2012-01-12 09:43 | カテゴリ:横須賀
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
東と西、日本では東日本西日本という言い方をしますが、世界では洋の東西を問わずというように、主にユーラシア大陸の西岸側、東岸側で比較の対象とされるのだと思います。

ああ、東は東、西は西、二つが共に出会うことはない、/大地と空とが神の大いなる審判の座の前に立つに到るまでは。/しかし、東も西も、境も、人種も、生まれもない、/地のそれぞれの果てから来た二人の強者が顔を合わせるそのときには。--ラドヤード・キップリング「東と西のバラード」

Oh, East is East, and West is West, and never the twain shall meet,
Till Earth and Sky stand presently at God's great Judgment Seat;
But there is neither East nor West, border, nor breed, nor birth,
When two strong men stand face to face, though they come from the ends of the earth!

大英帝国絶頂期のノーベル賞作家、英文学を代表するJoseph Rudyard Kipling の詩です。インドのボンベイで育ち、清王朝の中国、明治初期の日本を経由してロンドンに戻り、その後インド時代の乳母の子守り話などをヒントにインドの伝承などを題材に小説を書き当時の人気作家となった方です。当時の、シルクハットをかぶりステッキを持った英国紳士にとって、明治維新から20年の着物に散切り頭で西洋風を気取った日本の様子などは、まさに東と西の違いをまざまざと感じさせずにはいられない光景だったと思われます。
彼もインドにあったフリーメイスンリーのロッジに、20代の若さで加わりフリーメイスンとなって、フリーメイスンリーにかかわる詩も多数残しています。

The Mother Lodge
抜粋~Outside -- "Sergeant! Sir! Salute! Salaam!"
Inside -- "Brother", an' it doesn't do no 'arm.
We met upon the Level an' we parted on the Square,
An' I was Junior Deacon in my Mother-Lodge out there!

ロッジの外では大英帝国の植民地での階級社会があり、役職や爵位で呼び合い、敬礼など面倒くさいやり取りがあるのに比べて、ロッジの中に入ればお互いを「ブラザー」と呼び合い、仲間となれるそういうフリーメイスンリーの交わりは、イギリスの植民地では息抜きや有効な現地に関する情報交換の場であり、また本国やその他の次に移動する場所などについての情報を容易に得られる場でもあったのだと思われます。

さて東と西についてはフリーメイスンリーでは良く知られるシンボルとしてこのようなものがあります。

双頭の鷲は古来シュメール文明にも認められるシンボルだそうで、主に東ローマ帝国で国章として採用され、その後ギリシャ正教会、神聖ローマ帝国、ハプスブルク家、ロシア帝国などにも使用され、現在ではアルバニア、セルビア、モンテネグロの国旗やロシアのシンボルとしても使用されています。もともと東ローマ帝国時代に東と西の支配権を意味して双頭であったそうですが、フリーメイスンリーではヨークライトと並ぶフリーメイスンリー内の最大の団体である多段階位団体である、スコティッシュライトのシンボルとして使用されています。

スコティッシュライトは、フランスにおいてフリーメイスンリーが流行した初期にいくつもの多段階位が生まれ、それらをアメリカにおいて統合し三十三階位のスコティッシュライトとしてまとめたもので、これを行ったのがネットの陰謀論では黒い教皇と呼ばれたり、第一次大戦から第三次大戦までを予言したとされるブラザーアルバート・パイクです。彼の主要な著書がいわゆる「Morals and Dogma」で、三十三階位までのそれぞれの階位の意義が説明されているそうです。私はこれはまだ詳しく読んでいませんが、ネットでもPhoenix Masonryなどで無料で読むことができると思います。どこかで読みましたが、三十三階位を授与されたフリーメイスンのほとんどがこの本を読んでいないし理解していないというフリーメイスンリーのネットでのフリーメイスンによる批評がありました。
33という数字は3がそもそもフリーメイスンリーでは三階級に示される象徴的な数字で、それらが組み合わさりなおかつキリストの生涯が33年であったとか、ソロモン神殿が33年間保たれた(2014/8/29追記:ソロモン宮殿は第1にしても第2にしても33年保たれたという事は無いようです。確か英語の文章の説明を訳したのだと思いますが、もしかするとユダヤ戦争の開始から神殿の破壊まで33年であるのかもしれません。)とかそういう聖書からの引用が関わっているそうで、いわゆるフリーメイスンリーの多段階位の中で、陰謀説などを絡めて多くの人の注目を集める物となっているものです。
下に書かれたラテン語のモットーはDEUS MEUMQUE JUSとあり、英語にするとGod and my rightだそうで、イングランドの王室軍のモットーに由来するそうで、リチャード獅子心王のノルマンディーでの戦いなどに関係するそうです。それぞれ深い逸話から道徳的な教訓を得るフリーメイスンリーの中のさらに深い部分のスコティッシュライトのシンボリズムであり、多くの英語の本を読みこなして理解されるシンボルなのだと思います。

さて導入として長くなりましたが、横須賀における東と西の邂逅を意味するシンボルはどんなものでしょうか。
それは何と三浦海岸にあるようです。


三浦海岸は厳密には横須賀ではなく三浦市ですが、三浦の中でももっとも横須賀寄りで、夏になるとかなりの数の海水浴客で賑わう砂浜です。湘南に比べて東京湾側といっても比較的きれいに保たれている海岸で、その他にも三浦には雰囲気のあるきれいな海水浴場が多いのですが、この海岸が最も人気があると思います。かなり道が混むので車で来る際は渋滞が必至です。 
三浦市にはここ以外にこれといったフリーメイスンリーにまつわるシンボルはわかりませんが、そもそも城ケ島灯台はヴェルニーが建設したものであり、剣崎灯台もお雇い外国人のリチャード・ブラントンが建設したものであり、関東大震災で台替わりしているとはいえ灯台そのもののシンボルとしての意味は変わらないと思われます。彼らがフリーメイスンであるかは現時点では私は知りませんが、同時期に日本にいた多くのお雇い外国人はフリーメイスンであったりフリーメイスンとかかわりのあった人々であり、フリーメイスンリーにかかわるシンボルと考えて差し支えないかと思っています。


さて東と西の邂逅ですが、トイレですね。
三浦という土地柄、市の端っこでトイレという形になるのは致し方ないことだと思います。私個人は三浦市はマグロもおいしいし、野菜もおいしいし、景色もいいし、良い場所だと思いますが、フリーメイスンリー的には横須賀に比べて格段に日本的で古い価値観の地域である事は否めないでしょう。
ピラミッドはルーブル美術館の前にあるものや日本の各地のバラ園のある場所や、色々なビルなどにシンボリックに建設されることが多いものですが、この頂点がずれた形のピラミッドは日本で数か所に認められるピラミッドとして特殊な変形のものです。
なぜ三浦海岸なのかというと色々諸事情があるのだと思われますが、本来は久里浜海岸が最も場所としては適していたと思われますが、人が多くあつまるこの地が選ばれたのかもしれません。もしかすると三浦海岸にペリー来航時に様々な逸話があるのかもしれません。
頂点のずれたピラミッドがなぜ東と西の邂逅を意味するかというと、これはこのシンボルを見たときの解釈というだけで、どこかに説明があったという事はありません。
ピラミッドのシンボリズムと頂点がずれた意味、久里浜海岸や三浦海岸の歴史的意味や現在の状況を考え、それが東と西がこの場所で結びついた事を象徴するという意味が解釈として現れるという事なのです。
ただどうしても西が上で東が下とかどっちの頂点がどっちを意味するとかいう事になるのだと思いますが、それはそれぞれ違いという意味であって、どちらが優劣という事ではないのだと思います。ブラザーキップリングが言うように「東は東、西は西」まさにそれをあらわしたのがこのピラミッドの形なのだと思います。

まあそれがトイレになるという所も現実的なメリットや情勢を踏まえるとそうなることなのだと思います。トイレとして使った事はありませんが、なかなかシンボリズムとして面白いと思います。


満月とピラミッドのトイレ
なかなかシュールな写真ですが、わたしは釣りをしたり城ケ島の様々な思い出もあり、三浦市は個人的になかなか思い入れもあるのでこうしたちょっと場違いな感じのシンボルも愛着を感じます。
あまり多くの人が気付く事は少ないタイプのシンボルではありますが、これを見つけた時の感じは平易な柔らかな感動を与えてくれるものです。

月もシンボルとして重要なものであることを付け加えておきます。

さて東と西の邂逅というテーマのシンボルですがこれには実は有名なものがあります。
横須賀では西武グループ関連の建築物に良く目立つシンボルが多いのですが、これは極めて有名なものです。シンボルとしてこのブログでいう事に問題があれば伝えてください。


ネット上からの無断借用です。問題あれば教えてください。
八景島シーパラダイスの水族館と富士山の夕景


八景島シーパラダイス水族館

手前の休み処もヴェルニー公園と似た作りになっていますね。
周囲の展望台やアトラクションもオベリスクを模したものとなっているかと思われます。
この地は実は金沢区の歴史などからわかるのは、ブラザーペリーが日本に来航し、徳川将軍あてに親書を黒船の船上で使節に手渡した後に、上陸に関して水深調査をボートを出して詳しく行っている際に、アメリカの独立記念日(7月4日)に江戸城に向けて空砲を撃った場所なのだそうです。つまり江戸湾、現在の東京湾で水深が最も深く保たれている内奥部という事なのです。(2013/11/4追記:これは独立記念日7月4日ではなく、ブラザーワシントンの誕生日であるグレゴリオ暦の2月22日であったようです。横浜市のホームページを参照しました。)

ブラザーペリーの日本上陸に関しては、それ以前にもアメリカ艦船の乗組員が和歌山県に上陸した事例があり、その近くでその後トルコ艦船の座礁遭難事故があり、その地には現在オベリスクが建っています。
Kushimoto-toruko-ireihi1.jpg
その地にある日米修好記念館の説明です。
1791年(寛政3年)、ブラザーペリーの黒船来航より62年も前のこと、レイディ・ワシントン号とグレイス号の2隻のアメリカ商船が大島に上陸しました。これが公文書に記録された初めての日米間の接触であるとされています。同館では、当時の様子を解説したジオラマや写真、船の模型などが展示されています。 

このように様々な形で徳川幕府と接触を繰り返していた欧米諸国は、この強引とも思われるブラザーペリーの外交によって、徳川幕府も開国やむなしと判断し、久里浜から上陸を許可し、ブラザーペリー一行は江戸城で将軍と謁見し、後に伊豆下田、神奈川、麻布十番に米国総領事を置き、日米和親条約での開港二港、さらに日米修好通商条約での開港五港と外国人居留が認められていったのです。

このブラザーペリーの上陸に関しては様々な江戸幕府による日本的な駆け引きがあり、最初は鎌倉の地に上陸を勧めたそうですが、ブラザーペリーは遠浅の海で黒船が座礁する事を見越しており、それを拒否したそうです。鎌倉由比ヶ浜の海には源実朝が大型船を建造し直接中国との通商を行おうとして、座礁してしまったという逸話もあります。そもそも金沢八景の地は鎌倉時代より武家政権の中心である鎌倉の港として機能し、千葉からの塩を運び入れたり、中国からの通商もこの地を通してなされたそうです。
すでにシーボルト事件などを通して伊能忠能の地図などがヨーロッパに流出していたと考えられ、綿密に計算された上でフリーメイスンとして使命を帯びてブラザーペリーは来航したのでしょう。

水族館に関しては最近全国にシンボリックな観光目玉として建設されていますが、この水族館もまさにシンボリックであり、同様に品川水族館なども建物の上にピラミッドが認められ、水族館の意味、維持管理にかかわる技術や水棲生物の研究やアミューズメント施設としての存在がシンボリックな位置づけとなっているのだと思われます。これらのルーツにもフリーメイスンが関わっている事が示唆されます。

さてこの八景島のシンボルについてですが、実は面白い秘密が隠されていますが、それは次回といたします。

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