FREEMASONRY
Blue Lodge, Scottish Rite & York Rite in Japan
| ホーム |
さてさてまあ虹ももう見終わっちゃったわけですが、パリ観光としては大体メッカの場所ではないでしょうか。光の都パリ、日本で言うところの花の都パリの由縁となっているであろうところがこのルーヴル美術館前のカルーゼル広場、テュイルリー広場、コンコルド広場、シャンゼリゼ通りに繋がる一連の広場ではないでしょうか。
パリの歴史軸とも言うこの直線のセーヌ川沿いに連なる通りは14世紀から各王の時代でルーヴル宮殿、テュイルリー宮殿、テュイルリー庭園を軸として開発が進められ、ルイ14世の時代にシャンゼリゼ通りが延伸されました。その後ブラザーナポレオンがカルーゼル凱旋門とエトワール凱旋門を建設し、さらにその後の7月王政下でブラザームハンマド・アリーから贈られたコンコルド広場のオベリスクが建てられました。ブラザーナポレオン三世の第二帝政期にエトワール凱旋門周囲の12本の道路が整備され、普仏戦争末期のパリコミューンの時代にテュイルリー宮殿が放火により焼失しました。その後二つの大戦を経て、ミッテラン大統領、彼もフリーメイスンでしょう、の時代にラ・デファンスに超高層ビル群とともに新しい凱旋門となるグランダルシュが完成し一応ここまでが一通りの直線を形作っています。

まあまた親切なブログなのでグーグルアースの地図を載せます。実際にはグランダルシェまで歩いたらすごい距離になって帰れなくなるのでエトワール凱旋門でホテルに戻りました。パリの夜景を見る位余裕があれば良かったのですが、なんせ2泊3日でヴェルサイユまで行く計画でいましたから地下鉄やタクシーを効率よく利用しなければこの位なものではないでしょうか。テュイルリー広場は天気が悪かったせいか虹を二回も観た後のせいか感動もありませんでした。上野公園と日比谷公園をミックスしたようなやたら一直線にオベリスクと凱旋門が連なる通りは何というか幾何学と言うよりもその直線性を強調した感じでしょうか。エッフェル塔が斜めに見える事で恐らく直角三角形を構成するのだと思いますが、あまり謎と言うよりはちょっと不可解な景色という印象なのだと思います。ヴェルニー公園で慣らされていると全く違和感はないのでしょうかね。やはりワシントンD.C.の造形はこれらパリの都市建設と極めて一致して作られているのかと思いますが、どうもやはりワシントンD.C.の作りが良くできていすぎてあれを見た後だとなかなか感慨は薄いのでしょうか。

雨上がりのパリの夕景です。またこの後で降ってきます。フリーメイスンリーを良く知らない人はパリと言うだけで情緒的に思われるかもしれませんが、パリの中心を構成する直角三角形の長辺を移動するという表現が適切ではないでしょうか。

エッフェル塔です。

水辺のガルリーというかつてのテュイルリー宮殿とルーヴル宮殿を結ぶためにアンリ4世によって作られた廊下です。庭園には銅像が立っています。

現代芸術が多く認められます。

これが反対側でしょうか。

黄金のジャンヌ・ダルク像があります。

銅像は人間よりも何か動物のものが多い感じでした。


雨の後は非常に歩きづらいですが、泥が酷いという事はありません。水たまりがそこらじゅうに出来てそれで歩きづらいという感じです。


噴水が二つあってその最初の噴水ですね。後で訪問するヴェルサイユ宮殿の庭園を意識した形になっているのだと思いますが、噴水を囲む像の意味はわかりません。

コンコルド広場のオベリスク側ですね。

ルーヴル美術館側です。



さらに移動します。

こういう現代アートがあります。


二つ目の噴水があります。オベリスクが近くなり噴水ときれいに重なります。ヴェルサイユ宮殿のオベリスクという噴水の名とかかるのかと思われます。

今度はエッフェル塔と重ねてみました。

コンコルド広場につきました。ここでもやはりネットで見つけた写真の通りオベリスクとエッフェル塔の重ね合わせです。コンコルド広場は想像していたよりもかなり騒々しく車が行き交っていて、車が少ない夜や朝方が良いようです。写真を撮っていると危ないかもしれません。



まあ曇天で何を撮ってもうまくありません。



台座には移送と建立の経緯を描いているようです。冠石は紀元前にエジプトで失われて、新しい金のものは1998年にシラク大統領のもとで復元されたようです。

フランス国民議会であるブルボン宮です。


曇天では冴えませんね。

ゴシックの尖塔です。

コンコルド広場の表示です。かつて革命前はルイ15世の騎馬像が置かれていたそうです。革命時期は壮絶なギロチン会場であったそうです。


グラン・パレです。1900年のパリ万国博覧会の主会場です。ロンドンのクリスタルパレスを模したつくりなのでしょうか。手前がド・ゴール初代大統領の銅像です。ド・ゴールはフリーメイスンかどうかはわかりませんが、11月22日生まれで2mの長身であったそうです。父親がイエズス会学院の校長でミドルネームがジョセフで11月9日に亡くなったそうです。まあこれだけの情報でフリーメイスンであったかどうかは断定できませんが、フリーメイスンリーが盛んなフランスで象徴的な大統領であるだけにフリーメイスンリーとの関わりは否定できません。

先にブラザーナポレオンの柩がある廃兵院、アンヴァリッドがあります。この時は訪問しませんでしたねえ。フランスフリーメイスンリーの記念碑的な場所であるようです。アメリカ合衆国議事堂のモデルとなったようです。数多くのフリーメイスンと思われるフランス軍人が葬られているようです。




ブラザーフランクリン・デラノ・ルーズベルト通りです。このシャンゼリゼ通りの入り口のロータリーの道の事を指すようです。

この辺でやっぱり大雨ですかね。シャンゼリゼ通りは相当美しい華やかな通りでしたね。まず目につくのがシトロエンのダブルシェブロンですね。

ディズニーは何を売っているんでしょうね。まあ高級お土産物屋に近いのでしょうか。

ヴァージンはイギリスの元々音楽業界の会社ですが、2000年に創業者のリチャード・ブランソンがナイトの称号を受けています。

ルノーですね。

セフォラという化粧品メーカーだそうです。ルイ・ヴィトングループの一つだそうです。白黒の入り口でした。



ルイ・ヴィトンの看板が目立ちます。

シャンゼリゼ通りの歩道はこんな感じです。大雨ですね。

ゴシック建築の尖塔があります。

ジョージ五世というカフェがありました。ロンドンでもあったようです。エリザベス二世の父親のフリーメイスンですね。


Gのシンボルはヨーロッパではかなり珍しいです。眼鏡屋さんでしょうか。シンボルありきでここに店があるようです。

スワロフスキーはさいか屋の白鳥と同じSをかたどった白鳥のシンボルです。恐らく創業者がフリーメイスンなのでしょうね。

モンブランは万年筆で有名な高級文房具メーカーですが、白黒と六芒星のシンボルです。店に歯車が書いてあるのでロータリークラブなのでしょうか。
まあなんかフリーメイスンかロータリークラブ、ライオンズクラブのメンバーに対する教育の道のようなシャンゼリゼ通りです。実際そういう場所であるようです。
次回エトワール凱旋門に到達します。
パリの歴史軸とも言うこの直線のセーヌ川沿いに連なる通りは14世紀から各王の時代でルーヴル宮殿、テュイルリー宮殿、テュイルリー庭園を軸として開発が進められ、ルイ14世の時代にシャンゼリゼ通りが延伸されました。その後ブラザーナポレオンがカルーゼル凱旋門とエトワール凱旋門を建設し、さらにその後の7月王政下でブラザームハンマド・アリーから贈られたコンコルド広場のオベリスクが建てられました。ブラザーナポレオン三世の第二帝政期にエトワール凱旋門周囲の12本の道路が整備され、普仏戦争末期のパリコミューンの時代にテュイルリー宮殿が放火により焼失しました。その後二つの大戦を経て、ミッテラン大統領、彼もフリーメイスンでしょう、の時代にラ・デファンスに超高層ビル群とともに新しい凱旋門となるグランダルシュが完成し一応ここまでが一通りの直線を形作っています。

まあまた親切なブログなのでグーグルアースの地図を載せます。実際にはグランダルシェまで歩いたらすごい距離になって帰れなくなるのでエトワール凱旋門でホテルに戻りました。パリの夜景を見る位余裕があれば良かったのですが、なんせ2泊3日でヴェルサイユまで行く計画でいましたから地下鉄やタクシーを効率よく利用しなければこの位なものではないでしょうか。テュイルリー広場は天気が悪かったせいか虹を二回も観た後のせいか感動もありませんでした。上野公園と日比谷公園をミックスしたようなやたら一直線にオベリスクと凱旋門が連なる通りは何というか幾何学と言うよりもその直線性を強調した感じでしょうか。エッフェル塔が斜めに見える事で恐らく直角三角形を構成するのだと思いますが、あまり謎と言うよりはちょっと不可解な景色という印象なのだと思います。ヴェルニー公園で慣らされていると全く違和感はないのでしょうかね。やはりワシントンD.C.の造形はこれらパリの都市建設と極めて一致して作られているのかと思いますが、どうもやはりワシントンD.C.の作りが良くできていすぎてあれを見た後だとなかなか感慨は薄いのでしょうか。

雨上がりのパリの夕景です。またこの後で降ってきます。フリーメイスンリーを良く知らない人はパリと言うだけで情緒的に思われるかもしれませんが、パリの中心を構成する直角三角形の長辺を移動するという表現が適切ではないでしょうか。

エッフェル塔です。

水辺のガルリーというかつてのテュイルリー宮殿とルーヴル宮殿を結ぶためにアンリ4世によって作られた廊下です。庭園には銅像が立っています。

現代芸術が多く認められます。

これが反対側でしょうか。

黄金のジャンヌ・ダルク像があります。

銅像は人間よりも何か動物のものが多い感じでした。


雨の後は非常に歩きづらいですが、泥が酷いという事はありません。水たまりがそこらじゅうに出来てそれで歩きづらいという感じです。


噴水が二つあってその最初の噴水ですね。後で訪問するヴェルサイユ宮殿の庭園を意識した形になっているのだと思いますが、噴水を囲む像の意味はわかりません。

コンコルド広場のオベリスク側ですね。

ルーヴル美術館側です。



さらに移動します。

こういう現代アートがあります。


二つ目の噴水があります。オベリスクが近くなり噴水ときれいに重なります。ヴェルサイユ宮殿のオベリスクという噴水の名とかかるのかと思われます。

今度はエッフェル塔と重ねてみました。

コンコルド広場につきました。ここでもやはりネットで見つけた写真の通りオベリスクとエッフェル塔の重ね合わせです。コンコルド広場は想像していたよりもかなり騒々しく車が行き交っていて、車が少ない夜や朝方が良いようです。写真を撮っていると危ないかもしれません。



まあ曇天で何を撮ってもうまくありません。



台座には移送と建立の経緯を描いているようです。冠石は紀元前にエジプトで失われて、新しい金のものは1998年にシラク大統領のもとで復元されたようです。

フランス国民議会であるブルボン宮です。


曇天では冴えませんね。

ゴシックの尖塔です。

コンコルド広場の表示です。かつて革命前はルイ15世の騎馬像が置かれていたそうです。革命時期は壮絶なギロチン会場であったそうです。


グラン・パレです。1900年のパリ万国博覧会の主会場です。ロンドンのクリスタルパレスを模したつくりなのでしょうか。手前がド・ゴール初代大統領の銅像です。ド・ゴールはフリーメイスンかどうかはわかりませんが、11月22日生まれで2mの長身であったそうです。父親がイエズス会学院の校長でミドルネームがジョセフで11月9日に亡くなったそうです。まあこれだけの情報でフリーメイスンであったかどうかは断定できませんが、フリーメイスンリーが盛んなフランスで象徴的な大統領であるだけにフリーメイスンリーとの関わりは否定できません。

先にブラザーナポレオンの柩がある廃兵院、アンヴァリッドがあります。この時は訪問しませんでしたねえ。フランスフリーメイスンリーの記念碑的な場所であるようです。アメリカ合衆国議事堂のモデルとなったようです。数多くのフリーメイスンと思われるフランス軍人が葬られているようです。




ブラザーフランクリン・デラノ・ルーズベルト通りです。このシャンゼリゼ通りの入り口のロータリーの道の事を指すようです。

この辺でやっぱり大雨ですかね。シャンゼリゼ通りは相当美しい華やかな通りでしたね。まず目につくのがシトロエンのダブルシェブロンですね。

ディズニーは何を売っているんでしょうね。まあ高級お土産物屋に近いのでしょうか。

ヴァージンはイギリスの元々音楽業界の会社ですが、2000年に創業者のリチャード・ブランソンがナイトの称号を受けています。

ルノーですね。

セフォラという化粧品メーカーだそうです。ルイ・ヴィトングループの一つだそうです。白黒の入り口でした。



ルイ・ヴィトンの看板が目立ちます。

シャンゼリゼ通りの歩道はこんな感じです。大雨ですね。

ゴシック建築の尖塔があります。

ジョージ五世というカフェがありました。ロンドンでもあったようです。エリザベス二世の父親のフリーメイスンですね。


Gのシンボルはヨーロッパではかなり珍しいです。眼鏡屋さんでしょうか。シンボルありきでここに店があるようです。

スワロフスキーはさいか屋の白鳥と同じSをかたどった白鳥のシンボルです。恐らく創業者がフリーメイスンなのでしょうね。

モンブランは万年筆で有名な高級文房具メーカーですが、白黒と六芒星のシンボルです。店に歯車が書いてあるのでロータリークラブなのでしょうか。
まあなんかフリーメイスンかロータリークラブ、ライオンズクラブのメンバーに対する教育の道のようなシャンゼリゼ通りです。実際そういう場所であるようです。
次回エトワール凱旋門に到達します。
- 関連記事
-
- ベルエポック ミュゼドルセー
- 石工の鉄塔 エッフェル塔
- パリの中のアメリカ 自由の女神
- 石工の刻みし街 パリオペラ座周辺
- 第三の奇跡 エトワール凱旋門 その3
- 第三の奇跡 エトワール凱旋門 その2
- 第三の奇跡 エトワール凱旋門 その1
- 第二の奇跡 ルーヴル美術館 コンコルド広場 シャンゼリゼ通り その3
- 第二の奇跡 ルーヴル美術館 コンコルド広場 シャンゼリゼ通り その2
- 第二の奇跡 ルーヴル美術館 コンコルド広場 シャンゼリゼ通り その1
- 神なき街 パリ ノートルダム大聖堂周辺 その3
- 神なき街 パリ ノートルダム大聖堂周辺 その2
- 神なき街 パリ ノートルダム大聖堂周辺 その1
- 革命の馬鹿騒ぎ その始まり バスティーユ
- もう一つのフリーメイスンリー Grand Orient de France その3
| ホーム |