2015-12-02 08:47 | カテゴリ:第3のY
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2015-12-13 17:56 | カテゴリ:横須賀
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2015-12-14 19:48 | カテゴリ:横須賀
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前回のブラザーデッカーの回想録の内容からは2年空いての今回のブログとなるわけですが、どうも私自身横須賀から湯河原に引っ越すことになった直接的な原因がもしかするとこのブラザーデッカーの回想録についてのブログの内容なのではないかと思うほど、ここからの内容は現代の横須賀にも日本全体にも、フリーメイスンリーにも影響を与えるであろう内容であるかと思われ、まあ逆に言うとその位の気持ちで書評ではありますが細かく書いていこうと思って、2年のブランクを埋めて、日本のフリーメイスンリーのブログとして完成を目指したいと思います。

内容的にはかなり落ち着いて横須賀の運営を楽しみ始めた状況のブラザーデッカーの回想録の第六章の副題は日々の出来事です。
最初の章の副題は子供の悪さです。ウォルター・グレー中佐夫妻の子供が暖房用の配管工事に来た職人に意地悪をして非常に気まずい状況になった話です。結局子供に謝罪させて事なきを得たようですが、現在も引き続くであろう決定的な人種差別の要素と敗戦国と戦勝国の差別観の事例であるかと思われます。もちろんその後は問題なく職人は働いてくれたということと、日本製のパラボラアンテナを使った睡蓮の池というまあ非常になんとも言い難い庭の造型がなされたというエドウィーナ夫人の表現がありました。まあなんとも異文化と異人種の接点にありがちな細かい配慮の機微の欠如という事かもしれませんが、その後のエドウィーナ夫人の長寿を考えるとそういう事とは無縁の生き方が実は大事という事かもしれません。
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やくざを収監です。横須賀といえばやくざというのは住んでみて感じる実態でもあるわけですが、そういう文化はブラザーヴェルニーによるドック建設以来の歴史であるようです。ブラザーデッカーがやくざの用心棒代を巻き上げるやり方に気付いてやくざについて規制をかけようとして結局家に侵入されてテーブルクロスなどを盗まれて脅されたという話です。露天商とやくざの関係など、現在も続く基地開放時や各種イベントの際の露天商の多さなどからも、ハタ一家と表現されていますが、恐らくその流れはそのまま残っているものかと思われます。県知事や県の幹部たちがやってきて、ハタ一家の親分のハタが県警の部長のうちの一人で、彼が軍需産業や海軍工廠の労働力の確保に尽力していて彼がいなくなれば他の中小のやくざが出てきて統制できなくなるという事を伝えますが、ブラザーデッカーが彼を刑務所に送ったという事でした。これはまさに現在の横須賀の小泉さん一族の立場を明確に示唆する話であるかと思われます。まあそういう関係がまさに聖ヨゼフ病院坂下のヤクザの事務所に象徴される横須賀であるかと思われます。ブラザーヴェルニーのドックは実はそういう象徴でもあるわけです。戦後のこの時代には元逓信大臣の小泉又次郎さんは公職追放を受けて金沢八景にある料亭千代本で起居しており、恐らく愛妾と共に毎日山海の珍味を食べながらこれらの指示を地元の親分たちと相談しながら行っていたものと思われますが、ブラザーデッカーの回想録には一切出てきません。もちろんそれらは小泉進次郎君がこの本の出版に賛同している経緯などからもいわゆるフリーメイスンリーの秘密になるものかと思われます。それはつまり小泉純一郎が自民党の総裁となり安定した政権運営で長期政権を維持したということからも、横須賀の状況はつまり日本全体の縮図でもあるわけです。
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次の副題はメリーランド州に似た秋です。エドウィーナ夫人が書いているのですが、基地内の高官用宿舎を建築する丘を無用の丘ととりあえず名付けたという話です。後にエドウィーナヒルと名前が付いているかと思いますが、こういうのがエドウィーナ夫人の懐の深さと長寿の秘訣と思われます。東京であった昼食会の様子などが書かれていますが、出席者が明確にえがかれていることから、全員フリーメイスンであるという事なのだと思われます。恐らくエドウィーナ夫人はイースタンスターの活動には熱心ではなかったようです。
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皇居見学。皇居に招待されて天皇陛下のコレクションなどを拝観していった事が描かれています。恐らくその当時の昭和天皇の実際の状況を忠実に表記した貴重な記録と思われます。東京大空襲の際に皇居の一部が焼失した経緯について米軍は意図的ではなかったと非常に申し訳なさそうに表記されているのが、戦争の経緯や空襲の経緯が非常に明確に表現されている印象でしょうか。
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ベルサイユ宮殿を模した赤坂離宮。この次もなかなか過激です。この本以外でこの当時の皇室の生活を赤裸々に表現している書物は恐らく日本国内ではないかと思われます。当時の天皇家が完全に西洋風の、しかもフランス王室並みの生活をしていた事が赤裸々に描かれています。敗戦後最初の総理大臣はフランス帰りのブラザー東久邇宮殿下であったわけですが、まあ開戦から終戦までの経緯とその後の東京裁判なども合わせて、是非日本人すべてが知っておくべき記録がこのブラザーデッカーのこの記録なのではないかと思われます。赤坂離宮は現在は迎賓館として改装され、国宝の指定を受けているそうです。
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シャワー室は未完成。司令長官室のシャワー室の構造を日本人職人が作ることができず、試行錯誤する様子が描かれます。当時は日本の職人が誰ひとり西洋式のシャワーや入浴を理解していなかったため、シャワー室の浴槽にのみ排水孔を作るという概念が無かったという事でした。日本人が欧米を旅して最初に感じるのが今でもいわゆる日本式の風呂が無いことであろう事と時代は流れても変わらない事なのではないでしょうか。
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三浦按針。海軍の日のイベントに合わせて、作家と一緒に安針塚を訪問してウィリアム・アダムスに関するエピソードを学習する様が描かれます。三浦按針の屋敷跡が神社になっていて、戦時中に破壊されてしまったと書かれています。現在の公園内の建物の辺りでしょうか。戦時中で歴史の断絶があったとしても、確実にウィリアム・アダムスの血は横須賀の逸見の地に残り、現在も受け継がれているようです。私の考えるに最初に日本に住んだ最もフリーメイスンに近い存在であると思います。過去のブログも参照してください。
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猿島探検。最近も最も横須賀で観光地としてアピールされている猿島ですが、当時から興味深い場所であったようです。ブラザーペリーはペリーアイランドと命名したこともあるそうで、わたしなどは両名併記したら良いのではないかと思いますが、まあなかなか横須賀の事情があるかと思い、ブログに私見として記すのみとします。また私見ですがオベリスクを建設したら観光資源としてもシンボルとしても非常に良いのではと思ったりしましたが、もう横須賀から離れた人間としてなかなか僭越な事ではあります。
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旧前田侯爵邸。東京の旧前田侯爵邸でパーティーをした話があります。GHQが接収まではしていないが、借り受けてパーティーなどに使用していたようです。東大の近くでしょうか。現在の駒場公園内に残されているそうで、重要文化財の申請中だそうです。鎌倉にも前田侯爵家の方が鎌倉文学館のバラ園を管理されていると聞いていますが、これらも関係があるのかもしれません。最後に駐日ソ連大使とそれと一緒の上席通訳(大使を監視する人民委員)と会ったエピソードが盛り込まれています。この辺り、現在の中国などと共通だなあと感心するような部分と、当時の東西冷戦真っただ中の時代のグラントリアン由来のソ連との関係が垣間見えるエピソードかと思われます。
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トヨペットと多治見製作所。ブラザーデッカーの産業振興策で旧日本軍の軍需工場を払い下げてそれらが後にトヨペットと多治見製作所の元となったという話です。まあとにかくブラザーデッカーの業績を挙げればきりが無いほどで、それはブラザーマッカーサーと並ぶほどであるという事が、日本グランドロッジの銘板からも分かるわけです。多治見製作所はその後どの企業に吸収されたかは不明ですが、検索すると多治見一郎氏は海軍工廠史を出版し、ロータリークラブ会員となられているようです。
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壮観な2千人のちょうちん行列。1946年10月19日の日に横須賀市民祭のパレードでちょうちん行列が賑わっていたエピソードが描かれます。まさに一昨年も同日にみこしパレードがありましたが、その原型がこのお祭りであったようです。一方で同じ日にエドウィーナ夫人がクリスマスの祝祭企画会議を行っていたのがまた印象的に描かれています。
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マッカーサー元帥夫妻主催の午餐会。この辺りはエドウィーナ夫人が書いているのですが、ブラザーマッカーサーについてブラザーデッカーが直接書くことは微妙に避けているニュアンスがあるところが、またこのフリーメイスン同士の関係と、夫婦の微妙な役割分担でもあり興味深いところでもあります。微妙な日本文化のコレクションの表現と、ブラザーマッカーサーが昼食後に昼寝の習慣があることが描かれていて、なかなか激務と実際のそれらへの対応の仕方が分かる所ではないかと思われます。
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エドウィーナ和服に挑戦。ハロウィーンパーティーでかつらをして日本の着物を着て仮装としたというエピソードです。草履が履けずにスリッパを履いたという所まで詳しく書かれています。
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日米友好協会のハッピ(法被)。米友協会でデザインした日本とアメリカの国旗と日本海軍のシンボルを混ぜた柄のハッピを作った話です。またエドウィーナ夫人を接待していた婦人会の川畑夫人の夫が海軍の将官であったそうですが、この方が自らの戦時中の基地の機密を守るためのエピソードのために、エドウィーナ夫人らを訪問した後に踏切で事故死した事件が挿入されています。なかなか横須賀らしい、現在でも良く認められるエピソードだと思われます。このブログとも直接関係していそうです。
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聖書の焚書を償う。川畑提督が亡くなってすぐに川畑夫人が聖書の焚書を夫が戦時中に行ったことを懺悔しに来たことが描かれています。海軍病院の環境が良くなったことが描かれています。キリスト教の話はアメリカを語る上で欠かせない要素だという事が良く分かります。
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鎌倉の火事。鎌倉に住んでいた米軍人の家が全焼した話です。煙突と屋根の間に職人が金属を入れ忘れていたという事ですが、まあ横須賀に住む事と鎌倉に住む事が生存圏においてアメリカ人にとって当時は異なるという事を示しているのでしょうね。なかなかこの辺の機微は横須賀と鎌倉を知ると分かるようになる話かもしれません。このブログだけでは分からないかと思います。真珠湾の奇襲攻撃を許した政治的圧力に対して、断固反対した彼の勇気を高く賞讃していたという文がありますが、この辺りはまだこのブログでも触れていませんが、ブラザーヘンリー・クラウゼンの「真珠湾最後の真実」などについて知らないと理解しがたいという所でしょうか。このブログでも触れたと思いますが、ブラザーフーバーが事前に知っていたなどのエピソードがウィキペディアにもあったと思います。またクロフォード・サムズ陸軍准将の補佐官という大佐がオウズリー軍医大佐の民間の小さな医療施設ならびに病院の衛生面での清掃と改革について文句をつけたという話があり、その後クロフォード・サムズ陸軍准将とは仲良くなったというエピソードがありますが、まあ恐らくヨゼフ病院の話だと思いますし、サムズ陸軍准将もフリーメイスンであったという話だと思われます。いわゆるカトリックとフリーメイスンリーの話の一つではないでしょうか。
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13病院で改革。横須賀にある13の病院で戦時中の患者と家族が病院で寝起きするような体制を中止して、近代的な欧米的な医療改革を行ったという事です。これらは今日の横須賀の医療体制の基礎を作り、また同時に当時の日本としては最も先進的な医療システムが横須賀にあったという事を物語るエピソードだと思われます。
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鎌倉彫。エドウィーナ夫人が鎌倉在住の長岡夫人に鎌倉彫の工房を案内されて、詳しく鎌倉彫について学んでいっている様子です。漆塗りの技法が秘伝とされていることが描かれています。なんとも素直な夫人の人柄が伝わってきます。
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婦人会へ小づちを贈る。エドウィーナ夫人が婦人会の役員会に参加した様子です。女性が反対の意思を表さない日本の習慣について触れています。海軍基地から婦人会に小づちを送ったそうですが、これはフリーメイスンリーではハンマーの意味で、ウォーシップフルマスターの道具であり、すなわち横須賀の将来は婦人会にかかっているという意味になるのではないでしょうか。まあそれだけ基地の行政に協力してくれたという感謝の意味だと思われます。
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新生婦人会馬淵夫人のあいさつ。小づちを貰ったことに対する返礼の挨拶です。この小づちが意味する平等と指導力だけでなく、心の温かい善意と、この婦人会の努力と、実に配慮の行き届いた理解のシンボルとして、これを引き継いでもらいます。とあり、小づちがフリーメイスンリーのシンボルとして送られているということが十分に伝わっているもようです。
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婦人ホームを訪問。エドウィーナ夫人が孤児と貧しい女性のための婦人ホームの様子を視察した模様です。葉山方面の町はずれとあり、恐らく現在の市民病院がある武山付近ではないかと推測されます。米軍の廃品回収の実績から、空き缶や廃品回収で利益を挙げ、空き缶からブリキのおもちゃを作るようすが描かれています。孤児はエリザベスサンダースホームのように米軍兵士と日本女性の間の子供が多く含まれるのだと思われます。
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感謝祭の大集合。ここまでの話が大体1946年11月なのですね。感謝祭に横須賀婦人会は「アメリカと連合軍への感謝」という市民大集会を臨海公園で催したそうです。どっちらけですね。感謝のスピーチと美人コンテストであったそうです。その後どうなったのでしょうか…。もちろんエドウィーナ夫人はそんなことを気にしてはいない様子です。
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マイク・マンスフィールドも来日。ディナーパーティーの様子です。いわゆる全員フリーメイスンというやつです。マイク・マンスフィールドは1977年から10年以上にわたり駐日大使を務めた方だそうです。いわゆる全員フリーメイスンというやつでしょう。
ケネディ大使
窓を開けて蚊に刺される。鎌倉に住んだアメリカ軍人の様子を書いています。豪華な造りであっても日本では湿気のために窓を開けると蚊に刺されて酷い目にあったという話です。蚊帳を教えてはくれなかったのでしょうね。
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カモ猟を楽しむ。東京湾でカモ猟をする様子が描かれます。新浜鴨場というそうで、現在もある宮内庁専用の鴨の狩猟場があるそうです。その場で料理小屋で食べさせてくれるという事で今でも機会があれば行っているようです。
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軽井沢へ。軽井沢の元中島飛行機社長の別荘を接収した家に行って、そこに暖房が無いことを氷の宮殿と呼んでいるというエピソードが語られます。またその近くに本国への帰還を待っている政治亡命者が一時的に滞在している国際居留地があり、そこでダンスをしている様子を観察する様子が描かれます。そこで色々相談したという話が本筋のようです。中島知久平氏の群馬県太田市の邸宅は残っていて市指定の重要文化財になっているようですが、軽井沢の別荘の方はわかりません。
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川村吾蔵との出会い。現在の横須賀中央公園にあるブラザーデッカーの胸像の作者である、彫刻家川村吾蔵氏との出会いのエピソードが描かれています。そもそもブラザーアイケルバーガー中将の胸像を作っていたそうで、当時のGHQのフリーメイスンが銅像をせっせと注文していて、それの流れで依頼に訪問したという所のようです。そもそも川村氏はフランスの国立美術学校で特待生であって、その後アメリカで非常に評価されて、クーリッジ大統領の胸像も作ったそうで、そもそも当時の日本でフリーメイスンの胸像を造るにあたる人物がこの人だったという事のようです。その後川村氏は横須賀のEMクラブの3階をアトリエとしてブラザーマッカーサーの胸像まで製作しますが、昭和25年3月11日に聖ヨゼフ病院で66歳で胃癌で亡くなったそうです。2010年に函館五稜郭公園に記念館ができたそうです。長野県佐久市出身という事で、島崎藤村などとも交流があり、現在の長野県にも繋がる、キリスト教と、外国人の避暑地別荘地としての歴史と人脈の一端が垣間見えるようです。去年は地震や噴火など災害もありました。もう一人フランス人の木版画家ポール・ジャクレーという方の様子も描かれています。かなり奇人の様子で、芸術家としての演出であると解説されています。こちらの方もウィキペディアを読むと、やはりGHQの高官が買い集めたとあり、ブームがあったようです。検索した限りでは作品はインドや中国、朝鮮や太平洋の島々の人を対象としたものが多いようです。
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5つの失敗プロジェクト。ブラザーデッカーは横須賀の復興のために205以上のプロジェクトを考えて、そのうち完全に失敗したものが5つあったようです。それは「下水道網」「漁獲船団」「酵母工場」「新聞発行」「ブロンズ像」であったそうです。下水道網は現在では横須賀の三春町に処理場がありますが、まあ横須賀の立地や上水道でそもそも旧軍との対立もあった状況から考えてもなかなか難しいものであったのでしょう。現在三春町に処理場があるのもブラザーデッカーの計画に沿ったものであるものかもしれません。漁獲船団はおそらく現在の日本の漁業の本質ともかかわるTPPとも関係するような、日本の第一次産業の近代化の話そのものかと思われます。横須賀では毎年さかな祭りをやっていて、魚市場でもイクトゥスのシンボルマークを使った食堂がありますが、やはりここでも書かれている通り、三浦が漁業の本場であり、横須賀のみで漁業大国日本の漁業を変えることは難しかったのだと思われます。水産庁の地球シミュレータで大きな水槽ともいえる世界の海の様子を計算して、現在の漁業を本質的に変える取り組みがまさに横須賀、横浜を中心として行われているのではないでしょうか。酵母工場は日本だとサントリーとかそういうところだと思いますが、現在でも三浦で農業用の飼料のバイオマス工場は稼働しているようです。酵母にこだわるのはユダヤ教の伝統を引き継ぐフリーメイスンリーらしい発想でしょうか。新聞発行はなかなかこの5つの中で最も横須賀で遅れているものかもしれません。本質的に日本の風土と報道や発言の自由というのは合わないのかもしれませんね。インターネットでも横須賀経済新聞や観光協会のブログや2chの発信などがありますが、まあ利益誘導のみに特化した内容であり、いわゆるメディアとしての公平性や中立性、社会改良の精神は極めて低いものかと思われます。その点は横浜の風土は横須賀と対照的なんでしょうね。ブロンズ像はおそらく三笠公園の戦艦三笠などと同じく、東郷平八郎の像や三春町釣り公園のクジラの逆さピラミッドなどにされてしまったのでしょうね。おそらくヴェルニー公園のスターバックスがブラザーデッカーの想像したマーメイド像に最も近い存在なのではないでしょうか。まあその辺はブラザーデッカーの日本、中国での女性体験の結果なのでしょうからフリーメイスンリーとしては致し方ないかなとは思いますが、それがあったとしたらどれだけ今の横須賀が違うものになっていたかと考えると非常に残念な気持ちは否めません。今後のフランス人住宅の再建やヴェルニー公園の発展整備、観音崎公園の発展整備などに期待するほかないのかなと思います。
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教科書改訂。まあいわゆる戦後の黒塗り教科書の話でしょうか。ブラザーデッカーが就任したのはすでに戦後から2年経過したのちであり、その時点でもGHQの内部で方針を巡って争いがあり、反アメリカ思想と共産党の宣伝が盛り込まれたという内容がアメリカ人によって許可されたという報告が栄光学園を作ったイエズス会のカトリックのフォス神父によってもたらされたという内容です。もちろん彼もフリーメイスンでした。問題の内容が軍国主義日本の宣伝であって、それを検閲することにとらわれていて共産党の宣伝を含むとんでもない内容に変更されていたことに気づかなかったとあります。まあ子供にはあんまりわからないような内容なんでしょうが、いかにもフリーメイスンリーっぽい、それでいて現在現実の日本にも色濃く関係する極めて興味深い話であります。
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グリフィン・デー。1947年6月26日に米海軍極東司令官R.M.グリフィン中将に敬意を表したグリフィン・デーだったとあり、その様子が描かれています。おそらく司令官の誕生日なんでしょうが、おそらくフリーメイスンであり、そして近代フリーメイスンリー結成した洗礼者ヨハネの日の6月24日に最も近い日であるという事で、この日に行事を行ったようです。祝砲を打ち、基地内の教会の定礎式を行い、新しい住宅地を視察したとあります。祝砲を行う日付の理由もよくわからなかった日本人には驚かれたのでしょうが、まあこういうブラザーペリーのワシントン誕生日の祝砲のような事はアメリカ軍人がよくやる手法なのだと思われます。まあそれがフリーメイスンリーがらみになると途端に日本人には全くわけのわからないことになってしまうところが日米の距離なのでしょう。章末にわざわざ当時の初代防衛長官の手紙が載せてあり、その後防衛長官が亡くなったことが書かれています。当時のアメリカでは国務省での対中関係の方針対立と、国防総省での冷戦構造での戦略方針を巡って様々な路線対立があり、それが共産中国の成立から朝鮮戦争の開戦につながり、その後のいわゆるマッカーシズムともなり、またアイゼンハワー大統領の当選ともつながっていくようです。初代国防長官ジェームズ・フォレスタルについては第二章でも横須賀に立ち寄らなかったことが書かれていました。まあ空母建設を主張するのに横須賀に来ないなどといった矛盾があるのでしょうが、いろいろあるのでしょうねえ。ちなみにブラザーグリフィンについては戦時中の写真がアメリカ海軍のホームページにありました。おそらく退役間近であったのでしょうね。
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徹底した性病撲滅運動。この項目がこのブラザーデッカー司令長官の回想録の最大の内容と思われます。教科書問題に続いて現在の従軍慰安婦問題ともつながるような、日本、横須賀の性病問題に取り組んだことが赤裸々に描かれています。まあとにかく米兵と日本人の女性との間のさまざまな問題、それは戦後の日本で大きな問題であったわけですが、その中でもアメリカ軍にとって問題であったのは日本人の性病感染率という事があり、それを管理するのが基地司令官の仕事であったという話です。
従軍牧師の告発で占領軍が赤線地区を許可していたことが雑誌で公表されますが、閉鎖はされずそのために性病罹患率が上昇したという事です。ブラザーデッカーはこの問題に取り組み、性病に二度罹ったものを6か月のバーレーン行き航海のタンカーにまわされるという”嫌がらせ療法”が効果的であったという事が書かれています。地方から横須賀に来た女性が稼ぎを父親に知らせて、「そんなに割のいい商売になるんならやめるわけにゃいかねえなと」いったという事があったそうです。EMクラブを盛んに活用して性病予防のキャンペーンを行ったことが描かれます。横須賀の街の性病感染率が45.7パーセントであったことが挙げられています。この感染率の数字は非常に極めて貴重な数字で、おそらく梅毒と淋病をまとめたものだと思われますが、まあ横浜医学の黎明のところでもあげましたが、治療法が抗生剤でまだ普及しておらず、真面目に予防法もとられていなかった時代には、職業としていた女性はほぼ100%でしょうし、ほぼ江戸時代と変わらない感染率であったのだと思われます。すなわち海軍の街であった横須賀でその状況であって、日本陸軍に至ってもほぼ同様の状況であったでしょうから、当時の帝国陸海軍は半数以上の兵隊が性病に罹患していたものと推測されます。コンドームも大量に配布したことが書かれています。EMクラブの運営で赤十字、海軍看護婦などのアメリカ人女性を活用したという事です。EMクラブのマネージャーが引き継いだところ、前任の情婦であった日本人女性が一緒に引き継ぐようにするように押しかけてきたことが描かれています。
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性病罹患率下がる。街と基地の両方とも性病罹患率が6.7パーセントに下がったと書かれています。まあこれはある意味痛みわけの数字なんでしょうね。実際検査がしっかりしていない時代で、どの病気とも特定していないので、唯一アメリカ側にだけコンドームと抗生剤治療のある時代であり、下がったという事で決着したのだと思われます。性病撲滅大会と称して全国から売春婦が横須賀に集まる話を市長から企画され、直前でストップして陸軍管轄の地域で開かれたことが書かれています。まあ横須賀的ですね。性病撲滅運動のマッチを処分する話があります。誰も利用しない性病撲滅のキャッチフレーズを書いたマッチを10トン処分しようとしてワシントンに願い出たらさらに10トン送られてきたという話です。ブラザーデッカーは全てを日本人に与えて喜ばれたという事です。学童たちから「きれいな性病撲滅マッチありがとう」という手紙をもらって気に入ったという事です。教会の賛美歌のチャイムを基地から兵士たちが街に出かける夕方に流すようにして、”性病撲滅チャイム”と名付けたそうです。1946年12月14日の雑誌「リバティー」にビクター・ボーソンという記者が「アメリカ人に感謝」という占領軍指揮下の横須賀物語の記事を書き、それに気を良くしたブラザーデッカーが記者に送った手紙が挙げられています。婦人会の選挙が公正に行われたことが描かれています。
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クリスマスツリーの枝を全部切る。クリスマスツリーを町中に配ってクリスマスを浸透させるようにしたことがエドウィーナ夫人によって書かれています。その際に枝をトリムしてと日本人に伝えたら、全部枝を切ってしまったという話です。それだけクリスマスについて全く知らなかったという話です。ブラザーマッカーサーの行った改革を理解するのにキリスト教の知識を広めることが大事だと考えたという事です。彫刻家の川村吾蔵が作ったキリスト降誕の像をメーンゲート近くの空き家に立てたそうです。クリスマスイブにクリスマスツリーの前で感動的なクリスマスキャロルの歌が歌われたことが描かれています。横須賀基地や関東学院のクリスマスツリーが現在も華やかに彩られている最初の光景であるようです。クリスマスプレゼントが渡された様子が描かれています。
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米人ジャーナリスト9人が来日。アメリカの新聞社の社長や編集長が多数来日して横須賀海軍基地を見学していったことが書かれています。わざわざ実名が挙げられているので、みなフリーメイスンのようです。1月13日昼食会を開いて、2月2日に案内したとのことで、かなり丁寧にフリーメイスンリー流に接待したようです。

さて、足掛け2年かかったこのブラザーデッカーの回想記のブログの最も重要な部分ですがいかがでしょうか。まさに12月14日という事で、三春町のメソニックセンターができたことに呼応したものとなるわけです。横須賀の秘密、堀之内の秘密となるわけですが、なかなか大変なブログの内容のようです。
2015-12-19 19:51 | カテゴリ:小田原
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2015-12-29 13:10 | カテゴリ:岐阜
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2015-12-29 13:32 | カテゴリ:岐阜
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白川郷 中華を受けて 雪の中
2015-12-29 14:19 | カテゴリ:岐阜
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2015-12-30 11:16 | カテゴリ:岐阜
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2015-12-30 12:14 | カテゴリ:岐阜
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兄弟の 諍いありき 北条氏の如く
2015-12-30 17:08 | カテゴリ:岡山
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2015-12-31 07:19 | カテゴリ:岡山
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2015-12-31 10:19 | カテゴリ:岡山
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2015-12-31 10:44 | カテゴリ:岡山
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