2018-11-18 10:20 | カテゴリ:本について
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー

湯河原に引っ越してから久々の書評ですが、出版は1997年という事で、橋本龍太郎内閣の時という事で、隔世の感がある約20年前の本を改めて今年読了したわけですが、イングランドグランドロッジ後援という事で、オーストリアフリーメイスンリーについてもっとも詳しい、しかもアンダーソン憲章についても触れている、一連のブラザー片桐三郎の「フリーメイスン」本の一つであり、ブラザー渡邊一弘が亡くなられた後の日本のフリーメイスンリーを占う内容といえるのかもしれません。

著者の方は兵庫県出身で一橋大学経済学部卒業後大阪商船に勤めていたとあり、また作曲を二人の日独の音楽家に学んだという異色の経歴の方で、また出版はこの本とモーツァルトについての訳書だけであるという、恐らくドイツ語に極めて長けた(追記:訳書は英語の本であるようなので英語のようです。)、現在も作曲活動をされているとのことで、音楽的にも極めて興味深い経歴をお持ちの、いかにもフリーメイスンリーという、若干ブラザー片桐三郎と似た経歴のような方のようです。一橋大学卒業という事で出身地とともに、日本では神戸のロッジやスクエア・アンド・コンパスロッジの近縁という事になるのでしょうか。講談社現代新書という事で、非常に読みやすくできていて、イングランドグランドロッジ後援という事で、ブラザー片桐三郎の本がスコットランドグランドロッジ、竹下節子氏の本がフランス大東社と並んで、日本におけるフリーメイスンリーの本の個別のグランドロッジが後援した本として、その違いと共通点が分かりやすい本といえるのかと思います。

さて本の内容についてですが、基本的にはフリーメイスンリーの紹介、オーストリアの政治と啓蒙主義の時代のフリーメイスンリーロッジの展開、ロッジメンバーの内容については全面的にイングランドグランドロッジの情報提供の翻訳という形で成り立っていると思われました。もちろんその意図については、その後のオーストリアフリーメイスンリーの消退と第一次世界大戦後の復興とロシアへの共産主義の伝播、ナチスの出現とシオニズム、そして第二次世界大戦後の復興という歴史を踏まえての情報提供なんだと思われます。それらすべてにブラザーモーツァルトが関わるというのが、フリーメイスンとしてのブラザーモーツァルトの全体像なわけですが、そう考えるとブラザーモーツァルトは音楽家としてよりも政治家、啓蒙主義の貴族としての役割が大きくなってくるわけで、その際には、彼の音楽家としての出自とその短命さ、フリーメイスンリーロッジでの暗殺を思わせる急死につながるわけです。

まあブラザーモーツァルトが音楽の演奏や作曲を武器として政治を行ったといえば、極論になるわけですが、ヨーゼフ2世との関係や、ブラザーフランツ1世、マリア・テレジア、ブラザーフリードリッヒ2世といった面々と、音楽の関係や、その後のブラザーモーツァルトの死に関係したであろうレオポルト2世やその後のオーストリア王室の流れ、プロイセンからドイツの流れを見れば自明であるわけで、そこにはさらにベートーヴェン、シューベルト、シューマン、ブラザーリストやワーグナー、ブラームスとつながる、いわゆるクラシック音楽と呼ばれる今日の音楽芸術の基礎があるわけで、ブラザーモーツァルトの音楽的な偉大さと相反するその短命さは、明らかにそのフリーメイスンとしての啓蒙貴族としての政治活動の結果としての政治的闘争の結果であったと推測せざるを得ないのかと思われます。

今年は第一次世界大戦終結後100年であったわけですが、第一次世界大戦はまさにサラエボの一発の銃声から始まったわけであり、トルコとの戦争から帰還したヨーゼフ2世が失意のうちに亡くなり、一方でブラザーモーツァルトの不朽のピアノ曲であるトルコ行進曲の存在と、まあ複雑なヨーロッパの政治と民族の背景に、トルコの地というのは隣接するオーストリアやギリシアの地にヨーロッパの入り口や出口として複雑さを増すわけで、そうした民族的多様性、歴史的多様性がまさにウィーンの文化を形成し、ブラザーモーツァルトの音楽を形成し、そしてその活動がフリーメイスンリーの多段階位や、国際協調主義の源となったという事はあるのだと思われます。

まあブラザーモーツァルトの啓蒙主義活動家としての活動ばかりに焦点が当たってしまいますが、本の後半部分の音楽的にはもちろん原典が私はまだ読んでいませんが、キャサリン・トムソンという方のモーツァルト研究における古典がベースになっているようで、それに最新の研究を当てはめるという記述になっているようです。ブラザーモーツァルトの音楽的フリーメイスンリー表現の源流はそもそもブラザーヨハン・ゴットリープ・ナウマンにあるようで、そもそもアンダーソン憲章にも音楽があるように、音楽とフリーメイスンリーとの親和性は高く、それはそもそもキリスト教からきているのだと思われますが、バッハなどを見ても自明なところから、音楽のシンボリズムはイエズス会によって強められて、名前のシンボリズムの共通性などから、ブラザーヨハン・ゴットリープ・ナウマンからブラザーモーツァルトへと恐らくザルツブルク大司教によって引き継がれ、その後はチャイコフスキーや、最大のところではドヴォルザークなどに引き継がれていくようです。

またオーストリアフリーメイスンリーロッジの内幕として、高位位階のバラ十字会系のややオカルト的なものと、イルミナティ系の啓明結社の対立が描かれていましたが、まあ実際にはイルミナティ系がイエズス会系、バラ十字会系が修道会のフランシスコ会系であったのだと思われます。スコティッシュライトの18階位と33階位に反映されるものと思われ、魔笛の18のシンボリズムとの対応があるようです。またブラザーモーツァルトのフリーメイスンとしての活動としてはやはりプロイセンへの旅行と、その後の借金訴訟、そしておそらくそれはブラザーモーツァルトのヨーゼフ2世とレオポルト2世に対する政治活動の対峙であり、それはそもそも父母王のブラザーフランツ一世とマリア・テレジアの馴れ初めであり、ブラザーフリードリッヒ2世の存在であり、プロイセンとオーストリアの関係であり、啓蒙専制君主としてのブラザーフリードリッヒ2世の象徴としてバロックフルートの存在があり、ブラザーモーツァルトの作曲としてフルートの曲が少ない割に、最後の魔笛のオペラの存在があり、そこにはブラザーモーツァルトの馴れ初め、コンスタンツェとその姉、またナンネルや、父親、母親との関りが出てくるかと思います。それらが結果としてヨーゼフ2世の死とそれに引き続くブラザーモーツァルトのプロイセンへの渡航とピルリッツ宣言からのフランス革命戦争の勃発からの政治的な失敗と死、その後のレオポルト2世の死へと繋がるようです。ちなみに高位位階団体として出てきていたアジア盟友団はユダヤ人を加入させたとして有名なようですが、初期のイングランドグランドロッジでもユダヤ人の加入があったとあり、そもそもルターの宗教改革から始まって、いわゆるキリスト教の啓蒙活動の系譜は旧約聖書を理解することがその核であり、それはユダヤ人を知ることであり、それは現在のフリーメイスンリーに繋がるものと思われます。

いずれにしてもブラザーモーツァルトが生きた時代はイルミナティが勃興し、大陸フリーメイスンリーが普及し、アメリカ独立戦争と、フランス革命という、啓蒙運動と社会革命運動がリンクした激動の時代であり、その中で不朽の音楽作品を数多く残し、影響を与えたフリーメイスンの存在を実像でとらえることが、フリーメイスンリーを抜きにしては著しく困難であり、それはその後の近世、近代のヨーロッパ社会を見る上でも同様であり、今日のヨーロッパの社会、政治を見る上でも同等かそれ以上であるという事かと思われます。

さて本日2018年11月18日は81118の回文数であることもそうですが、イルミナティの創設者ブラザーアダム・ヴァイスハウプトの命日である1830年11月18日から188周年という事で、日本では政権与党である公明党の支持母体である日蓮宗系新興宗教団体創価学会の創立記念日1930年11月18日から88年という事で、まあイルミナティの記念日との偶然の一致があるわけですが、創立者の牧口常三郎氏が獄中死したのも1944年11月18日であったという事で、原始仏教とアレクサンダー大王の東征後の新約聖書、キリスト教の成立と、その後の大乗仏教、法華経の成立の関りという、ユーラシア大陸の東西の世界宗教の成立にまつわる話にもなるのかと思いますが、そういう記念日にふさわしいブログとなったでしょうか。

(追記:ちなみにフリーメイスンリーでのブラザーモーツァルトの双璧として挙げられるブラザーロバート・バーンズですが、ほぼ同時代の人物であり、やはりその詩はフランス革命やアメリカ独立戦争を鼓舞する政治的な暗号であったようです。死因についてもブラザーモーツァルトと同様の経過をたどっており、フランス革命とアメリカ独立革命を支援する東西の強力な2つのメディアであったようです。)
(追記:スコティッシュライトの成り立ちを考える際に、ブラザーモーツァルトらの活動したオーストリアグランドロッジのフリーメイスンリー活動は非常に参考になるかと思います。ハプスブルク家の領域であり、バラ十字団の活動とイルミナティ、アジア盟友団の活動が相まって、33階級を形成し、スコットランドの名前を冠してハプスブルク領の新教国であるオランダ人によってアメリカ大陸にもたらされ、真夜中の騎行で知られる、ブラザーポール・リビアによって現在のノーザンジュリスディクション、北部管轄区が形成され、その後オッドフェローズからKKKを成立させたブラザーアルバート・パイクによってサザンジュリスディクション、南部管轄区が南北戦争後に形成され、さらにそれが世界管轄区に広がっていく経過となっています。カトリックとプロテスタントがモザイク状に存在する神聖ローマ帝国の領域で、ユダヤ人や多民族を交えてそれぞれの独自の民族文化を尊重しながら連合国家を形成するハプスブルク連合王国が繁栄したのは同族婚や政略結婚の成功と、多産であったことなどが言われていますが、そういう連合王国の中での移動の自由や職業選択の自由がついには宗教的自由や身分の自由を求める風潮となり、それらはフランス革命やアメリカ独立革命を成り立たせる自由の風潮ともなっています。また基本3階級を原則的に固持する姿勢を持ったイングランドグランドロッジに対して、スコティッシュライトの発祥の地ともなったフランスなど大陸のフリーメイスンリーが常に多段階位を並立していったことと、そこにはイエズス会や多くの修道会、ユダヤ人居住地が多くあったり、イスラム教徒の流入が常にあったり、ロシア正教会やギリシア正教会など他のキリスト教の影響もあるなど、宗教的にモザイク状であればあるほど、多段階位が発達する傾向も見て取れるかと思います。ブラザーカリオストロ伯のエジプシャンライトなどもフランス革命にまつわるフリーメイスンリーの一つの多段階位の極致のようでもあります。現在のEUからのイギリスの離脱交渉もこうしたフリーメイスンリーの多段階位と基本三階級の話で捉えると、移民問題などと含めて、ブラザーリヒャルト・クーデンホーフ=カレルギーがEUの父などとされることなども含めて、様々に想像されるかもしれません。)
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