2012-05-24 10:22 | カテゴリ:横須賀
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
さてでは実際の聖ヨゼフ病院について見ていきましょう。
そもそも関東大震災後に市役所や小学校の跡地に海軍病院として発足し、戦後に聖ヨゼフ病院としてGHQの指導のもとに改編された聖ヨゼフ病院に、ユダヤ教とキリスト教をつなぐ存在としてのダブルミーニングのヨセフを象徴するような証拠とも言える謎はあるのでしょうか。

実は聖ヨゼフ病院には左右に諏訪大神社と曹洞宗龍谷山良長院が隣接していて、すなわち日本の伝統宗教としての神道と仏教の神社と寺院に囲まれる形となっています。

諏訪大神社に関しては三浦氏の時代に始まり、その後横須賀の神社として村人の信仰を集め、さらに明治以降は軍港としての土地柄から徐々に神社として格を上げ整備されていたようです。中にはやはり走水神社のごとく大鳥神社、稲荷社、天王宮、伊勢皇大神宮、東照宮、天満宮の合社があるようで、そもそも諏訪神社自体は出雲大社から分かれたいわゆる出雲の国譲りで最後まで抵抗した神様が由来だそうで、北条氏が好んだそうです。外には猿田彦(天狗の由来)を祭る碑もあり、要するに神道の様々な神様が合祀されているという事かと思います。やはりキツネ、鳥、猿など山の動物を主体とした信仰や、伊勢神宮以外のそれ以前の信仰を由来とする神や地方の神を全て合祀している特徴があるのではないでしょうか。

また良長院に関してはもともと現在の米軍基地内の土地にあったものが、戦後に現在の場所に移築されたとあるブログでは書いてありますが、どうも元々鎌倉時代から江戸時代程度までは泊浦に城跡がありそこが良長院のおおもとであったようですが、江戸時代頃に現在の場所に移ってきていたようです。つまり戦後の米軍が横須賀にやってきた時点では諏訪大神社と良長院はそれぞれ旧海軍病院の海仁病院を挟むように存在し、その海仁病院を聖ヨゼフ病院に改修しその際にキリスト教の聖堂を付設したか改築したようです。つまり昭和の時点で神仏習合の象徴として神社と寺が並ぶように存在し、その中央に政府の機関の象徴として海軍病院が存在したというわけです。(戦前の海軍自体にフリーメイスンリーの影響として三位一体を意識した病院の配置があった可能性はあります。)占領軍は特に胸像として残るブラザーデッカー司令長官の下で横須賀の基地政策として最初に聖ヨゼフ病院を開院したそうです。ここまで来るとほぼ説明として出尽くしたものと思っていただけると思いますが、要するにこの神社、教会、寺の並びがほぼ一直線に並んでいるという事が一つあるという事です。そしてそれが基地の門、象徴としての門と重なるわけですが、そことホテルの上の自由の女神像の中間に向かって線を引く事ができ、二つの線を合わせてこのブログでは何度も出てきた初期の十字の一つであるタウ十字の形となります。(タウ十字の下の線の頂点の地点によこすか平安閣があります。平の字自体も平和を構成する字であり、タウ十字とも似ていてシンボルと似ているものとされるようです。この事は平成の元号や平成町の名前にもつながるようです。よこすか平安閣は結婚式場であり、蝶々夫人のオペラのような発想ではないでしょうか。)そしてそのタウ十字はフリーメイスンリーでのいわゆる宗教の知恵を象徴するシンボルであり、初期ユダヤ教の象徴でもあり、キリスト教のシンボルであるいわゆる十字の元になるものと考えられる一つの原始十字です。このシンボルの造形を裏打ちするように最近になって整備されたベースのゲート前の歩道橋が、ショッパーズプラザの前のΧΡの歩道橋と同じくT字になっているのが下の通りグーグルアースでは認められます。

これはすなわち戦後の日本においてフリーメイスンリーを主体とするアメリカのGHQが占領政策として戦前の神仏習合した日本の宗教に新たにユダヤ教とキリスト教の知恵を付加し、さらにそれらを中心に据える事でシンボリズムの持つ力、それを日本に力強く植え付け、さらにアメリカ軍基地の門にそれらが合わさって導かれる事で、それらの教えを理解したものがアメリカを通して世界に扉が開かれるという象徴という事になる、いわゆる三笠公園のアーチの門の象徴の意味と同じ事になるのだと思います。以上で一応聖ヨゼフ病院に込められた謎についての内容については終わります。基本的にヨセフという人物名にそもそも多くの謎が込められているという事になるかと思いますが、それ自体は日本人にはキリスト教、ユダヤ教の存在が極めて遠いことから、前提となる知識となる聖書の通読がまず必要になり、さらにその上で再び日本の神仏習合や出雲の国譲りの逸話や八百万の神に認められる様々な宗教的寛容と重なるという、開国から軍国主義、敗戦から戦後という日本の歴史そのものと重なる様々な変遷をそのまま象徴するシンボルと考える事が出来るかと思います。
聖ヨゼフ病院に関しては逗子の池子米軍住宅地前への移転の話などが反対運動で立ち消えになったなどの実際の近近の逸話もありますが、それも含めて出エジプトのファラオの心変わりのごとくシンボルの意味とその重要さ、それらが現在の横須賀や日本とアメリカを象徴する存在である事を改めて強く印象付ける、恐らく横須賀でフリーメイスンリーが最初に刻んだ最も重要で最も象徴的なシンボルなのではないかと思われます。(11/18追記:シンボルについてはブラザーヴェルニーの観音崎灯台がありますしそもそもブラザーヴェルニーによる横須賀ドックが最初の建築である事は間違いありません。戦後、アメリカ系のフリーメイスンリーによるというところでしょうか。そうするともちろんブラザーペリーの上陸記念碑が先になるわけですが、それらの他というところになるかと思います。なかなか横須賀はフリーメイスンリー的には恵まれています。)
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