2014-12-17 23:05 | カテゴリ:レクチャー
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
まあレクチャーなんてしていいのかって話ですが、そういうフリーメイスンリーのシンボリズムを絡めた話という事で、レクチャーになるわけです。
UGLEが何の略語かという事になるとこれは分からないとフリーメイスンとしては怪しいという事になるのだと思いますが、United Grand Lodge of Englandでイングランド連合グランドロッジ、いわゆるブルーロッジの最初のグランドロッジという事で、いわゆる正規派フリーメイスンリーの中心という事になるかと思います。ロンドンにある世界のフリーメイスンリーの本部という事になるのでしょうか。
一方GODFはあまりそういうブルーロッジのフリーメイスンでは分からないという事になってしまうのかもしれませんが、Grand Orient de France、日本語だとフランス大東社などと訳される、いわゆる非正規派フリーメイスンリー、大陸系フリーメイスンリーの本部であるフランスのグランドロッジという事になるかと思います。もちろん、Grande Loge Nationale Françaiseフランス国民グランドロッジがUGLEの認めるフランスでのグランドロッジという事で、スコティッシュライトや無神論や共産主義について信条で対立するという事で、認証を取り消しあった歴史のある二つのグランドロッジという事になりますが、ここに二つを繋ぐシンボリズムが存在するわけです。

このブログでも過去に大体触れているので分かる人は分かるかと思いますが、UGLEは北欧の言語、デンマーク語、ノルウェー語でフクロウという意味となり、フクロウはすなわちアルファベットのMの神聖文字の起源であり、知恵の象徴であり、ブラザーアダム・ヴァイスハウプトの結成したバイエルンのイルミナティの象徴でもあります。それはすなわち現代のスコティッシュライトへ引き継がれるカトリックとフリーメイスンリーを繋ぐ全人類の倫理的完成可能説を具体化する秘密結社を意味するものではないかと思われます。

一方GODFはまさにエジプトの太陽神ラーの三つの変化、朝日、日中、夕日を象徴する一神教の神GODの単語そのものであり、Fは神聖文字の起源からいくとKと同じ神の手の意味となるようであり、一神教の神GODの使いとなって活動するという意味になるのかと思われ、無神論、共産主義を包含しながらも、明確に一神教の神を象徴する略称を使う、やはりカトリックの歴史を持つ国のフリーメイスンリーらしい名前であり、Gを象徴とするアメリカ系フリーメイスンリーと直接繋がるUGLEと、スコティッシュライト、現代のイルミナティに直接繋がる大東社、GODFとまさにシンボルでも対称でありながら、一体となっているのがシンボリズムでも理解されるのではないでしょうか。

まあそういうのがフリーメイスンリーという事になるのかと思われます。
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2014-12-23 14:57 | カテゴリ:フランス
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー

フリーメイソンと大音楽家たちフリーメイソンと大音楽家たち
(2006/12)
吉田 進

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まあブログの一等最初に挙げた本なわけですが、実は読み終えたのがブログのこの章を書き始めたときなわけです。
その位フリーメイスンリーの本は難しいという事なのかもしれませんが、なんと言っても内容がフランスフリーメイスンリーのグラントリアンのグランドマスターが協賛したものという事で、いわゆるフリーメイスンリーという表記ではない、フリーメイソンという本でありながら、公式本と同じ内容になるという、まさにグラントリアンかイングランドグランドロッジかという、スコティッシュライトに課せられた命題を示した本という事なのだと思います。
内容についてはいちいち触れませんが、ブラザーハイドン、ブラザーモーツァルトからブラザーシラーやブラザーベートーヴェンといったいわゆるフランス革命やイルミナティの時代の啓蒙時代のバロックからロマン派という時代の代表的な音楽家のフリーメイスンリーのテーマの音楽について詳しく解説し、それらからロシアのブラザーリムスキー・コルサコフやフィンランドのブラザーシベリウス、アメリカのジャズのきら星について触れて、最後は著者の専門であるフランスの現代音楽家に繋がる系譜についてフリーメイスンリーから述べて、最後は音楽はラヴェルで終わったとする論で閉じるという、まあ読んだことが無い人にはクラシックのフリーメイスンリーの視点からの正当な解説書、聖書と言った内容になっているわけですが、まあいずれにしても本の場合は中古でも買って読んでいただく他ないわけで、このブログはあくまで紹介と感想であるわけです。
まあ私の率直な感想としてはほぼ買ってから3年以上かかって読んだ本という事で、内容が長いという事と重いという事と、それだけの内容がまたグラントリアンのフリーメイスンリーには含まれるという事と、そういうのが結局スコティッシュライトであるという自覚と、文明、文化、音楽それらすべてがフリーメイスンリーに彩られるフランス、イギリスという国、フリーメイスンリーの国という文化、文明がまさに音楽というそれらの中心にあるわけで、まあ今後も音楽に触れるたびにこの本を読み返して、フリーメイスンリーと音楽の関わりについて実体験を増やしていければと思っています。

非常に売れ線ではない本になるわけですが、こういう本がベストセラーになる国にならないと結局文化的に後進国である事からは変わらないのでしょうね。というまあありがちな結論でしょうか。

この後のブログもグラントリアンによる協賛本で、来年のプーチン大統領の来日に合わせたような
ロシアを動かした秘密結社: フリーメーソンと革命家の系譜ロシアを動かした秘密結社: フリーメーソンと革命家の系譜
(2014/05/22)
植田 樹

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この本の解説と感想です。なかなか面白くて12月14日の選挙前に読み終わっていたのですが、影響も考えてこの流れで書くこととします。デカブリストの乱なんてのもあり、まあ東京タワーもありグラントリアンのロッジも一応あるという日本の現代の政治を理解するうえでも重要そうな、いわゆるロシアの啓蒙運動と共産主義革命のフリーメイスンリーの視点からの、これもやはりグラントリアンの協賛によるというか暴露というかそういう本という事になるわけです。詳しくは次のブログの章になります。

上のフリーメイソンと大音楽家たちの内容に基づいたYouTubeの曲集は現在作成中ですのでお待ち下さい。
2014-12-27 12:27 | カテゴリ:イングランド
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ヨハネによる福音書 1章1節から18節 新共同訳
初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は、初めに神と共にあった。万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。神から遣わされた一人の人がいた。その名はヨハネである。彼は証しをするために来た。光について証しをするため、また、すべての人が彼によって信じるようになるためである。彼は光ではなく、光について証しをするために来た。その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである。言は世にあった。世は言によって成ったが、世は言を認めなかった。言は、自分の民のところへ来たが、民は受け入れなかった。しかし、言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた。この人々は、血によってではなく、肉の欲によってではなく、人の欲によってでもなく、神によって生まれたのである。言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。ヨハネは、この方について証しをし、声を張り上げて言った。「『わたしの後から来られる方は、わたしより優れている。わたしよりも先におられたからである』とわたしが言ったのは、この方のことである。」わたしたちは皆、この方の満ちあふれる豊かさの中から、恵みの上に、更に恵みを受けた。律法はモーセを通して与えられたが、恵みと真理はイエス・キリストを通して現れたからである。いまだかつて、神を見た者はいない。父のふところにいる独り子である神、この方が神を示されたのである。

再びフリーメイスンリーでの金科玉条であるヨハネの福音書第1章の冒頭部分です。本日2014年12月27日はいわゆるUGLE United Grand Lodge of Englandが結成されて201年目ということで、まあもちろん去年が200年目の記念日であったわけですが、去年はGパンの秘密なんて記事を書いていたころで、まあ一応ロンドンからの帰国の途を書いていたりしたのでそういう感じでもあったわけですが、そういうささやかな古代派と現代派で分裂したものがふたたび統合して現代に繋がった日という事で、Wikipediaでもその日については諸説入り乱れていて表記が異なるのですが、確かUGLEの公式ホームページはこの日になっていたと思うので、いわゆる近代フリーメイスンリー結成の洗礼者ヨハネの日に対応する、福音記者ヨハネの日という事でフリーメイスンリーのシンボルとなるのだと思います。

あらためてヨハネの福音書冒頭を読んでみると、すなわちここで言う言(ことば)とは文字、もしくはフリーメイスンリーではすなわちシンボルであり、シンボルが神であり人間の神性の表現であり、知性の光であるという事になるのだと思います。それがヨハネ、まあこのブログの流れで行くと洗礼者ヨハネに行き着くわけであり、混沌としたローマ帝国時代のユダヤ王国では知恵の結集が洗礼者ヨハネであったという事であり、それがその後のラビアキバの実際的なユダヤ教の大成に繋がったのだという表現なのだと思われます。またそれは同時にキリスト教の成立とローマ帝国での国教化への流れと表裏一体であり、それらはカトリックとプロテスタント、フリーメイスンリーの流れへと繋がるわけです。
法律も人間性も個人の関係も集団の関係も全て言葉において成立するという近代社会の源を表現したのがまたこのヨハネの福音書の言葉であり、それはそのままユダヤ教の知恵であり、キリスト教の知恵でもあります。

フリーメイスンリーにおいてシンボルが重要となり、またそのシンボルについてきちんとした歴史的考察と徹底したユダヤ教、キリスト教の教えの歴史が裏打ちされるのがシンボリズムでもあり、それらにインドなどを経由して日本の仏教などの教えと共有されるものがあるというのがまた日本におけるフリーメイスンリーでもあります。

シンボリズムについてはこのブログで一貫して解説してきたものでありますが、全体があって個があり、個があって全体があるというのがまさにグノーシスの教えそのものでもありますが、それはまたシンボリズムの要諦でもあり、福音記者ヨハネの日にあってヨハネの福音書の冒頭を読みシンボリズム全体を俯瞰するというのもまたフリーメイスンリーではないかと思われます。
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2014-12-30 12:41 | カテゴリ:キリスト教
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フリーメーソン カルトかクリスチャンか?歴史と聖書による分析フリーメーソン カルトかクリスチャンか?歴史と聖書による分析
(2013/12/18)
スティーブ ツカラス

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Kindle版の本で小冊子なので値段の割に内容は薄いのですが、いわゆる教会で配るような冊子の形なので非常にまとまっていて読みやすく、しかもそれに関して日本では珍しく邦訳されている内容なので、いわゆるキリスト教圏の特にプロテスタントが中心のアメリカでのフリーメイスンリー事情、特に日本では横須賀などでもそうでしたがフリーメイスンリー=キリスト教という考えや、カトリック>フリーメイスンリーといった考え方が当然と思われてしまうような所において、フリーメイスンリーがどの様に見られているかというのを明らかにするのに良くまとまった本だと思われます。
著者はフリーメイスンリーが明確にキリストを神とあがめないのでキリスト教ではない神を信じる宗教であり、非キリスト教のカルトであると断定しています。またフリーメイスンリーは宗教であり、クリスチャンはフリーメイスンとなるべきではないと説得していますが、ほとんどのフリーメイスンはそれに対してフリーメイスンリーに忠誠を誓うとありました。
まさにカトリック対フリーメイスンリーの対立の歴史、特にフリーメイスンリーのフランス革命とその後のカトリック否認の歴史を彷彿とさせる内容であるかと思われます。日本のようにキリスト教の教えって何?とか、聖書の内容って何?とか、フリーメイスンリーの儀式とか教えって何?という所であってもそれらについて具体的に分かりやすく書かれた内容となっており、訳者の方が元NTTの研究所勤務の元大学教授であったクリスチャンの方であるという所もポイントかと思われます。このブログでも触れましたがNTTデータなどがバチカン図書館のデータベース化の作業を行っているなども様々に影響しているもようです。IT革命もそれ自体がシンボリズムに彩られたカトリックとフリーメイスンリーを繋ぐ、フリーメイスンリーの理想の具体化でもあり、以前に挙げた横浜ロッジの本やその他のフリーメイスンリーの本も電子図書化されているところも合わせて、こういう内容の冊子が日本語で電子図書で読めるというのもまさにIT革命の嚆矢であるかと思われます。

フリーメイスンリーがキリスト教やユダヤ教の教えや歴史と切り離せないものであり、またそれらの歴史から目に見える形で生まれたものでありながら、それ以前から存在するものという普遍性を持ち、宗教的でありながら、宗教ではなく、理性に基づいた人間性の向上を図る仕組み、教育法、そういう生き方、法則、科学の土台となる考え方、そういう多種多様に表現されるものであることを、逆説的に示しているのがまたこういうキリスト教の信仰に基づいた自由の国の冊子ではないかと、あらためて思わされる小冊子でありました。