FREEMASONRY
Blue Lodge, Scottish Rite & York Rite in Japan
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フリーメイスンリーがフリーメイスンの名簿を公開したというニュースがあったんですが皆さんもうお忘れでしょうか。
まあUGLEとアイルランドグランドロッジの過去の名簿を公開したという事で、欧米のフリーメイスンリー研究家にとっては大ニュースであったわけですが、日本でもちろん関係するのは日本人のブラザー林董位という事で、念のためTadasu Hayashiで検索するととんでもない発見がありました。

入会日は2月24日となっています。
検索結果ではTadazo Hayashiとなっているのはご愛敬だと思いますが、なんと同時にPhilip Takeitchi Hayashiなる人物が1886 - Newcastle-on-Tyneなるロッジで入会していると検索されてきます。まあここまで来るとさすがに検索結果も、名前の類似も偶然ではない感じはさすがにUGLEの名簿検索ですからわかるわけですが、それで見てみます。

Percy Lodge, Newcastle upon Tyneというところだそうで、1886年(明治19年)2月6日入会で日本海軍とあります。
で、検索すると林武一という人がいて、当時ロンドンの日本領事館付き武官であったそうで、その後朝鮮半島にわたり、最近インターネットでもよく見る西大門の写真などを撮って日本に紹介した人で、なぜか現地の日本郵船の船の事故でそのまま明治25年4月5日に亡くなっているそうです。その方の書いた朝鮮案内のデジタルライブラリーがありました。朝鮮国真景のデジタルライブラリーもありました。
まあなんせUGLEが証明するブラザーなわけですが、まあクリスチャンでもあるようで、検索すると国立国会図書館のデジタルライブラリーの内容をブログで紹介している方がいました。

指輪をしているみたいですが、まあ明治の人で指輪をしている人も珍しいのでもしかするとわざと見せているメイスンリーの指輪かもしれませんね。
略伝によると、長州出身で、英国皇太子の接待などをしたようです。旧暦の安政5年11月15日生まれというのがポイントのようです。印刷も明治25年11月15日となっています。まあなかなかのちの朝鮮併合にもつながるいわゆるマスメディアの活動なんだと思いますが、日本のフリーメイスンリー史に一石投じることができたでしょうか。以前より国外での日本人の加入は言われていたわけで、このブラザー以外にも多数様々なグランドロッジへの加入があったのだと思われます。現在でもそうでしょう。
さて、フリーメイスンリーの名簿の方ですが、やはりこれまで挙げたような明治期の日本のお雇い外国人や外交官について検索してみました。するとほとんどが該当する人はおらず、唯一当たったのが初代駐日大使のブラザーサーラザフォード・オールコックのみでした。

上海のNorthern China Lodgeという事で、Sinim Lodgeとも近かったんでしょうね。ブラザーサーオールコックは熱海にも来て記念碑もあるそうです。まあちょうどスフィンクスロッジも来た頃だと思われますし、生麦事件もあったときですし、まさにそういう日本のフリーメイスンリーのオランダ出島以外でのロッジがラッシュで来た頃だと思われます。最初の英国ロッジはやはり港の見える丘の英国領事館と、フランス系ロッジはフランス領事館の現在のホテルニューグランドなんでしょうね。
YokohamaやJapanで検索しても最初の1867年頃のロッジメンバーの名前がすべて検索されてきます。初期のロッジのメンバーがすべて出るので、他の文献と合わせてどのような人物か検索していくのも一つの歴史の考証であるかと思われます。有名人では神戸のAlbion in the Far East LodgeとRising Sun LodgeのブラザーKirby一族の名前や、変わったところではRobert Burns Scotlandというびっくりするような名前の方もいらっしゃいました。一人だけ日本人の名前のような人もいましたが、詳細はわかりません。
(追記:ブラザーフェリーチェ・ベアトの名前の、フェリックス・ベアトがありました。

もしかすると現在につながるYokohama Lodgeの中ではウィキペディアに載る唯一の有名人かもしれませんね。歴史写真の業績を知ると、現在我々が見る歴史もほとんどフリーメイスンが伝えるものなのが分かります。)
(追記:有名なアーネスト・メイソン・サトウと同じ名字のSatowの名前がありました。アーネスト・サトウが書いた家族の来歴によると、いとこの子供のようです。面倒を見ていたようです。その他アーネスト・メイソン・サトウは息子が二人いて一人は日本山岳協会の初代会長であったそうです。いろいろと全く埋もれた歴史のようです。)
日本でもフリーメイスンリーの正しい歴史の研究が進み、いつかHistory of Freemasonryの学会が開かれることがInternational Conferenceに参加したものとして希望でもあります。
(追記:全くもって余談ですが、現在の駐英大使が林景一(はやしけいいち)氏と言ってブラザー林武一(はやしたけいち)と非常によく似た名前のようです。ブラザー林董、ブラザー林武一ともどもご活躍を期待しているかと思われます。)
まあUGLEとアイルランドグランドロッジの過去の名簿を公開したという事で、欧米のフリーメイスンリー研究家にとっては大ニュースであったわけですが、日本でもちろん関係するのは日本人のブラザー林董位という事で、念のためTadasu Hayashiで検索するととんでもない発見がありました。

入会日は2月24日となっています。
検索結果ではTadazo Hayashiとなっているのはご愛敬だと思いますが、なんと同時にPhilip Takeitchi Hayashiなる人物が1886 - Newcastle-on-Tyneなるロッジで入会していると検索されてきます。まあここまで来るとさすがに検索結果も、名前の類似も偶然ではない感じはさすがにUGLEの名簿検索ですからわかるわけですが、それで見てみます。

Percy Lodge, Newcastle upon Tyneというところだそうで、1886年(明治19年)2月6日入会で日本海軍とあります。
で、検索すると林武一という人がいて、当時ロンドンの日本領事館付き武官であったそうで、その後朝鮮半島にわたり、最近インターネットでもよく見る西大門の写真などを撮って日本に紹介した人で、なぜか現地の日本郵船の船の事故でそのまま明治25年4月5日に亡くなっているそうです。その方の書いた朝鮮案内のデジタルライブラリーがありました。朝鮮国真景のデジタルライブラリーもありました。
まあなんせUGLEが証明するブラザーなわけですが、まあクリスチャンでもあるようで、検索すると国立国会図書館のデジタルライブラリーの内容をブログで紹介している方がいました。

指輪をしているみたいですが、まあ明治の人で指輪をしている人も珍しいのでもしかするとわざと見せているメイスンリーの指輪かもしれませんね。
略伝によると、長州出身で、英国皇太子の接待などをしたようです。旧暦の安政5年11月15日生まれというのがポイントのようです。印刷も明治25年11月15日となっています。まあなかなかのちの朝鮮併合にもつながるいわゆるマスメディアの活動なんだと思いますが、日本のフリーメイスンリー史に一石投じることができたでしょうか。以前より国外での日本人の加入は言われていたわけで、このブラザー以外にも多数様々なグランドロッジへの加入があったのだと思われます。現在でもそうでしょう。
さて、フリーメイスンリーの名簿の方ですが、やはりこれまで挙げたような明治期の日本のお雇い外国人や外交官について検索してみました。するとほとんどが該当する人はおらず、唯一当たったのが初代駐日大使のブラザーサーラザフォード・オールコックのみでした。

上海のNorthern China Lodgeという事で、Sinim Lodgeとも近かったんでしょうね。ブラザーサーオールコックは熱海にも来て記念碑もあるそうです。まあちょうどスフィンクスロッジも来た頃だと思われますし、生麦事件もあったときですし、まさにそういう日本のフリーメイスンリーのオランダ出島以外でのロッジがラッシュで来た頃だと思われます。最初の英国ロッジはやはり港の見える丘の英国領事館と、フランス系ロッジはフランス領事館の現在のホテルニューグランドなんでしょうね。
YokohamaやJapanで検索しても最初の1867年頃のロッジメンバーの名前がすべて検索されてきます。初期のロッジのメンバーがすべて出るので、他の文献と合わせてどのような人物か検索していくのも一つの歴史の考証であるかと思われます。有名人では神戸のAlbion in the Far East LodgeとRising Sun LodgeのブラザーKirby一族の名前や、変わったところではRobert Burns Scotlandというびっくりするような名前の方もいらっしゃいました。一人だけ日本人の名前のような人もいましたが、詳細はわかりません。
(追記:ブラザーフェリーチェ・ベアトの名前の、フェリックス・ベアトがありました。

もしかすると現在につながるYokohama Lodgeの中ではウィキペディアに載る唯一の有名人かもしれませんね。歴史写真の業績を知ると、現在我々が見る歴史もほとんどフリーメイスンが伝えるものなのが分かります。)
(追記:有名なアーネスト・メイソン・サトウと同じ名字のSatowの名前がありました。アーネスト・サトウが書いた家族の来歴によると、いとこの子供のようです。面倒を見ていたようです。その他アーネスト・メイソン・サトウは息子が二人いて一人は日本山岳協会の初代会長であったそうです。いろいろと全く埋もれた歴史のようです。)
日本でもフリーメイスンリーの正しい歴史の研究が進み、いつかHistory of Freemasonryの学会が開かれることがInternational Conferenceに参加したものとして希望でもあります。
(追記:全くもって余談ですが、現在の駐英大使が林景一(はやしけいいち)氏と言ってブラザー林武一(はやしたけいち)と非常によく似た名前のようです。ブラザー林董、ブラザー林武一ともどもご活躍を期待しているかと思われます。)
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