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Blue Lodge, Scottish Rite & York Rite in Japan
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いろいろ検索するとパリの観光案内は実に多彩に認められますね。
私は行きませんでしたが7.5ユーロを払うと左側に塔への登り口があって螺旋階段を登ったりしてシメールやガーゴイルが見られる屋上に出られるそうです。ぜひ再び訪問する際には行ってみたいものです。
ちょっとその後のルーブル美術館に向けて急かされていたのかもしれません。

ノートルダム大聖堂を再び外から眺めています。Vesica Piscisの形と三角形の形が入り混じっている感じでしょうか。対称形で塔を持つのはゴシックの様式なのだと思われます。

シャルルマーニュ、カール大帝の像です。カールの戴冠などでカトリック教会に利用されていた感の強いフランク王国統一のゲルマン人の王ですが、文盲であるといってもラテン語が話せるなどそれなりの学問の素養はあったようです。カールの戴冠で意図せずしてカトリック教会の教皇権の優位を示すこととなったわけですが、その後カノッサの屈辱の時期を経て、アヴィニョン捕囚などで教皇権の低下を認め徐々に宗教改革の機運が高まり、やがてはプロテスタントとカトリックの対立からピューリタン革命やユグノー戦争となり、それらはまたフリーメイスンリーの勃興へと繋がっていくのかと思います。

ちょっとずつ離れていきます。

近くのゴシックの尖塔です。

さらに離れて行きます。また雨が降ってきましたね。

パリの最高裁判所のようです。

シャンジュ橋のようです。両替商が多くいたそうです。もうひとつ先がポンヌフ橋です。ポンが橋の意味なので本当はヌフ橋です。

こちらも橋の上から見た最高裁判所でしょうか。

フォンテーヌ·デュ·パルミエというブラザーナポレオンのエジプト遠征での勝利を記念した泉と塔のようです。意味はヤシの木の泉という意味だそうです。右手に見えるのがサンジャックの塔というかつて天文台としても利用された塔です。教会の塔であったそうですが、革命で教会部分が取り壊されて塔だけが残ったそうです。やはりガーゴイルが目立ちます。


ポンヌフからエッフェル塔を望みます。



ブラザーナポレオンはマルタ島を経由してアレクサンドリアに上陸しエジプト遠征を開始します。オスマントルコ軍に対して圧倒的な戦力で勝ち進みますが、実質十字軍の役割であったためかシリア、パレスチナを攻略した際にペストが流行し発病者を見捨てていったそうです。結局ナイルの海戦で補給を断たれたフランス軍はブラザーナポレオンら少数の将官のみでフランスに帰国し、後の1万5千人もの将兵は結局イギリス・オスマン帝国連合軍に降伏し、本国に送還されたそうです。ブラザーナポレオン軍のエジプト遠征の最大の成果はロゼッタ・ストーンの発見と王家の谷やルクソールのカルナック神殿を記録しヨーロッパに報告してエジプト学の発展に寄与した事で、ヨハネ騎士団の根拠地であるマルタ島で始まり、パレスチナの地のペストで終わるこれらの活動はキリスト教やユダヤ教の様々な因縁が複雑に絡んだ結果の一種の十字軍運動であったのかもしれません。平然とスフィンクスが水を吐いている噴水がなんともパリを象徴している感じです。これらの歴史からスフィンクスがフリーメイスンリーの象徴となり、ライオンズクラブなどに取り入れられているのかと思われます。

アンネの日記のアンネ・フランクの舞台の宣伝のようです。





サンジャックの塔です。とても不気味ですが非常に魅力的な建築です。私はパリの中ではエトワール凱旋門やエッフェル塔を除けばこの塔が最も印象的でした。塔の下の内部にパスカルの定理で有名なブレーズ・パスカルの像があるそうです。パスカルはフリーメイスンリー結成以前の哲学者、数学者であり、カトリックの異端とされたカルバン派の影響を受けたジャンセニズムの信者であり、極端な禁欲主義を貫いたそうです。パンセの人間は考える葦であるというフレーズは有名です。
ブラザーナポレオン三世の時代にスクウェアの公園に残されたそうです。ちょっと見るとワシントンD.C.のワシントン記念塔のような印象でしょうか。

リヴォリ通りを歩いていきます。雨もだいぶ降ってきています。

途中にあったブランドのブティックでしょうか。入口で白黒になっていたので撮りました。
さてやっとこルーブル美術館に近づきます。
私は行きませんでしたが7.5ユーロを払うと左側に塔への登り口があって螺旋階段を登ったりしてシメールやガーゴイルが見られる屋上に出られるそうです。ぜひ再び訪問する際には行ってみたいものです。
ちょっとその後のルーブル美術館に向けて急かされていたのかもしれません。

ノートルダム大聖堂を再び外から眺めています。Vesica Piscisの形と三角形の形が入り混じっている感じでしょうか。対称形で塔を持つのはゴシックの様式なのだと思われます。

シャルルマーニュ、カール大帝の像です。カールの戴冠などでカトリック教会に利用されていた感の強いフランク王国統一のゲルマン人の王ですが、文盲であるといってもラテン語が話せるなどそれなりの学問の素養はあったようです。カールの戴冠で意図せずしてカトリック教会の教皇権の優位を示すこととなったわけですが、その後カノッサの屈辱の時期を経て、アヴィニョン捕囚などで教皇権の低下を認め徐々に宗教改革の機運が高まり、やがてはプロテスタントとカトリックの対立からピューリタン革命やユグノー戦争となり、それらはまたフリーメイスンリーの勃興へと繋がっていくのかと思います。

ちょっとずつ離れていきます。

近くのゴシックの尖塔です。

さらに離れて行きます。また雨が降ってきましたね。

パリの最高裁判所のようです。

シャンジュ橋のようです。両替商が多くいたそうです。もうひとつ先がポンヌフ橋です。ポンが橋の意味なので本当はヌフ橋です。

こちらも橋の上から見た最高裁判所でしょうか。

フォンテーヌ·デュ·パルミエというブラザーナポレオンのエジプト遠征での勝利を記念した泉と塔のようです。意味はヤシの木の泉という意味だそうです。右手に見えるのがサンジャックの塔というかつて天文台としても利用された塔です。教会の塔であったそうですが、革命で教会部分が取り壊されて塔だけが残ったそうです。やはりガーゴイルが目立ちます。


ポンヌフからエッフェル塔を望みます。



ブラザーナポレオンはマルタ島を経由してアレクサンドリアに上陸しエジプト遠征を開始します。オスマントルコ軍に対して圧倒的な戦力で勝ち進みますが、実質十字軍の役割であったためかシリア、パレスチナを攻略した際にペストが流行し発病者を見捨てていったそうです。結局ナイルの海戦で補給を断たれたフランス軍はブラザーナポレオンら少数の将官のみでフランスに帰国し、後の1万5千人もの将兵は結局イギリス・オスマン帝国連合軍に降伏し、本国に送還されたそうです。ブラザーナポレオン軍のエジプト遠征の最大の成果はロゼッタ・ストーンの発見と王家の谷やルクソールのカルナック神殿を記録しヨーロッパに報告してエジプト学の発展に寄与した事で、ヨハネ騎士団の根拠地であるマルタ島で始まり、パレスチナの地のペストで終わるこれらの活動はキリスト教やユダヤ教の様々な因縁が複雑に絡んだ結果の一種の十字軍運動であったのかもしれません。平然とスフィンクスが水を吐いている噴水がなんともパリを象徴している感じです。これらの歴史からスフィンクスがフリーメイスンリーの象徴となり、ライオンズクラブなどに取り入れられているのかと思われます。

アンネの日記のアンネ・フランクの舞台の宣伝のようです。





サンジャックの塔です。とても不気味ですが非常に魅力的な建築です。私はパリの中ではエトワール凱旋門やエッフェル塔を除けばこの塔が最も印象的でした。塔の下の内部にパスカルの定理で有名なブレーズ・パスカルの像があるそうです。パスカルはフリーメイスンリー結成以前の哲学者、数学者であり、カトリックの異端とされたカルバン派の影響を受けたジャンセニズムの信者であり、極端な禁欲主義を貫いたそうです。パンセの人間は考える葦であるというフレーズは有名です。
ブラザーナポレオン三世の時代にスクウェアの公園に残されたそうです。ちょっと見るとワシントンD.C.のワシントン記念塔のような印象でしょうか。

リヴォリ通りを歩いていきます。雨もだいぶ降ってきています。

途中にあったブランドのブティックでしょうか。入口で白黒になっていたので撮りました。
さてやっとこルーブル美術館に近づきます。
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