2012-05-04 09:16 | カテゴリ:東京
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
こう書くとセンセーショナルなタイトルになりますが、横須賀の馬堀海岸や海辺釣り公園に認めるような、いわゆるフリーメイスンリーによるフリーメイスンリーらしくないフリーメイスンリーのシンボルです。
いわゆるラフアシュラーですね。
ラフアシュラーもその辺の石ころは全部ラフアシュラーだと言ってしまえばそうなるわけで、そうじゃないのがフリーメイスンリーのシンボルです。
もちろん皇居と言えば天皇家なわけで、日本国憲法第一条で天皇は日本の象徴と規定されている訳ですが、そもそも大日本帝国憲法では唯一の主権者であったわけで、さかのぼれば明治維新までは徳川将軍家の大政奉還までいわゆる幕藩体制の中での京都御所、朝廷として日本を代表していながらも権力はもっていない状態でした。
明治維新では孝明天皇の第二次長州征伐直前での急死、明治天皇の即位での大政奉還などからすり替え説などの陰謀説がありますが、古代より日本史の中で皇室や朝廷にまつわる陰謀や呪詛、戦乱の歴史は枚挙にいとまがないわけで、そもそも天皇制の成り立ちそのものが権力と陰謀の中で出来上がったものかと思われ、それらはいずこの国においても等しく認められる人間社会の常かと思われます。
フリーメイスンリーはそもそもそういう社会であった英国やスコットランド、フランスなどの王権社会の中で、よりよい社会とは何かとか、権力とは何か、富とは何か、宗教とは何かという様々な疑問に対する一つの回答として成熟し1717年にイングランド連合グランドロッジとして目に見える形として成り立った仕組みであると思われ、天皇制や王制とフリーメイスンリーとは矛盾するようですが、ブラザーエドマンド・バーグが「フランス革命の省察」で示しているように、相続の自然権について肯定する以上はフリーメイスンリーの考え方の理想である民主主義の下においても、天皇制、王制はある一定の制限の下存続しうるという事になるものかと思います。本質的にはフリーメイスンリーは政治とは一定の距離を置く友愛のための団体であり、過激な革命思想などの源流になった部分も歴史的には認められるかと思いますが、イギリス、ドイツ、フランス、ロシアでも共に王室の積極的なフリーメイスンリーへの参加があり、スウェーデンでは国王をグランド・マスターとして組織する慣習があり、これはフリーメイスンリー発祥の地のイングランドでも基本的にはそういうやり方で踏襲されています。
我が国においてはやはり戦後の昭和天皇のブラザーマッカーサーとの会見とそれによる人間宣言、全国行幸というものが最も直接的なフリーメイスンリーと皇室との接点ではないかと思われます。


この会見に関しては通訳の方もフリーメイスンだったようで、この会見をセッティングしたという事を話していたとする逸話が本に書いてありました。スコティッシュライトの33階級の方だそうですが実話かどうかはわかりません。

日本に君臨するもの―フリーメーソン日本ロッジ幹部の証言 (オルタブックス)/高崎 広
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作者の方は亡くなられているそうで、私は全く会った事もありませんでしたが、近衛師団出身の方だそうで、海軍士官学校の同窓会である水交社と、東京タワーの下にある現在の日本グランドロッジとの不動産の関係や、実際の日本のフリーメイスンの活動についてより具体的に書かれた本かと思われます。内容や傾向については私自身はどうかと思う部分もありますが、日本のフリーメイスンリーの一つの歴史としてブラザー片桐三郎による入門フリーメイスン全史―偏見と真実とともに日本人のフリーメイスンが執筆に関わった出版されている本として興味のある方にとっては必読の書ではないかと思われます。その他原爆投下や終戦、戦後の日本の政治家や天皇家とカトリックやフリーメイスンリーとの接点などいくつもフリーメイスンリー関連の陰謀史家が出版していますが、いずれも推測や憶測の類であり、実際に関わった方々の証言の類はまさに秘密になるのだと思います。公開されている情報でもガーター勲章を受章した時の歴代天皇の騎士姿の写真や、ブラザー林董やブラザー東久邇宮と皇室や当時の政権中枢との記録などから、明治維新後の歴代天皇とフリーメイスンリーとの関わりは十分日本人全体が意識できるものかと思われます。

さて前置きはさておきこちらも日本の公開されている公園です。
日本人は大日本帝国憲法下での昭和天皇主権下の時代への意識が残ることなどから、皇居=聖域という考えがあり、現在も常時公開されている公園である皇居であってもよほどの機会が無いと近所の公園のように訪れる機会は少ないものかと思います。
いわゆる東御苑という部分が通常公開されている部分で、こちらは特に予約は必要とせず入り口で番号の札をもらい出口で返すというだけのものです。公式行事や公務を行う御所を見学するには宮内庁のホームページなどで参観案内として予約が必要です。天皇家がお住まいになられる吹上御所やその他の住居部分は一般人は入ることはできません。今回ここで紹介するのは東御苑の部分です。私自身はやはりワシントンD.C.のナショナルモールを巡った後、日本人として一度は日本のナショナルモールと言うべき東京の皇居を見ておきたいと思いまた同時に、フリーメイスンリーのシンボルについて何かヒントは無いかと訪問したのです。
いいわけになるかもしれませんが、やはりフリーメイスンリーの理想を言っても人間としてナショナリティー、日本人としての意識が存在する事は否めません。ワシントンD.C.のナショナルモールはいかにフリーメイスンリーのシンボルにあふれているとはいえ、やはり日本人としてはあれはアメリカ国民のためのものであると意識せざるを得ないのは間違いありません。日本人が日本教とも言える民族教、日本人としての同一意識の上にフリーメイスンリーを捉えるとき、明治維新以降の天皇中心とした立憲国家として新しい国造りの首都となる東京のシンボルである皇居は一つ確かめておきたい建築物である事であるかと思います。

そういうわけでワシントンD.C.を訪問してしばらくたってから皇居東御苑を訪問した時の記録です。実際には三の丸尚蔵館で坂本龍馬が裏書きした薩長同盟の署名を公開していたのでそれを見に行ったのでした。

皇居の御堀です。ナショナル・モールとはちょっと違います。ただ石垣の広大さと堀の深さと堅実さは大阪城や姫路城、福岡城などと比べてもさすがに一番です。

和気清麻呂像です。とにかく皇居はランナーが多いですが、ワシントンD.C.とよく似た感じというにはなかなか難しいです。いわゆる歴史上の皇室における忠臣というものが皇居周辺の銅像として選ばれているようですが、神話や伝承によるものが多いようです。以前も鎌倉のフリーメイスンリーのシンボルの話で挙げましたが、後醍醐天皇の皇子が閉じ込められたとする土牢で有名な鎌倉宮なども明治維新以降の天皇主権のもとで整備されました。そういういわゆる皇国史観のもとでの神話や伝承に基づく一つの象徴なのだと思われます。孝明天皇が尊重したなども影響しているようで、道鏡伝説など幕末の江戸の町人文化を主体とする俗説に基づいた、代々の天皇の好みなどがこうしたものに影響しているようにも考えられます。

平川門だと思います。皇居はやはり日本人にとっては特別で、いわゆる公園を訪問する格好の人はいません。皇居外周のランナーの格好の方は誰もおらず、日本人ではほとんどが特に女性の高齢者です。華美ないかにもなファッションの人はいません。家族連れではブレザーを子供が着ていたりしています。外国人は非常に多いです。

入ると一番目立つ建物がこれです。
桃華楽堂といい昭和天皇の皇后である香淳皇后が音楽好きで作らせたという建物です。
フリーメイスンリーのワシントンD.C.の建物を見てきた直後では、そういう象徴の装飾に憧れたちょっと意味不明の建築というのが率直な感想でした。
日本の高齢女性には好かれるものがあるのかと思いますが、私には率直に言って極めて異様な建築でした。ただ東御苑で最も目立つ建物であり、様々な象徴的な日本の文物の壁画に囲まれていることからも、何らかの香淳皇后におけるフリーメイスンリーの理解、女性であればイースタンスターの理解が関与しているのではと推測されるものであるかと思います。詳しくは宮内庁のホームページをご覧ください。香淳皇后においては敗戦間近の時期に香淳皇后名で一千万スイスフランをスイスを通して赤十字に寄付したなどの逸話や、叔父にブラザー東久邇宮稔彦王がいたり、また戦後は赤十字活動を熱心に行うなどフリーメイスンリーにまつわる影響があったものかと考えられますが、一方で子女を先に亡くされたり、宮中で今城誼子という新興宗教にまつわる人物を重用したりと様々な逸話があり、それらの人物像がこの建築物の設計に反映されているものかと思われます。

さて桃華楽堂の反対側には完全な江戸城の天守閣跡があります。皇居と思って入ってきているので、明らかに江戸時代の江戸城の象徴が残されているのは少し驚きですが、東京が江戸である事を強く思わされます。


実はここには日本人の多くが知らない秘密があります。最近は知っている人も増えているかもしれませんが、実は江戸城には江戸時代そのほとんどの期間において天守閣が存在しなかったのです。
江戸といえば火事と喧嘩は江戸の華と呼ばれ、火事が多かった事でも有名ですが、その三大大火の最初の明暦の大火、いわゆる振袖火事という通称で呼ばれる大火で焼失しその後再建されなかったそうです。1657年から1867年までの210年間江戸城には天守閣が無いままでした。現在の天守閣の石垣にもその時の火事の焼け焦げの跡を残しているようです。
明暦の大火については数か所から時間をおいて出火していることからも幕府による再開発のための故意による出火との疑いがあります。約10万人が死亡した江戸時代最大の火事であったようで、その災禍を忘れないようにという目的もあって恐らく天守閣の再建がなされなかったものかと思われます。
フリーメイスンリーに関しては明暦の大火に匹敵する大火として1666年に起こったロンドン大火があります。ほとんど死者は無かったそうですが、この大火を教訓としてロンドンでは石造りの建造物が義務となり、その後の再開発計画でいわゆる実務的フリーメイスンリーの時代の代表的な建築物としてのゴシック建築のセント・ポール大聖堂などが生まれました。また都市計画によりペストや伝染病の流行が終焉し、これらの出来事を境にしてその後ニュートンや、フックなどの王立協会所属の科学者による数多くの発見、発明が生まれていきます。
恐らく9年の間をおいてですが、長崎の出島などを通して江戸の大火の災禍がロンドン大火の事件に何らかの応用をされた可能性はあるかと思います。前述のようにウィリアム・アダムスなどの存在から江戸時代には日英の間には相互の十分な認識があったと思われるからです。
アメリカでは1871年にシカゴ大火という大火災があり、これもやはりその後の木造建築から石造や鉄製建築ブームのきっかけとなったそうです。

過去の大火として世界三大大火と言うとこの明暦の大火、ロンドン大火と、ローマ大火となります。
ローマ大火はローマ帝国の西暦64年ネロ帝の時に起こったローマの大火事です。ネロ帝は暴君として有名ですが、陰謀論でも有名な新約聖書の666の獣の数字の表わす皇帝としてキリスト教では象徴的な皇帝です。ローマ大火ではネロ帝が放火したとの噂があり、結局その罪をキリスト教徒になすりつける事でキリスト教の迫害の最初とされるのですが、再建計画で結局ネロ帝の有名な黄金宮殿を建築したことからネロ帝による放火の疑いは消えなかったようです。結局ネロ帝は若くして狂乱し反乱にあい死ぬのですが、この死によりローマの平和は終焉し、ローマ帝国は混乱期に入っていきます。

日本の江戸・東京ではこの明暦の大火を主とする江戸の大火、関東大震災、東京大空襲で多くの建物と人命が失われ、その度に新しい都市開発で再生しています。恐らく良く言われるように当時の江戸は世界で一番の大都市であったとされる人口稠密地帯であり、明暦の大火は恐らく
ローマの大火などと比較して人口などの規模で最初の大都市の大災害であった可能性があるかと思われます。自然災害では記録に残るものとしてはポンペイの火砕流などがあるかと思います。

大奥の石室とされます。物置と強調されますが、恐らく石牢であったのだろうと容易に想像されます。要するに天守閣跡とともに封建制における圧政の象徴として石造りの建造物が残され公開されているのが現在の東御苑公園の目的かと思われます。それはやはり明治維新を成し遂げた朝廷側からの皇国史観であるとも思われます。まあ江戸時代も封建社会も民主主義も理想はともかく現実はというところで、江戸時代においても恐怖や圧政の象徴として石造りの建物を利用した事は容易に想像できます。実際にそれを石牢として運用してあったかどうかは別として、そういう効果は日本的なやり方としてあったかと思います。やはりそれは東と西の違い、東と西の邂逅はどの時代においても普遍的なものかと思われます。

本丸跡の芝生には外国人しか寝転んでいません。
やはり日本と西欧諸国との間には王権と市民の認識に未だ違いがある事の象徴でしょうか。
人の数は天気が良いにもかかわらず閑散としています。やはり現代の日本人にとっても皇居は特別な場所なのでしょうか。


これが一応表題のフリーメイスンリーのシンボルではないかというものです。東御苑の中で唯一のオブジェかと思います。恐らく三代の歴代天皇を模した三つのラフアシュラーではないでしょうか。
ひっそりと陰に隠れるように置かれ、特に説明は見つけられませんでした。私としては今上天皇陛下がフリーメイスンとなりこの地に日本の新しい象徴となるオベリスクを置いてほしいものかと思います。もしくは江戸城天守閣跡か本丸跡の上にそのまま大理石のピラミッドを作るというのはどうでしょうか。


彼岸花の咲く季節でした。様々な建築物があります。


この後の大手門近くにある三の丸尚蔵館では薩長同盟の裏に書かれた坂本龍馬の署名が展示されていました。

大手門です。

櫓が残っているのみです。

建物の間からきちんと東京タワーが見えます。計算されているものかと思います。

規模は福岡城よりも大きいですが、石積みの造形美はやはり福岡城の無駄のなさとは違うかと思います。

この時は二重橋は中国人観光客でいっぱいでした。

鷺がいました。桜田門ですかね。


さて皇居はここまでです。この後たまたま靖国神社まで行きました。靖国神社には特にフリーメイスンリーと関連するものはありませんが、日本の艦上爆撃機彗星に触ることができ、スミソニアン博物館に展示されているアメリカの戦闘機ヘルキャットと比較ができました。

靖国神社の鳥居です。

大村益次郎の銅像です。彼は以前に出した適々斎塾の塾生でした。陸軍の徽章五芒星をおそらく決定し、日本陸軍の礎を築いた後明治初期に暗殺によって若くしてこの世を去っています。医師でありながら国家の軍隊の長官となった人は歴史上他に居ないと思われます。


二の鳥居三の鳥居があります。

遊就館です。入場料は取ったと思います。

零戦が置いてあります。これは触れないと思います。


悲壮な展示が続きます。同時に展示されていたのが蒙古襲来の神風の関連でした。


特攻兵器回天、桜花の展示です。何とも言えません。恐らく日本でスミソニアン航空・宇宙博物館に対応するものがここ遊就館になるかと思うのですが悲壮の限りです。

この展示してある彗星が触れるものであったかと思います。ペラペラでした。酷いものです。


もちろん戦車は軽自動車みたいな装甲です。本当に酷いものです。現在の北朝鮮以上の状態で戦争に突入した事がわかります。

ワシントンD.C.にも神社があれば日本人がもっと来るかと思いましたが、皇居もオベリスクやピラミッドがあればもっと普通に日本人も外国人も訪れるようになるかもしれません。
いずれにしてもワシントンD.C.のナショナルモールと同じく、日本人も日本人のアイデンティティーを確立する一つの象徴として皇居やその周辺の建物を見学する事は明治維新後の日本の歴史を知るために重要なものかと思われます。ナショナルモール程とは正直望めないと思いますが、もう少し整理して整備し、多くの日本人が自らの国と歴史、将来について自信を持てる工夫が必要なのではないかと思わされました。

フリーメイスンリーのシンボルは三個のラフアシュラーのみでした。坂本龍馬の裏書きに込められた意味は何でしょうか?坂本龍馬の再評価は明治天皇の皇后の夢枕に立ったのが最初だとされています。我が国におけるフリーメイスンリーの今後はどのようなものとなるでしょうか。

春の雨も過ぎ好天が期待される残りのゴールデンウィークですが、日本のナショナルモールとも言える皇居、靖国神社周辺は行楽客が非常に多くなるとは予想しがたいかと思います。是非この機会に一度訪問されてはいかがでしょうか。


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