2013-06-05 19:26 | カテゴリ:スコットランド
ジャンル:ニュース テーマ:フリーメイスンリー
動画もだいぶ変更して現在はショーンザシープとウォレスアンドグルミットとなっていますがいかがでしょうか。フリーメイスンリーと直接関係あるわけではないでしょうが、イギリスを代表するアニメという事で良いのかと思います。(さらにオールドカールトン墓地の動画に変更しました。)背景はイギリスを代表する世界遺産であるストーンヘンジの俯瞰図です。もちろんストーンヘンジは古代エジプト時代に匹敵する時代に遡る時代に作られた古代遺跡であり、その建築目的は実際には不明のままのいわゆる巨石文明を代表する遺跡です。ブラザーイニゴー・ジョーンズがそれについて語った事があったそうですが、いわゆるフリーメイスンリーやキリスト教・ユダヤ教の旧約聖書を主とする歴史の流れからは全く無視された存在でありますが、明らかに石の建築を扱っていた古代ブリトン人のかつての偉業を代表する主要な建築かと思われます。果たしてストーンヘンジをフリーメイスンリーの建築とするか否かは恐らくイギリス本国でも議論があるものかと思われますが、明らかに石を用いた古代の建築でありその伝統文化が失われたのか受け継がれたのかは不明ですが、実物が半永久的に存在する巨石であったため建築自体が残り現在に至ります。
さてではまあブログ自体はブリテン島北部のスコットランドの首都エディンバラの観光案内です。カールトンヒルから降りたところにその前に通過したオールドカールトン墓地があります。道を挟んで反対側にも墓地がありますが、見ることができるのはこちら側だけだったと思います。(ニューカールトン墓地であるそうです。見学もできるようです。灯台の設計者などこちらもフリーメイスンの墓が多いようですが、オールドカールトン墓地の方がほとんどがフリーメイスンのようです。英語版ウィキペディアのニューカールトン墓地の埋葬者のリストをあげておきます。道路整備で間にあった墓が移築されたそうです。色々ありそうですね。実際オールドカールトン墓地は明らかに火事の後と思われる焼け焦げた跡があったりします。)(追記訂正:ニューカールトン墓地はカールトンヒルの南側のブラザーロバート・バーンズ記念碑の横にあるそうです。道路の整備で完全に移転されたのですね。オールドカールトン墓地の反対側にあるのは残った墓地の一部であるようです。どうやって入るかはわかりません。)
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オールドカールトン墓地の外観です。オベリスクがエディンバラの象徴となるのでしょうが、意識しないとそうでもないのでしょうね。ところで書き途中で公開してしまっているのでまた背景を変更しました。ストーンヘンジも非常に眼には良かったのですが、現在はフリーメイスンリーの象徴中の象徴となるソロモン宮殿のヘロデ大王が建築したいわゆるエルサレム神殿の西壁、嘆きの壁としています。もちろんユダヤ教の聖地であり、ユダヤ教の象徴ともなります。キリストの時代に建築されたパーフェクトアシュラーの積み重ねはまさにフリーメイスンリーの象徴という形でしょうか。
とまあブログ作成も色々変遷があるわけですが、今回の内容は特に英語版ウィキペディアのOld Calton Cemeteryの項目が参考になるかと思います。ブログの写真はオベリスクを中心に撮っていますが、ウィキペディアにはその他のフリーメイスンリーのシンボルが刻まれた石碑も示してあります。内容を読むとオールドカールトン墓地は基本的にキリスト教から離れた墓地という事で、ほぼこの墓地に入った人は全てフリーメイスンという事になるのだと思われます。もちろんそれはニューカールトン墓地についてもそういうことなのだと思われます。いずれ横浜外国人墓地のフリーメイスン達についても本に基づいて記事にしようかと思っていますが、まあこの墓地の重要性が理解されるかと思われます。オールドカールトン墓地の埋葬者と写真が出ているサイトがありましたのでこちらもリンクしておきます。Find A Graveのオールドカールトン墓地の内容もリンクしておきます。
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一応解説みたいなのがありますが、まあそれなりに名前が有名なのはこのブログでも出て来たブラザーデイヴィッド・ヒューム位だけでしょうが、結局ほぼ全員がフリーメイスンだと思われますので、どんな関連があるかはわかりません。それぞれ名前が挙がっている人について触れていきます。

ブラザーデイヴィッド・アラン スコットランドのブラザーホガースとも呼ばれる画家だそうです。現在の墓は死後に王立アカデミーによって建てられたそうです。ブラザーロバート・バーンズの作品を題材にしたりしているそうです。
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ブラザーウィリアム・ウッズ ブラザーロバート・バーンズやブラザーロバート・ファーグッソンらと同じキャノンゲートキルウィングロッジに所属していたそうで、ブラザーウィリアム・ウッズはシェイクスピアなどの演目を演じる俳優でブラザーロバート・ファーグッソンのために劇場に席を確保したり前口上をブラザーロバート・バーンズが書いたりしたそうです。

ブラザーダニエル・スチュワート 書いてある通りダニエル・スチュワートホスピタルの開設者であるそうです。その後大学となり、現在は合併してスチュワート・メルビル大学となっているそうです。

ブラザージョン・プレイフェア 彼についてはカールトンヒルのところで追記しました。

ブラザーアーキボルト・コンステイブル ブリタニカ百科事典の出版で成功した出版者であるそうですが、その後破産して事業を再開して、その後の会社が現在も残っているそうです。
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ブラザートマス・リード 同名の哲学者は非常に有名でスコットランド常識学派の創始者とされるそうで、ブラザーデヴィッド・ヒュームの考えを否定した人だそうです。後にカントとミルによって批判されたそうですが、プラグマティズムなどの元になったともされるようです。ショーペンハウエルによって賞賛もされているそうです。結局ここでは一種の英雄であるブラザーデヴィッド・ヒュームの活躍を阻害した人物として、同名の時計修理人のフリーメイスンが葬られている事を示しているものかと思われます。有名な哲学者の方のブラザートマス・リードはアバディーンの出身でワイズクラブなどのいわゆる哲学についてのクラブをいくつも作った方で、ブラザーアダム・スミスの後のグラスゴー大学の道徳哲学の教授となったそうです。詳しくはウィキペディアのスコットランド常識学派のページを参照してください。その後を受け継いだのがブラザーデュガルト・スチュワートであるそうです。カントが理解できないとコメントした方のようです。哲学者のブラザートマス・リードの墓はどこにあるかはわかりません。牧師でもあったそうなので、恐らく最後は教区の教会に葬られたのだと思われます。
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哲学者のブラザートマス・リードの肖像です。もちろん時計修理人のブラザートマス・リードではありません。

ブラザーウィリアム・ブラックウッド やはり出版者、本屋の経営を行っていた人だそうですが、スコットランドのトーリー党の形成のもとになるマガジン、週刊誌を発行したり、やはり百科事典を発行した人だそうです。行政長官もしていて、ブラザースコットの主な出版人であったそうです。一族経営の出版社は1980年まで続いたそうです。
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ブラザーチャールズ・マッケイ 主にブラザースコットが描いた人物を演じることが多かった俳優だそうです。The real McCoyという慣用句、熟語があり、意味は"the real thing" または"the genuine article"だそうですが、その元となったThe real McCayの語源となったそうです。

ブラザートマス・ハミルトン この墓地の最大のオベリスクである政治的殉教者の記念碑を建築した建築家です。その他にもこの墓地のすぐ隣にあるスコットランド政府庁舎やエディンバラのスコットランド銀行の建築を行っているそうです。ウィキペディアでは墓の前におもしろいフリーメイスンリーの象徴画のある石があるとありますが、その画像はわかりませんでした。
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ブラザーロバート・キャンディッシュ 1843年のスコットランド教会分裂においてブラザートマス・チャルマースとともにスコットランド自由教会を作ったそうです。父親がブラザーロバート・バーンズと同郷であって、ブラザーロバート・キャンディッシュの母親がブラザーロバート・バーンズの母親とともにその村の美人の代表であったそうです。
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ブラザーロード・ギフォード 元々何の役職も無いスコットランドの代弁者として活動していたそうですが、殺人事件の提訴などをきっかけとして保安官になった人だそうです。その後スピノザについての講義を受けて裁判官になったそうですが、その際には脳卒中で麻痺があったそうです。やはりこの人も同名のギフォード男爵という人がちょうどブラザーロード・ギフォードの生まれた頃に裁判官となっていて、ギフォード卿、すなわちロードギフォードな訳ですが、こちらの方もフリーメイスンなのだと思いますが、こちらの方は本名はロバート・ギフォードだそうです。ダジャレのようなフリーメイスンの名前の一致は良くある話なのです。日本人の名前の東や三やTOGOの話のようなのは別に日本に限った話ではないという事です。
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ブラザージェームズ・ラムスデン ウィキペディアには歌手とあります。検索ではエディンバラの詩と歌という著作がちょうど亡くなった1899年発行で出てきます。同名の人がかつてスウェーデンのスコットランド人部隊を率いていたとか、2013年3月31日に98歳で亡くなった有名な法律家で実業家の方とか出てきます。

さてまあフリーメイスンリーにとって重要な墓地のブログで時間がかかってしまい、近代フリーメイスンリー創立記念日の聖ヨハネの日の6月24日をはさんで、空母ジョージワシントンが出て帰ってくるまでに渡ってしまっていますがどうでしょうか。ここからは一応実際に撮って来た写真をもとにコメントしていこうかと思いますが、その前にウィキペディアのこの墓地の項目について触れます。入り口の看板に挙げられた名前の方以外にもウィキペディアには挙げられていますが個別には自分で読んでください。中でも面白いのはやはりフリーメイスンリーのシンボリズムが刻まれた墓標の写真でそれはこちらに貼っておきます。
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商売人の記念碑というそうですが、どの辺りにあるのかわかりません。実際に見ていないので何とも言えませんが、これから訪問される方は注目して見られると良いかと思います。
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こちらはブラザージョン・グレイ船長のお墓だそうです。左右の骸骨がそれぞれ父親と母親を示しているそうですが、一見して海賊船のイメージでしょうか。恐らく海賊だったのだと思われます。まあなんともやくざな感じでしょうが、スカルのシンボリズムが一般化した起源としてこういうところにあるのではないでしょうか。

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タンポポと白い花、芝が絶妙のコントラストで美しい墓地です。まあ普通に観光客はフリーメイスンリーの特別な墓地なのだとは考えません。
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政治的殉教者の記念碑が目立ちます。やはりこれだけ大きなオベリスクがあるとまあ普通の墓地ではないという雰囲気はわかるのではないでしょうか。この政治的殉教者の記念碑は特にスコットランドでの普通選挙法の成立に関わった活動家であったブラザートマス・ミューアを代表として建てられたそうです。フランス革命に呼応して普通選挙運動などを活発に行ったそうですが、結局オーストラリアに追放され、その後アメリカからヨーロッパにもどったのですが、イギリスには戻れずフランスで亡くなったそうです。スコットランドの民主主義の父ともされるようです。彼と友達になれるサイトがありましたのでリンクを置きます。ブラザーロバート・バーンズとも繋がりがあり、ブラザートマス・ペインともパリで会っていたそうです。
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名前で検索しても出てきません。フリーメイスンが全て有名人というわけではありません。
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オベリスクがフリーメイスンの墓のシンボルだという事で撮っているわけですが、どうもこのスコットランドのこの墓地ではそんなわけではないようです。要するに全員すべからくフリーメイスンのようです。検索してもほとんど有名人ではないようです。まさにフリーメイスンといった感じです。
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有翼日輪から発展した翼のある天使の顔もフリーメイスンリーのシンボルかと思われます。いずれにしても有名人ではなさそうです。
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リンカーン像はイギリスでのアメリカのフリーメイスンリーを顕彰する際にお決まりのパターンです。何というか黒人奴隷の歴史はフリーメイスンリーの黒歴史とでもいうのでしょうか。まあ当時の人々はキリストやユダヤ人、古代エジプト人は黒人により近かったという科学的考察を知ったらびっくりするでしょう。アダムとイブは間違いなく黒人であったと知ったらフリーメイスンリーを拒絶するかもしれません。
この記念碑はスコットランド系アメリカ人戦士記念碑で、アメリカ南北戦争に参加して死亡したスコットランド系アメリカ人を顕彰する記念碑だそうです。主に南軍で多かったようですが、北軍にもいたようです。いずれもフリーメイスンなのだと思います。ウィキペディアを参照してください。
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さてまあ危険な冗談はともかくスコットランドの墓地は抒情的ですが、何やら明らかに壊された跡や放置されている状況、放火と思われる焼け焦げた跡などがあるのがなんともフリーメイスンリー的といえるかと思われます。
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オベリスクの数が多いのがスコットランドの墓地の特徴だと思われます。人生を濃密に生きたフリーメイスンは死後も毀誉褒貶が激しいものかと思われます。
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ブラザーロバート・バーンはブラザーネルソン記念塔の建築者です。いわゆるブラザーロバート・バーンズと同時代を生きたほとんど同じ名前の建築者ですが、ブラザーロバート・バーンズが尊敬し、敬愛した詩人のブラザーロバート・ファーガソンの記念碑を建築するようブラザーロバート・バーンに委託したそうです。ウィキペディアによるとその際のエピソードを物語る手紙の内容が書いてあります。どうもこの後のブログの題名とした二人のロバートではなく実際には三人のロバートであったようです。まあこういう話はいくらもいくらもあるのがフリーメイスンリーであり、実社会です。
ところでブラザーネルソン記念塔は仏塔のデザインとか望遠鏡のデザインとありましたが、実際はワシントン記念塔と同じく男性性器を模倣したデザインなんでしょうね。なんともフリーメイスンリーらしい下世話なスコットランド最大の秘密でしょうか。まあ酒場の男のクラブの最大の話題なんてそんなもんです。
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ブラザーデイヴィッド・ヒュームのお墓です。彼はフランスでフリーメイスンとなった無神論者であったそうですが、その後姪が同じ墓に入って、キリストに捧げる銘板が追加されたそうです。生前に無神論者を公言したため死後に公衆に敵視され墓が死後9日間掘り返されないよう守られたそうです。ヨーロッパでの無神論が歴史上認められるのは1717年のフリーメイスンリー結成後であり、無神論者を公言したブラザーポール=アンリ・ティリ・ドルバック男爵は1723年12月8日生まれだそうです。それ以前に記録が残る無神論の記述はジャン・メリエによるそうですが、もちろん生前は公表されず死後も封印されたそうです。もちろんキリスト教伝播以前は素朴な多神教が占める世界であったわけで、無神論という考え方はキリスト教社会を通過した後の理神論に基づく無神論という事です。
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これは道を挟んだ反対側の残った墓ですね。やはりオベリスクが認められます。

まあなかなか難しかったですがご理解いただけたでしょうか。イギリス英語は表現も難しいですし、内容も非常にごく狭い世界で世界最先端の情報の世界なので非常に難解で何度もイギリスに行かないと理解しえない部分がありますが、まあなんといっても異文化でありあくまで自らの周囲に置き換えてその世界を豊かに深く掘り下げるのが目的であり、人間関係やその当時の社会情勢などあまりに違いすぎる大陸の東と西でありますが、その中で共通点を導き出すのがフリーメイスンリーであるかと思います。いずれ横浜の外国人墓地について細かくブログでやろうかと思っていますが、結局日本人にも誰にでもそのルーツとなる祖先の墓はやはり石であるかと思われ、墓銘碑があり記録があるかと思われ、先祖の業績の積み重ねが現在のわれわれを作り上げているのであることは変わりなく、それを知り現在に活かしてさらに積み重ねていくのが我々の使命でありフリーメイスンとしての人間としての生き方なのだと思われます。
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