FREEMASONRY
Blue Lodge, Scottish Rite & York Rite in Japan
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さてさてブログ管理画面にアクセスできなくなり、少しそれ以前の内容があまり良くなかったかなとこのブログには珍しく反省したりなんかしているところですが、まあ修正する事はなくそのまま経過するところがまたフリーメイスンリーのブログといったところでしょうか。
どうもこのロスリン礼拝堂が実務的メイスンリーから思索的メイスンリーへと移行するきっかけとなった中心であった実際に残る礼拝堂であることは確かであるようで、それらの庇護者がテンプル騎士団の系譜を受け継ぐシンクレア家であったこともまた確実なものであるようです。私自身はあまり予備知識を持たず感傷も入らずにこのロスリン礼拝堂を幸運にも見学してしまって、結局キリスト教とドルイド教の融合した表現であるのだなと考えてしまっていましたが、どうもやはり予感はあった通りフリーメイスンリーの起源とされるスコットランドでの最重要なフリーメイスンリーの施設であるようで、この見学後に驟雨に見舞われたりしたのですが、キリスト教から確実にフリーメイスンリーへと進化を遂げたその歴史的な場がまさにこのロスリン礼拝堂であり、それを伝えるような気候の変化であったようです。
どうしてまたダヴィンチコードの元ネタとなるレンヌシャトーの謎の作者がまた私が訪問した後の2013年6月に突然亡くなられたのかよく分からないのですが、まあ想像したところではダヴィンチコードで原作も売れすぎて色々と何か問題が生じたのではないかと思われます。少なくともその種本とされる前回挙げた訳本については内容は一部を斜め読みしただけですがテンプル騎士団とフリーメイスンリーをこのロスリン礼拝堂をポイントとして接続するものであり、それはシンクレア家に保存されていた文書が消失してしまったという謎に包まれてはいますが、いわゆる自由な石工というその名の通り自由な表現がシンクレア家の保護の元の礼拝堂全体の壁面を覆っており、まさに自由な実務的な石工という意味で実務的メイスンリーと思索的メイスンリーを繋ぐ点であるかと思われます。
まあロスリン礼拝堂は観光地化していますが、そこではフリーメイスンリーに関わるお土産もたくさん売っていて、見学してお土産を買ってくれば少なくとも儀式を通過したりロッジに所属したりしたという意味とは異なりますが、いわゆるフリーメイスンリーのシンボルを示す物を携える人、いわゆるフリーメイスンと人からは思われる人になりうると思います。そのお土産屋さんはなんとインターネットの通販でも購入可能だそうです。ほとんどシャレとしか思われないフリーメイスンリーのシンボルが入った聖杯の形の木製のグラスなども売っていたりとこのブログを読むような方やダヴィンチコードのファンにとっては購入必須のグッズのようです。公式ホームページはこちらで、ショップはこちらです。フリーメイスンリーのシンボルのキーホルダーやコルク栓はこちらです。フリーメイスンリーのシンボルが入った聖杯の形の木製グラスはこちらです。木製のフリーメイスンリーのシンボルマークの入った箱もあるようです。また特製のウイスキーと以前紹介したテイスティング用のグラスのセットもあるようです。私はキーホルダーのほかに徒弟の柱の模型を買いましたが、これの師匠の柱の模型もあるようです。なかなかグッズコレクターは全部買ってしまうと数万円になってしまうのかもしれません。
どうもこのホームページは彫刻の解説も詳しく載っていますし、歴史も詳しく載っていて、さらにシンクレア家の代々の当主の略歴も載っていました。それによるとどうもシンクレア家の源流はノルウェーにあるそうで、そういうわけでこの間の外国人特派員協会のコンサートでノルウェー人と一緒になったというわけのようです。また第7代目のロスリン男爵はブルースザロバートの心臓をエルサレムに運ぶべく十字軍と一緒にスペインでムーア人と戦い亡くなったそうです。スコットランド人は勇敢であったそうですが、遺体とロバートザブルースの心臓は持ち帰られたそうです。第11代のロスリン男爵が1446年にロスリン礼拝堂を建築しその頃が一番勢力が大きかったようです。第16代のロスリン男爵の項目のところで1630年にフリーメイスンになった許認状が認められるとあります。また1441年からスコットランドのグランドマスターであったとのジェームズ2世の許認可状があったが火事で焼けてしまったと書かれています。なかなか興味深いホームページです。第19代ロスリン男爵が1736年のスコットランドグランドロッジの結成時に非世襲での初代グランドマスターに就任したそうです。その次の代からロスリン伯爵になっています。第2代ロスリン伯爵はやはりスコットランドグランドロッジのグランドマスターを務めています。第4代ロスリン伯爵も第69代スコットランドグランドロッジグランドマスターとなっているそうです。94歳まで生きたそうです。その後の方はかなり波乱万丈であるそうですが、現在は第7代のロスリン伯爵が礼拝堂を管理していて写真も載っています。フリーメイスンであるとの記述はありませんが恐らくフリーメイスンなのでしょう。まあ是非英文を読んでいただき、その英国貴族の血脈の執念というか、その中でのフリーメイスンリーがいかに名誉や栄光と結びついているか、その中でロスリン礼拝堂がその象徴であるかが感じられるとロスリン礼拝堂に興味がわくのではないでしょうか。別にキリストの血脈などはそもそも関係ないようです。セントクレアがサングレア、聖杯と発音が似ているというダジャレではないでしょうか。サンガリアなんてメーカーもあったかと思います。
結局1441年のジェームズ二世の許認可状というのはブラザー片桐三郎の本にもあった実務的メイスンリーの組織に対する許認可状の話であるのだと思います。恐らくロスリン礼拝堂を建築する際にそういうカトリックから離れた形での教会の建築の許可という、イギリス、スコットランドのそもそものカトリックから離れた王権の形を誇示する意味合いのものであったのだと思われます。結局その結果ロスリン礼拝堂のようなドルイド教とキリスト教が融合し、またエルサレム遠征の過程でテンプル騎士団などの知識から得た旧約聖書のヤキンとボアズの柱や二元性の象徴、イスラムからの対称性の建築やアラビア以南の建築の様式の導入があったのかと思われます。要はそれらの伝承があって、イングランドグランドロッジの結成に呼応したスコットランドグランドロッジの結成の際にロスリン男爵のシンクレア家から名誉職としてグランドマスターを迎えたのだと思われます。まさにロスリン礼拝堂はテンプル騎士団の歴史というよりはその傍流の流れをくみますが、本質的にはシンクレア家の象徴として成立し、それがまさにカトリックから独立したスコットランドのキリスト教の歴史を象徴し、そしてテンプル騎士団との接触で得られた旧約聖書の断片の知識から現代のフリーメイスンリーの象徴となっているヤキン、ボアズの柱に一致する徒弟と師匠の柱の様子となるのだと思われます。
まさに自由の石工が自由に表現したのがロスリン礼拝堂だとすると、その象徴である二重らせんからクローン羊のドリーが繋がるとすると、まあ現代の自由の石工は自由にクローンを作っているのだという事になるのでしょうか。まあそれはそれですごいことですが、まあそれが現実なのでしょうね。
1441年の許認可状が焼けて消えてしまったというのはなかなか惜しい話ではありますが、まあ代々これだけの因襲を背負った貴族の家系があるとするとそういうやり方もフリーメイスンリーとしてあるのかもしれません。まあだからそういう貴族の家系はそもそもそういうのをある程度自覚しているわけで、そういうのを掘り起こして改めて世間に広めるという作業も大事なものではなるのでしょうが、ブームや商業的成功に結び付くとその一方でブームとは無縁で代々と営んできた多くの人々を様々に巻き込む形になったりすることで、多くの負の効果を生むこともあって主要な著者の早くての死に繋がったのかもしれません。
いずれにしてもクローンにしても何にしても一族の血脈、そうしたDNAの表現がスコットランドの誉れ高い一族の象徴的な礼拝堂の象徴的な表現として認められ、そしてその礼拝堂の近くの研究所で世界初のDNAを利用した技術であるクローン動物が生み出されたのはやはり美と様式の世界の創造主の差配による必然であったのかもしれません。
まあ上記のような様々な情報や内容や伝聞や一つ一つの建築、彫刻や空間がそれぞれ意味を持って繋がり何事か次の新しい人間の行動、ひらめきといった新しい歴史に繋がっていければこのブログとしては幸いというところではないでしょうか。
ではまあこういう予備知識を持たずに訪問してとにかく目立った彫刻を全部撮ってこようと暗い条件でシャッター音を消して撮影した見づらいPNG画像を御覧下さい。

PNG画像でシャッター音を消すアプリで撮っているので順番がめちゃくちゃになっているのですね。現地で御確認下さい。なんかの解説のようです。先頭でよいのでしょうか。

これもなんでしょうか。シンクレア家の紋章が入っているのでしょうか。ウィキペディアでシンクレア家を検索すると紋章は啓蒙の鶏と同じデザインの鶏のようです。

これはこんな感じという写真でしょうか。植物が描かれていると書いてありますが、日本だとよくある蔦やその他の蔓植物や松の木や植物や動物の絵を天井や桟に配置するというのはよくあるのですが、キリスト教の教会ではあまり一般的ではないのでしょうね。自由に石工が作るとこんな感じになるのではないでしょうか。どうもシンクレア家で検索するとシンクレア家はテンプル騎士団を庇護したと盛んに出てきます。テンプル騎士団とも結びつくのでしょうね。

これはまさかお決まりのフクロウの形とかいうのでしょうか。まあそういう解説は認めませんがそうなのかもしれません。

これはまた別の窓ですかね。同じような形をしていますね。

天井はこんな感じですね。シンクレア家の象徴の薔薇が彫られているとかなんかあったと思います。パイプオルガンもあったりしますが、創建当時からあるのでしょうか。だとすると15世紀からのものという事で相当古いものになるのではないでしょうか。

ステンドグラスも全部撮って来たんですが、基本的にフリーメイスンリーのシンボルや旧約聖書の話のようなものは認められませんでした。いわゆる新約聖書の世界とグリーンマンなどのドルイド教の表現がミックスしただけのもののようにしか認識できませんでしたが、石工がカトリックの制約にとらわれず自由に表現しているのはみてとれました。

パイプオルガンの全景ですが、ウィキペディアによると15世紀には十分教会の楽器として一般的であったようで、創建当時からのものかと思われます。

窓枠の彫刻を撮っているのですが逆光になっていますね。詳細は上述のチャペルのホームページや他のブログを参照してください。

この辺はいわゆるキリスト教の教会っぽさが強い所でしょうか。代々の当主の付け加えや改修によってそれぞれ部分で異なるのかもしれません。

これはいわゆるロバートザブルースの心臓を持つ天使とは異なるようですが、それと似たデザインの天使です。そういうロバートザブルースの心臓に関わる伝承はあるようですが、果たして冷凍保存もない時代に心臓だけミイラにでもしたようにしてエルサレムに運ぶような事を中世にしてしかも失敗して途中で帰るなどという事があってそれを教会に刻むでしょうか。どうもこの写真がいわゆる天使が単にハートを持っているデザインであるという事を考えるとそういう意味は考え過ぎのような気がします。まさに自由な石工による現代のゆるキャラのような刻みたいデザインなのではないでしょうか。

これは天使がたすき掛けでもしているようです。下の方には古代メソポタミアのフクロウの彫像のようなやはりフクロウが三羽いるのでしょうか。どうもやはり自由な石工が自分の彫りたいデザインをキリスト教の教訓めいたバックグラウンドに拘らないで好きに彫っているという印象がぬぐえません。

これも天使が何かやっているようですが、解説はありません。彫像の解説によれば外には農婦が狐に咬まれたアヒルが助けられている像があるそうで、全く聖書と関係ない単なる当時の礼拝堂の周囲の生活模様を描いていると解説されており、どうも何でもキリスト教やテンプル騎士団と結びつけるのは無理があり、そういう素養は低い当時の自由な特権を与えられた石工が自らの鑿の赴くままにその地域の様々な伝承や文化を表現したというものなのではないでしょうか。

こちらも逆光で見づらいですが、マリアか天使なのでしょうか。

こちらも天使でしょうかね。一見して旧約聖書の関連した話はほとんどなく聖書の知識は伝聞であると見てとれる表現内容かと思われます。

これなんかはそれこそ聖杯で何か飲んでいそうですが、単なる印象で言うとドルイド教の僧侶が魔法のエリクサーみたいなのを飲んでいる様子のようです。実際そんな感じで彫っているのではないでしょうか。

これが徒弟の柱のようですが、どう見ても一番目立っていました。どう考えても徒弟の話や師匠の話、ヒラムアビフの話と似た伝承は後付けのようです。聖杯が中に埋まっているなんてのはちょっとどうかという話なのでしょう。ヤキンとボアズの柱の対称性ともあまり関係なく、単に礼拝堂の前方の目立つ部分の柱に美しいと思われる表現の柱を自由に彫ってその右側の螺旋の柱の装飾が非常に美しかったので評判になったというのが事実なのではないでしょうか。師匠の柱、マスターの柱がまっすぐなモノのそうですが、写真を撮る事はしないほど目立たないものであったのだと思います。後で他のブログのものをお借りして示します。

これは石板があるのでいわゆる誤訳である頭に角のあるモーゼでしょうか。ドルイド教の司祭のようでもあります。聖書の内容を面白おかしく表現している風ではないでしょうか。実際約束の地へ行こうとしたとするとその聖書の記述と現実とのギャップにこう言う表現が許されたのかもしれません。

これもやはり天使がハートを抱えている図でしょうか。どうもロバートザブルースの心臓にしてはいくつもあり過ぎるようです。森永製菓のエンゼルマークではないですが、ここの自由な石工はこの天使がハートを抱えている意匠が気に入っていたのではないでしょうか。

これは天使が聖書を抱えているのでしょうか。なんかイメージで特に意味はないようです。

みんな基本的に天使が刻まれているようです。右は穀物を持っているのでしょうか。もちろん聖書にそんなシーンは思い当たりません。周りが農村だからではないでしょうか。

ステンドグラスも何やら剣を持った聖人やら赤子を抱いた聖人やらどうも地元の英雄とか有名人ではないでしょうか。

どう見てもユダヤ教やら古代エジプトの幾何学を伝承した石工の作とは思えません。これだけ天使を刻むのは教会でカトリックの神父の天使に関する説教を厳かに聞きながら実際は農夫の生活を送る、ドルイド教の素地を持ったスコットランドの自由な石工の作という事ではないでしょうか。

上の部分の出っ張った装飾部分の記号的な装飾が音楽を意味すると解釈して音楽を作成してしまっているようです。どうも私が確認しないで買ったロスリンチャペルのお土産のCDはその奇天烈な楽譜から作成された音楽のようです。神妙に聞いてしまっていました。

天使も色々な物を持っていたりして、ステンドグラスの人物も何やら色々な小道具を持っていて、どうもドルイド教のお話を語っているのかもしれません。

天使も微妙に態勢が違いますが、あまり深い意味は付加されていなさそうです。手作り感が満載なんですね。こんな天使の表現は他の教会には無いものかと思われます。画一的であったり均一さが通常のキリスト教教会はあるのですがここにはありません。製作者のガーゴイルと同じく天使への愛着が感じられます。恐らくドルイド教の妖精的なイメージで作られているのではないでしょうか。

これなんかは頭に十字がありますが、ブラザーダン・ブラウンのかつての作品の天使と悪魔ではないですが、天使か悪魔かどっちか判別付かないような造型です。そういう意味なのかもしれません。

グリーンマンという事になっていますが、顔だけある部分をみるとほとんどアンコールワットかアユタヤ遺跡のようで、仏像にしか見えない感じです。

十字架を持った天使なんてなんか明らかにキリスト教っぽいですがどうも不自然な感じです。普通は十字架に架けられたイエスの周囲を天使が飛んでいるというのが一般だと思うのですが、十字架を持っていると日本の森永製菓のエンゼルのような異教徒のイメージするキリスト教という感じでしょうか。

何を持っているんでしょうね。どうも鋤などの農機具のようです。周囲が農村ですから豊かな収穫を願う農機具や小麦を持った天使というのが信仰の対象として適切なのでしょうね。まあ要はその他の植物の表現も極めて集う信者層に応じた適切な表現であったのではないでしょうか。恐らくその後のフリーメイスンリーの象徴に祭り上げられた関係でトウモロコシが認められるとか様々な妄想を膨らましてしまったのではないでしょうか。

これが正面のステンドグラスだと思いますが、普通だと大体十字架のイエスだと思いますが、ここではイエスっぽいですが堂々と手を広げて立っています。しかもその足元には三人も良く分からない感じの人々がかしいづいています。復活したイエスをマリアや弟子が拝んでいる様子ともとられますが、カトリックで通常の信仰の対象になるマリアがすでに拝んでいる図になりますし、イエスが復活後手を広げて宙に浮いている表現になってしまっています。もう大分イメージの世界なんでしょうか。カトリックのいわゆる定型的な表現とは異なるかと思います。

たすきなんでしょうか。良くわかりませんが天使が何か持っている様子が認められます。

天井は星や薔薇、モザイク模様もあったりして、後のフリーメイスンリーのシンボリズムの原型を沢山含んだ形となっています。まさに自由な石工の表現のシンボリズムの原型でしょうか。本当に教訓的な意味は後付けで単なるデザインの面白さで繰り返しているというのが良く分かる図案だと思います。

全体的なデザインはキリスト教というよりもドルイド教的なんですが、石工のデザインの新規性として非常に革新的で独創的なんだと思います。面白い斬新な型破りな表現を宗教の枠組みにとらわれずパトロンの庇護のもと実現したというのがこのロスリン礼拝堂の面白さなのだと思います。

だからその中で言うとマリアの聖母子像のカトリックを象徴するこの像は逆に違和感があります。付け足したのではないかと思われます。

こういう幾何学的な構成部分も面白いです。

こういう装飾をみると果たして左の柱はマスターの柱というほど注目すべき柱なのかというところだと思われます。ただ右側の弟子の柱は弟子が作ったわけではなく、本当に単純に一番綺麗な柱をその一点に持って来たかったという事なのではないでしょうか。対称性になったのは単に造型的なバランスであったのかと思われます。

ロスリン礼拝堂の全体から感じる制作意図はそういう思想や表現、思索的フリーメイスンリーのシンボリズムの概念の表現ではなく、職業としての石工の手が自由に削っていく表現の発露、教会や権力者という表現を制限する思想や権力からの離脱というところなのだと思われます。

こうして見るとイスラム様式やインドの様式に近いように感じられます。

これはまた再びフクロウのような窓です。ドラえもんのようでもありますが、単なる意匠であって恐らくフクロウの形を意図していないように見えます。日本の土偶や豊穣のシンボルである女性の乳房のようでもあります。恐らくこの制作した石工さんの意図を私が解釈するならフクロウではなく後者ではないでしょうか。

ここも良く出てくる部分ですが、グリーンマンでしょうか。豚のようでもあります。上の部分が石板を持つモーゼです。

これがホームページにも出ているロバートザブルースの心臓を持つ天使でしょうか。木箱か何かに心臓を詰めたのでしょうかね。

こちらも何かたすきのようなものを持った天使ですね。トーラーとかだと意味が出るのでしょうが、トーラーを巻き取る天使というのも図案がなかなか珍しいのではないでしょうか。

何でしょう。大刀とかなんでしょうか。トーラーのような感じはしません。装飾のような羽衣のような感じでしょうか。天女のイメージに近いかもしれません。そうなるとアラビアやインドどころではなく中国や日本となってしまいますが本当でしょうか。聞き伝えで新しい表現を入れているのかもしれませんね。

これはもう削れてしまったのか分かりませんが、よくわかりません。あまりに新規すぎて後の表現の制限が入ったのかもしれません。

よろいを被った騎士という事で、シンクレア一族の最初にスコットランドにやって来たウィリアム・シンクレアとされるそうです。まあロスリン礼拝堂建設以前の騎士全てがモデルとなりうるのでしょうね。

聖マタイがロスリン礼拝堂の守護聖人となるようです。新約聖書の福音書からきているのでしょうね。

農夫の様子でしょうか。(飛行士であるシンクレア家の末裔を称えて新しく作られたもののようです。)

両脇の彫刻は逆光で見えません。

やっぱりまた天使ですかね。

天使だけで相当な数いるのではないでしょうか。偽ディオニシウス・アレオパギタという5世紀のシリアの神学者の作による天上位階論というので天使の位階について語られ、それは知識や活動によって人間が神に近づく過程とされ、9つの天使が決められているそうです。それぞれ父と子と聖霊に対応する三つの階級がありさらに階級ごとに3つの段階があり上位から熾天使(セラフ)、智天使(ケルビム)、座天使(トロノス)、主天使(キュリオーテス)、力天使(デュナミス)、能天使(エクスーシス)、権天使(アルコーン)、大天使(アルカンゲロス)、天使(アンゲロス)とあるそうです。ネオプラトニズムの考え方の影響もあり、まさにヨークライトの10階級やスウェーデンライトなどキリスト教系のフリーメイスンリーの上位位階とよく似ています。ケルビムを象徴ととらえるところも似ているかもしれません。そういう部分で後の基本3位階などにも影響を与えたのかもしれません。

これは悪魔でしょうかね。

これはやっぱりトーラーを持っているのでしょうかね。有名な堕天使の表現は写っていませんでした。他のブログや公式ホームページで見てください。まあ直接フリーメイスンリーの後の上位位階に繋がるかどうかは微妙ですが、そういう天使の表現はネオプラトニズムの考え方を反映したものかもしれません。全体として見て後のフリーメイスンリーの考え方の基本になったものがこの礼拝堂の彫刻や建築に反映されている事は間違いないようです。こういうドルイド教の土着宗教のバックグラウンドと十字軍運動からの経験、カトリックから遠いという自由独立の環境と石材が豊富で石工の仕事が様々に存在した環境などがその後の聖書の普及とルターやカルバンやジョン・ノックスによる精緻な聖書の解釈の普及による宗教改革によって、思索的メイスンリーが確立していくものかと思います。明らかにロスリン礼拝堂はそういう実務的メイスンリーが思索的メイスンリーへ移行していく全く初期の段階を反映した礼拝堂という事でカトリックから独立した勢力を形成した始まりとして間違いないかと思います。ぜひブログの内容やロスリン礼拝堂の公式ホームページの解説などに満足していただけましたらグッズなど購入したり寄付を行ってみてください。
次回その3で弟子の柱の螺旋とその他地下の小部屋などです。
どうもこのロスリン礼拝堂が実務的メイスンリーから思索的メイスンリーへと移行するきっかけとなった中心であった実際に残る礼拝堂であることは確かであるようで、それらの庇護者がテンプル騎士団の系譜を受け継ぐシンクレア家であったこともまた確実なものであるようです。私自身はあまり予備知識を持たず感傷も入らずにこのロスリン礼拝堂を幸運にも見学してしまって、結局キリスト教とドルイド教の融合した表現であるのだなと考えてしまっていましたが、どうもやはり予感はあった通りフリーメイスンリーの起源とされるスコットランドでの最重要なフリーメイスンリーの施設であるようで、この見学後に驟雨に見舞われたりしたのですが、キリスト教から確実にフリーメイスンリーへと進化を遂げたその歴史的な場がまさにこのロスリン礼拝堂であり、それを伝えるような気候の変化であったようです。
どうしてまたダヴィンチコードの元ネタとなるレンヌシャトーの謎の作者がまた私が訪問した後の2013年6月に突然亡くなられたのかよく分からないのですが、まあ想像したところではダヴィンチコードで原作も売れすぎて色々と何か問題が生じたのではないかと思われます。少なくともその種本とされる前回挙げた訳本については内容は一部を斜め読みしただけですがテンプル騎士団とフリーメイスンリーをこのロスリン礼拝堂をポイントとして接続するものであり、それはシンクレア家に保存されていた文書が消失してしまったという謎に包まれてはいますが、いわゆる自由な石工というその名の通り自由な表現がシンクレア家の保護の元の礼拝堂全体の壁面を覆っており、まさに自由な実務的な石工という意味で実務的メイスンリーと思索的メイスンリーを繋ぐ点であるかと思われます。
まあロスリン礼拝堂は観光地化していますが、そこではフリーメイスンリーに関わるお土産もたくさん売っていて、見学してお土産を買ってくれば少なくとも儀式を通過したりロッジに所属したりしたという意味とは異なりますが、いわゆるフリーメイスンリーのシンボルを示す物を携える人、いわゆるフリーメイスンと人からは思われる人になりうると思います。そのお土産屋さんはなんとインターネットの通販でも購入可能だそうです。ほとんどシャレとしか思われないフリーメイスンリーのシンボルが入った聖杯の形の木製のグラスなども売っていたりとこのブログを読むような方やダヴィンチコードのファンにとっては購入必須のグッズのようです。公式ホームページはこちらで、ショップはこちらです。フリーメイスンリーのシンボルのキーホルダーやコルク栓はこちらです。フリーメイスンリーのシンボルが入った聖杯の形の木製グラスはこちらです。木製のフリーメイスンリーのシンボルマークの入った箱もあるようです。また特製のウイスキーと以前紹介したテイスティング用のグラスのセットもあるようです。私はキーホルダーのほかに徒弟の柱の模型を買いましたが、これの師匠の柱の模型もあるようです。なかなかグッズコレクターは全部買ってしまうと数万円になってしまうのかもしれません。
どうもこのホームページは彫刻の解説も詳しく載っていますし、歴史も詳しく載っていて、さらにシンクレア家の代々の当主の略歴も載っていました。それによるとどうもシンクレア家の源流はノルウェーにあるそうで、そういうわけでこの間の外国人特派員協会のコンサートでノルウェー人と一緒になったというわけのようです。また第7代目のロスリン男爵はブルースザロバートの心臓をエルサレムに運ぶべく十字軍と一緒にスペインでムーア人と戦い亡くなったそうです。スコットランド人は勇敢であったそうですが、遺体とロバートザブルースの心臓は持ち帰られたそうです。第11代のロスリン男爵が1446年にロスリン礼拝堂を建築しその頃が一番勢力が大きかったようです。第16代のロスリン男爵の項目のところで1630年にフリーメイスンになった許認状が認められるとあります。また1441年からスコットランドのグランドマスターであったとのジェームズ2世の許認可状があったが火事で焼けてしまったと書かれています。なかなか興味深いホームページです。第19代ロスリン男爵が1736年のスコットランドグランドロッジの結成時に非世襲での初代グランドマスターに就任したそうです。その次の代からロスリン伯爵になっています。第2代ロスリン伯爵はやはりスコットランドグランドロッジのグランドマスターを務めています。第4代ロスリン伯爵も第69代スコットランドグランドロッジグランドマスターとなっているそうです。94歳まで生きたそうです。その後の方はかなり波乱万丈であるそうですが、現在は第7代のロスリン伯爵が礼拝堂を管理していて写真も載っています。フリーメイスンであるとの記述はありませんが恐らくフリーメイスンなのでしょう。まあ是非英文を読んでいただき、その英国貴族の血脈の執念というか、その中でのフリーメイスンリーがいかに名誉や栄光と結びついているか、その中でロスリン礼拝堂がその象徴であるかが感じられるとロスリン礼拝堂に興味がわくのではないでしょうか。別にキリストの血脈などはそもそも関係ないようです。セントクレアがサングレア、聖杯と発音が似ているというダジャレではないでしょうか。サンガリアなんてメーカーもあったかと思います。
結局1441年のジェームズ二世の許認可状というのはブラザー片桐三郎の本にもあった実務的メイスンリーの組織に対する許認可状の話であるのだと思います。恐らくロスリン礼拝堂を建築する際にそういうカトリックから離れた形での教会の建築の許可という、イギリス、スコットランドのそもそものカトリックから離れた王権の形を誇示する意味合いのものであったのだと思われます。結局その結果ロスリン礼拝堂のようなドルイド教とキリスト教が融合し、またエルサレム遠征の過程でテンプル騎士団などの知識から得た旧約聖書のヤキンとボアズの柱や二元性の象徴、イスラムからの対称性の建築やアラビア以南の建築の様式の導入があったのかと思われます。要はそれらの伝承があって、イングランドグランドロッジの結成に呼応したスコットランドグランドロッジの結成の際にロスリン男爵のシンクレア家から名誉職としてグランドマスターを迎えたのだと思われます。まさにロスリン礼拝堂はテンプル騎士団の歴史というよりはその傍流の流れをくみますが、本質的にはシンクレア家の象徴として成立し、それがまさにカトリックから独立したスコットランドのキリスト教の歴史を象徴し、そしてテンプル騎士団との接触で得られた旧約聖書の断片の知識から現代のフリーメイスンリーの象徴となっているヤキン、ボアズの柱に一致する徒弟と師匠の柱の様子となるのだと思われます。
まさに自由の石工が自由に表現したのがロスリン礼拝堂だとすると、その象徴である二重らせんからクローン羊のドリーが繋がるとすると、まあ現代の自由の石工は自由にクローンを作っているのだという事になるのでしょうか。まあそれはそれですごいことですが、まあそれが現実なのでしょうね。
1441年の許認可状が焼けて消えてしまったというのはなかなか惜しい話ではありますが、まあ代々これだけの因襲を背負った貴族の家系があるとするとそういうやり方もフリーメイスンリーとしてあるのかもしれません。まあだからそういう貴族の家系はそもそもそういうのをある程度自覚しているわけで、そういうのを掘り起こして改めて世間に広めるという作業も大事なものではなるのでしょうが、ブームや商業的成功に結び付くとその一方でブームとは無縁で代々と営んできた多くの人々を様々に巻き込む形になったりすることで、多くの負の効果を生むこともあって主要な著者の早くての死に繋がったのかもしれません。
いずれにしてもクローンにしても何にしても一族の血脈、そうしたDNAの表現がスコットランドの誉れ高い一族の象徴的な礼拝堂の象徴的な表現として認められ、そしてその礼拝堂の近くの研究所で世界初のDNAを利用した技術であるクローン動物が生み出されたのはやはり美と様式の世界の創造主の差配による必然であったのかもしれません。
まあ上記のような様々な情報や内容や伝聞や一つ一つの建築、彫刻や空間がそれぞれ意味を持って繋がり何事か次の新しい人間の行動、ひらめきといった新しい歴史に繋がっていければこのブログとしては幸いというところではないでしょうか。
ではまあこういう予備知識を持たずに訪問してとにかく目立った彫刻を全部撮ってこようと暗い条件でシャッター音を消して撮影した見づらいPNG画像を御覧下さい。

PNG画像でシャッター音を消すアプリで撮っているので順番がめちゃくちゃになっているのですね。現地で御確認下さい。なんかの解説のようです。先頭でよいのでしょうか。

これもなんでしょうか。シンクレア家の紋章が入っているのでしょうか。ウィキペディアでシンクレア家を検索すると紋章は啓蒙の鶏と同じデザインの鶏のようです。

これはこんな感じという写真でしょうか。植物が描かれていると書いてありますが、日本だとよくある蔦やその他の蔓植物や松の木や植物や動物の絵を天井や桟に配置するというのはよくあるのですが、キリスト教の教会ではあまり一般的ではないのでしょうね。自由に石工が作るとこんな感じになるのではないでしょうか。どうもシンクレア家で検索するとシンクレア家はテンプル騎士団を庇護したと盛んに出てきます。テンプル騎士団とも結びつくのでしょうね。

これはまさかお決まりのフクロウの形とかいうのでしょうか。まあそういう解説は認めませんがそうなのかもしれません。

これはまた別の窓ですかね。同じような形をしていますね。

天井はこんな感じですね。シンクレア家の象徴の薔薇が彫られているとかなんかあったと思います。パイプオルガンもあったりしますが、創建当時からあるのでしょうか。だとすると15世紀からのものという事で相当古いものになるのではないでしょうか。

ステンドグラスも全部撮って来たんですが、基本的にフリーメイスンリーのシンボルや旧約聖書の話のようなものは認められませんでした。いわゆる新約聖書の世界とグリーンマンなどのドルイド教の表現がミックスしただけのもののようにしか認識できませんでしたが、石工がカトリックの制約にとらわれず自由に表現しているのはみてとれました。

パイプオルガンの全景ですが、ウィキペディアによると15世紀には十分教会の楽器として一般的であったようで、創建当時からのものかと思われます。

窓枠の彫刻を撮っているのですが逆光になっていますね。詳細は上述のチャペルのホームページや他のブログを参照してください。

この辺はいわゆるキリスト教の教会っぽさが強い所でしょうか。代々の当主の付け加えや改修によってそれぞれ部分で異なるのかもしれません。

これはいわゆるロバートザブルースの心臓を持つ天使とは異なるようですが、それと似たデザインの天使です。そういうロバートザブルースの心臓に関わる伝承はあるようですが、果たして冷凍保存もない時代に心臓だけミイラにでもしたようにしてエルサレムに運ぶような事を中世にしてしかも失敗して途中で帰るなどという事があってそれを教会に刻むでしょうか。どうもこの写真がいわゆる天使が単にハートを持っているデザインであるという事を考えるとそういう意味は考え過ぎのような気がします。まさに自由な石工による現代のゆるキャラのような刻みたいデザインなのではないでしょうか。

これは天使がたすき掛けでもしているようです。下の方には古代メソポタミアのフクロウの彫像のようなやはりフクロウが三羽いるのでしょうか。どうもやはり自由な石工が自分の彫りたいデザインをキリスト教の教訓めいたバックグラウンドに拘らないで好きに彫っているという印象がぬぐえません。

これも天使が何かやっているようですが、解説はありません。彫像の解説によれば外には農婦が狐に咬まれたアヒルが助けられている像があるそうで、全く聖書と関係ない単なる当時の礼拝堂の周囲の生活模様を描いていると解説されており、どうも何でもキリスト教やテンプル騎士団と結びつけるのは無理があり、そういう素養は低い当時の自由な特権を与えられた石工が自らの鑿の赴くままにその地域の様々な伝承や文化を表現したというものなのではないでしょうか。

こちらも逆光で見づらいですが、マリアか天使なのでしょうか。

こちらも天使でしょうかね。一見して旧約聖書の関連した話はほとんどなく聖書の知識は伝聞であると見てとれる表現内容かと思われます。

これなんかはそれこそ聖杯で何か飲んでいそうですが、単なる印象で言うとドルイド教の僧侶が魔法のエリクサーみたいなのを飲んでいる様子のようです。実際そんな感じで彫っているのではないでしょうか。

これが徒弟の柱のようですが、どう見ても一番目立っていました。どう考えても徒弟の話や師匠の話、ヒラムアビフの話と似た伝承は後付けのようです。聖杯が中に埋まっているなんてのはちょっとどうかという話なのでしょう。ヤキンとボアズの柱の対称性ともあまり関係なく、単に礼拝堂の前方の目立つ部分の柱に美しいと思われる表現の柱を自由に彫ってその右側の螺旋の柱の装飾が非常に美しかったので評判になったというのが事実なのではないでしょうか。師匠の柱、マスターの柱がまっすぐなモノのそうですが、写真を撮る事はしないほど目立たないものであったのだと思います。後で他のブログのものをお借りして示します。

これは石板があるのでいわゆる誤訳である頭に角のあるモーゼでしょうか。ドルイド教の司祭のようでもあります。聖書の内容を面白おかしく表現している風ではないでしょうか。実際約束の地へ行こうとしたとするとその聖書の記述と現実とのギャップにこう言う表現が許されたのかもしれません。

これもやはり天使がハートを抱えている図でしょうか。どうもロバートザブルースの心臓にしてはいくつもあり過ぎるようです。森永製菓のエンゼルマークではないですが、ここの自由な石工はこの天使がハートを抱えている意匠が気に入っていたのではないでしょうか。

これは天使が聖書を抱えているのでしょうか。なんかイメージで特に意味はないようです。

みんな基本的に天使が刻まれているようです。右は穀物を持っているのでしょうか。もちろん聖書にそんなシーンは思い当たりません。周りが農村だからではないでしょうか。

ステンドグラスも何やら剣を持った聖人やら赤子を抱いた聖人やらどうも地元の英雄とか有名人ではないでしょうか。

どう見てもユダヤ教やら古代エジプトの幾何学を伝承した石工の作とは思えません。これだけ天使を刻むのは教会でカトリックの神父の天使に関する説教を厳かに聞きながら実際は農夫の生活を送る、ドルイド教の素地を持ったスコットランドの自由な石工の作という事ではないでしょうか。

上の部分の出っ張った装飾部分の記号的な装飾が音楽を意味すると解釈して音楽を作成してしまっているようです。どうも私が確認しないで買ったロスリンチャペルのお土産のCDはその奇天烈な楽譜から作成された音楽のようです。神妙に聞いてしまっていました。

天使も色々な物を持っていたりして、ステンドグラスの人物も何やら色々な小道具を持っていて、どうもドルイド教のお話を語っているのかもしれません。

天使も微妙に態勢が違いますが、あまり深い意味は付加されていなさそうです。手作り感が満載なんですね。こんな天使の表現は他の教会には無いものかと思われます。画一的であったり均一さが通常のキリスト教教会はあるのですがここにはありません。製作者のガーゴイルと同じく天使への愛着が感じられます。恐らくドルイド教の妖精的なイメージで作られているのではないでしょうか。

これなんかは頭に十字がありますが、ブラザーダン・ブラウンのかつての作品の天使と悪魔ではないですが、天使か悪魔かどっちか判別付かないような造型です。そういう意味なのかもしれません。

グリーンマンという事になっていますが、顔だけある部分をみるとほとんどアンコールワットかアユタヤ遺跡のようで、仏像にしか見えない感じです。

十字架を持った天使なんてなんか明らかにキリスト教っぽいですがどうも不自然な感じです。普通は十字架に架けられたイエスの周囲を天使が飛んでいるというのが一般だと思うのですが、十字架を持っていると日本の森永製菓のエンゼルのような異教徒のイメージするキリスト教という感じでしょうか。

何を持っているんでしょうね。どうも鋤などの農機具のようです。周囲が農村ですから豊かな収穫を願う農機具や小麦を持った天使というのが信仰の対象として適切なのでしょうね。まあ要はその他の植物の表現も極めて集う信者層に応じた適切な表現であったのではないでしょうか。恐らくその後のフリーメイスンリーの象徴に祭り上げられた関係でトウモロコシが認められるとか様々な妄想を膨らましてしまったのではないでしょうか。

これが正面のステンドグラスだと思いますが、普通だと大体十字架のイエスだと思いますが、ここではイエスっぽいですが堂々と手を広げて立っています。しかもその足元には三人も良く分からない感じの人々がかしいづいています。復活したイエスをマリアや弟子が拝んでいる様子ともとられますが、カトリックで通常の信仰の対象になるマリアがすでに拝んでいる図になりますし、イエスが復活後手を広げて宙に浮いている表現になってしまっています。もう大分イメージの世界なんでしょうか。カトリックのいわゆる定型的な表現とは異なるかと思います。

たすきなんでしょうか。良くわかりませんが天使が何か持っている様子が認められます。

天井は星や薔薇、モザイク模様もあったりして、後のフリーメイスンリーのシンボリズムの原型を沢山含んだ形となっています。まさに自由な石工の表現のシンボリズムの原型でしょうか。本当に教訓的な意味は後付けで単なるデザインの面白さで繰り返しているというのが良く分かる図案だと思います。

全体的なデザインはキリスト教というよりもドルイド教的なんですが、石工のデザインの新規性として非常に革新的で独創的なんだと思います。面白い斬新な型破りな表現を宗教の枠組みにとらわれずパトロンの庇護のもと実現したというのがこのロスリン礼拝堂の面白さなのだと思います。

だからその中で言うとマリアの聖母子像のカトリックを象徴するこの像は逆に違和感があります。付け足したのではないかと思われます。

こういう幾何学的な構成部分も面白いです。

こういう装飾をみると果たして左の柱はマスターの柱というほど注目すべき柱なのかというところだと思われます。ただ右側の弟子の柱は弟子が作ったわけではなく、本当に単純に一番綺麗な柱をその一点に持って来たかったという事なのではないでしょうか。対称性になったのは単に造型的なバランスであったのかと思われます。

ロスリン礼拝堂の全体から感じる制作意図はそういう思想や表現、思索的フリーメイスンリーのシンボリズムの概念の表現ではなく、職業としての石工の手が自由に削っていく表現の発露、教会や権力者という表現を制限する思想や権力からの離脱というところなのだと思われます。

こうして見るとイスラム様式やインドの様式に近いように感じられます。

これはまた再びフクロウのような窓です。ドラえもんのようでもありますが、単なる意匠であって恐らくフクロウの形を意図していないように見えます。日本の土偶や豊穣のシンボルである女性の乳房のようでもあります。恐らくこの制作した石工さんの意図を私が解釈するならフクロウではなく後者ではないでしょうか。

ここも良く出てくる部分ですが、グリーンマンでしょうか。豚のようでもあります。上の部分が石板を持つモーゼです。

これがホームページにも出ているロバートザブルースの心臓を持つ天使でしょうか。木箱か何かに心臓を詰めたのでしょうかね。

こちらも何かたすきのようなものを持った天使ですね。トーラーとかだと意味が出るのでしょうが、トーラーを巻き取る天使というのも図案がなかなか珍しいのではないでしょうか。

何でしょう。大刀とかなんでしょうか。トーラーのような感じはしません。装飾のような羽衣のような感じでしょうか。天女のイメージに近いかもしれません。そうなるとアラビアやインドどころではなく中国や日本となってしまいますが本当でしょうか。聞き伝えで新しい表現を入れているのかもしれませんね。

これはもう削れてしまったのか分かりませんが、よくわかりません。あまりに新規すぎて後の表現の制限が入ったのかもしれません。

よろいを被った騎士という事で、シンクレア一族の最初にスコットランドにやって来たウィリアム・シンクレアとされるそうです。まあロスリン礼拝堂建設以前の騎士全てがモデルとなりうるのでしょうね。

聖マタイがロスリン礼拝堂の守護聖人となるようです。新約聖書の福音書からきているのでしょうね。

農夫の様子でしょうか。(飛行士であるシンクレア家の末裔を称えて新しく作られたもののようです。)

両脇の彫刻は逆光で見えません。

やっぱりまた天使ですかね。

天使だけで相当な数いるのではないでしょうか。偽ディオニシウス・アレオパギタという5世紀のシリアの神学者の作による天上位階論というので天使の位階について語られ、それは知識や活動によって人間が神に近づく過程とされ、9つの天使が決められているそうです。それぞれ父と子と聖霊に対応する三つの階級がありさらに階級ごとに3つの段階があり上位から熾天使(セラフ)、智天使(ケルビム)、座天使(トロノス)、主天使(キュリオーテス)、力天使(デュナミス)、能天使(エクスーシス)、権天使(アルコーン)、大天使(アルカンゲロス)、天使(アンゲロス)とあるそうです。ネオプラトニズムの考え方の影響もあり、まさにヨークライトの10階級やスウェーデンライトなどキリスト教系のフリーメイスンリーの上位位階とよく似ています。ケルビムを象徴ととらえるところも似ているかもしれません。そういう部分で後の基本3位階などにも影響を与えたのかもしれません。

これは悪魔でしょうかね。

これはやっぱりトーラーを持っているのでしょうかね。有名な堕天使の表現は写っていませんでした。他のブログや公式ホームページで見てください。まあ直接フリーメイスンリーの後の上位位階に繋がるかどうかは微妙ですが、そういう天使の表現はネオプラトニズムの考え方を反映したものかもしれません。全体として見て後のフリーメイスンリーの考え方の基本になったものがこの礼拝堂の彫刻や建築に反映されている事は間違いないようです。こういうドルイド教の土着宗教のバックグラウンドと十字軍運動からの経験、カトリックから遠いという自由独立の環境と石材が豊富で石工の仕事が様々に存在した環境などがその後の聖書の普及とルターやカルバンやジョン・ノックスによる精緻な聖書の解釈の普及による宗教改革によって、思索的メイスンリーが確立していくものかと思います。明らかにロスリン礼拝堂はそういう実務的メイスンリーが思索的メイスンリーへ移行していく全く初期の段階を反映した礼拝堂という事でカトリックから独立した勢力を形成した始まりとして間違いないかと思います。ぜひブログの内容やロスリン礼拝堂の公式ホームページの解説などに満足していただけましたらグッズなど購入したり寄付を行ってみてください。
次回その3で弟子の柱の螺旋とその他地下の小部屋などです。
相変わらずのベースの開放で横須賀全体の祭りの後の脱力感を味わっているところで相変わらずのアメリカの州章シリーズです。黒人女性歌手の国家独唱や基地司令官の交代など様々なオバマ政権の特色が出てきた感じの二期目の黒人大統領時代ですが、このウェストバージニアも南北戦争で奴隷制維持のバージニア州から分離した相変わらずの南北戦争での境界線となった東部の州です。

独立十三州はこの州章シリーズでも最初だと思いますが、一応分離したので異なるという事になるようです。日本語版ウィキペディアを全体としてみてどうもこれまでの州の中では書き込みが少ないようで、炭鉱があったようですが、人口は200万人に満たないほどで、州章でも自然の植物の象徴が多く認められますが、アパラチア山脈の真上にあり、アパラチア音楽というスコットランド、アイルランド系の音楽があるなどどうも自然が多い良いところのようです。戦艦や原子力潜水艦の名前で使用されており、独立十三州のプラスアルファの州として良いポジションであるようです。
フリーメイスンリーのグランドロッジは3つであるようですが、フリーメイスンの数は何と25000人もいるそうで、なんと75人に一人がフリーメイスンというこれまでの中でも割合的には最も多い値となるようです。単純に工業や産業が盛んなこととフリーメイスンリーが盛んである事、グランドロッジの数が多いという事ともあまり関係性がないという事を端的に示す事かもしれません。ウェストバージニアのグランドロッジのホームページはこちらです。
やはり州議事堂が連邦議会とよく似たドームの形であるようです。

出身者の有名人としては、中国に関する小説でノーベル文学賞を受賞した女性のパール・バックやカーター大統領の時代に国務長官であった政治家のサイラス・ヴァンスがいるそうです。パール・バックは 1892年6月26日-1973年3月6日で、父親が長老派教会の宣教師であったそうです。またサイラス・ヴァンスはカーター大統領のイラン大使館人質事件での人質救出作戦に反対して辞任したそうですが、1917年3月27日生まれの2002年1月12日亡くなっていて、イェール大学の学生友愛会のスクロール・アンド・キーのメンバーであったそうです。さらに三極委員会のメンバーでもあったそうです。三極委員会なんてのも懐かしい響きではないでしょうか。
またウェストバージニア州の上院議員はニューヨーク出身のジョン・ロックフェラー4世だそうです。ジョン・ロックフェラー4世は日本にも3年ほど滞在しているそうで色々逸話がウィキペディアにも書かれていました。
では州章です。


なんと州章の裏が決められています。いったいどういう場面で使うのでしょうねえ。
前回のウィスコンシン州がかなり妄想爆発といった感じで好評であったようですが、今回のウェストバージニア州はフリーメイスンリー的には歴史も古く独立十三州であり南北戦争の境界になっていたりと色々とありそうですが、シンボル的には一見して普通にフリジア帽が認められ、やはり同様に二人の人物が立っていて工業と農業を象徴していてそれぞれそれらを示すシンボルとなる道具が示されていてまあいかにも州章という形をしています。モットーも"Montani Semper Liberi""Mountaineers are Always Free"山の人は常に自由だ。とアパラチア山脈の州らしく、ヨーロッパのスイスやスコットランドのハイランド地方のような感じでしょうか。銃が聖アンデレ十字の形にクロスしているのも意味があるのだと思われます。画面の左半分と右半分で床面となる芝がゴワゴワしているのとつるつるしている感じなのも対称性の表現かと思われます。農夫の方の麦藁は相変わらずユダヤ教のシンボルだと思いますが、ここだと立っておらず倒れているのもシンボルの意味があるようです。トウモロコシが立っているのが新大陸の植物の象徴でしょうか。テンプル騎士団が既に発見していたなんてロスリン礼拝堂では言われたりしているそうですが、実際はネイティブインディアンになんとか教えてもらったというのが歴史なのだと思います。いずれにしても新大陸で手にした新しい食料となる植物という象徴かと思います。斧も象徴としてあり、ファシスト党の元となったファスケス、束桿で認められ、権威や団結を意味するものとなります。鋤はやはりフリーメイスンリーの農業の意味かと思われます。掘り起こすというのでロイヤルアーチメイスンリーで自らの悪い部分を掘り返して耕すという教訓が付加されているようです。ハンマー、鶴嘴もそれぞれフリーメイスンリーのシンボルとして意味が付加されています。樽はちょっと良くわかりませんが、一般にはスコッチウイスキーの象徴となり、物事を熟成させるという意味になるのではないでしょうか。中心の岩はどう見てもラフアシュラーですがバージニア州から分離してアメリカ合衆国に加わった1863年6月20日を刻んでそれがやや右寄りの工業寄りになっているところが意味があるようです。私としてはウィスコンシン州から引き続きそれぞれの人物の洋服の色に注目したいかと思います。こういう左右に人が二人立つパターンは有名なマークではフォートナムアンドメイソンがあるかと思いますが、良くフリーメイスンリーでは認められる門衛や衛視を意味する部分もあるかと思うのですが、そのまま対称性を表現する事になっているかと思います。左側の黄色の農夫の洋服はどうもカトリック教会の中心であるバチカンの衛兵であるスイス傭兵の制服、かのミケランジェロがデザインしたという服に似ているようです。


まあもっと適切なものがあるかもしれませんが、そういうイメージです。
で、右側はやはり赤シャツ隊、また赤白青という事でフランス国旗と同じという事でそういうフランスフリーメイスンリー、大東社を象徴する大陸のフリーメイスンリーの象徴なのではないでしょうか。フランス革命期で言うとサンキュロットという事になるのでしょうか。


特に左の全身黄色のヒラヒラのついた衣装の集団というのが想像がつかなかったので、いわゆるカトリックとそれに反カトリックで対立を強めたフランス大東社を中心とする大陸フリーメイスンリーが対立軸として一つ象徴として挙げられたのではないかと考えました。幅広のハットを被っておりなかなか優雅な感じですが、倒れた麦藁のシンボルともカトリックだと合いそうですし、ハンマーと鶴嘴も共産主義でフランス大東社系と合いそうですし(追記訂正:ハンマーと手鎌でソビエト連邦のシンボルでしたね。だいぶ間違っています。訂正します。)なかなかどうでしょうか。スイスやスコットランドのような高地地方の雰囲気とも合いますし、なかなかその他に思いつかなかったので今回はここまでとします。
もちろんその他の二重丸の構成や左右の五芒星、白地に描かれていることもそれぞれ意味があるかと思います。
裏面の方は他の州の州章とも似た感じで、モットーは“Libertas E Fidelitate”Freedom and Loyalty自由と忠誠心だそうです。工業や農業、酪農、畜産を意味する表現と、鉄道水上交通と山の自然と恐らく海がないので湖と日の出でしょうか。周囲を覆う恐らく八種類の植物がちょっと良くわかりませんが、解説を読むと月桂樹、ナラの木の葉、その他は花や実のなるものでよく見ると、トウモロコシ、薔薇、コスモスといったところでしょうか。こちらの面は州知事が公式の印章として使用するそうです。裏表の印章で政治的な州の創立の意義と、実際の生活や産業の現在の州の大事なものと分けた感じとなるのでしょうか。なかなか深い教訓に満ちた州章であるようです。

州旗は基本的に中心は一緒です。周囲はRhododendronというツツジ属の植物だそうですが、見た目は日本のツツジとは全く異なる感じの植物だそうです。(シャクナゲだそうです。)白地を外枠に青で囲っているというのもやはり意味があるようです。山地であることからも安全地帯、中立地帯、緩衝地帯的な意味合いがあるのかと思われます。
どうでしょうか、なかなか面白くなってきたのではないでしょうか。もちろんこの州章シリーズは基本的にウィキペディアの情報に依存していますので、実際に現地に行ったりして現地の実際を見るとまた異なるシンボリズムの解釈が存在する事になる事は十分あり得ることと思いますが、基本的にシンボリズムは解釈の変わらぬ共通の理解、考えを導き出すような仕組みとなっているので、様々な解釈があったとしてもそこから得られる真の解釈として共通のものが得られるに違いないと確信しております。
(追記:英語版ウィキペディアに解説の州政府の文書のリンクが載っていました。それによるとウェストバージニアの州章を作ったのはJoseph H. Diss Debarという1820年3月6日にフランスのストラスブール生まれの移民でその後ウェストバージニア州政府で働きフィラデルフィアで1905年1月13日に亡くなったそうです。もちろんフリーメイスンでしょう。細密画のスケッチが非常に得意であったようで、ウェストバージニア州の州立公文書館のホームページが検索で出てきました。

本人の写真のようです。

州章の元になったスケッチです。

ブラザーリンカーンがウェストバージニアを訪れた際のスケッチのようです。

南北戦争後に握手をする退役軍人のようです。)
昨日は横須賀は天気も良く大変な人出で参加された方々は大変お疲れであったかと思います。様々な衣装や格好でシンボリズムや意見表明などかつての日本では少なかった人が多く集まる事による様々な相乗効果が見られた事かと思います。是非このブログの内容や本だけにとどまらない、日本の各都市にライオンズクラブやロータリークラブに留まらないフリーメイスンリーのロッジが林立するような深い知識とフリーメイスンリー体験の探求が広まるように期待してします。

独立十三州はこの州章シリーズでも最初だと思いますが、一応分離したので異なるという事になるようです。日本語版ウィキペディアを全体としてみてどうもこれまでの州の中では書き込みが少ないようで、炭鉱があったようですが、人口は200万人に満たないほどで、州章でも自然の植物の象徴が多く認められますが、アパラチア山脈の真上にあり、アパラチア音楽というスコットランド、アイルランド系の音楽があるなどどうも自然が多い良いところのようです。戦艦や原子力潜水艦の名前で使用されており、独立十三州のプラスアルファの州として良いポジションであるようです。
フリーメイスンリーのグランドロッジは3つであるようですが、フリーメイスンの数は何と25000人もいるそうで、なんと75人に一人がフリーメイスンというこれまでの中でも割合的には最も多い値となるようです。単純に工業や産業が盛んなこととフリーメイスンリーが盛んである事、グランドロッジの数が多いという事ともあまり関係性がないという事を端的に示す事かもしれません。ウェストバージニアのグランドロッジのホームページはこちらです。
やはり州議事堂が連邦議会とよく似たドームの形であるようです。

出身者の有名人としては、中国に関する小説でノーベル文学賞を受賞した女性のパール・バックやカーター大統領の時代に国務長官であった政治家のサイラス・ヴァンスがいるそうです。パール・バックは 1892年6月26日-1973年3月6日で、父親が長老派教会の宣教師であったそうです。またサイラス・ヴァンスはカーター大統領のイラン大使館人質事件での人質救出作戦に反対して辞任したそうですが、1917年3月27日生まれの2002年1月12日亡くなっていて、イェール大学の学生友愛会のスクロール・アンド・キーのメンバーであったそうです。さらに三極委員会のメンバーでもあったそうです。三極委員会なんてのも懐かしい響きではないでしょうか。
またウェストバージニア州の上院議員はニューヨーク出身のジョン・ロックフェラー4世だそうです。ジョン・ロックフェラー4世は日本にも3年ほど滞在しているそうで色々逸話がウィキペディアにも書かれていました。
では州章です。


なんと州章の裏が決められています。いったいどういう場面で使うのでしょうねえ。
前回のウィスコンシン州がかなり妄想爆発といった感じで好評であったようですが、今回のウェストバージニア州はフリーメイスンリー的には歴史も古く独立十三州であり南北戦争の境界になっていたりと色々とありそうですが、シンボル的には一見して普通にフリジア帽が認められ、やはり同様に二人の人物が立っていて工業と農業を象徴していてそれぞれそれらを示すシンボルとなる道具が示されていてまあいかにも州章という形をしています。モットーも"Montani Semper Liberi""Mountaineers are Always Free"山の人は常に自由だ。とアパラチア山脈の州らしく、ヨーロッパのスイスやスコットランドのハイランド地方のような感じでしょうか。銃が聖アンデレ十字の形にクロスしているのも意味があるのだと思われます。画面の左半分と右半分で床面となる芝がゴワゴワしているのとつるつるしている感じなのも対称性の表現かと思われます。農夫の方の麦藁は相変わらずユダヤ教のシンボルだと思いますが、ここだと立っておらず倒れているのもシンボルの意味があるようです。トウモロコシが立っているのが新大陸の植物の象徴でしょうか。テンプル騎士団が既に発見していたなんてロスリン礼拝堂では言われたりしているそうですが、実際はネイティブインディアンになんとか教えてもらったというのが歴史なのだと思います。いずれにしても新大陸で手にした新しい食料となる植物という象徴かと思います。斧も象徴としてあり、ファシスト党の元となったファスケス、束桿で認められ、権威や団結を意味するものとなります。鋤はやはりフリーメイスンリーの農業の意味かと思われます。掘り起こすというのでロイヤルアーチメイスンリーで自らの悪い部分を掘り返して耕すという教訓が付加されているようです。ハンマー、鶴嘴もそれぞれフリーメイスンリーのシンボルとして意味が付加されています。樽はちょっと良くわかりませんが、一般にはスコッチウイスキーの象徴となり、物事を熟成させるという意味になるのではないでしょうか。中心の岩はどう見てもラフアシュラーですがバージニア州から分離してアメリカ合衆国に加わった1863年6月20日を刻んでそれがやや右寄りの工業寄りになっているところが意味があるようです。私としてはウィスコンシン州から引き続きそれぞれの人物の洋服の色に注目したいかと思います。こういう左右に人が二人立つパターンは有名なマークではフォートナムアンドメイソンがあるかと思いますが、良くフリーメイスンリーでは認められる門衛や衛視を意味する部分もあるかと思うのですが、そのまま対称性を表現する事になっているかと思います。左側の黄色の農夫の洋服はどうもカトリック教会の中心であるバチカンの衛兵であるスイス傭兵の制服、かのミケランジェロがデザインしたという服に似ているようです。


まあもっと適切なものがあるかもしれませんが、そういうイメージです。
で、右側はやはり赤シャツ隊、また赤白青という事でフランス国旗と同じという事でそういうフランスフリーメイスンリー、大東社を象徴する大陸のフリーメイスンリーの象徴なのではないでしょうか。フランス革命期で言うとサンキュロットという事になるのでしょうか。


特に左の全身黄色のヒラヒラのついた衣装の集団というのが想像がつかなかったので、いわゆるカトリックとそれに反カトリックで対立を強めたフランス大東社を中心とする大陸フリーメイスンリーが対立軸として一つ象徴として挙げられたのではないかと考えました。幅広のハットを被っておりなかなか優雅な感じですが、倒れた麦藁のシンボルともカトリックだと合いそうですし、ハンマーと鶴嘴も共産主義でフランス大東社系と合いそうですし(追記訂正:ハンマーと手鎌でソビエト連邦のシンボルでしたね。だいぶ間違っています。訂正します。)なかなかどうでしょうか。スイスやスコットランドのような高地地方の雰囲気とも合いますし、なかなかその他に思いつかなかったので今回はここまでとします。
もちろんその他の二重丸の構成や左右の五芒星、白地に描かれていることもそれぞれ意味があるかと思います。
裏面の方は他の州の州章とも似た感じで、モットーは“Libertas E Fidelitate”Freedom and Loyalty自由と忠誠心だそうです。工業や農業、酪農、畜産を意味する表現と、鉄道水上交通と山の自然と恐らく海がないので湖と日の出でしょうか。周囲を覆う恐らく八種類の植物がちょっと良くわかりませんが、解説を読むと月桂樹、ナラの木の葉、その他は花や実のなるものでよく見ると、トウモロコシ、薔薇、コスモスといったところでしょうか。こちらの面は州知事が公式の印章として使用するそうです。裏表の印章で政治的な州の創立の意義と、実際の生活や産業の現在の州の大事なものと分けた感じとなるのでしょうか。なかなか深い教訓に満ちた州章であるようです。

州旗は基本的に中心は一緒です。周囲はRhododendronというツツジ属の植物だそうですが、見た目は日本のツツジとは全く異なる感じの植物だそうです。(シャクナゲだそうです。)白地を外枠に青で囲っているというのもやはり意味があるようです。山地であることからも安全地帯、中立地帯、緩衝地帯的な意味合いがあるのかと思われます。
どうでしょうか、なかなか面白くなってきたのではないでしょうか。もちろんこの州章シリーズは基本的にウィキペディアの情報に依存していますので、実際に現地に行ったりして現地の実際を見るとまた異なるシンボリズムの解釈が存在する事になる事は十分あり得ることと思いますが、基本的にシンボリズムは解釈の変わらぬ共通の理解、考えを導き出すような仕組みとなっているので、様々な解釈があったとしてもそこから得られる真の解釈として共通のものが得られるに違いないと確信しております。
(追記:英語版ウィキペディアに解説の州政府の文書のリンクが載っていました。それによるとウェストバージニアの州章を作ったのはJoseph H. Diss Debarという1820年3月6日にフランスのストラスブール生まれの移民でその後ウェストバージニア州政府で働きフィラデルフィアで1905年1月13日に亡くなったそうです。もちろんフリーメイスンでしょう。細密画のスケッチが非常に得意であったようで、ウェストバージニア州の州立公文書館のホームページが検索で出てきました。

本人の写真のようです。

州章の元になったスケッチです。

ブラザーリンカーンがウェストバージニアを訪れた際のスケッチのようです。

南北戦争後に握手をする退役軍人のようです。)
昨日は横須賀は天気も良く大変な人出で参加された方々は大変お疲れであったかと思います。様々な衣装や格好でシンボリズムや意見表明などかつての日本では少なかった人が多く集まる事による様々な相乗効果が見られた事かと思います。是非このブログの内容や本だけにとどまらない、日本の各都市にライオンズクラブやロータリークラブに留まらないフリーメイスンリーのロッジが林立するような深い知識とフリーメイスンリー体験の探求が広まるように期待してします。
またまた雑記です。
通して読んでみたのですが1年半に渡って書き連ねていて、アメリカ旅行、ロンドン・パリ旅行、エディンバラ旅行、市章の解説、横須賀のシンボル、基地開放の訪問記など内容が多岐に渡っていてまた様々に変則的な構成になっていたりして、全部通して読むのは相当大変な量になって来たかと思います。
その中でもイングランドグランドロッジ肝いりといった内容の新約聖書のところは特に聖書アレルギーのある日本人にはなかなか接しがたいところがあるかと思いますが、まあなかなか日付のシンボリズムにも準拠したりしていて大事な内容になっているかと思われます。
通して読んでみて鎌倉の鶴岡八幡宮の神奈川県立近代美術館の記事と自衛隊観艦式の記事、後はやはりリチュアルの解説とアンダーソン憲章の翻訳、後は徐々に面白くなってきて恐らくアメリカ人には好評なのではないかと思われる州章のところが今後の課題と思われます。
特に州章のところはやはりアメリカの歴史を重層的に解釈するきっかけとなるかと思い私は最近気に入っていますがやはり非常にシンボリズムが難解であることと、実際の歴史が難しいというところが難点でありましょうか。エディンバラの旅行と学会のアブストラクトの翻訳もゆっくりと進めていこうかと思っています。
そしてやはりできる事ならモラルアンドドグマを翻訳したいのですが、かなり内容が難しいのとそれ以前にブラザーマンリー・P・ホールの著作などを読んで相当の知識を携えないとブラザーアルバート・パイクの著作を理解する事は出来なさそうです。やはり日々の読書が重要なのだと思いますが、光陰矢のごとしでなかなか理解しながら読み進めるのは簡単ではありません。自分のブログでも時間がたってから読むとなかなか現在考えている課題に繋がるヒントがあったりというものなので、人の著作となれば様々に思いが広がり考えをまとめるのが大変となってしまいます。
とりあえずこのブログの内容はかなりフリーメイスンリーの日本人が体感しうる、皮膚から吸収できるような手を変え品を変えの様々に調合したエッセンスが練り込まれていると思います。ただしやはりフリーメイスンリーの伝統的な変わらぬシンボリズムの学習法は全国の市章 残り 月と太陽のところで示されているようなポスターを見てそれぞれの意味を調べたり教えてもらったりしてその教訓を覚えていくことと、もちろんそれにまつわる聖書や文献の項目を読んでいくこと、そして最大の学習法はやはりロッジに通って直接ブラザーに教わることになるかと思います。
日本語でこれだけフリーメイスンリーの内容について陰謀論ではなく真摯に向き合ってしかも無料で提供してきた内容はかつてないかと思われます。もうすでにフリーメイスンリーは十分日本の文化といえる状況になっているのでしょう。Phoenix Masonryでも強調していましたが、知識を理解して行動に変換してください。明日の日本を支えるのはかつての日本の価値観ではなくこうしたフリーメイスンリーの考えに基づいた価値観だと思われます。
(追記:ブラザーデッカーの回想録や横浜外国人墓地の記録などについて触れるのを忘れていましたが、ブラザーデッカーの話はやはり横須賀の実際の反応を見つつ進めていくことになります。横浜外国人墓地についてはさらなる取材や情報収集が必要かと思っています。ブラザーデッカーの回想録についてまとめたら私の考える横須賀のオベリスク構想など披露しようかと思っています。果たしてどうなることやら。)
通して読んでみたのですが1年半に渡って書き連ねていて、アメリカ旅行、ロンドン・パリ旅行、エディンバラ旅行、市章の解説、横須賀のシンボル、基地開放の訪問記など内容が多岐に渡っていてまた様々に変則的な構成になっていたりして、全部通して読むのは相当大変な量になって来たかと思います。
その中でもイングランドグランドロッジ肝いりといった内容の新約聖書のところは特に聖書アレルギーのある日本人にはなかなか接しがたいところがあるかと思いますが、まあなかなか日付のシンボリズムにも準拠したりしていて大事な内容になっているかと思われます。
通して読んでみて鎌倉の鶴岡八幡宮の神奈川県立近代美術館の記事と自衛隊観艦式の記事、後はやはりリチュアルの解説とアンダーソン憲章の翻訳、後は徐々に面白くなってきて恐らくアメリカ人には好評なのではないかと思われる州章のところが今後の課題と思われます。
特に州章のところはやはりアメリカの歴史を重層的に解釈するきっかけとなるかと思い私は最近気に入っていますがやはり非常にシンボリズムが難解であることと、実際の歴史が難しいというところが難点でありましょうか。エディンバラの旅行と学会のアブストラクトの翻訳もゆっくりと進めていこうかと思っています。
そしてやはりできる事ならモラルアンドドグマを翻訳したいのですが、かなり内容が難しいのとそれ以前にブラザーマンリー・P・ホールの著作などを読んで相当の知識を携えないとブラザーアルバート・パイクの著作を理解する事は出来なさそうです。やはり日々の読書が重要なのだと思いますが、光陰矢のごとしでなかなか理解しながら読み進めるのは簡単ではありません。自分のブログでも時間がたってから読むとなかなか現在考えている課題に繋がるヒントがあったりというものなので、人の著作となれば様々に思いが広がり考えをまとめるのが大変となってしまいます。
とりあえずこのブログの内容はかなりフリーメイスンリーの日本人が体感しうる、皮膚から吸収できるような手を変え品を変えの様々に調合したエッセンスが練り込まれていると思います。ただしやはりフリーメイスンリーの伝統的な変わらぬシンボリズムの学習法は全国の市章 残り 月と太陽のところで示されているようなポスターを見てそれぞれの意味を調べたり教えてもらったりしてその教訓を覚えていくことと、もちろんそれにまつわる聖書や文献の項目を読んでいくこと、そして最大の学習法はやはりロッジに通って直接ブラザーに教わることになるかと思います。
日本語でこれだけフリーメイスンリーの内容について陰謀論ではなく真摯に向き合ってしかも無料で提供してきた内容はかつてないかと思われます。もうすでにフリーメイスンリーは十分日本の文化といえる状況になっているのでしょう。Phoenix Masonryでも強調していましたが、知識を理解して行動に変換してください。明日の日本を支えるのはかつての日本の価値観ではなくこうしたフリーメイスンリーの考えに基づいた価値観だと思われます。
(追記:ブラザーデッカーの回想録や横浜外国人墓地の記録などについて触れるのを忘れていましたが、ブラザーデッカーの話はやはり横須賀の実際の反応を見つつ進めていくことになります。横浜外国人墓地についてはさらなる取材や情報収集が必要かと思っています。ブラザーデッカーの回想録についてまとめたら私の考える横須賀のオベリスク構想など披露しようかと思っています。果たしてどうなることやら。)
結論から言うとロスリン礼拝堂はフリーメイスンリーのいわゆる歴史的建築物の中で最も重要な建築であるようです。これまで見てきたセントポール大聖堂やギルドホール、クイーンズハウス、エッフェル塔やヴェルサイユ宮殿、ノートルダム寺院、ホワイトハウスやハウスオブザテンプル、アメリカ合衆国議事堂やワシントン記念塔、自由の女神などといったいわゆるフリーメイスンリーの建築物の中で最も重要な建築といえるのがこのロスリン礼拝堂であるという事が分かってきました。
ダヴィンチコードはそういう内容であったと思いますし、それを示した映画であったためあれだけの大ヒットとなったようです。
つまりこのロスリン礼拝堂の建築自体が実務的メイスンリーの思索的メイスンリーへの大きな転換の象徴であり、また当時の実務的メイスンリーが総力を結集して建築した建物であり、それらを統括した貴族のシンクレア家はテンプル騎士団の系譜を引く由緒正しい家系であり、スコットランド国王にも実務的メイスンリーのグランドマスターと認証されており、その書類も私がいくことができなかったエディンバラのNo.1ロッジ、セイントメアリーズチャペルロッジにきちんと残されており、それはそのまま1717年のイングランドグランドロッジの結成後の1736年のスコットランドグランドロッジの結成の際にもシンクレア家からグランドマスターが選出されるという形で引き継がれているという事のようです。
確かに内部の印象はドルイド教とキリスト教の融合であるようでしたが、それはまだ十分に練られていなかった実務的メイスンリーの時代のフリーメイスンリーのロッジの表現であり、確実にこの礼拝堂の建築意図は思索的メイスンリーにおけるソロモン宮殿の象徴となるフリーメイスンリーロッジの建築であり、現存する最古のフリーメイスンリーロッジがこのロスリン礼拝堂という事でした。
直接的にこの礼拝堂がフリーメイスンリーロッジとして設計されているという確信を得たのは他の日本語のロスリン礼拝堂の謎に関するブログで認められた以下の図からでした。

いわゆるダヴィンチコードのローズラインといった際物の流れからこじつけだよと考えてしまっていましたが、どうもトリプルタウの表記にしても三笠公園のアーチもそうですが、やはりスコットランドでキリスト教の宗教改革から思索的メイスンリーに繋がる歴史と、この印象的な漢字の円の形の配置が様々に繋がり、また20世紀に定義されたそうですが黄金比の記号であるφとτの表記からのこのタウ十字のシンボル、またトリプルタウのTHの意味がTemplum Hierosolym, the Temple of Jerusalemエルサレム神殿を意味するというシンボリズムの定義などからも、徒弟と親方の柱のヤキンとボアズの柱との一致、十字に建設する設計であったのが途中で西の壁を象徴的に残していわゆるロッジの形の長方形、ソロモン宮殿の形に仕上げていること、六芒星の配置ははっきりとはわかりませんが恐らくあるのではないかと思いますが、いずれにしても礼拝堂全体がそのままタウ十字の形となり、半分完成された残りが形而上的に建設を予期させる構成となっている意図が読み取れる、まさに実務的メイスンリーから思索的メイスンリーへの転換をそのまま象徴する象徴的ロッジの構成となっているのは間違いないかと思います。
この形を考えると通常は二本の柱がある東側が礼拝堂の正面という構成になっていますが、どうもヤキンとボアズの柱と考えると入口がそちらであり、そこから広い空間とパイプオルガンのある方が正面であり、十字で言えば中心の方角となるようです。そういう位置関係が対称の反転する構成になっているのも徒弟と親方の柱の教訓と似ていて、教訓的な意味がありそうです。また建築途中の形になっている象徴的な西の壁は明らかにエルサレムのソロモン宮殿の残された嘆きの壁を象徴しているものと思われます。全体を十字ではなくタウ十字の構成にしたのもそういう意味だと思われ、そのために柱の配置の円の形のトリプルタウの配置の信ぴょう性が増すかと思われます。トリプルタウについてはSymbolDictionaryの解説が分かりやすいかと思います。
円の配置のトリプルタウの形についてはあとで日銀本店の建物の形との関連で触れようかと思っています。
まあというわけで現地に行った際にはいっさいそんな事を思わなかったロスリン礼拝堂でしたが、日本の賢明なダヴィンチコードからロスリン礼拝堂に興味を持たれた方々のブログの解説のおかげと、前述のダヴィンチコードの元ネタとなった本を書かれたイングランドグランドロッジの役員を務められていたブラザーの書いたテンプル騎士団とフリーメイスンリーを繋ぐ解説をした本との重ね合わせでようやくロスリン礼拝堂の真の意味が理解されてきました。たんなるドルイド教とキリスト教の折衷ではなく、宗教的寛容を含んだエルサレム神殿としての建築を隠された真の目的とした明らかに最初のフリーメイスンリーのロッジの建築であったという事だと思われます。
(どうもローズラインというのも子午線を象徴的にそう語っているだけのようで、いわゆるフリーメイスンリーの子午線のシンボリズムを象徴しているようです。基本的にはダヴィンチコードの内容はヨーロッパの英仏フリーメイスンリーの協力で作成されている、フリーメイスンリーの教えや考え方に則った話の流れのものであるようです。ダヴィンチコードとロスリン礼拝堂について非常に参考になったブログがありました。ローズラインというのはロスリンの語源のようです。ルーズベルトやロスチャイルドの薔薇の野原や薔薇の楯といった語源と同じく、ロスリンの語源が薔薇の線、すなわち薔薇十字や薔薇戦争に認める貴族、王族の血統という事のようです。つまりダヴィンチコードで語られるローズラインやキリストの血筋というのはそういう貴族や王族の血統、一族の誇りというようなものの象徴かと思われます。)
なかなか検索しても良い写真が見つからなかったのですが、YouTubeの方の動画に加えているロスリン礼拝堂とカバラの生命の樹を重ね合わせる動画があると思うのですが、その動画でロスリン礼拝堂の外の彫刻で四福音書のそれぞれ福音書記マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの像とそれぞれの動物が対応してあるようです。

これももちろんこのブログでも取り上げたイングランドグランドロッジの紋章と同じく、新約聖書のそれぞれの解釈を意味しているのかと思いますし、むしろこれがそののちの紋章となったと考えられます。またこの礼拝堂のメインのステンドグラスのキリストの像も違和感があったのですが、どうも上の参考にしたブログによると最後のテンプル騎士団団長のジャックデモレーの火あぶりの状況を写しているのではないかという事でしたが、どうも整合性がとれますのでそのようです。(地下の聖具室のステンドグラスのようで、1954年に新しく入れられたそうです。)イエスの磔はそういうわけですが、ジャックデモレーの火あぶりは史実とされていますから。フリーメイスンリーの青少年の育成機関の名前がデモレーというのはそういうロスリン礼拝堂の建築に繋がる実務的メイスンリーの源流がそうしたテンプル騎士団にあるという事を象徴しているのですね。まだ思索的メイスンリーになる前の実務的メイスンリーのさらに前のテンプル騎士団から後に繋がるという事なのですね。
とまあほとんど他のブログの内容や本のままな訳ですが、いずれにしてもこの礼拝堂が単なる地域の礼拝堂として建てられたわけではなく、そういう後々に世界に広がる近代フリーメイスンリーの発祥の象徴となる建築という事が間違いないというわけなのです。まあ実感としていわゆるフリーメイスンリーの建築というのが恐らく思索的フリーメイスンリーの時代のものと異なるのでしょう、そういうものが無かったので未だに頭では分かっていてもそこまで腑に落ちた感じにはなりませんでしたが、未完成であるとされる意味と西の壁の印象、その外側にまたスコットランドの美しい桜があったことなどが何となく500年前の本当に最初のロッジの教訓として少し感じられた気がしました。
それでは実際に撮って来た地下の部屋や徒弟の柱の写真、他のブログから持ってきた親方の柱の写真、その他の実際に撮った写真を混ぜて解説していきましょう。しかし副題の二重らせんもさえませんね。明らかにエルサレム神殿が適当であったと今は思っています。

納骨堂と呼ばれている地下室への入り口ですね。様々に言われていて地下調査が何度も行われたそうですが、特に他の謎の地下室はないようです。

暗くて写真がとりづらい状況であるわけですが、とにかく天使が聖書を持っているのですね。聖書を読んで天使のようになろうと、天使とは神の使いですね。フリーメイスンリー的に訳すと勉強してフリーメイスンになろうだと思います。

何を持っているんでしょうね。全ての像に意味が込められているのだと思います。

これも良く出てきますがどういう意味なんでしょうね。大鎌とドクロは死の象徴でしょうが、不安定な輪か樽の上に乗った人間は生命の不安定さの象徴なんでしょうか。人生のカリカチュアといった感じでしょうか。

建材のようなものがあります。補修用でしょうか。



この辺はなかなか写真が厳しいですね。フラッシュはたけない状況だしなかなか厳しいです。ちゃんとしたカメラで絞りを最大にしないと駄目でしょうね。

階段を下から見るとこんな感じです。

それでこれがメインとなっている徒弟の柱、アプレンティスピラーです。これは立派ですねえ。正直現地ではこれ以外見る価値があるとは思えないと思うほどでした。

まあ端的に言って四重らせんなんですね。二重らせんの副題は何にも掛っていないことになります。

徒弟が作ったという事はないのでしょうが、この柱が異常に立派で目立つことは明らかですね。調和を壊していると言えるかもしれませんが、造形美という点ではこの柱が素晴らしいですね。やはり私はこの礼拝堂の象徴はこの螺旋の柱であるかと思いました。それはまた自由の象徴でもあるのでしょうね。

これは他のブログから頂いてきた親方の柱、メイスンズピラーですね。弟子と親方の経緯についてはそれを彫刻したものがオルガンの側の右手に彫られているそうです。このブログを参考としました。

これも他のブログのものです。徒弟の柱の方が存在感があるのですね。なかなかフリーメイスンというものの本質に関わる彫刻かもしれません。目立っちゃうのはもうフリーメイスンとして駄目なんですね。ヤキンとボアズの柱の意味もあるのでしょうね。実は通常のこう言う見方ではなく反対から見るのが正しいエルサレム神殿としての通路になるのだと思われます。

メイスンズピラーです。四つの柱を強調しているのでしょうか。四元徳に繋がるのかと思われます。

これも他のブログからのものです。こうして見るとねじれた心をまっすぐにするとかそういう意味もあるのでしょうね。真ん中の柱は他の柱と同じ形です。3本という概念はこの時代あまりなかったのかもしれません。ピラミッドの形やAll Seeing Eyeのような象徴はむしろフランス系カトリックの内部から伝達されたのかもしれません。4の数が四元徳や四元素などから聖数とする発想は実はギリシア時代からあり古いのですね。恐らくこの礼拝堂はそちらのネオプラトニズムの系統の多神教的なギリシアの影響が強いのかと思われます。四福音書記者の像や天使の配列などがそれらの象徴だと思われます。


ロスリン礼拝堂の検索で最初に出てくるブログからお借りしています。このロスリン礼拝堂の検索で出てくるブログも非常に個性的なものが多いのですが、まあダヴィンチコードの流行った時代というかそういうのがとても良く反映されていてなんというかどのブログも読んでしまうというか、明らかにフリーメイスンであったりフリーメイスンリーを強く意識したものはビジネス系の方が多いようですが、やはりロンドンやニューヨークといった英米の大都市でビジネスや生活をしているのが長い方はフリーメイスンリーを意識する事が非常に普通であるようです。で、上記の写真は七つの大罪と七つの徳を一つ取り違えて表記しているというものなのですが、意味はどうなんでしょう。CharityとGreedが取り違えているという事で、まあ良くあることなんじゃないでしょうか。強欲と慈悲は裏腹であるという教訓なんじゃないでしょうか。ロスリン礼拝堂にわざわざ礼拝に来るようなお金持ちのビジネスマンには非常に印象的なものとなるのではないでしょうか。美徳と罪は分かち難しみたいなもんで、あれは誤訳でしたか美徳と死は分かち難しなんてのもそういう意味もあるのかもしれません。
さて良い写真が他のブログに多いのでそれを利用させて頂いていますが、この後は外側です。

これも他のブログのものです。私が訪問した時はこちら側を補修していました。中心がシンクレア家のギザギザのついた十字のようです。周囲が四福音書の聖書記者とその他はちょっとわかりません。良く見ると三段重ねのピラミッドがありました。ここが唯一フリーメイスンリーっぽい所でしょうか。この部分は西側なのですが恐らく増設部分なんだと思われます。

以前はこうして外構部分を見学するように足場が据えられていたのですね。まあそれほど貴重な感じではなく地方の大事なおらが村の礼拝堂であったというところでその補修保存のために一生懸命開放して見えるように公開していたのですね。ダヴィンチコードブーム前後の推移が分かります。全体を見ると明らかに東側から旧約聖書部分のエルサレム神殿となっていて、その最後が西壁の嘆きの壁になっていて、増築部分に四福音書記者とフリーメイスンリーを示すピラミッドとまさに聖書そのものの構成になっていることが印象されるのではないでしょうか。

嘆きの壁を模したような形が非常に良く分かるかと思います。そこに十字と四福音書とピラミッドがあるというまさにフリーメイスンリーの教えをそのまま聖書の通読に求める建物自体が聖書のストーリーそのものを象徴的に示している、テンプル騎士団と宗教改革の源流となるスコットランドの独立貴族の守り伝えた精神の核を象徴した建築なのだと思われます。

これは外構ではなく内部の写真で、英語版ウィキペディアのロスリン礼拝堂にある写真で、いわゆるテンプル騎士団がコロンブスの新大陸発見前にアメリカ大陸に行きついてトウモロコシを発見していたという証拠とされる、maizeとイギリス英語では表現されるようですがそういう植物の形をした装飾です。まあどうなんでしょうね。恐らくシンクレア家がそういうのであればそうなのでしょう。テンプル騎士団とフリーメイスンリーについて書いた本によればシンクレア家の血気あふれる相続者がグリーンランドまで冒険した記録はあるそうですし、それ以上にメキシコ辺りまで行ったという伝承もあるそうです。もしかすると冒険者の中心的な貴族は途中で引き返してもそれ以外の元気な随行者がアメリカ大陸までいってその後ジョン万次郎のように密かに帰国して概要を貴族や司祭を通してカトリックのネットワークなどで情報を伝達していたという事実はあるかもしれません。大航海時代とはそういう時代であったのだと思います。そもそもコロンブスもポーランドなどの王族の御落胤であったこともかなり信ぴょう性があるようですし、コロンブスの行動自体も月探査や日本の開国のように相当のバックグラウンドの情報を持っていて行われたと考えるのは当然なのだと思われます。まあその後のアメリカの歴史を考えても、まさにフリーメイスンリーの発祥の地にふさわしい彫刻であるかもしれません。

これは私が写真を撮って来たものですね。良い天気ですね。桜を配置しているんですが、まあいまいちですね。

外構のピラミッドが強調されているのですね。足場があるときはそれを強調していたのだと思われます。まあなかなか難しいですね。

これは西側の壁でしょうか。見るからに嘆きの壁の形ですね。十字にする途中でタウ十字の形で終わる教会は他にないでしょうし、西側に壁をこれだけもつものもそれだけないでしょうね。

これも桜と芝ですが、まあちょっといまいちですね。十字の半分がこちらになるわけです。自然主義でしょうかねえ。思索的メイスンリーです。

まあ桜も芝も綺麗でした。このロスリン礼拝堂のすぐ近くにロスリン城の跡があるそうですが、私は行きそびれてしまいました。ちょうど高齢者の集団が恐らくそのロスリン城の方向から来たのですが、私は結局バス停の場所を聞いてバス停の方に戻ってしまいました。シンクレア家の関係の管理者が住んでいるそうですが、そういう色々なあれもあるのかもしれません。シンクレア家も3人ほどスコットランドグランドロッジのグランドマスターを務めているそうですし、それだけの名家ですからなかなか色々あるようです。エリザベス女王でも最近になってフリーメイスンリーの女性団体の看護を受けた位な訳ですしまあイングランドフリーメイスンリーはまさに清教徒革命、名誉革命の成果を現代に引き継いでいるわけですので深いです。

シンクレア家の記念碑だそうです。

この部分を補修しているのも意味があるのでしょうね。

まあ十字の足りない部分に樹木があるのもまさにユダヤ教そのものかと思われます。樹木の記念日もそういう意味です。

これだけ勉強してからこの解説も読むと面白いのでしょうが、この当時はとにかく閉館間際で写真だけさっさと撮っていこうと撮ったのですね。スコットランドグランドロッジでもロスリン礼拝堂の設計図を売っていたのですが、今なら欲しいですね。

面白いですねえ。これだけ勉強してからこう言う解説を読むと非常に面白いです。

いいですねえ。ミニチュアが欲しくなります。

石の形で音響が生じる波紋と同じなどとして音楽を作ったりしたようです。良く分からずにイメージソングかと思ってCDを買ったりしてしまいましたが、解説した動画がありました。参照してください。この写真とは直接関係はありませんね。

完全にピンボケで読めませんね。

何度も同じ解説を写真に撮っているのですね。

資金難かどうかはわかりませんが、確かに十字に建築しようとしていたようです。しかしなかなか大した建築ですねえ。十字の規模になっていたらセントポール大聖堂以上の建築かもしれませんね。

これは外の写真ですね。もしかすると入館前に撮ったのかもしれません。

この横の建物がかつての巡礼者の宿であったようです。通路を撮っているのですかね。

外から撮ったロスリン礼拝堂です。そんなに重要なもんじゃないですよね。

これは他のブログにもたくさん出てますが、最新の状況のチケット売り場とお土産屋、カフェの併設した建物です。まさにスタバみたいですが、パーフェクトアシュラーの形の植木鉢や三段の形になった壁、直角定規の形の屋根などシンボリズムは踏襲しているようです。まあとにかく天気でよかったというところでしょうか。このお土産屋さんは前回触れたように沢山のお土産が売っているのですが、一番驚いたのがフリーメイスンリーのシンボルのキーホルダーを売っているところでした。インターネットでも買えますが、古今東西で教会で観光地の場所でフリーメイスンリーのシンボルのキーホルダーを売っているところはここだけかと思います。実質的なスコットランド、イギリス、世界中のフリーメイスンリーの最初のロッジであり、最初のグランドロッジである場所かと思い、恐らくそういう場所はここだけなのだと思われます。キーホルダーを買えたらフリーメイスンの認証かもしれませんね。

3が消えて4が出ているところがこの時代の実務的メイスンリーを象徴しているのかもしれません。これだけだといわゆる実務的メイスンリーの認証は出来るが思索的メイスンリーの認証ではないと。まあそんな感じじゃないでしょうか。

かつての旅人の宿舎であったらしい小屋です。1660だと微妙にそれっぽくないですが、恐らく番地なんでしょうね。

宿舎の解説ですが、ブラザーロバート・バーンズやブラザーウォルター・スコットの名前も出ているようです。スコットランドのフリーメイスンが必ず訪問する隠れグランドロッジのような存在なのではないでしょうか。

どうもこの先にあるのがロスリン城のようですが、この時はもう帰る事ばかり考えていて城を見る時間はあったのですが見損なってしまいました。なかなか一日以上は掛けてゆっくりと堪能するのがロスリンの正しい訪問の仕方のようです。

こちらはほとんどバス停のT字路にある休業中のホテルです。恐らくダヴィンチコードバブルの時は繁盛したのでしょうね。何ともさびしい感じですが、大ヒットの余波は大体こういうものです。

ここから後がこのブログの真骨頂でしょうかね。T字路のところに二軒ホテルがありますが一軒しか営業していません。

バス停のところに貼ってあった告知です。何やらロスリンの文化が感じられます。

これはちょっとT字路から離れた教会近くの売家です。なかなか良いお宅です。管理が大変そうです。

コンドミニアムみたいな感じなんでしょうか。横須賀で言うと馬堀海岸の連なった家のようです。

そしてこれが注目のカトリック教会です。ロスリン礼拝堂より明らかに立派で人々が日曜礼拝に参列する姿が目に浮かぶ地域の信頼厚い教会という感じです。どうもロスリン礼拝堂でダヴィンチコードで町おこししたお金はカトリック教会の整備に使われていそうな雰囲気です。三位一体の形やピラミッドの形など明らかにロスリン礼拝堂を意識していながらそれよりもキリスト教的な整然とした対称的な形が印象的です。

ここは十字架が何のケレンミもなく象徴としてあります。実際英王室も半分くらいはカトリックに改宗していたりと、英国王にしても英国国教会の首長であってもやはりキリスト教界の序列ではカトリックの教皇がトップでありやはりキリスト教といえばカトリックなのですね。こういうところが宗教とは異なるフリーメイスンリーで宗教的な寛容が特徴であっても、キリスト教カトリックの例えばイエズス会に象徴されるような宗教としての信仰心の篤さや組織の固さはやはりカトリックなのだと思わされます。前教皇のベネディクト16世はヒトラーユーゲント出身でありましたが、現在の教皇フランシスコはフリーメイスンリーの盛んなアルゼンチンの出身であり、フリーメイスンリーロッジを訪問する姿もフェイスブックの写真であったりとカトリックとしてもフリーメイスンリーの活動に寛容であるようですがまた一方ではこうしたフリーメイスンリーの本場のスコットランドでもこうした教会の人気があったりします。なかなか時代は変わっていきます。

バス停の近くのお土産屋さんはロスリン礼拝堂の観光客を目当てにしているのか、様々な石や六芒星のようなシンボル、仏像のような様々な印象的なお土産を置いていました。

バス停のすぐ先にフリーメイスンリーのロッジがありました。

こちらにもやはりイベントの告知がありました。誰も人がいなかったのでフリーメイスンと直接会う事はありませんでした。

バスは30分に一本くらいだったでしょうか。これは帰りにバスから撮ったエディンバラ大学のロスリン研究所です。クローン羊のドリーを作成して世界的に話題になった場所です。副題ともしましたが人類の遺伝子の二重らせんを引き継ぐ永劫の取り組みは現代でも変わることなく行われ、それを象徴するのがこのロスリンの地、ローズラインの地という事で良いのかと思います。生命科学の研究者や臨床医学、基礎医学に携わる人は是非一度訪問して生命倫理、我々が引き継いで受け渡していく生命の繋がりを今一度考える機会の場としたら良いのではないかと思ったりしました。科学と宗教が一致した中心、GodとGeometryのGを中心に据えたフリーメイスンリーのシンボルの土地はそんな現代の諸問題の原点に立ち戻ることができる土地かもしれません。

クローンではない羊も沢山いました。実はクローンかもしれませんね。やはりハギスは日本ではなかなか食べられなさそうです。

帰りに驟雨がひとしきりありました。ノアの洪水なのかもしれませんが、もちろんその後また虹を三度見ることになります。
ダヴィンチコードはそういう内容であったと思いますし、それを示した映画であったためあれだけの大ヒットとなったようです。
つまりこのロスリン礼拝堂の建築自体が実務的メイスンリーの思索的メイスンリーへの大きな転換の象徴であり、また当時の実務的メイスンリーが総力を結集して建築した建物であり、それらを統括した貴族のシンクレア家はテンプル騎士団の系譜を引く由緒正しい家系であり、スコットランド国王にも実務的メイスンリーのグランドマスターと認証されており、その書類も私がいくことができなかったエディンバラのNo.1ロッジ、セイントメアリーズチャペルロッジにきちんと残されており、それはそのまま1717年のイングランドグランドロッジの結成後の1736年のスコットランドグランドロッジの結成の際にもシンクレア家からグランドマスターが選出されるという形で引き継がれているという事のようです。
確かに内部の印象はドルイド教とキリスト教の融合であるようでしたが、それはまだ十分に練られていなかった実務的メイスンリーの時代のフリーメイスンリーのロッジの表現であり、確実にこの礼拝堂の建築意図は思索的メイスンリーにおけるソロモン宮殿の象徴となるフリーメイスンリーロッジの建築であり、現存する最古のフリーメイスンリーロッジがこのロスリン礼拝堂という事でした。
直接的にこの礼拝堂がフリーメイスンリーロッジとして設計されているという確信を得たのは他の日本語のロスリン礼拝堂の謎に関するブログで認められた以下の図からでした。

いわゆるダヴィンチコードのローズラインといった際物の流れからこじつけだよと考えてしまっていましたが、どうもトリプルタウの表記にしても三笠公園のアーチもそうですが、やはりスコットランドでキリスト教の宗教改革から思索的メイスンリーに繋がる歴史と、この印象的な漢字の円の形の配置が様々に繋がり、また20世紀に定義されたそうですが黄金比の記号であるφとτの表記からのこのタウ十字のシンボル、またトリプルタウのTHの意味がTemplum Hierosolym, the Temple of Jerusalemエルサレム神殿を意味するというシンボリズムの定義などからも、徒弟と親方の柱のヤキンとボアズの柱との一致、十字に建設する設計であったのが途中で西の壁を象徴的に残していわゆるロッジの形の長方形、ソロモン宮殿の形に仕上げていること、六芒星の配置ははっきりとはわかりませんが恐らくあるのではないかと思いますが、いずれにしても礼拝堂全体がそのままタウ十字の形となり、半分完成された残りが形而上的に建設を予期させる構成となっている意図が読み取れる、まさに実務的メイスンリーから思索的メイスンリーへの転換をそのまま象徴する象徴的ロッジの構成となっているのは間違いないかと思います。
この形を考えると通常は二本の柱がある東側が礼拝堂の正面という構成になっていますが、どうもヤキンとボアズの柱と考えると入口がそちらであり、そこから広い空間とパイプオルガンのある方が正面であり、十字で言えば中心の方角となるようです。そういう位置関係が対称の反転する構成になっているのも徒弟と親方の柱の教訓と似ていて、教訓的な意味がありそうです。また建築途中の形になっている象徴的な西の壁は明らかにエルサレムのソロモン宮殿の残された嘆きの壁を象徴しているものと思われます。全体を十字ではなくタウ十字の構成にしたのもそういう意味だと思われ、そのために柱の配置の円の形のトリプルタウの配置の信ぴょう性が増すかと思われます。トリプルタウについてはSymbolDictionaryの解説が分かりやすいかと思います。
円の配置のトリプルタウの形についてはあとで日銀本店の建物の形との関連で触れようかと思っています。
まあというわけで現地に行った際にはいっさいそんな事を思わなかったロスリン礼拝堂でしたが、日本の賢明なダヴィンチコードからロスリン礼拝堂に興味を持たれた方々のブログの解説のおかげと、前述のダヴィンチコードの元ネタとなった本を書かれたイングランドグランドロッジの役員を務められていたブラザーの書いたテンプル騎士団とフリーメイスンリーを繋ぐ解説をした本との重ね合わせでようやくロスリン礼拝堂の真の意味が理解されてきました。たんなるドルイド教とキリスト教の折衷ではなく、宗教的寛容を含んだエルサレム神殿としての建築を隠された真の目的とした明らかに最初のフリーメイスンリーのロッジの建築であったという事だと思われます。
(どうもローズラインというのも子午線を象徴的にそう語っているだけのようで、いわゆるフリーメイスンリーの子午線のシンボリズムを象徴しているようです。基本的にはダヴィンチコードの内容はヨーロッパの英仏フリーメイスンリーの協力で作成されている、フリーメイスンリーの教えや考え方に則った話の流れのものであるようです。ダヴィンチコードとロスリン礼拝堂について非常に参考になったブログがありました。ローズラインというのはロスリンの語源のようです。ルーズベルトやロスチャイルドの薔薇の野原や薔薇の楯といった語源と同じく、ロスリンの語源が薔薇の線、すなわち薔薇十字や薔薇戦争に認める貴族、王族の血統という事のようです。つまりダヴィンチコードで語られるローズラインやキリストの血筋というのはそういう貴族や王族の血統、一族の誇りというようなものの象徴かと思われます。)
なかなか検索しても良い写真が見つからなかったのですが、YouTubeの方の動画に加えているロスリン礼拝堂とカバラの生命の樹を重ね合わせる動画があると思うのですが、その動画でロスリン礼拝堂の外の彫刻で四福音書のそれぞれ福音書記マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの像とそれぞれの動物が対応してあるようです。

これももちろんこのブログでも取り上げたイングランドグランドロッジの紋章と同じく、新約聖書のそれぞれの解釈を意味しているのかと思いますし、むしろこれがそののちの紋章となったと考えられます。またこの礼拝堂のメインのステンドグラスのキリストの像も違和感があったのですが、どうも上の参考にしたブログによると最後のテンプル騎士団団長のジャックデモレーの火あぶりの状況を写しているのではないかという事でしたが、どうも整合性がとれますのでそのようです。(地下の聖具室のステンドグラスのようで、1954年に新しく入れられたそうです。)イエスの磔はそういうわけですが、ジャックデモレーの火あぶりは史実とされていますから。フリーメイスンリーの青少年の育成機関の名前がデモレーというのはそういうロスリン礼拝堂の建築に繋がる実務的メイスンリーの源流がそうしたテンプル騎士団にあるという事を象徴しているのですね。まだ思索的メイスンリーになる前の実務的メイスンリーのさらに前のテンプル騎士団から後に繋がるという事なのですね。
とまあほとんど他のブログの内容や本のままな訳ですが、いずれにしてもこの礼拝堂が単なる地域の礼拝堂として建てられたわけではなく、そういう後々に世界に広がる近代フリーメイスンリーの発祥の象徴となる建築という事が間違いないというわけなのです。まあ実感としていわゆるフリーメイスンリーの建築というのが恐らく思索的フリーメイスンリーの時代のものと異なるのでしょう、そういうものが無かったので未だに頭では分かっていてもそこまで腑に落ちた感じにはなりませんでしたが、未完成であるとされる意味と西の壁の印象、その外側にまたスコットランドの美しい桜があったことなどが何となく500年前の本当に最初のロッジの教訓として少し感じられた気がしました。
それでは実際に撮って来た地下の部屋や徒弟の柱の写真、他のブログから持ってきた親方の柱の写真、その他の実際に撮った写真を混ぜて解説していきましょう。しかし副題の二重らせんもさえませんね。明らかにエルサレム神殿が適当であったと今は思っています。

納骨堂と呼ばれている地下室への入り口ですね。様々に言われていて地下調査が何度も行われたそうですが、特に他の謎の地下室はないようです。

暗くて写真がとりづらい状況であるわけですが、とにかく天使が聖書を持っているのですね。聖書を読んで天使のようになろうと、天使とは神の使いですね。フリーメイスンリー的に訳すと勉強してフリーメイスンになろうだと思います。

何を持っているんでしょうね。全ての像に意味が込められているのだと思います。

これも良く出てきますがどういう意味なんでしょうね。大鎌とドクロは死の象徴でしょうが、不安定な輪か樽の上に乗った人間は生命の不安定さの象徴なんでしょうか。人生のカリカチュアといった感じでしょうか。

建材のようなものがあります。補修用でしょうか。



この辺はなかなか写真が厳しいですね。フラッシュはたけない状況だしなかなか厳しいです。ちゃんとしたカメラで絞りを最大にしないと駄目でしょうね。

階段を下から見るとこんな感じです。

それでこれがメインとなっている徒弟の柱、アプレンティスピラーです。これは立派ですねえ。正直現地ではこれ以外見る価値があるとは思えないと思うほどでした。

まあ端的に言って四重らせんなんですね。二重らせんの副題は何にも掛っていないことになります。

徒弟が作ったという事はないのでしょうが、この柱が異常に立派で目立つことは明らかですね。調和を壊していると言えるかもしれませんが、造形美という点ではこの柱が素晴らしいですね。やはり私はこの礼拝堂の象徴はこの螺旋の柱であるかと思いました。それはまた自由の象徴でもあるのでしょうね。

これは他のブログから頂いてきた親方の柱、メイスンズピラーですね。弟子と親方の経緯についてはそれを彫刻したものがオルガンの側の右手に彫られているそうです。このブログを参考としました。

これも他のブログのものです。徒弟の柱の方が存在感があるのですね。なかなかフリーメイスンというものの本質に関わる彫刻かもしれません。目立っちゃうのはもうフリーメイスンとして駄目なんですね。ヤキンとボアズの柱の意味もあるのでしょうね。実は通常のこう言う見方ではなく反対から見るのが正しいエルサレム神殿としての通路になるのだと思われます。

メイスンズピラーです。四つの柱を強調しているのでしょうか。四元徳に繋がるのかと思われます。

これも他のブログからのものです。こうして見るとねじれた心をまっすぐにするとかそういう意味もあるのでしょうね。真ん中の柱は他の柱と同じ形です。3本という概念はこの時代あまりなかったのかもしれません。ピラミッドの形やAll Seeing Eyeのような象徴はむしろフランス系カトリックの内部から伝達されたのかもしれません。4の数が四元徳や四元素などから聖数とする発想は実はギリシア時代からあり古いのですね。恐らくこの礼拝堂はそちらのネオプラトニズムの系統の多神教的なギリシアの影響が強いのかと思われます。四福音書記者の像や天使の配列などがそれらの象徴だと思われます。


ロスリン礼拝堂の検索で最初に出てくるブログからお借りしています。このロスリン礼拝堂の検索で出てくるブログも非常に個性的なものが多いのですが、まあダヴィンチコードの流行った時代というかそういうのがとても良く反映されていてなんというかどのブログも読んでしまうというか、明らかにフリーメイスンであったりフリーメイスンリーを強く意識したものはビジネス系の方が多いようですが、やはりロンドンやニューヨークといった英米の大都市でビジネスや生活をしているのが長い方はフリーメイスンリーを意識する事が非常に普通であるようです。で、上記の写真は七つの大罪と七つの徳を一つ取り違えて表記しているというものなのですが、意味はどうなんでしょう。CharityとGreedが取り違えているという事で、まあ良くあることなんじゃないでしょうか。強欲と慈悲は裏腹であるという教訓なんじゃないでしょうか。ロスリン礼拝堂にわざわざ礼拝に来るようなお金持ちのビジネスマンには非常に印象的なものとなるのではないでしょうか。美徳と罪は分かち難しみたいなもんで、あれは誤訳でしたか美徳と死は分かち難しなんてのもそういう意味もあるのかもしれません。
さて良い写真が他のブログに多いのでそれを利用させて頂いていますが、この後は外側です。

これも他のブログのものです。私が訪問した時はこちら側を補修していました。中心がシンクレア家のギザギザのついた十字のようです。周囲が四福音書の聖書記者とその他はちょっとわかりません。良く見ると三段重ねのピラミッドがありました。ここが唯一フリーメイスンリーっぽい所でしょうか。この部分は西側なのですが恐らく増設部分なんだと思われます。

以前はこうして外構部分を見学するように足場が据えられていたのですね。まあそれほど貴重な感じではなく地方の大事なおらが村の礼拝堂であったというところでその補修保存のために一生懸命開放して見えるように公開していたのですね。ダヴィンチコードブーム前後の推移が分かります。全体を見ると明らかに東側から旧約聖書部分のエルサレム神殿となっていて、その最後が西壁の嘆きの壁になっていて、増築部分に四福音書記者とフリーメイスンリーを示すピラミッドとまさに聖書そのものの構成になっていることが印象されるのではないでしょうか。

嘆きの壁を模したような形が非常に良く分かるかと思います。そこに十字と四福音書とピラミッドがあるというまさにフリーメイスンリーの教えをそのまま聖書の通読に求める建物自体が聖書のストーリーそのものを象徴的に示している、テンプル騎士団と宗教改革の源流となるスコットランドの独立貴族の守り伝えた精神の核を象徴した建築なのだと思われます。

これは外構ではなく内部の写真で、英語版ウィキペディアのロスリン礼拝堂にある写真で、いわゆるテンプル騎士団がコロンブスの新大陸発見前にアメリカ大陸に行きついてトウモロコシを発見していたという証拠とされる、maizeとイギリス英語では表現されるようですがそういう植物の形をした装飾です。まあどうなんでしょうね。恐らくシンクレア家がそういうのであればそうなのでしょう。テンプル騎士団とフリーメイスンリーについて書いた本によればシンクレア家の血気あふれる相続者がグリーンランドまで冒険した記録はあるそうですし、それ以上にメキシコ辺りまで行ったという伝承もあるそうです。もしかすると冒険者の中心的な貴族は途中で引き返してもそれ以外の元気な随行者がアメリカ大陸までいってその後ジョン万次郎のように密かに帰国して概要を貴族や司祭を通してカトリックのネットワークなどで情報を伝達していたという事実はあるかもしれません。大航海時代とはそういう時代であったのだと思います。そもそもコロンブスもポーランドなどの王族の御落胤であったこともかなり信ぴょう性があるようですし、コロンブスの行動自体も月探査や日本の開国のように相当のバックグラウンドの情報を持っていて行われたと考えるのは当然なのだと思われます。まあその後のアメリカの歴史を考えても、まさにフリーメイスンリーの発祥の地にふさわしい彫刻であるかもしれません。

これは私が写真を撮って来たものですね。良い天気ですね。桜を配置しているんですが、まあいまいちですね。

外構のピラミッドが強調されているのですね。足場があるときはそれを強調していたのだと思われます。まあなかなか難しいですね。

これは西側の壁でしょうか。見るからに嘆きの壁の形ですね。十字にする途中でタウ十字の形で終わる教会は他にないでしょうし、西側に壁をこれだけもつものもそれだけないでしょうね。

これも桜と芝ですが、まあちょっといまいちですね。十字の半分がこちらになるわけです。自然主義でしょうかねえ。思索的メイスンリーです。

まあ桜も芝も綺麗でした。このロスリン礼拝堂のすぐ近くにロスリン城の跡があるそうですが、私は行きそびれてしまいました。ちょうど高齢者の集団が恐らくそのロスリン城の方向から来たのですが、私は結局バス停の場所を聞いてバス停の方に戻ってしまいました。シンクレア家の関係の管理者が住んでいるそうですが、そういう色々なあれもあるのかもしれません。シンクレア家も3人ほどスコットランドグランドロッジのグランドマスターを務めているそうですし、それだけの名家ですからなかなか色々あるようです。エリザベス女王でも最近になってフリーメイスンリーの女性団体の看護を受けた位な訳ですしまあイングランドフリーメイスンリーはまさに清教徒革命、名誉革命の成果を現代に引き継いでいるわけですので深いです。

シンクレア家の記念碑だそうです。

この部分を補修しているのも意味があるのでしょうね。

まあ十字の足りない部分に樹木があるのもまさにユダヤ教そのものかと思われます。樹木の記念日もそういう意味です。

これだけ勉強してからこの解説も読むと面白いのでしょうが、この当時はとにかく閉館間際で写真だけさっさと撮っていこうと撮ったのですね。スコットランドグランドロッジでもロスリン礼拝堂の設計図を売っていたのですが、今なら欲しいですね。

面白いですねえ。これだけ勉強してからこう言う解説を読むと非常に面白いです。

いいですねえ。ミニチュアが欲しくなります。

石の形で音響が生じる波紋と同じなどとして音楽を作ったりしたようです。良く分からずにイメージソングかと思ってCDを買ったりしてしまいましたが、解説した動画がありました。参照してください。この写真とは直接関係はありませんね。

完全にピンボケで読めませんね。

何度も同じ解説を写真に撮っているのですね。

資金難かどうかはわかりませんが、確かに十字に建築しようとしていたようです。しかしなかなか大した建築ですねえ。十字の規模になっていたらセントポール大聖堂以上の建築かもしれませんね。

これは外の写真ですね。もしかすると入館前に撮ったのかもしれません。

この横の建物がかつての巡礼者の宿であったようです。通路を撮っているのですかね。

外から撮ったロスリン礼拝堂です。そんなに重要なもんじゃないですよね。

これは他のブログにもたくさん出てますが、最新の状況のチケット売り場とお土産屋、カフェの併設した建物です。まさにスタバみたいですが、パーフェクトアシュラーの形の植木鉢や三段の形になった壁、直角定規の形の屋根などシンボリズムは踏襲しているようです。まあとにかく天気でよかったというところでしょうか。このお土産屋さんは前回触れたように沢山のお土産が売っているのですが、一番驚いたのがフリーメイスンリーのシンボルのキーホルダーを売っているところでした。インターネットでも買えますが、古今東西で教会で観光地の場所でフリーメイスンリーのシンボルのキーホルダーを売っているところはここだけかと思います。実質的なスコットランド、イギリス、世界中のフリーメイスンリーの最初のロッジであり、最初のグランドロッジである場所かと思い、恐らくそういう場所はここだけなのだと思われます。キーホルダーを買えたらフリーメイスンの認証かもしれませんね。

3が消えて4が出ているところがこの時代の実務的メイスンリーを象徴しているのかもしれません。これだけだといわゆる実務的メイスンリーの認証は出来るが思索的メイスンリーの認証ではないと。まあそんな感じじゃないでしょうか。

かつての旅人の宿舎であったらしい小屋です。1660だと微妙にそれっぽくないですが、恐らく番地なんでしょうね。

宿舎の解説ですが、ブラザーロバート・バーンズやブラザーウォルター・スコットの名前も出ているようです。スコットランドのフリーメイスンが必ず訪問する隠れグランドロッジのような存在なのではないでしょうか。

どうもこの先にあるのがロスリン城のようですが、この時はもう帰る事ばかり考えていて城を見る時間はあったのですが見損なってしまいました。なかなか一日以上は掛けてゆっくりと堪能するのがロスリンの正しい訪問の仕方のようです。

こちらはほとんどバス停のT字路にある休業中のホテルです。恐らくダヴィンチコードバブルの時は繁盛したのでしょうね。何ともさびしい感じですが、大ヒットの余波は大体こういうものです。

ここから後がこのブログの真骨頂でしょうかね。T字路のところに二軒ホテルがありますが一軒しか営業していません。

バス停のところに貼ってあった告知です。何やらロスリンの文化が感じられます。

これはちょっとT字路から離れた教会近くの売家です。なかなか良いお宅です。管理が大変そうです。

コンドミニアムみたいな感じなんでしょうか。横須賀で言うと馬堀海岸の連なった家のようです。

そしてこれが注目のカトリック教会です。ロスリン礼拝堂より明らかに立派で人々が日曜礼拝に参列する姿が目に浮かぶ地域の信頼厚い教会という感じです。どうもロスリン礼拝堂でダヴィンチコードで町おこししたお金はカトリック教会の整備に使われていそうな雰囲気です。三位一体の形やピラミッドの形など明らかにロスリン礼拝堂を意識していながらそれよりもキリスト教的な整然とした対称的な形が印象的です。

ここは十字架が何のケレンミもなく象徴としてあります。実際英王室も半分くらいはカトリックに改宗していたりと、英国王にしても英国国教会の首長であってもやはりキリスト教界の序列ではカトリックの教皇がトップでありやはりキリスト教といえばカトリックなのですね。こういうところが宗教とは異なるフリーメイスンリーで宗教的な寛容が特徴であっても、キリスト教カトリックの例えばイエズス会に象徴されるような宗教としての信仰心の篤さや組織の固さはやはりカトリックなのだと思わされます。前教皇のベネディクト16世はヒトラーユーゲント出身でありましたが、現在の教皇フランシスコはフリーメイスンリーの盛んなアルゼンチンの出身であり、フリーメイスンリーロッジを訪問する姿もフェイスブックの写真であったりとカトリックとしてもフリーメイスンリーの活動に寛容であるようですがまた一方ではこうしたフリーメイスンリーの本場のスコットランドでもこうした教会の人気があったりします。なかなか時代は変わっていきます。

バス停の近くのお土産屋さんはロスリン礼拝堂の観光客を目当てにしているのか、様々な石や六芒星のようなシンボル、仏像のような様々な印象的なお土産を置いていました。

バス停のすぐ先にフリーメイスンリーのロッジがありました。

こちらにもやはりイベントの告知がありました。誰も人がいなかったのでフリーメイスンと直接会う事はありませんでした。

バスは30分に一本くらいだったでしょうか。これは帰りにバスから撮ったエディンバラ大学のロスリン研究所です。クローン羊のドリーを作成して世界的に話題になった場所です。副題ともしましたが人類の遺伝子の二重らせんを引き継ぐ永劫の取り組みは現代でも変わることなく行われ、それを象徴するのがこのロスリンの地、ローズラインの地という事で良いのかと思います。生命科学の研究者や臨床医学、基礎医学に携わる人は是非一度訪問して生命倫理、我々が引き継いで受け渡していく生命の繋がりを今一度考える機会の場としたら良いのではないかと思ったりしました。科学と宗教が一致した中心、GodとGeometryのGを中心に据えたフリーメイスンリーのシンボルの土地はそんな現代の諸問題の原点に立ち戻ることができる土地かもしれません。

クローンではない羊も沢山いました。実はクローンかもしれませんね。やはりハギスは日本ではなかなか食べられなさそうです。

帰りに驟雨がひとしきりありました。ノアの洪水なのかもしれませんが、もちろんその後また虹を三度見ることになります。
日本銀行の本店の建物については最近特にニュースで写すことが多いのでいわゆる日本の通貨の単位「円」の形をしているという事は有名かと思います。




まあこれだとフリーメイスンリーの謎にならないわけですが、まあこれだけ出せばこのブログを継続して読んでいる方はすぐに分かってしまうわけですが、とりあえず相変わらずウィキペディアの解説をコピペします。
本館
設計は辰野金吾で、ベルギー国立銀行を参考に1896年(明治29年)2月竣工した。1891年(明治24年)に発生した濃尾地震の教訓から、高橋是清の指示で建物上部を軽量化し耐震性を高めることを決定、2階3階は煉瓦造石貼りに変更された。1974年2月5日に国の重要文化財に指定されている。
建築家の名前はこのブログでは国会議事堂の話で出てきたと思います。最近では建築当初の形に再建された東京駅舎もこの方の設計でした。いずれもAll Seeing Eyeのシンボルやピラミッド型の構造、屋上に繋がる螺旋階段やドーム、白黒の床や天井の星型など基本的にフリーメイスンリーのシンボリズムに則った建築をされる方という認識でよろしいかと思います。ただし国会議事堂に関してはコンペの審査員長をしたのみで、審査をした同年に亡くなり、結果的に選ばれたデザインとは大きく異なる設計で建築されたという事です。まあ経歴から言ってロンドン大学で建築学を学んでおり、指導者が皆フリーメイスンであったとしても本人はそういう事をはっきりとは分かっていなかったのではないでしょうか。
日銀本店の円のデザインについては他のブログで詳しく分析し基本的に円という形に意図して設計されたと結論付けており、私も基本的にそこには意見を同じくします。ただしこのブログはフリーメイスンリーに関する物事を扱うブログであり、この方の建築は基本的にフリーメイスンに指導されているのでフリーメイスンリーのシンボリズムを意識した建築とはなっていますが、本人が意識して建築しているわけではなく、フリーメイスンに指導された通りに建築しているというのが実際のようです。その辺りがこの方の建築の肝なのだと思われますが、では日銀本店の建築はどういうフリーメイスンリーのシンボリズムが入っているのでしょうか。
まあ直前のロスリン礼拝堂のところで触れてしまっているので新し味が全くないわけですが、いわゆるトリプルタウの形なのですね。

まあちょっとこれだと円の形になりづらいところもあるかと思いますので、ロスリン礼拝堂の回で挙げた図を再び挙げます。

まあ要するにまた漢字のシンボリズムなんですね。円という漢字は非常にエルサレム神殿を意味するトリプルタウのシンボリズムと良く似ていたわけです。そういうわけで、日本の貨幣は円という単位になったわけですね。建築家の辰野金吾も円という通貨を決定したという大隈重信もどちらも佐賀県出身であり、佐賀県といえば改宗ユダヤ人であるフルベッキが藩校を取り仕切っていた場所であり、恐らくこのフルベッキがフリーメイスンなのだと思われます。Royal Arch Masonryは基本的にキリスト教徒で構成されるヨークライトの3つのチャプター、グループの最も下に位置する階級のチャプターなわけですが、その中で最高位のHigh Priestという役職ではユダヤ教の司祭の格好となる12個のイミテーションの宝石をつけた胸飾りをつけた衣装を着用するという事で有名であり、キリスト教徒といっても極めてユダヤ教に近い、いわゆるプロテスタント系のイングランド、スコットランド、アメリカで非常に盛んな付随団体となっています。
結局強い円といえば、強いRoyal Arch Masonryと同じだという事で、日本人の意図と全く異なるドル円相場といった為替相場というのもそもそもそういう成り立ちであるという事になるのでしょうか。
日本の紙幣にみるフリーメイスンリーの陰謀など良く言われたりしましたが、まあ陰謀ではなく当然という事になるようです。現在までの紙幣の顔の人物の人選に関してももちろんそういう基準で選ばれているというのはもちろん当然という事なのだと思われます。
ちなみに日銀のマーク自体は紙幣にも印刷されているかと思いますがはっきりとしたAll Seeing Eyeの形です。



ちなみにライオンは英王室のシンボルです。






これだけだと面白くないので後はやはり今話題の日銀総裁の名前の話でしょうか。
現在の日銀総裁は黒田東彦氏でまさにシンボリズムの塊のような名前かと思います。
以前の総裁は白川方明氏でこちらもやはりシンボリズムを明らかに認め、さらにその後の黒田氏と合わせて白黒のシンボリズムになるようです。
それ以前の総裁はそれほどシンボリズムは踏襲しておらず、福井氏と速水氏などは顔が似ているとか雰囲気で選ばれている感もある印象でしょうか。松下氏は1月1日生まれで誕生日のシンボリズムがあるようです。それ以前だと三重野氏が名前のシンボリズムでしょうか。それ以前にさかのぼるとそういうものはほとんど認められないようです。ちなみに日銀本店を建築した時点の総裁は三代目の川田小一郎氏で微妙にシンボリズムがありますが、元々三菱事務総監であったそうですが、日銀総裁就任後は法王と呼ばれるほど絶大な権力をふるったそうです。本店完成後一年立たずに11月7日に急死されています。その後に三菱二代目の岩崎弥之助氏が11月11日に就任したそうです。シンボリズムが引き継がれているのかと思われます。
中央銀行のシステムそのものについては一切触れませんでしたが、イングランド国立銀行から続くFRBの話など陰謀論の話などで必ず出てくるかと思いますので勉強と思って他で検索してみてください。
徐々にヨークライトの話が増えてきたかもしれません。テンプル騎士団の位階もヨークライトの位階であり、最高位はテンプル騎士団かマルタ騎士団という事になっているかと思います。マルタ騎士団はブラザーナポレオンが実際にフリーメイスンとなる儀式を行ったのがマルタ島のロッジで行ったとかもあるそうで、マルタ騎士団についてもロスリン礼拝堂と同じくフリーメイスンリーに繋がる確固たるものがあるようです。
この後は円の漢字を使った鎌倉の寺の話をしようと思いましたが、長くなるので次の回に分けました。




まあこれだとフリーメイスンリーの謎にならないわけですが、まあこれだけ出せばこのブログを継続して読んでいる方はすぐに分かってしまうわけですが、とりあえず相変わらずウィキペディアの解説をコピペします。
本館
設計は辰野金吾で、ベルギー国立銀行を参考に1896年(明治29年)2月竣工した。1891年(明治24年)に発生した濃尾地震の教訓から、高橋是清の指示で建物上部を軽量化し耐震性を高めることを決定、2階3階は煉瓦造石貼りに変更された。1974年2月5日に国の重要文化財に指定されている。
建築家の名前はこのブログでは国会議事堂の話で出てきたと思います。最近では建築当初の形に再建された東京駅舎もこの方の設計でした。いずれもAll Seeing Eyeのシンボルやピラミッド型の構造、屋上に繋がる螺旋階段やドーム、白黒の床や天井の星型など基本的にフリーメイスンリーのシンボリズムに則った建築をされる方という認識でよろしいかと思います。ただし国会議事堂に関してはコンペの審査員長をしたのみで、審査をした同年に亡くなり、結果的に選ばれたデザインとは大きく異なる設計で建築されたという事です。まあ経歴から言ってロンドン大学で建築学を学んでおり、指導者が皆フリーメイスンであったとしても本人はそういう事をはっきりとは分かっていなかったのではないでしょうか。
日銀本店の円のデザインについては他のブログで詳しく分析し基本的に円という形に意図して設計されたと結論付けており、私も基本的にそこには意見を同じくします。ただしこのブログはフリーメイスンリーに関する物事を扱うブログであり、この方の建築は基本的にフリーメイスンに指導されているのでフリーメイスンリーのシンボリズムを意識した建築とはなっていますが、本人が意識して建築しているわけではなく、フリーメイスンに指導された通りに建築しているというのが実際のようです。その辺りがこの方の建築の肝なのだと思われますが、では日銀本店の建築はどういうフリーメイスンリーのシンボリズムが入っているのでしょうか。
まあ直前のロスリン礼拝堂のところで触れてしまっているので新し味が全くないわけですが、いわゆるトリプルタウの形なのですね。

まあちょっとこれだと円の形になりづらいところもあるかと思いますので、ロスリン礼拝堂の回で挙げた図を再び挙げます。

まあ要するにまた漢字のシンボリズムなんですね。円という漢字は非常にエルサレム神殿を意味するトリプルタウのシンボリズムと良く似ていたわけです。そういうわけで、日本の貨幣は円という単位になったわけですね。建築家の辰野金吾も円という通貨を決定したという大隈重信もどちらも佐賀県出身であり、佐賀県といえば改宗ユダヤ人であるフルベッキが藩校を取り仕切っていた場所であり、恐らくこのフルベッキがフリーメイスンなのだと思われます。Royal Arch Masonryは基本的にキリスト教徒で構成されるヨークライトの3つのチャプター、グループの最も下に位置する階級のチャプターなわけですが、その中で最高位のHigh Priestという役職ではユダヤ教の司祭の格好となる12個のイミテーションの宝石をつけた胸飾りをつけた衣装を着用するという事で有名であり、キリスト教徒といっても極めてユダヤ教に近い、いわゆるプロテスタント系のイングランド、スコットランド、アメリカで非常に盛んな付随団体となっています。
結局強い円といえば、強いRoyal Arch Masonryと同じだという事で、日本人の意図と全く異なるドル円相場といった為替相場というのもそもそもそういう成り立ちであるという事になるのでしょうか。
日本の紙幣にみるフリーメイスンリーの陰謀など良く言われたりしましたが、まあ陰謀ではなく当然という事になるようです。現在までの紙幣の顔の人物の人選に関してももちろんそういう基準で選ばれているというのはもちろん当然という事なのだと思われます。
ちなみに日銀のマーク自体は紙幣にも印刷されているかと思いますがはっきりとしたAll Seeing Eyeの形です。



ちなみにライオンは英王室のシンボルです。






これだけだと面白くないので後はやはり今話題の日銀総裁の名前の話でしょうか。
現在の日銀総裁は黒田東彦氏でまさにシンボリズムの塊のような名前かと思います。
以前の総裁は白川方明氏でこちらもやはりシンボリズムを明らかに認め、さらにその後の黒田氏と合わせて白黒のシンボリズムになるようです。
それ以前の総裁はそれほどシンボリズムは踏襲しておらず、福井氏と速水氏などは顔が似ているとか雰囲気で選ばれている感もある印象でしょうか。松下氏は1月1日生まれで誕生日のシンボリズムがあるようです。それ以前だと三重野氏が名前のシンボリズムでしょうか。それ以前にさかのぼるとそういうものはほとんど認められないようです。ちなみに日銀本店を建築した時点の総裁は三代目の川田小一郎氏で微妙にシンボリズムがありますが、元々三菱事務総監であったそうですが、日銀総裁就任後は法王と呼ばれるほど絶大な権力をふるったそうです。本店完成後一年立たずに11月7日に急死されています。その後に三菱二代目の岩崎弥之助氏が11月11日に就任したそうです。シンボリズムが引き継がれているのかと思われます。
中央銀行のシステムそのものについては一切触れませんでしたが、イングランド国立銀行から続くFRBの話など陰謀論の話などで必ず出てくるかと思いますので勉強と思って他で検索してみてください。
徐々にヨークライトの話が増えてきたかもしれません。テンプル騎士団の位階もヨークライトの位階であり、最高位はテンプル騎士団かマルタ騎士団という事になっているかと思います。マルタ騎士団はブラザーナポレオンが実際にフリーメイスンとなる儀式を行ったのがマルタ島のロッジで行ったとかもあるそうで、マルタ騎士団についてもロスリン礼拝堂と同じくフリーメイスンリーに繋がる確固たるものがあるようです。
この後は円の漢字を使った鎌倉の寺の話をしようと思いましたが、長くなるので次の回に分けました。
鎌倉には有名な禅寺として円覚寺があります。円を覚ると書いて円覚寺なわけですが、もちろん戦前は旧字体の圓覚寺であったわけで、戦後はRoyal Arch Masonryのシンボリズムになったというようです。夏目漱石がロンドン留学前に座禅を組んだり、島崎藤村も座禅したなどありますが、開高健の墓があったり有名人の墓がたくさんあるかと思います。フリーメイスンリーの中心にはやはりキリスト教とユダヤ教とがあり、我々日本人の固有の伝統宗教のみではフリーメイスンリーの中心の高みにはなかなか入りづらく円を書くように周囲を回る事になってしまうという事を象徴する話のようです。ちなみにGodのシンボルGは円周を止めて中に入るというシンボリズムの意味のようです。

フリーメイスンリーの円周の形のシンボリズムとしてはグノーシスのシンボルや子午線と太陽のシンボルがあるかと思います。その他には太陽十字や太陽そのもの、東洋のシンボルとしては太極、仏教の法輪などがあるかと思います。特に太極や仏教の法輪などはグノーシスのシンボリズムの意味を含むものかと思われます。






鎌倉には他にも光明寺という浄土宗大本山のお寺もあります。増上寺と同じ宗派のようですが、やはり寺の名前はシンボリズムを踏襲しているようです。漢字や東アジアの文化は欧米のシンボリズムとは異なる成り立ちのものですが、元となる本質は同じというのがシンボリズムの考え方であり、漢字や東アジアの文化のシンボリズムもやはりシンボリズムを基本に考えるフリーメイスンリーの基本的な評価や判断方法である事は変わりなく、もちろんそれはシンボリズムのみを変更する事は不可能で、シンボルは実態を反映するものであるというこれまたシンボリズムの本質が反映されているものかと思います。
鎌倉でもう一つ面白いのが鎌倉を愛し在住しノーベル文学賞を受賞しながらも自殺した川端康成の使用した家紋が北条氏と同じく三つ鱗であることでした。

北条氏の家紋は太平記によれば北条政子の父親の北条時政の時代から使用し始めたとされるようですが、実際武士の棟梁である源頼朝の源氏は当時家紋が無かったようでシンボルは白旗であり、家来の方に当たる北条氏が家紋があるのはおかしな話です。江の島の弁財天の逸話などが伝承されているそうですが、北条政子などは井桁菊などを使用していたなどもあり、はっきりしたところは分からないようです。承久の乱の際に天皇家が菊花紋を使い始めたという伝承があるそうで、恐らく日本の武士たちが家紋を意識し始めたのはこの頃からのようです。元寇の絵図の中に家紋があることから少なくとも北条時宗の時代にはあった事は確実視されているようです。それに関連してか現在の横綱のモンゴル出身の白鳳関はこの三つ鱗の家紋を使用しているそうです。もしかすると当時ユーラシア大陸を制覇してキリスト教社会やユダヤ教社会と濃厚に接触していたモンゴル人から元寇後に教わった家紋であるのかもしれません。この三つ鱗の紋はなかなか面白い一族が使用していて、後北条氏もそうですが、鉄砲伝来した種子島家も使用していたそうです。あとは正岡子規やホテルニュージャパンの経営で知られる横井英樹氏も使用していたそうです。ちなみに横井秀樹氏は11月30日に亡くなられたそうです。前述の川端康成の自殺にも直前に日蓮上人の幻を見ていたなど様々な逸話があり、遺書も残っておらず本当に自殺かどうか未だに謎は残されているようです。まあ色々ありそうな三つのピラミッドの家紋の話でした。
鎌倉は残念ながら世界遺産の選考から漏れてしまい苦しい立場になった事かと思いますが、是非この北条氏の家紋を利用して街中に北条氏の家紋を使用したピラミッドを作ってみてはいかがでしょうか。世界遺産の選考に関係があるとは思えませんが、地域の活性化に一役買う事は間違いないかと思います。

(これは検索で出てきた島根県の砂時計の博物館のモニュメントのようです。)
そういえば後北条氏の末裔の方が創価学会の会長をされていたりしたかと思います。鎌倉の仏教の歴史は日本の一般的な仏教の歴史の中心であり、日本の宗教といえば基本的には仏教の教えが最も確かなものと認識されているかと思いますが、なかなか仏教の教えだけでは円の中には入れないようでした。

フリーメイスンリーの円周の形のシンボリズムとしてはグノーシスのシンボルや子午線と太陽のシンボルがあるかと思います。その他には太陽十字や太陽そのもの、東洋のシンボルとしては太極、仏教の法輪などがあるかと思います。特に太極や仏教の法輪などはグノーシスのシンボリズムの意味を含むものかと思われます。






鎌倉には他にも光明寺という浄土宗大本山のお寺もあります。増上寺と同じ宗派のようですが、やはり寺の名前はシンボリズムを踏襲しているようです。漢字や東アジアの文化は欧米のシンボリズムとは異なる成り立ちのものですが、元となる本質は同じというのがシンボリズムの考え方であり、漢字や東アジアの文化のシンボリズムもやはりシンボリズムを基本に考えるフリーメイスンリーの基本的な評価や判断方法である事は変わりなく、もちろんそれはシンボリズムのみを変更する事は不可能で、シンボルは実態を反映するものであるというこれまたシンボリズムの本質が反映されているものかと思います。
鎌倉でもう一つ面白いのが鎌倉を愛し在住しノーベル文学賞を受賞しながらも自殺した川端康成の使用した家紋が北条氏と同じく三つ鱗であることでした。

北条氏の家紋は太平記によれば北条政子の父親の北条時政の時代から使用し始めたとされるようですが、実際武士の棟梁である源頼朝の源氏は当時家紋が無かったようでシンボルは白旗であり、家来の方に当たる北条氏が家紋があるのはおかしな話です。江の島の弁財天の逸話などが伝承されているそうですが、北条政子などは井桁菊などを使用していたなどもあり、はっきりしたところは分からないようです。承久の乱の際に天皇家が菊花紋を使い始めたという伝承があるそうで、恐らく日本の武士たちが家紋を意識し始めたのはこの頃からのようです。元寇の絵図の中に家紋があることから少なくとも北条時宗の時代にはあった事は確実視されているようです。それに関連してか現在の横綱のモンゴル出身の白鳳関はこの三つ鱗の家紋を使用しているそうです。もしかすると当時ユーラシア大陸を制覇してキリスト教社会やユダヤ教社会と濃厚に接触していたモンゴル人から元寇後に教わった家紋であるのかもしれません。この三つ鱗の紋はなかなか面白い一族が使用していて、後北条氏もそうですが、鉄砲伝来した種子島家も使用していたそうです。あとは正岡子規やホテルニュージャパンの経営で知られる横井英樹氏も使用していたそうです。ちなみに横井秀樹氏は11月30日に亡くなられたそうです。前述の川端康成の自殺にも直前に日蓮上人の幻を見ていたなど様々な逸話があり、遺書も残っておらず本当に自殺かどうか未だに謎は残されているようです。まあ色々ありそうな三つのピラミッドの家紋の話でした。
鎌倉は残念ながら世界遺産の選考から漏れてしまい苦しい立場になった事かと思いますが、是非この北条氏の家紋を利用して街中に北条氏の家紋を使用したピラミッドを作ってみてはいかがでしょうか。世界遺産の選考に関係があるとは思えませんが、地域の活性化に一役買う事は間違いないかと思います。

(これは検索で出てきた島根県の砂時計の博物館のモニュメントのようです。)
そういえば後北条氏の末裔の方が創価学会の会長をされていたりしたかと思います。鎌倉の仏教の歴史は日本の一般的な仏教の歴史の中心であり、日本の宗教といえば基本的には仏教の教えが最も確かなものと認識されているかと思いますが、なかなか仏教の教えだけでは円の中には入れないようでした。
原爆投下については事前に日本政府に情報が伝達されていたなど様々なこの時期に関する陰謀論や暴露本的な本に書かれていたりしますが、9.11テロやそれ以前の真珠湾攻撃の日米開戦など世界史を変える大きな出来事にはそれぞれ様々な秘話が付きものであり、後世の人間はそれらをすべてひっくるめて歴史として認識するほか無いものかと思われます。
恐らく信頼できる情報としては原爆投下の約一か月前ほどにインド地域でイギリス政府から日本本土に新型爆弾の使用が予定されているといった情報が日本に伝わる形で伝達されていたというもので、当時は日本全土が連日空襲にさらされている時代であり、新型爆弾の威力自体についてはほぼ未知のものであり、当時に放射能や原子爆弾について知識があったのは限られた人間であり、ある程度予感や予期したものがあったとしても現実的には全く新しい惨劇であったというのが実際であったかと思われます。
当時のエピソードとしては広島の相生橋の目標投下地点となった場所がT字型で、実際に爆心地となった医院の院長だけは往診で爆心から離れており被爆を免れたとか、三笠宮殿下が山を挟んで反対の陸軍の大本営にいたとか、まあほぼ現在では大方の原爆投下への流れの概要は出尽くしているようです。参考となるQ&Aがありましたのでリンクしておきます。
ナショナルジオグラフィックの動画を置きます。
また長崎の原爆投下に関してはもちろん当時の日本で最もキリスト教徒が存在した地域をほぼ爆心地に含んだ形で投下が行われ、それが公式には小倉への投下が天候不良から行われず第二目標の長崎が選ばれ、なおかつ目標地点である中心地ではなく浦上地区の直上に投下されたというなんとも腑に落ちない理由付けが行われていますが、もちろん日本のキリスト教徒が日独伊三国同盟も含めて大政翼賛体制の中で全体主義の一翼を担う形となり、ブラザーデッカーが考えたような民主主義と自由の確固たる信念の元としてのキリスト教思想にはなりえなかったという現実が背景にあるかと思われます。ブラザーデッカーの回想録でも戦後の日本のドイツ人に関する記述がありましたが、敗戦直後の日本においてカトリックやプロテスタントの対立を含んだドイツ系外国人と英米系外国人の間の戦後の清算のごとき凄惨な事件も数多くあったようです。

こちらについても参考となるブログがありましたのでリンクしておきます。
長崎の原爆投下に関してはフィルムが存在します。
さてそういうわけで本題の広島に原爆投下を行ったB-29爆撃機のエノラ・ゲイの謎になります。
まず前提として広島と長崎への二つの原爆投下の事実についてそれぞれの時刻や出撃機、搭乗員について見ていきます。
広島への原爆投下 1945年(昭和20年)8月6日午前8時15分
エノラ・ゲイ号(原爆投下を実際に行った機、機長のポール・ティベッツの母親であるエノラ・ゲイ・ティベッツの名前から命名された。)
機長 ポール・ウォーフィールド・ティベッツ・ジュニア 1915年2月23日 - 2007年11月1日
電気回路制御・計測士 モリス・リチャード・ジェプソン 1922年6月23日 - 2010年3月30日
リトルボーイ(広島に投下されたウラン型原爆の名前)


グレート・アーティスト号(原爆投下の科学観測を行った機)
機長 チャールズ・W・スウィーニー 1919年12月27日 - 2004年7月15日
爆撃士 レイモンド・カーミット・ビーハン 1918年8月9日 - 1989年3月9日
同乗した物理学者 ルイス・ウォルター・アルヴァレズ 1911年6月13日 - 1988年9月1日(マンハッタン計画に参加して爆縮レンズに使用する起爆電橋線型雷管を開発した。1968年、水素泡箱の利用による共鳴状態の発見など、素粒子物理学への貢献によりノーベル物理学賞を受賞した。1980年、地質学者である息子のウォルターと白亜紀から第三紀の境界の粘度層に含まれるイリジウムの濃度が高いことを見出し、隕石衝突による大量絶滅の説を発表した。)


長崎への原爆投下 1945年(昭和20年)8月9日午前11時02分
ボックスカー号(原爆投下を実際に行った機、通常の機長のフレデリック・ボックの名前から命名された。)
原爆投下時の機長 チャールズ・W・スウィーニー 1919年12月27日 - 2004年7月15日
原爆投下時の爆撃士 レイモンド・カーミット・ビーハン 1918年8月9日 - 1989年3月9日
ファットマン(長崎に投下されたプルトニウム型原爆の名前、シンマン(痩せた男)というそれ以前のプルトニウム型原爆が開発中止となりファットマンに移行した。ブラザーフランクリン・ルーズベルト大統領とブラザーチャーチル首相にそれぞれちなんでいる。)



グレート・アーティスト号(原爆投下の科学観測を行った機)
機長 フレデリック・カール・ボック 1918年1月18日 - 2000年8月25日
同乗した記者 ウィリアム・レオナルド・ローレンス 1888年3月7日 ‐ 1977年3月19日(ニューヨークタイムスのユダヤ人記者でマンハッタン計画でのトリニティー実験も見学した。二つの核爆弾の目撃と記録からピュリツァー賞を二度受賞した。核の時代という言葉を作ったとされる。)
まあ相変わらずウィキペディアの情報を抜粋したわけですが、原爆投下都市として選ばれた理由は広島が軍都として軍需工場や司令部が存在し、かつ人口も多く空襲をまだそれほど受けていなかった事、山に囲まれた地形になっていったことなどが挙げられるようです。長崎はいわゆる小倉の第二候補地として挙げられ続けたようですが、上述したように宗教的なシンボルとして戦後統治を含めた目的があったものと考えられます。その他の候補地としては横浜や新潟、京都があったそうですが、横浜は原爆投下候補から外れた翌日に横浜大空襲を受けたそうで、新潟は長崎の投下後に原爆投下の噂が流れて疎開しているそうです。実際には第三の原爆投下目標は京都であったそうですが、8月15日のポツダム宣言受託をもってプルトニウムはテニアン島に運ばれなかったそうです。
さてまあそこでフリーメイスンリーのシンボリズムですが、もちろん時刻のシンボリズムは良いかと思います。広島で8時15分に落とされたのはその後の8月15日を連想させるかと思いますし、ちょうど天気の良い朝で日本人が皆外に出ることを予想した時刻であったかと思われます。長崎の11時2分は建国記念日の2.11のシンボリズムと同じでありユダヤ教を連想させるものであると同時に浦上天主堂の聖母被昇天のミサに向けた秘蹟の儀式を執り行っていた時刻であるそうです。日付はそれぞれ3の倍数なんだと思います。
搭乗員で明らかにフリーメイスンというのは分かりませんが、ウィキペディアでも搭乗員の具体的な行状についてはリンクが無いのが現実で、恐らく機長の方たちはフリーメイスンになったのだと思われますが、数十万人の民間人の命ととその後の被爆者の原爆症の災禍があることを考えるとこれが現実のようです。ウィキペディアに項目がある方で誕生日と忌日のシンボリズムがありそうな人と、その他同乗者でフリーメイスンリーに関係してそうな方を挙げました。基本的に原爆投下に関わった軍人は長命な方が多いようです。
エノラ・ゲイの機長のポール・ティベッツの忌日の2007年11月1日というのは一つのかなり分かりやすいシンボリズムだと思われます。またリトルボーイの安全弁を持っていたというモリス・ジェプソンの1922年6月23日 - 2010年3月30日というのもかなり珍しいほどのシンボリズムとなっています。恐らくこの二名の方はフリーメイスンなのでしょう。また長崎で原爆投下機の機長であったチャールズ・スウィーニーの誕生日も1919年12月27日と福音記者ヨハネの祝日でありフリーメイスンかと思われます。同乗したニューヨークタイムスの記者や物理学者がそれぞれピュリッツァー賞やノーベル賞を獲得し、それぞれ重要な功績を残されているところも注目に値するかと思われます。
原爆の名前に関してはウィキペディアの内容をコピペしましたが、そこから考えるとリトルボーイはどう考えてもブラザートルーマンを意味するかと思います。身長175㎝ほどでそれほど平均から比べて小さいわけではありませんがそういう印象を持たれる方であったのかと思われます。


さてここから問題のB-29の名前についてです。どちらの投下でも観測機として働いたグレート・アーティスト号は明らかにフリーメイスンリーの至高の存在であるGreat Architect偉大なる創造主をもじっているかと思われます。爆撃士の愛称から付けられたとありますが詳しい経緯は分かりません。また長崎で投下したボックスカーは箱という意味で聖櫃やパーフェクトアシュラーを連想させるのだと思われます。
最後の本題のエノラ・ゲイですが、これに関してはウィキペディアで解説がなされています。
でこのブログの意味になるわけですが、まあ要するにFacebookでフランス人のブラザーが投稿していてその内容なわけですね。原文をコピーしなかったので流れてしまったわけですが、インターネットで検索しても出てこないので恐らく原典に当たる事は出来ないかと思います。それぞれこれだけ意味のあるシンボリズムを配して第二次世界大戦を終戦に持って行き、その後の東西冷戦を構築していく中で象徴的な飛行機の名前が単なる機長の母親の名前で意味が込められていないという事はありうるのでしょうか。
まあそこまで考えなくともEnola Gayに何か意味が込められていると考えるのはかなり普通かと思いますが、なかなかそういう確実な話はこれまで聞いたことがなく、私もこの話を見たときはちょっと眉唾ものと思い恐らく陰謀論の作り話の話のようなものでブログにする内容ではないと思いましたが、それなりに周辺も調べてみて結局記事としました。
Enola Gayを逆につづるとYa G Aloneとなり、Yahweh God Alone ヤハウェ神のみの意味になるという事が投下直後にロンドンのイスラエル共和国新聞というようなユダヤ系の新聞に載っていたという投稿でした。私も懐疑的であり、他のフリーメイスンも懐疑的なコメントを寄せたりしていましたが、全体で考えるとそういう含意で機長がそもそもそういう逆さ綴りの意味を込めて命名していてそれを知って恐らくブラザートルーマンかユダヤ系の人物が選んだのだと思われます。まさにユダヤ系の科学者や政治家、英米フリーメイスンリーが総力を結集して行ったマンハッタン計画、ニューヨークのマンハッタンの建設もニューアムステルダムから1666年の奇跡の年の英蘭戦争後の領土の割譲であったわけですが、そういう壮大な計画の最後を締めくくるにふさわしいエノラ・ゲイの謎であったと思われます。


宗教的寛容と厳密さは表裏一体であり、日本のような多神教やキリスト教から遠い世界は基本的には一神教の投影などと定義され、厳密に一神教であるところからの派生であると理解されます。それがまたシンボリズムではGloryの表現ともなるわけです。そういう世界宗教への道筋を整えるのもまたフリーメイスンリーの一つの側面であることは間違いなく存在するのです。
(2013/8/30追記:二発の原爆というのも日本の象徴という意味があるものと思われます。ツインタワーの象徴と9.11テロの意味がまた繋がるのだと思われます。)
(2014/8/6追記:Ya G Aloneの元ネタとなるブログがありました。)
恐らく信頼できる情報としては原爆投下の約一か月前ほどにインド地域でイギリス政府から日本本土に新型爆弾の使用が予定されているといった情報が日本に伝わる形で伝達されていたというもので、当時は日本全土が連日空襲にさらされている時代であり、新型爆弾の威力自体についてはほぼ未知のものであり、当時に放射能や原子爆弾について知識があったのは限られた人間であり、ある程度予感や予期したものがあったとしても現実的には全く新しい惨劇であったというのが実際であったかと思われます。
当時のエピソードとしては広島の相生橋の目標投下地点となった場所がT字型で、実際に爆心地となった医院の院長だけは往診で爆心から離れており被爆を免れたとか、三笠宮殿下が山を挟んで反対の陸軍の大本営にいたとか、まあほぼ現在では大方の原爆投下への流れの概要は出尽くしているようです。参考となるQ&Aがありましたのでリンクしておきます。
ナショナルジオグラフィックの動画を置きます。
また長崎の原爆投下に関してはもちろん当時の日本で最もキリスト教徒が存在した地域をほぼ爆心地に含んだ形で投下が行われ、それが公式には小倉への投下が天候不良から行われず第二目標の長崎が選ばれ、なおかつ目標地点である中心地ではなく浦上地区の直上に投下されたというなんとも腑に落ちない理由付けが行われていますが、もちろん日本のキリスト教徒が日独伊三国同盟も含めて大政翼賛体制の中で全体主義の一翼を担う形となり、ブラザーデッカーが考えたような民主主義と自由の確固たる信念の元としてのキリスト教思想にはなりえなかったという現実が背景にあるかと思われます。ブラザーデッカーの回想録でも戦後の日本のドイツ人に関する記述がありましたが、敗戦直後の日本においてカトリックやプロテスタントの対立を含んだドイツ系外国人と英米系外国人の間の戦後の清算のごとき凄惨な事件も数多くあったようです。

こちらについても参考となるブログがありましたのでリンクしておきます。
長崎の原爆投下に関してはフィルムが存在します。
さてそういうわけで本題の広島に原爆投下を行ったB-29爆撃機のエノラ・ゲイの謎になります。
まず前提として広島と長崎への二つの原爆投下の事実についてそれぞれの時刻や出撃機、搭乗員について見ていきます。
広島への原爆投下 1945年(昭和20年)8月6日午前8時15分
エノラ・ゲイ号(原爆投下を実際に行った機、機長のポール・ティベッツの母親であるエノラ・ゲイ・ティベッツの名前から命名された。)
機長 ポール・ウォーフィールド・ティベッツ・ジュニア 1915年2月23日 - 2007年11月1日
電気回路制御・計測士 モリス・リチャード・ジェプソン 1922年6月23日 - 2010年3月30日
リトルボーイ(広島に投下されたウラン型原爆の名前)


グレート・アーティスト号(原爆投下の科学観測を行った機)
機長 チャールズ・W・スウィーニー 1919年12月27日 - 2004年7月15日
爆撃士 レイモンド・カーミット・ビーハン 1918年8月9日 - 1989年3月9日
同乗した物理学者 ルイス・ウォルター・アルヴァレズ 1911年6月13日 - 1988年9月1日(マンハッタン計画に参加して爆縮レンズに使用する起爆電橋線型雷管を開発した。1968年、水素泡箱の利用による共鳴状態の発見など、素粒子物理学への貢献によりノーベル物理学賞を受賞した。1980年、地質学者である息子のウォルターと白亜紀から第三紀の境界の粘度層に含まれるイリジウムの濃度が高いことを見出し、隕石衝突による大量絶滅の説を発表した。)


長崎への原爆投下 1945年(昭和20年)8月9日午前11時02分
ボックスカー号(原爆投下を実際に行った機、通常の機長のフレデリック・ボックの名前から命名された。)
原爆投下時の機長 チャールズ・W・スウィーニー 1919年12月27日 - 2004年7月15日
原爆投下時の爆撃士 レイモンド・カーミット・ビーハン 1918年8月9日 - 1989年3月9日
ファットマン(長崎に投下されたプルトニウム型原爆の名前、シンマン(痩せた男)というそれ以前のプルトニウム型原爆が開発中止となりファットマンに移行した。ブラザーフランクリン・ルーズベルト大統領とブラザーチャーチル首相にそれぞれちなんでいる。)



グレート・アーティスト号(原爆投下の科学観測を行った機)
機長 フレデリック・カール・ボック 1918年1月18日 - 2000年8月25日
同乗した記者 ウィリアム・レオナルド・ローレンス 1888年3月7日 ‐ 1977年3月19日(ニューヨークタイムスのユダヤ人記者でマンハッタン計画でのトリニティー実験も見学した。二つの核爆弾の目撃と記録からピュリツァー賞を二度受賞した。核の時代という言葉を作ったとされる。)
まあ相変わらずウィキペディアの情報を抜粋したわけですが、原爆投下都市として選ばれた理由は広島が軍都として軍需工場や司令部が存在し、かつ人口も多く空襲をまだそれほど受けていなかった事、山に囲まれた地形になっていったことなどが挙げられるようです。長崎はいわゆる小倉の第二候補地として挙げられ続けたようですが、上述したように宗教的なシンボルとして戦後統治を含めた目的があったものと考えられます。その他の候補地としては横浜や新潟、京都があったそうですが、横浜は原爆投下候補から外れた翌日に横浜大空襲を受けたそうで、新潟は長崎の投下後に原爆投下の噂が流れて疎開しているそうです。実際には第三の原爆投下目標は京都であったそうですが、8月15日のポツダム宣言受託をもってプルトニウムはテニアン島に運ばれなかったそうです。
さてまあそこでフリーメイスンリーのシンボリズムですが、もちろん時刻のシンボリズムは良いかと思います。広島で8時15分に落とされたのはその後の8月15日を連想させるかと思いますし、ちょうど天気の良い朝で日本人が皆外に出ることを予想した時刻であったかと思われます。長崎の11時2分は建国記念日の2.11のシンボリズムと同じでありユダヤ教を連想させるものであると同時に浦上天主堂の聖母被昇天のミサに向けた秘蹟の儀式を執り行っていた時刻であるそうです。日付はそれぞれ3の倍数なんだと思います。
搭乗員で明らかにフリーメイスンというのは分かりませんが、ウィキペディアでも搭乗員の具体的な行状についてはリンクが無いのが現実で、恐らく機長の方たちはフリーメイスンになったのだと思われますが、数十万人の民間人の命ととその後の被爆者の原爆症の災禍があることを考えるとこれが現実のようです。ウィキペディアに項目がある方で誕生日と忌日のシンボリズムがありそうな人と、その他同乗者でフリーメイスンリーに関係してそうな方を挙げました。基本的に原爆投下に関わった軍人は長命な方が多いようです。
エノラ・ゲイの機長のポール・ティベッツの忌日の2007年11月1日というのは一つのかなり分かりやすいシンボリズムだと思われます。またリトルボーイの安全弁を持っていたというモリス・ジェプソンの1922年6月23日 - 2010年3月30日というのもかなり珍しいほどのシンボリズムとなっています。恐らくこの二名の方はフリーメイスンなのでしょう。また長崎で原爆投下機の機長であったチャールズ・スウィーニーの誕生日も1919年12月27日と福音記者ヨハネの祝日でありフリーメイスンかと思われます。同乗したニューヨークタイムスの記者や物理学者がそれぞれピュリッツァー賞やノーベル賞を獲得し、それぞれ重要な功績を残されているところも注目に値するかと思われます。
原爆の名前に関してはウィキペディアの内容をコピペしましたが、そこから考えるとリトルボーイはどう考えてもブラザートルーマンを意味するかと思います。身長175㎝ほどでそれほど平均から比べて小さいわけではありませんがそういう印象を持たれる方であったのかと思われます。


さてここから問題のB-29の名前についてです。どちらの投下でも観測機として働いたグレート・アーティスト号は明らかにフリーメイスンリーの至高の存在であるGreat Architect偉大なる創造主をもじっているかと思われます。爆撃士の愛称から付けられたとありますが詳しい経緯は分かりません。また長崎で投下したボックスカーは箱という意味で聖櫃やパーフェクトアシュラーを連想させるのだと思われます。
最後の本題のエノラ・ゲイですが、これに関してはウィキペディアで解説がなされています。
でこのブログの意味になるわけですが、まあ要するにFacebookでフランス人のブラザーが投稿していてその内容なわけですね。原文をコピーしなかったので流れてしまったわけですが、インターネットで検索しても出てこないので恐らく原典に当たる事は出来ないかと思います。それぞれこれだけ意味のあるシンボリズムを配して第二次世界大戦を終戦に持って行き、その後の東西冷戦を構築していく中で象徴的な飛行機の名前が単なる機長の母親の名前で意味が込められていないという事はありうるのでしょうか。
まあそこまで考えなくともEnola Gayに何か意味が込められていると考えるのはかなり普通かと思いますが、なかなかそういう確実な話はこれまで聞いたことがなく、私もこの話を見たときはちょっと眉唾ものと思い恐らく陰謀論の作り話の話のようなものでブログにする内容ではないと思いましたが、それなりに周辺も調べてみて結局記事としました。
Enola Gayを逆につづるとYa G Aloneとなり、Yahweh God Alone ヤハウェ神のみの意味になるという事が投下直後にロンドンのイスラエル共和国新聞というようなユダヤ系の新聞に載っていたという投稿でした。私も懐疑的であり、他のフリーメイスンも懐疑的なコメントを寄せたりしていましたが、全体で考えるとそういう含意で機長がそもそもそういう逆さ綴りの意味を込めて命名していてそれを知って恐らくブラザートルーマンかユダヤ系の人物が選んだのだと思われます。まさにユダヤ系の科学者や政治家、英米フリーメイスンリーが総力を結集して行ったマンハッタン計画、ニューヨークのマンハッタンの建設もニューアムステルダムから1666年の奇跡の年の英蘭戦争後の領土の割譲であったわけですが、そういう壮大な計画の最後を締めくくるにふさわしいエノラ・ゲイの謎であったと思われます。


宗教的寛容と厳密さは表裏一体であり、日本のような多神教やキリスト教から遠い世界は基本的には一神教の投影などと定義され、厳密に一神教であるところからの派生であると理解されます。それがまたシンボリズムではGloryの表現ともなるわけです。そういう世界宗教への道筋を整えるのもまたフリーメイスンリーの一つの側面であることは間違いなく存在するのです。
(2013/8/30追記:二発の原爆というのも日本の象徴という意味があるものと思われます。ツインタワーの象徴と9.11テロの意味がまた繋がるのだと思われます。)
(2014/8/6追記:Ya G Aloneの元ネタとなるブログがありました。)
さあ全面的に有料化して激動のブログですが読者が保てるでしょうか。
内容自体は淡々と継続していきます。
フリーメイスンリーの発祥の地であるロスリン礼拝堂を後にして夕景のエディンバラのプリンスィズストリートです。プリンスィズストリートは旧市街と新市街の間で旧市街が主に観光客向けの店やパブが並ぶのに対して、こちらの新市街になるプリンスィズストリートはブティックやオシャレな店が並び、基本的には観光客を意識していますが、マンションのような建物もあり住人にとってのメインストリートとなるようです。後で出てくるフリーメイスンリー歴史学会とセットであったガラディナーの場所であるニュークラブのある通りもここでした。

今回は主にジョージホテルのある新市街側周辺と旧市街の一部、ホリールード公園などを主に回りましたが、その他にも旧市街のエディンバラ大学側にはジョン・ノックスの住んだ家やエディンバラ博物館、忠犬ハチ公のモデルになったようなボビーという犬が埋葬されているグレーフライヤーズ教会墓地、ハリーポッターが書かれたというパブ、エレファントハウスという場所もあるそうです。どうもハリーポッターの内容も簡単なデモレーかボーイスカウトの話のような物語のようです。新市街の方も国立肖像画博物館や私が結局行かれなかった聖メアリー教会ロッジといったなかなかフリーメイスンリー的に重要な場所が多数あるそうです。また再びいく機会があればこれらすべて巡ってきたいかと思っています。また衛星写真を見ると分かるかと思いますが、エディンバラの西側には教会が多いのですが、その部分にはスコットランド国教会のシンボルともなっているクレシェントClescent、このブログではヴェシカ・パイシーズVesica piscisとして紹介している形が認められます。女性器の象徴としてあり、その一方でカールトンヒルの塔などが男性器の象徴として対応して、それぞれ対になっている構成かと思われます。横浜のランドマークタワーなどもそれに対応しているのかと思われますが、それと同じように主要な通りの名前もジョージストリートの北側にクイーンズストリートがあり、プリンスィズストリートは元は守護聖人のセントジャイルズストリートであったそうですが、ジョージ三世の意向で王子を意味するプリンスィズストリートとなったそうです。

ウィキペディアにあった新市街の設計図を載せておきます。
それでは写真です。

これはプリンスィズストリートの西の端に位置する福音記者聖ヨハネ教会です。スコットランド聖公会になるそうです。ウェストミンスター宮殿と良く似た形となっています。ある程度似せているなどあるのかもしれません。


これはまあ完全な逆光ですがブラザージェームズ・シンプソンという産科医でクロロホルムによる麻酔の医学への応用を初めて行った方だそうです。エディンバラ大学の産科の教授でヴィクトリア女王の出産にクロロホルムによる麻酔を使用したそうです。クロロホルム自体は毒性があるためその後は使用されなくなりました。恐らくフリーメイスンなのだと思われます。

これはまあ完全に逆光ですがエディンバラ城のショットです。

ブラザートマス・ガスリーの銅像です。篤志家でそもそもエディンバラ大学で外科学と神学を勉強したそうですが、後に牧師となりRagged School慈善学校を建設したそうです。やはりスコットランド自由教会の重要な指導者であったそうです。











散りかけの桜となんとか重ね合わせようとしているのですが、どうも完全な逆光にiPhoneのカメラは弱いようです。今回の旅行ではやたらと逆光で撮っていますが、まあiPhoneのカメラの限界なのでしょうね。どうも逆光で必死で撮るような刷り込みがあったようです。




王立スコットランド竜騎兵、第二竜騎兵またはその後合併して王立スコットランド近衛竜騎兵となった部隊を記念した騎馬像です。いわゆるバグパイプを鳴らす騎兵連隊です。騎馬から銃を射撃したそうです。特にワーテルローの戦いで活躍して、フランス軍の象徴である鷲のシンボルを奪ったためそれを部隊のシンボルとしているようです。ジャコバイトの反乱でも活躍したそうで、第二次世界大戦時には戦車部隊となったようですが参加し、その後騎兵部隊として合併されたようです。

完全に逆光ですが頭の形からブラザーアラン・ラムゼーという詩人、鬘職人の銅像と思われます。詩人として1712年のEasy Clubというクラブの創設メンバーであり、桂冠されているそうです。15・16世紀の詩人たちとその後のブラザーロバート・ファーガソンやブラザーロバート・バーンズの時代を繋ぐ詩人とされているそうです。ウィキペディアに詩がありましたので参照してください。


王立スコットランドアカデミーのスフィンクスです。スコットランドでは珍しくユニオンフラッグがはためいていたので撮ったのだと思います。

ブラザージョン・ウィルソンの銅像です。ブラックウッドエディンバラマガジンという雑誌で執筆されていたそうで、クリストファー・ノースというペンネームでホイッグ党を支持したエディンバラレビューという雑誌のライバルとして支持されたそうです。ホイッグ党とトーリー党という派閥自体がその後の名誉革命の引き金となるカトリックのチャールズ二世の即位をきっかけに生まれたそうです。王権神授説と国教会支持で王権に対して保守的であったのがトーリー党で、現在の保守党となり、国教会以外に宗教的に寛容で王権に対して議会が制限する姿勢であったのがホイッグ党で後に自由党、自由民主党となり、現在は保守党と連立政権を組んでいるそうですが、二大政党制からは労働党にその勢力を奪われてしまっているようです。

これは唯一逆光にならずにとれた花壇ですね。まあ非常に綺麗でしたが、カメラが悪かったようです。

これは以前も触れたブラザーアダム・ブラックの銅像です。

これはやはりブラザースコット記念塔です。後々に中に上がって解説します。

これはジョージホテルの隣にある聖アンドリューと聖ジョージの西教会というスコットランド長老派教会の教会です。やはり新市街が建設された際に建設されたそうです。ホームページによるとお茶会やコンサートなどを盛んに開いているそうです。写真はセントアンドリュースクエア近くの聖アンドリュー教会の方です。もう一方の聖ジョージの西教会はシャルロット広場の近くにあるようです。とにかく新市街は街が対称形に一致して作られているのですね。そして長老派教会と自由教会とバプティストとカトリックがそれぞれ様々に連携して存在しているようです。最近でも教会を閉じたり連携したりと様々に組織が変更しているようです。牧師がやはりフリーメイスンなのだと思われます。
次は日付が変わって翌日です。
内容自体は淡々と継続していきます。
フリーメイスンリーの発祥の地であるロスリン礼拝堂を後にして夕景のエディンバラのプリンスィズストリートです。プリンスィズストリートは旧市街と新市街の間で旧市街が主に観光客向けの店やパブが並ぶのに対して、こちらの新市街になるプリンスィズストリートはブティックやオシャレな店が並び、基本的には観光客を意識していますが、マンションのような建物もあり住人にとってのメインストリートとなるようです。後で出てくるフリーメイスンリー歴史学会とセットであったガラディナーの場所であるニュークラブのある通りもここでした。

今回は主にジョージホテルのある新市街側周辺と旧市街の一部、ホリールード公園などを主に回りましたが、その他にも旧市街のエディンバラ大学側にはジョン・ノックスの住んだ家やエディンバラ博物館、忠犬ハチ公のモデルになったようなボビーという犬が埋葬されているグレーフライヤーズ教会墓地、ハリーポッターが書かれたというパブ、エレファントハウスという場所もあるそうです。どうもハリーポッターの内容も簡単なデモレーかボーイスカウトの話のような物語のようです。新市街の方も国立肖像画博物館や私が結局行かれなかった聖メアリー教会ロッジといったなかなかフリーメイスンリー的に重要な場所が多数あるそうです。また再びいく機会があればこれらすべて巡ってきたいかと思っています。また衛星写真を見ると分かるかと思いますが、エディンバラの西側には教会が多いのですが、その部分にはスコットランド国教会のシンボルともなっているクレシェントClescent、このブログではヴェシカ・パイシーズVesica piscisとして紹介している形が認められます。女性器の象徴としてあり、その一方でカールトンヒルの塔などが男性器の象徴として対応して、それぞれ対になっている構成かと思われます。横浜のランドマークタワーなどもそれに対応しているのかと思われますが、それと同じように主要な通りの名前もジョージストリートの北側にクイーンズストリートがあり、プリンスィズストリートは元は守護聖人のセントジャイルズストリートであったそうですが、ジョージ三世の意向で王子を意味するプリンスィズストリートとなったそうです。

ウィキペディアにあった新市街の設計図を載せておきます。
それでは写真です。

これはプリンスィズストリートの西の端に位置する福音記者聖ヨハネ教会です。スコットランド聖公会になるそうです。ウェストミンスター宮殿と良く似た形となっています。ある程度似せているなどあるのかもしれません。


これはまあ完全な逆光ですがブラザージェームズ・シンプソンという産科医でクロロホルムによる麻酔の医学への応用を初めて行った方だそうです。エディンバラ大学の産科の教授でヴィクトリア女王の出産にクロロホルムによる麻酔を使用したそうです。クロロホルム自体は毒性があるためその後は使用されなくなりました。恐らくフリーメイスンなのだと思われます。

これはまあ完全に逆光ですがエディンバラ城のショットです。

ブラザートマス・ガスリーの銅像です。篤志家でそもそもエディンバラ大学で外科学と神学を勉強したそうですが、後に牧師となりRagged School慈善学校を建設したそうです。やはりスコットランド自由教会の重要な指導者であったそうです。











散りかけの桜となんとか重ね合わせようとしているのですが、どうも完全な逆光にiPhoneのカメラは弱いようです。今回の旅行ではやたらと逆光で撮っていますが、まあiPhoneのカメラの限界なのでしょうね。どうも逆光で必死で撮るような刷り込みがあったようです。




王立スコットランド竜騎兵、第二竜騎兵またはその後合併して王立スコットランド近衛竜騎兵となった部隊を記念した騎馬像です。いわゆるバグパイプを鳴らす騎兵連隊です。騎馬から銃を射撃したそうです。特にワーテルローの戦いで活躍して、フランス軍の象徴である鷲のシンボルを奪ったためそれを部隊のシンボルとしているようです。ジャコバイトの反乱でも活躍したそうで、第二次世界大戦時には戦車部隊となったようですが参加し、その後騎兵部隊として合併されたようです。

完全に逆光ですが頭の形からブラザーアラン・ラムゼーという詩人、鬘職人の銅像と思われます。詩人として1712年のEasy Clubというクラブの創設メンバーであり、桂冠されているそうです。15・16世紀の詩人たちとその後のブラザーロバート・ファーガソンやブラザーロバート・バーンズの時代を繋ぐ詩人とされているそうです。ウィキペディアに詩がありましたので参照してください。


王立スコットランドアカデミーのスフィンクスです。スコットランドでは珍しくユニオンフラッグがはためいていたので撮ったのだと思います。

ブラザージョン・ウィルソンの銅像です。ブラックウッドエディンバラマガジンという雑誌で執筆されていたそうで、クリストファー・ノースというペンネームでホイッグ党を支持したエディンバラレビューという雑誌のライバルとして支持されたそうです。ホイッグ党とトーリー党という派閥自体がその後の名誉革命の引き金となるカトリックのチャールズ二世の即位をきっかけに生まれたそうです。王権神授説と国教会支持で王権に対して保守的であったのがトーリー党で、現在の保守党となり、国教会以外に宗教的に寛容で王権に対して議会が制限する姿勢であったのがホイッグ党で後に自由党、自由民主党となり、現在は保守党と連立政権を組んでいるそうですが、二大政党制からは労働党にその勢力を奪われてしまっているようです。

これは唯一逆光にならずにとれた花壇ですね。まあ非常に綺麗でしたが、カメラが悪かったようです。

これは以前も触れたブラザーアダム・ブラックの銅像です。

これはやはりブラザースコット記念塔です。後々に中に上がって解説します。

これはジョージホテルの隣にある聖アンドリューと聖ジョージの西教会というスコットランド長老派教会の教会です。やはり新市街が建設された際に建設されたそうです。ホームページによるとお茶会やコンサートなどを盛んに開いているそうです。写真はセントアンドリュースクエア近くの聖アンドリュー教会の方です。もう一方の聖ジョージの西教会はシャルロット広場の近くにあるようです。とにかく新市街は街が対称形に一致して作られているのですね。そして長老派教会と自由教会とバプティストとカトリックがそれぞれ様々に連携して存在しているようです。最近でも教会を閉じたり連携したりと様々に組織が変更しているようです。牧師がやはりフリーメイスンなのだと思われます。
次は日付が変わって翌日です。
好評のようなアメリカの州章シリーズですが、記念すべき第11回目です。
課金して払う人もいないので実質タイトルだけの記事のようですが、内容はきちんと作成しいずれ見る人がいることを期待しておきます。
オクラホマ州ですが、場所は下の通りです。

テキサス州の北側になるのですね。東はアーカンソー州で、北はカンザス州です。完全に南部の州です。
そもそもネイティブアメリカンの居留地を作る目的で作られた州のようで、オクラホマの名前自体もチョクトー族の言葉で赤い人々という意味だそうです。その他に主要な5部族としてチェロキー族、クリーク族、セミノール族、チカソー族があり、ウィキペディアによるとそれ以外に政府に公認された部族が全体で32部族ほど、公認を要求中の部族が32部族ほどいるそうです。前に挙げた5部族はネイティブアメリカンの中でも比較的文明化を受け入れた部族とされ、元々オクラホマよりも東の土地に住んでいた部族でしたが特にブラザーアンドリュー・ジャクソン大統領などの時代に居留地に追われてその行程で数千人の死者を出したなどの悲劇もあるようです。涙の道と呼ばれるそうですが、その5部族は憲法を制定したり近代化に努めましたが後に開拓者たちにさらに土地を奪われたそうです。開拓者の土地の分配法が一斉に駆け出してその部分をその人のものにするというやり方であったようですが、抜け駆けや早い者勝ちが当たり前になったためにSooner State早い者勝ちの州というニックネームになったそうです。
文明化5部族のうちのチェロキー族をはじめネイティブアメリカンは文字を持っていませんでしたが、チェロキー族のシクウォイアという人物が苦心の末に表音文字を作成し、それが普及したことでキリスト教化や憲法の制定などに役立ったようです。シクウォイアという名前はセコイアとして、ジャイアントセコイアの巨木の名前にも残されているようです。もちろんフリーメイスンリーの普及にも役立ったようで、オクラホマのネイティブアメリカンのフリーメイスンリーの団体のページにはチェロキー族やチョクトー族の族長がフリーメイスンとなっていた事が書かれていました。数多くのネイティブアメリカンの族長や有力者がフリーメイスンであったとしてもネイティブアメリカンへの迫害は継続して行われ、強制的に狩猟生活から農耕生活へと生活スタイルを変更させられ、居留地に封じ込められてさらに土地を奪われ、あげくには配給制度で働く意欲を失わされて、特に現在ではインディアンカジノという特権を与えられてカジノの経営に携わるケースが多いようです。TPPなどの交渉を通じて日本も従来の生活スタイルを失ってしまった結果ネイティブアメリカンのような経過をたどる可能性が高い気もします。
ネイティブアメリカンのフリーメイスンが数多くいた証拠としてPhoenixmasonryにはネイティブアメリカンと白人の様子をモチーフとしたアンティークエプロンが示されていました。

少なくとも文明化やフリーメイスンリーの影響がほとんど焼け石に水のような差別と迫害の状況であったとしても、何かしらの意味はあったと考えるのが絶滅を免れている現状に対する認識なのではないでしょうか。
この他にもやはり南部州として特にブラザーセオドア・ルーズベルトの時代に黒人の移住が進められた結果、現在ではネイティブアメリカンとともに黒人人口も7%ずつほどとなっているそうです。そのためまた南部の特徴としてクークラックスクランの活動が盛んであって、現在ではそうした影響は少ないのですが、白人至上主義者によるアメリカ史上最悪のテロとなったオクラホマシティー連邦ビル爆破事件が1995年に生じ、168人が犠牲となっています。
こうした人種の歴史的な経緯からもフリーメイスンリーの人口比は全体で3万7千人ほどで370万人の州全体の人口から100人に1人ほどで、そのうち6000人ほどがプリンスホールメイスンリーであるそうです。グランドロッジ、プリンスホールグランドロッジのホームページはこちらです。
ネイティブインディアンの文明化が比較的進んだ影響で、有名人におけるネイティブインディアンの血を引く混血の割合が比較的多いようで、チェロキー族の血を引く有名人としてエルヴィス・プレスリー、キム・ベイシンガー、キャメロン・ディアス、クエンティン・タランティーノ、ケヴィン・コスナー、ジェームス・ブラウン、シェール、ジミ・ヘンドリックス、ティナ・ターナー、ジョニー・デップら歌手や俳優の有名人が挙げられるようです。またオクラホマ州出身のチェロキー族の血を引く有名人として元阪神のランディー・バースがいるそうです。オクラホマ州出身のチェロキー族の末裔がGHQの一員として占領政策に関わり、日本の歌舞伎文化を保護したなどの逸話もあるそうですが、色々毀誉褒貶があるそうです。この方の名前はフォービアン・バワーズというそうですが、1917年1月29日-1999年11月20日で日付のシンボリズムが認められ、フリーメイスンである可能性が高いようです。オクラホマ州出身の有名人としてはブラッド・ピットが挙げられるようです。
現在のオクラホマ州は州都オクラホマシティーとタルサが人口が多く発展しているようです。
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自然も多いようですが、産業も農業を初め、天然ガスや石油の資源もあり、最近では成長分野として通信やバイオテクノロジーもあるようです。
やはり州会議事堂の建築が認められます。

美しい建築としてフィルブルック美術館があるようです。

ネイティブアメリカンのイベントも良く行われているようです。

それでは州章です。

まあ全体が五芒星の形な訳ですが、46番目の州という事で、45個の五芒星に囲まれた大きな五芒星の形をしています。ウィキペディアの英語版の解説がこの州章の場合には全て解説していて、フリーメイスンリーのシンボリズムとネイティブアメリカンのフリーメイスンがいた事の解説以外付けたしが必要ないわけですが、それぞれ日本語に要約していく事にします。
まず五芒星の中心部分が元々のオクラホマ州の元となったオクラホマ準州の州章に由来しています。擬人化されたアメリカ合衆国を示す女性のコロンビアが間に立って正義を示す天秤を上に示しています。合衆国における州の地位を示しているそうです。ネイティブインディアンと白人が手を握っていて平等な権利を持つことが象徴され、その下に繁栄を示すコルヌーコピアイがあり、さらに周囲を平和を示すオリーブが取り囲んでいます。背後に光明を伴った太陽があって、文明化と進歩を象徴しているそうです。多少ネイティブアメリカンの方が武器を持っているとか、特権を象徴したりしているのかもしれません。いずれにしても迫害と対立と差別からフリーメイスンリーの象徴である友愛をもって、平等と進歩と繁栄と平和となったという象徴かと思われます。モットーはLabor Omnia Vincit,“Labor Conquers All Things”労働は全てに打ち勝つだそうです。
その周囲はそれぞれ文明化五部族を象徴しているそうです。もともと現在のオクラホマ州の東部を占めたセコイア準州の州章であったそうです。1905年に設立したそうですが、州として認められず結局オクラホマ州として1907年に成立しました。

上述したシクウォイアの姿の下に下向きの五芒星が並んでそれぞれ五部族の紋章が描かれています。五芒星が下向きであるのもそうですが、フリーメイスンリーのイースタンスターの形とよく似ています。結局現在のオクラホマ州では五芒星が上向きになっており、シンボリズムとして五芒星が反転していれば反キリストであったり、子宮を意味するとか悪魔的であるなど、いわゆる五芒星とは反対の意味になるかと思われ、女性で構成する団体であるイースタンスターでは標準的ですが、男性のネイティブアメリカンのフリーメイスンリーを象徴するシンボルとしてはふさわしくないと考えられたと思われます。
五部族の紋章を解説していきます。
左上がチェロキー族の紋章です。ナラの木の葉の輪に囲まれて七芒星の星があります。フリーメイスンリーのシンボリズムとして適っているのですが、それぞれ七つのチェロキー族の古い集団とナラの木が非常に硬いこととその葉を永続的な捧げの火の材料とすることから、力と永続的な生命を象徴するとされるようです。
上部がチカソー族の紋章です。二本の矢を右手に持って左手には長弓と楯を持った戦士が描かれています。二本の弓がチカソー族の二つの集団を示していて、弓と楯がチカソー族が戦士の一族の家系であることを示しています。
右上がチョクトー族の紋章です。弦のゆるんだ弓と三本の矢とパイプ手斧(チョクトー族が会議の際に回し飲みする手斧型のパイプのようです。)が描かれています。弦がゆるんでいるのは平和でいても常に戦いに準備ができている事を示していて、三本の矢は三人の族長を意味するそうです。
左下がクリーク族の紋章です。どうも文明化以後に作ったようで、農業を意味するそのままで州章でも良く認められる鋤と麦藁になっています。ユダヤ教の象徴でもあり、そういう配慮なのだと思われます。クリーク族がネイティブアメリカンの中で比較的初期に農業を開始し繁栄をもたらしたという解釈になるようです。マスコギ族ともいうようですが、実際の歴史はなかなか悲惨であったようです。
右下がセミノール族の紋章です。羽飾りを付けた部族の男がカヌーをこいで岸辺の取引小屋に近づいて行く様子が描かれています。部族の古代からの宗教的な儀式に基づいて取引したり保存しておいた植物を集めたりする行為にまつわる慣習のいくつかの情景を示しているそうです。ancientやritesの単語が解説に使われていて、スコティッシュライトに関する逸話のようですが、羽飾りというとヨークライトのテンプル騎士団の階位で使う羽飾りを思わされ、ヨークライトでは一般にancientという表現は使わないので、要はそういうフリーメイスンリーの多段階位を意識したような儀式という様式を表現している感じのようです。
以上で州章の解説は終わりです。
次は州旗です。

これは解説を読んでも意味は詳しく載っていません。そもそも下の赤地に五芒星で46番目の州という意味で数字が描かれたシンプルなものであったそうですが、アメリカ独立革命の娘たちという愛国者団体が共産主義の旗に似ているという事で変更を提案して公募ののちに変更されたそうです。

現在のものはオセージ族のバッファローの革でできた丸い楯の上にカルメットというネイティブアメリカン共通の平和を象徴するパイプと西洋の平和の象徴であるオリーブの枝がクロスして平和を象徴しています。楯の上にある6つの十字はネイティブアメリカンでは星を象徴するそうです。特に6つの部族とかそういう説明はなされていませんが恐らくそういう意味なんだと思われます。ネイティブアメリカンでは十字が星の意味であるそうです。下にある7つの鷲の羽についても恐らく部族や戦闘で亡くなった部族とか意味があるのだと思いますが解説はありません。6と7で足して13になるのは独立13州や反キリストの13に繋がる部分はあるのかもしれませんが、それにしては十字が6つも並んでいてちょっとおかしいので、恐らく合計はあまり強くは意識されないのだと思われます。恐らく部族やネイティブインディアンの英雄などを象徴するものかと思われます。周囲の青字はフリーメイスンリーの象徴でよいかと思われます。なかなかネイティブアメリカンの悲惨な歴史がかなりシンボリズムに込められている事が分かるかと思いますが、一方で平和の象徴としての喫煙のパイプなどネイティブアメリカンの伝統と習慣、それらが現代社会にまた溶け込んでいることなどが良く分かるものかと思われます。
ネイティブアメリカンの歴史や習慣についてはワシントンD.C.でも国立アメリカ・インディアン博物館が2004年にできたりしてかなり冷静に周知する体制ができてきているようですが、実際には長らくタブーに近いものであったようでもあります。フリーメイスンリーの理想の国家であるアメリカの負の側面として、実際に勝ち目のない戦争に突入し徹底した敗戦を経験した日本人として、今後日本人がどのような歴史をたどるかの予測も含めてネイティブアメリカンの歴史やそのフリーメイスンリーとの関わりは注目すべきテーマだと思われます。
このブログが8月22日になることもまた日付のシンボリズムのようです。
課金して払う人もいないので実質タイトルだけの記事のようですが、内容はきちんと作成しいずれ見る人がいることを期待しておきます。
オクラホマ州ですが、場所は下の通りです。

テキサス州の北側になるのですね。東はアーカンソー州で、北はカンザス州です。完全に南部の州です。
そもそもネイティブアメリカンの居留地を作る目的で作られた州のようで、オクラホマの名前自体もチョクトー族の言葉で赤い人々という意味だそうです。その他に主要な5部族としてチェロキー族、クリーク族、セミノール族、チカソー族があり、ウィキペディアによるとそれ以外に政府に公認された部族が全体で32部族ほど、公認を要求中の部族が32部族ほどいるそうです。前に挙げた5部族はネイティブアメリカンの中でも比較的文明化を受け入れた部族とされ、元々オクラホマよりも東の土地に住んでいた部族でしたが特にブラザーアンドリュー・ジャクソン大統領などの時代に居留地に追われてその行程で数千人の死者を出したなどの悲劇もあるようです。涙の道と呼ばれるそうですが、その5部族は憲法を制定したり近代化に努めましたが後に開拓者たちにさらに土地を奪われたそうです。開拓者の土地の分配法が一斉に駆け出してその部分をその人のものにするというやり方であったようですが、抜け駆けや早い者勝ちが当たり前になったためにSooner State早い者勝ちの州というニックネームになったそうです。
文明化5部族のうちのチェロキー族をはじめネイティブアメリカンは文字を持っていませんでしたが、チェロキー族のシクウォイアという人物が苦心の末に表音文字を作成し、それが普及したことでキリスト教化や憲法の制定などに役立ったようです。シクウォイアという名前はセコイアとして、ジャイアントセコイアの巨木の名前にも残されているようです。もちろんフリーメイスンリーの普及にも役立ったようで、オクラホマのネイティブアメリカンのフリーメイスンリーの団体のページにはチェロキー族やチョクトー族の族長がフリーメイスンとなっていた事が書かれていました。数多くのネイティブアメリカンの族長や有力者がフリーメイスンであったとしてもネイティブアメリカンへの迫害は継続して行われ、強制的に狩猟生活から農耕生活へと生活スタイルを変更させられ、居留地に封じ込められてさらに土地を奪われ、あげくには配給制度で働く意欲を失わされて、特に現在ではインディアンカジノという特権を与えられてカジノの経営に携わるケースが多いようです。TPPなどの交渉を通じて日本も従来の生活スタイルを失ってしまった結果ネイティブアメリカンのような経過をたどる可能性が高い気もします。
ネイティブアメリカンのフリーメイスンが数多くいた証拠としてPhoenixmasonryにはネイティブアメリカンと白人の様子をモチーフとしたアンティークエプロンが示されていました。

少なくとも文明化やフリーメイスンリーの影響がほとんど焼け石に水のような差別と迫害の状況であったとしても、何かしらの意味はあったと考えるのが絶滅を免れている現状に対する認識なのではないでしょうか。
この他にもやはり南部州として特にブラザーセオドア・ルーズベルトの時代に黒人の移住が進められた結果、現在ではネイティブアメリカンとともに黒人人口も7%ずつほどとなっているそうです。そのためまた南部の特徴としてクークラックスクランの活動が盛んであって、現在ではそうした影響は少ないのですが、白人至上主義者によるアメリカ史上最悪のテロとなったオクラホマシティー連邦ビル爆破事件が1995年に生じ、168人が犠牲となっています。
こうした人種の歴史的な経緯からもフリーメイスンリーの人口比は全体で3万7千人ほどで370万人の州全体の人口から100人に1人ほどで、そのうち6000人ほどがプリンスホールメイスンリーであるそうです。グランドロッジ、プリンスホールグランドロッジのホームページはこちらです。
ネイティブインディアンの文明化が比較的進んだ影響で、有名人におけるネイティブインディアンの血を引く混血の割合が比較的多いようで、チェロキー族の血を引く有名人としてエルヴィス・プレスリー、キム・ベイシンガー、キャメロン・ディアス、クエンティン・タランティーノ、ケヴィン・コスナー、ジェームス・ブラウン、シェール、ジミ・ヘンドリックス、ティナ・ターナー、ジョニー・デップら歌手や俳優の有名人が挙げられるようです。またオクラホマ州出身のチェロキー族の血を引く有名人として元阪神のランディー・バースがいるそうです。オクラホマ州出身のチェロキー族の末裔がGHQの一員として占領政策に関わり、日本の歌舞伎文化を保護したなどの逸話もあるそうですが、色々毀誉褒貶があるそうです。この方の名前はフォービアン・バワーズというそうですが、1917年1月29日-1999年11月20日で日付のシンボリズムが認められ、フリーメイスンである可能性が高いようです。オクラホマ州出身の有名人としてはブラッド・ピットが挙げられるようです。
現在のオクラホマ州は州都オクラホマシティーとタルサが人口が多く発展しているようです。
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自然も多いようですが、産業も農業を初め、天然ガスや石油の資源もあり、最近では成長分野として通信やバイオテクノロジーもあるようです。
やはり州会議事堂の建築が認められます。

美しい建築としてフィルブルック美術館があるようです。

ネイティブアメリカンのイベントも良く行われているようです。

それでは州章です。

まあ全体が五芒星の形な訳ですが、46番目の州という事で、45個の五芒星に囲まれた大きな五芒星の形をしています。ウィキペディアの英語版の解説がこの州章の場合には全て解説していて、フリーメイスンリーのシンボリズムとネイティブアメリカンのフリーメイスンがいた事の解説以外付けたしが必要ないわけですが、それぞれ日本語に要約していく事にします。
まず五芒星の中心部分が元々のオクラホマ州の元となったオクラホマ準州の州章に由来しています。擬人化されたアメリカ合衆国を示す女性のコロンビアが間に立って正義を示す天秤を上に示しています。合衆国における州の地位を示しているそうです。ネイティブインディアンと白人が手を握っていて平等な権利を持つことが象徴され、その下に繁栄を示すコルヌーコピアイがあり、さらに周囲を平和を示すオリーブが取り囲んでいます。背後に光明を伴った太陽があって、文明化と進歩を象徴しているそうです。多少ネイティブアメリカンの方が武器を持っているとか、特権を象徴したりしているのかもしれません。いずれにしても迫害と対立と差別からフリーメイスンリーの象徴である友愛をもって、平等と進歩と繁栄と平和となったという象徴かと思われます。モットーはLabor Omnia Vincit,“Labor Conquers All Things”労働は全てに打ち勝つだそうです。
その周囲はそれぞれ文明化五部族を象徴しているそうです。もともと現在のオクラホマ州の東部を占めたセコイア準州の州章であったそうです。1905年に設立したそうですが、州として認められず結局オクラホマ州として1907年に成立しました。

上述したシクウォイアの姿の下に下向きの五芒星が並んでそれぞれ五部族の紋章が描かれています。五芒星が下向きであるのもそうですが、フリーメイスンリーのイースタンスターの形とよく似ています。結局現在のオクラホマ州では五芒星が上向きになっており、シンボリズムとして五芒星が反転していれば反キリストであったり、子宮を意味するとか悪魔的であるなど、いわゆる五芒星とは反対の意味になるかと思われ、女性で構成する団体であるイースタンスターでは標準的ですが、男性のネイティブアメリカンのフリーメイスンリーを象徴するシンボルとしてはふさわしくないと考えられたと思われます。
五部族の紋章を解説していきます。
左上がチェロキー族の紋章です。ナラの木の葉の輪に囲まれて七芒星の星があります。フリーメイスンリーのシンボリズムとして適っているのですが、それぞれ七つのチェロキー族の古い集団とナラの木が非常に硬いこととその葉を永続的な捧げの火の材料とすることから、力と永続的な生命を象徴するとされるようです。
上部がチカソー族の紋章です。二本の矢を右手に持って左手には長弓と楯を持った戦士が描かれています。二本の弓がチカソー族の二つの集団を示していて、弓と楯がチカソー族が戦士の一族の家系であることを示しています。
右上がチョクトー族の紋章です。弦のゆるんだ弓と三本の矢とパイプ手斧(チョクトー族が会議の際に回し飲みする手斧型のパイプのようです。)が描かれています。弦がゆるんでいるのは平和でいても常に戦いに準備ができている事を示していて、三本の矢は三人の族長を意味するそうです。
左下がクリーク族の紋章です。どうも文明化以後に作ったようで、農業を意味するそのままで州章でも良く認められる鋤と麦藁になっています。ユダヤ教の象徴でもあり、そういう配慮なのだと思われます。クリーク族がネイティブアメリカンの中で比較的初期に農業を開始し繁栄をもたらしたという解釈になるようです。マスコギ族ともいうようですが、実際の歴史はなかなか悲惨であったようです。
右下がセミノール族の紋章です。羽飾りを付けた部族の男がカヌーをこいで岸辺の取引小屋に近づいて行く様子が描かれています。部族の古代からの宗教的な儀式に基づいて取引したり保存しておいた植物を集めたりする行為にまつわる慣習のいくつかの情景を示しているそうです。ancientやritesの単語が解説に使われていて、スコティッシュライトに関する逸話のようですが、羽飾りというとヨークライトのテンプル騎士団の階位で使う羽飾りを思わされ、ヨークライトでは一般にancientという表現は使わないので、要はそういうフリーメイスンリーの多段階位を意識したような儀式という様式を表現している感じのようです。
以上で州章の解説は終わりです。
次は州旗です。

これは解説を読んでも意味は詳しく載っていません。そもそも下の赤地に五芒星で46番目の州という意味で数字が描かれたシンプルなものであったそうですが、アメリカ独立革命の娘たちという愛国者団体が共産主義の旗に似ているという事で変更を提案して公募ののちに変更されたそうです。

現在のものはオセージ族のバッファローの革でできた丸い楯の上にカルメットというネイティブアメリカン共通の平和を象徴するパイプと西洋の平和の象徴であるオリーブの枝がクロスして平和を象徴しています。楯の上にある6つの十字はネイティブアメリカンでは星を象徴するそうです。特に6つの部族とかそういう説明はなされていませんが恐らくそういう意味なんだと思われます。ネイティブアメリカンでは十字が星の意味であるそうです。下にある7つの鷲の羽についても恐らく部族や戦闘で亡くなった部族とか意味があるのだと思いますが解説はありません。6と7で足して13になるのは独立13州や反キリストの13に繋がる部分はあるのかもしれませんが、それにしては十字が6つも並んでいてちょっとおかしいので、恐らく合計はあまり強くは意識されないのだと思われます。恐らく部族やネイティブインディアンの英雄などを象徴するものかと思われます。周囲の青字はフリーメイスンリーの象徴でよいかと思われます。なかなかネイティブアメリカンの悲惨な歴史がかなりシンボリズムに込められている事が分かるかと思いますが、一方で平和の象徴としての喫煙のパイプなどネイティブアメリカンの伝統と習慣、それらが現代社会にまた溶け込んでいることなどが良く分かるものかと思われます。
ネイティブアメリカンの歴史や習慣についてはワシントンD.C.でも国立アメリカ・インディアン博物館が2004年にできたりしてかなり冷静に周知する体制ができてきているようですが、実際には長らくタブーに近いものであったようでもあります。フリーメイスンリーの理想の国家であるアメリカの負の側面として、実際に勝ち目のない戦争に突入し徹底した敗戦を経験した日本人として、今後日本人がどのような歴史をたどるかの予測も含めてネイティブアメリカンの歴史やそのフリーメイスンリーとの関わりは注目すべきテーマだと思われます。
このブログが8月22日になることもまた日付のシンボリズムのようです。
さて課金制となって読者がゼロになってしまったわけですが、最初の訪問者を待ち受けんとすべく書きすすめる事とします。
到着後3日目の朝になるのでしょうか。確か夕からフリーメイスンリーの歴史学会のプレコンサートがあってディナーが行われた日だと思います。一通りエディンバラを周って、ロスリン礼拝堂まで見ていますので予定としては午前中にセントアンドリュースを訪問して観光してこようと計画したのだと思います。
まあそんな緊張感の高まって来たエディンバラの朝ですが再びホリールード公園のアーサーズヒルを目指します。そりゃフリーメイスンリーの世界大会に参加するとなれば誰だってテンションは上がるものと思います。そういう気分でお読みください。
表題のScottish Lightですが、もちろんScottish Riteのダジャレですが、スコットランド啓蒙時代、Scottish Enlightenmentと、朝日の光の写真をかけたものとなっています。スコットランド啓蒙時代、またはスコットランド啓蒙についてはウィキペディアの英語版もしくは日本語の解説ページを参照してください。いわゆるヨーロッパ全体の啓蒙思想としてウィキペディアの解説ページもあります。もちろんこのブログをここまで読んできている方であれば、啓蒙=フリーメイスンリーと理解することができるし、その本質を理解して実践しているのではないかと思っています。
ホリールード公園のホリールードの由来についてはウィキペディアのホリールード寺院を参照してください。

再びジョージストリートのブラザージェームズ・クラーク・マクスウェルの銅像です。ブラザーマイケル・ファラデーによる電磁場理論をもとに、1864年にマクスウェルの方程式を導いて古典電磁気学を確立し、さらに電磁波の存在を理論的に予想しその伝播速度が光の速度と同じであること、および横波であることを示し、これらの業績から電磁気学の最も偉大な学者の一人とされる方です。確かブラザーマイケル・ファラデーはウェストミンスター寺院に顕彰する記念碑があったかと思いますが、どちらもフリーメイスン、王立協会フェローとなっているようです。ブラザーファラデーが現在のモーターや発電機の原理を発見し、ブラザーマクスウェルがそれらを応用したマクスウェルの方程式でそうした電磁波の法則を方程式に還元し、現在では電磁波、電波の通信や光の通信に応用され、それがさらにアインシュタインの特殊相対性理論によって光と電磁場と時空の理論として統一されるようです。
ちなみにウェストミンスター寺院で最も目立つお墓であるやはりブラザーニュートンがフリーメイスンかどうかについては、いずれIsaac Newton's FREEMASONRYという本を読んでこのブログで検討したいかと思います。
以前のウェストミンスター寺院の回では業績はフリーメイスンに値するが結婚しない女性を寄せ付けなかった一生がフリーメイスンとは認められないという表現をとりましたが、一般的には王立協会会長を務めブラザークリストファー・レンやブラザーデサグリエなどと交流があったブラザーニュートンはフリーメイスンと考えられるようです。上述の本にはイングランドグランドロッジの歴代の空想的なグランドマスターやまたスコットランドグランドロッジについてもそうした記述があり、またイングランドグランドロッジのかつてのリチュアルが載っていたりしますのでそれを検討したいかと思います。

ブラザーマクスウェルの銅像の下にある浮き彫りです。理論物理学を人間の動きで表現しているのでしょうか。現在の電気に囲まれた生活の元が彼の理論と業績に基づいているのは明らかなので、そうした彼の業績を数多くの人間の動きで示しているのかもしれません。三角形がいわゆるフリーメイスンリーの幾何学の象徴となっているかと思われます。

こちらは銘板です。ブラザーマクスウェルの詳細についてはウィキペディアを参照してください。

こちらは同じくブラザーメルヴィル記念塔です。朝5時くらいだったでしょうか。スコットランドの光な感じが見えてきているでしょうか。

スコット記念塔とエディンバラ城も上の方が明るくなっています。





明らかに作ったような光線の加減なわけですが、カメラが悪いですねえ。スコットランドの光の感じは出てるかと思います。

スコットランドの啓蒙の光です。カールトンヒルに輝いています。

セントジャイルズ大聖堂の頂部を照らしています。

ロイヤルマイルズを照らしています。


キャノンゲートカークのブラザーファーガソンにはまだ届いていません。


ロイヤルマイルズとスコットランド国会議事堂は十分照らされています。

ホリールード宮殿の向こうに光が見えてきます。

これがホリールード公園のガイド小屋ですね。

ホリールード宮殿の入り口です。ホリールード宮殿も幾多のスコットランド王室、大英帝国王室のドラマの舞台となった場所です。

ホールを見たり景色を見ながらアーサーズシートを目指します。

前回はこの道をまっすぐ行って山頂を目指したのですね。今回は反対の後ろ側を行きます。

右側の道というところでしょうか。


ロイヤルマイルズ、エディンバラ城、エディンバラ大学の方向の景色が良く見えます。



こちらの道は昇りも緩やかで景色も綺麗でしたかね。しかしなかなか登らないので山頂になかなかつかない感じでしょうか。迂回している感じです。



少しのぼって湾側の景色が見えてきたのですね。雲の感じがこの光の加減がそれほど普段の感じではないことが分かると面白いのですが。

道はこんな感じでちょっと迷いそうなあぶない感じですね。観光客でできたけもの道みたいな感じです。がけもすぐ近くでまあ普通は大丈夫ですが最初は怖い感じです。

アーサーズシートは一番高い所でこちらは見栄えの良い崖の方でアーサーズシートではありません。左手の道が通って来たところです。

景色はこちら側が良いですが、まあ迂回してますし登りにくいです。

これはまた違うアーサーズシートの横の山です。

雲の感じがわかりますかね。スコットランドの光のスコティッシュライトはそういう現代科学の粋の光なのです。

美しい小山です。

大体四人ぐらいで並列で歩くのでこういう跡になるのでしょうか。お父さん、お母さん、お姉さん、弟みたいな並びになっていそうでまるで鯉のぼりの並びのようです。青々とした草の大地を歩く感じはまさにブラザーウィリアム・ブレイクの聖歌エルサレムの感じです。

こちら側は非常にエディンバラ城が綺麗に見えます。恐らく一番綺麗に見える場所じゃないでしょうか。一度はここから見られることをお勧めします。

一番綺麗にとれたスコットランドの光のショットでしょうか。まさに天から見つめる目All Seeing Eyeをモチーフとしたエディンバラの朝日です。啓蒙の光は心の底まで届いているでしょうか。

朝日に包まれたエディンバラ城の美しい光景です。








光は徐々に強くなってきます。



自らの影を写しながら。


天からの光に包まれながらAll Seeing Eyeに見つめられて徐々に啓蒙の時代の朝が明けていきます。


カールトンヒルとホリールード寺院とホリールード宮殿です。
到着後3日目の朝になるのでしょうか。確か夕からフリーメイスンリーの歴史学会のプレコンサートがあってディナーが行われた日だと思います。一通りエディンバラを周って、ロスリン礼拝堂まで見ていますので予定としては午前中にセントアンドリュースを訪問して観光してこようと計画したのだと思います。
まあそんな緊張感の高まって来たエディンバラの朝ですが再びホリールード公園のアーサーズヒルを目指します。そりゃフリーメイスンリーの世界大会に参加するとなれば誰だってテンションは上がるものと思います。そういう気分でお読みください。
表題のScottish Lightですが、もちろんScottish Riteのダジャレですが、スコットランド啓蒙時代、Scottish Enlightenmentと、朝日の光の写真をかけたものとなっています。スコットランド啓蒙時代、またはスコットランド啓蒙についてはウィキペディアの英語版もしくは日本語の解説ページを参照してください。いわゆるヨーロッパ全体の啓蒙思想としてウィキペディアの解説ページもあります。もちろんこのブログをここまで読んできている方であれば、啓蒙=フリーメイスンリーと理解することができるし、その本質を理解して実践しているのではないかと思っています。
ホリールード公園のホリールードの由来についてはウィキペディアのホリールード寺院を参照してください。

再びジョージストリートのブラザージェームズ・クラーク・マクスウェルの銅像です。ブラザーマイケル・ファラデーによる電磁場理論をもとに、1864年にマクスウェルの方程式を導いて古典電磁気学を確立し、さらに電磁波の存在を理論的に予想しその伝播速度が光の速度と同じであること、および横波であることを示し、これらの業績から電磁気学の最も偉大な学者の一人とされる方です。確かブラザーマイケル・ファラデーはウェストミンスター寺院に顕彰する記念碑があったかと思いますが、どちらもフリーメイスン、王立協会フェローとなっているようです。ブラザーファラデーが現在のモーターや発電機の原理を発見し、ブラザーマクスウェルがそれらを応用したマクスウェルの方程式でそうした電磁波の法則を方程式に還元し、現在では電磁波、電波の通信や光の通信に応用され、それがさらにアインシュタインの特殊相対性理論によって光と電磁場と時空の理論として統一されるようです。
ちなみにウェストミンスター寺院で最も目立つお墓であるやはりブラザーニュートンがフリーメイスンかどうかについては、いずれIsaac Newton's FREEMASONRYという本を読んでこのブログで検討したいかと思います。
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以前のウェストミンスター寺院の回では業績はフリーメイスンに値するが結婚しない女性を寄せ付けなかった一生がフリーメイスンとは認められないという表現をとりましたが、一般的には王立協会会長を務めブラザークリストファー・レンやブラザーデサグリエなどと交流があったブラザーニュートンはフリーメイスンと考えられるようです。上述の本にはイングランドグランドロッジの歴代の空想的なグランドマスターやまたスコットランドグランドロッジについてもそうした記述があり、またイングランドグランドロッジのかつてのリチュアルが載っていたりしますのでそれを検討したいかと思います。

ブラザーマクスウェルの銅像の下にある浮き彫りです。理論物理学を人間の動きで表現しているのでしょうか。現在の電気に囲まれた生活の元が彼の理論と業績に基づいているのは明らかなので、そうした彼の業績を数多くの人間の動きで示しているのかもしれません。三角形がいわゆるフリーメイスンリーの幾何学の象徴となっているかと思われます。

こちらは銘板です。ブラザーマクスウェルの詳細についてはウィキペディアを参照してください。

こちらは同じくブラザーメルヴィル記念塔です。朝5時くらいだったでしょうか。スコットランドの光な感じが見えてきているでしょうか。

スコット記念塔とエディンバラ城も上の方が明るくなっています。





明らかに作ったような光線の加減なわけですが、カメラが悪いですねえ。スコットランドの光の感じは出てるかと思います。

スコットランドの啓蒙の光です。カールトンヒルに輝いています。

セントジャイルズ大聖堂の頂部を照らしています。

ロイヤルマイルズを照らしています。


キャノンゲートカークのブラザーファーガソンにはまだ届いていません。


ロイヤルマイルズとスコットランド国会議事堂は十分照らされています。

ホリールード宮殿の向こうに光が見えてきます。

これがホリールード公園のガイド小屋ですね。

ホリールード宮殿の入り口です。ホリールード宮殿も幾多のスコットランド王室、大英帝国王室のドラマの舞台となった場所です。

ホールを見たり景色を見ながらアーサーズシートを目指します。

前回はこの道をまっすぐ行って山頂を目指したのですね。今回は反対の後ろ側を行きます。

右側の道というところでしょうか。


ロイヤルマイルズ、エディンバラ城、エディンバラ大学の方向の景色が良く見えます。



こちらの道は昇りも緩やかで景色も綺麗でしたかね。しかしなかなか登らないので山頂になかなかつかない感じでしょうか。迂回している感じです。



少しのぼって湾側の景色が見えてきたのですね。雲の感じがこの光の加減がそれほど普段の感じではないことが分かると面白いのですが。

道はこんな感じでちょっと迷いそうなあぶない感じですね。観光客でできたけもの道みたいな感じです。がけもすぐ近くでまあ普通は大丈夫ですが最初は怖い感じです。

アーサーズシートは一番高い所でこちらは見栄えの良い崖の方でアーサーズシートではありません。左手の道が通って来たところです。

景色はこちら側が良いですが、まあ迂回してますし登りにくいです。

これはまた違うアーサーズシートの横の山です。

雲の感じがわかりますかね。スコットランドの光のスコティッシュライトはそういう現代科学の粋の光なのです。

美しい小山です。

大体四人ぐらいで並列で歩くのでこういう跡になるのでしょうか。お父さん、お母さん、お姉さん、弟みたいな並びになっていそうでまるで鯉のぼりの並びのようです。青々とした草の大地を歩く感じはまさにブラザーウィリアム・ブレイクの聖歌エルサレムの感じです。

こちら側は非常にエディンバラ城が綺麗に見えます。恐らく一番綺麗に見える場所じゃないでしょうか。一度はここから見られることをお勧めします。

一番綺麗にとれたスコットランドの光のショットでしょうか。まさに天から見つめる目All Seeing Eyeをモチーフとしたエディンバラの朝日です。啓蒙の光は心の底まで届いているでしょうか。

朝日に包まれたエディンバラ城の美しい光景です。








光は徐々に強くなってきます。



自らの影を写しながら。


天からの光に包まれながらAll Seeing Eyeに見つめられて徐々に啓蒙の時代の朝が明けていきます。


カールトンヒルとホリールード寺院とホリールード宮殿です。
ウォレスとともに血を流したスコットランド人よ、
ブルースがしばしば率いたスコットランド人よ、
よくぞ来てくれた、血染めの床か、――
勝利の戦場に。――
今がその日、今がその時、
見よ、戦いの機が熟すのを、
見よ、迫り来る得意顔のエドワード軍を、
鎖と屈従をもたらすやつら。――
誰が裏切り者の悪党になろうというのか。
誰が臆病者の墓に入ろうというのか。
誰が卑しい奴隷になろうというのか。
――そんな奴は逃げるがよい。――
スコットランドの王と法のために、誰が
自由の剣を雄々しく抜いてくれるか、
自由人として立ち上がり、倒れるか、
そういう者はわれと一緒に戦おう。――
あの圧政の悲しみと苦しみを思え、
隷属の鎖に縛られた息子たちを思え、
われわれはかけがえのない血を流す、
だがそれが息子たちを自由にさせるのだ。
あの高慢な強奪者を打倒せ、
敵が一人倒れるごとに暴君は倒れる、
敵に一撃加えるごとに自由は生まれる、
戦って勝利を、――さもなくば死を!
Robert Bruce's March To Bannockburn
Scots, wha hae wi' Wallace bled,
Scots, wham Bruce has aften led,
Welcome to your gory bed,
Or to Victorie!
Now's the day, and now's the hour;
See the front o' battle lour;
See approach proud Edward's power-
Chains and Slaverie!
Wha will be a traitor knave?
Wha can fill a coward's grave?
Wha sae base as be a Slave?
Let him turn and flee!
Wha, for Scotland's King and Law,
Freedom's sword will strongly draw,
Free-man stand, or Free-man fa',
Let him on wi' me!
By Oppression's woes and pains!
By your Sons in servile chains!
We will drain our dearest veins,
But they shall be free!
Lay the proud Usurpers low!
Tyrants fall in every foe!
Liberty's in every blow!-
Let us Do or Die!
感想:なぜこの詩を取り上げたかというとブラザーロバート・バーンズの詩を代表的な曲にのせた楽曲というのがあり、それらを聞いている中でこの曲のFree-manという部分の歌詞がどう聞いてもFreemasonを意味しているようにしか聞こえず、まあそういう意味なのでしょうが準国歌の歌詞の中にフリーメイスンの意味にかかった言葉が出てくるというのもなかなかすごい事なので取り上げました。情景はいわゆるスコットランドの英雄であるロバート・ドゥ・ブルースが一旦はイングランドに従属しながらも継続したゲリラ戦術で徐々に勢力を回復し、ついにはバノックバーンの戦いで決定的な勝利を収めてその後の治世でイングランドに軍事的優位を保ったという、スコットランドのイングランドからの独立の歴史的な経過の最も重要な場面です。ロバート・ドゥ・ブルースの死後は再びイングランド軍が優位に立ちますが、結果的にイングランド、スコットランドの恒常的な対立関係はその間の戦術や権謀術数の駆け引きの向上ややがては宗教的な独立性の確保、騎士階級や独立貴族の自立を促していったようです。すなわちそうした継続した実力主義社会が後のフリーメイスンリーの発展にも繋がったと考えられるかと思われます。ちなみにこの時代の反逆者はウィリアム・ウォレスを始めとして四つ裂きの刑が当たり前であったようです。最後の有名なものはジャコバイトの反乱の際に認められたそうです。そうした歴史からその後のフランス革命ではギロチンが流行したという事もあるのですね。日本では豊臣秀吉の時代の石川五右衛門の釜ゆでの刑や火あぶりの刑などが有名かと思います。フリーメイスンリーでも入会のリチュアルでこれに似た表現や記憶抹消の話などがあったりします。こういう時代の名残の表現であるかと思われます。
まあブラザーロバート・バーンズはその後の有名なロバートとして、セカンドネームのバーンズが含まれるバノックバーンの戦い、やはり小川という意味のようですが、その戦いを情景として詩にしたかったものかと思われます。ブラザーロバート・バーンズの名前自体がスコットランドの歴史を象徴しているものであったのですね。
ブルースがしばしば率いたスコットランド人よ、
よくぞ来てくれた、血染めの床か、――
勝利の戦場に。――
今がその日、今がその時、
見よ、戦いの機が熟すのを、
見よ、迫り来る得意顔のエドワード軍を、
鎖と屈従をもたらすやつら。――
誰が裏切り者の悪党になろうというのか。
誰が臆病者の墓に入ろうというのか。
誰が卑しい奴隷になろうというのか。
――そんな奴は逃げるがよい。――
スコットランドの王と法のために、誰が
自由の剣を雄々しく抜いてくれるか、
自由人として立ち上がり、倒れるか、
そういう者はわれと一緒に戦おう。――
あの圧政の悲しみと苦しみを思え、
隷属の鎖に縛られた息子たちを思え、
われわれはかけがえのない血を流す、
だがそれが息子たちを自由にさせるのだ。
あの高慢な強奪者を打倒せ、
敵が一人倒れるごとに暴君は倒れる、
敵に一撃加えるごとに自由は生まれる、
戦って勝利を、――さもなくば死を!
Robert Bruce's March To Bannockburn
Scots, wha hae wi' Wallace bled,
Scots, wham Bruce has aften led,
Welcome to your gory bed,
Or to Victorie!
Now's the day, and now's the hour;
See the front o' battle lour;
See approach proud Edward's power-
Chains and Slaverie!
Wha will be a traitor knave?
Wha can fill a coward's grave?
Wha sae base as be a Slave?
Let him turn and flee!
Wha, for Scotland's King and Law,
Freedom's sword will strongly draw,
Free-man stand, or Free-man fa',
Let him on wi' me!
By Oppression's woes and pains!
By your Sons in servile chains!
We will drain our dearest veins,
But they shall be free!
Lay the proud Usurpers low!
Tyrants fall in every foe!
Liberty's in every blow!-
Let us Do or Die!
感想:なぜこの詩を取り上げたかというとブラザーロバート・バーンズの詩を代表的な曲にのせた楽曲というのがあり、それらを聞いている中でこの曲のFree-manという部分の歌詞がどう聞いてもFreemasonを意味しているようにしか聞こえず、まあそういう意味なのでしょうが準国歌の歌詞の中にフリーメイスンの意味にかかった言葉が出てくるというのもなかなかすごい事なので取り上げました。情景はいわゆるスコットランドの英雄であるロバート・ドゥ・ブルースが一旦はイングランドに従属しながらも継続したゲリラ戦術で徐々に勢力を回復し、ついにはバノックバーンの戦いで決定的な勝利を収めてその後の治世でイングランドに軍事的優位を保ったという、スコットランドのイングランドからの独立の歴史的な経過の最も重要な場面です。ロバート・ドゥ・ブルースの死後は再びイングランド軍が優位に立ちますが、結果的にイングランド、スコットランドの恒常的な対立関係はその間の戦術や権謀術数の駆け引きの向上ややがては宗教的な独立性の確保、騎士階級や独立貴族の自立を促していったようです。すなわちそうした継続した実力主義社会が後のフリーメイスンリーの発展にも繋がったと考えられるかと思われます。ちなみにこの時代の反逆者はウィリアム・ウォレスを始めとして四つ裂きの刑が当たり前であったようです。最後の有名なものはジャコバイトの反乱の際に認められたそうです。そうした歴史からその後のフランス革命ではギロチンが流行したという事もあるのですね。日本では豊臣秀吉の時代の石川五右衛門の釜ゆでの刑や火あぶりの刑などが有名かと思います。フリーメイスンリーでも入会のリチュアルでこれに似た表現や記憶抹消の話などがあったりします。こういう時代の名残の表現であるかと思われます。
まあブラザーロバート・バーンズはその後の有名なロバートとして、セカンドネームのバーンズが含まれるバノックバーンの戦い、やはり小川という意味のようですが、その戦いを情景として詩にしたかったものかと思われます。ブラザーロバート・バーンズの名前自体がスコットランドの歴史を象徴しているものであったのですね。
さて理論的には誰も見る事は無いスコットランドの旅編ブログですが、皆さんの興味を喚起する意味でも持続的に継続する事とします。
前回再びホリールード公園に登ったわけですが、今回は前に登ったところと同じアーサーズシートという最も高い山頂を目指します。

途中にある古い教会の廃墟の壁です。

前も出したと思いますが池に白鳥がいます。

途中の道と山頂です。山頂の形がモコっとしています。

途中はこんな感じです。実際に登るのに参考になるかと思います。

木が一本だけ立っていたりします。もちろんフリーメイスンリーのシンボルになります。


フォース湾の方向です。

山頂部分の最後の道です。

再び山頂からの光景です。この手前の崖の上の部分からの方がエディンバラ城は近くて綺麗に見えます。

山頂のコンクリの目印と朝日です。なかなか光の加減が難しいです。

前日に作った石の文字のScotland '13を変えて作ったScotland 33°が残っているか確認します。

拡大です。ありゃあ13に戻されちゃっています。これは一大事ですね。



その他は個人の名前でしょうかねえ。中国人や韓国人が多いようです。まあ毎日変更されているみたいです。

分かりやすいようにここまで変えておきました。これだとさすがに元に戻すことはできないでしょう。

うーん出来栄えに満足といったところでしょうか。



何度も撮っているのですがちょっとわかりませんね。



名残惜しく何度も撮っています。

こちらも光の加減を撮っています。湾の突端に久里浜の東電の煙突のような建物がありやはり同じように煙突が二本ありました。

また光の加減の異なるエディンバラ城です。



それぞれ同じアングルを違う光の加減で何度も撮っています。

これなんかはいい写真ですね。気持ちのいい山頂の雰囲気が良く出ていると思います。

All Seeing Eyeの形にはなっていませんが、写真を撮るには良い加減の光です。





やたらと撮っていますね。久里浜の景色に似ていると思ってたくさん撮ったんですね。煙突はあまり見えませんが、まあそういう事にしてください。





あとはさらに明るくなってきたところを撮っています。





明るくなってきたところで何度もScottishRite 33°square&compassを確認します。まあ拡大しないと分かりません。

まあ光が強くなっておしまいです。
なんのこっちゃというブログですね。
前回再びホリールード公園に登ったわけですが、今回は前に登ったところと同じアーサーズシートという最も高い山頂を目指します。

途中にある古い教会の廃墟の壁です。

前も出したと思いますが池に白鳥がいます。

途中の道と山頂です。山頂の形がモコっとしています。

途中はこんな感じです。実際に登るのに参考になるかと思います。

木が一本だけ立っていたりします。もちろんフリーメイスンリーのシンボルになります。


フォース湾の方向です。

山頂部分の最後の道です。

再び山頂からの光景です。この手前の崖の上の部分からの方がエディンバラ城は近くて綺麗に見えます。

山頂のコンクリの目印と朝日です。なかなか光の加減が難しいです。

前日に作った石の文字のScotland '13を変えて作ったScotland 33°が残っているか確認します。

拡大です。ありゃあ13に戻されちゃっています。これは一大事ですね。



その他は個人の名前でしょうかねえ。中国人や韓国人が多いようです。まあ毎日変更されているみたいです。

分かりやすいようにここまで変えておきました。これだとさすがに元に戻すことはできないでしょう。

うーん出来栄えに満足といったところでしょうか。



何度も撮っているのですがちょっとわかりませんね。



名残惜しく何度も撮っています。

こちらも光の加減を撮っています。湾の突端に久里浜の東電の煙突のような建物がありやはり同じように煙突が二本ありました。

また光の加減の異なるエディンバラ城です。



それぞれ同じアングルを違う光の加減で何度も撮っています。

これなんかはいい写真ですね。気持ちのいい山頂の雰囲気が良く出ていると思います。

All Seeing Eyeの形にはなっていませんが、写真を撮るには良い加減の光です。





やたらと撮っていますね。久里浜の景色に似ていると思ってたくさん撮ったんですね。煙突はあまり見えませんが、まあそういう事にしてください。





あとはさらに明るくなってきたところを撮っています。





明るくなってきたところで何度もScottishRite 33°square&compassを確認します。まあ拡大しないと分かりません。

まあ光が強くなっておしまいです。
なんのこっちゃというブログですね。
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