2012-11-10 16:14 | カテゴリ:イングランド
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
さてロンドンの旅に戻りましょう。
再びトラファルガースクエアです。
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ジョージ三世の銅像です。アメリカ独立戦争や対ナポレオン戦争の時代を治めた王でイギリスの王の中でヴィクトリア女王に次いで二番目に長い60年の治世でした。晩年は息子たちのスキャンダルから認知症を患って息子のジョージ四世を摂政としました。ブラザー小ピットを首相としてブラザージェームズ・ワットの蒸気機関の発明などで産業革命がおこった時期です。トラファルガースクエアの西側にあります。
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ナショナルギャラリーです。
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ジェームズ二世です。名誉革命で追われたイングランド最後のカトリックの王です。チャールズ一世の子供で清教徒革命の際にはフランスに亡命します。その後クロムウェルの死去に伴って帰国し、兄チャールズ二世が亡くなると王となりましたが、カトリックの信仰を公にして反発を受け、最終的に名誉革命によってフランスに再亡命しました。死ぬまでジャコバイトの運動を続けました。ジェームズ二世の庶子の家系がスペンサー家と婚姻しダイアナ元妃の家系となるそうです。ダイアナ妃の結婚がセントポール大聖堂で行われたのももしかするとこうした家系によるのかもしれません。
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ネルソン記念柱も少し天気が良くなったとは言え、思いっきり工事中でしたね。
トラファルガースクエアも良く見ると床面がモザイク状になっています。
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撮影当時銅像の人物が最も良くわかったものでした。ブラザーワシントンですね。ファスケスを持っています。最もホッとした銅像でしたでしょうか。

ナショナルギャラリーに入ります。
入場は無料なのですが、入口には大英博物館と同じくポンド硬貨を投与するような募金箱があります。
写真撮影禁止なのでここでも実際何が展示されていたのかほぼ忘れてしまっています。結局ウィキペディアに出されているものをあらためて見て、こんなものあったかなあという感じになってしまいます。是非こういう写真撮影不可は止めてほしいものです。まあそうしないとアジア人の無粋なフラッシュ写真で気分を害されるというのもあるのでしょうが、やはりあとで写真を確認できないとほぼ記憶に残りません。

全体の印象は日本の国立西洋美術館と似た感じでやはり中世の宗教画から、ルネッサンスの画法となり、印象派で終わるという美術の教科書のような流れで、やはり結局ゴッホのひまわりが一番印象に残る感じで、美術の成績でいうと100点満点だけど実際そんな美術に興味はないみたいなそういう感じでしょうか。まあそれがイギリスなのだと思います。
ウィキペディアにある展示物の写真を転載します。
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キリストの洗礼、ピエロ・デラ・フランチェスカ
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チャールズ1世騎馬像、アンソニー・ヴァン・ダイク、ロイヤルコレクションとの違いが面白いかもしれません。
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ひまわり、フィンセント・ファン・ゴッホ
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海港 シバの女王の船出、クロード・ロラン、船の図はグリニッジにも多数ありましたがシンボルを描いた絵となります。
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女性大水浴図、ポール・セザンヌ
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サン・ヴィダルの石工工房、カナレット、ありし日の実務的メイスンリーの姿ですね。
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大使たち、ハンス・ホルバイン、良く見ると直角定規や地球儀などのシンボルが描かれています。また斜め下から見るとわかるような髑髏が描かれていて、これもシンボルとなります。
Monet_Houses_of_Parliament,_Sunset
国会議事堂 - 日没、クロード・モネ、その後の睡蓮の連作に繋がる重要な作品です。
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雨、蒸気、スピード-グレート・ウェスタン鉄道、ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー
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アルノルフィーニ夫妻像、ヤン・ファン・エイク
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岩窟の聖母、レオナルド・ダ・ヴィンチ
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アニエールの水浴、ジョルジュ・スーラ、スーラも早世していますが点描画の作家として興味深い人生です。
1280px-An_Experiment_on_a_Bird_in_an_Air_Pump_by_Joseph_Wright_of_Derby,_1768
空気ポンプと鳥の実験、ジョセフ・ライト・オブ・ダービー
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洗礼者の首を持つサロメ、カラヴァッジョ
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当世風の結婚、ウィリアム・ホガース、フリーメイスンです。

まあこうやって並べるとすごい作品があるのだなあと思うかもしれませんが、実際他にもたくさんの作品が並べられているとどれがすごいのか全然わからないかと思いますし、宗教画が非常に多くなかなかポイントがわかりづらいかと思います。国立西洋美術館と良く配置が似ていますが、やはりこういう見せ方ではルーヴル美術館が秀逸であったと思います。

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ナショナルギャラリーの入り口はやっぱり白黒のモザイクでした。石工のコレクションなのですね。
ウィキペディアの該当項目を読むとなかなか開設までには相当の経緯があるようです。テートブリテンで感じた絵画美術不毛の地のイギリスで絵画美術振興の必要があったというのは当たり前であったようです。

さてでは大英博物館に向かいます。
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ナショナルギャラリーの東側に第一次世界大戦中にベルギーでイギリス人捕虜の脱出を手助けしてドイツに捕まり銃殺された看護婦のエディス・キャベルを記念した像があります。最初の看護婦とも言われるナイチンゲールを記念してフリーメイスンリーでもその名を冠したロッジがあったりします。こういう活動とフリーメイスンリーは強く関係しているのだと思われます。
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またちょっと行ったところでサーヘンリー・アービングの銅像があります。小説ドラキュラのモデルとなったような舞台俳優だそうです。
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さてこの旅で二度目の大英博物館です。内部が20年前の印象と劇的に異なるのは1997年に併設されていた大英図書館がセントパンクラスに移り、正面入り口からすぐのホール部分にあった図書館の閲覧室がレストランや回廊となったからのようです。午後4時頃ついたので閉館の1時間位前でしたでしょうか。
英語版ウィキペディアに一部収蔵品の写真があります。公式ページにも収蔵品のHighlight5000点の写真と解説がありますが一部だと思われます。一応サーチエンジンでは200万点の収蔵品から検索できるようです。
上の写真は手前がアメンホテプ3世の胸像だそうです。アマルナの宗教改革を行ったアメンホテプ4世の父親です。ルクソール神殿を建設した王で、そこにあったオベリスク2本のうち1本がパリのコンコルド広場にあります。
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アッシリアのシャルマネセル3世の戦勝を記念したオベリスクのようです。アッシリアの属国であったイスラエル王国が贈り物を送る様子も描かれているようです。
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アッシリアのアッシュールナツィルパル2世がイラク北部のカルフに首都を置いた、現在ニムルドと呼ばれる考古学史上重要な都市の宮殿の入り口にあった人頭有翼獣(ラマッス、顔は人で翼をもち獅子や雄牛の体をしている)の像です。10組以上あったそうでニューヨークのメトロポリタン美術館にも同様のものがあります。スフィンクスと同じ意味なのだと思います。こういうものがイラク戦争の原因の一部であるかもしれません。現地の遺跡は危機的な状況のようです。メソポタミアの歴史は旧約聖書にも一部ありますが、Grand Orientの東方の地であり、まさに人類の文明史でのエジプトと双璧の秘密になるのだと思います。
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アッシリアのシャルマネセル3世の関連のもので上記のニムルドのもののようです。聖書関連の遺物として大英博物館の主要な研究対象であったようです。同様のものがギルガメッシュ叙事詩の粘土板でノアの箱舟の逸話に繋がる大洪水の話などがあり、それらもこの大英博物館で研究されわかったそうです。
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最も有名なロゼッタストーンです。完全にガラス張りになっていました。ロゼッタストーンについてはエジプトがやはり返還請求をしているそうですが、現在の2011年のエジプト革命後のエジプトはどうなのでしょうか。ロゼッタストーンの内容については異常に長いウィキペディアの解説を参照としてください。この後訪問するルーヴル美術館のブラザーシャンポリオン監修によるエジプトコレクションの膨大な量を考えるとそちらにあったほうがブラザーシャンポリオン(彼の墓の写真)の成果もありぴったりかもしれませんが、実際には研究の中心はやはりこちらの大英博物館でという事のようです。この辺りはいわゆるイギリスフリーメイスンリーとフランスフリーメイスンリーのエジプト学や人類の草創に関する学究の競い合いがあるものかと思われます。

YouTubeで解説付きのツアーがありました。もちろん英語ですが興味のある方は参考にしてください。
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再び大英博物館の正面入り口です。サーリチャード・ウェストマコットによる文明化の進展という彫刻だそうです。天球儀があるのでしょうか。ギリシアのパルテノン神殿を模しているようです。パルテノン神殿に関してはかつてはごく極彩色に彩られていたものがイギリスが輸送する際にはほとんど禿げていて、ここ大英博物館で積極的に白くするために1930年代に磨いたという逸話が最近公表されています。
大英博物館はそもそもサーアイザック・ニュートンの後を継いで王立協会会長を務めた医師のハンス・スローン卿のコレクションを元にして1753年に設立されたそうです。王立協会の現在の会長は2001年のノーベル生理学・医学賞を受賞したポール・ナースです。
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いろいろ逸話には事欠かない大英博物館の夕陽です。また翌日に訪問し収蔵品を写真に収めています。
これでロンドン3日目もおしまいです。

昨日は東京シンフォニアのイタリアセレナーデがありました。イタリアオペラの作曲家を中心とした非常にマニアックな構成となっていました。なかなか複雑な世の中です。オペラは非常な楽しみですが、フランス革命以降のほとんどのオペラ作曲家はフリーメイスンのようです。近代の有名音楽家もほとんどがフリーメイスンのようです。フリーメイスンリーについて学ぶことと、音楽について学ぶこと、科学について学ぶこと、政治について学ぶこと、これらはほとんど同義かもしれません。興味のある方は是非調べてみて行動してください。

ロンドンは翌日はウィンザー城に出かけます。
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