2013-03-29 09:30 | カテゴリ:キリスト教
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
さてかなり難しい話題で分割して掲載するのも色々問題があるようですが、あまりに内容が長くなりそうなのでどうしても分割して掲載することとします。

それでは四福音書の内容についてですが、もちろん是非全文を読んでほしいわけですが、ここでは洗礼者ヨハネのキリストの洗礼までの内容を含んだ章に限定して見ていくこととします。

まずは新約聖書の内容を読む前に前提として旧約聖書の内容を私なりに概括したものをここで示します。非常に長いのですが実際には個々人で通読することをお勧めしますが、ほとんどそれは絶望的なので解説することとします。まずユダヤ教は前提としてアブラハムと神との契約、預言者を通した民族の神との契約というものがあります。契約とはいわば民族の保護と安寧を神への信仰で約束されるというもので、そのための重要な約束が出エジプトで示される十戒とされますが、実際にはユダヤ教で最も重要なことは「異民族と交わってはいけない」です。そしてその次に大事なことが「異民族の宗教やそれに類する偶像を崇拝してはいけない」、つまり一神教を頑なに信仰し、その権威である預言者、司祭、神殿、戒律、民族集合体を絶対に信奉しなければならないという事です。ほぼこれら二大信条にプラスするのがいわゆる割礼のアイデンティティーと神殿や聖櫃と言ったいわゆる出エジプトやその後のイスラエル王国に関わる聖別されたものへの信仰で、戒律に占める重要なものが生贄とそれら神殿に納める貢物に関わるレビ達司祭階級の特権といったところでしょうか。基本的にイスラエル王国では共産主義と神官貴族並列制とも言うべき、部族を主体としたいわゆる嗣業の土地という、日本の班田収受の法のようなシステムが存在しますが、ほぼ部族間同士の抗争でシステム自体が壊滅していき、結果的に必然という形で新バビロニアなどメソポタミア文明の王国に滅ぼされていきます。出エジプト後のわずかな期間の最大最高のイスラエル王国の成功時期がいわゆるダビデ王とその息子ソロモン王の時代で、ダビデ王が貧しい羊飼いから異民族の戦士であるゴリアテを投石器で命中して手柄を立てその後王となっていくまでの過程はナポレオンの出世のような話で物語として良く知られ、非常に興味深い旧約聖書最大の盛り上がりであります。その後のダビデ王が愛妾から産ませたソロモン王への相続と、ソロモン王がエジプトのファラオの娘を正妻としてイスラエル王国が最大の繁栄を築くのがユダヤ民族の最も栄光の時代であり、その際に築かれたというソロモン神殿がフリーメイスンリーのほとんどの建物の規範となる建築とされています。もちろんその後のユダヤ民族の衰退がこの時点でもソロモン王が妾を多数抱えていたとか、その後の王たちが皆妾を多数抱えて神から離れたという表現をなされているのも旧約聖書の非常に興味深い歴史書とも教訓書とも言える部分であるかと思われます。結局新バビロニアに侵略された結果、必然とも言う形でバビロン捕囚が行われ、イスラエル王国分裂後のユダ王国は一時的に滅びますが、有能なユダヤ民族は新バビロニアでも結果的に王を操ったり様々に活躍し、史実ではこの時期に旧約聖書やユダヤ教の形態を整えたと言われています。その後ペルシアのキュロス2世の時代にイスラエルの土地に帰ることを許されますが、大半の民族は現地に残ったそうで、この時点で最初に挙げた「異民族と交わるな」という教えは現実的には空文化していながら、民族のアイデンティティーとして強化され、結果として現在まで残るイスラエルとして成り立っているようです。その後はいわゆる第二のソロモン神殿の建設やアレクサンダー大王の東征などで、地中海世界自体も大きく変化し、古代エジプトの力がほとんど過去のものとなり、ローマ帝国が勃興してくることでユダヤ民族のアイデンティティーの危機は頂点に達し、いわゆる救世主、メシア信仰が強くなってくるわけです。そもそもユダヤ教にはアブラハムから始まる族長が同時に宗教的長である預言者を兼ねるという部分と、ほぼ周囲には理解不能な挙動を示しながら高次の情報判断を行って独自の情報分析能力を持つ独立した預言者という存在の二つのパターンがあり、それらは特に出エジプト以降の分業化したイスラエル王国では貴族制や王制と、神殿の司祭と在野の預言者と言う分業が明確になってきて、特に在野の預言者というのは辻立ち説法のような形で政権野党の形をとり、旧約聖書に定義されるところの偽の預言者や真の預言者が入り混じりながら奇跡や預言を巧みに示して王が神に近づいたり離れたりと表現されつつ、時に王にとって邪魔な預言者が悲劇的な死を迎えたり、王が敬って治世を成功に導いたりと様々な事例が順を追って出てきます。アレクサンダー大王の東征以降はいわゆるその後のローマの歴史になるのだと思いますが、恐らく聖書が成立した2世紀から3世紀のローマ帝国では常識であったのであえてその時代の歴史は聖書に加えられなかったのだと思われますが、実際にはフラヴィウス・ヨセフスのユダヤ古代誌に示されるように非常に陰惨で現実的でそれでいてダビデ王の物語を彷彿とさせるような壮大ないわゆるヘロデ大王の時代(新約聖書に出てくる幼児を皆殺しにしたというヘロデ王、その後の息子達もヘロデを名乗った。)があり、シーザーなどローマの歴史上の人物と丁々発止のやり合いがありながら、既にエジプト王国が勢いをなくし、ユダヤ王国も明らかな危機を感じている時代となって新約聖書のキリストの時代に入るわけです。ヘロデ大王がまさに苦悩の中で死んだ時をキリストの生誕としているわけですが、ユダヤ王国は結果的にローマの直轄領となりユダヤ教自体の政治的自立性がほぼ失われた時と同時になるようです。

さてでは色々問題のありそうな旧約聖書の要約はここまでとして最初にマタイによる福音書を見ていきます。
まず最初にイエス・キリストの系図が出てきます。旧約聖書でも特にアブラハムやイサク、ヤコブ、ヨセフ、モーゼ、アロン、ヨシュアなどの時代には何度も何度も繰り返し系図の記述が出てきます。これは古事記や日本書紀などでも同様に認めますが、神代から人代に至る際にそれらが綿々と繋がっているという権威の象徴であり、逆に言うと曖昧な伝承と言えるかもしれません。この系図ではバビロン捕囚までの系図までは歴代のユダヤ王国の王の名前を挙げているようですが、その後の系図に関しては後に出るルカによる福音書の最後に出る系図と比較しても最後のヤコブとヨセフとイエス(ジョシュア)の最後の二人だけが一致しており、14という数字とその三名の名前にだけ意味があるということなのかもしれません。ヤコブとヨセフとジョシュアと言えば旧約聖書ではそれぞれ重要な役割を行っている人物であり、新約聖書を読む者は当然その知識を持つべきであるという前提で書かれたものと思われます。

その後がいわゆる有名なマリアの処女懐胎ですが、ここでは絵画で有名なジョルジュ・ド・ラトゥールによる聖ヨセフの夢の話が語られます。
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これについては以前にヨセフ物語の回で取り上げたことかと思います。

その後はいわゆる東方の三博士で知られる占星術師の訪問ですが、原文では少なくとも新共同訳では三人とは書かれていません。ベツレヘムからメシアが生まれるというのはダビデ王の出身地と重ね合わせているそうです。ちなみにヘロデ大王が幼児を殺したというような話は全くその他の歴史書にはないそうですが、フラヴィウス・ヨセフスのユダヤ古代誌にはヘロデ大王が様々な悩みをこじらせながら最終的に愛した妻とその子供たちを権力に任せて死刑にするという過程が壮大な史実として描かれていて、恐らくそのオマージュなのではないかと思われます。その後いわゆる「ナザレのイエス」の表現が出てきており、これは四福音書に共通するものであり、この点に関しては関連はわかりません。実在であるかもしれないというところでしょうか。

そしてその後在野の預言者として洗礼者ヨハネがヨルダン川に現れ、いわゆる旧約聖書に多く認められる預言者のいでたちで洗礼というかつてありえなかった儀式を行い、その当時の主流派であったファリサイ派(戒律主義、現在のユダヤ教)やサドカイ派(神殿祭司派、当時の現実主義で神殿の崩壊で消滅した)の人々が洗礼に来たとあり、ヨハネらがいわゆるエッセネ派(洗礼派)という存在であったと考えられます。そこでイエスが洗礼を受けて、鳩が天から降りてくる光景が描かれます。鳩のシンボリズムは聖書ではここにも認められます。

それでは次にマルコによる福音書です。
マルコによる福音書はいわゆるQ資料仮説に基づく最古の共観福音書とされ、内容は簡潔でキリストの活動が淡々と描かれています。処女懐胎などの話は一切なくいきなり洗礼者ヨハネによるキリストの洗礼です。この洗礼者ヨハネの話は福音書に基づくブラザーオスカー・ワイルドのサロメの伝説が有名ですが、いわゆるフラヴィウス・ヨセフスのユダヤ古代誌では王に対する批判などではなく、単に洗礼によって人気が出たヨハネを政権の危機と予知して扇動の罪で処刑したとあるのみです。恐らくわたしはこの洗礼者ヨハネがキリストのモデルであり、ローマ帝国直轄地の領主の命令によって殺された洗礼者ヨハネを直接の指導者と仰ぐことは、ローマ帝国に対する直接の反逆となるために、前駆洗礼者としてその後のジョシュアの名を持つ救世主を想像したのだと思われます。その後の四門出遊などのようなキリストの伝道の話はそれこそガンジスの洗礼のように様々なアレクサンダー大王東征後の世界にもたらされた東の新しい方法の導入だと思われます。漁師を弟子にするなどの話からの魚を食べる文化も主に東の方から来たのかもしれません。その後のイエスの伝道の話のほとんどはいわゆる医療に類するか奇跡の類であり、これらも旧約聖書で神の所業とされるユダヤ教の知恵が医療や衛生の知恵であったり、数々の奇跡の類であることと共通であるかと思われます。もちろん規模や種類が時代と共に変遷していることがあるのだと思われます。ユダヤ教のラビによればイエスの教えのほとんどは高名なユダヤ教のラビ、特に時代の近い以前取り上げたアキバ・ベン・ヨセフによるものであるとしています。(ユダヤ5000年の知恵 ラビ・マービン トケイヤー)
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さて段々偏って来たようですが、次がルカによる福音書です。
長くなりそうなのでここで分割します。
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