2013-06-06 06:06 | カテゴリ:スコットランド
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
ようやく背景も今回は行っていないグリニッジのクイーンズハウスの床の白黒の丸模様に落ち着いたわけですが、どうもやはり落ち着かなかった原因が選挙前というところにありそうです。音楽の方もスコットランドだけではなくブラザーモーツァルトなどのフリーメイスンの作曲家の音楽などこれまでのものをかなりチャンポンにしたものとしました。しばらくこの形で続けようかと思っています。いやまあ大変なブログです。
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こちらはプリンスィズストリートに面したオシャレなビルです。現代的な建築が国会議事堂であると聞いていたので撮ったのですがただのオシャレな店舗と住居のビルのようです。まあエディンバラ城が見られる場所ですし高いんだと思います。
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ブラザーサー・ウォルター・スコット記念塔です。ブラザースコットは作家としてスコットランドを代表する作家であるそうですが、どうもジョージ四世がスコットランドに行幸した際にキルトを着用するなどでアドバイスをしたなど単なる作家としての功績だけではなさそうです。いわゆるフリーメイスンとしてスコットランドのために活躍したのだと思われます。1771年8月15日生まれで、77を挟んだ11の数字といわゆる聖母降誕祭、イエズス会の記念日の日に生まれたという事も大きな意味を持つのだと思います。作品はもちろん読んだこともありません。初代バクルー伯爵として同名の人物が1603年-1633年にかけていたそうです。もちろんフリーメイスンなのだと思われます。
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リスが走っています。
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まあ冗談のようなスコットランドのフリーメイスンリー探訪の旅ですが、実際冗談のようなフリーメイスンリーの歴史学会がありそれに参加するために訪問しているわけです。こういう写真も下準備のようなものでしょうか。スコットランド国立美術館からエディンバラ城を望みます。ブラザーウィリアム・ヘンリー・プレイフェアによる建築です。
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王立スコットランドアカデミーの前からのエディンバラ城です。ちょうどここが町の中心という感じでしょうか。
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ジョージストリートの小ピットの銅像です。24歳でイギリス最年少の首相となったそうです。任期中はフランス革命やナポレオン戦争があり最後はアウステルリッツの戦いでの敗北後に亡くなったそうですが、稀に見る天才で14歳でケンブリッジ大学に入学しその記録は最近まで破られることは無かったそうです。小さいころから痛風をもつ病弱であったそうです。父親が議会で演説中に亡くなった際に遺骸を運び出したそうです。腐敗選挙区から縁故と学閥でようやく国会議員となった後は国王ジョージ三世とうまが合い若くして首相となりその後17年間続けて、間を置いて2年間最後は死ぬまで在任したそうです。彼は私生活では一生独身で子供もおらず、最後は体の為と勧められた濃度の高いワインのアルコールによる胃潰瘍で亡くなったそうです。ウェストミンスター寺院にブラザー大ピットとともにお墓があります。
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胸の無い中性的な二人に囲まれているのも小ピットのホモセクシャル的な嗜好を示しているのかもしれません。馬がスコットランドを示すユニコーンのようであるのも象徴的です。明らかなフリーメイスンリーを示すシンボルはありませんが、父親のブラザー大ピットはフリーメイスンなのでしょうし、彼もそれに準ずる存在であったことは間違いありません。
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ジョージストリートに面してスコットランドグランドロッジ、フリーメイスンズホールがあります。
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ちょうどその先の通りからが一番エディンバラ城が綺麗に見える場所でした。一番いい場所をやはりフリーメイスンリーグランドロッジが占めているのですね。
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その交差点にあるのがブラザートマス・チャルマーズの銅像です。スコットランド自由教会の指導者であったそうです。聖書を開いた形が重要なのでしょうね。スコットランド王立アカデミーの副会長も務め、セントアンドリュー大学で数学を学び、その後道徳哲学と神学について論文を出しながらセントアンドリュー大学の学長をしていたそうです。
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ブラザーアレクサンダー・グラハム・ベルの名前のパブがあります。ブラザーベルは有名な電話の発明家であり、その他多くの発明を成した科学者ですが、アメリカで活動しナショナルジオグラフィック協会創設に関わったそうです。エディンバラで1847年3月3日に生まれたそうです。母親が聴覚障害であったそうで、その後の妻も聾であったために音声装置の開発や音響学に没頭したそうです。1876年3月3日に電話の特許を取得しますが、この際にはイライシャ・グレイとの特許の争いがあります。イライシャ・グレイはその後ファクシミリの原型を開発したりしているそうです。何らかのアイディアをイライシャ・グレイの特許申請書から得たことは確かのようですが、最初に電話の実証実験を行ったのはブラザーベルで間違いないようです。後には光通信の原型となる発明もしているようです。飛行機の開発や優生学とも関わっていたそうです。
このパブのちょうど東西の反対側にブラザーサー・アーサー・コナン・ドイルの名前を冠したパブがあります。ちょうど対称になっていて、いずれもエディンバラ出身の有名なフリーメイスンの名前なのですね。
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ヴィクトリア女王の夫であるブラザーアルバート公の記念碑です。ヴィクトリア女王の従兄であったそうですが、ハンサムで聡明であり非常に仲睦まじい結婚であったそうです。ロンドン万博におけるクリスタルパレスの成功を主導したりしたそうです。胃癌か腸チフスで42歳で亡くなったそうです。息子のブラザーエドワード7世の女優とのスキャンダルで息子と面会した一カ月後に死亡したそうです。その後ブラザーエドワード7世の息子のブラザークラレンス公が関係していると噂された切裂きジャックの事件が起きたりしています。
広場の名前はシャルロットスクエアです。
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ジョージストリートを西から東に一望しています。先に見えるのがセントアンドリュースクエアのブラザーメルビル卿記念碑です。
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ウェストレジスターハウスという名前になっていますが、かつてはセントジョージ教会として建築された建物で、ロンドンのセントポール大聖堂に似せたそうです。その後政府の建物となり、現在はスコットランド国立公文書館の一部として使われているようです。美しい対称形の建物は日本の最近再建された東京駅のようです。
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再びスコットランドグランドロッジの前です。入口の上に聖アンドリューの斜め十字の磔像があるのが特徴です。なかなか町に溶け込んだ建物ですが、建築から100年以上は経っているようです。
このジョージストリートでは中央分離帯が駐車場になっています。どういうシステムかはわかりませんが、交通量がそれほど多くないエディンバラでは非常に広く設計された通りの有効活用なのでしょうね。しかしエディンバラは都市設計でも非常に面白い街です。
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どうもやはり通りの書店ではブラザーダン・ブラウンの新作を宣伝していました。面白いのでしょうかねえ。結局イタリアのローマやフィレンツェへの観光の誘いと3のシンボリズムの元となったダンテの神曲を読んでほしいというところなのだと思われます。

しかしまあフリーメイスンリーとはイギリスの歴史そのものであり、歴史とフリーメイスンリーとは一体なのだと良くわかります。エディンバラで歴史学会をやることそのものがフリーメイスンリーの歴史の勉強なのですね。
2013-06-06 19:01 | カテゴリ:スコットランド
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
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さて日付も変わって翌日朝です。ジョージストリートの逆光です。どうもこの旅行では逆光にこだわっているようですね。なんででしょう。
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ブラザースコット記念塔があります。
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ブラザーメルヴィル記念塔の解説です。海軍によって建てられた事になっているようです。
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セントアンドリュースクエアにはカフェがあります。ライオンの像があったかと思います。多分ライオンズクラブではないと思いますがどうなんでしょう。ウィキペディアを読むとスコットランドの象徴のライオンのようです。2010年にホリールード公園から移されたとあります。
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ブラザーメルヴィル記念塔を下から見るとこんな感じです。
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セントアンドリュースクエアに面した建物です。スコットランド王立銀行の本店のようです。
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北橋から見たエディンバラ城です。何度も同じ構図ですが、要するにそこからの構図が一番多いということなのだと思います。緑のドームの建物があちらもスコットランド王立銀行のようです。その右側のエディンバラ城の手前のゴシック建築の建物が図書館のようです。
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ブラザーロバート・バーンズの名前を冠したパブもロイヤルマイルにはあります。このお店には後で訪問してハギスを頂きました。ちょうどいたマスターがフリーメイスンで少し話をすると、このロイヤルマイルでロッジが20以上あるがメンバーが減って休眠しているロッジもあるという事でした。フリーメイスンリー自体がスコットランドの特にエディンバラでは住民の伝統と習俗であり、世界的には既得権的な部分もあるような印象でした。まあ日本人のフリーメイスンは多くないのかという感じでした。
店名のラビ―・バーンズはロバートの愛称のようで、ラビ―そのもので知性があって、カリスマ性があって、面白くて、ユーモアがあり、セクシーな人物という意味にもなると現代英語では意味するそうです。まさにブラザーロバート・バーンズを意味する言葉なのでしょうね。(追記:もちろんRobbieやRabbieには、Robber(泥棒)の意味もかかっているのではないでしょうか。ブラザーロバート・ファーガソンの詩を盗んだというのもあるのかもしれません。こういうのはフリーメイスンリーのWorshipful Master(尊崇すべきマスター)という表現にもあるようです。Worse Master(最も良くないマスター)にも通じるダジャレにかかっているのですね。最高の栄誉は最低の不名誉にも通じるという人間社会の教訓なのでしょうね。)
ブラザーロバート・バーンズについては非常にわかりやすい日本語の紹介サイトがありましたので参照してください。英語の公式サイトもあります。エンサクロペディアやショップもあります。ブラザーロバート・バーンズの詩(このサイトにはブラザーウィリアム・ブレイクの詩の翻訳もあります。面白いですね。)とその評価、ブラザーロバート・ファーガソンの詩との比較などについて日本語の論文がありましたので参照してください。
私自身はブラザーロバート・バーンズについては横浜ロッジで東方の星ロッジNo.640とのデュアルメンバーのスコットランド出身のメンバーに教わったのですが、そのブラザーは最初に私がロッジに訪問した際にラフアシュラーとパーフェクトアシュラー、Gのシンボルについて教えてもらったメンバーでもありました。
そういうわけでまあ一応ブラザーロバート・バーンズについても知ろうと思い日本語訳の本は買っていたのですが、このブログを機会としてやっと読み始めました。

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まあなかなか当時のインターネット掲示板のようで、当時の普通の人々の実名がたくさん出てきて犯罪の告発があったり、ほのぼのとした場面が描かれたりと確かにこれで私生児を作りまくって飲み歩いていて好きなこと書いてそれを詩集として売っていれば37歳で死んでもおかしくないわなあという内容ではありますが、かなり現代のインターネット掲示板の初期のようにタブーの無いかなり衝撃的な詩の内容となっていました。ブラザーロバート・バーンズは22歳で1781年7月4日にターボルトンのセント・デヴィッド・ロッジ№.174に入会したそうですが、その後も6つほどのロッジを掛けもちしたりしていて(詳細は公式サイトのエンサイクロペディアを参照して下さい。)、28歳のときにブラザーロバート・ファーガソンの記念碑を建設するように市会に申請したりしていて、恐らくそれがフリーメイスンとしての仕事であったのだと思われます。ブラザーロバート・ファーガソンはエディンバラの現在の北橋周辺で生まれ育った生粋のエディンバラの人で、セントアンドリュー大学で学んだそうですが、ボヘミアンライフ(自由な生活、フーテン)の暮らしをしていて、最後は原因不明の頭部打撲の数週間後に精神病院で24歳で亡くなったそうです。
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お墓がキャノンゲートカークに作られ、オールドカールトン墓地に葬られていたブラザーロバート・バーンによって設計され、ブラザーロバート・バーンズの私費で賄われたそうです。
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その後ジキル博士とハイド氏を書いたブラザーロバート・スティーブンソンもブラザーロバート・ファーガソンの墓を新しくしようと考えたそうです。ブラザーロバート・ファーガソンについてはウィキペディア検索で出て来たサイトのBBCのサイトのリンクを参照としてください。ブラザーロバート・バーンズの詩は過去のスコットランドの伝承の詩やブラザーロバート・ファーガソンの詩からインスピレーションを受けたものも多いそうですが、上述のようにユーモアと、風刺の精神が際立つなんともおかしく複雑でそれでいて農民の生活をうたった面白いもので、彼を賞賛する評価は世界中にあり、特に英連邦の地域で彼の銅像が非常に多く認められるようです。ウィキペディアに項目もありました。
一応ブラザーロバート・バーンズの読んだ詩の中で面白かったものを一つ挙げておきます。
上に挙げたブラザーロバート・バーンズ詩集には140篇の詩が含まれているのですが、現在まで18篇までしか読んでいないのでその中から面白かったものを一つ挙げることとします。著作権の問題があるかと思いますので、是非本を買ってください。その他でもちょくちょく引用していくこととします。また面白い詩についてはブログで取り上げて感想や解説を加えていこうかと思います。

ネズミに寄せて、巣の中のネズミを鋤で掘り起こした際に、1785年11月

びくつき、おどおどする、光沢(つや)のある小動物よ、
おまえの胸は恐怖でどんなに震えていることか。
そんなにあわてふためいて、急いで跳び下がる必要はない。
おまえを鋤(すき)の土落としで殺そうと、追いかけ回すなんてごめんこうむる。

本当に残念だ、人間の支配が
自然の社会的結びつきを壊すなんて、
しかも、その悪評を当然のことと考える、だから私を見ておまえはびっくりするんだ。
私はお前と同じく土から生まれた哀れな仲間、同じ死ぬべき運命なのに。

おまえだって盗みをするだろうと、私は時折思うのだ。
それが何だっていうのだ、かわいそうな小動物よ、おまえだって生きねばならない。
24束の中からたまの一穂くらい、ほんのささやかな要求だ。
私は残りで十分やっていけるのだから、惜しいとは思わない。

おまえの小さな家も壊され、もろい壁を風がまき散らしている。
そして今では新居を建てる緑の草が一本もない。
さらに寒々とした師走の風が、身を刺すほどに鋭く吹きすさぶ。

田畑が荒涼とむき出しになっているのを、うんざりする冬がどんどんやって来るのを、おまえは目にした。
この突風のもとでは、この中でも住み心地がよいとおまえは思った。
ところがぐさり、おまえの住まいを無情な鋤先が貫いた。

葉や切り株のあの小さな山を作り上げるのに、おまえは幾度となくかじりまわり、いかに疲れ果てたことか。
ところが今やその骨折りもむなしく、住む家もなく追い出され、冬のみぞれ混じりの霧雨や冷たい白霜に耐えなければならない。

だがネズミよ、おまえ一人だけではない、見込みどおりにならないことを身をもって知る者は。
ネズミや人間の用意周到な計画もうまくいかないことが多く、約束された喜びの代わりに、悲しみと苦しみの中に放り出されるのだ。

でも私に比べればおまえは幸せだ。
おまえに触れるのは現在だけ。
しかし、おお、私の後を振り返れば、寒々とした光景のみ。
先は見えないけれども、恐れのみと察する。

To A Mouse

Wee, sleekit, cow'rin, tim'rous beastie,
O, what a panic's in thy breastie!
Thou need na start awa sae hasty,
Wi' bickering brattle!
I wad be laith to rin an' chase thee,
Wi' murd'ring pattle!

I'm truly sorry man's dominion,
Has broken nature's social union,
An' justifies that ill opinion,
Which makes thee startle
At me, thy poor, earth-born companion,
An' fellow-mortal!

I doubt na, whiles, but thou may thieve;
What then? poor beastie, thou maun live!
A daimen icker in a thrave
'S a sma' request;
I'll get a blessin wi' the lave,
An' never miss't!

Thy wee bit housie, too, in ruin!
It's silly wa's the win's are strewin!
An' bleak December's winds ensuin,
Baith snell an' keen!

Thou saw the fields laid bare an' waste,
An' weary winter comin fast,
An' cozie here, beneath the blast,
Thou thought to dwell-
Till crash! the cruel coulter past
Out thro' thy cell.

That wee bit heap o' leaves an' stibble,
Has cost thee mony a weary nibble!
Now thou's turn'd out, for a' thy trouble,
But house or hald,
To thole the winter's sleety dribble,
An' cranreuch cauld!

But Mousie, thou art no thy lane,
In proving foresight may be vain;
The best-laid schemes o' mice an 'men
Gang aft agley,
An'lea'e us nought but grief an' pain,
For promis'd joy!

Still thou art blest, compar'd wi' me
The present only toucheth thee:
But, Och! I backward cast my e'e.
On prospects drear!
An' forward, tho' I canna see,
I guess an' fear!

まあこれはこれで動画にも採用していたりそれなりに有名な詩だと思うのですが、普通の日本人にはなじみは無いかと思います。また本文の方のスコットランド英語の表記や、やたらと略が多い表記にも違和感を感じるかと思います。スコットランド英語はAuld Lang Syneでも認められる通り、いわゆるスコットランド独特の綴りと表現であり、これはそれぞれ辞書を対照するしかないと思います。また’アポストロフィーで表現される略は特にフリーメイスンリーでは∴で略されたりもしますが、特に英文の慣れた書き手ではそれらを使う事がむしろ勧められていて、ほとんど暗号のような文章になるのもフリーメイスンリーでは良くあります。リチュアルなどでもそのようになる事が多いです。で、一番大事な内容なのですが、詩集の研究会による解説では、弟が語ったこととして、畑で下男がネズミを掘り出した光景を目にしたブラザーバーンズがその夜に書いた詩という事ですが、そのまま受け取るとふーん詩人は想像力豊かなんだなで終わりですが、この1785年は既にブラザーバーンズはフリーメイスンリーに加入している時なのです。そんなわけがあるでしょうか?この翌年の1786年にジャマイカ移民を断念したブラザーバーンズはエディンバラに移動しています。さてこの詩の意味は何でしょうか。

恐らくロイヤルマイルズの章で触れたブラザーディーコン・ブロディーやそれに類する話の前哨戦ではないでしょうか。まあそんな感じで、要するにブラザーロバート・バーンズの詩はそもそもスコットランドのフリーメイスンの間でお互いに理解しうる暗号に近いもの、さらにその当時の正確な記録、そうした価値があるという事だと思います。そしてそれは恐らく全ての詩がそういうものなのだということなのだと思います。だから普通の人は評価できないのだと思われます。上の詩でも原文でsocial unionやfellow-mortalという単語やthieveという言葉はそれぞれフリーメイスンリーやフリーメイスンのお互いの呼びかけに通じますし、盗みという単語をはっきりと出したりするのはネズミの表現としてあまり普通ではありません。24束の一穂など何やら実際の盗みの証拠を握っているような表現もあり、これが盗みをやっている本人に示されたとしたら本人は気が気じゃないのではないでしょうか。まあつまりその位の内容であると考えて読んで初めて理解される内容という事だと思います。まあまさにフリーメイスンですね。同時期の夭逝した音楽の天才ブラザーモーツァルトの作品も全てそういう表現であるという事でした。
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世界の終りというパブですね。なかなか過激な表現のパブですがエバンゲリオンかハルマゲドンでしょうか。何か意味があるのだと思います。恐らくフリーメイスンリーロッジの一つではないでしょうか。
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トロン教会を下から見ている形です。
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エディンバラ大学の方向です。南橋のさらに下の通りでしょうか。セントマリーズストリートというそうです。
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カールトンヒル方面です。ジェフリーストリートというようです。政治的殉教者の記念碑とエディンバラ市長の家がきれいに見えます。
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そこを国会議事堂、ホリールード宮殿の方にさらに下っていくとあるのがこれです。キャノンゲートカーク、すなわちキャノンゲート教会です。この時は当然この銅像はブラザーロバート・バーンズだと思って撮っていますが、もちろんブラザーロバート・ファーガソンですね。ブラザーロバート・ファーガソンの詩はやはりスコットランド英語で書かれたもので、3つほどこのサイトでは認めます。こちらのサイトではその他に3篇があるでしょうか。恐らくその詩集でそう言った様々な暗喩や諧謔と友愛の表現のアイディアをブラザーロバート・バーンズは学んだのではないでしょうか。ブラザーロバート・ファーガソンの精神病や早すぎる死の原因もその表現にあったのかもしれません。キャノンゲートカークはエリザベス女王がホリールード宮殿に来た際に礼拝に訪れる教会だそうです。色々内部の解説なども日本語でありますので検索してみてください。アダム・スミスの墓もあるそうです。もちろん上に挙げたブラザーロバート・ファーガソンのお墓もあるそうです。私は全くその時は知りませんのでお墓参りもしていませんし、内部も見ていません。

また別の機会に動画も撮りましたが、まあおざなりな撮り方です。フリーメイスンやその関連の墓も多いのかもしれません。

ブラザーロバート・バーンズの詩についてはその他のものについても個別に取り上げようと思っています。また横浜ロッジのホームページにあるブラザーロバート・バーンズとアダム・スミスについても訳していければと思います。なかなか英語翻訳を中心としたブログのネタはたまって来た感じでしょうか。
後はとりあえず市長選も終わったので、ブラザーデッカー司令長官の回想録も追っていくつもりです。

後は全くの余談ですが日本のもう一人のブラザーロバートの演奏会が7月18日と7月26日と予定されています。興味のある方は是非どうぞ。

ロバートという名前はここスコットランドでは結局ロバートドブルース、ロバート一世から始まるスコットランド王家の由緒正しい名前なのですね。