2016-07-01 13:24 | カテゴリ:秋田
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2016-07-03 10:32 | カテゴリ:東北
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2016-07-03 21:21 | カテゴリ:イタリア
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Portrait of Hasekura Tsunenaga, by Claude Deruet (French Painter), Italy (17th century)
PRIVATE COLLECTION (Galleria Borghese, Borghese Gallery)

まあ明らかにフリーメイスンではないんですが、いかがでしょうか。フリーメイスンリーについて語るときにはキリスト教やユダヤ教について触れないわけにはいかないのはわかられたかと思いますが、その際に日本では特に隠れキリシタンとそれ以前のイエズス会などによるキリスト教の伝道について触れないわけにはいかないわけで、その際には長崎であれば天正遣欧使節団、東北であれば慶長遣欧使節団があるわけで、後者のいわゆるローマに行ったキリシタンの侍として挙げられる伊達政宗の使節である支倉常長のローマで描かれた肖像画です。洗礼名も入れると支倉六右衛門常長ドン・フィリッポ・フランシスコというそうで、常長という名前ももともと長経であるとか、派遣された経緯が明確ではないとか、父親が切腹を命じられて、本人が追放と同じで派遣されたとか、帰国後も禁教令のために不遇のうちに2年で亡くなったとか、実際には84歳まで長生きしたとか、墓が3か所あるなど、確実にローマに行ったことは記録にあるわけですが、日本での人生については謎に満ちた人物となっています。まあそういうところがこのブログで挙げる要素になるわけで、生まれてから死ぬまでカトリックで宣教師であったらフリーメイスンリーには箸にも棒にもかからないのかもしれませんが、そういう人生であっても日本に来るとたちまちフリーメイスンリーの範疇になってしまうのがまあフリーメイスンリーであり、キリスト教なのだと思います。

明治維新前の徳川幕府による万延元年遣米使節、文久遣欧使節、明治維新後の明治政府による岩倉使節団が主に今日の日本の文明開化を主導した日本人による欧米文化の導入のきっかけとなったと考えられているわけですが、これらにプラスして、長州ファイブなどの政府以外の留学、明治維新後の政府による留学、出島のオランダ人や訪日した外国人による文化の導入、お雇い外国人による導入、そして戦後のGHQの政策による導入など、それぞれにルーツを辿れるようなきっかけを元としてキリスト教、フリーメイスンリー、欧米文化は日本に入ってきているわけで、その中でも天正遣欧使節団は実際には同時に活版印刷などで印刷した本を九州地方に広めたこともあるそうで、その後の日本の印刷術にも影響を与えているようです。一方の慶長遣欧使節団は帰国してすでに禁教令が広まっていたこともあり、具体的な成果は認められずに、同行していたフランシスコ会宣教師ルイス・ソテロは火あぶりで殉教しています。天正遣欧使節団と慶長遣欧使節団の決定的な違いは、それが前者はイエズス会の主導で、ポルトガル船によって行われて、地球を西回り、インド周りでローマに達したのに対して、後者はフランシスコ会の主導で、スペイン船によって行われて、地球を東回り、メキシコ経由でローマに達したというところだと思われます。当時の大航海時代のトルデシリャス条約、サラゴサ条約に基づいて地球を二分にするという発想があり、日本における布教についてもイエズス会とフランシスコ会で東西に二分にする状況が部分的にあったようです。

まあそうはいっても日本最初の遣欧使節であったことは確かなわけで、それらが持ち帰ったものが数多く伊達家ゆかりの寺などには所蔵されており、自友俳句で表したように伊達政宗はじめ伊達家の人々がキリスト教を弾圧しながらも自身がほぼキリスト教徒として全うしており、それらの影響が今日まで仙台や東北地方に影響を与えていることかと思います。そもそも支倉常長が出発する2年前にソテロが航海から上陸したその日に慶長三陸沖地震が発生しているそうで、彼らの存在と特定の日付に基づいた三陸地震の発生はキリスト教布教と密接に結びついていることは確実のようです。また慶長使節団の計画自体がこの地震と津波の影響による可能性は大きいのではないでしょうか。このブログも2011年3月11日の東北大震災に強く影響されて書き始めたものであり、その歴史をさかのぼっていくと必ずこの支倉常長の歴史的な偉業に到達することになるわけで、フリーメイスンリーとはなかなか直接はつながらないものかもしれませんが、実際はリスボン地震なども含めて、まさにフリーメイスンリー成立に直接的に関与する印象がある、キリスト教とフリーメイスンリーという関係を考えされられる人物であるかと思われます。

彼の肖像画は他にも国宝に指定されたものなどがあります。
HasekuraPrayer.jpgquirinale_-_ritratto_di_hasekura.jpgstatua_di_hasekura_tsunegaga_articolo.jpgchiesa_dei_ss_martiri_giapponesi_1200.jpghasekura.png
家紋の事や、彼の比較的由緒ある家柄など、イエズス会における黒田や大村、大友、島津などのシンボリズムと共通する、フリーメイスンリーに共通するシンボリズムも認められ、彼らの使節団が残したスペインでの子孫や、足跡などは、世界史史上唯一のものであり、東北に残したものと同時に貴重なものになるのだと思われます。
最初に挙げた絵は床がモザイク模様になっていて、それもあってここで挙げたのですが、彼のその後の人生の謎とも混じえて、またその末裔が現在まで続いていることも含めて、日本人にとってのキリスト教、フリーメイスンリーは何かという話題でもってここに取り上げてみました。

(追記:2014年に1か月程度東京国立博物館で展示されていたそうです。私も少し記憶がありましたが、当時はそれほど実物への興味はなかったのだと思います。カトリック関連としては現在東京都庭園美術館でメディチ家の至宝をやっていました。これについては展示物も非常に興味深くはありましたが、それ以上に初めて訪問した旧朝香宮邸のアールデコの建築そのものに圧倒されました。なかなか日本の建物としては相当珍しく、ブラザー東久邇宮の息子さんの朝香宮鳩彦王が作られた建物であることと、戦後に外務大臣公邸として吉田茂が住んだことなど、まさに最高級の日本の近代を象徴する建築でありました。そもそもラリックのガラス細工が建築当初の意匠のままある建物は日本で多くないのではないでしょうか。なかなか変わった美術館であり、東京にあるのでなかなか集客は良いようですが、豪華絢爛たる建築と展示物で、まさに平成の東京を象徴する展示であるかと思われます。)

(2016/7/9追記:東京国立博物館ではちょうど7/10までで伊東マンショの肖像というのをやっていました。日伊国交樹立150周年の企画だそうで、2014年に発見され、ドメニコ・ティントレット(1560~1635)が完成させて、ミラノ、トリヴルツィオ財団蔵とのことです。
伊東マンショ肖像画
伊東マンショもイエズス会士となっていますが、没年が1612年11月13日であり、伊東の名前も含めてシンボリズムを認めるようです。洋の東西と言いますが、その関係の歴史はまさに宗教、文化、人種、環境の違いそのものであり、それら全体でフリーメイスンリーになるのかと思われます。そういう歴史を正しく認識することが、まさに正しいフリーメイスンリーの認識につながることかと思われます。)
2016-07-11 11:07 | カテゴリ:スペイン
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
gala-leda-atc3b3mica.jpg
Artist Salvador Dalí
Year 1949
Type Oil on canvas
Dimensions 61.1 cm × 45.3 cm (24.1 in × 17.8 in)
Location Dalí Theatre and Museum, Figueres

どうもカトリックのネタが多いのですが、まあ湯河原に来て2年経って、日本のキリスト教伝道の歴史と、黒田家と石垣山城築城の歴史、その後の徳川政権での石工と石切り場とキリシタン弾圧までの歴史と、そこから明治でのキリスト教の復活の歴史と第二次世界大戦から戦後の流れと、まあフリーメイスンリーともカトリックともつかない日本における異教の話なわけですが、近代社会、今日の日本を成り立たせているほとんどがこれら異教の教えから成り立っているわけで、アメリカ支配の際立つ横須賀のプロテスタント的空気とはまた異なる、ヨゼフ病院でもそうであったわけですが、カトリック、キリスト教について学ぶことは、フリーメイスンリーとしては非常に大事なのだと思われます。まあ要するにスコティッシュライト、ヨークライトはそういう勉強をすることが目的であり、ブルーロッジもそういう考えをしっかり身に付けて日々の生活に生かしていくという事が目的であるわけです。

それで前置きが長くなったわけですが、前置きが長いときは本題がいまいちというか、まあヨゼフ病院ではないですが、カトリックに対するまあ異教に対するアレルギー的な反応というかそういうものでもあるのでしょう。ダリはフリーメイスンと挙げられるのか微妙なわけですが、シンボリズムを明らかに認めるシュルレアリスムの巨匠であり、現代人にとっても現代芸術家といえば存命であった頃のダリと岡本太郎がイメージされる人が多いかと思われますが、カトリックの洗礼は明らかに受けており、ロッジの記録はない、いわゆるロッジを持たないフリーメイスン的カトリック教徒という事なのだと思われます。横浜美術館でもニュートンへの敬意という、いわゆる大東社のシンボリズムである下げ振りのシンボルを認める銅像があり、横須賀美術館でもストラスブール美術館展の際に冒頭に置かれてあったのがダリのマネキンの作品であったと思います。そもそもシュルレアリスム自体がシンボリズムありきの芸術であるわけですが、明らかにフリーメイスンというシュルレアリスムの芸術家はいないわけで、このブログでも過去に挙げたブラザーエッシャーやブラザーマグリットにしても大東社系のグランドロッジであり、まあメンバーかどうかは永遠にわからないというのがフリーメイスンリーであり、まあ作品を見てくれという世界であるわけです。

作品なわけですが、1949年と戦後ではあるわけですが、ブラザーダリの作品としては中期の作品という事で、記憶の固執や内乱の予感と同様に、その後のブラザーダリの名声を決定的にするものであるかと思われます。主題に五角形が取り入れられていたり、ギリシア神話があるなどなかなかフリーメイスンリー的ですが、広島の原爆のモチーフがあり、不確定性原理が表現されているとのことです。シンボリズムとしては右下の直角定規があり、これは黄金比を表しているという事で、フリーメイスンリーのシンボルでもあるわけですが、同時にカトリックの象徴としての五芒星を示しているという、まさにワシントンのペンタゴンを連想させる、やはりカトリックとフリーメイスンリーとはそこでつながるのかという、ブラザーアルバート・パイクの第三次世界大戦の予言のような、イルミナティにつながる表現かと思われます。女性はギリシア神話の白鳥となったゼウスが誘惑したレダであるとともに、もちろん聖母マリアであるのかと思われますが、当時すでにブラザーダリの妻であったガラ・エリュアールをモデルとしており、彼女もブラザーダリもユダヤ人であるそうですが、このガラは多くモデルを務めており、またもともと詩人の妻であったそうで、結婚後もマックス・エルンストと同居した三角関係であったなど、ブラザークリムトを彷彿とさせる、芸術家の結婚と共同生活であったようです。白鳥がささやいているのが、ブラザーダリ自身を象徴するとともに、イエス・キリストや、その生誕を告げた聖霊をモチーフとしているそうで、まあブラザーダリには子供はいなかったのですが、これはすでにガラ夫人が子宮摘出後であったことと、のちの愛人も性転換手術を受けた女性であったという事であったようです。まあなかなか芸術家なのでここまでくるとフリーメイスンといえるかどうかという話になってくるのですが、最近はマサチューセッツグランドロッジも性的マイノリティーもフリーメイスンとして受け入れるなんて話になっているのでそういうのを先端でいっているのが現代芸術家でもあるのでしょう。

まあとにもかくにもシュルレアリスムで最も有名なブラザーダリの作品にはその他にも数多くフリーメイスンリーのシンボリズムを認めており、ブラザーオスカー・ワイルドのような私生活ではありますが、芸術家としての一生を全うした、ユダヤ人の出自でカトリックの洗礼を受けながら、フリーメイスンの生き方であったといえるのではないでしょうか。
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髑髏をモチーフとしただまし絵のようなものがあります。最後のものは踊り子でしょうか。
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ブラザールネ・マグリットとほとんど変わらないバラの構図のものがあります。
17-crucifixion-surreal-paintings-by-salvador-dali.jpg27 With DaliDali_DreamofChristopherColumbus1959[1]
キリスト教をモチーフとしたものも多く、カトリックが前面に出ていますが、パーフェクトアシュラーや、白黒のモザイクがあったり、宗教画を描く自分自身を画面に載せたり、十字軍や洗礼者ヨハネを連想させるもので、やはり妻のガラが聖母マリアの姿をしていたりとしています。
Dali-00091-Salvador_Dali_Design for set curtain for Bacchanale,1939
スコティッシュライト18階位のシンボルであるキリストのモチーフとしてのペリカンを連想させる形の白鳥の図です。白鳥はフリーメイスンリーでは特に象徴としてありませんが、ロッジとしてはスワンロッジというものがフランス大東社系のロンドンにあるロッジとしてあり、白鳥が純潔や高潔の意味であることはあり、ペリカンのモチーフももともとは白鳥であった可能性もあります。
dali-bee-sting.jpg131790425_39a91de578_b.jpg1445422934.jpg1600x1040_6357_Salvador_Dali_s_caravan_3d_surrealism_caravan_picture_image_digital_art.jpg
「目覚めの一瞬前に柘榴の周りを蜜蜂が飛びまわったことによって引き起こされた夢」というそうで、妻のガラの夢からインスピレーションを得た作品とのことです。異教のシンボルとしての脚の細長い象が認められています。虎やカサゴのような魚も東洋をイメージしたものかもしれません。
「聖アントニウスの誘惑」といい、有名な荒野で修業をした聖者のモチーフで、カトリックの聖画のモチーフで数多く書かれた主題をシュルレアリスムの手法で表現したものかと思います。異教のモチーフとして脚の細長い象が認められます。象の進軍というのはアレクサンダー大王の東征の際にインドの軍隊として認められ、それらを鹵獲して大王も使用したという逸話があり、聖書時代の範疇になる異教のシンボルなのだと思われます。
「象」とそのもなんですが、有名になった宇宙象というそうですが、このブラザーダリの代名詞ともなった異教のシンボルが主題となったものです。アレクサンダー大王のように異教の象徴であったものが主客転倒して主題となったのだと思われます。
現代作家によってコンピューターグラフィックスで作られたオマージュが最後の「キャラバン」です。
この宇宙像は塑像でも数多くあったかと思います。
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フリーメイスンリーとはこれっというモチーフでしょうか、目がたくさんある構図です。岡本太郎でもあったかと思います。シュルレアリスムでは非常に普遍的に認められます。ダリ美術館にあるようです。
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ピラミッドもフリーメイスンリーを象徴するシンボルだと思います。ブラザーダリのピラミッドとしては真ん中の非常に写実的なギザのピラミッドが有名なようですが、フリーメイスンリーと絡めたものとしてはおそらくアメリカ時代のものと思われますが、一番右のAll Seeing Eyeとピラミッドを組み合わせた構図が出てきます。題名も不明ですが、やはりカトリック教徒という事で、ピラミッドの上部に十字の形した天使がいるのがバチカンのオベリスクを連想させるでしょうか。ローマにあるピラミッドをモチーフとしているのかもしれません。

その他にもブラザーダリの塑像でエルサレムの嘆きの壁を主題としたものもあります。またこのブログのYouTubeで何度も使っているWhat's My Line?というブラザーカーネル・サンダースや、ブラザールイ・アームストロングなども出演している、目隠しされた出演者がゲストを質問の答えから連想して当てるというテレビ番組に出演していますが、これは戦後のアメリカ滞在中の出演かと思われます。この間にフリーメイスンリーロッジを訪問した可能性はあるかもしれません。ちなみにサルバドールとは救世主という意味だそうです。

いかがでしょうか。本日は7月11日という事で、ブラザーダリは生没年が1904年5月11日 - 1989年1月23日という事で、ユダヤ人の家系に生まれカトリックとして洗礼を受け、フリーメイスンの芸術家として全うした人物の紹介とさせていただきました。

現在京都市立美術館でダリ展を開催中だそうです。京都もロッジが再興して活発に世界都市として活動している模様です。横浜美術館のブラザーダリの塑像もたまには見てあげてください。
2016-07-14 04:17 | カテゴリ:フランス
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
Bastille Day in French : le Quatorze Juillet
パリ祭(パリさい)は、フランスで7月14日に設けられている、フランス共和国の成立を祝う日 (Fête nationale) である。
1789年同日に発生しフランス革命の発端となったバスチーユ監獄襲撃および、この事件の一周年を記念して翌年1790年におこなわれた建国記念日 (Fête de la Fédération) が起源となっている。

呼称
フランスでは正式には「Fête nationale française」(フェト・ナスィオナル・フランセーズ、フランス国民祭または国祭)である。しばしば「Quatorze Juillet」または「14(Quatorzeの数字化)―」(カトルズ・ジュイェ、7月14日)とも呼ぶ。
「パリ祭」は日本だけの呼び名である。これは、ルネ・クレール監督の映画 Quatorze Juillet が邦題『巴里祭』として公開されヒットしたためで、邦題を考案したのは、この映画を輸入し配給した東和商事社長川喜多長政たちである。読み方について、今日では「ぱりさい」が一般的だが、長政の妻・かしこは「名付けた者の気持ちとしてはパリまつりでした」[1]と語っている。当時の観客の大半も「パリまつり」と呼んでいたという。荻昌弘もまた「私の感覚では、これはどうあってもパリまつり、だ」と述べている。「巴里祭」「パリ祭」は多くの『歳時記』の夏の季語となっている。
また、英語圏では、バスティーユ襲撃の歴史を重視して、「Bastille day」(バスティーユ・デイ)という。

現在のイベント
7月14日には、フランス各地で一日中花火が打ちあげられる。また慣例として消防士はダンス・チーム bals du 14 juillet を組んで市民に披露する。
午前中にはパリで軍事パレードが開催され、フランス大統領の出席のもとシャンゼリゼ通りからコンコルド広場までを行進する。
パレードはエコール・ポリテクニーク、サン・シール陸軍士官学校、フランス海軍兵学校の生徒による行進で幕を開け、歩兵部隊、機械化部隊が登場する。フランス空軍のアクロバット飛行チームであるパトルイユ・ド・フランスも演技飛行をおこなう。近年においてはフランスの同盟国の要人を招待することが慣例となっている。2004年には英仏協商の100周年を記念して英軍の各部隊 (イギリス海兵隊、王室騎兵乗馬連隊、グレナディアガーズ、王立騎馬砲兵・国王中隊) がシャンゼリゼを行進し、英空軍のレッド・アローズが演技飛行をおこなった。2008年にはPKO部隊もパレード参加した。 2014年には第一次世界大戦開戦100年として参戦した約80カ国が招待された。
パレードにはフランス共和国親衛隊およびパリ消防工兵旅団、フランス国家警察も参加する。行進の最後尾は常にフランス外人部隊が務め(正規軍の120歩/分に比べ、外人部隊では88歩/分と遅い)、沿道からは大きな歓声が浴びせられる。
その後、フランス共和国大統領の演説がおこなわれる。パレード終了後にはエリゼ宮殿において茶会が催される。パリ祭当日にはツール・ド・フランスが開催されており、フランス出身選手はこの日のレースを特別視して勝利を収めようとすることが多い。

歴史
歴史的背景
1789年5月5日、ルイ16世は三部会を召集し、彼らの不満に耳を傾けようとした。平民を代表する第三身分 ( 残りの2つは聖職者と貴族) の議員は、三部会を放棄して国民議会を打ち立てることを決定する。
6月20日、第三身分の議員は「球戯場の誓い」を行った。これは憲法が制定されるまで解散しないことを誓い合ったもので、彼らが集まったホールがジュ・ド・ポーム(テニスの原型)に多用されたことにちなんで名づけられた。
彼らを支持するため、パリの人々はバスティーユを襲撃した。バスティーユは、王の恣意的な拘禁令状 (lettre de cachet) によって拘束された人々の刑務所で、特に著作が王統政府の気分を害したなどの政治犯を拘束することで知られていた。
このようにバスティーユは、君主専制政治の象徴だったのである。包囲の段階で収容されていたのは、7人だけであった。
実際的な抵抗行為としてより、結集と反乱の象徴としてバスティーユ襲撃はより重要な意味を持つ。フランスの歴史における重要性にかかわらず、勇敢なフランスの愛国者がバスティーユを襲って抑圧された農民を何百人も解放するという典型的イメージは沸き起こらないのである。しかしすぐに農民は、報復の脅威に対する準備を思いついた。革命家を解放するといった伝説に反し、普通の犯罪者を少数収容していただけのバスティーユを襲撃したのは、王の軍隊がヴェルサイユからパリに移動してきたというデマに影響されてバスティーユの武器弾薬庫を襲ったためだった。
バスティーユ襲撃からまもなくの8月26日、人間と市民の権利の宣言 (フランス人権宣言) が採択されるのである。
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建国記念日
1790年7月14日におこなわれた一周年式典は共和制政府によっておこなわれた大規模な国家式典であった。当時のフランスではこの式典がフランス革命を締めくくるものとして受け止められていた。イベントは当時パリ郊外に位置していたシャン・ド・マルスで開催された。この土地はパリ市民によって義勇兵の宿舎として利用されており、祭典はオータン司教タレーランの祝辞にはじまった。国民軍の司令官であるラ・ファイエットおよびルイ16世が憲法に対する忠誠を誓った。

祝日制定
1878年6月30日、公式決定により共和国を讃える祝祭が開かれた(その様子はクロード・モネの絵に記録されている)。
翌1879年7月14日、改めて準公式に祝祭が開かれた。このときの祝祭で、ロンシャンでは閲兵式、下院ではレオン・ガンベタ (Léon Gambetta) 主催のレセプション (歓迎会) 、「プレ・カトラン」ではルイ・ブランとヴィクトル・ユゴーとの共和国祝祭が行われた。16日のフィガロ紙にあるように、フランス中で「人々はバスティーユの栄光を心から祝した」のである。
1880年5月21日、ベンジャミン・ラスパイユは「7月14日を年一度の祭日とする」法案を提出する。5月21日、次いで6月8日、下院は法案を可決する。上院は6月27日、29日に承認する。1789年8月4日のアンシャン・レジーム崩壊を祝う案に対し、7月14日案が採択されたのである。
法律は1880年7月6日公布され、内務省は各知事に「地域の予算が許す限りの輝きをもって賛美する」よう勧告した。事実、1880年の新祭日の祝賀はすばらしいものになった。

アンリ・マルタンによる上院演説
1880年6月29日に上院議長アンリ・マルタンによっておこなわれた演説:
《略》

忘れてはいけない、この7月14日の裏にあるものを、アンシャン・レジームに対する新時代の勝利は戦いの末にあることを。忘れてはいけない、1789年の7月14日 (= バスティーユ襲撃) の後には、1790年の7月14日 (= 建国記念日、Fête de la Fédération) があったことを。

後者の7月14日を、流血があった、国を分裂したと責めることはできない。それはフランス統一への清めであった。そうだ、古い君主制度が作ったものをささげたのである。

ある人が言ったように、古い君主制度はフランスの本質だったのであり、我々はそれを忘れることはできない。革命は、1790年の今日7月14日に、フランスの精神を作ったとは言えないだろう、神のみがフランスの精神をお持ちだから、だが革命はフランスにその自覚を与えた。革命はフランスに自身の精神を示した。そして覚えておくのだ、我々の歴史で最も美しく純粋なこの日、国の端から端、ピレネーからアルプスやラインまで、すべてのフランス人は手をつないだ。覚えておくのだ、国家領土のすべての地域から、国家警備隊と軍の代表団が、89年の行為を祝賀するためパリにやってきたことを。 覚えておくのだ、そのときのパリを。人々が、年齢や性別を超え、地位や富も関係なく、心から結びつき、その自身の手ですばらしい記念祭 (Fête de la Fédération) の準備に携わったことを。パリはシャン・ド・マルス周辺で働き、この第二帝政によって破壊された実に神聖な円形劇場を立ち上げた。

《略》

もし、あなた方のうち幾人かが最初の7月14日にためらいがあるとしても、後の7月14日にはきっと何とも思わないだろう。私たちを分け隔てる違いがどうであれ、なにものかがそこにとどまっている、それは我々皆が渇望する統一国家の偉大なイメージであり、そのためなら我々は全員が立ち上がって、必要とあれば喜んで死に赴くのである。

制定後
1939年9月に勃発した第二次世界大戦において、フランスがドイツ軍に占領され親独政権であるヴィシー政権ができたためにイギリスに亡命したシャルル・ド・ゴールと自由フランス軍は、1940年から1944年までの記念式典を、亡命先のロンドンで行った。
祝祭から199年を経た1989年、政府はバスティーユ襲撃から200年を経たフランス革命200年記念を謳い、ミッテラン大統領が記念行事に世界各国首脳を招待した。

ブラザーマルキド・サドの長く囚われていたバスティーユ監獄の襲撃のあの日から現在に至るフランス民主主義が始まったのです。私はいまだブラザーエドマンド・バーグの「フランス革命の省察」を読了していませんが、まあそれらが全て政治的潮流の一つであるという事は十分に理解しているかと思います。今日に至る近代社会の成り立ちを知る上で非常に重要な日付である本日7月14日でした。
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2016-07-24 15:16 | カテゴリ:伊豆
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2016-07-24 16:00 | カテゴリ:伊豆
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2016-07-29 07:42 | カテゴリ:第3のY
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2016-07-29 08:36 | カテゴリ:東京
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2016-07-30 19:40 | カテゴリ:ポルトガル
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