FREEMASONRY
日本の開国といえばブラザーペリー来航ですが、実際には種子島にポルトガル船が来航して以来常に欧米諸国は江戸幕府を通じて接触を持っていました。和歌山県にもブラザーペリー以前にアメリカ人の日本への上陸がありオベリスクが建っているそうです。
ところで横須賀、三浦半島でのブラザーペリー上陸の地といえば浦賀が有名ですが、浦賀は奉行所があった場所で、現在は造船所の跡地がありますが、もともと天然の良港であり蒸気船が近付くのに適した場所でした。実際に上陸した場所は案外知られていませんが久里浜という砂浜です。
この辺のいきさつは来航から上陸までの様々な駆け引きがあり、またそこに至るまでの欧米諸国の情報交換や欧州での政治状況など様々な要素が絡み合い極めて複雑な情勢です。
少なくともマルコポーロのジパング伝説から始まって、東方に智恵や光を求める伝統をもったキリスト教、フリーメイスンリーでは鎖国した日本という国に対して想像以上の期待をしていたことは考えられます。
上の写真が久里浜のブラザーペリー公園です。伊藤博文公の達筆な記念碑の碑文があります。伊藤博文公の人物像もなかなか興味深いところですね。碑を取り囲むようにおかれた錨(碇)はフリーメイスンリーとキリスト教のシンボルであり、まさにこの地が日米の歴史上最初にがっちりと結びついた地であることを示していると思われます。
いろいろな感情があるとは思われますが、下手ないたずらは品がありませんね。その後のペリー祭りの際には修正されていました。
奥にある列柱をもった建物がブラザーペリー記念館で来航時の解説が聞けます。ヴェルニー公園の休み処と似た作りになっていることに気づいていただけると少しありがたいのですが。
周辺は松林になっていて、松林は防砂林ということもあるのでしょうが、明治維新以降は一応天皇家の象徴ととらえて差し支えないのではないでしょうか。開国の経緯が様々に絡み合うものと思われます。まあこの辺はシンボリズムの絡みでなかなか難しいですね。
(2018/10/28追記:久里浜も発電所の3本の煙突が、建て直しで1本の煙突になるとのことですが、このブラザーペリー公園の松でも気づいたことがあったので追記します。松とブラザーペリーのファーストネームのマシューと駄洒落なんですね。まあアメリカンメイスンって感じです。四福音書最初のマタイ伝です。松の英語名pine, 学名pinusも樹脂から由来する、分泌するという意味を含んでいるようで、脳下垂体とも同じ語源となるようでなかなか象徴的であるようです。)
戦後にブラザーペリーを記念して出身地から送られた石。
最近ではブラザーペリー提督がフリーメイスンであったことはテレビや専門書などでもよく言われているので、多くの人が知っていることだと思います。彼はそもそもアメリカ海軍の名門の出身で、兄弟が南北戦争での海戦で活躍したのでそちらがアメリカでは有名だそうです。彼が日本に来た時にはアメリカでは伝統の大統領選挙で政権交代がありブラザーペリーはかなり宙ぶらりんな立場になってしまったため、功を焦ってかなり強引な形で日本を開国させる形となったそうです。
そのためでしょうか、本来ならばフリーメイスンを象徴する立方体の磨かれた石(パーフェクトアシュラー)ではなく明らかにごつごつとした磨かれていない石(ラフアシュラー)で示されています。
これは一つのフリーメイスンに対するフリーメイスンたちの評価を現すシンボリズムであり、時代や歴史の正当な評価というものに極めて厳密な意味付けをするフリーメイスンリーのいわゆる秘密に相当する部分だと思われます。(追記2/19:このラフアシュラーの意味については色々あるかと思います。むしろざっくばらんなブラザーペリーの人間性や日本人の評価を反映したものかもしれません。なかなかラフアシュラーの意味も難しいですね。)ここは本当に難しいですね。
ブラザーペリーは蒸気船の中で徳川幕府の役人に船内で行っていたフリーメイスンリーの儀式を見学させたそうですが、徳川幕府のお侍さんにしたら西洋の黒魔術のように思われたのかもしれません。いずれにしてもワシントンへの訪問団も後に結成されていることですし、日米友好の懸け橋になったことは確かであり、功罪あるとはいえ偉大な業績であることは間違いないでしょう。
ブラザーペリー公園の目の前には久里浜海岸が広がりバーベキューをする人たちや釣りをする人などがいます。隣には黒船食堂という食事どころもありますが、なかなかこの場所はフリーメイスンリー的には極めて重要な場所なのですが、そもそも相当のどかな寒村であったと思われ現在の状況は複雑そうです。
久里浜の現在のシンボルと言えば東京電力の横須賀発電所の煙突です。
3本の煙突がフリーメイスンリーのロッジに常にある3つの小さな光を意味すると思われます。
意味は太陽と月と地球であるとか、様々に言われています。その他にも3つの列柱や3つの偉大な光など3で代表されるシンボルは多数ありますが、頂点が正三角形の配置にみえることからもシンボルとしては3つの小さな光ではないかと思います。ロッジで一番最初に目につくフリーメイスンリーのシンボルです。電力というブラザーペリーがもたらした文明の利器を象徴するのにふさわしいものではないでしょうか。
もちろんどこに行っても確かめようはないと思います。
その場に行き勉強してそれぞれの意味を考えたときに出る結論がそれぞれのシンボルなのです。
現在原発事故後の節電の影響で、営業停止予定であったものが再開され稼動しています。
久里浜自体には少し離れたところにあるごみ焼却場の熱を利用したプールや花の国という公園もあります。久里浜公園とあわせて家族連れが好ましいかもしれません。発電所のわきにはブラザーペリー通りもありますがなかなかこちらも雰囲気が複雑です。久里浜には現在も海上自衛隊の学校があり、過去には海軍の通信学校があり終戦間際には回天特別攻撃隊などの特攻訓練や様々な通信技術の訓練が行われていたようです。その事も現在の久里浜に様々に影響しているかもしれません。
ブラザーペリー来航で久里浜よりも有名な浦賀はかなり落ち着いた高齢者の多い街です。奉行所跡や渡し船、江戸時代の灯台跡などもあり、江戸の風情を現在に残し、かつ造船ドック跡と微妙にマッチしたこれもまた散策するには面白い町です。
日本の近代史を知るうえで知らないではいられないブラザーペリー来航の地久里浜、浦賀は是非一度は訪問して損はない土地だと思います。
最近は浦賀も久里浜もめったに行くことはなくなりましたが、なかなかブログの影響もあるでしょうし、できることなら記念碑的な建築が一層進行することが望ましいですがどうでしょうか。
(2016 2/20追記:最近は浦賀のキリスト教禁教以前のフランシスコ修道会の存在や徳川家康の関係などが具体的に日本で発表されているようです。浦賀での奇跡の海渡の話などはその関連のようです。なかなかドラマチックな話であります。詳細はリンクを参照してください。)