FREEMASONRY
Blue Lodge, Scottish Rite & York Rite in Japan
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大分間が空いていますが、間にシリア問題があったり、台風が接近していたり、ニュースも沢山のようですが、まだ読者も一人もいないようですが頑張って有料を継続とするこのブログです。
数多くのニュースの中でも日本のイプシロンロケットの発射とボイジャーの太陽系外への到達があり、新時代の宇宙開発の関連ニュースかと思い、その中でもボイジャーのニュースは少し面白い話があったのでここに書くこととします。
ボイジャーと言えばゴールデンレコードと言って人類以外の知的生命体との遭遇に備えて地球上の当時の最新の科学の要約や各地の風景を記録したレコードがのせられているというのが有名ですが、その中に音楽を記録した部分があります。
まあ要するにその中にこのブログでも何度も取り上げたフリーメイスンリーを象徴するブラザーモーツァルトの魔笛の夜の女王のアリアが含まれているという事です。
宇宙人にもフリーメイスンリーは理解される日が来るのでしょうか。


数多くのニュースの中でも日本のイプシロンロケットの発射とボイジャーの太陽系外への到達があり、新時代の宇宙開発の関連ニュースかと思い、その中でもボイジャーのニュースは少し面白い話があったのでここに書くこととします。
ボイジャーと言えばゴールデンレコードと言って人類以外の知的生命体との遭遇に備えて地球上の当時の最新の科学の要約や各地の風景を記録したレコードがのせられているというのが有名ですが、その中に音楽を記録した部分があります。
まあ要するにその中にこのブログでも何度も取り上げたフリーメイスンリーを象徴するブラザーモーツァルトの魔笛の夜の女王のアリアが含まれているという事です。
宇宙人にもフリーメイスンリーは理解される日が来るのでしょうか。


まあ表題ママなわけですが、あえてフリーメイスンリーのブログで取り上げるべきかどうかはわかりませんが、走水神社も横須賀という事で取り上げた位なので鎌倉関連というとこの大船観音は適しているという事になるのだと思います。
大船が鎌倉だと思っている人はあまりいないかと思いますが、市の範囲としては鎌倉市に含まれていて、横浜市と藤沢市に接する場所になります。私も小雀局と言うハンドルネームで分かる通り戸塚区小雀町出身であり、20年ほどこの地域に住み最もよく知っている地域と言う事になるかと思います。
大船は東海道線、横須賀線、京浜東北線が通るかつての国鉄、現在のJR線の主要なターミナル駅であり、また鎌倉方面へは湘南モノレールやバス、道路などの鎌倉中心部に繋がる要所であり、また柏尾川沿いの比較的平坦な土地に日立製作所や住友電工、三菱電機、武田製薬といった大企業の工場が並ぶ鎌倉市や横浜市、藤沢市の産業地帯となっている場所でもあります。
かつては松竹撮影所があって、大船と言えば男はつらいよの撮影地として最も有名であった時代もあり、大船駅前には堂々と映画館が並んでいた時代もありました。現在は松竹撮影所の跡地はかつての京浜女子大である鎌倉女子大のキャンパスとなっていて、いくらかの記念の建物などがあったかと思います。寅さん役の渥美清さんが贔屓にした店などが数多くあるのかと思いますが、あまり成人してから住んでいないので、そういった店を私はそれほど知りませんが、駅前の最も有名な料理屋というと観音食堂になるのかと思われます。大船観音関連という事でお勧めになるのかもしれません。私自身は数えるほどしか行ったことがありませんが、この写真を撮った際に行った時はかなり店内も綺麗になって、料理も比較的割安で豪華であり繁盛している雰囲気でした。芸能人の方も比較的多く見られる場所であって、私も東海道線では金髪であった金八先生や手足のない車いすの方や東大解剖学の教授の方などの著名人を見たことがありました。
かつての大船は裏通りに入れば飲み屋が数多くあり、キャバレーが最も目立った場所にあるかなり猥雑な若干横須賀に似たような場所でありましたが、鎌倉市の中にある比較的所得層が高い地域の恩恵を被ってか発展が継続していて、かつてはまさに絵にかいたような刺青を施したヤクザの方が縄張りを示すように闊歩していたり、現在でもそうですがホームレスの方が駅に常にいるような色々変化の激しい土地であるかと思います。現在は特に駅ビルであるルミネができてからターミナル駅としての機能を充実していて、かつての松竹撮影所の場所の地域は若干人の流れが減少した感がありますが、大船駅を利用する人自体は駅すぐにできた巨大マンション群のビッグアップルの影響などもあり相当増えているかと思われます。
題名の大船観音がある側は全く発展から取り残された駅の西側の柏尾川沿いの地域であり、恐らく初めて大船駅を利用した方は大船観音の像を見て少しびっくりされるのかと思いますが、生まれてからずっと大船観音を見てきた者としては、あの像を見ると懐かしいというか故郷という感じを思う場所な訳です。大船観音のすぐ近くにはブラザーデッカーが設立に尽力した受験で有名な中高一貫校のカトリック系の男子校栄光学園やミッション系の清泉女学院などがあり、恐らく大船観音と同じく鎌倉全体を見据える大事な土地としてそれらが配置されていた感じが見えてきます。このブログでもかつて触れたドリームランドに繋がるようなモノレールの駅があり一年ほど運用して廃業したそうですが、その後も象徴的なモノレールの駅と路線が廃墟として長らく残されていたものでした。良く言われたのが日本最初のリニアモーターカーで再開するなんて噂が良く出ては消えたりしていました。
まあ大船についての紹介はこの位で良いかと思うのですが、現在の大船は観音食堂の繁盛ぶりもそうですが、駅も街もかつての大船以上に人は増え繁栄している様子でした。

まあ何より大船の地元民であった者としてびっくりしたのは駅にスターバックスができた事でした。あの大船にスターバックスねえと。比較的大船は首都圏の最初の店舗などがでやすい土地ではあり、そういう出店も早い土地であるとは思っていたのですが、あのいかにもなアメリカを代表するカフェであるスターバックスが駅の目立つところに出店しているのは正直驚きました。ドトールみたいなイメージだったんですが、時代は変わったのですね。私の記憶の中では無印良品が大船に出店したのが最後の記憶であったのでまさに隔世の感があります。

で、床がこれであったわけです。うーんなかなか小雀局の影響かもなんて。なかなか駅の目立つところがこの柄なところは品川駅でもありましたがなかなかのターミナル駅と言う事でしょうか。大船ロータリーが頑張っているんだなと。しかしまあうまく作ったなあと。横須賀でも駅の周辺や駅ビルでこのシンボルはありません。(2013/10/3追記:横須賀中央駅の反対側のビルの一部店舗に白黒の床があるようです。)

でまあ大船観音も恐らく幼年時代以降来た記憶は無いのですが、ウィキペディアと大船観音寺のホームページなどでそもそも右翼の玄洋社の頭山満や、明治憲法起草者の金子堅太郎が戦前に建立を計画して、戦争で中断して放棄されていたものが、戦後の鳩山政権下で吉田茂や東急創業者の五島慶太らによって完成にすすめられできたものと知り、一度再び見ておきたいと思っていたのでした。まあお寺で観音像なんだとは知っていたのですが、建立の目的がちょうど沖縄返還で沖縄の方向を向いているとか色々聞いたことはあるのですが、実際どういう意味なのかというのを確認したい目的もありました。子供の時から見たら拝むような習慣を言われていた事もあるのですが、果たして観音崎灯台のブラザーヴェルニーの建設の経緯やマリア信仰などの関連などがどうなっているのかなどを確認したいと思ったのでした。


大船観音のご尊顔です。以前は大分黄色く薄汚れていたと思うのですが、ある時期に綺麗に塗り直したかと思います。その後くらいからライトアップが始まったのだと思います。まあ登るのがそこそこあるのですが、下からは5分位の道であったかと思います。

で、これがまあ登って実際見た方がいい秘密な訳ですが、なんと礼拝用に膝を着くためのクッションが置いてあります。要するにキリスト教式礼拝を自然とするような形になっているわけです。「おもてなし」ではないですが、まあ両手を平手で重ねて拝んでも柏手を打っても膝をついて握った手で祈ってもどのような祈り方でも祈りと言うのは万国共通という教訓がそこにあるのだと思われます。実際はだからマリア像を模した観音像が鎌倉の多くの仏教の寺や八幡宮始めの神社が数多くある鎌倉の中心部を高みから見下ろしているわけですね。大船観音寺が曹洞宗であるのもフリーメイスンリーと比較的宗派として最も接触が深い宗派であり、現役のフリーメイスンも認めますし、東北大震災の際にも曹洞宗の寺に寄付を行ったりとしていることも関係があるのかと思われます。
なかなか地元なので若干ややこしくなりましたが、大船観音の秘密と言ったところでしょうか。
大船が鎌倉だと思っている人はあまりいないかと思いますが、市の範囲としては鎌倉市に含まれていて、横浜市と藤沢市に接する場所になります。私も小雀局と言うハンドルネームで分かる通り戸塚区小雀町出身であり、20年ほどこの地域に住み最もよく知っている地域と言う事になるかと思います。
大船は東海道線、横須賀線、京浜東北線が通るかつての国鉄、現在のJR線の主要なターミナル駅であり、また鎌倉方面へは湘南モノレールやバス、道路などの鎌倉中心部に繋がる要所であり、また柏尾川沿いの比較的平坦な土地に日立製作所や住友電工、三菱電機、武田製薬といった大企業の工場が並ぶ鎌倉市や横浜市、藤沢市の産業地帯となっている場所でもあります。
かつては松竹撮影所があって、大船と言えば男はつらいよの撮影地として最も有名であった時代もあり、大船駅前には堂々と映画館が並んでいた時代もありました。現在は松竹撮影所の跡地はかつての京浜女子大である鎌倉女子大のキャンパスとなっていて、いくらかの記念の建物などがあったかと思います。寅さん役の渥美清さんが贔屓にした店などが数多くあるのかと思いますが、あまり成人してから住んでいないので、そういった店を私はそれほど知りませんが、駅前の最も有名な料理屋というと観音食堂になるのかと思われます。大船観音関連という事でお勧めになるのかもしれません。私自身は数えるほどしか行ったことがありませんが、この写真を撮った際に行った時はかなり店内も綺麗になって、料理も比較的割安で豪華であり繁盛している雰囲気でした。芸能人の方も比較的多く見られる場所であって、私も東海道線では金髪であった金八先生や手足のない車いすの方や東大解剖学の教授の方などの著名人を見たことがありました。
かつての大船は裏通りに入れば飲み屋が数多くあり、キャバレーが最も目立った場所にあるかなり猥雑な若干横須賀に似たような場所でありましたが、鎌倉市の中にある比較的所得層が高い地域の恩恵を被ってか発展が継続していて、かつてはまさに絵にかいたような刺青を施したヤクザの方が縄張りを示すように闊歩していたり、現在でもそうですがホームレスの方が駅に常にいるような色々変化の激しい土地であるかと思います。現在は特に駅ビルであるルミネができてからターミナル駅としての機能を充実していて、かつての松竹撮影所の場所の地域は若干人の流れが減少した感がありますが、大船駅を利用する人自体は駅すぐにできた巨大マンション群のビッグアップルの影響などもあり相当増えているかと思われます。
題名の大船観音がある側は全く発展から取り残された駅の西側の柏尾川沿いの地域であり、恐らく初めて大船駅を利用した方は大船観音の像を見て少しびっくりされるのかと思いますが、生まれてからずっと大船観音を見てきた者としては、あの像を見ると懐かしいというか故郷という感じを思う場所な訳です。大船観音のすぐ近くにはブラザーデッカーが設立に尽力した受験で有名な中高一貫校のカトリック系の男子校栄光学園やミッション系の清泉女学院などがあり、恐らく大船観音と同じく鎌倉全体を見据える大事な土地としてそれらが配置されていた感じが見えてきます。このブログでもかつて触れたドリームランドに繋がるようなモノレールの駅があり一年ほど運用して廃業したそうですが、その後も象徴的なモノレールの駅と路線が廃墟として長らく残されていたものでした。良く言われたのが日本最初のリニアモーターカーで再開するなんて噂が良く出ては消えたりしていました。
まあ大船についての紹介はこの位で良いかと思うのですが、現在の大船は観音食堂の繁盛ぶりもそうですが、駅も街もかつての大船以上に人は増え繁栄している様子でした。

まあ何より大船の地元民であった者としてびっくりしたのは駅にスターバックスができた事でした。あの大船にスターバックスねえと。比較的大船は首都圏の最初の店舗などがでやすい土地ではあり、そういう出店も早い土地であるとは思っていたのですが、あのいかにもなアメリカを代表するカフェであるスターバックスが駅の目立つところに出店しているのは正直驚きました。ドトールみたいなイメージだったんですが、時代は変わったのですね。私の記憶の中では無印良品が大船に出店したのが最後の記憶であったのでまさに隔世の感があります。

で、床がこれであったわけです。うーんなかなか小雀局の影響かもなんて。なかなか駅の目立つところがこの柄なところは品川駅でもありましたがなかなかのターミナル駅と言う事でしょうか。大船ロータリーが頑張っているんだなと。しかしまあうまく作ったなあと。横須賀でも駅の周辺や駅ビルでこのシンボルはありません。(2013/10/3追記:横須賀中央駅の反対側のビルの一部店舗に白黒の床があるようです。)

でまあ大船観音も恐らく幼年時代以降来た記憶は無いのですが、ウィキペディアと大船観音寺のホームページなどでそもそも右翼の玄洋社の頭山満や、明治憲法起草者の金子堅太郎が戦前に建立を計画して、戦争で中断して放棄されていたものが、戦後の鳩山政権下で吉田茂や東急創業者の五島慶太らによって完成にすすめられできたものと知り、一度再び見ておきたいと思っていたのでした。まあお寺で観音像なんだとは知っていたのですが、建立の目的がちょうど沖縄返還で沖縄の方向を向いているとか色々聞いたことはあるのですが、実際どういう意味なのかというのを確認したい目的もありました。子供の時から見たら拝むような習慣を言われていた事もあるのですが、果たして観音崎灯台のブラザーヴェルニーの建設の経緯やマリア信仰などの関連などがどうなっているのかなどを確認したいと思ったのでした。


大船観音のご尊顔です。以前は大分黄色く薄汚れていたと思うのですが、ある時期に綺麗に塗り直したかと思います。その後くらいからライトアップが始まったのだと思います。まあ登るのがそこそこあるのですが、下からは5分位の道であったかと思います。

で、これがまあ登って実際見た方がいい秘密な訳ですが、なんと礼拝用に膝を着くためのクッションが置いてあります。要するにキリスト教式礼拝を自然とするような形になっているわけです。「おもてなし」ではないですが、まあ両手を平手で重ねて拝んでも柏手を打っても膝をついて握った手で祈ってもどのような祈り方でも祈りと言うのは万国共通という教訓がそこにあるのだと思われます。実際はだからマリア像を模した観音像が鎌倉の多くの仏教の寺や八幡宮始めの神社が数多くある鎌倉の中心部を高みから見下ろしているわけですね。大船観音寺が曹洞宗であるのもフリーメイスンリーと比較的宗派として最も接触が深い宗派であり、現役のフリーメイスンも認めますし、東北大震災の際にも曹洞宗の寺に寄付を行ったりとしていることも関係があるのかと思われます。
なかなか地元なので若干ややこしくなりましたが、大船観音の秘密と言ったところでしょうか。
有料化でなかなか反応がわからないわけですが、まあとにかくペースを変えずに継続することとします。
アメリカの州章シリーズの12回目ですが、オハイオ州です。

場所もほぼ東部という事で、五大湖のエリー湖の南にあるそうで独立13州ではありませんが、17番目の州という事でほぼ独立時から存在する州という事になるようです。こういう経緯を見ていくと独立13州という数字がわざわざ意識してつくられたものであるという事も明らかとなって来るようです。州都はコロンバスという事でワシントンD.C.ではありませんが、由緒正しい都市名という事になるのだと思われます。オハイオという名前はインディアンのイロコイ族の美しい川という意味だそうで、日本語のおはようと似た響きのようですが関係はないようです。その他にトチの木の州という意味でBuckeye Stateというそうですが、この呼び名はこのブログのメインである州旗や州章に関係してきます。
17番目の州に昇格したのが第三代大統領ブラザートーマス・ジェファーソンの時代の1803年3月1日という事でこれまたひどくフリーメイスンリー的に筋の良い州であるという事がわかるかと思われます。人口の構成を見るとドイツ系移民の子孫が26.5%アイルランド系移民の子孫が14.1%となっていて、そういうところがこうした州のシンボリズムに現れているようです。またアーミッシュの最大の共同体もあるそうです。インディアンはブラザーアンドリュー大統領の時代にほとんどすべて強制移住でいなくなったそうですが、オハイオ州に本拠地を置くクリーブランドインディアンズというメジャーリーグの球団はインディアンのワフー酋長という図柄をシンボルとしているようです。
オハイオ州の州立議事堂は円筒形をしていて、いわゆるドーム型の合衆国議事堂を模した形とはちょっと異なります。

まあこれも州章や州旗の話と関わってくるわけですが解説は後にします。
州の人口は1千万人以上の1150万人いるそうで、全米7位という事でかなり発展していることがわかります。フリーメイスンの数は12万5千人程でおよそ90人に一人がフリーメイスンという事で恐らく合衆国の平均よりやや高い割合なんだと思われます。特にグランドロッジの数が9つもあり、またプリンスホールフリーメイスンも5000人ほどいるという事で全体と見て恐らくかなりフリーメイスンリーが盛んであると言えて、しかもなかなか特色がありそうという感じでしょうか。
Grand Lodge of Ohioのホームページはありませんでしたが、ウィキペディアのページがありました。またプリンスホールフリーメイスンリーのグランドロッジのページはありました。Grand Lodge of OhioのモットーはVirtute Silentio Amoreで意味は沈黙の力を愛せよのようです。
産業は工業や商業が多いようで、有名な世界的企業である洗剤で有名なP&Gやハンバーガーのウェンディーズ、ゴムタイヤのグッドイヤーなどの本社があるようです。またDHLのアメリカ本社があるようです。
オハイオ州出身の有名人としてはまず7人のオハイオ州生まれの大統領と、バージニア州生まれのオハイオ州で大半を過ごしたウィリアム・ハリソンが挙げられます。
第9代ウィリアム・ハリソン大統領については以前やや陰謀論めいたアメリカ大統領の特異な例としてワシントンD.C. フリーメイスンリーの都 No.9で挙げました。反メイソン党出身の大統領候補から大統領となり、就任演説直後にかかった肺炎をこじらせて就任1カ月で亡くなった大統領です。当時は5人に一人はフリーメイスンか友愛団体所属といった時代で、いわゆるモーガン事件の後であり、反フリーメイスンリー運動が吹き荒れていた時代という事ですが、恐らくウィリアム・ハリソン自体は第9代大統領となるほどであり、ほぼフリーメイスンがアメリカ政府と一致していたと考えられるので、どこかの時点でフリーメイスンであったのだと思われます。モーガン事件自体もモーガンの暴露本というものを私も持っていますが、ダンカンズリチュアルやマッキーズエンサイクロペディアなどと同じくほぼフリーメイスンリーの教科書に近いものとなっている歴史があります。ブラザーモーガンを顕彰した記念碑があるそうですが、その写真にはすぐ横にオベリスクが写っています。
第18代大統領はユリシーズ・グラント将軍でオハイオ州出身です。出生時の名前はハイラムといったそうです。グラント大統領はいわゆるフリーメイスンの大統領には挙げられないようですが、時代や活躍を考えても明らかにフリーメイスンかと思われます。


お墓はニューヨークにあるそうです。ブラザーリンカーン大統領の下で北軍の将軍として働いたのでしたね。任期中は汚職が多かったそうですが、1872年3月3日に岩倉使節団と面会しているそうです。その後来日して日光東照宮など訪問しているそうです。立像の左手が胸に差し込まれた形は良くブラザーナポレオンの肖像で認められるとして陰謀論で挙げられますが、まあ左手のシンボリズムなど意味があるのかと思いますが、特にそれがフリーメイスンそのものを意味するものではないと思います。左手のシンボリズムから派生したいわゆる絵画や銅像のシンボリズムなのだと思われます。
第19代大統領がラザフォード・ヘイズ大統領でやはりオハイオ州出身です。1893年1月17日に亡くなっているそうです。どうも選挙戦ではかなり怪しい選挙であったそうです。弁護士の同僚であった娘がブラザーウィリアム・タフトの妻となったそうです。フリーメイスンかどうかは微妙ですがそういう繋がりでしょう。
第20代大統領がジェームズ・ガーフィールド大統領です。1831年11月19日-1881年9月19日でなかなかおもしろいシンボリズムの生年月日と忌日になっています。唯一の下院議員の大統領で初の左利きの大統領であったそうです。大統領就任数カ月で銃撃されその後2カ月病床にあり、弾丸摘出にブラザーグラハム・ベルの発明した金属探知機が利用されたそうですが、確かベッドの金属が邪魔で機能しなかったと思います。結局処置がまずくて亡くなったそうです。熱心なプロテスタントのキリスト教徒であったそうです。フェイスブックの他のブラザーによって教わりましたがフリーメイスンだそうです。
第23代大統領がベンジャミン・ハリソン大統領で第9代大統領のウィリアム・ハリソンの孫になり、やはりオハイオ州出身です。相当な名家であったようですが裕福ではなかったようで、結婚後はインディアナポリスに移住しそこから大統領になったようです。 1833年8月20日-1901年3月13日という事でシンボリズムもあるようですが、何より二度目の再婚相手が前妻の姪であったそうで、子供が皆反対したそうです。友愛クラブの代表を務めたりしておりフリーメイスンであったようです。
第25代大統領がウィリアム・マッキンリー大統領でやはりオハイオ州出身です。南北戦争後のアメリカの大繁栄時代を築いた大統領の一人です。大統領再選後に銃で狙撃され一旦回復しかけますが恐らく消化管を銃弾が貫通していたところに食事を摂ったため敗血症で亡くなったようです。点滴や抗生剤も無い時代ですのでやむを得ないのであったのかと思われます。アラスカのマッキンリー山にその名を残しています。恐らくフリーメイスンなのだと思います。副大統領であったブラザーセオドア・ルーズベルトが大統領に昇格しました。
第27代大統領がブラザーウィリアム・タフト大統領であり、オハイオ州出身のフリーメイスンです。スカルアンドボーンズのメンバーであったそうです。ブラザーセオドア・ルーズベルト大統領の後継者に指名されて大統領を引き継ぎます。大統領をウィルソン大統領に引き継いだ後に死ぬまで最高裁長官を務めたそうです。
第29代大統領がウォーレン・ハーディング大統領でオハイオ州出身です。離婚歴のある女性と結婚しましたが、夫婦仲が悪かったそうで夫人による毒殺説があるそうです。新聞を経営して政界に参入し、大統領職にあった際にはオハイオギャングと呼ばれるオハイオ州の仲間とともに汚職が酷かったそうです。アラスカ遊説後に食中毒を起こして亡くなったそうで、その際にはスキャンダルが出始めた頃であったそうです。ウォーレン・ハーディングの一族には黒人奴隷の混血説があるそうで、それを広めていたのが結婚した女性の父親であったという事もあるようです。一方でクークラックスクランに関係していたという噂もあるようです。フリーメイスンだったのでしょうか。
なかなかアメリカ大統領とフリーメイスンリーの関係を挙げていくときりが無いわけですが、基本的に建国の経緯から言っても現在の国の成り立ちから言っても大統領とフリーメイスンリーとの関係は切っても切り離せないものがあり、第二次世界大戦前位までのマスメディアの発達していなかった時代のブラザートルーマン大統領位まではほとんどの大統領がフリーメイスンかそれにほぼ準ずる存在であり、それはその後のブラザークリントン大統領やブラザーブッシュ大統領に至るまでそういうものが生前にあまり公にならない程度に存在するという形であるかと思われます。どの大統領も残す言葉がホワイトハウスの孤独であり、その重責と難しい判断が常にフリーメイスンリーの教えを必要とし、フリーメイスンであることがまた自律的な判断と成功への足がかりになる事の繰り返しなのであるかと思われます。
では戻ってその他のオハイオ州の著名な出身者ですが、これもやはりフリーメイスンが多く、アポロ11号で月面着陸したブラザーニール・アームストロング、宇宙飛行士で後に上院議員となったブラザージョン・グレン、風と共に去りぬで主演を務めたブラザークラーク・ゲーブル、シャーマン戦車に名前を残した南北戦争の将軍ブラザーウィリアム・シャーマン、ブッシュ家の政界における最初の人物であるブラザープレスコット・ブッシュ、最初の飛行機の発明者であるブラザーウィルバー・ライトとブラザーオーヴィル・ライトのライト兄弟、日本の本土空襲を立案したブラザーカーチス・ルメイらがいますが、その他のオハイオ州出身者の著名人もほとんどがフリーメイスンではないかと思われます。その他の著名人としては、かつての駐日大使のマイケル・アマコスト、現在のGEの会長ジェフリー・イメルト、発明王トーマス・エジソン、シーズン257本のヒットの記録を持っていたジョージ・シスラー、アメリカンリーグ初代会長のパン・ジョンソン、映画監督のスティーブン・スピルバーグ、CNN創業者のテッド・ターナー、ウェストサイドストーリーに出演したジョージ・チャキリス、ゴルフの帝王ジャック・ニクラス、ハスラーやスティングの主演を務めたポール・ニューマン、俳優一家で同名のイギリス人俳優の息子のタイロン・パワー、ファイアストン・タイヤ・アンド・ラバー・カンパニーの創業者であるハーベイ・ファイアストーン、底抜けコンビやシナトラ一家で俳優のディーン・マーティン、サイ・ヤング賞に名前を残すサイ・ヤング、アポロ13号の船長であったジム・ラヴェルなどがいて、政界、実業界、映画界、野球界とアメリカを代表するそうそうたる面々が並ぶ一見してどれだけのフリーメイスンリーのネットワークがあるのかという有名人ばかりとなります。
さてまあそういうとんでもないアメリカの中枢とも言えるような州の州章です。

一見すると絢爛豪華なフリーメイスンリーの州の歴史からすると拍子抜けするほどシンプルな州章ですが、それぞれ歴史がありかなりのプライドを持っているようで、英語版の州章のウィキペディアにはこれでもかというほどにほとんど同じ形の様々なバージョンの画像が示されています。




基本的にオハイオ州ロス郡のアデナマンションという建物からローガン山を望んだ風景と言う構図は変わっていないようですが、1803年の当初のものは農夫がいて、蒸気機関車と自動車、蒸気船があって、鍛冶屋がハンマーを叩いているといういわゆるこれまで見てきたアメリカの州章で多い構図であったようですが、同時にモットーがImperium in Imperio.State within a state.国家の内部における国家であったそうで、なかなか物騒なドイツ系プロテスタントが多い土地柄を反映したものであったようです。それがまあ1840年頃から箱舟を思わせる運河船とファスケスと三つの麦藁を構図としたものとなり、その後さらに省略して太陽とファスケスと麦藁が三つの構図でまとまるようになり、さらにモットーが省かれて現在の構図に近くなり、さらに川が横断する形で無いバージョンも作られたようです。解説を読むと何度かブラザーライト兄弟が作ったライトフライヤーを構図の中に入れる事が試みられているそうです。現在の州のモットーは1959年からマタイの讃美歌からとられたWith God, all things are possible神と共になら全て可能になるとなっているそうです。9歳の子の発案でなったとされています。
さて現在の州章のデザインですが、もちろん太陽と光輪でさらに虹の形にもなっていて、13本のGloryで独立13州を示しているとなっていますが、それぞれフリーメイスンリーのシンボリズムとなっています。より砂漠の荒野のような形と川の形が変形したりしているのがまあいわゆるエルサレム近郊の土地、シナイ山や紅海、ヨルダン川とその周辺の砂漠のイメージに近づいているようにも感じられるでしょうか。もちろん直立した麦藁はユダヤ教の象徴であり、一方の12本の矢をまとめたファスケスはアメリカ合衆国の象徴でもあり、またローマ帝国の象徴でもあります。(追記:ファスケスの矢はウィキペディアによれば17本とされているようですが、実際に書かれているのは12本であるようです。17本だと17番目の州と言う事になるようですが、シンボリズムとしては完全数の12で良いのかと思われます。)まさに旧約聖書から新約聖書に繋がるヨセフスのユダヤ古代誌に描かれた世界を象徴しているのかと思われます。それらがまた三位一体の配列になり、ブルーの二重丸に囲まれて、一番下に五芒星でピタゴラス学派、キリスト教を象徴しているところもなかなか美しくまとまっている印象でしょうか。太陽と光輪、後光がこうも強調されていると日本の日章旗もより日本の象徴として大事にしないといけないものなのだと感じざるを得ない所でしょうか。

オハイオ州は州旗も独特です。形もちょっと凧のようですが、特に解説はされていませんが、恐らく鯉のぼりやキリストの魚をイメージした構図なのかもしれません。ブルーの三角形に合わせた対称形の構図外の三角形を意識したものであるのかもしれません。いずれにしてもブルーの三角形ありきで、それに合わせて赤白のストライプが3と5を意識したものとなっており、星は17番目の州と言う事で17個あるそうですが、やはり左側で13個と右側で十字の形で4つ配置されておりなかなかデザイン的にもシンボル的にも意味のある配置となっているようです。そして大きな赤丸ですが、これが解説ではオハイオ州の頭文字のOの意味と州のニックネームであるBuckeye Stateトチの木の州の両方の意味があるという事で、要するにAll Seeing Eyeであるという事なのですね。要するにオハイオ州の名前からそもそもOhioを州名にしたところからシンボリズムであり、トチの木の州と言う愛称にもシンボリズムがかかっているフリーメイスンリーの州であるというシンボルなのでした。州議事堂の形もそういうOの形にかけたデザインとなっているという事のようです。
どんなもんでしょうか。
アメリカの州章シリーズの12回目ですが、オハイオ州です。

場所もほぼ東部という事で、五大湖のエリー湖の南にあるそうで独立13州ではありませんが、17番目の州という事でほぼ独立時から存在する州という事になるようです。こういう経緯を見ていくと独立13州という数字がわざわざ意識してつくられたものであるという事も明らかとなって来るようです。州都はコロンバスという事でワシントンD.C.ではありませんが、由緒正しい都市名という事になるのだと思われます。オハイオという名前はインディアンのイロコイ族の美しい川という意味だそうで、日本語のおはようと似た響きのようですが関係はないようです。その他にトチの木の州という意味でBuckeye Stateというそうですが、この呼び名はこのブログのメインである州旗や州章に関係してきます。
17番目の州に昇格したのが第三代大統領ブラザートーマス・ジェファーソンの時代の1803年3月1日という事でこれまたひどくフリーメイスンリー的に筋の良い州であるという事がわかるかと思われます。人口の構成を見るとドイツ系移民の子孫が26.5%アイルランド系移民の子孫が14.1%となっていて、そういうところがこうした州のシンボリズムに現れているようです。またアーミッシュの最大の共同体もあるそうです。インディアンはブラザーアンドリュー大統領の時代にほとんどすべて強制移住でいなくなったそうですが、オハイオ州に本拠地を置くクリーブランドインディアンズというメジャーリーグの球団はインディアンのワフー酋長という図柄をシンボルとしているようです。
オハイオ州の州立議事堂は円筒形をしていて、いわゆるドーム型の合衆国議事堂を模した形とはちょっと異なります。

まあこれも州章や州旗の話と関わってくるわけですが解説は後にします。
州の人口は1千万人以上の1150万人いるそうで、全米7位という事でかなり発展していることがわかります。フリーメイスンの数は12万5千人程でおよそ90人に一人がフリーメイスンという事で恐らく合衆国の平均よりやや高い割合なんだと思われます。特にグランドロッジの数が9つもあり、またプリンスホールフリーメイスンも5000人ほどいるという事で全体と見て恐らくかなりフリーメイスンリーが盛んであると言えて、しかもなかなか特色がありそうという感じでしょうか。
Grand Lodge of Ohioのホームページはありませんでしたが、ウィキペディアのページがありました。またプリンスホールフリーメイスンリーのグランドロッジのページはありました。Grand Lodge of OhioのモットーはVirtute Silentio Amoreで意味は沈黙の力を愛せよのようです。
産業は工業や商業が多いようで、有名な世界的企業である洗剤で有名なP&Gやハンバーガーのウェンディーズ、ゴムタイヤのグッドイヤーなどの本社があるようです。またDHLのアメリカ本社があるようです。
オハイオ州出身の有名人としてはまず7人のオハイオ州生まれの大統領と、バージニア州生まれのオハイオ州で大半を過ごしたウィリアム・ハリソンが挙げられます。
第9代ウィリアム・ハリソン大統領については以前やや陰謀論めいたアメリカ大統領の特異な例としてワシントンD.C. フリーメイスンリーの都 No.9で挙げました。反メイソン党出身の大統領候補から大統領となり、就任演説直後にかかった肺炎をこじらせて就任1カ月で亡くなった大統領です。当時は5人に一人はフリーメイスンか友愛団体所属といった時代で、いわゆるモーガン事件の後であり、反フリーメイスンリー運動が吹き荒れていた時代という事ですが、恐らくウィリアム・ハリソン自体は第9代大統領となるほどであり、ほぼフリーメイスンがアメリカ政府と一致していたと考えられるので、どこかの時点でフリーメイスンであったのだと思われます。モーガン事件自体もモーガンの暴露本というものを私も持っていますが、ダンカンズリチュアルやマッキーズエンサイクロペディアなどと同じくほぼフリーメイスンリーの教科書に近いものとなっている歴史があります。ブラザーモーガンを顕彰した記念碑があるそうですが、その写真にはすぐ横にオベリスクが写っています。
第18代大統領はユリシーズ・グラント将軍でオハイオ州出身です。出生時の名前はハイラムといったそうです。グラント大統領はいわゆるフリーメイスンの大統領には挙げられないようですが、時代や活躍を考えても明らかにフリーメイスンかと思われます。


お墓はニューヨークにあるそうです。ブラザーリンカーン大統領の下で北軍の将軍として働いたのでしたね。任期中は汚職が多かったそうですが、1872年3月3日に岩倉使節団と面会しているそうです。その後来日して日光東照宮など訪問しているそうです。立像の左手が胸に差し込まれた形は良くブラザーナポレオンの肖像で認められるとして陰謀論で挙げられますが、まあ左手のシンボリズムなど意味があるのかと思いますが、特にそれがフリーメイスンそのものを意味するものではないと思います。左手のシンボリズムから派生したいわゆる絵画や銅像のシンボリズムなのだと思われます。
第19代大統領がラザフォード・ヘイズ大統領でやはりオハイオ州出身です。1893年1月17日に亡くなっているそうです。どうも選挙戦ではかなり怪しい選挙であったそうです。弁護士の同僚であった娘がブラザーウィリアム・タフトの妻となったそうです。フリーメイスンかどうかは微妙ですがそういう繋がりでしょう。
第20代大統領がジェームズ・ガーフィールド大統領です。1831年11月19日-1881年9月19日でなかなかおもしろいシンボリズムの生年月日と忌日になっています。唯一の下院議員の大統領で初の左利きの大統領であったそうです。大統領就任数カ月で銃撃されその後2カ月病床にあり、弾丸摘出にブラザーグラハム・ベルの発明した金属探知機が利用されたそうですが、確かベッドの金属が邪魔で機能しなかったと思います。結局処置がまずくて亡くなったそうです。熱心なプロテスタントのキリスト教徒であったそうです。フェイスブックの他のブラザーによって教わりましたがフリーメイスンだそうです。
第23代大統領がベンジャミン・ハリソン大統領で第9代大統領のウィリアム・ハリソンの孫になり、やはりオハイオ州出身です。相当な名家であったようですが裕福ではなかったようで、結婚後はインディアナポリスに移住しそこから大統領になったようです。 1833年8月20日-1901年3月13日という事でシンボリズムもあるようですが、何より二度目の再婚相手が前妻の姪であったそうで、子供が皆反対したそうです。友愛クラブの代表を務めたりしておりフリーメイスンであったようです。
第25代大統領がウィリアム・マッキンリー大統領でやはりオハイオ州出身です。南北戦争後のアメリカの大繁栄時代を築いた大統領の一人です。大統領再選後に銃で狙撃され一旦回復しかけますが恐らく消化管を銃弾が貫通していたところに食事を摂ったため敗血症で亡くなったようです。点滴や抗生剤も無い時代ですのでやむを得ないのであったのかと思われます。アラスカのマッキンリー山にその名を残しています。恐らくフリーメイスンなのだと思います。副大統領であったブラザーセオドア・ルーズベルトが大統領に昇格しました。
第27代大統領がブラザーウィリアム・タフト大統領であり、オハイオ州出身のフリーメイスンです。スカルアンドボーンズのメンバーであったそうです。ブラザーセオドア・ルーズベルト大統領の後継者に指名されて大統領を引き継ぎます。大統領をウィルソン大統領に引き継いだ後に死ぬまで最高裁長官を務めたそうです。
第29代大統領がウォーレン・ハーディング大統領でオハイオ州出身です。離婚歴のある女性と結婚しましたが、夫婦仲が悪かったそうで夫人による毒殺説があるそうです。新聞を経営して政界に参入し、大統領職にあった際にはオハイオギャングと呼ばれるオハイオ州の仲間とともに汚職が酷かったそうです。アラスカ遊説後に食中毒を起こして亡くなったそうで、その際にはスキャンダルが出始めた頃であったそうです。ウォーレン・ハーディングの一族には黒人奴隷の混血説があるそうで、それを広めていたのが結婚した女性の父親であったという事もあるようです。一方でクークラックスクランに関係していたという噂もあるようです。フリーメイスンだったのでしょうか。
なかなかアメリカ大統領とフリーメイスンリーの関係を挙げていくときりが無いわけですが、基本的に建国の経緯から言っても現在の国の成り立ちから言っても大統領とフリーメイスンリーとの関係は切っても切り離せないものがあり、第二次世界大戦前位までのマスメディアの発達していなかった時代のブラザートルーマン大統領位まではほとんどの大統領がフリーメイスンかそれにほぼ準ずる存在であり、それはその後のブラザークリントン大統領やブラザーブッシュ大統領に至るまでそういうものが生前にあまり公にならない程度に存在するという形であるかと思われます。どの大統領も残す言葉がホワイトハウスの孤独であり、その重責と難しい判断が常にフリーメイスンリーの教えを必要とし、フリーメイスンであることがまた自律的な判断と成功への足がかりになる事の繰り返しなのであるかと思われます。
では戻ってその他のオハイオ州の著名な出身者ですが、これもやはりフリーメイスンが多く、アポロ11号で月面着陸したブラザーニール・アームストロング、宇宙飛行士で後に上院議員となったブラザージョン・グレン、風と共に去りぬで主演を務めたブラザークラーク・ゲーブル、シャーマン戦車に名前を残した南北戦争の将軍ブラザーウィリアム・シャーマン、ブッシュ家の政界における最初の人物であるブラザープレスコット・ブッシュ、最初の飛行機の発明者であるブラザーウィルバー・ライトとブラザーオーヴィル・ライトのライト兄弟、日本の本土空襲を立案したブラザーカーチス・ルメイらがいますが、その他のオハイオ州出身者の著名人もほとんどがフリーメイスンではないかと思われます。その他の著名人としては、かつての駐日大使のマイケル・アマコスト、現在のGEの会長ジェフリー・イメルト、発明王トーマス・エジソン、シーズン257本のヒットの記録を持っていたジョージ・シスラー、アメリカンリーグ初代会長のパン・ジョンソン、映画監督のスティーブン・スピルバーグ、CNN創業者のテッド・ターナー、ウェストサイドストーリーに出演したジョージ・チャキリス、ゴルフの帝王ジャック・ニクラス、ハスラーやスティングの主演を務めたポール・ニューマン、俳優一家で同名のイギリス人俳優の息子のタイロン・パワー、ファイアストン・タイヤ・アンド・ラバー・カンパニーの創業者であるハーベイ・ファイアストーン、底抜けコンビやシナトラ一家で俳優のディーン・マーティン、サイ・ヤング賞に名前を残すサイ・ヤング、アポロ13号の船長であったジム・ラヴェルなどがいて、政界、実業界、映画界、野球界とアメリカを代表するそうそうたる面々が並ぶ一見してどれだけのフリーメイスンリーのネットワークがあるのかという有名人ばかりとなります。
さてまあそういうとんでもないアメリカの中枢とも言えるような州の州章です。

一見すると絢爛豪華なフリーメイスンリーの州の歴史からすると拍子抜けするほどシンプルな州章ですが、それぞれ歴史がありかなりのプライドを持っているようで、英語版の州章のウィキペディアにはこれでもかというほどにほとんど同じ形の様々なバージョンの画像が示されています。




基本的にオハイオ州ロス郡のアデナマンションという建物からローガン山を望んだ風景と言う構図は変わっていないようですが、1803年の当初のものは農夫がいて、蒸気機関車と自動車、蒸気船があって、鍛冶屋がハンマーを叩いているといういわゆるこれまで見てきたアメリカの州章で多い構図であったようですが、同時にモットーがImperium in Imperio.State within a state.国家の内部における国家であったそうで、なかなか物騒なドイツ系プロテスタントが多い土地柄を反映したものであったようです。それがまあ1840年頃から箱舟を思わせる運河船とファスケスと三つの麦藁を構図としたものとなり、その後さらに省略して太陽とファスケスと麦藁が三つの構図でまとまるようになり、さらにモットーが省かれて現在の構図に近くなり、さらに川が横断する形で無いバージョンも作られたようです。解説を読むと何度かブラザーライト兄弟が作ったライトフライヤーを構図の中に入れる事が試みられているそうです。現在の州のモットーは1959年からマタイの讃美歌からとられたWith God, all things are possible神と共になら全て可能になるとなっているそうです。9歳の子の発案でなったとされています。
さて現在の州章のデザインですが、もちろん太陽と光輪でさらに虹の形にもなっていて、13本のGloryで独立13州を示しているとなっていますが、それぞれフリーメイスンリーのシンボリズムとなっています。より砂漠の荒野のような形と川の形が変形したりしているのがまあいわゆるエルサレム近郊の土地、シナイ山や紅海、ヨルダン川とその周辺の砂漠のイメージに近づいているようにも感じられるでしょうか。もちろん直立した麦藁はユダヤ教の象徴であり、一方の12本の矢をまとめたファスケスはアメリカ合衆国の象徴でもあり、またローマ帝国の象徴でもあります。(追記:ファスケスの矢はウィキペディアによれば17本とされているようですが、実際に書かれているのは12本であるようです。17本だと17番目の州と言う事になるようですが、シンボリズムとしては完全数の12で良いのかと思われます。)まさに旧約聖書から新約聖書に繋がるヨセフスのユダヤ古代誌に描かれた世界を象徴しているのかと思われます。それらがまた三位一体の配列になり、ブルーの二重丸に囲まれて、一番下に五芒星でピタゴラス学派、キリスト教を象徴しているところもなかなか美しくまとまっている印象でしょうか。太陽と光輪、後光がこうも強調されていると日本の日章旗もより日本の象徴として大事にしないといけないものなのだと感じざるを得ない所でしょうか。

オハイオ州は州旗も独特です。形もちょっと凧のようですが、特に解説はされていませんが、恐らく鯉のぼりやキリストの魚をイメージした構図なのかもしれません。ブルーの三角形に合わせた対称形の構図外の三角形を意識したものであるのかもしれません。いずれにしてもブルーの三角形ありきで、それに合わせて赤白のストライプが3と5を意識したものとなっており、星は17番目の州と言う事で17個あるそうですが、やはり左側で13個と右側で十字の形で4つ配置されておりなかなかデザイン的にもシンボル的にも意味のある配置となっているようです。そして大きな赤丸ですが、これが解説ではオハイオ州の頭文字のOの意味と州のニックネームであるBuckeye Stateトチの木の州の両方の意味があるという事で、要するにAll Seeing Eyeであるという事なのですね。要するにオハイオ州の名前からそもそもOhioを州名にしたところからシンボリズムであり、トチの木の州と言う愛称にもシンボリズムがかかっているフリーメイスンリーの州であるというシンボルなのでした。州議事堂の形もそういうOの形にかけたデザインとなっているという事のようです。
どんなもんでしょうか。
さてのんびりとしたスコットランドエディンバラの旅です。最近の日本も台風後は涼しくなって良い感じです。

朝日をアーサーズシートで感じて降りてくるところですね。この日は天気も良く光の加減も良く良い景色です。


野ウサギがいましたねえ。


こっちは鳥を撮っているんでしょうかね。オナガのようなカラスのような白黒の鳥がいます。スズメもいますが日本とは柄が違います。

これもカラスを撮っているんでしょうかね。




オナガみたいな鳥を撮っているんでしょうかね。鳴き声はちょっと良く分からなかったですかね。


なかなか難しい写真ですね。オナガのような鳥を撮っているんだと思います。

もう少し下って来たところで教会跡の廃墟を撮っているのですね。


多分野ウサギがいて撮っているのだと思いますが良くわかりませんね。

野ウサギですね。この日は良く見られました。糞もそこらじゅうにあったりします。

古い教会跡ですね。日本だとこれくらい古い石造のものがあると皆国宝級でしょうね。まあ宗教改革でみんな壊されちゃったカトリックのチェーン店みたいな感じでしょうか。

これは野ウサギの糞でも撮ってるんですかね。

1581年と言うと日本だと戦国時代でしょうかね。まあユダヤ教、キリスト教、新教旧教の争いはその時代から常にあったという象徴なんでしょうね。

まあスコットランドはとにかく教会の廃墟が多いですね。そこに価値を見いだしているのでしょうね。

これも野ウサギを撮っているんでしょうかね。遠くにエディンバラ城が見えます。

こんな建物の感じと言うところでしょうか。

何を撮っているんでしょうかねえ。緑の芝でしょうか。

これはスコットランド国会議事堂の壁にある諺のプレートですね。なんでこれかはちょっと良くわかりませんが、約束する事と約束を果たす守ることは別であるという意味のようです。その他についてはこちらを参照してください。

再びキャノンゲートカークです。

なかなか美しいです。

その反対側の屋根のピラミッドです。

そのちょっと上のところにあるモザイクの床です。まあこれがフリーメイスンリーのシンボルとはちょっと言い難いですが、そういうデザインの床と言うところです。ジョン・ノックスの住居もこのロイヤルマイル沿いでキャノンゲートカークのちょっと上にあったようです。また訪問する事があれば行く場所でしょうか。まあ確実にアーサーズシートは行くのでしょうね。
スコットランドの光は届いたでしょうか?有料化したので届きませんかね。

朝日をアーサーズシートで感じて降りてくるところですね。この日は天気も良く光の加減も良く良い景色です。


野ウサギがいましたねえ。


こっちは鳥を撮っているんでしょうかね。オナガのようなカラスのような白黒の鳥がいます。スズメもいますが日本とは柄が違います。

これもカラスを撮っているんでしょうかね。




オナガみたいな鳥を撮っているんでしょうかね。鳴き声はちょっと良く分からなかったですかね。


なかなか難しい写真ですね。オナガのような鳥を撮っているんだと思います。

もう少し下って来たところで教会跡の廃墟を撮っているのですね。


多分野ウサギがいて撮っているのだと思いますが良くわかりませんね。

野ウサギですね。この日は良く見られました。糞もそこらじゅうにあったりします。

古い教会跡ですね。日本だとこれくらい古い石造のものがあると皆国宝級でしょうね。まあ宗教改革でみんな壊されちゃったカトリックのチェーン店みたいな感じでしょうか。

これは野ウサギの糞でも撮ってるんですかね。

1581年と言うと日本だと戦国時代でしょうかね。まあユダヤ教、キリスト教、新教旧教の争いはその時代から常にあったという象徴なんでしょうね。

まあスコットランドはとにかく教会の廃墟が多いですね。そこに価値を見いだしているのでしょうね。

これも野ウサギを撮っているんでしょうかね。遠くにエディンバラ城が見えます。

こんな建物の感じと言うところでしょうか。

何を撮っているんでしょうかねえ。緑の芝でしょうか。

これはスコットランド国会議事堂の壁にある諺のプレートですね。なんでこれかはちょっと良くわかりませんが、約束する事と約束を果たす守ることは別であるという意味のようです。その他についてはこちらを参照してください。

再びキャノンゲートカークです。

なかなか美しいです。

その反対側の屋根のピラミッドです。

そのちょっと上のところにあるモザイクの床です。まあこれがフリーメイスンリーのシンボルとはちょっと言い難いですが、そういうデザインの床と言うところです。ジョン・ノックスの住居もこのロイヤルマイル沿いでキャノンゲートカークのちょっと上にあったようです。また訪問する事があれば行く場所でしょうか。まあ確実にアーサーズシートは行くのでしょうね。
スコットランドの光は届いたでしょうか?有料化したので届きませんかね。
まあ大分空いて有料にしてから誰も見ていないわけですが、定期更新と言う事でスコットランドの旅行記の部分の記事を作っていこうと思います。なかなか本を読んだり英語を訳したりしないといけないわけですが、有料にしてこれだけ反応が無いとモチベーションも落ちるのはやんぬるかなというところでしょうか。
この部分にしてもブラザーサーウォルター・スコットの作品について一つくらい読んでおかないとなかなか記事も書きづらいのですが、読者も現在のところゼロというところでとりあえず作る形とします。

朝にアーサーズシートを登った後なのですね。一旦ホテルに戻るのだと思います。プリンスィズストリートのスコット記念塔ですね。遠くに見えるのがスコットランド国立銀行か図書館の建物だと思います。

ブラザーサーウォルター・スコットの像です。アイヴァンホーと湖上の美人について読んだら記事としようかと思います。(10/26追記:ジョン・スチールという方による彫刻だそうです。恐らくフリーメイスンなのだと思われます。その他にはエディンバラ国立公文書館前のブラザーウェリントン公の騎馬像や、ロイヤルマイルズの馬を引くアレクサンダー大王などがあるそうです。)

エディンバラで最も目立つ塔ですが、なかなか中に入っている人は少ないようです。入場料は3ポンド位取ったんではないでしょうか。あとで内部の写真も出しますが、まああまり入場している人はいません。英語版のウィキペディアの解説がありますが、高さや階段の数など色々謎が含まれているようです。

これはジョージホテルの近くのブラザーメルヴィル卿記念塔でしょうか。珍しく綺麗な雲が出ていたのですね。

これが題名になっているウェイバリー駅です。ウェイバリー橋から入るようです。地下にあるような形になっていますが勾配はそれほどきつくはありません。まあセントアンドリュースに行こうと思って一旦確認したんですが、どうも列車の出発まで一時間以上間があるのでその辺を巡る事としました。

またまたスコット記念塔です。ゴシックロケットと称されるようです。

ナショナルアカデミーの横で撮影のような事をやっていました。毎日イベントみたいなことをやっているエディンバラの中央広場のようなところです。良く見ると監督みたいな人が六芒星の付いた帽子をかぶっています。恐らくフリーメイスンなのでしょうね。

この広場には分かりやすいエディンバラの旧市街と新市街のジオラマ模型がありました。最初に見ておくとエディンバラの立体構成が分かりやすいかもしれません。
この部分にしてもブラザーサーウォルター・スコットの作品について一つくらい読んでおかないとなかなか記事も書きづらいのですが、読者も現在のところゼロというところでとりあえず作る形とします。

朝にアーサーズシートを登った後なのですね。一旦ホテルに戻るのだと思います。プリンスィズストリートのスコット記念塔ですね。遠くに見えるのがスコットランド国立銀行か図書館の建物だと思います。

ブラザーサーウォルター・スコットの像です。アイヴァンホーと湖上の美人について読んだら記事としようかと思います。(10/26追記:ジョン・スチールという方による彫刻だそうです。恐らくフリーメイスンなのだと思われます。その他にはエディンバラ国立公文書館前のブラザーウェリントン公の騎馬像や、ロイヤルマイルズの馬を引くアレクサンダー大王などがあるそうです。)

エディンバラで最も目立つ塔ですが、なかなか中に入っている人は少ないようです。入場料は3ポンド位取ったんではないでしょうか。あとで内部の写真も出しますが、まああまり入場している人はいません。英語版のウィキペディアの解説がありますが、高さや階段の数など色々謎が含まれているようです。

これはジョージホテルの近くのブラザーメルヴィル卿記念塔でしょうか。珍しく綺麗な雲が出ていたのですね。

これが題名になっているウェイバリー駅です。ウェイバリー橋から入るようです。地下にあるような形になっていますが勾配はそれほどきつくはありません。まあセントアンドリュースに行こうと思って一旦確認したんですが、どうも列車の出発まで一時間以上間があるのでその辺を巡る事としました。

またまたスコット記念塔です。ゴシックロケットと称されるようです。

ナショナルアカデミーの横で撮影のような事をやっていました。毎日イベントみたいなことをやっているエディンバラの中央広場のようなところです。良く見ると監督みたいな人が六芒星の付いた帽子をかぶっています。恐らくフリーメイスンなのでしょうね。

この広場には分かりやすいエディンバラの旧市街と新市街のジオラマ模型がありました。最初に見ておくとエディンバラの立体構成が分かりやすいかもしれません。
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