FREEMASONRY
Blue Lodge, Scottish Rite & York Rite in Japan
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このブログ始まって以来最大の空白期間となったわけですが、皆さんお元気でしょうか。
まあ世の中色々事件が多発して、日本も地震やら何やら本当に様々な事件が散発して一週間か十日といえども現代は本当に変化が激しく気忙しいというのがまさに時代の特色ではないかとそういう印象ではないでしょうか。
色々と書き途中の内容や、すぐに書き続く事ができるネタはあるわけですが、どうも情報社会の最先端を担っていると自負するこのブログですが、なかなか環境的にも状況的にもそれなりの内容を維持するためにも若干の休息が徐々に必要となって来たのが明らかなのかもしれません。
それで最も継続しやすいアメリカの州章シリーズもあり、その他にもいくつか内容の案があるわけですが、色々な状況を鑑みてここで改めて最も私的な部類に属するフリーメイスンリー関連の読書の、文学と音楽の趣味の濃厚なブラザースタンダールによる処女作モーツァルト伝についてを取り上げようかと思います。
まあ私はブラザースタンダールについては高校倫理の教科書で恋愛論の作者として知ったのが初めてだったわけで、その後大岡昇平の「パルムの僧院」を読んで初めて読書の楽しみというものを知った感じであったわけですが、実際「恋愛論」は読んでみて冒頭の「情熱恋愛は実際には存在しない」という彼の論を読んで世の中の最大の秘密を知ったような衝撃を受けたものでした。
まあ内容についてはかなり昔なのでほぼ忘れてしまっていますが、恋愛論の内容については翻訳やニュアンスの問題もあり、そのような内容で書いてあるかどうかは保証できかねますが、いずれにしてもいわゆる大岡訳を読んでスタンダリアンとなったと自覚する人間としては、大岡昇平訳が聖書の翻訳版のように最も推奨される翻訳であるかと思われますが、読んだ当時は原著を読まなければならないと思ったものでした。(大岡昇平もフィリピンに出兵したりしているそうですが、亡くなられたのはやはり12月25日クリスマスだそうです。)
ブラザースタンダールがフリーメイスンであったと知ったのはもちろんフリーメイスンリーについて知った後であり、受験勉強で独自にStudy in Scarletを翻訳した事があるブラザーサーアーサー・コナン・ドイルがフリーメイスンであったと知った時より衝撃でした。今でもあまり信じられないほどですが、ここで記事にすることでブラザースタンダールがフリーメイスンであるという事を理解し納得する過程となればと思っています。
私自身特に文学や読書に専心した思いはなかったのですが、学生時代に特に現在に繋がるインターネットやフリーメイスンリーに繋がる事以外にスポーツや勉強、趣味といったところで自分から積極的に熱中したという事ははっきりとはなく、読書にしてもいわゆる常識や古典としての知識を求めた結果であり、ブラザースタンダールはその中では比較的偏った傾向のある著者であり、その他には海外の作家としてはシェイクスピアやヘミングウェイ、トルストイやドストエフスキーと言ったいわゆる世界文学全集に含まれる長編小説といったものを翻訳で読んでいる、いわゆる詰まらない読者であり、読書そのものを楽しむというほどにも無い人間ですが、その中で唯一熱中して読んだと言えるのがブラザースタンダールの「パルムの僧院」大岡昇平訳であったかと思います。ただその「パルムの僧院」であっても大岡昇平訳以外を読んではっきりと内容の違いを感じてなんとまあ翻訳で異なるものかという事を認識し、ブラザーモーツァルト伝が処女作であると知りなかなかそういうものの理屈を知ったという感じになってしまったところでしょうか。
とまあブラザーモーツァルト伝の読書が色々な偏った経験に基づいた動機であったわけですが、読んでみて久々にブラザースタンダールの好感持てる筆致と読者を巻き込む音楽的情熱と再会し、そしていわゆる現在に繋がるブラザーモーツァルトの人気の基礎を作っているフリーメイスンリーの繋がりの中での周辺の人々と時代の情熱が感じられ、その時代のまさにフリーメイスンリーが最大の光輝を放っていた純粋に近いエネルギーを感じられる古典ともアンティークともとれる懐かしさとぬくもりを感じられる、近代の聖書とも言えるようなものであるかと思います。もちろん現在に至るいわゆる一般的なブラザーモーツァルトのイメージを作った本であるかと思うのですが、その対照が映画「アマデウス」であり、それらの中間でありより実体に近いのがナチスドイツ制作の映画「モーツァルトの恋」であるのかと思います。実際のブラザーモーツァルトについてはもちろんその時代のドイツ・オーストリア、フランス、イギリスといったヨーロッパのフリーメイスンリーを含めた事情を含めて、ブラザーモーツァルトの実際のフリーメイスンとしての活動や履歴について残されたすべての秘密を知って初めて理解されるものではないかと思います。
そういう意味ではこのブラザースタンダールによるブラザーモーツァルト伝は主にマスメディアが十分に発達していなかった時代のヨーロッパで音楽的にも文化的にも遅れていたとされるドイツ・オーストリア出身の神童から成長した音楽家の逆輸入とも言える趣味人によるマスメディアでの紹介であり、まさに現代のマスコミュニケーションの仕事そのものであったかと思われますが、もちろんそこにはブラザースタンダールの好ましい人間性や情熱的な理性ともいえる確信的な仕掛けが貼り巡らされているものかと思います。
この本に関連して私はブラザーチマローザの「秘密の結婚」のオペラも観劇したわけですが、果たしてブラザーモーツァルトの作品と比肩するという感想には到りませんでしたが、当時の文化と音楽の中心地であったイタリアにおいて辺境の地ドイツ・オーストリアで現代の古典とされるオペラが作られるとは常識外であったのだというのが前提であったのだと思いますし、その大元がやはりカトリックとプロテスタント、フリーメイスンリーという思想や哲学の前提であり、それらが文学や音楽、科学や文化という社会全体に大きな影響を与えていたという事の明確な証左であるかと思われます。
絵画についてもオルセー美術館の回などでイギリスとイタリア、フランス、オランダとの絵画文化の交流について触れたりしましたが、音楽や文学においてもヨーロッパのイギリス、フランス、イタリア、ドイツ・オーストリア、ロシアの間の交流は特にやはりフリーメイスンリーが成立して以降は顕著だと思われ、それらにおいて明確に音楽と文学の両面において嚆矢であったのがこの一冊であったのだと思われます。
ブラザーモーツァルトに関しては「魔笛」の内容について前回触れましたが、晩年のもう一つのオペラセリア作品「皇帝ティートの慈悲」がいわゆるローマ帝国のヴェスヴィオ火山の噴火によるポンペイの悲劇の時代を元にした、カトリック教会の古代ローマの文献を元にした作品であり、その主人公の皇帝ティトスの即位が父親が亡くなった翌日の6月24日という事であり、ユリウス歴の時代であり聖ヨハネの生誕日がユリウス歴では7月7日という事で、まあなかなかいわゆる暦の混乱があるわけですが、ユダヤ戦争の時代でもあり、皇帝ティトスの愛人はユダヤ人女性であったということで、なかなか洗礼者ヨハネの日にまつわる秘密が組み合わさった興味深い作品となっているようです。(ブラザーモーツァルトのフリーメイスンロッジ恩恵への加入は28歳1784年12月14日だったそうで、第二階級への昇級が1785年の1月7日という事でした。12月14日はブラザーワシントンの命日でもあり、その他フリーメイスンリー関連のイベントや誕生日忌日が重なってる日でもあります。12月24日の10日前でありなかなか意味が複雑ですが、様々な意味が隠されている日と思われます。)
いずれにしてもブラザーモーツァルトもブラザースタンダールも作品を味わうのが最大の彼らの理解であり、彼らの人となりを伝え聞くことよりもまず不死となった彼ら自身に直接文字や音を通して会う事で自身の体験としフリーメイスンリーの真実とするのが望ましいのではないでしょうか。
(インターネットの検索で出てくるブラザースタンダールの伝記によると1806年に23歳でパリで聖カロリンロッジでフリーメイスンとなったそうです。情熱的な恋愛の後で父親の支援が打ち切られた後だそうです。フランス人でインターネットの検索でフリーメイスンかどうかが出てくる例は少ないので、ブラザースタンダールはそういう意味ではフランスの代表的フリーメイスンと言えるのかもしれません。)(プロジェクトグーテンベルクのブラザースタンダールの仏語原文の作品へのリンクを置きます。恋愛論の原文のリンクも載せておきます。)





パリ、モンマルトル墓地の墓銘碑「Arrigo Beyle Milanese Scrisse Amo Visse ミラノ人アッリゴ・ベイレ 書いた 愛した 生きた」は有名かと思います。

英語版ウィキペディアにあった恋愛の結晶化の過程を描いたブラザースタンダールの自筆だそうです。最後はローマに至るようです!
まあ世の中色々事件が多発して、日本も地震やら何やら本当に様々な事件が散発して一週間か十日といえども現代は本当に変化が激しく気忙しいというのがまさに時代の特色ではないかとそういう印象ではないでしょうか。
色々と書き途中の内容や、すぐに書き続く事ができるネタはあるわけですが、どうも情報社会の最先端を担っていると自負するこのブログですが、なかなか環境的にも状況的にもそれなりの内容を維持するためにも若干の休息が徐々に必要となって来たのが明らかなのかもしれません。
それで最も継続しやすいアメリカの州章シリーズもあり、その他にもいくつか内容の案があるわけですが、色々な状況を鑑みてここで改めて最も私的な部類に属するフリーメイスンリー関連の読書の、文学と音楽の趣味の濃厚なブラザースタンダールによる処女作モーツァルト伝についてを取り上げようかと思います。
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まあ私はブラザースタンダールについては高校倫理の教科書で恋愛論の作者として知ったのが初めてだったわけで、その後大岡昇平の「パルムの僧院」を読んで初めて読書の楽しみというものを知った感じであったわけですが、実際「恋愛論」は読んでみて冒頭の「情熱恋愛は実際には存在しない」という彼の論を読んで世の中の最大の秘密を知ったような衝撃を受けたものでした。
![]() | パルムの僧院 (上) (新潮文庫) (1951/02/19) スタンダール 商品詳細を見る |
![]() | パルムの僧院〈下〉 (新潮文庫) (1951/03/27) スタンダール 商品詳細を見る |
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まあ内容についてはかなり昔なのでほぼ忘れてしまっていますが、恋愛論の内容については翻訳やニュアンスの問題もあり、そのような内容で書いてあるかどうかは保証できかねますが、いずれにしてもいわゆる大岡訳を読んでスタンダリアンとなったと自覚する人間としては、大岡昇平訳が聖書の翻訳版のように最も推奨される翻訳であるかと思われますが、読んだ当時は原著を読まなければならないと思ったものでした。(大岡昇平もフィリピンに出兵したりしているそうですが、亡くなられたのはやはり12月25日クリスマスだそうです。)
ブラザースタンダールがフリーメイスンであったと知ったのはもちろんフリーメイスンリーについて知った後であり、受験勉強で独自にStudy in Scarletを翻訳した事があるブラザーサーアーサー・コナン・ドイルがフリーメイスンであったと知った時より衝撃でした。今でもあまり信じられないほどですが、ここで記事にすることでブラザースタンダールがフリーメイスンであるという事を理解し納得する過程となればと思っています。
私自身特に文学や読書に専心した思いはなかったのですが、学生時代に特に現在に繋がるインターネットやフリーメイスンリーに繋がる事以外にスポーツや勉強、趣味といったところで自分から積極的に熱中したという事ははっきりとはなく、読書にしてもいわゆる常識や古典としての知識を求めた結果であり、ブラザースタンダールはその中では比較的偏った傾向のある著者であり、その他には海外の作家としてはシェイクスピアやヘミングウェイ、トルストイやドストエフスキーと言ったいわゆる世界文学全集に含まれる長編小説といったものを翻訳で読んでいる、いわゆる詰まらない読者であり、読書そのものを楽しむというほどにも無い人間ですが、その中で唯一熱中して読んだと言えるのがブラザースタンダールの「パルムの僧院」大岡昇平訳であったかと思います。ただその「パルムの僧院」であっても大岡昇平訳以外を読んではっきりと内容の違いを感じてなんとまあ翻訳で異なるものかという事を認識し、ブラザーモーツァルト伝が処女作であると知りなかなかそういうものの理屈を知ったという感じになってしまったところでしょうか。
とまあブラザーモーツァルト伝の読書が色々な偏った経験に基づいた動機であったわけですが、読んでみて久々にブラザースタンダールの好感持てる筆致と読者を巻き込む音楽的情熱と再会し、そしていわゆる現在に繋がるブラザーモーツァルトの人気の基礎を作っているフリーメイスンリーの繋がりの中での周辺の人々と時代の情熱が感じられ、その時代のまさにフリーメイスンリーが最大の光輝を放っていた純粋に近いエネルギーを感じられる古典ともアンティークともとれる懐かしさとぬくもりを感じられる、近代の聖書とも言えるようなものであるかと思います。もちろん現在に至るいわゆる一般的なブラザーモーツァルトのイメージを作った本であるかと思うのですが、その対照が映画「アマデウス」であり、それらの中間でありより実体に近いのがナチスドイツ制作の映画「モーツァルトの恋」であるのかと思います。実際のブラザーモーツァルトについてはもちろんその時代のドイツ・オーストリア、フランス、イギリスといったヨーロッパのフリーメイスンリーを含めた事情を含めて、ブラザーモーツァルトの実際のフリーメイスンとしての活動や履歴について残されたすべての秘密を知って初めて理解されるものではないかと思います。
そういう意味ではこのブラザースタンダールによるブラザーモーツァルト伝は主にマスメディアが十分に発達していなかった時代のヨーロッパで音楽的にも文化的にも遅れていたとされるドイツ・オーストリア出身の神童から成長した音楽家の逆輸入とも言える趣味人によるマスメディアでの紹介であり、まさに現代のマスコミュニケーションの仕事そのものであったかと思われますが、もちろんそこにはブラザースタンダールの好ましい人間性や情熱的な理性ともいえる確信的な仕掛けが貼り巡らされているものかと思います。
この本に関連して私はブラザーチマローザの「秘密の結婚」のオペラも観劇したわけですが、果たしてブラザーモーツァルトの作品と比肩するという感想には到りませんでしたが、当時の文化と音楽の中心地であったイタリアにおいて辺境の地ドイツ・オーストリアで現代の古典とされるオペラが作られるとは常識外であったのだというのが前提であったのだと思いますし、その大元がやはりカトリックとプロテスタント、フリーメイスンリーという思想や哲学の前提であり、それらが文学や音楽、科学や文化という社会全体に大きな影響を与えていたという事の明確な証左であるかと思われます。
絵画についてもオルセー美術館の回などでイギリスとイタリア、フランス、オランダとの絵画文化の交流について触れたりしましたが、音楽や文学においてもヨーロッパのイギリス、フランス、イタリア、ドイツ・オーストリア、ロシアの間の交流は特にやはりフリーメイスンリーが成立して以降は顕著だと思われ、それらにおいて明確に音楽と文学の両面において嚆矢であったのがこの一冊であったのだと思われます。
ブラザーモーツァルトに関しては「魔笛」の内容について前回触れましたが、晩年のもう一つのオペラセリア作品「皇帝ティートの慈悲」がいわゆるローマ帝国のヴェスヴィオ火山の噴火によるポンペイの悲劇の時代を元にした、カトリック教会の古代ローマの文献を元にした作品であり、その主人公の皇帝ティトスの即位が父親が亡くなった翌日の6月24日という事であり、ユリウス歴の時代であり聖ヨハネの生誕日がユリウス歴では7月7日という事で、まあなかなかいわゆる暦の混乱があるわけですが、ユダヤ戦争の時代でもあり、皇帝ティトスの愛人はユダヤ人女性であったということで、なかなか洗礼者ヨハネの日にまつわる秘密が組み合わさった興味深い作品となっているようです。(ブラザーモーツァルトのフリーメイスンロッジ恩恵への加入は28歳1784年12月14日だったそうで、第二階級への昇級が1785年の1月7日という事でした。12月14日はブラザーワシントンの命日でもあり、その他フリーメイスンリー関連のイベントや誕生日忌日が重なってる日でもあります。12月24日の10日前でありなかなか意味が複雑ですが、様々な意味が隠されている日と思われます。)
いずれにしてもブラザーモーツァルトもブラザースタンダールも作品を味わうのが最大の彼らの理解であり、彼らの人となりを伝え聞くことよりもまず不死となった彼ら自身に直接文字や音を通して会う事で自身の体験としフリーメイスンリーの真実とするのが望ましいのではないでしょうか。
(インターネットの検索で出てくるブラザースタンダールの伝記によると1806年に23歳でパリで聖カロリンロッジでフリーメイスンとなったそうです。情熱的な恋愛の後で父親の支援が打ち切られた後だそうです。フランス人でインターネットの検索でフリーメイスンかどうかが出てくる例は少ないので、ブラザースタンダールはそういう意味ではフランスの代表的フリーメイスンと言えるのかもしれません。)(プロジェクトグーテンベルクのブラザースタンダールの仏語原文の作品へのリンクを置きます。恋愛論の原文のリンクも載せておきます。)





パリ、モンマルトル墓地の墓銘碑「Arrigo Beyle Milanese Scrisse Amo Visse ミラノ人アッリゴ・ベイレ 書いた 愛した 生きた」は有名かと思います。

英語版ウィキペディアにあった恋愛の結晶化の過程を描いたブラザースタンダールの自筆だそうです。最後はローマに至るようです!
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