2012-02-13 10:40 | カテゴリ:神戸
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
大阪のシンボルと言えば大阪城でしょうか。豊臣時代の石垣は埋もれているそうですが、恐らく城郭の石垣としては最も大きな石が入り口付近にあります。徳川時代のものとされますが、大きな石は権力の象徴として豊臣時代の石垣から再利用されたと推測されます。(追記:どうも徳川時代に切り出したもののようです。豊臣時代のものへ見せつけたものでしょうか。)大きな石へのそれは西洋の優れた築城技術をキリシタンから学んだ豊臣秀吉の大陸や世界への憧れをそのまま反映したものかと思います。治世の途中からキリシタン弾圧を開始した秀吉ですが、信長後に日本統一を果たし、その過程で多くのキリシタン大名やイエズス会の宣教師と懇意にし、西洋の知識や知恵を利用したものと考えられます。漢字がほとんど書けなかった百姓出身の秀吉の人心をつかみ取る筆まめな様子が、数多く残された手紙から直接伝わってきます。関西の美意識、権力と政治に対する考え方が若干反映されているのではないでしょうか。秀吉がキリシタン弾圧を開始してすぐに亡くなられている事は後の孝明天皇や伊藤博文の死にも何やらつながりがありそうです。

私は行った事はないのですが通天閣というこれまた大阪の象徴とされる塔にあるビリケン様というのは実はフリーメイスンリーの象徴です。正確にはスコティッシュライトの32階級で構成されるシュライナーズというアメリカで有名な友愛団体の内に存在するRoyal Order of Jestersの象徴とされています。アメリカ人の芸術家の女性の夢に現れたのがこの形の悪魔のような子供のようなものだったのですが、これを神様として造形したようです。のちに当時の大統領のブラザーウィリアム・タフトの愛称をとってビリケンとしたようです。ピエロの図は以前ポール・マッカートニーが無意識に描いたものといったのが、テレビ東京の鑑定団で出ていたりしていましたが、関連あるかはわかりません。


通天閣のビリケン像


Royal Order of Jestersのピエロのマーク バットマンのロビンみたいですね。

さて明治維新に関わる関西の逸話と言えば緒方洪庵適々斎塾の話は欠かせません。私は手塚治虫の遺作である「陽だまりの樹」で知ったたちですが、福翁自伝や大阪大学医学部の関連で知った方も多いかと思います。(追記:手塚治虫については彼は大阪帝国大学附属医学専門部出身で大阪大学医学部とは直接関係ないようです。彼自身は外科の勉強をしたようです。平成元年に胃癌で亡くなられています。同じ遺作である「アドルフに告ぐ」ではヒトラーがユダヤ人であったというフィクションを題材にしています。その中で神戸のユダヤ人についての話があります。ライオンキングのオマージュは一つのディズニーやフリーメイスンリーの彼に対する評価であるかと考えます。)司馬遼太郎の作品にも良く出てきているようです。適塾の卒業生には後の陸軍軍医や、榎本武揚と共に戦った陸軍奉行の大鳥圭介、官軍の指揮官で後に日本陸軍を創設した大村益次郎、安政の大獄で処刑された橋本左内、慶應義塾の創始者の福沢諭吉、手塚治虫の曾祖父の手塚良仙らがおり、当時珍しかった蘭和辞典のヅーフ辞書があり、これの複写で生活費を稼ぐのが主な学生の勉強であったようで、その他は洪庵が訳したドイツの医師フーフェランドの内科学の著書の蘭語訳書の暗誦があったようです。その他は牛の解剖などやっていたようです。


緒方洪庵肖像


適々斎塾跡 周囲は中之島の南側のオフィス街で、銀行や保険会社のオフィスビルが立ち並びタイムスリップしたような印象です。地図で見ると今話題の大阪市役所の目の前に当たりますね。XPの大阪市です。



中庭もある勝手のいい作りになっており、集団生活であってもある程度快適に過ごせる作りになっています。当時の大阪商人たちのかなりの援助があったものと思われます。茶を大成した堺の商人の千利休などと同じく、いわゆる大阪商人のギルド、組合のようなものが積極的に当時の先進科学であった蘭学教育と蘭方医学に対して緒方洪庵個人を通して支援していた様子が想像されます。


ヅーフ辞書と塾生部屋の刀傷 辞書や百科事典の作成にはフリーメイスンリーの思想が強く反映されています。辞書を筆写することで学習する事は当時外国人と接する機会の極めて少なかった日本において可能な限られた外国文化の学習法であり、どれほどの効果があったかは不明ですがその後の彼らの活躍を見れば、学習の機会や姿勢、西洋文明に対する受容という点では当時における最高の学習法であった事は間違いなさそうです。

緒方洪庵自体は誰からも尊敬されて患者の評判も良く、また夫婦仲も良い家庭であったらしく、その雰囲気もヘボンの家庭のように同居人であった弟子たちに良い影響を与えたものかと考えられます。緒方洪庵の最大の業績はブラザージェンナーが発明した種痘の方法を種痘所を開設して行ったことで、これらは結局お玉が池種痘所となり、大阪大学医学部、東京大学医学部の元となったとされています。(追記:種痘を日本に伝えたオランダ人医師オットー・モーニッケはフリーメイスンかどうかはわかりませんが、博物学の本を残しているそうです。恐らくフリーメイスンではないでしょうか。)緒方洪庵が種痘を開始したのが1849年で、その後種痘は全国に広がりましたが、1862年に江戸城奥医師に任ぜられ江戸に上京して後すぐ1863年に喀血して死亡しました。恐らく結核だったのだと思います。色々な派閥争いがあったようで、種痘で全国的に名を売った緒方洪庵には敵が多かったようです。それから4年後の1867年に孝明天皇は天然痘で急死しており、当時の皇族は種痘を忌避していたものと考えられます。

ブラザージェンナーによる種痘はいわゆる牛飼いに伝わる天然痘よけに牛の天然痘にかかると人の天然痘に罹らないという言い伝えを実用化したもので、これに関連してか牛を神として崇める文化は旧約聖書にも異教として認められ、現在ではヒンドゥー教などで認められます。


ブラザーエドワード・ジェンナーの肖像画 彼は開業医でしたが種痘の業績により免疫学の祖とされています。
その他に医者や医学に貢献したフリーメイスンとしては有名なところで次の人々がいます。


マラーの死 ブラザージャン・ポール・マラーはジャコバン派の領袖であり開業医でした。彼はジャコバン派が権力を握っている時期に、自宅でアトピー性皮膚炎の治療のため入浴していたところを地方からわざわざ訪問した神がかりの女性に暗殺されました。


ブラザーサーアレキサンダー・フレミング 彼はペニシリンの発見によってノーベル医学生理学賞を受賞しました。抗菌薬の発見によって近代医学は劇的な進歩を遂げました。
近代外科学の手術を可能にした消毒の考えを著したブラザージョゼフ・リスターもフリーメイスンです。彼の名前を残した口腔消毒薬リステリンは有名ですね。その他アメリカの有名な病院であるメイヨークリニックの設立者(ブラザーウィリアム・メイヨー)もフリーメイスンでありました。フリーメイスンリーの世界に限れば医師であるブラザーアルバート・マッキーはフリーメイスンリーの辞書や歴史書を編纂し、フリーメイスンリーのシンボルや歴史を整理するのに貢献しました。

ブラザーエドワード・ジェンナーが始めた種痘によって、人類の長年の大きな敵であった天然痘は現在地球上に存在しません。かつてはアメリカ大陸でコロンブス以下のヨーロッパ人が持ち込み、多くのネイティブアメリカンがこの病気で死亡しました。(追記:ネイティブアメリカンは侵略者に喫煙の習慣を教えたそうです。喫煙による死亡者はご存じのとおりです。ネイティブアメリカンにもフリーメイスンが多数いるそうです。フリーメイスンの喫煙率も相当なものです。)

医学の歴史は旧約聖書のユダヤ人の戒律に認める通り宗教と科学の歴史そのものであり、解剖学、生理学を含めて今日のフリーメイスンリーの教えの体系の基礎を成すものでもあります。


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