FREEMASONRY
Blue Lodge, Scottish Rite & York Rite in Japan
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イギリスははっきり言って観光として日本人が何度も行って満足できるものではないと思います。
一口に観光といってもその中の要素としてはだいたい食事、宿泊施設、景色や文化や移動の手段の三つに分けられると思い、そのうちの全てが揃っているところがやはり観光地としてベストなわけであって、イギリスにおいてはやはり店を選んでお金を出せばよい食事が食べられるとは言っても、旅行で重要な食事が日本人が満足できることは少ないかと思いますので、その他の要素が非常に優れていて実際世界の観光都市としてもベスト3に必ず入る都市な訳ですが、満足度という点においてはそれほど高くないのだと思われます。
ではなぜそんな満足度の低い観光地に一年も置かずに再び行くことになったのかというとこれはもちろんフリーメイスンとしての公務みたいなもので、前回ロンドン・パリの旅を終えたところで差出人不明の国際フリーメイスンリー歴史学会のプログラムがeメールで届いたからで、これは行かねばなるまいと覚悟を決めて、果たしてちょうど時差8時間で、飛行機の所要時間が12時間とちょうど朝に出ると眠くなった頃に昼につくという最も時差の影響が大きいヨーロッパに再び1週間の弾丸旅行を行ってきました。
前回ロンドン・パリの旅がかなりの雨天で、同時に地元横須賀もかなりの雨で京急線が止まるなどあり色々心配をしていましたが、今回は稀に見るイギリスの好天続きで旅としては非常に良かったわけですが、まあアベノミクスに水を差すような株価の下落やブリティッシュエアウェイズの飛行機がヒースローで火を噴いたなどのニュースがありましたが、全体として前回ほどの波乱は無かったかと思われます。
まあ今回はとにかく観光の要素は少なく、国際フリーメイスンリー歴史学会なるものがいったい何なのかというところがメインテーマでありまして、そもそも国際学会というもので海外に行くのが初めてでありましたので、英語のプレゼンテーションの内容をどれだけ理解できるかとか、参加者や発表者がいったいどんな人たちなのかというところで非常に興味があり、またまあ上述のきっかけからあまり行かないでやり過ごそうという考えは無かったという事もあり、とにかく参加することに意義があると納得させて、分からないであろう英語のプレゼンテーションは今回から動画を活用して記録する事としてそれを後で分析して理解しようという事にして対応していったわけです。
そもそもスコットランドの予備知識としては、ブラザー片桐三郎の入門フリーメイスン全史偏見と真実にも詳しく語られるように実務的メイスンリーの発祥の地として最も有力な記録に残った土地であり、清教徒革命や名誉革命を通じて様々な王権や議会の背後で確実な勢力としてフリーメイスンリーが存在した根拠地であり、またジャコバイトや古くはテンプル騎士団などヨーロッパの歴史の底流の部分をフォローしてきた土地であるとされ、一般的知識としてはショーン・コネリーやユアン・マクレガーといった有名映画俳優がスコットランド出身者にいて、ブラザージェームズ・ワットや、ブラザーアレクサンダー・グラハム・ベルや、ブラザーエドワード・ジェンナー、ブラザーアレクサンダー・フレミング、ブラザーサー・アーサー・コナン・ドイル、ブラザージョゼフ・リスター、アダム・スミス、ブラザートーマス・ブレーク・グラバー、ブラザーウィリアム・ジャーディン、ブラザージェームス・マセソンといったイギリスと言って思いつく科学や医学や文学や経済の超有名人達の出身地であり、湖水地方などで言われるように美しい場所であり、またネス湖のネッシーで有名なようにちょっとミステリアスで世界をあっと驚かすようなトリックを行う土地柄もあるようなイメージであったでしょうか。私はフリーメイスンリーについて詳しく知る前にはブラザーロバート・バーンズについてはほとんど知らなかったので、スコットランドで思われるのは再びカッレ君に出てくるような緑の丘の古い修道院跡があるようなイギリス映画のような光景で、それのさらに寒くて羊が多い場所なのだろうなというイメージでした。実際行ってみて思ったのはかつて行ったことがあるニュージーランドの光景が非常によく似ているという事であったでしょうか。
まあいずれにしても自分で行こうと思ったきっかけではなく、様々な働きかけの中で突如湧いてきた旅行な訳で推測するに横浜ロッジFar East Lodge No.1と同じ場所を共有するスコットランドグランドロッジ管轄の東洋の星ロッジLodge Star in the East No.640との関連になるのだと思われました。そもそも日本のフリーメイスンリーはアイルランド系の軍隊ロッジであるスフィンクスロッジから始まり、その後のイングランド系とスコットランド系のロッジと、上述したブラザーグラバーやジャーディン・マセソン商会などイングランド人、スコットランド人のそれぞれの関わりや競い合いがあり、戦後にはスコットランド系のブラザーマッカーサーを始めとしたアメリカ人による関わりがあるわけですが、その中で横浜ロッジはそのスコットランド系の影響の中で戦後に日本人に門戸を開いていった歴史となるわけです。
一概にイギリスのイングランド、ウェールズ、スコットランド、アイルランドの四つの地域の歴史は日本人にはそれほどなじみがあるわけではないわけですが、それぞれ固有の言語をもち、特にローマ帝国やフランスや北方異民族の襲来やカトリックの伝来、その後の宗教改革の歴史の中でそれぞれの地域で微妙に異なる歴史を持っていて、そもそも日本の神道のように固有に持っていたドルイド教のような太陽信仰を中心とした土着の文化と相混じり合ってそれぞれ特有の文化をもつ地域、国を形成して現在のイギリス、連合王国を形成している歴史な訳です。
そういうわけでそこから1717年にイングランドグランドロッジとして発祥したフリーメイスンリーはその後の1725年にアイルランドグランドロッジを設立し、1736年にスコットランドグランドロッジを設立しそれらがさらに当時のイギリスの植民地であったアメリカ大陸やアフリカ、インド、アジアの居留地に積極的にロッジを形成し、それらが特にアメリカでは一定の条件を果たしたところでそれぞれの地域の国や州をひとまとまりとした新たなグランドロッジを形成する事となって行くのです。日本でも横浜と神戸の居留地にそれぞれ数多くのロッジが形成され、グランドロッジをどちらとするかなどの問題が明治から大正にかけて盛んに議論されていたそうですが、特に関東大震災の横浜ロッジの崩壊をもって多くが神戸に移るという結果になっていったようです。戦後の日本のグランドロッジは数多くのロッジがブラザーマッカーサーの手によって再興されたり新規に基地内ロッジとして開設された後に国会でのフィリピン政府への戦後補償や謝罪決議などをもって、マサチューセッツグランドロッジやその他のアメリカの州のグランドロッジの複雑な相互承認関係を経たフィリピングランドロッジの承認をもって認められる形となったそうです。
そういうわけで伝統的に正統派と呼ばれるいわゆるアングロ・サクソン系のフリーメイスンリーでは最初にイングランド系、スコットランド系、アイルランド系のいずれかのロッジが設立され、その上である一定の条件を満たしたところで国や地域を管轄としたグランドロッジが設立されその他のグランドロッジと相互承認関係をもつというのがフリーメイスンリーの一般的なやり方という事になります。これとはまた別にグランドロッジが無い時点で様々なグランドロッジの系列の例えばグラントリアンなどの系列が並行して存在する事もあり、アメリカの州に数多くのグランドロッジが並列して存在する状況などもこう言った様々なフリーメイスンリーの慣例の中で生じるロッジ設立の競い合いといった中から生じた過程かと思われます。
まあそんなわけで、イギリスと一口に言ってもその中では3国鼎立ともいえるようなスコットランド、アイルランド、イングランドという緩い緊張関係があり、それがかつてはIRAのようなテロまで発展したり、また宗教戦争の時代にはカトリックと国教会の対立や、クロムウェルのアイルランド占領など都市や地域を主体として容易に血塗られた歴史となるイギリスの歴史があり、それはまたオランダやフランス、イギリスといった他の国との関係においても様々な三国関係が同様に存在し続けるという延々と繰り返される歴史の3の関係な訳ですが、要するに前回回ったイングランドグランドロッジ、フランスグラントリアンと間をもつような存在が今回の舞台であるスコットランドグランドロッジという事になるのだと思われ、その前座のような話が国立新美術館にあったフランスのユニコーンとライオンのタペストリーであったわけではないでしょうか。まあ様々な知識としては知っていて、このブログでも何度も触れて来たスコットランドという国、地域なわけですが、実際この様な機会で訪問する事になるとは思ってもいなかったわけで、様々なきっかけの中で物事が動き出している事を感じるような一連の旅であったという所でしょうか。
まあ大分長い書き出しとなりましたが私自身把握できているところがこの程度というところで、実際にはその他に膨大な人と物事の書きとめられない流れというのが歴史には存在しその流れの中で人は動かされ日々過ごしていくというその中の数日の記録をまたブログとしていこうかと思います。以前のように時系列を追った形にとらわれずに様々に変則的な形で構成していくことになるかと思いますし、また間に他の話や学会の個別の発表の内容を追加していく形になるかと思います。頭がこんがらがったり付いていけなくなる人もいるかと思いますが、まあそれはそれでドストエフスキーの小説ではないですが事実は小説よりも奇なりと言いまして、現実は常に想像よりは面白く複雑で興味深いという当たり前のことを伝えていければと考える次第であります。
それでは写真を数枚示して旅の始まりとしていこうと思います。




飛行機からの写真ですが、これは非常にわかりづらいかと思います。日本上空で眼下に日本アルプスが見えるのだと思いますが、先に小さく綺麗に富士山が見えるのですね。恐らくそういうきれいに見えるようなコース取りであったのだと思います。






もうすぐにイギリス上空です。実際は前回のようにビジネスクラスになる事も無く、時差ボケ対策で食事のとき以外ずーっとアイマスクに耳栓ヘッドホンで寝ています。前回から1年足らずという事で遠慮も無くヒースロー空港周辺を撮っています。かなり濃い霧でした。


ヒースロー空港では恐ろしくブラザーダン・ブラウンの新作をアピールしていました。また旧作も全て一緒に売っていました。グランドロッジでのアメリカ人ブラザーのアピールが影響したのでしょうか。日本でも前回は成田空港でこんな感じでした。いやまあ新作は楽しみです。機会があればロストシンボル以前の旧作も読んでみたいと思います。




ヒースロー空港から乗り継ぎで約一時間でエディンバラ空港です。途中はいわゆる国内便ですがほぼ満席の状況でした。日本の東京大阪便のような感じかもしれません。学生やビジネスの方が多いようです。景色は明らかに綺麗な感じでしたね。ほぼ自然のゴルフコースのような感じでしょうか。日本ではあの景色は保存できないのでしょう。

エディンバラはいかにも地方の空港という感じですが綺麗でおかしなところは全くありません。空港からすぐに中心部への直通バスが出ていて3ポンド位だと思います。レンタカーなどもありました。車も比較的多くなく左車線なので海外で運転経験のある方はお勧めかもしれません。ロータリーが非常に多く信号無視の歩行者が非常に多いのが特徴でしょうか。まあなんとも言えない快晴でした。
一口に観光といってもその中の要素としてはだいたい食事、宿泊施設、景色や文化や移動の手段の三つに分けられると思い、そのうちの全てが揃っているところがやはり観光地としてベストなわけであって、イギリスにおいてはやはり店を選んでお金を出せばよい食事が食べられるとは言っても、旅行で重要な食事が日本人が満足できることは少ないかと思いますので、その他の要素が非常に優れていて実際世界の観光都市としてもベスト3に必ず入る都市な訳ですが、満足度という点においてはそれほど高くないのだと思われます。
ではなぜそんな満足度の低い観光地に一年も置かずに再び行くことになったのかというとこれはもちろんフリーメイスンとしての公務みたいなもので、前回ロンドン・パリの旅を終えたところで差出人不明の国際フリーメイスンリー歴史学会のプログラムがeメールで届いたからで、これは行かねばなるまいと覚悟を決めて、果たしてちょうど時差8時間で、飛行機の所要時間が12時間とちょうど朝に出ると眠くなった頃に昼につくという最も時差の影響が大きいヨーロッパに再び1週間の弾丸旅行を行ってきました。
前回ロンドン・パリの旅がかなりの雨天で、同時に地元横須賀もかなりの雨で京急線が止まるなどあり色々心配をしていましたが、今回は稀に見るイギリスの好天続きで旅としては非常に良かったわけですが、まあアベノミクスに水を差すような株価の下落やブリティッシュエアウェイズの飛行機がヒースローで火を噴いたなどのニュースがありましたが、全体として前回ほどの波乱は無かったかと思われます。
まあ今回はとにかく観光の要素は少なく、国際フリーメイスンリー歴史学会なるものがいったい何なのかというところがメインテーマでありまして、そもそも国際学会というもので海外に行くのが初めてでありましたので、英語のプレゼンテーションの内容をどれだけ理解できるかとか、参加者や発表者がいったいどんな人たちなのかというところで非常に興味があり、またまあ上述のきっかけからあまり行かないでやり過ごそうという考えは無かったという事もあり、とにかく参加することに意義があると納得させて、分からないであろう英語のプレゼンテーションは今回から動画を活用して記録する事としてそれを後で分析して理解しようという事にして対応していったわけです。
そもそもスコットランドの予備知識としては、ブラザー片桐三郎の入門フリーメイスン全史偏見と真実にも詳しく語られるように実務的メイスンリーの発祥の地として最も有力な記録に残った土地であり、清教徒革命や名誉革命を通じて様々な王権や議会の背後で確実な勢力としてフリーメイスンリーが存在した根拠地であり、またジャコバイトや古くはテンプル騎士団などヨーロッパの歴史の底流の部分をフォローしてきた土地であるとされ、一般的知識としてはショーン・コネリーやユアン・マクレガーといった有名映画俳優がスコットランド出身者にいて、ブラザージェームズ・ワットや、ブラザーアレクサンダー・グラハム・ベルや、ブラザーエドワード・ジェンナー、ブラザーアレクサンダー・フレミング、ブラザーサー・アーサー・コナン・ドイル、ブラザージョゼフ・リスター、アダム・スミス、ブラザートーマス・ブレーク・グラバー、ブラザーウィリアム・ジャーディン、ブラザージェームス・マセソンといったイギリスと言って思いつく科学や医学や文学や経済の超有名人達の出身地であり、湖水地方などで言われるように美しい場所であり、またネス湖のネッシーで有名なようにちょっとミステリアスで世界をあっと驚かすようなトリックを行う土地柄もあるようなイメージであったでしょうか。私はフリーメイスンリーについて詳しく知る前にはブラザーロバート・バーンズについてはほとんど知らなかったので、スコットランドで思われるのは再びカッレ君に出てくるような緑の丘の古い修道院跡があるようなイギリス映画のような光景で、それのさらに寒くて羊が多い場所なのだろうなというイメージでした。実際行ってみて思ったのはかつて行ったことがあるニュージーランドの光景が非常によく似ているという事であったでしょうか。
まあいずれにしても自分で行こうと思ったきっかけではなく、様々な働きかけの中で突如湧いてきた旅行な訳で推測するに横浜ロッジFar East Lodge No.1と同じ場所を共有するスコットランドグランドロッジ管轄の東洋の星ロッジLodge Star in the East No.640との関連になるのだと思われました。そもそも日本のフリーメイスンリーはアイルランド系の軍隊ロッジであるスフィンクスロッジから始まり、その後のイングランド系とスコットランド系のロッジと、上述したブラザーグラバーやジャーディン・マセソン商会などイングランド人、スコットランド人のそれぞれの関わりや競い合いがあり、戦後にはスコットランド系のブラザーマッカーサーを始めとしたアメリカ人による関わりがあるわけですが、その中で横浜ロッジはそのスコットランド系の影響の中で戦後に日本人に門戸を開いていった歴史となるわけです。
一概にイギリスのイングランド、ウェールズ、スコットランド、アイルランドの四つの地域の歴史は日本人にはそれほどなじみがあるわけではないわけですが、それぞれ固有の言語をもち、特にローマ帝国やフランスや北方異民族の襲来やカトリックの伝来、その後の宗教改革の歴史の中でそれぞれの地域で微妙に異なる歴史を持っていて、そもそも日本の神道のように固有に持っていたドルイド教のような太陽信仰を中心とした土着の文化と相混じり合ってそれぞれ特有の文化をもつ地域、国を形成して現在のイギリス、連合王国を形成している歴史な訳です。
そういうわけでそこから1717年にイングランドグランドロッジとして発祥したフリーメイスンリーはその後の1725年にアイルランドグランドロッジを設立し、1736年にスコットランドグランドロッジを設立しそれらがさらに当時のイギリスの植民地であったアメリカ大陸やアフリカ、インド、アジアの居留地に積極的にロッジを形成し、それらが特にアメリカでは一定の条件を果たしたところでそれぞれの地域の国や州をひとまとまりとした新たなグランドロッジを形成する事となって行くのです。日本でも横浜と神戸の居留地にそれぞれ数多くのロッジが形成され、グランドロッジをどちらとするかなどの問題が明治から大正にかけて盛んに議論されていたそうですが、特に関東大震災の横浜ロッジの崩壊をもって多くが神戸に移るという結果になっていったようです。戦後の日本のグランドロッジは数多くのロッジがブラザーマッカーサーの手によって再興されたり新規に基地内ロッジとして開設された後に国会でのフィリピン政府への戦後補償や謝罪決議などをもって、マサチューセッツグランドロッジやその他のアメリカの州のグランドロッジの複雑な相互承認関係を経たフィリピングランドロッジの承認をもって認められる形となったそうです。
そういうわけで伝統的に正統派と呼ばれるいわゆるアングロ・サクソン系のフリーメイスンリーでは最初にイングランド系、スコットランド系、アイルランド系のいずれかのロッジが設立され、その上である一定の条件を満たしたところで国や地域を管轄としたグランドロッジが設立されその他のグランドロッジと相互承認関係をもつというのがフリーメイスンリーの一般的なやり方という事になります。これとはまた別にグランドロッジが無い時点で様々なグランドロッジの系列の例えばグラントリアンなどの系列が並行して存在する事もあり、アメリカの州に数多くのグランドロッジが並列して存在する状況などもこう言った様々なフリーメイスンリーの慣例の中で生じるロッジ設立の競い合いといった中から生じた過程かと思われます。
まあそんなわけで、イギリスと一口に言ってもその中では3国鼎立ともいえるようなスコットランド、アイルランド、イングランドという緩い緊張関係があり、それがかつてはIRAのようなテロまで発展したり、また宗教戦争の時代にはカトリックと国教会の対立や、クロムウェルのアイルランド占領など都市や地域を主体として容易に血塗られた歴史となるイギリスの歴史があり、それはまたオランダやフランス、イギリスといった他の国との関係においても様々な三国関係が同様に存在し続けるという延々と繰り返される歴史の3の関係な訳ですが、要するに前回回ったイングランドグランドロッジ、フランスグラントリアンと間をもつような存在が今回の舞台であるスコットランドグランドロッジという事になるのだと思われ、その前座のような話が国立新美術館にあったフランスのユニコーンとライオンのタペストリーであったわけではないでしょうか。まあ様々な知識としては知っていて、このブログでも何度も触れて来たスコットランドという国、地域なわけですが、実際この様な機会で訪問する事になるとは思ってもいなかったわけで、様々なきっかけの中で物事が動き出している事を感じるような一連の旅であったという所でしょうか。
まあ大分長い書き出しとなりましたが私自身把握できているところがこの程度というところで、実際にはその他に膨大な人と物事の書きとめられない流れというのが歴史には存在しその流れの中で人は動かされ日々過ごしていくというその中の数日の記録をまたブログとしていこうかと思います。以前のように時系列を追った形にとらわれずに様々に変則的な形で構成していくことになるかと思いますし、また間に他の話や学会の個別の発表の内容を追加していく形になるかと思います。頭がこんがらがったり付いていけなくなる人もいるかと思いますが、まあそれはそれでドストエフスキーの小説ではないですが事実は小説よりも奇なりと言いまして、現実は常に想像よりは面白く複雑で興味深いという当たり前のことを伝えていければと考える次第であります。
それでは写真を数枚示して旅の始まりとしていこうと思います。




飛行機からの写真ですが、これは非常にわかりづらいかと思います。日本上空で眼下に日本アルプスが見えるのだと思いますが、先に小さく綺麗に富士山が見えるのですね。恐らくそういうきれいに見えるようなコース取りであったのだと思います。






もうすぐにイギリス上空です。実際は前回のようにビジネスクラスになる事も無く、時差ボケ対策で食事のとき以外ずーっとアイマスクに耳栓ヘッドホンで寝ています。前回から1年足らずという事で遠慮も無くヒースロー空港周辺を撮っています。かなり濃い霧でした。


ヒースロー空港では恐ろしくブラザーダン・ブラウンの新作をアピールしていました。また旧作も全て一緒に売っていました。グランドロッジでのアメリカ人ブラザーのアピールが影響したのでしょうか。日本でも前回は成田空港でこんな感じでした。いやまあ新作は楽しみです。機会があればロストシンボル以前の旧作も読んでみたいと思います。




ヒースロー空港から乗り継ぎで約一時間でエディンバラ空港です。途中はいわゆる国内便ですがほぼ満席の状況でした。日本の東京大阪便のような感じかもしれません。学生やビジネスの方が多いようです。景色は明らかに綺麗な感じでしたね。ほぼ自然のゴルフコースのような感じでしょうか。日本ではあの景色は保存できないのでしょう。

エディンバラはいかにも地方の空港という感じですが綺麗でおかしなところは全くありません。空港からすぐに中心部への直通バスが出ていて3ポンド位だと思います。レンタカーなどもありました。車も比較的多くなく左車線なので海外で運転経験のある方はお勧めかもしれません。ロータリーが非常に多く信号無視の歩行者が非常に多いのが特徴でしょうか。まあなんとも言えない快晴でした。
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