス 1755年6月30日 - 1829年1月29日
マクシミリアン・ロベスピエール 1758年5月6日 - 1794年7月28日
オーギュスタン・ロベスピエール 1763年1月21日 - 1794年7月28日
ルイ・アントワーヌ・ド・サン=ジュスト 1767年8月25日 - 1794年7月28日
ジョルジュ・クートン 1755年12月22日 - 1794年7月28日
ジョゼフ・ボナパルト 1768年1月7日 - 1844年7月28日
ジェローム・ボナパルト 1784年11月15日 - 1860年6月24日
ミシェル・ネイ 1769年1月10日 - 1815年12月7日
ジャック=ルイ・ダヴィッド 1748年8月30日 - 1825年12月29日
ジャン=ジャック・ルソー 1712年6月28日 - 1778年7月2日
ルイ13世 1601年9月27日 - 1643年5月14日
リシュリュー 1585年9月9日 - 1642年12月4日
ルイ14世 1638年9月5日 - 1715年9月1日
ジュール・マザラン 1602年7月14日 - 1661年3月9日
マントノン侯爵夫人 1635年11月27日 - 1719年4月15日
ルイ15世 1710年2月15日 - 1774年5月10日
ポンパドゥール夫人 1721年12月29日 - 1764年4月15日
フィリップ2世 1674年8月2日 - 1723年12月23日
シャルル・ド・モンテスキュー 1689年1月18日 - 1755年2月10日
アンドレ=エルキュール・ド・フルーリー 1653年6月22日/26日 - 1743年1月29日
ルイ16世 1754年8月23日 - 1793年1月21日
マリー・アントワネット 1755年11月2日 - 1793年10月16日
ジャック・テュルゴー 1727年5月10日 - 1781年3月18日
ジャック・ネッケル 1732年9月30日 - 1804年4月9日
オノーレ・ミラボー 1749年3月9日 - 1791年4月2日
ジョルジュ・ダントン 1759年10月26日 - 1794年4月5日
ジャン・ル・ロン・ダランベール 1717年11月16日 - 1783年10月29日
ジャック・ルネ・エベール 1757年11月15日 - 1794年3月24日
ジャン=ランベール・タリアン 1762年1月23日 - 1820年11月16日
ルイ・フィリップ2世 1747年4月13日 - 1793年11月6日
ジャン=ポール・マラー 1743年5月24日 - 1793年7月13日
テレーズ・カバリュス 1773年7月31日 - 1835年1月15日
シャルル=モーリス・ド・タレーラン=ペリゴール 1754年2月13日(2月2日説も) - 1838年5月17日
マルキ・ド・サド 1740年6月2日 - 1814年12月2日
ジャン=フランソワ・シャンポリオン 1790年12月23日 - 1832年3月4日
ルイ・フィリップ 1773年10月6日 - 1850年8月26日
ナポレオン3世 1808年4月20日 - 1873年1月9日
スタンダール 1783年1月23日 - 1842年3月23日
アルチュール・ランボー 1854年10月20日 - 1891年11月10日
シャルル・ボードレール 1821年4月9日 - 1867年8月31日
ギヨーム・アポリネール 1880年8月26日 - 1918年11月9日
ギュスターヴ・クールベ 1819年6月10日 - 1877年12月31日
ポール・セザンヌ 1839年1月19日 - 1906年10月22日
アンリ・マティス 1869年12月31日 - 1954年11月3日
カミーユ・ピサロ 1830年7月10日 - 1903年11月13日
ポール・シニャック 1863年11月11日 - 1935年8月15日
エドゥアール・マネ 1832年1月23日 - 1883年4月30日
フィンセント・ファン・ゴッホ 1853年3月30日 - 1890年7月29日
ジャン=バティスト・カミーユ・コロー 1796年7月17日 - 1875年2月22日
エドゥアール・ダラディエ 1884年6月18日 - 1970年10月10日
シャルル・ド・ゴール 1890年11月22日 - 1970年11月9日
レオン・フーコー 1819年9月18日 - 1868年2月11日
レオンス・ヴェルニー 1837年12月2日 - 1908年5月2日
フランソワ・ミッテラン 1916年10月26日 - 1996年1月8日
ニコラ・サルコジ 1955年1月28日 -
カーラ・ブルーニ 1967年12月23日 -
ドイツ
レオポルト・モーツァルト 1719年11月14日 - 1787年5月28日
ゴットホールト・エフライム・レッシング 1729年1月22日 - 1781年 2月15日
ヨハン・クリスティアン・バッハ 1735年9月5日 - 1782年1月1日
ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ 1749年8月28日 - 1832年3月22日
ヨハン・ゴットリープ・フィヒテ 1762年5月19日 - 1814年1月27日
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン 1770年12月16日ごろ - 1827年3月26日
ルイ・シュポーア 1784年4月5日 - 1859年10月22日
ジャーコモ・マイアーベーア 1791年9月5日 - 1864年5月2日
カール・レーヴェ 1796年11月30日 - 1869年4月20日
オットー・クレンペラー 1885年5月14日 - 1973年7月6日
フリードリヒ・ヴィルヘルム2世 1744年9月25日 - 1797年11月16日
ヴィルヘルム1世 1797年3月22日 - 1888年3月9日
オットー・フォン・ビスマルク 1815年4月1日 - 1898年7月30日
ゲルゾーン・フォン・ブライヒレーダー 1822年12月22日 - 1893年2月18日
アルフレート・フォン・ティルピッツ 1849年3月19日 – 1930年3月6日
アドルフ・ヒトラー 1889年4月20日 - 1945年4月30日
ヨーゼフ・ゲッベルス 1897年10月29日 - 1945年5月1日
ルドルフ・ヘス 1894年4月26日 - 1987年8月17日
クラウス・フォン・シュタウフェンベルク 1907年11月15日 - 1944年7月21日
ヘルマン・ゲーリング 1893年1月12日 ‐ 1946年10月15日
オットー・グローテヴォール 1894年3月11日 - 1964年9月21日
フリードリヒ・フォン・シラー 1759年11月10日 - 1805年5月9日
ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル 1770年8月27日 - 1831年11月14日
アルトゥル・ショーペンハウアー 1788年2月22日 - 1860年9月21日
カール・マルクス 1818年5月5日 - 1883年3月14日
アンゲラ・メルケル 1954年7月17日 -
アダム・ヴァイスハウプト 1748年2月8日 - 1830年11月18日
イタリア
フランチェスコ・ジェミニアーニ 1687年12月5日 - 1762年9月17日
ジャコモ・カサノヴァ 1725年4月2日 - 1798年6月4日
カリオストロ 1743年6月2日 - 1795年8月26日
アントニオ・サリエリ 1750年8月18日 - 1825年5月7日
ルイジ・ケルビーニ 1760年9月14日 - 1842年3月15日
ジュゼッペ・マッツィーニ 1805年6月22日 - 1872年3月10日
ジュゼッペ・ガリバルディ 1807年7月4日 - 1882年6月2日
リーチオ・ジェッリ 1919年4月21日-
ロベルト・カルヴィ 1920年4月13日 – 1982年6月17日
シルヴィオ・ベルルスコーニ 1936年9月29日 -
ヴィットーリオ・エマヌエーレ・ディ・サヴォイア 1937年2月12日 -
ジョルジオ・アルマーニ 1934年7月11日 -
オーストリア
フランツ1世 (神聖ローマ皇帝) 1708年12月8日 - 1765年8月18日
フランツ・ヨーゼフ・ハイドン 1732年3月31日 - 1809年5月31日
イグナーツ・フォン・ボルン 1742年12月26日 ‐ 1791年7月24日
エマヌエル・シカネーダー 1751年9月1日 - 1812年9月21日
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト 1756年1月27日 - 1791年12月5日
マリア・テレジア 1717年5月13日 - 1780年11月29日
ヨーゼフ2世 1741年3月13日 - 1790年2月20日
レオポルト2世 1747年5月5日 - 1792年3月1日
クレメンス・フォン・メッテルニヒ 1773年5月15日- 1859年6月11日
フランツ・ヨーゼフ1世 1830年8月18日 - 1916年11月21日
フランツ・フェルディナント・フォン・エスターライヒ=エステ 1863年12月18日 - 1914年6月28日
エリーザベト (オーストリア皇后) 1837年12月24日 - 1898年9月10日
アントン・ブルックナー 1824年9月4日 - 1896年10月11日
フランツ・シューベルト 1797年1月31日 - 1828年11月19日
グスタフ・マーラー 1860年7月7日 - 1911年5月18日
ルートヴィヒ・フォン・ケッヘル 1800年1月14日 - 1877年6月3日
フランツ・ベッケンバウアー 1945年9月11日 -
リヒャルト・クーデンホーフ=カレルギー 1894年11月16日 - 1972年7月27日
ザムゾン・ヴェルトハイマー 1658年1月17日 - 1742年8月6日
イングランド
イーフレイム・チェンバーズ 1680年? - 1740年5月15日
エドワード・ギボン 1737年5月8日 - 1794年1月16日
ジョージ4世 1762年8月12日 - 1830年6月26日
エドワード7世 1841年11月9日 - 1910年5月6日
アーサー・サリヴァン 1842年5月13日 - 1900年11月22日
アーサー・コナン・ドイル 1859年5月22日 - 1930年7月7日
ラドヤード・キップリング 1865年12月30日 - 1936年1月18日
ウィンストン・チャーチル 1874年11月30日 - 1965年1月24日
エドワード8世 1894年6月23日 - 1972年5月28日
ジョージ6世 1895年12月14日 - 1952年2月6日
ケント公エドワード王子 1935年10月9日 -
クリストファー・レン 1632年10月20日 - 1723年2月25日
ジョン・デサグリエ 1683年3月12日 - 1744年2月29日
ロバート・フック 1635年7月18日 - 1703年3月3日
アイザック・ニュートン 1643年1月4日 - 1727年3月31日
エリザベス1世 ユリウス暦1533年9月7日 - 1603年3月24日
ウィリアム・シェイクスピア 1564年4月26日(洗礼日) - 1616年4月23日(グレゴリオ暦5月3日)
ロバート・ダドリー (初代レスター伯) 1533年9月7日 - 1588年9月4日
ロバート・デヴァルー (第2代エセックス伯) 1566年11月10日 - 1601年2月25日
メアリー (スコットランド女王) 1542年12月8日 - 1587年2月8日(グレゴリオ暦2月18日)
フランシス・ベーコン (哲学者) 1561年1月22日 - 1626年4月9日
ジェームズ1世 (イングランド王) 1566年6月19日 - 1625年3月27日
チャールズ1世 (イングランド王) 1600年11月19日 - 1649年1月30日
オリバー・クロムウェル 1599年4月25日 - 1658年9月3日
リチャード・クロムウェル 1626年10月4日 - 1712年7月12日
チャールズ2世 (イングランド王) 1630年5月29日 - 1685年2月6日
ジェームズ2世 (イングランド王) 1633年10月14日 - 1701年9月16日
ウィレム2世 (オラニエ公) 1626年5月27日 - 1650年11月6日
ウィリアム3世 (イングランド王) 1650年11月14日 - 1702年3月8日
メアリー2世 (イングランド女王) 1662年4月30日 - 1694年12月28日
ジェームズ・フランシス・エドワード・ステュアート1688年6月10日 - 1766年1月1日
ウィリアム・キャヴェンディッシュ (初代デヴォンシャー公爵)1640年1月25日 - 1707年8月18日
ジョージ1世 (イギリス王) 1660年5月28日(グレゴリオ暦6月7日) - 1727年6月11日(グレゴリオ暦6月22日)
ジョージ2世 (イギリス王) 1683年11月10日 - 1760年10月25日
ジョージ・グレンヴィル 1712年10月14日 - 1770年11月13日
ウィリアム・ピット (初代チャタム伯爵) 1708年11月15日 - 1778年5月11日
ウィリアム・ピット (小ピット) 1759年5月28日 - 1806年1月23日
ジョージ3世 (イギリス王) 1738年6月4日 - 1820年1月29日
スペンサー・パーシヴァル 1762年11月1日 - 1812年5月11日
ウィリアム4世 (イギリス王) 1765年8月21日 - 1837年6月20日
ヴィクトリア (イギリス女王) 1819年5月24日 - 1901年1月22日
ベンジャミン・ディズレーリ 1804年12月21日 - 1881年4月19日
アルバート・ヴィクター (クラレンス公) 1864年1月8日 - 1892年1月14日
ジョージ5世 (イギリス王) 1865年6月3日 - 1936年1月20日
エリザベス2世 1926年4月21日 -
チャールズ (プリンス・オブ・ウェールズ) 1948年11月14日 -
ダイアナ (プリンセス・オブ・ウェールズ) 1961年7月1日 - 1997年8月31日
カミラ (コーンウォール公爵夫人) 1947年7月17日 -
ウィリアム (ケンブリッジ公) 1982年6月21日 -
ヘンリー・オブ・ウェールズ 1984年9月15日 -
キャサリン (ケンブリッジ公爵夫人) 1982年1月9日 -
ロバート・ウォルポール 1676年8月26日 - 1745年3月18日
トマス・ペラム=ホールズ (初代ニューカッスル公) 1693年7月21日 - 1768年11月17日
ジョージ・グレンヴィル 1712年10月14日 - 1770年11月13日
ゴドリッチ子爵フレデリック・ジョン・ロビンソン 1782年11月1日 - 1859年1月28日
チャールズ・グレイ (第2代グレイ伯爵) 1764年3月13日 - 1845年7月17日
ウィリアム・ラム (第2代メルバーン子爵) 1779年3月15日 - 1848年11月24日
ジョージ・ハミルトン=ゴードン (第4代アバディーン伯)1784年1月28日 - 1860年12月14日
デビッド・ロイド・ジョージ 1863年1月17日 - 1945年3月26日
スタンリー・ボールドウィン 1867年8月3日 - 1947年12月14日
ラムゼイ・マクドナルド 1866年10月12日 - 1937年11月9日
ネヴィル・チェンバレン 1869年3月18日 - 1940年11月9日
クレメント・アトリー 1883年1月3日 - 1967年10月8日
アンソニー・イーデン 1897年6月12日 - 1977年1月14日
ハロルド・ウィルソン 1916年3月11日 – 1995年5月24日
デーヴィッド・キャメロン 1966年10月9日 ‐
ウィリアム・ブレイク 1757年11月28日 - 1827年8月12日
トーマス・ハーディ 1840年6月2日 - 1928年1月11日
ジェーン・オースティン 1775年12月16日 - 1817年7月18日
オスカー・ワイルド 1854年10月16日 - 1900年11月30日
アガサ・クリスティ 1890年9月15日 - 1976年1月12日
アーサー・サリヴァン 1842年5月13日 - 1900年11月22日
ベンジャミン・ブリテン 1913年11月22日 - 1976年12月4日
ジョン・レノン 1940年10月9日 - 1980年12月8日
ポール・マッカートニー 1942年6月18日 -
ジョージ・ハリスン 1943年2月25日 - 2001年11月29日
リンゴ・スター 1940年7月7日 -
ローワン・アトキンソン 1955年1月6日 -
チャールズ・チャップリン 1889年4月16日 - 1977年12月25日
デビッド・ベッカム 1975年5月2日 -
サミュエル・リチャードソン 1689年8月19日 - 1761年7月4日
チャールズ・ディケンズ 1812年2月7日 - 1870年6月9日
デーヴィッド・ハーバート・ローレンス 1885年9月11日 - 1930年3月2日
ホレーショ・ネルソン 1758年9月29日 - 1805年10月21日
ジェームズ・クック 1728年10月27日 - 1779年2月14日
ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー 1775年4月23日 - 1851年12月19日
ジェームズ・クラーク・マクスウェル 1831年6月13日 - 1879年11月5日
スティーヴン・ホーキング 1942年1月8日 -
エドワード・ジェンナー 1749年5月17日 - 1823年1月26日
ロバート・ルイス・スティーヴンソン 1850年11月13日 - 1894年12月3日
ジョージ・カニング 1770年4月11日 - 1827年8月8日
ランドルフ・チャーチル 1849年2月13日-1895年1月24日
セシル・ローズ 1853年7月5日 - 1902年3月26日
ウィリアム・ホガース 1697年11月10日 - 1764年10月26日
スコットランド
ウォルター・スコット 1771年8月15日 - 1832年9月21日
トーマス・カーライル 1795年12月4日 - 1881年2月5日
ロバート・バーンズ 1759年1月25日 - 1796年7月21日
ウィリアム・ブロディー 1741年9月28日 - 1788年10月1日
アダム・スミス 1723年6月5日 - 1790年7月17日
ロバート・ルイス・スティーヴンソン 1850年11月13日 - 1894年12月3日
アレクサンダー・グラハム・ベル 1847年3月3日 - 1922年8月2日
アレクサンダー・フレミング 1881年8月6日 - 1955年3月11日
アレクサンダー・ベイン 1811年10月 - 1877年1月2日
ジェームズ・ワット 1736年1月19日 - 1819年8月25日
ジョン・ロジー・ベアード 1888年8月13日-1946年6月14日
ジョン・ボイド・ダンロップ 1840年2月5日 - 1921年10月23日
ジョン・ロウドン・マカダム 1756年9月21日 – 1836年11月26日
ジョゼフ・リスター 1827年4月5日 - 1912年2月10日
ジョン・キーツ 1795年10月31日 - 1821年2月23日
ショーン・コネリー 1930年8月25日 -
ユアン・マクレガー 1971年3月31日 -
ジェラルド・バトラー 1969年11月13日 -
アイルランド
ジョナサン・スウィフト 1667年11月30日 - 1745年10月19日
アーネスト・ウォルトン 1903年10月6日 - 1995年6月25日
オスカー・ワイルド 1854年10月16日 - 1900年11月30日
ジェイムズ・ジョイス 1882年2月2日 – 1941年1月13日
ウィリアム・バトラー・イェイツ 1865年6月13日 - 1939年1月28日
ジョージ・バーナード・ショー 1856年7月26日 - 1950年11月2日
サミュエル・ベケット 1906年4月13日 - 1989年12月22日
シェイマス・ヒーニー 1939年4月13日 -
アーサー・ウェルズリー (初代ウェリントン公爵)1769年4月29日 - 1852年9月14日
エドマンド・バーク 1729年1月12日 - 1797年7月9日
ロバート・ボイル 1627年1月25日 - 1691年12月30日
ウィリアム・トムソン 1824年6月26日 - 1907年12月17日
バチカン市国
ロザリオ・フランチェスコ・エスポジト 1921年9月25日 - 2007年11月23日
ピウス8世 1761年11月20日 - 1830年11月30日
ベネディクトゥス15世 1854年11月21日 - 1922年1月22日
ヨハネ23世 1881年11月25日-1963年6月3日
ベルギー
レオポルド1世 1790年12月16日 - 1865年12月10日
アンリ・ヴュータン 1820年2月17日 - 1881年1月6日
ポーランド
アダム・イエジィ・チャルトリスキ 1770年1月14日 - 1861年7月15日
アダム・ミツキェヴィチ 1798年12月24日 - 1855年11月26日
スタニスワフ2世 1732年1月17日 - 1798年2月12日
タデウシュ・コシチュシュコ 1746年2月4日 - 1817年10月15日
ヤン・ヘンリク・ドンブロフスキ 1755年8月29日 - 1818年6月6日
ユーゼフ・ポニャトフスキ 1763年5月7日 - 1813年10月19日
エミリア・プラテル 1806年11月13日 - 1831年12月23日
クシシュトフ・キェシロフスキ 1941年6月27日 - 1996年3月13日
ロマン・ポランスキー 1933年8月18日 -
マリ・キュリー 1867年11月7日 - 1934年7月4日
チェコ
アルフォンス・ミュシャ 1860年7月24日 - 1939年7月14日
エドヴァルド・ベネシュ 1884年5月28日 - 1948年9月3日
プロイセン
フリードリヒ2世 1740年5月31日 - 1786年8月17日
ハンガリー
フランツ・リスト 1811年10月22日 - 1886年7月31日
フィンランド
ジャン・シベリウス 1865年12月8日 - 1957年9月20日
ロシア
セルゲイ・クーセヴィツキー 1874年7月26日 - 1951年6月4日
ピョートル1世 1672年5月30日 - 1725年1月28日
エカチェリーナ2世 1729年4月21日(グレゴリオ暦5月2日) - 1796年11月6日(グレゴリオ暦11月17日))
アレクサンドル3世 1845年3月10日 - 1894年11月1日
レフ・トルストイ 1828年9月9日〔ユリウス暦8月28日〕 - 1910年11月20日〔ユリウス暦11月7日〕
フョードル・ドストエフスキー 1821年11月11日〔ユリウス暦10月30日〕 - 1881年2月9日〔ユリウス暦1月28日〕
イワン・ツルゲーネフ 1818年11月9日(ユリウス暦10月28日) - 1883年9月3日(ユリウス暦8月22日)
アレクサンドル・プーシキン 1799年6月6日(旧暦5月26日) - 1837年2月10日(旧暦1月29日)
ウラジーミル・レーニン 1870年4月22日 – 1924年1月21日
ヨシフ・スターリン 1878年12月18日 – 1953年3月5日
レフ・トロツキー 1879年10月26日(グレゴリオ暦11月7日) - 1940年8月21日
グリゴリー・ジノヴィエフ 1883年9月11日 - 1936年8月25日
ヴャチェスラフ・モロトフ 1890年3月9日(ユリウス暦2月25日) - 1986年11月8日
フェリックス・ジェルジンスキー 1877年9月11日 - 1926年7月20日
ナジェージダ・アリルーエワ 1901年9月22日 - 1932年11月9日
ミハイル・カリーニン 1875年11月19日(ユリウス暦11月7日) - 1946年6月3日
ニコライ・エジョフ 1895年5月1日 - 1940年2月4日頃
ラヴレンチー・ベリヤ 1899年3月29日 - 1953年12月23日
リヒャルト・ゾルゲ 1895年10月4日 - 1944年11月7日
スヴェトラーナ・アリルーエワ 1926年2月28日 - 2011年11月22日
ゲオルギー・マレンコフ 1902年1月13日(ユリウス暦1月8日) - 1988年1月14日
ラーザリ・カガノーヴィチ 1893年11月22日 - 1991年7月25日
ニキータ・フルシチョフ 1894年4月17日 - 1971年9月11日
レオニード・ブレジネフ 1907年1月1日(ユリウス暦1906年12月19日) - 1982年11月10日
コンスタンティン・チェルネンコ 1911年9月24日(グレゴリオ暦)/9月11日(ユリウス暦) - 1985年3月10日
ピョートル・チャイコフスキー 1840年5月7日(ユリウス暦では4月25日) - 1893年11月6日(ユリウス暦10月25日)
アレクサンドル・ボロディン 1833年10月31日(ユリウス暦)/11月12日(グレゴリオ暦) - 1887年2月15日/2月27日
ミハイル・ホドルコフスキー 1963年6月26日 -
アレクサンドル・ポポフ 1859年3月16日 - 1906年1月13日、ロシア暦1859年3月4日 - 1905年12月31日
ボリス・エリツィン 1931年2月1日 - 2007年4月23日
ウラジーミル・セミチャストヌイ 1924年1月15日 - 2001年1月12日
ワジム・バカーチン 1937年11月6日 -
毛沢東 1893年12月26日 - 1976年9月9日
梁啓超 1873年2月23日 - 1929年1月19日
劉少奇 1898年11月24日 - 1969年11月12日
周恩来 1898年3月5日 - 1976年1月8日
孫文 1866年11月12日 - 1925年3月12日
洪秀全 1814年1月1日 - 1864年6月1日
汪兆銘 1883年5月4日 - 1944年11月10日
李先念 1909年6月23日 - 1992年6月21日
胡錦濤 1942年12月21日 -
カナダ
ジェームズ・ネイスミス 1861年11月6日 - 1939年11月28日
エリシャ・カスバート 1982年11月30日 -
ジム・キャリー 1962年1月17日 -
セリーヌ・ディオン 1968年3月30日 -
ナターシャ・ヘンストリッジ 1974年8月15日 -
アヴリル・ラヴィーン 1984年9月27日 -
フィリピン
ホセ・リサール 1861年6月19日 - 1896年12月30日
ホセ・ラウレル 1891年3月9日 - 1959年11月6日
セルヒオ・オスメニャ 1878年9月9日 - 1961年10月19日
エルピディオ・キリノ 1890年11月16日 - 1956年2月29日
フェルディナンド・マルコス 1917年9月11日 - 1989年9月28日
コラソン・アキノ 1933年1月25日 - 2009年8月1日
ジョセフ・エストラーダ 1937年4月19日 -
グロリア・アロヨ 1947年4月5日 -
ブラジル
デオドロ・ダ・フォンセカ 1827年8月5日- 1892年8月23日
ジルマ・ルセフ 1947年12月14日-
チリ
サルバドール・アジェンデ 1908年6月26日 - 1973年9月11日
アウグスト・ピノチェト 1915年11月25日 - 2006年12月10日
エドゥアルド・フレイ・ルイスタグレ 1942年6月24日 -
エドゥアルド・フレイ・モンタルバ 1911年1月16日 - 1982年1月12日
ガブリエラ・ミストラル 1889年4月7日 - 1957年1月10日
ベネズエラ
シモン・ボリバル 1783年7月24日 - 1830年12月17日
ニカラグア
アウグスト・セサル・サンディーノ 1895年5月18日 - 1934年2月21日
アナスタシオ・ソモサ・ガルシア 1896年2月1日 - 1956年9月29日
フルヘンシオ・バティスタ 1901年1月16日 - 1973年8月6日
ラウル・カストロ 1931年6月3日 -
出生地不詳
サンジェルマン伯爵 1691年/1707年? - 1784年2月27日
さてどうでしょうか。市章シリーズに続いて読者の不評を買いそうなシリーズですが、なかなか面白いのでそれぞれ個別の時期や日付についてシリーズでやろうかと思っています。
一応解説していかないとなんだか全くわからないでスルーしていきそうなのでそれぞれ解説していくこととしましょう。アメリカ人についても多少付け加えたので触れておきます。
フランスは恐らくこういう日付のシンボリズム、タロット占いや星座占いなどの発祥の地だと思われ、、恐らくそれらはフランス革命後盛んになるのだと思いますが、いわゆるフリーメイスンにはそれほど多くない印象でしょうか。中でも最も私が興味深かったのはブラザーナポレオンとその妻ジョセフィーヌの生誕日であり、ある意味フランス革命とその後のナポレオン帝政はこれらの日付のシンボリズムによって成り立っていたのではないかという解説が成り立つものかと思います。後はやはりイギリスでも王冠をかけた恋で有名なエドワード6世もジョセフィーヌと同じ日と言うところでしょうか。日付のシンボリズムで重要なのはやはり日本の明治時代でもそうでしたが、旧暦と新暦、ユリウス歴やロシア暦との改暦の時代があり、旧暦でも一応孝明天皇の忌日のようにシンボリズムが成立しますが、一般にはグレゴリオ暦となってからシンボリズムが正統となってくるようです。グレゴリオ暦自体は1582年に教皇グレゴリオ13世が改めたもので、ユリウス歴は紀元前45年にユリウス・カエサルによって作られたものだそうです。導入はイタリア、スペイン、フランス、オランダ、ドイツが早く、その後100年以上遅れて1752年イギリス、アメリカ1873年日本、1912年中国、1918年ロシアだそうです。このため、このページにコピペした日付もほぼそれらに準じてユリウス歴とグレゴリオ暦が混在しているかと思われます。特にロシアはそれらが顕著だと思いますので気を付けてください。
まあ後は色々面白おかしくフリーメイスンやそれと全く関係ない人や関係ありそうな人を付け加えましたが、どうでしょう。やはり6月24日の洗礼者ヨハネの日のシンボリズムが私自身としては一番面白いかと思われます。1月6日~1月8日の公現祭や1月後半の恐らくユダヤ教の祝日関連、4月の復活祭の関連、5月1日のメーデー、7月4日と7月14日のアメリカ独立宣言と、バスティーユ監獄襲撃の日、8月15日の聖母降誕祭、11月の万聖節のシンボリズム、12月の12月8日無原罪の御宿りの日とクリスマス関連のシンボリズムがあるかと思います。その他は単純に数字の33や11、111、1111、113や311、711、117の並びなどがあるかと思われます。77の並びや7のシンボリズムの意味がどの程度あるのかというところですが、これらはまた後々で問題になってくるかもしれません。また回文数もシンボリズムとしては目立ちますが、それぞれ回文数でどのような意味が出てくるかについては数秘術の奥義になるのかと思われますし、今後の課題と思われます。
まあ全体に見てやはりイギリス、フランスの日付のシンボリズムはある程度多いかと思われますし、アメリカなども特にハリウッド俳優などでのシンボリズムは多いようです。カナダも比較的芸能人関係で多いようですし、後は逆にというか必然なのでしょうが、ソ連や中国のようなキリスト教と正反対のところでシンボリズムが顕著なのは革命や共産主義の必然なのだと思われます。南米は全体にフリーメイスンリーは盛んだと思いますが、ブラジルは非常に少ないようです。逆にチリは非常に面白いですね。二人のエドゥアルド・フレイは親子だそうで、どちらも大統領をやっていますが、父親は毒殺されているそうです。6月24日のシンボリズムの顕著な例でしょうか。チリと言えば落盤事故で33人の人が2カ月閉じ込められた事件が最近では有名かと思います。
というわけで市章のシンボリズムのように更にシンボリズムの核心に迫る作業として、6月24日や上記の浮かび上がって来たシンボリズムの日の誕生日や忌日の人々について、個別に取り上げてフリーメイスンリーとの関わりを見て行くという事をそれぞれ行っていこうかと思います。
ついてこれてますか~? ちなみに本日は復活祭の近くになるのでしょうが、今年の復活祭は3月31日でしたので特にありません。
まあ現象の有無なんていうのは対象の抽出によっていかようにもなるというのはインターネットに限らず世の中全体の基本原則のようなものなのですが、特にインターネットの世界においてウィキペディアというものの位置づけがどうであるかというところ、要するに情報、特にインターネットで触れる文字情報の理解というものについて、世界の文字情報のオーソリティーともいえる聖書までとりあげている当ブログなわけですが、ウィキペディアに挙げられたフリーメイスンの出生日と忌日を挙げることにどこまでの基本情報としての価値があるのかというところかもしれません。とりあえず前2つの日本とアメリカのフリーメイスン達については実感としては一割以下の程度のシンボリズムといったところでしょうか。要するにそれがシンボリズムととらえるかどうかは、奇跡なんかと一緒で本人や周囲の人々の取り方、解釈になるのだという事だと思います。まさにそこがシンボリズムの要諦なんだと思われます。
現象や出来事について解釈して価値を与える、それがまさに人間が普遍的に行う情報や意味の解析であり、そしてそれら情報や意味の解析について基本的なルールを与えるのが宗教や道徳、人間性と呼ばれるものであり、それらは個々人や民族、集団によって異なるものとされてきました。しかしそれらが異なる事についてさらに解析を加えていくと、異なる理由や異なる原因が自ずと理解され、さらにその先にある共通のもの、さらにいえば絶対に異なるものについての共通の理解というものについて到達することができるという事が共感やいわゆる友愛の精神というものになるのではないでしょうか。それを象徴したものがシンボリズムであり、文字であり、言葉であり、数字であり、概念という事になるのだと思われます。出生と死というものはその間の幼少期、青年期、壮年期、老年期のような誰もが共通する人生の必須の時であり、その時を象徴する暦の時間というものはシンボリズムとして一つの明らかな空間と時間を制御する神の所業であり、まあ必ずしもフリーメイスンリーと関係するものではないとしても、シンボリズムとして考慮に値するというところなのではないかと思います。
まあちょっと能書きを書かないとなんだか面白くない話で終わってしまうので色々書きましたが内容的には前2つと同じような感じです。
フランス
ヴォルテール 1694年11月21日 - 1778年5月30日
ドゥニ・ディドロ 1713年10月5日 - 1784年7月31日
ラファイエット 1757年9月6日 - 1834年5月20日
アンリ・ド・サン=シモン 1760年10月17日 - 1825年5月19日
クロード・ジョゼフ・ルージェ・ド・リール 1760年5月10日 - 1836年6月26日
ナポレオン・ボナパルト 1769年8月15日 - 1821年5月5日
フレデリク・バルトルディ 1834年8月2日 - 1904年10月4日
ジョゼフィーヌ・ド・ボアルネ 1763年6月23日 - 1814年5月29日
ルイ=ラザール・オッシュ 1768年6月24日 - 1797年9月19日
ポール・バラス 1755年6月30日 - 1829年1月29日
マクシミリアン・ロベスピエール 1758年5月6日 - 1794年7月28日
オーギュスタン・ロベスピエール 1763年1月21日 - 1794年7月28日
ルイ・アントワーヌ・ド・サン=ジュスト 1767年8月25日 - 1794年7月28日
ジョルジュ・クートン 1755年12月22日 - 1794年7月28日
ジョゼフ・ボナパルト 1768年1月7日 - 1844年7月28日
ジェローム・ボナパルト 1784年11月15日 - 1860年6月24日
ミシェル・ネイ 1769年1月10日 - 1815年12月7日
ジャック=ルイ・ダヴィッド 1748年8月30日 - 1825年12月29日
ジャン=ジャック・ルソー 1712年6月28日 - 1778年7月2日
ルイ13世 1601年9月27日 - 1643年5月14日
リシュリュー 1585年9月9日 - 1642年12月4日
ルイ14世 1638年9月5日 - 1715年9月1日
ジュール・マザラン 1602年7月14日 - 1661年3月9日
マントノン侯爵夫人 1635年11月27日 - 1719年4月15日
ルイ15世 1710年2月15日 - 1774年5月10日
ポンパドゥール夫人 1721年12月29日 - 1764年4月15日
フィリップ2世 1674年8月2日 - 1723年12月23日
シャルル・ド・モンテスキュー 1689年1月18日 - 1755年2月10日
アンドレ=エルキュール・ド・フルーリー 1653年6月22日/26日 - 1743年1月29日
ルイ16世 1754年8月23日 - 1793年1月21日
マリー・アントワネット 1755年11月2日 - 1793年10月16日
ジャック・テュルゴー 1727年5月10日 - 1781年3月18日
ジャック・ネッケル 1732年9月30日 - 1804年4月9日
オノーレ・ミラボー 1749年3月9日 - 1791年4月2日
ジョルジュ・ダントン 1759年10月26日 - 1794年4月5日
ジャン・ル・ロン・ダランベール 1717年11月16日 - 1783年10月29日
ジャック・ルネ・エベール 1757年11月15日 - 1794年3月24日
ジャン=ランベール・タリアン 1762年1月23日 - 1820年11月16日
ルイ・フィリップ2世 1747年4月13日 - 1793年11月6日
ジャン=ポール・マラー 1743年5月24日 - 1793年7月13日
テレーズ・カバリュス 1773年7月31日 - 1835年1月15日
シャルル=モーリス・ド・タレーラン=ペリゴール 1754年2月13日(2月2日説も) - 1838年5月17日
マルキ・ド・サド 1740年6月2日 - 1814年12月2日
ジャン=フランソワ・シャンポリオン 1790年12月23日 - 1832年3月4日
ルイ・フィリップ 1773年10月6日 - 1850年8月26日
ナポレオン3世 1808年4月20日 - 1873年1月9日
スタンダール 1783年1月23日 - 1842年3月23日
アルチュール・ランボー 1854年10月20日 - 1891年11月10日
シャルル・ボードレール 1821年4月9日 - 1867年8月31日
ギヨーム・アポリネール 1880年8月26日 - 1918年11月9日
ギュスターヴ・クールベ 1819年6月10日 - 1877年12月31日
ポール・セザンヌ 1839年1月19日 - 1906年10月22日
アンリ・マティス 1869年12月31日 - 1954年11月3日
カミーユ・ピサロ 1830年7月10日 - 1903年11月13日
ポール・シニャック 1863年11月11日 - 1935年8月15日
エドゥアール・マネ 1832年1月23日 - 1883年4月30日
フィンセント・ファン・ゴッホ 1853年3月30日 - 1890年7月29日
ジャン=バティスト・カミーユ・コロー 1796年7月17日 - 1875年2月22日
エドゥアール・ダラディエ 1884年6月18日 - 1970年10月10日
シャルル・ド・ゴール 1890年11月22日 - 1970年11月9日
レオン・フーコー 1819年9月18日 - 1868年2月11日
レオンス・ヴェルニー 1837年12月2日 - 1908年5月2日
フランソワ・ミッテラン 1916年10月26日 - 1996年1月8日
ニコラ・サルコジ 1955年1月28日 -
カーラ・ブルーニ 1967年12月23日 -
ドイツ
レオポルト・モーツァルト 1719年11月14日 - 1787年5月28日
ゴットホールト・エフライム・レッシング 1729年1月22日 - 1781年 2月15日
ヨハン・クリスティアン・バッハ 1735年9月5日 - 1782年1月1日
ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ 1749年8月28日 - 1832年3月22日
ヨハン・ゴットリープ・フィヒテ 1762年5月19日 - 1814年1月27日
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン 1770年12月16日ごろ - 1827年3月26日
ルイ・シュポーア 1784年4月5日 - 1859年10月22日
ジャーコモ・マイアーベーア 1791年9月5日 - 1864年5月2日
カール・レーヴェ 1796年11月30日 - 1869年4月20日
オットー・クレンペラー 1885年5月14日 - 1973年7月6日
フリードリヒ・ヴィルヘルム2世 1744年9月25日 - 1797年11月16日
ヴィルヘルム1世 1797年3月22日 - 1888年3月9日
オットー・フォン・ビスマルク 1815年4月1日 - 1898年7月30日
ゲルゾーン・フォン・ブライヒレーダー 1822年12月22日 - 1893年2月18日
アルフレート・フォン・ティルピッツ 1849年3月19日 – 1930年3月6日
アドルフ・ヒトラー 1889年4月20日 - 1945年4月30日
ヨーゼフ・ゲッベルス 1897年10月29日 - 1945年5月1日
ルドルフ・ヘス 1894年4月26日 - 1987年8月17日
クラウス・フォン・シュタウフェンベルク 1907年11月15日 - 1944年7月21日
ヘルマン・ゲーリング 1893年1月12日 ‐ 1946年10月15日
オットー・グローテヴォール 1894年3月11日 - 1964年9月21日
フリードリヒ・フォン・シラー 1759年11月10日 - 1805年5月9日
ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル 1770年8月27日 - 1831年11月14日
アルトゥル・ショーペンハウアー 1788年2月22日 - 1860年9月21日
カール・マルクス 1818年5月5日 - 1883年3月14日
アンゲラ・メルケル 1954年7月17日 -
アダム・ヴァイスハウプト 1748年2月8日 - 1830年11月18日
イタリア
フランチェスコ・ジェミニアーニ 1687年12月5日 - 1762年9月17日
ジャコモ・カサノヴァ 1725年4月2日 - 1798年6月4日
カリオストロ 1743年6月2日 - 1795年8月26日
アントニオ・サリエリ 1750年8月18日 - 1825年5月7日
ルイジ・ケルビーニ 1760年9月14日 - 1842年3月15日
ジュゼッペ・マッツィーニ 1805年6月22日 - 1872年3月10日
ジュゼッペ・ガリバルディ 1807年7月4日 - 1882年6月2日
リーチオ・ジェッリ 1919年4月21日-
ロベルト・カルヴィ 1920年4月13日 – 1982年6月17日
シルヴィオ・ベルルスコーニ 1936年9月29日 -
ヴィットーリオ・エマヌエーレ・ディ・サヴォイア 1937年2月12日 -
ジョルジオ・アルマーニ 1934年7月11日 -
オーストリア
フランツ1世 (神聖ローマ皇帝) 1708年12月8日 - 1765年8月18日
フランツ・ヨーゼフ・ハイドン 1732年3月31日 - 1809年5月31日
イグナーツ・フォン・ボルン 1742年12月26日 ‐ 1791年7月24日
エマヌエル・シカネーダー 1751年9月1日 - 1812年9月21日
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト 1756年1月27日 - 1791年12月5日
マリア・テレジア 1717年5月13日 - 1780年11月29日
ヨーゼフ2世 1741年3月13日 - 1790年2月20日
レオポルト2世 1747年5月5日 - 1792年3月1日
クレメンス・フォン・メッテルニヒ 1773年5月15日- 1859年6月11日
フランツ・ヨーゼフ1世 1830年8月18日 - 1916年11月21日
フランツ・フェルディナント・フォン・エスターライヒ=エステ 1863年12月18日 - 1914年6月28日
エリーザベト (オーストリア皇后) 1837年12月24日 - 1898年9月10日
アントン・ブルックナー 1824年9月4日 - 1896年10月11日
フランツ・シューベルト 1797年1月31日 - 1828年11月19日
グスタフ・マーラー 1860年7月7日 - 1911年5月18日
ルートヴィヒ・フォン・ケッヘル 1800年1月14日 - 1877年6月3日
フランツ・ベッケンバウアー 1945年9月11日 -
リヒャルト・クーデンホーフ=カレルギー 1894年11月16日 - 1972年7月27日
ザムゾン・ヴェルトハイマー 1658年1月17日 - 1742年8月6日
イングランド
イーフレイム・チェンバーズ 1680年? - 1740年5月15日
エドワード・ギボン 1737年5月8日 - 1794年1月16日
ジョージ4世 1762年8月12日 - 1830年6月26日
エドワード7世 1841年11月9日 - 1910年5月6日
アーサー・サリヴァン 1842年5月13日 - 1900年11月22日
アーサー・コナン・ドイル 1859年5月22日 - 1930年7月7日
ラドヤード・キップリング 1865年12月30日 - 1936年1月18日
ウィンストン・チャーチル 1874年11月30日 - 1965年1月24日
エドワード8世 1894年6月23日 - 1972年5月28日
ジョージ6世 1895年12月14日 - 1952年2月6日
ケント公エドワード王子 1935年10月9日 -
クリストファー・レン 1632年10月20日 - 1723年2月25日
ジョン・デサグリエ 1683年3月12日 - 1744年2月29日
ロバート・フック 1635年7月18日 - 1703年3月3日
アイザック・ニュートン 1643年1月4日 - 1727年3月31日
エリザベス1世 ユリウス暦1533年9月7日 - 1603年3月24日
ウィリアム・シェイクスピア 1564年4月26日(洗礼日) - 1616年4月23日(グレゴリオ暦5月3日)
ロバート・ダドリー (初代レスター伯) 1533年9月7日 - 1588年9月4日
ロバート・デヴァルー (第2代エセックス伯) 1566年11月10日 - 1601年2月25日
メアリー (スコットランド女王) 1542年12月8日 - 1587年2月8日(グレゴリオ暦2月18日)
フランシス・ベーコン (哲学者) 1561年1月22日 - 1626年4月9日
ジェームズ1世 (イングランド王) 1566年6月19日 - 1625年3月27日
チャールズ1世 (イングランド王) 1600年11月19日 - 1649年1月30日
オリバー・クロムウェル 1599年4月25日 - 1658年9月3日
リチャード・クロムウェル 1626年10月4日 - 1712年7月12日
チャールズ2世 (イングランド王) 1630年5月29日 - 1685年2月6日
ジェームズ2世 (イングランド王) 1633年10月14日 - 1701年9月16日
ウィレム2世 (オラニエ公) 1626年5月27日 - 1650年11月6日
ウィリアム3世 (イングランド王) 1650年11月14日 - 1702年3月8日
メアリー2世 (イングランド女王) 1662年4月30日 - 1694年12月28日
ジェームズ・フランシス・エドワード・ステュアート1688年6月10日 - 1766年1月1日
ウィリアム・キャヴェンディッシュ (初代デヴォンシャー公爵)1640年1月25日 - 1707年8月18日
ジョージ1世 (イギリス王) 1660年5月28日(グレゴリオ暦6月7日) - 1727年6月11日(グレゴリオ暦6月22日)
ジョージ2世 (イギリス王) 1683年11月10日 - 1760年10月25日
ジョージ・グレンヴィル 1712年10月14日 - 1770年11月13日
ウィリアム・ピット (初代チャタム伯爵) 1708年11月15日 - 1778年5月11日
ウィリアム・ピット (小ピット) 1759年5月28日 - 1806年1月23日
ジョージ3世 (イギリス王) 1738年6月4日 - 1820年1月29日
スペンサー・パーシヴァル 1762年11月1日 - 1812年5月11日
ウィリアム4世 (イギリス王) 1765年8月21日 - 1837年6月20日
ヴィクトリア (イギリス女王) 1819年5月24日 - 1901年1月22日
ベンジャミン・ディズレーリ 1804年12月21日 - 1881年4月19日
アルバート・ヴィクター (クラレンス公) 1864年1月8日 - 1892年1月14日
ジョージ5世 (イギリス王) 1865年6月3日 - 1936年1月20日
エリザベス2世 1926年4月21日 -
チャールズ (プリンス・オブ・ウェールズ) 1948年11月14日 -
ダイアナ (プリンセス・オブ・ウェールズ) 1961年7月1日 - 1997年8月31日
カミラ (コーンウォール公爵夫人) 1947年7月17日 -
ウィリアム (ケンブリッジ公) 1982年6月21日 -
ヘンリー・オブ・ウェールズ 1984年9月15日 -
キャサリン (ケンブリッジ公爵夫人) 1982年1月9日 -
ロバート・ウォルポール 1676年8月26日 - 1745年3月18日
トマス・ペラム=ホールズ (初代ニューカッスル公) 1693年7月21日 - 1768年11月17日
ジョージ・グレンヴィル 1712年10月14日 - 1770年11月13日
ゴドリッチ子爵フレデリック・ジョン・ロビンソン 1782年11月1日 - 1859年1月28日
チャールズ・グレイ (第2代グレイ伯爵) 1764年3月13日 - 1845年7月17日
ウィリアム・ラム (第2代メルバーン子爵) 1779年3月15日 - 1848年11月24日
ジョージ・ハミルトン=ゴードン (第4代アバディーン伯)1784年1月28日 - 1860年12月14日
デビッド・ロイド・ジョージ 1863年1月17日 - 1945年3月26日
スタンリー・ボールドウィン 1867年8月3日 - 1947年12月14日
ラムゼイ・マクドナルド 1866年10月12日 - 1937年11月9日
ネヴィル・チェンバレン 1869年3月18日 - 1940年11月9日
クレメント・アトリー 1883年1月3日 - 1967年10月8日
アンソニー・イーデン 1897年6月12日 - 1977年1月14日
ハロルド・ウィルソン 1916年3月11日 – 1995年5月24日
デーヴィッド・キャメロン 1966年10月9日 ‐
ウィリアム・ブレイク 1757年11月28日 - 1827年8月12日
トーマス・ハーディ 1840年6月2日 - 1928年1月11日
ジェーン・オースティン 1775年12月16日 - 1817年7月18日
オスカー・ワイルド 1854年10月16日 - 1900年11月30日
アガサ・クリスティ 1890年9月15日 - 1976年1月12日
アーサー・サリヴァン 1842年5月13日 - 1900年11月22日
ベンジャミン・ブリテン 1913年11月22日 - 1976年12月4日
ジョン・レノン 1940年10月9日 - 1980年12月8日
ポール・マッカートニー 1942年6月18日 -
ジョージ・ハリスン 1943年2月25日 - 2001年11月29日
リンゴ・スター 1940年7月7日 -
ローワン・アトキンソン 1955年1月6日 -
チャールズ・チャップリン 1889年4月16日 - 1977年12月25日
デビッド・ベッカム 1975年5月2日 -
サミュエル・リチャードソン 1689年8月19日 - 1761年7月4日
チャールズ・ディケンズ 1812年2月7日 - 1870年6月9日
デーヴィッド・ハーバート・ローレンス 1885年9月11日 - 1930年3月2日
ホレーショ・ネルソン 1758年9月29日 - 1805年10月21日
ジェームズ・クック 1728年10月27日 - 1779年2月14日
ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー 1775年4月23日 - 1851年12月19日
ジェームズ・クラーク・マクスウェル 1831年6月13日 - 1879年11月5日
スティーヴン・ホーキング 1942年1月8日 -
エドワード・ジェンナー 1749年5月17日 - 1823年1月26日
ロバート・ルイス・スティーヴンソン 1850年11月13日 - 1894年12月3日
ジョージ・カニング 1770年4月11日 - 1827年8月8日
ランドルフ・チャーチル 1849年2月13日-1895年1月24日
セシル・ローズ 1853年7月5日 - 1902年3月26日
ウィリアム・ホガース 1697年11月10日 - 1764年10月26日
スコットランド
ウォルター・スコット 1771年8月15日 - 1832年9月21日
トーマス・カーライル 1795年12月4日 - 1881年2月5日
ロバート・バーンズ 1759年1月25日 - 1796年7月21日
ウィリアム・ブロディー 1741年9月28日 - 1788年10月1日
アダム・スミス 1723年6月5日 - 1790年7月17日
ロバート・ルイス・スティーヴンソン 1850年11月13日 - 1894年12月3日
アレクサンダー・グラハム・ベル 1847年3月3日 - 1922年8月2日
アレクサンダー・フレミング 1881年8月6日 - 1955年3月11日
アレクサンダー・ベイン 1811年10月 - 1877年1月2日
ジェームズ・ワット 1736年1月19日 - 1819年8月25日
ジョン・ロジー・ベアード 1888年8月13日-1946年6月14日
ジョン・ボイド・ダンロップ 1840年2月5日 - 1921年10月23日
ジョン・ロウドン・マカダム 1756年9月21日 – 1836年11月26日
ジョゼフ・リスター 1827年4月5日 - 1912年2月10日
ジョン・キーツ 1795年10月31日 - 1821年2月23日
ショーン・コネリー 1930年8月25日 -
ユアン・マクレガー 1971年3月31日 -
ジェラルド・バトラー 1969年11月13日 -
アイルランド
ジョナサン・スウィフト 1667年11月30日 - 1745年10月19日
アーネスト・ウォルトン 1903年10月6日 - 1995年6月25日
オスカー・ワイルド 1854年10月16日 - 1900年11月30日
ジェイムズ・ジョイス 1882年2月2日 – 1941年1月13日
ウィリアム・バトラー・イェイツ 1865年6月13日 - 1939年1月28日
ジョージ・バーナード・ショー 1856年7月26日 - 1950年11月2日
サミュエル・ベケット 1906年4月13日 - 1989年12月22日
シェイマス・ヒーニー 1939年4月13日 -
アーサー・ウェルズリー (初代ウェリントン公爵)1769年4月29日 - 1852年9月14日
エドマンド・バーク 1729年1月12日 - 1797年7月9日
ロバート・ボイル 1627年1月25日 - 1691年12月30日
ウィリアム・トムソン 1824年6月26日 - 1907年12月17日
バチカン市国
ロザリオ・フランチェスコ・エスポジト 1921年9月25日 - 2007年11月23日
ピウス8世 1761年11月20日 - 1830年11月30日
ベネディクトゥス15世 1854年11月21日 - 1922年1月22日
ヨハネ23世 1881年11月25日-1963年6月3日
ベルギー
レオポルド1世 1790年12月16日 - 1865年12月10日
アンリ・ヴュータン 1820年2月17日 - 1881年1月6日
ポーランド
アダム・イエジィ・チャルトリスキ 1770年1月14日 - 1861年7月15日
アダム・ミツキェヴィチ 1798年12月24日 - 1855年11月26日
スタニスワフ2世 1732年1月17日 - 1798年2月12日
タデウシュ・コシチュシュコ 1746年2月4日 - 1817年10月15日
ヤン・ヘンリク・ドンブロフスキ 1755年8月29日 - 1818年6月6日
ユーゼフ・ポニャトフスキ 1763年5月7日 - 1813年10月19日
エミリア・プラテル 1806年11月13日 - 1831年12月23日
クシシュトフ・キェシロフスキ 1941年6月27日 - 1996年3月13日
ロマン・ポランスキー 1933年8月18日 -
マリ・キュリー 1867年11月7日 - 1934年7月4日
チェコ
アルフォンス・ミュシャ 1860年7月24日 - 1939年7月14日
エドヴァルド・ベネシュ 1884年5月28日 - 1948年9月3日
プロイセン
フリードリヒ2世 1740年5月31日 - 1786年8月17日
ハンガリー
フランツ・リスト 1811年10月22日 - 1886年7月31日
フィンランド
ジャン・シベリウス 1865年12月8日 - 1957年9月20日
ロシア
セルゲイ・クーセヴィツキー 1874年7月26日 - 1951年6月4日
ピョートル1世 1672年5月30日 - 1725年1月28日
エカチェリーナ2世 1729年4月21日(グレゴリオ暦5月2日) - 1796年11月6日(グレゴリオ暦11月17日))
アレクサンドル3世 1845年3月10日 - 1894年11月1日
レフ・トルストイ 1828年9月9日〔ユリウス暦8月28日〕 - 1910年11月20日〔ユリウス暦11月7日〕
フョードル・ドストエフスキー 1821年11月11日〔ユリウス暦10月30日〕 - 1881年2月9日〔ユリウス暦1月28日〕
イワン・ツルゲーネフ 1818年11月9日(ユリウス暦10月28日) - 1883年9月3日(ユリウス暦8月22日)
アレクサンドル・プーシキン 1799年6月6日(旧暦5月26日) - 1837年2月10日(旧暦1月29日)
ウラジーミル・レーニン 1870年4月22日 – 1924年1月21日
ヨシフ・スターリン 1878年12月18日 – 1953年3月5日
レフ・トロツキー 1879年10月26日(グレゴリオ暦11月7日) - 1940年8月21日
グリゴリー・ジノヴィエフ 1883年9月11日 - 1936年8月25日
ヴャチェスラフ・モロトフ 1890年3月9日(ユリウス暦2月25日) - 1986年11月8日
フェリックス・ジェルジンスキー 1877年9月11日 - 1926年7月20日
ナジェージダ・アリルーエワ 1901年9月22日 - 1932年11月9日
ミハイル・カリーニン 1875年11月19日(ユリウス暦11月7日) - 1946年6月3日
ニコライ・エジョフ 1895年5月1日 - 1940年2月4日頃
ラヴレンチー・ベリヤ 1899年3月29日 - 1953年12月23日
リヒャルト・ゾルゲ 1895年10月4日 - 1944年11月7日
スヴェトラーナ・アリルーエワ 1926年2月28日 - 2011年11月22日
ゲオルギー・マレンコフ 1902年1月13日(ユリウス暦1月8日) - 1988年1月14日
ラーザリ・カガノーヴィチ 1893年11月22日 - 1991年7月25日
ニキータ・フルシチョフ 1894年4月17日 - 1971年9月11日
レオニード・ブレジネフ 1907年1月1日(ユリウス暦1906年12月19日) - 1982年11月10日
コンスタンティン・チェルネンコ 1911年9月24日(グレゴリオ暦)/9月11日(ユリウス暦) - 1985年3月10日
ピョートル・チャイコフスキー 1840年5月7日(ユリウス暦では4月25日) - 1893年11月6日(ユリウス暦10月25日)
アレクサンドル・ボロディン 1833年10月31日(ユリウス暦)/11月12日(グレゴリオ暦) - 1887年2月15日/2月27日
ミハイル・ホドルコフスキー 1963年6月26日 -
アレクサンドル・ポポフ 1859年3月16日 - 1906年1月13日、ロシア暦1859年3月4日 - 1905年12月31日
ボリス・エリツィン 1931年2月1日 - 2007年4月23日
ウラジーミル・セミチャストヌイ 1924年1月15日 - 2001年1月12日
ワジム・バカーチン 1937年11月6日 -
毛沢東 1893年12月26日 - 1976年9月9日
梁啓超 1873年2月23日 - 1929年1月19日
劉少奇 1898年11月24日 - 1969年11月12日
周恩来 1898年3月5日 - 1976年1月8日
孫文 1866年11月12日 - 1925年3月12日
洪秀全 1814年1月1日 - 1864年6月1日
汪兆銘 1883年5月4日 - 1944年11月10日
李先念 1909年6月23日 - 1992年6月21日
胡錦濤 1942年12月21日 -
カナダ
ジェームズ・ネイスミス 1861年11月6日 - 1939年11月28日
エリシャ・カスバート 1982年11月30日 -
ジム・キャリー 1962年1月17日 -
セリーヌ・ディオン 1968年3月30日 -
ナターシャ・ヘンストリッジ 1974年8月15日 -
アヴリル・ラヴィーン 1984年9月27日 -
フィリピン
ホセ・リサール 1861年6月19日 - 1896年12月30日
ホセ・ラウレル 1891年3月9日 - 1959年11月6日
セルヒオ・オスメニャ 1878年9月9日 - 1961年10月19日
エルピディオ・キリノ 1890年11月16日 - 1956年2月29日
フェルディナンド・マルコス 1917年9月11日 - 1989年9月28日
コラソン・アキノ 1933年1月25日 - 2009年8月1日
ジョセフ・エストラーダ 1937年4月19日 -
グロリア・アロヨ 1947年4月5日 -
ブラジル
デオドロ・ダ・フォンセカ 1827年8月5日- 1892年8月23日
ジルマ・ルセフ 1947年12月14日-
チリ
サルバドール・アジェンデ 1908年6月26日 - 1973年9月11日
アウグスト・ピノチェト 1915年11月25日 - 2006年12月10日
エドゥアルド・フレイ・ルイスタグレ 1942年6月24日 -
エドゥアルド・フレイ・モンタルバ 1911年1月16日 - 1982年1月12日
ガブリエラ・ミストラル 1889年4月7日 - 1957年1月10日
ベネズエラ
シモン・ボリバル 1783年7月24日 - 1830年12月17日
ニカラグア
アウグスト・セサル・サンディーノ 1895年5月18日 - 1934年2月21日
アナスタシオ・ソモサ・ガルシア 1896年2月1日 - 1956年9月29日
フルヘンシオ・バティスタ 1901年1月16日 - 1973年8月6日
ラウル・カストロ 1931年6月3日 -
出生地不詳
サンジェルマン伯爵 1691年/1707年? - 1784年2月27日
さてどうでしょうか。市章シリーズに続いて読者の不評を買いそうなシリーズですが、なかなか面白いのでそれぞれ個別の時期や日付についてシリーズでやろうかと思っています。
一応解説していかないとなんだか全くわからないでスルーしていきそうなのでそれぞれ解説していくこととしましょう。アメリカ人についても多少付け加えたので触れておきます。
フランスは恐らくこういう日付のシンボリズム、タロット占いや星座占いなどの発祥の地だと思われ、、恐らくそれらはフランス革命後盛んになるのだと思いますが、いわゆるフリーメイスンにはそれほど多くない印象でしょうか。中でも最も私が興味深かったのはブラザーナポレオンとその妻ジョセフィーヌの生誕日であり、ある意味フランス革命とその後のナポレオン帝政はこれらの日付のシンボリズムによって成り立っていたのではないかという解説が成り立つものかと思います。後はやはりイギリスでも王冠をかけた恋で有名なエドワード6世もジョセフィーヌと同じ日と言うところでしょうか。日付のシンボリズムで重要なのはやはり日本の明治時代でもそうでしたが、旧暦と新暦、ユリウス歴やロシア暦との改暦の時代があり、旧暦でも一応孝明天皇の忌日のようにシンボリズムが成立しますが、一般にはグレゴリオ暦となってからシンボリズムが正統となってくるようです。グレゴリオ暦自体は1582年に教皇グレゴリオ13世が改めたもので、ユリウス歴は紀元前45年にユリウス・カエサルによって作られたものだそうです。導入はイタリア、スペイン、フランス、オランダ、ドイツが早く、その後100年以上遅れて1752年イギリス、アメリカ1873年日本、1912年中国、1918年ロシアだそうです。このため、このページにコピペした日付もほぼそれらに準じてユリウス歴とグレゴリオ暦が混在しているかと思われます。特にロシアはそれらが顕著だと思いますので気を付けてください。
まあ後は色々面白おかしくフリーメイスンやそれと全く関係ない人や関係ありそうな人を付け加えましたが、どうでしょう。やはり6月24日の洗礼者ヨハネの日のシンボリズムが私自身としては一番面白いかと思われます。1月6日~1月8日の公現祭や1月後半の恐らくユダヤ教の祝日関連、4月の復活祭の関連、5月1日のメーデー、7月4日と7月14日のアメリカ独立宣言と、バスティーユ監獄襲撃の日、8月15日の聖母降誕祭、11月の万聖節のシンボリズム、12月の12月8日無原罪の御宿りの日とクリスマス関連のシンボリズムがあるかと思います。その他は単純に数字の33や11、111、1111、113や311、711、117の並びなどがあるかと思われます。77の並びや7のシンボリズムの意味がどの程度あるのかというところですが、これらはまた後々で問題になってくるかもしれません。また回文数もシンボリズムとしては目立ちますが、それぞれ回文数でどのような意味が出てくるかについては数秘術の奥義になるのかと思われますし、今後の課題と思われます。
まあ全体に見てやはりイギリス、フランスの日付のシンボリズムはある程度多いかと思われますし、アメリカなども特にハリウッド俳優などでのシンボリズムは多いようです。カナダも比較的芸能人関係で多いようですし、後は逆にというか必然なのでしょうが、ソ連や中国のようなキリスト教と正反対のところでシンボリズムが顕著なのは革命や共産主義の必然なのだと思われます。南米は全体にフリーメイスンリーは盛んだと思いますが、ブラジルは非常に少ないようです。逆にチリは非常に面白いですね。二人のエドゥアルド・フレイは親子だそうで、どちらも大統領をやっていますが、父親は毒殺されているそうです。6月24日のシンボリズムの顕著な例でしょうか。チリと言えば落盤事故で33人の人が2カ月閉じ込められた事件が最近では有名かと思います。
というわけで市章のシンボリズムのように更にシンボリズムの核心に迫る作業として、6月24日や上記の浮かび上がって来たシンボリズムの日の誕生日や忌日の人々について、個別に取り上げてフリーメイスンリーとの関わりを見て行くという事をそれぞれ行っていこうかと思います。
ついてこれてますか~? ちなみに本日は復活祭の近くになるのでしょうが、今年の復活祭は3月31日でしたので特にありません。
大好評企画のテレビについて第3弾です。
大好評企画ではありますが、内容的には適当です。
住友林業のピロピロリ~ンという魔笛の笛の音階と同じのが戻りましたね。あれは良いです。
三菱地所のセントポール大聖堂は終わってしまいましたね。
スズキが33を強調していたものをやっていましたがすぐに終わってしまいました。スコティッシュライトは厳しいですね。
きゃりーぱみゅぱみゅは東京タワーでイベントをやっていたようですがその後どうでしょうか。
その他アベノミクスなどもあり全体にシンボリズムは低調な感じでしょうか。
モーツァルトの音楽を多用したのがありますが、良いと思います。
有澤玲さんの出演していたフリーメイスンリー特集後は番組としては低調のようです。ライオンや歯車を強調した番組は多く認められますが、このブログの内容を越えたものも無いようです。
住友林業のCMのホームページを置きます。スズキのCMのホームページも置いておきます。
前半に少しシンボリズムが認められたのでしょうかね。
ついでにフリーメイスンとなった高須クリニックのブラザー高須のCMも参考に置いておきます。どうなんでしょう?
まあどうも映像的にはロスト・シンボルの映画化が最大の話題なんでしょうが、全く聞こえてきませんね。こういうのもフリーメイスンリーの日常のような感じでしょうか。
大好評企画ではありますが、内容的には適当です。
住友林業のピロピロリ~ンという魔笛の笛の音階と同じのが戻りましたね。あれは良いです。
三菱地所のセントポール大聖堂は終わってしまいましたね。
スズキが33を強調していたものをやっていましたがすぐに終わってしまいました。スコティッシュライトは厳しいですね。
きゃりーぱみゅぱみゅは東京タワーでイベントをやっていたようですがその後どうでしょうか。
その他アベノミクスなどもあり全体にシンボリズムは低調な感じでしょうか。
モーツァルトの音楽を多用したのがありますが、良いと思います。
有澤玲さんの出演していたフリーメイスンリー特集後は番組としては低調のようです。ライオンや歯車を強調した番組は多く認められますが、このブログの内容を越えたものも無いようです。
住友林業のCMのホームページを置きます。スズキのCMのホームページも置いておきます。
前半に少しシンボリズムが認められたのでしょうかね。
ついでにフリーメイスンとなった高須クリニックのブラザー高須のCMも参考に置いておきます。どうなんでしょう?
まあどうも映像的にはロスト・シンボルの映画化が最大の話題なんでしょうが、全く聞こえてきませんね。こういうのもフリーメイスンリーの日常のような感じでしょうか。
さてさてどんな感じでしょうか。
アメリカの州章の謎ときもまさに知恵の輪のような地味な頭の体操の感じですが皆さんの知性に訴える力はあるでしょうか。
まあブログとしては適度な内容なのではないでしょうか。全州終わった辺りでこれぞという感じでMorals and Dogmaの全訳に取りかかるとちょうどよいかもしれません。またそれ以前に福澤諭吉の全訳で有名なアメリカ独立宣言の現代訳を再びここで行うのも良いかもしれません。(独立宣言の日本語訳についてはアメリカ駐日大使館のホームページに全文がありました。参照してください。)なぜってHouse of the Templeで少し物を買ったりしたらアメリカ独立宣言を含んだDYNAMIC FREEDOMSという本を一緒に送って来たからでした。
リチュアルの解説はまあ翻訳はもうあるわけで、ユダヤ神秘主義やカバラについてもう少し勉強して、リチュアルの解説本を読まないといけないかと思います。
アンダーソン憲章の翻訳については徐々に進めて行きましょう。
さてではアラバマ州についてです。
日本人でアラバマと言うととりあえず以前もYouTubeの音楽でも取り上げたフォスターのOh! Suzannaでしょうか。冒頭の歌詞でアラバマからルイジアナという言葉が現れるのが記憶の片隅にあるのではないでしょうか。
アメリカの作曲家として有名なフォスターですが、その人生はなかなか困難を極め、最後は37歳でホテルの洗面所で転倒し頸動脈を切って亡くなったそうです。生年月日と忌日が1826年7月4日 - 1864年1月13日だそうで恐らくフリーメイスンとは成らなかったがその代表的な関連人物となるのかと思われます。見事にこのブログの誕生日と忌日のシンボリズムの中からは漏れていますが、まあそういう代表例だと思われます。
まあこの曲を挙げるまでも無くいわゆる南部に含まれる代表的な州と言うイメージはあるのではないでしょうか。位置はこんな感じです。

メキシコ湾に繋がる海岸もあるそうで観光地としても良いようです。かつての綿花のプランテーションで有名で、いわゆる黒人奴隷が多くいて、南軍として南北戦争に参加し、その後はクークラックスクランなどの人種差別団体の活動が盛んで、公民権運動が激しかったところのようです。現在は米軍基地や宇宙関連の施設など合衆国政府の施設も多く、大企業の工場や施設も多数あるようです。
フリーメイスンの数はいわゆるブルーロッジのフリーメイスンが3万人弱いて、黒人が主体のプリンスホールフリーメイスンリーのフリーメイスンがやはりほぼ同数の3万人いるそうで、全体としては人口約500万人に対して約6万人で、約75人に一人がフリーメイスンと言う事です。グランドロッジが9つあるという事で特にやはりプリンスホールフリーメイスンリーが盛んなのだと思われます。出身者の有名人は比較的多く、野球のハンク・アーロンやウィキペディアの創始者のジミー・ウェールズ、奇跡の人のヘレン・ケラー、ジャズのブラザーナット・キング・コール、バスケットのチャールズ・バークレー、作家のF・スコット・フィッツジェラルド、ブッシュ政権のコンドリーザ・ライス女史、音楽のライオネル・リッチー、陸上のカール・ルイスと日本人が知っている人が多数認められます。建築はやはり議会と裁判所が典型的なドームを備えた作りとなっているようです。
(立派なグランドロッジのホームページとプリンスホールグランドロッジのホームページがありましたのでリンクしておきます。昨年のグランドロッジのグランドマスターは亡くなっているそうです。なかなか色々盛んなようです。立派なスコティッシュライトテンプルもあるそうです。

クークラックスクランとフリーメイスンリーとの関わりも興味深い話題です。今度の国際フリーメイスンリー歴史学会の演題にもありました。まさに黒人大統領の時代の注目の歴史なのでしょう。)
それでは州章に移ります。

かなり特徴的なもので象徴を入れ込んだものではなくシンプルな色分けした地図と三つの星が特徴的なものです。州章の変遷もあるようで、これが三つ目であるようで、当初のものは川と船と木が描かれ、その前にやはり地図がある形であったそうです。2番目のものがアメリカの国璽に近い星印と縞の盾の上に4本の矢を掴んだ鷲がモットーの書かれた帯を口でつまんだ形で、一つ星が左右に並び、周囲を三角のいわゆる鋸歯状のターセルが取り囲んだ形となっています。(ウィキペディアの州章の定義の原文では3本の矢のようですが、画像では4本となっています。この辺りで色々悶着があったのかもしれません。)

船と木がそれぞれシンボル、地図もそれ自体がGeographyを示すシンボルとなるのだと思います。

鋸歯状のターセルと星が三つあるのがシンボルとなるのだと思われます。まあフリーメイスンリー的には若干シンボリズムが後退した、目立たなくなった印象なのでしょうかね。色々歴史があるのだと思われます。
現在のものは地図でGeographyを象徴しているのは良いかと思います。いわゆるGのシンボルの変則型ですね。9つの川はよくわかりませんし、赤、黄色、緑、青、濃青の色分けもちょっと良くわかりません。印象としては四角い形がロッジの配置のようになっている感じでしょうか。いずれにしても地図でGのシンボルを強調して、二つの三つ星で33を象徴している感じでしょうか。まあかなりすっきりとしていてごちゃごちゃと入れ込んでいない、いわゆる象徴という感じで無い工夫のある州章だと思われます。
州旗の方もシンプルです。

いわゆる青字に白抜きの聖アンデレ十字ではなく、白字に赤の斜め十字です。南軍の赤地に青の聖アンデレ十字を意識したものかと思われます。南軍の聖アンデレ十字もそうなるまでに変遷があったようで、やはりブラザーアルバート・パイクらのスコティッシュ・ライトの33階位の確立とも何らかの関係があったのかと思います。スペイン領であったことからスペインが使用したブルゴーニュ公のサルタイアー、いわゆるハプスブルク家のスペインで使用されたのが白字に赤の鋸状の聖アンデレ十字で、配色はそこからきているようです。州旗も変遷があるようです。詳しくは英語版ウィキペディアを参照してください。(2013/6/15追記:白地に斜め十字はそのまま現在の北アイルランドを示す聖パトリック十字となります。この辺りはカトリックとプロテスタント、アイルランド、スコットランド、イングランドの関係ともなるようです。一般的には聖パトリック十字は比較的控えめなシンボルのようで、英語版ウィキペディアに沿った解説が一般的であるようです。)
まあ州章も市章も色々な土地の歴史と様々なシンボリズムが総動員されている結実であり、やはり押し並べて見て行くと特にアメリカのものは工夫が行き届いている印象であるかと思います。
アメリカの州章の謎ときもまさに知恵の輪のような地味な頭の体操の感じですが皆さんの知性に訴える力はあるでしょうか。
まあブログとしては適度な内容なのではないでしょうか。全州終わった辺りでこれぞという感じでMorals and Dogmaの全訳に取りかかるとちょうどよいかもしれません。またそれ以前に福澤諭吉の全訳で有名なアメリカ独立宣言の現代訳を再びここで行うのも良いかもしれません。(独立宣言の日本語訳についてはアメリカ駐日大使館のホームページに全文がありました。参照してください。)なぜってHouse of the Templeで少し物を買ったりしたらアメリカ独立宣言を含んだDYNAMIC FREEDOMSという本を一緒に送って来たからでした。
リチュアルの解説はまあ翻訳はもうあるわけで、ユダヤ神秘主義やカバラについてもう少し勉強して、リチュアルの解説本を読まないといけないかと思います。
アンダーソン憲章の翻訳については徐々に進めて行きましょう。
さてではアラバマ州についてです。
日本人でアラバマと言うととりあえず以前もYouTubeの音楽でも取り上げたフォスターのOh! Suzannaでしょうか。冒頭の歌詞でアラバマからルイジアナという言葉が現れるのが記憶の片隅にあるのではないでしょうか。
アメリカの作曲家として有名なフォスターですが、その人生はなかなか困難を極め、最後は37歳でホテルの洗面所で転倒し頸動脈を切って亡くなったそうです。生年月日と忌日が1826年7月4日 - 1864年1月13日だそうで恐らくフリーメイスンとは成らなかったがその代表的な関連人物となるのかと思われます。見事にこのブログの誕生日と忌日のシンボリズムの中からは漏れていますが、まあそういう代表例だと思われます。
まあこの曲を挙げるまでも無くいわゆる南部に含まれる代表的な州と言うイメージはあるのではないでしょうか。位置はこんな感じです。

メキシコ湾に繋がる海岸もあるそうで観光地としても良いようです。かつての綿花のプランテーションで有名で、いわゆる黒人奴隷が多くいて、南軍として南北戦争に参加し、その後はクークラックスクランなどの人種差別団体の活動が盛んで、公民権運動が激しかったところのようです。現在は米軍基地や宇宙関連の施設など合衆国政府の施設も多く、大企業の工場や施設も多数あるようです。
フリーメイスンの数はいわゆるブルーロッジのフリーメイスンが3万人弱いて、黒人が主体のプリンスホールフリーメイスンリーのフリーメイスンがやはりほぼ同数の3万人いるそうで、全体としては人口約500万人に対して約6万人で、約75人に一人がフリーメイスンと言う事です。グランドロッジが9つあるという事で特にやはりプリンスホールフリーメイスンリーが盛んなのだと思われます。出身者の有名人は比較的多く、野球のハンク・アーロンやウィキペディアの創始者のジミー・ウェールズ、奇跡の人のヘレン・ケラー、ジャズのブラザーナット・キング・コール、バスケットのチャールズ・バークレー、作家のF・スコット・フィッツジェラルド、ブッシュ政権のコンドリーザ・ライス女史、音楽のライオネル・リッチー、陸上のカール・ルイスと日本人が知っている人が多数認められます。建築はやはり議会と裁判所が典型的なドームを備えた作りとなっているようです。
(立派なグランドロッジのホームページとプリンスホールグランドロッジのホームページがありましたのでリンクしておきます。昨年のグランドロッジのグランドマスターは亡くなっているそうです。なかなか色々盛んなようです。立派なスコティッシュライトテンプルもあるそうです。

クークラックスクランとフリーメイスンリーとの関わりも興味深い話題です。今度の国際フリーメイスンリー歴史学会の演題にもありました。まさに黒人大統領の時代の注目の歴史なのでしょう。)
それでは州章に移ります。

かなり特徴的なもので象徴を入れ込んだものではなくシンプルな色分けした地図と三つの星が特徴的なものです。州章の変遷もあるようで、これが三つ目であるようで、当初のものは川と船と木が描かれ、その前にやはり地図がある形であったそうです。2番目のものがアメリカの国璽に近い星印と縞の盾の上に4本の矢を掴んだ鷲がモットーの書かれた帯を口でつまんだ形で、一つ星が左右に並び、周囲を三角のいわゆる鋸歯状のターセルが取り囲んだ形となっています。(ウィキペディアの州章の定義の原文では3本の矢のようですが、画像では4本となっています。この辺りで色々悶着があったのかもしれません。)

船と木がそれぞれシンボル、地図もそれ自体がGeographyを示すシンボルとなるのだと思います。

鋸歯状のターセルと星が三つあるのがシンボルとなるのだと思われます。まあフリーメイスンリー的には若干シンボリズムが後退した、目立たなくなった印象なのでしょうかね。色々歴史があるのだと思われます。
現在のものは地図でGeographyを象徴しているのは良いかと思います。いわゆるGのシンボルの変則型ですね。9つの川はよくわかりませんし、赤、黄色、緑、青、濃青の色分けもちょっと良くわかりません。印象としては四角い形がロッジの配置のようになっている感じでしょうか。いずれにしても地図でGのシンボルを強調して、二つの三つ星で33を象徴している感じでしょうか。まあかなりすっきりとしていてごちゃごちゃと入れ込んでいない、いわゆる象徴という感じで無い工夫のある州章だと思われます。
州旗の方もシンプルです。

いわゆる青字に白抜きの聖アンデレ十字ではなく、白字に赤の斜め十字です。南軍の赤地に青の聖アンデレ十字を意識したものかと思われます。南軍の聖アンデレ十字もそうなるまでに変遷があったようで、やはりブラザーアルバート・パイクらのスコティッシュ・ライトの33階位の確立とも何らかの関係があったのかと思います。スペイン領であったことからスペインが使用したブルゴーニュ公のサルタイアー、いわゆるハプスブルク家のスペインで使用されたのが白字に赤の鋸状の聖アンデレ十字で、配色はそこからきているようです。州旗も変遷があるようです。詳しくは英語版ウィキペディアを参照してください。(2013/6/15追記:白地に斜め十字はそのまま現在の北アイルランドを示す聖パトリック十字となります。この辺りはカトリックとプロテスタント、アイルランド、スコットランド、イングランドの関係ともなるようです。一般的には聖パトリック十字は比較的控えめなシンボルのようで、英語版ウィキペディアに沿った解説が一般的であるようです。)
まあ州章も市章も色々な土地の歴史と様々なシンボリズムが総動員されている結実であり、やはり押し並べて見て行くと特にアメリカのものは工夫が行き届いている印象であるかと思います。
このブログ始まって以来最大の空白期間となったわけですが、皆さんお元気でしょうか。
まあ世の中色々事件が多発して、日本も地震やら何やら本当に様々な事件が散発して一週間か十日といえども現代は本当に変化が激しく気忙しいというのがまさに時代の特色ではないかとそういう印象ではないでしょうか。
色々と書き途中の内容や、すぐに書き続く事ができるネタはあるわけですが、どうも情報社会の最先端を担っていると自負するこのブログですが、なかなか環境的にも状況的にもそれなりの内容を維持するためにも若干の休息が徐々に必要となって来たのが明らかなのかもしれません。
それで最も継続しやすいアメリカの州章シリーズもあり、その他にもいくつか内容の案があるわけですが、色々な状況を鑑みてここで改めて最も私的な部類に属するフリーメイスンリー関連の読書の、文学と音楽の趣味の濃厚なブラザースタンダールによる処女作モーツァルト伝についてを取り上げようかと思います。
まあ私はブラザースタンダールについては高校倫理の教科書で恋愛論の作者として知ったのが初めてだったわけで、その後大岡昇平の「パルムの僧院」を読んで初めて読書の楽しみというものを知った感じであったわけですが、実際「恋愛論」は読んでみて冒頭の「情熱恋愛は実際には存在しない」という彼の論を読んで世の中の最大の秘密を知ったような衝撃を受けたものでした。
まあ内容についてはかなり昔なのでほぼ忘れてしまっていますが、恋愛論の内容については翻訳やニュアンスの問題もあり、そのような内容で書いてあるかどうかは保証できかねますが、いずれにしてもいわゆる大岡訳を読んでスタンダリアンとなったと自覚する人間としては、大岡昇平訳が聖書の翻訳版のように最も推奨される翻訳であるかと思われますが、読んだ当時は原著を読まなければならないと思ったものでした。(大岡昇平もフィリピンに出兵したりしているそうですが、亡くなられたのはやはり12月25日クリスマスだそうです。)
ブラザースタンダールがフリーメイスンであったと知ったのはもちろんフリーメイスンリーについて知った後であり、受験勉強で独自にStudy in Scarletを翻訳した事があるブラザーサーアーサー・コナン・ドイルがフリーメイスンであったと知った時より衝撃でした。今でもあまり信じられないほどですが、ここで記事にすることでブラザースタンダールがフリーメイスンであるという事を理解し納得する過程となればと思っています。
私自身特に文学や読書に専心した思いはなかったのですが、学生時代に特に現在に繋がるインターネットやフリーメイスンリーに繋がる事以外にスポーツや勉強、趣味といったところで自分から積極的に熱中したという事ははっきりとはなく、読書にしてもいわゆる常識や古典としての知識を求めた結果であり、ブラザースタンダールはその中では比較的偏った傾向のある著者であり、その他には海外の作家としてはシェイクスピアやヘミングウェイ、トルストイやドストエフスキーと言ったいわゆる世界文学全集に含まれる長編小説といったものを翻訳で読んでいる、いわゆる詰まらない読者であり、読書そのものを楽しむというほどにも無い人間ですが、その中で唯一熱中して読んだと言えるのがブラザースタンダールの「パルムの僧院」大岡昇平訳であったかと思います。ただその「パルムの僧院」であっても大岡昇平訳以外を読んではっきりと内容の違いを感じてなんとまあ翻訳で異なるものかという事を認識し、ブラザーモーツァルト伝が処女作であると知りなかなかそういうものの理屈を知ったという感じになってしまったところでしょうか。
とまあブラザーモーツァルト伝の読書が色々な偏った経験に基づいた動機であったわけですが、読んでみて久々にブラザースタンダールの好感持てる筆致と読者を巻き込む音楽的情熱と再会し、そしていわゆる現在に繋がるブラザーモーツァルトの人気の基礎を作っているフリーメイスンリーの繋がりの中での周辺の人々と時代の情熱が感じられ、その時代のまさにフリーメイスンリーが最大の光輝を放っていた純粋に近いエネルギーを感じられる古典ともアンティークともとれる懐かしさとぬくもりを感じられる、近代の聖書とも言えるようなものであるかと思います。もちろん現在に至るいわゆる一般的なブラザーモーツァルトのイメージを作った本であるかと思うのですが、その対照が映画「アマデウス」であり、それらの中間でありより実体に近いのがナチスドイツ制作の映画「モーツァルトの恋」であるのかと思います。実際のブラザーモーツァルトについてはもちろんその時代のドイツ・オーストリア、フランス、イギリスといったヨーロッパのフリーメイスンリーを含めた事情を含めて、ブラザーモーツァルトの実際のフリーメイスンとしての活動や履歴について残されたすべての秘密を知って初めて理解されるものではないかと思います。
そういう意味ではこのブラザースタンダールによるブラザーモーツァルト伝は主にマスメディアが十分に発達していなかった時代のヨーロッパで音楽的にも文化的にも遅れていたとされるドイツ・オーストリア出身の神童から成長した音楽家の逆輸入とも言える趣味人によるマスメディアでの紹介であり、まさに現代のマスコミュニケーションの仕事そのものであったかと思われますが、もちろんそこにはブラザースタンダールの好ましい人間性や情熱的な理性ともいえる確信的な仕掛けが貼り巡らされているものかと思います。
この本に関連して私はブラザーチマローザの「秘密の結婚」のオペラも観劇したわけですが、果たしてブラザーモーツァルトの作品と比肩するという感想には到りませんでしたが、当時の文化と音楽の中心地であったイタリアにおいて辺境の地ドイツ・オーストリアで現代の古典とされるオペラが作られるとは常識外であったのだというのが前提であったのだと思いますし、その大元がやはりカトリックとプロテスタント、フリーメイスンリーという思想や哲学の前提であり、それらが文学や音楽、科学や文化という社会全体に大きな影響を与えていたという事の明確な証左であるかと思われます。
絵画についてもオルセー美術館の回などでイギリスとイタリア、フランス、オランダとの絵画文化の交流について触れたりしましたが、音楽や文学においてもヨーロッパのイギリス、フランス、イタリア、ドイツ・オーストリア、ロシアの間の交流は特にやはりフリーメイスンリーが成立して以降は顕著だと思われ、それらにおいて明確に音楽と文学の両面において嚆矢であったのがこの一冊であったのだと思われます。
ブラザーモーツァルトに関しては「魔笛」の内容について前回触れましたが、晩年のもう一つのオペラセリア作品「皇帝ティートの慈悲」がいわゆるローマ帝国のヴェスヴィオ火山の噴火によるポンペイの悲劇の時代を元にした、カトリック教会の古代ローマの文献を元にした作品であり、その主人公の皇帝ティトスの即位が父親が亡くなった翌日の6月24日という事であり、ユリウス歴の時代であり聖ヨハネの生誕日がユリウス歴では7月7日という事で、まあなかなかいわゆる暦の混乱があるわけですが、ユダヤ戦争の時代でもあり、皇帝ティトスの愛人はユダヤ人女性であったということで、なかなか洗礼者ヨハネの日にまつわる秘密が組み合わさった興味深い作品となっているようです。(ブラザーモーツァルトのフリーメイスンロッジ恩恵への加入は28歳1784年12月14日だったそうで、第二階級への昇級が1785年の1月7日という事でした。12月14日はブラザーワシントンの命日でもあり、その他フリーメイスンリー関連のイベントや誕生日忌日が重なってる日でもあります。12月24日の10日前でありなかなか意味が複雑ですが、様々な意味が隠されている日と思われます。)
いずれにしてもブラザーモーツァルトもブラザースタンダールも作品を味わうのが最大の彼らの理解であり、彼らの人となりを伝え聞くことよりもまず不死となった彼ら自身に直接文字や音を通して会う事で自身の体験としフリーメイスンリーの真実とするのが望ましいのではないでしょうか。
(インターネットの検索で出てくるブラザースタンダールの伝記によると1806年に23歳でパリで聖カロリンロッジでフリーメイスンとなったそうです。情熱的な恋愛の後で父親の支援が打ち切られた後だそうです。フランス人でインターネットの検索でフリーメイスンかどうかが出てくる例は少ないので、ブラザースタンダールはそういう意味ではフランスの代表的フリーメイスンと言えるのかもしれません。)(プロジェクトグーテンベルクのブラザースタンダールの仏語原文の作品へのリンクを置きます。恋愛論の原文のリンクも載せておきます。)





パリ、モンマルトル墓地の墓銘碑「Arrigo Beyle Milanese Scrisse Amo Visse ミラノ人アッリゴ・ベイレ 書いた 愛した 生きた」は有名かと思います。

英語版ウィキペディアにあった恋愛の結晶化の過程を描いたブラザースタンダールの自筆だそうです。最後はローマに至るようです!
まあ世の中色々事件が多発して、日本も地震やら何やら本当に様々な事件が散発して一週間か十日といえども現代は本当に変化が激しく気忙しいというのがまさに時代の特色ではないかとそういう印象ではないでしょうか。
色々と書き途中の内容や、すぐに書き続く事ができるネタはあるわけですが、どうも情報社会の最先端を担っていると自負するこのブログですが、なかなか環境的にも状況的にもそれなりの内容を維持するためにも若干の休息が徐々に必要となって来たのが明らかなのかもしれません。
それで最も継続しやすいアメリカの州章シリーズもあり、その他にもいくつか内容の案があるわけですが、色々な状況を鑑みてここで改めて最も私的な部類に属するフリーメイスンリー関連の読書の、文学と音楽の趣味の濃厚なブラザースタンダールによる処女作モーツァルト伝についてを取り上げようかと思います。
![]() | モーツァルト (ミュージック・ライブラリー) (2006/03/23) スタンダール 商品詳細を見る |
まあ私はブラザースタンダールについては高校倫理の教科書で恋愛論の作者として知ったのが初めてだったわけで、その後大岡昇平の「パルムの僧院」を読んで初めて読書の楽しみというものを知った感じであったわけですが、実際「恋愛論」は読んでみて冒頭の「情熱恋愛は実際には存在しない」という彼の論を読んで世の中の最大の秘密を知ったような衝撃を受けたものでした。
![]() | パルムの僧院 (上) (新潮文庫) (1951/02/19) スタンダール 商品詳細を見る |
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![]() | 恋愛論 (新潮文庫) (1970/04/07) スタンダール 商品詳細を見る |
まあ内容についてはかなり昔なのでほぼ忘れてしまっていますが、恋愛論の内容については翻訳やニュアンスの問題もあり、そのような内容で書いてあるかどうかは保証できかねますが、いずれにしてもいわゆる大岡訳を読んでスタンダリアンとなったと自覚する人間としては、大岡昇平訳が聖書の翻訳版のように最も推奨される翻訳であるかと思われますが、読んだ当時は原著を読まなければならないと思ったものでした。(大岡昇平もフィリピンに出兵したりしているそうですが、亡くなられたのはやはり12月25日クリスマスだそうです。)
ブラザースタンダールがフリーメイスンであったと知ったのはもちろんフリーメイスンリーについて知った後であり、受験勉強で独自にStudy in Scarletを翻訳した事があるブラザーサーアーサー・コナン・ドイルがフリーメイスンであったと知った時より衝撃でした。今でもあまり信じられないほどですが、ここで記事にすることでブラザースタンダールがフリーメイスンであるという事を理解し納得する過程となればと思っています。
私自身特に文学や読書に専心した思いはなかったのですが、学生時代に特に現在に繋がるインターネットやフリーメイスンリーに繋がる事以外にスポーツや勉強、趣味といったところで自分から積極的に熱中したという事ははっきりとはなく、読書にしてもいわゆる常識や古典としての知識を求めた結果であり、ブラザースタンダールはその中では比較的偏った傾向のある著者であり、その他には海外の作家としてはシェイクスピアやヘミングウェイ、トルストイやドストエフスキーと言ったいわゆる世界文学全集に含まれる長編小説といったものを翻訳で読んでいる、いわゆる詰まらない読者であり、読書そのものを楽しむというほどにも無い人間ですが、その中で唯一熱中して読んだと言えるのがブラザースタンダールの「パルムの僧院」大岡昇平訳であったかと思います。ただその「パルムの僧院」であっても大岡昇平訳以外を読んではっきりと内容の違いを感じてなんとまあ翻訳で異なるものかという事を認識し、ブラザーモーツァルト伝が処女作であると知りなかなかそういうものの理屈を知ったという感じになってしまったところでしょうか。
とまあブラザーモーツァルト伝の読書が色々な偏った経験に基づいた動機であったわけですが、読んでみて久々にブラザースタンダールの好感持てる筆致と読者を巻き込む音楽的情熱と再会し、そしていわゆる現在に繋がるブラザーモーツァルトの人気の基礎を作っているフリーメイスンリーの繋がりの中での周辺の人々と時代の情熱が感じられ、その時代のまさにフリーメイスンリーが最大の光輝を放っていた純粋に近いエネルギーを感じられる古典ともアンティークともとれる懐かしさとぬくもりを感じられる、近代の聖書とも言えるようなものであるかと思います。もちろん現在に至るいわゆる一般的なブラザーモーツァルトのイメージを作った本であるかと思うのですが、その対照が映画「アマデウス」であり、それらの中間でありより実体に近いのがナチスドイツ制作の映画「モーツァルトの恋」であるのかと思います。実際のブラザーモーツァルトについてはもちろんその時代のドイツ・オーストリア、フランス、イギリスといったヨーロッパのフリーメイスンリーを含めた事情を含めて、ブラザーモーツァルトの実際のフリーメイスンとしての活動や履歴について残されたすべての秘密を知って初めて理解されるものではないかと思います。
そういう意味ではこのブラザースタンダールによるブラザーモーツァルト伝は主にマスメディアが十分に発達していなかった時代のヨーロッパで音楽的にも文化的にも遅れていたとされるドイツ・オーストリア出身の神童から成長した音楽家の逆輸入とも言える趣味人によるマスメディアでの紹介であり、まさに現代のマスコミュニケーションの仕事そのものであったかと思われますが、もちろんそこにはブラザースタンダールの好ましい人間性や情熱的な理性ともいえる確信的な仕掛けが貼り巡らされているものかと思います。
この本に関連して私はブラザーチマローザの「秘密の結婚」のオペラも観劇したわけですが、果たしてブラザーモーツァルトの作品と比肩するという感想には到りませんでしたが、当時の文化と音楽の中心地であったイタリアにおいて辺境の地ドイツ・オーストリアで現代の古典とされるオペラが作られるとは常識外であったのだというのが前提であったのだと思いますし、その大元がやはりカトリックとプロテスタント、フリーメイスンリーという思想や哲学の前提であり、それらが文学や音楽、科学や文化という社会全体に大きな影響を与えていたという事の明確な証左であるかと思われます。
絵画についてもオルセー美術館の回などでイギリスとイタリア、フランス、オランダとの絵画文化の交流について触れたりしましたが、音楽や文学においてもヨーロッパのイギリス、フランス、イタリア、ドイツ・オーストリア、ロシアの間の交流は特にやはりフリーメイスンリーが成立して以降は顕著だと思われ、それらにおいて明確に音楽と文学の両面において嚆矢であったのがこの一冊であったのだと思われます。
ブラザーモーツァルトに関しては「魔笛」の内容について前回触れましたが、晩年のもう一つのオペラセリア作品「皇帝ティートの慈悲」がいわゆるローマ帝国のヴェスヴィオ火山の噴火によるポンペイの悲劇の時代を元にした、カトリック教会の古代ローマの文献を元にした作品であり、その主人公の皇帝ティトスの即位が父親が亡くなった翌日の6月24日という事であり、ユリウス歴の時代であり聖ヨハネの生誕日がユリウス歴では7月7日という事で、まあなかなかいわゆる暦の混乱があるわけですが、ユダヤ戦争の時代でもあり、皇帝ティトスの愛人はユダヤ人女性であったということで、なかなか洗礼者ヨハネの日にまつわる秘密が組み合わさった興味深い作品となっているようです。(ブラザーモーツァルトのフリーメイスンロッジ恩恵への加入は28歳1784年12月14日だったそうで、第二階級への昇級が1785年の1月7日という事でした。12月14日はブラザーワシントンの命日でもあり、その他フリーメイスンリー関連のイベントや誕生日忌日が重なってる日でもあります。12月24日の10日前でありなかなか意味が複雑ですが、様々な意味が隠されている日と思われます。)
いずれにしてもブラザーモーツァルトもブラザースタンダールも作品を味わうのが最大の彼らの理解であり、彼らの人となりを伝え聞くことよりもまず不死となった彼ら自身に直接文字や音を通して会う事で自身の体験としフリーメイスンリーの真実とするのが望ましいのではないでしょうか。
(インターネットの検索で出てくるブラザースタンダールの伝記によると1806年に23歳でパリで聖カロリンロッジでフリーメイスンとなったそうです。情熱的な恋愛の後で父親の支援が打ち切られた後だそうです。フランス人でインターネットの検索でフリーメイスンかどうかが出てくる例は少ないので、ブラザースタンダールはそういう意味ではフランスの代表的フリーメイスンと言えるのかもしれません。)(プロジェクトグーテンベルクのブラザースタンダールの仏語原文の作品へのリンクを置きます。恋愛論の原文のリンクも載せておきます。)





パリ、モンマルトル墓地の墓銘碑「Arrigo Beyle Milanese Scrisse Amo Visse ミラノ人アッリゴ・ベイレ 書いた 愛した 生きた」は有名かと思います。

英語版ウィキペディアにあった恋愛の結晶化の過程を描いたブラザースタンダールの自筆だそうです。最後はローマに至るようです!
アリゾナ州はアメリカ西部であり、有名な観光地のグランドキャニオンもある事で比較的日本人には馴染みがあるのではないでしょうか。

アリゾナでは日本人に記憶されるのは真珠湾攻撃で沈没した戦艦アリゾナがあるかもしれませんが、その他戦時中には日系人収容所もあったそうです。
州都フェニックスの名前とそれにまつわる初代州知事のピラミッド型の33度の角度を持つお墓については以前触れました。




ブラザージョージ・ワイリー・ポール・ハントという方だそうで、その他にもアリゾナ開拓の有名人としてがぶ飲みジャックというジャック・スウィリングという方がいるそうです。アリゾナ準州の最初の知事として共和党の最初の大統領候補というジョン・チャールズ・フレモントという方がいるそうで、この方はフリーメイスンのようです。

アリゾナの場所はカリフォルニア州とメキシコ国境と接したいわゆる西部であり真北にユタ州があり、開拓の当初はやはりモルモン教徒が多数来て開発を行ったそうです。現在でもネイティブアメリカンの割合も多くいわゆるアパッチ族の根拠地とされるそうで、またメキシコと接する事からヒスパニックの人口が増えているそうです。

隕石でできたクレーターもあるそうです。
州都フェニックスは400万人都市だそうで、州全体で600万人ほどだそうでほとんどの人口が州都に集中しているようです。産業は銅や綿花、肉牛の生産と観光産業であるようです。
フリーメイスンの数は10000人という事で、600人に1人とアメリカでは多い方ではなさそうです。プリンスホールロッジのフリーメイスンは300人と極めて少なく、アメリカの州による偏りを端的に示しているかと思います。

こちらがグランドロッジの建物だそうです。なかなか近代的で立派なもののようです。(グランドロッジの図書館だそうです。)
出身の有名人としては上院議員で大統領候補となったジョン・マケイン議員がいるそうです。恐らくフリーメイスンであるかと思います。父親と祖父も海軍提督で、父親はフリーメイスンであったそうです。その他に映画監督のスティーブン・スピルバーグもアリゾナで育ったそうですが、彼がフリーメイスンかどうかはわかりません。
さてでは州章です。

基本的にはウィキペディアに使われているこの形になるのですが、どうも画像が色々異なるので、その他の色や形のものを一緒に挙げます。


まあ二重円になっているのは州章の基本で、ロストシンボルでも語られた一つのシンボルの基本なんだと思いますが、さらにその中に紋章の基本である盾の形になるのもまたさらにシンボリズムの基本を押さえているのだと思われます。上部にあるモットーは神が富ませるという意味だそうです。
鶴嘴とスコップを持つ鉱夫はモデルがいるそうで、ジョージ・ワレンという方だそうで、その後の大規模な銅鉱を発掘した方だそうです。お墓などを見ると明らかにフリーメイスンのようで、州章でも特徴的なシルクハットのような帽子をかぶっていたり、スコップと鶴嘴もシンボルを示しているようです。




墓銘碑を見るとフリーメイスンが作ったようなニュアンスが見てとれるかと思います。
もちろん州章の太陽と光輪はフリーメイスンリーのシンボリズムとして良いかと思います。州章の解説を読むとアリゾナ州を象徴する5つのCを象徴しているそうで、Climate(気候、自然)、Cattle(畜牛)、Citrus(柑橘類)、Cotton(綿花)、Copper(銅)だそうです。どう見てもオベリスクにしか見えない後方の煙突ですが、quartz millという石英粉砕工場だそうです。実際の写真を参考に挙げてみました。


まあ州章では明らかにオベリスクなんだと思われます。
右の方に農地がありこれが綿花と柑橘類を示しているそうですが、どうもモザイクの床を示しているようでもあります。牛がなぜか迷彩の中に隠された形となっていますが、これもやはりいわゆる聖書の子牛の像の崇拝である異教の象徴になるのだと思われます。ダムは貯水を示しているそうですが、ダム自体にも象徴の意味があるのだと思われます。後はこれは考え過ぎだと思うのですが、農地の形が全体として北アメリカ大陸の形になっているようで、地図、Geographyを象徴しているのかもしれません。手前の銅の塊がもちろんラフアシュラーを示しているのだと思われますが、新しい州章では消えてしまったようです!色も現在では青色が強調されてきているようです。周囲の二つの五芒星もシンボルです。
なかなか面白い州章であったかと思います。単純にフリーメイスンの数だけではなく、やはり都市の名前のフェニックスというところが影響しているのかもしれません。シンボリズムの面白いところです。
州旗を見てみます。

13本の光線でできているそうですが、基本的に特産品である銅を意味する色彩だそうです。独立十三州を意味するようですが、アメリカで13を強調するのは666と同じように反キリスト的なニュアンス、牛の像と同じく異教やキリスト教以前の象徴であるのかもしれません。下半分の色は自由を象徴する青と解説されており、フリーメイスンリーを象徴しているものと思われます。五芒星はもちろんシンボルで良いかと思います。テキサス州も五芒星を強調した州旗・州章となっていましたが、それとよく似たものかと思われます。州章でもGloryが強調されていましたが、ユタ州との関連した歴史もあり、そういう理由でこのGloryが多く採用されているのかもしれません。

アリゾナでは日本人に記憶されるのは真珠湾攻撃で沈没した戦艦アリゾナがあるかもしれませんが、その他戦時中には日系人収容所もあったそうです。
州都フェニックスの名前とそれにまつわる初代州知事のピラミッド型の33度の角度を持つお墓については以前触れました。




ブラザージョージ・ワイリー・ポール・ハントという方だそうで、その他にもアリゾナ開拓の有名人としてがぶ飲みジャックというジャック・スウィリングという方がいるそうです。アリゾナ準州の最初の知事として共和党の最初の大統領候補というジョン・チャールズ・フレモントという方がいるそうで、この方はフリーメイスンのようです。

アリゾナの場所はカリフォルニア州とメキシコ国境と接したいわゆる西部であり真北にユタ州があり、開拓の当初はやはりモルモン教徒が多数来て開発を行ったそうです。現在でもネイティブアメリカンの割合も多くいわゆるアパッチ族の根拠地とされるそうで、またメキシコと接する事からヒスパニックの人口が増えているそうです。

隕石でできたクレーターもあるそうです。
州都フェニックスは400万人都市だそうで、州全体で600万人ほどだそうでほとんどの人口が州都に集中しているようです。産業は銅や綿花、肉牛の生産と観光産業であるようです。
フリーメイスンの数は10000人という事で、600人に1人とアメリカでは多い方ではなさそうです。プリンスホールロッジのフリーメイスンは300人と極めて少なく、アメリカの州による偏りを端的に示しているかと思います。

こちらがグランドロッジの建物だそうです。なかなか近代的で立派なもののようです。(グランドロッジの図書館だそうです。)
出身の有名人としては上院議員で大統領候補となったジョン・マケイン議員がいるそうです。恐らくフリーメイスンであるかと思います。父親と祖父も海軍提督で、父親はフリーメイスンであったそうです。その他に映画監督のスティーブン・スピルバーグもアリゾナで育ったそうですが、彼がフリーメイスンかどうかはわかりません。
さてでは州章です。

基本的にはウィキペディアに使われているこの形になるのですが、どうも画像が色々異なるので、その他の色や形のものを一緒に挙げます。


まあ二重円になっているのは州章の基本で、ロストシンボルでも語られた一つのシンボルの基本なんだと思いますが、さらにその中に紋章の基本である盾の形になるのもまたさらにシンボリズムの基本を押さえているのだと思われます。上部にあるモットーは神が富ませるという意味だそうです。
鶴嘴とスコップを持つ鉱夫はモデルがいるそうで、ジョージ・ワレンという方だそうで、その後の大規模な銅鉱を発掘した方だそうです。お墓などを見ると明らかにフリーメイスンのようで、州章でも特徴的なシルクハットのような帽子をかぶっていたり、スコップと鶴嘴もシンボルを示しているようです。




墓銘碑を見るとフリーメイスンが作ったようなニュアンスが見てとれるかと思います。
もちろん州章の太陽と光輪はフリーメイスンリーのシンボリズムとして良いかと思います。州章の解説を読むとアリゾナ州を象徴する5つのCを象徴しているそうで、Climate(気候、自然)、Cattle(畜牛)、Citrus(柑橘類)、Cotton(綿花)、Copper(銅)だそうです。どう見てもオベリスクにしか見えない後方の煙突ですが、quartz millという石英粉砕工場だそうです。実際の写真を参考に挙げてみました。


まあ州章では明らかにオベリスクなんだと思われます。
右の方に農地がありこれが綿花と柑橘類を示しているそうですが、どうもモザイクの床を示しているようでもあります。牛がなぜか迷彩の中に隠された形となっていますが、これもやはりいわゆる聖書の子牛の像の崇拝である異教の象徴になるのだと思われます。ダムは貯水を示しているそうですが、ダム自体にも象徴の意味があるのだと思われます。後はこれは考え過ぎだと思うのですが、農地の形が全体として北アメリカ大陸の形になっているようで、地図、Geographyを象徴しているのかもしれません。手前の銅の塊がもちろんラフアシュラーを示しているのだと思われますが、新しい州章では消えてしまったようです!色も現在では青色が強調されてきているようです。周囲の二つの五芒星もシンボルです。
なかなか面白い州章であったかと思います。単純にフリーメイスンの数だけではなく、やはり都市の名前のフェニックスというところが影響しているのかもしれません。シンボリズムの面白いところです。
州旗を見てみます。

13本の光線でできているそうですが、基本的に特産品である銅を意味する色彩だそうです。独立十三州を意味するようですが、アメリカで13を強調するのは666と同じように反キリスト的なニュアンス、牛の像と同じく異教やキリスト教以前の象徴であるのかもしれません。下半分の色は自由を象徴する青と解説されており、フリーメイスンリーを象徴しているものと思われます。五芒星はもちろんシンボルで良いかと思います。テキサス州も五芒星を強調した州旗・州章となっていましたが、それとよく似たものかと思われます。州章でもGloryが強調されていましたが、ユタ州との関連した歴史もあり、そういう理由でこのGloryが多く採用されているのかもしれません。
とりあえず予告通りブラザーモーツァルトについての三部作という事で魔笛とブラザースタンダールのブラザーモーツァルト伝についてと今年のブラザーモーツァルトバースデーコンサートという事で、2013年1月25日に東京タワーの下にあるTokyo Masonic Center Golden Hallで行われたブラザーモーツァルトバースデーコンサートの様子について御報告いたします。一応撮って来た写真を全て出すつもりなのですが、かなりの内容でまあ色々支障はないのかと思ってしまったりしていたのですが、まあ恐らく特に支障はないからこうして記事になるのだと思います。
場所の紹介とかは最近は有名だと思うので良いのかと思いますが、一応念の為親切に紹介する事とします。

まあ東京タワーの下と言ってもなかなか辿りつけない人もたくさんいるかと思いますので、大体地下鉄の駅で言うと神谷町という駅になるのだと思いますが、もしくは車で来るとなると近くのコインパーキングで止めるか直接横のコインパーキングに止めるかになるかと思います。六本木方面から来るとロシア大使館の警備などが目について斜め十字のシンボルのある交差点の先になります。

ストリートビューの画像ですが、ヨークライトの斜め十字のシンボルマークになるのでしょうかね。米国商工会議所が入っているそうですが、基本的に森ビルなんかと提携している貸しビルだそうです。所有権もなんかスコティッシュライトが持っていて、グランドロッジに貸している形態になっているとか細かいことが色々あるそうですが、建物のデザインなんかも含めてそういう色々な歴史が包含されているようです。横須賀なんかでは市内の各所でこのグランドロッジと似た建物の形が認められたりしますが、そういう色々な経緯で模倣しているようなところもあるみたいです。
さてまあ一応不審者よけに入り口にはインターホンがあって暗号じゃないですが、前もって連絡していないと大概入れないわけですが、イベントなので開いていて大勢入場していきます。

で有名なシンボルがあるわけですが、また撮ってしまっています。このシンボルもGravestone symbolismなんかでは時が全てを解決するなんて説明が載っていて、それを訳してこのブログに書いたりしましたが、有澤玲氏の真説フリーメイソン大百科ではヒラム・アビフの骨壷みたいな話で、新しくイングランドグランドロッジが検討して作成したシンボルなんて解説が載っていて、なかなか謎な感じですが、基本的にはフリーメイスンリー固有の夭折をテーマとした大天使と乙女というまああまり一般人には馴染みが薄い感じの教訓的なシンボルの像という事になるのだと思います。記念碑monumentという名で呼ばれるそうです。Phoenixmasonryに英語で解説したページがありましたのでリンクを置きます。基本的にはGravestone symbolismにある内容で問題ないようです。その他さらにカバラの3本の柱と関連して深い意味を追求したフリーメイスンの論文がありましたのでリンクしておきます。

何かの記念で作った漆塗りのお皿の組み合わせがあります。

以前のスコティッシュライトのグランドコマンダーのブラザーロナルド・シール寄贈の33階級の帽子のようです。基本的に大きなホールがスコティッシュライトのホールなのですが、どうもまあブルーロッジとの権利関係はそういう設定があるようで、展示もなかなか毎回微妙に異なり、意味が込められていて、その意味をくみ取らないといけないようで難しいです。
























こちらが今回の目玉の秘密になるのだと思いますが、まあスコティッシュライトの日本支部jurisdictionの過去の32階級と33階級授与者の一部になるのだと思うのですが、表彰されるという事は特別なわけで、全員が載っている訳ではないと思います。わかる人はブラザーマッカーサー位だと思いますが、その他は基本的に純日本人はほとんどいないようで、日米ハーフのブラザーかアメリカ人のブラザーなのだと思われます。まあそこ写真撮っていいのという雰囲気ではありましたが、せっかくのコンサートなのでブログのネタになると撮りまくってます。




で、コンサートの方ですが、去年とホールの場所は一緒なんですが向きが異なっていて後ろの壁が恐らく反響するのだと思いますが、ピアノがあったせいもあるかもしれませんが、音が良くなっていた分色々特にピアノ演奏で気になる事を強く感じました。天井のCharityやImmortalityの標語が印象的ですね。House of the Templeに倣った形かもしれません。音楽はフィリピンの大学の音楽学部の学部長をされているブラザーラウル・スニコのピアノなのですが、どうも私自身の下手なピアノの薬指が弱い感じを模倣されているようでとても気になってしまって納得できませんでした。まあ練習とか直前のセッションとか色々あったようでした。フィリピンは日本のグランドロッジを直接認証した関係でフリーメイスンリーの友好関係上非常に重要な国で良くグランドロッジの代表が交流を兼ねてフィリピンを訪問しています。ブラザーマッカーサーのフリーメイスンリーへの加入もフィリピンでなされたそうで、スペインとの関係やアメリカとの独立戦争や日本との関係、キリスト教やイスラム教や地方政治の問題などフィリピンの歴史や文化、現在の状況など密接にフリーメイスンリーと絡めて日本と関係しているようです。演奏前に英語であいさつしていたのが一人は横須賀ロッジの写真でよく見かけるブラザーだと思いますが100歳を超えているとからしいですが名前はちょっと良くわかりません。ブラザージョージ・パーディーに似ているのですが違うようです。とりあえず握手だけしてきました。もう一人は過去のインタビューなどにも答えていましたが、パストグランドマスターのブラザーリチャード・クライプです。JAXAで働いていたそうです。まあ音楽的には色々腑に落ちない感じでしたが、二度目というところでまあ色々あるなあと。しかし日本人参加者が大盛況でこのイベントもなかなか認知されている感じでした。


再び展示棚の中ですが、グーテンベルクの聖書が寄贈されていたりします。こういうのを見ると私のアンダーソン憲章の初版本も寄贈したほうが良いのかなとか思いますが、まあとりあえず翻訳してからで良いのでしょうね。この建物自体は東京タワーの完成前に出来上がったようです。清水建設の建築なのですね。





ヴェルニー公園にもある光る恐らく星をイメージした光るライトがありますが、グランドロッジのブルーロッジの部屋の天井もなかなか印象的で、配置に意味があるのかもしれないと思って写真を撮ったりしました。どうも完全に不規則に並んでいて星のシンボリズム以上の意味を持たせていないようです。北斗七星みたいなのはあまりフリーメイスンリー的には正統ではないようです。

各国のグランドロッジから贈られた記念品だと思われます。マサチューセッツグランドロッジのものが見えます。

盲導犬の募金箱があったりします。

壁紙も特注のシンボルが入ったものでありました。

シンボルが描かれた絵ですね。Certificate資格証明書があるのが特徴的かもしれません。

かなり大きな置時計がありました。なかなかこれは貴重な感じでした。





ヨークライト中の4団体であるテンプル騎士団やロイヤルアーチメイスンリーの許認可状があります。あまり日本ではメジャーではありませんが、アメリカ本土と同じレベルで付随団体の構成体も日本にはきちんと存在するという事です。もちろん日本人のメンバーなどは数えるほどであるかと思います。



ブラザーマッカーサーとシュライナーズの写真ですね。シュライナーズは日本では有名ではありませんが、アメリカではシュライナーズホスピタルなどでボランティア団体として有名です。赤いフェズ帽がトレードマークですが、American songsにも入れてあるシュライナーズのフェズ帽を解説した動画によると、イスラム教とキリスト教の対立の中で凄惨に殺されたキリスト教徒の血で染まった意味があるようです。なかなか金持ち団体といっても教訓は凄まじいようです。

こちらも許認可状でしょうかね。



暗い感じの富士山や鳥居を描いた風景画があります。誰か日本人のブラザーが調和を保つために置いたのでしょうね。

再び展示棚の中を見ていきます。歴代大統領のフリーメイスンが刻まれた記念の皿があります。後ろにスコティッシュライトの階級ごとの証明書があるので、恐らくスコティッシュライトの集会のときに記念して作られたものかと思われます。

これは以前も触れた33階級の帽子ですね。50というのは50年を意味するのかわかりませんが、恐らく33階級になってから50年とかそういう意味かと思われます。いわゆる普通の33階級のものとグランドコマンダーのものと、33階級候補のKCCHのものになるのだと思われます。

スコティッシュライト18階級のRose Croixのエプロンですね。勲章のような頸飾はそれぞれ33階級のもの、コンスタンティヌスの十字、KCCH、マルタ十字、スコティッシュライト14階級のリングなどです。奥にある本がブラザージョージ・アイ・パーディによる終わりのない夏という自叙伝で、石原慎太郎氏による推薦がありました。

33階級の頸飾やKCCHのもの、セクレタリーのもの、マルタ十字、ロイヤルアーチメイスンリーのキーストーンのものがあります。右の方にあるのが32階級か33階級の証明書でしょうか。

フランスのレジオンドヌール勲章の証書でしょうか。

この時はブラザーワシントンのこの絵がかかっていましたが、以前はブラザーワシントンが礎石を置く儀式の様子があったかと思います。まあアンダーソン憲章の翻訳を進めなさいというメッセージかもしれません。

ノックにこだわるのもフリーメイスンリー流ですね。

デモレーのポスターがありました。日本のデモレーは非常に数が少ないそうです。デモレーは直接フリーメイスンリーに参加するようになる教育システムだと思われます。クリントン元大統領やブラザーディズニーがメンバーであったそうです。


ロッジの利用の予定表ですね。主要なロッジの規則的な利用が現れていますね。ロッジの集会の様子やグランドマスターの名前なども見えますね。

メイソニックホールの建設に貢献したブラザー達への顕彰碑でしょうかね。

これは一般的には貴重な写真かもしれません。過去のグランドマスター達の名前です。基本的に全員のっているので日本のフリーメイスンリーを知るための基本的な資料となるかと思います。

これはこの東京シンフォニアのコンサートに特有の名刺入れです。無料のチケットが抽選でもらえるそうですが、なかなか入れる人はいないようです。





ブラザー林董の回でも触れた日本グランドロッジの顕彰碑とパストグランドマスターの記念碑です。ブラザージョージ・アイ・パーディーやブラザーデッカーの名前が新しく加えられているのが印象的です。ブラザー西周、ブラザー津田真道、ブラザー林董、ブラザーマッカーサー、ブラザー村山有、ブラザー東久邇宮、ブラザー鳩山一郎、ブラザー山田ツネらの名前が認められます。












毎度お決まりの東京タワーと月です。この日の東京タワーは紫と黄色でした。グランドロッジに反射する東京タワーがなかなか綺麗でした。
月とタワーとグランドロッジ、かつては満月の日に集まるロッジの習慣もあったそうです。基本的にユダヤ暦も月齢をもとにしており、現在でもフリーメイスンリーで月齢に基づく活動はあるようです。
月光を浴びて染めにし友愛の塔
(追記:1年前のコンサートの時の東京タワーの色と全く同じようです。どうもなかなかきゃりーぱみゅぱみゅのようでしょうか。)


おまけはパンフレットです。面白いのが広告のところで、かつて上海で活動していたマサチューセッツグランドロッジ管轄のシニムロッジが現在はこの場所で活動していて、載っていました。陰謀論ではジャーディン・マセソン商会などや洪門会などとの関係がよく言われるいわゆる上海ロッジだと思います。古くは太平天国の乱やブラザー孫文の中華民国の辛亥革命など、いわゆる上海租界、居留地で活動した中心かと思われます。現在は上海もシンボリックなタワーが建ち、改革開放経済の中国の中心的な土地であり、政治的にも上海閥が中心を占めているなどまさにアジアのフリーメイスンリーの中でも様々な注目を集める拠点がこの東京のグランドロッジ周辺で活動しているというアピールではないでしょうか。(2013/7/21追記:Sinim Lodgeは現在は検索でホームページが出てきませんが、少し前は紹介したページがあったような気がします。Sinimという名前は聖書に認められ、イザヤ書49章12節に認められる「見よ、遠くから来る 見よ、人々が北から、西から また、シニムの地から来る。」から引用されています。ウィキペディアによれば恐らくフェニキアかアスワンの古い名前かシナイ半島の砂漠かであるとされるようですが、一部の人がSinimの発音とChinaの語源であるQin秦を結びつけて、中国を意味するとしているそうです。まあいわゆる日猶同祖論というのと同じものかと思いますが、まあそういう聖書のファンタジーはいくらでもある話であるかと思われます。それがまたフリーメイスンリーの世界でもあります。)
いかがでしょうか。なかなかいつになく濃密な内容になった気がします。
コンサートに参加された方も今後参加する予定の方、グランドロッジに訪問したり、今後訪問する方も色々細かいところで参考になる事があるかもしれません。
是非色々興味を持った点についてはブラザーに聞いてみてください。知らないことについては知るための機会になりますし、様々なきっかけになることがあるかと思います。
さて日本は今週末からいわゆるゴールデンウィークと呼ばれる大型休暇期間に入ります。
5月1日を中心とした4月29日のかつての昭和天皇誕生日と5月5日の子供の日を繋ぐ休暇ですが、もちろんこのゴールデンウィークの黄金週間の意味はわかる事かと思います。5月1日がもともとローマ帝国時代の五月祭の日であり、夏の到来を祝う祭りとして前夜祭をヴァルプルギスの夜と言い、ブラザーゲーテのファウストや、シェイクスピアの真夏の夜の夢の題材となったりしているそうです。5月1日に生まれた人はブラザーサンティアゴ・ラモン・イ・カハール、ファン・ゴッホの弟テオ、ニコライ・エジョフ、北杜夫、ジョン・ウー、副島隆彦などがいます。忌日としてはデイヴィッド・リヴィングストン、ブラザーアントニン・ドヴォルザーク、ヨーゼフ・ゲッペルス、ブラザー李垠、アラム・ハチャトゥリアン、アイルトン・セナがいます。
まあ出来事としてはとにかく最もフリーメイスンリー的に大きいのが1776年のブラザーアダム・ヴァイスハウプトによるイルミナティの結成であるわけで、それに関連してか1707年のグレートブリテン連合王国の成立や、1786年のフィガロの結婚の初演、1851年の第一回万博開幕、1861年のグラバー商会設立、1862年のロンドン万博開幕、1873年のウィーン万博開幕、1886年のシカゴのストライキ(メーデーの起源)、1893年のシカゴ万博開幕、1931年のエンパイアステートビルの完成、1945年のベルリン陥落(5月2日)の前後のヒトラー自殺(4月30日)ゲッペルス自殺(5月1日)、1954年の世界基督教統一神霊協会の成立、1960年のU2墜落事件、1961年のキューバのカストロ首相が社会主義共和国を宣言、1963年の狭山事件、1994年のアイルトン・セナの追突死、2005年の北朝鮮がミサイル発射、2010年の上海国際博覧会開幕、2011年のウサーマ・ビン・ラーディンが死亡まで、ありとあらゆる事がこの日に関連して起きているようです。今年の予定としてオランダ国王の就任式が決まっているそうです。5月1日は1月1日から121日目という事もあるようで、11×11の日のようです。
このブログでも5月1日に合わせて、上記のブラザーモーツァルトコンサートの内容を出そうかと考えていたのですが、実は上述のいわゆる陰謀関連作家の副島隆彦氏解説の「秘密結社イルミナティ入会講座<初級篇>」という本が2013年1月に出版されて、これがブラザーアダム・ヴァイスハウプトの原著の邦訳で非常に面白いのでこれを読み切って内容について触れようかと思っています。要するに現在のフリーメイスンリーのスコティッシュライトの内容に極めて近いもののようであり、日本語で出版されたもので最もイルミナティについて正確なものではないかと思われ、5月1日のブログの内容として最も適切ではないかと思いました。
その他それ以前にでも現在開業10周年でゴールデンウィーク中も多数の人出が予想される六本木ヒルズで開催されているミュシャ展についても感想など書ければと思っています。
良い休日を。
場所の紹介とかは最近は有名だと思うので良いのかと思いますが、一応念の為親切に紹介する事とします。

まあ東京タワーの下と言ってもなかなか辿りつけない人もたくさんいるかと思いますので、大体地下鉄の駅で言うと神谷町という駅になるのだと思いますが、もしくは車で来るとなると近くのコインパーキングで止めるか直接横のコインパーキングに止めるかになるかと思います。六本木方面から来るとロシア大使館の警備などが目について斜め十字のシンボルのある交差点の先になります。

ストリートビューの画像ですが、ヨークライトの斜め十字のシンボルマークになるのでしょうかね。米国商工会議所が入っているそうですが、基本的に森ビルなんかと提携している貸しビルだそうです。所有権もなんかスコティッシュライトが持っていて、グランドロッジに貸している形態になっているとか細かいことが色々あるそうですが、建物のデザインなんかも含めてそういう色々な歴史が包含されているようです。横須賀なんかでは市内の各所でこのグランドロッジと似た建物の形が認められたりしますが、そういう色々な経緯で模倣しているようなところもあるみたいです。
さてまあ一応不審者よけに入り口にはインターホンがあって暗号じゃないですが、前もって連絡していないと大概入れないわけですが、イベントなので開いていて大勢入場していきます。

で有名なシンボルがあるわけですが、また撮ってしまっています。このシンボルもGravestone symbolismなんかでは時が全てを解決するなんて説明が載っていて、それを訳してこのブログに書いたりしましたが、有澤玲氏の真説フリーメイソン大百科ではヒラム・アビフの骨壷みたいな話で、新しくイングランドグランドロッジが検討して作成したシンボルなんて解説が載っていて、なかなか謎な感じですが、基本的にはフリーメイスンリー固有の夭折をテーマとした大天使と乙女というまああまり一般人には馴染みが薄い感じの教訓的なシンボルの像という事になるのだと思います。記念碑monumentという名で呼ばれるそうです。Phoenixmasonryに英語で解説したページがありましたのでリンクを置きます。基本的にはGravestone symbolismにある内容で問題ないようです。その他さらにカバラの3本の柱と関連して深い意味を追求したフリーメイスンの論文がありましたのでリンクしておきます。

何かの記念で作った漆塗りのお皿の組み合わせがあります。

以前のスコティッシュライトのグランドコマンダーのブラザーロナルド・シール寄贈の33階級の帽子のようです。基本的に大きなホールがスコティッシュライトのホールなのですが、どうもまあブルーロッジとの権利関係はそういう設定があるようで、展示もなかなか毎回微妙に異なり、意味が込められていて、その意味をくみ取らないといけないようで難しいです。
























こちらが今回の目玉の秘密になるのだと思いますが、まあスコティッシュライトの日本支部jurisdictionの過去の32階級と33階級授与者の一部になるのだと思うのですが、表彰されるという事は特別なわけで、全員が載っている訳ではないと思います。わかる人はブラザーマッカーサー位だと思いますが、その他は基本的に純日本人はほとんどいないようで、日米ハーフのブラザーかアメリカ人のブラザーなのだと思われます。まあそこ写真撮っていいのという雰囲気ではありましたが、せっかくのコンサートなのでブログのネタになると撮りまくってます。




で、コンサートの方ですが、去年とホールの場所は一緒なんですが向きが異なっていて後ろの壁が恐らく反響するのだと思いますが、ピアノがあったせいもあるかもしれませんが、音が良くなっていた分色々特にピアノ演奏で気になる事を強く感じました。天井のCharityやImmortalityの標語が印象的ですね。House of the Templeに倣った形かもしれません。音楽はフィリピンの大学の音楽学部の学部長をされているブラザーラウル・スニコのピアノなのですが、どうも私自身の下手なピアノの薬指が弱い感じを模倣されているようでとても気になってしまって納得できませんでした。まあ練習とか直前のセッションとか色々あったようでした。フィリピンは日本のグランドロッジを直接認証した関係でフリーメイスンリーの友好関係上非常に重要な国で良くグランドロッジの代表が交流を兼ねてフィリピンを訪問しています。ブラザーマッカーサーのフリーメイスンリーへの加入もフィリピンでなされたそうで、スペインとの関係やアメリカとの独立戦争や日本との関係、キリスト教やイスラム教や地方政治の問題などフィリピンの歴史や文化、現在の状況など密接にフリーメイスンリーと絡めて日本と関係しているようです。演奏前に英語であいさつしていたのが一人は横須賀ロッジの写真でよく見かけるブラザーだと思いますが100歳を超えているとからしいですが名前はちょっと良くわかりません。ブラザージョージ・パーディーに似ているのですが違うようです。とりあえず握手だけしてきました。もう一人は過去のインタビューなどにも答えていましたが、パストグランドマスターのブラザーリチャード・クライプです。JAXAで働いていたそうです。まあ音楽的には色々腑に落ちない感じでしたが、二度目というところでまあ色々あるなあと。しかし日本人参加者が大盛況でこのイベントもなかなか認知されている感じでした。


再び展示棚の中ですが、グーテンベルクの聖書が寄贈されていたりします。こういうのを見ると私のアンダーソン憲章の初版本も寄贈したほうが良いのかなとか思いますが、まあとりあえず翻訳してからで良いのでしょうね。この建物自体は東京タワーの完成前に出来上がったようです。清水建設の建築なのですね。





ヴェルニー公園にもある光る恐らく星をイメージした光るライトがありますが、グランドロッジのブルーロッジの部屋の天井もなかなか印象的で、配置に意味があるのかもしれないと思って写真を撮ったりしました。どうも完全に不規則に並んでいて星のシンボリズム以上の意味を持たせていないようです。北斗七星みたいなのはあまりフリーメイスンリー的には正統ではないようです。

各国のグランドロッジから贈られた記念品だと思われます。マサチューセッツグランドロッジのものが見えます。

盲導犬の募金箱があったりします。

壁紙も特注のシンボルが入ったものでありました。

シンボルが描かれた絵ですね。Certificate資格証明書があるのが特徴的かもしれません。

かなり大きな置時計がありました。なかなかこれは貴重な感じでした。





ヨークライト中の4団体であるテンプル騎士団やロイヤルアーチメイスンリーの許認可状があります。あまり日本ではメジャーではありませんが、アメリカ本土と同じレベルで付随団体の構成体も日本にはきちんと存在するという事です。もちろん日本人のメンバーなどは数えるほどであるかと思います。



ブラザーマッカーサーとシュライナーズの写真ですね。シュライナーズは日本では有名ではありませんが、アメリカではシュライナーズホスピタルなどでボランティア団体として有名です。赤いフェズ帽がトレードマークですが、American songsにも入れてあるシュライナーズのフェズ帽を解説した動画によると、イスラム教とキリスト教の対立の中で凄惨に殺されたキリスト教徒の血で染まった意味があるようです。なかなか金持ち団体といっても教訓は凄まじいようです。

こちらも許認可状でしょうかね。



暗い感じの富士山や鳥居を描いた風景画があります。誰か日本人のブラザーが調和を保つために置いたのでしょうね。

再び展示棚の中を見ていきます。歴代大統領のフリーメイスンが刻まれた記念の皿があります。後ろにスコティッシュライトの階級ごとの証明書があるので、恐らくスコティッシュライトの集会のときに記念して作られたものかと思われます。

これは以前も触れた33階級の帽子ですね。50というのは50年を意味するのかわかりませんが、恐らく33階級になってから50年とかそういう意味かと思われます。いわゆる普通の33階級のものとグランドコマンダーのものと、33階級候補のKCCHのものになるのだと思われます。

スコティッシュライト18階級のRose Croixのエプロンですね。勲章のような頸飾はそれぞれ33階級のもの、コンスタンティヌスの十字、KCCH、マルタ十字、スコティッシュライト14階級のリングなどです。奥にある本がブラザージョージ・アイ・パーディによる終わりのない夏という自叙伝で、石原慎太郎氏による推薦がありました。

33階級の頸飾やKCCHのもの、セクレタリーのもの、マルタ十字、ロイヤルアーチメイスンリーのキーストーンのものがあります。右の方にあるのが32階級か33階級の証明書でしょうか。

フランスのレジオンドヌール勲章の証書でしょうか。

この時はブラザーワシントンのこの絵がかかっていましたが、以前はブラザーワシントンが礎石を置く儀式の様子があったかと思います。まあアンダーソン憲章の翻訳を進めなさいというメッセージかもしれません。

ノックにこだわるのもフリーメイスンリー流ですね。

デモレーのポスターがありました。日本のデモレーは非常に数が少ないそうです。デモレーは直接フリーメイスンリーに参加するようになる教育システムだと思われます。クリントン元大統領やブラザーディズニーがメンバーであったそうです。


ロッジの利用の予定表ですね。主要なロッジの規則的な利用が現れていますね。ロッジの集会の様子やグランドマスターの名前なども見えますね。

メイソニックホールの建設に貢献したブラザー達への顕彰碑でしょうかね。

これは一般的には貴重な写真かもしれません。過去のグランドマスター達の名前です。基本的に全員のっているので日本のフリーメイスンリーを知るための基本的な資料となるかと思います。

これはこの東京シンフォニアのコンサートに特有の名刺入れです。無料のチケットが抽選でもらえるそうですが、なかなか入れる人はいないようです。





ブラザー林董の回でも触れた日本グランドロッジの顕彰碑とパストグランドマスターの記念碑です。ブラザージョージ・アイ・パーディーやブラザーデッカーの名前が新しく加えられているのが印象的です。ブラザー西周、ブラザー津田真道、ブラザー林董、ブラザーマッカーサー、ブラザー村山有、ブラザー東久邇宮、ブラザー鳩山一郎、ブラザー山田ツネらの名前が認められます。












毎度お決まりの東京タワーと月です。この日の東京タワーは紫と黄色でした。グランドロッジに反射する東京タワーがなかなか綺麗でした。
月とタワーとグランドロッジ、かつては満月の日に集まるロッジの習慣もあったそうです。基本的にユダヤ暦も月齢をもとにしており、現在でもフリーメイスンリーで月齢に基づく活動はあるようです。
月光を浴びて染めにし友愛の塔
(追記:1年前のコンサートの時の東京タワーの色と全く同じようです。どうもなかなかきゃりーぱみゅぱみゅのようでしょうか。)


おまけはパンフレットです。面白いのが広告のところで、かつて上海で活動していたマサチューセッツグランドロッジ管轄のシニムロッジが現在はこの場所で活動していて、載っていました。陰謀論ではジャーディン・マセソン商会などや洪門会などとの関係がよく言われるいわゆる上海ロッジだと思います。古くは太平天国の乱やブラザー孫文の中華民国の辛亥革命など、いわゆる上海租界、居留地で活動した中心かと思われます。現在は上海もシンボリックなタワーが建ち、改革開放経済の中国の中心的な土地であり、政治的にも上海閥が中心を占めているなどまさにアジアのフリーメイスンリーの中でも様々な注目を集める拠点がこの東京のグランドロッジ周辺で活動しているというアピールではないでしょうか。(2013/7/21追記:Sinim Lodgeは現在は検索でホームページが出てきませんが、少し前は紹介したページがあったような気がします。Sinimという名前は聖書に認められ、イザヤ書49章12節に認められる「見よ、遠くから来る 見よ、人々が北から、西から また、シニムの地から来る。」から引用されています。ウィキペディアによれば恐らくフェニキアかアスワンの古い名前かシナイ半島の砂漠かであるとされるようですが、一部の人がSinimの発音とChinaの語源であるQin秦を結びつけて、中国を意味するとしているそうです。まあいわゆる日猶同祖論というのと同じものかと思いますが、まあそういう聖書のファンタジーはいくらでもある話であるかと思われます。それがまたフリーメイスンリーの世界でもあります。)
いかがでしょうか。なかなかいつになく濃密な内容になった気がします。
コンサートに参加された方も今後参加する予定の方、グランドロッジに訪問したり、今後訪問する方も色々細かいところで参考になる事があるかもしれません。
是非色々興味を持った点についてはブラザーに聞いてみてください。知らないことについては知るための機会になりますし、様々なきっかけになることがあるかと思います。
さて日本は今週末からいわゆるゴールデンウィークと呼ばれる大型休暇期間に入ります。
5月1日を中心とした4月29日のかつての昭和天皇誕生日と5月5日の子供の日を繋ぐ休暇ですが、もちろんこのゴールデンウィークの黄金週間の意味はわかる事かと思います。5月1日がもともとローマ帝国時代の五月祭の日であり、夏の到来を祝う祭りとして前夜祭をヴァルプルギスの夜と言い、ブラザーゲーテのファウストや、シェイクスピアの真夏の夜の夢の題材となったりしているそうです。5月1日に生まれた人はブラザーサンティアゴ・ラモン・イ・カハール、ファン・ゴッホの弟テオ、ニコライ・エジョフ、北杜夫、ジョン・ウー、副島隆彦などがいます。忌日としてはデイヴィッド・リヴィングストン、ブラザーアントニン・ドヴォルザーク、ヨーゼフ・ゲッペルス、ブラザー李垠、アラム・ハチャトゥリアン、アイルトン・セナがいます。
まあ出来事としてはとにかく最もフリーメイスンリー的に大きいのが1776年のブラザーアダム・ヴァイスハウプトによるイルミナティの結成であるわけで、それに関連してか1707年のグレートブリテン連合王国の成立や、1786年のフィガロの結婚の初演、1851年の第一回万博開幕、1861年のグラバー商会設立、1862年のロンドン万博開幕、1873年のウィーン万博開幕、1886年のシカゴのストライキ(メーデーの起源)、1893年のシカゴ万博開幕、1931年のエンパイアステートビルの完成、1945年のベルリン陥落(5月2日)の前後のヒトラー自殺(4月30日)ゲッペルス自殺(5月1日)、1954年の世界基督教統一神霊協会の成立、1960年のU2墜落事件、1961年のキューバのカストロ首相が社会主義共和国を宣言、1963年の狭山事件、1994年のアイルトン・セナの追突死、2005年の北朝鮮がミサイル発射、2010年の上海国際博覧会開幕、2011年のウサーマ・ビン・ラーディンが死亡まで、ありとあらゆる事がこの日に関連して起きているようです。今年の予定としてオランダ国王の就任式が決まっているそうです。5月1日は1月1日から121日目という事もあるようで、11×11の日のようです。
このブログでも5月1日に合わせて、上記のブラザーモーツァルトコンサートの内容を出そうかと考えていたのですが、実は上述のいわゆる陰謀関連作家の副島隆彦氏解説の「秘密結社イルミナティ入会講座<初級篇>」という本が2013年1月に出版されて、これがブラザーアダム・ヴァイスハウプトの原著の邦訳で非常に面白いのでこれを読み切って内容について触れようかと思っています。要するに現在のフリーメイスンリーのスコティッシュライトの内容に極めて近いもののようであり、日本語で出版されたもので最もイルミナティについて正確なものではないかと思われ、5月1日のブログの内容として最も適切ではないかと思いました。
その他それ以前にでも現在開業10周年でゴールデンウィーク中も多数の人出が予想される六本木ヒルズで開催されているミュシャ展についても感想など書ければと思っています。
良い休日を。
さてでは予告通り東京六本木ヒルズの森アーツセンターギャラリーで5月19日まで開催中のミュシャ展についてです。

六本木ヒルズも開業10周年という事で東京タワーが虹色にライトアップしたとか、森ビルの社長で有名であった創業者次男の森稔氏が2012年3月8日に亡くなり、その未亡人の森佳子氏が2013年3月27日にフランス共和国より「レジオン・ドヌール勲章」を受章し、「シュヴァリエ」に叙されたとかでそれぞれニュースにもなっていたかと思いますが、前回触れたようにグランドロッジのある東京メソニックビルディングも森ビルを通じて賃貸をしているなど様々に繋がりがあり、六本木ヒルズの頂上にある森アーツセンターもそういった海外からのフリーメイスンリー関連の提携といった感じで時々面白い展覧会をしている事があります。

以前も恐竜博や大英博物館の死者の書の展示などを観に行ったりしたのですが、どちらも横浜ロッジのフリーメイスンが関係しているとは知っていたのですがかなり遠回しな感じで直接的な印象ではありませんでした。
六本木ヒルズもフクロウの形をしているとかテレビ東京の番組で陰謀論で取り上げたりしていましたが、その他には666の数字に絡めて住所などを取り上げられていたかと思いますが、まあビルの基部の方のゴツゴツしたラフアシュラーな感じや美術館へ上るところの三階層の螺旋階段などいわゆるかなりきちんとした形ではありませんが一部フリーメイスンリーのシンボリズムを踏襲しているところが認められます。






新しくできたのだと思いますが、六本木ヒルズのちょうど東京タワーが見えるところにバラ園とバラのモチーフと西洋風あずまやができていました。典型的なフリーメイスンリーのシンボルです。待ち合わせにちょうど良い感じですがちょっと狭いでしょうか。
でまあ都内では国立新美術館や国立西洋美術館、三菱一号館美術館などとともにフリーメイスンリー関連の展覧会の開催で期待していたわけですが、ミュシャ展をやっているという事でこれは様子を観に行かないといけないと先日行ってきました。
展覧会ではその通り解説していましたがブラザーアルフォンス・ミュシャはチェコスロバキアの著名なフリーメイスンでスコティッシュライトのグランドコマンダーを務めたそうです。Grand Lodge of British Columbia and Yukonのホームページをリンクしておきます。
ミュシャ財団のホームページへのリンクもおきます。今回の展覧会もこのミュシャ財団の所蔵の作品だそうで、プラハにはミュシャ美術館がありそこに収蔵されているようです。
今回の展示ではかなり多くの作品が系統だって展示されていて、恐らくこれまでのミュシャ展の中では最大規模なのだと思いますが、メインは四季や四芸術であったかと思います。スラブ叙事詩など大作はプラハまで見に来てくださいという内容でした。



その中でも最も入場者を驚かせていたと思うのが突然おかれていたブラザーミュシャの作ったチェコスロバキアのフリーメイスン入会証明書だと思います。他のブログからお借りしました。

まあなかなか直接的にこういう展示があることはこれまで無かったかと思いますので画期的なのではないかと思っています。(追記:戦中の昭和18年1月16日から1月31日まで銀座松屋で国際秘密力とフリーメーソンリー展という題名で開かれた展示会があったそうです。内容については詳しくわかりませんが、似たような世相なのかもしれませんね。)
ブラザーミュシャの作品ではその他に主の祈りやヘッダーにも使用している黄道十二宮などでシンボリズムが認められるかと思います。


主の祈りではAll Seeing Eyeが認められ、黄道十二宮では十二星座と太陽と月のデザインが認められます。
その他ブラザーミュシャの作品では星のシンボルが多用されていたり、四連作など四元徳や四元素に繋がるものがあります。
最後にミュシャ財団のホームページにあったブラザーミュシャのグランドコマンダーの正装姿の写真を載せておきます。

ブラザーアルフォンス・マリア・ミュシャはチェコスロバキア出身の画家でパリでの女優サラ・ベルナールのポスター作成で名声を博し、その後アメリカに渡りボストン交響楽団が演奏したブラザースメタナのモルダウを聴いてチェコスロバキアの民族主義に目醒め、チェコスロバキアの独立のために故郷で貢献しましたが、最後はナチス占領下で失意の中の死を迎えました。

ブラザーミュシャの作によるプラハ聖ヴィート大聖堂ステンドグラスにはΧΡのシンボリズムを認めます。
第二次世界大戦後の共産化したチェコスロバキアではブラザーミュシャは評価されませんでしたが、1968年のプラハの春後に再評価されたそうです。ブラザーエドヴァルド・ベネシュらによってチェコスロバキアは連合した共和国を形成していましたが、1992年に民主化後に分離して二つの国に分かれました。
ブラザーミュシャの祖国チェコの出身者としてはフランツ・カフカやブラザーヨセフ・スク、ブラザーベドジフ・スメタナ、ブラザーアントニン・ドヴォルザーク 、ヴィーチェスラフ・ノヴァーク、エトムント・フッサール、ジークムント・フロイト、フェリー・ポルシェ、ブラザーグスタフ・マーラー、グレゴール・ヨハン・メンデル、ライナー・マリア・リルケ、フランツ・クサヴァー・リヒター、ヤン・レッツェル、グスタフ・クリムト(追記:彼もフリーメイスンのようです。代表作であるアデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像ではAll Seeing Eyeを認めています。)、フランツ・シューベルト、ベルタ・フォン・ズットナーらがいます。
ちなみにブラザーミュシャは生誕が1860年7月24日で亡くなったのが1939年7月14日という事でフランス革命勃発のバスティーユ監獄襲撃からちょうど150年後に亡くなったようです。ブラザーミュシャはフランスパリで1898年にフリーメイスンとなり、チェコのフリーメイスンリー創設者となりました。
Lux e tenebris

六本木ヒルズも開業10周年という事で東京タワーが虹色にライトアップしたとか、森ビルの社長で有名であった創業者次男の森稔氏が2012年3月8日に亡くなり、その未亡人の森佳子氏が2013年3月27日にフランス共和国より「レジオン・ドヌール勲章」を受章し、「シュヴァリエ」に叙されたとかでそれぞれニュースにもなっていたかと思いますが、前回触れたようにグランドロッジのある東京メソニックビルディングも森ビルを通じて賃貸をしているなど様々に繋がりがあり、六本木ヒルズの頂上にある森アーツセンターもそういった海外からのフリーメイスンリー関連の提携といった感じで時々面白い展覧会をしている事があります。

以前も恐竜博や大英博物館の死者の書の展示などを観に行ったりしたのですが、どちらも横浜ロッジのフリーメイスンが関係しているとは知っていたのですがかなり遠回しな感じで直接的な印象ではありませんでした。
六本木ヒルズもフクロウの形をしているとかテレビ東京の番組で陰謀論で取り上げたりしていましたが、その他には666の数字に絡めて住所などを取り上げられていたかと思いますが、まあビルの基部の方のゴツゴツしたラフアシュラーな感じや美術館へ上るところの三階層の螺旋階段などいわゆるかなりきちんとした形ではありませんが一部フリーメイスンリーのシンボリズムを踏襲しているところが認められます。






新しくできたのだと思いますが、六本木ヒルズのちょうど東京タワーが見えるところにバラ園とバラのモチーフと西洋風あずまやができていました。典型的なフリーメイスンリーのシンボルです。待ち合わせにちょうど良い感じですがちょっと狭いでしょうか。
でまあ都内では国立新美術館や国立西洋美術館、三菱一号館美術館などとともにフリーメイスンリー関連の展覧会の開催で期待していたわけですが、ミュシャ展をやっているという事でこれは様子を観に行かないといけないと先日行ってきました。
展覧会ではその通り解説していましたがブラザーアルフォンス・ミュシャはチェコスロバキアの著名なフリーメイスンでスコティッシュライトのグランドコマンダーを務めたそうです。Grand Lodge of British Columbia and Yukonのホームページをリンクしておきます。
ミュシャ財団のホームページへのリンクもおきます。今回の展覧会もこのミュシャ財団の所蔵の作品だそうで、プラハにはミュシャ美術館がありそこに収蔵されているようです。
今回の展示ではかなり多くの作品が系統だって展示されていて、恐らくこれまでのミュシャ展の中では最大規模なのだと思いますが、メインは四季や四芸術であったかと思います。スラブ叙事詩など大作はプラハまで見に来てくださいという内容でした。



その中でも最も入場者を驚かせていたと思うのが突然おかれていたブラザーミュシャの作ったチェコスロバキアのフリーメイスン入会証明書だと思います。他のブログからお借りしました。

まあなかなか直接的にこういう展示があることはこれまで無かったかと思いますので画期的なのではないかと思っています。(追記:戦中の昭和18年1月16日から1月31日まで銀座松屋で国際秘密力とフリーメーソンリー展という題名で開かれた展示会があったそうです。内容については詳しくわかりませんが、似たような世相なのかもしれませんね。)
ブラザーミュシャの作品ではその他に主の祈りやヘッダーにも使用している黄道十二宮などでシンボリズムが認められるかと思います。


主の祈りではAll Seeing Eyeが認められ、黄道十二宮では十二星座と太陽と月のデザインが認められます。
その他ブラザーミュシャの作品では星のシンボルが多用されていたり、四連作など四元徳や四元素に繋がるものがあります。
最後にミュシャ財団のホームページにあったブラザーミュシャのグランドコマンダーの正装姿の写真を載せておきます。

ブラザーアルフォンス・マリア・ミュシャはチェコスロバキア出身の画家でパリでの女優サラ・ベルナールのポスター作成で名声を博し、その後アメリカに渡りボストン交響楽団が演奏したブラザースメタナのモルダウを聴いてチェコスロバキアの民族主義に目醒め、チェコスロバキアの独立のために故郷で貢献しましたが、最後はナチス占領下で失意の中の死を迎えました。

ブラザーミュシャの作によるプラハ聖ヴィート大聖堂ステンドグラスにはΧΡのシンボリズムを認めます。
第二次世界大戦後の共産化したチェコスロバキアではブラザーミュシャは評価されませんでしたが、1968年のプラハの春後に再評価されたそうです。ブラザーエドヴァルド・ベネシュらによってチェコスロバキアは連合した共和国を形成していましたが、1992年に民主化後に分離して二つの国に分かれました。
ブラザーミュシャの祖国チェコの出身者としてはフランツ・カフカやブラザーヨセフ・スク、ブラザーベドジフ・スメタナ、ブラザーアントニン・ドヴォルザーク 、ヴィーチェスラフ・ノヴァーク、エトムント・フッサール、ジークムント・フロイト、フェリー・ポルシェ、ブラザーグスタフ・マーラー、グレゴール・ヨハン・メンデル、ライナー・マリア・リルケ、フランツ・クサヴァー・リヒター、ヤン・レッツェル、グスタフ・クリムト(追記:彼もフリーメイスンのようです。代表作であるアデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像ではAll Seeing Eyeを認めています。)、フランツ・シューベルト、ベルタ・フォン・ズットナーらがいます。
ちなみにブラザーミュシャは生誕が1860年7月24日で亡くなったのが1939年7月14日という事でフランス革命勃発のバスティーユ監獄襲撃からちょうど150年後に亡くなったようです。ブラザーミュシャはフランスパリで1898年にフリーメイスンとなり、チェコのフリーメイスンリー創設者となりました。
Lux e tenebris
唐突な感じですが、5月1日に向けた前座のような感じです。
ルーヴル美術館の続きのブログを作成していたのですが、途中でインターネットの接続が止まってしまい、もう少し格調高い内容で創造することとしました。
さて1776年は何の年かと言われてすぐに答えられる人はかなり予習のできている人ですね。
まあ何度も何度もこのブログで触れているので真剣に読んでいる人はまたかみたいな感じかもしれません。
いわゆるアメリカの独立の年です。7月4日に独立宣言発布ですね。やはりこのブログの最大の特色かもしれませんが、ウィキペディアのコピペをおきましょう。
1月10日 - トマス・ペインが『コモンセンス』を刊行。
3月9日 - アダム・スミスが『国富論(諸国民の富の性質と原因の研究)』を刊行。
3月25日 - アメリカ独立戦争: サンピエールの戦い
7月4日 - アメリカ独立宣言発布。
ネッケル、フランス財務総監就任(-1781年)。
清にて和珅、軍機大臣就任。
李氏朝鮮にて奎章閣設置。
クックの第3次太平洋探検(-1779年)。
ブラザートマス・ペインの「コモンセンス」は非常に重要ですね。日本語訳を読みましたが、英文の原文のもの、またThe Age of Reasonを読んでいませんのでいずれ読んだらこのブログで取り上げたいかと思います。これはかつて横浜ロッジのブラザーに勧められたのでした。
もちろんゴールデンウィークでこの話な訳でくどいようですが5月1日にブラザーアダム・ヴァイスハウプトがイルミナティを結成です。副島隆彦氏の解説の訳本も半分ほど読みましたが、やはり理性に対する絶対的な信仰というところで、24年前に生まれたカントの「純粋理性批判」などの影響が著明に認められる、いわば啓蒙思想の行動論、実践論という指導書のようなところのようです。共産主義における行動の理論としてのマルクス、エンゲルスのような存在が啓蒙主義におけるブラザーアダム・ヴァイスハウプトなのかもしれません。(ブラザーアダム・ヴァイスハウプト自身は1777年にフリーメイスンとなったようです。1666年驚異の年に匹敵するゾロ目の年であったのかもしれません。)


(英語版ウィキペディアにはイルミナティの原著の挿絵としてミネルヴァのフクロウの図が用いられていたとありました。ここから知恵の象徴としてのフクロウとイルミナティがシンボルとして繋がるようです。フェニックスメイスンリーで教わりましたが、ボヘミアンクラブというサンフランシスコにある会員制クラブの象徴もこのフクロウのようです。ボヘミアはチェコの地方であり、この辺りがブラザーミュシャの話とも繋がるようです。なかなかヨーロッパは深いです。ジャコバンクラブとブルターニュ地方との関係などもあり、まさにGeopolitics地政学というところでしょうか。)
まあ実際にはイルミナティのウィキペディアにあるようにilluminatiの反対にしたhttp://www.itanimulli.com/と入力するとアメリカ国家安全保障局NSAのホームページに当たるという事を考えると、イルミナティの思想は世界的に成功しつつあるのかもしれません。


NSAについては私は詳しくありませんが、実質的には有名なエシュロンを管轄するペンタゴン(米国国防総省)の情報組織のようです。日本のフリーメイスンでも三沢基地のメンバーはその仕事が多いようで、わたしのブログもその一端でもあるようです。ブラザーダン・ブラウンの処女作であるパズル・パレスという作品もNSAの活動についてのもののようです。まあCIAなどと絡めて情報戦略という中で聖書の時代より存在する人と人との接触によるメディアとしての文字情報というものが歴史を作り世の中を動かしていくというそういう話であり、まあそういう事を考えるには休みも必要だよというのがゴールデンウィークなんでしょうね。
まあ全く読んでいない本をこのブログで薦めるのは初めてなんですが、NSAの基礎知識的な本のようで、ブラザーダン・ブラウンの「ロストシンボル」もやはりフリーメイスンリーについて適切なようなのでこちらも薦めておきます。
朝から憲法改正なんてのがテレビでやっていましたが、結局最も大事なのはアメリカ建国の話と一緒でそれら理念について議論する事、意見を公にする事、理論や理想を追求する事に労力を厭わない事、これらが非常に大事なのだと思いますし、そのために常に蓄えを持つ暮らしをしなければならないのだと思います。現在の日本に必要なのが本当に憲法改正であるとは思えませんが、国や組織という人間集団について常に理念をもってあたるというのは必要なことであり、それはブラザーアダム・ヴァイスハウプトが述べているように過去の積み上げたものをきちんと継承していくものであることは当然のものであるかと思います。日本の過去の歴史を冷静に緻密に振り返り今後に必要な事について正しく対処していく中であらゆる立法や司法、行政の仕組みを適切に構築していくのは常時必要とされている義務ですが、それらの遅滞によって多くの問題が生じうるのがまた変化の激しい今日の社会でもあります。
ブラザーマッカーサーが行った数々の業績の中の恐らく大きな主要なものがこの日本国憲法の成立であり、このブログでもパーフェクトアシュラーとして記念碑が残るものとして大日本帝国憲法の成立がありましたが、明治の開国以降の歴史を綿密に振り返り我が国の歴史の中で何が重要であり、何が間違いであり、今日求めらるものが本当に何なのかについて飽くことなく検証する事が必要なのかと思われました。
結局それらと5月1日のオランダ国王の即位式への日本の皇太子夫妻の出席などが現実として関係してくるのだと思われます。まあ親切すぎるブログでしょうか?
(2013/5/11追記:9.11テロで崩壊したツインタワーの代わりに完成した1ワールドトレードセンターが1776フィートの高さのようです。もちろんOne Worldというイルミナティの理想を表したものかと思われます。)
ルーヴル美術館の続きのブログを作成していたのですが、途中でインターネットの接続が止まってしまい、もう少し格調高い内容で創造することとしました。
さて1776年は何の年かと言われてすぐに答えられる人はかなり予習のできている人ですね。
まあ何度も何度もこのブログで触れているので真剣に読んでいる人はまたかみたいな感じかもしれません。
いわゆるアメリカの独立の年です。7月4日に独立宣言発布ですね。やはりこのブログの最大の特色かもしれませんが、ウィキペディアのコピペをおきましょう。
1月10日 - トマス・ペインが『コモンセンス』を刊行。
3月9日 - アダム・スミスが『国富論(諸国民の富の性質と原因の研究)』を刊行。
3月25日 - アメリカ独立戦争: サンピエールの戦い
7月4日 - アメリカ独立宣言発布。
ネッケル、フランス財務総監就任(-1781年)。
清にて和珅、軍機大臣就任。
李氏朝鮮にて奎章閣設置。
クックの第3次太平洋探検(-1779年)。
ブラザートマス・ペインの「コモンセンス」は非常に重要ですね。日本語訳を読みましたが、英文の原文のもの、またThe Age of Reasonを読んでいませんのでいずれ読んだらこのブログで取り上げたいかと思います。これはかつて横浜ロッジのブラザーに勧められたのでした。
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もちろんゴールデンウィークでこの話な訳でくどいようですが5月1日にブラザーアダム・ヴァイスハウプトがイルミナティを結成です。副島隆彦氏の解説の訳本も半分ほど読みましたが、やはり理性に対する絶対的な信仰というところで、24年前に生まれたカントの「純粋理性批判」などの影響が著明に認められる、いわば啓蒙思想の行動論、実践論という指導書のようなところのようです。共産主義における行動の理論としてのマルクス、エンゲルスのような存在が啓蒙主義におけるブラザーアダム・ヴァイスハウプトなのかもしれません。(ブラザーアダム・ヴァイスハウプト自身は1777年にフリーメイスンとなったようです。1666年驚異の年に匹敵するゾロ目の年であったのかもしれません。)


(英語版ウィキペディアにはイルミナティの原著の挿絵としてミネルヴァのフクロウの図が用いられていたとありました。ここから知恵の象徴としてのフクロウとイルミナティがシンボルとして繋がるようです。フェニックスメイスンリーで教わりましたが、ボヘミアンクラブというサンフランシスコにある会員制クラブの象徴もこのフクロウのようです。ボヘミアはチェコの地方であり、この辺りがブラザーミュシャの話とも繋がるようです。なかなかヨーロッパは深いです。ジャコバンクラブとブルターニュ地方との関係などもあり、まさにGeopolitics地政学というところでしょうか。)
まあ実際にはイルミナティのウィキペディアにあるようにilluminatiの反対にしたhttp://www.itanimulli.com/と入力するとアメリカ国家安全保障局NSAのホームページに当たるという事を考えると、イルミナティの思想は世界的に成功しつつあるのかもしれません。


NSAについては私は詳しくありませんが、実質的には有名なエシュロンを管轄するペンタゴン(米国国防総省)の情報組織のようです。日本のフリーメイスンでも三沢基地のメンバーはその仕事が多いようで、わたしのブログもその一端でもあるようです。ブラザーダン・ブラウンの処女作であるパズル・パレスという作品もNSAの活動についてのもののようです。まあCIAなどと絡めて情報戦略という中で聖書の時代より存在する人と人との接触によるメディアとしての文字情報というものが歴史を作り世の中を動かしていくというそういう話であり、まあそういう事を考えるには休みも必要だよというのがゴールデンウィークなんでしょうね。
![]() | パズル・パレス(上) (角川文庫) (2012/12/26) ダン・ブラウン、越前 敏弥 他 商品詳細を見る |
![]() | パズル・パレス(下) (角川文庫) (2012/12/26) ダン・ブラウン、越前 敏弥 他 商品詳細を見る |
まあ全く読んでいない本をこのブログで薦めるのは初めてなんですが、NSAの基礎知識的な本のようで、ブラザーダン・ブラウンの「ロストシンボル」もやはりフリーメイスンリーについて適切なようなのでこちらも薦めておきます。
朝から憲法改正なんてのがテレビでやっていましたが、結局最も大事なのはアメリカ建国の話と一緒でそれら理念について議論する事、意見を公にする事、理論や理想を追求する事に労力を厭わない事、これらが非常に大事なのだと思いますし、そのために常に蓄えを持つ暮らしをしなければならないのだと思います。現在の日本に必要なのが本当に憲法改正であるとは思えませんが、国や組織という人間集団について常に理念をもってあたるというのは必要なことであり、それはブラザーアダム・ヴァイスハウプトが述べているように過去の積み上げたものをきちんと継承していくものであることは当然のものであるかと思います。日本の過去の歴史を冷静に緻密に振り返り今後に必要な事について正しく対処していく中であらゆる立法や司法、行政の仕組みを適切に構築していくのは常時必要とされている義務ですが、それらの遅滞によって多くの問題が生じうるのがまた変化の激しい今日の社会でもあります。
ブラザーマッカーサーが行った数々の業績の中の恐らく大きな主要なものがこの日本国憲法の成立であり、このブログでもパーフェクトアシュラーとして記念碑が残るものとして大日本帝国憲法の成立がありましたが、明治の開国以降の歴史を綿密に振り返り我が国の歴史の中で何が重要であり、何が間違いであり、今日求めらるものが本当に何なのかについて飽くことなく検証する事が必要なのかと思われました。
結局それらと5月1日のオランダ国王の即位式への日本の皇太子夫妻の出席などが現実として関係してくるのだと思われます。まあ親切すぎるブログでしょうか?
(2013/5/11追記:9.11テロで崩壊したツインタワーの代わりに完成した1ワールドトレードセンターが1776フィートの高さのようです。もちろんOne Worldというイルミナティの理想を表したものかと思われます。)
![]() | 終わりのない夏―ジョージ・アイ・パーディーの生涯 (2001/09) トーマス コールドウェル 商品詳細を見る |
この本をグランドロッジの展示棚で最初に見たのはいつか忘れましたが、推薦しているという石原慎太郎氏の名前が印象に残り、石原氏のニュースなどが出るとなかなか色々なつながりがあるのだなとか思ったりしていました。筆者が故人である事も知らずグランドロッジで見かけるアメリカ人フリーメイスンの高齢者を見るとこの人があのブラザージョージ・アイ・パーディーなのかとか思ったりしていましたが、現在この本を読了しブラザージョージ・アイ・パーディが逗子マリーナに長く住まい、最後を鎌倉の病院で2000年に亡くなったと知り私も色々と知った土地であり様々な繋がりを感じているものであります。かつてこのブログでも取り上げた「日本に君臨するもの―フリーメーソン日本ロッジ幹部の証言」で原子力関係の配管の会社を多く経営されていたとあり、ちょうど福島原発の事故などあった後であり、様々な因縁を感じたものでした。日銀地下金庫のダイヤモンドの拾得の話など、わたしも少なからぬ因縁のある世耕一族の追及など聞いた事もあり、なかなかにまさにブラザーコナン・ドイルの描く「緋色の研究」のごとき目に見えぬこの世の繋がりを様々に感じる方の自伝でありました。
少し読者の興味を喚起するように内容について触れると、題名となった終わりのない夏とは筆者が少年時代に友達と二人で無人島で夏休みを経験した、まさにロビンソン・クルーソーの物語のような体験が原風景となり、またブラザーリンドバーグとの偶然の出会いなどと、それら冒険心に富んだ素質を見込まれてか、会った事のない叔父さんが死後に32階級のリングを渡してくれるなどあり、その後31歳でフリーメイスンとなり、その後海軍軍人となって大西洋から太平洋を周り、艦長となって終戦直後の日本に上陸して、すぐに自殺に失敗した東條英機に面会し、その後除隊して離婚して妻子をアメリカに戻し、事業を始めて朝鮮戦争中の日韓間の取引で成功し、その後フリーメイスンとしてスコティッシュライトの33階級に認められ、昭和天皇より勲章を頂き、ヨットを趣味として2000年3月27日に亡くなるというまさにフリーメイスンとして波乱万丈の人生を送ったという、日本語に訳されていて極めて平易で読みやすく、映画にでもなるのではないかという、読後にそうそうこれはちょうどヘミングウェイの物語の感じのもう少し爽快感が少ない感じという思いを抱きました。まあヘミングウェイ自体読んだのは20年以上前なのでなんとも言えないのですが、多分ヘミングウェイを読んだことがある方には伝わるのではないかと思います。
ブラザージョージ・アイ・パーディーも最初に昭和天皇から勲章をもらうところから書き始めるのですが、同様に昭和天皇から勲章をもらったフリーメイスンにブラザーカーチス・ルメイがいます。こちらの方は勲章をもらうのに元首相の小泉純一郎氏の父親の小泉純也氏が根回しをしたなどあり、なかなかジャーナリストのブラザー村山有氏の回顧録でも昭和天皇はキーパーソンとして描かれており、フリーメイスンと昭和天皇の間のやり取りなどもなかなか当時の主要な興味の対象であったのだなと思われます。本日この内容を書き込むのが昭和の日であり5月1日の2日前であるのも数々の因縁の為せる技なのではないでしょうか。
ブラザージョージ・アイ・パーディーはテキサスグランドロッジのグランドマスターもされているそうで、2000年3月27日のミレニアムの3の倍数の日に亡くなられて、その後2001年9月11日にいわゆる同時多発テロが生じて世の中が激変するわけですが、2001年12月頃に私は2ちゃんねるでNTTに文句を言っていたようで、eBayでもらった33階級の証明書には2002年1月21日と日付が示されていました。やはりツインタワーの崩落と日本経済の失墜とは何らかの関係があるようですが、いずれにしても一人のフリーメイスンの第二次世界大戦から戦後の昭和時代の日本を見続けた人物の爽快な人生であり、あまり秘密の内容を含んだとは言えない、恐らくそういう事を書く事を許されない立場の人間の、極めて小説的なフリーメイスンとしての生き方を著した貴重な書ではないかと思われ、日本のフリーメイスンリーについて知るためには必読の書と思われました。
ちょうどブラザーアダム・ヴァイスハウプトのイルミナティの入会案内を同時に読んでいるのですが、Geist(魂)、Seele(精霊)という言葉を強くこのブラザージョージ・アイ・パーディーの書にも感じました。私も仕事柄多くの日本の高齢者とお会いしますが、その時代の精神というか、いつの時代にも人類全体を覆う精神というものが存在し、それらがあらゆる人間と繋がり全ての物事を相関させていくということを感じました。
この後はブラザーデッカーの回顧録、ブラザーマッカーサーの回顧録、ブラザー村山有の回顧録などを読み進めていこうと思っています。
Virtus Junxit Mors Non Separabit 美徳が結びつけた者たちを死が分かつことはない。
(以前は美と死は分かち難しと訳していましたが、誤訳です。Whom virtue unites, death will not separateもしくはVirtue has joined (them); death will not part them.と訳されるそうで、まさにブラザージョージ・アイ・パーディーのように亡くなってもブラザーの魂は一緒だという事なのです。)

Rest In Peace.
ありし日の昭和天皇の様子の動画がありましたので置いておきます。
さて一旦は作ったものの途中で消えてしまったものですがどうでしょうか。
エジプト・オリエント方面を巡ってその後リシュリュー翼の西洋絵画部門を巡ったのでした。主に中世イタリアの絵画部門はモナリザ人気もあり人で混んでいますが、西洋絵画部門は小品が多いせいもあってかあまり混んでいません。

ブラザーターナーの作品でしょうか。

晩鐘のミレーの作品でしょうか。





ミレーの作品でしょうか。晩鐘に比べると習作のようですがまあ本物をこれだけ見るのはあまりありません。



作者はわかりません。ミレーの作品のようです。

墓場の少女というそうです。ブラザーウジェーヌ・ドラクロワの作品です。ブラザードラクロワも実の父親がブラザーナポレオンの外務大臣であったブラザータレーランであったという説が有力だそうで、最初に自由の女神を絵画にした人でありやはりフリーメイスンだと思われます。



白い靴下の裸婦があります。






怒れるメディアというそうです。


若い女性を連れ去るアフリカの海賊というそうです。


サルダナパロスの死だそうです。かなりボケていますが、代表作のようです。

オフィーリアの死が下段です。


ハムレットとホレイショーです。

ポワティエの戦いです。

ウジェーヌ・ドラクロワの肖像(自画像)です。これは有名だと思います。

リエージュの司祭の暗殺(リエージュの司祭の殺害)です。

フレデリック・フランソワ・ショパンの肖像です。これも有名だと思います。その他ジョルジュ・サンドの肖像も描いているそうです。ジョルジュ・サンドについても著作を読んだら取り上げようかと思っています。

ミラボーとドルー=ブレゼです。

ブラザードミニク・アングルのヴァルパンソンの浴女です。

トルコ風呂です。ブラザーアングルの作品は良く目立ちます。

誰の作品かはわかりませんが、キリストの一場面のようです。後方に未完成のピラミッドが認められます。

額縁の名前からグロスの作品のようです。ブラザーナポレオンの若き日だと思われます。

ブラザーナポレオンのピラミッドの戦いを描いた未完成作品のようです。ブラザーダヴィッドでしょうか。


この辺も作者はわかりませんがなかなか美しいです。

宗教画も美しさがやはりかつてのものとは少し異なります。

コンパスと直角定規が含まれます。

モデルも画家もフリーメイスンなのでしょうね。コンパスをもっています。

ハンマーもマスターのシンボルです。

これはルーヴル美術館の地下の発掘されたかつてのルーヴル城の城壁です。

ちょっと古い絵のようですが床の白黒タイルで撮っているのでしょうね。

これもイタリア様式の宗教画のようですが、白黒タイルですね。

ガブリエル・デストレとその姉妹ビヤール公爵夫人とみなされる肖像だそうです。乳首をつまむのは懐妊を意味するそうですが、アンリ4世の愛妾であったそうで、毒殺されたそうです。なかなかフランスらしい絵画ではないでしょうか。

これも床のタイルの白黒で撮っているようです。後ろにオベリスクもあります。ダリの絵のようです。

こちらもパンテオンとオベリスクが認められます。ローマの虐殺のシーンを描いているようです。

これも白黒の床のものです。フリーメイスンリーのシンボリズムというよりもキリスト教の意味づけのもとでのシンボリズムのようです。


これはダヴィンチコードでも謎の象徴画として取り上げられていたニコラ・プッサンのアルカディアの牧人たちです。ウィキペディアによると、墓石にはラテン語で「エト・イン・アルカディア・エゴ」Et in Arcadia ego という銘があり、画中の人物たちはこの銘文の意味を知ってとまどっているように見え、「エト・イン・アルカディア・エゴ」は、「私もかつてアルカディアにいた」「私はアルカディアにもいる」の2つの意味に解釈可能だが、「私」を「死」の意味に解し「楽園アルカディアにも死は存在する」と解釈するのが妥当とされていて、いわば「死を忘るべからず」「死はどこにでも存在する」という教訓を絵画化したものといえるそうです。マークマスターの位階の教訓として出されるようです。ニコラ・プッサンはグランドロッジ結成前ですがフランスのフリーメイスンであったとされる画家のようです。自画像などにもAll Seeing Eyeを認めたりしているようです。生没年が1594年6月15日から1665年11月19日でシンボリズムを認めます。横須賀でもこの絵を店頭に掲示している店がありましたがどういう意味なのでしょうか。

こちらもやはりブラザーニコラ・プッサンのアシドドのペスト(ペストに襲われるペリシテ人) です。後方にオベリスクを認めます。

こちらもやはりブラザーニコラ・プッサンのサッピラの死(サフィラの死)です。床が白黒のモザイクになっています。


ハンス・ホルバインの自画像のようです。コンパスや定規など様々な幾何学の道具が認められます。ロンドンのナショナルギャラリーにあった長く伸びた髑髏の象徴画を含んだ大使たちが有名かと思います。死の舞踏の版画でも有名だそうです。良く髑髏の象徴画として取り上げられます。

こちらもハンス・ホルバインの作品のようです。司教を描いた像でしょうか。聖書が開かれ、十字が象徴的に示されています。後ろの司教の帽子がAll Seeing Eyeの形になっているようです。恐らくハンス・ホルバインもフリーメイスンなのでしょう。

こちらもハンス・ホルバインの作品のようです。色々な象徴が描かれた金貸しの様子のようです。

こちらはドイツの象徴画だと思われます。表と裏でついになっています。髑髏が描かれています。

裏は紋章と三角形のシンボルが描かれています。やはりプロテスタントの思想とシンボリズムは密接に結びついているのですね。

これは明らかにバベルの塔ですが、作者がフランドル地方のルーカス・ファン・ヴァルケンボルシュというそうです。やはり新教との関係のようです。

エルグレコのようですが、ポルビュスというパリにいた画家のようです。知られざる傑作というバルザックの短編小説に取り上げられている方のようです。ブラザーニコラ・プッサンとの関係が語られていて、恐らく二人ともフリーメイスンなのだと思われます。映画「美しき諍い女」の題材となった話のようです。




こういう奥行きのある会堂もフリーメイスンリーのシンボルとなるようです。まあ今で言うと設計図や完成予想図のようなもので、実務的メイスンリーにとっては非常に重要なイメージ画となるのでしょうね。作者はわかりません。

ここからずーっとルーベンスの作品のようです。ルーベンスは工房があって、貴族の注文に応じて工房で弟子たちが皆作品を作っていたようなので、あまり画風とか決まった形とかはないようです。アンソニー・ヴァン・ダイクも弟子の一人のようです。ルーベンス自体は7ヶ国語を操る外交官のような存在で、更に人文学者でもあったそうで、フランドルのプロテスタントであり、フリーメイスンに近い存在なのだと思われます。まあいわゆる近代西洋絵画のオーソリーティー中のオーソリーティーというところでしょうか。












女性の感じがブラザーセザンヌのようですが、むしろブラザーセザンヌが真似をしたというところなのでしょうね。


フランドルの祝祭です。




ここまでルーベンスでしょうかね。ルーベンスも渋谷Bunkamuraで4月21日まで展覧会をやっていました。その後北九州市立美術館でやっているようです。

ここからアンソニー・ヴァン・ダイクだと思われますが、なんせ工房の弟子なのでどこから師の工房の作品かどこから弟子の作品かわかりません。




アンソニー・ヴァン・ダイクはチャールズ一世の宮廷画家となったため、イギリス風の黒い衣装が多いですね。この辺りが白黒のシンボルとも関連してくるのかもしれません。いわゆるゴシック風ですね。現代の正統派ユダヤ教徒のようないでたちでしょうか。

英国王チャールズ1世の肖像ですね。


リッチモンド公ジェームス・ステュアートの肖像のようです。


どなたかの肖像のようですが詳しくわかりません。


白黒の床ですね。どなたの作品かはわかりません。

天地創造でしょうか。詳しくわかりません。


床が白黒で撮ったのですね。詳しくはわかりません。


これも床が白黒で撮ったのですね。肖像画はフリーメイスンぽい感じでしょうか。写真に撮ったのはそれぞれ何かしら理由があり、実際に展示されている作品はここにあるものの3倍から5倍くらいあったかと思います。それ以上あったかもしれません。

レンブラントですね。レンブラントも人気なのでこの肖像画一つくらいで行列のできる展覧会が日本では開かれるようです。現在皇太子夫妻が訪問中のオランダでも代表作夜警が大きく飾られていましたね。フリーメイスンリーに極めて近い新教国の工房をもった画家でした。


螺旋階段があったりします。なかなか螺旋階段の画題は珍しいです。







レンブラントの作品は美しいですね。その後の技術である写真に近いものがあるかもしれません。光に対するこうした感覚はその後の写真や映写機の技術に応用されていったのかもしれません。

これもレンブラントでしょうか。ちょっとわかりません。


これは真珠の首飾りの女で有名なフェルメールですね。シンボルが色々入った作品で有名です。天文学者とレースを編む女ですね。この辺りは確実に一点で大行列の展覧会が日本で開けますかね。ルーヴル美術館では小品はあまり見ている人はいません。

これはやはりレンブラントですかね。月もシンボルということなのだと思われます。日本画の構図のようでもあります。


これらはやはりルーベンスの大作でしょうか。マリー・ド・メディシスの生涯とその関連の連作だと思われます。虹が書いてあったので撮ったのですね。
さていかがでしょうか。フランドル地方や北方ドイツのシンボリズムを含むルネサンス期の絵画がたくさんあったかと思いますが、お目当てとしていたデューラーの自画像は結局場所が分からず見つけることが出来ませんでした。実際展示してあったのに見つけられなかったようです。

この作品だそうですが、やはり素晴らしいようですね。まあ何度も行きたいけれども一生のうち数えるほどしか行けない美術館がここルーヴル美術館でしょうね。私は展示を写真を撮りまくっていて足元の注意を怠って鉄柱に右足の脛を強打し骨が折れるかと思いましたが、それを見ていた中国人か台湾人に酷く笑われたのが良い思い出です。なかなか美術品も展示や価値の事が難しいです。恐らくこの写真に載せた作品だけで数百億以上の価値があるのでしょうが、まあ神はいつも見ているという教訓でしょうか。
是非何度も行きたいものです。絵画についてはこれでほぼ終わりでしょうか。
パリ・ロンドンの旅もあとわずかで終了となってきます。皆さんいかがでしょうか。アベノミクスで円安となりヨーロッパ旅行もかなり高くなりそうですが以前よりハードルは低いものと思われます。私も結局為替やらなんやらでたくさんとられましたので多少の出費は許容しないといけないかもしれません。食事なども日本と同じものを求めなければ十分に下調べしてすべて満足する旅行ができることと思います。ぜひこのブログの知識など活かされて楽しい旅のプランを考えてはいかがでしょうか。また近所の美術館などで美術の勉強をされるのも良いかもしれません。このブログの内容が何か良い事の行動するきっかけとなれば幸いです。
エジプト・オリエント方面を巡ってその後リシュリュー翼の西洋絵画部門を巡ったのでした。主に中世イタリアの絵画部門はモナリザ人気もあり人で混んでいますが、西洋絵画部門は小品が多いせいもあってかあまり混んでいません。

ブラザーターナーの作品でしょうか。

晩鐘のミレーの作品でしょうか。





ミレーの作品でしょうか。晩鐘に比べると習作のようですがまあ本物をこれだけ見るのはあまりありません。



作者はわかりません。ミレーの作品のようです。

墓場の少女というそうです。ブラザーウジェーヌ・ドラクロワの作品です。ブラザードラクロワも実の父親がブラザーナポレオンの外務大臣であったブラザータレーランであったという説が有力だそうで、最初に自由の女神を絵画にした人でありやはりフリーメイスンだと思われます。



白い靴下の裸婦があります。






怒れるメディアというそうです。


若い女性を連れ去るアフリカの海賊というそうです。


サルダナパロスの死だそうです。かなりボケていますが、代表作のようです。

オフィーリアの死が下段です。


ハムレットとホレイショーです。

ポワティエの戦いです。

ウジェーヌ・ドラクロワの肖像(自画像)です。これは有名だと思います。

リエージュの司祭の暗殺(リエージュの司祭の殺害)です。

フレデリック・フランソワ・ショパンの肖像です。これも有名だと思います。その他ジョルジュ・サンドの肖像も描いているそうです。ジョルジュ・サンドについても著作を読んだら取り上げようかと思っています。

ミラボーとドルー=ブレゼです。

ブラザードミニク・アングルのヴァルパンソンの浴女です。

トルコ風呂です。ブラザーアングルの作品は良く目立ちます。

誰の作品かはわかりませんが、キリストの一場面のようです。後方に未完成のピラミッドが認められます。

額縁の名前からグロスの作品のようです。ブラザーナポレオンの若き日だと思われます。

ブラザーナポレオンのピラミッドの戦いを描いた未完成作品のようです。ブラザーダヴィッドでしょうか。


この辺も作者はわかりませんがなかなか美しいです。

宗教画も美しさがやはりかつてのものとは少し異なります。

コンパスと直角定規が含まれます。

モデルも画家もフリーメイスンなのでしょうね。コンパスをもっています。

ハンマーもマスターのシンボルです。

これはルーヴル美術館の地下の発掘されたかつてのルーヴル城の城壁です。

ちょっと古い絵のようですが床の白黒タイルで撮っているのでしょうね。

これもイタリア様式の宗教画のようですが、白黒タイルですね。

ガブリエル・デストレとその姉妹ビヤール公爵夫人とみなされる肖像だそうです。乳首をつまむのは懐妊を意味するそうですが、アンリ4世の愛妾であったそうで、毒殺されたそうです。なかなかフランスらしい絵画ではないでしょうか。

これも床のタイルの白黒で撮っているようです。後ろにオベリスクもあります。ダリの絵のようです。

こちらもパンテオンとオベリスクが認められます。ローマの虐殺のシーンを描いているようです。

これも白黒の床のものです。フリーメイスンリーのシンボリズムというよりもキリスト教の意味づけのもとでのシンボリズムのようです。


これはダヴィンチコードでも謎の象徴画として取り上げられていたニコラ・プッサンのアルカディアの牧人たちです。ウィキペディアによると、墓石にはラテン語で「エト・イン・アルカディア・エゴ」Et in Arcadia ego という銘があり、画中の人物たちはこの銘文の意味を知ってとまどっているように見え、「エト・イン・アルカディア・エゴ」は、「私もかつてアルカディアにいた」「私はアルカディアにもいる」の2つの意味に解釈可能だが、「私」を「死」の意味に解し「楽園アルカディアにも死は存在する」と解釈するのが妥当とされていて、いわば「死を忘るべからず」「死はどこにでも存在する」という教訓を絵画化したものといえるそうです。マークマスターの位階の教訓として出されるようです。ニコラ・プッサンはグランドロッジ結成前ですがフランスのフリーメイスンであったとされる画家のようです。自画像などにもAll Seeing Eyeを認めたりしているようです。生没年が1594年6月15日から1665年11月19日でシンボリズムを認めます。横須賀でもこの絵を店頭に掲示している店がありましたがどういう意味なのでしょうか。

こちらもやはりブラザーニコラ・プッサンのアシドドのペスト(ペストに襲われるペリシテ人) です。後方にオベリスクを認めます。

こちらもやはりブラザーニコラ・プッサンのサッピラの死(サフィラの死)です。床が白黒のモザイクになっています。


ハンス・ホルバインの自画像のようです。コンパスや定規など様々な幾何学の道具が認められます。ロンドンのナショナルギャラリーにあった長く伸びた髑髏の象徴画を含んだ大使たちが有名かと思います。死の舞踏の版画でも有名だそうです。良く髑髏の象徴画として取り上げられます。

こちらもハンス・ホルバインの作品のようです。司教を描いた像でしょうか。聖書が開かれ、十字が象徴的に示されています。後ろの司教の帽子がAll Seeing Eyeの形になっているようです。恐らくハンス・ホルバインもフリーメイスンなのでしょう。

こちらもハンス・ホルバインの作品のようです。色々な象徴が描かれた金貸しの様子のようです。

こちらはドイツの象徴画だと思われます。表と裏でついになっています。髑髏が描かれています。

裏は紋章と三角形のシンボルが描かれています。やはりプロテスタントの思想とシンボリズムは密接に結びついているのですね。

これは明らかにバベルの塔ですが、作者がフランドル地方のルーカス・ファン・ヴァルケンボルシュというそうです。やはり新教との関係のようです。

エルグレコのようですが、ポルビュスというパリにいた画家のようです。知られざる傑作というバルザックの短編小説に取り上げられている方のようです。ブラザーニコラ・プッサンとの関係が語られていて、恐らく二人ともフリーメイスンなのだと思われます。映画「美しき諍い女」の題材となった話のようです。




こういう奥行きのある会堂もフリーメイスンリーのシンボルとなるようです。まあ今で言うと設計図や完成予想図のようなもので、実務的メイスンリーにとっては非常に重要なイメージ画となるのでしょうね。作者はわかりません。

ここからずーっとルーベンスの作品のようです。ルーベンスは工房があって、貴族の注文に応じて工房で弟子たちが皆作品を作っていたようなので、あまり画風とか決まった形とかはないようです。アンソニー・ヴァン・ダイクも弟子の一人のようです。ルーベンス自体は7ヶ国語を操る外交官のような存在で、更に人文学者でもあったそうで、フランドルのプロテスタントであり、フリーメイスンに近い存在なのだと思われます。まあいわゆる近代西洋絵画のオーソリーティー中のオーソリーティーというところでしょうか。












女性の感じがブラザーセザンヌのようですが、むしろブラザーセザンヌが真似をしたというところなのでしょうね。


フランドルの祝祭です。




ここまでルーベンスでしょうかね。ルーベンスも渋谷Bunkamuraで4月21日まで展覧会をやっていました。その後北九州市立美術館でやっているようです。

ここからアンソニー・ヴァン・ダイクだと思われますが、なんせ工房の弟子なのでどこから師の工房の作品かどこから弟子の作品かわかりません。




アンソニー・ヴァン・ダイクはチャールズ一世の宮廷画家となったため、イギリス風の黒い衣装が多いですね。この辺りが白黒のシンボルとも関連してくるのかもしれません。いわゆるゴシック風ですね。現代の正統派ユダヤ教徒のようないでたちでしょうか。

英国王チャールズ1世の肖像ですね。


リッチモンド公ジェームス・ステュアートの肖像のようです。


どなたかの肖像のようですが詳しくわかりません。


白黒の床ですね。どなたの作品かはわかりません。

天地創造でしょうか。詳しくわかりません。


床が白黒で撮ったのですね。詳しくはわかりません。


これも床が白黒で撮ったのですね。肖像画はフリーメイスンぽい感じでしょうか。写真に撮ったのはそれぞれ何かしら理由があり、実際に展示されている作品はここにあるものの3倍から5倍くらいあったかと思います。それ以上あったかもしれません。

レンブラントですね。レンブラントも人気なのでこの肖像画一つくらいで行列のできる展覧会が日本では開かれるようです。現在皇太子夫妻が訪問中のオランダでも代表作夜警が大きく飾られていましたね。フリーメイスンリーに極めて近い新教国の工房をもった画家でした。


螺旋階段があったりします。なかなか螺旋階段の画題は珍しいです。







レンブラントの作品は美しいですね。その後の技術である写真に近いものがあるかもしれません。光に対するこうした感覚はその後の写真や映写機の技術に応用されていったのかもしれません。

これもレンブラントでしょうか。ちょっとわかりません。


これは真珠の首飾りの女で有名なフェルメールですね。シンボルが色々入った作品で有名です。天文学者とレースを編む女ですね。この辺りは確実に一点で大行列の展覧会が日本で開けますかね。ルーヴル美術館では小品はあまり見ている人はいません。

これはやはりレンブラントですかね。月もシンボルということなのだと思われます。日本画の構図のようでもあります。


これらはやはりルーベンスの大作でしょうか。マリー・ド・メディシスの生涯とその関連の連作だと思われます。虹が書いてあったので撮ったのですね。
さていかがでしょうか。フランドル地方や北方ドイツのシンボリズムを含むルネサンス期の絵画がたくさんあったかと思いますが、お目当てとしていたデューラーの自画像は結局場所が分からず見つけることが出来ませんでした。実際展示してあったのに見つけられなかったようです。

この作品だそうですが、やはり素晴らしいようですね。まあ何度も行きたいけれども一生のうち数えるほどしか行けない美術館がここルーヴル美術館でしょうね。私は展示を写真を撮りまくっていて足元の注意を怠って鉄柱に右足の脛を強打し骨が折れるかと思いましたが、それを見ていた中国人か台湾人に酷く笑われたのが良い思い出です。なかなか美術品も展示や価値の事が難しいです。恐らくこの写真に載せた作品だけで数百億以上の価値があるのでしょうが、まあ神はいつも見ているという教訓でしょうか。
是非何度も行きたいものです。絵画についてはこれでほぼ終わりでしょうか。
パリ・ロンドンの旅もあとわずかで終了となってきます。皆さんいかがでしょうか。アベノミクスで円安となりヨーロッパ旅行もかなり高くなりそうですが以前よりハードルは低いものと思われます。私も結局為替やらなんやらでたくさんとられましたので多少の出費は許容しないといけないかもしれません。食事なども日本と同じものを求めなければ十分に下調べしてすべて満足する旅行ができることと思います。ぜひこのブログの知識など活かされて楽しい旅のプランを考えてはいかがでしょうか。また近所の美術館などで美術の勉強をされるのも良いかもしれません。このブログの内容が何か良い事の行動するきっかけとなれば幸いです。
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