2012-10-16 08:32 | カテゴリ:イングランド
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
ワシントンD.C.やニューヨークの場合は都市名 副題 その番号だったんですね。
変えようかと思いましたが語呂が良いので先に副題の形で続けます。
ちなみにパリは「神なき街」とするつもりです。実はまあ旅行しながらも副題ばっかり考えていたんです。
まあしょうもない打ち明け話です。
前回のアメリカ紀行の反応は具体的にはわかりませんが、相当のものがあったかと思います。
ナショナルジオグラフィックでも、ヒストリーチャンネルでもワシントンD.C.の建築物でそこまでフリーメイスンリーを特定して追っていったものは無いかと思いますし、それが日本語でブログという形で書かれたものは無かったかと思います。ただしもちろんアメリカでフリーメイスンリーがフリーメイスンリーのために書いたものであればいくらでもそれ以上のものがあるかと思います。
まあ石工というともちろん実務的メイスンリーと思索的メイスンリーの両方を指すわけですが、ロンドンの場合はロンドン大火を頂点として実務的メイスンリーの歴史が極めて長く深くあるという事もあり、そういう表現としました。要はフリーメイスンリーのみにとどまらない長い石工組合の歴史があり、それがいわゆる紳士クラブや友愛結社としての歴史の前に存在し、それを最も象徴するのは今回のロンドン訪問で最大の目的地でもあったセント・ポール大聖堂という事になるのだと思います。実際にロンドンの石工組合や、その後の思索的メイスンリーの時代にもいわゆる現代のフリーメイスンホールの役割として使用していたのは今回は訪問しなかったギルドホールのようです。
あまり詳しくは読んでいませんが、今回の訪問前には一応Brother Yasha Beresinerの書いたTHE CITY OF LONDON A Masonic Guideを一部参照しました。

The City of London: A Masonic GuideThe City of London: A Masonic Guide
(2007/07/26)
Yasha Beresiner

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まあギルドホールとか、Masons Avenueとか周りたかったとかありますが、色々下準備の段階でなんせ20年前の記憶で色々強烈であった事もあり、ロンドンを自分の好きに周ってみたかったというのがまず最初にあり、それに加えて実際には現地に行って思い出しましたが、セント・ポール大聖堂は当時あまり深い印象を刻んでいなくて行った事が無いと思っていたのですね。まあそんなわけで家族旅行と一人旅で自分の興味で周る旅とは全く異なるわけで、色々と行ってみてまた新たに行きたくなるところとか興味が出てくるというのはごく自然な事なのだと思います。いわゆる観光旅行では周れないところを周っているというのがこの旅のコンセプトなのでしょうが、それはまた相当準備して勉強しないとうまくいかないというところでもあるのかと思います。ワシントンとニューヨークはやはり現地ツアーなどを絡ませて色々うまく行った方だと思いますが、今回のロンドンとパリはやはり様々な事情もあり、アメリカと比較して旅としての出来具合は50点くらい、その最大の理由はやはりヨーロッパに対する憧れが強い事と、ロスト・シンボルのような記憶に残る形のガイドブックのようなフリーメイスンリーの紹介を読んでいなかった事、もちろん上記の本はそれに該当したのですが全文翻訳して読んでいないので、明らかに理解度が低かったという事だと思います。まあそれだけ何度も訪問するような欲求を生み出した事も確かだと思います。
そういう欲求を生み出すのは、ロンドン行きの前にロンドン大火や漱石の倫敦塔の文章を取り上げましたが、何より文学だと思います。テレビやブログのような情報は現地で実際に動きまわる際には非常に便利ですが、実際に現地に行ってより深い感慨やより深い印象を残すのはやはり文学が最良のスパイスかと思います。イギリスの文学といえば私の読んだものはシェイクスピアやシャーロック・ホームズが良いところですが、イギリスの光景というと思い浮かべるのはその20年前の光景かというとそうではなく、またテレビで見る例えばバッキンガム宮殿の前やダウニング街の光景かというとそういう事も無く、結局そういう文学作品の挿絵とともにあるイメージや、最も強烈なのはやはりシャーロック・ホームズの最初の「Study in Scarlet」(緋色の研究)の原文を全部翻訳した事で想像したイメージであったりという、実物というよりもイメージなのだと思います。そしてそれはまさにフリーメイスンホールやセントポール大聖堂で感じたイメージと一致するという感じなのです。まあ結局視覚的イメージや感覚的イメージよりより残る最高のイメージは想像と印象のいわゆるシンボリズムとしての文字が作り出すイメージなのだと思います。

とまあ結局何が言いたいのかというと、ロンドンを歩く際には上に挙げたフリーメイスンのユダヤ人の方ですが、その書いた本を詳しく読んで行かれると良いという事と、まあこのブログの価値もその文学的価値にあるという事なのだと思います。文学ということはフィクションであれ、まあノンフィクションであれいずれにしても主観に基づいた個人の一つの芸術的表現であり、基本的には様々な意見が含まれていたとしても究極的には単なる個人の趣味嗜好の範囲でしかないという事かと思います。そういうわけで、前回アメリカ紀行はフリーメイスンリーの紹介と現地の巡り方の紹介という面がありましたが、今回ロンドン・パリではそういう事は比較的おいておいて、個人の趣味嗜好、文学的というところに重点を置いて、極めて個人的なかなり露出趣味ではありますが、単なるフリーメイスンリーの紹介にとどまらないいわゆる個人旅行の見せびらかし的な要素が強い、それでいて文学としての昇華を目指した方向性を持ちたいと思います。これは後々出てくるパリ編のやはりフランスを訪問した強い動機がそれこそ最初のロンドン訪問以降ですが、スタンダール文学を読んで、未だにこれはその当時の印象で大岡信氏の翻訳で読んだのですが、一番最高の文学作品はスタンダールの「パルムの僧院」であると思っており、まあそれも一種の体験なのだと思いますがそういう印象でパリを見たという事に繋がるのかと思います。

まあここまで書くといかに偏っているか、スタンダールを読んでいる人は少数だと思いますし、それでいわゆるスタンダリアンになる人もまた少数だと思いますので、多数の賛同を得るのが難しくなるのかもしれませんが、それがまあ実際フリーメイスンリーの世界なのだと思います。もちろんスタンダールもフリーメイスンであり、ブラザースタンダールであります。

さてまあ情熱の前書きは置いておいて、前回のフリーメイスンホールの外観と位置の内容からその近辺の移動になります。どうも街並みをパチパチiPhoneで撮りまくっていて一応世界のフリーメイスンホールの街のフリーメイスンリー発祥の街のAUDI VIDE TACEの方針から言ってもあまりフリーメイスンリー関連といえどもブログでやたら公開するのは筋が違うのかと思いますが、そういう事もあってインターネットがパソコンで使えなかったりといった事もあり、またちょうどこの後のインドの施設のスワスティカを撮ろうとしたあたりでiPhoneの反応がやたら遅くなって、メモリを減らして再起動するなどの処置が必要となる事がありました。まあこの辺はアメリカとイギリスのフリーメイスンリーの方針の違い、それはまたフランスのものも絡むのだと思いますが、それぞれの歴史上の役割の違い、もちろんそれは表面上のものかと思いますが、そういうものが一応あるという事なのだと思います。いずれにしても郷に入らば郷に従えで、多少のやり方の違いはあったとしても認容しなければ何も得る事は出来ません。でまあそういうのもありながら結局パチパチ撮ってブログに載せるという行為をし続けるわけです。
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何か女性の銅像があります。この後ロンドンの銅像を写真にたくさんとりましたが、ほとんどフリーメイスンのようです。この女性も何かしら関係があるのかと思いますが、詳しくはわかりません。英語版ウィキペディアなどで全て検索できると思います。ロイヤルオペラの前なので、恐らく有名なバレエダンサーの像だと思います。
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ロイヤルオペラハウスの前です。なにやらロンドンの最高のステータスはこのオペラハウスの前に豪華なハイヤーで乗り付けて最高のおしゃれをしていく事だそうです。なかなか日本人ではまだ少ないのでしょうか。そろそろブラザーチャイコフスキーの白鳥の湖をやっているようです。
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現在やっている演目はこれのようです。なにやら黒魔術のようです。
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ちょっと調べていませんが有名なパブのようです。
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コベントガーデンです。屋根つきのマーケットなのでしょうか。日曜の朝なのでまだ営業前です。
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見た事のあるスタバがあると少し安心します。
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コベントガーデンの内景です。
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コーヒーハウスです。チャールズ・ディケンズは作家で二都物語を書いています。フリーメイスンかどうかはわかりませんがそういう事でしょう。
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この写真を撮る前にiPhoneが一旦ハングアップしました。インドの建物の隣になるのですが、初代首相ネルーの像ですね。ガンジーがフリーメイスンであったのかどうかはわかりませんが、ネルーは恐らくフリーメイスンだったのだと思います。なかなか評価は分かれるかもしれません。いずれにしてもUGLEの評価というところになるのだと思います。
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実はこの建物がフリーメイスンホールとそっくりに作ってあって、その中に目立つ形でスワスティカ、卍が書いてあってその写真を撮ろうとしてiPhoneがハングアップしたのでした。この辺の作りはワシントンD.C.のスミソニアン博物館のブラザーリンドバーグのスピリッツオブセントルイスの先頭にあったスワスティカと似ています。恐らくインドのグランドロッジが全面的に支援して作られた建物だと思いますが、端っこに英語で書いてあった説明によるとYMCAが関わっているとかあるようです。この建物があるのがロンドンにインド人が増えている理由かもしれません。
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なかなかこういのは現地に行かないとわからない情報かもしれませんね。インドではフリーメイスンリーが爆発的に広がっているとは聞いていました。そのうち中国が体制が変わってそういう時代になるのではないかと思われます。
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王立裁判所の近くです。銅像がたくさんあります。それぞれ良くわかりませんがフリーメイスンだと思います。
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サミュエル・ジョンソンはブラザーエドマンド・バーグの友人であったそうです。ウィキペディアを引用します。
ジョンソンは "Clubbable man"(クラブ向きの男)と呼ばれ、クラブでの談論風発を好んだ。生涯にいくつかのクラブに加入しているが、特に有名なのは1764年にジョシュア・レノルズの呼びかけで創設された文学クラブ(The Literary Club)である。創立メンバーはレノルズ、ジョンソン、エドマンド・バーク、オリヴァー・ゴールドスミスら9人で、後にギャリックen:David Garrick(俳優)、ギボン、アダム・スミス、ボズウェルらが加わり、ジョンソンの晩年には35人程になった。週1回の夜、居酒屋(tavern)で食事の後に文学談義などを楽しむ集まりで、機知に富んだ話の得意なジョンソンが会話の中心だった。
そうです。軍人さんで銅像に残るような高位の人は皆フリーメイスンなんでしょうね。
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王立裁判所はブラザー林董の話で日本の最初のイギリス公使が大使に格上げされる際に認証したのが王立裁判所であったと思います。
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シティ・オブ・ロンドンの象徴のドラゴンです。異教の神なのでしょうね。まあ中国の皇帝の象徴です。
聖ゲルギオスが退治した東の象徴であり、モンゴルの襲来後なのでモンゴロイドを象徴しているのかもしれません。イングランドの国旗の象徴ともなっている部分でしょうか。シティはギルドホールでの民主制で自治権を持ち、それぞれの清教徒革命、名誉革命でのジェントリの勢力として活躍したようです。まさにフリーメイスンリーの城というところでしょうか。もちろんそれら金融業の中心としてのシティ・オブ・ロンドンで活躍したのは改宗ユダヤ人などのシェイクスピアでいうところのベニスの商人のイメージのユダヤ人だったのだと思います。
さて徐々にセントポール大聖堂に近づいてきます。
シティ・オブ・ロンドンのその他の教会などもブラザークリストファー・レンの作だそうです。ギルドホールも行っていませんし、また何度も行きたいものです。
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