2014-09-05 09:11 | カテゴリ:アメリカ
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
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2014-09-06 09:50 | カテゴリ:アメリカ
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
さてさてどうも横須賀バージョンとはかなり趣を異にしてきたこのブログですが皆さんいかがお過ごしでしょうか。
いろいろとネタをためている状況もあったり、また仕事もあるので読書の方もそう簡単には進んでいないのでとりあえずと言っては何なんですが、アメリカの州章シリーズを継続していくこととしようかと思います。
コネチカット州という事なんですが一体どこにあるんでしょうか。
コネチカット州場所
これまでと大分違う感じでしょうか。いわゆる独立13州というものです。当初オランダ人が多かったそうで、「憲法の州」とか「保険の首都」とかの名前があるそうです。ヘッジファンドなどがあるそうで、収入がアメリカで一番の地域と最低の地域が同居していて州内の所得格差が顕著であるそうです。マサチューセッツ州とロードアイランド州とニューヨーク州に接しているそうで、まあ何となく50州の中でも独立13州というのが別格であるというのが何となく分かるものかと思われます。人口密度が4番目で面積が48番目という事だそうです。ユダヤ人も多くいるそうで、企業ではハートフォード生命保険やゼロックス、GEの本社があるそうで、出身の有名人としてはモルガン財閥創始者のジョン・モルガンがいて、この人は1837年4月17日-1913年3月31日という事で、忌日が13331というなかなか珍しい回文数を認める方でロンドンの地下鉄入札で敗れたり結婚を何度もしたりとちょっと当時にフリーメイスンであったとは考えづらいようではありますが、アメリカの基礎を作ったカーネギーやブラザーロックフェラーとも並び称される人物であり、かのタイタニック号の沈没では保険によって巨万の富を得たとも言われるなどの逸話もあるそうです。
その他の有名人としてはフリーメイスンとしては拳銃のリボルバーの発明者であるブラザーサミュエル・コルトがいて、ハートフォードのセントジョンロッジに所属していたそうです。(追記:ウェブスター辞書の編纂者であるノア・ウェブスターも出身者で、恐らくフリーメイスンではないかと思われます。その他ブッシュ家の出身地でもあり、歌手のカーペンター兄弟の出身地でもあります。カーペンターも大工の意味ですね。タイヤのグッドイヤーもそうであるようです。ダンロップやブリジストンと共に有名かと思われます。)
フリーメイスンリーのグランドロッジは正規グランドロッジとプリンスホールグランドロッジの二つで合わせて14000人位のメンバーが登録されているようです。人口辺りにすると250人に1人という数になりますが、恐らく独立13州で最初オランダ人が開拓して、その後はオリバー・クロムウェルを支持する清教徒たちが入植したという事なので、付随団体や、関連団体の所属や関係者を含めるとイギリスやオランダなみに多いという事なのだと思われます。フリーメイスンリーのグランドロッジの認証としては1757年で独立13州の中では8-9番目、州の合衆国への加入は1788年で5番目という事で、まあそういう人数とはあまり関係ない部分もあるのだと思われます。まあこの辺りが統計や数字では分からないフリーメイスンリーという存在であるかと思われます。コネチカットグランドロッジのホームページはこちらです。建物は巨大建築は無いようですが、一軒家の様々な形のロッジが多数あるようで、この辺りも独立十三州のヨーロッパに近い価値観があるのかもしれません。Masonic Educationのページもありますので参照してください。
州の建築を見ると議事堂もこれまでのものとはちょっと違い大きさよりも装飾や美しさに基調を置いているような印象でしょうか。
800px-Connecticut_State_Capitol,_February_24,_2008
なんかバチカンの建築のようでもあります。またその他のウィキペディアにあるニューロンドンやニューヘイブンやハートフォードの写真を見ても、高層建築や近代建築はなりを潜めて、ヨーロッパの一地方都市のような教会や尖塔を基本としたオーソドックスなヨーロッパの都市を見るような風景です。やはりそういう歴史があるのでしょうね。
それで州章を見ていくとやはりなかなかこれまでとは違います。
コネチカット州
まあ一見してブドウなわけで、キリスト教のシンボルになるわけですね。まあ今でこそキリスト教ですが、そもそもはローマ帝国で最も好まれたブドウ酒の象徴であるわけで、そういう文化という意味になるのでしょうが、現代では一応ブドウ=キリスト教で問題ないかと思われます。いわゆるイエスの血の象徴としてのブドウ酒です。楕円であるのもイクトゥスと同じで、キリスト教の象徴となります。これはアメリカの州章としては他になく、自治領でのグアムの紋章が尖った形のイクトゥスの形となっているだけです。というわけで当初オランダ、その後清教徒が入植した地として、プロテスタントのキリスト教の文化の色濃い反映を受けた州章という事になるのだと思いますが、いわゆるこのブログのテーマとしてのフリーメイスンリーのシンボルとしてはどうでしょうか。ブドウそのものはシンボリズムとしてキリスト教、ローマ帝国やフランス、イタリアのブドウ生産地の象徴としてはあるでしょうが、いわゆるフリーメイスンリーとはちょっと異なるかと思われます。まあここまで読んできている人はすぐに分かるかと思いますが、ブドウの房の数、3房×3本という所なのだと思われます。房ごとのブドウの実の数は全て12個となっておりまた葉の数も規則正しく4枚ずつとなっているのもそれぞれ象徴なのだと思われます。つるの形もSやZ、$の形のようでもあり、またラバルムの形に近いようでもありますが、あまり意味は無いようです。大事なのは3本で3房の3×3なのだと思われます。後はベースの色が青になっているという所もシンボルかと思われます。標語のQui Transtulit Sustinet、He Who Transplanted Still Sustains.は入植のモットーであり、移植するものは維持される、すなわちブドウ栽培、キリスト教を広めるものは入植地でも生き延び続けるというまさにアメリカ建国の理念を象徴したものかと思われます。ユダヤ教からキリスト教の成立、そしてそのキリスト教の十字軍、大航海時代と植民地での自治独立という歴史を反映した標語だと思われます。また通常英語で書かれるSeal of the State of Connecticutがラテン語でSIGILLUM REIPUBLICÆ CONNECTICUTENSISと書かれているのも、ローマ帝国、カトリックの流れをくんだプロテスタントの正統派であるという矜持なのだと思われます。ちなみにコネチカットの意味はインディアンのモヘガン族の言葉の長い川が流れる土地という意味だそうです。
州章の成立の歴史がなかなか面白く、州章以前の入植地のシンボルでは15本のブドウの木であったようです。
StateCTOriginalSeal.jpgCTColonialSeal.jpg
当初は15本あり、恐らく15家族などの象徴であったのかと思われます。それが州章となった際に3本となり、さらに近代になって3房になったというのはまさにアメリカのキリスト教プロテスタントからフリーメイスンリーの歴史の流れを象徴するものであり、3という数字にキリスト教以上の象徴的意味を見いだしたフリーメイスンリーのシンボルなのだと思われます。
fragconnecticut.png
州旗もベースの色が青色であることの他はほとんど同じなのですが、どうも説明が全く抜けているところがあり、ブドウの周りに4房の3つずつの黄色い実を持った植物が配置され、上部に1つの黄色い実が置かれていて、これには全く説明がされていません。日本であればキンカンかレモンといった所でしょうが、あちらで普通にある植物なのだと思われますが、これらも青地に黄色で目立つ配色で3を強調して置かれています。ブドウと対応するような植物としてはオレンジやオリーブが考えられますが、色の配色からいうとオレンジやレモン系の柑橘類という事なのかもしれません。(追記:ナツメグの実のようです。ナツメグの一大生産地であったようです。)
まあちょっと謎のまま終わりますが、今後のこのブログではこうした謎が残ることが多くありそうでしょうか。フリーメイスンリーとは謎を謎として自ら考えて取り組むことが重要という事になるようですから。

ブドウと楕円の象徴が今回のポイントであるわけですが、どうでしょうか。
2014-09-20 12:21 | カテゴリ:バラ
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
まあちょっとフリーメイスンリーとしてかなり外れた個人の趣味の紹介なんですが、湯河原に越してきて横須賀のヴェルニー公園のバラ園に慣れた身としてはどうもバラが近くにないと落ち着かない心持になってしまって、湯河原での空いた敷地でバラを育てているので、それで感じたことを軽~く記事にしていきます。一応フリーメイスンリーに関係する人物にまつわるバラや、湯河原周辺のバラ園の紹介など、このブログのテーマでもあるフリーメイスンリーのテーマにある程度沿った形で、バラ栽培としては初心者の私のバラ栽培の楽しみが伝えられればという所で、まあ結局書き易い、自分の考えのまとめにもなるブログのテーマとしてこういうのを書いていくこととします。

このブログでも何度もバラはフリーメイスンリーの象徴と表現しているわけですが、バラ栽培して知るようになるのはバラ栽培の歴史で、結局原種としてはチベットや中国の雲南地方の原産のものが重要で、それ以外にも古代オリエントやバビロニア地方でも栽培された歴史もあり、現代の四季咲きという品種にとってはやはりユーラシア大陸の東と西のやり取りがやはり重要で、その中では日本原産の品種や日本での品種改良も非常に重要であるという事が分かってきて、まあなかなか単なる植物としてではなく、やはり嗜好品の一つとして重要な象徴という事が分かって来る所でもあります。

さてまあなんの内容でも能書きが長くなると重っ苦しい感じになって頭が疲れてしまいますので、シリーズで徐々に勉強していくこととして、今回は栽培中の品種の一つの「モーツァルト」という名前のバラの栽培しての感想を書いていくこととします。
503_Mozart.jpgrosa_mozart_are_1_lg.jpgrosa-mozart1.jpgrosier-Mozart-A.jpg
まあバラとしてはかなり少数派の形で、ハイブリッドムスクとかマルチフローラハイブリッドというそうですが、要はつるバラの小さい花がたくさん咲くタイプという事になるようです。つるバラというのも栽培しない人にはなんのこっちゃだと思いますが、基本的には枝がフラフラとして固まらないので、どこか壁面や支柱に固定しないとうまく育たない形で、固定すればどんどん伸びていくバラという事です。いわゆる家の壁や金網をびっしり覆って花を咲かせるのがこのつるバラという事になります。まあ最初に紹介するバラが、つるバラでこの花の小さな一重咲きのバラという所がフリーメイスンリーのブログという所なのかもしれませんが、非常にかわいらしい花で、いわゆるバラというものとは異なりますが、ブラザーモーツァルトの音楽が好きでバラにも興味があるという人には非常にお勧めのバラです。成長も安定していて、病気や虫にも強いので非常に育てやすいですが、いかんせんつるバラなので成長したところでのつるの伸ばし方の決め方が初心者では難しいと思います。私はなかなか困っているところです。返り咲きなので基本的には春とその後ちょっと位しか咲かないという所ですが、花はブラザーモーツァルトのワルツを思い起こさせるような本当にかわいい花ですが、実際にはブラザーモーツァルトの時代にはワルツの分類は無いので、晩年の舞踏曲といった所でしょうか。ブラザーモーツァルト関連のバラとしては、魔笛の鳥刺し役の名前のパパゲーノや、その恋人のパパゲーナといった名前のバラもあります。
作出したのが戦前のドイツ人のPeter Lambertという方で、作出年がこの人の最晩年の1937年という事で、この方も1939年2月20日に亡くなられているという事で、まさにナチスドイツが興隆し以前も紹介した「モーツァルトの恋」の映画なども作られた、ドイツフリーメイスンリーの勿忘草の時代であり、そういう意味でもフリーメイスンリーを象徴するバラの一つである事は間違いないかと思います。
あまり通常のバラ園では見かけない形のバラではありますが、湯河原近辺では河津のバガテル公園であまり元気ではありませんでしたが栽培されていました。似たようなバラで有名なのがバレリーナという品種で、こちらは良くバラ園などでも販売されているようです。インターネットのバラの通信販売でも普通に販売されていますので興味のある方はどうぞ。

さてまあこんな形でこのテーマについてはこんな感じの気の抜けた感じで進行していくつもりです。スコットランドの独立なんて話も一段落して、またアンダーソン憲章やモラルアンドドグマの邦訳、置きっぱなしになっている横須賀のブラザーデッカー司令長官の回想録や州章の話も継続していくのでまあ何とかついてきて下さい。
2014-09-23 20:05 | カテゴリ:バラ
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
さてまあしょうもないシリーズですが一番書き易いので書きすすめることとします。
イングランドグランドロッジとしてはアンダーソン憲章の邦訳を最も期待しているようですが、まあこういう日本的な環境に馴染んでしまうとどうも聖書の世界のような西洋的な大陸的な世界は遠い世界となってしまうのはいたしかたないかなと思いますが、まあどう考えてもそれらが私の使命でもあるようですので徐々に進めていくこととします。

バラシリーズの2番目はジョセフィンブルースですが、これはかのブラザーナポレオンの最初の妻、ジョセフィーヌをテーマとしたバラです。(と思って買いました。)ジョセフィーヌに捧げられたバラとしてはエンプレスジョセフィーヌ、その名の通りジョセフィーヌ皇后というオールドローズのバラがあるのですが、これは一季咲き(春しか咲かない)で作出年が1815年以前、つまりジョセフィーヌが亡くなった後に、彼女のバラ栽培を担っていたフリーメイスンのブラザージャック・ルイ・デスメが捧げたバラという事で、まあ由緒正しいフリーメイスンリーを象徴するバラなのですが、まあその時はそこまで知らなかったので、もう一つの1949年にイギリスで作出されたジョセフィンブルースを買ったのだと思います。ブログで紹介するものは自分で栽培して一応基本的なところを理解したものだけにしていますので。
Josephine_de_Beauharnais_nee_Tascher_de_la_Pagerie_ca1808_hires.jpgjosephine.jpgJacques-Louis_David_019.jpg1280px-Le_divorce_de_lImpératrice_Joséphine_15_décembre_1809_(Henri-Frederic_Schopin)
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というわけで、背景のところからケチがつくジョセフィンブルースの紹介なんですが、単純にバラの花の様子から私のお気に入りのバラの一つです。ジョセフィーヌにまつわるバラとして購入したのですが、どうもいわゆる有名なジョセフィーヌに捧げられたバラではなく、別に実在するジョセフィン・ブルースというアメリカのワシントンD.C.での女性運動家の恐らくフリーメイスンの女性に捧げられたバラのようです。
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つるバラもあるようで人気のバラのようですが、まあ一度は育ててみたくなるいわゆる真紅のバラだと思います。カタカナにするとジョセフィーヌに関連のある、ジョセフィーヌの歌やジョセフィーヌの憂鬱のようなJosephine Bluesと考えそうですが、英語つづりにするとJospehine Bruceで、いわゆるスコットランドのロバート・ブルースの名前と同じスコットランド系の名字という事になるようです。紹介のホームページを読むと、アメリカの裕福な家庭に生まれた方で、結婚してブルースの名前を冠し、結婚後にワシントンD.C.で黒人の権利の運動に目覚めて活動したようです。まあそういうわけで、ジョセフィーヌの憂鬱ともかけたダジャレで個人の女性活動家の名前を潜めた、いわゆるそういう事なのですね。作出年がほぼあの有名なバラ、ピースとも同年頃という事で、第二次世界大戦終戦後の平和の到来を予期した、その後の時代を想定した二人の有名な女性フリーメイスンの名前を冠したバラという事になるのだと思います。

女性フリーメイスンと書きましたが、いわゆるブラザーナポレオンの最初の妻のジョセフィーヌについてどこのロッジに所属していたなどの情報は持っていないわけですが、まあ彼女がフリーメイスンであったことについて恐らく異論はないのだと思います。もちろんいわゆる正統派の英米フリーメイスンリーではないわけですが、1733年の大東社結成後の男女共同ロッジの会員であったであろうことは間違いないでしょうし、彼女の人生での数多くの男性遍歴の相手は皆フリーメイスンであるようですし、そもそもいわゆるローズという名前やジョセフィーヌという名前を付けた両親もフリーメイスンであったのでしょう。ウィキペディアを読むと彼女をジョセフィーヌと呼ぶようになったのはブラザーナポレオンだそうで、それまではローズと呼ばれていたという事で、彼女がバラをマルメゾン城で蒐集するようになったのはそういうフリーメイスンとしての必然であったようです。まあバラの歴史を知ればその大元がほぼこのマルメゾン城でのバラ栽培に行きつくという事で、近代のバラの歴史が全てフリーメイスンリーに行きつくという所が分かるかと思います。
バラといえばフリーメイスンリーでも薔薇十字会やそれ以前のいわゆる修道士や修道会でのバラの栽培、貴族の象徴としてのバラがあって、それらがシンボルとしてこのブラザージョセフィーヌ(フリーメイスンリーでは一般に女性会員もブラザーと呼ぶようです。シスターと呼ぶと伝統的に修道女になってしまうからだと思われます。)のバラ栽培に集約したわけですが、まあバラそのものがキリスト教、ヨーロッパの貴族の象徴であり、宗教改革のルターのシンボルも白バラでありましたが、それでありながら原産は中国などであり、特にこのジョセフィンブルースのようないわゆるバラという形はそういうルーツが濃いようでもあり、薔薇の名前という映画もありましたが、バラという存在自体がシンボルであるという所、秘密そのものであるという事はまあなんとも否定しがたい事実という事なのではないでしょうか。

それでまあブラザージョセフィーヌの人生についてウィキペディアを読んでみると、最初の誕生日が6月23日であるという事もそうなんですが、やはりブラザーナポレオンと同じくフランス本土から離れた離島の出身者であるという事と、16歳で貴族と結婚して子供をもうけているという事が、なかなか当時の革命前のフランスという国の状況で、またその後の革命期に6月24日生まれのこれまたヴェルサイユ宮殿前に銅像が残る貴族との獄中での恋物語や、いわゆるフリーメイスンらしい悪人というブラザーポール・バラス(追記:ポール・バラスがフリーメイスンかどうかについては特に出典はありませんが、この時代の革命派、ジャコバン派の人々はほとんどがフリーメイスンだと思われます。ちなみにポール・バラスの墓には特に表示はありませんが、その墓地は砂時計のシンボルを表示しています。もちろん砂時計も、大鎌も伝統的な夭逝や死を意味するシンボルではありますが、恐らく墓地の死者がほぼすべてフリーメイスンであることを象徴しているのだと思われます。
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)の愛人であったことや、ブラザーナポレオンとの関係ができた後も全くそれに重きを置いていなかったことや、いわゆるチーズの逸話、ブラザージョゼフ・フーシェとの逸話など、ルイ15世の愛人であったポンパドゥール夫人やマリー・アントワネットと並ぶ、権力と時代に翻弄された女性の象徴としてまさにフランス革命とナポレオン時代を象徴する人物なのだと思われます。現代でもフランスなのにオランド大統領を冠するスコティッシュライトを巡って英米フリーメイスンリーと公的には激しく対立するフランス大東社のフランスではありますが、その後のブラザーナポレオン三世の逸話やブラザーアレクサンドル・デュマの三銃士などまあそれらしい話には事欠かない華やかでそして儚い光と影のフランスグラントリアンの話かと思われます。

ちなみにブラザーナポレオンについては兄弟や父親は皆フリーメイスンという事で、本人がフリーメイスンかどうかは分からないという事が一般的ですが、エジプトのグランドロッジのホームページ(フェイスブックで見たのでちょっとページはリンクできません。)などでもマルタ島でエジプト遠征以前に正式に入会したという事になってきているようです。まあ何をもってフリーメイスンとするかという話になってしまうわけですが、ナポレオンという名前、それはナポリのライオンという意味のようですが、そもそもイタリアのトスカーナ地方の貴族の流れで、コルシカ島出身であったそうで、トスカーナ地方というのがフィレンツェやピサの斜塔のピサがある地方という事で、その後のブラザージュゼッペ・ガリバルディやスペインやイタリアのボナパルト兄弟の支配や、ブラザージョセフ・ボナパルト、ロシア遠征とその失敗、トスカーナ地方に属するエルバ島への配流など、それらはまさにフリーメイスンという一生になるのだと思われます。8月15日生まれという事でパリで結成したイエズス会の結成した聖母被昇天の日の生まれという事で、6月24日の近代フリーメイスンリー結成の日の洗礼者ヨハネの日にまつわるブラザージョセフィーヌとの関係は死の時点まで続き、それは必然であったのだと思われます。

ブラザーナポレオンとブラザージョセフィーヌの関係はまるでシンボリズムでは日本の関ヶ原の戦いの徳川家康と石田三成のようでもあり、そういったイエズス会とフリーメイスンリーという構図、フリーメイスンリーの教えでは最も基本的である二元論、ヤキンとボアズの教えになるわけですが、そういう構図がフランス革命とその後のナポレオン時代、そして大東社と正統派の対立という構図、スコティッシュライトのシンボルとしての双頭の鷲とそのルーツであるフランス革命にまつわるハプスブルク家出身の女性達、マリー・アントワネットマリア・ルイーザの波乱の生涯とも結びつくという事で、まあ薔薇十字会とロスチャイルド(Rothschild赤い表札が語源という事だそうですが、有名な赤い楯とか薔薇の野原とか色々語呂合わせがあるようです。まあその辺が多言語のヨーロッパの方言ではないですが、良くあるダジャレという事なんでしょうね。)のいわゆるワーテルローの戦いでの逆張りではないですが、薔薇にまつわるフリーメイスンリーの逸話という事になるのかもしれません。ロスチャイルド家も薔薇の庭園を築いた事で有名ですが、それらにまつわるバラにも触れていこうかと思います。ロスチャイルド、ロックフェラーの陰謀論も日本で有名なようですが、どちらもロータリークラブの導入なんでしょうかね。バラと石の掛け言葉なのかもしれません。

さて段々長くなってきたバラの能書きの内容ですが、まあ日本には同じバラ科の桜や梅があるという事で、それはあまり世界規模のフリーメイスンリーでは象徴とならないわけですが、まあ日本でフリーメイスンリーが盛んになればそれはまたすぐ変わるのがフリーメイスンリーという事で、まあややこしくなってきましたが、バラにまつわるブラザージョセフィーヌのお話でした。

あとはブラザージャック・ルイ・デスメについてですが、どうもバラの栽培家としてブラザージョセフィーヌの寵愛を受けたときは市長などもやっていたようですが、死後はすぐにロシア軍に捕まって、ロシアでバラ栽培をして最後を迎えたようです。なかなかこの辺りもフランス革命期のフリーメイスンリーとさらにロシアフリーメイスンリーという壮大なテーマを含んだ話で、ロマノフ王朝のシンボルとしての双頭の鷲と共にフリーメイスンリーの象徴としてのバラの逸話として印象深い話でもあります。

ちなみに今回のジョセフィンブルースはバラとしては育てやすいです。横張り型でなかなか綺麗な樹形に自然となっています。

後はJosephineで検索すると出てくるJosephine Bakerも有名な女性フリーメイスンです。まあ有色人種の女性フリーメイスンという事で、プリンスホールフリーメイスンリーと男女共同ロッジの両方にまたがる話ですのでそういう意味でとてつもなく先進的な話という事になるのでしょうか。それだけヨセフの話は大事という事になるのでしょう。ちなみにマリー・アントワネットもミドルネームにはジョセフが入るようです。ハプスブルク家は潜在的にフリーメイスンリーの庇護者であったのですね。
(追記:作出年を考えると当時のジョセフィンはこちらの女性歌手のブラザージョセフィン・ベイカーにかかっているのでしょうね。つまりジョセフィンのブルースと、人名のジョセフィン・ブルースと、ジョセフィーヌの憂鬱と三重にかかった名前という事のようです。ここでも3の象徴なのですね。納得です。)
(追記:三人の女性フリーメイスン全員がJ.B.の名前になっているようです。もちろんJachin, Boazの二柱の名前ですね。まあなかなか素晴らしいバラです。)
2014-09-25 21:01 | カテゴリ:バラ
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
記念すべき第3弾で日本人作出のバラを選択という所がまあ素人のバラ談義、日本のフリーメイスンリーのブログという所でしょうか。まあそもそも薔薇がフリーメイスンリーの象徴であるという所から、別にどのバラであってもフリーメイスンリーの象徴であるという所で、まあ何を選んでも問題は無いという所があってのこの選択という所かもしれません。
あくまで趣味なんですね。持っているバラの中から好みで紹介していて、さらにフリーメイスンリーに絡めているという所が基本という事です。
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この薔薇の選択はもちろん名前もそうですが、日本人作出という事もあり、またやはり日本人にも好まれやすく、最近の流行りでもある紫色や多色の変化のある花という所にあるかと思います。禅といっても私は特に禅寺に籠ったことも、座禅をやったこともないし、家の墓も禅寺ではないわけですが、まあ仏教や日本的な名前の象徴としてはバラの中ではこの禅が最も飛びぬけているという所であり、かつ花の様子も非常に魅力的で、日本人が少し引いてしまうようないわゆるバラの華やかさからは一歩控えた感じの落ち着いた色合いとなっているところが、またバラ栽培を盆栽のような日本の伝統的な植物栽培に近いものに引き合わせているという所ではないかと思います。
私も最初に育てたバラは、この「禅」の元となる品種の「マダム・ヴィオレ」という日本人作出のバラで、紫色にいわゆるバラらしい形の剣弁高芯咲きという形になるそうですが、買ったときはネットで花の形を見ただけなので特に知識もありませんでしたが、作出された時は一世を風靡したそうで、まあなかなか花が一斉に咲いたときの姿は美しく、ヴェルニー公園と競うものがあったかと思います。
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作出されたのがイタミローズガーデンの2代目園長の寺西菊雄さんというその世界では相当有名な方らしく、現在も御健在であるそうですが、名前だけから見るとまさにバラ栽培でその後の禅に続くような関西の育種家を象徴するようなお名前であり、またこのマダムヴィオレ自体も日本の女性のバラ愛好家の高木洵子さんへ捧げられたバラという事で、関西ではバラを栽培している寺もいくつかあるという事などからも、そうした日本のバラ栽培、バラ育種の歴史を象徴するようなバラという事なのだと思われます。大阪では花の博覧会などもかつてありましたし、世界バラ会議も開かれたという事で、そうしたこともこれらと関係があるのかもしれませんね。
「禅」の方は河合伸志さんという埼玉の育種家の方で、現在の日本のバラの育種の代表的な方であるようです。千葉大学大学院園芸学研究科修了という経歴で、毎年横須賀のヴェルニー公園でバラの育て方の講習もしているそうで、以前も受講の機会があったのですが、わたしはその頃は全く不勉強で貴重な機会を逃してしまい今となっては非常に悔やんでいるところです。この方が監修するバラ園として横浜の横浜イングリッシュガーデンという住宅展示場に併設したバラを中心とした植物園があり、これは全面的に河合さんが手がけている模様で、なかなか植物を見せる庭園として完成度が高いものとなっています。
日本人作出のバラはイギリスやフランスといったバラ育種の中心である場所のものと比較して、実際に育ててみるとやはり病気や日当たりや風などといった環境要素に影響を受けやすく、若干難しい印象はあるようです。ただ最初に育てたマダム・ヴィオレは条件が良かったせいか立派に成長していますし、環境さえよければ多少の遺伝的な優劣はあまり関係ないという事はあるようです。あまり急激に大きくならないというのもまた日本的な住宅事情も鑑みた日本産に特徴的なものであるかもしれず、上述の盆栽のように鉢植えで収まる栽培という面ではむしろ優れている特徴かもしれません。

まあフリーメイスンリーでは仏教との接点は数多くあり、特に日本の関西方面では仏教とキリスト教という対立項は戦国時代からの伝統的なものでもあるようですが、戦後の日本においてもやはり仏教の考え方や伝統は日本社会の普遍的なものであり、このブログでも禅寺として鎌倉の円覚寺とフリーメイスンリーのシンボリズムの関連で、トリプルタウや、円環のシンボリズムの共通性を示したりしていますが、確実に日本のフリーメイスンリーを語る上では外せない要素が仏教とさらに世界中に広く知れ渡る禅宗の要素であり、ブラザーマンリー・P・ホールも禅について語ったりしていますし、ショーペンハウエルの著作も仏教思想が語られているという事ですので、仏教という日本の伝統宗教の側面からもフリーメイスンリーを見ていくように今後心がけていこうかと思っています。八正道や四諦といった基本的な教えに偶数を選択するところや、ゼロの起源のインドで生まれ、象徴として円環を使用する数字であるという事や、12月8日という釈迦の悟りを開いたとされる偶数が重なる日付に始まった破滅的な戦争の歴史など、東と西という文化の中では極めて対照的な無神論的な仏教という教えと、日本では仏国ともされるフランス大東社とスコティッシュライトの繋がりと、さらにもう一つの伝統宗教である神道と天皇家の象徴としての菊の紋様と、イングランドグランドロッジ管轄のエプロンに現れる菊の紋様の意味との関連など、まあ拾い集めれば抱えきれないほどあるそういった内容をバラの栽培とともに続けていこうかと思っています。
2014-09-27 11:22 | カテゴリ:バラ
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
まあ本当はピースじゃなくつるピースなんですけどね。
ピースはヴェルニー公園でも最も目立つ所に3つの花壇で植えられていて、ウィキペディアのブラザー鳩山一郎の項目でも語られている位、日本ではロータリークラブやライオンズクラブを中心として「ピース」=フリーメイスンリーの象徴、といった扱いになっていますが、実はヨーロッパでのこの薔薇の名前は異なり作出地のフランスでは「マダム・アントワーヌ・メイヤン」、ドイツでは「グロリア・デイ」、イタリアでは「ジョイア」というそうでなかなか複雑です。作出の経緯がフランスでのバラ最大手のメイアン社の創業2代目のフランソワ・メイアンが戦時中のフランスで1937年に作出し、戦乱の中で失われたものがなぜかアメリカで保存されていたという経緯だそうで、まさにそういう経緯を考えると上述の名前がヨーロッパ各国で異なることなども含めて、第二次世界大戦とバラという象徴とフリーメイスンリーというものをすべて含んだ、このシリーズ最初に取り上げたバラ「モーツァルト」と対照をなす、フリーメイスンリーの象徴としてふさわしいバラという事は間違いないのかと思われます。
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まあ何度も言うとおりバラ=フリーメイスンリーの象徴なわけで、作出の経緯からいっても、「ピース」=アメリカフリーメイスンリーの象徴というところがあるのではないかと思いますが、いずれにしてもメイアン社のその後のバラ殿堂入りしたつるバラのピエール・ド・ロンサールなども日本ではつるバラといえばこれというほど普及していますし、フランスのボルドーワインのように、現代バラといえば日本ではピースというのが一つあるようです。
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さてまあフリーメイスンリーの象徴としてあまりに単純な構図になってしまうとあまり解説がいらない所で、もちろん実際育ててみても耐病性や花の美しさ、成長の速さなども全く問題のない、育てやすいというよりも、成長が速すぎて若干違和感を感じるほどであるようですが、それほど遜色のない殿堂入りのバラなわけですが、それだけだと話が単純になりすぎるので、メイアン社の販売の日本での代理店ともなっている京成バラ園の初代研究所所長に関わるピースとの逸話がネットにありましたのでその話を転載します。

1948年、鈴木省三等の尽力で「バラ展」が銀座資生堂パーラーで開催された、戦後わずか3年のことである。それに感銘を受けたGHQ将校カーマン氏が帰国後、翌年の日本貿易博覧会のバラ展に出品するよう、ピースを二十数本鈴木省三に宛て航空便で送ってくれた。これを見た鈴木省三他関係者は仰天したという。こんな大輪のバラは、それまで日本に存在しなかったからだ。切りバラの苗木が日本に空輸されたのも、これが始めてだった。戦前のバラの葉は艶が無かったが、ピースの特徴が照り葉であり、その斬新さと作りやすさで、爆発的な人気となった。

もう少し膨らんだ話がこちらにもありましたのでリンクしておきます。いずれも原典がどこなのか分かりづらい所ですが、バラ「ピース」の逸話としてもっともらしい所なのだと思われます。GHQ将校カーマン氏というのも恐らくフリーメイスンという設定になるのでしょうが、まあなかなか実話なのかどうなのかという所ですが、日本のバラの原点としてはこういう所ではないかと思われます。ヨーロッパの薔薇十字団やバラ戦争、ブラザージョセフィーヌの逸話とは本質的に異なるわけですが、それがまた日本のフリーメイスンリーの本質ともいえるものかと思われます。

京成バラ園には私はまだ行った事は無いのですが、関東でのバラ園の最大で最も歴史の古いものになるようで、こうしたことが日本の遊園地としての東京ディズニーランドの発展にも繋がる所もあるのかもしれません。千葉県という場所柄はまた日蓮の生誕地であったり、ブラザー林董の生誕地でもありますが、成田国際空港があり、成田山新勝寺がある場所でもありますが、なかなか八千代市という地名と共にフリーメイスンリーの実際としては未だかつてロッジが存在したことはなく、今後が待ち望まれる所なのかもしれません。バラ園については私が訪問した湯河原近辺と神奈川県のバラ園についてはいずれ触れようかと思います。

さてまあフリーメイスンリーの日本の実際に近づくとなかなか心弾むというわけにはなかなかいかないのが実際ではありますが、そうしたフリーメイスンリーの理想と実際を結ぶ存在であるのが古今のバラ愛好者をひきつけてきたバラであるかと思われ、そういう現実を踏まえてさらにこのシリーズをすすめていこうかと思います。

(追記:peace roseで検索すると出てくる英語版ウィキペディアのページおよび、バラの解説ページを参照してください。ほぼ上記の日本語のホームページと同じ内容が得られるかと思います。実際にはフランス語で検索しないとさらに詳しい情報は得られないのだと思われます。まあそれが実際のフリーメイスンリーでもあります。)