FREEMASONRY
Blue Lodge, Scottish Rite & York Rite in Japan
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まあ随分勢いの衰えたブログになったわけですが、一応勉強の成果ではないですが、ブラザーダン・ブラウンのダ・ヴィンチ・コード以前の著作を二作読んだので感想というかあらすじというか、まあ感想を書いて記事としようかと思います。
まずパズル・パレスについてですが、このブログでも1776年というイルミナティとアメリカ独立の関係について考察した記事で触れたのですが、まあ実際読んでみてNSAとかECHELONというものについて具体的に知識やイメージが具体的になったかというとそういう事はなく、現代のスノーデン氏の暴露話の方が具体性がある時代ですので、なんとも最後のキーワードである「3」がパスワードであるという事以外に印象に残らない、いかにもなシンボリズムの話でありました。
で、それだけという感想をお持ちかもしれませんが、まあこのブログのテーマでもある読書を促す内容という事でそれだけという事にします。
で、天使と悪魔なんですが、これについては私は当時に公開されていた映画を見た記憶があり、最後のどんでん返し的な展開は一部覚えてはいたのですが、イルミナティの解説やストーリーそのものは荒唐無稽な話で、要はヨハネ・パウロ1世の在位33日での不審死とその後のP2事件に絡んだフリーメイスンリーとカトリックの結成以来の対立関係と因縁を解説する部分が最も重要で、後はやはり宗教と科学という現代社会を象徴する二律背反の命題を、フリーメイスンリーのシンボルのGのGodとGeometryを合わせたシンボルを裏に含意しつつラングドンシリーズの第一弾としてそののちのスコットランドのロスリン礼拝堂に繋がる第二弾のダ・ヴィンチ・コードと、ワシントン記念塔で終わる第三弾のロスト・シンボルで完結する形のいわゆるフリーメイスンリー関連のテーマを記したものになるのだと考えられました。そういう意味では第四弾のインフェルノは再びカトリックやイタリアをテーマとして、それらの三部のシリーズの余韻というか付け足しという感じになるのだと思いますが、ご本人はどう考えているのかはちょっと分かりませんが、フリーメイスンリーの情報提供という点においてはそういう形は明確なんだと思われます。
明らかにフリーメイスンリー関連としてはダ・ヴィンチ・コードやロスト・シンボルの内容に比べると、創作やストーリーとして面白いが事実とはかけ離れた内容が多いものではあり、また知識が不十分な状態で読むにはロスト・シンボルを最初に読むのが間違いが少なく、ダ・ヴィンチ・コードは色々なフリーメイスンリー関連の知識があって読むとそれぞれの建築などの意味が分かり、この天使と悪魔に関してはカトリックとフリーメイスンリーというかなりフリーメイスンリーの中でも高度な問題を扱ったテーマに逆になっているという所で、話としては楽しめても実際には結構難しいというところがあるのがまたフリーメイスンリーの実際というところなのだと思われます。まあ、いずれにしてもフリーメイスンリーに興味のある人にとっては必読の書に近いブラザーダン・ブラウンのシリーズではありますが、読んでもなかなかどの部分が本質でどの部分が例えや創作の部分であるかという線引きが難しい事は確かであり、かといって知識をもってから読んでもそれほど楽しめるベスト・セラーの本ではないという事で、お勧めなのは今後の新作をフォローしていくのがまあ普通なのかなというところなのかもしれません。
まあ全体として見て、このブログであえて取り上げるほどのフリーメイスンリー関連の本というほどではないわけですが、その影響力や、その後のロスト・シンボルへの繋がりを考えると取り上げないわけにはいかない本という所で、まあ読んでいない方はぜひ読んだ方が良いという所なわけですが、新しいことが分かるかというとそこまでの話ではないという所で、このブログとしては対日情報工作に携わったブラザードン・ブラウンについての記事に繋がるという所なのだと思われます。
もう一作残ったデセプション・ポイントをいつか読んでまた記事として行こうかと思いますが、まあこんな感じで明らかに横須賀の時とは密度が違うこのブログの感じになるのだと思いますが、場所が違えばブログも変わるという事でこんな感じで書き足していこうかと思っています。
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まずパズル・パレスについてですが、このブログでも1776年というイルミナティとアメリカ独立の関係について考察した記事で触れたのですが、まあ実際読んでみてNSAとかECHELONというものについて具体的に知識やイメージが具体的になったかというとそういう事はなく、現代のスノーデン氏の暴露話の方が具体性がある時代ですので、なんとも最後のキーワードである「3」がパスワードであるという事以外に印象に残らない、いかにもなシンボリズムの話でありました。
で、それだけという感想をお持ちかもしれませんが、まあこのブログのテーマでもある読書を促す内容という事でそれだけという事にします。
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で、天使と悪魔なんですが、これについては私は当時に公開されていた映画を見た記憶があり、最後のどんでん返し的な展開は一部覚えてはいたのですが、イルミナティの解説やストーリーそのものは荒唐無稽な話で、要はヨハネ・パウロ1世の在位33日での不審死とその後のP2事件に絡んだフリーメイスンリーとカトリックの結成以来の対立関係と因縁を解説する部分が最も重要で、後はやはり宗教と科学という現代社会を象徴する二律背反の命題を、フリーメイスンリーのシンボルのGのGodとGeometryを合わせたシンボルを裏に含意しつつラングドンシリーズの第一弾としてそののちのスコットランドのロスリン礼拝堂に繋がる第二弾のダ・ヴィンチ・コードと、ワシントン記念塔で終わる第三弾のロスト・シンボルで完結する形のいわゆるフリーメイスンリー関連のテーマを記したものになるのだと考えられました。そういう意味では第四弾のインフェルノは再びカトリックやイタリアをテーマとして、それらの三部のシリーズの余韻というか付け足しという感じになるのだと思いますが、ご本人はどう考えているのかはちょっと分かりませんが、フリーメイスンリーの情報提供という点においてはそういう形は明確なんだと思われます。
明らかにフリーメイスンリー関連としてはダ・ヴィンチ・コードやロスト・シンボルの内容に比べると、創作やストーリーとして面白いが事実とはかけ離れた内容が多いものではあり、また知識が不十分な状態で読むにはロスト・シンボルを最初に読むのが間違いが少なく、ダ・ヴィンチ・コードは色々なフリーメイスンリー関連の知識があって読むとそれぞれの建築などの意味が分かり、この天使と悪魔に関してはカトリックとフリーメイスンリーというかなりフリーメイスンリーの中でも高度な問題を扱ったテーマに逆になっているという所で、話としては楽しめても実際には結構難しいというところがあるのがまたフリーメイスンリーの実際というところなのだと思われます。まあ、いずれにしてもフリーメイスンリーに興味のある人にとっては必読の書に近いブラザーダン・ブラウンのシリーズではありますが、読んでもなかなかどの部分が本質でどの部分が例えや創作の部分であるかという線引きが難しい事は確かであり、かといって知識をもってから読んでもそれほど楽しめるベスト・セラーの本ではないという事で、お勧めなのは今後の新作をフォローしていくのがまあ普通なのかなというところなのかもしれません。
まあ全体として見て、このブログであえて取り上げるほどのフリーメイスンリー関連の本というほどではないわけですが、その影響力や、その後のロスト・シンボルへの繋がりを考えると取り上げないわけにはいかない本という所で、まあ読んでいない方はぜひ読んだ方が良いという所なわけですが、新しいことが分かるかというとそこまでの話ではないという所で、このブログとしては対日情報工作に携わったブラザードン・ブラウンについての記事に繋がるという所なのだと思われます。
もう一作残ったデセプション・ポイントをいつか読んでまた記事として行こうかと思いますが、まあこんな感じで明らかに横須賀の時とは密度が違うこのブログの感じになるのだと思いますが、場所が違えばブログも変わるという事でこんな感じで書き足していこうかと思っています。
大分ブログとしては止まって久々の記事なのですが、まあ大荒れの天候や打って変っての4月の復活祭に合わせたような落ち着いた天候など様々な変化もまさにフリーメイスンリーのスコティッシュライト33階級の標語である「混沌から秩序へ」そのままの如くの世の中の動きですが、皆さんいかがお過ごしでしょうか。
私も湯河原に越してきて様々なネタを拾い集めて色々考えている最中でありますが、横須賀や横浜の方も気になったり、継続する内容やそれこそ読書や様々なネタ探しなど、在日米軍基地がある横須賀の状況とは180°変わったような、極めて日本的な環境でフリーメイスンリーについて思いを巡らしているような状況だと思います。
さてそれで今回の記事としては訳して日本の秘密、Secret of Japanというわけで、いったいなんだという事になるわけですが、まあ日本の秘密というとすぐに皇室の秘密とか、日本の国家体制に関わる秘密みたいなものや、太平洋戦争や昭和史や明治維新に関係する秘密みたいなものを連想するかと思われます。直近では安倍政権の成立の秘密や、TPP交渉に関する秘密や、消費税増税に関する国家予算の秘密なんてものがあるかもしれませんが、それらに関して確たる秘密の暴露がこのブログでなされるというのは、フリーメイスンリーというテーマから言ってもありえないわけですが、まあ十分こなれた読者の方はもちろん相変わらずのフリーメイスンリーのこだわる文字やシンボルの意味という事なのだなという所が予想される所なのだと思います。わざわざ英語で表題を書いたというのも、わざわざ英文を翻訳して記事としたりしているこのブログからすると不自然なわけで、要するに日本の秘密ではなく、JAPANという、日本の英語表記に関する秘密、フリーメイスンリー的解釈というところで考えてもらうとよいかと思います。
JAPANの表記も最近では十分に浸透してきてかつてはNIPPONなんて表記にこだわった昭和の時代もあったわけですが、NIPPONという表記も数少ない企業の名前や国営放送に当たるNHKの表記にその名前を残す程度であり、昭和の名前も今では天ぷら粉の代名詞みたいになった時代であるわけですが、それくらい日本国よりも我々はJAPANであり、JAPANESEであるという自覚が植え付けられ、また自然と育った国際化の時代であるかと思います。それではJAPANという名称の成り立ちについて日本人が正確に知っているかというと、もちろん英単語の成り立ちになるわけで実際はそうではないという所が今回の記事のポイントになるかと思います。
それでかなり久々のブログで堅苦しい文章となっていますが、相変わらずのウィキペディアを参照とするわけです。
日本語の日本についてのウィキペディアによると日本という名前は中国に対しての東方である日の出ずる国としての日の出の本としての日本であり、それに対するヤマトという名前は倭という国名などと共に当て字であり、それに関しては英語版のウィキペディアのNames of Japanではヤマトは山戸、山の門から来ているなんて表現もあったりして、ここでもやはり英語版と日本語版の内容の違いを感じる所でもあったりします。
いずれにしてもまあ中世頃には日本という国名が成立していて、やはり日本人はニホンとかニッポンとかヤマトとか読んでいたわけですが、JAPANの成立に関してはほぼ英語版と日本語版のウィキペディアが一致していて、最初はマルコ・ポーロの東方見聞録での表記であり、日本の漢字を中国の呉の当時の地域の発音で読んだCipanguジパングだそうで、それを英語表記するとXipangu/Zipang/Zipanguとなるわけで、そのままではJAPANとはかけ離れていることが分かるかと思います。JAPANの表現に近づくのはその後のポルトガルとスペインの世界分割条約の後のポルトガル領でのマラッカ海峡や、マレー半島での日本の呼称であったJepang,Jepunがその直接のルーツではないかと英語版ウィキペディアでは表現しています。ただし当時の1577年の英語表記の日本の呼称はGiapanであったそうです。
まあこの辺りからどうも頭文字がXやZといったものではなく突然Gが現れたり、日本人が発音しているものとはかけ離れた中国人の呼び方をもちだして神秘の国を演出しているところが色々と歴史の積み重ねによる意図を感じる所でもあるわけですが、当然このブログの趣旨もそうした歴史の意図とも言う所に則った解釈を伝えているところに意義があるわけです。それで、日本語のウィキペディアの欧州発行の古地図上での表記というなんとも悩ましい項目があってそれを引用するわけですが、全て引用元がついていて以下の通りです。
「IAPAM」1560年頃
「IAPAN」1567年頃
「IAPAM」1568年頃「JAPAN」発行年不明
「IAPONIAE」1595年
「IAPONIA」1595年
「IAPONIÆ」1595年
「IAPONIA」1598年「IAPONIA」1598年
「IAPAO」1628年
「Iapan」1632年
「IAPONIA」1655年
「IAPON」発行年不明
「Iapan」1657年
「IAPONIA」1660年頃
「NIPHON」1694年頃
「JAPAM」1628年「YAPAN」1628年「IAPON」17世紀
「IMPERIUM IAPONICUM」18世紀初
「IMPERIUM IAPONICUM」1710年頃
「IAPONIA」18世紀初
「IAPON」1720-30年
「IMPERIVM JAPONICVM」1727年
「HET KONINKRYK JAPAN」1730年頃
「JAPANIÆ REGNVM」1739年
まあざっと見るといわゆるIやYやJのシンボリズムがあり、どうも年代から言って上述の1494年トルデシリャス条約の頃の後から、つまり世界地図の大まかなところが出来上がった頃から後は、わが日本にはいわゆる一神教の神の名前の一文字であるシンボルが付けられるように欧州では決められて、その中には全く空気を読まないNIPHONなんて表記もあるわけですが、コロンブスがアメリカ大陸を発見するのがトルデシリャス条約のほぼ同時期であり、その後その地にブラザー達が世界最大のフリーメイスンリーと民主主義の国を建設するわけですが、それと太平洋を挟んで対岸の、ユーラシア大陸の極東の国日本を神聖なものとする考えは、東を新しいもの、神聖なものとするキリスト教、ユダヤ教、フリーメイスンリーの考え方、要するに太陽信仰、太陽を元とする自然原理に則った自然なものであったのかと思われます。
いずれにしても今日の英語表記で国際的にはJAPANが明治維新以降は標準的なものとなり、英語が標準的でない国においてもJAPANを基準として日本の名前が作られたことは確かなのだと思われます。それでまあJAPANのJAがこのブログのかなり真骨頂であり、フリーメイスンリー、ユダヤ教、キリスト教での一つの命題とも思われる神の名Yahwehのヘブライ語יהוהの頭文字Yodhיのラテン文字に対応する Y,I,Jの共通字のJA、すなわち一神教の神の名である事は良いとして、その後のPANは何を意味するのでしょうか。
英語でpanとは名詞だとフライパンのパンで平たい皿や鍋になってしまいますが、神の皿や鍋では意味が通じないので、ここは接頭語で神の語と組合せが良い汎、全という、panpacific太平洋全体やpan-Americanアメリカ大陸全体といった意味のPANであると解釈しましょう。そうするとなんと日本の英語名JAPANが唯一神は遍在するという意味になって来るとは思えませんでしょうか。
神は遍在するとはいわゆる汎神論と呼ばれる古代よりありながら、中世キリスト教以降の特にスピノザに代表されるような思想で、近代の哲学の基本となるような、無神論、唯物論に近い考え方でありながら、一神教を標榜するユダヤ教では実は古代からあり続ける考え方でもあるようです。そもそも汎神論で有名なスピノザもオランダのユダヤ人であるそうで、ちょっと哲学的な詳細は私も避けますが、日本の八百万の神といった多神教もキリスト教、イスラム教、ユダヤ教の一神教であっても普段神は目に見えないがその存在は常に身近にあるものであるという考え方は共通なのだという事かと思われます。
そもそもYHWHの語源が彼は在りて在るものであるという意味から来ているようですし、以前も挙げた神の別名としてHaMakomというのも場所、すなわち空間という意味であるそうで、神はソロモン神殿や教会、神社のような空間に遍在するという、言ってみれば霊感とはそういう空間、環境で得られる神秘体験であるという無神論、唯物論とも一致する考え方が一神教に内在するという事になるのだと思われます。
恐らく一神教の社会と考え方に学び、それゆえに持ちえた最新の技術と知恵をもって最も神秘的で最も尊ばれる極東に存在する日本に来た際に、汎神論の考えと一神教の考えを持ち合わせたフリーメイスンかユダヤ人が八百万の神の国であった日本の状況を鑑みて、開国した日本に国際的な命名をする際に神は遍在するという意味を含んだ名前を付けたのではないでしょうか。
そして余談ですが、今年のイースター、復活祭は4月20日であったわけですが、これは日本人にはまだ縁遠いキリスト教徒、ユダヤ教徒の重要な祭日で、キリスト教徒にとっては復活祭、ユダヤ教徒にとっては過越祭の日になる、春分の日の後の最初の満月の次の日曜日に祝われるお祭りですが、この名前のイースターは英語ではEasterと書き、語源は明確には不明ながらも恐らくとしてゲルマン民族の春の女神、春の月の名前に由来するようで、5月1日のイルミナティの結成日でもある、ローマ帝国の春の祭日、五月祭の日と同じように、春の到来を祝うお祭りの意味もあったようです。確かにEasterはそもそもより東にという意味であり、太陽が春分の日を境としてより南側、東よりさらに先へ行くという意味になり、それはそのまま太陽の運行を示す言葉になるのかと思われます。そういう一神教のお祭りにしても上述したようなより東に、太陽がより照らしてくれる方向へ、より一層光を求めていくという、生き物の走光性のような、キリスト教、ユダヤ教、フリーメイスンリーに共通の考え方が象徴されており、それらはそのままユーラシア大陸の極東に存在する日本列島のフリーメイスンリーの最初のロッジとされる横浜ロッジの名前としてFar East LodgeやEastern Star Lodgeとして名を残すことになるのだとつくづくながら考えさせられました。

あいにくの曇り空の昭和の日ですが、恐らく日本の偉人として10人の内には入るであろう昭和天皇の業績を考えるにつけ、それが太平洋戦争の惨禍とその後の日本の経済成長と国際地位の獲得があるかと思いますが、その生誕日がこのローマ帝国の春の祭日とユダヤ教、キリスト教の聖なる祭日である、過越祭、復活祭の期間の間にある事の意味を改めて考える日とすると日本という国の今後や将来について明るい兆しが感じられるかもしれません。
私も湯河原に越してきて様々なネタを拾い集めて色々考えている最中でありますが、横須賀や横浜の方も気になったり、継続する内容やそれこそ読書や様々なネタ探しなど、在日米軍基地がある横須賀の状況とは180°変わったような、極めて日本的な環境でフリーメイスンリーについて思いを巡らしているような状況だと思います。
さてそれで今回の記事としては訳して日本の秘密、Secret of Japanというわけで、いったいなんだという事になるわけですが、まあ日本の秘密というとすぐに皇室の秘密とか、日本の国家体制に関わる秘密みたいなものや、太平洋戦争や昭和史や明治維新に関係する秘密みたいなものを連想するかと思われます。直近では安倍政権の成立の秘密や、TPP交渉に関する秘密や、消費税増税に関する国家予算の秘密なんてものがあるかもしれませんが、それらに関して確たる秘密の暴露がこのブログでなされるというのは、フリーメイスンリーというテーマから言ってもありえないわけですが、まあ十分こなれた読者の方はもちろん相変わらずのフリーメイスンリーのこだわる文字やシンボルの意味という事なのだなという所が予想される所なのだと思います。わざわざ英語で表題を書いたというのも、わざわざ英文を翻訳して記事としたりしているこのブログからすると不自然なわけで、要するに日本の秘密ではなく、JAPANという、日本の英語表記に関する秘密、フリーメイスンリー的解釈というところで考えてもらうとよいかと思います。
JAPANの表記も最近では十分に浸透してきてかつてはNIPPONなんて表記にこだわった昭和の時代もあったわけですが、NIPPONという表記も数少ない企業の名前や国営放送に当たるNHKの表記にその名前を残す程度であり、昭和の名前も今では天ぷら粉の代名詞みたいになった時代であるわけですが、それくらい日本国よりも我々はJAPANであり、JAPANESEであるという自覚が植え付けられ、また自然と育った国際化の時代であるかと思います。それではJAPANという名称の成り立ちについて日本人が正確に知っているかというと、もちろん英単語の成り立ちになるわけで実際はそうではないという所が今回の記事のポイントになるかと思います。
それでかなり久々のブログで堅苦しい文章となっていますが、相変わらずのウィキペディアを参照とするわけです。
日本語の日本についてのウィキペディアによると日本という名前は中国に対しての東方である日の出ずる国としての日の出の本としての日本であり、それに対するヤマトという名前は倭という国名などと共に当て字であり、それに関しては英語版のウィキペディアのNames of Japanではヤマトは山戸、山の門から来ているなんて表現もあったりして、ここでもやはり英語版と日本語版の内容の違いを感じる所でもあったりします。
いずれにしてもまあ中世頃には日本という国名が成立していて、やはり日本人はニホンとかニッポンとかヤマトとか読んでいたわけですが、JAPANの成立に関してはほぼ英語版と日本語版のウィキペディアが一致していて、最初はマルコ・ポーロの東方見聞録での表記であり、日本の漢字を中国の呉の当時の地域の発音で読んだCipanguジパングだそうで、それを英語表記するとXipangu/Zipang/Zipanguとなるわけで、そのままではJAPANとはかけ離れていることが分かるかと思います。JAPANの表現に近づくのはその後のポルトガルとスペインの世界分割条約の後のポルトガル領でのマラッカ海峡や、マレー半島での日本の呼称であったJepang,Jepunがその直接のルーツではないかと英語版ウィキペディアでは表現しています。ただし当時の1577年の英語表記の日本の呼称はGiapanであったそうです。
まあこの辺りからどうも頭文字がXやZといったものではなく突然Gが現れたり、日本人が発音しているものとはかけ離れた中国人の呼び方をもちだして神秘の国を演出しているところが色々と歴史の積み重ねによる意図を感じる所でもあるわけですが、当然このブログの趣旨もそうした歴史の意図とも言う所に則った解釈を伝えているところに意義があるわけです。それで、日本語のウィキペディアの欧州発行の古地図上での表記というなんとも悩ましい項目があってそれを引用するわけですが、全て引用元がついていて以下の通りです。
「IAPAM」1560年頃


「IAPAM」1568年頃「JAPAN」発行年不明

「IAPONIAE」1595年




「Iapan」1632年



「Iapan」1657年



「JAPAM」1628年「YAPAN」1628年「IAPON」17世紀




「IAPON」1720-30年


「HET KONINKRYK JAPAN」1730年頃


まあざっと見るといわゆるIやYやJのシンボリズムがあり、どうも年代から言って上述の1494年トルデシリャス条約の頃の後から、つまり世界地図の大まかなところが出来上がった頃から後は、わが日本にはいわゆる一神教の神の名前の一文字であるシンボルが付けられるように欧州では決められて、その中には全く空気を読まないNIPHONなんて表記もあるわけですが、コロンブスがアメリカ大陸を発見するのがトルデシリャス条約のほぼ同時期であり、その後その地にブラザー達が世界最大のフリーメイスンリーと民主主義の国を建設するわけですが、それと太平洋を挟んで対岸の、ユーラシア大陸の極東の国日本を神聖なものとする考えは、東を新しいもの、神聖なものとするキリスト教、ユダヤ教、フリーメイスンリーの考え方、要するに太陽信仰、太陽を元とする自然原理に則った自然なものであったのかと思われます。
いずれにしても今日の英語表記で国際的にはJAPANが明治維新以降は標準的なものとなり、英語が標準的でない国においてもJAPANを基準として日本の名前が作られたことは確かなのだと思われます。それでまあJAPANのJAがこのブログのかなり真骨頂であり、フリーメイスンリー、ユダヤ教、キリスト教での一つの命題とも思われる神の名Yahwehのヘブライ語יהוהの頭文字Yodhיのラテン文字に対応する Y,I,Jの共通字のJA、すなわち一神教の神の名である事は良いとして、その後のPANは何を意味するのでしょうか。
英語でpanとは名詞だとフライパンのパンで平たい皿や鍋になってしまいますが、神の皿や鍋では意味が通じないので、ここは接頭語で神の語と組合せが良い汎、全という、panpacific太平洋全体やpan-Americanアメリカ大陸全体といった意味のPANであると解釈しましょう。そうするとなんと日本の英語名JAPANが唯一神は遍在するという意味になって来るとは思えませんでしょうか。
神は遍在するとはいわゆる汎神論と呼ばれる古代よりありながら、中世キリスト教以降の特にスピノザに代表されるような思想で、近代の哲学の基本となるような、無神論、唯物論に近い考え方でありながら、一神教を標榜するユダヤ教では実は古代からあり続ける考え方でもあるようです。そもそも汎神論で有名なスピノザもオランダのユダヤ人であるそうで、ちょっと哲学的な詳細は私も避けますが、日本の八百万の神といった多神教もキリスト教、イスラム教、ユダヤ教の一神教であっても普段神は目に見えないがその存在は常に身近にあるものであるという考え方は共通なのだという事かと思われます。
そもそもYHWHの語源が彼は在りて在るものであるという意味から来ているようですし、以前も挙げた神の別名としてHaMakomというのも場所、すなわち空間という意味であるそうで、神はソロモン神殿や教会、神社のような空間に遍在するという、言ってみれば霊感とはそういう空間、環境で得られる神秘体験であるという無神論、唯物論とも一致する考え方が一神教に内在するという事になるのだと思われます。
恐らく一神教の社会と考え方に学び、それゆえに持ちえた最新の技術と知恵をもって最も神秘的で最も尊ばれる極東に存在する日本に来た際に、汎神論の考えと一神教の考えを持ち合わせたフリーメイスンかユダヤ人が八百万の神の国であった日本の状況を鑑みて、開国した日本に国際的な命名をする際に神は遍在するという意味を含んだ名前を付けたのではないでしょうか。
そして余談ですが、今年のイースター、復活祭は4月20日であったわけですが、これは日本人にはまだ縁遠いキリスト教徒、ユダヤ教徒の重要な祭日で、キリスト教徒にとっては復活祭、ユダヤ教徒にとっては過越祭の日になる、春分の日の後の最初の満月の次の日曜日に祝われるお祭りですが、この名前のイースターは英語ではEasterと書き、語源は明確には不明ながらも恐らくとしてゲルマン民族の春の女神、春の月の名前に由来するようで、5月1日のイルミナティの結成日でもある、ローマ帝国の春の祭日、五月祭の日と同じように、春の到来を祝うお祭りの意味もあったようです。確かにEasterはそもそもより東にという意味であり、太陽が春分の日を境としてより南側、東よりさらに先へ行くという意味になり、それはそのまま太陽の運行を示す言葉になるのかと思われます。そういう一神教のお祭りにしても上述したようなより東に、太陽がより照らしてくれる方向へ、より一層光を求めていくという、生き物の走光性のような、キリスト教、ユダヤ教、フリーメイスンリーに共通の考え方が象徴されており、それらはそのままユーラシア大陸の極東に存在する日本列島のフリーメイスンリーの最初のロッジとされる横浜ロッジの名前としてFar East LodgeやEastern Star Lodgeとして名を残すことになるのだとつくづくながら考えさせられました。

あいにくの曇り空の昭和の日ですが、恐らく日本の偉人として10人の内には入るであろう昭和天皇の業績を考えるにつけ、それが太平洋戦争の惨禍とその後の日本の経済成長と国際地位の獲得があるかと思いますが、その生誕日がこのローマ帝国の春の祭日とユダヤ教、キリスト教の聖なる祭日である、過越祭、復活祭の期間の間にある事の意味を改めて考える日とすると日本という国の今後や将来について明るい兆しが感じられるかもしれません。
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