FREEMASONRY
Blue Lodge, Scottish Rite & York Rite in Japan
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オベリスクと言えばエジプトが思い浮かぶかと思いますが、ワシントン記念塔を始めとして、All Seeing Eyeやピラミッドなどのエジプト文明の象徴からの、天への上昇の象徴としての尖塔として、フリーメイスンリーのかなり重要なシンボルです。やはり元々はエジプトの遺跡に認める象徴であったわけで、その後ローマ帝国で戦利品としての移築や、同様のエジプト建築の模倣としてのピラミッドや尖塔が作られて以降は、いわゆるオベリスクの形そのものへの回帰は基本的に認められず、バチカンのオベリスクのようにエジプトからの戦利品、輸入品としてのオベリスクであったかと思われます。それがやがてエジプト学の進歩に伴って、フリーメイスンリーを象徴する形となり、フリーメイスンの墓の形となり、ワシントン記念塔の形の記念碑となり、それはゴシック建築の尖塔と相まって、エッフェル塔のような高さを極める塔となったかと思われます。





これらの中で最もエジプトのオベリスクの形を残したフリーメイスンリーのシンボルは、エジプトのオベリスクそのものを移送したロンドン、ニューヨークに存在するクレオパトラの針と呼ばれるもの、ルクソール神殿のオベリスクを移送したパリ・コンコルド広場のオベリスクかと思われます。いずれもフランス革命後のエジプト学が非常に隆盛した啓蒙思想の時代に、エジプト太守のブラザームハンマド・アリーやその後のエジプトの太守たちがロンドンやニューヨークのフリーメイスンリーと個別にやり取りしてエジプトから贈られたようです。







オベリスクについて詳しく書かれたホームページによると古くから存在するいわゆる遺跡としてのオベリスクは世界に36本程しか無いそうで、それらのうち13本はローマにあるようです。やはりローマ帝国時代に戦利品としてエジプトから持ち出されたものが多いようです。ローマではやはりサンピエトロ広場のものが有名かと思います。イタリアのものはほぼ近代フリーメイスンリー結成以前に移築されたものであり、フリーメイスンリーとの直接の関係はないようですが、キリスト教とそれ以前のユダヤ教、古代エジプト王朝を結び付ける象徴であったのかと思われます。





遺跡ではない近代に入って作られたオベリスクは、ワシントン記念塔を代表としてほぼフリーメイスンリーによる記念碑であるかと思われます。アメリカにも多数認められるようですが、現地に行かれた人は良く知っているかと思いますが、南米のブラジル、アルゼンチン、ウルグアイ、ベネズエラにも大都市の目立つ所に巨大なオベリスクが建っており、これらの国々の建国に深くフリーメイスンリーが関与している事を象徴しています。








さてこのような記念碑としてのオベリスクですが、フリーメイスンリー関連では故人の象徴としての墓としての典型的な形でもあります。もちろんブラザーワシントンの墓もその形でしたし、ブラザーランファンのものもその形でした。日本でも横浜外国人墓地に個人のものや各国を代表した形の記念碑が認められます。インドの英国人墓地などにも多数認められるようです。




こうして見ると横浜ランドマークタワーも極めてオベリスクに近い形となるのですね。
また有名なフリーメイスンとしてはブラザーモーツァルトは共同墓地に葬られ、現在は夭逝を意味する折れた石柱のシンボルとなっています。作曲家の墓としてはブラザースメタナ、ブラザーサリエリ、ブラザーグルック、ブラザーチェルニー





のものがオベリスクであるようですが、必ずしもフリーメイスンが皆オベリスクの墓にするかというとそうでもありません。生前にフリーメイスンリーと接点を持ちながらフリーメイスンとはならなかった作曲家ルードヴィッヒ・ファン・ベートーヴェンの墓は以前はオベリスクではなかったのですが、最近になって立派なオベリスクになりました。死因や難聴の原因が鉛中毒であったなんてのもありますが、死後にフリーメイスンとして認められた典型例であるかと思われます。この辺りは詳しくは成書を参考にしてください。

またオベリスクの形は特にワシントン記念塔の建設以降は近代建築の高い塔としてのテーマの一つのシンボルとして選ばれるものとなっています。エッフェル塔はオベリスクそのものとは形が異なりますが、その建築術や高さからオベリスク状の建築物としてのシンボルであるかと思われます。同様のものがニューヨークのエンパイア・ステート・ビルになるかと思われます。これは明らかにオベリスクを意識した尖塔の形をしています。またワシントン記念塔以前のオベリスク状のゴシック建築としてはロンドンのビッグベンがあります。


これらを模して日本にも代々木のドコモタワーなどがオベリスク状の建築物となっています。またエッフェル塔を模した建築物が有名な東京タワーです。



横須賀にも実はオベリスクがあります。汐入の公園にひっそりとありますが、直接フリーメイスンリーが関与したわけではありませんが、横須賀の海軍工廠を主体とした当時の横須賀市が深くフリーメイスンリーと結びつき、フリーメイスンリーを認識していた事の象徴であるかと思われます。昭和11年11月11日移築と言ったところが当時の空気を強く反映していて、こういった建築がその後の日本の進路を決定していったように思われます。





オベリスクの守り神としてのスフィンクスのような猫です。
また現在もどぶ板通りの入り口、出口のところにはエンパイア・ステート・ビルの形のシンボルが建てられています。

また横須賀には東京タワーを模したような電波塔も市役所周辺にあります。

ビッグベンは最近エリザベス女王の即位60周年を記念して、正式名称のクロックタワーからエリザベスタワーに改称されました。またロンドンオリンピック後に開業予定のロンドンの新しいビルであるシャードロンドンブリッジはオベリスクと言うよりもピラミッド型をしています。これもまた観覧車であるロンドンアイとともに新しいロンドンのシンボルとなるかと思います。いずれもフリーメイスンリーのシンボルであるようです。






これらの中で最もエジプトのオベリスクの形を残したフリーメイスンリーのシンボルは、エジプトのオベリスクそのものを移送したロンドン、ニューヨークに存在するクレオパトラの針と呼ばれるもの、ルクソール神殿のオベリスクを移送したパリ・コンコルド広場のオベリスクかと思われます。いずれもフランス革命後のエジプト学が非常に隆盛した啓蒙思想の時代に、エジプト太守のブラザームハンマド・アリーやその後のエジプトの太守たちがロンドンやニューヨークのフリーメイスンリーと個別にやり取りしてエジプトから贈られたようです。







オベリスクについて詳しく書かれたホームページによると古くから存在するいわゆる遺跡としてのオベリスクは世界に36本程しか無いそうで、それらのうち13本はローマにあるようです。やはりローマ帝国時代に戦利品としてエジプトから持ち出されたものが多いようです。ローマではやはりサンピエトロ広場のものが有名かと思います。イタリアのものはほぼ近代フリーメイスンリー結成以前に移築されたものであり、フリーメイスンリーとの直接の関係はないようですが、キリスト教とそれ以前のユダヤ教、古代エジプト王朝を結び付ける象徴であったのかと思われます。





遺跡ではない近代に入って作られたオベリスクは、ワシントン記念塔を代表としてほぼフリーメイスンリーによる記念碑であるかと思われます。アメリカにも多数認められるようですが、現地に行かれた人は良く知っているかと思いますが、南米のブラジル、アルゼンチン、ウルグアイ、ベネズエラにも大都市の目立つ所に巨大なオベリスクが建っており、これらの国々の建国に深くフリーメイスンリーが関与している事を象徴しています。








さてこのような記念碑としてのオベリスクですが、フリーメイスンリー関連では故人の象徴としての墓としての典型的な形でもあります。もちろんブラザーワシントンの墓もその形でしたし、ブラザーランファンのものもその形でした。日本でも横浜外国人墓地に個人のものや各国を代表した形の記念碑が認められます。インドの英国人墓地などにも多数認められるようです。




こうして見ると横浜ランドマークタワーも極めてオベリスクに近い形となるのですね。
また有名なフリーメイスンとしてはブラザーモーツァルトは共同墓地に葬られ、現在は夭逝を意味する折れた石柱のシンボルとなっています。作曲家の墓としてはブラザースメタナ、ブラザーサリエリ、ブラザーグルック、ブラザーチェルニー





のものがオベリスクであるようですが、必ずしもフリーメイスンが皆オベリスクの墓にするかというとそうでもありません。生前にフリーメイスンリーと接点を持ちながらフリーメイスンとはならなかった作曲家ルードヴィッヒ・ファン・ベートーヴェンの墓は以前はオベリスクではなかったのですが、最近になって立派なオベリスクになりました。死因や難聴の原因が鉛中毒であったなんてのもありますが、死後にフリーメイスンとして認められた典型例であるかと思われます。この辺りは詳しくは成書を参考にしてください。

またオベリスクの形は特にワシントン記念塔の建設以降は近代建築の高い塔としてのテーマの一つのシンボルとして選ばれるものとなっています。エッフェル塔はオベリスクそのものとは形が異なりますが、その建築術や高さからオベリスク状の建築物としてのシンボルであるかと思われます。同様のものがニューヨークのエンパイア・ステート・ビルになるかと思われます。これは明らかにオベリスクを意識した尖塔の形をしています。またワシントン記念塔以前のオベリスク状のゴシック建築としてはロンドンのビッグベンがあります。


これらを模して日本にも代々木のドコモタワーなどがオベリスク状の建築物となっています。またエッフェル塔を模した建築物が有名な東京タワーです。



横須賀にも実はオベリスクがあります。汐入の公園にひっそりとありますが、直接フリーメイスンリーが関与したわけではありませんが、横須賀の海軍工廠を主体とした当時の横須賀市が深くフリーメイスンリーと結びつき、フリーメイスンリーを認識していた事の象徴であるかと思われます。昭和11年11月11日移築と言ったところが当時の空気を強く反映していて、こういった建築がその後の日本の進路を決定していったように思われます。





オベリスクの守り神としてのスフィンクスのような猫です。
また現在もどぶ板通りの入り口、出口のところにはエンパイア・ステート・ビルの形のシンボルが建てられています。

また横須賀には東京タワーを模したような電波塔も市役所周辺にあります。

ビッグベンは最近エリザベス女王の即位60周年を記念して、正式名称のクロックタワーからエリザベスタワーに改称されました。またロンドンオリンピック後に開業予定のロンドンの新しいビルであるシャードロンドンブリッジはオベリスクと言うよりもピラミッド型をしています。これもまた観覧車であるロンドンアイとともに新しいロンドンのシンボルとなるかと思います。いずれもフリーメイスンリーのシンボルであるようです。

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