2012-08-07 07:52 | カテゴリ:横須賀
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
ブラザーヴェルニーの手がけた建築の代表的なもので、横須賀ドックに引き続いて走水水源からの水道、そしてこの観音崎の西洋式灯台を日本で最初に作ったわけですが、恐らくフランス出身でフランス大東社の当時ナポレオン三世時代でフランス大東社も全盛時代であるようですが、カトリック信仰が盛んなフランスですので、観音崎という名前と観音信仰とマリア信仰の類似を感じるでしょうし、そこに作る最初の光の導きとなる灯台は、極東の日本に神の導きをもたらす意識で作られたのではないでしょうか。
IMG_1546.jpgIMG_1547.jpgIMG_1548.jpgIMG_1871.jpgIMG_1872.jpgIMG_1873.jpg
その後数多くの灯台をスコットランド出身のお雇い外国人のリチャード・ブラントンが作るわけですが、恐らくこちらの方もフリーメイスンであったかと思われ、フランス大東社および英米系フリーメイスンリーの明治維新当初よりの共演が盛んにあったものかと思われます。
観音崎灯台は明治元年11月1日に着工されたそうで、完成が明治二年2月11日(旧暦1月1日)という事で、いずれも建築と日付を大事にするフリーメイスンリーのやり方に乗っ取っているものかと思われます。恐らくブラザーヴェルニーとともに日本に来日した多くのフランス人技師たちもほとんどがフリーメイスンであったのではないでしょうか。

先日やっとここの灯台に登れたわけですが、やはり中は螺旋階段にかなり無理くりに三層構造になっていました。ブラザーヴェルニーが作ったものは教会のような形で、恐らく教会の形を意識して作られたのではないでしょうか。関東大震災の半年前に地震で崩壊し、そのために建て直されたそうですが、結局半年後の関東大震災で崩壊し、さらに三代目が現在のもので建てなおされたようです。
IMG_1874.jpgIMG_1875.jpgIMG_1876.jpgIMG_1877.jpgIMG_1878.jpgIMG_1879.jpgIMG_1880.jpgIMG_1881.jpgtoudairenga610071.jpgtoudaizangai306101.jpg
ブラザーヴェルニーの作った灯台を巡って地震や建築など様々なやり取りがあったとも想像され、恐らくフリーメイスンリーの建築として日本に作られた最初のシンボルと考えられ、北海道の五稜郭とも対応してなかなか相当のこだわりがあったのではないかと思われます。(ちなみに北海道にある最初のオベリスクと考えられる建築は榎本武揚が五稜郭の戦いの戦死者を祭った塔のようです。市章との関連もこうやってシンボルの建築と関係していくと徐々にはっきりとしていきます。)
碧血碑
恐らくこの灯台の建築と地震による崩壊を含めて、その時代の日本のフリーメイスンリーはまさに大きな転換期であり、決定的に運命が決まったのが保安条例によるいわゆる日本人の入会を禁止する紳士協定であったのではないかと思われます。それらと同様のものが2011年の東北大震災の時期にあったのかはわかりませんが、恐らく同様のものがあったものかと思われます。神は常にいつの時代にも全てを見ているのだと思います。

さてこの灯台の近くに以前も螺旋階段のシンボルで触れた開館5周年の横須賀美術館があるわけですが、現在ストラスブール美術館展を開催しています。ストラスブールがどこにあるかというと、あのヒトラーのアルザス・ロレーヌ割譲で有名なアルザス地方にあるそうで、なかなかいわくつきの美術館のようです。
ピカソやゴーギャン、ブラック、マックスエルンストやシャガールなど美術の教科書に出てくる有名どころの小品や大作など、東京でやれば連日行列ができそうな内容ですが、横須賀観音崎だと果たしてペイできるのかどうか不安になるような感じです。内容は非常に充実していますので、中学高校生までの自由研究などでは良い題材ではないでしょうか。非常に充実した内容ですが、いったいどんなコネがあるのかと考えてしまいますが、フランス女性の特に斜め45度を意識したような肖像画が多くなんとも美に対する意識が固定化しているようで、横須賀的嗜好というものを感じさせます。
IMG_1870.jpg
さて観音崎も色々あって一日かかって回ってもなかなか面白いところなのですが、いかんせん都会から来た方には色々地方色が強くすぐに飽きてしまう可能性もありますので、少し三浦半島をさらに奥深くまで潜入して行ってはいかがでしょう。観音崎灯台のさらに岬の先の方は防衛省の管理地になっていて何やら石碑が建っていたりします。入口にはこれまたフリーメイスンリーのお決まりのシンボルである碇が丁寧に置かれていて、どうも観音崎灯台と地震崩壊など日本の国土防衛にまつわる問題か何か秘密があるのではないかと思わせる配置となっています。
IMG_1882.jpgIMG_1883.jpgIMG_1884.jpgIMG_1885.jpg
あの良くある世界人類が平和でありますようにという白い棒もオベリスクの形なのですね。生長の家から派生した宗教団体の活動のようです。
初代の灯台が崩壊した地震は関東大震災の半年前の地震で、浦賀水道の直下型の地震でまさに被害は初代灯台の亀裂であった模様です。
(観音崎には京急ホテルもあり、入浴やスパもあり、料理もおいしいようです。メインの建物がピラミッド型の屋根になっており、こういった建築も京急の発展に役立っているのかもしれませんね。ボードウォークからランドマークタワーやスカイツリーも望む事が出来ます。)
IMG_1886.jpgIMG_1887.jpgIMG_1888.jpgIMG_1889.jpgIMG_1890.jpg
さらに南に下ると鴨居という土地があり、この土地には神社や寺が比較的多くあるのですが、会津藩との関わりもあるようです。
IMG_1549.jpgIMG_1550.jpg
さらに南に下るといわゆる開港の地として有名な浦賀に当たるわけですが、この地には東叶神社と西叶神社という渡しを挟んで二つの神社が向かい合うようにあり、町の形式自体が東西の邂逅の形となっています。どうもそもそも隠れキリシタンなどもいたようで、浦賀の開港の地と言うのは相当なバックグラウンドがある模様です。そもそも浦賀には燈明堂という江戸時代から存在する和式の灯台もあり、この場は行くとなかなか面白いのですが、江戸時代の首切りの刑場であったそうで、南無妙法蓮華経と書いた大きな石塔が建っています。海上交通の要となる灯台の場所が首切り場であり、元寇を予言した日蓮が開祖の法華宗の題目を書いた石塔が建っているという、なんとも江戸時代の外海に対する社会の姿勢をある意味端的に表現したような対比が観音崎灯台と比較して感じられます。
IMG_1551.jpgIMG_1552.jpgIMG_1553.jpgIMG_1555.jpg
IMG_1786.jpgIMG_1787.jpgIMG_1788.jpg
さてここ浦賀の東叶神社には何やらいわくつきのフリーメイスンリーと関係あるようなないようなシンボルがあります。そもそも東叶神社は鶴岡八幡宮の系譜を引き継ぐ八幡神社のようなのですが、反対側には源八郎為朝と関係する為朝神社もあり、為朝と言えば荒くれ者の弓の達人で、伊豆大島に流された話や、沖縄で王様になった伝説などある源氏でも義経と並んで伝説の多い平安末期の武者です。東叶神社もなかなか急峻な裏山への階段を背負った立派な作りの神社で、登っていくと途中にイギリス風の喫茶店があったりと、鎌倉の寺社を思わせるような国際的であり、勝海舟が咸臨丸で海を渡る前に籠ったとか逸話があります。
IMG_1554.jpgIMG_1556.jpgIMG_1557.jpg
そして一番高いところに上るとなぜかいきなり立派なオベリスクがあり驚きます。一体どんな関連なんだと見るとなんと大正時代に住友造船所で何やら大きな事故で死傷者が出て、その鎮魂のためにこの三角柱の変型オベリスクが建てられたという事です。なんとも日本のフリーメイスンリー的にもかなり貴重な特殊な建築ですが、住友の家紋がフリーメイスンリーのシンボルとよく似た菱形である事もあり、なんとも感慨深い大正時代を濃密に感じさせるシンボルとなっています。
IMG_1558.jpgIMG_1560.jpgIMG_1561.jpg
実はこのオベリスクとそっくりの三角柱のオベリスクが葉山の御用邸前にも存在します。恩光碑と言って、昭和11年に建てられた皇太子の葉山行啓を記念した碑だそうです。碑文はあの明治憲法記念碑でも出てきた、明治憲法を夏島で作るのに参加した金子堅太郎氏のものによるそうです。葉山の御用邸と言えば、まさに大正時代の終わりを告げる、大正天皇がクリスマスのその日に亡くなった地であり、またブラザー林董が英国から帰国後不遇のうちに育ての親であるヘボン医師が日本で手術に成功した足切断術で病状が悪化して死亡した土地でもあります。現在葉山の元町と呼ばれる中心的な地にはスターバックスがあり多くの観光客がゆったりとした時間を満喫しています。また御用邸横にはしおさい公園という県立近代美術館葉山館と繋がるかつての御用邸の一部が開放されていて、大正天皇や昭和天皇が愛した庭園を散策して正面にある砂浜を眺められるようにできています。茶道の心得のある女性が抹茶をたててくれるお茶屋もあり、面白い事に抹茶の他には紅茶が注文できるというなんとも天皇家おひざ元を感じさせる庭園となっています。
IMG_1860.jpgIMG_1861.jpgIMG_0986.jpgIMG_0987.jpgIMG_0988.jpgIMG_0995.jpgIMG_0996.jpgIMG_0997.jpg
(八幡宮の中にある県立近代美術館鎌倉館については後々鎌倉探訪で取り上げます。)

フリーメイスンリーのシンボルをテーマとして三浦半島を見た際に、明治時代から大正時代という自由民権運動の時代、そして敗戦から戦後、そして現代の平成という時代に、デジャブとも言うべき自由、いわゆるフリーメイスンリーの再来があるように感じます。そういうテーマでこの土地を再確認して見ると、今日の混迷する国際情勢、日本の政治状況、社会状況をあらためて再考し、コンパスとなる指針が明確となるのではないかと、個々人の心に強く印象付けられるのではないかと思われました。
関連記事
秘密

トラックバックURL
→http://freemasonry.jp/tb.php/152-b6dfa837