2013-06-04 22:22 | カテゴリ:スコットランド
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
しかしまあ日本も政治や経済的な色々な問題が差し迫っているというのがあるのか、なんとも気忙しい感じになっていて、その影響かこのブログも色々と模様替えが著しいわけですが、基本的にフリーメイスンリーは完全に一致結束した組織というものではなく、最終的には個人の信条、生き方や理念であり、その歴史の中で数多くの対立や争いの歴史を負っているわけであり、逆に言うと友愛の精神とはそういう現実の争いや闘争との二律背反であるという事にもなるかと思われます。英仏のフリーメイスンリーの雌雄を決したワーテルローの戦いの1815年6月18日から今年でおよそ200年になるわけですが、ブログの音楽を整理していたりしていてふとその時代のことが思われました。いずれブラザーエドマンド・バーグの「フランス革命の省察」を読み終えたらその時代について概観しようかと思います。
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これは北橋からの逆光のエディンバラ城方向ですね。あまりうまくは撮れていませんが、まあスマートフォンでの逆光の撮影はちょっとした話題になっているようですが、カメラ撮影での逆光の撮影は一つの基本ともいえるものかと思います。レンズが小さいのでうまく映らないのですね。まあブラザーターナーかモネの絵画の感覚で見てもらえれば喜ばしいでしょうか。
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スコッツマンホテルというそうです。老舗なのでしょうね。
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まあ結局エディンバラの町並みは同じく世界遺産の富士山みたいなもので、条件やら場所やら美しく撮れるところが決まっているのでしょうが、現地について一日目で撮った写真という事で言わんとするところはわかるという写真でしょうか。
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スコットランド国立公文書館だそうです。その前の騎馬像が最初に触れたワーテルローの戦いで勝利したブラザーウェリントン公です。ロンドンでもブラザーネルソン提督とともに何度も騎馬像の銅像がありましたがやはりイギリスの歴史で最も重要な戦いであったことは間違いないのでしょう。後ろの公文書館にそこに至るまでのイギリス、スコットランドの貴重な歴史文書がスコットランドフリーメイスンリーの歴史文書とともにイングランド、スコットランドの歴史、キリスト教の歴史、宗教改革、清教徒革命、名誉革命、英仏関係の歴史と全て記述された文章として残されているものと思われます。またそうした文章での歴史の確実な記録の積み重ねが歴史を決する戦いでの勝利につながるという象徴でもあるかと思われます。
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ブラザーデュガルド・スチュワート記念碑です。ブラザーデュガルド・スチュワートはスコットランド啓蒙運動の時代の数学者であり哲学者であったそうです。父親もエディンバラ大学の数学の教授であったそうで、恐らくフリーメイスンなんだと思われます。この後もこのブログで取り上げるスコットランドの人物はほとんどがこのスコットランド啓蒙運動の時代の人で、要するにイングランドグランドロッジ結成以降の思索的フリーメイスンリーの時代のフリーメイスン達な訳で、フリーメイスンリー発祥の地であり、事実上の総本部の役割を負うこのエディンバラの地が知の集積の土地となったわけで、そこからヨーロッパ大陸の啓蒙運動、アメリカ大陸での啓蒙運動、アジア・アフリカへの啓蒙運動と世界に広がっていったという事かと思われます。ブラザーデュガルド・スチュワートは数学の教授となった後に道徳哲学について著作を書き、独立期のアメリカやフランスに招かれたりしたそうです。ウィキペディアにはイマヌエル・カントが私には理解できないと言ったとありますがどうなんでしょうか。ブラザーアダム・ヴァイスハウプトのように一般人には理解不能なレベルの哲学者なのかもしれません。もちろんイマヌエル・カントは一般人ではありません。
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カールトン墓地にあるオベリスクです。
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これはちょっとどこか正確にわかりません。カールトンヒルに登る途中なんだと思います。ストリートビューで見てもカールトン墓地の下でも無いようです。是非その辺りはグーグルアースの写真やストリートビューを参考として頂きたいかと思います。私の写真よりはるかに良い世界中から投稿された写真が数多く楽しめるかと思います。
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こちらは比較的有名だと思いますが、カールトンヒルにある国立記念碑です。ナポレオン戦争の勝利を祝ってアテネのパルテノン神殿を模して造られたそうですが一応公称では未完成で終わってしまったことになっています。もちろん柱が12本あり完成しているものと思われます。まあブラザーエドマンド・バーグだけでなく、前述のブラザーデュガルド・スチュワートなどもフランス革命後の混沌を予想し、革命が英国連合国の勝利になることを予想していたという事を象徴するものかもしれません。どことなく横須賀汐入のベイウォークとも似てなくもないというところでしょうか。公称である未完成がラフアシュラーのシンボルともなり、12本の列柱が完成の象徴ともなり、隠されたシンボリズムとなる印象でしょうか。もちろんアテネのパルテノン神殿はキリスト教以前の万神殿であり、ネオプラトニズムの象徴ともなり、哲学そのものの象徴になるかと思います。(追記2013/6/22:これらのエディンバラの象徴的な建築の多くがこの写真の左に写っているブラザージョン・プレイフェア記念碑も建築したブラザージョン・プレイフェアの甥になるブラザーウィリアム・ヘンリー・プレイフェアだそうです。ブラザージョン・プレイフェアはやはりエディンバラ大学の数学の教授であるようで、ブラザージェームズ・ハットンの地質学的な斉一説をわかりやすく世の中に紹介した本の出版と、ユークリッド幾何学の第5公理と絶対幾何学において同値な「平面上に直線と、直線上に存在しない点が与えられたとき、点を通り直線に平行な直線は与えられた平面に高々1本しか引くことができない(プレイフェアの公理)」という公理を発見したそうです。ブラザーウィリアム・ヘンリー・プレイフェアの墓はエディンバラの新市街を挟んでちょうどカールトンヒルの反対側のディーン墓地にあるそうです。国立記念碑、ブラザーデュガルド・スチュワート記念碑、王立スコットランドアカデミー、スコットランド国立美術館などエディンバラの新市街で目立つ建物はほとんどブラザーウィリアム・ヘンリー・プレイフェアによるものだそうです。)
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こちらはブラザーネルソン記念塔です。カールトンヒルで最も目立つ建物ですが、ややいかつい印象があるのはやはりブラザーネルソン提督の人柄を表しているのでしょうか。上部に十字のシンボルと時刻を示すタイムボールというのがあるそうで、実際にはほとんど見ませんでしたが、時刻に応じて上がったり下がったりするようです。丸と十字で太陽十字のシンボルになるのでしょうかね。大砲や船のマストをイメージさせるような建築ですが、後のワシントン記念塔などのアイディアに繋がるものであるかもしれません。ウィキペディアではパゴダ(仏塔)に似たデザインは高価すぎるので望遠鏡に似た形にされたと書いてあります。建築に関係したのは皆フリーメイスンかと思われますが、建築家はロバート・バーンというこの後のカールトン墓地にお墓がある人のようです。32メートル(105フィート)で143段の階段という事で32階級と13×11なのでしょうかね。色々意味があるのだと思いますが、まあワシントン記念塔などとも対比して考えると面白いかもしれません。海抜171メートル(561フィート)というのにも色々意味があるのだと思われます。まあ謎は尽きませんが、それはもちろんフリーメイスンリーの本部ですから。数学者で哲学者のカントが理解不能なフリーメイスンの記念碑をはじめとして謎がないと考えることは不可能でしょう。よほど調べないとわからないかと思います。
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