2012-07-01 09:29 | カテゴリ:横須賀
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
碇のシンボリズムは案外重要なところで使われている、普通の知識だと見逃してしまう特別なシンボリズムです。港や海の近くに行くといくらでも実際に使っている碇があるのでシンボルとして意識する事は通常ないかと思われますが、ほとんどの碇についてシンボルとしての意味が付けられていると考えるのがシンボリズムとして正しいかと思われます。特にシンボリズムとして重要なのは、結局実際に使われていない碇の記念碑としての存在である際にはほぼ間違いなくキリスト教もしくはフリーメイスンリーのシンボルとしての存在であるというところです。
それだけ現代の航海技術というものがキリスト教やフリーメイスンリーの活動の下に発達し発展したものであるという事なのだと思われます。

横須賀においても街の象徴やシンボルとして図柄やアイテムとして様々なところで認めます。特に店舗のアピールや市のイベントなどで使われる事が多いようです。
実際の碇の実物を利用したシンボリズムは横須賀の中でもある一定の基準があるようで、やはりこのシンボルとしての特別さが表れているようです。
やはり最も目立つものは米軍基地の入り口にあるものかと思われます。
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これと対応するものが海上自衛隊の入り口にあるものです。海上自衛隊も戦後に米軍のフリーメイスン達が指導して設立された存在であり、戦前の海軍、陸軍にしても明治維新にフリーメイスン達が指導して設立したものであり、それぞれ碇や五芒星と言ったフリーメイスンリーのシンボルが含まれています。現在話題になっているF-35の導入問題などで取り上げられる航空自衛隊の設立には横浜ロッジに顔写真が飾ってあるブラザーカーチス・ルメイが設立に尽力しており、これに関して日本国から旭日大綬章を叙勲しています。彼は戦時中の日本の空襲を指揮指導した存在でもあります。フリーメイスンリーから日本の歴史を鑑みると果たしてこの国にとってフリーメイスンリーとは何なのか、今後どうなっていくのか非常に危ういものを感じずにはいられません。
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さてそれら日米のそれぞれ海軍基地の入り口に対応するように碇があるわけですが、それと対応するように三笠公園とヴェルニー公園という英仏日とそれぞれに友好を象徴する公園にそれらは置かれています。
まず三笠公園に関しては船自体が碇と対応するノアの箱舟の象徴となるわけですが、もちろんそれに付随して碇が設置されています。
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戦艦三笠にはもちろんシンボルにもなるコンパス(羅針盤)もあります。
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ヴェルニー公園に関しては元々臨海公園であった時代に中心であったと思われる海軍の顕彰碑がまとめられた桜の木の付近の一帯に新たに設けられた海軍の顕彰碑のそばにあります。
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さて横須賀には他には碇のシンボルは無いでしょうか?
碇のシンボリズムはかなり重要であり、港町横須賀といえども実際の使用している碇以外のシンボルとしての碇は案外少ないものです。ただし一般の店舗にシンボリズムとしての碇がありました。
魚藍亭錨
まあ地元の人は皆知っているかと思います。戦前の海軍工廠から貰い受けた由来の碇が塗りなおして置いてあります。もちろん戦前からシンボルとして置いてあるのでお店の人にしてみれば戦後のアメリカのフリーメイスンリーが持ってきたシンボルとは違うよという気持ちはあるのでしょうが、これももちろん重要なフリーメイスンリーのシンボルです。
ではこの碇の意味は魚藍亭を象徴しているのでしょうか?店に入ると確かに東京タワーの模型を置いてあったりフリーメイスンリーを意識したものとはなっているようですが、経営者が恐らくロータリーかライオンズクラブなのかと思われますが、フリーメイスンではないと思われます。ではこの碇が象徴する存在は何なのでしょうか?
恐らく崖の上の聖ヨゼフ病院を象徴しているものと思われます。聖ヨゼフ病院はカトリック系の聖母訪問会が設立した戦後の横須賀におけるGHQの都市計画の代表的な存在ですが、設立にかかわった聖母訪問会のブルトン氏はフランス系のアメリカ人で、本人も不治の病に冒されていたりとヨゼフ病院設立に関してもフリーメイスンリーをかなり意識してのものであったかと思われます。日本の敗戦に関しても8月15日が聖母降誕祭というカトリックの代表的な祭日であり、終戦記念日と重なったことから日本ではあまり知られる事が無くなったという事もあるようです。最終的な敗戦工作に関しては皇室とカトリックとの繋がりは有効に働いたようです。日米の開戦となった真珠湾攻撃の日は12月8日、これは釈迦が悟りを開いた成道会(旧暦12月8日)であり、太平洋戦争が一つの宗教戦争であったという象徴であるかと思われます。それら宗教の融和、平和の思想を体現したのがフリーメイスンリーであり、それが戦後の日米の関係を象徴し、説明するものかと思われます。神社と寺という日本の伝統宗教の間をつなぎ、さらにアメリカ軍の正門に繋がるタウ十字を形成する中心をなすユダヤ教とキリスト教を繋ぐ存在であるヨゼフの名前を冠した聖ヨゼフ病院をブラザーデッカーを代表する戦後のアメリカ基地を通したフリーメイスン達の活動が、今日まで残る横須賀の碇のシンボリズムの一つとなっているものかと思われます。もちろんそれは聖ヨゼフ病院の元となる海仁病院の設立や海軍工廠の存在など戦前の日本海軍の関係者の方々もフリーメイスンリーに関する活動があり、それらが現在の日本グランドロッジの水交社跡などにも反映されているものかと思われます。

ちなみに魚藍亭は現在横須賀で多くの店が行っている海軍カレーの発祥の店という事で、元祖海軍カレーの店としてアピールしています。その海軍カレーのパッケージには大きくこのシンボルとしての碇が認められています。戦前、戦後を通じた主に海軍を通した日米、日英、日仏、日印といった日本と世界との間を繋いだ港町の、食を通した平和の象徴としての存在が現在の横須賀海軍カレーとなっていると言えるのではないかと思われます。
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