2013-03-31 13:03 | カテゴリ:キリスト教
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
さて次が共観福音書最後のルカによる福音書です。
最初にテオフィロという謎の人物への献呈文が書かれています。神を愛する者という意味だそうで、ローマの高官と解釈されているそうですが、どうでしょうか。
ルカによる福音書では何と冒頭でいきなり洗礼者ヨハネの生誕の由来が描かれます。母親の名前がエリサベトと言い、現在のエリザベスの由来となっています。不妊で高齢でありながら天使の前触れによって妊娠するという話は旧約聖書に認められる有名な話です。アブラハムとサラの子供イサクは神への捧げものとしてモリヤ山の山頂で生贄とされましたが、神がそのアブラハムの信仰心を確かめて、イサクは殺されませんでした。そのささげた岩が現在エルサレムの象徴である岩のドームの中にある岩とされています。つまり洗礼者ヨハネが神への捧げものとしての預言者イサクと同じであるとの象徴を意味しているのかもしれません。
その後同様にしてマリアにも天使のお告げがあり、エリサベトとマリアは親戚であったとされ出産前に会っていることとなりました。これは恐らく生前からその運命が決まっているという例えと共に、キリストの存在=洗礼者ヨハネであるという解説になるのだと思われます。その後洗礼者ヨハネは荒野をさまようわけですが、ユダヤ教において祭司の息子が荒野をさまようというのは、牧師の子供でありながら画家となったファン・ゴッホのようにあり得ない経過であり、相当の解説が必要なのですが、突然父親が祭司であると出てきているので、実際には当時のユダヤ教社会では旧約聖書に出てくるほど安定した系図や戸籍の形は成り立たず、突然のぽっと出の人物が歴史上に名前を残す人物であるというのが実際だったのではないでしょうか。それはアキバ・ベン・ヨセフの経歴などからも考えられます。
イエスの誕生が住民登録のためにベツレヘムで行われたとありますが、もちろん記録には残っていません。恐らくその後のローマ帝国の治世でそういう系図や住民登録のシステムが成立した時代の発想なのだと思われます。
羊飼いが見張りをしている逸話は有名であると思いますが、これは現在でも羊と羊飼いの関係として象徴とされることが多いです。神殿で献げられる際の心臓と剣の逸話はフリーメイスンリーの象徴とされています。もしかするとこの神殿での逸話は洗礼者ヨハネの実話であるのかもしれません。
その後の神殿での少年イエスの説教の逸話も有名ですが、ここでもやはりナザレの地名が出てきますが、どうも神殿に連れてきてそのまま両親が置いてきてしまうというのは捨て子のようです。実際には貧しかった洗礼者ヨハネの家では神殿に洗礼者ヨハネを捨てて行ったのかもしれません。
その後洗礼者ヨハネが現れいわゆるキリストと同じような内容の教えを説きます。洗礼者ヨハネは王の批判を行ったというかどで捕えられ殺されます。その際にイエスも洗礼を受け他の共観福音書と同様に鳩が降りて来ます。
マタイによる福音書の冒頭と同じようなイエスの系図がありますが、既に説明した通りイエスの父親のヨセフと言うところ以外はダビデ王からとバビロン捕囚からとほとんど一致するものがありません。それがそのまま聖典とされているのが新約聖書の福音書なのです。果たしてどういう意味なのでしょうか。

さて最後が最も格調高くフリーメイスンリーでもヨハネによる福音書の冒頭のページを儀式の際には開く決まりとなっている、四福音書で最後に100年ほど遅れて成立したと言われるヨハネによる福音書です。フリーメイスンリーではイエス・キリストの弟子の使徒ヨハネと洗礼者ヨハネを対峙した円と平行線で示したシンボルがありますが、このヨハネによる福音書は冒頭から使徒ヨハネと洗礼者ヨハネとを混同するような文章が続きます。というより同じ意味で書いているのかもしれません。言葉が神であり、言葉のうちに命があり、命は光であったとは名文とされています。宗教の本質、神の本質、人間性の本質を的確に捉えた文章といえるのだと思います。
洗礼者ヨハネは自ら預言者である事もメシアである事もないと否定します。フラヴィウス・ヨセフスのユダヤ古代誌によれば、洗礼者ヨハネは根っからの善人であったと描かれています。根っからの善人であり、洗礼という新しい習慣により大衆の絶大な支持を受けたが、王から危険視されて殺されたと記述されており、後代の加筆もあるそうですが、キリストに関する記述と異なり信用性があるものとされています。
イエスの洗礼が再び描かれます。イエスは神の子羊と表現され、これはルカによる福音書の羊飼いが生誕を見守ったことと対応するものと考えられます。ここでは鳩が霊の表現であると記述されています。この前3つの共観福音書の記述がさらに神秘的な象徴の表現に高められていっています。時間や比喩表現などやや謎めいた象徴的な表現が増えてきます。
やはりナザレの地名の表現が出てきます。恐らくわたしはこれが洗礼者ヨハネの出身地なのだと思います。その後ヤコブの梯子の天使が昇り降りする梯子の象徴が表現されます。

さて四福音書の抜粋を読んで比較してどのような感想を抱くでしょうか。2世紀の聖人エイレナイオスはこの四つの福音書をそれぞれ聖櫃のアークの上にある智天使の象徴であるケルビムを構成する四つの動物、鷲と牛とライオンと人に当てはめたそうです。四という数字は同時に映画フィフスエレメントでも有名になった、ギリシア哲学から生まれた四大元素を構成する数字であり、空気・火・土・水から世界は構成され、それらの結合や交わりによって世界は構成されているとするものです。プラトンはこれらに結晶のような正多面体の理論を加え、それらが後に錬金術やタロットの考え方にも取り入れられているそうです。
恐らくこのブログの読者の方で旧約・新約聖書をすべて通読した方は居ないでしょうし、フラヴィウス・ヨセフスのユダヤ古代誌を読んだ方もいないでしょう。わたしも後者に関してはまだすべて読み切ってはいませんが、とりあえず大体の概要を掴んだところでここまでの記事としました。ユダヤ教に関してはまだタルムードやユダヤ神秘主義について多くの知識が必要とされており、そこまでの時間が現在は得られていませんが、いずれ内容を咀嚼して理解したところでそれなりに記事にしていくつもりです。私としてはこの様な形式の聖書の通読の勧めとなるのは不本意ではありますが、実際に通読して得られたもの、残るものというものが過去と現在のフリーメイスンリーの原動力となっていることが理解されるかと思います。アイザック・ニュートンは万有引力の法則など様々な物理学の新発見を行った後に晩年を聖書研究と錬金術研究に没頭したとありますが、現代はその時代とは異なり数々の考古学上の発見や聖書に関しても死海文書やナグハマディ文書などそれら周囲の時代的背景を詳細に語る資料が発見されており、またカトリック教会の改革開放が進めばさらなるキリスト教についての新たな知見が世間に広まる事もありうるかと思います。私の解釈は恐らく現在でもまだ異端の部類に入るのではないかと思います。恐らく1717年6月24日の洗礼者ヨハネの日にイングランドグランドロッジを結成したブラザークリストファー・レン、ブラザージョン・デサグリエらにとっては最大の関心事であったのかもしれません。1717年という11とユダヤ教の聖数77とをまたいだ数字の年に結成したとされるフリーメイスンリーにとって、キリスト教の精神とその歴史は欠くことができない最高の秘密であるかと思われます。ちなみにイングランド連合グランドロッジの紋章には四つのケルビムと紋章中にはそれらを構成する四つの生き物が描かれています。四福音書の解き明かしこそ近代フリーメイスンリーの結成の原動力であったと思われます。(ちなみにGrand Lodge of British Columbia and Yukonのホームページではこれら四つの動物とユダヤの四部族を対応して説明する説を載せていました。)
davinci_giovanni00.jpgdavinci_cena00.jpgUGLEcoat of arms
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