2013-03-27 11:33 | カテゴリ:キリスト教
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
これは非常に危うい話題なのですが、フリーメイスンリーについて語る際には避けて通れない話題でもあります。基本的にフリーメイスンリーのロッジの中では宗教の話題は禁忌な訳ですが、フリーメイスンリーに集まる理由のかなり大きな部分が宗教に関する部分でもあり、その点では特に以前にも触れたヨセフ物語の話ではないですが、ユダヤ教とキリスト教とフリーメイスンリーとの関わりは多くのフリーメイスンにとって興味の対象であり、それは多くの伝統宗教に対して寛容とすることを憲章とした今日のフリーメイスンリーにおいてもフリーメイスンリーのメインテーマとも言える話題であるかと思います。
わたしはもちろんフリーメイスンリーについて触れる以前にはキリスト教やユダヤ教の知識を持ちえない、いわゆる典型的な日本人の宗教観でいたわけで、そもそも聖書を通読してユダヤ教やキリスト教について知ろうと思い立った直接的な動機はこのブログでも何度も触れた「ロストシンボル」を読んでフリーメイスンリーを理解するためには聖書を読んでそれらを理解しなければならないと思ったからです。
キリスト教の一般的な理解については日本ではほとんどが新約聖書の概略であり、それもほぼこの前に挙げた四福音書の最初のマタイによる福音書の内容に基づくかと思います。わたしも聖書を通読してから後にいわゆるキリスト教に理解のある日本のカトリックの信者や準信者という人々に会う機会が増えましたが、ほとんどの場合においてマタイによる福音書の内容以上の理解はしていないことがほとんどでした。特に多くの場合には決まり事のように日本語への翻訳によって内容が歪められているので、聖書の内容を語るのであれば日本語訳を読んではいけないというチンプンカンプンな意見でありました。まあ多少キリスト教に関する知識が増えてくると、それがいわゆるカトリックの方針の一つの怠慢とも言うべき伝統的な姿勢であり、それがそもそもプロテスタントとカトリックの対立の原因であり、その後のフリーメイスンリーを生み出すそもそものきっかけとも言えるものであることが分かってきました。
さてまあ今回はキリスト教とフリーメイスンリーという話題にしたわけですが、その中でも最も重点を置くのはキリスト教からフリーメイスンリーが誕生していくきっかけや違いであり、その共有するものや相似の部分ではないというところでしょうか。キリスト教とフリーメイスンリーの類似性と言えば洗礼や聖餐といった儀式や、アーメンとか格式ばった用語の共通性、聖書に対する取り扱い方やチャリティー、奉仕の精神や活動などの点で非常に似ているというか、そもそもキリスト教の伝統の中にそれらを見いだすものが多数認めらるという点でしょうか。それらもまたキリスト教の中でもカトリックとプロテスタントと分けると、カトリック→プロテスタント→フリーメイスンリーという連続性が認められるのが歴史的な起源となるのだと思われます。さらにそれらに旧約聖書の内容や考古学的な起源を付け加えると、エジプト宗教→原始一神教→ユダヤ教→カトリック→プロテスタント→フリーメイスンリーという流れが成り立つと思われ、こうするとフリーメイスンリーが宗教なのか、一神教なのかというところが問題になりますが、理解としては宗教ではなく宗教を越えた存在と言うのが良いのだと思われます。現実に存在する数多くの世界の宗教の神々を統一しうる一つの一神教的な宗教を越えた考え方もしくはそれに至る道とでもなるのかなというところでしょうか。ただしそもそもエジプト宗教はオリエントの様々な神々を含み、またエジプトの各地域の神々を取り込んだ多神教であり、アテン信仰に基づく原始一神教もそもそも王による強引な宗教改革による混乱を引き起こした社会実験であり、その後のユダヤ教にしてもこれはまさに旧約聖書やユダヤ古代誌の通読によって理解がなされると思いますが、地中海社会の安定を目指した古代エジプト王国と古代オリエント王国の妥協の結果成り立ったような時限的な滅びの必然を含んだ異民族排斥の民族教であり、いわゆるキリスト教の世界観で示されるような一神教の世界宗教ではありません。そのキリスト教であってもそもそも旧約聖書の世界からそういったオリエントやエジプトの多神教の神々や逸話を豊富に取り込んだ豊かな多神教世界を基礎として、一応貫かれたテーマが一神教における預言者を通した神との契約という、いわゆるアブラハムの宗教という世界観を示していますが、実際にはローマ帝国の勃興による地中海世界の世界帝国化の中で滅びゆくユダヤ教を、神と一体化された預言者を越えた存在という特別な神の子であるイエス・キリストの存在によって、新たに世界宗教化するというそれまでの流れからいうとかなり大きな方向転換をして成り立った、旧約聖書の内容と新約聖書の内容の分量や重要さの比較から言うと基本的にはユダヤ教の大改革の上に成立した考え方と言えるかと思います。

もちろんそうなると今回のテーマとも言えるキリスト教からフリーメイスンリーへの転換点、一般的にはグーテンベルクの活版印刷術によって始まった聖書の印刷による、聖書を読んでカトリック教会に抗議する人々、プロテスタントの出現、そしてそれらがイングランドやスコットランド、フランス、北方ドイツなどで石工のギルドの組織と相混じり合った結果フリーメイスンリーとして成立するわけですが、そのキリスト教からフリーメイスンリー成立へのポイントであるイエス・キリストの聖書における解説である新約聖書の四福音書の内容に必然的に注目が集まるかと思います。
このテーマを論じるために四福音書の内容を洗礼者ヨハネのキリストの洗礼までの項目を含んだ章までで抜粋してこれ以前に載せたわけですが、すでに読んでいただけたでしょうか。もちろん旧約・新約を含めた聖書の通読が勧められるわけですが、ブログという形態上ブログの枠に基本となる情報を載せていかないと話題となりえないという制約があり、色々な聖書の本文抜粋という著作権の問題もはらみながらあえて掲載したわけです。

まあここまでいくと聖書にもキリスト教にも興味のない人を無理やりフリーメイスンリーに絡めて強引に誘導しているような形になってしまいますが、基本的にはごくごくわかりやすい形にして日本人からは理解しがたいキリスト教とフリーメイスンリーの繋がりをできるだけ簡潔に少ない情報量でわかりやすく、誤解のないように適切に伝えようと苦労しているわけです。

まあいずれにしても四福音書の抜粋部分は全て読んでいただけたということを前提として話を進めていきます。それでは四福音書の抜粋した洗礼者ヨハネによるキリストの洗礼までを含む章までの本文について細かく見ていくこととします。

長くなりそうなので毎度のように3分割して掲載していくこととします。今回はここまでで終わりです。
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(キリスト教と関係していそうな十字やペリカン、三角形や聖書、神がコンパスを持つ図を載せました。参考としてください。)
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