2012-11-06 14:15 | カテゴリ:イングランド
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
ウェストミンスター寺院はロンドンを訪れた旅行者が全員一度は訪れる場所かと思います。
最も単純にイギリス、イングランドの歴史を君主たちと科学者、文学者、音楽家の墓を通して知る場所ではないかと思います。私も20年前に訪れた時は最も印象深くイギリスの圧倒的な歴史の深さとそれらを全て旅行者と国民の前に曝け出すやり方に深い感銘とともにそれら示された表の歴史の裏の部分の深さに極めて沈痛な重いものを感じたような思い出があります。まさにロンドンの象徴と言って過言のない場所ではないかと思われます。日本で言うと皇居と京都御所と金閣寺と広島の原爆ドームと国会議事堂と東大寺を合わせたような場所でしょうか。20年前に来た時は今回ほど騒然とはしていませんでしたが、特にアメリカや中国を始めとした新興国、その他あらゆる世界中の国からロンドンを訪れる人々が多い現状ではウェストミンスター寺院が教会といえどもニューヨークマンハッタンのような騒然とした雰囲気をかもせざるを得ないのはしようが無い事なのだと思われます。鎌倉なども旅行者の数が増えれば増えるほどそうした雰囲気は必然なのだと思われ、その最たるものがこの地であるかもしれません。少なくともこの20年の変化は確実にこの寺院とこの国そのものに圧倒的な変化をもたらしているという事をここでは感じる事が出来たと思います。それはもしかするとこの国の象徴ともいえるこの寺院をもたらした隣国フランスがかつて通ったその騒然としたもの、それがこの国を揺り動かしているその変化の元であるのではないか、そんな気がするものです。

さてまあウェストミンスター寺院の内部はフリッカーやその他画像検索して見ていただきたいのですが、なんせ写真撮影禁止ですので仕方ありません。この辺はやはり英国です。最も有名な墓はヘンリー八世、エリザベス女王、ブラッディ・メアリーになるのだと思いますが、もちろんそれ以前の代々の君主とその妃たちがほぼ全てここに集まっているというのがウェストミンスター寺院の権威なのではないかと思われます。

それぞれの王について触れていくと何のブログだかわからなくなるので、基本的にフリーメイスンと思われる人やフリーメイスンの墓についてFind A Graveという墓を探すサイトから持ってきた画像を元にコメントしていくこととします。基本的には1717年のグランドロッジ結成以後にこの英国で最も権威ある墓地とも言えるウェストミンスター寺院に葬られた方はほぼ全てフリーメイスンかその関連だと思われますが、一応何かしら根拠というものが無いとブログとなりませんので、それらについてそれなりに触れながらそれぞれ触れていこうかと思います。まあ要するにその辺は極めて曖昧でありながら、そういうのがフリーメイスンリー発祥の地のフリーメイスンリーというものであるという、まあそういう感じも含めて曖昧である事が最も厳密であるという事を感じていただければ良いのではないかと思います。

とりあえず画像検索して出てきた雰囲気のわかる画像を置きます。
Lady_Chapel-WA-BAR.jpgNave-WA-BAR.jpg
ブログのヘッダーでもモザイクの床面の礼拝堂部分の画像を使用しています。

さてまあ一応私が撮った撮影可能であった場所での写真を載せます。墓に関してはあとでまとめて解説する事とします。基本的に中に入るとすぐに修道士に勧められる解説のオーディオサービスは利用しなかったので、説明などに関してはウィキペディアを全面的に参照しています。
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中庭を望む回廊ですね。
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Chapter Houseというそうです。基本的に撮影禁止ですが、皆さん撮影していたのでついでに撮りました。議会と教会の代表者の会議場であったようで、恐らくそれら参加者の紋章を示したステンドグラスなのではないかと思われます。パリのサント・シャペルを模した造りになっているようです。
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Chapter Houseの出口でしょうか。
IMG_2579.jpgIMG_2580.jpgIMG_2581.jpgIMG_2582.jpg
美しい中庭です。
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pyx chamberというところのようです。聖体保存室でしょうか。静かなお祈りの部屋のようです。
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繋がって隣にある聖キャサリン教会の庭です。ウェストミンスター宮殿のヴィクトリアタワーを望みます。
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司祭を記念したステンドグラスのようです。シェブロンがあったので撮りました。紋章学におけるシェブロンは、「保護」と「信頼できる働きを成した建築家その他の者」を意味するとあります。まあ司祭も皆フリーメイスンなのでしょう。
IMG_2593.jpg
もう一度中庭ですかね。

さてまあお墓の説明に移りましょう。
お墓の説明がなぜ重要なのかというともちろんフリーメイスンかどうかという証拠がシンボルとして現れている事があるという事になるのだと思いますが、実際には特にここウェストミンスター寺院ではそれほどフリーメイスンかどうかを示すシンボルは明らかではありません。それはなぜかというとイギリスでは特に王族や貴族など名誉ある地位や、それを示す銅像や記念碑などが設けられる人物はほとんどがフリーメイスンであるという慣習、それが当り前であるという前提があるからだと思われます。つまりグランドロッジ結成以降にこのウェストミンスター寺院のような王族がかつて葬られていた地のようなイギリスを代表する墓地に葬られる人物は基本的にフリーメイスンであるという前提が成り立つのだと思います。これに関しては色々ご意見がある方も多いかと思いますが、ヨーロッパで基本的にフリーメイスンリーの歴史が深いところは皆そういう状況なのだと思います。

ではとりあえず有名なフリーメイスンのお墓について見ていきます。
George Friederic Handel
ブラザーヘンデルですね。ブラザーヘンデルはドイツ生まれでイギリスに帰化しました。同時代の大バッハと並び称される日本では音楽の母と呼ばれるバロック音楽の巨匠です。YouTubeの動画にも有名なハレルヤの合唱を含む聖書の内容を題材としたメサイアを入れました。晩年に大バッハと同じく恐らく白内障でしょうが同じ眼科医に手術を受け同じに失敗して失明しているそうです。フリーメイスンリーに関しての大バッハとの違いは恐らくロッジが多くあったイギリスに移住したかしないかの違いだけではないでしょうか。ブラザーヘンデルは一生独身であったそうです。お墓の方は壁面に彫像もあるそうですがシンボルの片鱗も全く認めません。フリーメイスンかどうか確認するにはUGLEに加入してロッジの文章を調べる他ないかもしれません。(あえて言うと四元徳の下がFortitude堅忍不抜、上がPrudence思慮分別を示す一般的な女性の像の形かもしれません。また上の方には転倒したGの形を認めるかもしれません。)
Rudyard Kipling
ブラザーラドヤード・キップリングのお墓です。これもまた一切シンボルは認めません。ただしこのお墓は面白い謎を含んでいます。日付の表示で30THや18THなどTHの序数詞が付けられていますが、このTHの表示が重ねられています。これはそれほど英語で一般的な表示ではないというかあまりないと思います。ではなぜこんな記号を使うのでしょうか。ヒントはブラザーキップリングの宗教にあると思われます。THが重なった字を見て気付く人は気付くと思います。彼はインドで育ちキリスト教を基本的に信仰しながらも、アジアのヒンドゥー教や仏教、イスラム教やユダヤ教など多くの他宗教が存在する環境で育ち、自らも無神論的なキリスト教信者と表現するに至っています。そういう宗教的環境を考えた際に、このTHの重なるシンボルは実はある団体のシンボルと極めて似通っています。それは以下の通りです。
IHS.png
これはイエズス会のシンボルですね。ブラザーキップリングがイエズス会と接点があったのかどうか、イエズス会に所属していたのか、死後にイエズス会がシンボルとして挿入したのか不明ですが、少なくともこのTHのシンボルはイエズス会のシンボルを連想させるものである事は良いかと思います。基本的にウェストミンスター寺院もイギリス自体もヘンリー八世の国教会成立まではカトリック教国であり、イエズス会自体も宗教改革によってカトリックの内部から生じた組織であり、教皇から弾圧されたりした歴史もありますが、日本でも有名な通りアフリカやアジアなど世界中に宣教師を派遣し、教育を行った事で有名であり、現在も数多くの教育機関を持っています。イエズス会の思想はフリーメイスンリーとも共通する部分が多く、カトリックの中では比較的イエズス会はフリーメイスンリーと近い思想の組織と考えられるかと思います。ブラザーキップリングがイエズス会信者であったなどというのは恐らく研究者からも否定されるかと思いますが、少なくとも墓標に記されたシンボルからはそういう推測が成り立つものかと思います。
(2013/8/6追記:トリプルタウでもあるようです。恐らくロイヤルアーチメイスンリーに加入していたのでしょう。イエズス会よりもそちらの方が近いようです。)

Sir Isaac Newton
これはフリーメイスンとしては恐らく含まれない有名なニュートンの墓です。ニュートンの墓にはシンボルとしても認められる天球儀やオベリスク状の背景の構成、さらにこの写真には写っていませんがさらに上には三角形の印も認められます。ブラザーウィリアム・ブレイクもニュートンを題材として象徴的なコンパスを持たせた絵を描いていますが、極めてフリーメイスンに近い人物であっても、最終的には彼は極めて偉大な科学者であっても実務的メイスンリーではもちろんなく、1717年のグランドロッジ結成後の極めて思索的メイスンリーに近い存在ではあるが、彼のブラザーフックとの確執や一生独身であった事、人生後半の錬金術師としてや聖書研究の過程などからもフリーメイスンとは認められなかったのではないかと思われます。

さて次からは私が写真を撮ったいわゆるオベリスク状の表示を持つ墓です。
Edward TufnellIMG_2588.jpg
同じものですが右が私が撮ったものです。回廊の場所にあるのですね。ブラザーエドワード・タフネルです。オーストラリアのブリスベーン教区の国教会の司教のようです。
Thomas Sanders DupuisIMG_2590.jpg
ブラザートーマス・サンダース・ドゥピュイスです。教会の作曲家、オルガン奏者のようです。フランス出身のようです。
IMG_2584.jpg
ブラザーダニエル・プルテニーです。政治家で大臣であったそうです。
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ブラザーピーター・メイスンだそうです。検索しても出てきません。82歳で1738年9月1日に亡くなったそうです。ジェントリーであったそうで有名人ではないのかもしれません。
IMG_2592.jpg
ブラザーウィリアム・バカンです。スコットランド出身の医師で「ドメスティックメディスン」を執筆したそうです。隣の名前の表示から検索していますが、オベリスクの上の部分が剥落してしまっているのでしょうか。オベリスクの墓とは別かもしれません。

この後はFind A Graveで見つけたオベリスクやシンボルを含んだ墓です。
Henry Priestman
ブラザーヘンリー・プリーストマンです。第二・三次英蘭戦争を戦った指揮官のようです。1712年に亡くなっています。グランドロッジ結成前のフリーメイスンのようです。
John Stanhope
ブラザージョン・スタンホープ卿です。軍人としてスペイン継承戦争でフランス軍に捕虜となった後に政治家となったそうです。1721年に亡くなっているそうです。
Thomas Shadwell
ブラザートーマス・シャドウェルです。詩人で劇作家のようです。1692年に亡くなっています。グランドロッジ結成前の思索的メイスンリーでしょうか。
IMG_2589.jpg
ブラザーエドモンド・ハレーです。これは記念碑で墓ではないようです。彼はハレー彗星の発見で有名なグリニッジ天文台長でした。星自体シンボルですし、彗星の尾がAll Seeing EyeのGloryのようです。
Christopher Monck
ブラザークリストファー・モンク卿です。軍人で政治家であったそうで、ケンブリッジ大学の学長も務めています。軍事的には能力はなく1688年に35歳でジャマイカで亡くなったそうです。碇のシンボルを認めます。
GEORGE HOWE
ブラザージョージ・ホー卿です。墓ではなく記念碑のようです。ブラザージェームズ・ウルフらとともに七年戦争やフレンチインディアン戦争を戦い1758年に33歳で戦死したそうです。
HENRY CAREY, LORD HUNSDONTomb_Westminster_Abbey.jpg
ブラザーヘンリー・ケアリー卿です。四つのオベリスクと白黒のモザイク床で表現されるかなり目立つものです。1526-1596に生きた方で、ヘンリー八世の二度目の妻でエリザベス一世の母親であり、ヘンリー八世に処刑されたアン・ブーリンの姉であるメアリー・ブーリンの子供ですが、恐らく父親がヘンリー八世ではないかと思われているいわくつきの人物です。軍人、政治家として働き、シェイクスピアのパトロンとなった人物だそうです。どうもこの墓といい逸話といい、ヘンリー八世の治世、エリザベス一世の治世がイングランドの思索的フリーメイスンリーの起源であるという発想はこの地では根強いようです。
Jonas Hanway
ブラザージョナス・ハンウェイです。やはり記念碑のようです。冒険家で篤志家であり、カスピ海周辺まで探検したそうです。様々な逸話があるようです。The Marine Societyを設立したそうです。
pitttheelderwil.jpg
ブラザー大ピットです。有名な政治家で首相を務め演説中に亡くなっています。子供の小ピットもフリーメイスンだと思われますが、墓にシンボルは認めませんでした。こちらは蜂の巣を認めています。
Christopher Marlowe
こちらは記念碑だと思われますが、ブラザーオスカー・ワイルドと並んで、何やらシンボルのような形に対称形にクリストファー・マーロウの名前が刻まれています。このクリストファー・マーロウはまたいわくつきの人物で、エリザベス朝時代のどうも秘密結社の構成員だとかスパイだとか言われているそうで、シェイクスピア以前の詩人、劇作家であったようですが、29歳で恐らく陰謀で刺されて殺されているそうです。ブラザーオスカー・ワイルドも有名な同性愛者でしたが、このクリストファー・マーロウも同性愛者であったようです。恐らく思索的メイスンリー以前のいわゆるテンプル騎士団などの流れを汲む英仏を股にかけた国家間のやり取りに使われた秘密結社に属していたのではないかと推測されるそうです。ちなみに葉山にあるプリンで有名なマーロウは40年ほど前の探偵物語の主人公の名前のようです。もちろんこちらのクリストファー・マーロウの名前を借りた話だと思われます。こういう話をみるとウェストミンスター寺院がなぜ撮影禁止なのかがわかる気がしますね。フリーメイスンリーに関する秘密がいっぱいというかそれしかないというところなのかもしれません。
David Lloyd George
ロイド・ジョージ首相の墓です。恐らくフリーメイスンでしょうがはっきりとしたものはわかりません。恐らくこの墓標の周囲の輪はグノーシスの蛇をかたどっているものかと思います。友愛の結び目よりもそちらに近そうです。
Andrew Bonar Law
ここからはすごいシリーズになります。なんと墓標の表記が対角線の向きに記されているものをフリーメイスンとしています。もちろんフリーメイスンリーのシンボルと近い菱形となりますが、それだけでフリーメイスンと出来るでしょうか。まあ結局ほとんどがフリーメイスンであるに違いないのですが、それを示すような形をとるかどうかは本人次第や状況次第で、その一つの示し方がその正方形を斜めに使うという事だと推測したわけです。うーんどうでしょう。ただの正方形でもパーフェクトアシュラーを示すとも言えなくないわけですが、ブラザーキップリングやブラザーヘンデルのものを見ても微妙でしょうね。(書いていて思い出しましたが、20年前に日本人ガイドの方と一緒に解説されて周った時は、どうもそういう向きが色々意味があるとか、墓の彫刻の意味があるとかそういう解説を受けた気がします。現在でもオーディオを聞きながら回れば色々とそういう示唆が含まれているかもしれません。私は時間の関係でオーディオサービスを受けなかったのでわかりません。)上のものはブラザーアンドルー・ボナー・ローのものです。首相経験者です。
Charles Villiers Stanford
ブラザーサーチャールズ・ヴィリアーズ・スタンフォードです。アイルランド出身の作曲家です。ブルーバードやアイルランド狂詩曲などを作っています。いきものがかりが同じ題名の曲を作っているようです。
George Green
ブラザージョージ・グリーンです。家業のパン屋を手伝いながら数学や科学の論文を出したそうです。これは記念碑のようです。
George II
ブラザージョージ二世です。白黒のタイルであり、グランドロッジ結成後であり間違いないと思います。ブラザーヘンデルのメサイアを聞いてスタンディングオベーションしたとの逸話があるそうです。
Herbert Charles Onslow Plumer
ブラザーヘルベルト・チャールズ・オンスロー・プルマー卿です。陸軍元帥のようです。第一次世界大戦を指揮したようです。
John Smeaton
ブラザージョン・スミートンです。土木工学の設計者であったようで、Lunar Societyというブラザーベンジャミン・フランクリンも所属していたバーミンガムでの科学者の夕食会クラブの会員であったようです。要するにフリーメイスンリーです。ブラザーライト兄弟の使用した揚力方程式を作ったそうです。脳梗塞で歩行中に亡くなったそうです。
Laurence Olivier
ブラザーローレンス・オリヴィエ卿です。シェイクスピア俳優でヴィヴィアン・リーと結婚しています。彼の出演作は一見して全てフリーメイスンリー関連の作品ばかりです。
Michael Faraday
ブラザーマイケル・ファラデーです。記念銘盤のようです。
402px-Faraday_Michael_grave.jpg
ブラザーファラデーのお墓です。ハイゲイト墓地にあるそうです。
ブラザーファラデーは科学史上でも最も偉大な発見をしている人物の一人で、全く高等教育を受けていない青年期に本屋で働いていた人物です。ベンゼンを発見し、電気分解の法則を発見し、最初のモーターを作り電磁誘導の法則を発見しました。光に対する磁場の影響のファラデー効果を発見しています。ファラデーのクリスマスレクチャーの「ロウソクの科学」は有名です。ウェストミンスター寺院への埋葬を拒否していたそうです。
Neville Chamberlain
ブラザーネヴィル・チェンバレンです。ブラザーチャーチルの直前の首相でナチスドイツへの宥和政策で有名です。バーミンガム大学の前身のメイソン科学大学を卒業しているそうです。異母兄のオースティン・チェンバレンがノーベル平和賞を受賞しています。恐らくこちらもフリーメイスンでしょう。1940年11月9日に71歳で胃癌で亡くなっています。
Paul Adrian Maurice Dirac
ブラザーポール・ディラックです。量子物理学者でエルヴィン・シュレーディンガーとともに1933年にノーベル物理学賞を受賞しています。ディラック方程式を考案し、これから陽電子の存在を予言したようです。
Prince George of Denmark
ブラザープリンス・ジョージオブデンマークです。アン女王の夫だそうです。
Sir Rowland Hill
ブラザーサーローランド・ヒルです。イギリスの郵便制度を改革して初めて郵便切手を作った人のようです。
Sir William Walton
ブラザーサーウィリアム・ウォルトンです。20世紀を代表するイギリスの音楽家だそうです。シェイクスピア作品の映画化で音楽を作っているようです。
Sydney Webb
ブラザーシドニー・ウェッブとその妻ビアトリス・ウェッブです。イギリス労働党の元となるフェビアン協会の中心的な社会主義者だそうです。ソ連の大飢饉を報告させないように圧力をかけたそうです。
William Blakeney
ブラザーウィリアム・ブレイクです。記念碑のようです。有名なフリーメイスンとしてブラザーヘンデルとブラザーキップリングと一緒にしても良いですが、対角線の名前という事でこちらで良いと思います。対角線の名前の形、菱形の象徴はフリーメイスンを意味するとして良いのだと思います。
William Herschel
ブラザーウィリアム・ハーシェルです。元々音楽家であったようですが、ドイツからイギリスに移住してその後天文学者になったそうです。天王星を発見しその他にも重要な天文学上の発見をしているそうです。その他最初に赤外線放射の存在を証明しています。
William of Orange
ブラザーウィリアム三世です。オランダ総督を務め、名誉革命の際に妻メアリー2世とともに共同統治する形でイギリス王となりました。名誉革命後はオランダ人の貴族を政府の高官として迎え入れたそうです。子供で成人したものはおらず、女王の死後に1702年にヨハネ騎士団の荘園であったハンプトン・コート宮殿で乗馬中、モグラの穴に馬が脚を踏み入れたために落馬して重体となり、ケンジントン宮殿で51歳で死去したそうです。ハンプトン・コート宮殿には有名な迷路の庭園とブラザークリストファーレンによる建築、およびメアリー女王の幽霊の伝説があるそうです。その後スコットランド人のジャコバイトの間で、穴を掘ったモグラを賞賛する歌が流行したそうです。名誉革命でイギリスはフランスのルイ14世の衛星国的存在から反フランスのプロテスタント的立場を明確にした転換点であったようです。その後オランダ海軍はイギリス海軍に勢力を奪われていくようです。
Frank Whittle
ブラザーサーフランク・フィットルです。イギリス空軍の技術者でターボジェットエンジンを実用化するのに尽力したそうです。対角線の菱形ではなくヘキサゴンですね。良いのではないでしょうか。

さてウェストミンスター寺院にはこの他にもサミュエル・ジョンソンやジェフリー・チョーサー、ジョン・ゲイ、アルフレッド・テニスンなどの詩人、チャールズ・ディケンズなどの小説家も埋葬されているのですが、明らかにフリーメイスンとはわからなかったので取り上げていません。サミュエル・ジョンソンやディケンズやゲイやテニスンなど1717年以降に亡くなった方はフリーメイスンではないかと思います。

ウェストミンスター寺院については以上で終わりにします。また何度も訪れればそのたびに新しい事がわかるかもしれません。まあ基本的にグランドロッジ結成以降に亡くなってウェストミンスター寺院に埋葬されたり記念碑がある方はフリーメイスンで良いと思います。すなわちほとんどフリーメイスンの墓という事です。
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