2012-11-18 23:41 | カテゴリ:イングランド
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
さてまあセントポール大聖堂に入場するわけですが、ミサをやっていない日には普通に入場ゲートがあって支払いがカードでも可能です。この辺は非常に興ざめですが、一人2000円位の入場料はかなりの収入になるのではないでしょうか。維持費を考えればその位必要なのかと思います。入口でiPodminiのオーディオシステムを渡されます。これが非常に使いやすくてわかりやすかったです。どの施設もこの方式でやってほしいものですが、おそらくそれらは単価が高いし儲けが少なくなるという事もあるのだと思います。
内部は再び撮影禁止ですが、ネット検索で出てきた画像を貼ります。また公式ホームページの3D画像が非常に美しいので参考にしてください。また公式ホームページにネット上のお土産屋もあるので買ってみてはいかがでしょうか。
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とまあ完全に宣伝してるわけですが、その位感じが良かったというか、まあほぼイングランドグランドロッジの公式の付属教会という位置づけなのだと思います。見学した感想はまあとにかく良い印象でここで飲んだアールグレイもおいしく感じました。奥の方にはアメリカ人に感謝する記念碑とかブラザーフランクリン・ルーズベルトに感謝する記念碑とかフリーメイスンリー関連っぽい記念碑もあったかと思います。地下がクリプトになっていてブラザーサークリストファー・レンやブラザーサーアレクサンダー・フレミング、ブラザーホレーショ・ネルソン卿などの墓があります。
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ブラザーホレーショ・ネルソン卿の墓です。グランドロッジにも彼についての本がありましたので興味がある方は調べてください。
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ブラザーサークリストファー・レンの墓です。湯浅慎一氏の著書「秘密結社フリーメイソンリー」によると連合グランドロッジ結成時に名誉職で立ち会ったそうです。91歳まで長生きしたので1717年には85歳の計算になります。すさまじい人生ですね。
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ブラザーサークリストファー・レンの記念碑です。動画にもナショナルジオグラフィックのセントポール大聖堂の建築についての特集がありましたが、積極的に木造建築部分も見せていました。目に見える部分はもちろん大理石がほとんどですが、もちろん全てが大理石で構築できるほど資金的に潤沢であるわけがありません。維持や補修に毎年相当の努力が必要なのだと思われます。床の白と黒の大理石の美しい建築も日本ではどこにもありません。ただただ驚嘆するのみです。まさにフリーメイスンという人物です。
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ブラザーアーサー・ウェズリー卿です。銅像で何度も出ているブラザーナポレオンを破った初代ウェリントン卿です。ウェストミンスター寺院が基本的にフランスからの建築家で作られた建築に対して、まさに純正にイングランドの力を結集して作ったのがこのセントポール大聖堂だとすると、その大陸に対する劣勢を完全に越えたのがこのブラザーアーサー・ウェズリー卿によるワーテルローの戦いであったのだと思います。イングランド連合グランドロッジを作る事により初めて組織化されたフリーメイスンリーが成立し、それらが大陸のフリーメイスンリーを巻き込んで二つのイギリスの清教徒革命と名誉革命という社会改革を肯定し維持する事でヨーロッパ大陸に対するイングランドの社会組織としての優越性を保持し、英仏戦争での勝利、アメリカ独立戦争へと繋がり、今日の第一次世界大戦、第二次世界大戦後の世界を構築しているものと思われます。海のブラザーネルソンに対して陸のブラザーウェリントン卿となるのだと思われます。
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ペニシリンを発見したブラザーサーアレキサンダー・フレミングの墓です。近代医学の進歩は彼の抗生剤の発見から始まったと言っても過言ではありません。ブラザーエドワード・ジェンナーとブラザーサーアレキサンダー・フレミングの発見、発明は近代医学の金字塔です。
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ブラザーサージョン・エヴァレット・ミレーの墓です。テートブリテンにある、漱石の草枕で有名なオフィーリアの絵で日本人にも有名なブラザーミレーです。死の直前にロイヤルアカデミーの会長に選出されたそうです。単純に日本人が見てうまいなと思うイギリスの画家なんだと思われます。ヨセフ物語の回で取り上げた大工のヨセフを描いた象徴画はシンボルを含む絵画としてそのキリスト教の特に新約聖書に関するエッセンスを極めた作品として秀逸と思われます。
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ブラザージョセフ・マロード・ウィリアム・ターナーの墓です。テートブリテンに展示が多数ありました。自画像がありますが、ウィキペディアには恐らく実物に近い他の作家による彼の肖像画があります。名前にジョセフがあり、イタリアで絵画を学んだりと英才教育を受けた様子がうかがわれます。日本人からすると彼のぼかした感じは水墨画に普遍的なアジアで良くある風景画の手法であり、あまり特筆すべきものではないようですが、恐らく印象派以前のヨーロッパでは珍しいものであったのではないでしょうか。まあ画家や芸術家が自尊心が強いのは良くある当たり前の話ではないかと思われます。
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ブラザーサーアーサー・サリヴァンの墓です。作曲家でオペラ「ミカド」の作曲をしています。代表的なジャポニズムを象徴するオペラです。

動画がありましたので置きます。(1/22/2013追記:ミカドの動画も削除されていましたので他のものに変更しています。)どうでしょうか。蝶々夫人より衝撃的かもしれません。今年新たに京都に再興された日本グランドロッジ管轄下のロッジはそのもの通りのミカドロッジと言います。
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ブラザージョシュア・レイノルズの墓です。初代ロイヤルアカデミー会長を務めた画家です。イタリアで絵画の勉強中に難聴になってしまったそうです。まあなんというか絵画文化とイングランド、フリーメイスンリーを象徴するような逸話ですね。ウィキペディアの作品を見てもあまりぱっとしませんが、写真の無かった当時としては十分絵画としての役割を満たしたものであるようです。ウィキペディアに書いてある評価もまさにその通りのようです。
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ブラザーヘンリー・ムーアの墓です。20世紀を代表するイギリスの彫刻家で抽象彫刻を広めたそうです。関東では箱根彫刻の森美術館でコレクションがあるそうです。非常に芸術家として富を築いたそうですが本人は質素な暮らしをして財団を作って残したそうです。まさにフリーメイスン的な逸話だと思われます。まあファン・ゴッホの話ではないですが、芸術とフリーメイスンリーの逸話はなかなか複雑です。
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ブラザーサーエドウィン・ランドシーアの墓です。犬のペットの絵を多数描いた画家のようで、特にニューファンドランド犬を好んだそうです。トラファルガー広場のライオンの彫刻を作ったそうです。ロイヤルアカデミーの会長職を固辞したそうで、晩年はアルコールと薬物で狂気に陥ったそうです。まさにフリーメイスンリー的な逸話でしょうか。ファン・ゴッホなどとも近いものを感じさせます。
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ブラザーベンジャミン・ウェストの墓です。ペンシルベニア植民地で生まれウィキペディアにある絵を見ると植民地での戦争やインディアンの様子を描いた絵を描いたようです。王室に雇われてイギリスで死んだそうです。写真のない時代の一種の写真家かスパイの役割なのでしょうね。
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ブラザーカスバート・コリングウッド卿の墓です。ブラザーホレーショ・ネルソンの副官としてトラファルガーの海戦を戦いネルソンタッチの先頭の艦を指揮していました。
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ブラザーサージョージ・ウィリアムズの墓です。記念のプレートでも掲示されていたYMCAの創設者ですね。結婚した人がヒッチコックというそうです。

さてここからはFind A GraveでSt. Paul Cathedralで検索したものです。異常に多いのですがグランドロッジ結成以後の方は全てフリーメイスンとしてご紹介します。お墓の画像が無いものについては省略しています。
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ブラザーローレンス・アルマ=タデマの墓です。オランダからイギリスに移住した画家で、ウィキペディアで作品を見ると明らかに色彩感覚は異なりますが、写実的な画法はやはりイギリス人好みなのだと思います。一見するとセントポール大聖堂はイギリスの画家が多いのでしょうか。
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ブラザージェームズ・バリーの墓です。独自に勉強した画家でブラザーウィリアム・ブレイクに影響を与えたようです。
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ブラザーデビッド・ベティー卿の墓です。マフディー戦争と第一次世界大戦のユトラント海戦に参加した海軍提督でワシントン軍縮条約にも参加したそうです。トラファルガー広場に銅像があるそうです。
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ブラザーサーヘンリー・マキシミリアム・ビアボーンの墓です。風刺画家のようです。
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ブラザーウィリアム・ブレイクの墓です。
Charles George Gordon
ブラザーチャールズ・ジョージ・ゴードンの墓です。軍人で太平天国の乱で鎮圧軍を指揮し、スーダンの内乱で死にました。テムズ川沿いに銅像があったかと思います。
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ブラザーウィリアム・カーネギー卿の墓です。イギリス海軍の提督でアメリカ独立戦争、ナポレオン戦争で活躍しました。
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ブラザージョン・コンスタブルの記念碑です。風景画の画家でブラザーターナーに匹敵すると評価されるようです。
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ブラザーチャールズ・コーンウォリス卿の墓です。アメリカ独立戦争でイギリス軍の総司令官として活躍し、ラファイエット将軍と戦いながら最終的にブラザーワシントンが指揮するアメリカ大陸軍とフランス軍に降伏し、チャールズ・オハラ准将を敗軍の使いとし、ベンジャミン・リンカーン副将がその剣を受け取ったそうです。なかなか名前が色々ありそうな名前ばかりです。その後もインド総督やアイルランド総督などを務め順調に出世したそうで、独立戦争での敗北はあまり不名誉ではなかったようです。ブラザーナポレオンとのアミアンの和約も行ったそうです。どうも役者が皆一緒のようです。
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ブラザージョージ・クルックシャンクの墓です。風刺画家、挿絵画家で色々逸話があるようです。
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ブラザー小ジョージ・ヤングの墓です。ギルドホールやマンションハウス(イングランド銀行の反対側にある建物、エジプト風ホールというフリーメイスンリーのバンケットを行うホールがある。)を建築した建築家です。やはりセントポール大聖堂はなかなか大物揃いです。
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ブラザーウォルター・デ・ラ・メアの墓です。ジャックと豆の木の童話などを書いた児童文学作家です。
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ジョン・コレットの墓です。14世紀のルネッサンス時代の司祭でトマス・モアやエラスムスにキリスト教的ヒューマニズムを教えた人だそうです。まさにフリーメイスンリーにまつわる偉大な影響を与えた人物です。
Robert III de Artois
ロベール3世・ダルトワの墓です。フランス貴族でイギリスに亡命後女系継承をエドワード三世に勧めて百年戦争のきっかけを作ったそうです。女系継承などフリーメイスンリーのポイントのようです。
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ジョン・ダンの墓です。カトリックから国教会に改宗してセントポール大聖堂の司祭になり数多くの詩を残したそうです。ヘミングウェイの誰がために鐘は鳴るは彼の詩の一節だそうです。二人の離れ離れの恋人をコンパスのそれぞれの足に例えた詩もあるそうです。
Dudley Pound
ブラザーアルフレッド・ダドリー・ピックマン・ロジャーズ・パウンドの墓です。海軍元帥でユトラント海戦で活躍しその後第一海軍卿になったそうですが脳腫瘍で56歳で亡くなったそうです。母親がアメリカ人であったそうです。
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ブラザーサージョージ・ジェームズ・フランプトンの墓です。元々石工の子供であったらしく、その後有名な彫刻家となったようです。宇都宮にある妖精ミュージアムに作品があるそうです。
Gen Evelyn Wood
ブラザーサーヘンリー・エブリン・ウッドの墓です。陸軍元帥でマフディー戦争や第一次ボーア戦争で活躍したそうです。
George Duff
ブラザージョージ・ダフの墓です。アメリカ独立戦争、フランス革命戦争、ナポレオン戦争で活躍した海軍の艦長でトラファルガー海戦で戦死したそうです。
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ブラザーサージョージ・グレイの墓です。陸軍軍人で南オーストラリア、南アフリカ、ニュージーランドの総督を務め、ニュージーランドの首相も務めたそうです。
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ブラザーゴードン・ハミルトン・フェアリーの墓です。父親も熱帯医学の専門家であったそうで、本人は血液内科の教授であったそうです。IRAのテロで犬の散歩をしていて亡くなったそうです。
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ブラザーウォルター・リチャード・ポロック・ハミルトンの記念碑です。陸軍軍人で第一次アフガニスタン戦争で戦死したそうです。
Hubert Parry
ブラザーサーチャールズ・ヒューバート・ヘイスティングス・パリーの墓です。第二のイギリス国歌とも言われるエルサレムを作曲した作曲家です。
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ブラザージョン・ラッシュワース・ジェリコー卿の墓です。第一次世界大戦のユトランド沖海戦で戦艦の艦長であった海軍元帥です。トラファルガー広場に銅像があるそうです。
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ブラザーエドモンド・ジョージ・ヴァルピー・ノックスの墓です。雑誌パンチを編集したそうです。風刺作家とされるようです。
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ブラザーフレデリック・レイトン卿の墓です。歴史や聖書などの古典的題材に基づく画家です。フレイミング・ジューンが有名なようです。
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ブラザーサーウィリアム・レウェリンの墓です。ロイヤルアカデミーの会長を務めた画家です。
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ブラザーサーエドウィン・ランドシーア・ラッチェンスの墓です。ロイヤルアカデミーの会長を務めた建築家で、デリーのインド門を建築しました。
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ブラザーウィリアム・ラム卿です。ヴィクトリア女王時代のホイッグ党の首相です。ジョージ4世の放蕩仲間で数々の醜聞にまみれたそうですが、首相としての信任は厚かったようです。
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ブラザーロバート・ミルンの墓です。スコットランドの石工の家系に生まれた実務的メイスンです。スコットランドの多くの建築や城の補修や拡張などを行ったそうです。
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フローレンス・ナイチンゲールの墓です。クリミア戦争に従軍し看護師の職業を確立した女性です。クリミア戦争以降は慢性疲労症候群によりほぼ病床にあったそうです。
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ブラザーアイヴァー・ノヴェロの記念碑です。作曲家であり俳優であり同性愛者であったそうです。
Philip Louis Vian
ブラザーサーフィリップ・ルイス・ビアンの墓です。海軍元帥で二つの世界大戦に従軍しました。
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ブラザーサーエドワード・ジョン・ポインターの墓です。画家でエジプトのイスラエル人がこのブログでも取り上げたでしょうか。シバの女王の訪問やソロモン王といったいかにもな題材を描いています。ブラザーミレーの死後にロイヤルアカデミーの会長に就任しています。孫にブラザーキップリングとスタンリー・ボールドウィン首相がいます。
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ブラザージョン・レニーの墓です。スコットランドの技術者で運河や橋を数多く設計したそうです。
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ブラザーフレデリック・スレイ・ロバーツ卿の墓です。インド大反乱や第二次アフガン戦争、第二次ボーア戦争で活躍した陸軍元帥です。
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ブラザージョージ・ブリッジス・ロドニーの記念碑です。海軍提督でアメリカ独立戦争で活躍したそうです。
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ブラザーサーウィリアム・ジョセフ・スリム卿の記念碑です。陸軍軍人でオーストラリアの総督を務めた方です。ウェストミンスターに銅像がありました。ビルマ戦線で活躍したそうです。
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サーフィリップ・シドニーの墓です。エリザベス女王の元で詩人であり軍人であったそうです。
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アンソニー・ヴァン・ダイクの記念碑です。スペイン領ネーデルランドからイングランドに渡ったルーベンスの弟子の画家です。数々の肖像画で有名です。
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ブラザージョージ・ワシントンの胸像があるそうです。セントポール大聖堂ならではだと思います。
William Holman Hunt
ブラザーウィリアム・ホルマン・ハントの墓です。ブラザーミレーらとともにラファエル前派を結成した画家です。このブログでもキリストの象徴画として死の影を取り上げています。
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ブラザーサーヘンリー・ヒューズ・ウィルソン卿の墓です。第一次世界大戦で活躍した陸軍元帥で北アイルランドの大臣となってIRAのテロで亡くなったそうです。
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ブラザーガーネット・ジョセフ・ウォルスリー卿の墓です。世界各地の英領植民地で活躍した陸軍元帥です。ホースガードに銅像があったかと思います。
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ジョン・ウィクリフの記念碑です。14世紀のイングランドの宗教改革の先駆けであった神学者でカトリックからは異端とされましたが化体説を批判したり、聖書の翻訳をしたそうです。12月28日に脳卒中を起こして31日に亡くなったそうです。

以上で地下の聖堂、クリプトにある墓所の説明は終了です。実際には螺旋階段を上って囁きの間などの空間を見学し、ドームの外からシティーを眺望した後に見学した場所です。
次回その螺旋階段や囁きの間、シティーの眺めなどの解説です。
ぜひこのブログでの解説を参照として訪問してください。
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