2013-07-02 14:27 | カテゴリ:スコットランド
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
まあ観光案内の体が色濃くなってきて、なおかつエディンバラの場合はまあそういうフリーメイスンリーの本部なんでどうも一人旅でやたらあちこちいって写真を撮るアクティブなブロガーが多いようで、どうもそういう内容と差別化できない今日この頃のこのブログです。
エディンバラに真面目に旅行するフリーメイスンも日本に限らずそんなにいないと思われますし、なおかつそれをブログでいちいち報告する真面目なフリーメイスンもそんなにいないと思います。エディンバラの町は真面目に歩けば確実にフリーメイスンリーの本部然としていますし、そういう場所なのですが、その要素を消してしまえば世界遺産の観光地という事になります。観光なんてのは近所の山でも川でも海でも観光と思っていけば観光ですし、それは寺でも神社でも教会でもそういうものな訳です。で、フリーメイスンリーについての観光といっても、そもそもフリーメイスンリーとはキリスト教でもあり仏教でもあり神道でもありユダヤ教でもありイスラム教でもあり、宗教でもあり道徳でもあり数学でもあり科学でもあり、町であり人であり組織であり建築であり何でもありな訳です。まあいわゆるグノーシスとも関わるわけですが、そういうわけでフリーメイスンリーについての観光や学習といっても結局バックパッカーのブログと大差ないというところがまあ現実な訳で、それをなんとか差別化できないかと色々シンボリズムやら豆知識やら変わったイベントやら考えて入れ込んでいるわけですが、まあどうもフリーメイスンリーの本部だけあってそうは問屋が卸さないというところで頑張ってブラザーロバート・バーンズの詩といったところでしょうか。まあ以前は聖書を良く紹介したりしていたのですが、あれも本来は聖書の部分の引用はご法度な訳ですが、そういうところをあまり考えないでとにかく触れてほしいという考えで紹介しているわけですが、この後のブラザーロバート・バーンズの詩も訳の著作権など問題があるわけですが、こちらもなんとかお見逃しいただけるようお願いいたします。ブラザースコットなどについてもいずれ読む機会があればと思っていますが、なんとも今は色々読書は手一杯でありとりあえずブラザーロバート・バーンズについて噛みしめながら、スコッチウイスキーの味わい方を学んでいこうなんて思っています
さてまあエディンバラの観光的には折り返し位に入って来たわけですが、学会の方の記事としては全く触れていないわけで、そちらの方も少しずつ入れていこうかと思います。まあブログの形態を採っていますが、内容的には人文系の大学の講義よりさらに難しくしたくらいの内容だと思いますし、対象も一応フリーメイスンとしていますが、実際には小学生から老人まで誰でも読めて楽しめる内容を目指していますので、なかなかメディアとしては軽業師なのかと思っています。
でまあ内容としてはかなり陳腐になりそうなエディンバラのメインであるエディンバラ城の観光です。
IMG_5808.jpg
まあ好天なので非常にきれいですねえ。宮崎駿のアニメに出てきそうですが、そういうと拍子抜けでしょうか。まあ大砲の無い時代には有効だったんでしょうね。
IMG_5809.jpg
山登りして時間が経ったせいかちょうど人が混む時間で1時間くらい待ちました。入場料は1500円くらいだったと思います。なんかアンケートみたいなのを積極的にとっている感じで、観光にITのフィードバックを入れている感じでした。まあいずれにしてもエディンバラ市の奥の院の感じは醸し出していました。
IMG_5810.jpg
まあ市街が一望できる感じはウィンザー城ともよく似ています。塔としての役割がお城にはまずあるのですね。
IMG_5811.jpg
内部は実用的な城の雰囲気が強く、一種の城内市の様子でしょうか。実用的な住居が並んでいます。まあ実際のそういう戦闘や戦争で役に立つものってのは酷く陳腐で面白みのないものなんですよね。
IMG_5812.jpg
また逆光で撮っていますね。スコットランドの旗が気に入ったようです。
IMG_5813.jpg
イギリスの小学生か中学生の修学旅行生もいました。ちょうど思春期の女の子は壁沿いの一番目立つ場所を占拠して大声で笑っていましたがまあどこの国も人は変わらないという印象でしょうか。
IMG_5814.jpgIMG_5815.jpg
まあやっぱり実用的なんで良くできています。姫路城なんかもそうですが、やはりそういうのから遠い時代に生きる人間としては感心します。
IMG_5816.jpg
昔は確実に落とし穴でも掘ったところなんでしょうね。そういうのがないと型なしです。
IMG_5817.jpg
中は完全に住居になっています。
IMG_5818.jpg
アーチが古そうです。まあ要所の構成は結局変わらないのでしょうね。
IMG_5819.jpg
また逆光ですが、城の中心部に緑があるのは結局畑なんでしょうね。
IMG_5820.jpgIMG_5821.jpg
まあまた逆光ですが、あまり大した建物の仕組みはありません。ここまでこられたら戦争的にはジエンドなんでしょう。日本の城でも実用的であればある程本丸は陳腐なはずです。
IMG_5823.jpgIMG_5824.jpg
ガーゴイルがあって完全に礼拝堂になっています。確か世界大戦の戦士の慰霊碑とかであったと思います。そういうわけで撮影禁止だったと思います。現代の城の中枢は反戦の精神ではないでしょうか。
IMG_5825.jpg
ここからエディンバラ城の城の歴史の展示です。なかなか面白い展示でした。
2013-07-02 20:10 | カテゴリ:横浜
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
さてまあ横須賀の某秘密結社の活動で始まったこの当ブログですが、横須賀のネタもだいぶ尽きて久しいところな訳で、実際フリーメイスンリーの横須賀での活動は基地の中で行われているわけでして、日本の領域と関わるのはそれこそライオンズクラブやロータリークラブ、基地開放でしかないわけです。
で一応私自身が所属することにしている横浜ロッジ(実際には現在は全く通っていません。)の管轄する横浜地域のフリーメイスンリーのシンボルについて、二度ほどみなとみらいに行く機会がありましたので横須賀のと同様に見て行こうかと思います。色々な関係上で条件が悪いものであったりすることがありますが、まあそういうのはなかなか色々しようがないという事で話を進めて行くこととします。
IMG_4891.jpg
これはチマローザの「秘密の結婚」をみなとみらい小ホールで観覧に行った時ですかね。みなとみらいもほとんど私は行かないわけですが、AOKIのソロモン宮殿を模した結婚式場の話題などがありましたが、YES'89の時代からやっと最近おおよそ25年の月日を経て周辺も落ち着いてきた模様のようです。特に東急線に接続する地下鉄の開通が大きいようですが、まあ大規模プロジェクトという事もあり横浜ロッジの様々な内情も後のせサクサクでありながらも関連する状況であるようです。この写真は明らかにかつてのドリームランドを思わせる閑散さを呈しているみなとみらいの中心とも言えるコスモワールドでしょうか。ロッジを模したようなオベリスクを配したお化け屋敷なのだと思いますが、あったので写真に撮りました。後で出しますが港が見える丘のイギリス館の形を模しているのですね。もちろん関東大震災で崩壊した日本大通りにあったロッジのさらに前の時点の最初の最初のフリーメイスンリーの会合は恐らくこれらイギリス大使公邸で行われていたのであろう事は明らかだと思われます。
IMG_4892.jpgIMG_4893.jpg
ちょうどアルジェリアでの日揮の事件があった頃なのですね。日揮の本社がみなとみらいのランドマークタワーの横にあるわけですが、良く見るとラフアシュラーがあったりします。
IMG_4894.jpg
まあドックヤードガーデンでしょうか。ヴェルニーの作った横須賀ドックもありますが、こちらは役目を終えて公園となっています。ランドマークタワーとドックで男性器と女性器の象徴となるわけですが、なかなか日本の奇祭のようでこういう直接的な配置なのが東洋的でしょうかね。横浜ロッジのパストマスターがちょうど建築関係でもありましたのでこういう建築関係に関わっていたのでしょうかね。古事記なども読むと非常に直接的な表現で冒頭に書かれていたのを思い出します。
IMG_4895.jpg
タワーブリッジを模した塔ですね。後で上りますがほとんどの人があれは何なんだろうと思っていると思います。一度登ってみると面白いですが、非常に拙い形の螺旋階段になったまさにただの展望塔です。本当にタワーブリッジに準じた建築となっていますが、現状では幼いカップルのラブホテルのようになっています。まあ極めて東洋的でしょうか。
IMG_4896.jpgIMG_4897.jpg
いわゆる写真撮影スポットになっているのですね。まあバブル時代に設計なのでとにかく見栄えにこだわったお金をかけた設計で、意味や実益の面では全面的にフリーメイスンリーのシンボリズムに依存しているのですね。そういうわけで未だに収益性や商業性の面で問題があり続けるわけですね。どうなる事やら。TPPなど貿易の自由化で港の物流量は明らかに増えるのでしょうがねえ。
IMG_4898.jpg
聖アンデレ十字がはためいています。ロシア海軍のシンボルとなるようです。いわゆるスコットランドのセントアンドリュークロスとは反転しています。後方にZ旗があります。Z旗は三笠ライオンズのシンボルにでもなったのでしょうかね。まあ三笠公園もそうですがこういう公園の人の少なさは日本のフリーメイスンリーの拙さなのでしょうね。日露戦争の対立を越えた友愛の表現でしょうか。
IMG_4899.jpgIMG_4900.jpg
螺旋のライトがあったりします。ジャックの塔、横浜市開港記念会館が見えます。手前に港湾労働者の海岸通り団地があったのですが再開発中です。
IMG_4901.jpg
歩きやすい汽車道ができたのですね。赤レンガ倉庫にランドマークタワーの下から繋がっていて動線がやっとつながった感じでしょうか。まあしかしここまで来るのにめんどくさい。距離的にも時間的にもと言ったところでしょうか。凱旋門を模した形でホテルでしょうか。碇のシンボリズムもあります。
IMG_4902.jpg
碇のシンボリズムは横浜ではそれほど多くないですね。今後増えるのでしょうか。
IMG_4903.jpg
赤レンガ倉庫はオープニングで行った記憶がありますがそれ以降全く行った覚えがありません。最近経営主体がキリンから三菱商事に変わったそうですが、どうなんでしょうね。そのうちビールとフリーメイスンリーの関係もやる予定です。
IMG_4904.jpg
クイーンの塔、横浜税関を見ながら大桟橋方面に歩きます。まだまだ広場は一杯ある感じでしょうか。
IMG_4905.jpg
ワールドポーターズでしょうか。確か映画館があった気がします。これも最近経営主体が変わったとか聞いた気がします。
IMG_4906.jpg
ちょうどアイスリンクを開いていたのでしょうか。まあ今後はなかなか屋外のスケートは厳しそうです。
IMG_4907.jpg
大桟橋方面ですが、なかなかどうなんでしょうねえ。ブログに書かざるを得ないということは思ったほど客は増えていないということなのだと思われます。
IMG_4908.jpgIMG_4909.jpgIMG_4910.jpg
以前も取り上げた象の鼻パークの地点のキングの塔、神奈川県庁とクイーンの塔です。こんなライトアップをしているのですね。この辺りもこう落ち着く前が酷かったですからねえ。今時景色や雰囲気だけで人が集まる時代ではないでしょうから。ちょっともうねえ。
IMG_4911.jpgIMG_4912.jpgIMG_4913.jpgIMG_4914.jpgIMG_4915.jpg
まあGの形の縁を示すための光るモノリスのような板な訳ですが、11の数字とでユダヤ教の十戒の石板をモチーフとするのでしょうが、明らかに怖がられちゃってるんでしょうね。まあ結局予想通りの大型客船が隣接できない大桟橋という時点で致命的なんですね。観光スポットで商業地域にしようとか、ライティングで公共施設を威厳を持たせて見せようなんて、よっぽどギザの三大ピラミッド見た方がいいわけです。

という事です。まあこの辺はまたその後数カ月たって状況も変わっているでしょうね。
IMG_4916.jpgIMG_4917.jpgIMG_4919.jpg
まあ写真撮影スポットな訳ですが、写真が欲しければネットで検索した方が良い写真が得られる時代なんですね。実際の景色が写真を上回るわけでなければ価値はないわけです。そういうのはわからないでしょうね。
IMG_4920.jpgIMG_4921.jpgIMG_4922.jpg
ちょうど月がAll Seeing Eyeの形になって来たのですね。まあこういうのもだいぶ飽きられてるかもしれません。山下公園の方に歩いてきています。セントポール大聖堂のドーム型をしたのが屋根にある建物があります。仏塔のようでもあります。
IMG_4924.jpg
これはもしかすると横浜で最も有名なピラミッドかもしれません。パスポートセンターがこのビルにあるのですね。横浜市在住で海外旅行に行かれた方は皆知っているかと思います。
IMG_4925.jpgIMG_4926.jpg
その横に変な建物があります。イギリス公使館かなんかの分館であったようですが、関東大震災を残った記念すべき建物だそうですが、恐らく保存にどこもお金を出さなかったのでしょうね。創価学会の建物となっていました。山下公園の先ほどのセントポール大聖堂のドームのような建物も関連しているのかもしれません。なんというかまさに横浜のフリーメイスンリーの歴史そのものでしょうか。
IMG_4927.jpgIMG_4928.jpgIMG_4929.jpgIMG_4930.jpg
マリンタワーもだいぶ経営が危ぶまれていましたが、塗りなおして改築して恐ろしく綺麗になっていました。また登る機会は相当先でしょうか。イタリアンのレストランにでもなっていたのでしょうかね。まあ結局ロンドンの再開発なんかもそうでしょうが全体の構成が一番大事なんでしょうね。
IMG_4931.jpgIMG_4932.jpg
港が見える丘からの風景です。明らかに前のマンションが酷いです。まあそれこそ港湾労働者住宅がこちらに持ってこられた感じがあります。ロンドン大火や切り裂きジャックの話ではないですが、都市の再開発と都市伝説とは切っても切り離せない関係がありますが、全体として調和したものがあってほしいものです。KKRのレストランとホテルがありますが経営はどうなんでしょうね。まあブログに書かれるということはそれなりという事でしょう。
IMG_4933.jpgIMG_4935.jpg
まあ現在の港が見える丘は夜が良いです。
IMG_4936.jpgIMG_4937.jpgIMG_4938.jpg
イギリス館ですね。コスモワールドのお化け屋敷と同じ屋根のオベリスクがあります。隣にある文学館も意味がわかりません。ローズガーデンと曲がりくねった階段の庭園がなかなか趣を加えていますがまあかつての威厳はないですね。
IMG_4939.jpg
まあ夜も照明があるということは訪問することを想定しているのでしょう。ぜひまあ訪問してみてください。
IMG_4940.jpg
前にあるのがインターナショナルスクールです。この運動場の下のダンススクールの前に横浜ロッジがかつてあった碑文がスコットランド系ロッジの東方の星によって残されています。横浜ロッジFar East Lodge No.1のホームページにも写真があるかと思います。
IMG_4941.jpg
そのすぐ横にいかにもフリーメイスンという家があります。多分ブラザーの家だと思いますがもちろん迷惑をかけてはいけません。
IMG_4946.jpgIMG_4947.jpgIMG_4948.jpgIMG_4949.jpgIMG_4950.jpgIMG_4951.jpgIMG_4952.jpgIMG_4953.jpg
外国人墓地です。いずれそれぞれ個別のフリーメイスンについて墓標から人生についてコメントしていければと思います。
IMG_4954.jpg
やはり螺旋階段があったりします。ご近所ではフリーメイスンリーは有名なのでしょうね。
IMG_4955.jpg
ご飯の量が多い料亭として有名な元町梅林ですね。私はまだ行ったことはありません。
IMG_4956.jpg
こちらも老舗で有名なウチキパンです。
IMG_4957.jpg
元町商店街です。綺麗に整備されてなんだか高級商店街です。
IMG_4958.jpg
店の商標もロータリークラブなんかなんでしょうか。白黒のチェッカーが入っています。
IMG_4959.jpg
こちらはいかにもフリーメイスンリーっぽい名前ですがどうでしょう。
IMG_4960.jpg
この辺は良くあるシンボルっぽいですね。
IMG_4961.jpg
パリのシャンゼリゼ通りにもあったスワロフスキーです。創業者がフリーメイスンのようです。
IMG_4962.jpg
入り口のアーチは虹でしょうか。上にいるのは鷲のようです。ロイヤルマイルにも似たようなフクロウがいました。
IMG_4963.jpgIMG_4964.jpg
石川町駅の裏側にあるイタリア庭園です。このすぐ近くに内山岩太郎初代神奈川県知事の邸宅もありました。カトリック繋がりなのですね。
IMG_4965.jpgIMG_4966.jpgIMG_4967.jpgIMG_4968.jpg
石川町からだいぶありますが伊勢佐木町まで歩いて来ました。伊勢佐木町といえば有隣堂という事で本をチェックします。ロストシンボル日本語版は過激なのであまりないのでしょうか。なぜか英語版は置いてありました。その他もフリーメイスンリー関連書がありましたが、私が驚いたのは夜と霧があった事でしょうか。ブログを読んでいるのでしょうかねえ。
IMG_4969.jpgIMG_4970.jpgIMG_4971.jpg
これはその当時やっていた美術館の展覧会のポスターですね。わずか数カ月ですが隔世の感があります。国立西洋美術館の館長さんは現在文化庁長官をやっているようです。
IMG_5100.jpg
これはまた違う日ですね。シラーの詩が書いてあります。シラーは一度はフリーメイスンであったそうですが、本人は辞めた事になっているそうです。そんな事あるのでしょうか。地下鉄みなとみらい駅から上がって来るところです。Grand Lodge of Yukon and Columbiaのホームページによると彼のフリーメイスンとしての資格は確定的なものではないが、ベルリンのルドルスタットロッジのメンバーは彼をメンバーだと考えているということなので、まあフリーメイスンで良いのだと思いますが、本人が拒絶したのでしょうね。1759年11月1日生まれで、ブラザーゲーテととても親しく一緒の銅像も残されています。死亡説が流れた後に回復後の1805年5月1日ブラザーゲーテとともに観劇中に体調不良を生じ、5月9日に亡くなったそうです。ブラザーゲーテは後にシラーの骸骨と思われる骨を前に「シラーの骸骨に寄す」という詩を書いているそうです。
ここにあるのはアメリカ人のアーティストの作品になるそうです。ジョセフ・コスースという方で、元の引用元はシラーが手紙で使った文章だそうです。
IMG_5101.jpgIMG_5102.jpg
シンボルとなる観覧車ですね。手前に洋服のAOKIの結婚式場が建築中です。横須賀にもYRP野比辺りに観覧車を作ったらどうでしょうか。
IMG_5103.jpg
横浜グランドインターコンチネンタルホテルです。森ビル資本なのですね。
IMG_5104.jpg
こちらはパンパシフィックホテルですね。現在は横浜ベイホテル東急になっているそうです。
IMG_5105.jpg
クイーンズスクエアですね。3つ並びになっています。
IMG_5106.jpg
太陽の塔みたいですね。
IMG_5107.jpg
これはタワーブリッジを模した展望台の中です。らせん状に登っていきます。
IMG_5108.jpg
遊園地を見下ろしたところです。
IMG_5109.jpg
頂上にピラミッドのある白黒の塔になっているのですね。横須賀のベース前のエレベーターが似たような作りになっています。同じ時期に作っているのでしょうね。
IMG_5110.jpg
この鉄道の跡の道が新しくできたのですね。
IMG_5111.jpg
みなとみらい21を開発した当時の横浜市長細郷道一氏の揮毫があります。在任中に亡くなったそうです。その後高秀秀信市長となり、中田宏氏、現在の林文子市長となっています。高秀秀信氏以降は綺麗にシンボリズムが踏襲されている感じでしょうか。ちなみに細郷氏の前は飛鳥田一雄氏という珍しい名字のシンボリズムの方でした。
IMG_5112.jpg
一応固定されていますが水に浮いている日本丸です。シンボリズム的にはどちらが良いのかわかりませんが、いずれにしても使用していないシンボルとしての船はノアの箱舟のシンボリズムとなります。
IMG_5113.jpgIMG_5114.jpg
タワーブリッジに似ていますがちょっと良くわからない形のオベリスクですね。中は人が少ないのでカップルが自由に使っていたりします。ちょっとヤバいですね。
IMG_5115.jpgIMG_5116.jpg
日本丸とランドマークタワーの関係です。まあなかなか壮観ですが人はそれほど多くありません。あまりにシンボル過ぎて駄目なんでしょうね。
IMG_5117.jpg
なかなか豪華なんですが、展示内容と展示の意欲があまりどうなんでしょうか。まあ豪華なんで展示なんかより施設を継続する意欲は強く感じられましたが。
IMG_5118.jpgIMG_5119.jpg
コンパスと碇のシンボルになります。
IMG_5120.jpgIMG_5121.jpgIMG_5122.jpgIMG_5123.jpg
日本丸は航海訓練船なんですが、実際日本人向けにできているので船内がコンパクトなんですね。
IMG_5124.jpgIMG_5125.jpgIMG_5126.jpgIMG_5127.jpg
行った当時は小学生に掃除をさせていましたが、実際どのような利用をしているのでしょうねえ。
IMG_5128.jpg
日本丸の練習航海の経歴ですね。そういえばこの間大々的なヨットの単独航海を失敗したのが話題になりましたがまあ素人がやって良いことではないということなのでしょうね。
IMG_5129.jpg
操舵輪があります。仏教の法輪のようですが、恐らくそことの関連は言われていないのでしょうね。シンボリズムもそんなもんです。これがキリスト教だとシンボルになっているのでしょうね。実際は今でも普通の日本人の仏教のシンボルは卍です。
IMG_5130.jpg
日本丸の日本国旗がちょうどドコモの電波塔と重なってしまっています。まあなかなかシンボリズムですね。
IMG_5131.jpg
重要文化財のドックヤードガーデンですね。つい最近まで三菱重工のCMでやっていましたが終わってしまいました。しかしこれが重要文化財だと現在も米軍基地の中で使用されているヴェルニーの作った横須賀ドックは国宝級ということなのでしょうね。現役であり見た目の印象も違います。
IMG_5132.jpg
星のシンボリズムがあります。これはなかなかうまくいっている感じでしたね。その他は何がいけなかったのでしょうか。やはりシンボリズムを意識しすぎなのでしょうね。フリーメイスンリーはなかなか難しいです。
IMG_5133.jpg
位置関係はこんな感じです。
IMG_5134.jpg
恐らく友愛の結び目なのでしょうがどう見ても怪獣ですね。まあ当時の勢いが表れているのでしょうが、この建築で何かストップしたような印象はあります。まあシンボリズムは日本の書道のようなものでしょうか。心が表れるのですね。まあそんなものです。やはり聖書の通読が必要なのだと思います。
IMG_5135.jpg
遊園地ですね。
IMG_5136.jpg
スターバックスと鷲の銅像に布がかかっています。恐らくこの鷲は神戸と同じくアメリカを意味するのではないでしょうか。さすがに魚の像はありませんが、まあバブル経済の際の象徴なのでしょうね。今のアベノミクスもバブルと同じことをやっているのが馬鹿らしい感じではあります。
IMG_5137.jpgIMG_5138.jpg
こちらはクイーンズスクエアの一階のところですね。お決まりの白黒のモザイク模様です。一応ここが中心なのでしょうね。
IMG_5139.jpg
この時はロンドンシンフォニーの演奏会であったのでしたね。横浜駅ではフリーメイスンリーのシンボルの入ったバッグをもった楽団の方々がいました。声は掛けなかったのですが、演奏は完璧でした。私のこれまで聞いた中で最高の音楽であったことは間違いありません。なんせ演奏している若い人たちも感動した様子でした。アンコールも一切受け付けなかったのが印象的でした。まさにフリーメイスンという仕事であったと思います。それ以降ブラザーブルックナーの交響曲第9番をブログの音楽にも加えています。

横浜のフリーメイスンリーについては外国人墓地の記事と後は横浜の某病院とフリーメイスンリーの話についても記事としていきたいと思っています。ブラザードン・ブラウンについても開港資料館と絡めて少し紹介できればと思います。また自衛隊の観艦式についてもいずれ記事としようと思っています。まあ少しネタを温めて出していく感じでしょうか。

横須賀の7月は独立記念日から始まって、ペリー祭、開国祭、東京湾海上交通センターの開放とイベントが目白押しです。横浜も花火大会やイベントが盛りだくさんですが、夏休みとなれば家族連れにもちょうどよいかと思います。家族でフリーメイスンリーのシンボル巡りもパワースポット巡りよりは観光の充実さがあるのではないでしょうか。もちろんシンボリズムの学習が最も大事になるのは言うまでもありません。
2013-07-04 14:27 | カテゴリ:スコットランド
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー

肌寒い11月のこと、
 一吹きの突風が
野や森を落葉させるころ、
 私はある日の夕べ、エア川の堤をぶらついていると、
一人の老人の姿に気がついた。
 その歩みは労苦で疲れはて
顔は老齢でしわができ、
 しかも髪の毛は白かった。


「そこのお若いの、どちらへいらっしゃる。」
 その老賢者が私に声をかける、
「あなたの足を急がせるのは富を求める心かね、
 それとも若者の快楽の嵐かね?
たぶん気苦労と災いに後押しされて、
 あなたは既に歩みを始めたのだね。
私といっしょに、人の惨めさを
 悲しむことにしよう」。


果てしなく、遠く広く、
 彼方の荒野にかかる太陽、
不遜な地主の誇りを支えるために、
 何百人の若者が労苦に汗する。
彼方に、疲れ切った冬の太陽が四十倍のさらに倍の数ほど
 行きつ戻りつする姿を私は目にしてきた、
その度ごとにその証しを立てる。
 人の運命(さだめ)はただ嘆くこと。


人よ! 若い時期には
 なんとまあ時間を浪費するのだろうか!
君の貴重な時間を、
 輝く青春を浪費するのか!
それに代わる愚行が権力をふるい、
 放縦な情熱が燃え盛る。
これが十倍の力で「自然」の法則を示す、
 人の運命はただ嘆くこと。


青春の盛り、また、壮年の旺盛な力、
 それだけを見てはならない、
仲間たちの役に立ち、人は権利に支えられる。
 だが、心労と悲哀で疲れ切った
人生の崖に立つ彼の姿を見よ。
 「老齢」と「欠乏」とは、なんという不似合いな組み合わせだ!
これが教えるのは、
 人の運命はただ嘆くこと。


快楽の安らかな膝元に憩う
 運命の寵児の数は少ない。
だが思ってはならない、
 富める者、偉大なる者、
すべて等しく真に祝福されたる者であると。
 あらゆる国の惨めで孤独な人々はみな、
疲れ切った人生を送り、教訓を学ぶ、
 人の運命はただ嘆くこと!


人の体に組み込まれているのは、
 辛い病のかずかず、
後悔・悔恨・恥辱の念を感じて、
 私たちの痛みはますます鋭くなる。
人の顔は天によって造られたもの、
 愛に満ちた微笑を飾る。
人の人への無情は
 無数の人を悲しませる原因なのだ!


見てご覧、彼方の哀れで、労苦に苛まれた、
 惨めで卑しい汚れた人を、
彼の地上の兄弟に、
 耕す許しを乞い願う。
さらに見よ、虫けらのような高慢な主人が
 この哀れな願いをけり飛ばすのを、
悲しみに泣く妻や、か弱い子供たちの嘆きにも
 全く気にとめていない。


自然の法則によって計画され、
 殿の奴隷になるのが私の運命ならば、
私の心の中に独立心が
 植えつけられたのはなぜか。
そうでなければ、殿の残虐や侮蔑に
 さらされるのはなぜなのか。
なぜ人はその仲間を悲しみに落とす
 意志と力を持っているのか。

10
若者よ、しかし、これを聴いて
 君の若い胸をあまり動揺させてはならない。
これは人間性のただ一側面であり
 最終のものではない。
嘆く人を慰めてくれる
 償いがなければ、
貧しく圧しひしがれた正直な人は
 決して生まれてくるはずはない!

11
「死よ! 哀れな人の最愛の友よ、
 心優しい最善の友よ、
年老いた私の四肢がおまえといっしょに
 休息するその時よ、来たれ!
偉人と富者は、華美と快楽から引き裂く
 おまえの一撃におののく。
だが、疲れの重荷に悲しむ者には
 なんと祝福あふれる安息であることか!」

Man Was Made to Mourn

A DIRGE.

[The origin of this fine poem is alluded to by Burns in one of his letters to Mrs. Dunlop:"I had an old grand-uncle with whom my mother lived in her girlish years: the good old man was long blind ere he died, during which time his highest enjoyment was to sit and cry, while my mother would sing the simple old song of 'The Life an Age of Man.'"From that truly venerable woman, long after the death of her distinguished son, Cromek, in collecting the Reliques, obtained a copy by recitation of the older strain. Though the tone and sentiment coincide closely with "Man was made to Mourn," I agree with Lockhart, that Burns wrote it in obedience to his own habitual feelings.]

When chill November's surly blast
Made fields and forests bare,
One ev'ning as I wandered forth
Along the banks of Ayr,
I spy'd a man whose aged step
Seem'd weary, worn with care;
His face was furrow'd o'er with years,
And hoary was his hair.

"Young stranger, whither wand'rest thou?"
Began the rev'rend sage;
"Does thirst of wealth thy step constrain,
Or youthful pleasure's rage?
Or haply, prest with cares and woes,
Too soon thou hast began
To wander forth, with me to mourn
The miseries of man.

"The sun that overhangs yon moors,
Out-spreading far and wide,
Where hundreds labour to support
A haughty lordling's pride:
I've seen yon weary winter-sun
Twice forty times return,
And ev'ry time had added proofs
That man was made to mourn.

"O man! while in thy early years,
How prodigal of time!
Misspending all thy precious hours,
Thy glorious youthful prime!
ALternate follies take the sway;
Licentious passions burn;
Which tenfold force gives nature's law,
That man was made to mourn.

"Look not alone on youthful prime,
Or manhood's active might;
Man then is useful to his kind,
Supported in his right:
But see him on the edge of life,
With cares and sorrows worn;
Then age and want--oh! ill-match'd pair!--
Show man was made to mourn.

"A few seem favorites of fate,
In pleasure's lap carest:
Yet, think not all the rich and great
Are likewise truly blest.
But, oh! what crowds in every land,
All wretched and forlorn!
Thro' weary life this lesson learn--
That man was made to mourn.

"Many and sharp the num'rous ills
Inwoven with our frame!
More pointed still we make ourselves,
Regret, remorse, and shame!
And man, whose heaven-erected face
The smiles of love adorn,
Man's inhumanity to man
Makes countless thousands mourn!

"See yonder poor, o'erlabour'd wight,
So abject, mean, and vile,
Who begs a brother of the earth
To give him leave to toil;
And see his lordly fellow-worm
The poor petition spurn,
Unmindful, though a weeping wife
And helpless offspring mourn.

"If I'm design'd yon lordling's slave--
By Nature's law design'd--
Why was an independent wish
E'er planted in my mind?
If not, why am I subject to
His cruelty or scorn?
Or why has man the will and power
To make his fellow mourn?

"Yet, let not this too much, my son,
Disturb thy youthful breast;
This partial view of human-kind
Is surely not the best!
The poor, oppressed, honest man
Had never, sure, been born,
Had there not been some recompense
To comfort those that mourn!

"O Death! the poor man's dearest friend--
The kindest and the best!
Welcome the hour, my aged limbs
Are laid with thee at rest!
The great, the wealthy, fear thy blow,
From pomp and pleasure torn!
But, oh! a blest relief to those
That weary-laden mourn."

感想:感想がいるのかどうかというところですが、一応入れておきます。無常観を描いた詩ですが、そもそもスコットランドの古くから伝わる詩をアレンジしたようです。仏教の生老病死の四苦八苦に繋がる普遍的な真理が表現されたものかと考えます。死の平等性はフリーメイスンリーでもメメントモリで挙げられる大事な教訓です。
2013-07-06 22:20 | カテゴリ:スコットランド
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
おお、支配者よ、おお、多くの位高き天使たちの長よ、
戦列をしいた天使の軍隊を戦へと導いた天使たちの―
                      (ミルトン)

おお、おまえ、どんな呼び名がおまえにふさわしいか、
老角魔王か、サタンか、ニックか、それとも偶蹄魔王か、
向こうの汚い煤だらけの洞窟に
     おまえは閉じ込められて、
桶一杯の硫黄の火をまき散らし、
     亡者どもに焦熱地獄を味わわせる。

ちょっと聞け、老絞首魔王よ、
地獄に落ちた者どもはほっとけ。
私のような畜生どもをたたいて焦熱地獄を味わわせ、
     私どもがひいひいいうのを聞くのは、
悪魔にとっても、
     あまり楽しいことではあるまい。

おまえの力は強く、その名は高い、
おまえの名はあまねく知れ渡る。
向こうの炎立つ穴がおまえの住まいだが、
     おまえは遠くまで出かける。
本当に、遅れることも足を引きずることもなく、
     気後れすることもなく怖がることもない。

時にはほえるライオンのようにうろつきまわり、
餌を求めてくまなく巣穴や隅々を探るが、
時には強い翼を持つ嵐にのり
     教会の屋根を引きはがすが、
時には人の胸の内をのぞくが、
     おまえは潜んで姿を見せようとはしない。

私の敬う祖母(ばば)さまが言うのを聞いた、
おまえは人気のない谷間をさまようのが好きだと、
また、灰色の古城の廃墟が
     月にうなずく所で、
薄気味悪いうなり声で
    夜ごと道行く人をおびやかすと。

まじめで正直な女性祖母さまが
たそがれ時お祈りを捧げるとき、
境の石垣の向こうでよく聞いた、
     不気味な声でおまえがうなっているのを、
また、低いうなり声をあげてニワトコの茂みを
     おまえがざわざわとやって来るのを。

あるわびしい風のある冬の夜、
星の光が斜めに降り注ぐとき、
湖の向こうのおまえの姿に
     恐れおののいた。
すさまじい風のような音をたてて揺れながら、
     おまえはイグサの茂みのように立っていた。

私の握るこん棒は震え、
髪の毛はみな杭のように逆立った。
がーがーと泉の中を、
     けたたましい不気味な声を出して、
雄鴨のように鋭い羽音を立てて
     おまえが飛び去るとき。

恐ろしい魔法使いやしわくちゃな鬼婆どもに語らせよ、
彼らがおまえとともにサワギクの子馬に乗って、
荒地や目もくらむ絶壁をものすごいスピードで
     すれすれに飛ぶ様を、
掘り返した死体をさかなに
     墓場で結束を強める様を。

だから無駄かもしれない、
農婦がいくらがんばって攪乳器(かくにゅうき)をかき回しても、
おお、魔法を巧みに使って、
     黄色い宝物が取られてしまうのだから。
また、乳を7リットルも出す大事な乳牛も、
     雄牛のように乳を出さないのだから。

だから、好き者で、はやり、張り切る新婚の婿殿に、
まじないの結び玉を沢山付けておくのだ。
されど家一番のお道具は、
     魔法の働きで
たちまちまったくの役立たず、
     ここ一番という時に。

雪解けで吹きだまりが解けだし、
高い音を立てて氷の板が浮かぶとき、
おまえの命令で水馬がしばしば
     浅瀬に出没し、
行き暮れた旅人を
     破滅へとおびき出す。

よく泥炭地を横切るおまえの手先の鬼火は、
夜遅く帰る酔っ払いを誘いだす。
赤々と燃えるいまいましいいたずら者は、
     相手の目をたぶらかし、
ついに酔っ払いはぬかるみに沈み、
     もはや立ちあがることはできない。

フリーメーソンの秘儀の言葉や力が
おまえを烈火のごとく怒らせたとき、
雄鶏か猫でおまえの怒りを鎮めなければならない。
     さもなければ言うのも変だが、
一番年若い会員をすぐさま
     地獄に送りたがるだろう。

大昔美しいエデンの園で、
愛し合う若い二人がはじめてカップルとなり、
芳しい花咲く芝生や
     日をさえぎる木陰でうっとりと、
あらゆる愛の心を分かち合い、
     うっとりとした一時を過ごしたとき、

その時、おまえ悪知恵にたけた犬め、
こっそりと楽園にやってきて、
悪だくみで人間をだまし、
     (さても憎いやつめ)
始まったばかりの世界にショックを与え、
     破滅寸前にした。

おまえはあの日を覚えているかい、あわてて
くすぶった衣服を着て、すすけたかつらをつけ、
善良な人々の間に
     おまえの汚い顔を出し、
おまえの意地悪いからかいを、ウズの人ヨブに
     横合いから投げかけた日を。

おまえはヨブを自分の支配下において、
いかに住まいから追い出したかを、
疥癬(かいせん)と腫(は)れ物でヨブを苦しめ、
     かきむしらせ、
神へのののしりの言葉をいかに彼から引き出したかを、
     それがどんなに最悪であったかを。

でも大天使ミカエルが、おまえを刺したあの日から今日までの、
おまえの悪賢い誘惑や激しい争いといった
     おまえの行為すべてを並べ立てるには、
スコットランド語やゲール語を全部使っても無理なこと、
     散文にせよ韻文にせよ。

さて老偶蹄魔王よ、おまえが考えていることは知っているよ、
あるへぼ詩人は飲み浮かれているが、
つきはそいつを見離し、おまえの黒い穴に
     早ばやと追い込むことを。
だがどっこい、そいつはさっと角を曲がって
     おまえの鼻をあかすのだ。

じゃあ、あばよ、ニックさん、
少し考え、悔い改めてくれればいいんだが。
私は知らないが、多分おまえには
     まだそのチャンスはあるだろうよ。
向こうの洞窟を思うと、
     おまえのためでさえも悲しいや。

Address To The Devil

O Prince! O chief of many throned Pow'rs
That led th' embattl'd Seraphim to war-
Milton

O Thou! whatever title suit thee-
Auld Hornie, Satan, Nick, or Clootie,
Wha in yon cavern grim an' sootie,
Clos'd under hatches,
Spairges about the brunstane cootie,
To scaud poor wretches!

Hear me, auld Hangie, for a wee,
An' let poor damned bodies be;
I'm sure sma' pleasure it can gie,
Ev'n to a deil,
To skelp an' scaud poor dogs like me,
An' hear us squeel!

Great is thy pow'r an' great thy fame;
Far ken'd an' noted is thy name;
An' tho' yon lowin' heuch's thy hame,
Thou travels far;
An' faith! thou's neither lag nor lame,
Nor blate, nor scaur.

Whiles, ranging like a roarin lion,
For prey, a' holes and corners tryin;
Whiles, on the strong-wind'd tempest flyin,
Tirlin the kirks;
Whiles, in the human bosom pryin,
Unseen thou lurks.

I've heard my rev'rend graunie say,
In lanely glens ye like to stray;
Or where auld ruin'd castles grey
Nor to the moon,
Ye fright the nightly wand'rer's way,
Wi' eldritch croon.

When twilight did my graunie summon,
To say her pray'rs, douse, honest woman!
Aft'yont the dyke she's heard you bummin,
Wi' eerie drone;
Or, rustlin, thro' the boortrees comin,
Wi' heavy groan.

Ae dreary, windy, winter night,
The stars shot down wi' sklentin light,
Wi' you, mysel' I gat a fright,
Ayont the lough;
Ye, like a rash-buss, stood in sight,
Wi' wavin' sough.

The cudgel in my nieve did shake,
Each brist'ld hair stood like a stake,
When wi' an eldritch, stoor "quaick, quaick,"
Amang the springs,
Awa ye wquatter'd like a drake,
On whistlin' wings.

Let warlocks grim, an' wither'd hags,
Tell how wi' you, on ragweed nags,
They skim the muirs an' dizzy crags,
Wi' wicked speed;
And in kirk-yards renew their leagues,
Owre howkit dead.

Thence countra wives, wi' toil and pain,
May plunge an' plunge the kirn in vain;
For oh! the yellow treasure's ta'en
By witchin' skill;
An' dawtit, twal-pint hawkie's gane
As yell's the bill.

Thence mystic knots mak great abuse
On young guidmen, fond keen an' abuse
On young guidmen, fon, keen an' crouse,
When the best wark-lume i' the house,
By cantrip wit,
Is instant made no worth a louse,
Just at the bit.

When thowes dissolve the snawy hoord,
An' float the jinglin' icy boord,
Then water-kelpies haunt the foord,
By your direction,
And 'nighted trav'llers are allur'd
To their destruction.

And aft your moss-traversin
Spunkies
Decoy the wight that late an' drunk is:
The bleezin, curst, mischievous monkies
Delude his eyes,
Till in some miry slough he sunk is,
Ne'er mair to rise.

When masons' mystic word an' grip
In storms an' tempests raise you up,
Some cock or cat your rage maun stop,
Or, strange to tell!
The youngest brither ye wad whip
Aff straught to hell.

Lang syne in Eden's bonie yard,
When youthfu' lovers first were pair'd,
An' all the soul of love they shar'd,
The raptur'd hour,
Sweet on the fragrant flow'ry swaird,
In shady bower;

Then you, ye auld, snick-drawing dog!
Ye cam to Paradise incog,
An' play'd on man a cursed brogue,
(Black be your fa'!)
An' gied the infant warld a shog,
'Maist rui'd a'.

D'ye mind that day when in a biss
Wi' reekit duds, an' reestit gizz,
Ye did present your smoutie phiz
'Mang better folk,
An' sklented on the man of Uzz
Your spitefu' joke?

An' how ye gat him i' your thrall,
An' brak him out o' house an hal',
While sacbas and botches did him gall,
Wi' bitter claw;
An' lows'd his ill-tongu'd wicked scaul',
Was warst ava?

But a' your doings to rehearse,
Your wily snares an' fechtin fierce,
Sin' that day Michael^2 did you pierce,
Down to this time,
Wad ding a Lallan tounge, or Erse,
In prose or rhyme.

An' now, auld Cloots, I ken ye're thinkin,
A certain bardie's rantin, drinkin,
Some luckless hour will send him linkin
To your black pit;
But faith! he'll turn a corner jinkin,
An' cheat you yet.

But fare-you-weel, auld Nickie-ben!
O wad ye tak a thought an' men'!
Ye aiblins might-I dinna ken-
Stil hae a stake:
I'm wae to think up' yon den,
Ev'n for your sake!

感想:フリーメーソンの秘儀や言葉という単語があり、一番年若い会員をすぐさま地獄に送りたがるだろうなどと続き、なにやらフリーメイスンリーロッジに関連ある詩として挙げました。何でも味わえばよいのだと思いますが私の感想を書きます。恐らく悪魔はTo A Mouseのようにブラザーディーコン・ブロディーなど誰かフリーメイスンリーに関連あるかもしれない人を考えてのことなのかもしれません。様々な聖書の奇跡のような事が挙げられているのも面白いです。人間は錯覚や誤解でそこに悪魔を認めたりするものなのですね。ヨブの話も誰かモデルがいるのかもしれません。洞窟はすみかの洞窟と牢屋の洞窟と二つの意味があるのかもしれません。ブラザーディーコン・ブロディーの人形のあったケルティックロッジのアーチのあるパブが洞窟のように思われてきたでしょうか。ロイヤルマイルズではいまだにロッジ同士の競い合いがかつてと同じであるのかもしれません。
2013-07-07 07:07 | カテゴリ:キリスト教
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
アヴェ・マリアというとカトリック信仰の象徴と思われるわけですが、最も有名なシューベルトのアヴェ・マリアの曲は実はミサ曲ではなくブラザーサーウォルター・スコットの詩集「湖上の美人The Lady of the Lake」のアヴェ・マリアで始まる部分のドイツ語訳に作曲したものでした。

以下ウィキペディアから引用です。

この歌曲は、しばしば《シューベルトのアヴェ・マリア》と呼ばれている。しかしながら元々この曲は、ウォルター・スコットの名高い叙事詩『湖上の美人』(『湖上の麗人』、The Lady of the Lake)の、アダム・シュトルク(Adam Storck)によるドイツ語訳に曲付けされたものであり、したがってシューベルトの《歌曲集『湖上の美人』》(Liederzyklus vom Fräulein vom See)の一部を成しているのである。
スコットの詩における「湖上の貴婦人」ことエレン・ダグラスは(スコットランドはハイランドの人で、この「湖」とはロホ・カトリーン(Loch Katrine)のことを指している)、父親とともに、城主である王の仇討ちから逃れるために、「ゴブリンの洞穴」近くに身を隠している。ダグラス親子は、王に追放されてからこの方、ハイランドの族長であるロデリック(Roderick Dhu)に匿われてきたのであった。エレンが、聖母マリアに助けを求めて祈りの言葉を口ずさむと、その声は、氏族を戦いへと鼓舞せんと山深いところにいたロデリックの耳元にも届いた。
《エレンの歌 第3番》は、オーストリアの寒村シュタイレク(Steyregg)にあるヴァイセンヴォルフ伯爵夫人ゾフィーの居城で初演されたため、後にこの伯爵夫人自身が「湖上の美人」として知られるようになった。
この歌曲の開始の文句で反復句である「アヴェ・マリア」(ラテン語で「めでたしマリア様」)は、シューベルトの旋律に、ローマ・カトリックに伝統的なラテン語の典礼文を載せるという発想に行き着いた。こうしてシューベルトの旋律にラテン語典礼文を載せて歌うことは、現在しばしば行われており、そのためシューベルトが素より典礼文に曲付けして、《アヴェ・マリア》という宗教曲を作曲したのだと誤解される原因となった。

Storck's translation used by Schubert
Ave Maria! Jungfrau mild,
Erhöre einer Jungfrau Flehen,
Aus diesem Felsen starr und wild
Soll mein Gebet zu dir hinwehen.
Wir schlafen sicher bis zum Morgen,
Ob Menschen noch so grausam sind.
O Jungfrau, sieh der Jungfrau Sorgen,
O Mutter, hör ein bittend Kind!
Ave Maria!
Ave Maria! Unbefleckt!
Wenn wir auf diesen Fels hinsinken
Zum Schlaf, und uns dein Schutz bedeckt
Wird weich der harte Fels uns dünken.
Du lächelst, Rosendüfte wehen
In dieser dumpfen Felsenkluft,
O Mutter, höre Kindes Flehen,
O Jungfrau, eine Jungfrau ruft!
Ave Maria!
Ave Maria! Reine Magd!
Der Erde und der Luft Dämonen,
Von deines Auges Huld verjagt,
Sie können hier nicht bei uns wohnen,
Wir woll'n uns still dem Schicksal beugen,
Da uns dein heil'ger Trost anweht;
Der Jungfrau wolle hold dich neigen,
Dem Kind, das für den Vater fleht.
Ave Maria!

Hymn to the Virgin
Ave Maria! maiden mild!
Listen to a maiden's prayer!
Thou canst hear though from the wild,
Thou canst save amid despair.
Safe may we sleep beneath thy care,
Though banish'd, outcast and reviled -
Maiden! hear a maiden's prayer;
Mother, hear a suppliant child!
Ave Maria!
Ave Maria! undefiled!
The flinty couch we now must share
Shall seem this down of eider piled,
If thy protection hover there.
The murky cavern's heavy air
Shall breathe of balm if thou hast smiled;
Then, Maiden! hear a maiden's prayer;
Mother, list a suppliant child!
Ave Maria!
Ave Maria! stainless styled!
Foul demons of the earth and air,
From this their wonted haunt exiled,
Shall flee before thy presence fair.
We bow us to our lot of care,
Beneath thy guidance reconciled;
Hear for a maid a maiden's prayer,
And for a father hear a child!
Ave Maria!

サーウォルター・スコット「湖上の美人」第三曲29 佐藤猛郎訳

聖母への讃歌

「アヴェ・マリア!優しい乙女!
 乙女の祈りをお聞きください!
あなたは荒れ野の果てから聞くことが出来、
 絶望の淵からも、救うことがお出来になる。
追放され、見捨てられ、罵られても、
 あなたに見守られて、私達は眠ることが出来ます。-
聖女よ!乙女の祈りを聞いて下さい、
 御母(みはは)よ、乙女の願いを聞いて下さい!
                      アヴェ・マリア!

アヴェ・マリア!清らかな乙女!
 あなたのご加護があるならば、
私達が今、共に身を横たえる冷たい石の寝床も、
 まるで羽毛のしとねのように思えるでしょう。
あなたの微笑みがあれば、暗い洞窟の重くるしい空気も、
 芳香に満たされることでしょう。
ですから、聖女よ!乙女の祈りを聞いて下さい、
御母よ、幼子の願いに耳を傾けてください!
                   アヴェ・マリア!

アヴェ・マリア!汚れを知らぬ乙女!
 地上と空中に棲む汚らわしい悪鬼どもは、
高貴な美しさに満ちたあなたを目にすれば、
 棲(す)み慣れたこの洞穴から逃げ出して、姿を消すでしょう。
あなたのお導きとあれば喜んで、
 私達はつらい運命を堪え忍びます。
乙女のために、乙女の祈りを聞いて下さい、
 父のために、幼子の願いを聞いて下さい!
                   アヴェ・マリア!」

ミサ曲の原文となるアヴェ・マリアの祈祷文についてはウィキペディアを参照してください。最近多く歌われるようになったカッシーニのアヴェ・マリアは偽作のようです。その辺りもキリスト教信仰の象徴としてのアヴェ・マリアとしていろいろ背景があるようです。
シューベルトのアヴェ・マリア(詩はブラザースコットの湖上の美人)

シューベルトのアヴェ・マリアに祈祷文のアヴェ・マリアを合成したもの。

こちらもそれです。やはりイタリアではそうなるのでしょうが、やはり詳しく聞くと違和感があります。

こちらは日本語訳も出ています。

マリア・カラスの独唱です。もちろん詩は元のブラザースコットのものです。(10/25追記:Barbara Bonneyという方の歌唱だそうです。)

ちなみにこちらが偽作とされるカッチーニのアヴェ・マリアです。ソ連の作曲家の作品のようです。

ブラザーサーウォルター・スコットの作品についてもいずれ読む機会があればコメントしていこうかと思います。

まったくの妄想ですが、現在の日本の安倍首相の二度目の総理大臣就任後の復活劇もこのマリア信仰に基づくアヴェ・マリアが関係するかもしれません。
2013-07-07 17:33 | カテゴリ:横須賀
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
さてさてなかなか読むだけでなく書くことになると相当面倒な話となってしまった、ブラザーデッカー司令官の回想録です。このブログをきっかけとして本を購入して全文を読む方が出てきていただければ幸いです。
一応このブログでは本文に沿って、その内容の要約とそれぞれについて私個人の感想や解説を加えていく形をとっていきます。文章や内容の多寡もあるかと思いますので一応現在は章ごとに分割していこうかと思いますが、それでも章だけでも15章あり、それも章ごとの注目度も特に前半部分が濃密だと思われますので、適当なところで切っていこうかと思っています。
最初のまえがきとプロローグのところは非常に短いので大丈夫かと思われます。

まずまえがきです。副題として横須賀海軍基地占領とあります。
横須賀海軍基地の歴史としてそもそも江戸幕府の小栗上野介とフランス公使ロッシュとの接点からフランソワ・レオンス・ヴェルニーが招聘されて横須賀製鉄所、横須賀造船所が建設され、後に横須賀海軍工廠となった歴史が簡潔に月日を示して著されています。その後関東大震災で打撃を受けましたが、太平洋戦争中は主要な空母の建造と世界最大の空母「信濃」の建造を行った港として、その巨大なドックの重要性が強調されています。

その後は米軍の横須賀基地の接収の模様です。荒れ果てていて衛生環境は劣悪であったことが初代から三代目までの前任司令官時代のレポートの形でまとめられています。特に強調しているのが時期から二代目の司令長官だと思われますが、離任の言葉としてそのまま「次のことを忘れてはならない。ジャップはちっとも変わっていない。奴らはいやらしく、卑劣で油断できない動物で、数週間前までは米兵を殺し、痛めつけることに必死だったのだ…」という発言ですが、まあブラザーデッカーは基本的にそれを反面教師として成功する横須賀基地司令官となったわけですが、まあどうなんでしょうか。内心本音がどちらかというとまあ恐らくこの発言の方がわかりやすく正直なのだと思いますが、それをそのまま捨て台詞にしてしまっては元も子もないのでしょうね。横須賀基地司令官の仕事は誰かがやらなければならない仕事であったのであり、そのままの態度では現実問題としてうまくいかなかったのでしょう。ブラザーデッカーは昭和21年4月10日から昭和25年6月30日の朝鮮戦争開戦5日後まで第4代米海軍横須賀基地司令官として在任し、その後故郷のサンディエゴで退役しレッドパス局という恐らく退役軍人を雇用する有志で出来た組織に所属して、ブラザーマッカーサー元帥の功績をたたえる講演を行っていたそうです。検索するとどうも自らの出自について本を書いていたようで、そもそもデッカー家の由来はオランダからの移民であるようです。

ここからプロローグとなります。ブラザーデッカー司令官が司令官となるまでのいきさつと、その際の横須賀の状況、また占領政策でお世話になった上官や妻への感謝の言葉が述べられています。また日本人では特に女性に対して占領に協力的であったことに対して感謝の言葉が述べられています。またアメリカ国民へのアピールとして自らが横須賀基地を整備して日米同盟の基礎を築いたことによって太平洋の平和が維持されたことが語られています。それでは内容について細かく見ていきます。
最初に副題として日本人は信頼できるとあります。これは興味深いのですが、なぜそれ以前の司令官と違って信頼できると思ったのかというのがあります。これについて解説すると色々な種明かしになり過ぎてしまいますし、この前のその1でも触れた部分となってしまうと思うので後々でやんわりと解説していくこととしようかと思います。ブラザーデッカーは基地司令官に任命された時ワシントン州シアトルに係留中の三隻の退役間近の戦艦の司令官という要するに完全に退役間近の仕事をしていて、ほぼ定年前の任期延長であったということかと思います。また好都合なことに最初乗り気でなかった仕事ですが、ちょうどたまたま偶然に二人の息子が日本で横須賀の状況を知っていて、詳しく知ることが出来、人生の挽回のチャンスと本人が非常に乗り気になるという経緯があります。もちろん、非常に誇り高いフリーメイスンですから本文には人生の挽回のチャンスなどとは書かれていませんが、実際はそのようなものであったようです。恐らく戦時戦中ではなく、戦後や戦争中でも前線ではない補給部隊の場面などでそれなりに特異な優秀な成果を挙げている実績があったものかと思われます。代々フリーメイスンであるというデッカー家の家系にもいろいろそれらを説明する要素がありそうですがネットで出てくる資料が非常に少ないので想像でしかありません。
横須賀基地と横須賀市周辺の軍事施設の恐らく任官前に与えられた情報などが示され、その中でも恐らく任地で最も印象深かったと思われる横須賀基地の防空壕の光景が描かれています。彼の仕事が主に荒廃した基地に残された廃棄物処理やその中で使えるものの分配、後はほぼ難民に近い現地の日本人に対する対応が仕事な訳ですが、それこそ燦々たる成果で飾られたアメリカ軍の上陸部隊の中で優秀な人はすぐに帰国する状況の中での現地赴任であったということで、非常に地味かつ軍人としての本分とはかけ離れたものではありますが、ブラザーデッカーは軍人としても人生の中でも最も幸せで充実した時間であったとしています。
また現地でやり取りした手紙がこの後の本文の多くを占めることになるわけですが、その手紙類も実は現地ではブラザーデッカーは処分するように妻に言っていたものが取り置きされていてそれを結局この回想録では引用したと書いてあり、その辺りにも夫婦の間合いというものが垣間見える形となっています。

まあそんなわけでこの様な形でブラザーデッカー司令官の回想録についてはまとめていくつもりです。面倒くさいなと思った方はすぐに直接本を購入して自分で読んでみてください。その上でまたブログを読んで対比するとさらに面白いかもしれません。

後は追記として恐らく横須賀の最近のヴェルニー公園やヴェルニーの水などの一連のブラザーヴェルニーの業績をたたえる活動の大元はこのブラザーデッカー司令長官が最初に赴任前に恐らく示された情報の内容からのこの表記に基づいているのではないかと想像しました。この後の1章にも出てきますが、横須賀基地をアメリカ軍が保持しなければならない至上命題としてブラザーヴェルニーが建設した横須賀ドックに引き続く、日本海軍が建築した空母信濃を建造した6号ドックの存在があったものと思われます。当時アメリカは太平洋に大量の空母を保持しており、空母の有用性がその後の太平洋、世界の海の覇権そのものであったことから、その後の原子力空母に繋がる世界戦略の一端として横須賀基地が現在の空母の母港として機能するように早期から基地機能の改善を目的としていたということがあります。そしてその回想録に繋がるブラザーデッカーの基地行政の成功の陰にそうした世界規模の意思が存在し、その礎石としてそもそもフリーメイスンであるブラザーデッカーがブラザーヴェルニーの成果である横須賀ドックの存在について触れそれを日本人が翻訳する事で再びブラザーヴェルニーの存在にスポットライトが当たったということになるのだと思われます。
800px-Yokosuka-dry_dock-1a.jpg300px-Yokosuka-dry_dock-2a.jpg800px-Yokosuka-dry_dock-3a.jpg800px-Yokosuka-dry_dock-6a.jpg800px-Japanese_aircraft_carrier_Shinano.jpgLeonce_Verny.jpg
当時の日本の様子がわかる動画をいくつか置きました。参照してください。







さらに追記ですが、現在ヴェルニー公園の三位一体を示す電灯とその周囲の電灯が消えてしまっています。西武グループのサーベラスの買収など様々な情勢がありますが、このブログの内容が改善にお役に立てば幸いです。

また追記です。終戦間際の横須賀基地の状況についてなかなか淡々とした記述の貴重なホームページを見つけました。文字のエンコードなどに問題がありそうですが、当時の実際の日本人の記憶だと思われ、リンクしておきます。特攻兵器海龍についてです。
2013-07-09 13:24 | カテゴリ:スコットランド
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
さて皆さんいかがお過ごしでしょうか。盛りだくさんで経過してる当ブログですが、時間が経過するごとにその内容も膨大となり話題は等比級数的に増えていくのはこれは知識と科学の臨界点のようなもので、啓蒙運動の最大の目的はその生命活動には必ず限界点があるが、知識や科学技術の集積には限界点がないように無限に広がっていくという一種の科学万能主義の思想に基づいていて、その基本となるのが知ることによる無知からの脱出であり、その体験がまさに奇跡そのものであり理神論を形成する基本となったと考えられます。まあこのブログで少しでも新しい知識を獲得された方はそういう啓蒙主義、知性の信奉という近代科学万能主義の第一歩を踏み出した事になるのかと思われます。また聖書や宗教の話を通して、そうした近代科学の萌芽に当たって過去のキリスト教やユダヤ教、仏教やその他多くの宗教に共通する人が幸福に生きるためにはどうすればいいかという経験と知恵の集積があり、それらは常に同時進行で一体となっていたときにまさに世界の創造主の差配によってそこに光という進歩が生じるという一連の流れなのだと思われます。科学的知識や進歩はすぐに我々の生活を豊かにはしませんが、それらが真摯な宗教的態度や信仰と結びついたときには確実な豊穣を約束するというのがフリーメイスンリーで教えられるシンボリズムの中心的な概念であり、フリーメイスンリーで繰り返し求められる実践であるのかと思われます。今後もこのブログを中心として様々な情報発信や活動が続けられるかと思いますが、どうか皆さんにおいても継続したそうした啓蒙の活動、知的関心の喚起と実践を続けられて、実りある成果を確実なものとされることを期待します。
IMG_5826.jpg
さて前置きが長くなりましたが写真の方はエディンバラ城の中の展示です。実際は写真撮影禁止なのですが、私にとってあまりに興味深く撮影を止める係員もいなかったので撮影してしまいました。これは王の装身具を職人が作っている様子の蝋人形なのですが、Craft made Crown.と書いてあって、う~ん、なるほどな~という感じでしょうか。周りにはフリーメイスンリーのシンボルとなる道具がたくさん置いてありました。
IMG_5827.jpg
これは展示の額縁のデザインが菊の文様になっていたので撮ったのでした。ところどころこういうのが入っているのがイギリスの展示です。
IMG_5828.jpg
チャールズ1世の戴冠です。1633年6月18日となっています。まあシンボリズムなわけですがどうでしょう。英語版ウィキペディアではイングランド王の戴冠が1626年2月2日、スコットランド王が1633年6月18日となっています。洗礼者ヨハネの日の6日前ですね。チャールズ1世の誕生日は1600年11月19日亡くなったのが1649年1月30日です。日本語のウィキペディアではどうも誕生日や戴冠日が微妙にずれたりしています。面白いですね。父親がいわゆるジェームズ1世版聖書で知られるスコットランド女王メアリーの子供であるジェームズ1世です。ジェームズ1世はエリザベス1世の死去後にスコットランド王ジェームズ6世からイングランド王ジェームズ1世として戴冠しました。以後イングランドとスコットランドは連合王国となり、現在のウィンザー朝に繋がるスチュワート朝が始まります。チャールズ1世の時代に権利の請願があり、清教徒革命が始まりチャールズ1世は捕えられエディンバラ城に囚われます。最後はロンドンのブラザーイニゴー・ジョーンズが建設したバンケティング・ハウス前で処刑されました。
IMG_5829.jpg
チャールズ2世はチャールズ1世の子供で清教徒革命の間はフランスに亡命していて、清教徒革命に反対したスコットランドに上陸して1651年1月1日にいわゆる運命の石の上で戴冠しました。その後護国卿オリバー・クロムウェルに敗れ再びフランスに亡命します。クロムウェルの急死後に帰国を要請されイングランド王チャールズ2世として戴冠しました。この際にはオリバー・クロムウェルの遺体は掘り起こされ斬首され晒し首にされたそうです。その後カトリックのポルトガルの王女と結婚しインドのボンベイなどの植民地を得たそうです。チャールズ2世の時代には騎士議会が開かれていたそうですが、基本的には王に賛成する立場で、チャールズ2世は非常に艶福家で愛人が多数いたそうです。シティーや議会との対立が後の名誉革命の発端となったそうです。1666年はいわゆる驚異の年であり、第二次英蘭戦争のさなかにコレラの流行とロンドン大火があり、政権交替で政権を担っていた貴族が亡命し、その後の政権を担った5人の貴族の頭文字をとってCABAL政権(陰謀政権)と呼ばれたそうです。王はカトリック(臨終で改宗)で王位継承者のジェームズもカトリックであったので、国教会が優勢であったイギリス国内においてカトリックに寛容なチャールズ2世の政策は反対をもたらすようになります。チャールズ2世はスコットランドの長老派教会などを積極的に抑圧し大殺戮をもたらしますが、1685年に亡くなり、その後国王となったジェームズ2世はカトリック王として専制をしきますがわずか3年で名誉革命をもたらしフランスに亡命し、娘が結婚していたオランダ総督ウィリアム3世がイギリスに上陸し戴冠します。スチュワート朝はその後ジャコバイトの反乱などを制圧したりしながら、子供が出来なかったウィリアム3世夫妻の共同統治後に、やはりジェームズ2世の娘であるアン女王の死去後、ドイツからジョージ1世を招きハノーヴァー朝となります。名誉革命によって権利の章典が定められ王権の制限が確立され、国教会を中心としたプロテスタントによる統治が確立されます。オランダ総督が英国王となった事によって新教国としてのオランダの世界貿易の覇権がイギリスに移行していくこととなり、その後のハノーヴァー朝の下での議会制民主主義の発達のもとでの大英帝国の躍進がさらにアメリカ独立戦争や近代の植民地戦争や世界大戦へと繋がっていきます。
IMG_5830.jpg
これはスチュワート朝で同君連合となった後のスコットランド王国の象徴である王冠などがエディンバラ城の中に封印されたことを示しているのだと思います。ジャコバイトなど様々な不安定要素をもたらす可能性があったためそうされたのだと思います。それだけスコットランド王の地位はイギリス全体の重要なポジションを占めていたのですね。1707年だそうです。
IMG_5831.jpg
封印から111年後の1818年にブラザーサーウォルター・スコットがその封印を解いてスコットランド王冠を再発見したそうです。シンボリズムが踏襲されていますね。
honours-stone-destiny.jpgstone of scone
そしてそれが展示されているわけですが、これは係員がいて写真は撮れませんがネット上に写真がありました。いかにもブラザースコット好みの時代がかった歴史劇であり、まさにスコットランドフリーメイスンリーの真髄といったところでしょうか。
Stone-of-destiny.jpg
そしてその伝説の王冠とともに展示されているのがいわゆる運命の石、スクーンの石とも言われるウェストミンスター寺院の戴冠式の椅子に格納されていたスコットランド伝統の石ですね。1296年にイングランド王のエドワード1世によってウェストミンスター寺院の椅子の下に持ち去られて以来700年間そこにあったのですが、1996年のトニー・ブレア政権時代にエディンバラ城に移されて展示されるようになったそうです。トニー・ブレアももちろんフリーメイスンなのでしょうね。
westminster stone
聖ヤコブとの関連も伝承されているそうなので、恐らくフリーメイスンリーでも螺旋階段で象徴されるヤコブの梯子の夢を見た際の石の枕のイメージなのではないでしょうか。アイルランドからもたらされたそうなので、その当時のアイルランドへの聖パトリックのカトリックの伝道のその後の影響なのでしょうね。
IMG_5832.jpg
エリザベス1世の跡を継いだジェームズ1世がスコットランド女王メアリーから生まれた場所です。1566年6月19日だそうです。亡くなったのが1625年3月27日だそうです。ジェームズ1世の父親は彼が1歳の時に不審な死を遂げ、母親はイングランドに亡命しその後19年軟禁状態で最後は処刑され亡くなったそうです。
スコットランド女王メアリーは生後6日でスコットランド女王となり、その後フランスの王太子と結婚して夫が14歳で即位後フランス王妃となりますが子供は出来ず夫が16歳で亡くなり、スコットランドに帰国しスチュワート家のダーンリーと再婚しますが、すぐに夫婦仲が冷め愛人に秘書のリッチオがなりますが、息子のジェームズ1世を妊娠中であった1566年3月9日にホリールード宮殿の夫の部屋の横のメアリー女王の目の前で愛人が貴族によって惨殺されたそうです。子供のジェームズ1世の父親もダーンリーであるかどうか疑われたそうですが、その後ダーンリーも新たな愛人となったボスウェル伯とメアリー女王によって謀殺されたそうで、メアリー女王はボスウェル伯と再婚しますが最後はイングランドに亡命し、軟禁状態ではあったものの自由な生活をしていましたが、たびたびエリザベス1世に対してイングランドの王位継承権を主張して反乱を画策し、最後は処刑されたそうです。
ジェームズ1世は13歳からホモセクシュアルであったそうで、愛人が出来た後に摂政を処刑し、またその後再び軟禁されますが脱走し、軟禁の首謀者を処刑し18歳で実権を握ったそうです。その後23歳で女性と結婚しますが、その直後に船で遭難しそうになり陰謀を疑って魔女狩りが行われたりしたそうです。1603年3月14日にエリザベス1世が無くなると37歳で後継者に指名され戴冠しスコットランド王ジェームズ6世からイングランド王ジェームズ1世となります。1605年には爆殺未遂事件もあったそうです。1611年にいわゆる欽定訳聖書を作成します。ユニオンフラッグもこの時代に出来たそうです。子供は3人が成人しますが、長男は18歳で死亡し、次男がチャールズ1世となり、長女がドイツに嫁ぎ、その孫が後のハノーヴァー朝のジョージ1世となります。
IMG_5833.jpgIMG_5834.jpgIMG_5835.jpg
ヘンリー8世、メアリー1世、エリザベス1世の三人が生まれたクイーンズハウスとはまた趣が異なりますが、これだけの因縁がある場所と知るとなかなかすさまじいですね。フリーメイスンリーのシンボリズムははっきりとは認めませんが、オベリスクのような装飾や3本のロウソクの光などを認めます。まあ解説しなくてもフリーメイスンリーの歴史上重要な場所であることは雰囲気でわかるかと思います。
IMG_5836.jpgIMG_5837.jpg
スコットランド王ジェームズ6世の紋章だそうです。
IMG_5838.jpg
なんだか変なデザインです。
IMG_5839.jpg
近くの小部屋の床は白黒になっていました。
IMG_5840.jpg
これはまた別の部屋で大ホールという名だそうです。
IMG_5841.jpgIMG_5842.jpgIMG_5843.jpgIMG_5844.jpgIMG_5845.jpg
そのステンドグラスです。シェブロンや碇、ライオン、星のシンボルなどがフリーメイスンリー関連で認められますが、もちろん貴族のシンボルでありみなフリーメイスンを輩出していると思われます。
IMG_5846.jpg
正面のところの床が少しモザイクになっています。Sの形にもなっているような感じでしょうか。
IMG_5847.jpgIMG_5848.jpg
武具が並べられているのはいざという時の武具庫という意味の騎士道精神なのでしょうね。
IMG_5849.jpg
誰を描いた絵かはわかりませんが、恐らくワーテルローの戦いを戦ったブラザーアーサー・ウェルズリーなのでしょうね。
IMG_5850.jpgIMG_5851.jpgIMG_5852.jpgIMG_5853.jpg
エディンバラ城の代々の責任者ですね。城主というべきなのかどうかなんでしょうが、恐らく責任者で良いのではないでしょうか。
IMG_5854.jpg
ここでいったん外に出ます。前にあるのがセントマーガレット教会堂でエディンバラ城の中で一番古い建物です。
IMG_5855.jpg
捕虜の牢獄として使われた部分の展示です。後で解説が出ますが、アメリカ独立戦争やフランス革命戦争などでのいわゆるイギリス軍に対抗する側の捕虜が捕えられ収容された場所として利用されたと説明されています。まあフリーメイスンも多く含まれていたということなのでしょうね。国際法やジュネーヴ条約もない時代の捕虜の取り決めは紳士協定に頼るしかなかったのでしょうが、まあそれらがその後の捕虜の取り扱いに関する世界的な取り決めの基本になったのだと思います。ドミノもチェスなどのようにフリーメイスンリーのシンボリズムが関係しているのでしょうか。
IMG_5856.jpgIMG_5857.jpg
収容された捕虜となる原因となる戦争が説明されています。まあ上官や重要な人物だけが収容されたのでしょうね。それ以外はまあ現地で殺されるか解放されたのでしょうね。
IMG_5858.jpg
非常にきれいです。
IMG_5860.jpg
第一次世界大戦で後に愚将と非難されたヘイグ将軍の像です。もちろんフリーメイスンでしょう。生前は国民的人気であったそうです。ちょうど戦法戦術が大幅に変わる時代であったのでしょうね。
IMG_5861.jpgIMG_5862.jpg
この後巡るイギリスのスコットランド連隊を称える展示があるのですが、その売店で売っていたチェスセットです。チェスももちろん白黒のチェッカー柄のチェス盤でフリーメイスンリーのシンボリズムがあるフリーメイスンリーの影響が色濃い知的ゲームです。チェスの駒はそれほどフリーメイスンリーのシンボリズムを反映していませんが、こういう場所で売っていることも一つのそういうアピールというか象徴であるかと思われます。フリーメイスンリーのシンボリズムをアピールしたチェスセットというのは実はなかなか無く、レア物のようです。ここで売られていたのは単に古い様式のチェスの駒の形をしたセットでした。チェスの特にチェッカーボードとフリーメイスンリーのシンボリズムとの関連について書かれた論文がありましたのでリンクしておきますが、ちょっとこじつけのような感じでしょうか。恐らくどこかの時点で正式にチェッカーボードをチェス盤として採用したのはフリーメイスンリーの影響があったものかと思われます。代表的なのがヘッダー画像でも利用しているサンクトペテルブルク近郊のピョートル大帝の離宮にあるチェス盤の山でしょうか。ちなみにmasonic chessで検索するとレンガ積みのようにチェスのマスが半分ずつずれた形の軍人将棋のような変則的なチェスの種類が出てきます。なかなかチェスとフリーメイスンリーの歴史も深そうです。
2013-07-10 22:46 | カテゴリ:横須賀
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
なかなかまあ横須賀に住み横須賀で働きながらこのブラザーデッカー司令官の回想録について説明しながら解説していくというのも身を削る思いな訳ですが、もちろん東北大震災より後の約2年と半年を横須賀で過ごし、こうした非常に貴重で聖書にも近いような本があったとしても首長や議員以下誰もまったく読まないであろう事が良く認識される土地柄を十分理解している以上、まあ懇切丁寧なブログを続けるのが最も手っ取り早い啓蒙活動であると理解し継続することとします。

第一章の副題ですが民主主義への扉を開かせたとありますが、どうもこれはかなりの意訳のようで、目次では英語で横にWe Open the Doorとあり、背帯でも強調している民主主義の言葉は特に強調されていません。つまり副題で民主主義と入れたのはあくまで訳者の強調であり、もしかすると訳者の方々は色々な流れの中でブラザーデッカー司令官の真意を訳していないことが考えられます。まあそれは横須賀では良くある事です。まあそもそも民主主義を命令形で良いのかって話な訳ですが、恐らく現代のほとんどの当時を生きていない世代は皆理解していない日本の歴史でもある訳です。まあいちいちここで突っかかっていては話が先に進まないので本文に入っていきます。
20130113_316779.png
副題は黒船の再来とはで、ブラザーマシュー・カルブレイス・ペリー提督が浦賀沖に来航して開国した歴史を日本の近代工業化と民主主義の発端とし、日本がその後も民主主義を拒絶したために真珠湾攻撃に繋がり敗戦によって再び黒船が再来したと表現しています。敗戦後に共産主義者の陰謀によって国が略奪されるかもしくはアメリカの助けを求めるかどちらかであったと描いています。第一章の副題の意訳とその後の文章から考えるに翻訳によって非常に日本側訳者の立場とブラザーデッカー司令長官の立場の違いがかなり鮮明に出てくるのではないかと思われます。この後もかなり意訳した形の副題が全ての小節についていますが、一応内容的にも独立してまとまっているので恐らく英文で出た際にもそのまま編集者が副題を付けたものかと思われます。まあ聖書の副題なんかもありますが、なんでも疑ってばかりいては切りがありませんのでこの貴重な訳書に全面的に依存していくこととします。
400px-1853Yokohama_01.jpg
次の小節の副題は米・中・ソの分割統治案です。日本が分割統治される可能性があったがそれをアメリカが阻止して、アメリカが占領を放棄しなかったため共産主義化を免れたという話です。面白いエピソードは当時の内山岩太郎神奈川県知事は「私は横須賀には一度も行ったことがない。」とブラザーデッカー司令官に告げたという話です。恐らく任官前で横須賀到着前にあったのだと思われますが、この言葉は衝撃的であったのではないでしょうか。内山氏がそう答えた理由として過去に日本海軍がそのように仕向け、日本海軍が全ての面で横須賀を支配し、三浦半島は完全に秘密に包まれていたからだとあります。外国人の出入りは許されず、工業も商業もなく、キリスト教は抑圧され、聖書は全て没収され、焼却されたと続いています。まあブラザーデッカー司令官の仕事が前任の司令長官が思わず捨て台詞を残してしまったほど困難であることを物語る話だと思われます。
faq06a03.jpg
次の副題もなかなか衝撃的ですが基地爆破の提言とあります。もちろん話の上だけの言葉でしょうが、横須賀に到着して前任二人の司令官の提言として基地を爆破して全員を米国へ帰還させようと言う提言があったというまあ暴露かもしれません。その後も米海軍極東司令部の参謀長がドックをいつ爆破するのかと何度も聞いてきたとあり、それに対してブラザーデッカーは「命令書を受け取った時だ!」と答えたそうです。まあ完全にアメリカンジョークなわけですが、ブラザーデッカーが人生を挽回すべく着任し、撤退がありえない状況を理解した上でのそうしたものであったのかと思われます。実際ブラザーデッカーが着任後にアメリカの報道機関はブラザーマッカーサーに次いでブラザーデッカーが日本で有名人であると報じたり、全体の方向性の中で横須賀からの撤退はありえなかったわけです。ブラザーデッカーの持論で面白いのは徹底した反共主義と民主主義=キリスト教信仰というところでしょうか。反共主義は恐らく当時のアメリカの第二次世界大戦後の最大の風潮であり、冷戦状態を構築する上での必須の流行であったことと、民主主義=キリスト教信仰というのはフリーメイスンリーの彼にとっての理解であったのではないでしょうか。この後にカトリック系の聖ヨゼフ病院を横須賀の占領行政の中核に据える話があり、自身はプロテスタントでありながら母親が敬虔なクリスチャンでカトリックであったことからカトリックを非常に尊重する姿勢が認められ、恐らくブラザーデッカーの理解の中ではカトリックもプロテスタントもそれほど違いがない、要するにあまり聖書は読んでいないクリスチャンであったのだと思われます。しかしまあその後の彼の基地行政や態度を見るにつけこの母親の影響は非常に強かったのであろう事と、恐らく彼の行動パターンそのものは共産主義的であったようであり、それがまた彼自身が反共を強調する動機ともなっていたようでした。後半でソ連の兵士や将校とかなりウマがあって仲良くできると話しているところが認められ、恐らくこちらが本音なのではと思われました。
5164f4933b751ac37fdaf82939e8ee57.jpg
次は副題が焼け野原の東京へです。文字通り空襲で焼け野原となった東京を視察するのですが、その描写は非常に細かく、特にその後も出てきますが戦前の日本に特徴的な農業用の肥料がなくいわゆる今で言う完全有機栽培の人糞でそれぞれの家が食料となる植物を栽培している様子を非常に嫌っており、この人糞の利用を徹底的にその後禁止するのがあります。奥さんへの手紙があるのですが、この日本の敗戦直後の貧困の状況は印象的であったらしく非常に日本に同情的であると同時に絶対に復讐されないようにとその後基地の防衛の海兵隊の訓練を充実させる様子などが認められます。またその時の表現として日本がヨーロッパの西暦500年頃の封建制の社会と同じであり、規律正しいが自由に慣れていないとしています。子供たちが友好的に挨拶してくる様子から、ブラザーマッカーサーの厚木飛行場でのパフォーマンスを模して公用車から赤ランプとサイレンを取り外したそうです。
img05.jpg
次は副題は長官官舎はホワイトハウスとあります。田戸台の有名な現在は自衛隊の司令官が使用している長官宿舎の話になります。かつては横須賀鎮守府司令長官官舎として野村吉三郎、山本英輔、永野修身、米内光政らが使用し、さらに彼らが恐らくブラザーデッカーが密かに尊敬していた節がある、以前に巡洋艦「アストリア」で齊藤博元駐米大使の遺骨を帰国させるので来日した昭和14年に出会っている人々という事でした。まあそういうことを抜きにして恐らくその長官官舎の富士山が見えたり、1万3000平方メートルという当時の広大な敷地と21の部屋があるという規模に満足している様子です。米内光政のその当時の挨拶の話などあるのですが、まあこの辺りは海軍という特殊な職業の一種のフェアプレーやスポーツ感覚といった部分ではないでしょうか。いずれにしてもアメリカ海軍が真珠湾攻撃も含めて当時の日本海軍に対して非常な敬意を払っていた部分が垣間見えます。長官官舎が戦時色のカムフラージュ柄であったのを白いペンキに統一して塗り直し、日本人の料理人に好みの味付けにするよう変更させたエピソードが描かれています。まあこのブログでも日本海軍のフリーメイスンリー説など書きましたが、もちろん戦前の紳士協定で日本人が日本でフリーメイスンリーになることはあり得ませんでしたが、戦前のアメリカや諸外国を良く知る海軍軍人や外務省関連の日本人は実質的なフリーメイスンとして扱われていたことがこの辺りのエピソードからも良くわかります。
yoko_089.jpg田戸台官舎
次は副題は大根と椿油は大嫌いとありますが、実際は引き続き田戸台の長官官舎の整備の話です。大根料理と鬢付け油の椿油といったその当時の日本の風習が特に匂いが合わないということでやめさせたという話です。後は長官官舎の内装の変更や来客用のトイレが実際は機能していないことや、暖房器具が欧米の暖房器具のようにいわゆる煙突が外に繋がる形ではなく囲炉裏のような炭を燃やして屋根をいぶす形になっているという、いわゆる日本の和魂洋才的な中途半端な見せかけだけの洋館の設備を酷評しています。ただし戦後であってもそれらの改修に半年はかかったというエピソードが語られます。白米を基地から盗んで食べていた女性が脚気になったという相変わらずの話も語られます。まあこう言った話は現在でも単なる旅行者でも枚挙にいとまがない話だと思われます。
img_309890_26087375_18.jpgK311300H_L.jpg
次は副題は菜園のホウレンソウは最高です。実際どんな英文であったのか興味深いところですが、人糞をやめさせて化学肥料で作ったホウレンソウは最高であったという話です。実際はどんな野菜も人糞で作ったものも含めておいしかったということなのだと思います。要は食べる時綺麗であれば構わないという話かと思われます。後は今でも地下壕のある建物が田戸台にはありますが、ここに星条旗を毎日掲揚したら感謝する市民の代表団が来たという珍エピソードが語られます。まあ横須賀らしい話です。後はこの後も沢山アメリカ軍人の名前が出ますが、この中でやはりブラザーデッカーがかなり肩入れしていたり仲良くしている人は大概フリーメイスンなのでその当時の占領軍のフリーメイスンリーの繋がりが垣間見えます。
nihon.jpg
副題は日本海軍の旧友と再会とあり、横山一郎、野村吉三郎、米内光政ら海軍軍人との交友が語られます。ここから察するに野村吉三郎氏はほぼフリーメイスンとして遇されていますが、米内光政氏は戦後特に冷遇され、彼の戦前の判断ミスをマイナスに評価しているような印象でしょうか。日本の評価とはやはり異なります。横山一郎氏に関しては手紙など挙げられていますが、ウィキペディアで経歴を見ると横須賀出身であり、母親がクリスチャンで後に本人も洗礼を受け伝道師となり、アメリカの石油会社に就職しており、恐らくフリーメイスンとなっていたのではないかと思われます。まあ戦前の海軍軍人で戦後に明らかにフリーメイスンとなっていそうな人物というのはこの方くらいではないでしょうか。ブラザーデッカーはブラザーマッカーサーとのつながりからも米陸軍との繋がりも大事にしていて、その後も何度も名前が認められる米第八軍司令官ロバート・アイケルバーガー陸軍中将との交流が挙げられています。恐らくフリーメイスン繋がりだと思われます。最初に挙げた内山岩太郎氏もそうですが、いわゆる海外の赴任地でのフリーメイスンの標準的な行動パターンとして現地のフリーメイスンかそれに準ずる人物と交流を深めるというその通りなのだと思われます。
h62866-iejima45-8-19kawabetorajiro.jpgnomurakichisaburo.jpg81306024000974.jpg200px-Robert_L_Eichelberger.jpg
次の副題はパーティーですが、この本の四分の一くらいはパーティーかその関連の話です。田戸台でパーティーを行う時の様子が毎回お決まりの様子として描かれています。パーティーをいかに円滑に楽しく様々な人を招いて行うことがその後の仕事の上でいかに重要であるかが解説され、その反例として前任者がソ連の客を招いて酷い目に会い胃潰瘍を作って辞めた話が挙げられています。まあ恐らく前任者はフリーメイスンではなかったのでしょうね。直近の上司のグリフィン中将と食事をして仲良くなったことが挙げられていますが、恐らくというかもちろん上司もフリーメイスンであったのでしょう。まあフリーメイスンリー的に考えると当時のソ連もほぼフリーメイスンリーのシステムに完璧に則って動いていたということなのだと思われます。

次の副題は司令官に就任です。色々引き継ぎがあって実際司令官になったということだと思われます。まず港の船や流木、ブイの整備から始めた様子が描かれています。放置してあった上陸用舟艇などを改修し整備した様子が書かれています。

次の副題は横須賀クリーンアップ作戦です。色々オフィスを綺麗にしていく様子が書かれています。とにかく強姦が多いのでそれらを早く処理して兵士を本国に送還する態勢としたこと、会議を有効なものとするためにバーの飲み物をタダにしたことなどちょっとずつの工夫が挙げられていきます。やはり基地の廃棄物やゴミの多さが語られるのですが、前任者が恐らく対処できなかった兵士が連れ込む日本女性の話も挙げられています。また本国に帰還する兵士がほとんど全てをそのままにして帰還する様子やとにかく帰還するために必死になる兵士たちの様子が書かれており、一方ではまた憂さ晴らしに日本人をいたぶる行為をしたりする兵士を教育したりと一般的な兵士の法令順守を徹底する経過があります。いわゆるこのブログでも最初にフリーメイスンリーのシンボルとして挙げたヴェルニー公園、かつての臨海公園の場所がかつての横須賀線の海軍工廠への貨車の引き込み線であり、そこにあった列車が米兵の日本人女性の連れ込み宿と化していた事が挙げられて、日本へ返還する事でそれらを解消したと書かれています。

次の副題は1ドル15円で、今でも横須賀で良く問題とされるドル円相場の話が出てきます。当初15円であったそうですが、それでは闇レートから非現実的であったのが最終的に360円とされた話でした。たばこの相場が闇市との10倍以上もあり、兵士達が盛んに基地の物資を持ちだして闇市でさばくのが流行し、それらを処分していく様子が描かれています。

次はにせダイヤ事件です。これはブラザージョージ・アイ・パーディーの話でも有名な日銀地下の財宝の話と被るのだと思いますが、恐らくフリーメイスンリーの話とも関わる話ではないかと思われます。にせダイヤが何やら給料以上の報酬として横領の手段として使われたという話で、恐らくダイヤの鑑定自体が専門家でないと難しいことを利用した一つのトリックではないでしょうか。占領下の日本でひと儲けをたくらんでそれらをダイヤで行った方が結果的に不名誉除隊の烙印のみを残して生活する事例があったものかと思われます。なかなかアメリカ軍の規律維持のやり方は尋常ではありません。

米兵の銀行強盗事件はそのままです。とんでもない海兵隊員が横浜で銀行強盗をしてさらに捕まった後逃亡したという話ですが、面白い事に海兵隊に外出禁止令を出したところ2日で基地に戻って来たということです。その他ブラザーデッカーにも様々な誘い文句での誘惑や、それ自体がまたブラザーデッカーの周辺人物への疑惑をもたらすための工作である仕掛けが多数あったということです。占領当初の混乱期、そもそも意図的に混乱を引き起こしていた時代が垣間見えます。海兵隊という組織のアメリカ軍での役割や立場というのも書かれています。

追浜飛行場の廃止。海軍の占領した飛行場や港の基地を整理統合する過程が書かれます。中国の青島基地を確保する話がありますが、結局中国の共産党によって撤退を余儀なくされブラザーデッカーの主張する佐世保基地に後退した話が挙げられています。まあなかなかこの辺りの大局観とフリーメイスンリーのブラザーマッカーサーや共産系との繋がりの話はフリーメイスンリーを理解しないとわかりづらい話なのでしょうね。

ペニシリン、良い軍医がフィリピンから着任してペニシリンを使用する医療が普及する過程が描かれています。その中で前任の悪い軍医として悪性のウイルスに感染して去っていく者もいたと書かれています。この時の病院は基地内の旧日本海軍病院であると思われます。後に朝鮮戦争の際に後方病院として役に立ったようです。ペニシリン自体特に戦後に量産化に成功したフリーメイスンリーが直接的な関与した近代の科学の象徴ですが、それをもたらしたこの軍医もフリーメイスンであったと考えられます。

ハラキリ、日本軍人が切腹して死んだという話が挙げられます。悲惨な状況にあった日本軍人を救済する処置を行ったことが挙げられています。その代わりとして基地の警備などに当たらせて実績を挙げたと書かれています。

水先案内人は10万円。これはなかなか複雑な話です。ブラザーマッカーサーが統治していた日本の、東京湾を管轄していた水先案内人が陸軍の管轄で、給料が当時の日本の首相の給料より高い10万円であって、それが非常に非効率であったことから日本の旧海軍軍人を担当として普通の給料にしたという話です。まあいわゆるブラザーマッカーサーに関わる利権ですがなかなか危うい話です。この後もブラザーマッカーサーにも絡んでいわゆるアメリカの陸軍と海軍という派閥の話が出てきますが、基本的にはフリーメイスンリーの繋がりがある際には順調に話が進むのですが、それ以外だといわゆる日本の陸海軍のような派閥争いが顕著に出ます。またその後の話が赤十字の話なのですが、Lovelyという変わった名前の男性職員の話から、赤十字の女性職員を特にその後の横須賀市政と基地行政とを繋ぐ中核であるEMクラブの運営に関わらせたいとの話で、やはりパーティーを開いて交渉したという話が出てきます。また官舎から双眼鏡で町の様子を見て色々と楽しんだという話があります。いずれも基地、横須賀市行政と絡めたいわゆる陸軍や赤十字といった違うフリーメイスンリーの系列組織の話と実際の公明正大な運営という話かと思われます。この後出てきますがエディンバラのカメラ・オブスキュラの話のようなものでしょうか。こういう情報網や要所の把握が実際の行政や組織運営には必須ということだと思われます。現在で言うと警察や消防を押さえるような感じでしょうか。もちろんそれだけでは駄目でヤクザもみなければ片手落ちになる。そんな例えになるかもしれません。

EMクラブ。EMクラブは色々な話を聞いたり、本を読むと当時の一般市民にとって非常に象徴的な場所であったようです。そもそも日本人の下士官・兵集会所であったそうですが、恐らく戦後のEMクラブとしての利用を想定した建築であったのではないかと考えられます。戦前の時点でも蝶々夫人を上演したなどなかなかのフリーメイスンリーの関係が見てとれるかと思います。聖ヨゼフ病院もそうですが、旧海軍のこれらの建築はどうも戦後のそうした占領軍の基地行政への円滑な移行が想定されていた節があります。それはブラザーヴェルニーの横須賀造船所から始まって一連のフリーメイスンリーの建築の一環であったようです。ここで赤十字から派遣された陽気な献身的な女性達が兵士の士気向上に役立つ働きをしてくれたことが描かれています。兵士たちを安易に日本の風俗に置かずに管理する事で衛生管理や風紀の管理を行った事がわかります。どうもこういう基本的な事も現代の日本人も知らないというのが昨今の話でもわかる所でしょうか。もちろん例外は多数あったのだとは思いますが。
海軍下士官集会所01em_20130710224019.jpg
「三笠」ここだけ副題がカッコ付きになっています。恐らく訳者の方が強調したかったのではないでしょうか。まあ色々翻訳の経緯を見てもあまり完璧な客観的な翻訳ではないということはわかるかと思いますが、それはそれでなかなか面白いかと思います。記念艦三笠に対する色々な処置が描かれています。どうも色々これを巡ってその後も紛糾があったことを配慮したような文章となっています。当初破壊されていて、それに対して警備員を海兵隊が置いていたそうですが、その仕事自体がブラザーデッカーは容認できないものとして警備をやめさせたそうです。そして代わりに記念碑を破壊するように命ぜられていたので艦橋、マストなど三笠の主要部分を破壊して水族館と公園にしたそうです。まあなんか言い訳みたいなどこかに隠されて保存されていることを切に願ったという言葉がありますが真意はどうなんでしょうか。まあ当時の情勢として特に問題はなかったのだと思いますが、日露戦争の経緯や三笠がイギリスのヴィッカース社製のものであったことなど、フリーメイスンリー的に色々あったのだと思います。そういや安倍首相もなんかこの辺り積極的に訪英時に語っていたような。水族館にするというのも良くあるフリーメイスンリーの象徴ですから、まあシンボリズム的に相当おかしなことがあるわけではないです。またその後には横須賀市内の主要なビルなどの返還やそれに関わる工作機械や廃棄物の処分の話があります。単に基地内だけではなく戦時中は主要な建物が海軍の管轄になっていたので、それらが廃墟となって残っていたものと思われます。ブラザーデッカーが就任する事で一挙にそれらをかたずけて行った様子が描かれています。それらを片づけてようやく基地らしくなって来たところで家族が来日するという御褒美が告げられてきます。アメリカ軍やフリーメイスンリーの非常にわかりやすい所でしょうか。
img_1046715_29000719_1.jpgimg_1046715_29000719_2.jpgfukugen.jpg

これで第一章が終わりです。
画像はイメージしやすいように検索で出てきたものを貼っています。無断使用なので問題があれば連絡ください。
2013-07-13 08:33 | カテゴリ:シンボリズム
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
太陽が照りつける日本の異常気象とも言えなくなった夏ですが皆さんいかがお過ごしでしょうか。
海の日の休日に繋がる3連休ですがどこも観光地は大変な混雑が予想されるところでしょうか。
さて題名のサンサンですが太陽がサンサンというとなにやら子供向けの歌のようですがなにやらシンボリズムの共通点がありそうですね。以前もこのブログで葉山の結婚式場のC33などとりあげたりしましたが三浦半島でサンサンというとなんと数年前に命名されたある公共施設の名前であります。
miura_aisyou_title_kettei.jpg
なんと300円という値段で利用者も少ないあの三浦縦貫道の愛称が三浦サンサンラインというのだそうです。すかなごっそもこの連休中は相当の混雑が予想されますが、三浦縦貫道を使えばスムーズにすかなごっそのすぐ近くまで行くことができます。

あとは何とフリーメイスンリーのアンティークショップがお台場ヴィーナスフォートに出来たと話題のフジテレビ本社近くのイベント会場がお台場合衆国サンサンアイランドという名だそうです。もちろん三浦サンサンラインとは集まる人の数は比較になりませんが是非どちらもサンサン=33という事でお見知りおきください。お台場のアンティークショップもこの4月頃から力を入れて販売しているようなので是非興味のある方は立ち寄ってみてください。
all_sunsun.jpg
どちらもかなり暑いと思いますので水分と休憩を忘れないように気をつけてください。

サンサンといえば平成元年6月24日に亡くなられた故美空ひばりの名曲「愛燦燦」が有名でしょうか。冒頭でも触れましたが子供向けのアンパンマンの体操の歌で太陽がサンサンと言うサンサン体操というのがあるそうです。恐らく作者の関係なのではないでしょうか。横須賀出身の日米ハーフの横浜DeNAベイスターズのプロ野球選手乙坂智選手の背番号も33番だそうです。
もちろんブラザーハリー・S・トルーマン大統領が第33代大統領であるとか、33の元がブラザーアルバート・パイクが確立したスコティッシュライト33階級と著書「モラルアンドドグマ」に由来するという事を忘れないでください。

本日はブラザーペリー来航から160周年記念の久里浜ペリー祭が開催予定です。三浦サンサンラインよりは京急、JRが適当かと思われます。こちらも興味があればお越しください。
img_perryfestival2013_chirashi_1s.jpg
2013-07-14 08:04 | カテゴリ:スコットランド
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
さて今日はまあブラザーペリー祭ということで比較的直射日光の少ない動き易い天気であったわけですが、私も初めてペリー公園での式典を見学してまあなんか再選した久里浜出身の吉田市長が御満悦であったわけですが、つつがなく終わりその後の続きは横須賀総合高校ホールで関係者のみでの会ということで私は戦艦三笠でビールでも飲みながらペリーアイランド(猿島)を見て良い気持ちで帰って来た所でノルマと化したエディンバラの観光案内を継続することとします。戦艦三笠の艦橋で飲むビールはなかなか気持ち良いので是非艦内で生ビールを販売してはどうかと提案して帰って来たのですがまあなかなか横須賀にも旧軍にも色々な考えがあることかと思いますので簡単にそうはいかないとは思いますが、まあ珍しくこのブログの提案という形としておきます。まあちょっとブログも段々大胆になってきて後々には横須賀にオベリスクを建てようという提案もしていこうかと思っています。またお世話になった出身大学の大学病院についてもフリーメイスンリーとのつながりについても後々で紹介していければと思っています。まあ一応匿名の形のブログとしていますが、関係者の方にはかなり紹介していますし、ある程度インターネットに習熟していればすぐに私の事がわかるかと思いますので、まあいろいろ単なるフリーメイスンリーの紹介や教育に留まらずご紹介していければと思っています。後は観音崎のイタリアンレストランマテリアも少し飲み物だけ飲んできましたが、良いお店のようです。(書き出しは7月13日であったのでした。)

さてかなりいい加減な導入となりましたが記事のメインはエディンバラの観光案内の方です。
IMG_5863.jpgIMG_5864.jpgIMG_5865.jpgIMG_5866.jpg
イギリス軍のスコットランド連隊を顕彰する所にあった兵装の将校の写真です。なんで撮ったかというとシュライナーズのフェズ帽に似ていたからなんですね。多分フリーメイスンなんだと思いますが、スコティッシュライトの32階級で構成されるアメリカでもっとも有名なフリーメイスンリーの団体であるシュライナーズの象徴であるフェズ帽の元のデザインがスコットランド連隊の帽子であったというのはありそうな話です。赤色の意味はキリスト教徒の血であるそうですが、デザインはもしかするとスコットランド連隊の帽子であるかもしれません。
IMG_5867.jpg
これは恐らく連隊旗でしょうね。スコットランドの国の花のアザミとエディンバラ城が象徴的に描かれています。聖アンドリュー十字が描かれていないのはやはりイギリス軍として気を使っているのだと思われます。やはりシンボリズムは心が出ますね。
IMG_5868.jpg
これは何で撮っているかというと単にコンパスがあったからなんですね。何に使うコンパスかも不明ですが単にコンパスを展示してあるということだけです。恐らく展示している方も意識して出しているのだと思われます。まあしかし本当に単なるコンパスです。
IMG_5869.jpg
これは何の展示か良くわかりませんが、連隊のバッチかベルトのバックルでしょうか。良くわかりませんが、ブラザーバーンズと、ブラザースコットの肖像があったので撮っただけです。恐らく軍隊ロッジが全てあって、それぞれ象徴としてブラザーバーンズやブラザースコットが選ばれていたのではないでしょうか。
IMG_5870.jpg
愛国心を奮い立たせるのにブラザーバーンズの詩は非常に役に立ったようです。
IMG_5871.jpg
EMクラブのenlisted manのENLISTの単語があったので撮りました。まあ志願兵とも言うのでしょうが、いずれにしても下士官となるようです。
IMG_5872.jpg
まあフリーメイスンリー以外の展示では主に愛国心を喚起する意味くらいしかないようでした。外は相変わらずいい天気で景色は最高でした。
IMG_5873.jpg
エディンバラ大学の方向でしょうかね。ちょっと建物は良くわかりません。
IMG_5874.jpg
やっぱりお墓がありますね。オベリスクも見えます。
IMG_5875.jpg
南西の方でしょうかね。北側の新市街とは反対だと思います。
IMG_5876.jpg
防衛用の大砲が恰好だけなので車止めになっているのですね。非常に面白い利用です。
IMG_5877.jpg
これまたiPhoneでの逆光撮りですね。カメラが良ければ綺麗に写るんでしょうが、iPhoneでは無理があります。IMG_5878.jpg
国旗が綺麗に映えます。
IMG_5879.jpg
実際の空砲を撃つ大砲です。ワンオクロックガンと言って午後1時を知らせる空砲を日曜以外の毎日鳴らしているそうです。
IMG_5880.jpg
これは新市街の方面です。
IMG_5881.jpg
カールトンヒルの方向です。スコット記念塔やロイヤルアカデミーなどがわかります。
IMG_5882.jpgIMG_5883.jpg
カールトンヒルとの位置がわかります。
IMG_5884.jpg
新市街の建設中の図ですね。周りに何もなかったことが良くわかります。
IMG_5885.jpgIMG_5886.jpgIMG_5887.jpgIMG_5888.jpg
ウィンザー城もそうでしたがイギリスの城は基本的に町の全貌が把握できるようになっているのですね。この辺は日本の戦国~江戸時代の城と同じなんでしょうね。
IMG_5889.jpg
これはまた場所が変わって上に登って下の写真を撮っていたところを見下ろしているのですね。セント・マーガレット教会堂の横だと思います。壁際に立っている石碑はお墓でしょうか。
IMG_5890.jpg
風でよく旗がはためいているんですが、なかなか広がった瞬間を撮るのは難しいです。
IMG_5891.jpgIMG_5892.jpgIMG_5893.jpg
モンス・メグという15世紀からある巨砲だそうです。最終兵器なのでしょうね。最後に撃たれたのがジェームズ1世を産んだメアリー1世の後のフランス国王フランソワ2世との結婚の時だそうです。砲丸は150㎏だそうです。3つ並んだところがポイントでしょうか。セント・マーガレット教会堂の真横にあります。一応最後に守るのは教会堂という形になっています。宗教改革時には破棄されたそうです。そういえばヴェルニー公園の3つの照明は相変わらず点きませんね。
IMG_5894.jpgIMG_5895.jpg
セント・マーガレット教会堂は写真撮影禁止なのですが、その横に日本と同じように松があったので撮りました。
IMG_5896.jpg
エディンバラ城の全体図です。
IMG_5897.jpgIMG_5898.jpg
微妙に焦げてるエディンバラ城の城壁を写しつつエディンバラ城は終わりです。

少し内容が薄くなったのでここでちょうどあってそうなエディンバラ城についてのブラザーロバート・バーンズの詩を挙げておきます。

エディンバラに寄せる言葉

1
イダイナよ、スコットランドの最愛の首都よ、
 幸いあれ、君の宮殿たちと塔たち、
そこではかつて、一人の君主の足もとに、
 立法の主権者たちがすわっていた。
エア川の堤をさまようとき
 咲き乱れる花を眺めることから、
また去りかねている時を一人歌うことからはなれて、
 君の尊い陰に私は身を置くのだ。

2
こちらでは、忙しい商いが自分の仕事に精出すとき、
 富は黄金の潮をもりあげ、
あちらでは建築の高貴な誇りが、
 優美と輝きそびえ立つことを命ずる。
こちらでは正義が生まれ故郷の空から、
 はかりと権威の杖を高く振りかざし、
あちらでは学問がワシの眼をして、
 人目につかない住まいで学問を探求している。

3
イダイナよ、君の息子たちは社交的で親切で、
 両手を開いて見知らぬ人を迎える。
彼らの広い見識、彼らの寛大な心は、
 狭い、田舎の谷間にまさる。
悲しみの嘆きに、控えめな真価の
 物言わぬ要求に常に耳を傾ける。
そして彼らの水源がかれることのないように、
 ねたみが彼らの名を汚さないように。

4
君の晴れやかな娘たちは君の歩道を飾っている、
 金色の夏空のように華やかに、
露にぬれた乳白色のサンザシのように美しく、
 歓喜の絶頂の震えのようにいとおしく。
美しいバーネットは敬愛する者の目に焼き付けられ、
 天の美女たちは私の想像の上に輝く。
天上の愛の父を見て、
 父のなせる業は本当に神々しいと思う。

5
そこでは、どんなささいな警報にも注意を向けて、
 君のごつごつした、荒々しい要塞が遠くに光っている。
多くの切り傷がある、
 灰色に武装した古つわもののようだ。
どっしりした城壁と重々しい鉄格子は、
 ごつごつした岩の上にいかめしくそびえたち、
攻めたてる戦にしばしば耐え、
 侵入者の衝撃をしばしばはね返してきたのだ。

6
敬服の念に打たれた思いと哀れみの涙で、
 あの気高い堂々としたドームを見る。
そこでは過去のスコットランドの王たちが、
 名高き英雄たちが、居城を持っていた。
悲しいかな、その後の時代がいかに変わったことか、
 彼らの王の名は低く塵の中に埋もれ、
厳しい法律は「それは正しかった」と叫んでいるが、
 彼らの不運な一族はあてどなくさまよっている。

7
その君たちの足跡をたどり私の心は激しく打つ、
 昔、その祖先たちは
敵の戦列や破壊された城壁の割れ目を通って、
 いにしえのスコットランド王家の紋章真紅のライオンを運んだのだ。
田舎の伝承の中で歌う私でさえ、
 おそらく私の祖先たちもその小屋を出て、
君たちの祖先が導くところに大胆にしたがって、
 恐ろしい危険の、この上なく大きな吠え声に立ち向かったのだ。

8
イダイナよ、スコットランドの最愛の首都よ、
 幸いあれ、君の宮殿たちと塔たち、
そこではかつて、一人の君主の足もとに、
 立法の主権者たちがすわっていた。
エア川の堤をさまようとき
 咲き乱れる花を眺めることから、
また去りかねている時をひとり歌うことからはなれて、
 君の尊い陰に私は身を置くのだ。

Address to Edinburgh

Ⅰ.
Edina! Scotia's darling seat!
All hail thy palaces and tow'rs,
Where once beneath a monarch's feet
Sat Legislation's sov'reign pow'rs!
From Marking wildly-scatter'd flow'rs,
As on the banks of Ayr I stray'd,
And singing, lone, the ling'ring hours,
I shelter in thy honour'd shade.

Ⅱ.
Here wealth still swells the golden tide,
As busy Trade his labour plies;
There Architecuture's noble pride
Bids elegance and splendour rise;
Here Justice, from her native skies,
High wields her balance and her rod;
There learning, with his eagle eyes,
Seeks science in her coy abode.

Ⅲ.
Thy sons, Edina! social, kind,
With open arms the stranger hail;
Their views enlarg'd, their liberal mind,
Above the narrow, rural vale;
Attentive still to sorrow's wail,
Or modest merit's silent claim;
And never may their sources fail!
And never envy blot their name!

Ⅳ.
Thy daughters bright thy walks adorn,
Gay as the gilded summer sky,
Sweet as the dewy milk-white thorn,
Dear as the raptur'd thrill of joy!
Fair Burnet strikes th' adoring eye,
Heav'n's beauties on my fancy shine;
I see the Sire of Love on high,
And own his work indeed divine!

Ⅴ.
There, watching high the least alarms,
Thy rough, rude fortress gleams afar,
Like some bold vet'ran, gray in arms,
And mark'd with many a seamy scar:
The pond'rous wall and massy bar,
Grim-rising o'er the rugged rock,
Have oft withstood assailing war,
And oft repell'd th' invader's shock.

Ⅵ.
With awe-struck thought, and pitying tears,
I view that noble, stately dome,
Where Scotia's kings of other years,
Fam'd heroes! had their royal home:
Alas, how chang'd the times to come!
Their royal name low in the dust!
Their hapless race wild-wand'ring roam,
Tho' rigid law cries out, 'twas jus!

Ⅶ.
Wild beats my heart to trace your steps,
Whose ancestors, in days of yore,
Thro' hostile ranks and ruin'd gaps
Old Scotia's bloody lion bore:
Ev'n I who sing in rustic lore,
Haply, my sires have left their shed,
And fac'd grim danger's loudest roar,
Bold-following where your fathers led!

Ⅷ.
Edina! Scotia's darling seat!
All hail thy palaces and tow'rs,
Where once beneath a monarch's feet
Sat Legislation's sov'reign pow'rs!
From marking wildly-scatter'd flow'rs,
As on the hanks of Ayr I stray'd,
And singing, lone, the ling'ring hours,
I shelter in thy honour'd shade.

感想:ブラザーバーンズがジャマイカ移住を断念してモスギールからエディンバラに移り住んだ際に詠まれたものかと思います。エディンバラの描写とやはり女性が美しい事、建築や商売が非常に盛んな事が描かれわかりやすいかと思います。彼はこのエディンバラ移住後に様々な波乱を経て約10年でリウマチ熱で亡くなります。かつてより美しさと同時に棘を持つアザミの花のような街であり続けたのかもしれません。
2013-07-14 10:06 | カテゴリ:スコットランド
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
まあ行った人はわかるかと思いますが、エディンバラ城の眼の前にある二つの名物の博物館風の観光地の一つです。ウィキペディアではカメラ・オブスクラという日本語の項目で解説されていますので一部転載します。

カメラ・オブスクラ(英語:camera obscura、camerae obscurae、ラテン語で「暗い部屋」の意味。カメラ・オブスキュラ、カメラ・オブスクーラとも)は、素描を描くために使われた光学装置のこと。写真術発明にあたり重要な役割を果たした装置で、写真撮影用の機械を「カメラ」と呼ぶのはカメラ・オブスクラに由来する。最初に「カメラ・オブスクラ」という言葉を用いたのはヨハネス・ケプラー(1571年–1630年)とされる。
カメラ・オブスクラの原理は、ちょうどピンホールカメラと同じようなものである。原始的なタイプのカメラ・オブスクラは、部屋と同じくらいのサイズの大きな箱を用意し、片方に小さな針穴(ピンホール)を開けると外の光景の一部分からの光が穴を通り、穴と反対側の黒い内壁に像を結ぶというものであった。画家がこの箱の中に入り、壁に映った像を紙の上に描き移すことで、実際の光景とそっくりの下絵をつくるという使い方がされた。

遠近法の精密な風景画の種明かしがこれなのですね。昔はよく学研なんかの付録付き雑誌の特典でピンホールカメラの原理を利用したものがあったりしましたが、このエディンバラのカメラオブスキュラはそれの拡大版でエディンバラの光景を鏡で反転して地面に写して皆でその光景を見るという形のものです。レンズも利用しているのかと思いますが(確か解説では当初からのピンホールカメラの原理のみでレンズは利用していなかったと思います。)、ピンホールカメラのように光の屈折の技術を利用しているのだと思います。現代版の監視カメラの画像のような役割があるわけですが、一応民会の人で集まって十数人で周りで確認しながら物事を目撃できるというところなのでしょうか。1788年からあるそうでその頃には恐らくこの監視カメラとしての機能は非常に有効に機能したのではないでしょうか。実際にその画像を見ると非常に鮮明で細密な風景画のようでそれでいて人々が動いていて映写機やテレビとは異なる光の加減で非常に魅惑的でありました。
CO-Interior-2011_02.jpg
ホームページがありましたがレビューしかありません。スコットランド観光局のカメラオブスキュラの歴史解説のページもありました。入場料は6.5ポンドのようです。日本円にすると1000円くらいで、要は双眼鏡でのぞくのと変わらないという話なので少し考えるところだと思いますが、実際はその他の映像技術のアミューズメントの数々の展示が非常に面白いので格安なんだと思われます。
実は私もこの明らかな観光地らしいアミューズメントに少し引き気味で行こうかどうか迷っていたのですが、どうも明らかにAll Seeing Eyeの形をしたシンボルマークに恐らくフリーメイスンが経営しているのだとは想像できていて、かなり様子を探ってから行くこととしました。
silver_01.jpg
日本の市章でありそうですね。
では実際に撮った写真を挙げていきます。
IMG_5899.jpg
カメラオブスキュラのドームとハブの尖塔です。ブラザーバーンズの詩にうたわれたドームはこのドームでしょうか。ロイヤルマイルズのドームはこのくらいだと思います。
IMG_5900.jpg
足元にはやはりパーフェクトアシュラーのシンボルがあります。W↑D NeIXとあります。何かの記号だとは思いますが、どういう意味なんでしょう。ぜひ皆さん考えてみてください。
IMG_5901.jpg
これは何なんでしょうね。アーサー王なのかロバートドゥブルースなのかというと恐らくロバート1世の方なんだと思いますが、ウィリアム・ウォレスなのかもしれません。映画ブレイブハートの衣装の事を考えるとウィリアム・ウォレスのようです。まあ良くはわかりませんが観光客向けのサービスだと思われます。
IMG_5902.jpg
これはカメラオブスキュラの売店のところの写真です。床が白黒になっているのを確認しています。特にフリーメイスンリー関連のお土産はありませんでしたが、へんてこなおもちゃみたいなのがたくさん売っていました。店員も別にそれほどの雰囲気はありませんでしたが、入場しないで売店だけ来るといまいちな雰囲気でした。入場しようかどうか迷っていたのですが、一旦下に下ることとしました。
IMG_5903.jpg
ブラザーロバート・バーンズの名前を冠したパブに行って昼ごはんのハギスを食べました。なかなかおいしかったのですが、その後変なおならが続いて困りました。店主が以前に話したフリーメイスンでした。店はあまり繁盛しておらず主にサッカー応援に力を入れている様子でした。兄弟か親戚がグランドロッジの学会のプレコンサートかその後かに出席すると言っていましたが、会うことはありませんでした。そこでロイヤルマイルズに20ほどのロッジがあり、カメラオブスキュラもそうだと聞いてやっぱり行っとこうと引き返します。
ここでもやはりブラザーロバート・バーンズの有名な詩を紹介することとします。

ハギスのために

正直なおまえの笑顔に幸いあれ!
腸詰一族の偉大な王よ、
おまえはその連中の上にどっかと腰をおろしている、
     胃袋や腸や内臓の上に。
おまえはおれの長い腕くらい
     長ったらしい食前の祈りにふさわしい立派な食べ物だ。

皿せましとどっさり山のように盛られているおまえ、
おまえの尻はまるで遠くに見える山のようだ。
おまえの焼き串、まさかのときには、
     粉挽機の修繕に大活躍だ。
やがて、おまえの毛穴から滴がしたたり落ちる、
     琥珀色の玉のような滴が。

見ろ! 田舎者労働者がナイフをぬぐい、
器用におまえを切り刻んでいく。
切り込みを入れるたんびに、
     鮮やかな中身がどっとあふれ出る、まるでどこかの溝のように。
そして、その時、おお、なんという神々しい姿か、
     もうもうと湯気が立ちのぼり、なんと豪勢なことか。

それから、一さじ一さじ手を伸ばし、せっせせっせと大奮闘。
遅れた者には見向きもせず、むさぼり食らいつく。
とうとうやつらの胃袋は
     はちきれんばかりの太鼓腹。
それから亭主、今にも爆発しそうな腹を抱えて、
     食後の祈りをぶつぶつと口にする。

フランス風煮込みや
雌豚さえも見向きもしないごった煮や
吐き気を催す蒸し焼き料理を食らいつき、
     こんな立派なご馳走を
軽蔑の目つきであざ笑い、
     見下すやつはどこにもいやしない。

哀れなやつを見ろ! つまらぬものばかり食べているやつめ。
しなびた草のように弱々しい。
脚はクモのように細長く、お上品な鞭みたいだ。
     握り拳はせいぜいクルミの大きさ。
血なまぐさい戦場に突進するなんて
     どだい無理なこと。

それにひきかえ、ハギスで育った田舎者を見ろ。
歩むたんびに大地は震え、こだまする。
その大きな握りこぶしに剣を持たせてみろ。
     ぐるぐる振ってひゅーひゅー風を起こし、
敵の脚も腕も頭もスパリスパリと切りまくる、
     まるでアザミの穂先を切るように。

ああ、天使様。あなたは人類を庇護したまい、
献立表を見せてくださる。
古き良きスコットランドには水っぽい食べ物など用はない、
     器の中でじゃぼじゃぼ音のするような。
しかし、天使様、あなたが感謝の祈りをお望みなら、
     スコットランドに、与えたまえ、ハギスを!

To a Haggis

[The vehement nationality of this poem is but a small part of its merit. The haggis of the north is the minced pie of the south; both are characteristic of the people: the ingredients which compose the former are all of Scottish growth, including the bag which contains them; the ingredients of the latter are gathered chiefly from the four quarters of the globe: the haggis is the triumph of poverty, the minced pie the triumph of wealth.]

Fair fa' your honest, sonsie face,
Great chieftain o' the pudding-race!
Aboon them a' ye tak your place,
Painch, tripe, or thairm:
Weel are ye wordy o' a grace
As lang's my arm.

The groaning trencher there ye fill,
Your hurdies like a distant hill,
Your pin wad help to mend a mill
In time o' need,
While thro' your pores the dews distil
Like amber bead.

His knife see rustic-labour dight,
An'cut you up wi' ready slight,
Trenching your gushing entrails bright
Like onie ditch;
And then, O what a glorious sight,
Warm-reekin, rich!

Then horn for horn they stretch an' strive,
Deil tak the hindmost, on they drive,
'Till a'their weel-swall'd kytes belyve
Are bent like drums;
Then auld Guidma, maist like to rive,
Bethankit hums.

Is there that o'er his French ragout,
Or olio that wad staw a sow,
Or fricassee wad mak her spew
Wi' perfect sconner,
Looks down wi' sneering, scornfu' view
On sic a dinner?

Poor devil! see him owre his trash,
As feckless as a wither'd rash,
His spindle snank a guid whip-lash,
His nieve a nit;
Thro' bloody flood or field to dash,
O how unfit!

But mark the rustic, haggis-fed,
The trembling earth resounds his tread,
Clap in his walie nieve a blade,
He'll mak it whissle;
An'legs, an' arms, an' heads will sned,
Like taps o' thrissle.

Ye pow'rs wha mak mankind your care,
And dish them out heir bill o' fare,
Auld Scotland wants nae stinking ware
That jaups in luggies;
But, if ye wish her gratefu' pray'r,
Gie her a Haggis!

感想:実際に食べてみてブラザーロバート・バーンズの詩を読んでみてください。ハギス自体は羊のいわゆる日本で言うホルモンでお肉の一番おいしい部分だと思われます。味付けが大体いわゆる胡椒と塩とウィスキーでいわゆる肉肉しい肉です。まあいわゆるソウルフードなのだと思います。日本で言うと豆腐や納豆、味噌汁や米といった植物系ですがあちらは狩猟民族で肉なのですね。ちなみにフリーメイスンリー歴史学会では昼食でハギス入りのパイがありました。同時にステーキ入りのパイもありましたがほとんどの人はステーキ入りのパイを選んでいました。ハギスはいわゆるミンチなので何か入っていてもわからないのですね。パイ包みになっていると見た目が気にならないので良い食べ方だと思いました。
5f153b3164167ab12260ae738001bc27.jpg
ハギスの作り方のホームページをリンクしておきます。ハギスの輸入は現在狂牛病の関係だと思いますが輸入が制限されているそうです。ベジタリアンハギスというなんだか意味がわからないものが売っています。こういうところもフリーメイスンリーなんですね。毎年1月25日のブラザーロバート・バーンズの誕生日にはバーンズナイトと言って、皆でハギスを食べるバーンズサパーを行うそうです。その際には上記のハギスの詩を朗読するそうです。最後はAuld Lang Syneで締めるそうです。

ちなみに1月24日~1月31日にかけては有名なフリーメイスンの生誕日、忌日が続きます。どうもユダヤ教のTu B'Shvatトゥビシュヴァット樹木の新年の祝日と関係があるようです。解説をコピペします。(このリンクページはセキュリティーソフトがアラートします。注意してください。)

シュヴァットの月の15日がこの樹木の新年にあたります。木を植えて最初の3年は果実を採ってはいけません。 樹齢を数えるために木に新年を設け、この日が来たら1年経ったということになります。 ちなみに4年目の果実は神への捧げ物となり、5年目にやっと食べる事ができるのです。
この日は植林の日でもあり、子供たちが野山に木を植える習慣があります。
レビ記 19章 23-25節 「あなたたちが入ろうとしている土地で、果樹を植えるときは、その実は無割礼のものと見なさねばならない。それは三年の間、無割礼のものであるから、それを食べてはならない。四年目にすべての実は聖なるものとなり、主への賛美の献げ者となる。五年目にあなたたちはその実を食べることができる。こうすれば収穫は増し加えられる。わたしはあなたたちの神、主である。」

ユダヤ暦のウィキペディアをリンクします。参照してください。
9月後半から10月前半がスコット、仮庵の祭りといい、モーゼが出エジプトした際の仮の神殿を作ったことを記憶する祭りな訳で、ちょうど12星座のてんびん座の時期です。私もてんびん座なのですが、どうもスコットランドの記事をこう長々と書いているのもそういうご縁から来るようです。どうにもこうにもです。(ちなみに私の生まれ年のユダヤ暦では新年3日目だそうです。あまり直接的に関係あるわけではなさそうです。まあ仮庵の祭りの象徴であるテントもフリーメイスンリーの象徴となり、ライオンとユニコーンのタペストリーなどでも認めたりします。スコットということでダジャレなんでしょうね。)

では続きです。
IMG_5904.jpg
まあ要するにみんなロッジなんですね。この変な看板もフリーメイスンが作ってると思うと少し違います。かな。
IMG_5905.jpg
これはハブの尖塔でしょうか。しかしキリスト教で建てたものを観光案内所にするってのも激しいですね。
IMG_5906.jpg
原理が良くわかるわかりやすい看板です。
IMG_5907.jpg
最初に屋上のところにあるカメラオブスキュラを30分ごとの解説の時間を待って見学します。終始英語でほとんどわかりませんが、まあ一人一人の様子を解説の人が反応を見ていると言った感じで内容はあまり難しくないようです。まあ観光客がその仕組みに関心があるというよりも、管理人の方が観光客に関心があるという感じではないでしょうか。その後一番上の5階から下に徐々に降りていく感じですが、最近は日本では少なくなっただまし絵やトリックアートを見ていく感じでしょうか。ところどころフリーメイスンリーのシンボルがあります。これはだまし絵では有名なブラザーマウリッツ・エッシャーの絵です。
IMG_5908.jpg
これはわかりやすいAll Seeing Eyeの形でしょうか。その他も非常に面白いトリックアートや視覚を利用した体験型の展示がたくさんあって、子供連れであれば2~3時間は過ごせるのではないでしょうか。大人の見学者は少なかったですが恐らくフリーメイスンリーなどの関連の展示の博物館よりはこちらの方が大概の人は面白いのではないでしょうか。
IMG_5909.jpg
こういうのもあります。フリーメイスンリー嫌いの人には辛そうです。
IMG_5910.jpg
これは自動オルガンでしたかね。白黒の床があり芸が細かいです。
IMG_5911.jpg
これはなんか古い写真の展示かでしたかね。わざわざ大鎌のシンボルであります。多分若いフリーメイスンが一生懸命なんでしょうね。
IMG_5912.jpg
その他楽しい展示がたくさんありました。最後はなんだか夢から覚めたみたいな感じで、手軽なフリーメイスンリー体験な感じでもありました。何かお土産を買っていこうかと思いましたが、あくまで子供向けの商品しか認めませんでした。まあかなり力を入れた展示ということでした。外から写真を撮ったのですが、明らかにフリーメイスンリーという表示はありませんでしたね。紋章が多少そういうのがあるのでしょうかね。この後はこのすぐ前にあるウィスキーエクスペリエンスに行きます。

(カメラオブスキュラのフリーメイスンリー的な重要性はなかなか普通には理解しがたいかもしれません。民会が発達したエディンバラでは現代の監視カメラに代わる科学設備が18世紀から存在したということなのです。ブラザーディーコン・ブロディーの犯罪の立証にしても科学的証拠や多くの人の立ち会いが必要になるということかと思います。現代日本で警察が取り調べの記録を拒むなどエディンバラではありえない考えということです。)
2013-07-14 23:36 | カテゴリ:スコットランド
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
どうも記事は沢山書いているのですがなかなか皆さんが期待するような秘密の話になっていないのか、読者が増えない今日この頃ですが、なんだかこちらが期待しないようなマスコミ関係の方の固定の読者の方は多いようであまり面白くないあれですが、まあ色々フリーメイスンリーが浸透している成果と考えてどんどん書き進めることとします。

この項目もあれなんですが、個人的にスコットランドではほとんどお酒を飲むこともなくフリーメイスンリー歴史学会とエディンバラ周辺の観光に動きまわっていて、ウィスキーエクスペリエンスでたった一杯ウィスキーを飲んだのだけがほぼ味わったお酒であったわけですが、これがまあほぼ人生で最初に飲んだシングルモルトであったのだと思いますが、非常においしかったわけです。それで一応帰国後に近所でシングルモルトウィスキーを買ってきて味わって、非常においしいと味わっていたわけですが、同時にブラザーロバート・バーンズの詩を読んでいてまた非常に面白いウィスキーについて詠んだ詩があったわけで、ウィスキーエクスペリエンスと関係なくその詩を紹介しようかと考えていたのですが、結局エディンバラの観光案内も書きすすめてここまできたのでここでその詩も紹介することとします。

まあこのブログも特にテレビで都市伝説とかそういうので紹介されて見る若年層が多いようで、検索ワードなどを見てもほとんどがこれは10代から20代でまああまり知的レベルが高くないかなという感じが多かったわけですが、やはり専従でマスコミ関係の方が御覧になっているようで、その方々はやはり一応日本の文系の知性を持っているわけですが、いかんせんブラザー西周やブラザー津田真道が導いた日本の文科系大学の知性も戦後の特にアメリカ系フリーメイスンリーが主に軍人系が多かったこともあり、戦前のようにデカンショ節とはいかないなかなかフリーメイスンリーについて帝都物語の作者で知るような方が中心という知識階層となってしまうのかもしれませんが、いずれにしてもシングルモルトウィスキーの味がわかるようになるのはかなりの知的レベルが必要かと思い、是非ブラザーロバート・バーンズの詩集を買い求められてシングルモルトウィスキーを味わうのを手始めに哲学書でも読破する知的リフレッシュをこの猛暑にチャレンジされて、フリーメイスンリーの求める高み(低み?)に挑んでみてはいかがでしょうか。

まあ下らない前書きはさておきスコットランド観光案内です。
IMG_5913.jpg
逆光写真の中では比較的うまく撮れている方でしょうか。監視カメラがロッジっぽいですかね。
あまりウィスキーについて知識もなく興味もなかったのでいかないつもりであったのですが、前述の通り下の方のブラザーロバート・バーンズの名前のパブのマスターからロイヤルマイルズのロッジの話を聞いたので、恐らく一番目立つところにあるこちらのウィスキーエクスペリエンスもフリーメイスンリーの関係であろうということで、この後ロスリン礼拝堂になんとか巡ろうと考えていたその前の時間になんとか回ろうと並ぶこととします。どうも他のブログを読むとウィスキーの全てを味見するセットとか色々チケットの値段も違ったようですが、よくわからなかったので普通のチケットを買って20分ほど待ったでしょうか。30分ごとのツアーだったと思います。日本語の解説ページがありました。通常の入場料は11.5ポンドだそうですが、19.5ポンドでお土産のモルトウィスキー付きのようです。いろいろ口コミサイトに書いてあるので参考にしていただけると幸いですが、どうも日本人観光客で口コミサイトやブログを書くような方には大好評のようで、非常に多くの記事が出てきます。まあ色々スコットランド観光もストレスが多いのでしょう。確かにあれだけ大っぴらに日本で言うと焼酎みたいな酒を丹念に飲める場所は他にありません。ウィスキーの樽の形をした乗り物に乗ってアトラクションのようにウィスキーの歴史と作り方を教わるのですが、口コミサイトにも書いてある通りディズニーランドのアトラクション、イッツアスモールワールドのような形でしょうか、10数カ国語に対応しているというので、エディンバラで日本語が聞けるのはこことエディンバラ城位しかないのではないでしょうか。スコットランド訛りの英語はほとんど聞き取れないかと思いますので、じっくりとウィスキーの作り方とウィスキーの味わい方を学んで試飲すればほとんどの人がウィスキーが好きになるかと思います。良くできたアトラクションです。さすが飲み屋で生まれた飲兵衛のクラブであるフリーメイスンリーの本場の飲兵衛教育機関です。まあ日本でウィスキーといえばもちろんサントリーであったりするわけですがもちろん三鳥居とかスコットランド人が皆教えたとか、まあサントリーといえばクラシック音楽でもかなり貢献している企業で、日本で現在最も清涼飲料水で売り上げているようです。もちろんスコットランド人ブラザーグラバーがビールの製法を教えたという、坂本龍馬から名前が付いたと言われるキリンもそういう関連ということになるかと思います。
さてウィスキーエクスペリエンスの方ですが、ウィスキーの製法や歴史を聞くわけですが、どうも覚えている限りではウィスキーの独自のフレーバーというのはそもそも蒸留酒でほぼ純粋アルコールに近い形の原酒の段階では香りがほとんどないようで、酒税の関係で作った蒸留酒を樽に入れて隠して保存していた結果その樽の匂いが移ったのが現在のウィスキーのフレーバーの元だそうです。要するに樽についている木のにおいが移るのでしょうね。わかりやすいブログがありましたのでリンクしておきます。他にもありました。どうも皆さん非常に好印象で皆さんブログに書いているようです。恐ろしい酒の神です。
ここではアトラクションで一通り教育を終えた後にテイスティングがあります。テイスティング用のグラスを渡されてフレーバーの匂いのする紙を渡されて好みのフレーバーのウィスキーを入れてもらってテイスティングの仕方を教わって飲みます。その紙は捨ててしまったのですが、他のブログで検索した内容によると、ローランドは柑橘系の果物の香り、ハイランドはバニラとかスパイスの香り、スペイサイドはバナナやアプリコットなんかのフルーティーな香り、アイラは土のような漢方薬のような香りがするとのことでした。まあそれもこれもシングルモルトの場合であって、それもスコットランド限定なわけですが、普通大体のウィスキーというやつはブレンディッドと言って、それらシングルモルトを元にして何種類もの年数の違うものを混ぜて味を作るそうです。どうもブレンディッドに悪印象を持ってしまうのがこのウィスキーエクスペリエンスの副作用のようですが、ブレンディッドにも色々仕組みがあって、混ぜたシングルモルトで最も新しい年数のものの年数を表示するとか色々ルールがあるようです。スコッチウィスキーについてのウィキペディアがありますので参照してください。
テイスティング用のグラスは上記の他の方のブログを参照していただきたいのですが、日本でも購入できるようです。

グレンケアン ブレンダーズ モルトグラス ■蒸留所でも使用グレンケアン ブレンダーズ モルトグラス ■蒸留所でも使用
()
グレンケアン

商品詳細を見る

これがそのままウィスキーエクスペリエンスで配られるテイスティンググラスと同じだと思います。ほぼ入場料はグラスとウィスキーの実費なのですね。フリーメイスンリーですねえ。これはもちろんストレートで味わうようなのですが、これに入れて、色と香りをテイスティングするわけです。クルクルと回してその際に匂いと垂れる様子を見て評価するそうです。
後は個人で集めたコレクション、恐らくフリーメイスンのウィスキーのプロの方なんだと思いますが、ディアジオ・クレイブ・ビディズという方が集めたコレクションを見ながら味わいます。
IMG_5914.jpgIMG_5915.jpg
MacやMcという接頭詞はスコットランド特有の名前で~の子供という意味だそうですが、マクドナルドやマッカーサー、マクダネル、マッキンリー、マッキントッシュ、マッカートニー、マクガヴァン、マグワイヤ、マクナマラ、マクベス、マクラ―レンなど皆さんよく知った有名人や会社や商品の名前であるかと思います。
IMG_5916.jpg
そういえばマクドナルドも何かキャンペーンをやっていたかと思います。スコッチウィスキーを飲みながら味わうとまた違った感慨があるかもしれません。
IMG_5917.jpg
色々な瓶がありますがあからさまにフリーメイスンリーというものはありませんね。飲兵衛を刺激してはいけません。
IMG_5918.jpgIMG_5919.jpgIMG_5920.jpg
というわけでエディンバラ城と同じくチェスのチェッカーボードがあるわけですね。やはりこの辺はエディンバラ独特という感じでしょうか。どうもスコットランドグランドロッジにはチェスクラブもあるそうです。チェスもそういえばAppleのコンピューターには全てChess gameが載っているかと思います。現在のWindowsXP後のOSにも皆チェスが載っているようです。こんなところにもシンボリズムの教訓がありましたね。
さて皆さんが飲兵衛になるようにというわけではないですが、フリーメイスンリーらしいウィスキーを紹介しておきます。
Old-Masters2.jpg
Old Master - Freemason Whiskyというそうです。どうも日本には輸入はされていないようです。
日本でも買えるウィスキーとしてはこちらがあります。
RB_Blend-BottleVisual_20.pngRB_Malt BottleVisual copy_1
ROBERT BURNS BLEND THE ROBERT BURNS

さてでは本題ともいえるブラザーロバート・バーンズの詩です。

スコットランドの酒よ

絶望に打ちひしがれている者に
 もうろうとするほど強い酒を与えよ。
悲しみと不安で踏みにじられている者に
 血を燃やす良い酒を与えよ。
溢れ出る満杯の杯を与え、
 痛飲泥酔させよ、
そうすれば、人は恋も借金も忘れ去り、
 もはや自分の悲しみで苦しむことはない。
(『ソロモンの箴言』、31章6-7節)

あんな詩人どもには大騒ぎさせてやれ、
フランスのぶどう、ぶどう酒、酔いどれバッカスども、
七面倒くさい名前、わしらを苦しめ耳をけがす戯言で、
     あんな詩人どもには大騒ぎさせてやれ、
わしのほうは、グラスやジョッキを傾け、
     スコットランドの大麦が造る酒をたたえよう。

おお、おまえ、わしの詩神よ! 古きスコットランドの名酒よ!
虫のように曲がりくねったわしの五体を、おまえがものの見事に駆け巡り、
濃い褐色の液体が見事に泡だち、
     器のふちから溢れだし、
ついには、舌ももつれもうろうとするほど、わしに霊感を与えよ、
     おまえの名前をたたえさせよ!

殻ばかりの小麦に川辺を飾らせ、
オートムギには穂の先を立たせ、
エンドウマメとインゲンマメには朝に夕べに、
     広野を芳香で満たさせろ、
おまえ、ジョン・バーレイコーンよ、今後ともよろしくな、
     おまえ、穀類の王よ、よろしくな!

柔らかな麦粉のパンケーキとして選び抜かれたおまえよ、
スコットランドでは、おまえはよく、もぐもぐ食べられている!
また、キャベツや牛肉と一緒に煮えたぎる大汁の中にも
     流し込まれる。
だが、強い心臓の血液(ウイスキー)が注ぎ込まれると、
     そこでおまえは光り輝く。

食物が胃袋を満たし、わしらは生き続けられる。
しかし、苦痛と悲痛とで無残にのた打ち回る時、
この生命(いのち)の賜物も、授かるだけの値打ちのない物に堕してしまう。
          だが、おまえが油を注いでくれたら、
生命の車輪は、ころころ丘を下り、
     歓喜にあふれ駆け抜ける。

おまえは、老いぼれ学者の頭を研ぎ澄ましてくれる。
おまえは、打ち沈む不安な心を勇気づけてくれる。
おまえは、疲れ果ててつらいときでも、
     苦しい仕事の中で神経を緊張させてくれる。
おまえは、陰気な中に微笑を浮かべ、
     暗い絶望を明るく輝かしてくれる。

時々おまえは、銀色の衣で重々しく装い、
上流紳士たちの中で、毅然と立っている。
だが、まさかの時には身を屈して優しくなり、
     貧者のぶどう酒となってくれる。
おまえは、貧乏人の僅かなパンにもオートミールのおかゆにも、
     見事に味付けをしてくれる。

おまえは、大衆居酒屋の生命。
おまえがいなければ、わしらの祭りやばか騒ぎもどうなることやら。
聖者が集まる神聖な会のときも、
     おまえは霊感を与え、
信者が野外の説教壇を囲んで、ぽかんと口を開けているときも、
     二重に霊感を与えて燃やしてくれる。

オートムギを収穫するあの楽しい夜、
おまえは角製の杯の中でうまそうに泡立つ!
また新年の朝、湯気を立てている
     木製の椀(わん)や杯のなかでも泡立ち、
そしてほんの数滴、その中に火酒(スピリッツ)をたらし、
     うまい砂糖を入れるのだ!

鍛冶屋の神様がふいごに息を与え、
農夫が農具を持って鍛冶屋に集まるとき、
本当に素晴らしい! おまえが耳つき杯の中で
     シューシューと泡立つのを見るのは!
そのときの一杯、鍛冶屋は舌鼓一つ打つごとに
     息絶えるばかりに火と燃えあがる。

そのとき、鉄やはがねに情けは無用。
若い節くれだった骨太農夫が
鍛冶屋と相槌(あいづち)打つために、力まかせにぐるぐると、
     頑丈な大槌を振りかざし、
ついには台盤と鉄床(かなどこ)を鳴り響き踊らせる、
     耳つんざく轟音たてながら。

赤ん坊が泣きながら生まれるとき、
おまえは近所隣りの口さがない連中をべらべらしゃべらせる、
ばか亭主どもが本当に不器用で、恋女房を粗末にしているのに、
     恋女房と呼んでいるのを聞くとあきれるのだ!
産婆は一夜の饗宴に招かれることもなく、
     わずかの報酬を亭主どもから貰うこともない。

近所の連中が訴訟起こして、
いがみ合い狂い回るとき、
大麦の蒸留酒が、なんと見事簡単に
     争いを和解させ、友情を固めてくれることか!
酒樽を味わえば
     それがいつも最低の弁護士費用となるのだ。

ああ、悲しい! わしの詩神には
同郷人を裏切り者としてとがめるだけの理由があるのだ!
それなのに、毎日大勢の喉を潤させて頂けるのは
     この見事なお酒のおかげ、
まして冬の季節には、
     その値段を問うのも愚かだ。

呪われよ、あのブランデーなど、燃えるにせものの酒よ!
みんなに苦痛と病気をもたらす憎々しい元凶よ!
大勢の貧しい、愚かな飲んだくれのばか連中から
     寿命の半分を奪い取っていやがる。
あげくの果てに、愛すべきスコットランドのお金が
やつら最悪の仇敵に渡ってしまうとは。

スコットランド人よ、古きスコットランドの栄光を願う者よ、
きみたち長たる者よ、哀れな文なしろくでなしのわしではあるが、
わしはおまえたちに言おう、
     おまえたちには似合わんぞ、
苦くて高いぶどう酒や異国の情婦に、
     手を出すなんて。

腎石があいつの膀胱の中でねじ曲がってしまえ、
痛風があいつをずきんずきんと苦しめろ、
そうすれば、あいつは顔をしかめうめき出し
     むかつき、あからさまに軽蔑顔をするだろう、
わしが一杯のウイスキー・パンチを正直連中と
     酌み交わすときにだ!

おお、ウイスキーよ! 遊びと戯れの真髄よ!
吟遊詩人の心からの感謝を受けとめてくれ!
おまえが居ないと、わしの哀れな詩は
     調子外れて、絶叫に堕してしまう!
おまえさえ居てくれれば―わしの詩は配列順序見事に、
     それぞれ、位置を整然と占めてくれるのだ!

おまえ、名高きフェリントッシュ蒸留所よ! ああ、特権奪われた悲しい所よ!
スコットランドよ、国じゅう津々浦々でそのために嘆き悲しめ!
今や、腹が激しく差し込み、空咳(からぜき)で苦しめられ、
     わしらはみんな殺されるかもしれない。
忠義の士フォーブスに認められていた蒸留所特許の誇りが
     奪い取られてしまったからだ!

あの呪われた収税役人のくそ豚野郎どもめ、
あいつらがウイスキー蒸留器を戦利品として略奪していきやがる!
魔王よ、おまえの手を貸してくれ! それ1、2の、3だ!
     それ、あの密告野郎を捕まえろ!
地獄に落とされてしまった哀れなわしの酒飲み仲間のために、
     あいつらを硫黄づけのパイに焼き上げてしまえ。

幸運の女神よ、もしおまえがいつでも
丈夫なズボン一つと、麦粉のパンケーキ一個と、一杯の酒と、
思いっきり歓喜を歌いあげる詩を沢山くれさえすれば、
     ほかの物など何もいらん、
そこでは、おまえの優れた技が夢想の中で自由奔放に振る舞い
     おまえを最高にもって行ってくれるのだ。

Scotch Drink

"Gie him strong drink, until he wink,
That's sinking indespair;
An' liquor guid to fire his bluid,
That's prest wi' grief an' care;
There let him bouse, an' deep carouse,
Wi' bumpers flowing o'er,
Till he forgets his loves or debts,
An' minds his griefs no more."--SOLOMON'S PROVERB, xxxi. 6, 7.

["I here enclose you," said Burns, 20 March, 1786, to his friend Kennedy, "my Scotch Drink; I hope some time before we hear the gowk,
to have the pleasure of seeing you at Kilmarnock: when I intend we shall have a gill between us, in a mutchkin stoup."]

Let other poets raise a fracas
'Bout vines, an' wines, an' dru'ken Bacchus,
An' crabbit names and stories wrack us,
An' grate our lug,
I sing the juice Scotch bear can mak us,
In glass or jug.

O, thou, my Muse! guid auld Scotch drink;
Whether thro' wimplin' worms thou jink,
Or, richly brown, ream o'er the brink,
In glorious faem,
Inspire me, till I lisp an' wink,
To sing thy name!

Let husky wheat the haughs adorn,
An' aits set up their awnie horn,
An' pease an' beans, at e'en or morn,
Perfume the plain,
Leeze me on thee, John Barleycorn,
Thou king o' grain!

On thee aft Scotland chows her cood,
In souple scones, the wale o' food!
Or tumblin' in the boilin' flood
Wi' kail an' beef;
But when thou pours thy strong heart's blood,
There thou shines chief.

Food fills the wame an' keeps us livin';
Tho' life's a gift no worth receivin'
When heavy dragg'd wi' pine an' grievin';
But, oil'd by thee,
The wheels o' life gae down-hill, scrievin',
Wi' rattlin' glee.

Thou clears the head o' doited Lear;
Thou cheers the heart o' drooping Care;
Thou strings the nerves o' Labour sair,
At's weary toil;
Thou even brightens dark Despair
Wi' gloomy smile.

Aft, clad in massy, siller weed,
Wi' gentles thou erects thy head;
Yet humbly kind in time o' need,
The poor man's wine,
His wee drap parritch, or his bread,
Thou kitchens fine.

Thou art the life o' public haunts;
But thee, what were our fairs an' rants?
Ev'n godly meetings o' the saunts,
By thee inspir'd,
When gaping they besiege the tents,
Are doubly fir'd.

That merry night we get the corn in,
O sweetly then thou reams the horn in!
Or reekin' on a new-year morning
In cog or dicker,
An' just a wee drap sp'ritual burn in,
An' gusty sucker!

When Vulcan gies his bellows breath,
An' ploughmen gather wi' their graith,
O rare! to see thee fizz an' freath
I' th'lugget caup!
Then Burnewin comes on like Death
At ev'ry chap.

Nae Mercy, then, for airn or steel;
The brawnie, bainie, ploughman chiel,
Brings hard owrehip, wi' sturdy wheel,
The strong forehammer,
Till block an' studdie ring an' reel
Wi' dinsome clamour.

When skirlin' weanies see the light,
Thou maks the gossips clatter bright,
How fumblin' cuifs their dearies slight;
Wae worth the name!
Nae howdie gets a social night,
Or plack frae them.

When neibors anger at a plea,
An' just as wud as wud can be,
How easy can the barley-bree
Cement the quarrel!
It's aye the cheapest lawyer's fee,
To taste the barrel.

Alake! that e'er my muse has reason
To wyte her countrymen wi' treason!
But monie daily weet their weason
Wi' liquors nice,
An' hardly, in a winter's season,
E'er spier her price.

Wae worth that brandy, burning trash!
Fell source o' monie a pain an' brash!
Twins monie a poor, doylt, druken hash,
O' half his days;
An' sends, beside, auld Scotland's cash
To her warst faes.

Ye Scots, wha wish auld Scotland well,
Ye chief, to you my tale I tell,
Poor plackless devils like mysel',
It sets you ill,
Wi' bitter, dearthfu' wines to mell,
Or foreign gill.

May gravels round his blather wrench,
An' gouts torment him inch by inch,
Wha twists his gruntle wi' a glunch
O' sour disdain,
Out owre a glass o' whiskey punch
Wi' honest men;

O whisky! soul o' plays an' pranks!
Accept a Bardie's gratefu' thanks!
When wanting thee, what tuneless cranks
Are my poor verses!
Thou comes--they rattle i' their ranks
At ither's a----s!

Thee, Ferintosh! O sadly lost!
Scotland lament frae coast to coast!
Now colic grips, an' barkin' hoast,
May kill us a';
For loyal Forbes' charter'd boast,
Is ta'en awa.

Thae curst horse-leeches o' th' Excise,
Wha mak the whiskey stells their prize!
Haud up thy han', Deil! ance, twice, thrice!
There, seize the blinkers!
An' bake them up in brunstane pies
For poor d--n'd drinkers.

Fortune! if thou'll but gie me still
Hale breeks, a scone, an' whiskey gill,
An' rowth o' rhyme to rave at will,
Tak' a' the rest,
An' deal't about as thy blind skill
Directs thee best.

感想:表現が消されている横線があるのですが、恐らくブラザーロバート・バーンズはウィスキーを飲みながらこの詩を作ったものかと思います。飲酒は適量で成人になってから。
AreYouAMasonPCTheTest1.jpg
2013-07-19 23:24 | カテゴリ:シンボリズム
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
まあ突然なんですがたまたま昨日ヒストリーチャンネルをやっていてその内容で色々繋がったんで記事とします。
あんまり一企業の宣伝みたいなことはやったことないんですが、商標のところやCMのシンボリズムのところはほぼ企業の宣伝と同じかと思いますので、それらで挙がらずにいながらも誰もがそういう関連の企業と認識しているような日本でも有数のコンビニの商標の話です。
セブンイレブンは恐らく誰もがマクドナルドやケンタッキーフライドチキン、ディズニーブランドのようにフリーメイスンリーと関連のある外資の会社ではないかと思っているであろう企業ですが、実際そのシンボリズムについてはこのブログでは取り上げたことはなく、少なくとも11のシンボルと7がユダヤ教で重要とされる数字であることはわかるかと思うのですが、それらが実際にフリーメイスンリーで繋がるというのが、そのヒストリーチャンネルの話からシンボリズムの話が繋がったのでここで解説する事とします。
ヒストリーチャンネルの話はやはりアメリカ建国の父とフリーメイスンリーといういわゆるヒストリーチャンネル、ナショナルジオグラフィックのフリーメイスンリー特集の日本語翻訳で最新のもの(YouTubeのupした日から推測するに2010年のものであるようです。)であったのですが、ブラザーブレント・モリスなどが出ていて、新しい内容を含んでいて面白いものでした。

このビデオだと思いますが、もちろん日本語訳がこれはついていません。
Oliver_Pelton_-_Benjamin_Franklin_-_Poor_Richards_Almanac_Illustrated.jpg
『貧しいリチャードの暦』フリーメイスンリー加入後のブラザーベンジャミン・フランクリンが作成した諺などを図柄で示して生きる上での基本的な教訓を示していて当時ベストセラーとなった本の一部。詳細はウィキペディアを参照してください。

番組の中ではブラザージョージ・ワシントンやブラザーベンジャミン・フランクリンの女性関係などの新しい秘密の暴露の話が含まれていて、なかなか人間ワシントンや人間フランクリンの様子が想像されて興味深い話でした。そこで表題のコンビニの商標に関係してくるわけですが、それは何でしょうか。ブラザーベンジャミン・フランクリンについてはこのブログでもロスト・シンボルで使われていたフランクリンの魔法陣のヘッダー画像や誕生日と忌日などで挙げられていますが、それらにそれほど着目したりはしていませんが、まさに日本最大のコンビニチェーン店の名前がブラザーベンジャミン・フランクリンの誕生日と同じ数字なのです。ブラザーベンジャミン・フランクリンはユリウス暦1706年1月6日(グレゴリオ暦1706年1月17日)生誕で1790年4月17日亡くなっています。生誕時アメリカを含む大英帝国はユリウス歴を使用していましたが、恐らくその後の改暦にもブラザーフランクリン自体も関わっているでしょうし、そもそものユリウス歴の誕生日もカトリックの公現祭の時期であり、また両親もそれぞれ1657年12月23日と1667年8月15日生まれだそうで、それぞれカトリックの祭日の一日ずれと当日というそもそものシンボリズムが重なっている家系です。
まあだからセブンイレブンにそれほど意味があるのかとなるわけですが、まあ7自体はユダヤ教の7日間で世界を神が創造した数字でもあり、7という数字はユダヤ教の聖なる数字としてその後の律法でも数多く認める数字です。また11については以前に触れました。
というわけで、1月17日のブラザーベンジャミン・フランクリンの誕生日はそのままシンボリズムとなり、その後の日本では1月17日の阪神大震災や1912年1月17日のロバート・スコットの南極点到達などもフリーメイスンリーのシンボリズムの一環と考えられるかと思います。1月17日生まれはポーランド王のブラザースタニスワフ・アウグスト・ポニャトフスキや、イギリス首相のブラザーデビッド・ロイド・ジョージ、ボクサーのモハメド・アリや、このブログでも取り上げた山口百恵、俳優のジム・キャリーやギャングのアル・カポネもそうだそうです。忌日では右翼の児玉誉士夫が1月17日だそうです。11月7日になるとさらに濃く、1917年のロシア十月革命や1918年のスペイン風邪の発生、1944年のブラザーフランクリン・ルーズベルトの4選、2000年のブラザーブッシュとゴアの大統領選の投票日など11月3日と同じく大統領選に関わるイベントの日でもあるようです。11月7日はブラザートロツキーの誕生日でもあるようです。
というわけで、かつて東京タワーの下のメイソニックビルディングに本社を置いていたイトーヨーカ堂に現在は吸収されセブンアンドアイホールディングスとなっていますが、どこでも見るコンビニの商標であるセブンイレブンの隠された意味はブラザーフランクリンの誕生日にまつわるフリーメイスンリーのシンボリズムであったわけです。
8ff864cf.jpg
今後はこうした企業のシンボリズムについても積極的に取り上げていってブログの注目度を挙げる記事も増やしていこうかと思っています。横須賀の地元企業についても面白いので色々取り上げようかと思っています。

で、もともとのヒストリーチャンネルの内容で非常に面白かったのが、やはりアメリカの1776年7月4日の独立宣言の際にプロフェッサー(教授)と呼ばれる存在が廊下で動いていたという秘密の暴露でありました。もちろんこのブログを精緻に読んでこられた方はこの教授と呼ばれる存在が何者なのか容易に想像できるのではないでしょうか。1776年という題名の章で触れたように、まさに同年の5月1日にイルミナティを結成したブラザーアダム・ヴァイスハウプトがその場にいたという秘密の暴露であったのだと思われます。もしかすると7月4日という選択は6月24日の10日後ということではありますが、単にブラザーアダム・ヴァイスハウプトがその場にいることが出来た時という事であったのかもしれません。
アメリカ国璽鷲アメリカ国璽ピラミッド
その他にもアメリカの国璽に隠された鷲の羽の32と33羽という数の話や独立13州とキリスト教で不吉とされる13の数字が認められる話もありましたが、ブラザーアダム・ヴァイスハウプトの話とイルミナティがカトリック神学のインゴルシュタット大学で生まれてカトリックや領主から禁止されたこととも繋がる話であるかと思われます。こういう面白い話を提供してくれたヒストリーチャンネルのシンボルマークもちょっと前に変わり、いわゆるアメリカの国璽とされるプロヴィデンスの目のあるピラミッドを横向きとした形となっています。
top_logo.gif
アメリカ独立宣言の場にブラザーアダム・ヴァイスハウプトがいたとしたらそれは相当な話ですが、事実でしょうか?日本では以前このブログでも書いたかと思いますが、一万円札の肖像画で有名な慶応大学の創始者の咸臨丸でアメリカに渡った福澤諭吉が最初にアメリカ独立宣言を翻訳して紹介しています。
ツインタワー崩壊後の跡地に立つワンワールドトレードセンターの高さは1776フィートだそうですが、それらは皆繋がる話でしょうか?
2013-07-20 20:53 | カテゴリ:アメリカ
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
ブログがちょっとオーバーシュート気味でしょうか。
どうも色々と書き込み過ぎててんこ盛りになってしまって影響が計り知れなくなってしまったかもしれませんがところどころ休みを入れて進める形として様子を見ながら行きましょう。

さて息抜きに近いアメリカの州章の話です。50分の9という事で大体流れに乗って来たところでしょうか。
ウィスコンシン州というと聞いたことがあるくらいで場所が正確に言える人は少ないと思います。
五大湖地域のミシガン湖の西岸で以前やったイリノイ州のシカゴの北西にあるミルウォーキーが大都市として含まれる州です。
ウィスコンシン州場所
鉛鉱山があって、そのために坑道に坑夫達が住んだことからアナグマが州のシンボルとされているそうです。大都市はシカゴに近いミルウォーキーでビール造りで有名だそうですが、ロータリークラブの発祥地のシカゴに近いせいか市の旗に歯車が認められます。
ミルウォーキー市旗
また建築ではミルウォーキー美術館が帆船の形に近いのでしょうか。
ミルウォーキー美術館
ハーレーダビッドソンの本社もここにあるようです。
ドイツ系移民が多いことからビールの醸造が盛んであるそうで、宗教も長老派会でなくルター派のプロテスタントが多いようです。
ネイティブアメリカンが多かったそうですが特に有名なモヒカン刈りで有名なマヒカン族の居留地であるそうです。
250px-Wis-capitol.jpg
州都マディソンには連邦議会とよく似た州議会のドームがあります。
フリーメイスンリーグランドロッジは5つあるそうですが、フリーメイスンの数は16000人位で、州人口が570万人という事で割合は300人に1人未満という事で、比較的少ないようです。もしかするとロータリアンが多いのかもしれません。ウィスコンシングランドロッジのホームページのリンクを置きます。グランドロッジという名前の子供が喜びそうなホテルもあるようです。
産業は農業、工業共に盛んで、特にドイツ系移民の歴史から上述のビールの醸造やソーセージなどの食肉加工などが有名であるようです。その他牛乳やチーズも盛んであるようです。
出身者としては、建築家のフランク・ロイド・ライトや政治家のジョセフ・マッカーシー、映画監督のオーソン・ウェルズがいるそうです。どの人もフリーメイスンであったという話はありませんが、フランク・ロイド・ライトの建築したフリーメイスンの家に後にブラザーマンリー・P・ホールが住んでいて、その家がこれだそうです。
800px-Ennis_House_front_view_2005.jpg
ロサンゼルスにあるそうですが、そのコンクリートブロックにコンパスと直角定規がデザインされているそうです。
yhst-65633669773184_2144_7119297.png
詳細はFreemasons for Dummiesのホームページを参照してください。このページは色々と最新のフリーメイスンリーの情報が提供されています。
まあアメリカ人で超有名建築家なのでフリーメイスンでなくともそれに準じる存在なのでしょうね。
ジョセフ・マッカーシーも赤狩りで有名な上院議員ですが、ソ連のスパイを調べる情報源がやはりブラザーフーバーであったそうなので、まあカトリック教徒という事でフリーメイスンではなさそうですがそういう準じる存在なのでしょう。オーソン・ウェルズもフリーメイスンであってもおかしくなさそうですが、そうではないようです。ロータリアンかもしれません。

さてでは本題の州章です。
ウィスコンシン州章
これまで出て来た州章の中ではアーカンソー州、アイダホ州と近い形でしょうか。本来は分類した方が良いのでしょうが、まあ後々大分分類が蓄積してきたら少しまとめることにしましょうか。紋章の楯の左右に人が囲む形となっています。背景が青色で統一されていて、いわゆる州章で最も多い形の外側を覆う二重丸の形にはなっておらず、良く見ると中央でもう一つの円があり、かなり小さな円で二重丸を形成しているようです。上部に州の標語の前へという言葉があります。その下にあるのがアナグマで、やはり州の動物であるようです。どちらもフリーメイスンリーと関連はなさそうですが、もしかするとあるのかもしれません。左右の人はウィキペディアの解説によると左が水夫、右が坑夫でそれぞれ水上で働く人と陸上で働く人という対比だそうです。坑夫はヨーマンとも解説されていて、自営農家となるのでしょうか。(ヨーマンという友愛団体がアメリカにあるそうです。)いずれもロープと鶴嘴を持っていて、鶴嘴はフリーメイスンリーのシンボルとなるようですが、ロープは友愛のシンボルになるのでしょうか。どちらもシルクハットと思われる帽子をかぶっているのが特徴的で、特に水夫でシルクハットはかなり違和感があるのではないでしょうか。坑夫の赤シャツが目立ちますし、それと対比的に水夫の白字のシャツと紺のジャケットがそれぞれあわせてフランス国旗の三色になるのも意味がありそうです。また赤シャツというと歴史的にはブラザーガリバルディの赤シャツ隊が有名であり、ブラザーガリバルディといえば炭焼党と訳されるカルボナリが有名であり、ブラザーナポレオン三世やブラザールイ・フィリップ、大英博物館の図書館を作ったブラザーアントニオ・パニッツィ、バブーフの陰謀に加担したブラザーフィリッポ・ミケーレ・ブオナローティ、イタリア統一運動で活動したブラザージュゼッペ・マッツィーニらが所属していたとされています。最後のブラザーマッツィーニは良くブラザーアルバート・パイクから彼に送られた手紙で第三次世界大戦を予言した内容が書かれていると陰謀論で有名ですが、それについては捏造であるとウィキペディアには書いてありました。まあいずれにしても赤シャツとシルクハットの奇妙な組み合わせはそうした想像を拡大する一つの材料となるのかもしれません。坑夫のシルクハットの頭のライトのようなものが、第三の目のような印象を受けるのは考えすぎでしょうか。左の水夫もどうも正統派ユダヤ人の髭を伸ばした様子のようでもあります。まあ恐らくその位の意味はそれぞれ込められているのではないでしょうか。片手が共に隠れているのは裏で握手しているからなんて想像も成り立つかもしれません。(右手と左手では普通の握手は出来ませんね。)ちょっとこれまでの州章とは少し傾向が違うかもしれませんね。
後は楯の中の紋章はそれぞれ左上が農業を表す鋤であり、これもフリーメイスンリーの象徴とされます。まあ要するにシンボリズムなのでしょうね。右上のクロスしたスコップと鶴嘴ももちろんそのクロスした形自体が聖アンドリュー十字であり、それぞれ鉱業を示すシンボルとなります。(追記:フリーメイスンリーの象徴としての意味は
真説フリーメイソン大百科 下を参照してください。ロイヤルアーチの位階の象徴であるようです。)左下の腕とハンマーは工業を示すとありますが、これもそのままでフリーメイスンリー関連団体でアメリカの労働団体の系統があり、Order of United American MechanicsやIndependent United Order of Mechanicsといった友愛団体があり、主に労働団体系と関係しているようですが、基本的には独立系の反カトリックを前面に出したアメリカ愛国主義的な団体という事になるようです。Phoenixmasonryの該当ページをリンクしておきます。まあ要するにどうもこのウィスコンシン州の州章はいわゆるアメリカやその他で無数に認められた独立系の友愛団体の象徴を様々に織り込んでいるという事のようです。楯の中の右下の錨はもちろんキリスト教とフリーメイスンリーを象徴するシンボルです。そこでいくと中央のアメリカ合衆国を象徴する13本の青黒と赤白の横線と縦線の周囲を囲むアメリカ合衆国国璽に認められる標語である多数から一つへも友愛団体についてを示しているのかもしれません。円の下にある紙づつはもちろん憲章を意味するのでしょうが、一般的にはフリーメイスンリーのシンボリズムではトーラーでありユダヤ教の象徴となります。
楯の下にあるのが左が豊穣を表すコルヌー・コピアイであり、ギリシアからのシンボルですがこれだけでフリーメイスンリーのシンボルとなるようです。角の巻数がやはり13となっています。右には鉱業を意味する金属の延べ棒の三角形が13本でピラミッド型になっています。最後に一番下に13個の五芒星を認め、一般的には独立13州という事になるのでしょうが、まあ反キリスト、反カトリックとユダヤ教の聖数となるのかと思われます。どうもユダヤ教では13歳で成人するとかにも由来するようです。
こう考えると上にある穴熊もどうもユダヤ教などのシンボルであるように思われてきます。検索するとどうも出エジプトの際の天幕の最も外側の覆いが通常はジュゴンやアザラシの皮と訳されるようですが、穴熊ではないかという説もあるようです。この辺りなのではないでしょうか。どうもややこしい話のようです。
まあその辺りで終了でしょうか。
州旗はほとんど一緒です。1848年は合衆国に州として加わった年です。
(追記:1848年はそれ自体フランスでウィーン体制が崩壊する2月革命が生じ、その影響でドイツ3月革命が生じそれぞれ第二共和制とフランクフルト国民議会が成立した諸国民の春と呼ばれる政治動乱があります。またマルクスとエンゲルスによる「共産党宣言」やワシントン記念塔の起工などもあります。日本では東郷平八郎がブラザーモーツァルトと同じ1月27日に生まれた年でもあります。どうも1848という数字が11×7×3×2×2×2という素因数分解される数字であるところが意味があるようです。)
ウィスコンシン州旗
シンボリズムもその州の人種構成や歴史を反映していてなかなかややこしいものがあります。アナグマの話にしても宗教改革の最初のルターは聖書のドイツ語訳であり、翻訳という作業において元のヘブライ語、ギリシア語で表記された単語が果たして当時の何を意味するのかというところは歴史や考古学も含めて最大の問題になったのだと思われ、アナグマの話もそういう天幕との関係で有名なシンボルであったのかもしれません。日本人は遊牧民の天幕というとモンゴルのグルなどを思い浮かべると思いますが、それらよりはるかに古いエジプトからのシナイ山のふもとでの民族の移動は旧約聖書のクライマックスであり、啓典の民の主要な関心事であったかと思われます。まあアナグマが出エジプトの際の天幕を象徴するとは初めて聞く話ですが、それが問題となる位聖書翻訳の作業というものが聖書中心主義、人間中心主義への回帰に当たって重要であったという象徴なのではないでしょうか。ちなみにマルティン・ルターの誕生日も1483年11月10日であるそうです。

(追記:FORWARD前へという標語についてですが、そのまま考えると単純に標語としてしかとれませんが、どうでしょうか。フリーメイスンリーとは異なる独立系の友愛団体を示してその上にFORWARDというところを組み合わせると隠された意味が出てきそうです。FORWARDの有名な使い方として本の前書きに対する意味があります。つまりそういう独立系の友愛団体での活動というものがその後の本番の前書きや導入であるという意味であるかもしれません。)
2013-07-27 15:20 | カテゴリ:スコットランド
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
 スコットランドの片田舎、
コイル王の名をいただいた土地で、
六月のある晴れた日に、
午後の陽ざしもしだいに陰るころ、
家ではひまな二匹の犬が
外で出会ったことがあった。

 まず一匹は、シーザーと名を呼ばれ、
「ご領主さま」のお慰めに飼われていた。
毛並み、大きさ、口や耳は
スコットランド犬のものではない。
生まれは、はるか海のかなた、
船乗りたちがタラ漁に行く他国だ。

 錠前が付いた文字入りの、立派な真鍮の首輪から
彼が紳士、学者であるとすぐ分かる。
身分が高いにもかかわらず、
それを少しも鼻にかけなかった。
いやむしろ、うろつきまわる雑種犬とでも、
じゃれて一時間ほど過ごすのがつねだった。
教会や市場で、水車小屋や鍛冶屋で、
どんなに汚らしい、もじゃもじゃ毛の犬でも、
見かければ喜んで立ち上がり、
石や小山に、一緒に小便をひっかけた。

 もう一匹は、農夫の牧羊犬、主人の農夫は
詩を作る、賑やかな、威勢のいいやつで、
その犬を親しい友達、仲間にしていた。
気まぐれから、ルーアスと呼んでいた、
その名前は遠い昔、誰も知らない遠い昔に作られた、
ハイランドの歌に出てくる犬にならってつけたもの。

 彼は利口で、忠実な田舎犬で、
いつも溝や石垣を跳び越えた。
正直で、楽しげな、白い筋のある顔の魅力で
いつでも、どこでも友達が出来た。
胸は真っ白だが、背中は黒く、
豊かな毛なみはつやつやしていた。
愛想のある尻尾は、上向きにくるりと
渦巻いて、お尻の上に突き出ていた。

 この二匹が互いに出会いを喜んだこと、
大の仲良しであったことは疑いない。
お付き合いに、鼻をクンクン鳴らして嗅ぎあい、
ネズミやモグラを掘り起こし、
遠出して獲物を探しまわり、
また、気晴らしに咬み合ったりした。
ついにはふざけるのにも疲れ果て、
彼らはお尻をついて腰をおろし、
そこで「万物の霊長」について
長い世間話をし始めた。

   シーザー
 正直者のルーアス君、ぼくはしばしば不思議に思うのだ、
君のような貧乏な犬は、どんな暮らしをしているのかと。
そしてまた、上流階級の生活ぶりを見るにつけ、
貧乏な人はいったいどんな風に暮らしているのかと。

 うちの主人の地主などは、しぼり取れるだけの地代、
石炭、小作料、それにあらゆる使用料を取り立てる。
朝ねぼうして勝手な時間に起きる。
鈴を鳴らして使用人どもを呼びつける。
馬車を言いつける、馬を言いつける。
ぼくの尻尾ほどもある、美しい絹の財布を引っぱり出すと、
その縫い目のすきまから、
王様の顔を打ち出した、ぴかぴかの金貨がのぞいている。

 朝から晩まで、つらい仕事ばかり、
焼いたり、あぶったり、揚げたり、煮たり。
主人たちがまず腹一杯に詰めこむが、
召使たちまでもが彼らの胃袋を
ソース、シチューやくずもので一杯にする。
それは全くの浪費と言うものだ。
猟犬係め、あのちっちゃな、いまいましい偏屈者、
あわれな、下司野郎、あいつでさえ
うちの主人のご領地内に住むどの小作人よりも
もっとうまい料理をしっかり食べている。
それで、貧乏な小屋住みの百姓たちが、何を胃袋に詰めこむのか、
実は、ぼくには見当がつかんのだ。

   ルーアス
 そのとおりだ、シーザーさん、彼らはときに本当につらいのだ。
小屋住みの百姓は、溝を掘ったり、
泥んこの石で垣根を造ったり、
石切場を片づけたり、そんな仕事をする。
自分と妻、ちっちゃな、ぼろ着物を着たたくさんの子供たちを
こういうふうにして彼は養っているのだ。
身を粉にして精一杯働いているおかげで、
彼らはわら葺きの家にちゃんと住んでいられるのだ。

 また彼らが病気になるとか、失業するとか、
ひどい災難に出くわしたときは、
あなたはこう思うだろう、それがもうちょっと長引けば、
彼らはきっと寒さと飢えで死んでしまうと。
ところが、そうじゃない、私にはわけが分からないが、
彼らは、たいがい驚くほど満足している。
それで丈夫な若者たちと、賢い娘たちが、
こんなところから育っていく。

   シーザー
 だけど、それじゃ、見てごらん、君たちがどんなにおろそかにされ、
どなられ、殴られ、ばかにされるかを!
ねぇ、君、お偉いひとたちは、百姓や溝掘り人夫とかいった
そんな人間どもを、ほとんど気にしてはいない。
彼らは、貧乏人たちのそばを、目もくれずに通り過ぎる、
まるでぼくが臭い穴熊に振る舞うような仕打ちをする。

 ぼくは見てきた、うちの主人の地代納金日に、
金の足りない、あわれな小作人たちが、
どれほど土地差配(さはい)人の暴言に耐えしのばなければならなかったかを、
ぼくの胸はいつもえぐられた。
彼は足踏みならして脅し、悪口雑言を浴びせ、
彼らを捕まえるぞ、財産を差し押さえるぞとどなる。
だが彼らは、神妙な顔をして、そこに立ち、
耳を傾け、恐れ、震えていなければならない。

 ぼくには分かる、金持ち連中がどんな暮らしをしているか、
だが、貧乏人という者はきっと惨めな存在にちがいない!

   ルーアス
 彼らは人が思うほど惨めじゃない。
いつも貧乏の瀬戸際で困って暮らしているけれど、
彼らはそんなことにはすっかり慣れっこで、
ちっともそうなることが怖くない。

 それから機会や運のめぐりがとてもよかったりして、
彼らは、多少の貯えを持ち合わせている。
そして余裕のない仕事に疲れていても、
一瞬の休息は快い楽しみなのだ。

 彼らの生活のこよなき慰めは、
その育ち盛りの子供たちと貞淑な妻。
片言を話す幼児たちはほんに自慢の種、
炉辺をすっかり楽しくする。

 そしてときに飲む十二ペニー分のビールは、
その人たちの身体をとても愉快な気分にしてくれる。
彼らは、自分自身の心配事は忘れ去り、
教会や国家の問題を考える。
彼らは、聖職叙任権や牧師たちのことを、
胸に燃える怒りをこめて語るだろう。
さもなければ、新しい課税がどんなものか噂をし、
さらにロンドンの人たちを不思議がる。

 寒々とした万聖節がまわってくると、
彼らは、陽気な刈上げ祝いのばか騒ぎをする。
そのときは、田舎の人たちは、身分にかかわりなく、
みんな一緒になってともに気晴らしに興じる。
「恋」の目くばせ、「頓知」の合戦、「社交」の楽しみは
浮き世の憂さを晴らすのだ。

 年の始まるその楽しい日には、
彼らは戸口を閉めて寒風を防ぐ。
ビールはもくもく泡立って、
心を励ます蒸気を放つ。
煙の立ち登るパイプと、嗅ぎたばこ入れは、
上機嫌で振る舞われる。
元気な年寄りたちは、楽しそうに話し、
子供たちは家の中を騒いでまわる――
そんな子供たちを見ると、私はとてもいい気持ちになって、
嬉しさのあまり子供たちと一緒に吠えたてた。

 だが、あなたの言ったことは全く当たっている。
そういった悪巧みは今どきあまりにしばしば行なわれる。
上品で、正直で、礼儀正しい、
信頼するにたる幹はたくさんあるが、
それらは根っこも、枝ももぎとられてしまう。
ある悪者の傲慢な貪欲を満足させるために、
そいつは、ある生まれのいい主人に取り入って、
ますますひいきにされるのをたくらんでいる。
その主人は、たぶん議員の職を狙って活動に忙しく、
英国のために、その生命まで賭けて――

   シーザー
 いや、なに、君はそのことを何も知らんのだ。
英国のためだと! そんなことは信じられない。
むしろこう言いたまえ、大臣たちの思うまま操られ、
言いなりしだいに、賛成、反対を決めるのだと。
オペラや芝居を観てまわり、
抵当を入れ、ばくちをし、仮装をし、
あるいは、おそらくばか騒ぎして、
ハーグやカレーにふわりと飛んで行き、
漫遊し、一回りして、
「上品趣味」を身につけ、世間を知る。

 また、ウィーンやヴェルサイユでは、
父親の代々の財産を食いつぶし、
マドリードでは大夜会を開き、
ギターを鳴らし、闘牛に挑む。
さらに下っては、イタリアの街並を驚かす、
ギンバイカの茂みで売笑婦の尻を追って。
それからドイツの濁った鉱泉水を飲む、
自分を美しく太って見せようと。
またカーニバルの貴婦人たちの愛のおみやげ、
例の因果な病気を清めるために。
英国のためだと! 遊蕩と不和と党争による
英国の破滅のためだぞ!

   ルーアス
 いゃー、それは意外。旦那がた。そんなやりくちで、
たくさんの立派な財産を使い尽くしてしまうのか!
そして私らは、結局、そんな事に使われる金のために、
こんなに悩まされ、苦しまされるのか!

 おお、あの人たちが政治から手を引いて、
田舎で狩猟でも楽しんでいてくれたら、
地主、小作人、小屋住みの百姓たち
みんなにとって、もっとよくなるだろう。
決して悪い心を持った人には思えない
あの率直で、元気のいい、ぶらつき歩く旦那がたは。
貧乏人たちの家の垣根を破ったり、
そのかみさんたちのことで軽口たたいたり、
野ウサギやライチョウを鉄砲で射ったりする以外、
彼らは貧乏人には少しも悪くはないのだから。

 だけど、教えてください、シーザーさん、
きっとお偉い人たちの生活は、楽しいことづくめなんでしょう?
寒さも、飢えも、あの人たちを襲うことはない、
そのことを考えて恐れる必要も全くない。

   シーザー
 おい、冗談じゃない、君がぼくのところにちょっと来たら、
上流の人たちを羨む気にならないだろう!

 なるほど、冬の寒いときも、夏の暑いときも、
あの人たちは飢えたり、汗を流したりする必要がない。
あの人たちは骨身を砕く辛い仕事を持ってないし、
老後を腹痛とうなり声で満たすこともない。
だが、人間どもはこんなにもばか者なのだ、
大学や学校と関係なく、
それで本当の不幸に悩まされなければ、
自分で不幸を作り出して悩む。
苦しむことが少なければ少ないほど、
その分だけ、少ないことで苦しむ。

 鍬(くわ)を手にする田舎の人は、
畑を耕し終われば、それで全く結構だし、
糸車を操る田舎娘は、
糸を巻き終えれば、それで十分満足だ。
だが、紳士、淑女ときたら最悪だ、
仕事がないことで呪われている。
彼らは、ぶらぶら、ふらふら、ふにゃふにゃ、怠けている。
彼らを悩ますものは何もないが、それでいて不安なのだ。
昼は、けだるく、退屈で、味気ない。
夜は、落ち着かず、長くて、眠れない。

 そして、彼らの狩猟、舞踏会、競馬さえ、
彼らが人前で馬を走らせることでさえ、
大層な見せびらかし、物々しさ、わざとらしさがある。
心の底まで喜べないのだ。

 男たちは、徒党を組んでけんかをし、
それからひどい乱痴気騒ぎをして仲直りする。
ある晩、酒と女に狂って騒げば、
次の日、その生活は耐えきれないものになる。

 女たちは、腕を組み合って群れをなし、
姉妹のように、親しく、仲睦まじくなる。
だが、彼女らの交わす陰口を聞けば、
揃いも揃っていっぱしの悪魔、すれっからしだ。
ときには小さな茶わんや皿をはさんで、
ひどい世間の悪評をすすっている。
あるいは長い、長い夜、目の下にくまを作って、
トランプ遊びに興じて過ごす。
農夫の一年の収穫物を運に賭け、
首吊り刑を免れている悪党みたいに騙し合う。

 男にも、女にも、幾つか例外はある。
だけど、これが普通一般の上流の人たちの生活だ。

 このときまでに、すでに陽は落ちていて、
夕闇暗く、夜が訪れていた。
黄金虫はものうい羽音をたてて飛びかい、
牛の群れは小道に立ってモーと啼いた。
二匹の犬は立ち上がり、耳を振り、
たがいに人間でなく、犬でよかったと喜びあった。
そして、いつの日かまた会うことを約束し、
別々に立ち去った。

The Twa Dogs

A TALE

[Cromek, an anxious and curious inquirer, informed me, that the Twa Dogs was in a half-finished state, when the poet consulted John Wilson, the printer, about the Kilmarnock edition. On looking over the manuscripts, the printer, with a sagacity common to his profession, said, "The Address to the Deil" and "The Holy Fair" were grand things, but it would be as well to have a calmer and sedater strain, to put at the front of the volume. Burns was struck with the remark, and on his way home to Mossgiel, completed the Poem, and took it next day to Kilmarnock, much to the satisfaction of "Wee Johnnie." On the 17th February Burns says to John Richmond, of Mauchline, "I have completed my Poem of the Twa Dogs, but have not shown it to the world." It is difficult to fix the dates with anything like accuracy, to compositions which are not struck off at one heat of the fancy. "Luath was one of the poet's dogs, which some person had wantonly killed," say Gilbert Burns; "but Caesar was merely the creature of the imagination." The Ettrick Shepherd, a judge of collies, says that Luath is true to the life, and that many a hundred times he has seen the dogs bark for very joy, when the cottage children were merry.]

Twas in that place o' Scotland's isle
That bears the name o' auld King Coil,
Upon a bonie day in June,
When wearin' thro' the afternoon,
Twa dogs, that were na thrang at hame,
Forgather'd ance upon a time.

The first I'll name, they ca'd him Caesar,
Was keepit for His Honor's pleasure:
His hair, his size, his mouth, his lugs,
Shew'd he was nane o' Scotland's dogs;
But whalpit some place far abroad,
Whare sailors gang to fish for cod.

His locked, letter'd, braw brass collar
Shew'd him the gentleman an' scholar;
But though he was o' high degree,
The fient a pride, nae pride had he;
But wad hae spent an hour caressin,
Ev'n wi' al tinkler-gipsy's messin:
At kirk or market, mill or smiddie,
Nae tawted tyke, tho' e'er sae duddie,
But he wad stan't, as glad to see him,
An' stroan't on stanes an' hillocks wi' him.

The tither was a ploughman's collie,
A rhyming, ranting, raving billie,
Wha for his friend an' comrade had him,
And in freak had Luath ca'd him,
After some dog in Highland Sang,^2
Was made lang syne,-Lord knows how lang.

He was a gash an' faithfu' tyke,
As ever lap a sheugh or dyke.
His honest, sonsie, baws'nt face
Aye gat him friends in ilka place;
His breast was white, his touzie back
Weel clad wi' coat o' glossy black;
His gawsie tail, wi' upward curl,
Hung owre his hurdie's wi' a swirl.

Nae doubt but they were fain o' ither,
And unco pack an' thick thegither;
Wi' social nose whiles snuff'd an' snowkit;
Whiles mice an' moudieworts they howkit;
Whiles scour'd awa' in lang excursion,
An' worry'd ither in diversion;
Until wi' daffin' weary grown
Upon a knowe they set them down.
An' there began a lang digression.
About the "lords o' the creation."

Caesar

I've aften wonder'd, honest Luath,
What sort o' life poor dogs like you have;
An' when the gentry's life I saw,
What way poor bodies liv'd ava.

Our laird gets in his racked rents,
His coals, his kane, an' a' his stents:
He rises when he likes himsel';
His flunkies answer at the bell;
He ca's his coach; he ca's his horse;
He draws a bonie silken purse,
As lang's my tail, where, thro' the steeks,
The yellow letter'd Geordie keeks.

Frae morn to e'en, it's nought but toiling
At baking, roasting, frying, boiling;
An' tho' the gentry first are stechin,
Yet ev'n the ha' folk fill their pechan
Wi' sauce, ragouts, an' sic like trashtrie,
That's little short o' downright wastrie.
Our whipper-in, wee, blasted wonner,
Poor, worthless elf, it eats a dinner,
Better than ony tenant-man
His Honour has in a' the lan':
An' what poor cot-folk pit their painch in,
I own it's past my comprehension.

Luath

Trowth, Caesar, whiles they're fash't eneugh:
A cottar howkin in a sheugh,
Wi' dirty stanes biggin a dyke,
Baring a quarry, an' sic like;
Himsel', a wife, he thus sustains,
A smytrie o' wee duddie weans,
An' nought but his han'-daurk, to keep
Them right an' tight in thack an' rape.

An' when they meet wi' sair disasters,
Like loss o' health or want o' masters,
Ye maist wad think, a wee touch langer,
An' they maun starve o' cauld an' hunger:
But how it comes, I never kent yet,
They're maistly wonderfu' contented;
An' buirdly chiels, an' clever hizzies,
Are bred in sic a way as this is.

Caesar

But then to see how ye're negleckit,
How huff'd, an' cuff'd, an' disrespeckit!
Lord man, our gentry care as little
For delvers, ditchers, an' sic cattle;
They gang as saucy by poor folk,
As I wad by a stinkin brock.

I've notic'd, on our laird's court-day, -
An' mony a time my heart's been wae, -
Poor tenant bodies, scant o'cash,
How they maun thole a factor's snash;
He'll stamp an' threaten, curse an' swear
He'll apprehend them, poind their gear;
While they maun stan', wi' aspect humble,
An' hear it a', an' fear an' tremble!

I see how folk live that hae riches;
But surely poor-folk maun be wretches!

Luath

They're no sae wretched's ane wad think.
Tho' constantly on poortith's brink,
They're sae accustom'd wi' the sight,
The view o't gives them little fright.

Then chance and fortune are sae guided,
They're aye in less or mair provided:
An' tho' fatigued wi' close employment,
A blink o' rest's a sweet enjoyment.

The dearest comfort o' their lives,
Their grushie weans an' faithfu' wives;
The prattling things are just their pride,
That sweetens a' their fire-side.

An' whiles twalpennie worth o' nappy
Can mak the bodies unco happy:
They lay aside their private cares,
To mind the Kirk and State affairs;
They'll talk o' patronage an' priests,
Wi' kindling fury i' their breasts,
Or tell what new taxation's comin,
An' ferlie at the folk in Lon'on.

As bleak-fac'd Hallowmass returns,
They get the jovial, rantin kirns,
When rural life, of ev'ry station,
Unite in common recreation;
Love blinks, Wit slaps, an' social Mirth
Forgets there's Care upo' the earth.

That merry day the year begins,
They bar the door on frosty win's;
The nappy reeks wi' mantling ream,
An' sheds a heart-inspiring steam;
The luntin pipe, an' sneeshin mill,
Are handed round wi' right guid will;
The cantie auld folks crackin crouse,
The young anes rantin thro' the house-
My heart has been sae fain to see them,
That I for joy hae barkit wi' them.

Still it's owre true that ye hae said,
Sic game is now owre aften play'd;
There's mony a creditable stock
O' decent, honest, fawsont folk,
Are riven out baith root an' branch,
Some rascal's pridefu' greed to quench,
Wha thinks to knit himsel the faster
In favour wi' some gentle master,
Wha, aiblins, thrang a parliamentin,
For Britain's guid his saul indentin-

Caesar

Haith, lad, ye little ken about it:
For Britain's guid! guid faith! I doubt it.
Say rather, gaun as Premiers lead him:
An' saying ay or no's they bid him:
At operas an' plays parading,
Mortgaging, gambling, masquerading:
Or maybe, in a frolic daft,
To Hague or Calais takes a waft,
To mak a tour an' tak a whirl,
To learn bon ton, an' see the worl'.

There, at Vienna, or Versailles,
He rives his father's auld entails;
Or by Madrid he takes the rout,
To thrum guitars an' fecht wi' nowt;
Or down Italian vista startles,

Whore-hunting amang groves o' myrtles:
Then bowses drumlie German-water,
To mak himsel look fair an' fatter,
An' clear the consequential sorrows,
Love-gifts of Carnival signoras.

For Britain's guid! for her destruction!
Wi' dissipation, feud, an' faction.

Luath

Hech, man! dear sirs! is that the gate
They waste sae mony a braw estate!
Are we sae foughten an' harass'd
For gear to gang that gate at last?

O would they stay aback frae courts,
An' please themsels wi' country sports,
It wad for ev'ry ane be better,
The laird, the tenant, an' the cotter!
For thae frank, rantin, ramblin billies,
Feint haet o' them's ill-hearted fellows;
Except for breakin o' their timmer,
Or speakin lightly o' their limmer,
Or shootin of a hare or moor-cock,
The ne'er-a-bit they're ill to poor folk,

But will ye tell me, Master Caesar,
Sure great folk's life's a life o' pleasure?
Nae cauld nor hunger e'er can steer them,
The very thought o't need na fear them.

Caesar

Lord, man, were ye but whiles whare I am,
The gentles, ye wad ne'er envy them!

It's true, they need na starve or sweat,
Thro' winter's cauld, or simmer's heat:
They've nae sair wark to craze their banes,
An' fill auld age wi' grips an' granes:
But human bodies are sic fools,
For a' their colleges an' schools,
That when nae real ills perplex them,
They mak enow themsel's to vex them;
An' aye the less they hae to sturt them,
In like proportion, less will hurt them.

A country fellow at the pleugh,
His acre's till'd, he's right eneugh;
A country girl at her wheel,
Her dizzen's dune, she's unco weel;
But gentlemen, an' ladies warst,
Wi' ev'n-down want o' wark are curst.
They loiter, lounging, lank an' lazy;
Tho' deil-haet ails them, yet uneasy;
Their days insipid, dull, an' tasteless;
Their nights unquiet, lang, an' restless.

An'ev'n their sports, their balls an' races,
Their galloping through public places,
There's sic parade, sic pomp, an' art,
The joy can scarcely reach the heart.

The men cast out in party-matches,
Then sowther a' in deep debauches.
Ae night they're mad wi' drink an' whoring,
Niest day their life is past enduring.

The ladies arm-in-arm in clusters,
As great an' gracious a' as sisters;
But hear their absent thoughts o' ither,
They're a' run-deils an' jads thegither.
Whiles, owre the wee bit cup an' platie,
They sip the scandal-potion pretty;
Or lee-lang nights, wi' crabbit leuks
Pore owre the devil's pictur'd beuks;
Stake on a chance a farmer's stackyard,
An' cheat like ony unhanged blackguard.

There's some exceptions, man an' woman;
But this is gentry's life in common.

By this, the sun was out of sight,
An' darker gloamin brought the night;
The bum-clock humm'd wi' lazy drone;
The kye stood rowtin i' the loan;
When up they gat an' shook their lugs,
Rejoic'd they werena men but dogs;
An' each took aff his several way,
Resolv'd to meet some ither day.

Luath_dog_food.jpgTwa dogs2259414958_40c1bc15d0.jpg

感想:英語の解説を読むとなかなか面白いですが、スコットランドの民主主義の揺籃を感じさせるものではないでしょうか。民主主義の成立にフリーメイスンリーの活動が影響を与えた話として読むと面白いですが、詩人の完全なイマジネーションと普通の人はとらえるようです。
2013-07-28 10:22 | カテゴリ:スコットランド
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
おまえたちよ、ジャコバイトという名の者たちよ、よく聞け、心して聞け。
 おまえたちよ、ジャコバイトという名の者たちよ、よく聞くのだぞ。
  おまえたちよ、ジャコバイトという名の者たちよ、
   おまえたちの過ちをわたしは明らかに示し、
    おまえたちの信条をわたしは非難しなければならない、
     さあ、聞かせてやろう。

法とは、法とはだな、何が正しくって、何が間違っているかだ。
 法とは、何が正しくって、何が間違っているかだ。
  何が正しくって、何が間違っているかだ。
   短い剣と長い剣、
    弱い腕と強い腕、
     戦うためさ。

遠くで名高く、遠くで名高い英雄の戦いを何が引き起こすのか。
 遠くで名高く、英雄の戦いを何が引き起こすのか。
  英雄の戦いを何が引き起こすのか。
   暗殺者の短剣を研いだり、
    あるいは親の命を狙う、
     血まみれの戦争だ。

それからおまえたたちの計画を放棄せよ、そのままで、そのままで、
 それからおまえたちの計画を放棄せよ、そのままで、
  それからおまえたちの計画を放棄せよ、
   昇りゆく太陽をあがめて、
    そして一人の男は落ちぶれたままにしておけ、
     彼の運命に従って。

Ye Jacobites By Name

Tune--" Ye Jacobites by name. "

["Ye Jacobites by name." appeared for the first time in the Museum: it was sent in the handwriting of Burns.]

Ye Jacobites by name, give an ear, give an ear,
Ye Jacobites by name, give an ear,
Ye Jacobites by name,
Your fautes I will proclaim,
Your doctrines I maun blame,
You shall hear.

What is Right, and What is Wrang, by the law, by
the law?
What is Right and what is Wrang by the law?
What is Right, and what is Wrang?
A short sword, and a lang,
A weak arm and a strang,
For to draw.

What makes heroic strife, famed afar, famed afar?
What makes heroic strife famed afar?
What makes heroic strife?
To whet th' assassin's knife,
Or hunt a Parent's life,
Wi' bluidy war?

Then let your schemes alone, in the state, in the state,
Then let your schemes alone in the state.
Then let your schemes alone,
Adore the rising sun,
And leave a man undone,
To his fate.

感想:詩というよりは檄文に近い印象ですが、ジャコバイトという勢力がスコットランドで最も過激な政治活動勢力であり、スコットランドのフリーメイスンリーのテンプル騎士団と同じく根底の勢力となり続けたという話を知っているとなかなかすさまじい詩のようであります。現代マスコミとは違い小部数の詩集や口伝えの詩であってもわずかな短文で一国の運命や政治外交を影響しえた時代に、この様な詩は精強な軍隊による奇襲やテロ行為よりも強力な力を持ち得たのではないでしょうか。

参考にウィキペディアのジャコバイトによる1745年の反乱の項目のコピペを置きます。

1745年の反乱

1745年の反乱は、一面においてはジャコバイトの最後の挑戦であったが、むしろ主要な側面は、当時イギリスと交戦していたフランスによる、ジャコバイトとジェームズ老僣王の息子チャールズ若僭王を利用した工作であったという点である。この反乱の失敗によって、ステュアート家とそれを支持するジャコバイトは完全に政治的命脈を絶たれ、以降ジャコバイトは歴史の表舞台から姿を消すことになった。
「ウォルポールの平和」が1739年のジェンキンスの耳の戦争(オーストリア継承戦争、1740年)で破られ、ウォルポール自身も1742年に辞任に追い込まれた。政権はウィルミントン伯スペンサー・コンプトン(病気のため実質的指導者はジョン・カートレット)に移ったが、翌1743年にコンプトンが死去してヘンリー・ペラムに移行、ペラムを支持するウォルポールの政治的影響力は健在であり、国王ジョージ2世の信任は篤くなかったがなんとか政権運営を可能にしていた。ところが1745年3月18日、ウォルポールが死亡してペラムの政治的地位が危うくなったところに、この反乱が起こった。

ルイ15世の助力を得て同年7月にチャールズ・エドワードはスコットランドに上陸すると、ハイランドの氏族を糾合し「the 'Forty-Five」と呼ばれる内戦を起こした。いまだジャコバイトの多いスコットランドでこそチャールズの軍は優勢だったが、イングランドでは民衆の支持を得られず、12月6日に至り、反乱軍はスコットランドに退いた。それ以降も政府軍とジャコバイト反乱軍との戦いは続いたが、1746年4月16日、カロデンの戦いで反乱軍は致命的敗北を喫し、チャールズもフランスへ逃走した。この戦いにおいて、負傷して動けない者まで皆殺しにした指揮官のカンバーランド公ウィリアム・オーガスタス(ジョージ2世の3男)は「屠殺業者」(Butcher)との異名を得た。
イギリス政府はこの反乱を重く見て、諸立法によってスコットランドの氏族(クラン)制度を解体した。またチャールズはフランスを追われて、放蕩生活に身をやつしていった。この評判が広まって、ジャコバイトの支持は失われていった。ジャコバイトのステュアート朝再興の夢は、その核を失って完全に絶たれた。
Jacobite.jpgjacobite-1.jpgthe_battle_of_culloden3.jpgCulloden456.jpg

それらはそのまま反対にフランス革命へと繋がっていくようであります。
2013-07-28 18:58 | カテゴリ:スコットランド
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
古い友達づき合いの思い出が忘れられようか、
 心によみがえらぬはずがあろうか。
古い友達づき合いの思い出が忘れられようか、
 長い長い付き合いの思い出が!

  コーラス
君、長い付き合いだったね、
 本当に長い年月(としつき)だった。
変わらぬ間柄を祝って一杯いこう、
 長く長く付き合ってきたのだから。

いいか、その大コップは干さなきゃいけない!
 こちらも絶対に干すつもりだ!
こうして親しいつき合いだったことをお祝いしよう、
 遠い遠い昔のために。
  (コーラス)

なあ、覚えているか、二人で丘を駆けめぐり、
 きれいなヒナギクをどっさり摘んだのはよかったけれど、
おかげでふらふらに疲れ切り、あちこちさまよい歩いたのを。
 遠い遠い昔の出来事を。
  (コーラス)

二人は小川でもぼちゃぼちゃやったじゃないか、
 朝日が昇りかけた頃からお昼時まで。
だが、とどろく大海原が二人の間を遠ざけてしまった、
 かなり遠い以前から。
  (コーラス)

さあ君、握手をしよう!
 しっかりと握ってくれ!
そして、思いっ切り、ぐうっと飲もうよ、
 われらの長いつきあいを記念して。
  (コーラス)

Auld Lang Syne

["Is not the Scotch phrase," Burns writes to Mrs. Dunlop, "Auld lang syne, exceedingly expressive? There is an old song and tune which has often thrilled through my soul: I shall give you the verses on the other sheet. Light be the turf on the breast of the heaven-inspired poet who composed this glorious fragment." "The following song," says the poet, when he communicated it to George Thomson, "an old song of the olden times, and which has never been in print, nor even in manuscript, until I took it down from an old man's singing, is enough to recommend any air." These are strong words, but there can be no doubt that, save for a line or two, we owe the song to no other minstrel than "minstrel Burns."]

Should auld acquaintance be forgot,
And never brought to mind?
Should auld acquaintance be forgot,
And auld lang syne!

Chorus.-For auld lang syne, my dear,
For auld lang syne.
We'll tak a cup o' kindness yet,
For auld lang syne.

And surely ye'll be your pint stowp!
And surely I'll be mine!
And we'll tak a cup o'kindness yet,
For auld lang syne.
(Chorus.)

We twa hae run about the braes,
And pou'd the gowans fine;
But we've wander'd mony a weary fit,
Sin' auld lang syne.
(Chorus.)

We twa hae paidl'd in the burn,
Frae morning sun till dine;
But seas between us braid hae roar'd
Sin' auld lang syne.
(Chorus.)

And there's a hand, my trusty fere!
And gie's a hand o' thine!
And we'll tak a right gude-willie waught,
For auld lang syne.
(Chorus.)

感想:今年の1月2日にAuld Lang Syneの題名でウィキペディアのコピペで紹介したのですが、ロバート・バーンズ研究会編訳のものの方が非常に分かりやすい訳であったので再掲しました。ヒナギクを摘むくだりはどう考えても男同士だと変ですが、恐らく伝承された歌の想定では幼馴染の男女なのではないでしょうか。大海原が隔てたなどの部分はどうも英仏のフリーメイスンリーの関係などを思わせるような部分ですが果たしてブラザーロバート・バーンズの付け加えたものかどうかは定かではありません。島育ちの男女が成人して離れた状況が想定されているのかもしれません。フリーメイスンリーでは特別な会の終わりに皆で合唱することもありますので、何度か歌って覚えるか、少なくともそれぞれの部分の意味を理解しておくと感情をこめて歌いやすいかと思います。内容としては一気飲みと日本で言う一本締めのような感じでしょうか。古いところだと同期の桜と同じ意味合いになるのでしょうか。日本の歌詞の蛍の光はどうも原詩の意味を持っていませんし、戦前の学校の卒業の際に歌われることを考えて作ったのでしょうが、平成時代の現在の状況に全く合っていないかと思いますので、是非英語の原詩を皆で覚えてそちらが歌えるようになるとより良いのではないでしょうか。英語歌詞のAuld Lang Syneが日本で数多く歌われる状況が好ましいかと思います。
(追記:小川の意味でスコットランド語のburnが使われています。これは明らかにブラザーロバート・バーンズの名前と同じ単語を挿入したものかと思われます。ブラザーロバート・バーンズを介した海を挟んだ関係というのも意味深です。まさにそういう時代ですしそういう英仏フリーメイスンリーの関係を詠った詩であるととらえるのは自然であるかもしれません。ヒナギクgowan=daisyも何かの隠喩かもしれません。フランスの無辜の貴族とかだとえらいことです。最初に現れたのがダンロップ夫人あてで1788年だそうですが、再び書かれたのは1794年にジョージ・トムソンあてでフランス革命ですでにルイ16世も断頭台に送られた後です。手紙の年代など後世には正確なことは分からないのが普通です。恐らくそういう詩なのだと思われます。)
(追記:ヒナギクgowan=daisyはフランスの女性名Margueriteマルグリットの愛称だそうです。フランス革命で活躍した男性で同名の方もいるようですが、ジャコバン派のかなりな過激派ですがブラザーロベスピエールが断頭台に送られる約一か月前にギロチンで亡くなっています。ジャコバン派自体がブルターニュ地方出身者で構成されているなど、イングランドとの繋がりやいわゆるジャコバイトとの関係もあるようです。フランスフリーメイスンリーが当初ジャコバイトがもたらしたものであるというところも含めて、ブラザーロバート・バーンズがそれらの連絡役であったという想定はかなり分かりやすい話なのではないでしょうか。やはりブラザーロバート・バーンズの詩は極めて歴史的な暗号文ととらえるのが正しい解釈なのではないかと思われてきます。)
2013-07-29 19:54 | カテゴリ:その他 雑記
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
カウンター設置後10000人を越えました。
当初数カ月カウンターを設置していなかったのでまあ概数ですが、延べ人数で10000人以上の方がこのブログの内容に触れたのだということだと思います。内容について細かく知ったかどうかについては分かりませんが、いずれにしても当初の基本的なフリーメイスンリーの知識について偏見を取り除いてかなり深い部分まで提供するという役割に関してはかなり果たせたのではないかと思います。
いずれにしても各人が実体験としてロッジを訪問したり、イベントに参加したりするのが本当のフリーメイスンリーの体験なわけで、そういう方が少しでも増えることを希望します。
今後もさらに深い部分について分かりやすく豊富に提供していければと考えています。
出来れば皆さんとコメントやその他で交流が増えればと期待しています。
また世界のフリーメイスンリーも皆さんとの交流が増えればと期待しているかと思います。
積極的に海外に出たり、日本に来ている外国人や、海外、日本ともにフリーメイスンリーと接点を持っていただければと期待します。
2013-07-29 21:40 | カテゴリ:スコットランド
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
さて背景も動くGIFで引き締まったところで今回のスコットランド訪問のメインテーマである学会の内容について細かく取り上げていくこととします。
基本的にはアブストラクトをコピペして内容の訳を書いて感想という事になるのですが、いかんせん実際の発表の際にはプレゼンテーションがパワーポイントがほとんどなくオーラルが多いのですが、まあ英語力がとてもじゃないが足りないのでチンプンカンプンに近い状態な訳です。そういうわけでここでアブストラクトを取り上げて翻訳するのも一つの訓練な訳ですが、実際は重要なポイントはもちろんオーラルで触れたり、そのニュアンスになったりするのがいわゆるフリーメイスンリーのポイントな訳で、しかも発表後にやはり直接聞いたり話したりすることでやり取りするのがまあいわゆる普通の学術集会以上にフリーメイスンリーが真正な学会の集まりな訳で、それはそのままロッジの集まりにも繋がるものな訳です。
というわけであえてアブストラクトを解説したところでそれで何か理解するというのはかなり難しいというところを先に挙げてしまって、まあ学会の紹介というところで書き写すことを行うこととしていきます。

今回はビデオも途中まで撮影できた最初の演題です。plenary speakersについては人物紹介もありますのでそれも転記します。

FRIDAY 24 MAY 2013
HALL I 10.00-11.00
The Rise and Fall of Empires: Britain's and the UGLE's Compared
J.W.DANIEL,UK,
帝国の繁栄と没落:大英帝国とイングランド連合グランドロッジの比較

Jim Daniel was born in Cornwall in 1941 and educated at Truro School, then Brasenose College in Oxford where he read Modern Languages. He left university after four years. He was employed by the British Council for 25 years, serving in Spain, Germany, Cambodia, Sri Lanka, Venezuala and finally as Cultural Attache at the British Embassy in Washington DC. On retiring from the British Council, in 1989 he became Grand Secretary General to the Supreme Council of the Ancient and Accepted Rite for England and Wales(the 'Rose Croix'). In April 1998 he was appointed Deputy Grand Secretary of the United Grand Lodge of England, and then served as Grand Secretary from June 1998 to February 2001 when, in his 60th year, he retired from full-time employment and returned to his native Cornwall.
ジム・ダニエルは1941年にコーンウォールに生まれて、トゥルロー学校で教育を受け、オックスフォード大学のブラセノーズ校で現代英語について学んだ。大学を四年で離れた。ブリティッシュ・カウンシル(英国の公的な国際文化交流機関)に就職して25年務め、スペイン、ドイツ、カンボジア、スリランカ、ベネズエラで働き、最後はワシントンD.C.の英国大使館の大使館員となった。ブリティッシュ・カウンシルを辞めた後は、1989年にイングランドとウェールズの古代認証位階最高評議会(薔薇十字)のグランドセクレタリーとなった。1998年4月にイングランド連合グランドロッジのグランドセクレタリー代理に任命され、1998年6月から2001年2月までグランドセクレタリーとして務め、60歳になってフルタイム勤務を辞めて引退し故郷のコーンウォールに戻った。

In his retirement, Jim successfully completed on PhD thesis at the University of Sheffield on 'The 4th Earl of Carnarvon (1831-90): Statesman and Freemason' and received his doctorate in 2009. Jim has also published a History of the Royal Alpha Lodge, No. 16(2006). Jim has contributed to many masonic and scholarly journals and a collection of his papers was published in 2007 as Masonic Networks and Connections. Jim is a Fellow of the Royal Historical Society.
引退後ジムはシェフィールド大学で「第4代カーナボン卿(1831-90):政治家でありフリーメイスン」という論文で2009年に博士号を取得した。ジムはまた「ロイヤルアルファロッジNo.16の歴史」という本を2006年に出版している。ジムは多くのフリーメイスンリーの雑誌や学術誌に貢献し、彼の論文集が2007年に「フリーメイスンリーのネットワークと繋がり」として出版された。ジムは王立歴史学会の学会員である。

Few historians have examined Freemasonry in the context of the British Empire and its successors between the 1850s and today. The most important published work touching on this topic is still Jessica Harland-Jacobs' Builders of Empire: Freemasonry and British Imperialism, 1717-1927, though, as the title indicates, her study stops in 1927, after the Balfour Declaration of 1926 (which she calls 'a turning point in Anglo- Dominion relations') and the transformation of the British Empire into the 'British Commonwealth of Nations'. In her conclusion Harland-Jacobs comments that 'As the age of late empire gave way to the era of decolonization, British Freemasons were left with several unresolved issues' and states that it is clear 'that the same ideology that had long been used to build and maintain the empire could also be used to destroy the foundations up which it rested.'
ほとんどの歴史家は1850年代と今日の間のフリーメイスンリーを大英帝国の後継者やその流れの中で検討する事は無かった。この事柄に触れた最も重要な出版されている著作は未だにジェシカ・ハーランド・ヤコブスの帝国の建築者たち、フリーメイスンリーとイギリスの帝国主義、1717-1927であるが、この題名が示す通り、彼女の研究は1927年で止まっており、1926年のバルフォア宣言(彼女が英国と自治領との関係における転換点と呼ぶもの)の後に、大英帝国は主権国家による英連邦へと変化した。彼女の結論の中でハーランド・ヤコブは「帝国の後期においては植民地からの独立の時代となり帝国は崩壊するが、イギリスのフリーメイスン達はいくつかの未解決の問題と共に残された」と述べていて、また「長きに渡って帝国を作り上げ維持してきたのと同じ理念でもってその基礎を破壊し、帝国を終焉させた」という事は明白であると述べている。

Until 1855 the only Grand Lodges in the British Empire were those of England, Ireland and Scotland. In his paper 'Grand Lodges in British Colonies' James W Daniel concentrates on the period from 1850 to 1890 and therefore on the additional Grand Lodges formed in Canada, Australia and New Zealand during that time. He concluded that these were neither imperial consolidators nor Commonwealth seedlings' and that 'their independence foreshadowed the disintegration of the British Empire.' Since 1927, however, nine more Grand Lodges have been formed in 'the Commonwealth' (as the residue of the British Empire is now called) in Africa, Australia, Canada, Europe and India. Others may yet follow.

This paper investigates the disintegration of what the prince of Wales described in the 1880s as England's 'Masonic Empire' from 1855 to the present, compares and contrasts it with disintegration of the British Empire, and considers the relations, post-independence, between London and its progeny.



さて動画が途中まであるのがこの講演だけなのですが付いてこられるでしょうか。とりあえず翻訳は後々付け加えていくこととします。

貴重な動画を見ていただくとかなり雰囲気が分かるかと思うのですが、基本的に撮影禁止な状況です。あとはスコットランド訛りの英語であったりかなり通常のプレゼンの英語は聞き取りづらいです。この最初の発表やアメリカ人の発表が聞き取りやすい英語であったと思います。また基本的に演者は読み原稿を一語一句そのまま読む形で発表して余計なアドリブは一切付け加えません。恐らく発表原稿はそのままグランドロッジに保存されるものかと思われます。またアブストラクトと発表の半分ほどを比較されると分かるかと思いますが、ほとんどアブストラクトの内容と発表の内容は一致しません。この最初の発表に関してはアブストラクトはほぼ本を読んで勉強して下さいという内容になっているかと思います。また発表そのものは撮影禁止の状況からもほぼフリーメイスンリーの秘密の暴露の内容を常に含んだ内容となっているかと思われます。もちろん興味があるかないかは個人によるかと思いますが、各グランドロッジの保管している歴史的な文書を元に構成した発表となっているかと思います。
2013-07-30 07:02 | カテゴリ:スコットランド
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
   一
私の若い友よ、君に何か書きおくろうと
 長い間考えてきた、
ほんの一つの思い出草としか
 役に立ちそうにもないが。
けれどそのテーマがいかようになるかは
 時と機会次第、
歌となるかもしれないし、
 お説教となるかもしれない。

   二
君はまもなく世間に出ようとしている、
 それでアンドルー君、本当のことだが、
人間っていうのはきてれつな代物で、
 君は人間に大いに嘆くことになるよ。
君の目的がかなえられても
 心配や苦労に君の思いはかき乱され、
神経を極度に緊張させても
 君の意図はすべて無に帰してしまうかもしれない。

   三
人間はみな悪者だとは言うまい、
 法律以外は何の歯止めもない、
どうしようもない本当の悪(わる)は
 ごくわずかだ。
だが、おお、人間はすこぶる弱い者、
 ほとんど信用がおけない、
善悪に上下するはかり自体がゆれ動くなら、
 正しく量れることはめったにない。

   四
運命の戦いに倒れても、
 その人の定めを非難すべきではない。
彼らだって人生の重要な目的に、
 同じように尽くすことができるのだから。
貧乏が絶えずじろじろ見つめようと、
 人は正直な心を持ちうるのだ。
蓄えるだけのお金がなくとも、
 人は隣人を助けることができる。

   五
親友といるときは、
 いつも自由にすぐに話したまえ。
だが誰にも明かしたくないことは、
 常に胸にしまっておくこと。
ウの目タカの目からは
 できるだけ身を隠し、
鋭い巧みな観察で
 他人の思いを探られよ。

   六
正当な恋の聖なる炎には
 心置きなくふけるとよい。
でも、あばかれることがたとえなくとも、
 道ならぬそぞろ歩きは決してなさるな。
罪の分け前もそれを隠す危険も
 私はごめんこうむる。
でも、おお、そうすれば心のすべては硬化し、
 感情は石と化す。

   七
運命の女神がもらす黄金の微笑をとらえるために、
 怠ることなく彼女にはべりたまえ。
名誉が認めるお金なら、
 どんなことをしても集めなされ。
それを生垣に隠すためでなく、
 供を後ろに従えるためでもなく、
独立独歩という
 栄光ある特権のために。

   八
地獄の恐怖は絞首刑執行人のむち、
 亡者どもを正すのだ。
だが良心の責め苦の感ずるところを
 君の行動の境としたまえ。
少しでも感ずればすぐにやめ、
 わき道への口実を避けなされ。
結果など考えずに、
   断固名誉のおきてを守りたまえ。

   九
偉大な創造主を敬うことは
 被創造物に似つかわしい振る舞い、
されど、説教じみた言葉遣いも
 まじめくさったしかめっ面も控えなされ。
卑俗な機知をろうするのは
 ほどほどに、
無神論者の笑いを引き出しても
 神を怒らせては割が合わない。

   十
快楽の輪の中でじゃれまわるとき、
 宗教は盲目となっていよう、
宗教が手当たりしだいに刺したとしても
 ほとんど気にならない。
しかしこの世で暴風雨に追い立てられるとき、
 良心なんて害毒に過ぎない。
天とのかたい音信こそ
 確かに高貴な錨(いかり)。

   十一
さようなら、愛すべき若者よ、
 失望落胆召さるな、
慎重と剛勇と真実が
 君の不屈の額をあげますように。
日毎さらに賢くなるために、
 農夫の言葉で言うなら「どうかよかことありやすように」。
忠告者が気に留めたよりも、
 さらによくこの忠告を気に留めますように。

Epistle To A Young Friend

I Lang hae thought, my youthfu' friend,
A something to have sent you,
Tho' it should serve nae ither end
Than just a kind memento:
But how the subject-theme may gang,
Let time and chance determine;
Perhaps it may turn out a sang:
Perhaps turn out a sermon.

Ye'll try the world soon, my lad;
And, Andrew dear, believe me,
Ye'll find mankind an unco squad,
And muckle they may grieve ye:
For care and trouble set your thought,
Ev'n when your end's attained;
And a' your views may come to nought,
Where ev'ry nerve is strained.

I'll no say, men are villains a';
The real, harden'd wicked,
Wha hae nae check but human law,
Are to a few restricked;
But, Och! mankind are unco weak,
An' little to be trusted;
If self the wavering balance shake,
It's rarely right adjusted!

Yet they wha fa' in fortune's strife,
Their fate we shouldna censure;
For still, th' important end of life
They equally may answer;
A man may hae an honest heart,
Tho' poortith hourly stare him;
A man may tak a neibor's part,
Yet hae nae cash to spare him.

Aye free, aff-han', your story tell,
When wi' a bosom crony;
But still keep something to yoursel',
Ye scarcely tell to ony:
Conceal yoursel' as weel's ye can
Frae critical dissection;
But keek thro' ev'ry other man,
Wi' sharpen'd, sly inspection.

The sacred lowe o' weel-plac'd love,
Luxuriantly indulge it;
But never tempt th' illicit rove,
Tho' naething should divulge it:
I waive the quantum o' the sin,
The hazard of concealing;
But, Och! it hardens a' within,
And petrifies the feeling!

To catch dame Fortune's golden smile,
Assiduous wait upon her;
And gather gear by ev'ry wile
That's justified by honour;
Not for to hide it in a hedge,
Nor for a train attendant;
But for the glorious privilege
Of being independent.

The fear o' hell's a hangman's whip,
To haud the wretch in order;
But where ye feel your honour grip,
Let that aye be your border;
Its slightest touches, instant pause-
Debar a' side-pretences;
And resolutely keep its laws,
Uncaring consequences.

The great Creator to revere,
Must sure become the creature;
But still the preaching cant forbear,
And ev'n the rigid feature:
Yet ne'er with wits profane to range,
Be complaisance extended;
An atheist-laugh's a poor exchange
For Deity offended!

When ranting round in pleasure's ring,
Religion may be blinded;
Or if she gie a random sting,
It may be little minded;
But when on life we're tempest driv'n-
A conscience but a canker-
A correspondence fix'd wi' Heav'n,
Is sure a noble anchor!

Adieu, dear, amiable youth!
Your heart can ne'er be wanting!
May prudence, fortitude, and truth,
Erect your brow undaunting!
In ploughman phrase, "God send you speed,"
Still daily to grow wiser;
And may ye better reck the rede,
Then ever did th' adviser!

感想:若いフリーメイスンにあてた、フリーメイスンリーの教えそのものを詩としたものかと思われます。特に信仰を表す錨の表現や、四元徳、七元徳の表現はフリーメイスンリーの基本の三階級で習得すべき教訓として強調しているところが印象的です。全体が11節で構成されているのもポイントかと思います。11はマスターの数字というところなのでしょう。最後が結局God Speed!成功を祈る!というところが、要するに最後は結局自分次第というところなのでしょう。
2013-07-30 10:45 | カテゴリ:横須賀
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
基本的にこの話は販売されている本を元にして単に要約に解説を加えているだけなので、面白いとか内容に興味をもたれた方は本を手にされて御自分で読まれることをお勧めします。
スコットランドの話はしかしどう逆立ちしても単純にフリーメイスンリーやスコットランドに興味のある人以外興味が持ちようがない話であるようですが、やはり横須賀関連の話は既に本が売られていて有名であるにも関わらず内容を理解しているかというと聖書と同じでなかなかそうはいかないというところが現実であって、テレビやラジオ、新聞などのいわゆるマスメディアでワンフレーズで繰り返し単純な一面的な情報を送るのと違って、それなりの書籍というのは重要な情報であればある程どんなに出版され何年と経とうと一般大衆に理解されるということはないというのがまあ人類の歴史の一つの普遍的な法則ともいえるわけで、その法則に基づいたのがユダヤ教でありキリスト教でありその法則をそれこそマスメディアや啓蒙運動で変えようとする考え方がまさにフリーメイスンリーと言えるのかと思いますが、まあ常に低きに流れる人類普遍の法則を明らかにしてその流れ自体を高みに向かって流れるように変えてしまおうというのが人類に知性が存在してからの唯一の目的であるのかもしれません。

まあそんなわけで多少横須賀に反響がありそうなブラザーデッカー司令官の回想録の要約と解説を続けることとします。

第二章の副題は家族を呼び寄せるです。とりあえず任地横須賀で状況を確認して、過去の司令官とは違う本腰を入れて基地機能の回復と米軍の統治を確立する道筋を立て始めたブラザーデッカーですが、アメリカ軍の基本的な政策でもある家族とともに出来る限り通常の生活を送るようにするという方針に則ってこの場合は家族として妻エドウィーナが来日するエピソードが語られます。まあこういうのはアメリカやヨーロッパでは極めて当たり前なんですが日本ではまだまだそれほど当たり前ではないのは要するにそういう海外赴任の際のコストとリターンの評価が確立していないからなんでしょうか。
tumblr_mmyjkxytPJ1so8v8zo1_500.jpg
最初の小節の副題は米軍家族用住宅事情です。現在も米軍住宅の設備や恵まれた環境は良く占領統治の継続としてやり玉に挙げられるところですが、まあそれがなければ基本的に本国に帰って違う仕事をやりたいというのが彼らの本音な訳で、真珠湾攻撃を嵌められて始めたとは言え現代では考えられないような対米戦争を行ったツケとしては当然なところなのだと思われます。この辺りに文句を言いだすとこの本を読むことはできません。奥さんを迎えるにあたって世話係として英語が堪能な高岡夫妻を指名し、近くに住まわせるようにします。
WH_AeroView.jpg
次の副題はパスポートです。妻のエドウィーナがもう嬉しくてしょうがないという感じで喜んでサンディエゴから来るわけですが色々と表面上の問題が生じます。まああまり浮かれるなというそういう戒めなのでしょうが、まあ非常に楽しい感じで日本で夢のような生活が待っているという感じが伝わってきます。一応陸軍と家族の来日で競ったりしたそうですが、まあなんとも戦勝国の楽しい時間です。ここで唯一面白いのがエドウィーナ夫人がブラザーデッカーと再会する場面ですが、これは恐らく奥さんがきちんと著したいと考えて書いたのでしょうが、ブラザーデッカーには同伴する3人の着物の日本女性がいます。妻のエドウィーナが書くところには征服者の妻たちとして上陸し、彼女たちに申し訳なく感じましたが笑顔で応じましたということだそうです。まあ現代とは時代が違うのでしょうが、まあそういう基地司令長官として奥さんが来日するまでの現地妻として3人の女性がいたという事なのでしょうね。なかなかすさまじい描写ですが、ブラザーデッカー夫妻自体にはその後あまりそのことは影響がないようで、ブラザーデッカーは84歳まで生き、奥さんは何と97歳まで長生きしたそうです。まあそう考えるとやはりこの夫婦は奥さんの懐が深いのが実はこの本に書かれていない横須賀での任務の成功の秘訣であったのかと思われます。ちなみにその関係かどうかはわかりませんが、共に軍人であった二人の息子の長男は岩国基地で飛行機の墜落で亡くなり、次男は除隊後に膵臓癌で亡くなったそうです。この時の事が関係あるかはわかりませんが、まあ戦中戦後の事は色々あるという事かと思います。再会のキスをするところで「ニュース映画のために、もう一度」と再度ポーズをとらされましたという記述がなかなか当時が良くわかります。
soldier-family-c.jpg
副題は横須賀夫人会4万人がデッカー夫人を歓迎で、神奈川新聞の記事のままです。馬淵夫人という横須賀市婦人会会長の方が挨拶する様子が描かれています。その後の占領政策でこの横須賀市婦人会というのが非常に重要な役割を与えられて、ブラザーデッカーが高く評価するわけですが、その辺りの経緯が恐らく前述のエドウィーナ夫人のいない期間にブラザーデッカーのお世話をした日本女性に対する信頼と評価から成立しているのではないかというのが私の推測です。そしてそれは蝶々夫人のオペラにも認められるようなフリーメイスンリーの中での日本女性に対する定まった評価とその利用であったのではないかと考えられました。まあこれが前の章で触れた種明かしな訳ですが恐らく正しいのではないでしょうか。横須賀の子供たちにチョコレートやキャンディー、パンなどの食料が配られる様子が描かれています。
1945018.jpg
歓迎昼食会です。妻エドウィーナの視点から歓迎されて目にする横須賀基地の様子が描かれます。ブラザーデッカーの言葉として日本人ウェートレスについて「これらすべての女性たちは”立ち入り禁止”、見て眺めるだけでノータッチ!占領軍は食べ物を扱うすべての女性に毎月一回身体検査を受けさせていた。担当医から、ここの女性は全員が処女だという報告を聞き、そんな検査はやめさせた」とあるのですが、まあ良く戦中戦後の状況がわかる言葉です。lをrと発音する話や、人力車や人々の様子の話が語られます。
tougou_ogawa.jpg
さいか屋には商品が少ない。これはまあ主婦の目線なのでしょうね。デパートの品ぞろえが気になるという事のようです。まあ戦後すぐの状況ですからソ連より酷かったことでしょう。街の様子の描写などはブラザーキップリングの日本紀行などとも共通するものがあります。
sakiaya.jpg
「長官官舎」に入る。ブラザーデッカーが整備した長官官舎が綺麗に奥さんを出迎える状況であることが描写されます。執事として中国人の人がいるのですが、どうもブラザーデッカーとは古い縁のようで、日本軍に捕虜として苛酷な待遇を受けた中国人を執事としているなどなかなか軍人としての周到さが感じられます。色々とエドウィーナ夫人による内装の細かい描写が語られるわけですが、この辺はいかに日本で良い暮らしをしたかという見栄なのでしょうね。良くわかりませんが、アメリカ本土で暮らす人々にはどうしてそこまでして日本で日本人の対応をする仕事などするのかという説明が必要なのだと思われます。まあいずれにしてもブラザーデッカー夫妻にとって非常に印象的で魅惑的な時であったのではないかと思われます。もちろんパーティーが開かれます。
chokan12.jpg
兵舎を探索。ここの章はとりあえずエドウィーナ夫人の記述で続きます。このエドウィーナ夫人は良くわかりませんがとにかく廃品回収が大好きで、旅行とパーティー以外の時は大体廃品回収に本人が出かけ、そこでいかに自分の機知で良さそうとされるものを選んでもってきたかに自己満足を得るという事があります。その言いわけではないですがこんな言葉があります。「私はスコットランド系、倹約を旨とする血筋…」高岡夫人や馬淵夫人と会話して高岡夫人が英語が話せて米国経験が長い事が語られます。その後も非常にこのメンバーは交流が盛んなようです。
12.jpg
富士屋ホテル。この辺りから本格的に旅行とパーティーざんまいという感じになってきます。箱根の富士屋ホテルに行く間の様子なども描かれるのですが、ブラザーデッカーが戦前の昭和14年に齋藤元駐米大使の遺骨を礼送する際にも箱根の富士屋ホテルで美人ダンサーが接待した話が語られます。戦前の接待は色々右翼が騒いで午後11時には散会になったそうです。この辺りもまあフリーメイスンの暴露なのでしょうが、ここで何か違ったらその後の歴史も違うのかもしれませんね。まあとにかくそれを奥さんが表記するのがアメリカという感じでしょうか。ホテルの調度の描写が延々と描かれます。天皇の間に泊まったとか、その後もそうですが、とにかく皇室と同じ待遇を受けたというところに拘るところが認められていきます。評価基準がないのでとにかく皇室と同じであれば最高の待遇でこれ以上はないという事なのだと思われます。まあ色々評価して書かれていますが、率直に異様なお面があったとかそういう表記もあります。
01070-7772-pc.jpg
長尾峠。富士山が見える長尾峠へ行ったところ痩せた日本人の子供と、たまたま日本で戦中戦後を過ごして敗戦後にドイツ本国へ送られる事になったドイツ人と接触した話です。何なんでしょうね。昭和17年11月30日に横浜港でドイツ戦艦3隻が爆発したというので、シンボリズムがあるのでフリーメイスンが入っているのでしょうね。箱根温泉に戦中に5年もいたというのは楽しいことではないでしょう。
長尾峠
横浜―東京へ。東京の空襲の様子を見て、米海軍極東司令部を訪ね、ブラザーデッカーが海軍軍楽隊を横須賀に欲しいという話を上司が嫌味に断る話が語られます。なかなかアメリカ軍の上官同士の交渉というのも面白い感じです。その後は相変わらずのパーティーです。ほぼ毎日パーティーだという感じでしょうか。いちいち評価してその返礼としてまたパーティーをやるのですが、この辺りはトルストイや、ドストエフスキーの小説の世界を参考とした感じでしょうか。
200px-GHQ_building_circa_1950.jpg
印刷インク。基地内で見つけたインクの原料を「リーダーズ・ダイジェスト」誌の日本語版のインク不足解消に使うという話でした。この後もマスメディアの話は良く出てきます。ブラザーデッカーも非常に基地司令官として気にする事になります。
readers digest
独立記念日のパレード。今年は雨で花火が中止となった7月4日のパレードの話です。横浜、東京、横須賀と1日中パレードと花火です。占領直後はとにかく独立記念日のパレードはすごかったようです。もちろんこのブログの読者は独立記念日がブラザージェファーソンが起草した独立宣言が採択された日と知っているかと思います。
$(KGrHqJHJFIE88e5R)hrBP(MfD8tpw~~60_35
帝国ホテル。帝国ホテルであった2度の晩さん会の様子が語られます。非常にエドウィーナ夫人は帝国ホテルについて酷評していますが、どうも唯一日本で残っていた明治大正の建築で石造であったためそれが気に入らなかったようです。やはりパーティーの評価が書いてあります。後にうつ病で自殺するジェームズ・V・フォレスタル海軍長官の様子が神妙であり横須賀を訪問せず世界旅行を続けたことが語られます。海軍の空母建造をすすめた海軍長官が後に東西冷戦の初期の時代に世界秩序の構築から取り残されて自殺に追いやられてしまうポイントかもしれません。
b0017892_2044283.jpg
塀の取り壊し式。日本海軍が戦時中に横須賀基地を取り囲むように建てていた塀を取り壊す式が行われた様子が書かれます。日米の軍隊の基地運営の基本方針の違いを見せつけるものであったのでしょうね。いまだに自衛隊と米軍の差であるかもしれません。臨海公園なんて謎の公園が未だにあるとかネットにはあったりします。
007_03.jpg
友情の樹。臨海公園、今のヴェルニー公園のところで横須賀市長とともに行われた植樹式の様子が描かれます。この木は現在どの木になるのでしょうか。興味深いところです。ペリー提督の黒船の山車とかつらをした白い水兵姿の日本人の様子が印象的に描かれています。ついこの前の久里浜ペリー祭の様子を見ると、未だにこの時代となんら変わっていないようです。平和の象徴の鳩が描かれます。ヴェルニー公園に鳩がとまった事がこのブログでも以前ありました。
453.jpg
パラボラ型ミラー。これは定期的に出てくる主にエドウィーナ夫人による廃品利用の話です。パラボラアンテナをパーティーのテーブルの左右において花をいっぱい水に浮かせて綺麗に飾った話です。その他も電池槽などの日本軍の廃品をパーティーの小道具に工夫して利用した話です。まあ工夫して楽しく過ごし好評であったという話だと思います。なかなか面白い夫妻です。
e0211426_21412140.jpg
海軍カレー。日本海軍の海軍カレーをパーティーに出した話です。その他にも映画や音楽や肖像画でパーティーの趣向を凝らした話が挙げられています。ここでもブラザーロバート・アイケルバーガーの賛辞が挙げられています。
20100209_746847.jpg
セミ取り。夏の暑い日に近くの寺の境内に散策して子供がセミ取りしている様子を見た事が描かれています。日本の季節感を感じたのでしょうか。
セミ
真珠湾の秘話。真珠湾攻撃の際の太平洋艦隊司令長官の話として、本当は艦隊の海上訓練を続けようとしたのに財界人と政治家が湾内にとどまるように望んだという話でした。後任のキンメル提督はいたしかたなく湾内に戦艦を置き、攻撃を受けて責任をとって降格させられたという事です。まあ今でこそ日本でも当たり前の話ですが、昭和の時代はちょっとタブーな話でしょうか。この本も東北大震災後に出たわけですが、これについてもいつかタブーが破られるかと思います。
sinjyuwan_01.jpg
東京裁判(極東国際軍事裁判 1946~1948年)。東京裁判を傍聴した様子です。エドウィーナ夫人によって書かれているのがちょっと奇妙な感じですが、東京裁判の評価は非常に難しいからということではないでしょうか。実際に戦って、戦後に統治したアメリカ軍人にしてみれば敵対したとはいえ先ほどの真珠湾の経緯も理解していて、国を守るために戦った軍人たちが裁かれるのは少なくともブラザーデッカーは支持も反対もしないという立場であったようです。エドウィーナ夫人は様々な事実が明らかにされるのは良いことと書いています。ブラザーデッカーが横須賀統治に利用した豊田大将の横須賀時代の資料の関係で豊田大将は無罪になったと書かれています。
tokyosaiban.jpg
日光旅行は特別列車。後に飛行機事故で亡くなるアッチンソン米国大使の邸宅でのパーティーから始まります。その後日光旅行に外交団列車と呼ばれる特別専用列車でいく様子が描かれます。いろは坂や華厳の滝、ケーブルカー、日光東照宮や輪王寺の様子が描かれます。
7b4b94dd.jpg
家の補修。就任時より補修を頼んでいてもなかなか進まない職人の仕事ぶりに苛立って職人を叱責する行動をした結果、職人がようやく仕事を仕上げた話が挙げられています。まあこの辺から横須賀らしい話が増えてきます。ブラザーデッカーが盛んに長官宿舎の改修に拘るので、一番拘っているところで遅滞して嫌がらせするのですね。まあこの後もそんな話ばかりです。マスコミの記者を接待する様子があります。
lrg_15618177.jpg
鎌倉の八幡宮。鎌倉の鶴岡八幡宮をブラザーデッカー夫妻が観光した時の様子です。特に評価はなく淡々と観光案内のように表記しています。恐らく慣れて来たというのもあるのでしょうが、鎌倉は数回訪問したのかもしれません。
HSD10025.jpg
長谷の大仏。鎌倉の大仏の表記です。大きさや重さの表現が認められます。素直に観光している内容でしょうか。
d5fefa22.jpg
長谷観音。なんだか詳しく書かれています。鎌倉に関しては色々書かれないバックグラウンドがありそうです。
sub2-17-kamakura-syu-u-121.jpg
吉田茂首相と会う。鎌倉観光と関係しているのかもしれませんがその後か前田侯爵の未亡人とその令嬢、吉田茂首相とパーティーで会った様子が描かれます。確か前田侯爵の娘さんは鎌倉の文学館の前に住んでいるんではなかったでしょうか。吉田茂首相の印象が書かれています。その後ネイヴィーデーの三笠教会と海軍基地での祝賀式典が描かれます。
img_1506280_65544459_1.jpg
(写真は吉田茂首相と簗瀬次郎氏です。フリーメイスンだと思われます。)(追記:父親の簗瀬長太郎氏はフリーメイスンのようですが、息子の簗瀬次郎氏はそうではないようです。)
ペリー提督の黒船。同じくネイヴィーデーに久里浜に移動してペリー上陸記念碑に花輪をささげる儀式が描かれます。ペリー上陸の過程も簡潔に述べられています。日米両国旗が交差されている様子や、黒船という歌の歌詞についてそれぞれ恐らく新聞紙の特派員と思われる人物が文句をつけるのをブラザーデッカーが冷静に戦争は終わったのだと対応する様子があります。
kurofune.gif
指輪の贈呈式。ウェーク島で日本軍の捕虜になったブラザーデッカーの同級生の指輪が日本人の家から発見され返還する式典が行われたという話です。どうも話の流れからいくとこれらは同じネイヴィーデ―に久里浜のペリー上陸記念碑の前辺りで行われたようです。恐らく関係者は皆フリーメイスンだと思われます。捕虜となった同級生のカニンガム大佐が上海の捕虜収容所から脱走する際にお世話になった日本人女性がたかろうとしていた話が挙げられます。上海といえばシニムロッジなのでまあ色々あったのでしょうね。その後久里浜ホールというところでダンスと黒船の歌という合唱を鑑賞します。この詩は印象的に書き連ねられていますので転載します。

風雨の暗夜に 黒船は航行する 不気味に動く未知なるもの 灰色の海原を渡り
船倉で働く者の 真っ黒な顔の恐ろしや はたまた、白人の顔 砲を構え 赤衣をまとった険しい何百もの顔、顔、顔
毛深いあごひげに頬は半ば隠れ その目は波を凝視する わが太陽の地を求め 艦長の胸底に秘めたる重い命令に従い
声張り上げてきたる――轟く太鼓の音 奇妙なわめき声 肉と薬草をたくわえて 悠然と彼方へ進み 黒船の波――あちらこちらと揺れる

まあちょっとブラザーデッカー夫妻がこの歌を聞いてどのような感想を抱いたかはわかりませんが、その後の久里浜のペリー祭の式典の様子などを観ても、非常に感慨深く印象的で日本人が客観的に欧米人をどのように見ていたかということが伝わるものであったということが想像されます。
3831--GLCS591BL.jpg094_01.jpg
みんなが来たがる横須賀。ネイヴィーデーの最後は司令長官官邸で東京裁判の首席検察官、次席検察官、コカ・コーラの極東代表、アイケルバーガー陸軍中将夫妻、当時の米国大使のジョージ・アッチンソン(その後飛行機事故で死亡)、フランス大使のペシコフ将軍、陸軍の少将、中将、米領事夫妻などが参加したパーティーで名前が挙げられているのみです。ブラザーペリーとブラザーデッカー、さらにウィリアム・チェース少将が皆ロードアイランド出身であると挙げられています。このことは現在の横須賀ロッジにも引き継がれているようです。恐らくこの会は実質フリーメイスンリーの会合であったのだと思われ、全員がフリーメイスンだと思われます。(ジョージ・アッチンソンの項目についてはなぜか日本語のウィキペディアの項目のみあります。英語では検索しても一切出てきません。現代も続く情報戦の一端でしょうか。)
400903_3119268220322_1463033231_n.jpg
2013-07-31 20:32 | カテゴリ:スコットランド
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
まあ色々と難しい内容が続くかと思いますが、その中ではスコットランドの旅の内容は息抜きになるのかと思います。今回のロスリン礼拝堂なのですが、なぜか私はダヴィンチコードも読んでいなければほとんどロスリン礼拝堂の予備知識も持っておらず、まあエディンバラにせっかく来たしロスリン礼拝堂とセントアンドリュースには近いし行っとかないと、学会といっても英語だけでチンプンカンプンだろうしもったいないから行っとこうという感じであったわけです。
それでまあブログにしないといけないと思って写真だけはたくさん撮ったのですが、いかんせん予備知識がほとんどなくて、ダヴィンチコードの映画で最後のシーンがここだったなという事だけと、その後の何か映像の特集でマスターの柱だとか徒弟の柱だとかそういうのをぼんやりと聞いていただけなので、実際マスターの柱の方は写真を撮り損ねてしまいました。
そういうわけで現在ロスリン礼拝堂で検索して他の方のブログや旅の記録などを見させていただいて、基本的なところを勉強しているわけですが、どうもほとんどの方が熱心なダヴィンチコードファンでその関連の知識をお持ちのようで、どうもそういう流行ものと一線を画すのを常としてきた私としてはなんとも感心するやら自分の欠点を確認したようで反省の一つとなっているようであります。
そういうわけで今更ながらダヴィンチコードの概要をたどるわけですが、どうもその元ネタとなった本がテンプル騎士団関連で手にしたこの本のようです。(追記:元ネタとなったレンヌ・ル・シャトーの謎という本を1980年代に書いた方によるその後を色々整理した本のようです。最新の研究知見をくわえて、フィクションの要素を排除したものかと思われます。詳しいことは分かりませんが、色々フリーメイスンリーの関連の話も流行があるのだと思います。研究などと一緒です。主著のブラザーマイケル・ベイジェントはイングランドグランドロッジの役員を務めていたそうですが、2013年6月13日に65歳で亡くなったそうです。また第二著者のリチャード・リーという方も2007年11月21日に64歳で亡くなられているそうです。下記の本は1989年に出版された本の訳本だそうです。まだ私も一部しか読んでいませんが、テンプル騎士団とフリーメイスンリーをなんとか結びつけようという熱意に満ちたフリーメイスンリーの紹介本です。ダヴィンチコードもそうですがその過程で様々なセンセーショナルなフィクションが多くあり物議を醸していたようです。明治天皇すり替え説や日猶同祖論、フルベッキ写真、熊沢天皇や果てはイスキリの墓など日本でもこう言った話は枚挙に暇がありませんし、それらがベストセラーの出版やセンセーショナルな町おこしと結びつくと話がおかしな方向に行ってしまいます。)

テンプル騎士団とフリーメーソン―アメリカ建国に到る西欧秘儀結社の知られざる系譜テンプル騎士団とフリーメーソン―アメリカ建国に到る西欧秘儀結社の知られざる系譜
(2006/05)
マイケル ベイジェント、リチャード リー 他

商品詳細を見る

テンプル騎士団=フリーメイスンリー起源説はよく言われる近代フリーメイスンリーの数多くあるオカルト的な起源説の一つではありますが、テンプル騎士団の最後の団長のジャック・デモレーはその名前をフリーメイスンリーの青少年育成組織の名前に残しており、何らかの関連はあるのではないかとは考えていましたが、ブラザーナポレオンがマルタ島で儀式に参加してフリーメイスンとなったとか、ロンドンのテンプル教会がセントポール大聖堂のすぐ前にあって、いわゆるフリーメイスンリーのシンボリズムが認められるなどそれぞれぽつりぽつりと知識が増えてくると、何となくそれらがもぞもぞと関連づいてきて、どうもオカルトで言われるようなそういう謎めいた飛躍ではなく当時の中世からルネサンスの時代にかけて生きた人々の考え、思考の中で十字軍やその後のネットワークと宗教改革や石造建築が繋がっていくのではないかと思われるようになってきましたが、上述の本にそれらについて非常に詳しく、イギリス人の目線でテンプル騎士団とフリーメイスンリーとの関連が解説されていました。
ほとんどの日本人にとってはフリーメイスンリーとはどこから始まったかよりも、いったい何をやっているのかというところが興味の対象になるのだと思いますが、イギリスやフランスなどのかつてフリーメイスンリーが数多く革命や政治活動や経済活動に盛んに関わって現在では王室や政府も含めて当たり前の存在になってしまったところでは、興味の対象が宗教や信仰心とも関わって起源がどこにあるのかとか、どの時点でフリーメイスンリーの源流が認められるかというところになっているようです。
ナショナルジオグラフィックの動画もあったと思いますが、テンプル騎士団からフリーメイスンリーへと繋がる流れは、いわゆる石工のギルドや宗教改革の流れの中からの近代フリーメイスンリーの成立という定説とされるようなものよりもはるかにキリスト教徒的にロマンチックで受け入れやすいものであるようです。非キリスト教徒である我々日本人から通常に考えて、宗教的な理想や情熱に駆られて行動してかなり無益な戦いや冒険を行った人々、またはそれらを継承した人々がその後さらにカトリック教会や様々な政治的組織の弾圧を受けて、逃れ逃れて地方の貴族や郷士となって石工組織をまとめてシンボルとなる教会を建てるなどというのはなかなか想像しがたいわけですが、現実に日々キリスト教の様々な宗派や民族、イスラム教やその他の異民族の宗教と接しながら世界の最先端の科学や哲学の世界に接してそれらの伝統をまた保持している社会からすると、そういう宗教的情熱や異端と正統の入れ替わりのような展開は極めて受け入れやすくまたありがちな話であるのかもしれません。まあ少なくとも人の移動が制限されていた中世において聖書に書かれた土地がどのようなものであるのか、神とされるキリストの存在がその地で感じ取れるのかという事は信じる者にとっては重大な問題であったのだと思われますし、それを現地で確認して帰ってきたものが、それを体験してない文字や伝聞の知識だけのものとは、信仰や宗教観そのものも異なることが容易に想像できますし、またそうした体験することで得られた知識や信念はそれ以前の想像して保持していた慣習や生活などとは質の違う確固たるものであったのではないかと思われます。

ナショナルジオグラフィックのテンプル騎士団の最新の動画のようです。
テンプル騎士団が直接的にフリーメイスンリーと繋がったとか、イルミナティのように並列した組織であったとかそういう内容は読んだことがありませんが、少なくとも今回訪れるロスリン礼拝堂のような中世のスコットランド、イングランド、北方ドイツなどのその後の宗教改革で中心となるキリスト教社会の辺縁となる地域では、断絶したテンプル騎士団のような異端派の末裔がシンクレア家のような貴族や郷士との血縁で継続して、カトリック中心の社会とは一線を画し、その後のフリーメイスンリーの教えに継承されるような様々な秘儀や幾何学の継承を行い、その中にはテンプル騎士団の十字軍の遠征で得られた数々の中世ヨーロッパではありえない常識外の知識が数多くあった事はありうるのではないかと思われます。それら知識の継承がそもそもフリーメイスンリーの核であるとすればエジプト社会の宗教から続くユダヤ教、キリスト教、ミトラ教、ゾロアスター教などそういうすべてがフリーメイスンリーの核であると言えるわけで、一つのその表現がこのロスリン礼拝堂における二本の柱のような表現に現れていると考えられるのかもしれませんが、そうした考えが特別なものではなく普遍的なものであると考えれば必ずしもフリーメイスンリーとつなげる必要はないのだと考えられます。いずれにしてもこのロスリン礼拝堂が、恐らく近代フリーメイスンリーの発祥の原点となったいわゆるオペレイティブメイスンリー、石工職人の組織の組合の盛んであったスコットランド、エディンバラの近郊であり、例えばストーンヘンジとウィンザー城の建築を直接結びつけることはナンセンスだとしても、さらに時代の近いロスリン礼拝堂とエディンバラ城の建築を結びつける事はそれほど困難ではなく、そこにテンプル騎士団とフリーメイスンリーとの関連性を見いだすことはそれほど飛躍ではないのだと思われます。ちなみにシンクレアの語源となるセントクレアはアッシジの聖フランチェスコ修道会の修道女で、アッシジの聖フランチェスコといえばタウ十字を象徴とした聖人で、いわゆる清貧や奉仕を旨として現代に繋がる修道会を創設した方でありイエズス会などと同じく規律を旨として今なお全世界で活動する団体であるようです。ダヴィンチコードでも出てきたオブスデイもそういうカトリック系の団体という事で名前が挙がっているのかもしれません。
ちなみにダヴィンチコードはヨーロッパ大陸の特にカトリック全盛の時代のルネッサンスから宗教改革前夜の様々な科学的知識に繋がる異端思想のような様々なオカルトチックな知識をちりばめて、それらを繋げるような示唆を与える展開であったかと思うのですが、その中でも中核となるレオナルド・ダヴィンチが最後の晩餐に込めたメッセージについて、四福音書の解説なども行っていますので私個人の意見というところをそれほど熱心に知識を集めたわけではないのですが、絵画の印象から述べてみようかと思います。私はレオナルド・ダヴィンチがどの程度聖書の知識を持っていたとか、その他聖書時代や考古学の知識を持っていた、科学的知識を持っていたかについて正確なところを持ち合わせていないのですが、ルーヴル美術館などで実物に触れたり、その他の様々な展覧会や昨今のいわゆるダヴィンチブームの中での情報に触れた内容を総合すると、恐らくダヴィンチ自身は旧約聖書を読んではいなかったし、もちろんユダヤ古代誌なども知ってはいなかったが、絵画を制作する上で十分にカトリックの最新の研究の知識を得ていたであろうと考えられ、また同時に解剖学や建築学、数学などの知識を様々な機会で得ることでそれらをまた宗教的表現に反映していたと考えられます。そこで題名のダヴィンチコードとなるわけですが、小説では聖杯聖杯として、キリストの末裔の話にされていたようですが、恐らく私が考える最後の晩餐の絵画のダヴィンチコードはこうではないかと思います。
最後の晩餐
まあ聖アンドリューの磔の話ではないですが、新約聖書の登場人物の様々なシンボリズムや込められた謎、そういうものすべてを恐らく研究した中世のカトリックの僧侶たちが出した結論を絵としたものなのではないでしょうか。∨と∧の結びつきで六芒星となる、ヨハネは女性として描かれているのでしょうし、ヨハネ福音書と繋がるのが女性というのも一つ象徴的なシンボルなのでしょうし、男性と女性の結びつきで六芒星のユダヤの星となるのも一つのシンボリズムの中心の教えとなるのだと思われます。その他やはりダヴィンチは洗礼者ヨハネや聖母子像が有名ですが、これもやはりユダヤ古代誌や当時のユダヤ王国の記録やローマ帝国の記録に丹念に触れることができたカトリックの僧侶たちの要請で一方でキリストのモデルとなったであろう洗礼者ヨハネの姿とカトリックの教えの真髄であるマリア信仰を両立するよう描いたのだと思われます。恐らく洗礼者ヨハネが結婚して子供がいたとしても当時のユダヤ社会の事ですからヨハネとともに処刑されるか無残な処置をされて歴史からは抹消されるのが当然で、そこに神の末裔であるなどとの発想は意味を成さないものかと思われます。ダヴィンチコード自体そういう意味を敷衍した小説であったと理解しています。

さてまあ相変わらずの単なる旅のブログではないフリーメイスンリーのブログな訳ですが、まあこの辺りまではロスト・シンボルの前作の世界的大ヒットとなったダヴィンチ・コードの話からほぼ常識に近いところであるかもしれないのでこの後は実際のロスリン礼拝堂の写真とフリーメイスンリー的視点からの文章としたいのですが、どうも事前に検索した他の方のロスリン礼拝堂見学のブログの方が細かくて内容も豊富であり、明らかにダヴィンチ・コードブームに乗り遅れた私としては拍子抜けで未だに消化不良の感が否めないわけです。それでまあ一部では挙げられていましたが副題にも挙げたとおりロスリン礼拝堂の主要な建築である螺旋の柱と、礼拝堂に行く途中にあるエディンバラ大学のロスリン研究所の世界的に有名なクローン羊のドリーの話と絡めて、DNAの二重らせんと建築の絶妙な一致の話をいわゆるクローン人間など生命科学の倫理の問題としてこのロスリン礼拝堂のブログの回の秘密としたいと思います。と言っても何が秘密というわけではなく、それらが単に絶妙な一致を見せたというだけの話であって、私は専門的には免疫学、医学であり、クローンやiPSなどの再生医学はまた少し分野が異なるわけですが、まあ基本的にはそれらに関しても一応かじっているわけでして、そういうところでまああまりフリーメイスンリーと関係あるかというとなかなか難しいところなのですが、まあ現代ではロスリン礼拝堂はテンプル騎士団のシンボルというよりもクローン羊のドリーの誕生から、DNAの二重らせんのシンボルではないかという想像の飛躍ができるのではないかというところでした。

では写真です。
IMG_5921.jpg
これはロスリン礼拝堂へ行く途中でスコットランド国立銀行があってなぜか撮ったのですね。シンボルが印象的であったのかもしれません。他のブログでもよく書かれていますが、ロスリン礼拝堂へ行くには15番のバスに乗るのですが、地球の歩き方に書いてあるセントアンドリュースクエアのバスステーションからは発車していません。プリンスィズストリートの乗車場で待つしかありませんが、そこで乗っても40分近くかかって、いったいどこが降り場なのか全くわかりません。iPhoneのGPSもあてになりませんので、バスの運転手に教えてもらうか、誰かに聞くのが一番だと思います。とにかく世界的な観光地で後で出ますがあまりに人が来すぎて有名になって観光地化が激しいのでそこに来る人は一種のキリスト教、フリーメイスンリーの巡礼者みたいなもので、近所の人も皆慣れて自然に注目している感じなので、そんなに準備しなくて周りに聞きまくってたどり着くのが一番いいようです。バスの中でエディンバラ近郊の普通の人の暮らしを観るのもまたワシントンD.C.のバスのようで興味深いかと思います。
IMG_5922.jpg
よく見ると看板にROSSLYNと書いてあったりしますが、ほとんど良くわかりません。とにかく主要なT字路です。他がほとんどロータリーになっているところで、唯一ロスリン礼拝堂のバス停留所だけT字路のところです。恐らくタウ十字にかけているのではないかと思いますが、その他にもいわゆるVesica Piscisの形のCrescentと呼ばれる地形がたくさんありますが、T字路のところと覚えておけば間違いありません。ちょうど行った時は閉館となる直前の午後5時近くであったので周囲には地元の人以外は人っ子一人いない状態で、降りたのも私一人でした。基本的に市街を離れると残りはエディンバラ大学の学生くらいしか利用しないバス路線で、通常の昼間に行くと恐らく海外からのロスリン礼拝堂に向かう観光客ばかりなのではないでしょうか。
IMG_5923.jpg
まあいい天気でした。訪問後に一雨降ったりしました。キリスト教の寺院はやはり気を使います。
若干雲の形が文字のようでもあったりしますが、まださすがにそこまでのは見たことありません。
IMG_5924.jpg
エディンバラから離れたところにあるので開館時間の情報は重要です。土日もやっているというところが、それだけ世の中に沢山見せたいというところなのだと思われます。また世界中からやってきて見れない日があったりして色々問題があったせいかもしれません。
IMG_5925.jpg
入場料は大人8ポンドのようです。1200円位でしょうか。まあとにかくびっくりするのがテレビやダヴィンチコードの映画で見たような礼拝堂がポツンとあるようなところではなく、とんでもないスターバックスの繁盛店みたいな立派なチケット売り場とカフェとおみやげ屋を兼ねた現代建築の建物が隣にあるというところでしょうか。後で写真が出ますが、それが一番びっくりします。周りにそんな雰囲気が一切ない所で、これだけの現代建築を観ると正直びっくりします。帰ろうかと思っちゃうくらいです。あとは中に入るとウィンザー城とかバッキンガム宮殿と一緒でいわゆるイギリスの観光地のシステムが同じにあるところでしょうか。おみやげもあきれるほど大量に売っていましたし、結構いい値段なのです。まあ運よく見られた勢いで見学後に5000円くらい購入してしまったわけですが、そういう人が多いのではないでしょうか。ダヴィンチコードバブルが実感できる場所だと思います。
外から見るとどうなんでしょう。セントポール大聖堂やウェストミンスター寺院で慣らされてしまったイギリスの観光客からするとかなり拍子外れなんだと思います。ガーゴイルが象徴的なんですが、さすがに革命を経過したノートルダム寺院とはそのインパクトが異なります。とにかく私の印象としてはまさにドルイド教とキリスト教のミックスであり、日本人にとっては極めて自然な神仏習合や、インドの神や中国の神や日本の神やアイヌの神のミックスした本当によくある日本的な折衷宗教の形だと思います。恐らく純粋なカトリック的キリスト教を当たり前だと思っている欧米人にとっては目新しいのだと思います。フリーメイスンリー的という印象はほぼ無いですね。インドの寺院や東南アジアの寺院、日本の仏像がたくさん並ぶ百羅漢とかそういう印象でしょうか。まあ要は宗教的寛容、キリスト教以外の宗教の認容、表現の利用なのだと思います。
IMG_5926.jpg
まあこのガーゴイルが後にノートルダム寺院に付け加えられたのだと思いますが、まあ色々修復やら後世の付加やらとにかく色々あるでしょうからよくわかりませんが、とにかく雰囲気がいわゆるキリスト教の礼拝堂のシンプルさがなく、ゴテゴテと付け加えられていて、要するにドルイド教の影響なんだと思います。それがテンプル騎士団の末裔であるこの礼拝堂の建築を支援したシンクレア家の方針なのか何なのかよくわかりませんが、宗教改革の過程を観ても、そもそもキリスト教が伝道した過程を観ても、まあそもそもそういうドルイド教のようなものが元からあって、それはそもそも土地柄石造建築とも関係していて、それがそもそもそういう形で発露したというのが正直なところなのだと思います。結果としてフリーメイスンリーという組織化されたり目に見える形で成立した時にあああれはそういうモノの原型であったのだねと注目される結果となったのだという事だと思います。
IMG_5933.png
恐らく石の材質やら加工の仕方とか技術的な面で色々あるのだと思いますが、浸食しているのだと思います。だから一見して素晴らしい建築だという感じよりもとにかくなんだかはっきりとしっかりと彫刻してあるというよりもとにかくできるだけ限られた資源と面積の中でやたらと削りたいだけ削っているという感じでしょうか。それがキリスト教的情熱という感じよりもいわゆるドルイド教的土着宗教の表現の自由という印象で作り上げられているという印象でしょうか。まあそれだけいわゆるスコットランドの宗教改革やフリーメイスンリーの成立の過程にはそういう土着宗教から起因する自然観、自然崇拝の背景が強くあるという事なのではないでしょうか。とにかく私は日本の神仏習合と非常によく似た印象を持ち、理屈抜きでああこれはこっちでは珍しいのだろうけど、日本だとお恥ずかしながら当たり前なんだなというまあいわゆる東と西の違いを感じました。
IMG_5936.png
だから日本の地元の神社や寺の立派な鬼瓦とガーゴイルは完全に一致なんですね。まあそりゃそうだって事になってしまうわけです。
IMG_5939.png
これは何でしょうね。印象的に撮ろうとしたのでしょうか。太陽信仰と十字を重ねたのでしょうかね。
まあ逆光にこだわった写真の一環と思われます。まあこれだけ立派な建物は日本の神社や寺には無いですが、敷地や地域の規模から言うと走水神社や横須賀の諏訪神社と変わらないと思います。まあそれを世界的観光地に変えてしまうのですからフリーメイスンリーの謎は魅力的な訳です。
IMG_5944.png
謎の改修を続けていますが、どのような改修、補修かは見当もつきません。少なくとも隣の建物は立派でした。
IMG_5963.png
まあノートルダム寺院のガーゴイルよりもここのガーゴイルの方が結局信仰がこもっているのでしょうね。理性的な反キリストなのではないのだと思います。最も印象的な最もかわいい感じのいわゆるまあ何度も繰り返しになりますが日本の神仏習合のああいうやつです。愛嬌のある布袋様とかマリアと観音がくっついた申し訳なさそうなそれでいて堂々としたそういうやつです。かわいければいい、造型として製作者が満足できればいい、そういう日本の最近のゆるキャラにも近いものがあるのかもしれません。
IMG_5964.png
まあダヴィンチコードブームがないとあんま見に来ないでしょうね。
IMG_5966.png
インドとかだと似たような寺院とか沢山ありそうです。日本だとやはり木造になってしまうかと思います。
IMG_5968.png
これはその立派な施設の出口のところでしょうかね。とにかくその立派な施設の方が目立ちます。
IMG_5970.png
まあとにかく一生懸命撮影するのですがポイントがぼやけるのですね。大谷石みたいな素材なんでしょうか。いわゆる大理石のカチッとした彫刻とは異なります。
IMG_5972.png
まあ要するに費用がそれほど高くないのだと思います。基本的にはそういう独立貴族がキリスト教のカトリックとは異なる独自のドルイド教を混ぜたような解釈のほぼ異端の教会を建築できた環境風土がその後のフリーメイスンリーの宗教とは異なる科学や理性の崇拝に繋がっていくのだと思われます。
IMG_5974.png
これだけ見るとインドの寺みたいですね。
IMG_5976.png
まあ結果としてフリーメイスンリーは世界的に広がり、これだけ世界から人を呼び寄せる力を持ったわけで、そういう土着の異端とされるような文化を保護するために少し利用しようというのがロスリン礼拝堂の謎であったのだと思われます。

とそんなこと言っては身も蓋もないわけで、この後もロスリン礼拝堂の秘密を探ります。やはり3つに構成する予定です。